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天皇さえ入れない?。40年位前にNHKで時の昭和天皇が出雲大社の本殿に入ってその天井に描かれていた絵を宮司と一緒に見ていたのを記憶している。ここは一般の人々は絶対に入れないところだと解説されていたのを記憶している。天皇だから特別なのだなあとそのときに思ったのを覚えている。その時にテレビに映った画像では、薄暗い中に見えて確か雲の絵が描かれていたと思う。
勉強になりました!神魂神社は【かもすじんじゃ】と呼ぶんですよ〜😊大庭(おおば)のおおみやという場所で私の1番好きな神社です!大社もいいけど、神魂神社にも是非行ってみてほしいです!
神魂神社、大好きです(*^^*)
天井絵の雲(八雲)が九つ有るとテレビ番組で言ってましたね。あと出雲大社の本殿は天井絵八雲が七つしかないとの事でした。
神魂さん、いいですよね!!
出雲を公的に任されて大社の権限を任された国造にとっては本拠地だから、意宇川流域は重要な場所だと思ってる松前健氏曰く神魂神社は出雲国造家の氏神的な社じゃないかと考察してる古来の祭祀を今も続けてるなら、国造は世継式に神魂、熊野大社(八雲の)を今も使ってる筈だからこの一帯は出雲ロマンが固まってる土地
天皇すら入れない…というか、天皇家だからこそ入らない場所。
何で?
出雲大社に深くご縁を感じるので、とても嬉しい動画でした‼️有難うございました❤
神社の鳥居の朱色も、いろんな説がありますね。平安時代初期の朱色は、現代の朱色よりも渋い土色だったとも聞きます。大神神社や出雲信仰、興味深いです。
出雲大社の言い伝え、素晴らしい考察だと思いました😮😮😮😮八百万の神の宿泊地、万九千神社にも触れて欲しかった😂😂😂😂
万九千神社、神々様の飲み会会場ですね。(*>∀
解説にも正面の話があった様に、出雲大社で拝礼する際は、多くの人が通常参拝している正面の左(西側)の方からするのが正式だそうだ。私は福岡に住んでいるが、出雲が大好きで、ご当地ナンバーである出雲ナンバーが欲しくてたまらない(それには住所移すしかないが😅)❤護衛艦いずももカッコイイといつも思ってしまう😊
なぜ、明治4年に改名させられた杵築大社を出雲として話をするのかもわからない、出雲風土記にも大国主は出で来ないのに
いつも、めちゃくちゃわかりやすい解説&かわいい二人に感謝です❤エンディングの曲、歴史浪漫にすごくマッチしていて大好きです😘🧡🎉
「ぜんざい」という名は出雲発祥らしく、昔、朝廷の直轄地だった頃に朝廷の役人が駐在してたそうで、神在月のお供え物を見ていた役人が都で見たことがない食べ物を見つけ、「あれは何だ?」と尋ねたところ、尋ねられた者はお供え物の総称のことと思って「神在(じんざい)」と答えたが出雲訛りのせいで「ぜんざい」と聞こえたらしく、役人はそれを都に伝えたそうです。だから、お汁粉がなかった都ではぜんざいという名になったらしい。
地域起こしで出雲神在を提供していますが、白玉の所と松江〜伯耆地区の小豆雑煮の影響で焼き餅を入れる所とあとますね。後、じんざいの出所として隣接した神西(じんざい)地区の神社で供されていた供物であったという説を当該の神西地区の人々が主張しています。
お汁粉のルーツ何処が発祥なんですかね?中国語だと紅豆湯と言いますが日本のそれと全く同じ味です。
出雲では元々「じぇんざい」と発音すると思います
まさかの神事に関して巫女の霊夢が魔理沙に質問してますね😂 面白かったです
途中で「杵築大社」として出てきた写真は、武蔵境の杵築大社様ですか?
