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劉備は、蒼天航路のイメージが史実に近い気もしている
周瑜や魯粛たちはもっと描かれ方が異なる。周瑜は『演義被害者の会』会長、魯粛は副会長に任命して良いだろう(笑)。
@@きびのまきび-g2k 羽扇の出立ちは太平御覧が引く東晋の裴啓が著した『裴子語林』に『诸葛武侯与宣王在渭滨将战,武侯乘素舆,葛巾,白羽扇,指挥三军』とあり諸葛亮が先です
演義というか微妙にでも孔明に絡んでたらほぼ被害者の会入りできるガバガバ入会試験w
そしてその孔明自身もその会に入る。司馬懿のライバルにする為にスーパー軍師にさせられた。実際は凄い内政官ではあったが軍略家としては龐統や法正任せにするほど然程得意では無かった。
李楽「帝を逃す時舟にすがる連中の指を落としたのは実は董承さんです」魏延「間違っちゃいないが、こんな書かれ方じゃ誰でも丞相の肩を持つわな」金旋「某も劉備の蛮行を止め切れず、武帝の時代より続いた家が倅の謀反で滅んだ。ご先祖様に合わす顔がない」糜芳「ふざけんなパワハラ髭野郎」韋晃「馬超はとんだ腐れ外道だ」
まだ活躍する場面があるその二人はまだマシ魏の主力中の主力を撃退するという陸遜にも負けない見せ場があるのにその前に勝手に捏造退場させられる朱然より可哀想なのはなかなかいないぞ
演義と正史で違うと言えば韓浩が浮かぶなあ。屯田を進言したのも韓浩、漢中の守りを誰にするか?で韓浩の名前があがるも曹操が「いや、韓浩は手元に置いておきたい」と言ったとか。ゲームの三国志だと5くらいから韓浩はだいぶ見直されて、5の韓浩はそらもう主力レベルで活躍させた。陣立の特殊能力もあったし。
速攻、激励、鉄壁。強スキルばっか。陣形も悪くないし強キャラ。
横山三国志の曹真は完全に司馬懿の噛ませ犬扱いだったから史実の曹真を知ってビックリ、というよりさすがに可哀想になったな…横山三国志というか三国志演義がそういう扱いなんだろうけど
でも三國志の1だと曹操の一族の中では武力が高い方(曹仁曹洪があり得ないくらい弱い)。曹昂は早く亡くなるしで結構前線に出す機会も多くて徳も高いほうだから太守に任命されることも多くて顔をみる機会は多めだったりする(専用グラはない)。
光栄のゲームは信長の野望における武田勝頼みたいにイメージで能力を決めているところがある。
スリーキングダムも酷かったな「また負けてしまった~😱」
正史での活躍が凄すぎて関羽や張飛が霞んでしまうので演義では活躍が削られた張遼…
曹仁も演義では不遇でもかなりの名将らしいですね
演義と正史で扱われ方が違う武将、個人的に一番は魯粛ですね。演義では劉備と孔明に手玉に取られるピエロ役だったけど、正史は自分の考えと意思をもち、劉孫同盟を守った大政治家でした。
正史だと・劉備=傭兵隊長・孔明=軍才はないけど名宰相・司馬懿=驃騎将軍でバリバリ軍人、魏軍で曹真、曹休に次ぐ3番手の南部方面軍司令・張遼=正史の方が軽く化物・夏候淵=ほぼ一人で涼、擁州を制覇し馬超蹴散らす司令官・周瑜=無敗のカリスマ・魯粛=関羽すら圧倒するくらい意外と豪気で遣り手の好漢曹操=ただ英雄なんだよな。
こうして並べられるとマジで史実のが皆魅力的だなぁ…
張遼と趙雲って、リアルに三國無双してるんですよね。それに、夏候惇は演義では前線で戦う猛将のイメージが強いですが、史実だと軍事面では、後方支援をメインとした仕事をしていたんですよね。
ちなみに夏侯惇は私欲なく財産も貯め込まず、領民や兵士を実に良く労った名臣。同乗や同室を避ける曹操が、夏侯惇にだけは其れ等を許すくらい信頼していた。
本当に曹真は惜しいわな。諸葛亮と相対したのは司馬懿と思われがちだが、実際は曹真が前半で後半が司馬懿よね。また身辺切って恩賞与えたり、仲良い同郷の友人の子やいとこの子なんかにも温情をかけている。
張飛「 別に酒で失敗したことないし、ワイロ要求してきたヤツを半殺しにしたのはアニキなんだが……」
劉備「しーっ!☝️」
実際の張飛さんは規律とルールにうるさい生真面目な鬼軍曹みたいなひとだったと思ってる。劉備一党の引き締め役。
そもそも賄賂役人成敗の話は、古今東西で人気のある理不尽な事に反抗して懲らしめる話で、日本でも、水戸黄門や暴れん坊将軍、そこまで暴力的ではないとはいえ近年のスカッとジャパンに、ネット発のスカッとする話など、その類型が多く見られるあれは美味しい役を張飛にもってかれただけいまでも京劇で人気の演目になってるんだから、張飛が喜んでるならともかく、文句付けるはずがない
蜀の主要人物こそが演義最大の被害者達と言えるのがまたなぁ…
正史と演義(漫画)で描かれ方が違う人物で外せないのは周瑜でしょう。
劉備も入れたげて。彼は演義で書かれている様に聖人君子じゃない
@@山下龍吾そして演義以上に戦上手。
@@山下龍吾むしろ演義のお飾りなんかよりも史実のがカッコいいというかクソ有能だからな。あれなら間違いなく曹操に次ぐ英雄よ
小沛を徐州と思ってる人が多いが小沛は豫州沛国沛県の事。劉備は豫州刺史だから徐州に入らないのが当たり前。曹操から自立した時も劉備は小沛に入り、代りに関羽が下邳に入っている。それは劉備が豫州牧だからです。
すまんな、言われて初めて気付いた演義のイメージかどうしても徐州のイメージになってしまっている勉強になったぜ
一応現代では徐州市になるけどね。あと劉備が小沛(沛県)に入ったのは先祖である漢の高祖劉邦が同地の出身であり、高祖にあやかって沛県の有力者を取り込もうとした可能性が高いけどね。また沛県は明の朱元璋の故郷でもある。中国の県は日本の市町村ぐらいの広さなのに、あんな広い中国から2人も皇帝、しかも長期間続いた王朝の開祖が出た土地だったりする。
陶謙が豫州刺史にさせたのに徐州に留める理由がない。陶謙が実効支配をしていた地域が豫州にあったと言うだけ。この刺史時代に陳羣が配下になり、呂布に追われて曹操により牧となった時に袁渙を茂才に上げた。そもそも豫州の刺史治所は沛国譙県なんだが其処に入れないから劉備は沛県(小沛)に入ったわけで。陶謙の支配が沛国の東側までが限界だったと言う事だろう。となると豫州刺史は劉備の他に漢帝国が任命した正式な刺史が存在していた事に繋がる。それが豫州刺史郭貢なんですよ。
王朗さん、虞翻に「あなたは次の時代には必要ない人だ」と言われたのに魏で大出世して娘は司馬昭の妻になったりと死に方はともかく長く生き残ってて驚き。
虞翻的には時に苛烈な判断迫られる組織のトップとしてはダメってことだったのかもね。孫策に降伏遅れを謝罪したり虞翻へ母親心配だろうから戻るよう勧めたりお人好しっぽさが滲み出てるし
@@MaldivesKatsuo1192 なるほど。しかし虞翻(仲翔)蒋欽(公エキ)周泰(幼平)と後の呉の武将の面々は初登場は字で名乗っていて次に出てきた時は顔が別人だったのに(横山先生が同じ人物と認識してなかったのかもしれないが)王朗は随分間空いたのに顔は変わらなかったのは驚きだった。
呉の程普なんて、孫堅と洛陽に入場した時玉璽を見つけた時と、孫堅が劉表を討伐するに本拠地に水軍が終結して驚いた顔が別人。
@@正木茂雄 出てくるたびに別人の満寵さんがすごい。荀彧とか顔が定まらないまま退場してしまった。確かに同じキャラの顔がだんだん変わっていく漫画家さんはいるけど横山三国志は完全に忘れてたとしか思えないレベルですね。
孫策に生かされてるあたり世渡り上手だとは思う
横山三国志を読んでから小説を読みましたが、すごく楽しみながら読めました。
龐統の「君臣ともに間違っておりました」はすげーいいセリフやな。「アンタは間違っとる。でもワシが言ったことも確かに間違いやな。どっちも間違っとるんやからワシは謝らへんで!」ってツンデレかよw すっごく龐統らしいw
龐統は人材育成が得意で常に褒めて指導してたとか褒めて伸ばす人だったのですね。
時代が変われば道徳観も変わるからなあ。自分の評価は一周して、今は正史でも劉備は仁君、諸葛亮は最高の軍師
劉備の側近くに仕えてこれだけのことを言えた龐統は出来た人だよなぁ…才覚の評価も考えて早死にしたのが惜しまれる
そんな龐統が好き
馬超が曹操に反旗を翻したくだりは史実と演義では正反対。
そう、馬超が反旗を翻したから馬騰らは斬られたのよね
むしろ馬超はやらかし側だしね
そして暗躍したおばちゃんの知名度が爆上がりしたようで
韓遂かわいそう馬超に担ぎ上げられて…
馬岱は馬騰らと一緒に斬られそうになったので慌てて(?)荊州へ逃げ込んだ(らしい)。馬超が劉備軍団に加入できたのも馬岱が先に劉備軍団入りしていたからだともされている。(馬岱は馬超を始末したかったのだろうか?)
