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魏:黄河を基幹とする穀倉地帯、守りにくいけれど回復は容易呉:長江の防御、水運はあれど熱帯の強すぎる山林が邪魔、長江を抜かれたら詰み蜀:現在でもトラックも通れない道が多いクソ地形、そのおかげで防衛だけは向いてる
"蜀"ってそんな田舎だったのかww中国って都市部以外はかなりの田舎だって聞いたことありましたけどそんなだとは‥
現代中国の発展都市が当時の呉領、魏領東部に寄ってることからも、いかに蜀がクソ地形かがよくわかる
蜀は魏と呉に比べれば狭いとはいえ広い成都平原も長江の水もあり自活できるなにせ総面積は日本の本州と同じぐらいあるのに全部平地
@@旅するコロスケ田舎ってほどではない例えると仙台みたいな、辺鄙な土地では大都市って感じ
@@ねりけし-n9yなんだそれ可能性無限大じゃねえか
圧倒的な戦力差があっても政局の駆け引きや戦略を駆使して強者に対抗するのも三國志の醍醐味の一つよな。
そも人口差=即戦力差って訳ではないし、実際には戸籍を持たない流民・異民族なんかもたくさんいるからね馬車限界の関係上、大軍を「特定の場所」に集結させるには、その数倍の負担が兵站にかかる(船を使えると大幅に緩和するので、呉が保てたのは水軍のお陰)総戦力が30対100でも、100km先に動員する防衛側と200km先の攻撃側では、戦場での数は10対15~20程度まで減るこれが険阻な地形に立て籠ってれば、そりゃ早々決着つかないのは当然だ
三国志の魅力ってただ外の敵を倒せばいいだけでなく、同時に内側の味方にも注意を払わないといけないところでもあると思います。実際、三国志って魏蜀呉が主役ですが勝ったのは晋です。その晋すらも三国時代からおよそ20年程度で一族同士の内乱で自滅しています。どんなに明らかな戦力差があろうと、何が原因が栄枯盛衰が起きるかがわからない。そしてその速度が目まぐるしい勢いで起きた結果、史実でありながらドラマのように起承転結が連続して起きるのが三国志の魅力です。曹操は物語開始時(黄巾の乱)はただの騎馬部隊の校尉(現代で言えば軍隊の中尉や大尉レベル)ですし、孫権は地方領主の息子、劉備に至っては無名です。
日本人は信長・秀吉・家康と戦国時代が大好きだけど、同じ理由で三国志も大好きよな民衆としては長期安定政権のほうがありがたいけど、エンタメとしては詰まらんからな
それこそ先祖の劉邦なんかは益州くらいしかなかったのに三英傑と項羽自身の政略の弱さから逆転が成功して天下統一できたわけですからな。良くも悪くも戦力差を活かせる将の不足も蜀の欠点でしたな。
蜀は関羽の死が全てを狂わせた。劉備が仇討ちの派兵をして惨敗したり、孔明の「泣いて馬謖を斬る」にも影響している。
演技の影響で蜀が好きだったが歴史的に見て曹操は偉大な君主だったよな。
おすすめに出てきて何気なく観た。三國無双と横山三国志の虚実入り混じったことしか知らなかったからとても面白かった。
魏は国力で圧倒的だけど反面国土が広い上に防衛線が長く、1か所に兵力を集中できないという難点もあった三国鼎立状態が長く続いたのもそのせいで、呉は二宮の変からの一連の内紛、蜀は段谷で大敗して衰退するまで結局魏側から攻めたケース自体がかなり少ない
孫権時代は割と毎年戦争してたけどね曹操も曹丕も蜀無視で呉ばかり攻めるから劉備が力付けたり諸葛亮が立て直す時間が出来たわけで
呉も蜀も異民族対策に兵を割いていたし、人口比から考えると兵を集中配置出来なかったからというより、単純に長江から漢中のラインで守られると容易に攻略できないという軍事的な理由だと思われるがっちり組織立って守られてしまう突破は難しい蜀漢の滅亡も、どちらかというと内部の権力争いによる間隙を突かれたからであって、蜀漢の体制がしっかりしていたらもっと粘れた可能性はある
魏末期は太守も不在だったらしいので、魏も決して人材に恵まれてた理由では無いですね。
魏は異民族も居るからな そっちにも戦力が取られるからそこまで余裕というわけじゃない 多分。
三国とも異民族には悩まされていたと〜魏が押さえてる土地がこの頃の中華蜀はただの山奥、呉は長江流域と荊州を押さえてるだけで、そこから南なんてほぼ未開拓地、蜀も同じで小さな盆地があるだけじゃないかな?知らんけど攻めづらい場所には変わらないけどね魏は二正面から攻められても結果大丈夫だけど邪魔な存在
魏呉蜀は5対3対1の関係・・・なのだが、魏は大問題を抱えており、最大数十万とされる、北方の匈奴、鮮卑、うがん、が北方国境線を犯すため、本来の国力を対蜀に使えなかった。魏全軍では70万ともいわれているが、実際に最大戦力を投入できたとして30万が限界だった。この30万をさらにわけ、対蜀、対呉に向けねばならないため、これが三国時代を長引かせた原因の一つと考えられる。諸葛亮の死や、孫権の暴君化など原因は一つではないが、それでも魏は勝つべくして勝ったと思う。(実際は晋だが)
ただ蜀が動員できたのは最大で10万呉は豪族連合だから大規模な軍事動員がしにくい体質だから三国時代は僅かな大規模戦闘があるだけで殆どは小競り合いクラスだったとか
呉や蜀も異民族に頭を悩ませていたからお互い様だと思うけどね特に呉は豪族たちの寄合所帯でなかなか中央の言うことを聞かなかった
一般的には魏呉蜀は7:2:1の戦力差、国力差はそれ以上なんて云われてますよね…拠り所は攻められた際の呉の長江と蜀の山岳地帯が天然の要塞となって有利なだけ。そこまで強大な国にした曹操も偉大だし、逆に弱小国を長年維持できた呉蜀の多彩な将官も偉大でした。
そんな曹魏も呆気なく滅びるっていうのが。 三国のままで連邦でもやってた方が長持ちした気がする
違いない・・けど、この国力差で停戦したら30年後は無残な結果になるし、和平も疑心に駆られるからね
歴史に忠実に公平に記すのであれば天下分け目の一線は赤壁だの夷陵だのではなく、官渡の戦いってことになるんでしょうね曹操と袁紹が中原の覇権を賭けて戦い、勝った曹操が天下を取った蜀漢だの孫呉だのは地方政権に過ぎない
そらそうよ。しかし赤壁の一件で曹操一代での統一事業が頓挫したのもまた事実。
うんうん、そんな感じだと思います👍👍
赤壁での大敗も、数年兵馬を休める程度でリカバリできたところを見ると、そんなに大きなダメージではなかったってことなのかな。
実態はそうなんだけど、十八史略や三国志演義が蜀を正当な王朝扱いしているからややこしくなっている
いや長江周辺までは古代から天下の一部だよ、魏信者の言いわけだな
ファミコンのナムコ三国志のタイトルでも言っているように中原を制覇した者が天下を握る
南方の開発が進むのは5代10国以降(北方の戦乱を避けて人が移動した)だからね当時はまだまだ江南は人口も少ないし、蜀なんてガチの僻地
@@omurago4673そこから中華を統一した劉邦はヤバすぎる。
南の呉蜀は温暖で、稲作ができるので食料が豊富と思ってた。でも平地が少なく、思ったほど食料が取れない。
江南のポテンシャルが発揮されるのはもっと後の時代ですしねえ。
やはり稲作は強い
呉は実際に熱心に江南の開発を進めて、後の時代に河北より豊かな穀倉地帯を作り上げる土台になるから、認識は間違ってないよ
中国史のほんの一部、いち弱小国で終わった蜀に焦点を当てて、壮大なドラマとして広めた演義の偉大さ…1800年経った今でも名は残り海外でも大人気。劉備もあの世でビックリしてるだろう。
孫呉はハプスブルク家みたいに各豪族に根回しができていたら違ったかもしれませんね。
たしか蜀は漢帝国の鉱物資源地帯で漢帝国が蜀の銅で通貨を発行していたので諸葛孔明はその経済を確保できたら曹操の魏と対抗できると考えたという。魏は鉱物資源がほとんど無い代わりに食料が豊富にあった。孔明時代になんとかやって行けたのは経済力があったから。魏がまず山岳地帯で籠られたら攻略が難しい蜀を何がなんでも先に取りに行ったのは呉に蜀の鉱物資源を押さえられたくないから。
交通・経済の要所である荊州をどこも統一できなかったから、最終的に魏・呉・蜀のどこも天下を統一できなかった
当時は都会というか人口密集地帯って黄河流域に限定されてるわけで魏にしてみりゃ呉や蜀みたいな過疎地をカネかけて征服する必要性があまり感じられなかったんだろう
魏が圧倒的だったよねどうみても。蜀なんて山しか持ってなかったし呉もとうてい裕福な土地ではなかった。開墾に適した土地を支配していた魏の一強だったんよねほんとに。
当時、魏が圧倒的だったのはその通りだけど、土地の評価は少し違うと思う。呉の支配領域は開墾に適していなかったわけではない。江南の開発は東晋以降にかなり進み、特に宋代以降は、蘇湖熟すれば天下足ると言われるほど中華の胃袋を支える地域になっている。水資源では魏の支配領域より恵まれているし、三国時代は普及していなかったけど、温暖で二毛作もできる。潜在力はあるけど、当時は人手不足や技術者不足で開発のペースが上がらなかったという認識。蜀は無理でも、呉は条件次第では早めの南北朝時代に持ち込むシナリオも可能だったと思う。ハードル高いけど。
いや蜀は豊かだろ。むしろ魏の華北は寒冷化でダメ―ジうけてたんだが。
後漢の人口が5000万人を超えていたことを考えると、把握していない人口も多いとは言え、激減してるのが分かるな。
そもそも当時の公式の人口はあくまで各国政府が把握した人口だから黄巾の乱以前からの混乱で流民だらけで実態は公式人口の2〜3倍が総人口とかただそれらは魏に集中してたから人口比は公式よりかなり差が出てる
国力で劣る二国が組んで戦うことを大前提に魏の国境線の長さや蜀の険阻な山岳と長江の守りを生かしてどう対抗するかという図ね魏は最大勢力だけど軽率な外征でうっかり逆撃を食らうと両国とも最大限つけ込もうとするから優位に奢れるほど楽観的ではなかったし魏首脳は事実自重した(蜀との戦いも国力差を考えればかなり慎重に対処してる)から勝てた
そもそも劉備が荊州と益州を確保するのが孔明の天下三分。龐統が死なずにいたらちょっと違ったかもね。
横山三国志の荊州争奪戦辺りの巻、赤壁や三顧の礼の巻ぐらい好きです。
国力差を考えたらヤバいが、漢が始まった時も同じような地域からだからさらにすごいよな…。一概に比べられないが張良、陳平等。さらにそれを1人でやりきろうとした諸葛亮。逆に言えば、曹操の時代のオールスターな人材でも蜀を滅ぼせなかった。まあ曹操が蜀まで望まなかったという事を読んだこともあるが。
前漢で言えば蕭何のような人間が劉備のもとに居ればね。
項羽の元には国を運営して富ませるような人材がいなかった、もしくはいたのかもしれないけど項羽がその人材を活用できなかったという面もあったんんじゃないかな少なくとも項羽の楚と曹操の魏では戦争の強さではともかく、組織としての強靭さでは大きな差がある気がする
間に秦嶺山脈があるから攻め込むのが厳しい ・・・なんで蜀の連中毎年のように越えていくんですかね?1800年前ぞ?トラックとか無いんだぞ?馬車限界も越えてんだぞ????
