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9/7(土)、9/14(土) 東京新橋で宇山卓栄先生とトークイベント。サイン本プレゼントもあります。businesssha.peatix.com
茂木先生の対談形式で一番おもしろいと思うのが浜崎先生との。浜崎先生のお相手で一番おもしろいのも茂木先生との。最強のコンビです。
思想・哲学を語ったらこの二人が今一番面白いな。
明治維新以来、日本は西洋の植民地主義に対抗するため必死に西洋化し独立を保とうとしてきました。しかし、西洋化すればするほど矛盾や欺瞞が現れ本来の日本人の姿を見失ってしまい、未来の方向性がわからなくなってしまったのではないかと思います。そして現在もそれは続き、日本人としてどうしたら豊かで幸せになれるのかを示してくれる人は限りなく少なく、右往左往して彷徨っている日本人が多いのではないかと思うし、自分もその一人です。磯城島の大倭国は言霊の助くる国ぞまさきくありこそ先日渡部昇一先生の「和歌から見える日本通史」を読んで最後にこの和歌が紹介されていました。とても感動しました。これまで先人達が残してくれた和歌を学んで来ませんでしたが、これからは和歌を通じて大和心を学びたいと思っています。
本講演のチケットを購入しておりましたが、母親の介護疲労でどうしても行くことが叶いませんでした。(実は、大阪で開催された参政党タウンミーティングでの茂木先生の講演も同じ理由で行くことができませんでした。)you tubeで拝見でき、今、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。感謝申し上げます。定期的にこの様な講演が開催されることを望んでおります。私たちは戦後義務教育で育っており、人生を生抜いていくための知識、教養、論理にカピカピに飢えており飢餓状態です。人生には潤いが必要です。重複しますが、この様な講演を関西で開催されることを切実に望んでおります。(参加できない可能性がある人間が言うのもおかしな話ですが。。。)
介護の大変さは私も経験しました。家族にできることは限界があり、公的機関に随分と助けていただきました。
浜崎さんは京大の外から来た人なので、京大を客観的かつ冷静に考察できるんだろうなと思いました。ユ/ダヤ人も基本的に世界に散らばっているので、国や世界を客観的かつ冷静に考察します。浜崎さんの京大考察を聞いて、やはり外部の第三者的視点は重要かつ面白いと実感します。また、昭和初期のマルクス主義者たちですが、俺は何となく共感してしまいますね。当時の大日本帝国は、現代よりもさらに酷いウルトラスーパー格差社会であり、選挙では何も変えられない社会だったのです。これを何とかしたいという人たちがたくさんいたのは当然でしょう。また、軍隊が主導する内閣も誕生し、言論統制もきつくなってくれば、マルクス主義者でなくとも政府打倒を考える人たちが増えてくるのも当然です。官僚や軍人にも、そういう人たちがいたわけです。戦後の日本人がアメリカ万歳になったのは、GHQの洗脳工作だけが原因ではありません。GHQのおかげでウルトラスーパー格差社会が解消され、中産階級が大量に生み出され、言論の自由が強烈に保障されたからです。アメリカのおかげで良い国になったと、多くの日本国民が思ったとしても、一面では事実であり、これはしょうがないことだと思います。もっとも、現代日本では、その副作用が強烈に国を破壊しているので、何とも悲しいところです。
武力によって他人を服従させようとする者は、武力によって他人に服従させられても文句は言えないわな。対等だから。
GHQ農地改革は、その好例ですね。
去年の今頃、借りている山の畑で得も言われぬ完全な幸福感に包まれ涙が出ました。今でも不思議なのですが…あの時、何かにつながったのかもしれないと思っています😊
亡き母の兄が京都帝大出身で、軍の獣医でした。シベリア抑留で20代で亡くなりましたが。会うことの叶わなかった伯父が生きていたら、いろんな話を聞けただろうと思いながら視聴させていただきました。ありがとうございました。
旧制高校は どちらの方でしたか?
ゆっくり喋ってくださり、また詳しい解説を入れてくださってありがとうございます。とても分かり易かったです。
配信、ありがとうございます🎵とても興味深いです。マルクス教と言っても過言ではなかったアレが入り込んだ流れ。資本主義への不満。西洋万歳と憧れたそれぞれの先人達がずらり。日本流があっても良いじゃないかと気が付いた先人達など。続きを楽しみにしています😊
行きたかった講演😂先生、配信ありがとうございます😊😊
農耕民族だから今も見ながら未來も読もうとする。だから、記録を残す。学がない私にもとても分かりやすかったです。京都学派についてもとても分かりやすく、早く2が見たいです。勉強になる動画ありがとうございます。
浜崎洋介先生 茂木誠先生 ありがとうございます。大変興味深く 拝聴しております。昭和初期の日本は、役割分担など 想像できぬほどの世の中、社会主義に傾倒していくのも理解できます。『〈近代の超克〉論』のお話 楽しみです。02もよろしくお願いいたします。
誠先生✨夏のもぎせか講座🎌🦌有料の神内容の講座動画を投稿してくださいまして ありがとうございます🙇💞内容高度すぎて理解習得はできてないですが🙇💦 始終 ビックリ驚きのドラマチックな話しに感嘆詞の連続で夢中で拝聴いたしました!おふたかたの神先生の教えるチカラのナセル技です🙇💞茂木先生のお話しの言葉の間や歌のようなメロディ感なお話しとまなざしからは いろんなたくさんの情報がイメージが伝わってきます。ホント不思議な感覚です😸💫潜在意識に直接しみいるようなね。だからカリスマ講師さん なんでしょうね😸🍎縄文は文字が歴史がないのは必要なかったから😸✨ 私もそう思います!しっくり🦌🍎 中今に過去未來はないって仰っていました部分…🤔私が思うのは…なくもあり…それでいて全ての時間がある!みたいな ていうか 時間がなくなるって仰っていましたが それが一番近いのでしょうね☆😸✨はっきりわかってもいないし 証明なんてもできませんが 多分あってる😸💫約30分の難しいお話しでしたのに 終わった瞬間 うぇーんっ💦続き早よ~💞となりました 😻つづきを楽しみにお待ちしております😸🍎 この度は優良有料神講座を公開してくださってこころより御礼もうしあげましす🙇💐💐20240818pm1148
補足の茂木先生のやわらかい説明が有難いです伝わります
難しいんですがなぜか惹き込まれる浜崎節。茂木先生が解説してくださる当時の時代背景と相まって、クリアに想像でき、理解が深まります。次回も楽しみにしています😊
最強の2人
浜崎先生の説明はよく分かりますよね👏
動画配信待ってました‼️当日参加させて頂きましたがもう一度聞きたかったんです🙏😊✨
私はこれまでも茂木先生と浜崎先生の対談は1番腹に入る、腹落ちする知見と論理と想いが好き、あんたらが正しいかは知りません
ホンマに楽しかったです❤新しい出会いもありましたし、サイコーでした😊✨✨次回も是非伺いたいです。
畑で手を動かして、野菜を育てることでしか体感できないフィードバックありますよね
僕は庭の雑草を刈るだけですが、そんなことでも自然を相手にしてると気分は変わります🙂
難しいけど、ここをつかめればもっと近代史を濃く理解できるかな
現代の京都学派🤣の浜崎先生! 待ってましたっ!!
