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当時のF1予選は一発勝負。制限時間5分前に出ていってライバルのタイムをごぼう抜きしPPを勝ち取る姿に、セナはポケットに1秒持っていると言われていました。予選終盤は最後にタイムを出そうとライバル車が殺到しますが、セナはまるでコースを俯瞰しているように前方車両に引っ掛からない絶妙のタイミングでピットを発進します。その姿は本当にかっこよくまさにヒーローでした。最後まで勝利の為に悩みもがき苦しんで全力で戦い、私たちに感動の記憶を残し、星の彼方に飛び去ってしまった真のヒーローでした。合掌
俺はセナが大好きすぎてセナ信者だけど、TH-camでいろんな動画見てるとプロスト凄いなと思うようになりました。
プロスト凄いです👍😁
セナの実績も凄いが、天才的なエピソードにいちいち泣けるよ。ライバル達も個性が強すぎて本当に面白い時代だったな。天才が死ぬ程努力し、祖国と恩人と神を愛する心を持つと感動と偉大な結果をもたらすんだな。
今はテレビゲームに毛が生えたみたいだもんな
アイルトン-セナ-デシルバ....彼の早さの秘訣は「レーシングドライバーは一位に成らなければ意味がない」と言う信念/心情的な物だと思います、彼とジャッキー-スチュアートのインタビューを見て理解出来ました。1993年、ドニングトンでの雨のヨーロッパGPでのセナの走りには目を見張らせられ感動さえ覚えました。1994年5月1日、享年34才。残念だけど私のF1はセナと一緒に終わりました...合掌
早さ→速さ
私もセナが亡くなった後、鈴鹿には行かなくなっちゃいました。
F1を見始めた時、セナが居たからそれが普通とお思ってたけど、後に同じような才能の人が全然出て来ないから特別だと気付いた。相撲を見始めた時、千代の富士が居たからそれが普通と思ってたけど、同じ小兵で筋肉の塊みたいな力士が出て来ず特別だったと気付いた。後になっても特別だと思わせる人が本物の偉人だと思う。
1991年はホンダのV12エンジンが大苦戦。セナもTVカメラの前で公然と、ホンダに厳しいことを言っていた。そして8月5日。「本田宗一郎さんは亡くなる直前まで、あなたのエンジンを気にしていたそうです」とマイクを向けて、「セナを泣かした男」として一躍、有名人になったのが川井ちゃん。その直後のハンガリーGPから反撃が始まって、鈴鹿での完全勝利につながっていく。
この当時はマシンの性能差はある程度ドライバーの技術、勇敢さにより覆った時代でしたなのでトップチーム以外でも技術のあるドライバーは光る要素が何処かしこにあって面白いレースが多かったように思えます。
母国ブラジルで初優勝した時にセナは疲弊と同時に号泣していたとエピソードで聞いた気がする。確かフジテレビで放送していた時で、優勝して時には音声がピット達にも聞こえていたらしい。その当時どうしても何故か勝てなかった唯一のレース会場。母国グランプリ一際嬉しかったはずです。
懐かしい、生放送で見ていましたが、号泣していましたよ。プロストファンですが、泣けました。
時代毎に違うレーサーの能力を客観的に判断する事は難しいですが雨やモナコで印象的なエピソードを持つドライバーはやはり特別な感じがします
アイルトン・セナ最後のレース1994年サンマリノGPフリー走行フランスのテレビ局に前年引退したプロストが来てたのを知り無線で「親愛なるアラン元気かい?君が居なくて淋しいよ]
セナエピソードで有名過ぎるのはマクラーレンホンダ時代あるサーキットでテストをしてたらセナのマシンがエンジン音が消えてピットへ戻るとホンダのエンジニアに「クランクのベアリングが壊れそうだからエンジンを止めた]最初ホンダの人もふーんで信用してなかったねんのためエンジンをハーネス1本まで分解したらセナの指摘通りクランクのベアリングが焼き付いてブロー寸前だった後にベルガーがセナと同じトラブルでエンジンブローホンダのエンジニアが「原因は解る?]に「ノー❗]だった
雨のドライバーと言えばアレジ普段は予選二桁当たりのザウバー時代予選から雨が降ると予選3位逆にシューマッハやハッキネンがかなり後方になる
セナ雨のモナコ、キャンディトールマン時代。とんでもない走りで一気にトップドライバーとなり、トップチームからのオファーを受ける事となったのは有名な話。
中嶋悟については,80年代後半にはパワステ標準装備だったらと悔やまれる。
ミラクルフット←古館さんが使っていたフレーズ解説今宮氏もセナ足は世界最高のワザと言っていたのが記憶にあります
本田宗一郎「君のために世界一のエンジンを作り続ける!」セナ「日本の父」最高だよなあ…ホンダF1第一期は本田宗一郎「F1は走る実験室です!」セリフ格好良すぎるぜ…
この時代にフェラーリでのチャンピオン時代のミハエル・シューマッハがいたらさらに激戦、毎レース誰が最初にチェッカーなのかが観てるほうも緊張感が出る
マンセル抜けない! ここはモナコモンテカルロ!の場面が一番印象が残っている。
セナのオンボードカメラの映像をたっぷり見た後にゲームすると何故かタイムがアップするんだよね。毎回。
セナは予選でも魅せてくれたもんなー
雨のドニントンのレースで批判が多かったジャッキースチュワートに最高のレースだと褒められる程の最高のレースだと思う。
中嶋悟も走行中蛇を踏んであの蛇は緊張していたな!って言った事あったな
セナは本当に天才ですよね、ルックスもよく、実力もある スーパースターですよね、日本のF1ブームの立役者ですよ、日本のホンダエンジンでチャンピオンになったのも日本での人気に火をつけましたよね、セナがマクラーレンに移籍した初戦で ポールは 流石セナだと思いましたよ
シュテファン・ベロフがワークスポルシェからブルンに移籍したのは、速すぎる為にイクス達先輩ドライバーからやっかみを受けての移籍と噂が出てましたね。84年モナコでのレース終了判定をしたのはフランス人ドライバーのプロストを勝たせる為にプロストと同郷のFIA会長ジャンマリー・バレストルが仕組んだ事らしいですね。(セナが後年、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように記者会見で暴露?していましたが本当かどうか?)
