【歴史解説】ゆっくり大江戸114天保の改革~寂れた江戸か繁栄の江戸か~破壊王水野忠邦VS遠山の名奉行金さん【江戸時代】
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- เผยแพร่เมื่อ 2 ต.ค. 2024
- 昨日公開したものでBGMに不具合があった為再アップしました。他ご指摘あった部分を極力修正しております
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大塩の乱 • 【歴史解説】ゆっくり大江戸108大塩の乱〜大...
ゆっくり大江戸全話 • 【歴史解説】ゆっくり大江戸①~こうして江戸時...
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※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
#天保の改革#寛政の改革#享保の改革
金さん、頑張っていたんですね。解説を聞いて水野忠邦は時期や条件が良ければ良い政治をできた。。。とはあまり思えないですね。施政者として家臣・庶民を捌く必要があったのだろうけど、自分の理想としか向き合っていなかったように感じました。三大改革でもこれだけ違うのかと不勉強な私にとって大きな発見となりました。ありがとうございます。あと、ゆっくりの守楽しみにしてます。 動画が消えてびっくり。
水野忠邦は、江戸での政治以上に藩政のやらかしが凄すぎます。
例えば、無茶な強制移住をさせたり、最後の転封では領民からの借金を踏み倒して反乱がおきかけています。
なお、次に来た大名が支払いをしたそうでかわいそうですね。
老中に出世したいからと唐津藩から浜松藩へ家臣の諌死も無視して強行したサイコパスぶりだし、失脚して昔日の勢いはなくても結局領民への借金踏み倒しトンズラ成功させるくらいは朝飯前w借金肩代りさせられた新藩主は元々父の不祥事(領民の妻をレイプ)で浜松藩から懲罰転封させられた井上正春で忠邦とは30年ぶりに2度入れ替わったことになる。領民に重税を課してる上にそれだけでは足りずその領民から借金までして借金取りに追われていた大名は水野に限らなかったけど、 三大改革と言ったって批判はあっても吉宗や定信は決して醜聞に塗れなかったのにこの御方だけは格が違うw
寛政の改革以後に作られた猿屋町御貸付金会所が札差との借金問題では機能していた上に(必ずしも定信が意図したものではないが)下手に弄らなくても天保期だと既に旗本や御家人に対する直接融資と言う形で個別的な救済が行われていたこと、定信自体は大規模な民間への貸付を行い江戸地回り経済に投資するなど殖産興業には熱心でそこからの利潤は不十分ながら富の再分配と言う形で農村へのインフラ整備に充てられていたこと。この辺のマクロとミクロの経済事情となぜ寛政の改革がそれでも評価されていたのかを忠邦は理解していなかった。
この動画を通しで見ると、綱吉が形作り、家宣が行き過ぎは修正し、吉宗が固め、田沼が広げ、定信が完成させた改革を、文化・文政で食いつぶし、天保で立て直すつもりが破壊したと言う流れがよく分かりますね。
庶民への規制を増やせばお上が仕事をした感じになるのは今も変わらんなあ
水野はそうじゃないだろ。アレはむしろポルポトとか王莽みたく、本気で全力で何とかしようとして、狂った方向に突き進んだケースやろw
つーか、お役所仕事は徳川幕府の遣り方を踏襲しただけだからね。元々は貴族が平民に嫌な事を押し付ける遣り方だからね、苛烈に為るのも当たり前だよね。今貴族は公務員なワケだけど合法って口実で何をしても国民は公務員達をクビに出来ないし、罰も与えられないからそりゃあ遣りたい放題だよね。マジで市民革命をしないと日本は今度こそ滅ぶね。革命はイッパイ死ぬし殺すから凄惨で大混乱に為るけれど上手く外国・特に中国や朝鮮・アメリカ等からの介入を上手く防げれば権力は国民に日本史上初めて掴めるね。
市井を知らず、現場を知らず。頭だけで考えて構想を立てる。うまくいかなくも間違いだと認めない。なんだか現代にもこんな人いそうですね。某財務省あたりに(笑)
エリートあるある
失脚して呆ける直前あたりに、丁稚の頃から勘定や相場を叩き込まれてきた商人たちに諭されて理解できなくて焦ったか、基礎力の無さを呆れられて逆ギレしてそうな気がします。んで自分たちの理屈に引きこもって最後は武士の無能さを悟ってそう。
母親が商人の娘で後に実家に戻って婿養子を迎えて息子が生まれているから異父弟に商人がいるのに。
@@saigaazuma
失敗したら、拗らせるか、責任転嫁するか、意固地になる辺りもそっくり。
で、どちらも1度失脚したら、最終的には周囲に見放されて、廃人のような晩年になるという・・・
北陸は冬雪のない所に住めっていう世間知らずの頭でっかちですからね。
日本最大の害悪。
最悪と言われる”無能な働き者”のような気がする。側近がこてこての朱子学派の
鳥居耀蔵ではね。洋学者のブレーンとか洋楽への理解とかなかったのか
でも日本人には珍しいリーダーシップを持った人ですね
この時代、統治思想と経済実情の矛盾が強すぎて理想を実行するほど経済が混乱する。この問題を最後まで解決できず討幕されてしまったな
物価高騰は江戸城じゃない!
