【ガンダム】アニメ史上一番良いMV。ララァがしんだ本当の理由【41話光る宇宙その5】【岡田斗司夫】
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ค. 2024
- 恐怖機動ビグザムの回をアニメ史上最高のミュージックビデオだと思っていた岡田斗司夫だったが今回それを超えた光る宇宙の後編を神解説します
0:00 前回までの話
1:48 ガンダムvsゲルググ アムロの優秀さ
6:25 怖い戦闘
7:32 アムロ&セイラvsシャア&ララァ
11:09 ララァの最期の伏線
14:11 ニュータイプ能力
15:09 止めて見ないとわからないララァのシ
19:34 ララァの魂とアムロ
23:17 ララァのシの真実
25:11 アニメ史上一番いいMV いまはおやすみ
32:42 ララァのシを見た二人の対比
34:52 葬送のフリーレンとの差
★前回のガンダム解説★↓
• このシーン実はやってはいけないアニメのタブー...
ご視聴ありがとうございます。チャンネル登録と高評価していただけると凄く励みになります😭
切り抜き元
th-cam.com/users/livexIU3N4mv...
#ガンダム #ララァ #岡田斗司夫 - บันเทิง
0:00 前回までの話
1:48 ガンダムvsゲルググ アムロの優秀さ
6:25 怖い戦闘
7:32 アムロ&セイラvsシャア&ララァ
11:09 ララァの最期の伏線
14:11 ニュータイプ能力
15:09 止めて見ないとわからないララァのシ
19:34 ララァの魂とアムロ
23:17 ララァのシの真実
25:11 アニメ史上最高のシーン いまはおやすみ
32:42 ララァのシを見た二人の対比
34:52 葬送のフリーレンとの差
この解釈があっているかあってないか、は問題じゃなく、岡田さんがこの光る宇宙に強く感動して、それを何とか伝えようとする熱意の素晴らしさが私を感動させるのです。
なぜ合っているかどうかを棚に上げる必要があるのですか?それはあなたが意識的か無意識かわかりませんが岡田さんを敵視しているからで、さらに言うと自分より高度な考察をしている岡田さんに対して真正面から反論しようとしても、負けを認めざるを得ない事実に気がついてしまっており、それを避けるためです。
普通にこれが恐らく監督の意図だな、でいいと思います。その上で熱心な解説に感動したらいいと思います。
演出意図の解釈でこれ以上に説得力のある話は聞いたことがないです
やっぱり、初代は宇宙へ戻ったあたりから、話の出来が奇跡的な出来になっている。
11:15シャアがセイラを切る直前のセイラが目をつぶってるの初めて知った、切ない表情…
ありがとうございました。続けて拝聴しました。
実は私はガンダムを観たことがありませんでした。高校の同級生にファンが複数いて、気にはなっておりましたが。
そのうちの一人(女子)が美術の課題でガンダムを素材にし(私はジュリー)、作者のコメントに「ガンダムの素晴らしさ」という言葉を使っていたのが印象的でした。面白さでも、映像の素晴らしさでもないのか、みたいに。
前回と今回の解説を拝聴し、人気の訳がわかったような気がいたしました。観ればよかった、と思いました。しかし、当時の私や若かった時の私にはわからなかったと思い直しました。わかるくらいなら観ないままでいなかっただろうと思います。アニメもロボットアニメも大好きで、好奇心のかたまりですから。
また、今時のアニメとの比較で一層よくわかったように思いました。
今時のアニメも映画も初めから終わりまで急展開の連続で考える暇がない、もう若くない私は肉体的に疲れる、と思っておりましたが、そうとも限らないとハッキリわかりました。戦友が目の前でしんでも悲しんでいられない戦場の厳しい現実を思わされました。そして、イケメンがカッコ悪いことになるのも、今時のアニメや映画と違うと思いました。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
久しぶりに見返しましたが、相変わらず号泣しちゃいました😂
アムロの涙からいきなりWBの戦闘シーンで余韻がない為に、視聴後の余韻が発生して凄く印象深くなるんではと。
それも演出効果?
ガンダム好きで何度も繰り返し見てるけどこの考察には度肝を抜かれました。ガンダムはホント奥深すぎるアニメですね。いまはおやすみのイントロ聞くだけで鳥肌たつくらい強烈に印象深いシーンです。
30:22 憧れる あゝ焦がれる 富野さんの修辞法なのでは?
