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お疲れ様です。181系気動車は大好きな車両のひとつです。はまかぜで山陽本線を爆走するのは中々いい気分にさせてくれました。
姫路から山陽本線で、本領発揮です。
ウチの嫁のおじさんが国鉄からの運転手で、豊岡でこの181系の運転をしておりました。何も喋らない頑固なおじさんだったそうですが、私は鉄オタなんで話かけたら延々と話をしてくれました。はまかぜは山陽線で列車線を走るのですが、後ろの新快速を振り切るのが大変だったと、播但線に入れば後はやれやれだったと嬉しそうに話してくれました。そんなおじさんも2年前に鬼籍に入ってしまいましたが。
上野発のつばさも食堂車付きの11両編成で485系に混じって東北線をぶっ飛ばして奥羽線に入ると板谷峠が立ちはだかっている。運行は狂が多かった事でしょう。
当時は今と違って特急はあんまりなかったみたい。大昔まつかぜに鳥取から宝塚まで乗りました。超満員でした。ずっと立つていました。停車駅も城崎豊岡福知山でした。急行はだいせん但馬丹波がありました。学生のころは周遊券で急行を利用しました。今の特急何か停車駅も多いのでお世辞にも特急とは言えません。
今のはまかぜは、但馬並みに止まります。昔は、播但線ノンストップでした。
八鹿駅から、はまかぜ2号に乗る時は、ワクワク三宮から鳥取行き はまかぜ5号に乗る時は、ホッとしました。
@@N--jv3go120キロで全開走行の直後に33.3‰の登り勾配でエンジンが休まる隙がないのでそりゃオーバーヒートも多発しますね
わかりやすかったです。ありがとう。
鉄道でも大容量トルコンの開発に四苦八苦していた。また自動車でも同様。先代御料車の日産プリンスロイヤル(1966年)では、6.4リッター260PSの高出力高トルクに耐えられるトルコンATの設計製造技術が国内に無く、ヤナセの仲介でミッションのみアメリカから輸入した。
過去のエピソードありがとうございました。素人には理解し難い配信😢
昔の気動車は非力、高騒音、特急用以外は冷房化率が著しく低いといいことなしで、真夏の暑い時に非冷房の架線下DC急行なんぞに乗せられた時は「金返せ!」と言いたくなるレベルで・・・。
DML30系エンジンって水平対向に見えるけど厳密には180度V型です。V12エンジン、ですね。同じように見えるけどクランクピンの共有がどうのこうのって色々違って来ます。ピストンの動き方が水平対向と180度V型では全く違いますし。DML30系エンジンってよくガスケット飛ぶとか言う感じで脆弱性はあれど2000年代以降も動いてたねー。はまかぜとか爆煙爆音の割りに加速しないイメージだった。そしてDMH17系はHを除くと直列8気筒、DMH17Hは水平の8気筒でクランク挟んで反対側にはシリンダーありません。片側8気筒はDMP86ZかDMP81Zしか存在しない…はず?
DML30系のエンジンはシリンダーブロックが鋳鉄製で、シリンダーヘッドが3気筒をカバーする構造だったので、ブロックとヘッドの熱膨張の違いによってガスケットが吹っ飛ぶというネタがありましたなその後はシリンダーとヘッドを一気筒ずつにするよう改造して対応したみたいですが
西日本最高の四国山地を超える南風の頑張りようは涙モノでした。2000系、そして2700系と我が国が誇る最先端気動車の世界線が垣間見れた瞬間でもありました。
発車時に猛烈に吹き上がる排煙と走行時に聞かれる独特のターボ音
当時は高速道路もなく、飛行機もそれ程一般的なものでなかったし、そんな中途半端な気動車でも長編成で使わざるを得なかった。何はともあれ、高度成長期の国民の長距離移動を支えた国鉄に感謝せずにはいられません…
エンジンそのものも 30Lもありながら『500PSしか出せていない』極めて熱効率の悪いもので しかも無理なチューニングをしてやっと出していた状態だったから ガスケットの吹き抜け等のトラブルが絶えず『つばさ』の基地だった尾久客車区では 不眠不休でお守りをしていたとか。『ひだ』に181系が入らなかったのも『しなの』で苦労させられた名古屋工場が拒否したという話も聞いた事があります。
現在のエンジンは回転数を上げて馬力を稼ぐ方式が主流ですが、昔のエンジンはシリンダーの吸入量を増やして馬力を稼ぐ方式が主流でしたからななので、重量のわりに出力の低いエンジンになってしまいますその理由はシリンダーブロックの厚みで、一つのエンジンをオーバーホールしながら30年も40年も使うために、耐久性のみを追求した戦前思想のままというオチがあります
極めて熱効率が悪いとかイキっておられるが、半世紀前の国鉄ディーゼルターボ黎明期のブツだろうが?お前さんがいきなりディーゼルエンジンを勉強して500ps出せるエンジン作れるか?
