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源田実があ号作戦の決戦海域を西カロリンと決めてかかりそれに合わせて作戦立案したのも戦略的な失敗乙事件により上層部を一気に失い源田実の暴走を許してしまった
たしかこの1944年6月はヨーロッパ戦線でも大きな戦いがありノルマンディーもこの月だしソ連赤軍の対独大反撃作戦であるバグラチオンも同じ6月。
この敗北以後は全く勝ち目がなくなり、実質的には戦略的に戦争に負けたようなもの。極論すればこの時点で降伏してもいいようなレベルで、以後は空襲含め犠牲者を無駄に増やしただけだった。
捕虜になった海軍首脳が自決もしないのであれば示しが付かんわな。
航空機の戦いをする前に潜水艦にやられた戦いでした。加えて航空機隊の練度不足なのにアウトレンジをやらせたのが敗因でした。
大鳳爆沈の理由は気化したガソリンに引火となっていますが、その後の戦闘詳報から、当時給油した燃料が重油では無く、原油であったことから、燃料タンクからの気化、引火爆発(被雷後に一旦期間を停止して各所点検の後、再稼働時にタービンの火花が引火)らしいです。 気化燃料は、それだけでは引火しません。充満したガスを取り除こうと、動かなくなってしまった第一エレベーターを甲板位置で固定したまま、空気を艦内に取り入れ、気化燃料と空気の比率が燃焼可能になったところで爆発したらしいと考えられています。珊瑚海海戦のレキシントンとよく似ています。 また、日本軍機が米戦闘機隊のレーダー管制誘導で撃墜されたとありますが、当時の管制技術は実はそれほどでも無く、敵味方の識別ができないため、混戦になると、どの点が敵か味方が解らなくなって、管制不能となったそうです。有効だったのは第一次攻撃隊迎撃の時だけだったそうです。第二次攻撃隊は、囮となっていた米旧式戦艦部隊しか発見できず、これを攻撃して対空砲火で多数が撃墜されました。VT信管は、攻撃機の15%ほどしか撃墜できず、残りの戦果は全てBpofos-40mm4連装機銃による撃墜だったようです。さらに、日本が採用した艦船攻撃方法は、ガダルカナルで苦杯をなめさせられた、米陸軍機による「反跳泊撃(スキップ爆撃)」であり、これは防御の薄い輸送船には有効でしたが、防御壁の厚い空母や戦艦では殆ど戦果が無かったとの記述があります。 従って、米空母群の真上で多数の戦闘機が待ち構え、日本軍攻撃委が多数撃墜されたというのは、かなり誤解があります。「マリアナの七面鳥撃ち」は100機程度のことでしかありません。結局は練度の低い搭乗員を長距離爆撃に使用し、ろくに敵を発見できず、燃料が欠乏してグァム基地へ着陸しようとして、そこで待ち構えていた戦闘機群に50機以上が撃墜されました。戦闘機による被害は以上です。後は殆ど敵を発見できずに、空母にも戻れず、遭難した機が多数あったようです。合掌。(もちろん、翔鶴、大鳳とともに沈んだ航空機も多数あったようです。)日本軍の全攻撃機は総数450機程度になりましたが、半数以上が遭難(母艦に帰れずに不時着水)ということです。 結局は搭乗員の練度不足です。ベテランは渾作戦のためにビアク島付近に展開しましたが、ほぼ全員がデング熱とマラリアで動けませんでした。
小沢の陣形は、航空機で打撃を加え、そして強力な前衛の戦艦部隊を中心に全艦突撃させる事に合った。アメリカはこれを察知し、空母の護衛から戦艦部隊を切り離している。しかし、突撃直前に大本営から撤退命令が下り、小沢は激怒しつつ撤退したと言われている。散々に消耗した現有兵力で、小沢は出来る限りの事をやったんだけどね。
艦船、航空機は作ることはできても、なまものであるパイロットが一番作るのに失敗した。空母搭乗員だけでなく、基地隊員の質も落ちていた…。パイロットの質は一つの要素ではあるけども。
小沢中将は名将の1人に挙げられる事が多いが、個人的にはマリアナでアウトレンジ航空攻撃戦法なんてやらかした時点で「現場と現実を知らない頭でっかちのインテリ」としか思えなくなってる。練度不足訓練不足といった現場の責任以前に、飛ばすのが迎撃不能の砲弾と探知&迎撃可能な飛行機では全然事情が違うのが解らんかな?と思ってしまう。三流推理小説の無理繰りトリックみたいで、砲弾代わりにされた飛行機搭乗員可哀想。
日本海軍首脳はアウトレンジ戦法で勝利を確信していた。搭乗員の技量は考えなかったのか…
このマリアナ沖海戦敗北にて、降伏しちゃえば良かったのにといつも思うな。
第二航空戦隊の奥宮参謀は機動部隊の錬度不足に不安を感じ、もう少し敵に近接し「肉を切らせて骨を切る」ぐらいやらないと難しいのではないかと意見具申しましたが、機動部隊司令部の参謀から「アウトレンジ戦法でなければならないんだよ」と言われたそうです。
これ勝てる可能性あったんだよねこの戦力差なら所謂ピュロスの勝利なら十分狙えた。ただ小沢たち海軍はそれを許容できなかった小沢は相打ちなら負けだと強調しあくまでも余裕のある勝利を志向したしかも小沢のビジョンを海軍は共有していなかったそのためどうでもいいビアクで戦力をすり減らしたさらに小沢自身もアウトレンジを標榜する割にそれを実現するための努力は行わなかった。官僚にありがちな、書類が完成すれば実際にも(計画を実行できる)戦力が存在するという重大な思考ミスを犯していた。結局海軍は少なくとも相打ちできる戦力を保持していたにも関わらず一方的に惨敗したこれは海軍官僚たちの無能が招いた当然の結果であり決して不可避の負けイベントなどではない。
い号作戦からずっと航空機で艦船攻撃してもことごとくアメ機動部隊の濃密な対空防御で阻まれて運が良ければ一撃というレベルに落ちていたのに、アウトレンジなんて虫が良すぎる。
では どうしたら完勝できるのでしょうか?味方の被害皆無で敵艦隊と輸送船団撃退して上陸部隊を孤立させて 上陸部隊の保護を条件に休戦交渉へこれが人的被害を防げたシナリオと思っています。日本側に被害が出ては痛み分けでも シナリオどうり行かないので負けたと同じです。搭乗員には 負担のかかる戦法ですが 完勝のかかったこの戦いアウトレンジ戦法しかないと思います。
・・・で、誰がやるの?訓練不足の搭乗員しかおらんのやけど。ブラック企業の管理職みたいなこと言ってんぞ。
@@緑茶-l1r 無理な戦法難しい戦法ですが ほか戦法では 他に完勝の可能性がある戦法があるなら返信お願いします。最も結果がわかっているからわたしの意見も間違いかもしれませんが 。ただこの戦いのあとの戦死された人の割合がかなり高くなった感があります。それを感じたのでここは完勝が必要
そうでもないと停戦交渉の選択権がとれない。前文補足
@@中嶋頼男 た た か わ な い。マリアナではね。現存艦隊主義でも搭乗員習熟を待つでもあるだろ。
アウトレンジやるなら、大鳳に戦闘機を露天止+格納庫満載 で攻撃部隊に随伴させる必要があったね。
思えば旧軍は自己兵力の限界を無視した作戦が殆どだった。初戦の奇襲が大成功したばっかりに…
前方展開させた潜水艦による敵主力艦の暫減……これ、対米戦で日本海軍がやりたかったことだよね?