1977年ハリウッド映画のスターウォーズが公開。この作品でオビワンがわざとダースベーダーに切られてそれを切っ掛けにフォースと一体化することで肉体を消し去った霊体化の奥義を使って、以後ルークを精神体として導くのだけど、1979年作のガンダムにおけるニュータイプのララァが死んでもなお、生けるニュータイプのアムロの意識に触れてくるのは、まあオマージュなのか元々似た考えをもっていたのか、偶然でもオマージュでもこの共通は興味深い
そして母のような愛をララァーに求めていたシャーはアムロにララァを精神的に奪われ、実際には殺害までされてしまう愛憎劇が始まる訳よね
んでその終わりがユニコガンダムでのララアとアムロとシャーが3人ともに出てくるというシーンで、謎解きが終わる。(これもベーダーが死後にオビワンと共にルークを見守っているシーンと共通。私は批判ではなく、どちらの作品も好きだから)
セイラ、助けたシーンビットで防いだんだと思ってたけど違うのか・・・
リアタイ視聴者。今日迄、何に引っ張られ続けているかの解釈の一助になります。
声優の古谷さんも取返しの付かない事をしてしまいましたね…
元気な爺様
9:15 ゲルググの背中に背負っているものは一体何なのだろう?と思う瞬間。
まあ既に持ち替える程の隙が無いのだと言うことにしておこう
そもそもビーム薙刀は両手で持つものみたいなので……
ただ、ビーム兵器を両手で握るメリットって何があるんだろう、とは思いますけど
ナギナタ使ってるの見たことないの?片手で使える武器じゃないんだよ
あの2人が遊んでいる空間は沙羅双樹の園を描いてるのではないのか。
シャアはここで完全に帰る場所を失いますね
シャアは「男、おいどん」の大山昇大なのだろうか。純粋な気持ちの空回りで大人になりきれない。富野由悠季と松本零士の青春物語。
44年前にやっていたとは思えないと言うけど、今の作品の方が退化していると思う
スゲー、富野さん。
岡田斗司夫解説は岡田斗司夫解釈なんだけど、まぁそれがいいんだよね。
ガンダムって記憶よりも宗教的要素強かったんだなと思いました。
え…。ララァってバリア張れたのか…。知らなかった。
劇場版でなくなってるからやりすぎだと思ったんだろね
岡田さんの誤解釈だと思うなあ
ニュータイプが物理バリアはないよw
@@fastkazzmat7127Zでもカミーユ赤いバリア出してたし、CCAでもサイコフレーム保持してるだけのOTのチェーンがアルパのメガ粒子弾いてたから構想としてこの当時からNTバリアはあったのかもね?
@@fastkazzmat7127キュベレイに乗ったハマーンも、ZZのハイメガキャノンを物理バリアで防いでたよね
@@fastkazzmat7127あったんじゃないか?
1:18たぶんこのタテは盾じゃなくて殺陣だと思う。
昔の忍者物漫画のような盾だとおかしいと思う
「殺陣」とか「縦に切りかかる」と言ってるところも字幕が全部「盾」になってますね
スーパーエスパーのアムロと複数回戦闘を繰り返して生還しているシャアも只者ではないのですよ
アムロと交戦したジオン兵はほとんど戦死してますし
キャラソンをBGMに邪魔者扱いされる名シーン。
シャアの場合はわずかなニュータイプ能力に加え霊感というか肉身なだけに第六感と何よりファイターとしての練度(正確性、経験値、判断能力)からも寸止めが出来た。
アムロが寸止め出来ないのは単純な練度不足、まだまだシャアの強さに余裕など持てない事と自身のニュータイプ能力の急拡大にも追いつけておらずノーコンピッチャーのように持て余す事により目の前の最大の仇敵シャアしか目に入らない盲目状態だったように見えた。
あとララアは予見出来得る幾つかの選択肢から決して自死などではなく自らこの流れへと進んでいった事はあるのだろうと思えた。
解釈は人それぞれだけど…
普通になるほどな…と思ったし🍺片手に見てて改めて
「機動戦士ガンダム」
って凄い作品集なんだなって改めて思いました‼️
だってさ、一応子ども向けロボットアニメで普通愛人とかまず出ないしまず子供に愛人なんか分からないもんな。
「機動戦士ガンダム」
って大人になってから改めて見直すと色んな事に気付いたりして本当面白い‼️
ホンマ、取り返しのつかない事をしやがって…
なんで2人の男の間を往き来する呪いの悪女になるのよ
すごいわ
この解説で、ララァがバリアーを使えてた のがわかりました。
ナギナタがビームサーベルを平気で受け止める強度って話有名だね
俺は刻が見えるのシーンの宇宙に浮かぶ小島はニュータイプのアダムとイブのアムロとララァだと思う。そしてアダムとイブの頃は地動説だからああ言う演出だと思ってた。
それは良いとしてバリア能力はララァの初陣とかで無かったからガンダムとの戦闘と共感で異常発達したララァの能力で、コントロール出来る術は持たなかったのかもね。
私的には、Gファイターのコクピットに切りつけた際の光は、Gファイターのキャノピーがビームナギナタで破壊された時に出た光だと解釈しています。
次のシーンでGファイターのキャノピーが壊れているのが見て取れるはずです。バリア云々は後のZガンダム等を見て後付けの知識を得たからそう感じられるのではないでしょうか?
