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このサマール沖で戦った護衛艦隊タフィ3の活躍は凄まじいもの小部隊で敵主力相手に大立ち回り、釘付けにして計画を破綻させた結果レイテ突入のために犠牲になった全ての艦隊が無駄死彼ら不屈敢闘の働きは見習うべきところが多いにあると思う
カッコよくスマートに見えた海軍も、陸から離れてて実態があまり目につかなかっただけで実際は陸軍よりシゴキやイジメが激しく「洋上の監獄」だったそう。旧軍から途切れることなく生き続けているといわれる海上自衛隊ですが、こんな伝統は残って無いことを祈りたい。
陸軍は実戦部隊ではそれほどいじめはなかったらしい、弾は後ろからでも飛んでくるからね。でも海軍は弾は後ろから飛んでこないのでいじめ放題。夜間一人でいたら後ろから押される可能性はあるけどね。
ブルネイ湾を勇躍抜錨する「栗田艦隊」最後の勇姿ですよね、本来なら「長門」の前に「陸奥」の艦影が・・・
突然の反転をコキ下ろされた栗田中将ですが、現在では艦隊反転は間違いではなかったと、再評価され始めています栗田艦隊は、被害が小さかった大和以外の艦艇がダメージを多く受けていました特に補助艦艇の損傷が深刻だったみたいです他に連戦続きで将兵共に疲労困憊で、オルデンドルフ少将擁する戦艦部隊と戦える状態になかったようで、仮にレイテ湾に突入しても、大敗した可能性が高かったそうです
この判断はチャーチルが戦後に発した「この審判をできるのは栗田と同じ場所に立った者だけ」が全てを語っていると思います。面子で動く司令部、戦意はあるが補給がない現場、主導権を握る敵に対してどれだけの冷静な判断ができたか考えても厳しいと思います。
名も無き戦史マニア 負けた指揮官に甘すぎだね。こう言うマインドだから戦争に負けるんだよ
カツアゲ番長 負けた責任は栗田ではなく、そんな作戦をした連合艦隊で、栗田だけが責められるもんじゃないですよというか反転しなくても失敗は確実だったんですから突入してたら作戦が成功してたなら批判に値しますが、突入しても成功してない状況なんですから中止反転の判断が現場指揮官として当然の判断です
チャンモンモン じゃ、特攻隊とか囮艦隊はなんのために死んだんだ?
@@カツアゲ番長 連合艦隊の無能に決まっているじゃないか、戦略で負けているのに少ない戦力で戦術的になんとかできると思うか。少なくともアメリカが上陸した直後に出港したならともかく、栗田の手配した燃料でレイテに突入予定日に出港しているんだから話にならない。
カツアゲ番長 さん常識的に考えてください彼らは戦争してるんですから、作戦目的達成のための犠牲はでます栗田艦隊側だって、ここまでの道中武蔵を始め多くの艦艇を失って犠牲を払っていますだが「犠牲を無駄にするのか」と言って現状を無視して作戦継続を強行するのは美名を利用して相手に思考停止を強要する行為で、非常に無責任な発言だと思いますよそれがまかり通るなら艦隊司令長官などの現場責任者なんかいりません軍隊の常識を知らず「命令は絶対服従」という基本論思考停止か知らない人が、こう言った栗田の判断に対して死んでいった将兵を無駄死にさせたと喚き立てているのですが、そんな阿呆な理論が戦場でまかり通るなら、どこの国の軍隊も前線指揮官など入りませんし撤退などせずに壊滅しまくるだけです犠牲と作戦継続の可否を同じ天秤に乗せてはいけないんですよまあそれができない将兵何多かったのが大日本帝国海軍だった訳ですがそして犠牲の責任を問うのなら、それはそんな犠牲が多く出る作戦を指示している連合艦隊司令部が1番の責任者であり、それが私が最初から言っている理由です他の方も書いてますが、そもそも作戦では敵上陸二日以内の突入で、それ以降だと上陸軍も内陸まで侵攻して在地の日本軍と交戦し、敵味方入り乱れて攻撃できなくなるだが米軍が上陸を開始した20日朝時点で、栗田艦隊は事前の作戦内容に従って最終補給地点のブルネイに移動中(昼に到着)で即突入など出来ないし、着いたら着いたで連合艦隊が手配する筈の補給船がおらず、補給できない状況栗田がもしもに備えて指示していた補給船2隻が翌日到着予定で、結局栗田艦隊は22日未明まで出撃できない状況だったつまり突入しても米攻略部隊を撃滅するのはほぼ無理な状況だったでも連合艦隊は作戦内容の修正も殆どせずに突入日を25日(上陸して5日目)に繰り下げて作戦を決定した基地航空隊が米機動部隊を壊滅する事が前提の作戦(よく言われる小沢艦隊が敵を吊り上げる囮作戦というのは、本来は米機動部隊を基地航空隊が攻撃しやすい地点まで吊り上げる(そして副次的に栗田艦隊の突入を支援する)のが目的であり、栗田艦隊を敵空襲の脅威から完全に衛る主旨のものではないなのに連合艦隊は小沢艦隊に栗田艦隊を敵空襲の脅威から衛るのを全て押し付けた搭載する艦載機も連合艦隊側が半ば強引に取り上げた直後にそして小沢艦隊は実際にはその脅威を取り払うことに失敗した(まあ案の定ではあるのですが)24日夕刻に吊り上げることに成功したのは事実だが、既にその時点で栗田艦隊は大空襲を受けて基幹の武蔵を失った表面上は成功しているようで中身は失敗しているこれらの失敗は連合艦隊の責任だろう既に無意味かつ危険になった突入作戦を継続させたこと一艦隊では無理な栗田艦隊への間接支援を命じて一艦隊を壊滅させたことこういった客観的でない神頼みのような作戦を強行して戦力と人員を枯渇させ、続いていくレイテやフィリピン防衛戦で島で戦う陸軍将兵の命綱である補給船の確保に回す艦艇をなくしてしまったことどれも連合艦隊司令部の責任ですね
いつもありがとう。霊夢ちゃんの『うん』が可愛くて大好きです。これからも平和なお花畑の世に警鐘をお願い致します。
動画に対して補足すると「小沢艦隊の囮作戦成功について」この情報は、残念ながら他の部隊、栗田艦隊や志摩艦隊、フィリピンで航空隊を出していた第二航空艦隊や特攻攻撃を推進していた第一航空艦隊、そして本土で作戦指導する連合艦隊や軍令部には届いていませんでした映画とか栗田批判の書籍とかでは届いているかのような表現をして、それを元にして話を進めたり栗田批判をしたりしているのもありますが、そのような事実は全くありません小沢艦隊自身も作戦後の報告書に「連絡は他の部隊には届かなかった」と明記しているぐらいです「突入日について」当初22日にしていたのはこの作戦が(米軍上陸から2日以内に突入すること)となっていたから米軍は20日に上陸している何故2日以内かというと、2日有れば米軍は上陸して内陸部に侵攻して射程外となってしまうし、物資も揚陸し終えて海岸のジャングル等に隠蔽されて場所が分からなくなる。更に在地陸軍部隊の反撃が始まり、敵味方の区別がつかなくなるから我々後世の人間が思うよりも海上艦艇が上陸した敵部隊を、洋上から地上からの支援無しに攻撃するのは難しいのですところが補給の用意がされていなかったなどのゴタゴタで2日以内の突入が無理となり、最終的に25日黎明となり、作戦当初の想定が崩れてしまう開始時点で作戦は崩壊していたわけです※他にも気づいた点があれば追記していきます
追記「栗田は戦後沈黙した」厳密にいうと、栗田は戦後このことについて多くの発言をしています喋らなかったというのは、栗田への取材に失敗した作家が自身の言い訳にそう言い出したのが理由です栗田は戦後のGHQからの調査などで数多く証言しています証言量で言えば小沢とかよりも多いぐらいですその後も親しい人とかに対しては証言をしていましたが、戦後のマスコミが手のひら返しで旧軍人への濡れ衣のような誹謗中傷したことや、レイテでの自身の反転についても、とんでもない内容の記事が出たりしたことでマスコミ嫌いになり、マスコミの取材に関しては断っていたそうです但し知人等ちゃんとした方からの取材要請には答えていますそういった態度を取った栗田に取材できなかった一部のマスコミ人が、自身の力不足をごまかすために「栗田は戦後沈黙した」と、一部事実と異なる事を吹聴し、それが広まってしまったという一因もあります
突入が25日になったのは、明らかにシブヤン海で空襲を受けて反転したのと軽空母艦隊を追い回していたからなのでは。作戦通り余計な事をせずに一目散にレイテ湾に突入していれば護衛のいない米軍上陸船団は大損害を受けていたものと思われる。
鄭宗元 シブヤン海の空襲で遅れた結果突入が25日黎明から日中になったのであって、22日出撃の時点では25日黎明の突入ですよまた栗田艦隊は突入時に「まず近海にいる米水上艦隊を攻撃すること」と命令を受けています突入しても周囲に船団護衛の艦隊がいる事は、囮作戦が成功したとしてもあり得る事ですこういった周囲の艦艇を撃破して突入妨害をされる事を防止するために敵艦隊を排除するのは当然の行為ですそもそも突入を盲目的に守って、自艦隊が損害を被る事も考慮せずに突っ込んでも、それで突入時に艦隊がボロボロになっていたら意味がないです本当に無駄死ですですから、幾ら突入作戦でも空襲が激しく損害が増えるようなら一時反転して空襲をかわすのは当然ですし、敵艦隊を発見したら妨害行動を取られないようにこれを排除するのも当然ですよ批判されるのは結構ですが、その論拠が本末転倒になっていることにお気づきください
@@鄭宗元-b2d www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?NO=3&DB_ID=G0000101EXTERNAL&ID=%24_ID&LANG=default&image_num=3&IS_STYLE=default&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&REFCODE=C08030036600&CN=1アジア歴史資料センターというHPで公開されている当時の各戦闘詳報戦時日誌で、小沢機動部隊司令部の提出した「捷号作戦戦闘詳報」ですここの12Pに10月20日8時台に連合艦隊司令部が打電した「GF電令作第363号」の要旨を小沢艦隊側が記録があります1YBは第一遊撃部隊(栗田艦隊)の略号ですここではっきりと突入は25日黎明と言及されています他にも多くの記録や、関連書籍、当事者の証言も計画された突入日時は25日黎明としています栗田艦隊の作戦行動が突入を25日遅らせただなんて事実はありませんよ失礼ですが、こういった事実無根の頓珍漢な批判が多いのが栗田批判者の特徴だと思います
@@チャンモンモン 先ず認識が成っていない。1944年マリアナ海戦で敗北した時点で帝国は滅亡の淵際にいたのです。この様な事態では艦船の温存など意味がない。「まず近海にいる米水上艦隊を攻撃すること」というのはレイテ湾にいる護衛艦隊を指すのであってガンビア海で敵艦隊を追い回せと言う命令ではないだろう。それにこの作戦は他の艦隊との複雑な連携による作戦であるので、データリンクのない時代においては時間厳守が要求された。空襲を受けたから反転したところで、船が飛行機から逃げられるわけがない。突入時に艦隊がボロボロで結構。もともと上陸船団と心中するくらいの覚悟がなければ成り立たない作戦ではないのか。サッカーで言えば他のメンバーは前に出ているのに球を持っている奴が前に進まないで自分のゴールに引き返したようなものだろう。もう一度書くが、作戦の目的はいかなる犠牲を払おうともレイテ湾にいる上陸船団の撃滅である。艦船の温存ではない。どうせ温存したところでもう燃料がなかった。本末転倒なのはあなたの方だと思うが。
連合艦隊の映画は亡くなった父親に連れられて見に行った記憶があります。まだ子供だったので、瑞鶴の沈没シーンは衝撃的で今でも覚えています。
私も小学二年生でして、戦闘シーンを楽しみしていたんですが、瑞鶴沈没の時に「連れていって下さい!」と金田賢一に負傷兵がしがみつくシーンが恐かった
@@サンライズサンライズ-p6s DVD持っていますが、少年水兵の「連れて行って下さい….………お願いします、お願いします‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️」の絶叫が、本当に恐ろしく切ないです空母瑞鶴の艦内に滝のように大量流入する海水も、より恐怖を掻き立てます本番撮影時は、それだけ大量に水を流すのが、大変だったでしょうね
『徳川家康』などの時代小説で知られる作家・山岡荘八が、海軍報道班員として取材し、戦後執筆した『小説太平洋戦争』に、この事件が描かれています。戦中を経験した作者の、昭和40年代の時点での考え方が読み取れる面白い内容です。昭和40年代の日本人の中にも、戦中の日本人、日本軍の考え方が分らなくなっていること、未来の日本人にも当時のことを理解してもらえるようにと、丁寧な考察、解説が為されています。興味のある方は是非ご一読をお薦めします。特に、現代の視点で語られる解説に違和感を覚える方は是非。
林千勝氏の本もおすすめですよ
所詮小説だけどな
@@まじめかマン別に小説でも中身が良ければ評価には値する。史実を著しく逸脱してるとか、読み手が学術論文書く人じゃなければ別に問題ない。名作と言われるレイテ戦記だってジャンルは小説だ
現場では情報が錯綜していた事、不眠不休の行軍で乗組員の疲労はすでに限界だった事、武蔵、摩耶ら多くのを艦船失い各艦の損傷が激しく突入しても全滅の可能性が高かった事など反転はそれほど悪い判断ではなかったと擁護する意見も近年では多い。
ここでは沈没してないので説明されてないけど、重巡の高雄と妙高も雷撃されて途中で落伍してますしね。栗田艦隊は出撃時の半数以下になっていたし…出撃時 戦艦5隻 重巡洋艦10隻 軽巡洋艦2隻 駆逐艦15隻↓サマール島沖海戦後 戦艦4隻(-1) 重巡洋艦2隻(-8) 軽巡洋艦2隻(±0) 駆逐艦6隻(-9)これで突っ込めと言われてもねぇ…退却時にさらに追撃される可能性もあるわけだし…
予想以上に減り具合が半端無いですね….