元々はな 潜水艦 航空機などにより敵艦艇を損耗させて自分達に出来る限り有利な状況を作っての決戦
潜水艦、航空機、夜戦(重巡・駆逐艦)で主戦場に来るまでに戦力差をなくすか有利になったところで戦艦主力で殲滅する作戦を想定していたのだから。
同じ轍をレイテでまた踏んだ連合艦隊…
勉強になった!祖父がマリアナ沖海戦で翔鶴の乗組員で飛行機乗りだったって聞いたことがある。生きて帰ってきてくれたけどここまで凄まじい戦いだってことは聞いたこと無かった,,,,
マリアナ沖海戦は、後にマリアナ七面鳥撃ちと言われたのです。海戦終了後小沢艦隊に残っていた、艦載機は35機しかなかったのです。海戦前に、搭載していた艦載機は439機(実働390機)実に92%を失っていたんですよ。
作戦計画文書が敵の手に渡ったのに、そのまま作戦を実行するとかアホ過ぎる。物量や技術だけでなく、指揮官の質でも敵に負けていれば勝てる訳がない。
潜水艦にヤラレまくっている原因について一つは潜水艦を探知するソナーは速力を落とさないと自分自身の騒音で機能しないが日本の艦隊駆逐艦は速力を落とすのを嫌って20~25ノットぐらいで航行しながら潜水艦の潜望鏡を探すという戦術が主に取っていてこれはどうしても後手に回る二つめは艦隊に随伴するタンカーが潜水艦に結構撃沈されてしまっていて艦隊が展開できる範囲が限られてしまい米潜水艦にアタリをつけられやすくなっていた(レイテでも潜水艦に待ち伏せされやすい水道を通らざるを得ず悲劇がおきた)マリアナ沖海戦は本来日本近海で訓練してパラオあたりで待機して迎撃したかったが本土での十分な訓練を行う燃料を運べず前線近くの根拠地に燃料を備蓄するすることもままならなかったのが痛かった
敵の攻撃が届かないところから攻撃機を出す、魚雷を打つ。自分は攻撃されないという都合のいい作戦。肉薄攻撃を忘れたアウトレンジ戦法が敗因の一つかも。
だからといって敵の射程内でまともに殴り合うと戦力が足りないというのもまた事実...
無誘導魚雷で10000以上は、相手が舵を切るだけでまず当たらないからな。
日本の駆逐艦は対艦に特化してるからね……
この作戦だけじゃないが、アメリカ海軍の「真の強者」は空母機動部隊ではなく潜水艦隊だという事が良く判る
艦隊前衛に大和 武蔵などの戦艦部隊を配置して、三式対空弾でアメリカ海軍航空機隊を迎撃しましたが、見事にスルーされたそうです
立ちはだかる、VT信管、レーダ-、もう、もはや、航空機では?潜水艦?
エセックス級空母の搭載機の搭載方法(駐機方法)を教えてください。80ー120機となっていますが。格納庫内に何機くらい積めるのですか。120機も積めば着艦出来るのですか。マリアナ沖海戦の時はエンタープライズやエセックス級は80機搭載艦と120機搭載艦に分かれていたようにおもうのですが。120機も積めば着艦スペースはあるのですか?写真を見ると、発艦用に片側のカタパルト1基のみ。そのスペース以外は艦載機を満載しているモノがありますが。あれがーーー120機ーーー。気になって。お願いします。そうなるとーーー一度発艦すればーーー。インディペンデンス級を含め、何機くらいが空母に着艦出来ずに海へ。日本の伊勢、日向のようになるのでしょうか?しかしアメリカのマリアナ沖海戦での機損は100機ほど。サイパン島の陸上基地をすでに確保してあったのですか?考えすぎですか。気になって。ちなみにニミッツ級航空母艦の艦載機は格納庫内には30機程しか。aircraft carrier flight and hangar deck free pdfでググると。20ページほど繰って下さい。2機のスペースに5機積めると言われたグラマン機。それがなければ何機くらい積めたのか?WW2当時のアメリカ空母の艦載機搭載図を探しているのですが。
分かりやすい説明ありがとうございます!次はレイテ沖海戦の動画もあげてほしいです!
ゲームは良く分からないけど詳しく掘り下げる動画は勉強になります。登録させていただきます。頑張ってください。
アメリカ空母は4軸(スクリュー4つ)4舵。エセックス級空母の旋回性能を教えて下さい。youtube?で原子力空母がドリフト走行をしている映像がありましたが。あれで魚雷が当てられるのですか?千メートルから撃てば当たるはずなのにあたらない。五百メートルでも。三百メートルまで近づいて。と書いてある本もあったような。おねがいします。ちなみに大和は舵をきってから90〜100秒後に舵がききだすそうです。
駆逐艦が潜水艦に負けてるだけでも無理ゲー
乙事件の段階であ号作戦の中身を再検討しておけばよかったんじゃない?
アウトレンジ攻撃ってのは砲撃戦での話だと思ってきたから、航空機を砲弾扱いするって考えがどうにも理解出来ない。
マリアナ沖海戦当時の日本の空母パイロットは実戦経験がなかったのですか?飛行時間は平均で280時間程度だったと思いますが。それと定数どうりの人員しか訓練していないのですか。実戦経験を積まそうとすれば人も飛行機も。真珠湾攻撃のときは中国大陸で活躍していたベテランを引き抜いた?でしたか?まあ日本の機動部隊はパイロット、飛行機の数より空母の搭載可能数の方が常に多かったようですが。確認おねがいします。
この時期にはもう満足に戦える練度のパイロットも少なかったらしいし、数だけはなんとか揃えたもののの上空で満足に編隊も組めないし、敵と遭遇しても逃げ方さえわからないような機が多かったというのを聞いたことがあります(七面鳥を撃つくらい簡単に落とせる)
日本側は未熟パイロット米側は新兵器VT信管を投入、かつレーダー射撃で万全の守備地雷満載の道路を目隠しして走るのと同じくらいの無理ゲー
マリアナに参加した元ヘルキャットのパイロットの話によるとレーダーと無線で誘導してもらい行くと、どうぞ、打ち落としてくださいという位置におれた。一方、生き残りの零戦のパイロットの話では次から次と急降下してくるから対処が難しかったと言っていました。
3割くらいは熟練の戦闘機乗りがまだ居ましたからね。
アメリカ軍は、腹が立ちますね。
毎週のように空母を造船してくるアメリカに勝てるわけないよなぁ・・・
アウトレンジ云々の前に、対潜掃討で潜水艦に駆逐艦やられてるという時点で終わってる・・
物量と技術力の差。最近のネット記事で、マリアナ沖海戦で約3000人の若者たちが命を落としたと紹介されていました。飛行機乗りだったので、皆、頭脳優秀、体格・体力壮健さらに眉目秀麗であり、生きていたら日本の中核と第一線を担える人材ばかりだったそうです。
眉目秀麗が条件なのはお飾りの近衛師団だけだが。
攻撃隊を出しても、練度の低い搭乗員が敵艦隊上空にたどり着けるかはなだ疑問なので、洋上単上飛行できる練度の高い搭乗員を偵察にあてて哨戒機に緒とされ、決戦の前に訓練で少なくない機数が事故で失われていた、半分の戦力を更に減らしてこれでどうやって勝てと、真珠湾の総隊長は戦後英雄になったのに、マリアナの総隊長はトツレの電文を出した後にすぐ撃墜されちゃった。
最後の勝利と言われた南太平洋海戦でさえ対空砲火で沢山やられまくってたのに...学んでないなー
しんみりと見ていたのに「もう艦娘のほうが長くなっちゃった」で大爆笑しちゃったじゃないかww
アメリカはこの1940年代の時点でCICや早期警戒機をすでに持っていたというのがね・・・。E-2ホークアイのご先祖が第二次大戦の時点で飛んでいたのか・・・。
もともと、マリアナは陸上航空兵力の第一航空艦隊定数2000機以上で対応する予定で、空母部隊はおまけのいちづけ。機動部隊のみで戦うことになった時点で負け
マリアナ沖海戦はアメリカ軍が始めてVT信管を使った闘いだが以外にも配備していたのは一隻だけだったそうです。ほとんどは航空機による迎撃が主だったようです。
ろ号作戦の迎撃で使われていた記録もあるようですね。
VT信管砲弾は絶対数は少なかったです。それよりもレーダー管制された艦砲射撃が有効でした。射撃手が照準を合わせれば、コンピュータが敵機の到達予想位置を計算、偏差射撃。それでも一機撃墜すまで平均2000発の弾丸が必要でした。
明解な解説、大変解りやすかったです。大敗を喫していたという認識はあったのですが、これほどとは… 艦これ提督としては胃の痛くなる展開でヤベーという思いをあらたにしました。
わかってても、改めて聞くと悲しい
B29の航続距離とサイパンからの距離が同じなら帰りは燃料無し?