シャアの攻撃が寸止めになったのは、ニュータイプとしての潜在能力のあったシャアがララァの思考を感じ取ったからだと解釈しています。
まぁ、こう解釈するのは、私が、Z・ZZ以降のオカルトバリアが大嫌いだからですが…少なくともファーストガンダム視聴時にも上記の解釈をしていました。
咄嗟の動きに反応できるゲルググの性能、
マグネットコーティング後のガンダムに匹敵したかも。
元々富野さんは「神秘の力」という設定が大好きで、トリトンやライディーンやダンバイン以降にもスター・ウォーズのフォースのような設定を多用してますね。ファーストでも安彦さんはじめほとんどのスタッフに反対されても強行したのがニュータイプ設定ですからね。
その解釈だと、ゲルググのビーム薙刀は寸止めでセイラを殺さなかったのに
アムロは何の感知もできずにむざむざララァを殺してしまったことになって
シャアのほうがむしろニュータイプ適正が高いという事になってしまうような
シャアがGファイターのコクピットに切り掛かるのを
「大佐、いけません!」ってララァが止めているから反応が間に合った、
ララァはシャアを弾き飛ばすために体当たりして身代わりになったから、
スローモーションだからわからないけどアムロの反応速度超えていて
止めれなかったんだろ。
ざんねんながらバリアです。キャノピーを破壊しただけではあんなふうにビカビカと強い光は発生しませんから。照り返しをわざわざ描いているのがその証拠です。心理表現であれば色調を変えるだけでいいですし、キャノピーの破壊もバリアの衝撃が伝わったからだと説明できます。
ララァが死ぬ時に自分を守るためにバリアを張ることができたはずなのに敢えて張らずにやられてしまったのは、死を受け入れていたからだよ。というメッセージであり、それに気づかせるためにわざわざこのバリアを挿入していると言うのが岡田さんの解説で恐らく正しいです。
もしそれが違うと言うのであれば、なぜあの戦闘にセイラが乱入したのでしょうか?その後セイラがララァの死と深く関わるわけでは無いので他に入ってくる演出上の理由がないんですよね。
ちなみに私もΖ、ΖΖの超能力バリアは嫌いです。ララァとアムロ、あるいはセイラも含め「セイラを守る」と言う意思が集約されたからこそあのような現象が発現したと考えられます。富野さんはニュータイプスパークは漫画的表現ではなく物理的に発生しているものだと明言していますし、人の気持ちが集まって奇跡が起こるのは規模は違えど逆シャアのような作品にも共通しているガンダム世界のテーマそのものでもあります。
いや、ゲルググずっと盾背負ってるやんw
ビームサーベルが深く刺さらなくするために、反対の手で押すよりも、出ているビームをオフにできないのだろうか
その一瞬がガンダムとの戦いで命取りになります。
出来ると思います。理性的であればビームをオフにするのが合理的な行動です。
ただ、もう絶対に助からないと理性では分かっているのに本能的に少しでもダメージを減らそうとする表現のために敢えてそうしてるのだと思いますよ。
某大統領が狙撃された時に、隣に座っていた夫人は叫びながら必死に飛び散った脳漿をかき集めようとしたそうです。それと同じようなもんだと思ってください。理性が絶望感に追いついてないんです。
肝心な時にブレーキとアクセル間違えて踏むようなものか。
体の繋がりがシャアとで心の繋がりがアムロとなのね
そうするとシャアにしてみればかなりの無い物ねだりなのかも
先生の最強、最大、最高、最深の解説。
ララァは死後にアムロに別れを告げ、ア・バオア・クーでの格闘戦後にアムロを導いた
ララァがアムロとシャアのどちらに心が向いていたかは明らか
個人的にはアムロとララァは60年後にウッソとシャクティとして結ばれたと思いたい
ララァ「それ以上いけない」
忍者ものなら、月影だけど、それほどでも。
あの2人の照り返しのシーンは強烈なテレパシーによってゲルググが寸止めさせられるのを表現するための光であってそれがシャアを介してゲルググに伝わったからセイラが無事に済んだ、てことだと思ってる。2人の色を変えてアルテイシアか、て表現したのはシャアがアルテイシアを脳で認識した瞬間を強調するための色彩描写で、実際にスパークが起きてるっていうのはないんじゃないかな。
個人的にはそんなテレパシーだけだったファーストのニュータイプからさらに濃くなってΖで漸く物理現象化するほどのやべえニュータイプがカミーユ、ていうことの方がいいなぁ。
自己犠牲ってこと???
盾ではなく、
殺陣ですね。
字幕のクオリティ。。。
独断ですがSeedのキラがアムロの、ラクスがララアの生まれ変わりだったとしたら劇場版のあの2人の絆がより納得出来るように感じます
なんじゃ??この解釈は??
無茶苦茶だな。
劇場版の良さを理解しない訳だ。
岡田斗司夫が嫌いなのはわかるけど、これだけ引用の多い考察に根拠を何も提示しない反論はどうかと思う
あなたの解釈を教えて欲しい。煽りとかじゃなくて、色んな解釈を聞くのは楽しいから