結局、終戦直前の段階でも陸海どっちが上かでいがみ合う帝国軍であった
長州と薩摩ってバカなのかねぇ~‥‥
@Srewqon Gasteruyt 海軍が長州出身の幹部がおおくて陸軍が薩摩藩出身の幹部がおおかった気がする。逆かもしれないけど
@Srewqon Gasteruyt そうだったのか(無知すぎる定期)
@@海に行きたい 当時はどちらも東北羽越閥ですよ。だから反日で弱かったのです。
@@TheBikkuri ググったらもうちょっと前からそうやった。薩長は藩閥時代か。(反日で弱いってことはないような気もするが
映画「連合艦隊」。谷村新司の「群青」が主題歌でした。この映画が公開された時、戦艦大和が沈み行く場面ですくっと立ち上がり、画面に向かって敬礼をする紳士の姿があったそうです。
ただの海軍オタクでしょ。いつの時代もそんな奴いますよ。だいたい、映画館席で立ち上がるなんて迷惑行為でしょ?アホですわ、そんな奴。
飢餓に苦しみ、人肉まで食べたフィリピン防衛の陸軍兵士に言わせれば食うに困らず、反撃出来るだけマシだ、って話を思い出す。
8:46「最大の汚点の一つ」最大の汚点がマジでたくさんあるんやなぁ…
感情論や面子が戦争に於いて最大の利敵行為になるんだよな。
こういった不明瞭な作戦や謎の行動などは、SF推理作家の創作意欲を刺激させます。私は昔、檜山良昭先生のSF小説「大逆転シリーズ」にレイテ沖海戦がありまして、あまり読書をしない私が中学の頃に読みふけり、完読した唯一の本でした。
栗田艦隊司令部の脳髄さえ鮮明ならば、勝機はあったでしょうね。スリガオ、もしくはミンダナオ島南部を迂回すれば敵機動部隊から遠ざかることとなり、生存率は上昇するものです。但し輸送部隊やマッカーサー海軍ことキンケード部隊との戦いはまともなものにはならないでしょう。サマール島沖海戦での戦火拡大失敗が栗田指揮の決定的大失敗です。護衛空母の12隻くらいは殲滅に成功しているのが妥当な線です。
@@TheBikkuri 補助空母を正規空母と誤認して追い回して、燃料使ったのも変な話だ。しかも、平時に言われた命中率が全然出てない。敵の速力を考えれば、正規空母かね?と参謀は疑問を持たないといけなかった。思い込みが激しすぎる。
何の関係も無い話
海軍は、台湾沖航空戦での大誤報で大チョンボしていますが、その前に、海軍乙事件で福留参謀長がゲリラに捕虜になり、その時、重要機密書類を奪われる、という大チョンボをしています。このせいでマリアナ沖海戦やサイパン島の戦いが前倒しになり準備不足のまま大敗したので、何かの時に海軍乙事件は取り上げて欲しいと思います。
海軍の戦果誤認もだが、その後堀栄三が飛ばした戦果訂正電報を「だってもう陛下に上奏しちゃったんだもーん」と握りつぶした瀬島隆三はじめ大本営作戦課の方が罪深いと思うわ
何時も楽しく拝見しております。
上陸部隊を叩くのはすでに時間切れ、断続的に空襲を受けてつり出しは失敗だろうとの判断は間違えではないだろう。突入していたらレイテに着く前に艦隊は崩壊しているのは確実だし レイテに着いても袋叩き。そして動画には載っていない重要なことなんだがもう少し反転の決断が遅かったらハルゼーが分派した艦隊につかまっていた、それでも帰投途中空襲を受け能代が撃沈されている。さらにブルネイに着いた時には駆逐艦の燃料は1/5程度になっていた、燃料の残存量からぃってもレイテにたどり着けても帰ってこれない状態。これだけの条件がそろっていて撤退しないのは将官失格。多分突っ込んで全滅していたら状況判断もできない愚将と叩かれていただけだと思う。要は作戦事態が全く達成不可能なものであり、軍事評論家の伊藤正徳さんは無理の集大成であり、そして無理は通らないという道理の証明に終わったと言っていますが全くその通りだと思います。
もともと無理を承知での作戦だろう。どうせ艦隊を温存した所で敗戦して米軍の水爆実験に使われるくらいなら、堂々と全滅した方がマシではないのか。もちろん乗組員に死を命令するのは酷ではあるが、米軍の上陸部隊が打撃を受けてフィリピンに居た陸軍及び民間人30万人は台湾へ撤退できたかも知れない。30万もの同胞の命を救った、それこそ軍人の本望だと思うが。
鄭宗元 無理を承知な作戦なんだから、堂々と戦って死ねこれこそ無責任な発言でしょう軍人だから命令に盲信して無駄に死んでもいいだなんて発想は神風特攻をした連中と大差ないそういう思考をしていると気づかないのが栗田批判者の特徴ですね
@@チャンモンモン なるほど。あんたらにとっては陸軍と民間人30万人は虐殺されても良い存在なんだね。助けるチャンスがあっても見殺しにするべきだと思っているのだね。ところで軍隊の存在意義って何だい。同胞の命と財産を守るのが軍隊の役目だろう。その同胞を見捨てて自分たちだけすたこらさっさと逃げるのが日本海軍なのか。国民はそんな軍隊に税金を払うのは御免だろうな。
@@鄭宗元-b2d あのまま進んでも何にもできないんだけど、作戦が現実に合わなくなったので次の作戦のために撤退するのは何ら間違っていないんだが。撤退した後羽黒は残留して戦い続けているし、駆逐艦は各種の支援任務に就いているんだぞ、これは撤退したからできたことなんだが。あなたにとってはこのような輸送作戦や支援作戦よりなすすべもなく沈んだ方がましだったわけだ。とても理解できない思想だな。
@@nagoyashimin569 羽黒、駆逐艦? 重巡一隻と駆逐艦だけ残して重装備の戦艦艦隊はどうしたんだ。次の作戦って大した意味もない沖縄特攻か。それともビキニ島で米軍の水爆実験の標的になる事かね。あの戦いに負けたら日本は南方航路を断たれてもう後がない。崖っぷちの戦いだったという自覚もないのか。
台湾沖では、大勝利とはいかなくても、敵に損害を与えられれば、と、多数の飛び立つ部隊を見て、祖父は思ったそうです。天候は悪かったそうで、バラバラになったとか…。その後、第一航空艦隊から第二航空艦隊も特攻隊をと、言われたそうですが、初めは断ったらしいです…。祖父の話では、ある席(とても偉い方がいる)では、皆さん、早く戦争を終らせたい。と話していたそうです。『最後の一人になっても戦うと、言う奴もいるが、最後の一人まで戦ったら、日本民族は滅んでしまうじゃないか!』と言ってた方もいたようです。※ 具体的な名前を書くのは控えました。
レイテ沖海戦、とんでもない戦いですね。色々と恐れ入りますがフィリピン防衛戦から大変だね
国破れて艦隊が残るのも恥という既定路線。良くも悪くもお役所仕事ですから、その方針のなかではどのような人材を指揮官に選ぼうと結果はそう変わらない様に思えます。どんな優れた戦術で圧倒的な勝利を重ねても、大局の一部でしかなく戦局を覆し難い戦略レベルでの敗北をつぐなえきれないように
レイテ海戦より残存した大和が菊水作戦に参加せざるを得なかったことからみてもいえることですがそう思うと、長官が作戦の中止を決せられたのはせめてもの救いかと、仏心がさせたなんてことも言われてますし
航空部隊による艦隊へのエアカバーもなく連日の米艦載機の空襲の被害が拡大していく状況で、栗田は追い詰められていたと思います。彼に責任の全てをいうのは無理があると思う。それ以上に海軍全体の戦争戦略のお粗末さや不祥事の数々で、多くの最前線の兵士が無駄に飢餓状況に追い込まれた事実こそ問題だと思います。
利根の黛艦長始め部下は感謝してましたけどね、突入してたら全滅してたと。それを思うと一概に責める気にはなれないなぁ。
軍人が死ぬのを怖がっていたとか笑えないんですけど。大日本帝国は命を差し出すほどの価値も無い国だったのか。
鄭宗元 色んな擁護論者に絡んで反論する行為はストーカーのようですよ利根艦長の発言の趣旨はあなたのいうような命欲しさのものではありません批判するならちゃんと発言内容読んでから批判しなさいよ
鄭宗元 死は死でも無駄死にじゃ意味ねえじゃん。もし俺が軍人の立場になったとして闇雲に突撃して死ぬよりもしっかりと考えて敵に大きい損害を与えて死にたいと思うのは普通じゃない?
こるでる さんそういう普通でない、航空特攻をするよう麾下の航空部隊に迫った大本営参謀と同じ発想しかできていないのが、栗田批判者によくある傾向ですね
@@チャンモンモン あなたたち何か勘違いしてないか。米軍のレイテ湾上陸部隊の前には陸軍20万人と民間人10万人がいたのですよ。栗田艦隊がこいつらにかすり傷一つあたえなかった結果30万人が玉砕したのです。特攻とか闇雲に突撃とか、同胞30万人の命はどうでもよい様な発言は人間性を疑われますね。
まぁ、指揮官のミスなんて開戦したという致命的ミスの前では、ノミみたいな誤差なんだよなぁ()
特に真珠湾攻撃は最悪でしたね。これによって「全米が怒った」状態になってしまったから。当時のアメリカの世論は「何で我々が攻められているわけでもないのに一々日本と闘わなければいかんのだ⁉️」というのが大半で、日本が直にアメリカに手を出さなければ、アメリカは日本と開戦出来なかった。ハルノートとかで挑発に乗ったのが失敗の始まり。
@@藤原鎌平 イギリスとだけならまだ勝機はあった
@谷干城 そも、憲政の常道が続けば負けることないんだよなぁ。(上層部が違えばイギリスだけとかありうるかも)
真珠湾攻撃はドイツが1番迷惑だと思うわ 日本が攻撃したせいで巻き添え食らってアメリカ敵にまわすっていう
参加兵員の生死を分ける点では重要。開戦というだけでは、個別ミクロな生死は決まらないから。
待ってました! じっくり見させてもらうます! 次回の更新も楽しみにしてます!
生き残った者だけが戦訓を残せるのに、口を閉じてしまうというのは、同じ失敗を繰り返すということではないか。
勇猛な判断じゃないから、それを批判されるのを恐れ口を閉ざしたのか…。それでも良いから何か言って欲しかった。沈黙は金なのは日本社会の特徴なのかも知れないが…。何かを言えば叩かれる危険性があるしなあ。
そもそも当人が失敗だと思っているのかどうか。批判されている中で何か言っても、ただ言い訳しているようにしか扱われないと、わたしが彼の立場だったら思う。
何か勘違いしてますが、栗田が戦後口を閉ざしたというのは、戦後彼の取材に失敗した人々が言いたてた捏造で、栗田は戦後GHQへの回答などで多くの証言を残しています。証言量で言えば小沢や豊田よりも多いぐらいです信用ある貴社の取材にも応じています。いい加減なこと書いて批判する一部記者に対して拒否をしてただけで、ちゃんと応じるときは応じていますよ
@@チャンモンモン 未だに、突入ではなく、反転をした判断の理由は謎とされています。生還したのですから「〇〇という理由で反転命令を出した(〇〇には外部情報・艦隊内情報・天候・ピンときたなど)」と発言・手記などで記録を残すべきだったと思うだけです。その記録があれば、謎ではなく判断の良否判定を行い、戦訓と出来るじゃないかと。
@Lunor Garp さん栗田は戦後のGHQによる聞き取り調査でちゃんと理由を説明しています確かレイテ沖海戦の関連書籍でそれが最後に掲載されていたのがありましたねちゃんと説明しているのに、それを無視して「説明していない」と言っていたり、軍事知識の乏しい人が文面読んで理解できずに「この説明には疑問がある」とか言ってるだけだと思いますね
「栗田と宇垣が同じ艦橋に居て果たしてうまくいくかな?」
お前がやってみたら良いんだよ
レイテの「まともに戦っては勝てないからこれまでにないやり方で叩く」って思想自体は凄く良かったと思うんだけどね…
まともでない作戦ではまともな戦果は上がらない言う戦訓だと思うのですが
発想が良かったとしても、まともな作戦を立案できない……😢ご都合主義で失敗して、次にまたご都合主義の無限ループ👎
この時、神風特攻隊が初めて実行された事に触れてましたか?
たとえミッドウェー作戦で負けても四隻の空母が残っていて山本五十六指令長官も生きておられてそしてサマール沖マリアナ沖そしてこのレイテ沖海戦全てに勝たないと日本に勝利はなかったでしょうね。大和も武蔵も大活躍して敵の戦艦空母群を片っ端から沈めていい形で終戦まで持って行けば良かったと思いますね。武蔵を失ったのが痛かったですね。たとえレイテ湾に突入していてもうまく行ったかわからないですね。まだ武蔵が残っていて大和武蔵を中心に突入して活躍すれば何とかなったんじゃあないでしょうか。もうこのレイテ沖海戦の敗北で完全に連合艦隊は壊滅して日米の勝敗は決定しましたね。
戦後だいぶたって小沢さんが入院してた病院に栗田さんがお見舞いに来たと遺族が話してたと、映画連合艦隊のDVDでオマケ収録されてた。
この2ヶ月後に小野田さんがルバング島に赴任したんだよね。
後世の人は神の視点を持っていて、オトリがうまくいっているとかを知っているわけで、それを元に謎の反転呼ばわりは気の毒。その当時の本人のおかれた状況を考えると、取りうる可能性の一つでしかないように思う。
だが、この作戦こそ日本海軍が組織的に運用できる最後の海戦であることは、事前に分かっていたことと、結果的に戦艦大和までも特攻しなければいけなかったこと、それに、もしかしたら、レイテ湾に突入してほとんど無防備の上陸中のアメリカ軍を一方的に叩き、数万の被害をあたえたらさすがに米国世論も厭戦に傾くんじゃないかという予想(実際に、硫黄島の英雄達は戦費を集めるための広告塔としてアメリカ中を回っていたし)から、やはり突入すべきであった。本当に最後の選択肢で、命令を下す人はこれを強く意識づけておくべきだったのだが…
@@TIshida360 さんレイテ湾突入前に、西村艦隊を全滅させた(旧式)戦艦部隊と一戦する必要があるのでは?また、小沢艦隊を全滅させた敵機動部隊からの空襲も一段と激しくなるであろう。結果、すんなりレイテ湾突入でき、大戦果を挙げることとはならなかったのではあるまいか、残念だが。
@@加藤勉-g5p さんスリガオ海峡海戦でアメリカ艦隊の弾薬はかなり減っていた。そして、そもそも栗田氏がやりたかったのは、輸送船への一方的攻撃ではなく、艦隊戦だった。その後、良いところなく活躍の場を無くした戦艦の最後の活躍の場として、やりたかった艦隊戦をやれるってことで望むところでは無かったのか。チャーチルの回顧録で「 勝利は栗田の手中にあるようにみえた。彼がレイテ湾に突入し、マッカーサーの空水陸用艦到隊を壊滅させるのを阻止するものは、何もなかったのである。」と書いている。
@@TIshida360 アメリカ艦隊の弾薬量は栗田には分からない。栗田艦隊は潜水艦や艦載機による攻撃でボロボロにされている中で、栗田の下には西村艦隊全滅、志摩艦隊の撤退報告が入ってくるし、問い合わせても小沢艦隊のおとり作戦成功の報告は入ってこない。基地航空隊の支援も確認できない状況。突入しても戦果もなしに全滅すると考えるのが妥当でしょう。
@@googogoo1 途中少しでも有利な条件で講和に結びつけるためには、そこは冒険が必須だった。万単位で兵士を一方的に叩けるなら、日本軍が望む「最後の一撃の後の講和」ができるかも知れないし、その希望がそこしか無かったからだ。そして、そもそも、そこで安全策を採るなら、最初から日米戦をやるべきではなかった。
私の祖父はフィリピンからの生き残りで、小さい頃に背中の銃弾の跡を見てショックを受けたのを覚えてます。一歩違えば私自身もこの世に存在していなかったかも知れません。祖父は戦争について話す事はあまりなく、ただ総理大臣の靖国参拝の事を聞いた時に「靖国で会おうって皆で言って戦場に行ったんだよ」って何となく悲しそうに言ってました。
栗田氏も海から引き上げられてから、ぶっ通しで作戦指揮だから冷静に指揮せよというのは無理です。
デリンジャー現象説もありますね。栗田艦隊には派手にやって欲しかったね。
上層部は栗田艦長に「死んで来い」なんて言わなかったですし、言えなかったでしょう。ただそれを差し引いても最終的に何が目標・目的なのかがハッキリしなさすぎというか・・・
@谷干城 さん確かに。でもそれならトップは『どんなことがあろうが、刺し違えてでもレイテ湾内の敵輸送部隊は潰してこい』と言わなきゃダメなのでは?そのあたりをあいまいにしたまま出撃してるような気が。