新車や新しい駆動方式を導入するのは「労働強化」。メンテナンスフリー化は「人員削減」にあたるとして労働組合が反発してたから…
お疲れ様です。いつも頭が下がります。m(_ _)m素晴らしい☆☆☆
開発期間が不十分で初期不良多発はどの分野でもありそうです。もう亡くなりましたが、テツ趣味の大先輩が初期の特急はつかりに乗ったのが非常に印象に残っていたそうです。正に特別急行、だったのでしょう。🛤️
ウチの両親、「特急」と名の付く国鉄・JRの列車には最後の最後まで、意地でも乗車しなかった。理由は「贅沢すぎるから」「特急券やら寝台券を購入すると余分な金がかかる」「急ぐことは無い」「汽車に乗るのに予約までして乗るのはちょっとおかしい」etc…まあ、両親は戦前生まれで苦労性が行き過ぎていたことが主要因ながらも、この私だって修学旅行のときを除いて「特急」と名の付く列車に乗車することなど全く許されてはいなかった。以前、新幹線利用を申し出たところ親父めに「贅沢言うな! それにそもそも、急いで目的地に行くことはない!!」と言われたので、「そうそう。新幹線なんてブルジョワが乗る乗り物だかんね。一丁前に無能なプロレタリアートの貧乏庶民までが利用するこたぁないっちゅうのに。アホとしか言いようがないね、無能な貧乏人どもめら」と言ってみると、親父めは何を思ってか激怒。「このひねくれ者めが。 おまえこそみんなが新幹線を利用するからと言って、それがおまえには出来ないからと言って、他人の行動にまでケチを付けるんじゃないわっ!!」
DMH17は、8気筒では?
DMH17系は戦前に設計完了していたエンジンだから仕方がないです。
国鉄の開発したディーゼル機関、国内外で海や山に鍛えられた者達には敵わなかった。
国鉄はこれからという時期になって労使関係が悪化して技術的に停滞してしまったのが痛かったですね。
中部地方では、中央本線名古屋~長野の特急しなのにも投入されましたが、中津川~塩尻の急勾配 急曲線 単線軌道で、高性能を出し切れず、名古屋から長野まで4時間以上掛かりました
181系つばさ、乗ってみたかった。500kmを超える長距離走行、高速走行、峠走行、食堂車、全部体験できるもんな。
補機連結もありますよ。
列車の中で一番かっこいい2番目は500系w
音声を修正していただいたようですね.ありがとうございます.
