なぜ黒田官兵衛を秀吉・家康は恐れたのか?最強軍師の生涯を詳細解説!【ゆっくり解説】
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ก.ค. 2024
- 秀吉の天下統一に欠かせないのが黒田官兵衛。
その生涯を詳細解説いたします!
ある一言で秀吉が官兵衛を警戒するようになったり、
関ヶ原の戦いの裏で活躍をしたりと話題満載です!
★インデックス★
00:00 オープニング
00:54 官兵衛の出身
02:01 秀吉の寄騎
03:24 竹中半兵衛との出会い
04:38 秀吉の播磨但馬平定に活躍
07:54 中国大返しに貢献
10:51 秀吉に警戒されて隠居
12:44 関ヶ原合戦時の官兵衛の行動
16:52 エンディング
備中高松城攻めの時に舟で土嚢を沈めて何をしようとしてたのか不思議。堤防は陸に築かれたので完成して水を溜めた状態でないと舟は使えない。土手を崩すだけで水は引き入れられるから川の流れを変えるほどの工事は必要ないし。
舟に土嚢を積んで舟ごと沈めるのは城の堀を手っ取り早く埋めるために昔からあったやりかた。他の城攻め時に用いた手段が間違って伝わってるのではないでしょうか。
備中高松城攻めの時の羽柴の陣には信長の四男もいて配下には織田の与力もいたはずだけど「天下取りのチャンスですぞ」なんてほんとに言ったのかなあ。信長死んだかどうかわかっていないのに。(チャンスは現代風に用語を置き換えただけだとしても…)
たぶん作り話だと思う。そもそも明智を討ったら天下人になれると言うのは早計過ぎる。
黒田官兵衛は明智光秀に
織田信長を討てと唆したと
言われてますね。
本能寺の変の遠因になったかもしれませんね!