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アナウンスの声が、芥川也寸志さんに似ていて内容も分かりやすくただ史実を時系列に上手くまとめられていますね、感服しました。今日はついつい四話も拝聴してしまいました
この動画面白い、賤ヶ岳の合戦秀吉楽勝かと思いきや、正しく薄氷を踏む勝利だつたとは、勉強になりました。
丹羽長秀らと共謀して秀信の家督を剥奪して「羽柴」名乗らせて羽柴秀勝の後釜に置くことで織田宗家筋を信雄に変えるってムーブ、家康が秀頼にやらなかっただけすっごい温情に感じてくる…(家康もその気になれば小早川秀秋辺りにそう誘惑してただろうし)
佐久間盛政が命令違反せず撤退していたとしても、前田利家の戦線離脱は避けられなかったと思うので、柴田軍の士気は下がり、兵の逃亡などによる軍の崩壊により、羽柴軍は勝利していたと思います
とつとつと
信孝の憎しみを剥き出しにした辞世の句人間臭くて大好き
猛将 VS 智将 のイメージが強いです。どの世界も 謀略 あっての天下取りですね。。
2002の大河、「利家とまつ」では勝家の与力で信長からあわや切腹を申しつけられそうになった利家を勝家の助け舟で一旦「追放」で収まったシーンがあった。このように利家は勝家に大恩があったが、逆に勝家に「旧知の秀吉に付く」よう勧められて利家は秀吉に寝返った。勝家を演じていた松平健がかっこうよかった。
「藤吉郎どんとは、戦れんでや……」
「賤ヶ岳の戦い」 では実弟である秀長から秀吉への 「報連相」 が効いていますね。
戦で1番効果が有る「裏崩れ」見事に成功関ヶ原でも利長は東軍、利政は西軍寄りの中立大坂の陣では先陣切って奮戦勝馬に乗るのが一番上手い前田家(笑)
関ヶ原の戦いと似たような構図
筆っぽいフォントはなんていやつでしょうか
この二人は兎に角水と油だから絶対に融和しないよな
今戦ご解説も、細やかですが、、
いつもいつもお気遣いありがとうございます!とても励みになります!
秀吉が誰より早く明智を倒せた時点でその後の秀吉の織田掌握と自身の強権化は決まってたのかもね。たとえどこでどの大名と戦おうとも。
蜂須賀家政・木村重茲が籠る神明山砦と対峙する前田利家にとって、撤退命令を無視していた佐久間盛政が羽柴秀吉本隊に追われて来るのは青天の霹靂であり、前後を挟まれ壊滅を承知で踏み留まるより自身も撤退をするのは普通でしょう。あれを裏切りとするのは違うと思います。
本拠地を北陸にした点で終わっている。まだ九州南部の方が勝ち目があった。
お市って相当秀吉嫌いだったんだな😢血が卑しいと思ったのか、顔が嫌いだったのか😢
この戦で秀吉は信長の息子と結果的に妹の命も奪うことになったんですよね。このあと秀吉が地獄に落ちた後に、信長にどんな顔をして会ったのかと気になります。自分もいずれ地獄に落ちた時に二人に聞いてみたいと思っています。
その前に信孝が秀吉に人質として差し出した信孝の実母と実子を秀吉は躊躇なく処刑してますよ。言ってみれば信長の妻と孫を殺した訳です。
僕7本槍の1人の子孫です😊御先祖がこんな複雑な戦をしていたとは夢にも思いませんでした😅
断腸の裏切りというより前田家を残すための冷静な選択だったのではないでしょうか?前田利家にとって主君はあくまで織田信長でありこの戦いは織田家は内輪揉めに過ぎなかったと思います。丹羽長秀が羽柴秀吉に味方した時点で柴田勝家の敗北は決定的であり柴田勝家はオヤジ様と慕う自分の上司ですが、家の存亡を掛けてまで味方するほどの義理は無いと判断したんだと思います。
殿、鞆の浦は備後国ですぞ!吉備国は689年に備前国(後に北部が美作国として分割)、備中国、備後国に分割されておりまする
大変失礼いたしました! 教えてくださりありがとうございます!
現・広島県福山市
佐久間隊が攻める前に秀吉は勝家の隊が永陣と見て第二線の中川隊等の多数を一旦本国に引き上げさせている中川隊は3000以上いたのがわずか1000程の兵力に減っていたこのタイミングで第二線への攻撃は勝家にとっては絶好で秀吉にとっては痛恨であって一歩間違えれば秀吉の大敗まであった大垣でとまったのと丹羽の機転秀吉のスピード勝家の消極な戦い方が勝敗を決めた
桶狭間以来20年も同僚として働いていた武将たちが、信長の死の半年後には、敵味方に別れて、共食いを繰り返す。こいつらの関係性ってなんだだったのかな。
ぺらっぺら
柴田程度の知略では、どっちにしろ天下人にはなれない、何がなんでも天下人になるという野心と覚悟が足らない乱世に戻るだけ
佐々成政と滝川一益が来てたら勝てた
秀吉の調略力を見抜けなかった、勝家の敗戦!!晩年の失楽園は秀吉と田中角栄は酷似!!家康は信長の不用心、秀吉の色欲を自戒し、三百年の天下を築いた!ただ一言、驕れる者久しからず!!引退の難しさ、権力にしがみつく落し穴!今の世、も変わらない歴史かな!