自然を感じると、無心になる❗
日本語の達人が二人揃うと圧巻。対談本にはなるのかな。次回と出版に期待。
面白かった!続きが待ち遠しいです。
深いですねぇ・・・。考えさせられる動画ですね。まだ、言語化できませんが。
浜崎先生の回は本当に引き込まれます、次が待ち遠しくて、日を跨いだ時は早起きして動画が上がってるかチェックしちゃいます。
西田幾多郎氏が最初に教壇に立ったのは、私の母校の前身である能登の七尾に初めて出来た旧制中学です。金沢の四高時代の同級生親友には鈴木大拙もいます。 七尾に来て、その頃教育方法に苦心していたようでこんな言葉を残してます。 「唯(ただ)童子を対手(あいて)にいかにして教育すればよきと日夜苦心いたし居り候。最も方法に困り居り候は倫理に御座候(ござそうろう)。…松陰や東湖(藤田東湖)はいかにして天下の名士を陶冶(とうや)せしや。新島(新島襄)先生の伝は有益なる書にあらずや。人物陶冶の法は今の自称教育者の説よりは古人の塾則などを見る方よろしからんや」 今日は京都学派の話ですが、西田幾多郎が七尾にいた時期は、彼は将来は東京の大学に出て、ドイツ文学と哲学を研究したかったようです。少し長いですが、下記のような言葉が残ってます。 「余は自揣(みずからはか)らず能登中学に終わるより一層大なることに奉ぜんと思ふ。始より小事に安んぜば一生成す所知るべきのみ。…明年は東都に出て大(おおい)に独逸文学及び哲学を勉強し今までの仙人主義をすてて務(つとめ)て世界の舞台に出んと思ふ。余は之(これ)を楽として勇気勃々勉強いたし居り候。」「いかにしても東都に出で度(たく)存じ前に申上候如(もうしあげそうろうごと)く明年は再び書生をなさんとも考へ候が、其後(そのご)又熟ら考へ候に小生の如き係累多き身にして全く書生をなすこと誠に困難にて…この頃はいかがせんと日夜迷ひ居り候。…兼(かね)てこの世は唯にすぐさじと思ひ日夜苦慮罷(まか)りあり…」(参考文献)「西田幾多郎−人と思想」(下村寅太郎著:東海大学出版会)、
情報ありがとうございます!
@@maomao96363 茂木さんとは歳も同じみたいだし、和泉かお茶ノ水のキャンパスの何処かでスレ違っているかも。色々なチャンネルの動画見て楽しませてもらってます。
茂木誠先生が畑仕事をしているところを想像するとなんとも可愛らしく‥いや失礼!でも深いですね👍
めちゃめちゃ面白いです☺️ありがとうございます🙏
面白い。続きが気になります。
京都でのお二人の貴重な講演会、参加できた喜びを噛み締めながら😊復習の為に何度も拝見させていただきました。丁寧に歴史を解析していただけたので、引き込まれるように見入ってしまいました😊💕茂木先生の御著書に書かれていた事象が、動画を拝見する事で、より一層立体的な鮮やかさを持って理解できます事、心より感謝いたします😊💕茂木先生の講演会に参加して、毎回嬉しく感じる事は、どの土地に行かれても埼玉のネタを盛り込んで下さる点です(笑)お忙しい中恐縮ですが💦02での勉強も、引き続き楽しみにしています*\(^o^)/*
埼玉愛❤️
私にとっての埼玉の偉人は茂木先生なので😊新札発行で【モギー】を使う気満々だったのに(笑)渋沢さんがプリントされていて驚きました😆
素晴らしい。深い所から語られる 日本近代史 勉強になります。
「近代の超克」、今聞いてもかっこいいですね。続きも楽しみです😊
いつもありがとうございます✨昭和初期のマルクス主義運動はなんとなく室町後期の一向一揆に似てるなと感じました。なんとなくの話ですみません😅
一神教的終末思想という点が同じ。
茂木先生と浜崎さんの対談、大好きです:)ちょっと難しそうですが、頑張ります!
テトリスをやっても無の状態、今のこの瞬間に集中して時間感覚をなくしますよ。ある種のゲームもそういった体験はできます。
13:52 朝永 振一郎(ともなが しんいちろう)さんのお父さん? 14:30当時とは?40年前で一般定年55歳、大学60歳年定年、10年前で大学63~65歳定年 14:33古希が70才 喜寿77才
そうです。朝永振一郎の父です。
これは永久保存版です😊
難しい……😢畑で無になる話しか、理解できませんでした。ごめんなさい。
日本の共産主義者はホント特殊ですね。515事件の時の橘孝三郎を見ていると不思議ですよ。マルクス主義を説いた事は殆んど有りません。戦後も俺はマルクス主義者だと言いつつ、天皇論を何冊か書いてます。実に三島由紀夫はこの本に感銘を受け親しくなりました。
現地にも行きました!が、いかんせん理解力がないので動画配信ありがたいです
日本人や西洋人の大衆視点を自分は、、「斜異の喪失」という言葉が芽生えました。直感の言葉ですが...。
(ともなが)朝永三十郎の長男はノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎です。文系の方はご存知ないようですね。😅
「近代の超克」論のバックグラウンドを、クリアに聞いたのははじめて。
いつもありがとうございますっ!頭が良すぎる連中の考えは、私には、わかりません。🙇
西田先生は旧制四高に、超然主義の校風を吹き込みました。授業中、沈潜に入られる姿に学生が感動したそうですね。
三木清、父の書架に古い全集があったのを覚えています。子供だった私に読めるはずもなく、父の死後、実家に帰ったらもうありませんでしたが。
100回いいねしたい🥺🥺🥺もぎ先生ありがとうございます❤️❤️❤️
1万回では、、久振りでのめり込んで聞き入って。次回が待ち遠しいで。ありがとうございます
茂木さん、畑は良いですね。作物を育てる事もさることながら農作業の中で身体の使い方を自然に学べます。ジムで作った筋肉が如何に無駄かが分かりますよ。自ずと日本的な身体の使い方が学べます。茂木さんの体つきを見ていて少しジム的な身体だったので心配していましたが、これで良い方向に向かうと思います。
「無駄なこと」も人生を豊かにして楽しいですよ😊
茂木様 確かにね。私は68歳ですが60年間の大いなる無駄があったので今が輝きだしたと思っていますよ。人生は何が起こるか分かりませんからね。
興味深くて、面白かったです。貧乏人が多数派になると、大きく流れは変わるのでしょうか?
