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自分も元海自の給養員でしたが、どの艦も基地も飯に対する執念は凄まじかったですね。特におかずに焼きうどんなどの麺類や麻婆豆腐などの中華料理を作った日には取り合いになり、いつも足らなくなって頭を抱えましたね。ステーキの肉を冷蔵庫に運ぶ最中の乗員の目の輝きといったら…。
「寿司屋のお姉さん」になっちゃったのかと…
にーみみ「寿 司 屋 の お ね え さ ん」
フラン「握り寿司を箸の上に乗せて、『へいらっしゃい!』と叫ぶと、寿司が回転しながら飛んでいきます」ゆうちゃん「なんと!」
@@kagehito_kurotsukaス シ ブ レ ー ド
スシトレイン
だれがうまいことをいえと
潜水艦などは缶詰が豊富で稲荷ずしや鰻の缶詰もあったらしいですね。缶詰に特化した解説も見てみたいです
元零戦パイロットの坂井三郎さんの本で、航空弁当というのがありました。たしか助六寿司とサイダーだったと思います。片手で操縦しながら食べていたみたいです。航空機や海軍の糧食も紹介してもらえればと思います。
祖父はノモンハン前の関東軍でしたので、「満州名物は満州豚で、朝から豚汁だよ😋豚汁って言っても、角切り肉がゴロゴロ入ってるんだ‼️」って、「内地では絶対食えなかったよ」と言ってました。食事は滅茶苦茶良かったと言ってました。
多分、当時の内地で外食したら今よりもお金が溶ける金額だったかもしれません。
パンに関しては、特に満州・華北に進出していた部隊では現地調達できる小麦の有効活用といった点で重要だったそうで。そのために西洋式の焼いたパンではなく、中華式の蒸しマントウのレシピが採用されていたと。ただマントウ以外のメニューが純和食という組み合わせだったので、あまり評判は良くなかったらしいです。
これが、太平洋戦線の後半は補給も来ず、小さな島で人が多く大量の飢餓になる前の日本軍か・・・補給って本当に大事。料理のレパートリー豊富で、今レシピ本にしても良い位ですね。
太平洋戦争では戦って死んだ兵士よりも餓死で死んだ兵士の方が遙かに多いと言われる事実を知っていると、旧軍の飯ネタは「意外と美味しいんですよ」とかやられてもあまり楽しめんのです
アメリカ軍から鹵獲したCレーションも🇯🇵兵からしたら御馳走でした。
フィリピンから復員した祖父はそれこそ骨と皮になって帰ってきたらしい。その祖父が「草を切って切り口の状態で食べれる草か、食べられない草か判断した」らしい。あと内地で少佐だった血の繋がりの無い叔父は終戦前でも「国内の倉庫には大量に物資が残っていた」との事。物資があっても船が沈められれば前線には届かない・・・。
主食のご飯の中でも今では考えられませんが「五目ごはん」はごちそうだったそうです。これが出ると大いに喜ばれたとか。農村出身の兵士が多かったので、「五目ごはん」が食べられるのは正月とか年1回あるかどうかだったとか。甘味では「氷砂糖」も喜ばれました。貧しい農村出身の兵士が休暇で帰省した時。幼い兄妹達にお土産に「氷砂糖」をあげたら、物凄く喜んでくれたと言う話もあります(ちょっと哀しいですね)
入隊したての農村出身の新兵が、夕食で出されたトンカツを泣きながら食べているのを見て驚いた教育班長が事情を聞いたところ、「自分だけこんな旨い物を食って、家族に申し訳ない」といっていた話もありましたね。対外的には急速に発展しているように見えた日本でも、地方の農村部ではまだまだ貧しかったのでしょう。当時の軍隊は赤貧に喘ぐ小作農家の次男、三男等の受け皿としての役割も大きかったと思います。
乾パンでなくカロリーメイトみたいな物とか炊事車両が、既に戦前の日本軍にあったなんて驚き。
補給がまともにできていた頃は米軍よりもよっぽど良いもの食ってたって言いますからねえ、末期戦の飢餓はそもそもの生産力不足と補給線の断然が原因だし
確かに現代人より健康的で美味しそうな食事ですよね。これ見ると現地の食事を蔑ろにしたインパール作戦が一体どれだけ大不評だったのか想像もつかない。
うちの母方のじいさんがビルマ(敢えてこう書く)だったんですが、こういう話を聞く前に亡くなってしまった。なにせじいさん亡くなった時に私は2歳だったからなぁw
ウチのじいさんはニューギニアで戦闘をしていましたがネズミとヘビは食べたと言ってましたね。ヘビが一番食べちゃダメらしいです。夜が眠れなくなるので
蛇「○欲をもてあます」
陸海軍のめしたき物語なんかを読むと結構凝った料理も作っていて、大陸から太平洋の諸島にまでそれを可能にする補給網があったんだたら本当にすごいもんなんですよね。もちろん、物資が足りて攻勢を維持できる期間限定でしたが…。
当時の日本軍の問題は一度作った補給線を維持することを軽視してたってのがあるな
@@ssrb1144 さん軽視した、というより「潰された」の方が正しいかと。良くも悪くも海ルートを確保出来ていたから旧日本軍は強かったのであって、同じ海ルートで当時最強だったイギリス・アメリカと衝突してしまいましたから。