80系も181系も、先頭車だけでもいいから走行用エンジンをもっと強くするか台数増やすかしておけば…
火を噴いたりして、がっかりなんて言われたそうな、はつかり君、
やっぱはまかぜ😊
在来線特急か〜会津若松に住んでた時は、いなほやつがる、ひたちとか、北海道のカムイライラック、北斗、おおぞらとかだったけど、静岡に戻った今はふじかわや伊那路、しなの、ひだ、南紀、あずさ、湘南、踊り子かなぁ平成生まれやし静岡やから特急やなくて新幹線やったわ
もし、日本の国土が真っ平らだったら、これで大成功だったでしょうね。180PSのエンジン2基が基本の80系気動車で十分だったと思います。条件さえ許せば、これで140㎞/h運転も可能だったでしょう。あいにく日本は山国でした。島国である海洋国家には山国が多いです。そのため、弱馬力では勾配で急激に速度が落ちます。最低でも500PSクラスは必要で、普通なら欧州優等気動車の標準である700PSクラスが必要になるはずです。それを達成させたのもつい最近です。当時はコンピューターが未発達だったので多段階変速ができず、エンジンの十分な冷却も困難でした。変1直1だと 極端な言い方をすると、ローギアで出発して 次にトップギアに入って終わりという代物です。
高負荷連続力行時におけるDMH17の排気管加熱問題はその後長く現場を悩ませ、最終的に1988年3月のサロンエクスプレスアルカディア火災事故に至っています。
そもそも排気管の過熱問題の元凶はDMH17系エンジンの元設計の古さで、直噴・過給器付きのディーゼル機関が出だした頃にもかかわらず、国鉄は旧弊とした副燃焼室式にこだわったため、未燃焼ガスが多く出たことによります。アルカディア号の出火に際しJR東日本のトップがDMH17の図面を見るや、『戦前のエンジンではないか!』と一喝。その後DMH17系エンジンは全数載せ替えとなったのは有名な逸話だそうで……。
13:53 意味が理解できないので、教えていただきたいのですが……トルクが大きいのであれば別に問題ないのではないでしょうか?空転するなら砂撒くか、刻みノッチにすればいいだけだし、トルコンの意味が無いと思います。なんでいきなりフルノッチ想定なのかは謎ですが、現職に聞いても、電気式除いて気動車そんな運転しないそうです。トルクが高すぎるのであれば、直結だけで事足りるし、変速して歯車比変えれば走りますし……(乗り心地は別として)エンジンが回転数が高くて、トルクが小さいからトルコン使ってトルク上げて動輪に伝えるのに、この説明だとトルコンの意味を全否定してるようにしか見えないです……既に退職しましたが、過去に気動車運転士の経験ありまして、運転してた気動車は全てエンジンの回転数が高くて、トルクが足りないから、トルク上げるためにトルコン、変速機、減速機使っていました。動画の形式は運転したことないので、私の勘違いなのかもしれませんが、気動車列車全部トルク下げるためにトルコン使うみたいな言い方に聞こえるので、誤解を招くような表現は控えた方がいいと思います。先程wiki見てきましたが、私の考えは変わりませんでした。恐らくwikiでは「低速ではすべりが大きく、中高速での効率をより重視した構成(トルクコンバーターのストールトルク比が小さい設定)」とあり、あくまでも他の車種のトルコンよりもトルク増幅比が少ないと意味であり、トルクを増幅させるというトルコン自体の仕事は変わらないのではないかと思います。もし私の解釈が違うようでしたら、どなたか教えて頂きたいです。長文失礼致しました。
この方はどこかで読んだ記事を煽り文句にして再生数稼ぐ人なので技術的なことを聞いても答えられないし解らないと思いますよ。過去の動画一覧をみても何も知らない煽り文句だらけ、いわゆる「知ったか」です。お気になさらず。
私も同じところで引っ掛かりました。内燃機関はある回転数を下回るとトルクを出せずエンストします。だから鉄道車両に使う場合は、車輪との間にクラッチまたは流体継手を挟む必要があるのですが、クラッチでは鉄道車両の強トルクには対応できず、流体継手では起動に要する静止トルクに打ち勝てる強トルクのエンジンが必要となり現実的でないエンジンが必要となるため、トルク増強機構のある液体変速機を介して起動するのが気動車では一般的でした。鉄道車両は一旦転がしてしまえば比較的低トルクでも転がせる利点があり、エンジンがトルク・出力ともに出せない低速域でトルク増強効果のあるトルクコンバーターを用いるのが、気動車を成立させる現実的解法でした。また当時は電子的にギヤチェンジする、いわゆる多段化ができず、トルクコンバーターを挟むが、またはエンジン軸を直結するかの2択しかできなかったことも、当時の制限としてありました(気動車にはDD51で用いた充排油式(VOITH式)の変速機は積めなかった)。現代の特急形気動車のように電子制御で速度に応じて各車両にてギヤチェンジをする機能は、当時の国鉄の技術力をもってしても無理な話で(出来ていればDD54の問題は起きなかった)、総括制御の観点から制御は2段変速とスロットル操作のみで、車両ごとのエンジン出力の個体差を吸収可能な、ストール比の大きな液体変速機が好まれたのも、マイコンや電子制御というものの無かった国鉄が成し得た『仕方ない選択』だったとも言えます。