@@redpulumber ん〜、タイムスリップしないとなんともらいえないけど、山登りとかは日常的だったからかな?魏は平地戦、呉は水戦、蜀は山地戦が得意というイメージはありますね。戦と山登りはまた別ですが…。
@@トルコライス-f3v 秦嶺山脈って2000~3000m級の山脈なんすよ。馬は使えないから物資は人力で運ぶんすよ。
実は対等ではなかったってそもそも三国志ファンで国力が同じなんて思ってるやつおるんかな?演義史観ですら三国県立後は魏と単体では蜀は敵わないから呉と組むって話散々してるのに
表面的な土地の広さは似たようなものでも関東地方対北海道みたいなもんですからね、北海道には全国上位都市の札幌があり資源も豊富……だからと言って関東全部相手に北海道が単体で戦えるかというと無理がある
面積だけで言えば北海道が関東の2.5倍以上ある。人口は関東が約8倍か。それで北海道と関東の面積が同じようなモノって言うのが無理があるような。。。どっちがと言えば、関東と関西だろ。。。人口比的にもさ。
@@早起き-c6x「土地面積は大差ないが、国力は関東と北海道くらいの差がある」というのがコメ主の記述なんだけど。言ってること意味不明だぞ。
知ってるかい、軍隊って大食らいなんだぜ。関東だけで軍と市民の食料を賄い着れるかな?
三国志と五胡十六国時代が一纏めにされて扱われてるが最近知った。 そうなると、最終勝利者は隋…
西暦200年の移動が馬の時代だから、戦力差はもちろんだけど呉は長江っていうとんでもなく幅の広い川に守られ、蜀は山しかない土地に守られていたから成立していたんだろうね。日本も元が攻めてきた時に戦力差はめちゃめちゃあったけど、海に囲まれてる国だったから助かっただけだし。
このコメは荒れる予感
魏は君主の早死にが相次いで国内が一枚岩ではなかったってのもあるかもなあ曹丕か曹叡が長生きして司馬懿、曹真らが方面軍をガッチリ握ってたらまた違った展開があったかもね
この兵戸制・世兵制・私兵団がまるっと横山三国志からは脱色されているから三国志時代の正史に触れると驚くような事情ばかりなんだよね。人口については随分少ない説を取り上げたなあ
三国全てに登場して、絶妙な活躍をする諸葛一族ってマジで何なんだろーか…佐藤とか鈴木みたいなメジャーな名字なのか、それともマジで凄い一族なのか
諸葛一族について、蜀はその龍を得、呉はその虎を得、魏はその犬を得たと言われていました。
諸葛誕おまえさぁ…って感じやわ
そんな諸葛一族も東晋末には諸葛長民なるクズ&ゲスを輩出😅
@@yogaFire-lu9on そうは言っても一国を預かる『都督』にも成れない人材の方が多いのですよ、世の中。・・『犬を得た』って言い方が語弊在り過ぎw諸葛一族の中で「犬」言われてても抜きんでた優秀な人材
蜀漢は都江堰があってこそあそこまで生き延びれた。だから国力差があっても北伐が起こせた。
人口差で言えば魏の屯田に応募した流民達は、魏の私有財産的な扱いとなって国民とはされなかった。その人口は魏の国民とほぼ同数なので、魏の国力は単純に倍はあったと言える
公孫淵討伐で仲達は戦は兵力ではなく計略を使って勝つもんだと言って彼を討った
@@user-fn3112ux4t 公孫淵は20万を号したらしいけどあの時代の最北だから20万人を動員できたかどうか怪しいですね
どれだけ戦力差があろうと全軍を1地方に差し向けるわけにはいかないし兵力1万の地域を5万で落とすにも少なからず犠牲は出るそもそも1万で守ってる城は多くても3万位までしか展開できない場所を選ぶわけでそれこそ40万規模の軍勢を挙兵、展開出来ないのであれば継戦能力ならまだしも地域の局地戦では結局兵の質が物をいうんよね
兵もおそらくその土地で徴兵するし、最大勢力である魏の兵が南下すると体調崩したり、疫病流行ったりしてたし。たぶん北伐もそういう要素もあったのかも。
中原押さえてる時点で勝ち確。蜀は耕作地少ない。ただ国是に従い毎年のように秦嶺山脈越えて攻め込んでたのは控えめに言ってイかれてる。呉もこの当時は灌漑が未熟で豪族の集まりだったからどの道天下統一など無理だったし、その気もなかった様子が伺える。
人口は国力だけど、立地でいくと呉、蜀、騎馬民族と周りを敵に囲まれてた魏は立地は超不利かな、蜀や呉は要害で守られてるからそうそう攻めれないし天下二分の計がなってたら、分裂状態はもっと長かったかな。
17:50末っ子は李ではなく季ではないでしょうか
中国大陸を10とすれば魏:6、呉:3、蜀:1くらいの国力比と中国史の先生から聞いた。そりゃ卑弥呼も魏を選ぶ。
逆に言うと益州ほぼ1つで94万いたと言うのは「ここを取れば天下が」と諸葛亮や魯粛が考えたのも納得というか。
秦の時代から益州は山岳地帯が多く守るには適しているが、人が住むには適していない。反面、魏は洛陽・長安をはじめとした大都市を擁し、呉は長江下流域の肥沃な土壌と海運を擁する。蜀としては荊州を確保できてようやく呉の足元が見えるか?という所。まあぶっちゃけ当時の中国は、洛陽・長安などの北部を抑えれば統一という意識だったので、曹操としても赤壁の敗北後は、無理してまで南征する必要もないと国力・権力の充実に注力してる。
魏と呉と漢にはかなりの戦力差があったと言われていますが、魏の周りには強力な異民族がいてその対策のために戦力を割かないといけなかったため、蜀と呉が同盟結んで内部が結束している限りは戦力は拮抗していたという説もありますね
魏は鉱山地帯(漢中や江夏)を蜀や呉に抑えられると鉄(武器)や銅(銭)が足りなくなるのだよなあ
春秋戦国と秦と楚が大国でいられたのはこれら鉱物資源地帯を掌握してた
劉備が赤壁時に呉と同盟できたのは、江夏を抑えていたからですし、漢中争覇戦が劉備陣営の総力戦じみてるのも、銅を産出する要所って所ですしこの辺りの立ち回りは、当時の超一級の武将が曹操と劉備であるってのが良くわかって面白いと思いますね
半分まで行った処で書き込む!😮此れは素晴らしい動画だ🎉素晴らしい視点新しい視点!!生々しい過去の現実が眼前に実現化する
魏の劉曄が天下三分して魏は十中八を有すと当時から言っているが、曹操ですら長江を越えられないし、蜀に対しては漢中を失うし負け惜しみもあったと思うなあ
夷陵で壊滅的なところでバカが山登ったせい
まったくチャンスが無かったかというとそうでもない
折角人口差を説明しているのに平野面積を図示していないのが残念
魏が本州 呉が九州 蜀が四国 くらいの差だと思う 高句麗が北海道
北海道に蹂躙されろ。
人口比で言うと、魏は関西ぐらいだね
蜀より・・・・・高句麗のほうが大きく強い???