「旗艦は最初から大和じゃなかったんだな」元々この作戦は栗田の第4戦隊(高雄型4隻)を中核とする戦力で行われる事になってて、それじゃ余りにも無理ゲだろうと第1戦隊(大和・武蔵・長門)、第2戦隊(金剛・榛名)などが追加されていったこの時の栗田の身分は第2艦隊司令だったけど、艦隊司令というのは臨時の名誉職みたいな物で、栗田が自分の責任で扱える戦力は第4戦隊の重巡4隻のみで、大和以下の戦艦は『借り物』に過ぎなかった実際、作戦前に大和に司令部を移したかった栗田の希望を海軍は拒絶してる作戦開始直後に潜水艦の雷撃で旗艦愛宕を沈められた栗田司令部は大和に移譲する事になる訳だけど、そこには栗田より格上の宇垣纒中将が第1戦隊司令としており、お客さんというより居候状態だった栗田は宇垣より海軍兵学校の2期先輩だったが、海軍幹部コースの登竜門である海軍大学校を宇垣は甲種に対し栗田は乙種でしか卒業できていない事で出世レースでは実質的に逆転された状態だった言うなれば地方大卒の総務課長がプロジェクトリーダーをやらされ、その下に後輩だけど今や上司同然の東大卒の営業部副部長が付けられたような感じ栗田ターンの決断も栗田の意思だけで行えたものか、彼より出世する事が決定的な部下や同僚たちの圧力によるものだったか、ちょっと微妙
栗田は開戦直後のバタビア沖海戦で魚雷の誤射(というより流れ弾)で陸軍今村中将の輸送艦を沈め、ミッドウェイ海戦では衝突で重巡三隈を沈め、何故か(?)第2艦隊司令に昇進した時にはラバウル空襲で指揮下の艦船の多くを傷つけている決して無能な軍人では無い筈だが失敗ばかりのイメージがあり、軍人が割と重視する『運』の無い軍人だったのは事実だろう
nazca091 捷一号作戦の初期から投入される第一遊撃部隊の戦力に第一戦隊とか、第二艦隊所属の艦艇は入っています第四戦隊だけが中核だったという事実はありませんよ?第二戦隊は確かに途中編入ですが、そもそも第二戦隊は計画立案当初は解隊してて存在していなかった部隊ですしあと艦隊司令長官が臨時の名誉職というのも間違い艦隊司令長官は天皇から任命される親補職で、他の中将が任命される職とは異なり、就任中は大将と同等に扱われる重要な職ですそして作戦時は投入される部隊の指揮官に任命される重要な職であること現場指揮官として作戦を遂行する職です艦隊司令長官が臨時の名誉職だっただなんて話は全くのデタラメですよそもそも臨時職ですらないし大和や武蔵はこの時点で栗田の指揮する第二艦隊所属の第一戦隊麾下の艦艇で借り物ではないし宇垣中将は第一戦隊司令官で栗田司令長官の部下です格上だった事実はないですし何か知りませんが、全く見当違いしておられますよ
太平洋戦争が始まって最初の一年間は大和が連合艦隊の旗艦で山本長官が乗座されてその後の二年間は武蔵が旗艦として頑張ってましたね。天皇陛下も旗艦になった武蔵に乗座されている写真は有名ですよね。武蔵も沈まずにレイテに突入して大戦果を挙げて欲しかったですね。大和武蔵にもっと活躍の場を与えて欲しかったと思います。
この戦いは正直パワポケ2の戦争編150週のイベントの元ネタとしか知らなかったが……色々恐ろしいな。
お疲れ様です 乾坤一擲が 物語ってますなぁ~笑
いつも楽しく視聴させております。「謎の反転」にもそれなりの理由(情報)があったんですね。まぁ日本軍は偵察というか情報収集にて疎かったとも聞いた事がありますし。。。
これは(すでに昭和40年代には言われていたことなのだが)、栗田艦隊や他の艦隊同士でも、連絡がつかなかったため、他の艦隊がどこに居て、戦況がどのようになっているか分からなかったゆえの結果です。また、進撃中にも自身の艦隊で損害が出ており、「状況がわからない中、これ以上艦隊に損害を出すわけにはいかない」という判断だったと言われています。つまり、「仕方がなかった」
うぽつです
この後だったかな?日本海軍は空母信濃を機関として雲龍、天城、葛城、隼鷹、伊勢などで新生機動部隊を作ろうとしたけど資源不足や人員不足で中止になっちゃったんだよな…
瑞鶴と隼鷹、龍鳳と入れ替えて誤魔化すべきだったか。囮艦隊にするなら
味方の損害が大きくてこれ以上粘っても全滅するだけだとして撤退しただけ。謎でも何でもない。
10:37 まさにその通りですね
なお突入してもすでに陸揚げがほぼ終わっている輸送船団を沈めるだけの模様
空荷の船もいるとは思いますが、空荷になった輸送船は次の荷物受け取りにレイテ湾から出航していくので、投錨中の船はまだ船内に荷物が残っているとか陸上げ中の事も十分あるという説も。あと空荷であっても輸送手段そのものが壊滅すると以後の当面の米軍の作戦行動にはかなりの障害がでるかと。(もっとも異常な生産力でリカバリーされるので効果は一時的になりそうなのと、別に突入推奨というわけではないです)
輸送船が不足し遅延が発生したとしても、上陸した米軍を支える程度の船舶はレイテ湾以外に展開してるので、レイテ防衛は困難なのは変わらない日本側はむしろそれによって水上部隊をほぼ失う事になるが米軍側はハルゼー機動部隊がほぼ残っているのだから、彼らがレイテ島への空襲等を継続するしフィリピン全体の海上封鎖も行える結局空の輸送船と栗田艦隊を同じ天秤にかけるってのはあまりに日本側が不利なんですよ
D暗号解読されているのだから、諸々の作戦が失敗して当然。
まぁ、全滅が前提の突入だからなぁ、マトモな頭の人なら反転しちゃうよね。
( ^ ω^) それがね、詳しい動画、意外に無いのよ!💦 霊戦先輩のこんな時期に場違いなぅP、なんだかとてもありがたく何回か観させて頂いてます✌️!栗田のバカが…的な解釈は多いけど私は大岡昇平著レイテ戦記中の「恐怖」が原因に1票です。水木しげるが西村艦隊はもう少し工夫があってもと結んでますが攻撃精神優先の作戦に忠実だった猛将山口多聞提督と同じくらい立派だったと思います! (>_
当時の日本海軍は、日露戦争の日本海海戦以来の艦隊同士の決戦思考に凝り固まっていて、この作戦でも主目的とされていた、敵の輸送船を沈めることの重要性を理解出来ていなかったことが、栗田艦隊の謎の反転の最大の理由だろう。敵の空母を沈めるより、上陸部隊の兵員や武器、燃料、資材、食料を積んだ輸送船を沈めることの方がはるかに重要だということが理解出来ていれば、途中で反転したり、空母を追撃したりすることなく、一直線にレイテ湾に突入していたはずで、最重要の攻撃目標を目の前にして敵空母部隊を求めて反転するなど有り得なかったはずだ。
勘違いされてますよ捷一号作戦では作戦目的は空母撃滅も含んでいますむしろこちらの方が第一目標でした主力である基地航空隊は空母機動部隊を殲滅する事になっています栗田艦隊は作戦を理解していなかったのではなく、日本海軍自体が決戦主義を捨てていなかっただけですよまた「空母よりも輸送船や物資を攻撃するのが第一」というのも、この作戦でそのような設定がされていた事実はありません栗田艦隊に与えられた敵攻略部隊の撃滅は捷一号作戦の目的の一つでしかなく、空母部隊の殲滅も立派な日本海軍が目指した目的に含まれていますあと一直線にレイテ湾を目指せば良かったというのは素人論です一直線に目指して周囲の敵を無視しても、そいつらが妨害攻撃を仕掛け損害を被り、到着したらボロボロだったでは作戦目的は達成できません実際シブヤン海で武蔵が沈み、サマール沖海戦後に進撃を再開しても周囲から空襲を受け続けたんですから手段(突入)ばかり優先して目的(攻略部隊撃滅)が達成できなかったでは本末転倒です
あの連合艦隊は良い映画ですよね❗映画としてですが。
反転しなくても戦争の結果は決まってたような。攻撃した後に追撃された可能性もあったのでは。
それどころか攻撃する前に湾前で無駄に全滅していた可能性も高かったです戦力的に栗田艦隊の数倍のオルテンドルフ艦隊と周辺のタフィ1、2の艦載機の波状攻撃を受けるんですから
後世の人間が栗田ターンとか言うのは酷ですね。
多分栗田艦隊は反転しなくても戦艦部隊とよくて相打ちか、勝利できたとしても翌朝には58機動部隊の追撃を受けて輸送船団に肉薄は厳しかったと思う。まあ、ハワイやミッドウェーでやってきたことをいかせてなかったね。自分ならフィリピンは放棄して戦力を温存し、違う場所に一撃したかなあ。ガダルカナルで大敗した時点で勝敗は決していました。残念です。
そもそもあのアメリカが海で2、3回小突かれたくらいで降参するかよしぶとさと諦めの悪さでは日本以上だぜ
何も言えないけど、救われないな。
結果論として反転は正しかったと思う。下手したら全滅してただろう。沖縄特攻よりは大和にとって意味のある最後になったとは思うが
何で万歳突撃や特攻は良くて艦隊の全滅はいけないのか分からんな。大和は後に意味のない特攻に使われて沈没、長門初め他の艦船も米軍の原爆実験で消えただろ。そっちの方が正しいと言うのはどういう理屈なんだ?もちろん乗組員が生き残ったのはめでたいが、その代わりにフル装備でレイテ湾に上陸した米軍によって20万人の陸軍と民間人が屠殺されたわけだろう。作戦どおり栗田艦隊が西村艦隊と協力してレイテ湾に突入していれば護衛無しの上陸船団を戦闘艦隊で叩けたはずだが。海軍以外は死んでも構わないという考えか?
鄭宗元 レイテ湾に突入して全滅しても作戦目的を果たせないから上陸部隊叩けないし全くの無駄死にで終わるそんなことも理解できないかな〜というか擁護論者に偏った思考しかできていない身で、片っ端に突っかかってくる行為は改めた方がいいよ
でも、虎の子の大和沖縄特攻は今に至るまで決して沖縄を捨て石になぞ考えてなかったという証左にもなるから、それはそれで大きな意味があると思う。後から考えればかもしれないけれど。
サマール島沖海戦、圧倒的火力を誇る栗田艦隊をもってしても敵護衛空母と駆逐艦1隻ずつしか仕留めていない。これだけの火力の差があれば敵護衛空母部隊を全滅出来なきゃおかしい。ここでも日本軍のぼろ負けです。
逃げる箱船(護衛空母)さえ撃沈出来ませんでしたね。
航空戦力には、勝てません。本来なら陸上航空隊が上空を護る予定たしたが出来てない。味方撃ちまであり。自爆攻撃も、なをにも役立ってない。本来ならハルゼーの艦載機に全滅させられます。ハルゼーが馬鹿だったから助かっただけ。
海軍「台湾沖でアメリカ海軍機動隊を単独で壊滅させたやで」陸軍「マ?反撃の大チャンスやん!レイテ攻撃するやで!」海軍「おっ…おう…」結果『連合艦隊壊滅』
なぜ、無線を傍受するまでに時間がかかるのでしょう?モールス信号を書き起こして、暗号表に照らし、さらに文章化して報告するからですかねそれにしても、何時間もかかっていて、どうしてだろう?と思ってしまいます
中継所通すから。
栗田のターン、クリクリターン、クリターン〜♪♪いずれにしても日本に勝ち目なし。枝葉末節なはなし。
東宝の連合艦隊も今観たら考証の粗が出るってもんだなまあ、当時はまだ事実の検証が今程進んでなかった面もあるが
映画とか小説はフィクションだと頭では理解していても、やっぱり影響はでかいよ。映画「二百三高地」での丹波哲郎演じる児玉源太郎が第三軍の参謀たちを無能だと罵倒するシーンがあったりして、第三軍司令部と乃木将軍がずっと無能だと思ってた。
@@Kei-zh9fh あれは司馬遼太郎の影響がでかいからね。NHKのドラマでも同じシーンがあるけど、児玉の第3軍司令部での参謀連中一喝のくだりがあるけど真実性がかなり怪しいようだな。あと連合艦隊なんかマリアナがナレーションだけで済まされるのはまだしも台湾沖には一切の言及がないのは恣意的な感じよね。
chiyo0216 さん映画連合艦隊は、レイテ沖海戦研究の第一資料でもある戦史叢書のレイテ沖海戦関連のところが公開された後の作品なんで、調べようと思えば詳しく調べれたでしょう例えば旗艦の問題で、映画では第一戦隊司令の宇垣が栗田に上申するが栗田に却下されてるけど、史実では栗田らが連合艦隊に上申して却下されているこの事は戦史叢書にもちゃんと記述されているなんで態々そのシーンを入れたのに上申者と却下の決断をした側とを変更する必要があったのか?答えは「栗田は頑迷な提督」というイメージを作るためにそう改変したのだと思われます
@@kansaikontentu 小沢中将の瑞鶴退艦が沈没寸前になってからのように描かれてるけど、実際は米軍の第一波が去ったら早々に乗り換えていたようですね。
chiyo0216 さん厳密にいうと第一波が去って旗艦変更の準備を始めたが、途上で第二次空襲が始まり、瑞鶴は被弾しなかったけど対空戦闘などで変更作業ができず、第二次空襲後に実施したようですこの時点での瑞鶴は戦闘行動には支障なかったのですが、通信設備に損害が出て、命令通達に支障があったので旗艦変更となったそうですなので映画で描かれているような沈みゆく瑞鶴を小沢が敬礼で見送るだなんて事は無かったそうです。沈む時点で移乗した大淀は遠く離れていたようです因みに早々に退艦する小沢に対し、瑞鶴乗員から罵声が飛んだそうですね生還した乗員も、沖縄に寄った際に大淀が近くと罵声が飛んで暴動一歩手前にまでなり、副長たちが必死に止めたという話もあります
海軍乙事件で、作戦内容がアメリカ軍に全部知られていた。アリアナ海戦・レイテ海戦で、潜水艦で痛い目にあった。( 戦艦1(金剛)・空母2・重巡2・駆逐艦4沈没)。海軍が挙げた戦果は、軽空母1(他∶特攻機1・彗星の攻撃1)。また側面援護として、小沢機動部隊や特攻機多数を失った。最後は、第一次ソロモン海戦と同じく、目的地直前でのUターン。これでは、犠牲になった人が、浮かばれない。
だから栗田艦隊全将兵も突破できないと分かっていても湾口に突入して死んでこいっていう発想こそ日本が負けた要因だと思うよそれまでの犠牲を無駄にするな、っていう言葉を使って無駄な死を強要する思考は慎むべきだよ
@@チャンモンモンさま他人事だから無責任な事を言えるのでは。自分らだって、本土決戦しなかったから、此処に存在してる矛盾には。
戦艦大和を最初から旗艦にしていれば良いのに重巡愛宕を旗艦にした潜水艦の攻撃により愛宕沈没する、大和を旗艦にしたが通信班の要員が行方不明になったらしいそれで小沢艦隊のハルゼーの機動部隊を引き寄せる作戦成功の無線が届かったことの原因らしい。
栗田は大和にしたかったのに連合艦隊に却下されました。
台湾沖の戦果誤認のエピソード、午前中に赤レンガに出仕した軍人が、白いテーブルクロスとグラスの並んだ祝宴の準備を目撃、驚いたが用事が終わって通るとすっかり片付けられていた。(どうも誤報だったらしい…なんだって、そりゃ大変じゃないか)栗田長官の立場になれば、武蔵がやられたのは大きかったかも知れないですね、醜態を晒しにいくだけではないかと考えたかも知れない。(西村艦隊の経緯と、補助艦艇が一桁に近い状況を見るとそうなっていたような気がする。)それはそれとして、海軍大学校甲種に行っていないのは重大だったかも。第2艦隊の長官に栗田が指名された際、本人自身が「こんな野武士にやらせちゃ駄目だ」と思っていたそうで、常在戦場なので頼りになると思われたらしいのですが、海軍大学校で戦術戦略を学ぶ機会がなかった辺りで他の上層部と思考(多分会話も)が噛み合わない所があったような気がします。歴戦の上官として、人となりは頼りになったけど、作戦立案などはおそらく遠慮と適材適所の考えからか、学のある参謀たちに任せていたらしい。殆どのチョンボの原因は、この辺りの判断の齟齬、判断を出すよりもよりも指示を求める気質(自戒?)にあるのように思うんですよね。だから嬉しい反面自信は無かったけど、いまどき戦艦部隊が難しい作戦に出ることもないだろう、くらいの認識は自他ともにあったのかも。航空戦の時代に戦艦で突っ込むなんて、誰にとっても初めての無茶苦茶な作戦をこう言う人が背負わされたのは、悲惨なことだと思います。人材が残ってない。他国に比べて、日本の将官の死亡率高すぎませんか?
田ターン難民救済
タターン難民救済
歴史を知っている後年の人間が述べている事は<後出し「じゃんけん」>と同様だと思います。その時代の人達は、最善と考えられた行動をとったのであり、後年の事実を知っている人間が「その当時の分析を行って、未来に生かす」ならともかく、批判だけを行うという事は、私は『卑怯者』が行う行為だと考えますが、如何でしょうか?