出雲地方についてとりあげていただきありがとうございます。松江にある神魂神社はかもすじんじゃ、と呼びます。
国士舘大学の先生の話のまた聞きですが。関東の神社の8割はもともと出雲系の神社。東京で有名な赤坂の氷川神社、神田の神田明神、府中市の大國魂神社などいずれもまつっているのは出雲系の神で、京都系の神社が増えたのは鎌倉時代以降とのことでした。もちろん関東にはもっと古い神様もいて、僕が以前関東(横浜)に住んでいた時、近くの神社には「オモダル・アヤカシコネ」を祭る神社もありました。
大和朝廷の前にも神社があった。〜古代王権の残像
今はアマテラス様を祀る神社でも、元々の祭神はオホナムチ様やタケミナカタ様だったりする。まあ、過ぎた話よ。昔も大事だが、今や未来のが大切さ。
48メートルもの柱、大神殿興味深いです。京都洛中に仏教勢力が確立した室町時代に相国寺の塔は、京都タワーの高さくらいはあったとも聞きます。出雲大社の神殿をもし現代に再現しようとしても、太い木材は国内で調達できないかもしれません。
出雲市民として、取り上げてくれてありがとうございます😊🥰🥰
小泉八雲も有名人💙
出雲大社より東に東出雲という街がありそこには映画にもなった黄泉の国の入り口が有り出雲大社より東側が鬼門であったと聞いたことが有ります!
大変面白かったです。が、天皇すら入れないってのは、どうなったんだろう?出雲大社(杵築大社)と宇佐神宮の関連として「杵築」という地名にあり「四拍手」も同じ。何か関係があるのかもしれない。で、最初の国譲りの部分を「宇佐」として見てみると、国津神が宇佐にいて国譲りをしたとも見える。これって邪馬台国じゃね?記紀では景行天皇の「土蜘蛛」退治としているが、「土雲」としてみると、同じ蜘蛛なのかもしれん。
皇室の皇女さんが出雲大社の息子さんと婚姻したと10年ほど前に報道されていた。身内になれば本殿もお詣りできる〜だろう?
宇佐八幡宮も無視出来なかった地域の勢力〜古代王権の末裔かも?同居していた~?天皇になろうとした道鏡をただしに宇佐八幡宮にお伺いに行った。
特に何の関係性もないよ。明治以前は神社ごとに参拝の作法が異なり一拍手から八拍手まで様々な作法があった。それを明治政府が無理やり二礼二拍手一礼に統一したから参拝作法の多様性が失われた。出雲大社も宇佐神宮も明治政府に逆らって昔ながらの作法を現代に残した。だから似ているように見えるだけで特に関係性なんてない。
@@wayamato9226 皇女ではなく女王ですね。高円宮典子女王です。
宇佐八幡宮の三神の真ん中の神をひめみこ、これは卑弥呼を連想させる~出雲大社は邪馬台国の後継国だったので西向きは邪馬台国への敬意?邪馬台国はヤマト王権と対立して滅ぼされたので出雲は大和朝廷に反旗を翻さないが不服従?同等の地位だから天皇と同じ大きさに作って欲しい。
宮司の方や社務の方が注連縄の前を通る度にお辞儀をするのがとても印象深かったです信仰の深さが伺える出雲大社でした。
屈行といって、正中を横切る時は、頭を下げる作法があるのです。信仰の深さとは、全く関係がありませんよ。
@@ats4wd そーなんですねーでは何故その様な作法をするのですか?