怖いお話しありがとうございました。またお聞かせ下さい。
マリアナの七面鳥撃ち
海軍乙事件で日本の作戦がアメリカに知られたからだよう。日本の上級国民が自分たちのヘマが知れると面子が潰れるんで、黙って作戦を変更せずに日本と兵隊たちを犠牲にしたんだよ。日本の上級国民の罪は重い。
昭和くん
戦史叢書でググると。全104冊。
マリアナ沖海戦での米海軍「日本軍の攻撃お〜激しい( ^ω^)」
空母対空母では最大規模だなぁ🐠
事実上日本の負けが決定した戦。ミッドウェー、ガダルカナル、レイテよりも決定的、、あとは負けを認めたくない負けいくさ
アメリカは戦艦、空母を同時に何隻造れたのでしょうか。1940-1941年計画の13隻。1942-1943年計画の18隻。だったでしょうか。確認お願いします。日本は戦艦、空母を建造出来るのは呉、横須賀、三菱長崎、神戸川崎。この4箇所?同時に4隻ということではないらしいですが。確か横須賀の船台で雲竜型を3隻並べて造る予定が信濃の改装に資材を回したため1隻になったとなにかの本で。福井静夫さんだったか。私の思い違いでしょうか?
他にも、定期点検や損傷艦の対応でも使いますからね。
米国の科学技術及び米海軍の電子戦装備が ここまで進んでいたなど、日本の指揮官は誰も知らなかったのだろうね。まぁ高度なレーダー技術やCICシステムは正確には英国の技術供与があったから可能になったわけですが。戦争の後半は戦後の護衛艦隊と戦闘してるに等しい戦いだったわけです、日本陸海軍も米軍と同様の装備やシステムを運用していない限りこの海戦は絶対に勝てるはずがないです。既に敵の位置や高度、未来位置が司令部に集約され、指揮官がそれを見て指揮をする…近代戦の常識が展開されてたわけですから、アウトレンジ戦法も迎撃システムの前にはただ搭乗員の疲労を増やしただけで何の戦術的意味も無かった。まぁ、向こうも同様なシステムなら確かに勝算もあったわけですけどね。情報を軽んじ、また人や物に金をかけなかったツケを払わせ続けられたのが大東亜戦争です。
映画化してほしいけど、あっけなく大敗したから盛り上がらないストーリーになってしまうのかしら?
そうでしょう
ビジネスマナーを教えたばかりの新入社員に、親会社の重役との折衝をやらせるようなもんだろこれ。結果、会社がなくなりましたとさ。
その時歴史が、怪しい、極秘文書が敵の手に、又暗号解読さらに、基地航空機減少し連携プレー踏んだり蹴ったりです。丸より。
アメリカはゲーム開始時に難易度イージーモード選んでたんだね。
聯合艦隊は本来の目的はサイパン島防衛のはずだが、なぜか米艦隊を攻撃を優先してしまった。2年前の南太平洋海戦時とは格段に向上した米艦隊の防空能力そして米潜水艦の行動が活発した事は、聯合艦隊は把握できていなかった。角田中将指揮のマリアナの陸攻部隊と機動部隊艦載機との共同攻撃のはずだったが陸攻隊は米機動部隊艦載機の攻撃で壊滅。艦載機のみで米艦隊の空母を攻撃する事になったが、米艦載機が使用できなくなれば、戦艦部隊を米艦隊へ突っ込むという虫のいい作戦だった。
目も当てられない惨状
トホホーー
だいたい、日本海軍は、ミッドウエイ海戦で、作戦が米国に漏れていることと、レーダーの重要性を知るべきだった。また、反省がなかったね⁉️
このころの日本は、優秀なパイロットがミッドウェー以降、ほとんど戦死してしまったからな。搭乗員の練度もアメリカと差が開いてしまっている。ミッドウェーでの敗北がほんとうに重くのしかかってる。
乗員が減ったのはガダルカナルとい号作戦ですね。
航空戦でも対潜戦でもいいようにやられまくりですね
日本軍奥義、希望的観測からくる作戦の雑さがここでも発揮結果見事に惨敗、いい加減学習してくれ
プロボクサーとボクシング初心者みたいな一方的な戦い‼️
機密は大事
南方に機動部隊が進出して訓練してたのは本土には油が届かないから少しでも油がとれるところでってことらしいですね。
ちっぽけな油槽戦が敵潜に沈められることなくタウイタウイに入ってきた。これで艦隊が息を吹き返せる。もう戦う前から負けてる。
対空レーザーによる戦闘機隊の配備やコンピューター管制射撃システム、VT信管など技術面での差も大きかったですな!
あまりにも惨めだ
南太平洋海戦で航空機や生き残って居た優秀なパイロットが死んで行ったのが痛かった、もうマリアナの航空戦は中学野球とプロ野球を比べるような物、、
日本海軍のパイロットの階級システムは艦船勤務と似た事をして居るから弊害が有った。兵学校出身の新人パイロットは腕が未熟なのに待遇は良く叩き上げで下士官から士官に成った熟練パイロットは兵学校士官から格下にされて兵学校出身の人しか航空参謀等の職に成れなかった。
73 moto 思い込みで良い加減な事ばかり書くのやめなよ。情けないよ。
@@hirose795 実際に叩き上げ士官の戦闘機パイロットだった坂井三郎さんは著書の大空のサムライでラバウル航空隊勤務で兵学校出身の新人士官パイロットが配給等の生活面で優遇されて腕が未熟を階級を縦に威張り散らしたのが有ったし日本海軍で海軍兵学校出身者以外で将宦に成れたのは明治初期に海軍将校に成った人か造船、軍医、主計の後方関係の技術者のみで水兵から叩き上げでの一番上の階級は中佐の人しか居ない司令官や参謀の役職は日露戦争以後は兵学校出身者しか居ない。
73 moto 日本軍の階級制度には改革が必要やったんやな、、、
@@焼肉師匠-m3u 陸軍は兵卒出身でも上官からの推薦で士官学校受験が可能で士官に成ったのが226事件で殺害された渡辺錠太郎で渡辺は家が貧しく小学校卒で陸軍に志願して衛生兵として入り一人前の衛生兵に成れれば当時は無料で医師の資格が貰えたから衛生兵に成ったが勤務成績が優秀なので上官から士官学校の受験を勧められて士官学校に合格して士官に成り陸軍大学校に入り陸軍大将にまで昇進して陸軍三大職(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)の教育総監に就任した。逆に海軍では勤務成績が優秀でも水兵、下士官から海軍兵学校の受験は不可能だった。
もう日本に戦う力は…アメリカの工業力の猛威よ…
マリアナの時の搭乗員は未熟者ばかりと言われてますが6割近い搭乗員は2年以上の実戦経験があったそうです。米軍の防空体制も破綻寸前であと一押しがあればもう少し戦果をあげられたと思います。結局は物量に押しきられたって事ですね。我が機動部隊の搭乗員は圧倒的不利の中、勇敢に戦ってくれたと思います。
ですがその搭乗員のほとんどが爆装零戦搭乗員に振分けられてしまったんですよね。鈍重な機体故に高い練度も発揮できず撃墜されることが現実だったそうです。
20隻以上いる空母が一隻や二隻沈んでも、「だから何?」にしかならないが。
乙事件が無かったら💢‼️ベテランパイロットが乗っていたら‼️もう少し歴史が変わっていたかも⁉️
なんでだろうな?じゃない。燃料を手に入れることが出来るからだよ。
78年前マリアナ諸島で奮闘し亡くなった両軍兵士に敬礼!
別名、海のインパール作戦
なおアウトレンジ作戦をしなかったところで勝てたかは話は別な模様そもそもあ号作戦は日本側から侵攻したインパールとは違って戦略的イニシアティブが敵側にあったためその比喩は的を得ていない
アメリカ潜水艦が強すぎて・・・
第一次攻撃隊を発艦させた時に、小沢長官が「よし貰った!」と 勝利を確信した表情を浮かべたと、当時 参謀として同じ艦橋に居た 野村実氏(故人)が語っておられました。敵の 対空レーダー探知能力の高さや 近接信管の登場を知る由も無かったのだから、小沢長官が アウトレンジ戦法による戦果を確信したのも当然だったでしょうね。
野村實氏、あの「東郷ターンは無かった」の野村氏ですよね。この時は軍令部勤務じゃなかったかしら?