江戸の街で起きてるんだ!!
まぁ、その原因は幕府に拠る悪貨の量産だから、ある意味物価の高騰は江戸城で起きていると・・・
現実を見れない人間が、高い理想を持って突っ走ると地獄になるっていう点で、ポルポトに通じるものがあるな。
現代では2-4%程度のインフレ率が最も適切ということになっていますが、江戸時代の物価高のインフレ率はどの程度だったのでしょうね。
水野忠邦は数々の逸話にもあるように、歴代老中の中で比類なき頭脳を持っていた事は間違いないと思います。
ただ天才であった故に、全て自分の頭の中だけで構想と解決を図り突っ走ってしまった事が、悲劇だったと思いますね。
藤田東湖との逸話は有名ですね東湖の矢継ぎ早の質問に的確に返答して東湖は舌を巻いたと言う
また「幕府に残された時間」があまりにも足りなかったというのも大きいですね。
そのせいで極端かつ応急処置に偏った政策を乱発せざるをえなくなり、
諸々の状況を悪化させる事になってしまった。
そう考えると水野忠邦は、家斉の長い在位が生んだ犠牲者の1人でもあるのでしょうね。
机上の空論で人情を理解できない人 石田三成と重なるものを感じます
「現実」を相手にするのは向いてなかった人間だった。
常に10年、20年先の未来を見続けて、一番大事な現在の情勢が全く見えていなかったという。
最後は腹心の鳥居にも裏切られ失脚している事といい、本当に足元がお留守としか言いようがない。
その鳥居も後に何故か復帰してきた水野によって呆気なく失脚したとか・・・
家康が墓から駆け出してボコりに来るレベルのスットコドッコイ大将軍やな、家斉は………
まぁ、徳川将軍って、一部の例外除けば、どいつもこいつも家康からすればボンクラ揃いですね。
自らが事実上時期将軍と定めた家光は、家臣が超有能だったから業績残せたけど、自身は陰キャホモの放浪暗愚。家康の再来と呼ばれた慶喜も、日本という国家レベルで見れば結果論では良かったけど、幕府の長としては敵前逃亡に旧幕臣見捨てての放蕩三昧の隠居生活と、家康からすれば「一緒にするな」と怒り狂いそうなレベルですし・・・
明の万暦帝のように後の時代がツケを払いきれないぐらいに好き勝手したからな故意じゃないだけ万暦帝よりはマシだけど
家斉公は幕府崩壊の大戦犯も良いところですね
でも長州と佐賀に嫁がせた家斉の娘が存命で家斉の外孫が藩主になっていたらどうなっていたかな?
@@yh6146様 どうでしょうね?薩摩は斉彬公のような名君は生まれなかったでしょうけど、長州はそうせい様こと敬親公のような放任主義の殿様が生まれてかも知れませんね😅
幕府崩壊は白人の侵略の脅威によるものです。
流石S○X中毒
この人 水戸の斉昭 とは ものすごく仲が良くて 阿部正弘は この人のことを物凄く毛嫌いしてたんだよね
幕末の幕臣の中で一番狡くて小賢しい奴は鳥居甲斐守で間違いない‼️😡
そうかなぁ・・・あの人は単に真面目過ぎて融通の利かない役人にしか見えないけど
そういうクズに限って無駄に長生きで水野も金さんも亡くなり、幕府も無くなり、明治まで生きた。
結局のところ、水野忠邦の都合が最優先されて、現実の状況に照らし合わせることを怠ったってことかなあ。
筋違いの統制ですね。(苦笑) 次回も楽しみにしています。
お疲れ様です。どの部分が差し替えになったのか私にはさっぱりわかりませんが、うpした動画をきちんと確認し間違いをそのままにしないところは仕事をする上で見習いたいです。
なんだか巨匠構想20年!が大抵失敗するのと似たようなものを感じます。
構想20年ということは、発案したのが20年前の時代遅れの考えともいえますからね・・・^^;
何事も、実行時の状況に擦り合わせる柔軟性が重要という・・・
天保の改革の時、処分を受けた幕臣の総計は旗本68人、御家人894人にのぼった。
ひどい話だと、鳥居耀蔵が美人の密偵に華美な格好をさせて見回り中の同心に話しかけさせて見逃したら、その同心をクビにしていた。
旗本、御家人の使用人って
どれくらいいたんだろう?