@@旅の吟遊詩人哲也 正中の意味をご自分で調べて下さい。その方が納得できると思います。それと、私は出雲国造一族ですが、最近の大社の神職はサラリーマン化していて、大社の歴史を知らない神職が多いです。就職では無く「奉職」しているのですから、奉職した以上は、自分自身で奉職した神社やご祭神や氏地の郷土史のことを勉強すべきだと思いますよ。
@@ats4wd 普通に観光者の感じたままをコメントしただけですのでこれ以上は、ご容赦下さい。
二礼四拍一礼は、出雲大社の他に宇佐神宮・彌彦神社が
「朝鮮半島などから先進的な文化が入り」と解説されているが、朝鮮半島が日本より先進的だった時代があるのですか?写真の社殿も出雲大社では無いし、いい加減な印象を受けました。それに注連縄が大きいことで有名な神楽殿は千家国造家が主催する明治時代に立教された「出雲大社教」の建物であって、出雲大社の建物ではありません。観光団体のガイドさんたちも無視していますが、入り口に「出雲大社教」と立て看板があります。出雲を知らない多くの人を混乱させるような、いい加減な内容を謎などと称して吹聴するのは如何なものかと思います。
少なくとも飛鳥時代までは高句麗や百済は倭国より遥かに進んだ中国文化の国でした。新羅は独自の文化だったので後れを取りましたが、5世紀から急成長して7世紀には半島統一してます。日本が飛鳥時代からがんばって8世紀の初めに中央集権の律令国家&仏教国家になれたのは、倭国の軍事力に期待した半島国家の協力よるところが非常に大きいです。
出雲大社の一組にされた三本柱には貝が付着しおり、このことにより巨大な出雲大社は海の中に聳え立っていたと聞いた事があります。
😅😅😊😅😅
出雲が四拍手なのは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂それぞれに柏手を打っている、という説は初めて聞きました!どこかのガイドブックで「無限を表す八という数字が特別だが、八は多いので半分の四」といったような説明が載っていて、???と思っていたので、なんだかとても腑に落ちました……!!
島根出身だけど、世間一般的に出雲大社は縁結びの神と言われるけど、実は祀られてるのは女の神様でカップルで行くと神様が嫉妬すると言われ、喧嘩したって話も多々…‥……
そうなんですか😅初めて知りました😉昔聞いた話では、千葉県の成田山新勝寺もカップルでお参りに行くと神様が焼きもちを焼くので一緒に出掛けてもずらして別々にお参りするようにと。本当かどうか⁉️わかりませんが…。
私が聞いたのは、「縁を結ぶ」のが仕事なので、カップルで行くと別れさせられると聞きました。
わしゃ3人連れて行って全て別れたぞ。まあ、風が吹いてから連れて行って言い訳にした感が強いが(笑)
🗽🗽イザナミと言う女神が祭神?
初詣行ってめっちゃケンカしました。良い思い出です。
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。
誤 出雲大社東京分祠正 出雲大社教東京分祠ですね。出雲大社は島根県出雲市大社町の一社のみですよ。
@@ats4wd 明治時代以降島根の出雲は出来ました、そもそも、日本中に出雲と言う地名が沢山あります、出雲国風土記は古事記と全然関係の無い物ですよね。
@@夢野琴音-j1m それは誤解です。天平五年(733年)に上梓した出雲国風土記に出雲郡杵築郷に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおみかみ=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた」と書いてあります。他の記述から見ても現在の島根県の出雲に相違ありません。
築木の大社については大国主が天津神に出した条件の意味は、逆に早素戔嗚命とのスセリ姫の娶りの条件として、「天に高く千木聳えさせて其の中に居れ(=出雲の王として君臨せよ)奴め」という言葉を投げ掛けたのも影響してるのかな。
よく勉強なさっていますね。その説に一票!
入口の最も高い場所に立っても社殿を見下ろさない位置関係になる位の高さは有ったのかもしれませんね。その頃にも砂丘が有ったのかは分かりませんが。
私が読んだ本には元々出雲民族は青森が本拠地で青森と出雲に分かれたとありました。出雲は大和に侵略されて出雲民族は青森に帰ったとありました。
現在の青森から秋田の範囲ですね。
出雲の言葉の発音は、山陰の他の地域と異なり、東北弁のようです
@@suzukimasako6965 松本清張の「砂の器」でも犯人逮捕のヒントになった話ですね。
青森と出雲、海洋民族として日本海を往き来した縄文人の末裔なのかしら。昔 秋田の旅館に泊まった時に、温泉の木組みの天井の高さが地元界隈の温泉では見たことがないほど高くスケールが大きくて驚いたことがあります。縄文由来の建築技術もあったのであろう…とロマンが広がります。
pei neroさん:それで、青森の「三内丸山遺跡」に繋がるんですね。5500~3500年前或いはそれ以上前とも言われています。また、別の説では、三種の神器は、シュメール文明の頃友好国の印として互いに持ち合った物で、誰か忘れたが天照側が我こそが神の印と見せたら、大国主側も同じものを見せたと言う事です。大国主が先に渡来した後のユダヤ人と言う事です。歴史は本当に面白いですね!