曹操孟徳は悪役として言われてるが、人材マニアな所は後の苻堅、宇文邕、趙匡胤を連想します。
王朗って対孫策のダメ君主ムーブと魏所属時の有能ムーブの差ありすぎて同名の別人だと思ってた
まぁ王朗さん一貫して官僚側やもんね
会稽の太守からいつの間にか朝臣になっていましたからねぇ
日本で例えると今川氏真みたいなムーブしてるよな
真に不遇だったのは、光栄の三国志Ⅱ
正史の趙雲は、演義ほどの派手さはないけど、結構要のところで仕事してるイメージなので、それはそれで良い
的確に仕事してる人って感じ
本来、現地での趙雲のイメージは、日本の演義における黄忠のようなものらしい経験豊富で沈着、デキる老将の代名詞だったんだとか
ほとんど記載ないじゃん・・・
趙雲って正史だと劉備の存命中一貫して護衛官を務めており、劉禅の代になって初めて将軍として独立部隊を率いているけど、負け戦を傷少なく終わらせたぐらいしか記述がない気がする。少なくとも独力で城や相手将軍を撃破した記録はないはず。ただ、劉禅にとっては命の恩人ということもあり、特別な感謝と信頼を寄せていたことは伺える。
最大の被害者は魯粛でしょう演義だと孔明の引き立て役のなんか弱い感が出てるけど史実では孫策孫権が常に気を使う程の大物で外交の天才周瑜ですら格下扱いされるほど
関羽との会見も終始圧倒していたようで
武の才もあるスーパーマン
オロオロしているように見えてるけど孫権に「ワレ!中原なんかいらんわ!蜀を攻めとり南北で曹操に対抗せんかい」孫権「ヒイ!わ‥わかりました。周瑜と対策をかんがえますから💦」って感じのイケイケオラオラでしたわ。
史実じゃ魯家の狂児だからな胆力、知謀、大局眼において呉に一番欠かせない人材。呉蜀同盟の必要性を誰よりも理解してたことも含めて最高の知恵者よ
史実では自分のせいで親が死刑にされてるのに演義では真逆にしてもらえた誰かさんが一番ひどい
演義読んだとき→馬超かっけぇ史実知ったとき→馬超さんヒャッハーしすぎでは・・・?
馬超みたいな逆パターン(演義でよく描かれてる)というと他は誰だろ?劉備もちょっとそんな感じだけど他は陶謙とか?
華雄「呼んだ?」
@@ぷりんぐるす-s3g ヒャッハーしてたら、閻行にボコボコにされたでござるww
高定「読んだ?」朱褒「解せぬ…」
最近の三国志のドラマ(フジテレビの深夜に放送してたドラマ)。なんでもかんでも孔明の手柄。諸葛亮とその部下達のドラマみたいな感じになってた
呉の朱然、魏の曹仁あたりは演義で貶められてるほどではないが、相当な功績あげてるのをかなりスルーされてる感じ😮
曹真は三国志演義被害者の会会長に任命されるレベルだと思ってる
演義デバフの被害者ながら、それでも名将として描かれている張遼はやっぱすごい
元々演義で夏侯惇を好きになったが正史を知ってより好きになった😊
その被害者の会に、呂蒙と孫文台も入れてください。
ただ、関羽だけは性格のみ史実通り。上に厳しく、下に優しく。
今は三国志13をもう一度プレイしている。被害者の会名誉会長孫策で。
徐州の陳登は演技だと活躍端折られすぎよな孫策の徐州侵攻を策を駆使して食い止めたのに、大した功績じゃ無いってことかねえそもそも孫策の徐州侵攻が漫画になったことが無いような
陳到って劉備家臣団では徐州以来の古参で地位としては関羽張飛に次ぐ地位だったんだよねだからゲームでは有能扱いされてるけど何故か漫画小説ではいないことに
@@youyah7440そっちじゃなくて陳登ね伏波将軍の方
有能で孫策をきちんと食い止めていたのに、鱠の寄生虫に討ち取られた男・それが陳登。
韓浩って軍事で有能だけど処断大好きマン過ぎて行軍中に首持ち歩き過ぎだから、曹操直々に「耳だけ持ってくりゃいいから」って言われたんだっけ
別伝については批判しているのは清朝の史学者ぐらいですもともと別伝批判の起こりは三国志集解という解説書が別伝批判した清代の論を引用したからですが資治通鑑はじめ編年体の歴史書もたびたび趙雲別伝の記述を採用しています食い違ってると言えるのは仕官の経緯ぐらいですが、陳寿は師匠の譙周の仕官経緯すら陳寿は三国志内で矛盾があり、清の何焯の仕官経緯うんぬんは1000年以上後の人間が陳寿が絶対的に正しいという妄信通鑑輯覧や何焯は趙雲が劉備の夷陵攻めを諌めた台詞が諸葛均の書状という三国志演義にしか存在しないものを根拠に切り貼りしたに違いないと言い、後は法正伝に法正が生きていれば諌めたはずと書いてるから趙雲が諌めてるはずないとしていますが法正伝には羣臣多諫、一不從と他の人も諌めたと書いています何焯は他にも北伐の後に孔明が趙雲に褒美を与えたのがおかしいと書いていますが、これも三国志演義にある金五十斤を贈ったという記述と混同しています別伝にあるのは趙雲の機転で物資を捨てずに済みそれを配下の兵士で分けたという記述であり褒美など受けてもおらずこれも演義と正史を混同してる例並被一些史學者指過分疑古。中国語版には一部の学者が過分に疑いを指摘しているとあ趙雲に功績がなければ関張馬黄と並べて伝が立つわけがないし諡号も送られるわけがない です
二次創作だろうな
趙雲には後主・劉禅を救ったという比類なき功績があります。わざわざ劉禅を後主として扱ったように陳寿は劉禅に対して十分な配慮をしており、その劉禅が即位後に特別に取り立てて出世させた趙雲に対しても同様の配慮が必要だったのでしょう。
曹真、史実じゃ名将だったけどデブゴンだったという残念な逸話も残ってるンですよねぇwそれをネタにした呉質は曹丕(他人の黒歴史をからかった逸話持ち)の友人なので、曹丕とは類友だったって話もありますが。
三国志演義は史実7割虚構3割といわれてるように史実を踏まえつつ大衆うけするように創られた名作。曹操は言わずもがなだけど趙雲ご史実では、控えめな活躍なのがちと残念😅
@@岡嶋慎 史実絶対7割もないだろw
魯粛は違いすぎるわ
演義と史実とでは描かれ方が違う人だと陳到もいるな。趙雲に次ぐなど評されるほどなのにそもそも演義じゃ登場しない。なんで!?
