【東軍全滅】関ヶ原の戦い前哨戦の悲劇
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ต.ค. 2023
- 今でも血が壁にはっきり染みる場所
徳川家康の伏見城を不在に、石田三成が動いた
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#関が原合戦 #伏見城 #家康 - บันเทิง
最初は、ぶらり途中下車みたいな雰囲気、途中からはJRの「そうだ!京都へ行こう」みたいな雰囲気のお寺の優美さ、そこから一転血染め天井、締めはグルメって、すごい起承転結で主様の編集能力の高さに脱帽です。
ありがとうございます。
「悟りの窓」の方がたぶん有名ですが、
このチャンネルではもちろんメインは血天井になります。
今回も貴重な映像、ありがとうございました。
家康は上杉討伐に向かう小山の陣所で、伏見城落城と鳥居元忠ら城兵1800余の最期を伝え聞き周囲を憚らず号泣したことは有名は逸話。
天下分け目の大合戦を前に、剽悍なる三河武士が数万の敵に対して一歩も引かず、愚直にも奮戦し華々しく玉砕することが伏見籠城戦の意義であったと、あの司馬遼太郎氏も評していたそうです。
戦国の世のならいとは言え、惨い話です。
戦国の日本男児はどこまでも勇敢であったことは、後世まで語り伝えていくべきでしょう(合掌)。
他の方もコメントされていますように、東山区にある養源院にも血天井が供養されています。
余談ですが、養源院は秀吉の側室・淀殿が亡父・浅井長政(法名は養源院)の菩提を弔うために創建し、落雷で焼失の後に淀殿の妹・崇源院(江、第2代将軍・秀忠の正室)が伏見城の遺材を用いて再建したそうです。これ以後は徳川将軍家の菩提所ともなりました。
本堂の奥の一室には、今でも浅井長政、お市の方、万福丸(長政の嫡男)、浅井三姉妹、豊臣秀頼の位牌が祀られているそうです。
一番有名なのは養源院ですよね、ただたしか撮影禁止で。
この1800人は4万相手に何日も持ちこたえ、何回も城から追い返しています。
城にいた甲賀衆(たしか)の妻と子を人質に寝返らせ、城に火を放たせ、門を開放させ
これを機に西軍がなだれ込み、崩れました。城自体も堅城だったのでしょうね。
西軍もこの強敵、元忠へのリスペクトがあり、首は丁寧に扱われたそうで。
ここに刻まれるのは名前すら忘れられた人たちの最期。
けれど皆信念を守り未来を作るために戦った。
知る事は最大の祈りであり、最たる供養ですね。
ここら辺なら外人も居なくて静かかな
血天井…養源院にもあります。写真が無い時代に当時の現場が保存されているのは凄いと思います。こちらの血天井も機会があれば訪れたいと想います。ありがとうございます。
たしか、養源院の血天井は撮影禁止だった気がします、それで今回はこちらに行きました。
更新待ってました。
京都を魔界の総合商社と例えるのいいですね。
魑魅魍魎の跋扈する平安京に風葬地、歴史の闇ですね。
今回の歴史は伏見城の血天井ですが、存在は知ってましたが、複数の寺に血天井が使われていたのは知りませんでした。
鳥居元忠と伏見城の戦いの話はこれからのどうする家康のこれからの放送シーンに合わせたタイムリーな内容ですね。
徳川300年の礎になった方々の覚悟に敬意を、
そして、また闇に光を当ててください。
ありがとうございます。
そうです、複数のお寺に血天井があり、撮影禁止とかもあるので、
ここをセレクトしました。
どうする家康での元忠の最後の描かれ方とか気になりますよね。
一応、切腹だけでなく最後に決闘したとかいう説も見た事ある気がします。
大原の里、三千院、宝泉院が好きで、3回ほど訪問してます。宝泉院にも血天井があります。鎧を装着した際の手袋の跡とみられる手形の染み、侍があぐらを組んで座っていた跡とみられる染みもあり、当時、気味悪いと思っていました。大昔、今は亡くなった母からこれが鳥居の叔父の先祖で貴族院議員だったと白黒写真を見せられた記憶(写真も探せばあるハズ)がありますが、関心が無く、血天井の鳥居元忠の末裔とは不覚にも最近まで結びつかず、気づきませんでした。
そうですね。わたしも見に行きました。以前は、拝観料を払うとお抹茶を振る舞ってくださいました。えんがわに座ってお茶ォいただき、上を見ると.これでこの戦乗る凄まじさがわかりマス。南無阿弥陀仏