「京都学派誕生とシュタイナー」サブタイトル「純粋経験」から大東亜戦争へ、河西善治著、という本を読みました。鈴木大拙の奥様も神智学徒のベアトリス・レインだし‥
他につっこみがあるかもしれませんが朝永は"ともなが"と読みます。特に九州北部に多い名字。キリシタン大名で有名な大村純忠の家臣筋です。
西田幾多郎、鈴木大拙、クリシュナムルティ、宇佐晋一、エックハルト
京都学派(きょうとがくは、英語: Kyoto School)とは、一般に西田幾多郎と田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において「京都学派」と呼ばれるグループが存在している。京都学派(哲学)その詳細な定義は国や研究者によって異なり、未だに世界各国で盛んな研究の対象となっている。主なメンバーとして、西田幾多郎、田邊元、波多野精一、朝永三十郎、和辻哲郎、三木清、西谷啓治、久松真一、武内義範、土井虎賀壽・下村寅太郎・上田閑照、大橋良介らが挙げられ、また左派としては三木清以外に戸坂潤、中井正一、久野収らが挙げられる。とりわけ中井は後述する京都学派(人文研)の桑原武夫や、京都学派(近代経済学)の青山秀夫とも懇意であった。また桑原は父親が京大文学部教授であったこともあって西田とも若い頃から接していたという。京都学派は西洋哲学と東洋思想の融合を目指した『善の研究』などで表される西田哲学の立場に立ち、東洋でありながら西洋化した日本で、ただ西洋哲学を受け入れるだけではなくそれといかに内面で折り合うことができるかを模索した。しかしながら東洋の再評価の立場や独自のアイデンティティを模索することは次第に「西洋は行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想に近づくことになった。特に京都学派四天王(西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・鈴木成高)らは、「世界史の哲学」や「近代の超克」を提唱し、海軍に接近した。このため太平洋戦争の敗戦により、戦前の京都学派はいったん没落した。だが戦後も高坂、高山らは自民党などの保守政治に接近し、京都学派と政治とのかかわりは今日に至るまで脈々と続いている。なお、陸軍が海軍に較べて圧倒的な力をもっていた時代において、海軍への接近は軍部政権への翼賛というよりは、軍部の方針を是正しようとする体制批判の行動であったと、大橋良介は評している。また、大島康正メモによると、この海軍のブレーントラストとしての京都学派の集まりに、京都学派(東洋史学)の宮崎市定も常連として参加していたと大橋は指摘する。なお、大橋の著書では梯明秀の分類に依拠しながら、京都学派と京都哲学とを分けて捉えることを提案する。要するに、「何らかのかたちで<無>の思想を継承・展開した思想家のネットワーク」を京都学派と捉え、西田や田辺に学び、単に彼らの知的ネットワークの下にいるものを京都哲学に分類する。その場合、三木は微妙な立ち位置になるとされるが、多くの左派の弟子たちは京都学派に含まれない。また弟子として西田の著作の編集や解説を書きつつ、自分自身の研究は歴史的な方向へと向かった下村寅太郎もたぶん含まれないであろう。また京都大学とは縁はないので一般に京都学派に含めないし、大橋も言及していないが、鈴木大拙は西田の親友で、「<無>の思想を継承・展開」するという点でも相互に影響を与え合っているし、京都の大学(大谷大学)に務めてはいるので、大橋の定義に従えば鈴木も京都学派ということにもなる。他方、中村雄二郎は『共通感覚論』 (1979) において、三木や戸坂や中井(それに京大卒ではないが戸坂と親しい三枝博音の名が挙げられる)の共通感覚への言及を追っていくと、西田哲学の「場所の論理」の批判的乗り越えが可能となると示唆する。その点からも京都学派(哲学)を狭く捉えすぎない方が、生産的であるとも考えられる。京都学派四天王は戦時中の自分たちの言動について一切総括や弁護の類いをしなかった。1965年に、粕谷一希が高山に対し「私の戦争責任」を論じるよう懇願したこともあったが、高山はそれを断った[1]。下村寅太郎は4人の沈黙に関して「京都学派の人々が自己弁護をしなかったのは、批評を甘受したのでなく無視したという方が正確である。批判は「勝てば官軍」の立場であって、自力によるものでもなく、思想そのものの実力によるものではない」と述べている[2]。 京都学派(哲学)の人物西田幾多郎田邊元波多野精一朝永三十郎和辻哲郎久松真一武内義範土井虎賀壽下村寅太郎上田閑照大橋良介三木清-京都学派左派戸坂潤-京都学派左派中井正一-京都学派左派久野収-京都学派左派西谷啓治-京都学派四天王高坂正顕-京都学派四天王高山岩男-京都学派四天王鈴木成高-京都学派四天王京都学派(近代経済学)戦前の日本で「国際的に評価された最初の経済学者」[3]である柴田敬を中心に、その一般均衡理論の師であり「日本のマーシャル」とも呼ばれた高田保馬、高田門下で戦後多くの俊秀を育てた青山秀夫の3人の京大教授を挙げて、「近代経済学の京都学派」と名付けたのは、東大の根岸隆[4]である。また、森嶋通夫も、「戦前日本の代表的経済学者は、高田保馬、園正造、そして柴田敬の3人の京大教授」[5]だと言っている。柴田敬は、京大で河上肇のゼミ生としてマルクス経済学を河上に、一般均衡論を高田保馬に、国民主義経済学を作田荘一に学んだ後、黄金時代のハーバード大やケインズ革命勃興期のロンドンに留学し、シュンペーターやケインズからも日本人経済学者として最も高い評価[注釈 1]を受けた理論経済学者であったが、留学から帰国後、京都学派(哲学)や近衛文麿等の新体制運動の経済理論上の指導者となり、戦後、公職追放となった。しかしながら、近年、根岸隆、福岡正夫等から、柴田経済学の再評価が行われている[注釈 2]。また柴田の代表的な弟子の一人が杉原四郎である。杉原は柴田の師匠である河上を研究し、また書誌学・図書館学と経済思想史を結びつけた研究を展開した[6]。また、柴田の恩師の河上は山口高等商業にて西田幾多郎からドイツ語を学び、その縁で京大時代も西田と交流をもち、近衛も西田と河上に学ぶために東大から京大に転学しており、柴田ならびにその周辺は京都学派(哲学)と縁が深く、さらに西田ら京都学派(哲学)が蓑田胸喜の執拗な攻撃の対象となったのも、昭和研究会、近衛の延長上に彼らがいたからであるとの説も紹介されている[7]。
京大の共産発祥の歴史実情はそうだったのですね。納得できました。
浜崎先生と茂木先生との対談新シリーズ待ってました。京都学派、西洋近代化に邁進する東大に対抗する、京都大学の保守系学派ってイメージだけど、正直疎いので、浜崎先生と茂木先生との対談を聞いて学びたい。
日本人は何か?と言う探求の中で注目すべき1ページという事でしょうか。日本は最も成功している社会主義国なんて言われますもんね。
畑で野菜を作る→自分が無になる 思考が止まる 時間の感覚が消える 無 中今 の状態になる
浜崎さんは、西田幾多郎の京都大学哲学科教授就任を異常な抜擢と主張されてますが、、西田は、第四高等学校(金沢大学の前身)を卒業し教授を務めてます。又そこで、同級生の鈴木大拙と出会い終生の親交を結び、大きな影響を受け西田哲学を築き上げと行きました。必ずしも大抜擢とは、言えません。
哲学や心理学はどうやって生み出されるのかというと、基本的にはその人の思考実験から生まれるものだと思います。宗教との違いは唯物的なところでしょうか?