まぁ優勝はしましたが、規定周回未満で優勝ポイントが9点から4.5点へ半減。これが原因で0.5ポイント差で年間タイトルは僚友ラウダの手に。プロスト自身は、レースを続行しての2位と6点獲得でも満足したはずだ。と後年振り返ってましたね。
存命なら一つ上か今でもこの名を目にすると泣けてくるよ自分の性(サガ)と葛藤しながら天命を純粋に全うし続けた哀しい存在、、、忘れられない
セナは同じ「モデル」の車両でもライバルより良い結果を残しているが、その主要因はドライビング技術以上にセッティング能力だと言われている当時のテレメトリーは脆弱でありデータも希薄であり、データをマシンに反映させるにはほぼ至っていない時代しかしセナは類稀なるセンサーと車に対する豊富な知識、そして超人なる記憶能力が成すものだと思われる界隈では「セナノート」というセッティングとコース上の環境がどのようにフィーリングやタイムに結びつくかが詳細に手書きされたものが有名で、レースのデータ分析の基礎になったとも言われるその内容は路面温度や気温や湿度に加え、コース上の風向きと風速がどれぐらい影響するのかまでも記載されていたといい、レース全体でファステストとなるためにその日の戦略とコース環境からセッティングを作り上げていたと聞くセナが扱っているデータの種類とデータ量はライバルの何倍にも及び、さらにその精度までがアナログにも関わらず恐ろしく高い他のレーサーでもセナより早い者は何人もいるが、ここまで安定した強さを発揮するのはそのレースに最適な車を作り上げるセッティング能力が異次元であることが最も大きいまさに頭脳・技術ともに真の天才である
3:54 「セナ独自のドライビング」は誤った情報なので訂正して欲しい。「セナ足」以前にケケ・ロズベルグがコーナリング時にスロットルワークを刻む「ケケ足」を実践していた。セナ足の方が「刻む回数が多い」&「NAエンジンでも行う」という違いはあるものの、基本的にやってる事は同じ。これはセナの死後の話になるが、ミハエル・シューマッハもTCSを動作させるためにコーナリング時にスロットルを小刻みに開けるというドライビングをしていた
リアルではもちろん見てなかったけど、ティレル推しだったのでベロフの功績は知ってました!ただもし生きてて、その後トップチームに移籍したら・・・・・アレジと同等ぐらいかな?
最近見たんだけどセナが亡くなる2週間前のパシフィックGPの予選の走りカテゴリーが違うけどバックストレートからポップスコーナーのペース、マイクナイトからの最終コーナーをひとつの弧で駆け抜けた映像は今更ながらビックリした
セナ足がノイズ扱いされた話が出たので俺は満足だw
今でもF1歴代最速はセナだと思ってる
セナプロでファステスト1度もプロストに勝ててないけどね
@@すっとんきょういち はぁ?何言ってんの。逆だろ。
@@KERAPYONセナプロ時代の年間ファステスト調べればいい
@@すっとんきょういち 根本的に勘違いしてるな最速タイムを出すのが予選だろ。プロストは全くセナに及ばない。あんたが言ってんのは決勝タイムの事だろそれでも1度も勝ててないとかどこのパラレルワールドだよ?逆にプロストなんか予選で一つも勝ててないだろがタイムで勝てないからって自分のはエンジンがセナより劣るものを載せてるとかホンダに因縁付けてた負け犬が何寝言ほざいてんだか
@@すっとんきょういち セナが最速だと思っている?思うのは自由だが、実際にはプロストの方がファステストラップが多いよ。セナ信者って、セナの悪評を知らな過ぎ。
デビュー当時のプロストはセナの憧れたジル・ビルヌーブがチームメイトに希望したほど速いドライバーだった。
どこに重きを置いているかの違いですよ。セナは予選を重視していてポールも多いが、プロストはチームメイトに年間ポイントで負けたのはニキラウダに一度負けただけ。しかも0.5ポイント差でした。88年は同チームでセナがワールドチャンピオンに輝いたが獲得ポイントはプロストの方が圧倒的に上だった。当時の有効ポイント制度によりランキング2位だったが、セナと組んだ2年間で年間獲得ポイントは勝っている。
安定した速さはプロストがありますね。「優勝より価値のある二位がある」と言ってましたし、昨年往年のマシンに乗ってもきっちり乗りこなしてましたし。
年間のファステストではプロストに勝ててないからね
プロストは、最も遅く1位でゴールするのが良いようなことを言っていた。マシンに無理をさせず壊さずに1位でフィニッシュするのが理想だったようだ。一発の速さのセナと戦略で勝つプロスト。とにかく最高のライバル関係だった。
セナ・プロの話の中、恐縮だけど僅差でプロストを下したラウダの技巧ぶりがとにかく際立つ。ラウダは一度引退した上に『ラウダ・エア』の社長を兼業しながらのF1参戦であり専業レーサーのプロストと違ってロートルでもある。考えれば考えるほどニキ・ラウダは偉大なドライバーであると思うな。
@@多羅尾伴内-g1cラウダは「ビットに戻る度プロストにトップタイムを塗り替えられているんだよ」
中嶋悟徳川家康と並ぶと言われた岡崎の偉人
はあ?