総大将、鳥居元忠以下1800名の犠牲の上で、徳川家康の天下獲りが実現したのですね。
当方も三河出身ですが、鳥居元忠、1800人の武士は、郷土の誇りです。
ですね、かれは三河武士の鑑と言われた漢の中の漢です。
だから鳥居家は江戸時代色々問題起こしているけど、普通だったら即取り潰しだけどなんとか生き残ったからね。ちなみに元忠の孫の孫かな?は大石内蔵助。
主様の動画は、最近おすすめに出てきましたので、一気見しております。日本と日本人を感じる動画で、なんともやるせなかったり、メンタルが共感しております。守りたいものたちです。今後も楽しみにしております。また、街歩きを再開したいと思いました。
今後も期待しております。
ありがとうございます。また是非みてくださいませ
血壁の動画を観たとき昔テレビで見た血の跡が残るお寺を思い出しました。
こちらの動画で取り上げてくれたおかげで歴史を知ることが出来ました。
前夜に酒を酌み交わした二人の心中を思うと悲しくなりました。
三河武士の御霊が安らかでありますように
最後にゲーム「刀剣乱舞」の刀剣男士にして源氏の重宝、髭切と膝丸のコスが映ってましたね。
実は私、刀剣乱舞にハマッてまして、ゲームの影響で日本史にも興味を持つようになりました☺
この動画のおかげで表面だけでなく闇から見た日本史史と民俗を知ることが出来ました。
良いチャンネルに巡り会えたと嬉しく思ってます😊
これからも動画を楽しみにしてますね❤
ありがとうございます。感謝
とても胸に迫りました
元忠と千八百人の、武士道を全うして散った勇敢な侍達の物語を、教えて下さった怪奇歴史さんに感謝いたします
彼らの冥福を心からお祈り致します
恐れ入ります。ありがとうございます。彼らも喜ぶと思います。
ご供養の為なのですね。昔の人は覚悟が桁違いですね。落ち着いた良い声で聴きやすいです。
ありがとうございます。
そうです、天井にする事で供養しているという意味があるようです。
ちょうどつい先週訪れたばかりでした。思い出しながら見入ってしまいました。解説まであってとてもタイムリーでうれしい動画でした。次回動画も楽しみです。
それは偶然のご縁ですね、
是非また動画みてくださいませ!
夫の転勤で滋賀県に住んだことがある。琵琶湖にも驚かされたけど、そこらじゅうに
歴史に名を残す将軍ゆかりの地や戦の地が点在し、ここは正に戦国時代の歴史を刻んだ
所なんだと、、関ヶ原は広い空き地だけどその真ん中に立つとホラ貝が鳴ってるような
気になってくる、、、安土城跡も必死で登った💦でも眼下に広がる琵琶湖をあの信長も
見たんだと思うと、🥹 滋賀県をゆっくり回ってみると戦国時代を感じる。
あのへんは多いですよね、すぐ信長とかの活躍した地域だし
@@怪奇な歴史研究室 さん
彦にゃんと握手しました(自慢)
カイツブリのCDも買って、歌を覚えました(自慢)
今じゃ完全な事故物件扱いなのに最後に生きた証を天井に使おうと残した当時の考え方が凄い。
たしかに
貴重な映像有り難う御座います。
8:00 あっぱれ忠元殿となっています。
壬生の精忠神社の奥に元忠公血染めの畳が祀られており、江戸開城まで伏見櫓に安置されておりました。
すみません、今日動画あげると決めていて、
仕事中の合間に最後の仕上げをして、夕方ようやくアップしまして、、
文字校正があまかったです。
これぞ忠義
血染めの天井は忠義忠誠の証
忠義忠誠の証を踏むことは許されない
元忠らの忠義は現在にまで伝わる。
勇敢さに心より敬意を。
恐れより畏れを感じる。
江戸幕府の礎になり、
自らの使命に命を捧げたサムライの物語です。
元忠だけでなく1,800人全員、
そして東軍だけでなく、西軍も己の信念に戦った漢たちでしょう。
今日も興味深い動画をありがとうございました。栃木県壬生町本丸にある精忠神社の祭神は鳥居元忠公です。
ありがとうございます。
血天井の一つ正伝寺に東京からかれこれ3度程行かせて貰いました。当時(40年程前)たまたま、お寺の和尚様が直々に案内してくれて色々お話して下さいました。初夏のじめじめした時は血糊がはっきり浮かび上がると。
手形とかあって少し怖いですよね。。
岐阜にも関ヶ原前哨戦で落城した岐阜城の血塗り天井の寺があります。個人的にそちらの方が衝撃的です...