北海道って九州+四国よりもずっと大きいんだけど・・・高句麗って呉+蜀より強大だったの?呉=北海道、蜀=九州、四国=高句麗ぐらいじゃなくて?
@@bickychance 推定だけど、高句麗の人口は200万人ほど、蜀の人口が90万人ほどだったんで、この評価はあながち間違いではないかと本州人口>九州人口>北海道人口>四国人口なんで
呉は二宮の変の時にそれを収められるやつが誰もいなかった理由として最初の方に説明されてた私兵制度の問題で孫権よりも陸遜の方がある種力を持ちすぎてたのがでかい曹操が屯田兵を採用したってのが何だかんだ晋にとっても良かったんだろうな
大和民族は弥生時代以来一貫して圧倒的な水田稲作の生産性を前提としてきたので、日本人はそれが当然に常識化しているんだけど、この時代の中国はまだまだ華北の畑作のほうが生産性が高かったんですよね。華北文明の空前絶後の歴史的ピークは前漢末で、三国志の時代には新と後漢末の二回の人口崩壊を経ているんだけど、それでも江南や四川の原始的な稲作よりははるかに生産性が高かった。
蜀漢の歴史見ると主人公感半端ないよなそれか三国が主人公で司馬一族がラスボス?
某漫画のあとがきの賈挧の解説(笑)が一番的を得ている気がしますね。「三国鼎立なんてギャグだ」ぶっちゃけ魏が中国大陸の「美味しいところ」を独占して賊軍共が残り物にしがみついているだけ、という。確かに魏は日本に例えれば「太平洋ベルト地帯」を独占してる状態だし、呉蜀みたいに人もいない作物も採れない土地を支配しても意味無いですね。
後世を見ると分かるけど、呉の開発が契機になって、河北より河南人口が多くなるので、決して意味ない余り物ってわけでも無いんですよ。当時は負け組側ですけどね。なので、意外と中国史的にはこの時代の呉はかなり重要なんです
現代の地名も併せて紹介して欲しいです
点赞了给大家推荐一套中国唯一通译裴松之注的书《三国志裴松之注全文通译》 陈寿原文+裴注原文+陈寿译文+裴注译文 地毯式(即全面、完整、无任何删减)翻译 日本亚马逊、美国亚马逊、新加坡亚马逊有卖
孫権が同盟を反故にして荊州に攻め込んで関羽を殺したのが蜀の滅亡の始まりだった孫権の背信は明らかなのに、なぜか歴史上は孫権は非難されてない納得が行かないぞ
関羽が先にケンカ売ったようなものだからな。呉にしてみれば江陵を押さえて初めて長江沿岸を防衛ライン化できるわけだから。
蜀と呉を合わせた領土をほこる南北朝の南朝でも最終的には北の勝利北魏が分裂してようやく小康を保った梁も歯が立たないのになんで蜀や呉が勝てると思っちゃうんだろうなあその願望が三国志演義の人気なのだろうが
蜀は常に食糧不足に悩まされてたからなあ。致し方ないんだけど北伐には無理があった。
このまま座してタヒよりは…って感じですかね?
掲げている大義が漢室復興なのでやらざるを得ないという詰みっぷり
元々全てにおいて軍事優先の国だから存続するには戦争しかなかった
横山三國志を読んだ限りの知識だけど、蜀と魏の間には断崖絶壁の道しかなくて、それがどちらにとっても攻める際には大きな障害だったね。多兵を展開できず、兵站も確保できなかった。魏が蜀を攻略したのも、蜀が内側から腐って、政府と前線拠点の連絡すらまともに繋がらなくなったのが原因みたいだし。
@@bin_ke_2 正統王朝側からしたら、規模の差こそあれ大平道と変わらん、反乱・テロ集団程度の認識でしょうね。
国力差を考えると、諸葛亮の死後に蜀が内政を重視したのはむしろ悪手よな。当然、魏だって内政振興をしているわけで、時間が経てば経つほど両国の差は開いていく。実際、魏が蜀攻略に積極的でなかったのはそういった見込みもあったのだろうと思う
まあ、天下三分の計はそもそも魏を滅ぼそうと言う思想では無くて、国を三つに分けてしまおうと言う思想。
これだけ親族で骨肉の争いをしていたら孫休が学問とキジ狩りに逃げ込むのはなんとなく理解できる
本気で魏を打倒したかったら蜀呉だけじゃなくて馬超も欲しいから周瑜案が一番現実的だと思う周瑜が長生きして周瑜の指揮官能力があれば尚更蜀をどう奪うかが問題だけど劉備都合でやると蜀呉だけになるからかなり辛くなる
魏の400~450万というのは屯田兵を含んでいないという説があり、含んだ場合魏は1000万を超えていたとも。実際のところ通説通りの人口差だと(魏)1.5:1(蜀漢&呉)ぐらいになりますが、これだと蜀漢と呉が本気で向かってきた場合は魏は余裕を持ってあしらえるような国力差ではなく、状況次第で負けうるぐらいの差です。しかし史実で魏は全く危なげありませんね。
そりゃ君主自身が出陣しなくでもいいくらい人材も資源もあるだから危うくはないだろ、合肥の戦いや夷陵の戦いも君主が出陣してるあたり国力の差がよくみえます。偏見ですが
@@HUN4727 はい。なので実際には魏の屯田兵を含む人口は異説ぐらいだったのではないかと思う訳です。
二国がガッチリ連合組めるならともかくなぁ
魏は対呉戦線最前衛の合肥にすら十分な兵を配置できず、魏の揚州軍はしばしば劣勢な戦力で戦い、中軍の救援を仰いでます。公孫淵討伐の際、四万を動員しようとしたら多すぎて費用の救出が困難と反対され、洮西で姜維に大敗し数万の兵を討たれた際には鄧艾が存亡の危機と言っており国力に関しては圧倒的と言えるほどではないと思います
魔理沙がって言ったけど霊夢も頑張って半分ぐらい解説した! 😮
魏の蜀侵攻は子午の役だけでなく曹爽による興勢の役もありますよ
平面地図で見ると、魏と呉蜀連合はそう大きな面積差では無さそうだが、魏が東京23区だとすれば呉は八王子市と奥多摩、蜀は秩父。人口はもとより、都市規模や農地面積・工業拠点・軍事拠点━━使える平面と移動の容易さが違い過ぎる。董允矢の如し
現代中国だとどうなるんだろう。呉が強くなるのかな
単純な数字上の戦力が同等だと思ってる人はいないと思う。魏は、中原に鹿を追ってこれを制し、三国時代最強となった。中原は土地が肥沃で、比例して人口も多い。が、北方に異民族問題を抱え、戦力分散が必要だったため、対呉・対蜀に割ける戦力も限られていた。蜀は、山脈に囲われた地域ということで人口=戦力は低かった。国力にも限りがあった。が、山脈があることで守備には適しており、魏も容易に攻め込めるような地域ではなかった。蜀も、山越えをして攻め込むには、戦力的にも限りがあった。呉は、土地としては恵まれていなかったが、荊州を併合したことで向上した。南方も併合したが総人口は少なく、戦力には限りがあった。が、長江を主とした水軍がおり、それを活かして魏の侵攻を防ぐことができた。と理解しています。
呉は長江や水軍を利用した戦術には長けていたけど長江を離れるとどうにもこうにもね。
@ さんそうですね。長江より南は自領だからともかく、北に侵攻するとなると、どうしても陸での戦が必須。南船北馬、を覆らせることはできなかったから、実際には三国統一をしようという意思は無かったのではないかと邪推。
衛星的な視点で大陸を俯瞰し、現代のように無主地が無い領域国家として色分けするのが間違いでは。動画内でも説明していた行政区分上の州をいくつ抑えているかが一番力関係を表していると思う。魏の領土は始めて天下を定めた秦の領土と比較しても遜色ない。前漢の武帝が定めた全国13州のうち9州(+涼州から分割された雍州)を完全制覇して、荊州揚州の一部を支配しているのだから既知の天下はほぼ抑えていたと言える。この時点で荊州益州揚州は広くてもそれぞれ州が一つ。この地域はまだ中華帝国全体の外縁で施政の手が行き届いておらず、端っこだからこそ行政区分が1つになっている。(この時代より後の歴代王朝では分割されたり統廃合されている)呉と蜀は魏に対抗するため、苦心して統治範囲を拡げて国力を絞り出したけど、そこは本来天下ではなかった地域。ゲーム等では空白地帯に移動するだけで占領できたりするけど、それこそ何年何十年もかけて領内に組み入れていた。隆中策は天下(既知の中華帝国)を三分して均衡させたというより、本来天下ではなかった範囲を天下とみなし、その概念を拡大させたことが真髄だと思う。100の中国のうち90まで抑えたのが魏の凄さだけど、100を150にしたのが呉や蜀の凄みでしょう。
