【廃線跡】東の果てへ、もう一つの標津線。標津線 厚床支線(中標津~厚床)廃線跡、駅跡巡り
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- เผยแพร่เมื่อ 11 ธ.ค. 2024
- ※以前にメインチャンネルで公開していた動画です。
2020年10月に1989年に廃線になった北海道のJR標津線。今回は標津線の支線、通称厚床支線の中標津~厚床の駅跡を巡ってきました。全駅跡収録。1日たったの4往復しかなかった支線の駅跡は現在どうなっているのでしょうか。
標津線(標茶~根室標津)の駅跡巡りの動画はこちら↓
• 【廃線跡】もう一つの東の果てへ。標津線(標茶...
使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:www.gsi.go.jp/...
春別駅が懐かしいですね~❤昔、住んでたので❤
平糸駅は、自然に飲まれつつもホームが残り、現役の頃を私たちに伝えてくれる。
線路や歩道が消滅しても、まだ、駅として生きている。
ひろりんさんが、こういう所まで踏み込んでくれるおかげで、こうやって見せて貰える。ありがとうございます。
奥行臼駅は、やはり素晴らしい。いつ列車が到着しても不思議に思わない雰囲気が出ている。
厚床駅の衰退ぶりが伝わり、切ない気持ちになります。
Boke新人おっさんさんへ
6月25日の19時台に、あなたのコメントを拝読し共感を覚えました。今し方私は、ウィキペディアにアクセスし支線の起点だった厚床駅の標津線全廃以降の歴史について検索し判った事を以下に挙げます。
→厚床(アイヌ語のアットゥクト〔オヒョウニレの(林の)向こうに在る沼=遥か北側に位置する温根沼(おんねとう)〕の訛りからとか)1989月4月=厚床駅3番線から発着していた支線が廃され、当駅は簡易委託に。
1995年6月=完全に無人化。
2016年3月=2番線も無くなり、棒線に。案の定、駅前も(宗谷線の雄信内と同じ)廃屋だらけ
との事です。あなたは厚床の寂れ方を真剣に受け止められているんだなと私も理解し、過疎の問題は何処でも有り得て何らかの手を打つべきなのではと考えさせられましたね。梅雨晴れとはいえ猛暑が続きそうですが、元気で過ごされますようお祈りします。
↑厚床でほたて弁当🍱買ったオッサン😉
平糸駅と奥行臼駅の写真、素晴らしく、しびれるというか心にズシっときました。感動的な時間をいただきました。ありがとうございます。
👍️
すべて拝見しました😮街中心街は鉄道があった場所はわからないくらい面影がなくなったね。ただ一部はホーム跡や奥浦臼駅が残ってる😭いいね厚床駅は寂しい無人駅。ところで何もないとおっふとでる。😮
やはり、夕暮れの幽かなグラデーションを背景に沈む奥行臼駅の写真が凄すぎます。
何度見ても寂寥感と重厚さが共存する素晴らしい写真ですね。石狩金沢の夕焼けや安牛駅の
灯りの写真と並んでひろりんさんの写真集が出るならマストな一枚ですね。
スパチャありがとうございます!
夕暮れの奥行臼駅は格別でしたね…
訪問しました。奥行臼駅跡は素晴らしいと思います。平糸駅跡の訪問が出来なかったのが残念でなりません。
奥行臼駅跡行かれましたか~
平糸駅まで笹薮を押しのけて行った甲斐がありましたね。駅残ってましたね!!
手ぶらで無くて良かったです。
平糸駅はこんな場所でもホームが残っていました!