岐阜にもあるんですね、それは知らなかった。
伏見城の血天井、以前から拝見してみたかったのですが、なかなか機会がありませんでした。今回の動画で拝見できたこと、本当にありがたく存じます。
そして戦で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
恐れ入ります、是非また他動画もみていってください。
ぐ…グルメレポート…
諫早、1800人の血ですか。凄まじいですね。
供養の為とはいえ凄まじい。
平和って大切ですよね。
その1800人が西軍4万人がかりでも全然おちず、
何日おとせず、何回も城から追い返されたんです。
城が良い城というのもありますが、すごい士気の高い1800人だったようです。
伏見城の戦いですね。守将は家康譜代家臣中の譜代、鳥居元忠ですが現在どうする家康でもゴリゴリに主役級で出てます。これほどの壮絶な最期を迎えた元忠を大河でどう描くのか楽しみです。
応仁の乱で、かなりの人が亡くなられたと聞きます。京都で「先の戦争」は太平洋戦争でなく、応仁の乱のことを言うそうです。聚楽第や西寺(さいじ)は戦国中期まで存在していたそうです。地下鉄烏丸線工事の際、お骨が、たくさん出てくるので、近くのお寺さんが供養しました。今でも、中京区内畑町周辺は、今で言う役所の柱が出土したりします。右馬寮、左馬寮、馬廻町、馬町とか地名で残っています。もうすぐ時代祭りで、京都も混み合います😂😅
先の戦争は、関東では完全に大東亜戦争の事なので、驚き。
どうする家康見ておらず、そういう意味では、この動画ちょうどタイムリーでしたね。
元忠はやはりでてくるんですねー、家康と何十年の付き合いの人物ですからね。
こんなところがあるなんて知らなかったです。
教えてくれてありがとう😊
動画も丁寧に作ってあってよき。
ありがとうございます。
良いチャンネル見つけました。
ありがとうございます。1~2週1更新とマイペースですが
是非またみてください!
私は三河に縁があり京都大好きなので
じっくり拝見させていただきました😊
三河武士、、
ホントに感心させられます…🥲
京都に行く時は島原に源光庵など
楽しみが増えました。
今回もありがとうございました😊
元忠は三河武士の鑑と言われます。
かなり士気が高く、4万人で攻めても1800人の抵抗で
ぜんぜん崩せなかったらしいですからね。
仕方なく、城にいる者の妻と子を人質に寝返らせ、
その者が城をこっそり開け、同時に火を放ち、ようやく崩せたようです。
今回も動画投稿お疲れ様です、
鳥居元忠公、そして亡くなった1800人の高潔な武士たちの冥福を祈ります。まさに「武士」としての誇り高い死に様だったと
思います。
その忠義の血が染みた血天井も閑静な寺の中で異様な雰囲気を漂わせているようなそんな気がしました。
主君のために死ぬ武士としての、漢としての覚悟がこの血天井から感じ取れたように思います。
その忠臣達の命をかけた忠義と血で徳川の天下が成り立ったのだと思うと戦国の世は惨いなと改めて思いました。
そうですね、なんというか禁断の領域とか、
そういう厳かな感じがする場所でした。
お寺自体も非常に美しいです。
@@怪奇な歴史研究室
庭もよく手入れされていて、
本当に綺麗なお寺ですね、京都に自分も行ってみたくなりました。
このお話はNHKか何かのTVでも見た事がありますが、コレほどハッキリとしたシミが有るとは知りませんでした…雨漏りした天井みたいで驚きました👀歴史巡る旅は素敵ですね。
一度は訪れてみたい場所の一つです、貴重な動画ありがとうございます
ありがとうございます。ちょっと京都中心から外れますが、良いお寺ですよ。
いつもありがとうございます😮
とんでもございません
さすが京都ですね。
修学旅行と仕事で一度訪れただけですが、京都中心部以外でも色々とありそうですね。
むしろ観光客の集まる場所より、郊外の方が歴史を感じられそうですね。
魔界の総合商社にやられました!