小沢さんの頭が1941年で止まっているのが分かって悲しくなるセリフだな。大編隊で奇襲なんてもはや不可能な時代なので、先に仕掛けるかどうかは最早重要ではない。
おもしろかったです。ありがとうございます。
戦力差は無論 やれるなら素晴らしい戦術だが所詮机上の空論そして海軍はさぁ…レイテにしても失態が多くないですかね…
陸軍はよく馬鹿にされているけど、海軍のほうが遥かに無能だった。。。
小沢治三郎含め指揮官クラスはまともだがその上がアホ。
なぜタウイタウイ泊地で訓練したかというと海軍乙事件前のトラック、パラオ空襲で保有タンカーの約1/3を失ってギリギリ届く基地だったからです。もっと言うとパラオ決戦予定の理由は予定のタンカー数ではマリアナまで届かなかったので勝手にパラオに設定しました(結局他所からタンカーを回してマリアナに届きましたが奪われた戦区は困ったでしょうね)
七面鳥撃ち
今、現在の日本も同じような発想で、同じような失敗を繰り返すんじゃない?
大日本帝国➡日本国と変わっても、国民性は変わってないですからね。現場が無能な上層部の犠牲となる図式は今でも健在ですよ
既に繰り返しているよ。
そもそもどれだけ用意してどれだけ残るどれだけ沈む算段だったんだろう戦国時代の合戦の兵士のように烏合の衆ややる気のない雑兵と死を覚悟した一人でも多く巻き添えにしてやろうという鬼のような兵とでは同じ数でも実は大きな違いなのだろう10倍の数を押し返す等、表面だけじゃ解らないよね
そうやって精神論を勘定に入れたから、七面鳥撃ちにされたのだろう。
@@56513haruka カジバーのミステリアスパワーでどないかなるどないかせい!心頭を滅却すれば火もまた涼しいやいや?例え気持ちでは涼しかろうと身体はハッキリと火傷して壊死しますよ痛み止めで痛くなかろうとそれは治ってない治ったから痛くないのではなく痛みを誤魔化してるだけ気持ちはどうあろうと事実は無機質です病は気からしかし気持ちは元気でも実は病気ってのもありますまー?スパロボみたいになぜか精神面が威力に繋がったりしますなんてことはありませんよね現実には気合い入れて爆発させようと寝ぼけて爆発させようと爆発の威力は固定ですから
追伸いまからアメリカに負けない機動部隊を復活させよう
結局は金と資源がないのがはどうしようもないってことなんだ。
当初の予定通り基地航空隊と同時攻撃できてたら米軍の迎撃部隊も息切れ起こしただろうな
敵はそれを見越して、艦隊決戦の前に基地航空隊を壊滅させて満を持して迎え撃ったのがマリアナ沖海戦なんですよ
ある空母で、攻撃隊帰還時刻からしばらく経って、食堂にたくさんのおはぎとお茶が並んでいるのを見た者が「もう次の帰還部隊の分が用意されているのか。」みたいなことを言った所、担当の兵に「誰も帰ってこないんです…」と聞かされて愕然となったという話が怖いです。洋上にバトル・オブ・ブリテンのロンドンのようなレーダー網と無線による航空管制、これを15隻のエセックス級搭載の1000機近い艦載機が実行し、それを抜けても対空砲の槍衾ですから…全部計画通りにやれたとしても、日本の連絡システムで満足な連携は無理ですし、ミッドウェーのような千載一遇の好機も、管制システムがある以上無理でしょう。何人かの手練が魚雷を数発当てるか、数隻を炎上させる、位が関の山ではなかっただろうか。アメリカ空母が日本空母をなかなか発見できなかったのが興味深いです。
作戦開始前から米潜水艦の猛威にさらされました終戦までに日本海軍の艦船は約95%を失いました。そのうち約60%を潜水艦の攻撃で失われたらしいですね(航空機に約30%、敵艦船その他などにより約5%)圧倒的戦力で攻め込んでくるであろう米艦隊を本土から遠方で航空機、潜水艦で敵艦の数を徐々に減らし日本近海で艦隊決戦により雌雄を決するという艦隊決戦思想が根強く残っていたのと太平洋戦争の序盤戦で潜水艦により損害が殆ど無かったために対潜水艦への軽視と装備の脆弱さが一向に改善されることはありませんでした。
偽山縣三郎兵衛 もともと日本の駆逐艦も艦隊決戦の為作られたもん、ろくな対空対潜もできない。
米軍の魚雷は、開戦初期の頃は、不発やらなんやらで性能が低く、日本軍はなめきっていたが、途中から著しく性能向上が図られ、日本側の油断もあって被害が増大した。性能向上の陰に現在のコンピュータの生みの親、フォン・ノイマンがからんでいたとか。
確かにだめな作戦だがもう他に手の打ちようがない。正面から立ち向かっても物量で圧殺されるつまりはもうこの戦いが始まった時点で負け確だった
たとえ乙号事件が無くとも、たとえここで戦略・戦術的に勝利していても、物資と兵士の練度がドン底になっていた日本が戦線を支えられるはずもなく、補給路をアメリカ潜水艦によってほぼ完全に封鎖されてしまっていたので、然程大勢に影響は無かったはずである。日本は兵糧攻めに苦しむ時間が長くなって、餓死者と空襲による被災・死亡者だけが増えてしまうだけだったであろう。まだこのマリアナ沖海戦の直後に講和の打診を行い、戦争を終結させていれば、日本本土での死者は遥かに減らせたはずである。マリアナを抑えられたうえに正規空母3隻と多数の搭乗員と艦船乗りを失った段階で、チェックメイトだったのだ。日本はそこで諦めるべきだったのだ。
この前の段階でトラック島が攻撃されて零戦200機が地上撃破されているのが痛すぎるw
南太平洋海戦で空母艦栽機パイロットを多数失い空母での航空機作戦が不可能な程のダメージになりその後数少ない空母に着艦可能なパイロットをソロモン戦で消耗した。
このときまでに戦闘機が烈風になっていてほしかったですね。攻撃隊の相当数が空戦訓練不足の爆撃機搭乗員が乗る爆装ゼロ戦で、後ろ上方からかかってくるF6Fに一丁の旋回機銃も無く何の反撃もできなかったのも大きかったと思います。一方のアメリカは新戦闘機F6Fをレーダーで正確に誘導できる迎撃システムを完成させ、その後にVT信管を装備した対空砲群が待っているわけで。乙事件がなく、作戦がうまくいったとしても敵いっこなかったような気も。
無線機が使い物にならないかダメ
零戦搭乗員は新米搭乗員が7割近くを締めていましたが、爆装零戦搭乗員はほとんどが真珠湾やラバウル以来の熟練搭乗員で構成されてましたよ
10月のフィリピン決戦まで待てば日本の空母航空戦力は700機くらいになったのでしょうか?雲竜型3隻、伊勢、日向。信濃の完成は11月ですか。
一機艦がタウイタウイに居たのは、内地には燃料が無いからです。700機の飛行機作っても、訓練は出来ないでしょうね。
待ってる内に本土空襲が始まるな。
発想は間違ってないけど現実との差が...5年後の技術か2年前の練度なら成功したかもしれない。
アメリカが質も量も日本を上回った状況だからね
珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦に参戦した超ベテランパイロットですら米軍空母は撃沈不可能で米軍での自沈処分したのに大半は初陣なパイロットにアウトレンジで米軍空母に攻撃は無謀に近い。
飛行時間は十分だけど直前の訓練ができなかったのが痛かったらしいね、そもそもマイナスの要素が多い中では机上の空論に終わったというべきか...これなら思い切って距離詰めた方が華々しい戦いになったかもな。
@@デュパンO 小沢機動部隊総飛行隊長垂井少佐も、「敵はレーダーを持ってるからどんなに遠距離から攻撃しても必ず発見される それならむしろ、未熟な搭乗員に負担のかかるアウトレンジは止めろ」と言ってたそうな