これが唐の時代なら南京などが発展してたから呉でも対抗できたがこの時代は河北が
袁紹と曹操の争いが中原有力者同士の決戦。三国志は曹魏の勢い対して孫呉、蜀漢がどれだけ抵抗したかの歴史。
魏7呉2蜀1くらいかなあ
演戯が蜀を主人公にしているからだいぶ脚色されているだけ、土地だけは広いから対等に見えるけど、昔の中国は今以上に北京や南京周辺に人が集中していただろうから、魏が仙台東京名古屋大阪広島福岡だとしたら、蜀は広大な淡路島、呉は広大な沖縄みたいなもんでしょ蜀は現代で考えてもド田舎の未開地域だし、呉も現代でこそ発展しているけど三国時代はそんなことなかったと思う超大国のアメリカだって東西の沿岸部以外は広大な砂漠と荒野と草原と山地ばかりだし、ロシアも西部と東部以外はほとんど人が住んでない土地が大半。
結局どこも国力が足りなくて攻めきれなかった三国時代。結局魏呉蜀みんな停滞からの堕落で魏は晋に代わられて呉蜀はさらに弱体化して滅ぼされた。
蜀は兎も角、呉って中華統一にあまり熱意が無かったような気もする
蜀は荊州を守れなかった時点で実質ゲームオーバーよなぁ・・・通信等無く距離スケールも日本の比じゃないからしょうがない気はするけども。中国が日本みたいな島だった場合は魏の単純圧勝ではあるけど外側の異民族に戦力割かないといけないのがでかいよね。
戦の前の内紛がネックやね…
そういえばどっかで魏は凄い大企業、呉は中小企業、蜀は小さいヤ○ザって聞いた事があるなぁ
魏はトヨタ。呉は日産。蜀はホンダですね。
ただでさえ呉蜀でも厳しいのに荊州の為に争って勝手に衰退するの実に人間っぽい
0:02 孔明北伐成功してるやんけ
街亭で負ける寸前だと思えばまあ
なんかのテレビか動画で当時、諸葛亮より優秀なのが他に何人もいたのが割と衝撃だったゲームとか横山三国志をちょろっとしか読んだことないから普通に勘違いしてました
諸葛亮は政治家でしかない
諸葛亮はあれ、ヒーローみたいにして物語を面白くしようっていう意図でかなり史実とは離れてるみたいね。そのへんでいえば魏延さんとかかなり被害者で泣ける。
そもそも諸葛亮より誰々が優秀とか優秀でないとか、ゲームみたいに決められるものでもないでしょうただ、演義やゲームでオカルト能力授けられた”軍師”みたいな存在ではなくても皇帝から蜀一国を託され、史実に名の残っている軍官僚であり政治家なんだから、やっぱり孔明は凄い人ではあったんでしょう
政治家としては凄まじいほどの有能さ。あの国力で北伐してるのに彼の生前にはそれに起因する反乱らしい反乱は殆ど起きてない。異常な程プロパガンダが成功している。
赤壁の戦いも周瑜の活躍で勝ったしその後に劉備に荊州を任せたのも周瑜の案ですからね諸葛亮が特に何かした訳じゃないです諸葛亮は内政に長けていて龐統が軍略に長けていたので龐統を失ったのがかなり痛い
蜀はちょうど今の国民民主党くらいの小さいど目が離せない感じで、魏は自民党みたいなもんだね。呉は第一野党の立憲か。魏に対立するけど統一はけして無理という感じもにてるかも。
魏:呉:蜀の国力比は大体4.5:3.5:2くらいかね これが年数が経過していく毎に国力差がどんどん広がっていくわけで 蜀は荊州を失ってからほぼ無理ゲーになっちゃったからな
なんていうか…呉の末期が創作であまり語られない理由がわかった…こんな有様ならそりゃあ蜀と魏しか描写しないわな。
だから諸葛孔明は軍事の天才ではなく内政の天才何だよね。国力が違いすぎる魏と渡り合えたのだから。
たしかに、これでは諸葛亮の北伐が失敗続きなのも当然でしょう。
司馬一族の遺伝子の優秀さよ・・・
統一後がね…
司馬懿のラストクロップが司馬倫なんだよなぁ…→八王の乱再燃の原因で何一つ美点の無い文盲
@@フォード-i1wラストクロップ草
まあ一族で天下を狙える才を持つ者がワラワラ出て来て八王の乱になるの地獄のフィーバータイムすぎるんだが
なお司馬懿の孫以降は
昔も今も変わらないと思うのが、第二次北伐。王双なんてここ以外では全く出てこないのに突然、名将に挙げられて討ち取られている。ただ無益に撤退したのでは世間が納得しないから強くもないのに名将にされたのだろう。
諸葛亮も下手に北伐せずに、呉との同盟を極限まで高める事に尽力した方がよかった気がするな。呉も蜀も防御に関しては利があるから それに加えて援軍もあれば魏といえで攻略は困難。せめて中原の領土をいくつか奪取して 魏を弱体化させるまでは一蓮托生の方が国は長生きしてた。
ただね、第一次北伐が成功して長安が取れれば話は変わってくる。蜀と隴西を領土とした国家が天下統一したことがあるからね。
呉はほんと余計な事してる感…
荊州持ち逃げするし取り返したらキレて襲ってくるし魏がデカ過ぎるから同盟してるけど蜀の事もわりと嫌いだからね…
余計な事してるのは、劉備でしょ呉が何度も魏を打ち破ってるから、蜀が五度も魏に挑戦出来たんだよ。 五回も戦って一度も成果を挙げられない、そのせいで国力消耗して滅亡を早めたどこかの国が、一番余計な事してるけどな
@@keikoku4303 孫権からしたら劉備を助けた事自体が余計な事でそのせいで魯粛の評価が都督で最低になってしまう有り様だからどっちもどっち劉備が魏で孫権と曹操が協力して立ち向かう状況なら上手くやったと思うそれ程劉備と孫権の相性が絶望的だった
孫権は蜀を建国した劉備との関係をよくするために、孫権の娘を嫁がせる話もあったけど、犬の子と婚姻なんかできるかって劉備が言っている。関羽はそもそも外交できない(学があるやつが嫌いで馬良の話も聞かない)で呉との関係悪化するよ。
関羽の娘と孫権の息子じゃない?それに犬の子は関羽の発言
実は〜なんて言わなくても知らない人はいないと思うんだけど戦力だけで三国志を見ないから面白い
三国志の時代って結局第二次楚漢戦争なんだよね南北に分かれて戦争して結局統一は出来たが総合的な中華は全く統一出来なかった
許昌や洛陽、長安辺りの国力が凄いよな😮
どっちみち魏を滅ぼすのは無理で魏も曹丕、曹叡が短命で司馬家のクーデターもありましたが着実に天下統一へ向かいました。
知ってる😮
三國無双くらいの知識しかないんだけど南蛮ってどの辺に住んでるヤツらなの?
蜀が天水さえ取ればワンチャン有ったのよ。魏も大慌てだった。天水取れば、長安は目の前。天水は、嘗て難攻不落で合従軍を跳ね除け続けた咸陽の間近。東からの攻めには強いけど西からは微妙。蜀の勝ち目は全然あった…だから馬謖さん…その後警戒されて天水の守り堅められるし…。
兵役に服する立場で言えば、直接雇用か間接雇用。毛利VS織田(羽柴)かなあ
中国史では字が違うが同じ読みの奴が出て来たり、諸葛ってつく奴が魏呉蜀にそれぞれいたり訳わかんないな。
殴られる夢を見て死ぬってどうゆうことw
だから、呉蜀は連携して行く戦術しか無かったわけで、
18:50 一生を「託す」じゃなくて「捧げる」とか「費やす」ね。他人に任せるわけじゃないから。その直前の文章で「後事を託す」という正しい使い方をしてるのに。
一蓮托生という言葉もあるし、間違いではないのでは?