@@naomiyamada8581お二人のご指摘が正しいと思います。
はつかり がっかり 事故ばっかり
お疲れ様です。181系気動車は大好きな車両のひとつです。はまかぜで山陽本線を爆走するのは中々いい気分にさせてくれました。
姫路から山陽本線で、本領発揮です。
ウチの嫁のおじさんが国鉄からの運転手で、豊岡でこの181系の運転をしておりました。何も喋らない頑固なおじさんだったそうですが、私は鉄オタなんで話かけたら延々と話をしてくれました。はまかぜは山陽線で列車線を走るのですが、後ろの新快速を振り切るのが大変だったと、播但線に入れば後はやれやれだったと嬉しそうに話してくれました。そんなおじさんも2年前に鬼籍に入ってしまいましたが。
上野発のつばさも食堂車付きの11両編成で485系に混じって東北線をぶっ飛ばして奥羽線に入ると板谷峠が立ちはだかっている。運行は狂が多かった事でしょう。
当時は今と違って特急はあんまりなかったみたい。大昔まつかぜに鳥取から宝塚まで乗りました。超満員でした。ずっと立つていました。停車駅も城崎豊岡福知山でした。急行はだいせん但馬丹波がありました。学生のころは周遊券で急行を利用しました。今の特急何か停車駅も多いのでお世辞にも特急とは言えません。
今のはまかぜは、但馬並みに止まります。
昔は、播但線ノンストップでした。
八鹿駅から、はまかぜ2号に乗る時は、ワクワク
三宮から鳥取行き
はまかぜ5号に乗る時は、ホッとしました。
@@N--jv3go120キロで全開走行の直後に33.3‰の登り勾配でエンジンが休まる隙がないのでそりゃオーバーヒートも多発しますね
わかりやすかったです。ありがとう。
鉄道でも大容量トルコンの開発に四苦八苦していた。また自動車でも同様。先代御料車の日産プリンスロイヤル(1966年)では、6.4リッター260PSの高出力高トルクに耐えられるトルコンATの設計製造技術が国内に無く、ヤナセの仲介でミッションのみアメリカから輸入した。
過去のエピソードありがとうございました。素人には理解し難い配信😢
昔の気動車は非力、高騒音、特急用以外は冷房化率が著しく低いといいことなしで、真夏の暑い時に非冷房の架線下DC急行なんぞに乗せられた時は「金返せ!」と言いたくなるレベルで・・・。
DML30系エンジンって水平対向に見えるけど厳密には180度V型です。V12エンジン、ですね。同じように見えるけどクランクピンの共有がどうのこうのって色々違って来ます。
ピストンの動き方が水平対向と180度V型では全く違いますし。
DML30系エンジンってよくガスケット飛ぶとか言う感じで脆弱性はあれど2000年代以降も動いてたねー。はまかぜとか爆煙爆音の割りに加速しないイメージだった。
そしてDMH17系はHを除くと直列8気筒、DMH17Hは水平の8気筒でクランク挟んで反対側にはシリンダーありません。片側8気筒はDMP86ZかDMP81Zしか存在しない…はず?
DML30系のエンジンはシリンダーブロックが鋳鉄製で、シリンダーヘッドが3気筒をカバーする構造だったので、ブロックとヘッドの熱膨張の違いによってガスケットが吹っ飛ぶというネタがありましたな
その後はシリンダーとヘッドを一気筒ずつにするよう改造して対応したみたいですが
西日本最高の四国山地を超える南風の頑張りようは涙モノでした。
2000系、そして2700系と我が国が誇る最先端気動車の世界線が垣間見れた瞬間でもありました。
発車時に猛烈に吹き上がる排煙と走行時に聞かれる独特のターボ音
当時は高速道路もなく、飛行機もそれ程一般的なものでなかったし、そんな中途半端な気動車でも長編成で使わざるを得なかった。何はともあれ、高度成長期の国民の長距離移動を支えた国鉄に感謝せずにはいられません…
エンジンそのものも 30Lもありながら『500PSしか出せていない』極めて熱効率の悪いもので しかも無理なチューニングをしてやっと出していた状態だったから ガスケットの吹き抜け等のトラブルが絶えず『つばさ』の基地だった尾久客車区では 不眠不休でお守りをしていたとか。
『ひだ』に181系が入らなかったのも『しなの』で苦労させられた名古屋工場が拒否したという話も聞いた事があります。
現在のエンジンは回転数を上げて馬力を稼ぐ方式が主流ですが、昔のエンジンはシリンダーの吸入量を増やして馬力を稼ぐ方式が主流でしたからな
なので、重量のわりに出力の低いエンジンになってしまいます
その理由はシリンダーブロックの厚みで、一つのエンジンをオーバーホールしながら30年も40年も使うために、耐久性のみを追求した戦前思想のままというオチがあります
極めて熱効率が悪いとかイキっておられるが、半世紀前の国鉄ディーゼルターボ黎明期のブツだろうが?