44年の時点ではアメリカ軍のパイロットもベテランに成ってましたし、戦闘機もF6Fに代ってましたので、日本軍の搭乗員が全て熟練搭乗員だったとしてもレーダーにVT信管に護衛空母・護衛艦がビッシリ周りを固めてましたので、結果は余り変わらなかったと思います。要は、技術力の差と質と量が最初から全然違ってたので、たった3年後には熟練搭乗員も残って居なかった訳です。アメリカ空母に大打撃を与えて居たとしても、潜水艦に次々とヤラレてヤッパリ大敗北だったでしょうね。
源田実があ号作戦の決戦海域を西カロリンと決めてかかりそれに合わせて作戦立案したのも戦略的な失敗
乙事件により上層部を一気に失い源田実の暴走を許してしまった
たしかこの1944年6月はヨーロッパ戦線でも大きな戦いがありノルマンディーもこの月だしソ連赤軍の対独大反撃作戦であるバグラチオンも同じ6月。
この敗北以後は全く勝ち目がなくなり、実質的には戦略的に戦争に負けたようなもの。
極論すればこの時点で降伏してもいいようなレベルで、以後は空襲含め犠牲者を無駄に増やしただけだった。
捕虜になった海軍首脳が自決もしないのであれば
示しが付かんわな。
航空機の戦いをする前に潜水艦にやられた戦いでした。加えて航空機隊の練度不足なのにアウトレンジをやらせたのが敗因でした。
大鳳爆沈の理由は気化したガソリンに引火となっていますが、その後の戦闘詳報から、当時給油した燃料が重油では無く、原油であったことから、燃料タンクからの気化、引火爆発(被雷後に一旦期間を停止して各所点検の後、再稼働時にタービンの火花が引火)らしいです。
気化燃料は、それだけでは引火しません。充満したガスを取り除こうと、動かなくなってしまった第一エレベーターを甲板位置で固定したまま、空気を艦内に取り入れ、気化燃料と空気の比率が燃焼可能になったところで爆発したらしいと考えられています。珊瑚海海戦のレキシントンとよく似ています。
また、日本軍機が米戦闘機隊のレーダー管制誘導で撃墜されたとありますが、当時の管制技術は実はそれほどでも無く、敵味方の識別ができないため、混戦になると、どの点が敵か味方が解らなくなって、管制不能となったそうです。有効だったのは第一次攻撃隊迎撃の時だけだったそうです。第二次攻撃隊は、囮となっていた米旧式戦艦部隊しか発見できず、これを攻撃して対空砲火で多数が撃墜されました。VT信管は、攻撃機の15%ほどしか撃墜できず、残りの戦果は全てBpofos-40mm4連装機銃による撃墜だったようです。さらに、日本が採用した艦船攻撃方法は、ガダルカナルで苦杯をなめさせられた、米陸軍機による「反跳泊撃(スキップ爆撃)」であり、これは防御の薄い輸送船には有効でしたが、防御壁の厚い空母や戦艦では殆ど戦果が無かったとの記述があります。
従って、米空母群の真上で多数の戦闘機が待ち構え、日本軍攻撃委が多数撃墜されたというのは、かなり誤解があります。「マリアナの七面鳥撃ち」は100機程度のことでしかありません。結局は練度の低い搭乗員を長距離爆撃に使用し、ろくに敵を発見できず、燃料が欠乏してグァム基地へ着陸しようとして、そこで待ち構えていた戦闘機群に50機以上が撃墜されました。戦闘機による被害は以上です。後は殆ど敵を発見できずに、空母にも戻れず、遭難した機が多数あったようです。合掌。(もちろん、翔鶴、大鳳とともに沈んだ航空機も多数あったようです。)日本軍の全攻撃機は総数450機程度になりましたが、半数以上が遭難(母艦に帰れずに不時着水)ということです。
結局は搭乗員の練度不足です。ベテランは渾作戦のためにビアク島付近に展開しましたが、ほぼ全員がデング熱とマラリアで動けませんでした。
小沢の陣形は、航空機で打撃を加え、そして強力な前衛の戦艦部隊を中心に全艦突撃させる事に合った。
アメリカはこれを察知し、空母の護衛から戦艦部隊を切り離している。
しかし、突撃直前に大本営から撤退命令が下り、小沢は激怒しつつ撤退したと言われている。
散々に消耗した現有兵力で、小沢は出来る限りの事をやったんだけどね。
艦船、航空機は作ることはできても、なまものであるパイロットが一番作るのに失敗した。空母搭乗員だけでなく、基地隊員の質も落ちていた…。パイロットの質は一つの要素ではあるけども。
小沢中将は名将の1人に挙げられる事が多いが、個人的にはマリアナでアウトレンジ航空攻撃戦法なんてやらかした時点で「現場と現実を知らない頭でっかちのインテリ」としか思えなくなってる。練度不足訓練不足といった現場の責任以前に、飛ばすのが迎撃不能の砲弾と探知&迎撃可能な飛行機では全然事情が違うのが解らんかな?と思ってしまう。三流推理小説の無理繰りトリックみたいで、砲弾代わりにされた飛行機搭乗員可哀想。
日本海軍首脳はアウトレンジ戦法で勝利を確信していた。搭乗員の技量は考えなかったのか…
このマリアナ沖海戦敗北にて、降伏しちゃえば良かったのにといつも思うな。
第二航空戦隊の奥宮参謀は機動部隊の錬度不足に不安を感じ、もう少し敵に近接し「肉を切らせて骨を切る」ぐらいやらないと難しいのではないかと意見具申しましたが、機動部隊司令部の参謀から「アウトレンジ戦法でなければならないんだよ」と言われたそうです。
これ勝てる可能性あったんだよね
この戦力差なら所謂ピュロスの勝利なら十分狙えた。
ただ小沢たち海軍はそれを許容できなかった
小沢は相打ちなら負けだと強調しあくまでも余裕のある勝利を志向した
しかも小沢のビジョンを海軍は共有していなかった
そのためどうでもいいビアクで戦力をすり減らした
さらに小沢自身もアウトレンジを標榜する割にそれを実現するための努力は行わなかった。
官僚にありがちな、書類が完成すれば実際にも(計画を実行できる)戦力が存在するという重大な思考ミスを犯していた。
結局海軍は少なくとも相打ちできる戦力を保持していたにも関わらず一方的に惨敗した
これは海軍官僚たちの無能が招いた当然の結果であり
決して不可避の負けイベントなどではない。
い号作戦からずっと航空機で艦船攻撃してもことごとくアメ機動部隊の濃密な対空防御で阻まれて運が良ければ一撃というレベルに落ちていたのに、アウトレンジなんて虫が良すぎる。
では どうしたら完勝できるのでしょうか?味方の被害皆無で
敵艦隊と輸送船団撃退して上陸部隊を孤立させて 上陸部隊の保護を条件に休戦交渉へ
これが人的被害を防げたシナリオと思っています。
日本側に被害が出ては痛み分けでも シナリオどうり行かないので負けたと同じです。
搭乗員には 負担のかかる戦法ですが 完勝のかかったこの戦いアウトレンジ戦法しかないと思います。
・・・で、誰がやるの?
訓練不足の搭乗員しかおらんのやけど。
ブラック企業の管理職みたいなこと言ってんぞ。
@@緑茶-l1r 無理な戦法難しい戦法ですが ほか戦法では 他に完勝の可能性がある戦法があるなら返信お願いします。最も結果がわかっているからわたしの意見も間違いかもしれませんが 。ただこの戦いのあとの戦死された人の割合がかなり高くなった感があります。それを感じたので
ここは完勝が必要
そうでもないと停戦交渉の選択権がとれない。前文補足
@@中嶋頼男 た た か わ な い。マリアナではね。
現存艦隊主義でも搭乗員習熟を待つでもあるだろ。
アウトレンジやるなら、大鳳に戦闘機を露天止+格納庫満載 で攻撃部隊に随伴させる必要があったね。
思えば旧軍は自己兵力の限界を無視した作戦が殆どだった。初戦の奇襲が大成功したばっかりに…
前方展開させた潜水艦による敵主力艦の暫減……これ、対米戦で日本海軍がやりたかったことだよね?
