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7:29明暦の大火の時代の将軍を三代将軍家綱と言っていますが、正しくは四代将軍です。お詫びして訂正します
ひょっとして最初家光だと思ってませんでした?私にはおぼろげにそういうイメージがあったんで😅明暦の大火で天守閣が消失した時、家光が将軍だったら、絶対神君家康公の天守閣を建て直してただろうなという気がするのでそれで違うとわかりますが😂
江戸東京博物館は当分休館ですが、実物大のまといがあってその大きさと重さを体験できました。消し口争いについては応援に来てくれた組に先頭を譲り、さらに応援に来たら譲り、結局一番手のまといが最後に並ぶ格好になった…なんて美談的な話もありますが、解説されたように火事そっちのけで大喧嘩という方が江戸っ子らしいですね。
相変わらず、さほど面白くなさそうなテーマから、実際は内容詰まりまくりの良コンテンツ。さすがです。
鳶口なんかは現在でも消防車に備え付けられてて消防用具として現役ですね近所の家で火災が起きた時、住宅の壁に穴を開けるため消防士が使ってるのを見て印象に残ってる
携帯性と破壊力では、破城槌よりは便利ですよね
火消しは鳶や大工の知識があっての解体だから本当は専門職なのよな大工の技を知らないと不可能なのやってる
火事と喧嘩は江戸の華編きたー
7:32 3代将軍 家綱× 4代将軍 家綱◯
ありがとうございます!
「自分の火事場での活躍を人々に見せたい」という理由から火消の構成員が放火するケースもあったらしい。
自分が称賛されるのが気持ちよくてたまらないから、わざと放火した消防団員と変わらんのですね・・・・・・・・
町火消しはとび職人が自主的に活動していったのが始まりなんだよな
江戸時代は世界的な寒冷期で江戸の冬は現代にも続く乾燥地域。銭湯の解説でも触れられてましたが、そんな江戸で火事が起きない訳が無いんですね。江戸時代の町人は超レンタル社会でどうせ火事が起きるのだからと食器もレンタルで済ませていたと知った時は驚きました。
上州の空っ風の残りが江戸まで届くとグンマを知ると、何なんだろうと江戸むらさき特急では、火事と喧嘩は江戸の花火事と祭りは江戸の花と戦い江戸の花は火事と定めるとなってた
ふんどしや湯文字(女性がつける、いわゆる腰巻)さえレンタルされて結構はやったらしい。
@@CHAOS-qs5py 一部に人気が出そう湯着とかあったが、何で廃れたんだか
鐘の鳴らし方は現代の消防にも受け継がれています。昔の消防士に話を聞くと「今は電子音になり寂しい。現役の頃は火事場に行く時の鐘の打ち方でどこの所轄とか直ぐに判った。上手下手で火事場に行く気持ちが違った。慣れないうちはよく殴られた」とか「鎮火鐘が無くなって残念。あれを聞きながら帰るのが良いんだ」と話が止まりません。火消し半纏も時代が進むと、刺子になり表面が組や役割を表し裏面は個人的に派手な刺繍で飾るようになります。大量の水を含ませて現場で身を守るようにと、万が一巻き込まれてタヒんだ時に身元確認が用意に出来るようにする工夫とされています。現場からの帰途に表裏を着替えて、木遣歌を歌いながら刺繍を見せて歩くのも、粋で鯔背な男伊達だったとか。
折で判別とは、北欧の漁師のセーター見たいな
きっぷのいい江戸っ子のような語り口、今回の火消しのテーマによくあっていて聞きやすかった。
少しの家事で江戸は焼けましたからね。江戸城は何度も焼けてます。
江戸城と大名屋敷が多い山の手を主に火消しに当たる大名火消と定火消にお座なりにされがちになった下町で、元々の町人たちが住む本郷浅草日本橋界隈と、主に明暦の大火以後に町人たちが移り住んできた本所深川界隈とでは、町火消の数え方が違っていたのですね。(いろは四十八組、一番組から十六番組)有名な新門辰五郎組頭は、その両方で同時に組頭を務めたとは、いやはやお見それしました。20:25南町奉行、大岡(越前守)忠相ですね。
あれっ猫とマレーバクがいないぞ
土蔵や漆喰の技術はあったのに、レンガは発明できなかったんだなあ。
石垣があったのに、組むのが無かった理由は何かあったのだろう
@@user-ik3ec5xg3b 地震には強いのかな?