お前さんがいきなりディーゼルエンジンを勉強して500ps出せるエンジン作れるか?
新車や新しい駆動方式を導入するのは「労働強化」。メンテナンスフリー化は「人員削減」にあたるとして労働組合が反発してたから…
お疲れ様です。
いつも頭が下がります。
m(_ _)m
素晴らしい☆☆☆
開発期間が不十分で初期不良多発はどの分野でもありそうです。もう亡くなりましたが、テツ趣味の大先輩が初期の特急はつかりに乗ったのが非常に印象に残っていたそうです。正に特別急行、だったのでしょう。🛤️
ウチの両親、「特急」と名の付く国鉄・JRの列車には最後の最後まで、意地でも乗車しなかった。
理由は「贅沢すぎるから」「特急券やら寝台券を購入すると余分な金がかかる」「急ぐことは無い」「汽車に乗るのに予約までして乗るのはちょっとおかしい」etc…
まあ、両親は戦前生まれで苦労性が行き過ぎていたことが主要因ながらも、この私だって修学旅行のときを除いて「特急」と名の付く列車に乗車することなど全く許されてはいなかった。
以前、新幹線利用を申し出たところ親父めに「贅沢言うな! それにそもそも、急いで目的地に行くことはない!!」と言われたので、
「そうそう。新幹線なんてブルジョワが乗る乗り物だかんね。一丁前に無能なプロレタリアートの貧乏庶民までが利用するこたぁないっちゅうのに。アホとしか言いようがないね、無能な貧乏人どもめら」と言ってみると、親父めは何を思ってか激怒。
「このひねくれ者めが。 おまえこそみんなが新幹線を利用するからと言って、それがおまえには出来ないからと言って、他人の行動にまでケチを付けるんじゃないわっ!!」
DMH17は、8気筒では?
DMH17系は戦前に設計完了していたエンジンだから仕方がないです。
国鉄の開発したディーゼル機関、国内外で海や山に鍛えられた者達には敵わなかった。
国鉄はこれからという時期になって労使関係が悪化して技術的に停滞してしまったのが痛かったですね。
中部地方では、中央本線名古屋~長野の特急しなのにも投入されましたが、中津川~塩尻の急勾配 急曲線 単線軌道で、高性能を出し切れず、名古屋から長野まで4時間以上掛かりました
181系つばさ、乗ってみたかった。500kmを超える長距離走行、高速走行、峠走行、食堂車、全部体験できるもんな。
補機連結もありますよ。
列車の中で一番かっこいい
2番目は500系w
音声を修正していただいたようですね.ありがとうございます.
80系も181系も、先頭車だけでもいいから走行用エンジンをもっと強くするか台数増やすかしておけば…
火を噴いたりして、がっかりなんて言われたそうな、はつかり君、
やっぱはまかぜ😊
在来線特急か〜
会津若松に住んでた時は、いなほやつがる、ひたちとか、北海道のカムイライラック、北斗、おおぞらとかだったけど、静岡に戻った今はふじかわや伊那路、しなの、ひだ、南紀、あずさ、湘南、踊り子かなぁ
平成生まれやし静岡やから特急やなくて新幹線やったわ
もし、日本の国土が真っ平らだったら、これで大成功だったでしょうね。180PSのエンジン2基が基本の80系気動車で十分だったと思います。条件さえ許せば、これで140㎞/h運転も可能だったでしょう。
あいにく日本は山国でした。島国である海洋国家には山国が多いです。そのため、弱馬力では勾配で急激に速度が落ちます。最低でも500PSクラスは必要で、普通なら欧州優等気動車の標準である700PSクラスが必要になるはずです。それを達成させたのもつい最近です。当時はコンピューターが未発達だったので多段階変速ができず、エンジンの十分な冷却も困難でした。変1直1だと 極端な言い方をすると、ローギアで出発して 次にトップギアに入って終わりという代物です。
高負荷連続力行時におけるDMH17の排気管加熱問題はその後長く現場を悩ませ、最終的に1988年3月のサロンエクスプレスアルカディア火災事故に至っています。
そもそも排気管の過熱問題の元凶はDMH17系エンジンの元設計の古さで、直噴・過給器付きのディーゼル機関が出だした頃にもかかわらず、国鉄は旧弊とした副燃焼室式にこだわったため、未燃焼ガスが多く出たことによります。
アルカディア号の出火に際しJR東日本のトップがDMH17の図面を見るや、『戦前のエンジンではないか!』と一喝。その後DMH17系エンジンは全数載せ替えとなったのは有名な逸話だそうで……。
13:53
意味が理解できないので、教えていただきたいのですが……
トルクが大きいのであれば別に問題ないのではないでしょうか?