@@小鳥遊彩-t4p 劉備が生きていれば「託す」で合っています。劉備が生きている時は二人はまさに「一蓮托生」だったでしょう。「託す」とは「任せる」とか「預ける」といった、「他者に頼る・従う」という意味を含む言葉です。諸葛亮は劉備の死後、自分の命運を「託す」相手がいなくなり、自らが主導的立場で蜀を引っ張っていくことになるわけですから「託す」は正しくないということです。
@小鳥遊彩-t4p この文章の主語は諸葛亮なので「託す」は正しくないのです。劉備が諸葛亮に蜀のことを「託した」わけですから。「託す」は「任せる」とか「頼る」という意味合いの言葉なので劉備から夢を「託された」諸葛亮が残りの人生を蜀のために「捧げた」ということです。
魏:黄河を基幹とする穀倉地帯、守りにくいけれど回復は容易
呉:長江の防御、水運はあれど熱帯の強すぎる山林が邪魔、長江を抜かれたら詰み
蜀:現在でもトラックも通れない道が多いクソ地形、そのおかげで防衛だけは向いてる
"蜀"ってそんな田舎だったのかww
中国って都市部以外はかなりの田舎だって聞いたことありましたけどそんなだとは‥
現代中国の発展都市が当時の呉領、魏領東部に寄ってることからも、いかに蜀がクソ地形かがよくわかる
蜀は魏と呉に比べれば狭いとはいえ
広い成都平原も長江の水もあり自活できる
なにせ総面積は日本の本州と同じぐらいあるのに全部平地
@@旅するコロスケ
田舎ってほどではない
例えると仙台みたいな、辺鄙な土地では大都市って感じ
@@ねりけし-n9yなんだそれ可能性無限大じゃねえか
圧倒的な戦力差があっても政局の駆け引きや戦略を駆使して強者に対抗するのも三國志の醍醐味の一つよな。
そも人口差=即戦力差って訳ではないし、実際には戸籍を持たない流民・異民族なんかもたくさんいるからね
馬車限界の関係上、大軍を「特定の場所」に集結させるには、その数倍の負担が兵站にかかる
(船を使えると大幅に緩和するので、呉が保てたのは水軍のお陰)
総戦力が30対100でも、100km先に動員する防衛側と200km先の攻撃側では、戦場での数は10対15~20程度まで減る
これが険阻な地形に立て籠ってれば、そりゃ早々決着つかないのは当然だ
三国志の魅力ってただ外の敵を倒せばいいだけでなく、同時に内側の味方にも注意を払わないといけないところでもあると思います。
実際、三国志って魏蜀呉が主役ですが勝ったのは晋です。
その晋すらも三国時代からおよそ20年程度で一族同士の内乱で自滅しています。
どんなに明らかな戦力差があろうと、何が原因が栄枯盛衰が起きるかがわからない。そしてその速度が目まぐるしい勢いで起きた結果、史実でありながらドラマのように起承転結が連続して起きるのが三国志の魅力です。
曹操は物語開始時(黄巾の乱)はただの騎馬部隊の校尉(現代で言えば軍隊の中尉や大尉レベル)ですし、孫権は地方領主の息子、劉備に至っては無名です。
日本人は信長・秀吉・家康と戦国時代が大好きだけど、同じ理由で三国志も大好きよな
民衆としては長期安定政権のほうがありがたいけど、エンタメとしては詰まらんからな
それこそ先祖の劉邦なんかは益州くらいしかなかったのに三英傑と項羽自身の政略の弱さから逆転が
成功して天下統一できたわけですからな。良くも悪くも戦力差を活かせる将の不足も蜀の欠点でしたな。
蜀は関羽の死が全てを狂わせた。劉備が仇討ちの派兵をして惨敗したり、孔明の「泣いて馬謖を斬る」にも影響している。
演技の影響で蜀が好きだったが歴史的に見て曹操は偉大な君主だったよな。
おすすめに出てきて何気なく観た。三國無双と横山三国志の虚実入り混じったことしか知らなかったからとても面白かった。
魏は国力で圧倒的だけど反面国土が広い上に防衛線が長く、1か所に兵力を集中できないという難点もあった
三国鼎立状態が長く続いたのもそのせいで、呉は二宮の変からの一連の内紛、蜀は段谷で大敗して衰退するまで結局魏側から攻めたケース自体がかなり少ない
孫権時代は割と毎年戦争してたけどね
曹操も曹丕も蜀無視で呉ばかり攻めるから劉備が力付けたり諸葛亮が立て直す時間が出来たわけで
呉も蜀も異民族対策に兵を割いていたし、人口比から考えると兵を集中配置出来なかったからというより、単純に長江から漢中のラインで守られると容易に攻略できないという軍事的な理由だと思われる
がっちり組織立って守られてしまう突破は難しい
蜀漢の滅亡も、どちらかというと内部の権力争いによる間隙を突かれたからであって、蜀漢の体制がしっかりしていたらもっと粘れた可能性はある
魏末期は太守も不在だったらしいので、魏も決して人材に恵まれてた理由では無いですね。
魏は異民族も居るからな そっちにも戦力が取られるからそこまで余裕というわけじゃない 多分。
三国とも異民族には悩まされていたと〜
魏が押さえてる土地がこの頃の中華
蜀はただの山奥、呉は長江流域と荊州を押さえてるだけで、そこから南なんてほぼ未開拓地、蜀も同じで小さな盆地があるだけじゃないかな?知らんけど
攻めづらい場所には変わらないけどね
魏は二正面から攻められても結果大丈夫だけど邪魔な存在
魏呉蜀は5対3対1の関係・・・なのだが、魏は大問題を抱えており、最大数十万とされる、北方の匈奴、鮮卑、うがん、が北方国境線を犯すため、本来の国力を対蜀に使えなかった。
魏全軍では70万ともいわれているが、実際に最大戦力を投入できたとして30万が限界だった。この30万をさらにわけ、対蜀、対呉に向けねばならないため、これが三国時代を長引かせた原因の一つと考えられる。諸葛亮の死や、孫権の暴君化など原因は一つではないが、それでも魏は勝つべくして勝ったと思う。(実際は晋だが)
ただ蜀が動員できたのは最大で10万
呉は豪族連合だから大規模な軍事動員がしにくい体質
だから三国時代は僅かな大規模戦闘があるだけで殆どは小競り合いクラスだったとか
呉や蜀も異民族に頭を悩ませていたからお互い様だと思うけどね
特に呉は豪族たちの寄合所帯でなかなか中央の言うことを聞かなかった
一般的には魏呉蜀は7:2:1の戦力差、国力差はそれ以上なんて云われてますよね…拠り所は攻められた際の呉の長江と蜀の山岳地帯が天然の要塞となって有利なだけ。そこまで強大な国にした曹操も偉大だし、逆に弱小国を長年維持できた呉蜀の多彩な将官も偉大でした。
そんな曹魏も呆気なく滅びるっていうのが。 三国のままで連邦でもやってた方が長持ちした気がする
違いない・・けど、
この国力差で停戦したら30年後は無残な結果になるし、
和平も疑心に駆られるからね
歴史に忠実に公平に記すのであれば
天下分け目の一線は赤壁だの夷陵だのではなく、官渡の戦いってことになるんでしょうね
曹操と袁紹が中原の覇権を賭けて戦い、勝った曹操が天下を取った
蜀漢だの孫呉だのは地方政権に過ぎない
そらそうよ。しかし赤壁の一件で曹操一代での統一事業が頓挫したのもまた事実。
うんうん、そんな感じだと思います👍👍
赤壁での大敗も、数年兵馬を休める程度でリカバリできたところを見ると、そんなに大きなダメージではなかったってことなのかな。
実態はそうなんだけど、十八史略や三国志演義が蜀を正当な王朝扱いしているからややこしくなっている
いや長江周辺までは古代から天下の一部だよ、魏信者の言いわけだな
ファミコンのナムコ三国志のタイトルでも言っているように中原を制覇した者が天下を握る
南方の開発が進むのは5代10国以降(北方の戦乱を避けて人が移動した)だからね
当時はまだまだ江南は人口も少ないし、蜀なんてガチの僻地
@@omurago4673そこから中華を統一した劉邦はヤバすぎる。
南の呉蜀は温暖で、稲作ができるので食料が豊富と思ってた。
でも平地が少なく、思ったほど食料が取れない。
江南のポテンシャルが発揮されるのはもっと後の時代ですしねえ。
やはり稲作は強い
呉は実際に熱心に江南の開発を進めて、後の時代に河北より豊かな穀倉地帯を作り上げる土台になるから、認識は間違ってないよ
中国史のほんの一部、いち弱小国で終わった蜀に焦点を当てて、
壮大なドラマとして広めた演義の偉大さ…
1800年経った今でも名は残り海外でも大人気。劉備もあの世でビックリしてるだろう。
孫呉はハプスブルク家みたいに各豪族に根回しができていたら違ったかもしれませんね。
たしか蜀は漢帝国の鉱物資源地帯で漢帝国が蜀の銅で通貨を発行していたので諸葛孔明はその経済を確保できたら曹操の魏と対抗できると考えたという。魏は鉱物資源がほとんど無い代わりに食料が豊富にあった。
孔明時代になんとかやって行けたのは経済力があったから。魏がまず山岳地帯で籠られたら攻略が難しい蜀を何がなんでも先に取りに行ったのは呉に蜀の鉱物資源を押さえられたくないから。
交通・経済の要所である荊州をどこも統一できなかったから、最終的に魏・呉・蜀のどこも天下を統一できなかった
当時は都会というか人口密集地帯って
黄河流域に限定されてるわけで
魏にしてみりゃ呉や蜀みたいな過疎地を
カネかけて征服する必要性が
あまり感じられなかったんだろう
魏が圧倒的だったよねどうみても。
蜀なんて山しか持ってなかったし呉もとうてい裕福な土地ではなかった。
開墾に適した土地を支配していた魏の一強だったんよねほんとに。
当時、魏が圧倒的だったのはその通りだけど、土地の評価は少し違うと思う。呉の支配領域は開墾に適していなかったわけではない。江南の開発は東晋以降にかなり進み、特に宋代以降は、蘇湖熟すれば天下足ると言われるほど中華の胃袋を支える地域になっている。水資源では魏の支配領域より恵まれているし、三国時代は普及していなかったけど、温暖で二毛作もできる。潜在力はあるけど、当時は人手不足や技術者不足で開発のペースが上がらなかったという認識。蜀は無理でも、呉は条件次第では早めの南北朝時代に持ち込むシナリオも可能だったと思う。ハードル高いけど。
いや蜀は豊かだろ。むしろ魏の華北は寒冷化でダメ―ジうけてたんだが。
後漢の人口が5000万人を超えていたことを考えると、把握していない人口も多いとは言え、激減してるのが分かるな。
そもそも当時の公式の人口はあくまで各国政府が把握した人口だから黄巾の乱以前からの混乱で流民だらけで実態は公式人口の2〜3倍が総人口とか
ただそれらは魏に集中してたから人口比は公式よりかなり差が出てる
国力で劣る二国が組んで戦うことを大前提に魏の国境線の長さや蜀の険阻な山岳と長江の守りを生かしてどう対抗するかという図ね
魏は最大勢力だけど軽率な外征でうっかり逆撃を食らうと両国とも最大限つけ込もうとするから優位に奢れるほど楽観的ではなかったし魏首脳は事実自重した(蜀との戦いも国力差を考えればかなり慎重に対処してる)から勝てた
そもそも劉備が荊州と益州を確保するのが孔明の天下三分。
龐統が死なずにいたらちょっと違ったかもね。
横山三国志の荊州争奪戦辺りの巻、赤壁や三顧の礼の巻ぐらい好きです。
国力差を考えたらヤバいが、漢が始まった時も同じような地域からだからさらにすごいよな…。一概に比べられないが張良、陳平等。
さらにそれを1人でやりきろうとした諸葛亮。
逆に言えば、曹操の時代のオールスターな人材でも蜀を滅ぼせなかった。まあ曹操が蜀まで望まなかったという事を読んだこともあるが。
前漢で言えば蕭何のような人間が劉備のもとに居ればね。
項羽の元には国を運営して富ませるような人材がいなかった、もしくはいたのかもしれないけど項羽がその人材を活用できなかったという面もあったんんじゃないかな
少なくとも項羽の楚と曹操の魏では戦争の強さではともかく、組織としての強靭さでは大きな差がある気がする
間に秦嶺山脈があるから攻め込むのが厳しい ・・・なんで蜀の連中毎年のように越えていくんですかね?1800年前ぞ?トラックとか無いんだぞ?馬車限界も越えてんだぞ????