自分も、ソレは強く感じますよ。種々様々な場所で、国や人々を守る為に命懸けで戦い、結果敗戦国に成りはしたが出来る全てで足掻いた。確かに、失敗や失態も有っただろう事は想像に難くない。先人達は、命懸けで後に生きるで在ろう我々に貴重な手掛かりを残してくれました。ですが、今の我々は只々一方方向から過去の事ばかりを、針小棒大に批判する。牽いては、その時戦って居た兵隊にすら無駄足や、聞く人が聞けば噴飯物の言葉を投げ掛ける事にも為りかねん発言をさも当たり前の様に口走る。当時に思いを馳せるならば、先ずは先人達が繋いでくれたお陰の今を、深く感謝して然るべきで在るとは思えんのだろうか。
何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか?伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
うちの爺さん、よく生きて帰って来たなぁ🤔
護衛空母ガンビアベイ、護衛駆逐サミュエルロバーツ、フレッチャー駆逐ジョンストン、ホーエル沈没か(@_@)
満身創痍の艦隊、届かない小澤艦隊からの通信。反転やむ無しなのは分かるけど、それでも尚突入して欲しかったと言う気持ちもある。無論、そうなれば多数の将兵が犠牲になるが。
サボ島沖海戦の三川艦隊と同じで、米輸送船団撃滅の好機を逃したのです。
朝からの戦闘で疲れていたんでしょう。航空支援のない戦艦は無力ですから。
たいむ
空母瑞鶴・・・
石油を確保して出撃したのは、台湾沖航空戦の戦果報告による。嘘をついて石油を手に入れた。頭いい。
うるさいのがいなくなれば、後は自由。 戦後の司法取引「命乞い」 A級戦犯無し
この頃から戦果の誤認、改ざん、正しい情報の秘匿をやってんだから、今の政府が同じ事をやってのは当たり前っちゃ当たり前だよな
その反省から、官僚に情報の隠匿改竄は絶対ダメという意識が浸透してて、涙を流して抵抗した2人の部下がいたり、自分は鬱の薬を服用してまで1人で手を汚したけど、最後に一縷の希望の配置転換が自分以外は全員配置転換されてて絶望して命をたったってのは可哀想すぎる。
戦果誤認なんて日本だけでなくアメリカやドイツなどの各国でも頻繁に起こっているそれを改ざんとか邪推するのは客観的ではないと思いますよ?
武士は面子が全てだからな!
面子などという価値観が通じるのは国内もしくはスポーツの世界だけである。対外戦争は如何に相手の予想を上回るか、口八丁手八丁でいかに合理的に立ち回るかという事が全てであり、面子など犬に食わせてしまえと言ったところである。
@@あほ拳コッチー しかし厄介なのは、合理的に立ち回って“平和が戻る”と、今度は面子が物を言う日常がやってくる。そうして面子優先の組織はやがて腐敗し、またやってきた戦乱時に瓦解する。ままならないものです。
台湾で誤認したってあるけど、そんな誤認ってするものなの?
当時の機載レーダーは戦果判別できるほどの代物でなく、戦果確認はもっぱら目視に頼っています。それに加えて、台湾沖航空戦は敵の迎撃を避ける為に夜間~黎明での攻撃が多かった。そのため、味方機が撃墜された火柱まで戦果に加える始末で、それらが積み上げられた結果、あの大戦果が作られてしまったのです。WW2当時の航空機の戦果誤認、特に太平洋戦線はかなり大きいですよ。実際の戦果は申告の数分の一とかがザラです。F6Fの自己申告撃墜記録だけで日本の航空機総生産を超えちゃってるくらいに誤認してます。
@@hiroakimatsushima5 東日本大震災の時の福島原発事故の時を思い出すな。当時の日本の軍人達も現実から目をそらして、自分達に都合の良い情報しか耳に入らなくなってたんだろうか
Kazumasu Ishikawa4おまえはボクシングでラッシュを受けている最中にリングサイドの観客が何人いるか正確に数えられるのか?生死をかけた戦いをしながら数えるってのはそういうことだ。後はいつもの無能大本営が水増ししただけ
台湾沖航空戦の戦果誤認に関しては、優れた情報分析によって「マッカーサー参謀」とあだ名された、大本営陸軍部第2部参謀であった堀英三氏の著書「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」が詳しいです。ぜひご一読をお勧めします。
動画の本筋とは、あまり関係ないと思いますが、「珊瑚海海戦で日本の進撃が止まった」「ミッドウェー海戦で海軍力が逆転した」は間違いだと思いますよ。珊瑚海海戦後も普通に進撃してますし、ミッドウェー海戦で空母が沈没しまくったとしても、パイロットは多く生き残ってますし、翔鶴型や龍驤その他軽空母はかなり残ってます。
ミッドウェー海戦に関しては海軍力が逆転したというよりも、優勢だったのが同等の戦力差になったと言った方が事実に即しているでしょうね言われるようにミッドウェー海戦で熟練パイロットを多く失ったというのは事実じゃなく、戦死したのは参加者の2-3割程度で3/2以上は生還していますしむしろ南太平洋海戦での損耗の方が熟練者を多く失ったと言えますしまあでもこの海戦以後、日本側は攻勢に出ることは遂に出来ず、アメリカ側にイニシアチブを取られ続けたのは事実ですから、ミッドウェー海戦がターニングポイントになったというのは事実でしょうね海軍力というより日米の勢いが逆転したというのが表現の仕方としてあっているんじゃないかな?
連合艦隊が壊滅した段階で休戦交渉を行えば満州国の解体と中国本土・南方の占領地からの撤退、南洋諸島領と台湾を放棄するくらいで済んだだろう……少なくとも空襲で本土が灰燼に帰すことは避けられた。
無理。陸軍が反乱起こす。本土決戦だ。
【連合艦隊】では旗艦を『大和』か『愛宕』かで宇垣纒と栗田武雄は意見が一致しない。「敵の輸送船ごときをたたくのに、虎の子の戦艦を用いる必要があるのか」と栗田の副官?が異論を唱えると宇垣纒は「フィリピンを失えば、南方資源地帯との補給路を断たれ、戦艦はただの鉄くずです」と冷静に判断。しかし栗田は『旗艦変更の要なし』と旗艦変更を退ける。無理に旗艦にした『愛宕』はアメリカ海軍潜水艦『ダーダー』の魚雷を受けて爆沈。あくまでも1981年の、それも映画なので旗艦を『大和』にしていれば状況は多少変わっていたかもしれません。意見のあわない宇垣と栗田が、『後方に敵機動部隊発見』の報を聞くと『北へ向かう』と反転。宇垣が「我々の目標はレイテの敵輸送船団。反転すべきではない」と訴えるものの栗田は反転を決意。映画では機動部隊発見の報を聞いた栗田は副官と耳打ちしていたシーンが気になります。あと西村艦隊と志摩艦隊は映画でも出てこないのでこういった動画はありがたいです。
映画連合艦隊でのその描写は全くのフィクションですよ?史実では旗艦を大和なり武蔵に変更する様意見具申したのは、むしろ栗田達第二艦隊司令部の方です。それを「旗艦変更の様なし」と断ったのは連合艦隊司令部ですよ?あのシーンは栗田を頑迷な提督というイメージを作るための制作側の創作ですこのことは映画制作の時点ですでに出版されていた戦史研究での一次資料である公判戦史戦史叢書にも記述がありますそれを全く違う内容で制作したこの映画が、栗田をどういう立ち位置にしようとしているのかがよくわかる逸話です要は栗田は悪役に仕立て上げているわけです他にもそういうシーンは多くありましたね慎重に動こうとする栗田を、宇垣が「空襲がないのは囮作戦が成功している証だ」といって叱咤するシーンもありますが、実際は栗田艦隊は反転する25日昼の時点でも空襲を受け続けていて「空襲がない」だなんてことはありません何しろ反転した時も空襲を受けてる最中でしたしどの映画でもそうですが、映画やドラマはあくまでもフィクション内容によっては主人側を立てるために相手をあえて貶めて描いてる事がよくあります連合艦隊での栗田の描写はそれが検挙に出てますね
というか映画の内容を事実だと思うのは勉強不足なのを曝け出してますよ娯楽作品を歴史資料と思わない方が良い
「ざる得ない」が気になる
本土決戦の決号作戦をやれば良かったのに。ダウンフォールで原爆10発、サリンガス、炭疽菌、ボツヌス菌、枯れ葉剤、爆撃。で根絶にきても。本土決戦の為に、硫黄島、沖縄の時間稼ぎを無駄にしては、犠牲に成った方々に申し訳ないですから。でも、しなかったんです。自決もせずに。だから、その子孫は此処で栗田氏に偉そうにどうこう言えるのでは。
なんか沸いてるコメが散見されるが...
西村ターンは叩かれる必要はないと思うけど、圧倒的に戦力が劣るタフィ3にボコボコにされたのは叩かれて叱るべきだと思う。
面子で動くと海軍やらシナ共産党のようにろくなことにならんな。今でも同じなのかな、自衛隊を指揮する閣僚は。
栗田には前科がある。セイロン沖海戦の時だったか、敵の艦隊を発見しておきながら突撃せず同じ海域にとどまっていた。この時は南雲艦隊が敵を撃滅し栗田に咎めはなかった。またミッドウェー海戦で撤退するとき、配下の巡洋艦が衝突事故を起こしたが、海に投げ出された将兵を救助もせず現場からトンズラ。自らはまる三日間無線封鎖をして、その間敵のアメリカはもちろん日本の連合艦隊にすら栗田艦隊の居場所がわからなかった。そしてレイテ湾の突入中止だ。確かにレイテに突入したからといって戦況はかわらなかったかもしれない。しかし、それなら特攻で死んだ一般の兵士らはどうなるのか。特攻などしても無駄だからと考えて帰ってきてもよかったのだろうか。
ひろりん セイロン沖海戦に栗田は参戦していない海戦と同時期に行われた小沢治三郎指揮のマレー部隊によるインド洋〜カルカッタ方面の通商破壊作戦に従事していて、センロン沖海戦には加わっていませんよ?この作戦で栗田は熊野、鈴谷、白雲の三隻で北方隊を編成し、小沢治三郎の中央隊ら3隊で3日間にわたり通商破壊戦を実施し、北方隊だけで8隻の商船を撃沈と活躍しています(通商破壊戦全体の戦果は23隻)そもそも与えられた任務は通商破壊戦なんですから、敵艦隊を見かけたらやり過ごすのは通商破壊戦の常識だと思いますが?ミッドウェーでの経緯もよく批判論者が栗田の軍人としての指揮能力を否定する際によく出す話ですが、あなたの書いてる内容は全く事実と異なりますよ衝突事故はミッドウェー海戦で空母3隻を失ったことを知った連合艦隊が、闇雲に命令したミッドウェー基地砲撃命令(南雲機動部隊がやられて制空権を確保できないのに重巡4駆逐2の栗田部隊単独でミッドウェー基地を砲撃せよという無茶苦茶な命令)を受けて進撃していた栗田部隊は、ミッドウェーの至近まで接近した状態で中止命令を受け、本隊への合流を命じられたことで、逆に敵の眼前で単独で撤退しないといけないというピンチになった時、信号の見間違いなどから最上と三隈が衝突事故を起こしてしまったことが発端栗田は直ちに状況を伝えて救援を仰いだが、連合艦隊や上級司令部の第二艦隊からの指示はなく、合流命令は生きているため、健在な旗艦熊野と鈴谷と駆逐艦2隻を率いて本隊合流に向かい、中波した最上に、この時点では損傷軽微だった三隈を護衛につけて撤退させた更に率いていた駆逐艦2隻も洋上で燃料を分け与えた上で最上らの元に向かわせて護衛させているしかし翌朝になり最上らを発見した米軍は、これを損傷した戦艦と誤認して優先的に攻撃、この結果三隈は大破航行不能となり、生存者を救助の上沈没、最上と駆逐艦2隻は無事に退却したという経緯ですまず衝突事故で乗員が海に投げ出された事実はありませんそもそも衝突事故で沈んだ船はありません無線封鎖も緊急要請など必要な電文はちゃんと打っているし、そもそも敵前に単独で航空支援もなく取り残されているんだから無線封鎖は当然の処置です損傷した艦の方により護衛を割いてもいるんですしこのことを逆に栗田批判者は内容を曲解して批判材料にしているんですよレイテ突入中止を、死んだ兵士達の思いを無駄にしたという論法は、かえって卑怯な論方だと思いますよじゃあ栗田艦隊将兵も無駄死にしてこいと言っているのと同じですそんな感覚が受け入れられること自体特攻を容認した大本営の馬鹿参謀達となんら変わらない思考だということに気づかないんでしょうねこう言った感情論で批判して客観的に考えれなかったから、日本海軍は負けたと言えると思いますよ
いずれにせよ、友軍が目の前で戦っているのに反転した栗田が腰抜けと言われても仕方無い。多くの友軍を見捨てたのに、戦後に何も語らなったのも無責任すぎる。
「いずれにせよ」とか「ともかく」とかいう言語で始まるコメントって、大抵自分の考えと異なる論調に反論できない、反論を認めざるを得ない人が強引に自説を通そうとする場合が多いですよね(笑)栗田の反転という判断は、当時の日本海軍の状況判断では逃げるどころか単独で南下してくるハルゼー機動艦隊に突入する危険極まりない判断だったんですけど?この状況判断は日本海軍全体がしていて、軍令部でも反転北上を聞いて軍令部次長(伊藤整一)が「危険だ」と発言してたり、基地航空隊もこの北方を南下していると判断されていたハルゼー機動部隊へ攻撃隊を出す指示をしているし、日本海軍は小沢艦隊の囮作戦は失敗し、ハルゼーは大機動部隊を率いて南下していると当時は皆が判断していたんですよ?囮が成功していたというのは作戦後になって小沢艦隊が帰還して判明した事で、そんな事後にわかったことを当時もわかっていたと妄想して批判するのは見当違い無責任なのはむしろ作戦の根幹の基地航空隊が半壊しているのに、作戦をほぼ変えずに実施命令を出し、作戦を案の定失敗させ大量の艦艇乗員を失わせ、現場指揮官や大本営からの戦訓に基づく意見や具申(航空支援なしの艦艇を作戦に投入するのは無謀)を「根性がないだけだ」と一蹴し、続く沖縄戦でも同様な作戦を指示して大和らを沈めた連合艦隊司令部の方が無責任だし、戦犯ですしかも戦後はそんな愚劣極まる連合艦隊司令部の論調を支持して現場指揮官らに責任を負わそうとする論調に、単純に飛びつく輩が多かった事も栗田批判も源流ですそうした論調に嫌気がさした栗田がマスコミ嫌いになり、晩年取材を拒否したのは当然だったと思います(但し親しい人物とかにはちゃんと証言をしています)
素人がupする内容ではないな ただ航空戦隊の奥村さんだったか奥宮さんだったか当時の海軍の現場の幹部には栗田健夫は凄いと言う人は多い
タカギケンイチ さん映像見る限り、投稿者さんはレイテ沖海戦をよく調べているとは思いますよただ2-30分ほどの動画に収めるには端折らなければいけない点も多く、それが説明不足のように感じてしまうか、勉強不足のように思えてしまったのかなと思いますむしろコメントしてる批判者たちの方が素人感ありありと感じますね
国防よりも、戦艦を守ることを優先した結果ですね。
なんかちゃんと考えもせずな発言にしか見えないですね?