@@user-gm8ew6tj2w 地震には石組より弱いですが、東京駅とか普通に保ってるから明治の何か知らんが、耐震性能10倍建設の絶対壊れない系は各地にあるよ地元では万代橋は新潟地震でも地盤沈下以外影響はないとか、変な性能現状でもあと100年持つとの診断
わざわざ大量の燃料使うコストに見合わない上に石積みとか石材加工の技術が高かったから必要無かっただけだよ。これだけ焼き物や炭焼きが盛んな国だから発明できなかったってのはないよね。
この動画を見て思い出したけど、現代においてありえないと思ってた大火が新潟で起きたときは衝撃的やったなぁ。
現代でも重要文化財が放火にあったり駅前の昔ながらの木造のお店で再開発に抵抗してる店が全焼したりまた差別地域への放火や放火疑いの事例を調べると数多くあるけどその犯人が特定され逮捕されたと言うケースは少ないんだよ。
個人的な体験からの見解だけど、現代でも消防団に対して真面目な気持ちで取り組んでる人って酒飲み出すと消防団の人手不足を嘆いて泣き出しちゃう様な人が多い気がするプロの消防士でない人が火事場という命懸けの現場を何度も体験すると、戦争に行った兵隊さんみたいな、現代では異様に感じる情緒になりがち=喧嘩になってしまうのかもしれない
同じように破壊消火をしていた古代ローマの火消しは火災現場に着くと「(まだ燃えてない)うちの家を壊さないでくれ」という人と「(うちが燃えないように風上の家を)早く壊してくれ」という人の両方を相手に交渉し、金を踏んだくっていた。交渉が長引けば長引くほど相手に不利になるのでかなりな暴利をむさぼれたらしい。
江戸時代、あれだけ関所あっても流入する流民止められなかったの見ると、命懸けで裏道抜けた人々の執念を感じる。関所破りって何処かの回でやりましたっけ?
やっぱり火消しはめ組辰五郎のサブちゃんだよね(^o^)
長次郎もね。
ゆっくりの守の火消し装束を見てみたいです(笑)
さすがに火消しはゆっくりしないでね
その辺りは、じいや家臣が居ますし、もたもたしていたら姫が......
「最近景気が悪いなあ「って時は火消しが風向き等を考慮して「ここまで燃やすか」と燃やす範囲を管理してやってたのが知られている火事からの再建が多くの人の仕事を生み出し経済が回るのが江戸という町の一面だとみんなが解っていた
私が子供の頃(数十年前)も火事は多かったよ。田舎だけど年に1,2回は自宅から火や煙が見えた。直火を使っていたし喫煙者も多かったからね。
今の消防団も、不満は多いようだけど大切な組織やと思う。
背景が高崎駅?
いつもありがとうございます。大火、最近?では糸魚川を思い浮かべます。消防組織・建物のしっかりした現代でもそのような火事があるのですから、江戸時代は3年に1回の頻度になるんですね。江戸っ子たいへんだぁ。
今日は火消しだ
今宵は火消しだぁ!
大阪在住だがサンテレビで吉宗評判記暴れん坊将軍第3話で町火消誕生のエピソードをやってた。ゲスト出演の和崎俊哉さんは後の御庭番頭大月半蔵を演じます。
不謹慎だけど、死して何度でも炎から蘇るフェニックスを思い出してしまった😅
大目付加賀爪忠澄が殉職、相馬藩主相馬義胤が負傷した大火は桶町大火でしょう。
忠相が忠助になってんの惜しいな
いくつかの水たまりを残して、梅雨が駆け抜けてしまえば、湿った風の背中越しに君の好きな夏が来ます。
「火事と喧嘩は江戸の華」「火事と花火は江戸の華」「江戸の華は火事とする」
風は上州のからっ風で、越後では大雪と
最後の鈴木牧之へのコメントは、ちょっと辛辣過ぎる気が。。
いいね一番乗り!