京都はすごいですよね、マニアックなところもけっこうあります
鳥居元忠の遺書を見て泣けました。
感動しますよね
京都行きたくなりました。Thanks for posting this.
京都は雰囲気がいいですからね、轆轤町とか最高です、ここも昔の風葬地ですが、路地とかがいい。
血だらけの板をそのまま施行する大工さんすげえ
たしかに笑
源光寺、行ってみたかった場所だったから興味津々で見た。でもまさか多くの犠牲者の血が染み付いた床板を天井に使用し、弔いとしていたなんて知らなかった。
本当に武士として誇り高く最後を終えた犠牲者の方々の思いが残る、忘れてはならない場所だと思った。
唯我独尊みたいに、独特
他の動画とは朗らかに違う魅力がある😊
ありがとうございます。
オリジナルの価値をお届けする、もテーマなので、
そういっていただけるととても嬉しいです。
戦国時代など戦乱が絶えない時代は犠牲になった者達の血濡れた歴史で成り立っているのだなとつくづく思いました。
血天井はなかなかにインパクトの強いメッセージ性がありますね。
インパクト大です。よく考えたものですよ。天井にするという発想がすごい。。
1997年に養源院に行き、そこで初めて拝見しました。他にも血天井があることは知ってましたが、こちらは知りませんでした。養源院は手や足の痕、顔の痕もありました。解説聞いて納得、供養しようにも、東軍が周りにいないからどうにもできなかったんですね。伏見攻めが7月中旬だから約二か月放置か…
大河ドラマ「どうする家康」を見てたので、そのシーンが蘇りました。アッパレな戦いでしたよね。血染めの天井もドラマの後に紹介されテレビで見ましたが、この動画で改めて血染めの凄さが解りました。
蒲生氏郷が、関ヶ原の戦い、大坂の戦いまで生きていたら歴史が変わっていたかな。氏郷が城替えになり、伊達政宗や佐竹氏も緊張したと思います。戦い、教養、所領経営、家臣や領民を思いやり、など蒲生氏郷が生きていたらと思います😮
京都在住ですが、主さま紹介した地域の玄琢は、野間玄琢という漢方医の名前が由来し、近くに野間氏の墓所があります。玄琢から京見峠を越え、周山街道、福井につながります。周山という山は無く、明智光秀が丹波攻略のために築城した城の名を中国の地名か領主の周が由来と聞きます。😮 主様の視点から、佐竹氏、蒲生氏郷のご紹介を楽しみにしています!!勉強になりありがとうございます😮
それもなかなかマニアックでいいですね。
数ヶ月前このチャンネルに出会い歴史にそれほど興味がなかった私でしたが、ドンドン引き込まれてしまいました。毎回とても興味をひかれます。この動画の途中、一瞬途切れ、動画が終わった瞬間スマホの電源が何故か切れました💦
えーーっ⁉️
ありがとうございます。そう言っていただけると大変ありがたいです。
右京区の広沢あたりの忌み地も調べて欲しいです。
そのあたり何かいわくの場所ありますか。
家康と酒を酌み交わすのは様々なドラマ等で見ましたが戦闘後の話しは知りませんでした、ありがとうございますm(__)m
しかし為になるチャンネル(^^)
いえ、ありがとうございます。
あとは決闘したという説もあるみたいですが、
多くはこの敵との切腹のやり取りが語られていますね。
京都はお寺が多いから。動画有難うございます。
天晴れ、鳥居元忠死して今に名を残す
忌み地なれど歴史感を感じる動画、天晴れ
あっぱれです、三河武士の鑑、鳥居元忠
撮影時誰も居ないことに驚きました。私も一度は伺ってみたいです。有難う御座いました。
ちょうど帰り際に一組きましたかね、それくらいです。
ただ、これから紅葉の時期はあそこはそれなりに人が来るそうです。
悟りの窓から見る紅葉も有名です。
最後に飯見せられても感情が追いつかない😂
笑
こんばんは😂
確か鳥居元忠は死を覚悟していたと聞き及びます。