横山光輝三国志からなら、張魯や孫権とかもありだな。張昭が老いぼれとかクソ爺ィ扱いされてるのも可哀そうだな(実際そうかもしれないですけど)
張昭は実際には曹操の1歳年下なのにね
年齢で何となく驚くのは劉備よりも荀彧が若いところかな。もう少しオッサンのイメージだったんだけどね
張昭と孫権は割とクソジジィとクソガキの関係(愛を込めて)
夏侯惇は演義だと脳筋バカの猛将になってるけど、実際には思慮深くて人望ある名将なんだよな。戦が下手という人がいるけど実際には武功がかなり高かったのでそれなりに名将だったと思われる。
後方支援とか雑用とかで夏侯惇は随分重宝されてたって話は聞いたことありますね。大きな戦いで主力になると負けてるイメージもあるけど改めて見直すとそこまで負けてるわけでもないし、戦下手のイメージはどこでついてしまったのか……
三国志演義は殆ど創作。孫堅が華遊倒してるのに演技では関羽とかすり替わるとか有りますね
華雄も関羽の引き立て役で創られたモンスターだが、実際は胡軫の副将葉雄がモデルらしい。胡軫が呂布に足を引っ張られたあおりを喰らって孫堅に討たれたんだよな
更に詳細ありがとうございます♥
演義で韓玄の弟になった人も正史じゃ結構違う描かれ方してたね
韓浩ね。あの人別に韓玄との繋がりの記述って特になかったのになぜか演義だとああなってた。史実だと曹操幕僚で優秀な人。
まだいいよ、陳羣なんてどう見ても天才なのに出てこないんやから
劉備紹介の際に安喜県のエピソードが出ると思ったのに…。あれが劉備の異なる側面を表してると思うんですが…。
昔は素直に三国志演義を信じてたけど、成長していろいろ知るほどに、「劉備みたいな乱世の英雄があんな聖人のわけねぇなww」と思うようになった。実際劉備は三国志演義の聖人君子より蒼天航路とかのほうが魅力的だからね
そもそも、三国志演義みたいに兵を率いてる立場の人が最前線で突っ込んでいくなんて事が現実ではあり得る訳がない。 実績のある「猛将」の類は殆どが「知将」寄りの人物だったという解説動画を見た事があったけど、なる程なぁって思った。
昔演義読んでて蜀は有能揃いで毎回圧勝、魏は大体負け戦なのに国力圧倒的に魏が優勢なのは何かおかしくね?と思って正史を調べたものだ…
@@niboshi7301演義でもいうほど劉備軍(蜀)って勝ってないんがな…大惨敗するときは大体曹操とか呂布相手だから仕方ないけど
劉備ってあの劉邦に似ているって評価なんだからそりゃ演義なんかより蒼天航路の方が近いに決まってるだろう
華歆、王朗あたりの魏の名臣の描かれ方は可哀想なお鍾繇
王朗さんの豆腐メンタルなら、今の世のXの投稿による炎上で絶対憤死する!
馬超の正史と演義が、余りにも違い過ぎて、酷すぎる。曹操の元に一族の殆んどが、居る状態で反旗を翻すとは、狂気の沙汰としか思えない。裏切り名人の呂布も真っ青?
すでに曹操に人質を出しているのにさらに脅迫され追加の人質を要求される。それでなくとも関中に人民を奪われ続けている状態自身らの権益を守る為に乱を起こすのはおかしなことではないです、馬超単独の乱ではなく関中諸将を含んだ10万以上もの大反乱なので曹操の対応ミスという所でしょう袁紹朱霊や曹操自身も親族が敵の元にいる状態で敵対してますしね
武勇も含めて曹操や劉備が呂布に匹敵すると評価したのも納得ではある
西涼の価値観は本当によく分からんよね
漫画というよりゲームですが、ふと思い出したが、司馬炎もですね。司馬炎は三国志大戦では地力が8(最高値は10、呂布については武力が10+表記)、コーエーテクモの三国志だと政治と知力が78〜80前後ですが、統一後の堕落した生活と息子を溺愛して八王の乱の誘発と色々バッシングされる点がおおいので。
一応、州牧とかの役職は親子で継ぐなんて事はなく、朝廷で決めます任命権の無い人物が勝手に決めれば王朝を乱した悪人です。んなもんに劉備がと言われても病気でご乱心と思うでしょう。呂布は一応正式にどっかのタイミングで徐州牧に任命されているかので、演技は本当に上手く話を歪めながら面白く書いていますね
曹操はマンガのイメージで颯爽としたこわもてイケメンをイメージする人が多い、が、実際には慢性的な片頭痛で顔を歪めていて背も低く見た目は不細工な部類に入る。
孫策に惨敗した劉繇はその前は袁術軍を何度も退けており、没落後でも笮融の外道働きを撃破した。あと実兄の劉岱も猛将としての呼び声高かったが黄巾残党に討たれた。その後に登場する劉岱と混同されていたりする
劉繇は名君…とまでは言えなくてもかなりちゃんとした人だったのよね。
横山三国志だと呂布のイメージは、奇襲されて一人で囲まれてもそれを切り抜ける豪傑って感じ。だから、作中で豪傑のイメージのない李傕、郭汜に負けて落ち延びてるのは違和感あったけど、史実を聞くと納得。
主人公の劉備が演技で弱体化されてるのは笑ってまうw
誰か賀斉の話した?(演義に出番すら無い)
吾粲「俺も太子様の問題も出て来ねえ」朱拠「私も公主様もな」劉基「私も出ていないが、父の扱いが」
全ソウ「陸遜なんざ知るか無視無視」←史家に悪党となじられる
逆に曹操は横山三國志みたいに割と情けないシーンが多い。大体最近のゲームなんかではかなり美化されてるそして孫権の酒乱をまともに扱ってる作品を見た事がない酔ってなくてもお目付け役がみんな死んじゃってからかなりヤバい爺ちゃんだったらしいんだけど
孫堅も呂布軍を撃退した中心人物なのに劉備三兄弟に手柄奪われた末に玉璽で狂った感じにされてる
初めて知ったのはnamcoの三国志、その後横山光輝氏、60巻+3巻制覇した。
自分も三国志演義から入ってるから、魏・呉・蜀は拮抗してるイメージだったけど実際は魏の圧勝(負けたら恥ずかしい)レベルの差があったのはショックだった。魏の曹操が偉大な人みたいな描き方だから「魏の曹操が好きです。」って日本人を見てると、中国の人は不思議がるそうですね。(沢山の人を虐○してるし、ヤラカシで地獄の歴史が始まるし…)
本動画の主題にそぐわないことで恐縮ですが、後漢・三国時代の中国ではまだ鐙(あぶみ)は使用されていなかったらしいですね🐎
当時は太腿で馬を挟む感じで騎乗してました。劉備の髀肉の嘆とは馬に乗る機会が激減したので太腿に贅肉がついた事を嘆いたものです。
そもそも、鐙の発明が何時なのか?書いてある物の記憶無い。日本の戦国時代(16世紀)にはあったみたいだけど
鎧は、乗馬時のステップとして鞍の片側にだけついたのが、三国時代にはあった模様。それが発展して、両側について馬上での足置きになったのは次の西晋の頃、中華と北方両方で見られるようになったそうです。なお、ヨーロッパではトゥール・ポアティエ間の戦いの頃に使われ、イスラム騎兵にフランク族の騎兵が互角に戦えた理由だそうで。ただ普及したとは言いがたく、1066年のヘースティングの戦いでもまだ不十分で、槍は突くものではなく投げ付けるものだったとか(鎧が無いと槍を突いた際に自分も落馬する危険があった)。