元々はな 潜水艦 航空機などにより
敵艦艇を損耗させて自分達に
出来る限り有利な状況を作っての決戦
潜水艦、航空機、夜戦(重巡・駆逐艦)で主戦場に来るまでに戦力差をなくすか有利になったところで戦艦主力で殲滅する作戦を想定していたのだから。
同じ轍をレイテでまた踏んだ連合艦隊…
勉強になった!祖父がマリアナ沖海戦で翔鶴の乗組員で飛行機乗りだったって聞いたことがある。
生きて帰ってきてくれたけどここまで凄まじい戦いだってことは聞いたこと無かった,,,,
マリアナ沖海戦は、後にマリアナ七面鳥撃ちと言われたのです。海戦終了後小沢艦隊に残っていた、艦載機は35機しかなかったのです。海戦前に、搭載していた艦載機は439機(実働390機)実に92%を失っていたんですよ。
作戦計画文書が敵の手に渡ったのに、そのまま作戦を実行するとかアホ過ぎる。
物量や技術だけでなく、指揮官の質でも敵に負けていれば勝てる訳がない。
潜水艦にヤラレまくっている原因について
一つは
潜水艦を探知するソナーは速力を落とさないと自分自身の騒音で機能しないが
日本の艦隊駆逐艦は速力を落とすのを嫌って20~25ノットぐらいで航行しながら潜水艦の潜望鏡を探す
という戦術が主に取っていてこれはどうしても後手に回る
二つめは
艦隊に随伴するタンカーが潜水艦に結構撃沈されてしまっていて
艦隊が展開できる範囲が限られてしまい米潜水艦にアタリをつけられやすくなっていた
(レイテでも潜水艦に待ち伏せされやすい水道を通らざるを得ず悲劇がおきた)
マリアナ沖海戦は本来日本近海で訓練して
パラオあたりで待機して迎撃したかったが
本土での十分な訓練を行う燃料を運べず
前線近くの根拠地に燃料を備蓄するすることもままならなかったのが痛かった
敵の攻撃が届かないところから攻撃機を出す、魚雷を打つ。
自分は攻撃されないという都合のいい作戦。
肉薄攻撃を忘れたアウトレンジ戦法が敗因の一つかも。
だからといって敵の射程内でまともに殴り合うと戦力が足りないというのもまた事実...
無誘導魚雷で10000以上は、相手が舵を切るだけでまず当たらないからな。
日本の駆逐艦は対艦に特化してるからね……
この作戦だけじゃないが、アメリカ海軍の「真の強者」は空母機動部隊ではなく潜水艦隊だという事が良く判る
艦隊前衛に大和 武蔵などの戦艦部隊を配置して、三式対空弾でアメリカ海軍航空機隊を迎撃しましたが、見事にスルーされたそうです
立ちはだかる、VT信管、レーダ-、もう、もはや、航空機では?潜水艦?
エセックス級空母の搭載機の搭載方法(駐機方法)を教えてください。
80ー120機となっていますが。
格納庫内に何機くらい積めるのですか。
120機も積めば着艦出来るのですか。
マリアナ沖海戦の時はエンタープライズやエセックス級は80機搭載艦と120機搭載艦に分かれていたようにおもうのですが。
120機も積めば着艦スペースはあるのですか?
写真を見ると、発艦用に片側のカタパルト1基のみ。
そのスペース以外は艦載機を満載しているモノがありますが。
あれがーーー120機ーーー。
気になって。
お願いします。
そうなるとーーー一度発艦すればーーー。
インディペンデンス級を含め、何機くらいが空母に着艦出来ずに海へ。
日本の伊勢、日向のようになるのでしょうか?
しかしアメリカのマリアナ沖海戦での機損は100機ほど。
サイパン島の陸上基地をすでに確保してあったのですか?
考えすぎですか。
気になって。
ちなみにニミッツ級航空母艦の艦載機は格納庫内には30機程しか。
aircraft carrier flight and hangar deck free pdf
でググると。
20ページほど繰って下さい。
2機のスペースに5機積めると言われたグラマン機。
それがなければ何機くらい積めたのか?
WW2当時のアメリカ空母の艦載機搭載図を探しているのですが。
分かりやすい説明ありがとうございます!
次はレイテ沖海戦の動画もあげてほしいです!
ゲームは良く分からないけど詳しく掘り下げる動画は勉強になります。
登録させていただきます。
頑張ってください。
アメリカ空母は4軸(スクリュー4つ
)4舵。
エセックス級空母の
旋回性能を教えて下さい。
youtube?で原子力空母がドリフト走行をしている映像がありましたが。
あれで魚雷が当てられるのですか?
千メートルから撃てば当たるはずなのにあたらない。
五百メートルでも。
三百メートルまで近づいて。
と書いてある本もあったような。
おねがいします。
ちなみに大和は
舵をきってから90〜100秒後に
舵がききだすそうです。
駆逐艦が潜水艦に負けてるだけでも無理ゲー
乙事件の段階であ号作戦の中身を再検討しておけばよかったんじゃない?
アウトレンジ攻撃ってのは砲撃戦での話だと思ってきたから、
航空機を砲弾扱いするって考えがどうにも理解出来ない。
マリアナ沖海戦当時の日本の空母パイロットは実戦経験がなかったのですか?
飛行時間は平均で280時間程度だったと思いますが。
それと定数どうりの人員しか訓練していないのですか。
実戦経験を積まそうとすれば人も飛行機も。
真珠湾攻撃のときは中国大陸で活躍していたベテランを引き抜いた?
でしたか?
まあ日本の機動部隊はパイロット、飛行機の数より空母の搭載可能数の方が常に多かったようですが。
確認おねがいします。
この時期にはもう満足に戦える練度のパイロットも少なかったらしいし、数だけはなんとか揃えたもののの上空で満足に編隊も組めないし、敵と遭遇しても逃げ方さえわからないような機が多かったというのを聞いたことがあります(七面鳥を撃つくらい簡単に落とせる)
日本側は未熟パイロット
米側は新兵器VT信管を投入、かつレーダー射撃で万全の守備
地雷満載の道路を目隠しして走るのと同じくらいの無理ゲー
マリアナに参加した元ヘルキャットのパイロットの話によるとレーダーと無線で誘導してもらい行くと、どうぞ、打ち落としてくださいという位置におれた。
一方、生き残りの零戦のパイロットの話では次から次と急降下してくるから対処が難しかったと言っていました。
3割くらいは熟練の戦闘機乗りがまだ居ましたからね。
アメリカ軍は、腹が立ちますね。
毎週のように空母を造船してくるアメリカに勝てるわけないよなぁ・・・
アウトレンジ云々の前に、対潜掃討で潜水艦に駆逐艦やられてるという時点で終わってる・・
物量と技術力の差。最近のネット記事で、マリアナ沖海戦で約3000人の若者たちが命を落としたと紹介されていました。飛行機乗りだったので、皆、頭脳優秀、体格・体力壮健さらに眉目秀麗であり、生きていたら日本の中核と第一線を担える人材ばかりだったそうです。
眉目秀麗が条件なのはお飾りの近衛師団だけだが。
攻撃隊を出しても、練度の低い搭乗員が敵艦隊上空にたどり着けるかはなだ疑問なので、洋上単上飛行できる
練度の高い搭乗員を偵察にあてて哨戒機に緒とされ、決戦の前に訓練で少なくない機数が事故で失われていた、半分の戦力を更に
減らしてこれでどうやって勝てと、真珠湾の総隊長は戦後英雄になったのに、マリアナの総隊長はトツレの電文
を出した後にすぐ撃墜されちゃった。
最後の勝利と言われた南太平洋海戦でさえ対空砲火で沢山やられまくってたのに...
学んでないなー
しんみりと見ていたのに「もう艦娘のほうが長くなっちゃった」で大爆笑しちゃったじゃないかww
アメリカはこの1940年代の時点でCICや早期警戒機をすでに持っていたというのがね・・・。E-2ホークアイのご先祖が第二次大戦の時点で飛んでいたのか・・・。
もともと、マリアナは陸上航空兵力の第一航空艦隊定数2000機以上で対応する予定で、空母部隊はおまけのいちづけ。機動部隊のみで戦うことになった時点で負け
マリアナ沖海戦はアメリカ軍が始めてVT信管を使った闘いだが以外にも配備していたのは一隻だけだったそうです。ほとんどは航空機による迎撃が主だったようです。
ろ号作戦の迎撃で使われていた記録もあるようですね。
VT信管砲弾は絶対数は少なかったです。それよりもレーダー管制された艦砲射撃が有効でした。射撃手が照準を合わせれば、コンピュータが敵機の到達予想位置を計算、偏差射撃。それでも一機撃墜すまで平均2000発の弾丸が必要でした。
明解な解説、大変解りやすかったです。大敗を喫していたという認識はあったのですが、これほどとは… 艦これ提督としては胃の痛くなる展開でヤベーという思いをあらたにしました。
わかってても、改めて聞くと悲しい
B29の航続距離とサイパンからの距離が同じなら帰りは燃料無し?