普段は大工の仕事してるのよ
大岡忠相
多く壊したら再建で多く仕事が入って来るしね🤐
羅馬皇帝「日本の防火対策は弱いな‼︎俺を見ろ‼︎絶対燃えないぞ」
江戸っ子ヤバすぎ…
7:29明暦の大火の時代の将軍を三代将軍家綱と言っていますが、正しくは四代将軍です。お詫びして訂正します
ひょっとして最初家光だと思ってませんでした?私にはおぼろげにそういうイメージがあったんで😅
明暦の大火で天守閣が消失した時、家光が将軍だったら、絶対神君家康公の天守閣を建て直してただろうなという気がするのでそれで違うとわかりますが😂
江戸東京博物館は当分休館ですが、実物大のまといがあってその大きさと重さを体験できました。消し口争いについては応援に来てくれた組に先頭を譲り、さらに応援に来たら譲り、結局一番手のまといが最後に並ぶ格好になった…なんて美談的な話もありますが、解説されたように火事そっちのけで大喧嘩という方が江戸っ子らしいですね。
相変わらず、さほど面白くなさそうなテーマから、実際は内容詰まりまくりの良コンテンツ。さすがです。
鳶口なんかは現在でも消防車に備え付けられてて消防用具として現役ですね
近所の家で火災が起きた時、住宅の壁に穴を開けるため消防士が使ってるのを見て印象に残ってる
携帯性と破壊力では、破城槌よりは便利ですよね
火消しは鳶や大工の知識があっての解体だから
本当は専門職なのよな
大工の技を知らないと不可能なのやってる
火事と喧嘩は江戸の華編きたー
7:32 3代将軍 家綱×
4代将軍 家綱◯
ありがとうございます!
「自分の火事場での活躍を人々に見せたい」という理由から火消の構成員が放火するケースもあったらしい。
自分が称賛されるのが気持ちよくてたまらないから、わざと放火した消防団員と変わらんのですね・・・・・・・・
町火消しはとび職人が自主的に活動していったのが始まりなんだよな
江戸時代は世界的な寒冷期で江戸の冬は現代にも続く乾燥地域。銭湯の解説でも触れられてましたが、そんな江戸で火事が起きない訳が無いんですね。江戸時代の町人は超レンタル社会でどうせ火事が起きるのだからと食器もレンタルで済ませていたと知った時は驚きました。
上州の空っ風の残りが江戸まで届くと
グンマを知ると、何なんだろうと
江戸むらさき特急では、火事と喧嘩は江戸の花
火事と祭りは江戸の花と戦い
江戸の花は火事と定めるとなってた
ふんどしや湯文字(女性がつける、いわゆる腰巻)さえレンタルされて結構はやったらしい。
@@CHAOS-qs5py 一部に人気が出そう
湯着とかあったが、何で廃れたんだか
鐘の鳴らし方は現代の消防にも受け継がれています。
昔の消防士に話を聞くと「今は電子音になり寂しい。現役の頃は火事場に行く時の鐘の打ち方でどこの所轄とか直ぐに判った。上手下手で火事場に行く気持ちが違った。慣れないうちはよく殴られた」とか「鎮火鐘が無くなって残念。あれを聞きながら帰るのが良いんだ」と話が止まりません。
火消し半纏も時代が進むと、刺子になり表面が組や役割を表し裏面は個人的に派手な刺繍で飾るようになります。
大量の水を含ませて現場で身を守るようにと、万が一巻き込まれてタヒんだ時に身元確認が用意に出来るようにする工夫とされています。
現場からの帰途に表裏を着替えて、木遣歌を歌いながら刺繍を見せて歩くのも、粋で鯔背な男伊達だったとか。
折で判別とは、北欧の漁師のセーター見たいな
きっぷのいい江戸っ子のような語り口、今回の火消しのテーマによくあっていて聞きやすかった。
少しの家事で江戸は焼けましたからね。
江戸城は何度も焼けてます。
江戸城と大名屋敷が多い山の手を主に火消しに当たる大名火消と定火消にお座なりにされがちになった下町で、元々の町人たちが住む本郷浅草日本橋界隈と、主に明暦の大火以後に町人たちが移り住んできた本所深川界隈とでは、町火消の数え方が違っていたのですね。(いろは四十八組、一番組から十六番組)
有名な新門辰五郎組頭は、その両方で同時に組頭を務めたとは、いやはやお見それしました。
20:25
南町奉行、大岡(越前守)忠相ですね。
あれっ猫とマレーバクがいないぞ
土蔵や漆喰の技術はあったのに、レンガは発明できなかったんだなあ。
石垣があったのに、組むのが無かった理由は何かあったのだろう
@@user-ik3ec5xg3b 地震には強いのかな?