@@muramasa9582 残念ながら実際に日本海軍は海上護衛を軽視していました。米海軍は英国式の船団護衛方式に加え、護衛空母も入れて、ガチガチに補給部隊を固めていましたしかし、日本海軍は42年後半に漸く海上護衛部隊を発足させ、部隊教育も7月以降からというもので43年以降に本格的な船団護衛方式を行うようになりますしかも対潜装備は使い物にならず、護衛空母も民間船を改造した物しかなく、数も米海軍からしたら無いも同然な数しかおらず結局、潜水艦と空母部隊に壊滅させられることになりましたそのため補給線の維持を軽視していたと表現させてもらいました
@@ssrb1144 さんなるほど。まあ、私としても軽視していなかったというつもりはありませんけどね。その辺りは日本の経験不足が大きいのではないかと見ています。基本的に、英米とは友好的にやるつもりだった=それらと本気の海戦を想定していなかったのではないかと。
軽視していたと言うより元々の艦艇数が少ないのよ、当初では防衛線が出来たら二線級の駆逐艦を船団護衛に回しつつ海防艦を建造していく予定が駆逐艦を南太平洋で使い潰してしまったからね。
(腹が減っては、戦は出来ぬ。)と言う言葉が有るように、食事と補給は重要ですよね。現地調達した食材を工夫して調理しできるだけ美味しく食べる。戦場での細やかな楽しみかもしれませんね。
以前の糧食動画と合わせて、改めて日本は食に関しては譲らないこだわりがあったんだなぁと感じました(WW2末期は仕方ないですが)。現代を生きる我々としては、美味しいものが食べられる平和に感謝し先人の苦労に敬意を表したいものです。
昔、防災訓練時に袋(セロファンではなかった気がします)に入った御飯を頂きましたね。災害など非日常の状況に置かれた際に、普段から食べているメニューが食べられると、安心感が得られるんだと思いますね。動画面白かったです。
日本軍の戦記モノの本を読むと戦闘機搭乗員の航空弁当?や給糧艦の間宮羊羹なんかにも興味をそそられます。
因みに羊羹は戦艦だと虎屋のが酒保で買えたとか。でも羊羹が好評だったのはどちらかと言うと士官の方で、兵員には袋に入ったビスケットの砂糖漬けの方が人気があったそうです(「軍艦長門の生涯」より)
粉末の味噌汁やアルファ化米の準備など研究はされていたんですね問題は輸送限界を超えて戦線を広げてしまったこと・・・・・・・・
戦後に帝国ホテル料理長になる村上信夫が出征先にもフライパンを持参して色々料理を作っていた話すき
祝賀品の小鯛、芝エビ、蒲鉾、人参等の多様な食材が一つに入ってる口取缶詰が面白いですよね元気食とか精力餅とか携帯食も力入ってたんですけどね前線にとどかないってどうすりゃいいって感じです
軍隊調理法の復刻版を昨年購入しました。現代でも十分通用するクォリティでしたね。
インパール作戦でもこういった糧食が前線の兵に確保できていたら作戦の成功はともかく辛い思いが減っていたかもなあ……
ビルマ戦線にいた祖父がたまに言ってた「ワニの肉、めっちゃ美味かった」がインパクト強すぎて未だに覚えてるそしてその祖父から飯盒炊爨のやり方を教わったおかげでめちゃくちゃ自信がある(そのせいもあってキャンパー)
実際に美味しいですよ。珍しい食材を扱う居酒屋でワニやスズメ等を食べましたが、冗談抜きで美味しかったです。
@@ataki2642 自分も、いつか食べてみたいですw
某蛇もソ連製レーションより蛇とかワニの方が美味いって言ってたしね…((ベニ)スズメは「不味すぎる…!」だった気が)
日本では痩せこけた大人も子供も、鶏も跨ぐようなもん食って飢えしのいでる中、海の彼方アメリカでは血色のいい子供がクッキー片手に笑いながらトムとジェリー見てた。そりゃ勝てるわけないわな
日中戦争で国力オワコン…せや米英と戦争したろの精神
農村はかなり裕福だったぞ
うちの田舎は密造酒つくって摘発に来るようなおまわりは村の若い衆で始末して川に捨てたとかしてたらしいぞ。何でも自分で作れるところはいいもの食ってるからアメリカと大差ない。食えないのは都市部の連中だけ
飯テロすぎるッ!!
私の祖父は中国→ラバウルでしたが、ラバウルで食べた大トカゲが鶏肉みたいで美味かったと言ってました。
爬虫類と鳥は遠縁関係にあるから似てるのは当然
恒温動物と比べるとかなり少ない餌で成長するので美味しければ養殖出来ないかしら?コオロギよりは大分良いかと思うのです。因みにグリーンイグアナは超うまいらしいですね
ラムネは火薬庫の消火剤として二酸化炭素を使っていた副産物とか(海軍が有名)。
帝国海軍メシも期待しまっせ!
何なら地方だと知られてなかった食品や調理法、料理が戦後になって帰還兵を通じて日本各地に伝わったなんて側面もあったりなかったり。
硫黄島から生還した旧日本軍のお爺ちゃんが「硫黄島で生えるのは露草位なので、露草食ってた」と証言してました。当時住んでいたアパートの目の前が公園で、露草いくらでもあったので、茹でて食ってみました。シャキシャキしてますが、全くの無味‼️胡麻油垂らしたら途端に旨くなりましたが、当時ある訳もなく。味がないって、辛いですよ。
やっぱり戦前らしい凝った汁物や煮物が多くてちょっとうらやましいな
糧食艦?で間宮があったはず…うろ覚えですいません… 羊羹、最中なども作っていたらしいですね!