北伐の趙雲は馬謖の影響で敗れたのではなく、雍州に駆けつける曹真の軍勢を箕谷の隘路を利用して拘束する予定だったのに、逆に曹真が箕谷の隘路を利用して趙雲を拘束しようと派遣した少数の兵に敗れ(箕谷不戒之失)、どうにか兵力差と隘路を利用して漢中まで無事に退いたといった感じでしょうね。趙雲の失敗により曹真軍は無事に陳倉まで進出、上邽に籠っていた郭淮は逆襲に出ることが可能となり馬謖の後方連絡線を守る高翔を撃破、馬謖を敵地の奥深くで孤立させました。そりゃ降格されて当然です。
私の三国志観は漫画横山光輝とゲームの三國無双が全ての根幹ですね。
憤死ってよく出てくるが、保存に塩とか多く使ってそうだから、当時の人血圧高そうだから怒りで脳や臓器の血管切れて死んでそう。
呂布は奉先だと思いますが、ドラマ趙雲伝でオンコウと言われてました。あれは何なんでしょうか
温侯のこと?董卓を討った後に呂布はそう呼ばれるようになった水滸伝でも呂布をモデルにした人ががいるけどこれは小温侯と呼ばれてる
温侯に叙されている。上にもある通り、水滸伝には小温侯とか小覇王(孫策っぽい奴・覇王は項籍(いわゆる項羽))とか三国志演義の系統の好漢達が沢山出てくる。宗江は劉備・呉用は諸葛亮・関勝は関羽・林冲は張飛・花栄は趙雲。朱武は法正や徐庶や龐統あたりがキャラのモデル。
@SnowbuP@ユウジノモトすごい知ってますね。教えて下さってありがとうございます。
曹操が至尊の地位を欲すればできる。しかし、後継者の曹丕が、曹操ほどの才略がないし(性格悪いし)、皇帝禅譲の役割を曹丕にさせ泊をつけるために、曹操は敢えて簒奪はしなかったのかなと。そのあたりも曹操の政略能力の高さを窺われる
曹真めっちゃ有能やん
陶謙は袁術と同盟してて、袁術を攻めてる曹操の父親を自前の騎兵で殺させに行ってるから、全然仲良くしようとしてないでしょ。仲良くしようとしたけど的なくだりは、劉備に徐州を譲った陶謙をよく描こうとする演技の脚色。
劉禅を助けたのが趙雲最大の罪だろうな
リクエストよろしいですか? 無双シリーズの武将達の武器の元ネタ解説お願いします
0:18 正史も「三国 “志” 」ですよ。普通、「三国志演義が小説、三国志が歴史書」みたいに言う。
三国志演義の一番の被害者と言えば魯粛さんやろなぁ天下三分の計はこの人がいたから出来たようなもんだし
陶謙はひくほどの大悪人ですけどね
演技でも正史でも劉備とウマが合ったのかな?
吉川は、フィクションである演技を、更に思い込みで歪曲した(超デブの董卓を痩せ男に)。
…劉禅も割を食っているような
でも劉備が曹操の簒奪に抵抗するなら、追い立てられた献帝を蜀に迎え入れて擁立すれば済んだ話なんだよなあ自分が皇帝になる必要なんかなかった
董卓暗〇時点で35って書いてあって35ォ!?ってなったのを覚えている
反董卓関連の、実質的主人公はパパ孫ケン
憤死といえば王朗
陸遜でしょ干されて憤死やぞ
逆に演技から正史を読み始めたやつがよく言うこと四天王諸葛亮は内政としては優れていて軍師としては微妙曹操は優れた軍略家後二つは?
韓玄は無能だが韓浩はマジ有能だからな。
魯粛も演技だと酷い書かれよう
史実の方が魅力的な人が多いね当時の価値観で聖人君子にされた劉備や孔明も元々のヤクザ紛いの傭兵隊長と権謀術数に長けた内政官の方が魅力的だよ
どうしても、蒼天航路のイメージが強いんだよなあ。光輝版も読んでいるけど、痛快アクションとして見てしまうので、どうしてもな。
王朗は無双から入った人間だとなんでこいつここにいるの?ってなった
劉禅救出という趙子龍最大の失態
初めてみた三国志がこれだが、演義の劉備が物凄く胡散臭く思ってた
ラストの龐統の君臣共に、、、。それぞれのプライドと思惑があって、大笑いで元通り。流石に英雄は違うね!
三人がかり、六人がかりで互角の呂布。戦隊シリーズ敵幹部上回る。
実際には3人がかりで逃げ帰る。実際劉備は常に軍陣にある猛者でゲームでは武力がかなり低く設定されている。
後の時代になりますが、ナポレオンの元帥で言えばスールトは知将派で最前線に出る事は無かったのですが、逆に言えばそれ以外の多くは戦場の勇者と称えられるぐらいに最前線で戦い負傷していますね。無線など無い時代、基本的に部隊指揮官自らが目立つように軍旗を掲げ味方の先頭に立つ事でどの辺に集まってどっちに進めば良いか示していました。指揮官が目立たないように気を遣い始めるのは第一次大戦で長射程から狙撃される事案が増えた為で、これに合わせて兵士たちも青や赤など鮮やかな軍服から地味な色の軍服に代わり、派手な飾りをつけた帽子から頭部を破片などから守れる鉄帽へと代わります。
王や皇帝だとあまりないけど、小勢力の頭目なら、さほど珍しくないよ。何ならトップ同士の一騎打ちだって正史の三国志に一例ある。
正史の張遼とか曹仁がいますあと時代が違いますが光武帝劉秀は皇帝に即位したのちも最前線で戦ったそうです
@@Taka18782孫策対太史慈かな。
何進の町の肉屋のおっちゃん感でどれだけの人が過小評価したんだろ。
現代イメージだと肉屋=庶民がやってる店だけど、当時の肉屋って牧場や屠畜場、販売所に飯場まで手広く経営する大企業だからね。史実では張飛も確か肉屋営んでいて、三兄弟決起の際のスポンサーは実は彼だった筈。
更なるスポンサーも馬等の商人達。
曹操の生きざまを見れば見るほど織田信長と重なるな。信長が真似したってこともあるのでは。
曹操どんどん顔が悪くなっていくね☺
マジで史実と二次創作を同一視してる人多くて悲しい。やらかしてるだけの人が天才扱いされてたり、その逆だったり。
いいじゃないですか。見比べる面白さもあるし
まあ三国志が人気になったのは演義の脚色が大きいからねその上で正史を知ると更に気づきがあって面白いけど
なら二次創作()の演義からじゃなく史実から三国志知ったんだよな?って話になるんだが。史実から入った人以外こんな偉そうなこと言う資格ないやろ
@@kzhr-t1l 何で?先に演義が目に入ったら発言権なくなんの?
たいていの人は史実の方の三国志を読まないから仕方がないかも。
演技hs千年まえの神話、伝説に等しい時代を基にしたラボべと思うが良いのでは?吉川先生は後年の関羽の尊大さが気に召さなかった分超雲をアゲてる感じがする
陸遜でしょ
趙雲は軍司令官というより参謀総長みたいな感じだったのかな
親衛隊長だろ
許褚と似たようなポジションでしょう。
なんで参謀総長とかそんな偉いのが出てくるんだ…許褚や周泰みたいな親衛隊長とか遊撃隊の指揮官だろ
横山三国志と吉川三国志は別ものです。ベースではありません!
そんなことはない。
うp主は昭和の人じゃないの?横山氏のインタビューとか知らないの?そもそも吉川三国志を読んだ事あるの?