興廃な
卑怯者栗田、全艦レイテに特攻すれば戦局は変わった半分は撃沈されるが帰還必要なし
戦局が変わった(栗田艦隊が全滅して日本の降伏が早まる)
@@kenchinjiru81さま陸軍が認めません。
タクロバンまで4時間。艦載機320機。水上艦隊。たいして相手に何も出来ずに途中で沈む、
なんか、コロナ禍の日本の対応とかぶるな。
その時歴史が、怪しい、雑誌掲載、生前、栗田長官なにも語らず、だけど本当のことを話したらみんなおかしくなる、なんだろう。what 色々調べてみたら三川軍一輸送船を攻撃しない、知りたくない。
海軍乙事件、ダバオ誤報事件、台湾沖航空戦の過大な戦果報告。この3ッでもう負けているわ
このサマール沖で戦った護衛艦隊タフィ3の活躍は凄まじいもの
小部隊で敵主力相手に大立ち回り、釘付けにして計画を破綻させた
結果レイテ突入のために犠牲になった全ての艦隊が無駄死
彼ら不屈敢闘の働きは見習うべきところが多いにあると思う
カッコよくスマートに見えた海軍も、陸から離れてて実態があまり目につかなかっただけで
実際は陸軍よりシゴキやイジメが激しく「洋上の監獄」だったそう。
旧軍から途切れることなく生き続けているといわれる海上自衛隊ですが、こんな伝統は残って無いことを祈りたい。
陸軍は実戦部隊ではそれほどいじめはなかったらしい、弾は後ろからでも飛んでくるからね。
でも海軍は弾は後ろから飛んでこないのでいじめ放題。夜間一人でいたら後ろから押される可能性はあるけどね。
ブルネイ湾を勇躍抜錨する「栗田艦隊」最後の勇姿ですよね、本来なら「長門」の前に「陸奥」の艦影が・・・
突然の反転をコキ下ろされた栗田中将ですが、現在では艦隊反転は間違いではなかったと、再評価され始めています
栗田艦隊は、被害が小さかった大和以外の艦艇がダメージを多く受けていました
特に補助艦艇の損傷が深刻だったみたいです
他に連戦続きで将兵共に疲労困憊で、オルデンドルフ少将擁する戦艦部隊と戦える状態になかったようで、仮にレイテ湾に突入しても、大敗した可能性が高かったそうです
この判断はチャーチルが戦後に発した「この審判をできるのは栗田と同じ場所に立った者だけ」が全てを語っていると思います。
面子で動く司令部、戦意はあるが補給がない現場、主導権を握る敵に対してどれだけの冷静な判断ができたか考えても厳しいと思います。
名も無き戦史マニア 負けた指揮官に甘すぎだね。こう言うマインドだから戦争に負けるんだよ
カツアゲ番長
負けた責任は栗田ではなく、そんな作戦をした連合艦隊で、栗田だけが責められるもんじゃないですよ
というか反転しなくても失敗は確実だったんですから
突入してたら作戦が成功してたなら批判に値しますが、突入しても成功してない状況なんですから中止反転の判断が現場指揮官として当然の判断です
チャンモンモン じゃ、特攻隊とか囮艦隊はなんのために死んだんだ?
@@カツアゲ番長
連合艦隊の無能に決まっているじゃないか、戦略で負けているのに少ない戦力で戦術的になんとかできると思うか。
少なくともアメリカが上陸した直後に出港したならともかく、栗田の手配した燃料でレイテに突入予定日に出港しているんだから話にならない。
カツアゲ番長 さん
常識的に考えてください
彼らは戦争してるんですから、作戦目的達成のための犠牲はでます
栗田艦隊側だって、ここまでの道中武蔵を始め多くの艦艇を失って犠牲を払っています
だが「犠牲を無駄にするのか」と言って現状を無視して作戦継続を強行するのは美名を利用して相手に思考停止を強要する行為で、非常に無責任な発言だと思いますよ
それがまかり通るなら艦隊司令長官などの現場責任者なんかいりません
軍隊の常識を知らず「命令は絶対服従」という基本論思考停止か知らない人が、こう言った栗田の判断に対して死んでいった将兵を無駄死にさせたと喚き立てているのですが、そんな阿呆な理論が戦場でまかり通るなら、どこの国の軍隊も前線指揮官など入りませんし撤退などせずに壊滅しまくるだけです
犠牲と作戦継続の可否を同じ天秤に乗せてはいけないんですよ
まあそれができない将兵何多かったのが大日本帝国海軍だった訳ですが
そして犠牲の責任を問うのなら、それはそんな犠牲が多く出る作戦を指示している連合艦隊司令部が1番の責任者であり、それが私が最初から言っている理由です
他の方も書いてますが、そもそも作戦では敵上陸二日以内の突入で、それ以降だと上陸軍も内陸まで侵攻して在地の日本軍と交戦し、敵味方入り乱れて攻撃できなくなる
だが米軍が上陸を開始した20日朝時点で、栗田艦隊は事前の作戦内容に従って最終補給地点のブルネイに移動中(昼に到着)で即突入など出来ないし、着いたら着いたで連合艦隊が手配する筈の補給船がおらず、補給できない状況
栗田がもしもに備えて指示していた補給船2隻が翌日到着予定で、結局栗田艦隊は22日未明まで出撃できない状況だった
つまり突入しても米攻略部隊を撃滅するのはほぼ無理な状況だった
でも連合艦隊は作戦内容の修正も殆どせずに突入日を25日(上陸して5日目)に繰り下げて作戦を決定した
基地航空隊が米機動部隊を壊滅する事が前提の作戦(よく言われる小沢艦隊が敵を吊り上げる囮作戦というのは、本来は米機動部隊を基地航空隊が攻撃しやすい地点まで吊り上げる(そして副次的に栗田艦隊の突入を支援する)のが目的であり、栗田艦隊を敵空襲の脅威から完全に衛る主旨のものではない
なのに連合艦隊は小沢艦隊に栗田艦隊を敵空襲の脅威から衛るのを全て押し付けた
搭載する艦載機も連合艦隊側が半ば強引に取り上げた直後に
そして小沢艦隊は実際にはその脅威を取り払うことに失敗した
(まあ案の定ではあるのですが)
24日夕刻に吊り上げることに成功したのは事実だが、既にその時点で栗田艦隊は大空襲を受けて基幹の武蔵を失った
表面上は成功しているようで中身は失敗している
これらの失敗は連合艦隊の責任だろう
既に無意味かつ危険になった突入作戦を継続させたこと
一艦隊では無理な栗田艦隊への間接支援を命じて一艦隊を壊滅させたこと
こういった客観的でない神頼みのような作戦を強行して戦力と人員を枯渇させ、続いていくレイテやフィリピン防衛戦で島で戦う陸軍将兵の命綱である補給船の確保に回す艦艇をなくしてしまったこと
どれも連合艦隊司令部の責任ですね
いつもありがとう。
霊夢ちゃんの『うん』が可愛くて大好きです。
これからも平和なお花畑の世に警鐘をお願い致します。
動画に対して補足すると
「小沢艦隊の囮作戦成功について」
この情報は、残念ながら他の部隊、栗田艦隊や志摩艦隊、フィリピンで航空隊を出していた第二航空艦隊や特攻攻撃を推進していた第一航空艦隊、そして本土で作戦指導する連合艦隊や軍令部には届いていませんでした
映画とか栗田批判の書籍とかでは届いているかのような表現をして、それを元にして話を進めたり栗田批判をしたりしているのもありますが、そのような事実は全くありません
小沢艦隊自身も作戦後の報告書に「連絡は他の部隊には届かなかった」と明記しているぐらいです
「突入日について」
当初22日にしていたのはこの作戦が(米軍上陸から2日以内に突入すること)となっていたから
米軍は20日に上陸している
何故2日以内かというと、2日有れば米軍は上陸して内陸部に侵攻して射程外となってしまうし、物資も揚陸し終えて海岸のジャングル等に隠蔽されて場所が分からなくなる。更に在地陸軍部隊の反撃が始まり、敵味方の区別がつかなくなるから
我々後世の人間が思うよりも海上艦艇が上陸した敵部隊を、洋上から地上からの支援無しに攻撃するのは難しいのです
ところが補給の用意がされていなかったなどのゴタゴタで2日以内の突入が無理となり、最終的に25日黎明となり、作戦当初の想定が崩れてしまう
開始時点で作戦は崩壊していたわけです
※他にも気づいた点があれば追記していきます
追記
「栗田は戦後沈黙した」
厳密にいうと、栗田は戦後このことについて多くの発言をしています
喋らなかったというのは、栗田への取材に失敗した作家が自身の言い訳にそう言い出したのが理由です
栗田は戦後のGHQからの調査などで数多く証言しています
証言量で言えば小沢とかよりも多いぐらいです
その後も親しい人とかに対しては証言をしていましたが、戦後のマスコミが手のひら返しで旧軍人への濡れ衣のような誹謗中傷したことや、レイテでの自身の反転についても、とんでもない内容の記事が出たりしたことでマスコミ嫌いになり、マスコミの取材に関しては断っていたそうです
但し知人等ちゃんとした方からの取材要請には答えています
そういった態度を取った栗田に取材できなかった一部のマスコミ人が、自身の力不足をごまかすために「栗田は戦後沈黙した」と、一部事実と異なる事を吹聴し、それが広まってしまったという一因もあります
突入が25日になったのは、明らかにシブヤン海で空襲を受けて反転したのと軽空母艦隊を追い回していたからなのでは。
作戦通り余計な事をせずに一目散にレイテ湾に突入していれば護衛のいない米軍上陸船団は大損害を受けていたものと思われる。
鄭宗元
シブヤン海の空襲で遅れた結果突入が25日黎明から日中になったのであって、22日出撃の時点では25日黎明の突入ですよ
また栗田艦隊は突入時に
「まず近海にいる米水上艦隊を攻撃すること」
と命令を受けています
突入しても周囲に船団護衛の艦隊がいる事は、囮作戦が成功したとしてもあり得る事です
こういった周囲の艦艇を撃破して突入妨害をされる事を防止するために敵艦隊を排除するのは当然の行為です
そもそも突入を盲目的に守って、自艦隊が損害を被る事も考慮せずに突っ込んでも、それで突入時に艦隊がボロボロになっていたら意味がないです
本当に無駄死です
ですから、幾ら突入作戦でも空襲が激しく損害が増えるようなら一時反転して空襲をかわすのは当然ですし、敵艦隊を発見したら妨害行動を取られないようにこれを排除するのも当然ですよ
批判されるのは結構ですが、その論拠が本末転倒になっていることにお気づきください
@@鄭宗元-b2d
www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?NO=3&DB_ID=G0000101EXTERNAL&ID=%24_ID&LANG=default&image_num=3&IS_STYLE=default&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&REFCODE=C08030036600&CN=1
アジア歴史資料センターというHPで公開されている当時の各戦闘詳報戦時日誌で、小沢機動部隊司令部の提出した「捷号作戦戦闘詳報」です
ここの12Pに10月20日8時台に連合艦隊司令部が打電した「GF電令作第363号」の要旨を小沢艦隊側が記録があります
1YBは第一遊撃部隊(栗田艦隊)の略号です
ここではっきりと突入は25日黎明と言及されています
他にも多くの記録や、関連書籍、当事者の証言も計画された突入日時は25日黎明としています
栗田艦隊の作戦行動が突入を25日遅らせただなんて事実はありませんよ
失礼ですが、こういった事実無根の頓珍漢な批判が多いのが栗田批判者の特徴だと思います
@@チャンモンモン 先ず認識が成っていない。1944年マリアナ海戦で敗北した時点で帝国は滅亡の淵際にいたのです。この様な事態では艦船の温存など意味がない。「まず近海にいる米水上艦隊を攻撃すること」というのはレイテ湾にいる護衛艦隊を指すのであってガンビア海で敵艦隊を追い回せと言う命令ではないだろう。それにこの作戦は他の艦隊との複雑な連携による作戦であるので、データリンクのない時代においては時間厳守が要求された。空襲を受けたから反転したところで、船が飛行機から逃げられるわけがない。突入時に艦隊がボロボロで結構。もともと上陸船団と心中するくらいの覚悟がなければ成り立たない作戦ではないのか。サッカーで言えば他のメンバーは前に出ているのに球を持っている奴が前に進まないで自分のゴールに引き返したようなものだろう。
もう一度書くが、作戦の目的はいかなる犠牲を払おうともレイテ湾にいる上陸船団の撃滅である。艦船の温存ではない。どうせ温存したところでもう燃料がなかった。本末転倒なのはあなたの方だと思うが。
連合艦隊の映画は亡くなった父親に連れられて見に行った記憶があります。まだ子供だったので、瑞鶴の沈没シーンは衝撃的で今でも覚えています。
私も小学二年生でして、戦闘シーンを楽しみしていたんですが、瑞鶴沈没の時に「連れていって下さい!」と金田賢一に負傷兵がしがみつくシーンが恐かった
@@サンライズサンライズ-p6s DVD持っていますが、少年水兵の「連れて行って下さい….………お願いします、お願いします‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️」の絶叫が、本当に恐ろしく切ないです
空母瑞鶴の艦内に滝のように大量流入する海水も、より恐怖を掻き立てます
本番撮影時は、それだけ大量に水を流すのが、大変だったでしょうね
『徳川家康』などの時代小説で知られる作家・山岡荘八が、
海軍報道班員として取材し、戦後執筆した『小説太平洋戦争』に、この事件が描かれています。
戦中を経験した作者の、昭和40年代の時点での考え方が読み取れる面白い内容です。
昭和40年代の日本人の中にも、戦中の日本人、日本軍の考え方が分らなくなっていること、
未来の日本人にも当時のことを理解してもらえるようにと、丁寧な考察、解説が為されています。
興味のある方は是非ご一読をお薦めします。
特に、現代の視点で語られる解説に違和感を覚える方は是非。
林千勝氏の本もおすすめですよ
所詮小説だけどな
@@まじめかマン
別に小説でも中身が良ければ評価には値する。史実を著しく逸脱してるとか、読み手が学術論文書く人じゃなければ別に問題ない。
名作と言われるレイテ戦記だってジャンルは小説だ
現場では情報が錯綜していた事、不眠不休の行軍で乗組員の疲労はすでに限界だった事、武蔵、摩耶ら多くのを艦船失い各艦の損傷が激しく突入しても全滅の可能性が高かった事など反転はそれほど悪い判断ではなかったと擁護する意見も近年では多い。
ここでは沈没してないので説明されてないけど、重巡の高雄と妙高も雷撃されて途中で落伍してますしね。
栗田艦隊は出撃時の半数以下になっていたし…
出撃時 戦艦5隻 重巡洋艦10隻 軽巡洋艦2隻 駆逐艦15隻
↓
サマール島沖海戦後 戦艦4隻(-1) 重巡洋艦2隻(-8) 軽巡洋艦2隻(±0) 駆逐艦6隻(-9)
これで突っ込めと言われてもねぇ…退却時にさらに追撃される可能性もあるわけだし…
予想以上に減り具合が半端無いですね….