馬も草ばかり食べてると、馬力出ないんですよね~。穀類もいろいろと与えたみたいで。まぁ、食べ過ぎるとお腹痛くなったりするんですが。
今でも競走馬の食事はガチです。筋肉つけるために豆類混ぜたり、汗を大量にかくので塩を加えたり、好物の果物を添えたりしているそうです。
馬はもともと牛や羊より消化力がないので、堅い草は野生の状態でも食べないそう。柔らかい新芽とかどんぐりとか好みます
駐屯地に駐留する聯隊・師団のなかには、聯隊長や師団長の裁量で軍属として調理人を雇って糧食を作って兵に供給しています。石原莞爾が師団長に着任したとき、軍属として調理人を雇っています。
97式炊飯車は日露戦争の寒い中での冷たい食事の経験から開発がされたそうだよ。残念ながら日本の工業技術が低く大量に生産されなかったが、現在の自衛隊の装備にも脈々と受け継がれ特に阪神淡路震災や東北震災の際に活躍したそうだ。
ライフラインが断たれた被災地の人達からしたら、温かいご飯が食べられるのは胃袋だけでなく精神的にもかなりありがたいものだろうな
餓死した日本兵「そうだよ(薄身)」捕虜食った将校「そうだよ(吐心)」
これはうまい。お代わりだ
父島の名物料理ですね。ジョージ・ブッシュ元大統領も運が悪ければ、、、、
米軍が日本軍から鹵獲した食料で、一番人気は牛肉の大和煮の缶詰だったそうで、手に入ると争奪戦になるほどだったとか。それぐらい当時の米軍のCレーションは不味かったらしい。尚、大和煮缶詰をスキヤキと呼んでいた模様。
子どもの頃読んだ「のらくろ」では行軍で炊飯メシと牛や鯨の大和煮缶詰おかずで、のらくろがニコニコ顔で食べてるシーンが記憶に残ってる現代の陸自では赤飯が人気上位らしいね
復員軍人が軍隊で食べたメニューを家庭で再現して、現在の家庭料理の基礎が出来た。なんて話も聞きますねえ
うちの曽祖父海軍(中佐)だったけども、曽祖父曰くやっぱりみんな軍隊に入る理由が飯がうまいからって理由で入った人が多かったらしい。軍に入るなら海軍はみんな入りたがっていたとか…まぁ、理由は簡単、カレーとか出世したらオムライス食えるからとか…可愛い理由でした
海自のリクルーターさんに聞いた話ですが、護衛艦でも釣りするって言ってました。ソナーは当然高性能なので、魚群が分かったら艦内放送で「釣り竿用意!」みたいな声掛けがあるとか。鯖が爆釣でサバパーティやったとか話していました。
つくしんぼは昔はそこらへんの土手によく生えてましたね
ガダルカナルに最初に上陸した基地設営隊が冷蔵庫持ち込んでいたらしくて後で上陸してきた米軍がそれを発見して大層喜んだという話があったような
往々にして戦争末期以降の印象から軽視又は批判されがちな日本軍(殊に陸軍)の食事は、平時から「努めて野戦で調理可能」とする事を前提とした研究が進んでました。よって誰でも比較的簡単に早く調理出来る事が前提となる上、携帯性に優れた物や栄養価が高い物も研究されました。洋食が一般に普及し始めた大正時代後半から、日華事変で食材が統制されるまで、社会一般からすれば結構豪勢な献立もありましたが、例えば現在の朝霞駐屯地で月イチ出される「朝霞ランチ」は、陸軍士官學校の生徒が好んで食べたという逸話から、主菜は牛カツです。九七式炊事自動車の設計者は、戦後、陸自で使用されている「野外炊具1号」を開発した様です。
兵営の食事は今の刑務所と同様に安くするために現地の食糧を使うので地方色がよくでる問題は補給も滞る野戦食で缶詰や乾パンがある内はともかく徴発(略奪)もあったりエスカルゴやサルの肉になったり
このレシピ本のメニューを聞いてると日本人の豊かな食生活は軍隊が広めたんだって良く分かるなぁ
いまや国民食となったカレーも肉じゃがも、元は軍隊メシ。
カレーライスなんかがその代表ですね
陸軍はともかく。海軍士官は英語必須だったような。
陸自の超兵器「野外吹具1号」の系譜がここに・・・。
炊
「麦メシ・・脚気・・・ウッ、頭が!」森林太郎 陸軍軍医総監(ペンネーム・森鴎外)
なんとなく戦争末期になってくると食事とか大変だったんだろうな。特に大陸へ渡って敗走しながら食事をとっていたのか気になる。祖父が戦争経験者だがあまり語らなかったな。もう40年前に亡くなったからなんとも言えない。
中国戦線は1回しか戦闘に敗北してない。末期でも中国戦線だけは大陸打通作戦にも成功してるから
日本人、食へのこだわりが凄いからなぁ…… 陸上自衛隊にいた時、駐屯地の食堂は格差がある。
格差ってどんな?
@@roa616 「〇〇駐屯地は飯が上手い、◇◇駐屯地は飯が不味い。」というような「味の格差」だと思う。
駐屯地の規模で変わる所もあるしね😢1~2部隊位の規模の駐屯地ならあんまりかな😅
普通に美味そう……
笑いの草なんか喰うたら余計腹減るがな!(笑)(笑)(笑)
通信機のマニュアルが4ページ。と比較して本当に日本軍は糧食に全振りしてたんだなぁ。と
アジ歴とは懐かしい言葉を聞いた。極長日記とか読んでたなぁ。。。
我が家には、「海軍割烹術参考書」があります。舞鶴の赤レンガで入手しました。
コロッケは確か、油揚肉饅頭だったかと。
敵性後はマスコミや意識高い系がやっていただけで、軍隊では普通に横文字使っていたそうです。特に海軍はマイルやノットなど船の基本用語からして英語だし。
松本零士氏“ケースハードシリーズ” のある回でサナギを「ご馳走だぁ~」と言って食べてました😳
うますぎる草たべてみたいな
独逸の食い物やで。
羊羹は糖分が高い分カロリーもだけども腐りにくいことも相まって酒保なんかでも人気だったとじいさんにきいたことがあるなぁ。
最終的にカニバしてたのは内緒よ…
ネコミミ「人間さんもしてたんだ...w」にゃかか「ネコミミくんの周りでは普通なんだもんね。」
ちょっと本気でカリバが何なのかわからない……何となくカニバリズムかなとは思うけど、「カリバ」なんて略し方はじめて聞くし違う何かかもしれない
@@OS-shiki_chickenwing-armlock普通に変換ミスだすまぬ
3:05 パンは「麵麭」と書けば大丈夫w読み方は「めんぽう」だけど「ぱん」でいいらしい。「皇国の守護者」で知った知識だけどなw
ナルホド中国語で書けば問題ない? でも中国と戦争してたよね。敵性語でないの?