妻は武田四天王1人馬場信春の娘だと言われておりますね🎉
織田信長の武田残党狩りの時に保護して匿ってそれを聞いた徳川家康は元忠の事を
抜け目ない男と評価しておりました。
動画配信頑張って下さい🎉
そう、元忠は三河武士の鑑といわれる人物ですね。
「ご遺体」と呼ぶところに主さんの考えがよく出ていて素晴らしいと思います。
ありがとうございます。言葉の使い方が難しいですが、
なるべくリスペクトを込めたいですね。
京都の中心部から見れば、ここは本当の京都では無いのかもしれませんが、田舎者の目には
さすが京都の寺は美しく洒落ていると映りました。
勝手な想像ですが、「あれ等のしたことを見よ!」という家康の怒りと無念の表現でもあるように思いました。
今回の動画もとても良かったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
京都のお寺は洒落てます、たしかに。
最後の文字、元忠→忠元になってますよ笑
忠元と言えば新納忠元、信長の野望で鉄砲強くて使ったなぁ
そう、間違えてしまいました、申し訳ございません。
お寺の名前は忘れたけど昔見に行きました。
住職さんが外出中との事で奥様が案内してくれて今と同じお話を聞きました。
他にも数箇所あると聞いてたので見ることができました。
ありがとうございます😊
京都の寺社には何度も刀をテーマに見に行きますが違う歴史視点で出かけるのも良いですね
最後の方に源氏の刀(髭切、膝丸)のコスプレした方がいて驚きました😏
本物の斬りあいをした歴史と
コスプレで剣士になりきる現代の平和の対比を表現しています
京都は魔界の総合商社…面白い例えですね。
昔旅行で京都をまわったのですが、写真を撮ればオーブだらけ。おみくじを清水、八坂とひいたのですがどちらも凶がでました。これはもうここへは来るなということだと思っています。
まあ区2連続であれば、大丈夫じゃないですかね。
なんかもっとヒドイ事にあったとかでなく、現在ご無事なわけですし。
正伝寺行きました
誰かに見られてる気配を今だに憶えております
いつも楽しみにしております
ありがとうございます。
こんにちは。大阪、奈良、京都かなりの血が流されてきた土地のようですね。京都は流石に多過ぎます。島津は援軍を差し向けたが断られたとか。伏見城は鉄筋コンクリート製のが建ってますが、実際の跡地が不明だとか。そういえば秀吉が伏見城を建てるのに桓武天皇陵墓を削ったという逸話も有りますね。
鳥居元忠公は家康が今川家の人質時代から仕えてきた重臣であり、同時に忠義に厚い男だったそうです。元忠公のこの活躍のおかげで
鳥居家はこの後数十年後に改易の危機に見舞われた際も減俸処分に済んだそうです。
京都在住です。😮呉服取引先で鳥居さんという方がおられました。武士で永く戦うより、城勤めの間にさっさと戦をやめ、帰農し、豪農に転じたほうが良かったと悔いておられました。京都は、朝倉、浅井を名乗る武士家系の人も一定数おられます。京都民は、なぜか新撰組の評価が低いですが、桓武天皇、冷泉家などは、大好き!派がけっこういます。😮😊
平安時代はお亡くなりされた方は土葬にもされず、道端に横たわる?飢饉などが流行るはずです。鳥インフルエンザや豚熱が出れば、地中深く埋められてしまうのに、こんなに当時の人な価値は低かったのは何故?死んでも死に切れなかったのではと痛感致します。
武士の魂は永遠に。主従関係の奥深さと情けに希薄になってしまった社会を憂う。でもこれが昭和の戦中と敗戦まで続くんですね。
この風葬とか鳥葬(鳥がついばむから)はご遺体が放置されているというより、
「自然に土に還る」ため、自然にあえて野ざらしにしていた、という意味合いもありました。
あーそうです、末裔がやらかしても、あまり罪に問われなかった有名な話がありますよね。
私は京都の知人の案内で大原三千院の血天井を拝見しました。