結局、終戦直前の段階でも陸海どっちが上かでいがみ合う帝国軍であった
長州と薩摩ってバカなのかねぇ~‥‥
@Srewqon Gasteruyt 海軍が長州出身の幹部がおおくて陸軍が薩摩藩出身の幹部がおおかった気がする。逆かもしれないけど
@Srewqon Gasteruyt そうだったのか(無知すぎる定期)
@@海に行きたい 当時はどちらも東北羽越閥ですよ。だから反日で弱かったのです。
@@TheBikkuri ググったらもうちょっと前からそうやった。薩長は藩閥時代か。(反日で弱いってことはないような気もするが
映画「連合艦隊」。谷村新司の「群青」が主題歌でした。この映画が公開された時、戦艦大和が沈み行く場面ですくっと立ち上がり、画面に向かって敬礼をする紳士の姿があったそうです。
ただの海軍オタクでしょ。いつの時代もそんな奴いますよ。だいたい、映画館席で立ち上がるなんて迷惑行為でしょ?アホですわ、そんな奴。
飢餓に苦しみ、人肉まで食べたフィリピン防衛の陸軍兵士に言わせれば食うに困らず、反撃出来るだけマシだ、って話を思い出す。
8:46「最大の汚点の一つ」
最大の汚点がマジでたくさんあるんやなぁ…
感情論や面子が戦争に於いて最大の利敵行為になるんだよな。
こういった不明瞭な作戦や謎の行動などは、SF推理作家の創作意欲を刺激させます。
私は昔、檜山良昭先生のSF小説「大逆転シリーズ」にレイテ沖海戦がありまして、あまり読書をしない私が中学の頃に読みふけり、完読した唯一の本でした。
栗田艦隊司令部の脳髄さえ鮮明ならば、勝機はあったでしょうね。スリガオ、もしくはミンダナオ島南部を迂回すれば敵機動部隊から遠ざかることとなり、生存率は上昇するものです。但し輸送部隊やマッカーサー海軍ことキンケード部隊との戦いはまともなものにはならないでしょう。サマール島沖海戦での戦火拡大失敗が栗田指揮の決定的大失敗です。護衛空母の12隻くらいは殲滅に成功しているのが妥当な線です。
@@TheBikkuri 補助空母を正規空母と誤認して追い回して、燃料使ったのも変な話だ。しかも、平時に言われた命中率が全然出てない。敵の速力を考えれば、正規空母かね?と参謀は疑問を持たないといけなかった。思い込みが激しすぎる。
何の関係も無い話
海軍は、台湾沖航空戦での大誤報で大チョンボしていますが、
その前に、海軍乙事件で福留参謀長がゲリラに捕虜になり、その時、重要機密書類を奪われる、という大チョンボをしています。
このせいでマリアナ沖海戦やサイパン島の戦いが前倒しになり準備不足のまま大敗したので、何かの時に海軍乙事件は取り上げて欲しいと思います。
海軍の戦果誤認もだが、その後堀栄三が飛ばした戦果訂正電報を「だってもう陛下に上奏しちゃったんだもーん」と握りつぶした瀬島隆三はじめ大本営作戦課の方が罪深いと思うわ
何時も楽しく拝見しております。
上陸部隊を叩くのはすでに時間切れ、断続的に空襲を受けてつり出しは失敗だろうとの判断は間違えではないだろう。
突入していたらレイテに着く前に艦隊は崩壊しているのは確実だし レイテに着いても袋叩き。
そして動画には載っていない重要なことなんだがもう少し反転の決断が遅かったらハルゼーが分派した艦隊につかまっていた、それでも帰投途中空襲を受け能代が撃沈されている。
さらにブルネイに着いた時には駆逐艦の燃料は1/5程度になっていた、燃料の残存量からぃってもレイテにたどり着けても帰ってこれない状態。
これだけの条件がそろっていて撤退しないのは将官失格。
多分突っ込んで全滅していたら状況判断もできない愚将と叩かれていただけだと思う。
要は作戦事態が全く達成不可能なものであり、軍事評論家の伊藤正徳さんは
無理の集大成であり、そして無理は通らないという道理の証明に終わった
と言っていますが全くその通りだと思います。
もともと無理を承知での作戦だろう。どうせ艦隊を温存した所で敗戦して米軍の水爆実験に使われるくらいなら、堂々と全滅した方がマシではないのか。もちろん乗組員に死を命令するのは酷ではあるが、米軍の上陸部隊が打撃を受けてフィリピンに居た陸軍及び民間人30万人は台湾へ撤退できたかも知れない。30万もの同胞の命を救った、それこそ軍人の本望だと思うが。
鄭宗元
無理を承知な作戦なんだから、堂々と戦って死ね
これこそ無責任な発言でしょう
軍人だから命令に盲信して無駄に死んでもいいだなんて発想は神風特攻をした連中と大差ない
そういう思考をしていると気づかないのが栗田批判者の特徴ですね
@@チャンモンモン なるほど。あんたらにとっては陸軍と民間人30万人は虐殺されても良い存在なんだね。助けるチャンスがあっても見殺しにするべきだと思っているのだね。
ところで軍隊の存在意義って何だい。同胞の命と財産を守るのが軍隊の役目だろう。その同胞を見捨てて自分たちだけすたこらさっさと逃げるのが日本海軍なのか。国民はそんな軍隊に税金を払うのは御免だろうな。
@@鄭宗元-b2d
あのまま進んでも何にもできないんだけど、作戦が現実に合わなくなったので次の作戦のために撤退するのは何ら間違っていないんだが。
撤退した後羽黒は残留して戦い続けているし、駆逐艦は各種の支援任務に就いているんだぞ、これは撤退したからできたことなんだが。
あなたにとってはこのような輸送作戦や支援作戦よりなすすべもなく沈んだ方がましだったわけだ。とても理解できない思想だな。
@@nagoyashimin569 羽黒、駆逐艦? 重巡一隻と駆逐艦だけ残して重装備の戦艦艦隊はどうしたんだ。
次の作戦って大した意味もない沖縄特攻か。それともビキニ島で米軍の水爆実験の標的になる事かね。あの戦いに負けたら日本は南方航路を断たれてもう後がない。崖っぷちの戦いだったという自覚もないのか。
台湾沖では、大勝利とはいかなくても、敵に損害を与えられれば、と、多数の飛び立つ部隊を見て、祖父は思ったそうです。
天候は悪かったそうで、バラバラになったとか…。
その後、第一航空艦隊から第二航空艦隊も特攻隊をと、言われたそうですが、初めは断ったらしいです…。
祖父の話では、ある席(とても偉い方がいる)では、皆さん、早く戦争を終らせたい。と話していたそうです。
『最後の一人になっても戦うと、言う奴もいるが、最後の一人まで戦ったら、日本民族は滅んでしまうじゃないか!』と言ってた方もいたようです。
※ 具体的な名前を書くのは控えました。
レイテ沖海戦、とんでもない戦いですね。色々と恐れ入りますが
フィリピン防衛戦から大変だね
国破れて艦隊が残るのも恥という既定路線。良くも悪くもお役所仕事ですから、その方針のなかではどのような人材を指揮官に選ぼうと結果はそう変わらない様に思えます。
どんな優れた戦術で圧倒的な勝利を重ねても、大局の一部でしかなく戦局を覆し難い
戦略レベルでの敗北をつぐなえきれないように
レイテ海戦より残存した大和が菊水作戦に参加せざるを得なかったことからみてもいえることですが
そう思うと、長官が作戦の中止を決せられたのはせめてもの救いかと、仏心がさせたなんてことも言われてますし
航空部隊による艦隊へのエアカバーもなく連日の米艦載機の空襲の被害が拡大していく状況で、栗田は追い詰められていたと思います。彼に責任の全てをいうのは無理があると思う。それ以上に海軍全体の戦争戦略のお粗末さや不祥事の数々で、多くの最前線の兵士が無駄に飢餓状況に追い込まれた事実こそ問題だと思います。
利根の黛艦長始め部下は感謝してましたけどね、突入してたら全滅してたと。
それを思うと一概に責める気にはなれないなぁ。
軍人が死ぬのを怖がっていたとか笑えないんですけど。大日本帝国は命を差し出すほどの価値も無い国だったのか。
鄭宗元
色んな擁護論者に絡んで反論する行為はストーカーのようですよ
利根艦長の発言の趣旨はあなたのいうような命欲しさのものではありません
批判するならちゃんと発言内容読んでから批判しなさいよ
鄭宗元 死は死でも無駄死にじゃ意味ねえじゃん。もし俺が軍人の立場になったとして闇雲に突撃して死ぬよりもしっかりと考えて敵に大きい損害を与えて死にたいと思うのは普通じゃない?
こるでる さん
そういう普通でない、航空特攻をするよう麾下の航空部隊に迫った大本営参謀と同じ発想しかできていないのが、栗田批判者によくある傾向ですね
@@チャンモンモン あなたたち何か勘違いしてないか。米軍のレイテ湾上陸部隊の前には陸軍20万人と民間人10万人がいたのですよ。栗田艦隊がこいつらにかすり傷一つあたえなかった結果30万人が玉砕したのです。特攻とか闇雲に突撃とか、同胞30万人の命はどうでもよい様な発言は人間性を疑われますね。
まぁ、指揮官のミスなんて
開戦したという致命的ミスの前では、
ノミみたいな誤差なんだよなぁ()
特に真珠湾攻撃は最悪でしたね。
これによって「全米が怒った」状態になってしまったから。
当時のアメリカの世論は「何で我々が攻められているわけでもないのに一々日本と闘わなければいかんのだ⁉️」
というのが大半で、日本が直にアメリカに手を出さなければ、アメリカは日本と開戦出来なかった。
ハルノートとかで挑発に乗ったのが失敗の始まり。
@@藤原鎌平 イギリスとだけならまだ勝機はあった
@谷干城 そも、憲政の常道が続けば負けることないんだよなぁ。(上層部が違えばイギリスだけとかありうるかも)
真珠湾攻撃はドイツが1番迷惑だと思うわ 日本が攻撃したせいで巻き添え食らってアメリカ敵にまわすっていう
参加兵員の生死を分ける点では重要。開戦というだけでは、個別ミクロな生死は決まらないから。
待ってました! じっくり見させてもらうます! 次回の更新も楽しみにしてます!
生き残った者だけが戦訓を残せるのに、口を閉じてしまうというのは、同じ失敗を繰り返すということではないか。
勇猛な判断じゃないから、それを批判されるのを恐れ口を閉ざしたのか…。それでも良いから何か言って欲しかった。
沈黙は金なのは日本社会の特徴なのかも知れないが…。何かを言えば叩かれる危険性があるしなあ。
そもそも当人が失敗だと思っているのかどうか。
批判されている中で何か言っても、ただ言い訳しているようにしか扱われないと、わたしが彼の立場だったら思う。
何か勘違いしてますが、栗田が戦後口を閉ざしたというのは、戦後彼の取材に失敗した人々が言いたてた捏造で、栗田は戦後GHQへの回答などで多くの証言を残しています。
証言量で言えば小沢や豊田よりも多いぐらいです
信用ある貴社の取材にも応じています。
いい加減なこと書いて批判する一部記者に対して拒否をしてただけで、ちゃんと応じるときは応じていますよ
@@チャンモンモン 未だに、突入ではなく、反転をした判断の理由は謎とされています。
生還したのですから「〇〇という理由で反転命令を出した(〇〇には外部情報・艦隊内情報・天候・ピンときたなど)」と発言・手記などで記録を残すべきだったと思うだけです。その記録があれば、謎ではなく判断の良否判定を行い、戦訓と出来るじゃないかと。
@Lunor Garp さん
栗田は戦後のGHQによる聞き取り調査でちゃんと理由を説明しています
確かレイテ沖海戦の関連書籍でそれが最後に掲載されていたのがありましたね
ちゃんと説明しているのに、それを無視して「説明していない」と言っていたり、軍事知識の乏しい人が文面読んで理解できずに「この説明には疑問がある」とか言ってるだけだと思いますね
「栗田と宇垣が同じ艦橋に居て果たしてうまくいくかな?」
お前がやってみたら良いんだよ
レイテの「まともに戦っては勝てないからこれまでにないやり方で叩く」って思想自体は凄く良かったと思うんだけどね…
まともでない作戦ではまともな戦果は上がらない言う戦訓だと思うのですが
発想が良かったとしても、まともな作戦を立案できない……😢ご都合主義で失敗して、次にまたご都合主義の無限ループ👎
この時、神風特攻隊が初めて実行された事に触れてましたか?
たとえミッドウェー作戦で負けても四隻の空母が残っていて山本五十六指令長官も生きておられてそしてサマール沖マリアナ沖そしてこのレイテ沖海戦全てに勝たないと日本に勝利はなかったでしょうね。大和も武蔵も大活躍して敵の戦艦空母群を片っ端から沈めていい形で終戦まで持って行けば良かったと思いますね。武蔵を失ったのが痛かったですね。たとえレイテ湾に突入していてもうまく行ったかわからないですね。まだ武蔵が残っていて大和武蔵を中心に突入して活躍すれば何とかなったんじゃあないでしょうか。もうこのレイテ沖海戦の敗北で完全に連合艦隊は壊滅して日米の勝敗は決定しましたね。
戦後だいぶたって小沢さんが入院してた病院に栗田さんがお見舞いに来たと遺族が話してたと、映画連合艦隊のDVDでオマケ収録されてた。
この2ヶ月後に小野田さんがルバング島に赴任したんだよね。
後世の人は神の視点を持っていて、オトリがうまくいっているとかを知っているわけで、それを元に謎の反転呼ばわりは気の毒。
その当時の本人のおかれた状況を考えると、取りうる可能性の一つでしかないように思う。
だが、この作戦こそ日本海軍が組織的に運用できる最後の海戦であることは、事前に分かっていたことと、結果的に戦艦大和までも特攻しなければいけなかったこと、それに、もしかしたら、レイテ湾に突入してほとんど無防備の上陸中のアメリカ軍を一方的に叩き、数万の被害をあたえたらさすがに米国世論も厭戦に傾くんじゃないかという予想(実際に、硫黄島の英雄達は戦費を集めるための広告塔としてアメリカ中を回っていたし)から、やはり突入すべきであった。本当に最後の選択肢で、命令を下す人はこれを強く意識づけておくべきだったのだが…
@@TIshida360 さん
レイテ湾突入前に、西村艦隊を全滅させた(旧式)戦艦部隊と一戦する必要があるのでは?
また、小沢艦隊を全滅させた敵機動部隊からの空襲も一段と激しくなるであろう。
結果、すんなりレイテ湾突入でき、大戦果を挙げることとはならなかったのではあるまいか、残念だが。
@@加藤勉-g5p さん
スリガオ海峡海戦でアメリカ艦隊の弾薬はかなり減っていた。そして、そもそも栗田氏がやりたかったのは、輸送船への一方的攻撃ではなく、艦隊戦だった。
その後、良いところなく活躍の場を無くした戦艦の最後の活躍の場として、やりたかった艦隊戦をやれるってことで望むところでは無かったのか。
チャーチルの回顧録で「 勝利は栗田の手中にあるようにみえた。彼がレイテ湾に突入し、マッカーサーの空水陸用艦到隊を壊滅させるのを阻止するものは、何もなかったのである。」と書いている。
@@TIshida360 アメリカ艦隊の弾薬量は栗田には分からない。栗田艦隊は潜水艦や艦載機による攻撃でボロボロにされている中で、栗田の下には西村艦隊全滅、志摩艦隊の撤退報告が入ってくるし、問い合わせても小沢艦隊のおとり作戦成功の報告は入ってこない。基地航空隊の支援も確認できない状況。
突入しても戦果もなしに全滅すると考えるのが妥当でしょう。
@@googogoo1 途中少しでも有利な条件で講和に結びつけるためには、そこは冒険が必須だった。万単位で兵士を一方的に叩けるなら、日本軍が望む「最後の一撃の後の講和」ができるかも知れないし、その希望がそこしか無かったからだ。
そして、そもそも、そこで安全策を採るなら、最初から日米戦をやるべきではなかった。
私の祖父はフィリピンからの生き残りで、小さい頃に背中の銃弾の跡を見てショックを受けたのを覚えてます。一歩違えば私自身もこの世に存在していなかったかも知れません。祖父は戦争について話す事はあまりなく、ただ総理大臣の靖国参拝の事を聞いた時に「靖国で会おうって皆で言って戦場に行ったんだよ」って何となく悲しそうに言ってました。
栗田氏も海から引き上げられてから、ぶっ通しで作戦指揮だから冷静に指揮せよというのは無理です。
デリンジャー現象説もありますね。
栗田艦隊には派手にやって欲しかったね。
上層部は栗田艦長に「死んで来い」なんて言わなかったですし、言えなかったでしょう。
ただそれを差し引いても最終的に何が目標・目的なのかがハッキリしなさすぎというか・・・
@谷干城 さん
確かに。でもそれならトップは『どんなことがあろうが、刺し違えてでもレイテ湾内の敵輸送部隊は潰してこい』と言わなきゃダメなのでは?
そのあたりをあいまいにしたまま出撃してるような気が。
「旗艦は最初から大和じゃなかったんだな」
元々この作戦は栗田の第4戦隊(高雄型4隻)を中核とする戦力で行われる事になってて、それじゃ余りにも無理ゲだろうと第1戦隊(大和・武蔵・長門)、第2戦隊(金剛・榛名)などが追加されていった
この時の栗田の身分は第2艦隊司令だったけど、艦隊司令というのは臨時の名誉職みたいな物で、栗田が自分の責任で扱える戦力は第4戦隊の重巡4隻のみで、大和以下の戦艦は『借り物』に過ぎなかった
実際、作戦前に大和に司令部を移したかった栗田の希望を海軍は拒絶してる
作戦開始直後に潜水艦の雷撃で旗艦愛宕を沈められた栗田司令部は大和に移譲する事になる訳だけど、そこには栗田より格上の宇垣纒中将が第1戦隊司令としており、お客さんというより居候状態だった
栗田は宇垣より海軍兵学校の2期先輩だったが、海軍幹部コースの登竜門である海軍大学校を宇垣は甲種に対し栗田は乙種でしか卒業できていない事で出世レースでは実質的に逆転された状態だった
言うなれば地方大卒の総務課長がプロジェクトリーダーをやらされ、その下に後輩だけど今や上司同然の東大卒の営業部副部長が付けられたような感じ
栗田ターンの決断も栗田の意思だけで行えたものか、彼より出世する事が決定的な部下や同僚たちの圧力によるものだったか、ちょっと微妙
栗田は開戦直後のバタビア沖海戦で魚雷の誤射(というより流れ弾)で陸軍今村中将の輸送艦を沈め、ミッドウェイ海戦では衝突で重巡三隈を沈め、何故か(?)第2艦隊司令に昇進した時にはラバウル空襲で指揮下の艦船の多くを傷つけている
決して無能な軍人では無い筈だが失敗ばかりのイメージがあり、軍人が割と重視する『運』の無い軍人だったのは事実だろう
nazca091
捷一号作戦の初期から投入される第一遊撃部隊の戦力に第一戦隊とか、第二艦隊所属の艦艇は入っています
第四戦隊だけが中核だったという事実はありませんよ?