「敵あるいは対抗勢力に記述を割くだろうか?」
巨大神殿が当時の技術で可能か過去NHKスペシャルで検証されたことがあり三本柱を立てることは可能とされた。仮に48mとすれば法隆寺五重塔の1.5倍もあり、現代にあったとしても「圧倒される木造建築」である。厳密な高さは別としてもピラミッド同様に信じがたい建築技術により建てられたという大筋は正しいのだろう。
NHKさま拝見しました。
かなり昔に見た様な…確か柱の木材になりうる木が存在していたのかも議論されてましたね。当時は木の成長限界だか毛細血管現象がどうとかで50メートル以上の高さまで木は育たないとか言ってた様な。そして確かな事は残念ながら今の日本には柱になり得る木は生えていない事。
柱状節理があるので、巨木の柱はあったのかもね
0:47 出雲大社として動画内で言われているこの神社はどこにある神社です?大社町民でちょくちょく行くのですが見たことがなくて気になりました。
茨城県の常陸国出雲大社です。分祠だったけどつい最近喧嘩別れして独立した神社です。
昔から「雲太、和二、京三」と言いますよね。子供の頃に出雲大社が日本一でっかいと習いました。現実にはそうではなかったので、古代には巨大神殿があったのだろうと子供心に思っていました。ちなみに私は太宰府と櫛田神社の氏子を親戚に持ち、子供の頃は宗像神社近辺に居住していましたので神話や古代のロマンが大好きです。
日本史はロマンが有りますね。ただ動画の中で優れた半島文化とありますが、1894年に旅したイザベラ・バードの「朝○紀行」を読んだらそうでもなさそうですけど。出雲は諏訪も繋がってるような気がします。
李氏朝鮮以降がgmなだけでそれ以前は普通だったぞ
諏訪大社のは、大国主命の子であるタケミナカタ命が祀られていますからね。因みに今の諏訪大社の宮司は、北島国造家一族の人ですね。
1800年からの私物化両班政治で堕落しまくった李朝末期と千数百年前の古代半島文化を混同されているようですが、全く別物です。日本書紀を読めば、特に古墳時代、飛鳥時代に高句麗、百済、新羅から多くの優れた文化や学者、僧、尼僧、技術者が渡来して日本の発展に寄与したことがよくわかりますよ。
注連縄が逆なのは、穢れの世界の王である大国主命に対して、「出てくるな。」の意志という説もある。
神魂と書いて「かもす」と読みます。縁結びで人気の八重垣神社とは、歩いて行けます。
上流から砂鉄が供給され、鉄器の開発製造の拠点だった事に注目しています。
四魂の話だと古神道の話になってきますね。
昔の首都だと思っています。ロマンだな。
天皇すら入れない場所について、動画内に出てきました?それに惹かれて見に来たんですが、概要欄にサラッと書いてあるだけなんでしょうか。
出雲王家の伝承というものがあります。その伝承を、唯一つの王家、富家が代々口伝のみで今に伝える歴史は、門外不出と言われながらも、可能な限りの範囲で、書籍で発表してます。古事記、日本書紀とはまるで違う真実が書かれてます。大元出版を検索してみて下さい。
先祖代々門外不出を守ってきたものを書籍にして発表、歴史ある決まり事を金のためなのか軽々しく破る人間が発する言葉に真実があるとは到底思えない。
@@にわか侍-r7n あっさ
@@ウォウウォウトゥナイト は?何が?
今年(2022年)の5月に出雲大社に行ってきました。稲佐浜も行きました。綺麗だったなー
柱で高くに作られていたものを、どうやっていつの時代に下に下ろしたんでしょう?大きなしめ縄をどうやって作ったかも謎です。
大林組がシミュレーションした本がでてます。杵築の大社は何度も倒壊、再建しています。降ろしたというより、断念したのではないかと個人的には思います。
出雲が栄えたのはこの辺りはよい砂鉄がとれ製鉄が盛んでそれも要因のひとつではないかなとか?