@@redpulumber ん〜、タイムスリップしないとなんともらいえないけど、山登りとかは日常的だったからかな?
魏は平地戦、呉は水戦、蜀は山地戦が得意というイメージはありますね。
戦と山登りはまた別ですが…。
@@トルコライス-f3v 秦嶺山脈って2000~3000m級の山脈なんすよ。馬は使えないから物資は人力で運ぶんすよ。
実は対等ではなかったってそもそも三国志ファンで国力が同じなんて思ってるやつおるんかな?
演義史観ですら三国県立後は魏と単体では蜀は敵わないから呉と組むって話散々してるのに
表面的な土地の広さは似たようなものでも関東地方対北海道みたいなもんですからね、北海道には全国上位都市の札幌があり資源も豊富……だからと言って関東全部相手に北海道が単体で戦えるかというと無理がある
面積だけで言えば北海道が関東の2.5倍以上ある。人口は関東が約8倍か。
それで北海道と関東の面積が同じようなモノって言うのが無理があるような。。。
どっちがと言えば、関東と関西だろ。。。人口比的にもさ。
@@早起き-c6x「土地面積は大差ないが、国力は関東と北海道くらいの差がある」というのがコメ主の記述なんだけど。
言ってること意味不明だぞ。
知ってるかい、軍隊って大食らいなんだぜ。
関東だけで軍と市民の食料を賄い着れるかな?
三国志と五胡十六国時代が一纏めにされて扱われてるが最近知った。
そうなると、最終勝利者は隋…
西暦200年の移動が馬の時代だから、戦力差はもちろんだけど
呉は長江っていうとんでもなく幅の広い川に守られ、蜀は山しかない土地に守られていたから
成立していたんだろうね。
日本も元が攻めてきた時に戦力差はめちゃめちゃあったけど、海に囲まれてる国だったから助かっただけだし。
このコメは荒れる予感
魏は君主の早死にが相次いで国内が一枚岩ではなかったってのもあるかもなあ
曹丕か曹叡が長生きして司馬懿、曹真らが方面軍をガッチリ握ってたらまた違った展開があったかもね
この兵戸制・世兵制・私兵団がまるっと横山三国志からは脱色されているから三国志時代の正史に触れると驚くような事情ばかりなんだよね。
人口については随分少ない説を取り上げたなあ
三国全てに登場して、絶妙な活躍をする諸葛一族って
マジで何なんだろーか…
佐藤とか鈴木みたいなメジャーな名字なのか、それともマジで凄い一族なのか
諸葛一族について、蜀はその龍を得、呉はその虎を得、魏はその犬を得たと言われていました。
諸葛誕おまえさぁ…って感じやわ
そんな諸葛一族も東晋末には諸葛長民なるクズ&ゲスを輩出😅
@@yogaFire-lu9on
そうは言っても
一国を預かる『都督』にも成れない人材の方が多いのですよ、世の中。
・・『犬を得た』って言い方が語弊在り過ぎw
諸葛一族の中で「犬」言われてても抜きんでた優秀な人材
蜀漢は都江堰があってこそあそこまで生き延びれた。だから国力差があっても北伐が起こせた。
人口差で言えば魏の屯田に応募した流民達は、魏の私有財産的な扱いとなって国民とはされなかった。その人口は魏の国民とほぼ同数なので、魏の国力は単純に倍はあったと言える
公孫淵討伐で仲達は戦は兵力ではなく計略を使って勝つもんだと言って彼を討った
@@user-fn3112ux4t
公孫淵は20万を号したらしいけどあの時代の最北だから20万人を動員できたかどうか怪しいですね
どれだけ戦力差があろうと全軍を1地方に差し向けるわけにはいかないし兵力1万の地域を5万で落とすにも少なからず犠牲は出る
そもそも1万で守ってる城は多くても3万位までしか展開できない場所を選ぶわけで
それこそ40万規模の軍勢を挙兵、展開出来ないのであれば継戦能力ならまだしも地域の局地戦では結局兵の質が物をいうんよね
兵もおそらくその土地で徴兵するし、最大勢力である魏の兵が南下すると体調崩したり、疫病流行ったりしてたし。たぶん北伐もそういう要素もあったのかも。
中原押さえてる時点で勝ち確。蜀は耕作地少ない。ただ国是に従い毎年のように秦嶺山脈越えて攻め込んでたのは控えめに言ってイかれてる。呉もこの当時は灌漑が未熟で豪族の集まりだったからどの道天下統一など無理だったし、その気もなかった様子が伺える。
人口は国力だけど、立地でいくと呉、蜀、騎馬民族と周りを敵に囲まれてた魏は
立地は超不利かな、蜀や呉は要害で守られてるからそうそう攻めれないし
天下二分の計がなってたら、分裂状態はもっと長かったかな。
17:50
末っ子は李ではなく季ではないでしょうか
中国大陸を10とすれば魏:6、呉:3、蜀:1くらいの国力比と中国史の先生から聞いた。そりゃ卑弥呼も魏を選ぶ。
逆に言うと益州ほぼ1つで94万いたと言うのは「ここを取れば天下が」と諸葛亮や魯粛が考えたのも納得というか。
秦の時代から益州は山岳地帯が多く守るには適しているが、人が住むには適していない。
反面、魏は洛陽・長安をはじめとした大都市を擁し、呉は長江下流域の肥沃な土壌と海運を擁する。
蜀としては荊州を確保できてようやく呉の足元が見えるか?という所。
まあぶっちゃけ当時の中国は、洛陽・長安などの北部を抑えれば統一という意識だったので、
曹操としても赤壁の敗北後は、無理してまで南征する必要もないと国力・権力の充実に注力してる。
魏と呉と漢にはかなりの戦力差があったと言われていますが、
魏の周りには強力な異民族がいてその対策のために戦力を割かないといけなかったため、蜀と呉が同盟結んで内部が結束している限りは戦力は拮抗していたという説もありますね
魏は鉱山地帯(漢中や江夏)を蜀や呉に抑えられると鉄(武器)や銅(銭)が足りなくなるのだよなあ
春秋戦国と秦と楚が大国でいられたのはこれら鉱物資源地帯を掌握してた
劉備が赤壁時に呉と同盟できたのは、江夏を抑えていたからですし、漢中争覇戦が劉備陣営の総力戦じみてるのも、銅を産出する要所って所ですし
この辺りの立ち回りは、当時の超一級の武将が曹操と劉備であるってのが良くわかって面白いと思いますね
半分まで行った処で書き込む!😮
此れは素晴らしい動画だ🎉
素晴らしい視点
新しい視点!!