自然に還ってる中で奥行臼駅跡は風情あって懐かしさや列車が来ない寂しさを一度に味わえますね。地震にもよく耐えてますね。
奥行臼駅跡は素晴らしいです…
人口より、牛の数の方が多い酪農の町、別海町。
厚床から中標津へ。
標津支線が走っていた頃の北海道は「元気」でしたね。
あの頃がホントに懐かしい。
この動画を拝見して、若かりし頃の自分が蘇る思いです。
そうですね。
この頃の北海道は元気でした…
おくゆきうす奥行臼は是非に訪れたくなる地名(駅名)ですね。そして駅跡ですね。ひろりんさんのシリーズ動画から北海道の地理を再勉強しています。北の大地には他にも行ってみたくなる地名がいくつもありますね。
北海道には、そそられる地名がいくつもありますね…
標津線には乗車したことありませんが、51年前に厚床駅で標津線のC11牽引の貨物列車の写真を撮りました。駅の様子もかなり変わっていますね。でも懐かしくていつかまた訪れてみたくなりました。有難うございました。
何度見ても、奥行臼駅は雰囲気が、良いですね🚃
本当に奥行臼駅は…
素晴らしいです…
平糸駅跡に、もし駅名標が在ったなら泣けますね…
奥行臼駅跡は、いつ観ても圧巻ですね…電柱はだいぶ傾いてきたけれど、末長く遺して欲しいものです。
厚床駅ホームのベンチ残っているんですね。
この辺りから根室方面に向かうにつれ、植生の丈が低くなって行くんですよね…
現在は平糸駅にも駅名標が設置されたようです…
訪れる者の気持ち、解っているんですね!是非、観てみたいです…遠いけど。
厚床駅の動画にチラッと出てくるホーム上の待合室は去年の9月に行ったらなくなっていました(泣)
数年前から待合室にピアノが置いてあるのが謎ですw
今回も別海在住時代のころを懐かしく思い出しながら見させていただきました。ありがとうございます。駅周辺も変わりましたが、駅間の国道に残ってた踏切とかも今ではすっかり跡形もなくなってしまいました。
奥行臼駅素晴らしいですね!言葉を失うほど素晴らしい残し方ですね。行ってみたい
理想的な残し方ですね。
何度行っても素晴らしい駅跡です。
北海道の鉄道は都市部以外は全般的に駅間距離が非常に長いですが、別海から厚床の間は、途中奥行臼一駅しかないのに、次の駅までがかなり長かった気がします。道東の植民鉄道施設は比較的大事に残されているケースが多くて嬉しいです。
ここは特に駅間の距離が長いですね。
ここの簡易軌道の自走客車は動態保存の計画があるようなので、楽しみです。
@@hiroring0323_2 さん マジですか!確か地場の釧路製作所製ですね。
釧路製作所といえば雄別炭礦鉄道の子会社で、今も機械製造会社として盛業中ですが、
メーカー自身が再生に加わってくれたら面白いですね。
@@kutakichi_
釧路製作所さんは雄別鉄道の機関車も綺麗に保存してくれているので、自走客車の再生にも関わってくれたらいいですね~
ひろりんさんとくたきちさんへ
6月25日の朝8時台に、あなた方の遣り取られを拝読しました。今し方私は、ウィキペディアにアクセスして通称「厚床支線」の別海と厚床間の距離について検索し判りましたので以下に記します。
→別海と奥行臼の間は12.3㎞
奥行臼と厚床の間は11.5㎞
との事です。くたきちさんも、厚床支線の現役時代はその長さから果てしなき根釧台地の広さを車窓から実感できたろうなと懐かしさも一入だったのではと察します。ひろりんさん共々、元気で過ごされますようお祈りします。
5年ほど前に、釧路市博物館の石川さんが手がけられた殖民軌道に関する研究書の出版と、それに付随した特別展やセッションなどの催しが行われ、これを機に殖民軌道の文化的遺産としての意識や、保存活動、文化財指定、保存展示用としての再生復活などが活発化してきた感があります。それまでは、20年以上さび付いたままの車両が公園などで放置、多くは荒廃が酷く解体されたり、施設も藪や土に埋もれたまま放置のところが多かったです。