血の跡は彼らの生きた証。。
命の永遠に繋がる歴史、尊いです。
血天井でしたら養源院のものが相当でした。あそこは鳥居元忠公のものと言われる血の跡がありますね。
この動画で言われている手の跡があるところというのは養源院のことでしょうか?見た覚えがあります。
一度行きましたが、「これが鳥居元忠のもの。顔がこの辺り、腕はここ…」とお寺の方に説明され、その形が浮いて見えてゾッとしました。
切腹して死んだとか討死したとか諸説あるので本当に元忠公のものかはわかりませんが、訪れたその日に高熱を出したのでほんとにやべーところだわと実感した記憶が鮮明にあります。ほかの血天井では体験しなかったです。
養源院は撮影禁止でしたよね。淀殿が建ててお江が再建した寺なのでその佇まいを見学に行くだけでもいいかもしれません。
京都の血天井は有名なので存じておりましたが…
そちらは床を掻きむしった指の跡形がくっきり残っておりました。
命を賭けた戦いを今時のコスプレーヤーは考えた事ないだろうなあ。
コスプレイヤーが闘士の恰好していて、
本物の闘士が戦った血天井みてきた後だったもので、
そのコントラスが斬新で、平和な現代との対比をエンディングで表現しました。
岐阜にも信長公の孫が守り落城した岐阜金華山城の血天井がありますよね。
そこも行ってみたいですね
こんばんは。鳥居元忠および伏見城の戦いで亡くなられた1800の武士、また亡くなられたすべての方々の御冥福をお祈りいたします。多くの方が残した血もお寺の屋根板に遺ることで現代にその悲惨さをつたえていますね。この伏見城の戦いの後にも沢山の戦がこの国であり、また外国との戦で多くの命が失われました。しかしこの伏見城の出来事を多くの人と共有し未来に語り継ぐ事で今後も平和を訴え続ける遺構となることでしょう。世界中の戦争が無くなりますよう。改めてご冥福をお祈りいたします。
鳥居元忠は家康に見捨てられたのですね。島津の軍勢を入れていればもっと籠城出来たと思うのですが…
元忠様の抵抗で西軍の動きが遅れ、上杉勢との挟み撃ち作戦は失敗し結果本戦の東軍勝利に繋がった
昔から戦は愚かなこと
今回はいつもみたいな悲劇の地に赴くというよりはその悲劇の地の痕跡を使って供養のために建てられた寺に行く動画なので暗い内容の動画ではなく
感じます
家康は本当に優秀で忠義の厚い部下に恵まれてましたよね。
やはり天下人になる人はそういったものを持って生まれてくるのでしょうか。
撮影や編集も素晴らしいと…余韻に浸ってたら髭切、膝丸のコスプイヤーまだまだ知らない史実に浸ってたら急なオタクネタで…ある意味日常に戻りました
エンディングは旅のまとめと、表現をいれてたりして、
本物の武者の血を見たあと、剣士のコスプレとかしている人たちがいて、平和の対比的な。
栃木県壬生町の精忠神社には元忠が自害した血染めの畳を埋めた「畳塚」があります。
洛東の養源院にも血天井あります。私は俵屋宗達の白い象を見に行ったんですが。ここは徳川氏の菩提所でもあります。
中二修学旅行生「俺も血のこす!JUMP!!」
かなり前に訪問しましたが、手形が残っている箇所のありましたよ。
素晴らしい、としか言いようがない(喜)
有難きお言葉
9月末にコロナになっちゃって織田信長様の歴史とかじっくり見る事が出来てから日本のお城とか歴史に興味を持ちました。昔の人は凄いです。
災難でしたね、でもそのおかげでじっくり時間ができたと思えばプラスですね
どうする家康
今夜の放送が元忠の伏見での戦いの前段ストーリーでした。😢
沢山の命が散ったのですね。
それだ、日曜夜にこの動画、急に再生数増えるw
徳島市の丈六寺にも血天井が伝わっています、長曾我部勢に暗殺された武将の物だと云われています。
ぜひ歴史を学んで京都に来て下さい🙏
ちなみに南禅寺の水門は幽霊だらけ、京都国立博物館の地下にはとんでもないものが埋まってるそうな?