@@早川眠人 さん、麵麭は単に漢字表記しただけで中国語という訳でもないし(漢字表記は全部中国語だとお考えなら別ですが)、そもそも「麵麭と書けば大丈夫」というのは冗談ですよ。戦時中でも「パン」と表記しており「興亜建国パン」というものもありました。
@@羅号光祐麵麭は歴とした中国語でパンの意味なので上記の様にコメントしました。読み方はミェンパオです。
皇国に出てくる単語は造語もあるからすんなり信じないようにwあくまでも異世界の話だしね
戦時の日本ではメディアが勝手に敵性がどうのと騒いだだけで、軍部までそういう意識が思われてたほど強かったわけではないと昔から聞いたことがあります。逆に戦時戦前から良いものだしてたのは意外に感じてしまいます。全体主義が強い時代なのにこっちは聞かなかったですね。話したがらない話って気がします。
一人暮らしを初めて「自炊する」とか言うとハードルが高そうだけど、「キャンプ飯の練習をする」と思えばハードルはグッと下がる。白米3:押麦1に、各種の大和煮の缶詰を汁ごと入れて炊くだけでも、まぁ美味い。応用で、「缶詰の肉は酒の肴にして、汁は油揚げと一緒に炊いた米と混ぜる」なんてのも。食べられる山菜&茸の解説やアク抜きの仕方、蜂の子の獲方とかもあったりして、この辺の書物って、現代でも本当に役に立ちます。
樹皮も追加
沖縄地上戦に参戦した米軍兵士の書いた本を読むと、戦死した日本兵から携行食糧や戦利品を取り合った話が書いてましたが、食糧で米兵に人気のあったのはホタテの缶詰で、これは美味しかったと書いてました。
昔はCanレーションでCレーションかと思っていました
現在アメリカ軍の一見焼いただけの一枚肉のステーキ、いきなりステーキとは全く違う肉質の実は都内で同じ肉食べたら15000円取られるような品質の肉が使われています。それと同じで、昔の日本は兵隊さんに良い食事を食べて貰うのが当然という考え方だったのでしょう、、、旧軍や米軍と比較すると自衛隊は悲惨だなです。
これだけ研究されたのに、飢餓された英霊が残念に思う
たった一日の作業でもトラブルで昼抜きになったりするとモウシッタコッチャネー的な気分になるので、命がけの突撃など空きっ腹、マズイ飯ではやってられないね。死んだふり死んだふり…。
Arms樣Grip🍣頂きますのだ!
末期の食料が草とは草も生えねぇ
日々の食事から、戦い(労働)は始まってるんですよね。食事の幅が広いって事は、ある意味何でも食べられる訓練を受けているような物ですね話は変わりますが、最近の射撃訓練時の発砲事件で驚いたのは🔫「施設外のコンビニにAEDを借りに行った」と漏れ聞いた事🚑危険な訓練を行う場所に、応急処置出来る機材は置いてなかったというのか…?
メニュー豊富でも中にはダメなヤツもあったんだろうけどやっぱり好き嫌いなんて言ってられなかったんだろうね💦
日本 「腹が減っては戦は出来ぬ」米国「腹が減ったら何か食わせりゃ戦にゃ勝てる」それでも有事においても食を楽しむ日本の豊かな発想力を私は推したい。
補給が絶たれた崩壊寸前の軍隊あるあるで“二本歩行する羊さん”がメインの食糧
リアルガンニバル…
ムーさんが日本人は草食動物なので草で十分とか言ってたなw
サムネのうまい、うまい、うまいからの草に草
今はなき戦闘糧食1号、いわゆる缶メシ。味は外れがない。赤飯缶単品でも完食できた。
軍隊の嗜好品と言えばイギリス軍は紅茶、イタリア軍はパスタと散々ネタにされてるけど、日本軍もたいがい豪華なんだよなあ(名前忘れたけど軍用のキッチンカーとかあった希ガス)南方に関しては…海軍がわr(ry
世界一おいしい料理と言えば日本料理。それは戦時下でも同じか🎌🎌
補給が届いてた当初は真面目にどの軍よりも美味かったらしい
乾パンを開発した奴は天才だな。欧州の馬鹿みたいなビスケットとは格が違う。似たような材料の癖にこうも違うと花
勘違いしてはいけないがこれらの糧食を最前線の兵士にまで常時あまねく供給されていたわけではない。まあ一応作ったというだけで炊事車なんかよりも普通のトラックのが必要だったからな、砲弾を人力か良くて馬で運んでいたくらいだし。
アニキサスに効く唯一の飲み薬「正露丸」もこの時代かな
日露戦争から
征露丸!