@@まじめかマン いちいち不要なリプライ
@@藤晶-w3e ん?
もう現れない天才ドライバーだな化け物じみた成績と速さを持ち尚且つ容姿も整っていたからなあ。雨のコースでは無類の強さを誇っていたなあ。セナ足なんてアクセルコントロールなんて誰も真似出来ないだろうな。
今は電子スロットルですから、機械式のように踏んだ分だけ開いてコントロールするものではなくて電気信号による制御ですし。誰も必要としなくなった技なのかもしれないです。
@@piggmorizo128 今のアクセルは電子制御でも「スロットル」ですら無いんですよね
セナは速さでは80年代以降では最速のレーサーだと今でも思っています🌟それ以前のレーサーではジム・クラークはそれは速かったと聞きますが、自分は見てはいないから比較が出来ません。現在フェルスタッペンも速いけど、速さなら…セナかな❓ただ速さと強さは少しベクトルが違うからそこも考慮すると、セナ、シューマッハ、ハミルトン、フェルスタッペン、皆、同力量だと思います🤠
セナは言わずと知れた天才ですが、ジム・クラークも迷うことなき天才ドライバーでした。クラークは羊飼いの息子として生まれ、車、特にレースに興味を持ち、一周幾らのお金を払って走ったサーキット走行で、当時の並みいるF1トライバーよりも遥かに良いタイムを叩きだして、ロータスのコーリン・チャップマンに見いだされてF1にデビューして、数回のワールドチャンピオンに輝きました。
中嶋さんのエピソードにi&iレーシング在籍とホンダエンジンとの出会い、ヨーロッパF2のスポット参戦も必要だと思いますよ。
只の、抱き合わせのチームのお荷物
セナのモナコGPの走りは当時いつ見てもヒヤヒヤもんだった😅他のレーサーとは明らかに違うもうへばりついてるんじゃないかと思うくらいのガードレールコーナー数ミリ攻めは本当に凄かった
セナは天才ソレは認めるしかしその天才を超えるのはゲルハルトベルガーだって考えてみなさい本田STAFFと何日も考えながら慎重に話合ってようやくポールポジションベルガー六本木で遊んでからの結果だからねセナが遊んだら先ずあの結果は出ない
1.34.700は誰も破れなかったタイムですからね(鈴鹿の距離は変わってしまったためにベルガーのタイムは破られることなく10年間コースレコードで有り続けた)
現場で見ていた俺は最高にうれしかった。ベルガー最高ー!
セナとプロストが同じマシンで戦った88年、89年。確かにプロストはどちらかというと予選より決勝を重要視するタイプではあるけど88年の場合、序盤の数戦でセナには予選で敵わないというのを悟って割り切った考えにシフトしてからより如実にその傾向が強くなりだしていて、結局これは89年も全く同じでセナが圧倒している(予選成績=セナ26回P.P プロスト4回P.P)。しかもタイム差がかなり大きく離れている内容のものが多い。では決勝ではプロストがセナを圧倒していたかというと決してそんな事はなく(優勝=セナ14回 プロスト11回)(総獲得ポイント=セナ154P プロスト186P)(ファステストラップ=セナ6回プロスト12回)という内容。88年にセナがチャンピオン、89年にプロストがチャンピオン。総獲得ポイントの事でいえば、有効ポイント制前提の戦い方という要素が必ず絡んでいるので一概にプロストが上回っているといはいえないと思うし、ポールスタートが圧倒的に多いセナはターゲットを追う立ち位置ではない事が多いため、ファステストを叩き出しながら追わなければいけない場面も少ない。それとセナがF1デビューした年の1984年に開催されたF1ドライバーオンリーの市販車ベンツのワンメイクレースでセナは優勝している。
殴り合いにまで発展するほど険悪の仲だったマンセルが後に一番検討を称え合う仲になったいきさつはなんだろう❔プロストとは徐々に若いという空気が読めたけどマンセルが勝っても負けても検討を称えなう仲となったいきさつを知りたいですね
バイク派の自分は、プロストがウェイン・レイニーセナがケヴィン・シュワンツのイメージだったな。当時モータースポーツが面白い時代だったな〜
プロストが本気を出すフランスグランプリでは予選でも負けてないよ。
セナはポールを取るためなら、アタック中のマシンのレコードラインを塞いだり、結構エゲツないこと沢山やってます。ブラジルというお国柄の性格もあるだろうけど、総合的にはプロストが上だと思う。
書籍名は忘れたが覚えてるのは、セナはTVに映らない場所でフリー走行でもコース上で下位チームに対して威圧的な行動をとり幅寄せしたり並走して睨むような行動をしてたとは書かれてた。
セナって亡くなった1994年に本当に追いかけられる立場になったと思う1993年まではプロストやマンセルがいたから
雨もモナコも得意とするセナですと、モナコで雨が降ったらまあ独壇場でしょうね。
ワタシはプロストファンだが、セナの天才ぶりは認めています。明らかにプロストより速い。若くして亡くなった事が悔やまれる。
ベロフは存命だったら才能を存分に発揮していた可能性も有っただけに惜しい人を亡くしてしまいましたね。
セナ様!!!音速の貴公子❤❤❤❤残念だった!!!😢😢😢😢
このライセンス切り替えは時代遅れのJAFのせいで数年前まで問題になっていましたが、ここに来てようやく解決。
30年来のセナ教の信者です。自分にとって彼は神!
