【ストⅡ】80年代のゲーム開発、何が難しかった?|アーケードゲーム制作秘話
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- เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024
- カプコン40周年おめでとうございます♪♪
80年代カプコンの立ち上げ初期に開発していたアーケードゲームの開発において、苦労したことはぶっちゃけ何だったのか?現役ゲームプロデューサー岡本が当時を振り返ります。
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▮ 自己紹介
岡本吉起 (ゲームプロデューサー)
1961年生まれ。83年に創業間もないカプコンに入社、『ストリートファイターⅡ』など、数多くのヒットゲームを生み出す。
03年にカプコンを退社し、ゲームリパブリックを設立。
自らのスタジオで大作ゲームの製作に着手するが、10年頃から経営難になり、実質的に活動停止。
近年では大ヒットスマートフォンアプリ、
『モンスターストライク』の開発者の一人としてプロジェクトに携わる。
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▮ 当チャンネルについて
業界歴42年。借金17億から最高月収4.3億へと人生逆転した稀代のゲームプロデューサー岡本吉起が、ゲームの開発秘話やゲーム業界の情報を発信していきます。
カプコンの対戦格闘とベルトスクロールアクションは2023年の今でも頂点ですよ!
スペイン人なので、日本語が下手ですが。。。どこかで、岡本さんはいたずらをするのは得意でしたって読みました。例えば、ミーティング途中でだれか寝ちゃったら、皆静かに部屋を出て、窓を閉めて時計の時間を遅く変えて、その人起きたら「遅いっ!」っていうような冗談があったらしい。Capcomアメリカの人も、「ゲームの面白いアイデア!」というビデオを日本の岡本さんから受けて、社長の前でそのビデオを見たらAV動画だったらしい。この話、本当なんですか?もっと、このようないたずらについて話していただけないのでしょうか。
ほか質問をしてもいいですか?MD型のスト2は、最初は他の会社が開発して、CAPCOMがそのゲームを見たらあんまり好きじゃなかったので自分で作り直すことにしたらしいんですね。昔のゲームの多くのファンはそれについて気になっていることは、最初に作ってた会社は誰なんでしょうか?
ゼロから産み出す難しさは相当なものだったと思います。そんな中で後に格ゲーという新ジャンル誕生に繋がり今でも根幹の部分は受け継がれているスト1を作ったカプコンは本当にすごかったんだなあと思います。
ゲーム開発はしないけど、毎回岡本さんの話は興味深く観させてもらってます。岡本さんの話、ホント好き。
容量を弁当箱で例えた話が面白かったです。ツクール系のゲームにドハマりしてた時に同じ様な思いをしてたかも。風呂敷を広げ過ぎて「全然容量足らん!」ってなってましたw
RPGツクールでは、ひとつのスクリプトを出来るだけ使いまわせる様に工夫したりしてたなぁ。
子供の頃、新しいゲームやるたびにワクワクしました。
格ゲー今思えば斬新だったんですね
当時、ゼビウスの設定資料の量を見てびっくりした記憶があります。ゲーム作るまでここまでの設定を考えるのかと・・・あれもゲーム制作を進化させるには重要な事だったと思います。その後、さまざまな職業が産まれ。バイオハザード2のシナリオライターにも、そこまで製作費をかけられるようになったのも、ゲーム制作が映画産業化している感じを受けました。大作ではなく、ちょっとしたアイディアで簡単に作れてヒットするようなインディーズが拡大してほしいですね。
ファミコンのウラ技とは実はバグだったけど回収したら大損するのでそのままウラ技として回収問題を回避した話や同じくファミコンのグラディウスが大量に売れたのにも関わらず在庫が余り過ぎた問題も岡本さんの話で理解出来ました
カプコンも40周年を迎えて今回一気に放出してきましたよね。
祇 -Path of the Goddess- 面白そうです。
ロックマンがギャル化したのにはちょっと萎えますが時代ですね。
未だにCPS1のゲームが一番面白いと思います!
絵も音も好き😄
あれ音が独特でいいんだよな。
80年代からズレますけど、昔のゲームは容量も少ない中、内容とシステム、音楽も凄い印象に残る様に工夫されてたんだなぁと感じます(特にゲームボーイ)
また、今回の話を聞くまで気づかなかったのですが、言われてみれば今はOSからMWから何でもオープンソースも沢山あるので、0から作るというのは相当大変だったと思います(しかも短期間)。
今回も貴重なお話ありがとうございました。
制約が多い中で、試行錯誤するのは不要だったのでは、ということですが、今のゲームのアイディアのほとんどが8ビットの時代に出てるのを考えると、必要なことだったのではないかな、と思いました。
アセンブラ、とか、ゼッパチ、とか懐かしいワードにキュンキュンきます。懐かしい話をたくさん聴かせていただき、誠にありがとうございます!!容量ないから楽しかった、ってのは確実にありましたね!バンドがメンバーで自分らの曲を作るみたいに少人数であーでもない、こーでもないしながら徹夜しまくって作るが当たり前の時代。なぜかすごく楽しかったですね!今は容量なんか気にしないで、制限もあまりなく、やれないことも昔とは違いますが、今は今で楽しいのかなぁ。
何百人体制で何年もかけちゃうような開発の時代がくるなんて当時は思いませんでした!凄い進化しましたね。ゲーム業界。
私は他社の社員でしたが、とても懐かしくもあるあるな話でした。とてもとても共感しました。
最近になって知ったのですが、当時のゲーム制作現場ではハードのスペックの問題(ボトルネック)よりも
ROM容量の問題で全体的に質を下げざるを得なかったり、一部の要素(音関連など)にしわ寄せが生じる
場合が多かったらしいですね。今回「当時は限られた容量の中に何を詰め込むのか、非常に悩んだ」との
お話を伺い、やはりゲーム制作現場においてはROM容量の多い少ないは大問題なんだなと感じました。
当時の貴重なお話、ありがとうございます!