@@user-gm8ew6tj2w 地震には石組より弱いですが、東京駅とか普通に保ってるから
明治の何か知らんが、耐震性能10倍建設の絶対壊れない系は各地にあるよ
地元では万代橋は新潟地震でも地盤沈下以外影響はないとか、変な性能
現状でもあと100年持つとの診断
わざわざ大量の燃料使うコストに見合わない上に石積みとか石材加工の技術が高かったから必要無かっただけだよ。これだけ焼き物や炭焼きが盛んな国だから発明できなかったってのはないよね。
この動画を見て思い出したけど、現代においてありえないと思ってた大火が新潟で起きたときは衝撃的やったなぁ。
現代でも重要文化財が放火にあったり駅前の昔ながらの木造のお店で再開発に抵抗してる店が全焼したりまた差別地域への放火や放火疑いの事例を調べると数多くあるけどその犯人が特定され逮捕されたと言うケースは少ないんだよ。
個人的な体験からの見解だけど、現代でも消防団に対して真面目な気持ちで取り組んでる人って酒飲み出すと消防団の人手不足を嘆いて泣き出しちゃう様な人が多い気がする
プロの消防士でない人が火事場という命懸けの現場を何度も体験すると、戦争に行った兵隊さんみたいな、現代では異様に感じる情緒になりがち=喧嘩になってしまうのかもしれない
同じように破壊消火をしていた古代ローマの火消しは火災現場に着くと「(まだ燃えてない)うちの家を壊さないでくれ」という人と「(うちが燃えないように風上の家を)早く壊してくれ」という人の両方を相手に交渉し、金を踏んだくっていた。
交渉が長引けば長引くほど相手に不利になるのでかなりな暴利をむさぼれたらしい。
江戸時代、あれだけ関所あっても流入する流民止められなかったの見ると、命懸けで裏道抜けた人々の執念を感じる。
関所破りって何処かの回でやりましたっけ?
やっぱり火消しはめ組辰五郎のサブちゃんだよね(^o^)
長次郎もね。
ゆっくりの守の火消し装束を見てみたいです(笑)
さすがに火消しはゆっくりしないでね
その辺りは、じいや家臣が居ますし、もたもたしていたら姫が......
「最近景気が悪いなあ「
って時は火消しが風向き等を考慮して
「ここまで燃やすか」
と燃やす範囲を管理してやってたのが知られている
火事からの再建が多くの人の仕事を生み出し経済が回るのが江戸という町の一面だとみんなが解っていた
私が子供の頃(数十年前)も火事は多かったよ。田舎だけど年に1,2回は自宅から
火や煙が見えた。直火を使っていたし喫煙者も多かったからね。
今の消防団も、不満は多いようだけど大切な組織やと思う。
背景が高崎駅?
いつもありがとうございます。大火、最近?では糸魚川を思い浮かべます。消防組織・建物のしっかりした現代でもそのような火事があるのですから、江戸時代は3年に1回の頻度になるんですね。江戸っ子たいへんだぁ。
今日は火消しだ
今宵は火消しだぁ!
大阪在住だがサンテレビで吉宗評判記暴れん坊将軍第3話で町火消誕生のエピソードをやってた。ゲスト出演の和崎俊哉さんは後の御庭番頭大月半蔵を演じます。
不謹慎だけど、死して何度でも炎から蘇るフェニックスを思い出してしまった😅
大目付加賀爪忠澄が殉職、相馬藩主相馬義胤が負傷した大火は桶町大火でしょう。
忠相が忠助になってんの惜しいな
いくつかの水たまりを残して、梅雨が駆け抜けてしまえば、湿った風の背中越しに君の好きな夏が来ます。
「火事と喧嘩は江戸の華」
「火事と花火は江戸の華」
「江戸の華は火事とする」
風は上州のからっ風で、越後では大雪と
最後の鈴木牧之へのコメントは、ちょっと辛辣過ぎる気が。。
いいね一番乗り!
普段は大工の仕事してるのよ
大岡忠相
多く壊したら再建で多く仕事が入って来るしね🤐
羅馬皇帝「日本の防火対策は弱いな‼︎俺を見ろ‼︎絶対燃えないぞ」
江戸っ子ヤバすぎ…