昭和の人とかどうでもいいこと気にしてんのおかしいだろ
あと大谷翔平も史実では自身の違法賭博の罪を一平ちゃんに押し付けたワルやのに、演義では一平ちゃんがギャンブルで負けた金を払うために自分の金を盗まれた被害者として描かれてるのも大きな違いやね。なんてな
劉備は、蒼天航路のイメージが史実に近い気もしている
周瑜や魯粛たちはもっと描かれ方が異なる。周瑜は『演義被害者の会』会長、魯粛は副会長に任命して良いだろう(笑)。
@@きびのまきび-g2k
羽扇の出立ちは太平御覧が引く東晋の裴啓が著した『裴子語林』に『诸葛武侯与宣王在渭滨将战,武侯乘素舆,葛巾,白羽扇,指挥三军』とあり諸葛亮が先です
演義というか微妙にでも孔明に絡んでたらほぼ被害者の会入りできるガバガバ入会試験w
そしてその孔明自身もその会に入る。司馬懿のライバルにする為にスーパー軍師にさせられた。実際は凄い内政官ではあったが軍略家としては龐統や法正任せにするほど然程得意では無かった。
李楽「帝を逃す時舟にすがる連中の指を落としたのは実は董承さんです」
魏延「間違っちゃいないが、こんな書かれ方じゃ誰でも丞相の肩を持つわな」
金旋「某も劉備の蛮行を止め切れず、武帝の時代より続いた家が倅の謀反で滅んだ。ご先祖様に合わす顔がない」
糜芳「ふざけんなパワハラ髭野郎」
韋晃「馬超はとんだ腐れ外道だ」
まだ活躍する場面があるその二人はまだマシ
魏の主力中の主力を撃退するという陸遜にも負けない見せ場があるのにその前に勝手に捏造退場させられる朱然より可哀想なのはなかなかいないぞ
演義と正史で違うと言えば韓浩が浮かぶなあ。屯田を進言したのも韓浩、漢中の守りを誰にするか?で韓浩の名前があがるも曹操が「いや、韓浩は手元に置いておきたい」と言ったとか。ゲームの三国志だと5くらいから韓浩はだいぶ見直されて、5の韓浩はそらもう主力レベルで活躍させた。陣立の特殊能力もあったし。
速攻、激励、鉄壁。強スキルばっか。陣形も悪くないし強キャラ。
横山三国志の曹真は完全に司馬懿の噛ませ犬扱いだったから史実の曹真を知ってビックリ、というよりさすがに可哀想になったな…横山三国志というか三国志演義がそういう扱いなんだろうけど
でも三國志の1だと曹操の一族の中では武力が高い方(曹仁曹洪があり得ないくらい弱い)。曹昂は早く亡くなるしで結構前線に出す機会も多くて徳も高いほうだから太守に任命されることも多くて顔をみる機会は多めだったりする(専用グラはない)。
光栄のゲームは信長の野望における武田勝頼みたいにイメージで能力を決めているところがある。
スリーキングダムも酷かったな「また負けてしまった~😱」
正史での活躍が凄すぎて関羽や張飛が霞んでしまうので
演義では活躍が削られた張遼…
曹仁も演義では不遇でもかなりの名将らしいですね
演義と正史で扱われ方が違う武将、個人的に一番は魯粛ですね。
演義では劉備と孔明に手玉に取られるピエロ役だったけど、正史は自分の考えと意思をもち、劉孫同盟を守った大政治家でした。
正史だと
・劉備=傭兵隊長
・孔明=軍才はないけど名宰相
・司馬懿=驃騎将軍でバリバリ軍人、魏軍で曹真、曹休に次ぐ3番手の南部方面軍司令
・張遼=正史の方が軽く化物
・夏候淵=ほぼ一人で涼、擁州を制覇し馬超蹴散らす司令官
・周瑜=無敗のカリスマ
・魯粛=関羽すら圧倒するくらい意外と豪気で遣り手の好漢
曹操=ただ英雄
なんだよな。
こうして並べられるとマジで史実のが皆魅力的だなぁ…
張遼と趙雲って、リアルに三國無双してるんですよね。
それに、夏候惇は演義では前線で戦う猛将のイメージが強いですが、
史実だと軍事面では、後方支援をメインとした仕事をしていたんですよね。
ちなみに夏侯惇は私欲なく財産も貯め込まず、領民や兵士を実に良く労った名臣。
同乗や同室を避ける曹操が、夏侯惇にだけは其れ等を許すくらい信頼していた。
本当に曹真は惜しいわな。
諸葛亮と相対したのは司馬懿と思われがちだが、実際は曹真が前半で後半が司馬懿よね。
また身辺切って恩賞与えたり、仲良い同郷の友人の子やいとこの子なんかにも温情をかけている。
張飛「 別に酒で失敗したことないし、ワイロ要求してきたヤツを半殺しにしたのはアニキなんだが……」
劉備「しーっ!☝️」
実際の張飛さんは規律とルールにうるさい生真面目な鬼軍曹みたいなひとだったと思ってる。劉備一党の引き締め役。
そもそも賄賂役人成敗の話は、古今東西で人気のある理不尽な事に反抗して懲らしめる話で、日本でも、水戸黄門や暴れん坊将軍、そこまで暴力的ではないとはいえ近年のスカッとジャパンに、ネット発のスカッとする話など、その類型が多く見られる
あれは美味しい役を張飛にもってかれただけ
いまでも京劇で人気の演目になってるんだから、張飛が喜んでるならともかく、文句付けるはずがない
蜀の主要人物こそが演義最大の被害者達と言えるのがまたなぁ…
正史と演義(漫画)で描かれ方が違う人物で外せないのは周瑜でしょう。
劉備も入れたげて。彼は演義で書かれている様に聖人君子じゃない
@@山下龍吾そして演義以上に戦上手。
@@山下龍吾むしろ演義のお飾りなんかよりも史実のがカッコいいというかクソ有能だからな。あれなら間違いなく曹操に次ぐ英雄よ
小沛を徐州と思ってる人が多いが小沛は豫州沛国沛県の事。劉備は豫州刺史だから徐州に入らないのが当たり前。
曹操から自立した時も劉備は小沛に入り、代りに関羽が下邳に入っている。それは劉備が豫州牧だからです。
すまんな、言われて初めて気付いた
演義のイメージかどうしても徐州のイメージになってしまっている
勉強になったぜ
一応現代では徐州市になるけどね。あと劉備が小沛(沛県)に入ったのは先祖である漢の高祖劉邦が同地の出身であり、高祖にあやかって沛県の有力者を取り込もうとした可能性が高いけどね。
また沛県は明の朱元璋の故郷でもある。中国の県は日本の市町村ぐらいの広さなのに、あんな広い中国から2人も皇帝、しかも長期間続いた王朝の開祖が出た土地だったりする。
陶謙が豫州刺史にさせたのに徐州に留める理由がない。陶謙が実効支配をしていた地域が豫州にあったと言うだけ。この刺史時代に陳羣が配下になり、呂布に追われて曹操により牧となった時に袁渙を茂才に上げた。
そもそも豫州の刺史治所は沛国譙県なんだが其処に入れないから劉備は沛県(小沛)に入ったわけで。陶謙の支配が沛国の東側までが限界だったと言う事だろう。
となると豫州刺史は劉備の他に漢帝国が任命した正式な刺史が存在していた事に繋がる。
それが豫州刺史郭貢なんですよ。
王朗さん、虞翻に「あなたは次の時代には必要ない人だ」と言われたのに魏で大出世して娘は司馬昭の妻になったりと死に方はともかく長く生き残ってて驚き。
虞翻的には時に苛烈な判断迫られる組織のトップとしてはダメってことだったのかもね。孫策に降伏遅れを謝罪したり虞翻へ母親心配だろうから戻るよう勧めたりお人好しっぽさが滲み出てるし
@@MaldivesKatsuo1192 なるほど。しかし虞翻(仲翔)蒋欽(公エキ)周泰(幼平)と後の呉の武将の面々は初登場は字で名乗っていて次に出てきた時は顔が別人だったのに(横山先生が同じ人物と認識してなかったのかもしれないが)王朗は随分間空いたのに顔は変わらなかったのは驚きだった。
呉の程普なんて、孫堅と洛陽に入場した時玉璽を見つけた時と、孫堅が劉表を討伐するに本拠地に水軍が終結して驚いた顔が別人。
@@正木茂雄 出てくるたびに別人の満寵さんがすごい。荀彧とか顔が定まらないまま退場してしまった。
確かに同じキャラの顔がだんだん変わっていく漫画家さんはいるけど横山三国志は完全に忘れてたとしか思えないレベルですね。
孫策に生かされてるあたり世渡り上手だとは思う
横山三国志を読んでから小説を読みましたが、すごく楽しみながら読めました。
龐統の「君臣ともに間違っておりました」はすげーいいセリフやな。
「アンタは間違っとる。でもワシが言ったことも確かに間違いやな。どっちも間違っとるんやからワシは謝らへんで!」って
ツンデレかよw すっごく龐統らしいw
龐統は人材育成が得意で常に褒めて指導してたとか褒めて伸ばす人だったのですね。
時代が変われば道徳観も変わるからなあ。自分の評価は一周して、今は正史でも劉備は仁君、諸葛亮は最高の軍師
劉備の側近くに仕えてこれだけのことを言えた龐統は出来た人だよなぁ…才覚の評価も考えて早死にしたのが惜しまれる
そんな龐統が好き
馬超が曹操に反旗を翻したくだりは史実と演義では正反対。
そう、馬超が反旗を翻したから馬騰らは斬られたのよね
むしろ馬超はやらかし側だしね
そして暗躍したおばちゃんの知名度が爆上がりしたようで
韓遂かわいそう
馬超に担ぎ上げられて…
馬岱は馬騰らと一緒に斬られそうになったので慌てて(?)荊州へ逃げ込んだ(らしい)。
馬超が劉備軍団に加入できたのも
馬岱が先に劉備軍団入りしていたからだともされている。
(馬岱は馬超を始末したかったのだろうか?)