絶対、色んな状況を加味しても、当時の方が開発は楽しかったと思うなー。
制限下の表示力向上、個のプログラミング、システムの自由 等々
黎明期は、個人の手作り感と容量との戦いでしたね。
ゲーセンや駄菓子屋やコンシューマー機で進化を見れて、オタクにとってはいい時代を過ごせたと思います。
容量問題で有名な話だと、ドラクエ1でダークドラゴンをダースドラゴンにするぐらいギリギリだったのに関わらず
「ぱふぱふ」入れるこだわりは凄いですね。
Z80かぁ…
20年前専門学生の頃2期くらい使った長期課題で富士ソフトの相撲ロボットコンテストに各自一台相撲ロボットを制作して参加するってのがあって、その時の制御装置の選択肢の片方がZ80だったなぁ…
当時俺はZ80だと回路図引いて基盤屋に選択した学生分一括で発注する事になる納期から忙殺されて勉強どころじゃなくなると思いキーエンスのシーケンサ使ってラダーで組む方向に逃げちゃったけど、Z80を選んだ連中はお話のような苦労をしてましたね。
それで回路図でしくじってて見える部分だったら削って修正したりジャンパ線でつないだりして、積層の中だったらアウトなんで生板にマジックみたいなので回路図書いて硫酸かなにかの中に入れて銅を溶かしてできた基盤に部品を実装して、一枚だと規定のサイズに収まらないからスペーサー使って何段かにして自分で作るとかしてるのを横で見てたり後学のためと思って手伝ったりしてましたよ。
当時の先生は家電メーカーの開発部署を退職された方で家電の開発もこんなモンと言われたのを覚えていますが、アーケードも毎回筐体が進化していったならハードの部署ではこんな苦労もあったんじゃないでしょうか?
もし今の学生が相撲ロボット作ろうなんて思ったらラズパイ使ってササーッと作っちゃうんだろうな~(遠い目。
岡本さんの描く世界を小さな小さなディスプレイで50円玉を使うたびにキラキラした目をしながら広大な世界を夢見ていました。
子どもの頃に寄り添ってワクワクさせて頂いて本当にありがとうございます。
昔のクリエイターのが凄かったざます。
そりゃあまあ昔のクリエイターも間違いなく凄いですけど
少しでも気に入らない所があれば鬼のように叩かれる大変なプレッシャーの中
他社のハイクオリティなゲームに負けない覚悟で創る現代のクリエイターも間違いなく凄いです。
凄さの方向性が違います。
制限が違いますからね。マシンパワーで強引にゲームを動かせる時代でも無かったでしょうし
容量問題もゲームの出来を優先させる為にサウンドが犠牲になったゲームも多いのでしょうね
カプコンの何かの記事でゲームを作る時に容量確保の取り合いで喧嘩になったというのを読んでゲーム制作への情熱を感じていました
当時はハードに制限があるの中いろいろと試行錯誤しましたね。
最近の若い子に「アイテム数のカウントが10個MAXなら、1バイトのうち上位4ビット下位4ビット分ければ2個のアイテム数のカウントの管理できるよね!」と言ったら、何言ってんのこのおっさんって顔されたw
20年前の自称SE君が「C言語みたいなアセンブラ」にイラついて、アセンブラ・コンパイラ・インタプリタの違いを教えたら発狂されたw
昔の開発期間の異常な短さは、当時のリソースのスケールやHWとの近さから「コンパクト」なイメージがどこかあったんですが、全然そんなことは関係なくて、ただただヤバいというだけだったんですね...ひえぇ
ファミコンは 6809 ではなくて 6502 ですね。
正確には、オリジナルの6502ではなく、リコー社によるカスタマイズが施されたCPUですけどね。
多分 2A03
今回もとても面白いお話をありがとうございます!