両親が、左に染まったのも仕方ないと思う。明治生の親の苦労。妾がいるのに、夫に尽くし、父方はもしかしたら、被差別のグループだったかも知れない。何故なら『竹』を扱う仕事をする家だった。竹と皮、ソレラはそういう人の、仕事と小説で知った。なので、女性の権利!とか、差別反対!とか。私がその時代に生まれていたら、同じように、そう叫んだだろう。
なるほど。プロパーじゃない人の方が理解が深い、時ありますよね😂
東京帝国大学選科卒の悲惨さを 若者は 研究すべき!選科卒は 世間から 🐎🦌扱いされた。
実存は本質に先立つ的な思考が制度疲労を起こして世界を堕落させたのではないかなとも思います。色々批判はあるが西田の弟子の唯物論者の戸坂潤『日本イデオロギー論』は鋭いと思いました。
朝永(トモナガ)三十郎〜〜ノーベル物理学賞を取られた朝永振一郎博士の父上 あさながではありません。
アサナガと読むところを見ると、浜崎さんは西田周辺を本で勉強したようですね。昭和46年に岩波から「三木清全集」が刊行されましたが、明確に影響を受けた人を私は知りません。西田哲学を浜崎さんに教えられる人は70代後半以上になりますが、当時は絶滅状態でしたね。今西錦司を「京都学派」と言う人はいるにはいましたが・・・。
日本の国は、どこかアメリカの民主主義と異なる所があるなと思っていました。隠れ社会主義のような😊
「アメリカ自由主義」とは違いますね。
浜崎先生はお若いので昔の哲学を求めた人が共産主義を宗教として受け入れたことを現在とは違うとして説明されたが、古い世代にはベルジャーエフによって共産主義の疑似宗教性は広く知られていたので、そんなに違和感はない。また、西田の哲学を深く知るわけではないが、意図せざるとしても禅を哲学的に説明するもののように感じられる。もしそうだとすれば、見性体験のない西田にそれは可能か?交流のあった大拙の体験もはたしてどれほどのものであっただろうかと思う。悟りというものは、どうもレベルがあるようだ。少なくともお二人は徹底しているようには見えない。盤珪が遠くから隠元をみて悟りが徹底していないことに気づいたという。これが本当なら、深い体験をした者には浅い体験の者を見透かせるということなのだろう。お二人が禅に徹底しすぎなかったことが幸いして西田哲学や、大拙の思想形成に良かったのかもしれない。
大東亜戦争直後に起きた様々なことがどうしても解せなく、ネットサーフィンの技を覚え調べるうちに幾つか怪しく感じるワードが貯まっていきました(3、11後)。陸軍中野学校を出た方が「最後までわからなかったスパイ存在が吉田茂だった」と話している映像から受けたメガトン級の衝撃😱落合莞爾氏の著作物を一冊だけ買い読了せぬまま題名も忘れましたが近衛文麿と京大哲学科の繋がり、近衛内閣&ブレーンが共産主義者だった⁉︎ ゾルゲ事件に関与したかの疑義も問われないままうやむやに、、昭和天皇は近衛文麿が嫌いだったという誰かのコトバ、東條英機墓に皇族がお参りされているという話、三笠宮は皇族で歴史学者なのに、どうして自虐史観をそのまま受け入れているの?の疑問アートマンはこうやって忙しくセカイを創造します😂「モギマコよ、自身のやるべきことを成せ。モギマコよ、何も躊躇うことは無い。誰がどんな人生を送りいつどこで死ぬかは神が決めているのである」↑コレは茂木誠先生の古代インド史の動画からです笑
バガヴァッド!
@@maomao96363先生はい(^_^)梵天勧請のお話もありますね。茂木先生に学びたい、茂木先生の周りの先生方のお話も聴きたい衆生の想いが生まれたのも神が決めたことなのですきっと😌✨茂木先生の天命先生はコレ↓きっとウケてらっしゃるのでは?(生徒さんから聞いて)ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E2%98%86%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93『聖☆おにいさん』のギャグセンス、本当に好きなんです🎉あんまり可笑しいとき笑い泣きから泣き笑いになり😂そのあと嗚咽するほどドン引きの泣きに勝手になってしまうのですが(・・;)儚いもの・事に気持ちが寄って行ってしまう個性は「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」にシンパシーを覚える感性に通じていて、偏り過ぎると危険だと知らずにわかっているのでギャグもそこそこマイ宇宙にこさえたのかなとおもいます。
東大が西洋学科。京大が日本文化だなあ。
一度失われたものは二度と帰ってはこない。そっくり取り戻したつもりでも、どこか変質しているものだ。だったら、今この時この場所から始めた方が確実だ。
無思考状態、狩猟採集民。ネドじゅんを思い起こさせる言葉ですね。
最後に流れるBGMの曲名を知りたいです。
Mind Stream - Chris Haugen
@@maomao96363 うわー!おしえて下さりありがとうございます。いつも閉めの音楽!! 茂木先生のYTで日々勉強 勉強。
安藤昌益も農業従事の必要性を唱えている。
司馬遷の史記とホメロスのイリアス。歴史(書)の始まり。旧約聖書は、認めないが。
喜寿は70ではなく77歳では?
古希ですね。
マルクス主義って何?
畑いじりは農耕なんじゃないの?山で山菜採るとか鹿猟すると時間を忘れるとかの話なら辻褄が合うけど。立論がテキトー過ぎない?