曹操孟徳は悪役として言われてるが、人材マニアな所は後の苻堅、宇文邕、趙匡胤を連想します。
王朗って対孫策のダメ君主ムーブと魏所属時の有能ムーブの差ありすぎて同名の別人だと思ってた
まぁ王朗さん一貫して官僚側やもんね
会稽の太守からいつの間にか朝臣になっていましたからねぇ
日本で例えると今川氏真みたいなムーブしてるよな
真に不遇だったのは、光栄の三国志Ⅱ
正史の趙雲は、演義ほどの派手さはないけど、結構要のところで仕事してるイメージなので、それはそれで良い
的確に仕事してる人って感じ
本来、現地での趙雲のイメージは、日本の演義における黄忠のようなものらしい
経験豊富で沈着、デキる老将の代名詞だったんだとか
ほとんど記載ないじゃん・・・
趙雲って正史だと劉備の存命中一貫して護衛官を務めており、劉禅の代になって初めて将軍として独立部隊を率いているけど、負け戦を傷少なく終わらせたぐらいしか記述がない気がする。
少なくとも独力で城や相手将軍を撃破した記録はないはず。
ただ、劉禅にとっては命の恩人ということもあり、特別な感謝と信頼を寄せていたことは伺える。
最大の被害者は魯粛でしょう
演義だと孔明の引き立て役のなんか弱い感が出てるけど史実では孫策孫権が常に気を使う程の大物で外交の天才
周瑜ですら格下扱いされるほど
関羽との会見も終始圧倒していたようで
武の才もあるスーパーマン
オロオロしているように見えてるけど孫権に「ワレ!中原なんかいらんわ!蜀を攻めとり南北で曹操に対抗せんかい」孫権「ヒイ!わ‥わかりました。周瑜と対策をかんがえますから💦」って感じのイケイケオラオラでしたわ。
史実じゃ魯家の狂児だからな
胆力、知謀、大局眼において呉に一番欠かせない人材。呉蜀同盟の必要性を誰よりも理解してたことも含めて最高の知恵者よ
史実では自分のせいで親が死刑にされてるのに演義では真逆にしてもらえた誰かさんが一番ひどい
演義読んだとき→馬超かっけぇ
史実知ったとき→馬超さんヒャッハーしすぎでは・・・?
馬超みたいな逆パターン(演義でよく描かれてる)というと他は誰だろ?
劉備もちょっとそんな感じだけど他は陶謙とか?
華雄「呼んだ?」
@@ぷりんぐるす-s3g ヒャッハーしてたら、閻行にボコボコにされたでござるww
高定「読んだ?」
朱褒「解せぬ…」
最近の三国志のドラマ(フジテレビの深夜に放送してたドラマ)。
なんでもかんでも孔明の手柄。諸葛亮とその部下達のドラマみたいな感じになってた
呉の朱然、魏の曹仁あたりは演義で貶められてるほどではないが、相当な功績あげてるのをかなりスルーされてる感じ😮
曹真は三国志演義被害者の会会長に任命されるレベルだと思ってる
演義デバフの被害者ながら、それでも名将として描かれている張遼はやっぱすごい
元々演義で夏侯惇を好きになったが正史を知ってより好きになった😊
その被害者の会に、呂蒙と孫文台も入れてください。
ただ、関羽だけは性格のみ史実通り。上に厳しく、下に優しく。
今は三国志13をもう一度プレイしている。被害者の会名誉会長孫策で。
徐州の陳登は演技だと活躍端折られすぎよな
孫策の徐州侵攻を策を駆使して食い止めたのに、大した功績じゃ無いってことかねえ
そもそも孫策の徐州侵攻が漫画になったことが無いような
陳到って劉備家臣団では徐州以来の古参で地位としては関羽張飛に次ぐ地位だったんだよね
だからゲームでは有能扱いされてるけど何故か漫画小説ではいないことに
@@youyah7440そっちじゃなくて陳登ね
伏波将軍の方
有能で孫策をきちんと食い止めていたのに、鱠の寄生虫に討ち取られた男・それが陳登。
韓浩って軍事で有能だけど処断大好きマン過ぎて行軍中に首持ち歩き過ぎだから、曹操直々に「耳だけ持ってくりゃいいから」って言われたんだっけ
別伝については批判しているのは清朝の史学者ぐらいです
もともと別伝批判の起こりは三国志集解という解説書が別伝批判した清代の論を引用したからですが
資治通鑑はじめ編年体の歴史書もたびたび趙雲別伝の記述を採用しています
食い違ってると言えるのは仕官の経緯ぐらいですが、陳寿は師匠の譙周の仕官経緯すら陳寿は三国志内で矛盾があり、清の何焯の仕官経緯うんぬんは1000年以上後の人間が陳寿が絶対的に正しいという妄信
通鑑輯覧や何焯は趙雲が劉備の夷陵攻めを諌めた台詞が諸葛均の書状という三国志演義にしか存在しないものを根拠に切り貼りしたに違いないと言い、後は法正伝に法正が生きていれば諌めたはずと書いてるから趙雲が諌めてるはずないとしていますが法正伝には羣臣多諫、一不從と他の人も諌めたと書いています
何焯は他にも北伐の後に孔明が趙雲に褒美を与えたのがおかしいと書いていますが、これも三国志演義にある金五十斤を贈ったという記述と混同しています
別伝にあるのは趙雲の機転で物資を捨てずに済みそれを配下の兵士で分けたという記述であり褒美など受けてもおらずこれも演義と正史を混同してる例
並被一些史學者指過分疑古。中国語版には一部の学者が過分に疑いを指摘しているとあ趙雲に功績がなければ関張馬黄と並べて伝が立つわけがないし諡号も送られるわけがない です
二次創作だろうな
趙雲には後主・劉禅を救ったという比類なき功績があります。
わざわざ劉禅を後主として扱ったように陳寿は劉禅に対して十分な配慮をしており、その劉禅が即位後に特別に取り立てて出世させた趙雲に対しても同様の配慮が必要だったのでしょう。
曹真、史実じゃ名将だったけどデブゴンだったという残念な逸話も残ってるンですよねぇw
それをネタにした呉質は曹丕(他人の黒歴史をからかった逸話持ち)の友人なので、曹丕とは類友だったって話もありますが。
三国志演義は史実7割虚構3割といわれてるように史実を踏まえつつ大衆うけするように創られた名作。曹操は言わずもがなだけど趙雲ご史実では、控えめな活躍なのがちと残念😅
@@岡嶋慎 史実絶対7割もないだろw
魯粛は違いすぎるわ
演義と史実とでは描かれ方が違う人だと陳到もいるな。
趙雲に次ぐなど評されるほどなのにそもそも演義じゃ登場しない。なんで!?