万単位の失業(セーフネット無し)だったろう事は想像できる。
私は長年機械メーカーで経理担当でした。会社が赤字に成ると直ぐにコストダウン 経費削減が言われるのが定石です。だが、それだけでは生産性は上がらず、設備や施設も更新され無い。
並行して拡大路線を画かないとジリ貧に成ります。私が競合他社の経営陣なら、競争相手を数年間この緊縮策漬けにしたら楽に勝てる。
ほんの10年くらい前の大阪で、文化事業への支援を打ち切ろうとしたハシモトも水野と似ている。
言われてみればBGMおかしな所ありましたね、仕様だと思って特に気にしないで見てましたww
水野忠邦が江戸期以前の大名だったら、反対派に背かれて内戦間違い無しだったろうな。内戦ならまだましで、クーデター起こされて追放とかあったかもよ。
家斉見てると、どうにも明の万暦帝がオーバーラップしてくる。どちらも度し難い暗君だもんな。
この頃の人物でしたら、ぜひ江川太郎左衛門英龍を取り上げてほしいです
歴史上の人物で唯一リアルに勧善懲悪お忍び旅をされた偉人w
他にもネタ事欠かないから私も見てみたい。
去年作者が亡くなって未刊に終わった風雲児たち幕末編と前作風雲児たちで江川英龍は登場している。
@@yh6146
今際の際まで馬車馬の如く国難に挑み続けたその姿、痺れましたね~
@@yoshiroh_ironslash_mantis
もう天保時代幕末直前。
金さんは中間管理職なのか
江戸の奉行が課長クラスなのに驚き❗️
今で言うと東京都知事・警視総監・最高裁判所判事を兼ねたような役職ですけどね
@@アウトローという者だからかなり激務だったから、遊び人の金さんみたいな事はできない。毎日江戸城に登城して奉行所に戻ってからも仕事だったから。
@@yh6146様 まあ子ども時代は家庭環境の複雑さからグレて不良だったのは事実らしいですけどね😅
@@yh6146 なるほど、「劇」務だったから「この桜吹雪に見覚えがねえとは言わせねえぜ!」とか言うようになったんですね
@@nuruosan4398 すいません、激務の間違いでした。
もう経済が貨幣経済へ移行しつつあったのに、現状からの変更をするからおかしくなったんでしょうね。
なんというか、理想を現実に落とし込むという、政治家として最も重要な才覚が欠如した勘違いエリートが出世しちゃった典型例に見えますね・・・^^;
せめて、田沼意次の1割でいいから商業という現実を理解し、遠山景元の1割で良いから他人への関心と情があれば、もうちょっとマシな最後をだったんじゃないですかね。
失脚後に町民に屋敷を襲撃された老中首座なんて前代未聞でしょうな
その後の阿部正弘の改革があったお陰で幕府はいくらか永らえられたけど
遠山の金さんといえば刺青判官と呼ばれ、テレビドラマの影響もあって「桜吹雪」「遠山桜」などの呼び方が知られているけど、実際の刺青は生首だったそうですね。前に金さんの子孫の方の話が紹介されている本があったんです。
差し替えになったと書かれていたので直ってるかなと思ったけど寛政の改革が6年なのに5年のまま
緊縮財政じゃ国は救われない、と。
某省は30年間もそれで失敗してる癖に仏頂面で政界を我が物顔ですからね。
今の政権では尚更。今度は個人事業主を迫害し始めた。
水野忠邦は江川太郎左衛門を気に入って鳥居耀蔵の讒言も聞かずに失脚させなかった。
これだけは評価できる。
江戸幕府というシステムが限界を迎えてた。
紀伊新宮藩最期の藩主の正室
は忠邦の娘 側室の産んだ
嫡男は八甲田山雪中行軍にて遭難
100年後も見据えてるとか言ってるけど、実際の100年後は江戸時代が潰れてるがな
なんのために?という
水野は本当に幕府の為にやったのか?という根源的疑問がある
信頼して現場責任者にした人たち(矢部・遠山とか)に「やめた方がいい」って言われたのに、プライドやら、机上の空論と将軍の信頼から来る根拠のない自信、折角掴んだ老中首座という地位への固執からやめられなかったのでは?
浜松出身ですが、水野忠邦の評判ってほぼ聞かないですね。単に出世城から出世しただけの人なイメージ。少なくとも地元にとっての名君でなかったのは間違いない。
久しぶり、時代劇みたいなぁ……。
「唐津藩が佐賀藩の下』?表現の稚拙さは横に置いて、西とか北でないと変なのでは?