セナが生きていたらおそらく2005年まではずっとチャンピオンになり続けてハッキネンとヒル以外は王者になれる事はなかった
セナで忘れてならないのはやはり「せなで泣いてるううー唐獅子牡丹んん」ですよね
セナ足はトラクションコントロールです。
プロスト先生は今でもホンダがセナに良いエンジン与えてたって信じて疑わないんだよな
この年は雨のブーツエンでしょう。
セナと同級の偉人アマデウス・ヴォルフガング・モーツァルト、もしもロン・デニスがランボルギーニエンジンを即時契約して居てウィリアムズに移籍しなかったら。あの事故は避けられたり。
1976年で5000千万円もの借金を抱えた23歳の中嶋!?かなりヤバ~イ
このセナ・プロストに反則レベルのホンダターボエンジンゴードン・マレーが作るマクラーレンの車両完全無血のMP4/4…16戦15勝は必然レベルだろ…
PPの数がギネスに載っていた記憶があり😊違う?😊
当時、王者だったプロストをセナが簡単にやっつけてくれて嬉しかったと当時のチームメイトだった中嶋悟氏が話されてますしシューマッハもセナはアイドルだったし他のドライバーもセナがNo. 1と言っています。史上最高のドライバーもセナが選ばられたらしいですね。現代において伝説で語り継がれてるのはプロストでは無くセナです。プロストのファンには申し訳ないですが😅
まてよその壁が動いたのはセナが接触したからということはないのか?
つまりリアルアムロだったと
あくまでも仮説ですが、年間開催数が、当時と比べると違いがあるので、比較は出来ません。同条件なら、勝利数はほぼ互角ではないかと思います。シューマッハとハミルトンやフェルスタッペンに関しては、ほとんどがチームメイトが同じレベルでなくオーダーもあったので、セナ・プロの二年間と違い簡単にチームメイトに勝ててます。同時期に最強のドライバーか同じチームに居なけれはセナもプロストもチャンピオン獲得数やボール獲得数優勝回数も、もう少し増えてると思います。もちろんピケやマンセルも、もう少し増えてるでしょう。
後のドライバー達はジョイントNo1ではなかったからね
ワンラップなら セナ
プロストに「ぶつけてやったんだ」ってペナルティ食らったセナは果たして世界的なアイドルなのか俺に言わせれが「糞野郎」でしかない!
F1レーサーとして当然の行為。なぜ糞野郎と言われるのか天国のセナも戸惑ってるよ。
ぶつけちゃダメっしょ
ルイス・ハミルトンっていうドライバーがいるんで大したことない
〇永〇一「僕はミスをしていない、前が壁になっただけなんだ」
壁の下りだが、もともと4ミリの誤差なくあの重いコンクリートブロックが置かれていたとは到底考えられない。数ミリ単位の誤差などわかるはずがない。机に突っ伏して図面を描いてるわけじゃあるまいし。かなり死後美化されてる。信用に値しない。あ、私はセナのファンですからね。
ダーティーセナを知らないのか
ルイス・ハミルトンっていう奴がいるので、どうってこと無い
@@piggmorizo128 嫌いではないがメディアのせいで(特にフジ)英雄扱いされ過ぎ
セナも素晴らしいドライバーだったがやっぱりNo.1はフェルスタッペン、ハミルトンが双璧かな??とにかくハミルトンは異次元の化け物
セナが歴代最高かは微妙!ルイスは出走333回優勝103·表彰台197·PP104回・マックスは186·55·99·33・セナは161·41·80·65で偉大なチャンピオンですが各記録を出走回数で割るとルイスの方が?雨のセナは有名ですしポールから出れば強いですが予選失敗時マックス並の追い上げ力は無いのかなと。予選用エンジンが可能だったので各エレメント基数制限下の現在なら果たして?タラレバですが。個人的見解ですがファン·マヌエル·ファンジオかルイス·ハミルトンが歴代最高では?と思いますよマックス·フェルスタッぺンが猛追してますが!
記憶と記録の問題ですね。どんなに数字で示せても、人の感情や記憶に基づく最高には届きません。悪しからず!