横山光輝三国志からなら、張魯や孫権とかもありだな。張昭が老いぼれとかクソ爺ィ扱いされてるのも可哀そうだな(実際そうかもしれないですけど)
張昭は実際には曹操の1歳年下なのにね
年齢で何となく驚くのは劉備よりも荀彧が若いところかな。もう少しオッサンのイメージだったんだけどね
張昭と孫権は割とクソジジィとクソガキの関係(愛を込めて)
夏侯惇は演義だと脳筋バカの猛将になってるけど、実際には思慮深くて人望ある名将なんだよな。戦が下手という人がいるけど実際には武功がかなり高かったのでそれなりに名将だったと思われる。
後方支援とか雑用とかで夏侯惇は随分重宝されてたって話は聞いたことありますね。大きな戦いで主力になると負けてるイメージもあるけど改めて見直すとそこまで負けてるわけでもないし、戦下手のイメージはどこでついてしまったのか……
三国志演義は殆ど創作。孫堅が華遊倒してるのに演技では関羽とかすり替わるとか有りますね
華雄も関羽の引き立て役で創られたモンスターだが、実際は胡軫の副将葉雄がモデルらしい。
胡軫が呂布に足を引っ張られたあおりを喰らって孫堅に討たれたんだよな
更に詳細ありがとうございます♥
演義で韓玄の弟になった人も正史じゃ結構違う描かれ方してたね
韓浩ね。あの人別に韓玄との繋がりの記述って特になかったのになぜか演義だとああなってた。史実だと曹操幕僚で優秀な人。
まだいいよ、陳羣なんてどう見ても天才なのに出てこないんやから
劉備紹介の際に安喜県のエピソードが出ると思ったのに…。あれが劉備の異なる側面を表してると思うんですが…。
昔は素直に三国志演義を信じてたけど、成長していろいろ知るほどに、「劉備みたいな乱世の英雄があんな聖人のわけねぇなww」と思うようになった。実際劉備は三国志演義の聖人君子より蒼天航路とかのほうが魅力的だからね
そもそも、三国志演義みたいに兵を率いてる立場の人が最前線で突っ込んでいくなんて事が現実ではあり得る訳がない。
実績のある「猛将」の類は殆どが「知将」寄りの人物だったという解説動画を見た事があったけど、なる程なぁって思った。
昔演義読んでて蜀は有能揃いで毎回圧勝、魏は大体負け戦なのに国力圧倒的に魏が優勢なのは何かおかしくね?と思って正史を調べたものだ…
@@niboshi7301演義でもいうほど劉備軍(蜀)って勝ってないんがな…大惨敗するときは大体曹操とか呂布相手だから仕方ないけど
劉備ってあの劉邦に似ているって評価なんだからそりゃ演義なんかより蒼天航路の方が近いに決まってるだろう
華歆、王朗あたりの魏の名臣の描かれ方は可哀想
なお鍾繇
王朗さんの豆腐メンタルなら、今の世のXの投稿による炎上で絶対憤死する!
馬超の正史と演義が、
余りにも違い過ぎて、
酷すぎる。
曹操の元に一族の殆んどが、
居る状態で反旗を翻すとは、
狂気の沙汰としか思えない。
裏切り名人の呂布も真っ青?
すでに曹操に人質を出しているのにさらに脅迫され追加の人質を要求される。
それでなくとも関中に人民を奪われ続けている状態
自身らの権益を守る為に乱を起こすのはおかしなことではないです、馬超単独の乱ではなく関中諸将を含んだ10万以上もの大反乱なので曹操の対応ミスという所でしょう
袁紹朱霊や曹操自身も親族が敵の元にいる状態で敵対してますしね
武勇も含めて曹操や劉備が呂布に匹敵すると評価したのも納得ではある
西涼の価値観は本当によく分からんよね
漫画というよりゲームですが、ふと思い出したが、司馬炎もですね。
司馬炎は三国志大戦では地力が8(最高値は10、呂布については武力が10+表記)、コーエーテクモの三国志だと政治と知力が78〜80前後ですが、
統一後の堕落した生活と息子を溺愛して八王の乱の誘発と
色々バッシングされる点がおおいので。
一応、州牧とかの役職は親子で継ぐなんて事はなく、朝廷で決めます
任命権の無い人物が勝手に決めれば王朝を乱した悪人です。
んなもんに劉備がと言われても病気でご乱心と思うでしょう。
呂布は一応正式にどっかのタイミングで徐州牧に任命されているかので、演技は本当に上手く話を歪めながら面白く書いていますね
曹操はマンガのイメージで颯爽としたこわもてイケメンをイメージする人が多い、が、実際には慢性的な片頭痛で顔を歪めていて背も低く見た目は不細工な部類に入る。
孫策に惨敗した劉繇はその前は袁術軍を何度も退けており、没落後でも笮融の外道働きを撃破した。
あと実兄の劉岱も猛将としての呼び声高かったが黄巾残党に討たれた。その後に登場する劉岱と混同されていたりする
劉繇は名君…とまでは言えなくても
かなりちゃんとした人だったのよね。
横山三国志だと呂布のイメージは、奇襲されて一人で囲まれてもそれを切り抜ける豪傑って感じ。だから、作中で豪傑のイメージのない李傕、郭汜に負けて落ち延びてるのは違和感あったけど、史実を聞くと納得。
主人公の劉備が演技で弱体化されてるのは笑ってまうw
誰か賀斉の話した?(演義に出番すら無い)
吾粲「俺も太子様の問題も出て来ねえ」
朱拠「私も公主様もな」
劉基「私も出ていないが、父の扱いが」
全ソウ「陸遜なんざ知るか無視無視」←史家に悪党となじられる
逆に曹操は横山三國志みたいに割と情けないシーンが多い。大体最近のゲームなんかではかなり美化されてる
そして孫権の酒乱をまともに扱ってる作品を見た事がない
酔ってなくてもお目付け役がみんな死んじゃってからかなりヤバい爺ちゃんだったらしいんだけど
孫堅も呂布軍を撃退した中心人物なのに劉備三兄弟に手柄奪われた末に玉璽で狂った感じにされてる
初めて知ったのはnamcoの三国志、その後横山光輝氏、60巻+3巻制覇した。
自分も三国志演義から入ってるから、魏・呉・蜀は拮抗してるイメージだったけど実際は魏の圧勝(負けたら恥ずかしい)レベルの差があったのはショックだった。
魏の曹操が偉大な人みたいな描き方だから「魏の曹操が好きです。」って日本人を見てると、中国の人は不思議がるそうですね。
(沢山の人を虐○してるし、ヤラカシで地獄の歴史が始まるし…)
本動画の主題にそぐわないことで恐縮ですが、後漢・三国時代の中国ではまだ鐙(あぶみ)は使用されていなかったらしいですね🐎
当時は太腿で馬を挟む感じで騎乗してました。
劉備の髀肉の嘆とは馬に乗る機会が激減したので太腿に贅肉がついた事を嘆いたものです。
そもそも、鐙の発明が何時なのか?
書いてある物の記憶無い。
日本の戦国時代(16世紀)にはあったみたいだけど
鎧は、乗馬時のステップとして鞍の片側にだけついたのが、三国時代にはあった模様。
それが発展して、両側について馬上での足置きになったのは次の西晋の頃、中華と北方両方で見られるようになったそうです。
なお、ヨーロッパではトゥール・ポアティエ間の戦いの頃に使われ、イスラム騎兵にフランク族の騎兵が互角に戦えた理由だそうで。
ただ普及したとは言いがたく、1066年のヘースティングの戦いでもまだ不十分で、槍は突くものではなく投げ付けるものだったとか(鎧が無いと槍を突いた際に自分も落馬する危険があった)。
北伐の趙雲は馬謖の影響で敗れたのではなく、雍州に駆けつける曹真の軍勢を箕谷の隘路を利用して拘束する予定だったのに、逆に曹真が箕谷の隘路を利用して趙雲を拘束しようと派遣した少数の兵に敗れ(箕谷不戒之失)、どうにか兵力差と隘路を利用して漢中まで無事に退いたといった感じでしょうね。
趙雲の失敗により曹真軍は無事に陳倉まで進出、上邽に籠っていた郭淮は逆襲に出ることが可能となり馬謖の後方連絡線を守る高翔を撃破、馬謖を敵地の奥深くで孤立させました。
そりゃ降格されて当然です。
私の三国志観は漫画横山光輝とゲームの三國無双が全ての根幹ですね。
憤死ってよく出てくるが、保存に塩とか多く使ってそうだから、当時の人血圧高そうだから怒りで脳や臓器の血管切れて死んでそう。
呂布は奉先だと思いますが、ドラマ趙雲伝でオンコウと言われてました。あれは何なんでしょうか
温侯のこと?