生々しい過去の現実が眼前に実現化する
魏の劉曄が天下三分して魏は十中八を有すと当時から言っているが、曹操ですら長江を越えられないし、蜀に対しては漢中を失うし負け惜しみもあったと思うなあ
夷陵で壊滅的なところでバカが山登ったせい
まったくチャンスが無かったかというとそうでもない
折角人口差を説明しているのに平野面積を図示していないのが残念
魏が本州 呉が九州 蜀が四国 くらいの差だと思う 高句麗が北海道
北海道に蹂躙されろ。
人口比で言うと、魏は関西ぐらいだね
蜀より・・・・・高句麗のほうが大きく強い???
北海道って九州+四国よりもずっと大きいんだけど・・・高句麗って呉+蜀より強大だったの?
呉=北海道、蜀=九州、四国=高句麗ぐらいじゃなくて?
@@bickychance 推定だけど、高句麗の人口は200万人ほど、蜀の人口が90万人ほどだったんで、この評価はあながち間違いではないかと
本州人口>九州人口>北海道人口>四国人口なんで
呉は二宮の変の時にそれを収められるやつが誰もいなかった理由として最初の方に説明されてた私兵制度の問題で孫権よりも陸遜の方がある種力を持ちすぎてたのがでかい
曹操が屯田兵を採用したってのが何だかんだ晋にとっても良かったんだろうな
大和民族は弥生時代以来一貫して圧倒的な水田稲作の生産性を前提としてきたので、日本人はそれが当然に常識化しているんだけど、この時代の中国はまだまだ華北の畑作のほうが生産性が高かったんですよね。華北文明の空前絶後の歴史的ピークは前漢末で、三国志の時代には新と後漢末の二回の人口崩壊を経ているんだけど、それでも江南や四川の原始的な稲作よりははるかに生産性が高かった。
蜀漢の歴史見ると主人公感半端ないよな
それか三国が主人公で司馬一族がラスボス?
某漫画のあとがきの賈挧の解説(笑)が一番的を得ている気がしますね。
「三国鼎立なんてギャグだ」
ぶっちゃけ魏が中国大陸の「美味しいところ」を独占して賊軍共が残り物にしがみついているだけ、という。
確かに魏は日本に例えれば「太平洋ベルト地帯」を独占してる状態だし、呉蜀みたいに人もいない作物も採れない
土地を支配しても意味無いですね。
後世を見ると分かるけど、呉の開発が契機になって、河北より河南人口が多くなるので、決して意味ない余り物ってわけでも無いんですよ。当時は負け組側ですけどね。なので、意外と中国史的にはこの時代の呉はかなり重要なんです
現代の地名も併せて紹介して欲しいです
点赞了
给大家推荐一套中国唯一通译裴松之注的书《三国志裴松之注全文通译》 陈寿原文+裴注原文+陈寿译文+裴注译文 地毯式(即全面、完整、无任何删减)翻译 日本亚马逊、美国亚马逊、新加坡亚马逊有卖
孫権が同盟を反故にして荊州に攻め込んで関羽を殺したのが蜀の滅亡の始まりだった
孫権の背信は明らかなのに、なぜか歴史上は孫権は非難されてない
納得が行かないぞ
関羽が先にケンカ売ったようなものだからな。
呉にしてみれば江陵を押さえて初めて長江沿岸を防衛ライン化できるわけだから。
蜀と呉を合わせた領土をほこる南北朝の南朝でも最終的には北の勝利
北魏が分裂してようやく小康を保った梁も歯が立たないのに
なんで蜀や呉が勝てると思っちゃうんだろうなあ
その願望が三国志演義の人気なのだろうが
蜀は常に食糧不足に悩まされてたからなあ。致し方ないんだけど北伐には無理があった。
このまま座してタヒよりは…って感じですかね?
掲げている大義が漢室復興なのでやらざるを得ないという詰みっぷり
元々全てにおいて軍事優先の国だから存続するには戦争しかなかった
横山三國志を読んだ限りの知識だけど、蜀と魏の間には断崖絶壁の道しかなくて、
それがどちらにとっても攻める際には大きな障害だったね。多兵を展開できず、兵站も確保できなかった。
魏が蜀を攻略したのも、蜀が内側から腐って、政府と前線拠点の連絡すらまともに繋がらなくなったのが原因みたいだし。
@@bin_ke_2 正統王朝側からしたら、規模の差こそあれ大平道と変わらん、反乱・テロ集団程度の認識でしょうね。
国力差を考えると、諸葛亮の死後に蜀が内政を重視したのはむしろ悪手よな。当然、魏だって内政振興をしているわけで、時間が経てば経つほど両国の差は開いていく。実際、魏が蜀攻略に積極的でなかったのはそういった見込みもあったのだろうと思う
まあ、天下三分の計はそもそも魏を滅ぼそうと言う思想では無くて、国を三つに分けてしまおうと言う思想。
これだけ親族で骨肉の争いをしていたら孫休が学問とキジ狩りに逃げ込むのはなんとなく理解できる
本気で魏を打倒したかったら蜀呉だけじゃなくて馬超も欲しいから周瑜案が一番現実的だと思う
周瑜が長生きして周瑜の指揮官能力があれば尚更
蜀をどう奪うかが問題だけど
劉備都合でやると蜀呉だけになるからかなり辛くなる
魏の400~450万というのは屯田兵を含んでいないという説があり、含んだ場合魏は1000万を超えていたとも。
実際のところ通説通りの人口差だと(魏)1.5:1(蜀漢&呉)ぐらいになりますが、これだと蜀漢と呉が本気で向かってきた場合は魏は余裕を持ってあしらえるような国力差ではなく、状況次第で負けうるぐらいの差です。しかし史実で魏は全く危なげありませんね。
そりゃ君主自身が出陣しなくでもいいくらい人材も資源もあるだから危うくはないだろ、合肥の戦いや夷陵の戦いも君主が出陣してるあたり国力の差がよくみえます。
偏見ですが
@@HUN4727 はい。なので実際には魏の屯田兵を含む人口は異説ぐらいだったのではないかと思う訳です。
二国がガッチリ連合組めるならともかくなぁ
魏は対呉戦線最前衛の合肥にすら十分な兵を配置できず、魏の揚州軍はしばしば劣勢な戦力で戦い、中軍の救援を仰いでます。
公孫淵討伐の際、四万を動員しようとしたら多すぎて費用の救出が困難と反対され、洮西で姜維に大敗し数万の兵を討たれた際には鄧艾が存亡の危機と言っており国力に関しては圧倒的と言えるほどではないと思います
魔理沙がって言ったけど霊夢も頑張って半分ぐらい解説した! 😮
魏の蜀侵攻は子午の役だけでなく曹爽による興勢の役もありますよ
平面地図で見ると、魏と呉蜀連合はそう大きな面積差では無さそうだが、魏が東京23区だとすれば呉は八王子市と奥多摩、蜀は秩父。
人口はもとより、都市規模や農地面積・工業拠点・軍事拠点━━使える平面と移動の容易さが違い過ぎる。
董允矢の如し
現代中国だとどうなるんだろう。呉が強くなるのかな
単純な数字上の戦力が同等だと思ってる人はいないと思う。
魏は、中原に鹿を追ってこれを制し、三国時代最強となった。中原は土地が肥沃で、比例して人口も多い。が、北方に異民族問題を抱え、戦力分散が必要だったため、対呉・対蜀に割ける戦力も限られていた。
蜀は、山脈に囲われた地域ということで人口=戦力は低かった。国力にも限りがあった。が、山脈があることで守備には適しており、魏も容易に攻め込めるような地域ではなかった。蜀も、山越えをして攻め込むには、戦力的にも限りがあった。
呉は、土地としては恵まれていなかったが、荊州を併合したことで向上した。南方も併合したが総人口は少なく、戦力には限りがあった。が、長江を主とした水軍がおり、それを活かして魏の侵攻を防ぐことができた。
と理解しています。
呉は長江や水軍を利用した戦術には長けていたけど長江を離れるとどうにもこうにもね。
@ さん
そうですね。長江より南は自領だからともかく、北に侵攻するとなると、どうしても陸での戦が必須。南船北馬、を覆らせることはできなかったから、実際には三国統一をしようという意思は無かったのではないかと邪推。
衛星的な視点で大陸を俯瞰し、現代のように無主地が無い領域国家として色分けするのが間違いでは。動画内でも説明していた行政区分上の州をいくつ抑えているかが一番力関係を表していると思う。
魏の領土は始めて天下を定めた秦の領土と比較しても遜色ない。前漢の武帝が定めた全国13州のうち9州(+涼州から分割された雍州)を完全制覇して、荊州揚州の一部を支配しているのだから既知の天下はほぼ抑えていたと言える。この時点で荊州益州揚州は広くてもそれぞれ州が一つ。この地域はまだ中華帝国全体の外縁で施政の手が行き届いておらず、端っこだからこそ行政区分が1つになっている。(この時代より後の歴代王朝では分割されたり統廃合されている)呉と蜀は魏に対抗するため、苦心して統治範囲を拡げて国力を絞り出したけど、そこは本来天下ではなかった地域。ゲーム等では空白地帯に移動するだけで占領できたりするけど、それこそ何年何十年もかけて領内に組み入れていた。