相手を何度もクラッシュさせてチャンピオン獲ったり表彰台ではしゃいでいた、きもーち悪いハミルトンっていう黒いドライバーがいてだな
異論返信有難う御座います。セナが聖人君子と御記憶かな?ルイスの暗黒面は否定しませんがセナもマックスもミハエルも暗黒面は持ってると思いますよ。近代でクリーンチャンピオンはミカ·ハッキネンだと思っています。では失礼します末長くお元気でお過ごし下さいペコリ。
どうやって4ミリとわかったの?作り話
確かにセナは他のF1レーサーより首ひとつ抜きん出ているよね。カテゴリーがもう1ランク上のレーサーって感じ。
当時のF1予選は一発勝負。制限時間5分前に出ていってライバルのタイムをごぼう抜きしPPを勝ち取る姿に、セナはポケットに1秒持っていると言われていました。予選終盤は最後にタイムを出そうとライバル車が殺到しますが、セナはまるでコースを俯瞰しているように前方車両に引っ掛からない絶妙のタイミングでピットを発進します。その姿は本当にかっこよくまさにヒーローでした。
最後まで勝利の為に悩みもがき苦しんで全力で戦い、私たちに感動の記憶を残し、星の彼方に飛び去ってしまった真のヒーローでした。合掌
俺はセナが大好きすぎてセナ信者だけど、TH-camでいろんな動画見てるとプロスト凄いなと思うようになりました。
プロスト凄いです👍😁
セナの実績も凄いが、天才的なエピソードにいちいち泣けるよ。ライバル達も個性が強すぎて本当に面白い時代だったな。天才が死ぬ程努力し、祖国と恩人と神を愛する心を持つと感動と偉大な結果をもたらすんだな。
今はテレビゲームに毛が生えたみたいだもんな
アイルトン-セナ-デシルバ....彼の早さの秘訣は「レーシングドライバーは一位に成らなければ意味がない」と言う信念/心情的な物だと思います、彼とジャッキー-スチュアートのインタビューを見て理解出来ました。
1993年、ドニングトンでの雨のヨーロッパGPでのセナの走りには目を見張らせられ感動さえ覚えました。
1994年5月1日、享年34才。残念だけど私のF1はセナと一緒に終わりました...合掌
早さ→速さ
私もセナが亡くなった後、鈴鹿には行かなくなっちゃいました。
F1を見始めた時、セナが居たからそれが普通とお思ってたけど、後に同じような才能の人が全然出て来ないから特別だと気付いた。
相撲を見始めた時、千代の富士が居たからそれが普通と思ってたけど、同じ小兵で筋肉の塊みたいな力士が出て来ず特別だったと気付いた。
後になっても特別だと思わせる人が本物の偉人だと思う。
1991年はホンダのV12エンジンが大苦戦。
セナもTVカメラの前で公然と、ホンダに厳しいことを言っていた。
そして8月5日。
「本田宗一郎さんは亡くなる直前まで、あなたのエンジンを気にしていたそうです」
とマイクを向けて、
「セナを泣かした男」として一躍、有名人になったのが川井ちゃん。
その直後のハンガリーGPから反撃が始まって、鈴鹿での完全勝利につながっていく。
この当時はマシンの性能差はある程度ドライバーの技術、勇敢さにより覆った時代でした
なのでトップチーム以外でも技術のあるドライバーは光る要素が何処かしこにあって面白い
レースが多かったように思えます。
母国ブラジルで初優勝した時にセナは疲弊と同時に号泣していたとエピソードで聞いた気がする。確かフジテレビで放送していた時で、優勝して時には音声がピット達にも聞こえていたらしい。その当時どうしても何故か勝てなかった唯一のレース会場。母国グランプリ一際嬉しかったはずです。
懐かしい、生放送で見ていましたが、号泣していましたよ。プロストファンですが、泣けました。
時代毎に違うレーサーの能力を客観的に判断する事は難しいですが
雨やモナコで印象的なエピソードを持つドライバーはやはり特別な感じがします
アイルトン・セナ最後のレース
1994年サンマリノGP
フリー走行
フランスのテレビ局に前年引退したプロストが
来てたのを知り
無線で
「親愛なるアラン元気かい?
君が居なくて淋しいよ]
セナエピソードで有名過ぎるのは
マクラーレンホンダ時代
あるサーキットでテストをしてたら
セナのマシンがエンジン音が消えて
ピットへ戻ると
ホンダのエンジニアに
「クランクのベアリングが壊れそうだから
エンジンを止めた]
最初ホンダの人もふーんで
信用してなかった
ねんのためエンジンをハーネス1本まで分解したら
セナの指摘通り
クランクのベアリングが焼き付いて
ブロー寸前だった
後にベルガーがセナと同じトラブルで
エンジンブロー
ホンダのエンジニアが
「原因は解る?]に「ノー❗]だった
雨のドライバーと言えば
アレジ
普段は予選二桁当たりのザウバー時代
予選から雨が降ると
予選3位
逆にシューマッハやハッキネンが
かなり後方になる
セナ雨のモナコ、キャンディトールマン時代。とんでもない走りで一気にトップドライバーとなり、トップチームからのオファーを受ける事となったのは有名な話。
中嶋悟については,80年代後半にはパワステ標準装備だったらと悔やまれる。
ミラクルフット←古館さんが使っていたフレーズ
解説今宮氏もセナ足は世界最高のワザと言っていたのが記憶にあります
本田宗一郎「君のために世界一のエンジンを作り続ける!」
セナ「日本の父」
最高だよなあ…
ホンダF1第一期は
本田宗一郎「F1は走る実験室です!」
セリフ格好良すぎるぜ…
この時代にフェラーリでのチャンピオン時代のミハエル・シューマッハがいたらさらに激戦、毎レース誰が最初にチェッカーなのかが観てるほうも緊張感が出る
マンセル抜けない! ここはモナコモンテカルロ!の場面が一番印象が残っている。
セナのオンボードカメラの映像をたっぷり見た後にゲームすると何故かタイムがアップするんだよね。毎回。
セナは予選でも魅せてくれたもんなー
雨のドニントンのレースで批判が多かったジャッキースチュワートに最高のレースだと褒められる程の最高のレースだと思う。
中嶋悟も走行中蛇を踏んであの蛇は緊張していたな!って言った事あったな
セナは本当に天才ですよね、ルックスもよく、実力もある スーパースターですよね、日本のF1ブームの立役者ですよ、日本のホンダエンジンでチャンピオンになったのも日本での人気に火をつけましたよね、セナがマクラーレンに移籍した初戦で ポールは 流石セナだと思いましたよ
シュテファン・ベロフがワークスポルシェからブルンに移籍したのは、速すぎる為にイクス達先輩ドライバーからやっかみを受けての移籍と噂が出てましたね。
84年モナコでのレース終了判定をしたのはフランス人ドライバーのプロストを勝たせる為にプロストと同郷のFIA会長ジャンマリー・バレストルが仕組んだ事らしいですね。(セナが後年、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように記者会見で暴露?していましたが本当かどうか?)