ここで紹介された食べ物の多くは、昭和初期の陸軍でなら、食べられたろう。入営して2年間みっちりお勤めしていた頃。
???「実に気立ての良い上等兵さんでした」子供の頃に、何かのイベントでタイ米のセロファン飯を食った際に、臭くてパサパサでとあまりの不味さにトラウマになった記憶。
草に草生える🌱🌱🌱🌱
日本軍の食事世界一イィィィィ‼️。
治療内容に合わせてメニューを作れば最強だと思います。ミリ飯に近い食事と言えば、ヤマ飯ですね。私はレトルト飯にカルパスがヤマレーションです。
敵性言語の改名については民間が勝手にやってただけで陸軍海軍は普通に英語使ってたんね、😮
「スカのSはハートがナイス」ww
敵性言語は軍としちゃ普通に英語つかってたのにマスコミが煽ったせいでみんな乗せられたからな。まじマスコミはろくなことをしない。あいつらが敵だな
うちの祖父は南方に行ってたのですが洪水で流れてきた豚を現地の人と一緒に食べたと言ってましたあと猫も食べたことがあるそうですが可食部がなくてあんまり美味しくはなかったそうです腹が減るわ赤痢になるわでろくなことがないから戦争は糞って言ってました
広義的には武器なんだろうが一般的には飯屋のねえちゃん
F作業の成果が
今回は日本だ、世界大戦になるとヨーロッパ中心になるから旧日本軍が開発した鉄人28号の解説やってほしいなあもしかして本当に巨大ロボ作ろうとしたりして
兵隊に行った祖父が、太平洋戦争中は本当に食べるものがなく痩せてしまいズボンのベルトが2周したと生前よく言っておりましたのを思い出しました。
自分も元海自の給養員でしたが、どの艦も基地も飯に対する執念は凄まじかったですね。
特におかずに焼きうどんなどの麺類や麻婆豆腐などの中華料理を作った日には取り合いになり、いつも足らなくなって頭を抱えましたね。
ステーキの肉を冷蔵庫に運ぶ最中の乗員の目の輝きといったら…。
「寿司屋のお姉さん」になっちゃったのかと…
にーみみ「寿 司 屋 の お ね え さ ん」
フラン「握り寿司を箸の上に乗せて、『へいらっしゃい!』と叫ぶと、寿司が回転しながら飛んでいきます」
ゆうちゃん「なんと!」
@@kagehito_kurotsukaス シ ブ レ ー ド
スシトレイン
だれがうまいことをいえと
潜水艦などは缶詰が豊富で稲荷ずしや鰻の缶詰もあったらしいですね。
缶詰に特化した解説も見てみたいです
元零戦パイロットの坂井三郎さんの本で、航空弁当というのがありました。たしか助六寿司とサイダーだったと思います。片手で操縦しながら食べていたみたいです。航空機や海軍の糧食も紹介してもらえればと思います。
祖父はノモンハン前の関東軍でしたので、「満州名物は満州豚で、朝から豚汁だよ😋豚汁って言っても、角切り肉がゴロゴロ入ってるんだ‼️」って、「内地では絶対食えなかったよ」と言ってました。食事は滅茶苦茶良かったと言ってました。
多分、当時の内地で外食したら今よりもお金が溶ける金額だったかもしれません。
パンに関しては、特に満州・華北に進出していた部隊では現地調達できる小麦の有効活用といった点で重要だったそうで。そのために西洋式の焼いたパンではなく、中華式の蒸しマントウのレシピが採用されていたと。ただマントウ以外のメニューが純和食という組み合わせだったので、あまり評判は良くなかったらしいです。
これが、太平洋戦線の後半は補給も来ず、小さな島で人が多く
大量の飢餓になる前の日本軍か・・・
補給って本当に大事。
料理のレパートリー豊富で、今レシピ本にしても良い位ですね。
太平洋戦争では戦って死んだ兵士よりも餓死で死んだ兵士の方が遙かに多いと言われる
事実を知っていると、旧軍の飯ネタは「意外と美味しいんですよ」とかやられても
あまり楽しめんのです
アメリカ軍から鹵獲したCレーションも🇯🇵兵からしたら御馳走でした。
フィリピンから復員した祖父はそれこそ骨と皮になって帰ってきたらしい。その祖父が「草を切って切り口の状態で食べれる草か、食べられない草か判断した」らしい。
あと内地で少佐だった血の繋がりの無い叔父は終戦前でも「国内の倉庫には大量に物資が残っていた」との事。
物資があっても船が沈められれば前線には届かない・・・。
主食のご飯の中でも今では考えられませんが「五目ごはん」はごちそうだったそうです。これが出ると大いに喜ばれたとか。
農村出身の兵士が多かったので、「五目ごはん」が食べられるのは正月とか年1回あるかどうかだったとか。
甘味では「氷砂糖」も喜ばれました。貧しい農村出身の兵士が休暇で帰省した時。幼い兄妹達にお土産に「氷砂糖」をあげたら、
物凄く喜んでくれたと言う話もあります(ちょっと哀しいですね)
入隊したての農村出身の新兵が、夕食で出されたトンカツを泣きながら食べているのを見て驚いた教育班長が事情を聞いたところ、「自分だけこんな旨い物を食って、家族に申し訳ない」といっていた話もありましたね。
対外的には急速に発展しているように見えた日本でも、地方の農村部ではまだまだ貧しかったのでしょう。
当時の軍隊は赤貧に喘ぐ小作農家の次男、三男等の受け皿としての役割も大きかったと思います。
乾パンでなくカロリーメイトみたいな物とか炊事車両が、既に戦前の日本軍にあったなんて驚き。
補給がまともにできていた頃は米軍よりもよっぽど良いもの食ってたって言いますからねえ、末期戦の飢餓はそもそもの生産力不足と補給線の断然が原因だし
確かに現代人より健康的で美味しそうな食事ですよね。
これ見ると現地の食事を蔑ろにしたインパール作戦が一体どれだけ大不評だったのか想像もつかない。
うちの母方のじいさんがビルマ(敢えてこう書く)だったんですが、こういう話を聞く前に亡くなってしまった。
なにせじいさん亡くなった時に私は2歳だったからなぁw
ウチのじいさんはニューギニアで戦闘をしていましたがネズミとヘビは食べたと言ってましたね。
ヘビが一番食べちゃダメらしいです。
夜が眠れなくなるので
蛇「○欲をもてあます」