標津線の中標津~厚床間1日4往復でしたが、結構な数のお客さんは乗ってましたね、別海駅前は市街地が形成されていてもう少し列車本数が有ってもいい思ってました、去年12月に厚床駅に行ってきましたが駅舎は綺麗に建て替えられてましたが、昔は急行停車駅だった有人時代と比べると寂しいですし、市街地が歯抜け状態に成ってますね。
厚床は随分寂しくなりましたね…
廃線になった中標津や別海の方が賑やかですね…
やはり、奥行臼の存在感は強烈ですね。古い駅舎や構内を当時のまま残し、あえて保存車両を置かないストイックさは、何か強い意志のようなものを感じます。
町営軌道や駅逓の跡も含めて公園化するという話があったと思いますが、その後どうなったんでしょうね。どれも貴重な交通遺構、大切に保存してほしいものです。
奥行臼は素晴らしいですね。
車輛を置かなくてもこれだけの存在感…
町営軌道の自走客車を動態保存する計画があるので楽しみですが、公園化して今の雰囲気を壊されなければいいですが…
撮影ご苦労様です。
別海駅周辺が当時と変わらないのに驚きです。
本当に列車の本数が4.5本の町とは思えません
奥行臼駅、綺麗に保存されていますね、これからも大事に保存していただきたいです。
別海町はあの立地でも比較的財政も豊かな自治体ですからね。
@@hiroring0323_2 釧路も近い町かと思いました、札幌からも高速バスが出ているのでしょうかね?
鉄道なくても発展しているということはそうなのかなと個人的に思いました。
@@笹原康平
中標津に空港もありますからね。
根室管内では根室よりも中標津、別海の方が賑やかに感じます。
@@笹原康平 札幌~中標津・別海経由~根室の夜行高速バス🚍️ありますね😉
@@psychedelicraspberry517 ありがとうございます。
たった1駅でいきなり 秘境駅みたいな感じになる支線じゃ
1日4往復も納得できます お客さんが確実に乗るとしたら中標津、春別、別海、厚床の4駅のみ
これでは廃止されても 致し方ないです
あと奥行臼駅あと 駅舎に線路にホームもまで在って何ともいえない雰囲気あって
そこだけ時計の針が止まった感じがします
奥行臼駅跡は本当に素晴らしい駅跡です。
以前厚床駅に訪れました。駅舎の中にはストリートピアノがあったり、壁にメッセージを書いたりできるコーナーがありますが、どこか寂しさを感じる駅でした…。
それでもまた訪れたいと感じました。
厚床駅は随分寂しくなりましたね…
アルバムを見たら厚床〜中標津の途中駅の写真が全てありました。車内から軽く撮った物なのでアングルはいまいちですが…
奥行臼の側線は廃止後に復元したものなので当時は棒線でした…
奥行臼は当時は棒線駅でしたね。
現役時の途中駅の写真が全てあるのは凄いですね!
標津線はJRになった後に廃線になったんですね
乗りに行けたのに行ってなく今思うととても残念な事していたと感じます。
廃線後になってあちこち見に行ってます
ありがとうございます。
byカツ
標津線は民営化後の天北線と同じ時期に廃線になりましたね。(廃止日は1日違い)
岩内線、士幌線、胆振線、深名線などは乗ったんですけどね
平糸のヤブコギはやばそうですね。壊れた小屋は保線小屋と聞いた事があるような・・・厚床の転車台跡はまだ在りそうなので見に行きたい。
平糸駅の小屋の倒壊する前の写真をTwitterのフォロワーさんに送ってもらったんですが、この規模の駅の待合室にしては少し大きいので保線小屋だったのかも知れませんね。
@@hiroring0323_2 別海は中標津に比べて古いものを残そうとする気持ちが感じられます。しかし別海駅跡から厚床駅までハイキングコースを作って案内板もありますが距離を想像しただけでも怖くて・・・。
厚床生まれ育ちのものです。