まぁ優勝はしましたが、規定周回未満で優勝ポイントが9点から4.5点へ半減。
これが原因で0.5ポイント差で年間タイトルは僚友ラウダの手に。
プロスト自身は、レースを続行しての2位と6点獲得でも満足したはずだ。と後年振り返ってましたね。
存命なら一つ上か
今でもこの名を目にすると泣けてくるよ
自分の性(サガ)と葛藤しながら天命を純粋に全うし続けた哀しい存在、、、忘れられない
セナは同じ「モデル」の車両でもライバルより良い結果を残しているが、その主要因はドライビング技術以上にセッティング能力だと言われている
当時のテレメトリーは脆弱でありデータも希薄であり、データをマシンに反映させるにはほぼ至っていない時代
しかしセナは類稀なるセンサーと車に対する豊富な知識、そして超人なる記憶能力が成すものだと思われる
界隈では「セナノート」というセッティングとコース上の環境がどのようにフィーリングやタイムに結びつくかが詳細に手書きされたものが有名で、レースのデータ分析の基礎になったとも言われる
その内容は路面温度や気温や湿度に加え、コース上の風向きと風速がどれぐらい影響するのかまでも記載されていたといい、レース全体でファステストとなるためにその日の戦略とコース環境からセッティングを作り上げていたと聞く
セナが扱っているデータの種類とデータ量はライバルの何倍にも及び、さらにその精度までがアナログにも関わらず恐ろしく高い
他のレーサーでもセナより早い者は何人もいるが、ここまで安定した強さを発揮するのはそのレースに最適な車を作り上げるセッティング能力が異次元であることが最も大きい
まさに頭脳・技術ともに真の天才である
3:54 「セナ独自のドライビング」は誤った情報なので訂正して欲しい。「セナ足」以前にケケ・ロズベルグがコーナリング時にスロットルワークを刻む「ケケ足」を実践していた。セナ足の方が「刻む回数が多い」&「NAエンジンでも行う」という違いはあるものの、基本的にやってる事は同じ。これはセナの死後の話になるが、ミハエル・シューマッハもTCSを動作させるためにコーナリング時にスロットルを小刻みに開けるというドライビングをしていた
リアルではもちろん見てなかったけど、ティレル推しだったのでベロフの功績は知ってました!
ただもし生きてて、その後トップチームに移籍したら・・・・・アレジと同等ぐらいかな?
最近見たんだけどセナが亡くなる2週間前のパシフィックGPの予選の走り
カテゴリーが違うけどバックストレートからポップスコーナーのペース、マイクナイトからの最終コーナーをひとつの弧で駆け抜けた映像は今更ながらビックリした
セナ足がノイズ扱いされた話が出たので俺は満足だw
今でもF1歴代最速はセナだと思ってる
セナプロでファステスト1度もプロストに勝ててないけどね
@@すっとんきょういち
はぁ?何言ってんの。
逆だろ。
@@KERAPYONセナプロ時代の年間ファステスト調べればいい
@@すっとんきょういち
根本的に勘違いしてるな
最速タイムを出すのが予選だろ。
プロストは全くセナに及ばない。
あんたが言ってんのは決勝タイムの事だろ
それでも1度も勝ててないとかどこのパラレルワールドだよ?
逆にプロストなんか予選で一つも勝ててないだろが
タイムで勝てないからって自分のはエンジンがセナより劣るものを載せてるとかホンダに因縁付けてた負け犬が何寝言ほざいてんだか
@@すっとんきょういち
セナが最速だと思っている?
思うのは自由だが、実際にはプロストの方がファステストラップが多いよ。
セナ信者って、セナの悪評を知らな過ぎ。
デビュー当時のプロストはセナの憧れたジル・ビルヌーブがチームメイトに希望したほど速いドライバーだった。
どこに重きを置いているかの違いですよ。セナは予選を重視していてポールも多いが、プロストはチームメイトに年間ポイントで負けたのはニキラウダに一度負けただけ。しかも0.5ポイント差でした。88年は同チームでセナがワールドチャンピオンに輝いたが獲得ポイントはプロストの方が圧倒的に上だった。当時の有効ポイント制度によりランキング2位だったが、セナと組んだ2年間で年間獲得ポイントは勝っている。
安定した速さはプロストがありますね。
「優勝より価値のある二位がある」と言ってましたし、昨年往年のマシンに乗ってもきっちり乗りこなしてましたし。
年間のファステストではプロストに勝ててないからね
プロストは、最も遅く1位でゴールするのが良いようなことを言っていた。マシンに無理をさせず壊さずに1位でフィニッシュするのが理想だったようだ。一発の速さのセナと戦略で勝つプロスト。とにかく最高のライバル関係だった。
セナ・プロの話の中、恐縮だけど僅差でプロストを下したラウダの技巧ぶりがとにかく際立つ。
ラウダは一度引退した上に『ラウダ・エア』の社長を兼業しながらのF1参戦であり専業レーサーのプロストと違ってロートルでもある。
考えれば考えるほどニキ・ラウダは偉大なドライバーであると思うな。
@@多羅尾伴内-g1cラウダは「ビットに戻る度プロストにトップタイムを塗り替えられているんだよ」
中嶋悟
徳川家康と並ぶと言われた
岡崎の偉人
はあ?