怖いお話しありがとうございました。
またお聞かせ下さい。
マリアナの七面鳥撃ち
海軍乙事件で日本の作戦がアメリカに知られたからだよう。日本の上級国民が自分たちのヘマが知れると面子が潰れるんで、黙って作戦を変更せずに日本と兵隊たちを犠牲にしたんだよ。日本の上級国民の罪は重い。
昭和くん
戦史叢書でググると。
全104冊。
マリアナ沖海戦での米海軍「日本軍の攻撃お〜激しい( ^ω^)」
空母対空母では最大規模だなぁ🐠
事実上日本の負けが決定した戦。
ミッドウェー、ガダルカナル、レイテよりも決定的、、
あとは負けを認めたくない負けいくさ
アメリカは戦艦、空母を同時に何隻造れたのでしょうか。
1940-1941年計画の13隻。
1942-1943年計画の18隻。
だったでしょうか。
確認お願いします。
日本は戦艦、空母を建造出来るのは
呉、横須賀、三菱長崎、神戸川崎。
この4箇所?
同時に4隻ということではないらしいですが。
確か横須賀の船台で雲竜型を3隻並べて造る予定が
信濃の改装に資材を回したため
1隻になったとなにかの本で。
福井静夫さんだったか。
私の思い違いでしょうか?
他にも、定期点検や損傷艦の対応でも使いますからね。
米国の科学技術及び米海軍の電子戦装備が ここまで進んでいたなど、日本の指揮官は誰も知らなかったのだろうね。まぁ高度なレーダー技術やCICシステムは正確には英国の技術供与があったから可能になったわけですが。
戦争の後半は戦後の護衛艦隊と戦闘してるに等しい戦いだったわけです、日本陸海軍も米軍と同様の装備やシステムを運用していない限りこの海戦は絶対に勝てるはずがないです。既に敵の位置や高度、未来位置が司令部に集約され、指揮官がそれを見て指揮をする…近代戦の常識が展開されてたわけですから、アウトレンジ戦法も迎撃システムの前にはただ搭乗員の疲労を増やしただけで何の戦術的意味も無かった。
まぁ、向こうも同様なシステムなら確かに勝算もあったわけですけどね。
情報を軽んじ、また人や物に金をかけなかったツケを払わせ続けられたのが大東亜戦争です。
映画化してほしいけど、あっけなく大敗したから盛り上がらないストーリーになってしまうのかしら?
そうでしょう
ビジネスマナーを教えたばかりの新入社員に、親会社の重役との折衝をやらせるようなもんだろこれ。
結果、会社がなくなりましたとさ。
その時歴史が、怪しい、極秘文書が敵の手に、又暗号解読さらに、基地航空機減少し連携プレー踏んだり蹴ったりです。丸より。
アメリカはゲーム開始時に難易度イージーモード選んでたんだね。
聯合艦隊は本来の目的はサイパン島防衛のはずだが、なぜか米艦隊を攻撃を優先してしまった。2年前の南太平洋海戦時とは格段に向上した米艦隊の防空能力
そして米潜水艦の行動が活発した事は、聯合艦隊は把握できていなかった。角田中将指揮のマリアナの陸攻部隊と機動部隊艦載機との共同攻撃のはずだったが
陸攻隊は米機動部隊艦載機の攻撃で壊滅。艦載機のみで米艦隊の空母を攻撃する事になったが、米艦載機が使用できなくなれば、戦艦部隊を米艦隊へ突っ込む
という虫のいい作戦だった。
目も当てられない惨状
トホホーー
だいたい、日本海軍は、ミッドウエイ海戦で、作戦が米国に漏れていることと、レーダーの重要性を知るべきだった。また、反省がなかったね⁉️
このころの日本は、優秀なパイロットがミッドウェー以降、ほとんど戦死してしまったからな。搭乗員の練度もアメリカと差が開いてしまっている。ミッドウェーでの敗北がほんとうに重くのしかかってる。
乗員が減ったのはガダルカナルとい号作戦ですね。
航空戦でも対潜戦でもいいようにやられまくりですね
日本軍奥義、希望的観測からくる作戦の雑さがここでも発揮
結果見事に惨敗、いい加減学習してくれ
プロボクサーとボクシング初心者みたいな一方的な戦い‼️
機密は大事
南方に機動部隊が進出して訓練してたのは本土には油が届かないから少しでも油がとれるところでってことらしいですね。
ちっぽけな油槽戦が敵潜に沈められることなくタウイタウイに入ってきた。これで艦隊が息を吹き返せる。もう戦う前から負けてる。
対空レーザーによる戦闘機隊の配備やコンピューター管制射撃システム、VT信管など技術面での差も大きかったですな!
あまりにも惨めだ
南太平洋海戦で航空機や生き残って居た優秀なパイロットが死んで行ったのが痛かった、もうマリアナの航空戦は中学野球とプロ野球を比べるような物、、
日本海軍のパイロットの階級システムは艦船勤務と似た事をして居るから弊害が有った。兵学校出身の新人パイロットは腕が未熟なのに待遇は良く叩き上げで下士官から士官に成った熟練パイロットは兵学校士官から格下にされて兵学校出身の人しか航空参謀等の職に成れなかった。
73 moto
思い込みで良い加減な事ばかり書くのやめなよ。情けないよ。
@@hirose795 実際に叩き上げ士官の戦闘機パイロットだった坂井三郎さんは著書の大空のサムライでラバウル航空隊勤務で兵学校出身の新人士官パイロットが配給等の生活面で優遇されて腕が未熟を階級を縦に威張り散らしたのが有ったし日本海軍で海軍兵学校出身者以外で将宦に成れたのは明治初期に海軍将校に成った人か造船、軍医、主計の後方関係の技術者のみで水兵から叩き上げでの一番上の階級は中佐の人しか居ない司令官や参謀の役職は日露戦争以後は兵学校出身者しか居ない。
73 moto
日本軍の階級制度には改革が必要やったんやな、、、
@@焼肉師匠-m3u 陸軍は兵卒出身でも上官からの推薦で士官学校受験が可能で士官に成ったのが226事件で殺害された渡辺錠太郎で渡辺は家が貧しく小学校卒で陸軍に志願して衛生兵として入り一人前の衛生兵に成れれば当時は無料で医師の資格が貰えたから衛生兵に成ったが勤務成績が優秀なので上官から士官学校の受験を勧められて士官学校に合格して士官に成り陸軍大学校に入り陸軍大将にまで昇進して陸軍三大職(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)の教育総監に就任した。逆に海軍では勤務成績が優秀でも水兵、下士官から海軍兵学校の受験は不可能だった。
もう日本に戦う力は…
アメリカの工業力の猛威よ…
マリアナの時の搭乗員は未熟者ばかりと言われてますが6割近い搭乗員は2年以上の実戦経験があったそうです。米軍の防空体制も破綻寸前であと一押しがあればもう少し戦果をあげられたと思います。結局は物量に押しきられたって事ですね。我が機動部隊の搭乗員は圧倒的不利の中、勇敢に戦ってくれたと思います。
ですがその搭乗員のほとんどが爆装零戦搭乗員に振分けられてしまったんですよね。鈍重な機体故に高い練度も発揮できず撃墜されることが現実だったそうです。
20隻以上いる空母が一隻や二隻沈んでも、「だから何?」にしかならないが。
乙事件が無かったら💢‼️ベテランパイロットが乗っていたら‼️もう少し歴史が変わっていたかも⁉️
なんでだろうな?じゃない。燃料を手に入れることが出来るからだよ。
78年前マリアナ諸島で奮闘し亡くなった両軍兵士に敬礼!
別名、海のインパール作戦
なおアウトレンジ作戦をしなかったところで勝てたかは話は別な模様
そもそもあ号作戦は日本側から侵攻したインパールとは違って戦略的イニシアティブが敵側にあったためその比喩は的を得ていない
アメリカ潜水艦が強すぎて・・・
第一次攻撃隊を発艦させた時に、小沢長官が「よし貰った!」と 勝利を確信した表情を浮かべたと、当時 参謀として同じ艦橋に居た 野村実氏(故人)が語っておられました。
敵の 対空レーダー探知能力の高さや 近接信管の登場を知る由も無かったのだから、小沢長官が アウトレンジ戦法による戦果を確信したのも当然だったでしょうね。
野村實氏、あの「東郷ターンは無かった」の野村氏ですよね。この時は軍令部勤務じゃなかったかしら?