陸海軍のめしたき物語なんかを読むと結構凝った料理も作っていて、大陸から太平洋の諸島にまでそれを可能にする補給網があったんだたら本当にすごいもんなんですよね。もちろん、物資が足りて攻勢を維持できる期間限定でしたが…。
当時の日本軍の問題は一度作った補給線を維持することを軽視してたってのがあるな
@@ssrb1144 さん
軽視した、というより「潰された」の方が正しいかと。
良くも悪くも海ルートを確保出来ていたから旧日本軍は強かったのであって、同じ海ルートで当時最強だったイギリス・アメリカと衝突してしまいましたから。
@@muramasa9582 残念ながら実際に日本海軍は海上護衛を軽視していました。
米海軍は英国式の船団護衛方式に加え、護衛空母も入れて、ガチガチに補給部隊を固めていました
しかし、日本海軍は42年後半に漸く海上護衛部隊を発足させ、部隊教育も7月以降からというもので43年以降に本格的な船団護衛方式を行うようになります
しかも対潜装備は使い物にならず、護衛空母も民間船を改造した物しかなく、数も米海軍からしたら無いも同然な数しかおらず結局、潜水艦と空母部隊に壊滅させられることになりました
そのため補給線の維持を軽視していたと表現させてもらいました
@@ssrb1144 さん
なるほど。
まあ、私としても軽視していなかったというつもりはありませんけどね。
その辺りは日本の経験不足が大きいのではないかと見ています。
基本的に、英米とは友好的にやるつもりだった=それらと本気の海戦を想定していなかったのではないかと。
軽視していたと言うより元々の艦艇数が少ないのよ、当初では防衛線が出来たら二線級の駆逐艦を船団護衛に回しつつ海防艦を建造していく予定が駆逐艦を南太平洋で使い潰してしまったからね。
(腹が減っては、戦は出来ぬ。)と言う言葉が有るように、食事と補給は重要ですよね。現地調達した食材を工夫して調理しできるだけ美味しく食べる。戦場での細やかな楽しみかもしれませんね。
以前の糧食動画と合わせて、改めて日本は食に関しては譲らないこだわりがあったんだなぁと感じました(WW2末期は仕方ないですが)。
現代を生きる我々としては、美味しいものが食べられる平和に感謝し先人の苦労に敬意を表したいものです。
昔、防災訓練時に袋(セロファンではなかった気がします)に入った御飯を頂きましたね。災害など非日常の状況に置かれた際に、普段から食べているメニューが食べられると、安心感が得られるんだと思いますね。動画面白かったです。
日本軍の戦記モノの本を読むと戦闘機搭乗員の航空弁当?や給糧艦の間宮羊羹なんかにも興味をそそられます。
因みに羊羹は戦艦だと虎屋のが酒保で買えたとか。
でも羊羹が好評だったのはどちらかと言うと士官の方で、兵員には袋に入ったビスケットの砂糖漬けの方が人気があったそうです(「軍艦長門の生涯」より)
粉末の味噌汁やアルファ化米の準備など研究はされていたんですね
問題は輸送限界を超えて戦線を広げてしまったこと・・・・・・・・
戦後に帝国ホテル料理長になる村上信夫が出征先にもフライパンを持参して色々料理を作っていた話すき
祝賀品の小鯛、芝エビ、蒲鉾、人参等の多様な食材が一つに入ってる口取缶詰が面白いですよね
元気食とか精力餅とか携帯食も力入ってたんですけどね前線にとどかないってどうすりゃいいって感じです
軍隊調理法の復刻版を昨年購入しました。現代でも十分通用するクォリティでしたね。
インパール作戦でもこういった糧食が前線の兵に確保できていたら作戦の成功はともかく辛い思いが減っていたかもなあ……
ビルマ戦線にいた祖父がたまに言ってた
「ワニの肉、めっちゃ美味かった」
がインパクト強すぎて未だに覚えてる
そしてその祖父から飯盒炊爨のやり方を教わったおかげでめちゃくちゃ自信がある(そのせいもあってキャンパー)
実際に美味しいですよ。
珍しい食材を扱う居酒屋でワニやスズメ等を食べましたが、冗談抜きで美味しかったです。
@@ataki2642 自分も、いつか食べてみたいですw
某蛇もソ連製レーションより蛇とかワニの方が美味いって言ってたしね…((ベニ)スズメは「不味すぎる…!」だった気が)
日本では痩せこけた大人も子供も、鶏も跨ぐようなもん食って飢えしのいでる中、海の彼方アメリカでは血色のいい子供がクッキー片手に笑いながらトムとジェリー見てた。そりゃ勝てるわけないわな
日中戦争で国力オワコン…せや米英と戦争したろの精神
農村はかなり裕福だったぞ
うちの田舎は密造酒つくって摘発に来るようなおまわりは村の若い衆で始末して川に捨てたとかしてたらしいぞ。何でも自分で作れるところはいいもの食ってるからアメリカと大差ない。食えないのは都市部の連中だけ
飯テロすぎるッ!!
私の祖父は中国→ラバウルでしたが、ラバウルで食べた大トカゲが鶏肉みたいで美味かったと言ってました。
爬虫類と鳥は遠縁関係にあるから似てるのは当然
恒温動物と比べるとかなり少ない餌で成長するので美味しければ養殖出来ないかしら?コオロギよりは大分良いかと思うのです。
因みにグリーンイグアナは超うまいらしいですね
ラムネは火薬庫の消火剤として二酸化炭素を使っていた副産物とか(海軍が有名)。
帝国海軍メシも期待しまっせ!
何なら地方だと知られてなかった食品や調理法、料理が戦後になって帰還兵を通じて日本各地に伝わったなんて側面もあったりなかったり。
硫黄島から生還した旧日本軍のお爺ちゃんが「硫黄島で生えるのは露草位なので、露草食ってた」と証言してました。当時住んでいたアパートの目の前が公園で、露草いくらでもあったので、茹でて食ってみました。シャキシャキしてますが、全くの無味‼️胡麻油垂らしたら途端に旨くなりましたが、当時ある訳もなく。味がないって、辛いですよ。
やっぱり戦前らしい凝った汁物や煮物が多くてちょっとうらやましいな
糧食艦?で間宮があったはず…
うろ覚えですいません…
羊羹、最中なども作っていたらしいですね!