董卓を討った後に呂布はそう呼ばれるようになった
水滸伝でも呂布をモデルにした人ががいるけどこれは小温侯と呼ばれてる
温侯に叙されている。
上にもある通り、水滸伝には小温侯とか小覇王(孫策っぽい奴・覇王は項籍(いわゆる項羽))とか三国志演義の系統の好漢達が沢山出てくる。
宗江は劉備・呉用は諸葛亮・関勝は関羽・林冲は張飛・花栄は趙雲。
朱武は法正や徐庶や龐統あたりがキャラのモデル。
@SnowbuP
@ユウジノモト
すごい知ってますね。教えて下さってありがとうございます。
曹操が至尊の地位を欲すればできる。しかし、後継者の曹丕が、曹操ほどの才略がないし(性格悪いし)、皇帝禅譲の役割を曹丕にさせ泊をつけるために、曹操は敢えて簒奪はしなかったのかなと。そのあたりも曹操の政略能力の高さを窺われる
曹真めっちゃ有能やん
陶謙は袁術と同盟してて、袁術を攻めてる曹操の父親を自前の騎兵で殺させに行ってるから、全然仲良くしようとしてないでしょ。仲良くしようとしたけど的なくだりは、劉備に徐州を譲った陶謙をよく描こうとする演技の脚色。
劉禅を助けたのが趙雲最大の罪だろうな
リクエストよろしいですか? 無双シリーズの武将達の武器の元ネタ解説お願いします
0:18 正史も「三国 “志” 」ですよ。普通、「三国志演義が小説、三国志が歴史書」みたいに言う。
三国志演義の一番の被害者と言えば
魯粛さんやろなぁ
天下三分の計はこの人がいたから
出来たようなもんだし
陶謙はひくほどの大悪人ですけどね
演技でも正史でも劉備とウマが合ったのかな?
吉川は、フィクションである演技を、更に思い込みで歪曲した(超デブの董卓を痩せ男に)。
…劉禅も割を食っているような
でも劉備が曹操の簒奪に抵抗するなら、追い立てられた献帝を蜀に迎え入れて擁立すれば済んだ話なんだよなあ
自分が皇帝になる必要なんかなかった
董卓暗〇時点で35って書いてあって35ォ!?ってなったのを覚えている
反董卓関連の、実質的主人公はパパ孫ケン
憤死といえば王朗
陸遜でしょ
干されて憤死やぞ
逆に演技から正史を読み始めたやつがよく言うこと四天王
諸葛亮は内政としては優れていて軍師としては微妙
曹操は優れた軍略家
後二つは?
韓玄は無能だが韓浩はマジ有能だからな。
魯粛も演技だと酷い書かれよう
史実の方が魅力的な人が多いね
当時の価値観で聖人君子にされた劉備や孔明も元々のヤクザ紛いの傭兵隊長と権謀術数に長けた内政官の方が魅力的だよ
どうしても、蒼天航路のイメージが強いんだよなあ。光輝版も読んでいるけど、痛快アクションとして見てしまうので、どうしてもな。
王朗は無双から入った人間だとなんでこいつここにいるの?ってなった
劉禅救出という趙子龍最大の失態
初めてみた三国志がこれだが、演義の劉備が物凄く胡散臭く思ってた
ラストの龐統の君臣共に、、、。
それぞれのプライドと思惑があって、
大笑いで元通り。流石に英雄は違うね!
三人がかり、六人がかりで互角の呂布。戦隊シリーズ敵幹部上回る。
実際には3人がかりで逃げ帰る。
実際劉備は常に軍陣にある猛者でゲームでは武力がかなり低く設定されている。
そもそも、三国志演義みたいに兵を率いてる立場の人が最前線で突っ込んでいくなんて事が現実ではあり得る訳がない。
実績のある「猛将」の類は殆どが「知将」寄りの人物だったという解説動画を見た事があったけど、なる程なぁって思った。
後の時代になりますが、ナポレオンの元帥で言えばスールトは知将派で最前線に出る事は無かったのですが、逆に言えばそれ以外の多くは戦場の勇者と称えられるぐらいに最前線で戦い負傷していますね。
無線など無い時代、基本的に部隊指揮官自らが目立つように軍旗を掲げ味方の先頭に立つ事でどの辺に集まってどっちに進めば良いか示していました。
指揮官が目立たないように気を遣い始めるのは第一次大戦で長射程から狙撃される事案が増えた為で、これに合わせて兵士たちも青や赤など鮮やかな軍服から地味な色の軍服に代わり、派手な飾りをつけた帽子から頭部を破片などから守れる鉄帽へと代わります。
王や皇帝だとあまりないけど、小勢力の頭目なら、さほど珍しくないよ。何ならトップ同士の一騎打ちだって正史の三国志に一例ある。
正史の張遼とか曹仁がいます
あと時代が違いますが光武帝劉秀は
皇帝に即位したのちも最前線で戦ったそうです
@@Taka18782
孫策対太史慈かな。
何進の町の肉屋のおっちゃん感でどれだけの人が過小評価したんだろ。
現代イメージだと肉屋=庶民がやってる店だけど、当時の肉屋って牧場や屠畜場、販売所に飯場まで手広く経営する大企業だからね。史実では張飛も確か肉屋営んでいて、三兄弟決起の際のスポンサーは実は彼だった筈。
更なるスポンサーも馬等の商人達。
曹操の生きざまを見れば見るほど織田信長と重なるな。信長が真似したってこともあるのでは。
曹操どんどん顔が悪くなっていくね☺
マジで史実と二次創作を同一視してる人多くて悲しい。やらかしてるだけの人が天才扱いされてたり、その逆だったり。
いいじゃないですか。見比べる面白さもあるし
まあ三国志が人気になったのは演義の脚色が大きいからね
その上で正史を知ると更に気づきがあって面白いけど
なら二次創作()の演義からじゃなく史実から三国志知ったんだよな?って話になるんだが。
史実から入った人以外こんな偉そうなこと言う資格ないやろ
@@kzhr-t1l 何で?先に演義が目に入ったら発言権なくなんの?
たいていの人は史実の方の三国志を読まないから仕方がないかも。
演技hs千年まえの神話、伝説に等しい時代を基にしたラボべと思うが良いのでは?
吉川先生は後年の関羽の尊大さが気に召さなかった分
超雲をアゲてる感じがする
陸遜でしょ
趙雲は軍司令官というより参謀総長みたいな感じだったのかな
親衛隊長だろ
許褚と似たようなポジションでしょう。
なんで参謀総長とかそんな偉いのが出てくるんだ…許褚や周泰みたいな親衛隊長とか遊撃隊の指揮官だろ
横山三国志と吉川三国志は別ものです。ベースではありません!
そんなことはない。
うp主は昭和の人じゃないの?横山氏のインタビューとか知らないの?そもそも吉川三国志を読んだ事あるの?
昭和の人とかどうでもいいこと気にしてんのおかしいだろ
あと大谷翔平も史実では自身の違法賭博の罪を一平ちゃんに押し付けたワルやのに、演義では一平ちゃんがギャンブルで負けた金を払うために自分の金を盗まれた被害者として描かれてるのも大きな違いやね。なんてな