@@まじめかマン
いちいち不要なリプライ
@@藤晶-w3e ん?
もう現れない天才ドライバーだな
化け物じみた成績と速さを持ち尚且つ容姿も整っていたからなあ。
雨のコースでは無類の強さを誇っていたなあ。
セナ足なんてアクセルコントロールなんて誰も真似出来ないだろうな。
今は電子スロットルですから、機械式のように踏んだ分だけ開いてコントロールするものではなくて
電気信号による制御ですし。誰も必要としなくなった技なのかもしれないです。
@@piggmorizo128 今のアクセルは電子制御でも「スロットル」ですら無いんですよね
セナは速さでは80年代以降では最速のレーサーだと今でも思っています🌟
それ以前のレーサーではジム・クラークはそれは速かったと聞きますが、自分は見てはいないから比較が出来ません。現在フェルスタッペンも速いけど、速さなら…セナかな❓ただ速さと強さは少しベクトルが違うからそこも考慮すると、セナ、シューマッハ、ハミルトン、フェルスタッペン、皆、同力量だと思います🤠
セナは言わずと知れた天才ですが、ジム・クラークも迷うことなき天才ドライバーでした。
クラークは羊飼いの息子として生まれ、車、特にレースに興味を持ち、一周幾らのお金を払って走ったサーキット走行で、当時の並みいるF1トライバーよりも遥かに良いタイムを叩きだして、ロータスのコーリン・チャップマンに見いだされてF1にデビューして、数回のワールドチャンピオンに輝きました。
中嶋さんのエピソードにi&iレーシング在籍とホンダエンジンとの出会い、ヨーロッパF2のスポット参戦も必要だと思いますよ。
只の、抱き合わせのチームのお荷物
セナのモナコGPの走りは当時いつ見てもヒヤヒヤもんだった😅
他のレーサーとは明らかに違うもうへばりついてるんじゃないかと思うくらいのガードレールコーナー数ミリ攻めは本当に凄かった
セナは天才ソレは認める
しかしその天才を超えるのは
ゲルハルトベルガー
だって考えてみなさい
本田STAFFと何日も考えながら慎重に話合ってようやくポールポジション
ベルガー六本木で遊んでからの結果だからね
セナが遊んだら先ずあの結果は出ない
1.34.700は誰も破れなかったタイムですからね(鈴鹿の距離は変わってしまったためにベルガーのタイムは破られることなく10年間コースレコードで有り続けた)
現場で見ていた俺は最高にうれしかった。ベルガー最高ー!
セナとプロストが同じマシンで戦った88年、89年。
確かにプロストはどちらかというと予選より決勝を重要視するタイプではあるけど88年の場合、序盤の数戦でセナには予選で敵わないというのを悟って割り切った考えにシフトしてからより如実にその傾向が強くなりだしていて、結局これは89年も全く同じでセナが圧倒している(予選成績=セナ26回P.P プロスト4回P.P)。しかもタイム差がかなり大きく離れている内容のものが多い。
では決勝ではプロストがセナを圧倒していたかというと決してそんな事はなく(優勝=セナ14回 プロスト11回)(総獲得ポイント=セナ154P プロスト186P)(ファステストラップ=セナ6回プロスト12回)という内容。88年にセナがチャンピオン、89年にプロストがチャンピオン。
総獲得ポイントの事でいえば、有効ポイント制前提の戦い方という要素が必ず絡んでいるので一概にプロストが上回っているといはいえないと思うし、ポールスタートが圧倒的に多いセナはターゲットを追う立ち位置ではない事が多いため、ファステストを叩き出しながら追わなければいけない場面も少ない。
それとセナがF1デビューした年の1984年に開催されたF1ドライバーオンリーの市販車ベンツのワンメイクレースでセナは優勝している。
殴り合いにまで発展するほど険悪の仲だったマンセルが後に一番検討を称え合う仲になったいきさつはなんだろう❔
プロストとは徐々に若いという空気が読めたけどマンセルが勝っても負けても検討を称えなう仲となったいきさつを知りたいですね
バイク派の自分は、
プロストがウェイン・レイニー
セナがケヴィン・シュワンツのイメージだったな。
当時モータースポーツが面白い時代だったな〜
プロストが本気を出すフランスグランプリでは予選でも負けてないよ。
セナはポールを取るためなら、アタック中のマシンのレコードラインを塞いだり、結構エゲツないこと沢山やってます。ブラジルというお国柄の性格もあるだろうけど、総合的にはプロストが上だと思う。
書籍名は忘れたが覚えてるのは、セナはTVに映らない場所でフリー走行でもコース上で下位チームに対して威圧的な行動をとり幅寄せしたり並走して睨むような行動をしてたとは書かれてた。
セナって亡くなった1994年に本当に追いかけられる立場になったと思う
1993年まではプロストやマンセルがいたから
雨もモナコも得意とするセナですと、モナコで雨が降ったらまあ独壇場でしょうね。
ワタシはプロストファンだが、セナの天才ぶりは認めています。明らかにプロストより速い。若くして亡くなった事が悔やまれる。
ベロフは存命だったら才能を存分に発揮していた可能性も有っただけに惜しい人を亡くしてしまいましたね。
セナ様!!!音速の貴公子❤❤❤❤残念だった!!!😢😢😢😢
このライセンス切り替えは時代遅れのJAFのせいで数年前まで問題になっていましたが、ここに来てようやく解決。
30年来のセナ教の信者です。自分にとって彼は神!