隆中策は天下(既知の中華帝国)を三分して均衡させたというより、本来天下ではなかった範囲を天下とみなし、その概念を拡大させたことが真髄だと思う。100の中国のうち90まで抑えたのが魏の凄さだけど、100を150にしたのが呉や蜀の凄みでしょう。
これが唐の時代なら南京などが発展してたから
呉でも対抗できたがこの時代は河北が
袁紹と曹操の争いが中原有力者同士の決戦。
三国志は曹魏の勢い対して孫呉、蜀漢がどれだけ抵抗したかの歴史。
魏7呉2蜀1くらいかなあ
演戯が蜀を主人公にしているからだいぶ脚色されているだけ、土地だけは広いから対等に見えるけど、昔の中国は今以上に北京や南京周辺に人が集中していただろうから、魏が仙台東京名古屋大阪広島福岡だとしたら、蜀は広大な淡路島、呉は広大な沖縄みたいなもんでしょ
蜀は現代で考えてもド田舎の未開地域だし、呉も現代でこそ発展しているけど三国時代はそんなことなかったと思う
超大国のアメリカだって東西の沿岸部以外は広大な砂漠と荒野と草原と山地ばかりだし、ロシアも西部と東部以外はほとんど人が住んでない土地が大半。
結局どこも国力が足りなくて攻めきれなかった三国時代。
結局魏呉蜀みんな停滞からの堕落で魏は晋に代わられて呉蜀はさらに弱体化して滅ぼされた。
蜀は兎も角、呉って中華統一にあまり熱意が無かったような気もする
蜀は荊州を守れなかった時点で実質ゲームオーバーよなぁ・・・通信等無く距離スケールも日本の比じゃないからしょうがない気はするけども。
中国が日本みたいな島だった場合は魏の単純圧勝ではあるけど外側の異民族に戦力割かないといけないのがでかいよね。
戦の前の内紛がネックやね…
そういえばどっかで魏は凄い大企業、呉は中小企業、蜀は小さいヤ○ザって聞いた事があるなぁ
魏はトヨタ。呉は日産。蜀はホンダですね。
ただでさえ呉蜀でも厳しいのに荊州の為に争って勝手に衰退するの実に人間っぽい
0:02 孔明北伐成功してるやんけ
街亭で負ける寸前だと思えばまあ
なんかのテレビか動画で当時、諸葛亮より優秀なのが他に何人もいたのが割と衝撃だった
ゲームとか横山三国志をちょろっとしか読んだことないから普通に勘違いしてました
諸葛亮は政治家でしかない
諸葛亮はあれ、ヒーローみたいにして物語を面白くしようっていう意図でかなり史実とは離れてるみたいね。
そのへんでいえば魏延さんとかかなり被害者で泣ける。
そもそも諸葛亮より誰々が優秀とか優秀でないとか、ゲームみたいに決められるものでもないでしょう
ただ、演義やゲームでオカルト能力授けられた”軍師”みたいな存在ではなくても
皇帝から蜀一国を託され、史実に名の残っている軍官僚であり政治家なんだから、やっぱり孔明は凄い人ではあったんでしょう
政治家としては凄まじいほどの有能さ。あの国力で北伐してるのに彼の生前にはそれに起因する反乱らしい反乱は殆ど起きてない。異常な程プロパガンダが成功している。
赤壁の戦いも周瑜の活躍で勝ったし
その後に劉備に荊州を任せたのも周瑜の案ですからね
諸葛亮が特に何かした訳じゃないです
諸葛亮は内政に長けていて
龐統が軍略に長けていたので
龐統を失ったのがかなり痛い
蜀はちょうど今の国民民主党くらいの小さいど目が離せない感じで、魏は自民党みたいなもんだね。呉は第一野党の立憲か。魏に対立するけど統一はけして無理という感じもにてるかも。
魏:呉:蜀の国力比は大体4.5:3.5:2くらいかね これが年数が経過していく毎に国力差がどんどん広がっていくわけで 蜀は荊州を失ってからほぼ無理ゲーになっちゃったからな
なんていうか…
呉の末期が創作であまり語られない理由がわかった…
こんな有様ならそりゃあ蜀と魏しか描写しないわな。
だから諸葛孔明は軍事の天才ではなく内政の天才何だよね。
国力が違いすぎる魏と渡り合えたのだから。
たしかに、これでは諸葛亮の北伐が失敗続きなのも当然でしょう。
司馬一族の遺伝子の優秀さよ・・・
統一後がね…
司馬懿のラストクロップが司馬倫なんだよなぁ…→八王の乱再燃の原因で何一つ美点の無い文盲
@@フォード-i1wラストクロップ草
まあ一族で天下を狙える才を持つ者がワラワラ出て来て八王の乱になるの地獄のフィーバータイムすぎるんだが
なお司馬懿の孫以降は
昔も今も変わらないと思うのが、第二次北伐。王双なんてここ以外では全く出てこないのに突然、名将に挙げられて討ち取られている。ただ無益に撤退したのでは世間が納得しないから強くもないのに名将にされたのだろう。
諸葛亮も下手に北伐せずに、呉との同盟を極限まで高める事に尽力した方がよかった気がするな。呉も蜀も防御に関しては利があるから それに加えて援軍もあれば
魏といえで攻略は困難。せめて中原の領土をいくつか奪取して 魏を弱体化させるまでは一蓮托生の方が国は長生きしてた。
ただね、第一次北伐が成功して長安が取れれば話は変わってくる。
蜀と隴西を領土とした国家が天下統一したことがあるからね。
呉はほんと余計な事してる感…
荊州持ち逃げするし取り返したらキレて襲ってくるし
魏がデカ過ぎるから同盟してるけど蜀の事もわりと嫌いだからね…
余計な事してるのは、劉備でしょ
呉が何度も魏を打ち破ってるから、蜀が五度も魏に挑戦出来たんだよ。
五回も戦って一度も成果を挙げられない、そのせいで国力消耗して滅亡を早めたどこかの国が、一番余計な事してるけどな
@@keikoku4303
孫権からしたら劉備を助けた事自体が余計な事でそのせいで魯粛の評価が都督で最低になってしまう有り様だからどっちもどっち
劉備が魏で孫権と曹操が協力して立ち向かう状況なら上手くやったと思う
それ程劉備と孫権の相性が絶望的だった
孫権は蜀を建国した劉備との関係をよくするために、孫権の娘を嫁がせる話もあったけど、犬の子と婚姻なんかできるかって劉備が言っている。関羽はそもそも外交できない(学があるやつが嫌いで馬良の話も聞かない)で呉との関係悪化するよ。
関羽の娘と孫権の息子じゃない?
それに犬の子は関羽の発言
実は〜なんて言わなくても知らない人はいないと思うんだけど
戦力だけで三国志を見ないから面白い
三国志の時代って結局第二次楚漢戦争なんだよね
南北に分かれて戦争して結局統一は出来たが
総合的な中華は全く統一出来なかった
許昌や洛陽、長安辺りの国力が凄いよな😮
どっちみち魏を滅ぼすのは無理で
魏も曹丕、曹叡が短命で
司馬家のクーデターもありましたが
着実に天下統一へ向かいました。
知ってる😮
三國無双くらいの知識しかないんだけど南蛮ってどの辺に住んでるヤツらなの?
蜀が天水さえ取ればワンチャン有ったのよ。
魏も大慌てだった。
天水取れば、長安は目の前。
天水は、嘗て難攻不落で合従軍を跳ね除け続けた咸陽の間近。
東からの攻めには強いけど西からは微妙。
蜀の勝ち目は全然あった…だから馬謖さん…その後警戒されて天水の守り堅められるし…。
兵役に服する立場で言えば、直接雇用か間接雇用。毛利VS織田(羽柴)かなあ
中国史では字が違うが同じ読みの奴が出て来たり、諸葛ってつく奴が魏呉蜀にそれぞれいたり訳わかんないな。
殴られる夢を見て死ぬってどうゆうことw
だから、呉蜀は連携して行く戦術しか無かったわけで、
18:50 一生を「託す」じゃなくて「捧げる」とか「費やす」ね。他人に任せるわけじゃないから。
その直前の文章で「後事を託す」という正しい使い方をしてるのに。
一蓮托生という言葉もあるし、間違いではないのでは?
@@小鳥遊彩-t4p 劉備が生きていれば「託す」で合っています。劉備が生きている時は二人はまさに「一蓮托生」だったでしょう。
「託す」とは「任せる」とか「預ける」といった、「他者に頼る・従う」という意味を含む言葉です。
諸葛亮は劉備の死後、自分の命運を「託す」相手がいなくなり、自らが主導的立場で
蜀を引っ張っていくことになるわけですから「託す」は正しくないということです。
@小鳥遊彩-t4p この文章の主語は諸葛亮なので「託す」は正しくないのです。
劉備が諸葛亮に蜀のことを「託した」わけですから。「託す」は「任せる」とか「頼る」という意味合いの言葉なので
劉備から夢を「託された」諸葛亮が残りの人生を蜀のために「捧げた」ということです。