千本通は、夜通ると本当にやばい。千本北大路は、鳥肌立った。
まさに三河武士の誉ですね。
岐阜市にもあります。
源光庵でも足形とこすりつけた手形は残ってますので、皆さんぜひご確認ください!
京都北区 鷹峯ですか。源光庵、遠いねウチは左京区やし。立派なお寺さんですね。
曹洞宗なんですね。福井の永平寺は行きました。
風葬の場所を鳥辺野鳥辺野と言いまして清水寺の後ろに今でも存在しています。清水寺は征夷大将軍 坂上田村麻呂が建てた778年古いですよね。
やはり京都は立派なお寺が多いですね。東京も浅草方面とかなかなかですが、
京都は雰囲気が違いますね。
@@怪奇な歴史研究室 自慢たらしくてすいません.幼稚園が西本願寺の隣りの日蓮宗大本山本圀寺内にありましてそこで遊んでいたもので、お寺はそのくらいの大きさだと思っていました。
いえいえ、地元愛があるのは立派な事です
今風に言えば、
「この血の染み込んだ板を寺の天井板にして供養としましょうよ」
↓
「イイネ👍」
みたいな流れだったんでしょうけど、その世界観が全く理解できないw
まぁ実際は血が残ることはないらしいですけどね。でも割と似たようなところが多いということは昔から床を天井にして供養することはよくあったんでしょうね。
鳥居元忠なのに最後の解説では忠元と言ってましたね⁉️
ひい、すみません
@@怪奇な歴史研究室
いえいえ~❗️ご丁寧なお返事ありがとうございます✨
鳥居元忠は三河武士の鑑と言われているけど、
もし島津軍を追い出さなかったら、数百年後に徳川幕府が崩壊することはなかったかもしれない
京都三十三間堂と隣接している養源院の血天井を見ました。案内していた坊さんが、「ここの部分が元忠が討ち死にした場所で、ここが頭でここが足の血の跡」と断定して言った時は、さすがに想像力が飛躍しすぎの解説と思いました。写真撮影は禁止でした。
鳥居元忠ですか?
今から30数年前に見てきましたよ。
裏切った者は戦後、どうなったんでしょうねー?
俺だったら草の根かき分けてでも探し出して磔にしますわ。
家康。。。
千古香り高き武士の花
南方熊楠の『幽霊の手足印』(「人類学雑誌」30.9. 1915年3月)には、兵庫県尼崎市のとある寺堂の天井に、戦で死んだ幽霊の夥しい血付きの足跡が浮かぶという噂を幼少期、亡母から聞いたと書かれています。
また『甲子夜話』続編巻八十五には、方広寺中書院の板天井一面に手の跡や足形が浮かぶという話を紹介されています。
前者は現存はおろか何処の寺堂か特定はされておらず、後者は秀次の切腹、側近の腹切り、差し違え等して死んだ時の板を天井にしたものと言われております。
よろしければどうぞネタに使用して頂ければ。
おお、ありがとうございます。
宇治の興正寺にも血染めの天井がある
正面から入った事ないなぁ
血のしみた床材をお寺の天井に使うとは驚きました。
こういうご供養もあるんですね。
ほんとに血飛沫が生々しく残っていて凄まじい。
三河武士とはなかなかに慕われたものですね。
いつかお参りしたいものです。
タイトルが西軍全滅になってます
なおしやした、、すみません!
伏魔殿かよ
さぞ臭ったことでしょうね。
どうやって健材として処理したのでしょうか?
なんか干したりしたんですかね。