馬も草ばかり食べてると、馬力出ないんですよね~。
穀類もいろいろと与えたみたいで。
まぁ、食べ過ぎるとお腹痛くなったりするんですが。
今でも競走馬の食事はガチです。筋肉つけるために豆類混ぜたり、汗を大量にかくので塩を加えたり、好物の果物を添えたりしているそうです。
馬はもともと牛や羊より消化力がないので、堅い草は野生の状態でも食べないそう。柔らかい新芽とかどんぐりとか好みます
駐屯地に駐留する聯隊・師団のなかには、聯隊長や師団長の裁量で軍属として調理人を雇って糧食を作って兵に供給しています。石原莞爾が師団長に着任したとき、軍属として調理人を雇っています。
97式炊飯車は日露戦争の寒い中での冷たい食事の経験から開発がされたそうだよ。
残念ながら日本の工業技術が低く大量に生産されなかったが、現在の自衛隊の装備にも脈々と受け継がれ特に阪神淡路震災や東北震災の際に活躍したそうだ。
ライフラインが断たれた被災地の人達からしたら、温かいご飯が食べられるのは胃袋だけでなく精神的にもかなりありがたいものだろうな
餓死した日本兵「そうだよ(薄身)」
捕虜食った将校「そうだよ(吐心)」
これはうまい。お代わりだ
父島の名物料理ですね。ジョージ・ブッシュ元大統領も運が悪ければ、、、、
米軍が日本軍から鹵獲した食料で、一番人気は牛肉の大和煮の缶詰だったそうで、手に入ると争奪戦になるほどだったとか。それぐらい当時の米軍のCレーションは不味かったらしい。尚、大和煮缶詰をスキヤキと呼んでいた模様。
子どもの頃読んだ「のらくろ」では行軍で炊飯メシと牛や鯨の大和煮缶詰おかずで、のらくろがニコニコ顔で食べてるシーンが記憶に残ってる
現代の陸自では赤飯が人気上位らしいね
復員軍人が軍隊で食べたメニューを家庭で再現して、現在の家庭料理の基礎が出来た。なんて話も聞きますねえ
うちの曽祖父海軍(中佐)だったけども、曽祖父曰くやっぱりみんな軍隊に入る理由が飯がうまいからって理由で入った人が多かったらしい。
軍に入るなら海軍はみんな入りたがっていたとか…まぁ、理由は簡単、カレーとか出世したらオムライス食えるからとか…可愛い理由でした
海自のリクルーターさんに聞いた話ですが、護衛艦でも釣りするって言ってました。ソナーは当然高性能なので、魚群が分かったら艦内放送で「釣り竿用意!」みたいな声掛けがあるとか。鯖が爆釣でサバパーティやったとか話していました。
つくしんぼは昔はそこらへんの土手によく生えてましたね
ガダルカナルに最初に上陸した基地設営隊が冷蔵庫持ち込んでいたらしくて
後で上陸してきた米軍がそれを発見して大層喜んだという話があったような
往々にして戦争末期以降の印象から軽視又は批判されがちな日本軍(殊に陸軍)の食事は、平時から「努めて野戦で調理可能」とする事を前提とした研究が進んでました。
よって誰でも比較的簡単に早く調理出来る事が前提となる上、携帯性に優れた物や栄養価が高い物も研究されました。
洋食が一般に普及し始めた大正時代後半から、日華事変で食材が統制されるまで、社会一般からすれば結構豪勢な献立もありましたが、例えば現在の朝霞駐屯地で月イチ出される「朝霞ランチ」は、陸軍士官學校の生徒が好んで食べたという逸話から、主菜は牛カツです。
九七式炊事自動車の設計者は、戦後、陸自で使用されている「野外炊具1号」を開発した様です。
兵営の食事は今の刑務所と同様に安くするために現地の食糧を使うので地方色がよくでる
問題は補給も滞る野戦食で缶詰や乾パンがある内はともかく徴発(略奪)もあったりエスカルゴやサルの肉になったり
このレシピ本のメニューを聞いてると日本人の豊かな食生活は軍隊が広めたんだって良く分かるなぁ
いまや国民食となったカレーも肉じゃがも、元は軍隊メシ。
カレーライスなんかがその代表ですね
陸軍はともかく。海軍士官は英語必須だったような。
陸自の超兵器「野外吹具1号」の系譜がここに・・・。
炊
「麦メシ・・脚気・・・ウッ、頭が!」森林太郎 陸軍軍医総監(ペンネーム・森鴎外)
なんとなく戦争末期になってくると食事とか大変だったんだろうな。
特に大陸へ渡って敗走しながら食事をとっていたのか気になる。
祖父が戦争経験者だがあまり語らなかったな。もう40年前に
亡くなったからなんとも言えない。
中国戦線は1回しか戦闘に敗北してない。末期でも中国戦線だけは大陸打通作戦にも成功してるから
日本人、食へのこだわりが凄いからなぁ……
陸上自衛隊にいた時、駐屯地の食堂は格差がある。
格差ってどんな?
@@roa616
「〇〇駐屯地は飯が上手い、◇◇駐屯地は飯が不味い。」というような「味の格差」だと思う。
駐屯地の規模で変わる所もあるしね😢1~2部隊位の規模の駐屯地ならあんまりかな😅
普通に美味そう……
笑いの草なんか喰うたら余計腹減るがな!(笑)(笑)(笑)
通信機のマニュアルが4ページ。と比較して
本当に日本軍は糧食に全振りしてたんだなぁ。と
アジ歴とは懐かしい言葉を聞いた。
極長日記とか読んでたなぁ。。。
我が家には、「海軍割烹術参考書」があります。
舞鶴の赤レンガで入手しました。
コロッケは確か、油揚肉饅頭だったかと。
敵性後はマスコミや意識高い系がやっていただけで、軍隊では普通に横文字使っていたそうです。
特に海軍はマイルやノットなど船の基本用語からして英語だし。
松本零士氏“ケースハードシリーズ” のある回でサナギを「ご馳走だぁ~」と言って食べてました😳
うますぎる草たべてみたいな
独逸の食い物やで。
羊羹は糖分が高い分カロリーもだけども腐りにくいことも相まって酒保なんかでも人気だったとじいさんにきいたことがあるなぁ。
最終的にカニバしてたのは内緒よ…
ネコミミ「人間さんもしてたんだ...w」
にゃかか「ネコミミくんの周りでは普通なんだもんね。」
ちょっと本気でカリバが何なのかわからない……
何となくカニバリズムかなとは思うけど、「カリバ」なんて略し方はじめて聞くし違う何かかもしれない
@@OS-shiki_chickenwing-armlock普通に変換ミスだすまぬ
3:05 パンは「麵麭」と書けば大丈夫w
読み方は「めんぽう」だけど「ぱん」でいいらしい。「皇国の守護者」で知った知識だけどなw
ナルホド中国語で書けば問題ない? でも中国と戦争してたよね。敵性語でないの?