やってみればわかる。
9/7(土)、9/14(土) 東京新橋で宇山卓栄先生とトークイベント。サイン本プレゼントもあります。
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浜崎先生のお相手で一番おもしろいのも茂木先生との。最強のコンビです。
思想・哲学を語ったらこの二人が今一番面白いな。
明治維新以来、日本は西洋の植民地主義に対抗するため必死に西洋化し独立を保とうとしてきました。しかし、西洋化すればするほど矛盾や欺瞞が現れ本来の日本人の姿を見失ってしまい、未来の方向性がわからなくなってしまったのではないかと思います。
そして現在もそれは続き、日本人としてどうしたら豊かで幸せになれるのかを示してくれる人は限りなく少なく、右往左往して彷徨っている日本人が多いのではないかと思うし、自分もその一人です。
磯城島の大倭国は言霊の
助くる国ぞ
まさきくありこそ
先日渡部昇一先生の「和歌から見える日本通史」を読んで最後にこの和歌が紹介されていました。とても感動しました。これまで先人達が残してくれた和歌を学んで来ませんでしたが、これからは和歌を通じて大和心を学びたいと思っています。
本講演のチケットを購入しておりましたが、母親の介護疲労でどうしても行くことが叶いませんでした。
(実は、大阪で開催された参政党タウンミーティングでの茂木先生の講演も同じ理由で行くことができませんでした。)
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定期的にこの様な講演が開催されることを望んでおります。
私たちは戦後義務教育で育っており、人生を生抜いていくための知識、教養、論理にカピカピに飢えており飢餓状態です。人生には潤いが必要です。重複しますが、この様な講演を関西で開催されることを切実に望んでおります。
(参加できない可能性がある人間が言うのもおかしな話ですが。。。)
介護の大変さは私も経験しました。家族にできることは限界があり、公的機関に随分と助けていただきました。
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ユ/ダヤ人も基本的に世界に散らばっているので、国や世界を客観的かつ冷静に考察します。
浜崎さんの京大考察を聞いて、やはり外部の第三者的視点は重要かつ面白いと実感します。
また、昭和初期のマルクス主義者たちですが、俺は何となく共感してしまいますね。
当時の大日本帝国は、現代よりもさらに酷いウルトラスーパー格差社会であり、選挙では何も変えられない社会だったのです。これを何とかしたいという人たちがたくさんいたのは当然でしょう。
また、軍隊が主導する内閣も誕生し、言論統制もきつくなってくれば、マルクス主義者でなくとも政府打倒を考える人たちが増えてくるのも当然です。官僚や軍人にも、そういう人たちがいたわけです。
戦後の日本人がアメリカ万歳になったのは、GHQの洗脳工作だけが原因ではありません。GHQのおかげでウルトラスーパー格差社会が解消され、中産階級が大量に生み出され、言論の自由が強烈に保障されたからです。アメリカのおかげで良い国になったと、多くの日本国民が思ったとしても、一面では事実であり、これはしょうがないことだと思います。
もっとも、現代日本では、その副作用が強烈に国を破壊しているので、何とも悲しいところです。
武力によって他人を服従させようとする者は、武力によって他人に服従させられても文句は言えないわな。対等だから。
GHQ農地改革は、その好例ですね。
去年の今頃、借りている山の畑で
得も言われぬ完全な幸福感に包まれ
涙が出ました。今でも不思議なのですが…あの時、何かにつながったのかもしれないと思っています😊
亡き母の兄が京都帝大出身で、軍の獣医でした。シベリア抑留で20代で亡くなりましたが。
会うことの叶わなかった伯父が生きていたら、いろんな話を聞けただろうと思いながら視聴させていただきました。
ありがとうございました。
旧制高校は どちらの方でしたか?
ゆっくり喋ってくださり、また詳しい解説を入れてくださってありがとうございます。とても分かり易かったです。
配信、ありがとうございます🎵
とても興味深いです。
マルクス教と言っても過言ではなかったアレが入り込んだ流れ。資本主義への不満。西洋万歳と憧れたそれぞれの先人達がずらり。日本流があっても良いじゃないかと気が付いた先人達など。
続きを楽しみにしています😊
行きたかった講演😂先生、配信ありがとうございます😊😊
農耕民族だから今も見ながら未來も読もうとする。だから、記録を残す。学がない私にもとても分かりやすかったです。京都学派についてもとても分かりやすく、早く2が見たいです。勉強になる動画ありがとうございます。
浜崎洋介先生 茂木誠先生 ありがとうございます。
大変興味深く 拝聴しております。昭和初期の日本は、役割分担など 想像できぬほどの世の中、社会主義に傾倒していくのも理解できます。『〈近代の超克〉論』のお話 楽しみです。02もよろしくお願いいたします。
誠先生✨夏のもぎせか講座🎌🦌有料の神内容の講座動画を投稿してくださいまして ありがとうございます🙇💞
内容高度すぎて理解習得はできてないですが🙇💦 始終 ビックリ驚きのドラマチックな話しに感嘆詞の連続で夢中で拝聴いたしました!おふたかたの神先生の教えるチカラのナセル技です🙇💞
茂木先生のお話しの言葉の間や歌のようなメロディ感なお話しとまなざしからは いろんなたくさんの情報がイメージが伝わってきます。ホント不思議な感覚です😸💫潜在意識に直接しみいるようなね。だからカリスマ講師さん なんでしょうね😸🍎
縄文は文字が歴史がないのは必要なかったから😸✨ 私もそう思います!しっくり🦌🍎
中今に過去未來はないって仰っていました部分…🤔私が思うのは…なくもあり…それでいて全ての時間がある!みたいな ていうか 時間がなくなるって仰っていましたが それが一番近いのでしょうね☆😸✨はっきりわかってもいないし 証明なんてもできませんが 多分あってる😸💫
約30分の難しいお話しでしたのに 終わった瞬間 うぇーんっ💦続き早よ~💞となりました 😻つづきを楽しみにお待ちしております😸🍎 この度は優良有料神講座を公開してくださって
こころより御礼もうしあげましす🙇💐💐20240818pm1148
補足の茂木先生のやわらかい説明が有難いです伝わります
難しいんですがなぜか惹き込まれる浜崎節。茂木先生が解説してくださる当時の時代背景と相まって、クリアに想像でき、理解が深まります。次回も楽しみにしています😊
最強の2人
浜崎先生の説明はよく分かりますよね👏
動画配信待ってました‼️
当日参加させて頂きましたがもう一度聞きたかったんです🙏😊✨
私はこれまでも茂木先生と浜崎先生の対談は1番腹に入る、腹落ちする
知見と論理と想いが好き、あんたらが正しいかは知りません
ホンマに楽しかったです❤
新しい出会いもありましたし、サイコーでした😊✨✨
次回も是非伺いたいです。
畑で手を動かして、野菜を育てることでしか体感できないフィードバックありますよね
僕は庭の雑草を刈るだけですが、そんなことでも自然を相手にしてると気分は変わります🙂
難しいけど、ここをつかめればもっと近代史を濃く理解できるかな
現代の京都学派🤣の浜崎先生! 待ってましたっ!!