セナが生きていたらおそらく2005年まではずっとチャンピオンになり続けてハッキネンとヒル以外は王者になれる事はなかった
セナで忘れてならないのはやはり「せなで泣いてるううー唐獅子牡丹んん」ですよね
セナ足はトラクションコントロールです。
プロスト先生は今でもホンダがセナに良いエンジン与えてたって信じて疑わないんだよな
この年は雨のブーツエンでしょう。
セナと同級の偉人アマデウス・ヴォルフガング・モーツァルト、もしもロン・デニスがランボルギーニエンジンを即時契約して居てウィリアムズに移籍しなかったら。
あの事故は避けられたり。
1976年で5000千万円もの借金を抱えた23歳の中嶋!?
かなりヤバ~イ
このセナ・プロストに
反則レベルのホンダターボエンジン
ゴードン・マレーが作るマクラーレンの車両
完全無血のMP4/4…16戦15勝は必然レベルだろ…
PPの数がギネスに載っていた記憶があり😊
違う?😊
当時、王者だったプロストをセナが簡単にやっつけてくれて嬉しかったと当時のチームメイトだった中嶋悟氏が話されてますしシューマッハもセナはアイドルだったし他のドライバーもセナがNo. 1と言っています。史上最高のドライバーもセナが選ばられたらしいですね。現代において伝説で語り継がれてるのはプロストでは無くセナです。プロストのファンには申し訳ないですが😅
まてよ
その壁が動いたのはセナが接触したからということはないのか?
つまりリアルアムロだったと
あくまでも仮説ですが、年間開催数が、当時と比べると違いがあるので、比較は出来ません。
同条件なら、勝利数はほぼ互角ではないかと思います。
シューマッハとハミルトンやフェルスタッペンに関しては、ほとんどがチームメイトが同じレベルでなくオーダーもあったので、セナ・プロの二年間と違い簡単にチームメイトに勝ててます。
同時期に最強のドライバーか同じチームに居なけれはセナもプロストもチャンピオン獲得数やボール獲得数優勝回数も、もう少し増えてると思います。もちろんピケやマンセルも、もう少し増えてるでしょう。
後のドライバー達はジョイントNo1ではなかったからね
ワンラップなら セナ
プロストに「ぶつけてやったんだ」ってペナルティ食らったセナは果たして世界的なアイドルなのか
俺に言わせれが「糞野郎」でしかない!
F1レーサーとして当然の行為。なぜ糞野郎と言われるのか天国のセナも戸惑ってるよ。
ぶつけちゃダメっしょ
ルイス・ハミルトンっていうドライバーがいるんで大したことない
〇永〇一「僕はミスをしていない、前が壁になっただけなんだ」
壁の下りだが、もともと4ミリの誤差なくあの重いコンクリートブロックが置かれていたとは到底考えられない。数ミリ単位の誤差などわかるはずがない。机に突っ伏して図面を描いてるわけじゃあるまいし。かなり死後美化されてる。信用に値しない。あ、私はセナのファンですからね。
ダーティーセナを知らないのか
ルイス・ハミルトンっていう奴がいるので、どうってこと無い
@@piggmorizo128 嫌いではないがメディアのせいで(特にフジ)英雄扱いされ過ぎ
セナも素晴らしいドライバーだったが
やっぱりNo.1はフェルスタッペン、ハミルトンが双璧かな??
とにかくハミルトンは異次元の化け物
セナが歴代最高かは微妙!ルイスは出走333回優勝103·表彰台197·PP104回・マックスは186·55·99·33・セナは161·41·80·65で偉大なチャンピオンですが各記録を出走回数で割るとルイスの方が?雨のセナは有名ですしポールから出れば強いですが予選失敗時マックス並の追い上げ力は無いのかなと。予選用エンジンが可能だったので各エレメント基数制限下の現在なら果たして?タラレバですが。個人的見解ですがファン·マヌエル·ファンジオかルイス·ハミルトンが歴代最高では?と思いますよマックス·フェルスタッぺンが猛追してますが!
記憶と記録の問題ですね。どんなに数字で示せても、人の感情や記憶に基づく最高には届きません。悪しからず!
相手を何度もクラッシュさせてチャンピオン獲ったり表彰台ではしゃいでいた、きもーち悪いハミルトンっていう黒いドライバーがいてだな
異論返信有難う御座います。セナが聖人君子と御記憶かな?ルイスの暗黒面は否定しませんがセナもマックスもミハエルも暗黒面は持ってると思いますよ。近代でクリーンチャンピオンはミカ·ハッキネンだと思っています。では失礼します末長くお元気でお過ごし下さいペコリ。
どうやって4ミリとわかったの?作り話
確かにセナは他のF1レーサーより首ひとつ抜きん出ているよね。カテゴリーがもう1ランク上のレーサーって感じ。