@@早川眠人 さん、麵麭は単に漢字表記しただけで中国語という訳でもないし(漢字表記は全部中国語だとお考えなら別ですが)、
そもそも「麵麭と書けば大丈夫」というのは冗談ですよ。戦時中でも「パン」と表記しており「興亜建国パン」というものもありました。
@@羅号光祐
麵麭は歴とした中国語でパンの意味なので上記の様にコメントしました。読み方はミェンパオです。
皇国に出てくる単語は造語もあるからすんなり信じないようにw
あくまでも異世界の話だしね
戦時の日本ではメディアが勝手に敵性がどうのと騒いだだけで、軍部までそういう意識が思われてたほど強かったわけではないと昔から聞いたことがあります。
逆に戦時戦前から良いものだしてたのは意外に感じてしまいます。全体主義が強い時代なのにこっちは聞かなかったですね。話したがらない話って気がします。
一人暮らしを初めて「自炊する」とか言うとハードルが高そうだけど、
「キャンプ飯の練習をする」と思えばハードルはグッと下がる。
白米3:押麦1に、各種の大和煮の缶詰を汁ごと入れて炊くだけでも、まぁ美味い。
応用で、「缶詰の肉は酒の肴にして、汁は油揚げと一緒に炊いた米と混ぜる」なんてのも。
食べられる山菜&茸の解説やアク抜きの仕方、蜂の子の獲方とかもあったりして、
この辺の書物って、現代でも本当に役に立ちます。
樹皮も追加
沖縄地上戦に参戦した米軍兵士の書いた本を読むと、戦死した日本兵から携行食糧や戦利品を取り合った話が書いてましたが、食糧で米兵に人気のあったのはホタテの缶詰で、これは美味しかったと書いてました。
昔はCanレーションでCレーションかと思っていました
現在アメリカ軍の一見焼いただけの一枚肉のステーキ、いきなりステーキとは全く違う肉質の実は都内で同じ肉食べたら15000円取られるような品質の肉が使われています。
それと同じで、昔の日本は兵隊さんに良い食事を食べて貰うのが当然という考え方だったのでしょう、、、旧軍や米軍と比較すると自衛隊は悲惨だなです。
これだけ研究されたのに、飢餓された英霊が残念に思う
たった一日の作業でもトラブルで昼抜きになったりするとモウシッタコッチャネー的な気分になるので、命がけの突撃など空きっ腹、マズイ飯ではやってられないね。死んだふり死んだふり…。
Arms樣Grip🍣頂きますのだ!
末期の食料が草とは草も生えねぇ
日々の食事から、戦い(労働)は始まってるんですよね。
食事の幅が広いって事は、ある意味何でも食べられる訓練を受けているような物ですね
話は変わりますが、最近の射撃訓練時の発砲事件で驚いたのは🔫
「施設外のコンビニにAEDを借りに行った」と漏れ聞いた事🚑
危険な訓練を行う場所に、応急処置出来る機材は置いてなかったというのか…?
メニュー豊富でも中にはダメなヤツもあったんだろうけどやっぱり好き嫌いなんて言ってられなかったんだろうね💦
日本 「腹が減っては戦は出来ぬ」
米国「腹が減ったら何か食わせりゃ戦にゃ勝てる」
それでも有事においても食を楽しむ日本の豊かな発想力を私は推したい。
補給が絶たれた崩壊寸前の軍隊あるあるで“二本歩行する羊さん”がメインの食糧
リアルガンニバル…
ムーさんが日本人は草食動物なので草で十分とか言ってたなw
サムネのうまい、うまい、うまいからの草に草
今はなき戦闘糧食1号、いわゆる缶メシ。味は外れがない。赤飯缶単品でも完食できた。
軍隊の嗜好品と言えばイギリス軍は紅茶、イタリア軍はパスタと散々ネタにされてるけど、日本軍もたいがい豪華なんだよなあ(名前忘れたけど軍用のキッチンカーとかあった希ガス)
南方に関しては…海軍がわr(ry
世界一おいしい料理と言えば日本料理。それは戦時下でも同じか🎌🎌
補給が届いてた当初は真面目にどの軍よりも美味かったらしい
乾パンを開発した奴は天才だな。欧州の馬鹿みたいなビスケットとは格が違う。似たような材料の癖にこうも違うと花
勘違いしてはいけないがこれらの糧食を
最前線の兵士にまで常時あまねく供給されていたわけではない。
まあ一応作ったというだけで炊事車なんかよりも
普通のトラックのが必要だったからな、
砲弾を人力か良くて馬で運んでいたくらいだし。
アニキサスに効く唯一の飲み薬「正露丸」もこの時代かな
日露戦争から
征露丸!
ここで紹介された食べ物の多くは、昭和初期の陸軍でなら、食べられたろう。入営して2年間みっちりお勤めしていた頃。
???「実に気立ての良い上等兵さんでした」
子供の頃に、何かのイベントでタイ米のセロファン飯を食った際に、臭くてパサパサでとあまりの不味さにトラウマになった記憶。
草に草生える🌱🌱🌱🌱
日本軍の食事世界一イィィィィ‼️。
治療内容に合わせてメニューを作れば最強だと思います。
ミリ飯に近い食事と言えば、ヤマ飯ですね。私はレトルト飯にカルパスがヤマレーションです。
敵性言語の改名については民間が勝手にやってただけで陸軍海軍は普通に英語使ってたんね、😮
「スカのSはハートがナイス」ww
敵性言語は軍としちゃ普通に英語つかってたのにマスコミが煽ったせいでみんな乗せられたからな。まじマスコミはろくなことをしない。あいつらが敵だな
うちの祖父は南方に行ってたのですが洪水で流れてきた豚を現地の人と一緒に食べたと言ってました
あと猫も食べたことがあるそうですが可食部がなくてあんまり美味しくはなかったそうです
腹が減るわ赤痢になるわでろくなことがないから戦争は糞って言ってました
広義的には武器なんだろうが一般的には飯屋のねえちゃん
F作業の成果が
今回は日本だ、世界大戦になるとヨーロッパ中心になるから
旧日本軍が開発した鉄人28号の解説やってほしいなあ
もしかして本当に巨大ロボ作ろうとしたりして
兵隊に行った祖父が、太平洋戦争中は本当に食べるものがなく痩せてしまいズボンのベルトが2周したと生前よく言っておりましたのを思い出しました。