自然を感じると、無心になる❗
日本語の達人が二人揃うと圧巻。対談本にはなるのかな。次回と出版に期待。
面白かった!続きが待ち遠しいです。
深いですねぇ・・・。考えさせられる動画ですね。まだ、言語化できませんが。
浜崎先生の回は本当に引き込まれます、次が待ち遠しくて、日を跨いだ時は早起きして動画が上がってるかチェックしちゃいます。
西田幾多郎氏が最初に教壇に立ったのは、私の母校の前身である能登の七尾に初めて出来た旧制中学です。金沢の四高時代の同級生親友には鈴木大拙もいます。
七尾に来て、その頃教育方法に苦心していたようでこんな言葉を残してます。
「唯(ただ)童子を対手(あいて)にいかにして教育すればよきと日夜苦心いたし居り候。最も方法に困り居り候は倫理に御座候(ござそうろう)。…松陰や東湖(藤田東湖)はいかにして天下の名士を陶冶(とうや)せしや。新島(新島襄)先生の伝は有益なる書にあらずや。人物陶冶の法は今の自称教育者の説よりは古人の塾則などを見る方よろしからんや」
今日は京都学派の話ですが、西田幾多郎が七尾にいた時期は、彼は将来は東京の大学に出て、ドイツ文学と哲学を研究したかったようです。少し長いですが、下記のような言葉が残ってます。
「余は自揣(みずからはか)らず能登中学に終わるより一層大なることに奉ぜんと思ふ。始より小事に安んぜば一生成す所知るべきのみ。…明年は東都に出て大(おおい)に独逸文学及び哲学を勉強し今までの仙人主義をすてて務(つとめ)て世界の舞台に出んと思ふ。余は之(これ)を楽として勇気勃々勉強いたし居り候。」「いかにしても東都に出で度(たく)存じ前に申上候如(もうしあげそうろうごと)く明年は再び書生をなさんとも考へ候が、其後(そのご)又熟ら考へ候に小生の如き係累多き身にして全く書生をなすこと誠に困難にて…この頃はいかがせんと日夜迷ひ居り候。…兼(かね)てこの世は唯にすぐさじと思ひ日夜苦慮罷(まか)りあり…」
(参考文献)
「西田幾多郎−人と思想」(下村寅太郎著:東海大学出版会)、
情報ありがとうございます!
@@maomao96363
茂木さんとは歳も同じみたいだし、和泉かお茶ノ水のキャンパスの何処かでスレ違っているかも。
色々なチャンネルの動画見て楽しませてもらってます。
茂木誠先生が畑仕事をしているところを想像するとなんとも可愛らしく‥いや失礼!
でも深いですね👍
めちゃめちゃ面白いです☺️ありがとうございます🙏
面白い。
続きが気になります。
京都でのお二人の貴重な講演会、参加できた喜びを噛み締めながら😊復習の為に何度も拝見させていただきました。丁寧に歴史を解析していただけたので、引き込まれるように見入ってしまいました😊💕
茂木先生の御著書に書かれていた事象が、動画を拝見する事で、より一層立体的な鮮やかさを持って理解できます事、心より感謝いたします😊💕
茂木先生の講演会に参加して、毎回嬉しく感じる事は、どの土地に行かれても埼玉のネタを盛り込んで下さる点です(笑)
お忙しい中恐縮ですが💦02での勉強も、引き続き楽しみにしています*\(^o^)/*
埼玉愛❤️
私にとっての埼玉の偉人は茂木先生なので😊新札発行で【モギー】を使う気満々だったのに(笑)渋沢さんがプリントされていて驚きました😆
素晴らしい。深い所から語られる 日本近代史 勉強になります。
「近代の超克」、今聞いてもかっこいいですね。続きも楽しみです😊
いつもありがとうございます✨
昭和初期のマルクス主義運動はなんとなく室町後期の一向一揆に似てるなと感じました。
なんとなくの話ですみません😅
一神教的終末思想という点が同じ。
茂木先生と浜崎さんの対談、大好きです:)
ちょっと難しそうですが、頑張ります!
テトリスをやっても無の状態、今のこの瞬間に集中して時間感覚をなくしますよ。
ある種のゲームもそういった体験はできます。
13:52 朝永 振一郎(ともなが しんいちろう)さんのお父さん? 14:30当時とは?40年前で一般定年55歳、大学60歳年定年、10年前で大学63~65歳定年 14:33古希が70才 喜寿77才
そうです。朝永振一郎の父です。
これは永久保存版です😊
難しい……😢
畑で無になる話しか、理解できませんでした。ごめんなさい。
日本の共産主義者はホント特殊ですね。515事件の時の橘孝三郎を見ていると不思議ですよ。マルクス主義を説いた事は殆んど有りません。戦後も俺はマルクス主義者だと言いつつ、天皇論を何冊か書いてます。実に三島由紀夫はこの本に感銘を受け親しくなりました。
現地にも行きました!
が、いかんせん理解力がないので
動画配信ありがたいです
日本人や西洋人の大衆視点を自分は、、「斜異の喪失」という言葉が芽生えました。直感の言葉ですが...。
(ともなが)朝永三十郎の長男はノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎です。
文系の方はご存知ないようですね。😅
「近代の超克」論のバックグラウンドを、クリアに聞いたのははじめて。
いつもありがとうございますっ!
頭が良すぎる連中の考えは、私には、わかりません。🙇
西田先生は旧制四高に、超然主義の校風を吹き込みました。授業中、沈潜に入られる姿に学生が感動したそうですね。
三木清、父の書架に古い全集があったのを覚えています。
子供だった私に読めるはずもなく、父の死後、実家に帰ったらもうありませんでしたが。
100回いいねしたい🥺🥺🥺
もぎ先生ありがとうございます❤️❤️❤️
1万回では、、久振りでのめり込んで聞き入って。次回が待ち遠しいで。ありがとうございます
茂木さん、畑は良いですね。作物を育てる事もさることながら農作業の中で身体の使い方を自然に学べます。ジムで作った筋肉が如何に無駄かが分かりますよ。自ずと日本的な身体の使い方が学べます。茂木さんの体つきを見ていて少しジム的な身体だったので心配していましたが、これで良い方向に向かうと思います。
「無駄なこと」も人生を豊かにして楽しいですよ😊
茂木様 確かにね。私は68歳ですが60年間の大いなる無駄があったので今が輝きだしたと思っていますよ。人生は何が起こるか分かりませんからね。
興味深くて、面白かったです。
貧乏人が多数派になると、大きく流れは変わるのでしょうか?