岡本さんに聞きたいことがありまして、シリーズもののゲームの完結、最終回についてお聞きしたいです。
ストリートファイターやバイオハザードは人気があり新作が作られ続けてます。
一方、カプコンの看板タイトルの一つだったロックマンやロックマンXはハッキリとした完結がないまま作品としてフェードアウトした印象です。
人気シリーズの新作が作られ続けることは嬉しくもあり、ストーリーがしっかりしてる作品だと完結しないことに疑問もあり、人気が下降したら作品としてフェードアウトして悲しくもあり、と勝手ワガママに思っております。
ダウンタウンの松本人志さんがバラエティ番組は人気が落ちて終了することがほとんどで人気絶頂で終わることはほぼないとかつて仰ってましたが、ゲームも同じように有終の美というのはあり得ないのでしょうか。
シリーズを続けていくことの苦悩、シリーズの終わらせ方、自分が意図しない突然の終了などなどお聞きできたらと思います。
長々と失礼いたしました。
よろしくお願いします。
大変興味深く拝聴しました。
できれば、当時の開発機材や開発環境について、また詳しく伺ってみたいです。PCが高性能化した現代では手直しの際でも簡単にコンパイルして実行できるでしょうが、当時は大変だったのではないでしょうか?また、他の80年代のとある業務用ゲーム(記憶が定かではありませんが、おそらくグラディウスの開発裏話だったように思います)では、BGMの演奏データまでもマシン語で直接打ち込んでいたなんて裏話を読んだことがありますが、岡本さんの周りではどうだったのでしょうか?
カプコン、コナミ、ナムコ、任天堂、タイトー、セガ…を中心に当時はどんどん新しいゲームが出てたイメージでしたが、そのような苦労が…だから斬新なゲームも出てきたんですかね?80年代の小学生~大学生ころまで、ずーっとなんかしらの面白いゲームソフトが出てたイメージです(笑)
A4の紙にどう書いたのかイメージがわきません。図が欲しいです。
今はたしかにいろんなことが出来るようになっていますが、根本的なところは変わってないと思います。
ためになる動画ありがとうございます🎉👏
やれる事少なかったからアイデア次第でなんとかなってた気がする。今でもそうだとも思うけど何でも出来るから結局技術と財力がある所が強すぎて面白くないな。企画者も昔と違って覚える事が多そうだなあ。
80年代ゲーで個人的にショックを受けた作品はブラックオニキス、ドルアーガ、ハイドライドの3作品だなあ。
制作者はたぶんウィザードリィウルティマをたぶん参考にして作ったのでしょうけど
ドルアーガハイドライドのアクションRPGは参考にできるゲームなしに開発された訳だし
凄い発想だなあと思いましたよねw
「Z80入門」とか書いてる本の巻末辺に載ってる、16×16マスのニーモニック速引き表を観ながら手書きのアセンブルをポチポチ…
得てして暴走してアタマ抱えたりするんですがw
ROM化してパッチ当て不可能な製品のリリース前はほんと吐き気を催すほどの恐怖ですよね。
全然関係のない話ですがスーファミ版のスト2ダッシュターボでパンチとキックの同時押しコンボが廃止されていたのはなぜでしょうか?
メガドライブ、PCエンジンでは繋がるコンボがスーファミ版では絶対に繋がりません。
メインはスーファミで遊んでいたのでめちゃめちゃ困惑しました。
単純に移植スタッフが知らなかったとかあるんですかね?
機会があればよろしくお願いします✨
いやもう昔話したら止まらんですよね。苦労しかなかった。でもそれはそれで楽しかったです。
今なら1つのフラグで 64 Bit ですからね。黎明期は 1Bit の戦い。だれがその 1Bit 使うのか、取り合いでしたw
Z80 は (8Bit CPU ですが) アドレスレジスタが 16Bit だったので、64KByte までは扱えましたが・・・
昔、ファイナルファンタジーとかでも1年に1回出るのが当たり前だったなあw
限定的だから、面白いこともできたと思いますよ。オープンフィールドで無制限にすれば、面白いわけでもない。一長一短なきがしますね。
ファイナルファイトの1コインクリア時のスタッフコメントで(帰れず)毎日牛丼だったって言ってたのはあきまんだっけ?
先生
いつも楽しく観戦しております\(^_^)(^_^)/
昔はフロッピー以下の記憶媒体で仕事してましたよね
魔界村の頃は「デポジットコイン」だったのをインサートコインに変えた理由はなぜですか
ソ連という国は今思うとすごいね
ファミコンは6809じゃなくて6502です。
今のパチンコやパチスロ開発がそれに近いみたいですよ。
設置された台の基板は封印されるので、致命的なバグ出すと損害補償が凄いらしいです。
オカムラさん、ケイブのゲーム開発も見てください!ケイブの株価も見てください。。
クソガキ時代、手元にあったのがMSXだったからZ80には親しんでいたけども、それだってBASICの提供があったからクソガキでもどうにか触れていたわけで、アセンブラ開発なんて気が遠くなる・・・
「今と同じで」「殆どがクソゲー」という言葉が気になりました(ちゃんと正確に検証できるものなのか気になるところですが)。
岡本さんの考えるクソゲーの定義、また殆どがそうなるならなぜそうなってしまうのか?などのお考えがあれば御聞きしたいです(重箱の隅を突く様な指摘でしたら申し訳ない)。
開発期間が長く取れなかったというお話は、本当に大変だったんだな~と思わされました。