第二戦隊は確かに途中編入ですが、そもそも第二戦隊は計画立案当初は解隊してて存在していなかった部隊ですし
あと艦隊司令長官が臨時の名誉職というのも間違い
艦隊司令長官は天皇から任命される親補職で、他の中将が任命される職とは異なり、就任中は大将と同等に扱われる重要な職です
そして作戦時は投入される部隊の指揮官に任命される重要な職であること現場指揮官として作戦を遂行する職です
艦隊司令長官が臨時の名誉職だっただなんて話は全くのデタラメですよ
そもそも臨時職ですらないし
大和や武蔵はこの時点で栗田の指揮する第二艦隊所属の第一戦隊麾下の艦艇で借り物ではないし
宇垣中将は第一戦隊司令官で栗田司令長官の部下です
格上だった事実はないですし
何か知りませんが、全く見当違いしておられますよ
太平洋戦争が始まって最初の一年間は大和が連合艦隊の旗艦で山本長官が乗座されてその後の二年間は武蔵が旗艦として頑張ってましたね。天皇陛下も旗艦になった武蔵に乗座されている写真は有名ですよね。武蔵も沈まずにレイテに突入して大戦果を挙げて欲しかったですね。大和武蔵にもっと活躍の場を与えて欲しかったと思います。
太平洋戦争が始まって最初の一年間は大和が連合艦隊の旗艦で山本長官が乗座されてその後の二年間は武蔵が旗艦として頑張ってましたね。天皇陛下も旗艦になった武蔵に乗座されている写真は有名ですよね。武蔵も沈まずにレイテに突入して大戦果を挙げて欲しかったですね。大和武蔵にもっと活躍の場を与えて欲しかったと思います。
この戦いは正直パワポケ2の戦争編150週のイベントの元ネタとしか知らなかったが……色々恐ろしいな。
お疲れ様です 乾坤一擲が 物語ってますなぁ~笑
いつも楽しく視聴させております。
「謎の反転」にもそれなりの理由(情報)があったんですね。
まぁ日本軍は偵察というか情報収集にて疎かったとも聞いた事がありますし。。。
これは(すでに昭和40年代には言われていたことなのだが)、栗田艦隊や他の艦隊同士でも、連絡がつかなかったため、他の艦隊がどこに居て、戦況がどのようになっているか分からなかったゆえの結果です。また、進撃中にも自身の艦隊で損害が出ており、「状況がわからない中、これ以上艦隊に損害を出すわけにはいかない」という判断だったと言われています。つまり、「仕方がなかった」
うぽつです
この後だったかな?日本海軍は空母信濃を機関として雲龍、天城、葛城、隼鷹、伊勢などで新生機動部隊を作ろうとしたけど資源不足や人員不足で中止になっちゃったんだよな…
瑞鶴と隼鷹、龍鳳と入れ替えて誤魔化すべきだったか。
囮艦隊にするなら
味方の損害が大きくてこれ以上粘っても全滅するだけだとして撤退しただけ。
謎でも何でもない。
10:37 まさにその通りですね
なお突入してもすでに陸揚げがほぼ終わっている輸送船団を沈めるだけの模様
空荷の船もいるとは思いますが、空荷になった輸送船は次の荷物受け取りにレイテ湾から出航していくので、投錨中の船はまだ船内に荷物が残っているとか陸上げ中の事も十分あるという説も。あと空荷であっても輸送手段そのものが壊滅すると以後の当面の米軍の作戦行動にはかなりの障害がでるかと。
(もっとも異常な生産力でリカバリーされるので効果は一時的になりそうなのと、別に突入推奨というわけではないです)
輸送船が不足し遅延が発生したとしても、上陸した米軍を支える程度の船舶はレイテ湾以外に展開してるので、レイテ防衛は困難なのは変わらない
日本側はむしろそれによって水上部隊をほぼ失う事になるが米軍側はハルゼー機動部隊がほぼ残っているのだから、彼らがレイテ島への空襲等を継続するしフィリピン全体の海上封鎖も行える
結局空の輸送船と栗田艦隊を同じ天秤にかけるってのはあまりに日本側が不利なんですよ
D暗号解読されているのだから、諸々の作戦が失敗して当然。
まぁ、全滅が前提の突入だからなぁ、マトモな頭の人なら反転しちゃうよね。
( ^ ω^) それがね、詳しい動画、意外に無いのよ!💦 霊戦先輩のこんな時期に場違いなぅP、なんだかとてもありがたく何回か観させて頂いてます✌️!
栗田のバカが…的な解釈は多いけど私は大岡昇平著レイテ戦記中の「恐怖」が原因に1票です。水木しげるが西村艦隊はもう少し工夫があってもと結んでますが攻撃精神優先の作戦に忠実だった猛将山口多聞提督と同じくらい立派だったと思います! (>_
当時の日本海軍は、日露戦争の日本海海戦以来の艦隊同士の決戦思考に凝り固まっていて、この作戦でも主目的とされていた、敵の輸送船を沈めることの重要性を理解出来ていなかったことが、栗田艦隊の謎の反転の最大の理由だろう。
敵の空母を沈めるより、上陸部隊の兵員や武器、燃料、資材、食料を積んだ輸送船を沈めることの方がはるかに重要だということが理解出来ていれば、途中で反転したり、空母を追撃したりすることなく、一直線にレイテ湾に突入していたはずで、最重要の攻撃目標を目の前にして敵空母部隊を求めて反転するなど有り得なかったはずだ。
勘違いされてますよ
捷一号作戦では作戦目的は空母撃滅も含んでいます
むしろこちらの方が第一目標でした
主力である基地航空隊は空母機動部隊を殲滅する事になっています
栗田艦隊は作戦を理解していなかったのではなく、日本海軍自体が決戦主義を捨てていなかっただけですよ
また
「空母よりも輸送船や物資を攻撃するのが第一」
というのも、この作戦でそのような設定がされていた事実はありません
栗田艦隊に与えられた敵攻略部隊の撃滅は捷一号作戦の目的の一つでしかなく、空母部隊の殲滅も立派な日本海軍が目指した目的に含まれています
あと一直線にレイテ湾を目指せば良かったというのは素人論です
一直線に目指して周囲の敵を無視しても、そいつらが妨害攻撃を仕掛け損害を被り、到着したらボロボロだったでは作戦目的は達成できません
実際シブヤン海で武蔵が沈み、サマール沖海戦後に進撃を再開しても周囲から空襲を受け続けたんですから
手段(突入)ばかり優先して目的(攻略部隊撃滅)が達成できなかったでは本末転倒です
あの連合艦隊は良い映画ですよね❗映画と
してですが。
反転しなくても戦争の結果は決まってたような。攻撃した後に追撃された可能性もあったのでは。
それどころか攻撃する前に湾前で無駄に全滅していた可能性も高かったです
戦力的に栗田艦隊の数倍のオルテンドルフ艦隊と周辺のタフィ1、2の艦載機の波状攻撃を受けるんですから
後世の人間が栗田ターンとか言うのは酷ですね。
多分栗田艦隊は反転しなくても戦艦部隊とよくて相打ちか、勝利できたとしても翌朝には58機動部隊の追撃を受けて輸送船団に肉薄は厳しかったと思う。
まあ、ハワイやミッドウェーでやってきたことをいかせてなかったね。
自分ならフィリピンは放棄して戦力を温存し、違う場所に一撃したかなあ。ガダルカナルで大敗した時点で勝敗は決していました。残念です。
そもそもあのアメリカが海で2、3回小突かれたくらいで降参するかよ
しぶとさと諦めの悪さでは日本以上だぜ
何も言えないけど、救われないな。
結果論として反転は正しかったと思う。下手したら全滅してただろう。沖縄特攻よりは大和にとって意味のある最後になったとは思うが
何で万歳突撃や特攻は良くて艦隊の全滅はいけないのか分からんな。大和は後に意味のない特攻に使われて沈没、長門初め他の艦船も米軍の原爆実験で消えただろ。そっちの方が正しいと言うのはどういう理屈なんだ?
もちろん乗組員が生き残ったのはめでたいが、その代わりにフル装備でレイテ湾に上陸した米軍によって20万人の陸軍と民間人が屠殺されたわけだろう。作戦どおり栗田艦隊が西村艦隊と協力してレイテ湾に突入していれば護衛無しの上陸船団を戦闘艦隊で叩けたはずだが。海軍以外は死んでも構わないという考えか?
鄭宗元
レイテ湾に突入して全滅しても作戦目的を果たせないから
上陸部隊叩けないし
全くの無駄死にで終わる
そんなことも理解できないかな〜
というか擁護論者に偏った思考しかできていない身で、片っ端に突っかかってくる行為は改めた方がいいよ
でも、虎の子の大和沖縄特攻は今に至るまで決して沖縄を捨て石になぞ考えてなかったという証左にもなるから、それはそれで大きな意味があると思う。後から考えればかもしれないけれど。
サマール島沖海戦、圧倒的火力を誇る栗田艦隊をもってしても敵護衛空母と駆逐艦1隻ずつしか仕留めていない。
これだけの火力の差があれば敵護衛空母部隊を全滅出来なきゃおかしい。
ここでも日本軍のぼろ負けです。
逃げる箱船(護衛空母)さえ撃沈出来ませんでしたね。
航空戦力には、勝てません。本来なら陸上航空隊が上空を護る予定たしたが出来てない。味方撃ちまであり。
自爆攻撃も、なをにも役立ってない。
本来ならハルゼーの艦載機に全滅させられます。
ハルゼーが馬鹿だったから助かっただけ。
海軍「台湾沖でアメリカ海軍機動隊を単独で壊滅させたやで」陸軍「マ?反撃の大チャンスやん!レイテ攻撃するやで!」海軍「おっ…おう…」結果『連合艦隊壊滅』
なぜ、無線を傍受するまでに時間がかかるのでしょう?
モールス信号を書き起こして、暗号表に照らし、さらに文章化して報告するからですかね
それにしても、何時間もかかっていて、どうしてだろう?と思ってしまいます
中継所通すから。
栗田のターン、クリクリターン、クリターン〜♪♪
いずれにしても日本に勝ち目なし。枝葉末節なはなし。
東宝の連合艦隊も今観たら考証の粗が出るってもんだな
まあ、当時はまだ事実の検証が今程進んでなかった面もあるが
映画とか小説はフィクションだと頭では理解していても、
やっぱり影響はでかいよ。
映画「二百三高地」での丹波哲郎演じる児玉源太郎が第三軍の参謀たちを無能だと罵倒するシーンがあったりして、第三軍司令部と乃木将軍がずっと無能だと思ってた。
@@Kei-zh9fh
あれは司馬遼太郎の影響がでかいからね。
NHKのドラマでも同じシーンがあるけど、児玉の第3軍司令部での参謀連中一喝のくだりがあるけど真実性がかなり怪しいようだな。
あと連合艦隊なんかマリアナがナレーションだけで済まされるのはまだしも台湾沖には一切の言及がないのは恣意的な感じよね。
chiyo0216 さん
映画連合艦隊は、レイテ沖海戦研究の第一資料でもある戦史叢書のレイテ沖海戦関連のところが公開された後の作品なんで、調べようと思えば詳しく調べれたでしょう
例えば旗艦の問題で、映画では第一戦隊司令の宇垣が栗田に上申するが栗田に却下されてるけど、史実では栗田らが連合艦隊に上申して却下されている
この事は戦史叢書にもちゃんと記述されている
なんで態々そのシーンを入れたのに上申者と却下の決断をした側とを変更する必要があったのか?
答えは「栗田は頑迷な提督」というイメージを作るためにそう改変したのだと思われます
@@kansaikontentu
小沢中将の瑞鶴退艦が沈没寸前になってからのように描かれてるけど、実際は米軍の第一波が去ったら早々に乗り換えていたようですね。
chiyo0216 さん
厳密にいうと第一波が去って旗艦変更の準備を始めたが、途上で第二次空襲が始まり、瑞鶴は被弾しなかったけど対空戦闘などで変更作業ができず、第二次空襲後に実施したようです
この時点での瑞鶴は戦闘行動には支障なかったのですが、通信設備に損害が出て、命令通達に支障があったので旗艦変更となったそうです
なので映画で描かれているような沈みゆく瑞鶴を小沢が敬礼で見送るだなんて事は無かったそうです。沈む時点で移乗した大淀は遠く離れていたようです
因みに早々に退艦する小沢に対し、瑞鶴乗員から罵声が飛んだそうですね
生還した乗員も、沖縄に寄った際に大淀が近くと罵声が飛んで暴動一歩手前にまでなり、副長たちが必死に止めたという話もあります
海軍乙事件で、作戦内容がアメリカ軍に全部知られていた。アリアナ海戦・レイテ海戦で、潜水艦で痛い目にあった。( 戦艦1(金剛)・空母2・重巡2・駆逐艦4沈没)。海軍が挙げた戦果は、軽空母1(他∶特攻機1・彗星の攻撃1)。また側面援護として、小沢機動部隊や特攻機多数を失った。最後は、第一次ソロモン海戦と同じく、目的地直前でのUターン。これでは、犠牲になった人が、浮かばれない。
だから栗田艦隊全将兵も突破できないと分かっていても湾口に突入して死んでこいっていう発想こそ日本が負けた要因だと思うよ
それまでの犠牲を無駄にするな、っていう言葉を使って無駄な死を強要する思考は慎むべきだよ
@@チャンモンモンさま
他人事だから無責任な事を言えるのでは。
自分らだって、本土決戦しなかったから、此処に存在してる矛盾には。
戦艦大和を最初から旗艦にしていれば良いのに重巡愛宕を旗艦にした潜水艦の攻撃により愛宕沈没する、大和を旗艦にしたが通信班の要員が行方不明になったらしいそれで小沢艦隊のハルゼーの機動部隊を引き寄せる作戦成功の無線が届かったことの原因らしい。
栗田は大和にしたかったのに連合艦隊に却下されました。
台湾沖の戦果誤認のエピソード、午前中に赤レンガに出仕した軍人が、白いテーブルクロスとグラスの並んだ祝宴の準備を目撃、
驚いたが用事が終わって通るとすっかり片付けられていた。(どうも誤報だったらしい…なんだって、そりゃ大変じゃないか)
栗田長官の立場になれば、武蔵がやられたのは大きかったかも知れないですね、醜態を晒しにいくだけではないかと考えたかも知れない。
(西村艦隊の経緯と、補助艦艇が一桁に近い状況を見るとそうなっていたような気がする。)
それはそれとして、海軍大学校甲種に行っていないのは重大だったかも。
第2艦隊の長官に栗田が指名された際、本人自身が「こんな野武士にやらせちゃ駄目だ」と思っていたそうで、
常在戦場なので頼りになると思われたらしいのですが、海軍大学校で戦術戦略を学ぶ機会がなかった辺りで
他の上層部と思考(多分会話も)が噛み合わない所があったような気がします。
歴戦の上官として、人となりは頼りになったけど、作戦立案などはおそらく遠慮と適材適所の考えからか、学のある参謀たちに任せていたらしい。
殆どのチョンボの原因は、この辺りの判断の齟齬、判断を出すよりもよりも指示を求める気質(自戒?)にあるのように思うんですよね。
だから嬉しい反面自信は無かったけど、いまどき戦艦部隊が難しい作戦に出ることもないだろう、くらいの認識は自他ともにあったのかも。
航空戦の時代に戦艦で突っ込むなんて、誰にとっても初めての無茶苦茶な作戦をこう言う人が背負わされたのは、悲惨なことだと思います。
人材が残ってない。
他国に比べて、日本の将官の死亡率高すぎませんか?
田ターン難民救済
タターン難民救済
タターン難民救済
歴史を知っている後年の人間が述べている事は<後出し「じゃんけん」>と同様だと思います。その時代の人達は、最善と考えられた行動をとったのであり、後年の事実を知っている人間が「その当時の分析を行って、未来に生かす」ならともかく、批判だけを行うという事は、私は『卑怯者』が行う行為だと考えますが、如何でしょうか?