厚床支線の貴重な動画どうもありがとうございます。
懐かしくて涙が出てしまいそうです。
厚床駅も、隣の奥行臼のように昔の駅舎を保存していれば良かったのにと、つくづく思います。
厚床駅も昔は素敵な木造駅舎がありましたね。
昔の駅舎ご存じですか。
厚床は駅舎以外に機関区、保線区、電気区がある鉄道の町だったんです。
今は鉄道官舎のあった処は草原で、ソーラーパネルがあったりして寂しいかぎりです。
またの懐かしさを想わせる動画、期待させて頂きますのでよろしく。
@@ミラコー-r9q
木造駅舎時代に訪問したことはありませんが、昔の写真や駅の構内配線図を見たことがあります。転車台もあって規模の大きい駅だったんですよね。
いまだに、厚床駅で標津線乗換の待ち時間で、駅を降りて道斜め前にある商店(建物だけは現存)で、隠れた名物駅弁「ほたてめし」を購入。中標津までの車中で食べたときの美味しさが忘れられません。この幻の駅弁。数年前、イベントで一時復活したそうですね。
@@Su---- 私は昭和61年3月に買って(厚床支線からの乗り換え)、根室行きの車中で食いました😉
ひろりんさんへ
6月24日の20時台に、この標津線の跡(通称は、厚床支線)を扱われた後編の動画を全編拝見しました。別海町営の簡易軌道で使われた小型の機関車が牛乳運搬車と呼ばれた事から、私は位置していた根釧台地の土質(標高が高い台地故の寒冷さ且つ火山灰が堆積してきた為野菜等は育ちにくいそう)から牧草地作りに特化し酪農を興された人達が居たんだと納得しました。この支線も大半が駅舎が解体され起点や終点は市街地が寂れ、平糸駅の跡も完全に自然回帰の様と北海道(全国なら過疎)のリアルを垣間見た思いです。ひろりんさんも、(住まわれている多治見市も梅雨晴れから猛暑ではと思われますが)天気の変化や健康に気を付けられますようお祈りします。
2004年にレンタカーで野付半島や標津町〜根室を巡ったときに奥行臼駅跡に立ち寄りました。ここでも駅ノートに書いたけどまだ残っているかな?
カーナビを見ると走行中の道と牧草地しか写ってないのでカオスでした。さすが別海町ですね。
奥行臼駅跡にも行かれていましたか~
この駅を保存してくれた別海町は素晴らしい…
@@hiroring0323_2 長いドライブの休憩がてらの廃駅見学です。あと有名な所では幸福駅に行きました
奥行臼駅すごいですね。
また行ってみたい場所が出来ました。
奥行臼駅は素晴らしいです…
根室や宗谷地区の最果て感は住んでる方には申し訳無いですが哀愁を感じます。
30年ほど前に一度だけ訪れたことがありますが景色が変わってない気がします。おっさんになってしまいましたがゆっくりじっくり周ってみたいですね。
この最果て感が好きです…
奥行臼駅跡の風情なんとも言えない凄みがありますね
鉄道の歴史≒開拓の歴史だけにきちんと保存されてるのかなあと思いました
道東ゆっくり訪ねてみたいものです
これだけの状態で保存されている駅跡はなかなか無いですからね。
今年も7月17日小樽着のフェリーで渡道しますが、今回、奥行臼駅はルートから外れています。来年には是非行きたい場所ですね!
私も7月17日から北海道です。
今回は道南方面ですが。
奥行臼、なぜか入場券を買った覚えが残っています。
まだ、昭和の御代だった頃に。
現役時代に行かれていたんですね~
羨ましいです…
@@hiroring0323_2 さま
あの頃、すでに駅の周囲は... 😥
奥行臼駅のたたずまいは良いですね、列車が有ったら良いのにと思いました。
奥行臼駅はいいですね~
大阪府の枚方市と別海町は姉妹都市で、昭和の時代は酪農家の息子さんのお嫁さんを見つけるために行政主催のお見合い会が定期的に行われていました。そのため別海町では枚方市出身の奥さんが多く、かつて街では大阪弁があちこちで聞かれたそうです(笑)
そうなんですね~
それは知りませんでした!