高校の時の大っ嫌いだった先生が水野って名前で、色々思い出して今でも殺意湧く
ちょうど動画を見てる最中に差し替えされたみたいで、途中から読み込まなくなって何があったのかと混乱してしまった(´・ω・`)
何て悲しい人
肥前の説明は長崎県の壱岐対馬を除いた部分と佐賀県だし、唐津は佐賀県の北部なのに下の方と言ったり、冒頭から間違ったことしか言わないから。
今の若い子は江戸を斬るを知ってるのかな?
だって当方41歳やけど西郷輝彦が遠山金四郎を演じたシリーズは当方が生まれた1981年で終わってるし、里見浩太朗先生の演じたシリーズは1992年が最後に放送されたから知らんで。まあKBS京都で再放送を見てるけどな(笑)
上司にそっくりで草。
本当によく老中になれたと思う。男系の血筋では祖父が外様大名からの養子で忠邦の母親は和菓子屋の娘なのに。ちなみに母親は忠邦を産んだ後に実家に戻り婿養子を取って結婚して産まれた息子が後を継いだから異父弟が商人。それなのに商人を苦しめる政策を取った。
何それ怖い
「風月堂(凮月堂)」という今でも上野や銀座に店舗を構えている老舗菓子屋さんですね。菓子匠として各国藩主の処に出入りしている謂わば御用商人みたいなものかと思いますが、単なるお手付きではなく側室として嫡子忠邦まで産むとはw商人が母で異父弟でも老中になれるくらいには江戸時代も案外貴賤に厳しくなかったのかしら。
@@snd00261jp 将軍の側室は原則旗本の娘だけど、旗本の養女になって将軍の側室になった例がある。
@@yh6146様 家光側室で四代将軍家綱生母のお楽の方や五代綱吉の生母で玉の輿の語源ともされるお玉の方(桂昌院)なんかも農家出身ながら旗本の養女から大奥に上がりましたね
こめんとまとめろよ
広義として→公儀として?
抗議やと思う
大目付に追いやられた
金さんが裏工作を
関東や近畿周辺の
大名たちに
多少の不正は見逃す
変わりに上知令を
反対・非難してほしい
根回しが効いた?
上知令は否決され
忠邦は失脚される
そうなん?どこ情報?
改革が昔のままじゃなぁ…。
んー、貨幣は幕府が設定して発行してんだから、発行しすぎをそこまで気にする必要はなく、いちばん大事なのは「物価は需要と供給のバランス関係で決まる」ということであり、「物価を下げるためには供給を充実させること」。
また、同時に地方活性化をするためには、地方に仕事を用意すること。分かりやすい具体例は「地方公共工事を振り分けること」。地方に仕事があれば、住む人が出てくるし、住む人にも公共工事の恩恵は大きい。また、住む人が増えて、公共工事で住みやすくなれば、商売したい人が出てくるので、地方は活性化していく。
今の日本も真逆をやってんだけど、この時代も似たようなことをしつつ、さらに小姑のような小煩い政策は庶民に不人気なのは確実だし、評判が悪いのは当然ですね。
当時の技術でできる田畑の開墾はほぼ限界に近く、供給量の増加はまず無理でしょうね。
5:23 忠邦もまさか幕末には唐津藩から老中が出るなんて夢にも思わなかっただろう。まあ、藩主では無くて後継ぎという立場で41歳の若さでの異例の就任だったけど。
小笠原長行ですね。忠邦は40歳だし、定信に至っては20代で老中首座になってますし、ペリー来航時の老中で安政の改革を断行した阿部正弘は25歳で老中になってますから41歳はむしろ遅く感じますw
@@snd00261jp 確かによく考えたらもっと若い人がいました。松平定信は役職経験無しで阿部正弘は奏者番と寺社奉行しか経験していないのに老中就任だった。
30:05 新潟上地は長岡藩の領地だった新潟港を幕府が没収して代わりに600石の領地を与えたけど、新潟港は15000石の収入があったから長岡藩には大打撃になった。後に忠邦が強行しようとした上地令も代替地は元の領地よりも石高が低くかった。
片岡千恵蔵の金さんはジジイ過ぎ。中村梅之助は良かった。
一番頭のあいさつで皆さんの、みが潰れてる
まるで民進党と同じかな?
32:32 この三方領知替えも天保の改革前だけど、画策したのは忠邦。
自民党の国葬とそっくりじゃないですか
歴史が教えてくれているのに失敗をまた繰り返す
9:17 忠成が死んだのに忠成が老中になったというおかしい文面になっている。