窮地の中堅チームを救った救世主たち 知られざるストーリー【F1歴史解説】【ザウバー C14】
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- เผยแพร่เมื่อ 9 พ.ย. 2023
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今回はメルセデスからフォードにエンジンを切り替え、レッドブルがスポンサーについた1995年のザウバーについて解説していきます。
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ザウバーって決して大きいとは言えない中堅チームなのに、名を変え、体制を変え、それでもなんだかんだで今まで続いているんだから改めてすごいよなあ。ペーターおじさんもここまで続くとは思ってなかったろう
この頃からフレンツェンの速さは本物だった。
レッドブルって30年近くF1マシンの
スポンサーやってるんですね🇦🇹
9:21ベンドリンガーとレートは、ザウバー参戦初年度に活躍したドライバーだったのですが、二人とも94年の事故からその後の運命を大きく狂わせてしまいましたね…。
ベンドリンガーは「自分でもなぜこんな遅くなったのか分からない」と話していました。皮肉なことにチームを解雇されてからはスピードが回復し、別のカテゴリーで活躍し、「95年当時がこの体調だったらF1でやれたのに」と語っていましたから、タイミングが合わずに惜しかったですね。
それでも命が助かったのは何よりなのですが。
シューマッハがもっとも恐れていた男が、同じメルセデスジュニア出身のフレンツェンだという。実際、のちにジョーダンでチャンピオン争いに絡む活躍を見せることになる。
ヴェンドリンガーはやはり94年モナコの事故がきっかけで速さを失ってしまったようで、彼のF1キャリアは95年で終わってしまった・・・・しかしその後、他のカテゴリーで活躍することになるとは思わなかった。
当時はレッドブルもペトロナスもなんやねん?って感じだったけど
今ではすっかり超有名企業になってしまいましたな
この頃のメルセデスエンジンはイルモアに丸投げだった。
ザウバーの参戦開始年と私の生まれた年同じなんだ!!
すごい親近感が湧きました…!
いつも勉強になる動画ありがとうございます!
過去のことをよく知らないF1の新参ファンなのでいつも楽しく見せていただいています!
マジか…
自分がおっさん(と言うかもう初老)である事をまざまざと見せつけられた感じ(T ^ T)
わし参戦開始年は大学生…
30年前、日本ではけして一般的ではなかったエナジードリンクのレッドブル。日本でセブンイレブンが先行販売開始するのは2005年程だったかな?今では誰もが知っているブランドになった。
なんだかんだでヴェンドリンガーはF1離れて以降もレッドブルとは縁があり続ける事になった
なんやかんやで今も走ってるザウバー、レッドブル。
走らないザウバーC14でフレンツェンは
光走りを魅せてくれた
フォードの、V8エンジンは、素晴らしいエンジンと思いますね。消えるのは、寂しさがあります。これも、時代流れかな~
ある意味元祖レッドブルマシン。この頃はレッドブルがザウバー買収すると思っていた。
1980年頃、ザウバーは、日本のオートスポーツ誌で「ソーバー」という名前でGr.6のスポーツカーレースでそこそこの成績を残していた記事を記憶しています。その後いろいろ変遷はありましたが、なんとなく「生真面目なレース愛好チーム」としてF1参戦前期は応援していました。ピーターさんの誠実な人柄がチーム運営から失われた後は、まったく別のチームになってしまいましたね。
AS誌の英訳表記は、チーム名や人名まで色々おかしいので、仕方ないです😅
ブートセンを思い出しました。ナンニーニは別の雑誌でしたっけ。
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ヨス、フェルスタッペンも
ヨス、バースパッタンだったような記憶が・・
85年頃はセナがA.S.ダ・シルバと記載されてた記憶がありますね
あと片山右京さんが売ります買います欄にFJのマシンを出していました。
@@nigoro5028さん