荒神谷遺跡に銅製の剣や銅鉾が埋められていたのは大和の新興勢力に従っていると言う事を見せる為?
出雲のすぐ東には、安来のたたら製鉄、武器庫の兵庫。
出雲大社の裏にある境内社【素鵞社】と元出雲である【出雲大神宮】についても言及して欲しかったなぁ
伊勢神宮へは2回行きました。初めてお参りしたときにその荘厳さに圧倒されたのですが、出雲大社も同様のものがあるのではないかと思います。是非とも一度お参りしたいです。
伊勢神宮と出雲大社と日本列島の中で棲み分けしている?近年出雲大社の近くで銅鐸や銅剣が埋設されているのが見つかった。旧文化圏が銅戈や銅鉾の新式武器に征服されたのが出雲大社圏。神無月に日本の八百万の神々は出雲の稲佐の浜に集まったと言う~伊勢神宮勢力は旧勢力の出雲勢力圏に敵対を示さないのは邪馬台国や奴国は魏と朝貢関係なので魏と敵対するのは得策でないのではないと判断した為か〜
出雲大社の神の座る位置が横を向いている・・これは鹿島神宮と同じ 二つしかない 鹿島神宮、香取神宮、息栖神社 高天原という地名がある。鹿児島は鹿島の子供と書く。鹿島から鹿児島へ府目で天孫降臨という説も!
出雲大社の近くの海底に 参道らしき所が有るそうです。
出雲っつーと、大化の改新以後は(現在の)島根県の半分程度だが、古代はもっと大きかったのかも。戦国時代の最盛期の毛利氏の勢力圏みたいに。大和の勢力圏が近畿・東海に広がってたように出雲を平定したのち、大和はオオクニヌシに巨大な宮を作ったが、二度とこの世に出てこれないように、しめ縄を逆に張った。しめ縄は、魔物や疫病が入ってこれないように張るもので、逆ということはオオクニヌシを封印したという呪詛なのです。それはそれとして、日本の開運神社仏閣100選的な、ゆっくりチャンネルがあったら良いのに
現代における山陰山陽を束ねて『中国地方』と称しているのは、当時の日本の範囲の地理的な中心地域だったからと見ています。その中国地方の山陰側中心地域が出雲、山陽側が吉備。当時のヤマトがこれらの土地を特別視していた事が窺える……
コロナが落ち着いたら行きたい所💓神魂神社も気になってグーグルマップに覗きに行ったらとっても素敵な所でした
北島国造家が代替わりの時に籠るのは、確か神魂神社だったかと。
神魂神社は「しんこん」ではなく「かもす」と読みます。
10年前ぐらい前に出雲大社に行ったら修繕中でちゃんと見れなかったなw 機会があればまた行ってみたい。
神魂神社はかもすと読みます鬼が云々すると魂は和魂と荒魂ですか・・・
古事記に出雲について書かれたのは、大国主命はスサノオ(須佐之男)の子孫で、スサノオは天照大神の弟だから。スサノオは嵐や台風の神様で、その暴れっぷり(う〇こを投げつけるなど)で高天原を追放されている。また、大国主命と七福神の大黒様は同一人物(正確には違う)だと言われている。神話じゃなく、現実的には私的には出雲は物部氏の領地だったと思う。
縁結びパワーというのは昔からあった模様です。天照大神の子供の1人で大国主に仕えたアメノホヒの末裔の出雲国造家は結構な数の支流や分家があって著名な武蔵国造や遠江国造、土師氏などなど末裔がたくさんいて古代朝廷の要職や地方の主みたいな役職に就いたお家が多いんだとか。
土師氏の子孫が菅原道真公ですね。
国津神→天津神 の間違いです。
神魂神社= かもすじんじゃと言います
島根県民です。出雲大社を取り上げて頂きありがとうございます。出雲大社は縁結びの神様として全国でも有名です。良縁に恵まれたいと思った人が参拝すると、良縁に恵まれると言われています。縁結びは、交際相手だけではなく、友人や仕事仲間やお金など、さまざま縁を結んでくれるとも言われています。また、出雲大社に参拝して、結ばれたカップルが二人で出雲大社に参拝すると、別れるとか、喧嘩するなどと言われています。カップルで参拝すると、神様が嫉妬してしまうとか…。
出雲大社は元々杵築大社出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神[1]。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社[2]。神社本庁の別表神社[2]。宗教法人出雲大社教の宗祠。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[3]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。名称古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。 古事記とは縁もゆかりもない場所です古事記の国産みにも登場しません!!