中標津町と別海は基幹産業が健在なので、スマートな過疎化に対応できていますね。個人的には北見市と釧路市の行く末が心配です。
そうですね…
最後の厚床駅は路線が分岐する機能が無くなると鉄道要衝としては寂れてしますのですね。
厚床は随分寂れてしまいましたね…
“支線”というと、今の北海道では千歳線や室蘭本線で、首都圏では南武線や鶴見線で、あと大垣駅辺りだと東海道本線でありますが、どれもチョビ髭程度の路線長のイメージですね。でも標津線ではどちらが主たる路線なのかは列車本数で判断しないとハッキリしないくらいの長さがありましたねぇ。
支線が50キロ近くありましたからね。
奥行臼駅「いつでも大丈夫、みんなをお迎えする準備は出来てるよ」
平糸駅「どんな姿になってもね、僕たちは駅、僕たちの仕事は変わらないんだ」
そんな声が聞こえてきそうですね。
@@hiroring0323_2
どの駅も、まだまだ頑張ってますね
@@hiroring0323_2
どの駅も、まだまだ頑張ってますね
賑わってるとこと、おっふと両極端ですね。
そうなんですよね…
当時の駅名標には別海町の文字がずっとでは。それだけ広い町。その呼び名はべっかい、今はべつかい駅名だけなぜか違っていた駅。今度はバスに乗ろうかな。
別海町は広いですね。
別海駅も駅舎のホーム側に貼ってあった駅名標はBEKKAIになっていましたね。いずれにしても町の正式な名称はBETSUKAIですが。
標津線には大学生の時、北海道周遊券にて全線乗車しました🎵。当時の車窓はとても風情のある景色でした😄。厚床に同級生の実家があり、夏休みに訪ねる目的もありました。この時の周遊券で二週間かけて国鉄全路線を走破‼️しました🎵。ヒロリンさんの廃線動画の路線は全て乗車しています🎵。まだアップされておられない松前線、瀬棚線、胆振線、士幌線、池北線、広尾線、名寄本線、興浜北線.南線、斜里から知床に向かう線(名前忘れました😂)等、今はどうなっているのか興味深いです‼️是非、アップしてみて下さい。学生時代にタイムスリップしたいですね🎵
斜里からの路線は根北線ですね😉
駅があったって証が残ってるほのはありがたいね。
当時に近い状態で保存されているのは嬉しいですね。
今回もありがとうございました。動画をみると安心?するのは自分だけではないと思います(^_^;)
先月別海町まで行ったのに、時間がなく奥行臼駅跡に寄れなかった。
失礼しましたm(_ _)m
ありがとうございます!
宮脇俊三氏の紀行文と共に行ってみたい場所です😸
宮脇俊三氏の本は今でも読んでいます。
@@hiroring0323_2 様。
北海道辺りの紀行文は中々に記憶に残りますね。
宿が取れずにラ〇ホに一人で泊まったとか。
勿論標津線も。
10:58 車庫の跡の探索はしてないんですね。藪の中を漕いでいけば、なかなか面白いものが見られるんですが。
th-cam.com/video/KeihEaH33BI/w-d-xo.html
次回は車庫の中も…
北海道の道東方面で、そんなたかが30km、40km程度で遠い!なんて言っとっちゃー、生活出来んすよw
僕も実際見た事あるけど、イオン釧路店まで100kmとかゆー看板あったしww
アッチは下手すると、隣の家まで10km、隣町まで100kmの世界すからね♪
それこそ、『ラ』ベルが違いますwww
今でもあるけど、そんな広大な原野の中を走っとっても、そりゃ、誰も乗らんゎな(泣)
毎日車通勤で20kmを1時間かけている者としては遠く感じますねw
奥行臼ですか、廃軍になったキハ40やDLDE10の廃車を設置して欲しいですね‼️キハ40も、解体するぐらいなら。
北海道のキハ40も凄い勢いで解体されていますね…
@@hiroring0323_2 廃車の間違いでした。
中標津はやっぱり大都会ですね。
大都会です!
奥行臼駅跡は何度見ても素晴らしい保存状態ですね!
車両がいないのが寂しいと思ってしまうぐらいです。
奥行臼駅跡はいいですね~