空転するなら砂撒くか、刻みノッチにすればいいだけだし、トルコンの意味が無いと思います。
なんでいきなりフルノッチ想定なのかは謎ですが、現職に聞いても、電気式除いて気動車そんな運転しないそうです。
トルクが高すぎるのであれば、直結だけで事足りるし、変速して歯車比変えれば走りますし……(乗り心地は別として)
エンジンが回転数が高くて、トルクが小さいからトルコン使ってトルク上げて動輪に伝えるのに、この説明だとトルコンの意味を全否定してるようにしか見えないです……
既に退職しましたが、過去に気動車運転士の経験ありまして、運転してた気動車は全てエンジンの回転数が高くて、トルクが足りないから、トルク上げるためにトルコン、変速機、減速機使っていました。
動画の形式は運転したことないので、私の勘違いなのかもしれませんが、
気動車列車全部トルク下げるためにトルコン使うみたいな言い方に聞こえるので、誤解を招くような表現は控えた方がいいと思います。
先程wiki見てきましたが、私の考えは変わりませんでした。
恐らくwikiでは「低速ではすべりが大きく、中高速での効率をより重視した構成(トルクコンバーターのストールトルク比が小さい設定)」とあり、あくまでも他の車種のトルコンよりもトルク増幅比が少ないと意味であり、トルクを増幅させるというトルコン自体の仕事は変わらないのではないかと思います。
もし私の解釈が違うようでしたら、どなたか教えて頂きたいです。
長文失礼致しました。
この方はどこかで読んだ記事を煽り文句にして再生数稼ぐ人なので技術的なことを聞いても答えられないし解らないと思いますよ。
過去の動画一覧をみても何も知らない煽り文句だらけ、いわゆる「知ったか」です。お気になさらず。
私も同じところで引っ掛かりました。
内燃機関はある回転数を下回るとトルクを出せずエンストします。だから鉄道車両に使う場合は、車輪との間にクラッチまたは流体継手を挟む必要があるのですが、クラッチでは鉄道車両の強トルクには対応できず、流体継手では起動に要する静止トルクに打ち勝てる強トルクのエンジンが必要となり現実的でないエンジンが必要となるため、トルク増強機構のある液体変速機を介して起動するのが気動車では一般的でした。
鉄道車両は一旦転がしてしまえば比較的低トルクでも転がせる利点があり、エンジンがトルク・出力ともに出せない低速域でトルク増強効果のあるトルクコンバーターを用いるのが、気動車を成立させる現実的解法でした。
また当時は電子的にギヤチェンジする、いわゆる多段化ができず、トルクコンバーターを挟むが、またはエンジン軸を直結するかの2択しかできなかったことも、当時の制限としてありました(気動車にはDD51で用いた充排油式(VOITH式)の変速機は積めなかった)。現代の特急形気動車のように電子制御で速度に応じて各車両にてギヤチェンジをする機能は、当時の国鉄の技術力をもってしても無理な話で(出来ていればDD54の問題は起きなかった)、総括制御の観点から制御は2段変速とスロットル操作のみで、車両ごとのエンジン出力の個体差を吸収可能な、ストール比の大きな液体変速機が好まれたのも、マイコンや電子制御というものの無かった国鉄が成し得た『仕方ない選択』だったとも言えます。
@@naomiyamada8581
お二人のご指摘が正しいと思います。
はつかり がっかり 事故ばっかり