セナの表記は、1980年前後、カートで世界的に活躍していた時期からA.S.ダ・シルバでしたね。ダ・シルバの姓はK-1などの格闘技やサッカーにもいて、当地ではメジャーなお家柄のようです。
95年はザウバーがフォードワークスになったというよりもフレンツェンがフォードのエースになったという印象が強い。フォード目線でいうとフレンツェンはシューマッハと同格のスピードを持っていたのだろう。
3.0L時代に入りV10エンジン勢に食らいつくのはより厳しくなってき状況でも表彰台に登れるとこまでいけたなら
ドライバーのフィレンツェン氏の腕前も含めて上々👍
c14てドライバーチェンジもだけどマシンも当初スラントノーズでスタートしてシーズン途中からハイノーズにチェンジしたのが印象的。
カールは才能に溢れたドライバーでしたが
あのモナコでの大クラッシュで 何かが変わってしまったのでしょうかね😢
フリッツ カイザー氏が優秀過ぎる! プライベートチームは、エンジニアやドライバーを青田買いする前に、金を集められる人、を召喚するのが重要だということが分かる実例
ペトロナスはSUPER GTやFポンでもお馴染みですね
しかし‥翌1996年の早いうちに、フォード・エンジンは1997年から参戦のスチュアートにワークス供給、ザウバーは1996年で契約終了‥となってしまうのですね😰💦
ペトロナスも当初はパシフィックとの契約話が進んでいた所をザウバーが横取り😅らしいですが‥それが後々に続く搭載エンジンのバッジネームになるとは‥
色々ドラマがあるチームですね、ザウバーは👍
なんやかんやでヒンウィルのファクトリー未だに最先端レベルなのが凄い。
風洞はまだ使えるレベルだね
トヨタのぽんこつ風洞とはレベチ
ヴェンドリンガー復活の年に同じオーストリアの企業が出資したということは、RBには自国ドライバーの危機を救う意図もあったのだと思う。オーレンとクビサの関係みたいな。
ブルーオーバル、次に組むのはレッドブルか。
ザウバーはやはり93年じゃないですかね?ドニントンで見せた衝撃 速かったねえっ
そこまで?だったけど 沢山次世代ドライバーを輩出しただけでも ザウバーには価値はあるかと?
で今でも残っているのでしょ?アウディがどうのアンドレッティがどうのと 裏ではザウバーの・・・が
自分は当時ではザクスピードを応援?していたけど ザウバーはSIGの技術も併せ持つ
SIGの技術が使えなく終わった?のが今でも残念ですわ SIGザウエル=スイスのGUNメーカー(世界一?)
そろそろ「投稿者Twitterも〜」は変えても良いんじゃないですかね。
最初の「レッドブル」カラーがザウバーだったなんて、記憶の彼方に飛んで行ってた…
閑話休題、マツダが優勝した1991年のルマン24時間耐久レースでレース中のファステストラップを出したのが、ザウバーメルセデスのミハエル・シューマッハ選手だった(決勝は5位)
もし何かタイミングが合えば、ザウバーF1にミハエルが乗っていた、かも!?
たしか、フェラーリ時代のミハエルは、テストで、ザウバーにのったはず?
ザウバーに供給される事になったフォードZETC-R(3000ccV8)は、前年ベネトンが独占使用してシューマッハに初のドライバータイトル獲得をもたらしたフォードZETC-R(3500ccV8)と構造的には同じエンジンだと思われる?
排気量が3500ccから3000ccにスケールダウンしたけれども、ボアは同じままにストロークだけが短くなったので更に高回転向きのエンジンになったのでしょうね‼️🤗
1995年レギュレーションでエンジン排気量3000ccにスケールダウンして直ぐなので1年目は3500ccエンジンのストローク変更だけで済ましたエンジンメーカーが、ほとんどだったと聞きました。
3000cc専用でボアとストロークを全て見直した新設計エンジンは2年目の1996年からだったようですね‼️🤗
この後に一時期BMWが買収してBMWザウバーとして参戦しましたがBMW休止後はメルセデスが買収してメルセデスザウバーになっていたら可夢偉がメルセデスザウバーのレギュラーになっていたかもしれませんね。^^
ブイヨンなのに旨味のないドライバーだったんだな…
ほら、ブイヨンって下味でメインじゃないからさ...テスト向きの人材だったんだよ(精一杯の擁護)。
誰が上手い事を言えと...。