自分も、ソレは強く感じますよ。種々様々な場所で、国や人々を守る為に命懸けで戦い、結果敗戦国に成りはしたが出来る全てで足掻いた。確かに、失敗や失態も有っただろう事は想像に難くない。先人達は、命懸けで後に生きるで在ろう我々に貴重な手掛かりを残してくれました。
ですが、今の我々は只々一方方向から過去の事ばかりを、針小棒大に批判する。牽いては、その時戦って居た兵隊にすら無駄足や、聞く人が聞けば噴飯物の言葉を投げ掛ける事にも為りかねん発言をさも当たり前の様に口走る。
当時に思いを馳せるならば、先ずは先人達が繋いでくれたお陰の今を、深く感謝して然るべきで在るとは思えんのだろうか。
何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか?
伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
うちの爺さん、よく生きて帰って来たなぁ🤔
護衛空母ガンビアベイ、護衛駆逐サミュエルロバーツ、フレッチャー駆逐ジョンストン、ホーエル沈没か(@_@)
満身創痍の艦隊、届かない小澤艦隊からの通信。
反転やむ無しなのは分かるけど、それでも尚突入して欲しかったと言う気持ちもある。
無論、そうなれば多数の将兵が犠牲になるが。
サボ島沖海戦の三川艦隊と同じで、米輸送船団撃滅の好機を逃したのです。
朝からの戦闘で疲れていたんでしょう。
航空支援のない戦艦は無力ですから。
たいむ
空母瑞鶴・・・
石油を確保して出撃したのは、台湾沖航空戦の戦果報告による。嘘をついて石油を手に入れた。頭いい。
うるさいのがいなくなれば、後は自由。 戦後の司法取引「命乞い」 A級戦犯無し
この頃から戦果の誤認、改ざん、正しい情報の秘匿をやってんだから、
今の政府が同じ事をやってのは当たり前っちゃ当たり前だよな
その反省から、官僚に情報の隠匿改竄は絶対ダメという意識が浸透してて、涙を流して抵抗した2人の部下がいたり、自分は鬱の薬を服用してまで1人で手を汚したけど、最後に一縷の希望の配置転換が自分以外は全員配置転換されてて絶望して命をたったってのは可哀想すぎる。
戦果誤認なんて日本だけでなくアメリカやドイツなどの各国でも頻繁に起こっている
それを改ざんとか邪推するのは客観的ではないと思いますよ?
武士は面子が全てだからな!
面子などという価値観が通じるのは国内もしくはスポーツの世界だけである。対外戦争は如何に相手の予想を上回るか、口八丁手八丁でいかに合理的に立ち回るかという事が全てであり、面子など犬に食わせてしまえと言ったところである。
@@あほ拳コッチー しかし厄介なのは、合理的に立ち回って“平和が戻る”と、今度は面子が物を言う日常がやってくる。そうして面子優先の組織はやがて腐敗し、またやってきた戦乱時に瓦解する。ままならないものです。
台湾で誤認したってあるけど、そんな誤認ってするものなの?
当時の機載レーダーは戦果判別できるほどの代物でなく、戦果確認はもっぱら目視に頼っています。それに加えて、台湾沖航空戦は敵の迎撃を避ける為に夜間~黎明での攻撃が多かった。そのため、味方機が撃墜された火柱まで戦果に加える始末で、それらが積み上げられた結果、あの大戦果が作られてしまったのです。
WW2当時の航空機の戦果誤認、特に太平洋戦線はかなり大きいですよ。実際の戦果は申告の数分の一とかがザラです。F6Fの自己申告撃墜記録だけで日本の航空機総生産を超えちゃってるくらいに誤認してます。
@@hiroakimatsushima5 東日本大震災の時の福島原発事故の時を思い出すな。
当時の日本の軍人達も現実から目をそらして、自分達に都合の良い情報しか耳に入らなくなってたんだろうか
Kazumasu Ishikawa
4おまえはボクシングでラッシュを受けている最中にリングサイドの観客が何人いるか正確に数えられるのか?
生死をかけた戦いをしながら数えるってのはそういうことだ。
後はいつもの無能大本営が水増ししただけ
台湾沖航空戦の戦果誤認に関しては、優れた情報分析によって「マッカーサー参謀」とあだ名された、大本営陸軍部第2部参謀であった堀英三氏の著書「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」が詳しいです。ぜひご一読をお勧めします。
動画の本筋とは、あまり関係ないと思いますが、「珊瑚海海戦で日本の進撃が止まった」「ミッドウェー海戦で海軍力が逆転した」は間違いだと思いますよ。珊瑚海海戦後も普通に進撃してますし、ミッドウェー海戦で空母が沈没しまくったとしても、パイロットは多く生き残ってますし、翔鶴型や龍驤その他軽空母はかなり残ってます。
ミッドウェー海戦に関しては海軍力が逆転したというよりも、優勢だったのが同等の戦力差になったと言った方が事実に即しているでしょうね
言われるようにミッドウェー海戦で熟練パイロットを多く失ったというのは事実じゃなく、戦死したのは参加者の2-3割程度で3/2以上は生還していますし
むしろ南太平洋海戦での損耗の方が熟練者を多く失ったと言えますし
まあでもこの海戦以後、日本側は攻勢に出ることは遂に出来ず、アメリカ側にイニシアチブを取られ続けたのは事実ですから、ミッドウェー海戦がターニングポイントになったというのは事実でしょうね
海軍力というより日米の勢いが逆転したというのが表現の仕方としてあっているんじゃないかな?
連合艦隊が壊滅した段階で休戦交渉を行えば満州国の解体と中国本土・南方の占領地からの撤退、南洋諸島領と台湾を放棄するくらいで済んだだろう……少なくとも空襲で本土が灰燼に帰すことは避けられた。
無理。陸軍が反乱起こす。本土決戦だ。
【連合艦隊】では旗艦を『大和』か『愛宕』かで宇垣纒と栗田武雄は意見が一致しない。「敵の輸送船ごときをたたくのに、虎の子の戦艦を用いる必要があるのか」と栗田の副官?が異論を唱えると宇垣纒は「フィリピンを失えば、南方資源地帯との補給路を断たれ、戦艦はただの鉄くずです」と冷静に判断。
しかし栗田は『旗艦変更の要なし』と旗艦変更を退ける。
無理に旗艦にした『愛宕』はアメリカ海軍潜水艦『ダーダー』の魚雷を受けて爆沈。あくまでも1981年の、それも映画なので旗艦を『大和』にしていれば状況は多少変わっていたかもしれません。
意見のあわない宇垣と栗田が、『後方に敵機動部隊発見』の報を聞くと『北へ向かう』と反転。宇垣が「我々の目標はレイテの敵輸送船団。反転すべきではない」と訴えるものの栗田は反転を決意。
映画では機動部隊発見の報を聞いた栗田は副官と耳打ちしていたシーンが気になります。あと西村艦隊と志摩艦隊は映画でも出てこないのでこういった動画はありがたいです。
映画連合艦隊でのその描写は全くのフィクションですよ?
史実では旗艦を大和なり武蔵に変更する様意見具申したのは、むしろ栗田達第二艦隊司令部の方です。
それを「旗艦変更の様なし」と断ったのは連合艦隊司令部ですよ?
あのシーンは栗田を頑迷な提督というイメージを作るための制作側の創作です
このことは映画制作の時点ですでに出版されていた戦史研究での一次資料である公判戦史戦史叢書にも記述があります
それを全く違う内容で制作したこの映画が、栗田をどういう立ち位置にしようとしているのかがよくわかる逸話です
要は栗田は悪役に仕立て上げているわけです
他にもそういうシーンは多くありましたね
慎重に動こうとする栗田を、宇垣が「空襲がないのは囮作戦が成功している証だ」といって叱咤するシーンもありますが、実際は栗田艦隊は反転する25日昼の時点でも空襲を受け続けていて「空襲がない」だなんてことはありません
何しろ反転した時も空襲を受けてる最中でしたし
どの映画でもそうですが、映画やドラマはあくまでもフィクション
内容によっては主人側を立てるために相手をあえて貶めて描いてる事がよくあります
連合艦隊での栗田の描写はそれが検挙に出てますね
というか映画の内容を事実だと思うのは勉強不足なのを曝け出してますよ
娯楽作品を歴史資料と思わない方が良い
「ざる得ない」が気になる
本土決戦の決号作戦をやれば良かったのに。
ダウンフォールで原爆10発、サリンガス、炭疽菌、ボツヌス菌、枯れ葉剤、爆撃。で根絶にきても。
本土決戦の為に、硫黄島、沖縄の時間稼ぎを無駄にしては、犠牲に成った方々に申し訳ないですから。
でも、しなかったんです。自決もせずに。だから、その子孫は此処で栗田氏に偉そうにどうこう言えるのでは。
なんか沸いてるコメが散見されるが...
西村ターンは叩かれる必要はないと思うけど、圧倒的に戦力が劣るタフィ3にボコボコにされたのは叩かれて叱るべきだと思う。
面子で動くと海軍やらシナ共産党のようにろくなことにならんな。今でも同じなのかな、自衛隊を指揮する閣僚は。
栗田には前科がある。セイロン沖海戦の時だったか、敵の艦隊を発見しておきながら突撃せず同じ海域にとどまっていた。この時は南雲艦隊が敵を撃滅し栗田に咎めはなかった。またミッドウェー海戦で撤退するとき、配下の巡洋艦が衝突事故を起こしたが、海に投げ出された将兵を救助もせず現場からトンズラ。自らはまる三日間無線封鎖をして、その間敵のアメリカはもちろん日本の連合艦隊にすら栗田艦隊の居場所がわからなかった。そしてレイテ湾の突入中止だ。確かにレイテに突入したからといって戦況はかわらなかったかもしれない。しかし、それなら特攻で死んだ一般の兵士らはどうなるのか。特攻などしても無駄だからと考えて帰ってきてもよかったのだろうか。
ひろりん
セイロン沖海戦に栗田は参戦していない
海戦と同時期に行われた小沢治三郎指揮のマレー部隊によるインド洋〜カルカッタ方面の通商破壊作戦に従事していて、センロン沖海戦には加わっていませんよ?
この作戦で栗田は熊野、鈴谷、白雲の三隻で北方隊を編成し、小沢治三郎の中央隊ら3隊で3日間にわたり通商破壊戦を実施し、北方隊だけで8隻の商船を撃沈と活躍しています
(通商破壊戦全体の戦果は23隻)
そもそも与えられた任務は通商破壊戦なんですから、敵艦隊を見かけたらやり過ごすのは通商破壊戦の常識だと思いますが?
ミッドウェーでの経緯もよく批判論者が栗田の軍人としての指揮能力を否定する際によく出す話ですが、あなたの書いてる内容は全く事実と異なりますよ
衝突事故はミッドウェー海戦で空母3隻を失ったことを知った連合艦隊が、闇雲に命令したミッドウェー基地砲撃命令(南雲機動部隊がやられて制空権を確保できないのに重巡4駆逐2の栗田部隊単独でミッドウェー基地を砲撃せよという無茶苦茶な命令)を受けて進撃していた栗田部隊は、ミッドウェーの至近まで接近した状態で中止命令を受け、本隊への合流を命じられたことで、逆に敵の眼前で単独で撤退しないといけないというピンチになった時、信号の見間違いなどから最上と三隈が衝突事故を起こしてしまったことが発端
栗田は直ちに状況を伝えて救援を仰いだが、連合艦隊や上級司令部の第二艦隊からの指示はなく、合流命令は生きているため、健在な旗艦熊野と鈴谷と駆逐艦2隻を率いて本隊合流に向かい、中波した最上に、この時点では損傷軽微だった三隈を護衛につけて撤退させた
更に率いていた駆逐艦2隻も洋上で燃料を分け与えた上で最上らの元に向かわせて護衛させている
しかし翌朝になり最上らを発見した米軍は、これを損傷した戦艦と誤認して優先的に攻撃、この結果三隈は大破航行不能となり、生存者を救助の上沈没、最上と駆逐艦2隻は無事に退却した
という経緯です
まず衝突事故で乗員が海に投げ出された事実はありません
そもそも衝突事故で沈んだ船はありません
無線封鎖も緊急要請など必要な電文はちゃんと打っているし、そもそも敵前に単独で航空支援もなく取り残されているんだから無線封鎖は当然の処置です
損傷した艦の方により護衛を割いてもいるんですし
このことを逆に栗田批判者は内容を曲解して批判材料にしているんですよ
レイテ突入中止を、死んだ兵士達の思いを無駄にしたという論法は、かえって卑怯な論方だと思いますよ
じゃあ栗田艦隊将兵も無駄死にしてこいと言っているのと同じです
そんな感覚が受け入れられること自体特攻を容認した大本営の馬鹿参謀達となんら変わらない思考だということに気づかないんでしょうね
こう言った感情論で批判して客観的に考えれなかったから、日本海軍は負けたと言えると思いますよ
いずれにせよ、友軍が目の前で戦っているのに反転した栗田が腰抜けと言われても仕方無い。
多くの友軍を見捨てたのに、戦後に何も語らなったのも無責任すぎる。
「いずれにせよ」とか「ともかく」とかいう言語で始まるコメントって、大抵自分の考えと異なる論調に反論できない、反論を認めざるを得ない人が強引に自説を通そうとする場合が多いですよね(笑)
栗田の反転という判断は、当時の日本海軍の状況判断では逃げるどころか単独で南下してくるハルゼー機動艦隊に突入する危険極まりない判断だったんですけど?
この状況判断は日本海軍全体がしていて、軍令部でも反転北上を聞いて軍令部次長(伊藤整一)が「危険だ」と発言してたり、基地航空隊もこの北方を南下していると判断されていたハルゼー機動部隊へ攻撃隊を出す指示をしているし、日本海軍は小沢艦隊の囮作戦は失敗し、ハルゼーは大機動部隊を率いて南下していると当時は皆が判断していたんですよ?
囮が成功していたというのは作戦後になって小沢艦隊が帰還して判明した事で、そんな事後にわかったことを当時もわかっていたと妄想して批判するのは見当違い
無責任なのはむしろ作戦の根幹の基地航空隊が半壊しているのに、作戦をほぼ変えずに実施命令を出し、作戦を案の定失敗させ大量の艦艇乗員を失わせ、現場指揮官や大本営からの戦訓に基づく意見や具申(航空支援なしの艦艇を作戦に投入するのは無謀)を「根性がないだけだ」と一蹴し、続く沖縄戦でも同様な作戦を指示して大和らを沈めた連合艦隊司令部の方が無責任だし、戦犯です
しかも戦後はそんな愚劣極まる連合艦隊司令部の論調を支持して現場指揮官らに責任を負わそうとする論調に、単純に飛びつく輩が多かった事も栗田批判も源流です
そうした論調に嫌気がさした栗田がマスコミ嫌いになり、晩年取材を拒否したのは当然だったと思います
(但し親しい人物とかにはちゃんと証言をしています)
素人がupする内容ではないな ただ航空戦隊の奥村さんだったか奥宮さんだったか当時の海軍の現場の幹部には栗田健夫は凄いと言う人は多い
タカギケンイチ さん
映像見る限り、投稿者さんはレイテ沖海戦をよく調べているとは思いますよ
ただ2-30分ほどの動画に収めるには端折らなければいけない点も多く、それが説明不足のように感じてしまうか、勉強不足のように思えてしまったのかなと思います
むしろコメントしてる批判者たちの方が素人感ありありと感じますね
国防よりも、戦艦を守ることを優先した結果ですね。
なんかちゃんと考えもせずな発言にしか見えないですね?
興廃な
卑怯者栗田、全艦レイテに特攻すれば戦局は変わった半分は撃沈されるが帰還必要なし
戦局が変わった(栗田艦隊が全滅して日本の降伏が早まる)
@@kenchinjiru81さま
陸軍が認めません。
タクロバンまで4時間。艦載機320機。水上艦隊。
たいして相手に何も出来ずに途中で沈む、
なんか、コロナ禍の日本の対応とかぶるな。
その時歴史が、怪しい、雑誌掲載、生前、栗田長官なにも語らず、だけど本当のことを話したらみんなおかしくなる、なんだろう。what 色々調べてみたら三川軍一輸送船を攻撃しない、知りたくない。
海軍乙事件、ダバオ誤報事件、台湾沖航空戦の過大な戦果報告。この3ッでもう負けているわ