「京都学派誕生とシュタイナー」サブタイトル「純粋経験」から大東亜戦争へ、河西善治著、という本を読みました。
鈴木大拙の奥様も神智学徒のベアトリス・レインだし‥
他につっこみがあるかもしれませんが朝永は"ともなが"と読みます。特に九州北部に多い名字。
キリシタン大名で有名な大村純忠の家臣筋です。
西田幾多郎、鈴木大拙、クリシュナムルティ、宇佐晋一、エックハルト
京都学派
(きょうとがくは、英語: Kyoto School)とは、一般に西田幾多郎と田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において「京都学派」と呼ばれるグループが存在している。
京都学派(哲学)
その詳細な定義は国や研究者によって異なり、未だに世界各国で盛んな研究の対象となっている。主なメンバーとして、西田幾多郎、田邊元、波多野精一、朝永三十郎、和辻哲郎、三木清、西谷啓治、久松真一、武内義範、土井虎賀壽・下村寅太郎・上田閑照、大橋良介らが挙げられ、また左派としては三木清以外に戸坂潤、中井正一、久野収らが挙げられる。とりわけ中井は後述する京都学派(人文研)の桑原武夫や、京都学派(近代経済学)の青山秀夫とも懇意であった。また桑原は父親が京大文学部教授であったこともあって西田とも若い頃から接していたという。
京都学派は西洋哲学と東洋思想の融合を目指した『善の研究』などで表される西田哲学の立場に立ち、東洋でありながら西洋化した日本で、ただ西洋哲学を受け入れるだけではなくそれといかに内面で折り合うことができるかを模索した。しかしながら東洋の再評価の立場や独自のアイデンティティを模索することは次第に「西洋は行き詰まり東洋こそが中心たるべき」との大東亜思想に近づくことになった。特に京都学派四天王(西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・鈴木成高)らは、「世界史の哲学」や「近代の超克」を提唱し、海軍に接近した。このため太平洋戦争の敗戦により、戦前の京都学派はいったん没落した。だが戦後も高坂、高山らは自民党などの保守政治に接近し、京都学派と政治とのかかわりは今日に至るまで脈々と続いている。なお、陸軍が海軍に較べて圧倒的な力をもっていた時代において、海軍への接近は軍部政権への翼賛というよりは、軍部の方針を是正しようとする体制批判の行動であったと、大橋良介は評している。また、大島康正メモによると、この海軍のブレーントラストとしての京都学派の集まりに、京都学派(東洋史学)の宮崎市定も常連として参加していたと大橋は指摘する。
なお、大橋の著書では梯明秀の分類に依拠しながら、京都学派と京都哲学とを分けて捉えることを提案する。要するに、「何らかのかたちで<無>の思想を継承・展開した思想家のネットワーク」を京都学派と捉え、西田や田辺に学び、単に彼らの知的ネットワークの下にいるものを京都哲学に分類する。その場合、三木は微妙な立ち位置になるとされるが、多くの左派の弟子たちは京都学派に含まれない。また弟子として西田の著作の編集や解説を書きつつ、自分自身の研究は歴史的な方向へと向かった下村寅太郎もたぶん含まれないであろう。また京都大学とは縁はないので一般に京都学派に含めないし、大橋も言及していないが、鈴木大拙は西田の親友で、「<無>の思想を継承・展開」するという点でも相互に影響を与え合っているし、京都の大学(大谷大学)に務めてはいるので、大橋の定義に従えば鈴木も京都学派ということにもなる。他方、中村雄二郎は『共通感覚論』 (1979) において、三木や戸坂や中井(それに京大卒ではないが戸坂と親しい三枝博音の名が挙げられる)の共通感覚への言及を追っていくと、西田哲学の「場所の論理」の批判的乗り越えが可能となると示唆する。その点からも京都学派(哲学)を狭く捉えすぎない方が、生産的であるとも考えられる。
京都学派四天王は戦時中の自分たちの言動について一切総括や弁護の類いをしなかった。1965年に、粕谷一希が高山に対し「私の戦争責任」を論じるよう懇願したこともあったが、高山はそれを断った[1]。下村寅太郎は4人の沈黙に関して「京都学派の人々が自己弁護をしなかったのは、批評を甘受したのでなく無視したという方が正確である。批判は「勝てば官軍」の立場であって、自力によるものでもなく、思想そのものの実力によるものではない」と述べている[2]。
京都学派(哲学)の人物
西田幾多郎
田邊元
波多野精一
朝永三十郎
和辻哲郎
久松真一
武内義範
土井虎賀壽
下村寅太郎
上田閑照
大橋良介
三木清-京都学派左派
戸坂潤-京都学派左派
中井正一-京都学派左派
久野収-京都学派左派
西谷啓治-京都学派四天王
高坂正顕-京都学派四天王
高山岩男-京都学派四天王
鈴木成高-京都学派四天王
京都学派(近代経済学)
戦前の日本で「国際的に評価された最初の経済学者」[3]である柴田敬を中心に、その一般均衡理論の師であり「日本のマーシャル」とも呼ばれた高田保馬、高田門下で戦後多くの俊秀を育てた青山秀夫の3人の京大教授を挙げて、「近代経済学の京都学派」と名付けたのは、東大の根岸隆[4]である。
また、森嶋通夫も、「戦前日本の代表的経済学者は、高田保馬、園正造、そして柴田敬の3人の京大教授」[5]だと言っている。
柴田敬は、京大で河上肇のゼミ生としてマルクス経済学を河上に、一般均衡論を高田保馬に、国民主義経済学を作田荘一に学んだ後、黄金時代のハーバード大やケインズ革命勃興期のロンドンに留学し、シュンペーターやケインズからも日本人経済学者として最も高い評価[注釈 1]を受けた理論経済学者であったが、留学から帰国後、京都学派(哲学)や近衛文麿等の新体制運動の経済理論上の指導者となり、戦後、公職追放となった。しかしながら、近年、根岸隆、福岡正夫等から、柴田経済学の再評価が行われている[注釈 2]。また柴田の代表的な弟子の一人が杉原四郎である。杉原は柴田の師匠である河上を研究し、また書誌学・図書館学と経済思想史を結びつけた研究を展開した[6]。また、柴田の恩師の河上は山口高等商業にて西田幾多郎からドイツ語を学び、その縁で京大時代も西田と交流をもち、近衛も西田と河上に学ぶために東大から京大に転学しており、柴田ならびにその周辺は京都学派(哲学)と縁が深く、さらに西田ら京都学派(哲学)が蓑田胸喜の執拗な攻撃の対象となったのも、昭和研究会、近衛の延長上に彼らがいたからであるとの説も紹介されている[7]。
京大の共産発祥の歴史実情はそうだったのですね。納得できました。
浜崎先生と茂木先生との対談新シリーズ待ってました。
京都学派、西洋近代化に邁進する東大に対抗する、京都大学の保守系学派ってイメージだけど、正直疎いので、浜崎先生と茂木先生との対談を聞いて学びたい。
日本人は何か?と言う探求の中で注目すべき1ページという事でしょうか。日本は最も成功している社会主義国なんて言われますもんね。
畑で野菜を作る→自分が無になる 思考が止まる 時間の感覚が消える 無 中今 の状態になる
浜崎さんは、西田幾多郎の京都大学哲学科教授就任を異常な抜擢と主張されてますが、、西田は、第四高等学校(金沢大学の前身)を卒業し教授を務めてます。又そこで、同級生の鈴木大拙と出会い終生の親交を結び、大きな影響を受け西田哲学を築き上げと行きました。必ずしも大抜擢とは、言えません。
哲学や心理学はどうやって生み出されるのかというと、基本的にはその人の思考実験から生まれるものだと思います。宗教との違いは唯物的なところでしょうか?