この時の秀吉の織田政権の簒奪手口が秀吉の死去後に似たような経緯で家康にやられるんだよなあとこの合戦のせいで前田利家ってなんか嫌なんよ
前田は勝家に命救われてるのに
アナウンスの声が、芥川也寸志さんに似ていて内容も分かりやすくただ史実を時系列に上手くまとめられていますね、感服しました。今日はついつい四話も拝聴してしまいました
この動画面白い、賤ヶ岳の合戦秀吉楽勝かと思いきや、正しく薄氷を踏む勝利だつたとは、勉強になりました。
丹羽長秀らと共謀して秀信の家督を剥奪して「羽柴」名乗らせて羽柴秀勝の後釜に置くことで織田宗家筋を信雄に変えるってムーブ、家康が秀頼にやらなかっただけすっごい温情に感じてくる…(家康もその気になれば小早川秀秋辺りにそう誘惑してただろうし)
佐久間盛政が命令違反せず撤退していたとしても、前田利家の戦線離脱は避けられなかったと思うので、柴田軍の士気は下がり、兵の逃亡などによる軍の崩壊により、羽柴軍は勝利していたと思います
とつとつと
信孝の憎しみを剥き出しにした辞世の句人間臭くて大好き
猛将 VS 智将 のイメージが強いです。
どの世界も 謀略 あっての天下取りですね。。
2002の大河、「利家とまつ」では勝家の与力で信長からあわや切腹を
申しつけられそうになった利家を勝家の助け舟で一旦「追放」で収まった
シーンがあった。このように利家は勝家に大恩があったが、逆に勝家に「
旧知の秀吉に付く」よう勧められて利家は秀吉に寝返った。勝家を演じて
いた松平健がかっこうよかった。
「藤吉郎どんとは、戦れんでや……」
「賤ヶ岳の戦い」 では実弟である秀長から秀吉への 「報連相」 が効いていますね。
戦で1番効果が有る
「裏崩れ」見事に成功
関ヶ原でも利長は東軍、利政は西軍寄りの中立
大坂の陣では先陣切って奮戦
勝馬に乗るのが一番上手い前田家(笑)
関ヶ原の戦いと似たような構図
筆っぽいフォントはなんていやつでしょうか
この二人は兎に角水と油だから絶対に融和しないよな
今戦ご解説も、細やかですが、、
いつもいつもお気遣いありがとうございます!
とても励みになります!
秀吉が誰より早く明智を倒せた時点で
その後の秀吉の織田掌握と自身の強権化は決まってたのかもね。
たとえどこでどの大名と戦おうとも。
蜂須賀家政・木村重茲が籠る神明山砦と対峙する前田利家にとって、撤退命令を無視していた佐久間盛政が羽柴秀吉本隊に追われて来るのは青天の霹靂であり、前後を挟まれ壊滅を承知で踏み留まるより自身も撤退をするのは普通でしょう。
あれを裏切りとするのは違うと思います。
本拠地を北陸にした点で終わっている。まだ九州南部の方が勝ち目があった。
お市って相当秀吉嫌いだったんだな😢血が卑しいと思ったのか、顔が嫌いだったのか😢
この戦で秀吉は信長の息子と結果的に妹の命も奪うことになったんですよね。このあと秀吉が地獄に落ちた後に、信長にどんな顔をして会ったのかと気になります。自分もいずれ地獄に落ちた時に二人に聞いてみたいと思っています。
その前に信孝が秀吉に人質として差し出した信孝の実母と実子を秀吉は躊躇なく処刑してますよ。言ってみれば信長の妻と孫を殺した訳です。
僕7本槍の1人の子孫です😊
御先祖がこんな複雑な戦をしていたとは夢にも思いませんでした😅
断腸の裏切りというより前田家を残すための冷静な選択だったのではないでしょうか?
前田利家にとって主君はあくまで織田信長でありこの戦いは織田家は内輪揉めに過ぎなかったと思います。
丹羽長秀が羽柴秀吉に味方した時点で柴田勝家の敗北は決定的であり柴田勝家はオヤジ様と慕う自分の上司ですが、家の存亡を掛けてまで味方するほどの義理は無いと判断したんだと思います。
殿、鞆の浦は備後国ですぞ!吉備国は689年に備前国(後に北部が美作国として分割)、備中国、備後国に分割されておりまする
大変失礼いたしました! 教えてくださりありがとうございます!
現・広島県福山市
佐久間隊が攻める前に秀吉は勝家の隊が永陣と見て第二線の中川隊等の多数を一旦本国に引き上げさせている
中川隊は3000以上いたのがわずか
1000程の兵力に減っていた
このタイミングで第二線への攻撃は
勝家にとっては絶好で秀吉にとっては
痛恨であって一歩間違えれば秀吉の
大敗まであった
大垣でとまったのと丹羽の機転
秀吉のスピード
勝家の消極な戦い方が勝敗を決めた
桶狭間以来20年も同僚として働いていた武将たちが、信長の死の半年後には、敵味方に別れて、共食いを繰り返す。こいつらの関係性ってなんだだったのかな。
ぺらっぺら
柴田程度の知略では、どっちにしろ天下人にはなれない、
何がなんでも天下人になるという野心と覚悟が足らない
乱世に戻るだけ
佐々成政と滝川一益が来てたら勝てた
秀吉の調略力を見抜けなかった、勝家の敗戦!!
晩年の失楽園は秀吉と田中角栄は酷似!!
家康は信長の不用心、秀吉の色欲を自戒し、三百年の天下を築いた!
ただ一言、
驕れる者久しからず!!
引退の難しさ、権力にしがみつく落し穴!
今の世、も変わらない歴史かな!
この時の秀吉の織田政権の簒奪手口が秀吉の死去後に似たような経緯で家康にやられるんだよな
あとこの合戦のせいで前田利家ってなんか嫌なんよ
前田は勝家に命救われてるのに