小沢さんの頭が1941年で止まっているのが分かって悲しくなるセリフだな。大編隊で奇襲なんてもはや不可能な時代なので、先に仕掛けるかどうかは最早重要ではない。
おもしろかったです。ありがとうございます。
戦力差は無論 やれるなら素晴らしい戦術だが所詮机上の空論
そして海軍はさぁ…レイテにしても失態が多くないですかね…
陸軍はよく馬鹿にされているけど、海軍のほうが遥かに無能だった。。。
小沢治三郎含め指揮官クラスはまともだがその上がアホ。
なぜタウイタウイ泊地で訓練したかというと海軍乙事件前のトラック、パラオ空襲で保有タンカーの約1/3を失ってギリギリ届く基地だったからです。もっと言うとパラオ決戦予定の理由は予定のタンカー数ではマリアナまで届かなかったので勝手にパラオに設定しました(結局他所からタンカーを回してマリアナに届きましたが奪われた戦区は困ったでしょうね)
七面鳥撃ち
今、現在の日本も同じような発想で、同じような失敗を繰り返すんじゃない?
大日本帝国➡日本国と変わっても、国民性は変わってないですからね。現場が無能な上層部の犠牲となる図式は今でも健在ですよ
既に繰り返しているよ。
そもそもどれだけ用意してどれだけ残るどれだけ沈む算段だったんだろう
戦国時代の合戦の兵士のように烏合の衆ややる気のない雑兵と死を覚悟した一人でも多く巻き添えにしてやろうという鬼のような兵とでは同じ数でも実は大きな違いなのだろう
10倍の数を押し返す等、表面だけじゃ解らないよね
そうやって精神論を勘定に入れたから、七面鳥撃ちにされたのだろう。
@@56513haruka
カジバーのミステリアスパワーで
どないかなる
どないかせい!
心頭を滅却すれば火もまた涼し
いやいや?例え気持ちでは涼しかろうと身体はハッキリと火傷して壊死しますよ
痛み止めで痛くなかろうとそれは治ってない治ったから痛くないのではなく痛みを誤魔化してるだけ
気持ちはどうあろうと事実は無機質です
病は気から
しかし気持ちは元気でも実は病気ってのもあります
まー?
スパロボみたいになぜか精神面が威力に繋がったりしますなんてことはありませんよね現実には
気合い入れて爆発させようと寝ぼけて爆発させようと爆発の威力は固定ですから
追伸
いまからアメリカに負けない機動部隊を復活させよう
結局は金と資源がないのがはどうしようもないってことなんだ。
当初の予定通り基地航空隊と同時攻撃できてたら米軍の迎撃部隊も息切れ起こしただろうな
敵はそれを見越して、艦隊決戦の前に基地航空隊を壊滅させて満を持して迎え撃ったのがマリアナ沖海戦なんですよ
ある空母で、攻撃隊帰還時刻からしばらく経って、食堂にたくさんのおはぎとお茶が並んでいるのを見た者が「もう次の帰還部隊の分が用意されているのか。」
みたいなことを言った所、担当の兵に
「誰も帰ってこないんです…」
と聞かされて愕然となったという話が怖いです。
洋上にバトル・オブ・ブリテンのロンドンのようなレーダー網と無線による航空管制、これを15隻のエセックス級搭載の1000機近い艦載機が実行し、それを抜けても対空砲の槍衾ですから…
全部計画通りにやれたとしても、日本の連絡システムで満足な連携は無理ですし、ミッドウェーのような千載一遇の好機も、管制システムがある以上無理でしょう。
何人かの手練が魚雷を数発当てるか、数隻を炎上させる、位が関の山ではなかっただろうか。
アメリカ空母が日本空母をなかなか発見できなかったのが興味深いです。
作戦開始前から米潜水艦の猛威にさらされました
終戦までに日本海軍の艦船は約95%を失いました。
そのうち約60%を潜水艦の攻撃で失われたらしいですね(航空機に約30%、敵艦船その他などにより約5%)
圧倒的戦力で攻め込んでくるであろう米艦隊を本土から遠方で航空機、潜水艦で敵艦の数を徐々に減らし
日本近海で艦隊決戦により雌雄を決するという艦隊決戦思想が根強く残っていたのと
太平洋戦争の序盤戦で潜水艦により損害が殆ど無かったために対潜水艦への軽視と装備の脆弱さが一向に改善されることはありませんでした。
偽山縣三郎兵衛 もともと日本の駆逐艦も艦隊決戦の為作られたもん、ろくな対空対潜もできない。
米軍の魚雷は、開戦初期の頃は、不発やらなんやらで性能が低く、日本軍はなめきっていたが、途中から著しく性能向上が図られ、日本側の油断もあって被害が増大した。性能向上の陰に現在のコンピュータの生みの親、フォン・ノイマンがからんでいたとか。
確かにだめな作戦だがもう他に手の打ちようがない。正面から立ち向かっても物量で圧殺される
つまりはもうこの戦いが始まった時点で負け確だった
たとえ乙号事件が無くとも、たとえここで戦略・戦術的に勝利していても、物資と兵士の練度がドン底になっていた日本が戦線を支えられるはずもなく、補給路をアメリカ潜水艦によってほぼ完全に封鎖されてしまっていたので、然程大勢に影響は無かったはずである。日本は兵糧攻めに苦しむ時間が長くなって、餓死者と空襲による被災・死亡者だけが増えてしまうだけだったであろう。まだこのマリアナ沖海戦の直後に講和の打診を行い、戦争を終結させていれば、日本本土での死者は遥かに減らせたはずである。マリアナを抑えられたうえに正規空母3隻と多数の搭乗員と艦船乗りを失った段階で、チェックメイトだったのだ。日本はそこで諦めるべきだったのだ。
この前の段階でトラック島が攻撃されて零戦200機が地上撃破されているのが痛すぎるw
南太平洋海戦で空母艦栽機パイロットを多数失い空母での航空機作戦が不可能な程のダメージになりその後数少ない空母に着艦可能なパイロットをソロモン戦で消耗した。
このときまでに戦闘機が烈風になっていてほしかったですね。
攻撃隊の相当数が空戦訓練不足の爆撃機搭乗員が乗る爆装ゼロ戦で、後ろ上方からかかってくるF6Fに一丁の旋回機銃も無く何の反撃もできなかったのも大きかったと思います。
一方のアメリカは新戦闘機F6Fをレーダーで正確に誘導できる迎撃システムを完成させ、その後にVT信管を装備した対空砲群が待っているわけで。
乙事件がなく、作戦がうまくいったとしても敵いっこなかったような気も。
無線機が使い物にならないかダメ
零戦搭乗員は新米搭乗員が7割近くを締めていましたが、爆装零戦搭乗員はほとんどが真珠湾やラバウル以来の熟練搭乗員で構成されてましたよ
10月のフィリピン決戦まで待てば
日本の空母航空戦力は700機くらいになったのでしょうか?
雲竜型3隻、伊勢、日向。
信濃の完成は11月ですか。
一機艦がタウイタウイに居たのは、内地には燃料が無いからです。
700機の飛行機作っても、訓練は出来ないでしょうね。
待ってる内に本土空襲が始まるな。
発想は間違ってないけど現実との差が...5年後の技術か2年前の練度なら成功したかもしれない。
アメリカが質も量も日本を上回った状況だからね
珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦に参戦した超ベテランパイロットですら米軍空母は撃沈不可能で米軍での自沈処分したのに大半は初陣なパイロットにアウトレンジで米軍空母に攻撃は無謀に近い。
飛行時間は十分だけど直前の訓練ができなかったのが痛かったらしいね、そもそもマイナスの要素が多い中では机上の空論に終わったというべきか...これなら思い切って距離詰めた方が華々しい戦いになったかもな。
@@デュパンO 小沢機動部隊総飛行隊長垂井少佐も、「敵はレーダーを持ってるからどんなに遠距離から攻撃しても必ず発見される それならむしろ、未熟な搭乗員に負担のかかるアウトレンジは止めろ」と言ってたそうな
44年の時点ではアメリカ軍のパイロットもベテランに成ってましたし、戦闘機もF6Fに代ってましたので、日本軍の搭乗員が全て熟練搭乗員だったとしてもレーダーにVT信管に護衛空母・護衛艦がビッシリ周りを固めてましたので、結果は余り変わらなかったと思います。要は、技術力の差と質と量が最初から全然違ってたので、たった3年後には熟練搭乗員も残って居なかった訳です。アメリカ空母に大打撃を与えて居たとしても、潜水艦に次々とヤラレてヤッパリ大敗北だったでしょうね。