両親が、左に染まったのも仕方ないと思う。明治生の親の苦労。妾がいるのに、夫に尽くし、父方はもしかしたら、被差別のグループだったかも知れない。何故なら『竹』を扱う仕事をする家だった。竹と皮、
ソレラはそういう人の、仕事と小説で知った。なので、女性の権利!とか、差別反対!とか。私がその時代に生まれていたら、同じように、そう叫んだだろう。
なるほど。プロパーじゃない人の方が理解が深い、時ありますよね😂
東京帝国大学選科卒の悲惨さを 若者は 研究すべき!
選科卒は 世間から 🐎🦌扱いされた。
実存は本質に先立つ的な思考が制度疲労を起こして世界を堕落させたのではないかなとも思います。色々批判はあるが西田の弟子の唯物論者の戸坂潤『日本イデオロギー論』は鋭いと思いました。
朝永(トモナガ)三十郎〜〜ノーベル物理学賞を取られた朝永振一郎博士の父上 あさながではありません。
アサナガと読むところを見ると、浜崎さんは西田周辺を本で勉強したようですね。
昭和46年に岩波から「三木清全集」が刊行されましたが、明確に影響を受けた人を私は知りません。西田哲学を浜崎さんに教えられる人は70代後半以上になりますが、当時は絶滅状態でしたね。今西錦司を「京都学派」と言う人はいるにはいましたが・・・。
日本の国は、どこかアメリカの民主主義と異なる所があるなと思っていました。
隠れ社会主義のような😊
「アメリカ自由主義」とは違いますね。
浜崎先生はお若いので昔の哲学を求めた人が共産主義を宗教として受け入れたことを現在とは違うとして説明されたが、古い世代にはベルジャーエフによって共産主義の疑似宗教性は広く知られていたので、そんなに違和感はない。
また、西田の哲学を深く知るわけではないが、意図せざるとしても禅を哲学的に説明するもののように感じられる。もしそうだとすれば、見性体験のない西田にそれは可能か?交流のあった大拙の体験もはたしてどれほどのものであっただろうかと思う。
悟りというものは、どうもレベルがあるようだ。少なくともお二人は徹底しているようには見えない。
盤珪が遠くから隠元をみて悟りが徹底していないことに気づいたという。
これが本当なら、深い体験をした者には浅い体験の者を見透かせるということなのだろう。
お二人が禅に徹底しすぎなかったことが幸いして西田哲学や、大拙の思想形成に良かったのかもしれない。
大東亜戦争直後に起きた様々なことがどうしても解せなく、ネットサーフィンの技を覚え調べるうちに幾つか怪しく感じるワードが貯まっていきました(3、11後)。
陸軍中野学校を出た方が
「最後までわからなかったスパイ存在が吉田茂だった」と話している映像から受けたメガトン級の衝撃😱
落合莞爾氏の著作物を一冊だけ買い読了せぬまま題名も忘れましたが
近衛文麿と京大哲学科の繋がり、近衛内閣&ブレーンが共産主義者だった⁉︎ ゾルゲ事件に関与したかの疑義も問われないままうやむやに、、
昭和天皇は近衛文麿が嫌いだったという誰かのコトバ、
東條英機墓に皇族がお参りされているという話、
三笠宮は皇族で歴史学者なのに、どうして自虐史観をそのまま受け入れているの?の疑問
アートマンはこうやって忙しくセカイを創造します😂
「モギマコよ、自身のやるべきことを成せ。
モギマコよ、何も躊躇うことは無い。誰がどんな人生を送りいつどこで死ぬかは神が決めているのである」
↑
コレは茂木誠先生の古代インド史の動画からです笑
バガヴァッド!
@@maomao96363先生
はい(^_^)
梵天勧請のお話もありますね。
茂木先生に学びたい、茂木先生の周りの先生方のお話も聴きたい衆生の想いが生まれたのも神が決めたことなのですきっと😌✨
茂木先生の天命
先生はコレ↓きっとウケてらっしゃるのでは?(生徒さんから聞いて)
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E2%98%86%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93
『聖☆おにいさん』のギャグセンス、本当に好きなんです🎉
あんまり可笑しいとき笑い泣きから泣き笑いになり😂
そのあと嗚咽するほどドン引きの泣きに勝手になってしまうのですが(・・;)
儚いもの・事に気持ちが寄って行ってしまう個性は
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」にシンパシーを覚える感性に通じていて、
偏り過ぎると危険だと知らずにわかっているのでギャグもそこそこマイ宇宙にこさえたのかなとおもいます。
東大が西洋学科。京大が
日本文化だなあ。
一度失われたものは二度と帰ってはこない。そっくり取り戻したつもりでも、どこか変質しているものだ。だったら、今この時この場所から始めた方が確実だ。
無思考状態、狩猟採集民。ネドじゅんを思い起こさせる言葉ですね。
最後に流れるBGMの曲名を知りたいです。
Mind Stream - Chris Haugen
@@maomao96363 うわー!おしえて下さりありがとうございます。いつも閉めの音楽!! 茂木先生のYTで日々勉強 勉強。
安藤昌益も農業従事の必要性を唱えている。
司馬遷の史記と
ホメロスのイリアス。
歴史(書)の始まり。
旧約聖書は、認めないが。
喜寿は70ではなく77歳では?
古希ですね。
マルクス主義って何?
畑いじりは農耕なんじゃないの?
山で山菜採るとか鹿猟すると時間を忘れるとかの話なら辻褄が合うけど。
立論がテキトー過ぎない?
やってみればわかる。