しかし、大和朝廷が無視できない巨大な存在であったから、多くの出雲神話が古事記に掲載されたとも言われています。編纂した太安万侶も出雲の人。
@@ats4wd 徳島県と香川県の沿岸部が出雲です。
数年前に行ったら氏子は中に入れると言われましたね
私が実際に現地で確認した、しめ縄が逆向きの神社・出雲大社(祭神:大国主)・日御碕神社(祭神:天照大神・素戔嗚尊)・鹿島神社(祭神:武御雷)ほか多数私が実際に現地の神職・神主に確認した御祭神が西向き(横向き)の神社・出雲大社(祭神:大国主)・神魂神社(祭神:伊弉冉・伊弉諾)・佐太神社(祭神:佐太大神・天照大神・素戔嗚尊)ほか多数色々な推測がありますが、私はただの地域性だと考えます。
大和朝廷と言う新興勢力に対して自らの勢力の出自は古代王権だと主張している?
今現在掲示されている由緒書きは、過去に書き換えられたものもある。祭神は変わる。過去にオオクニヌシを祀る神社がアマテラスになってたりする。
地元民としては出雲の国造家は元々神魂神社周辺を治めていてその後に出雲大社に移ったと聞きました。古墳や史跡を見ると古代の出雲王朝の中心は松江の出雲郷から大庭辺りだと勝手に思ってますそのあたりの関係かと
左が細くなってるは《入舟》右が細いのは《出船》出雲大社の《出船》は大国主命の国譲りから来ているのか?
《出船》右側が細いのは左側が重要な位置を示す。出雲系。古代住居の室内の上座を示す?
高さ96mと聞いて出雲大社のイメージがバベルの塔になっちゃった
古代史については分からないことが多いため、いろんな人がいろんな説を唱えている。この動画もそれらの説の一つに過ぎない。そして自分の説もその一つだ。自分は、出雲大社は大国主の怨霊を幽閉するために大和政権によって建立されたと考えている。だから社殿は窪地に建てられているし、本殿も大国主も西向きにされている。大国主を幽界に向けて、現世に関わるなという大和の意図が示されているのだ。建立当初は一般人の参拝は禁じられていただろうと思う。しかし律令体制が崩れてくると、大和政権の出雲大社に対する保護と牽制がされなくなり、出雲大社は自活する方策を考え出さなければならなくなった。それで神無月には神々が出雲大社に集まるとか、全国の縁結びをしているだとかの話を創作して、また講によって全国から参拝者を集めるようになった。
前半の話は知らんけど、後半の「神無月には神々が集まる」の件はまあわかる。というのは、「神在月と呼ばれるようになったのは平安時代以降」という説を聞いたことがあるから。
牽強付会?無理に筋書きつけている?
奈良三輪神社と出雲神社の関係を動画で流して欲しい。
この人詳しそうだからご自分でやってみてほしい
出雲大社な神楽殿の写真が使われてまっせ。本殿は違う建物。
遷宮の時の資料映像じゃないの。
しめ縄の重さわ5.2T有りますよ❗️小さい方が2Tちょい見たいです。
逆説の日本史をお読みください😌
それそれ、自分も子供の時に読みましたが出雲大社についても色々と考察されてて印象深かったのを覚えてます。
@@SophyPhilo-z4l 太陽神=日巫女(卑弥呼)に対して、太陽を隠してしまう出雲は邪馬台国(大和王権)の敵で滅ぼしたが、日本一の高さの出雲大社は残した。だけど神像は参拝客の方を向いておらず、4拍手というのも出雲の神にタヒを知らせるためであり、しめ縄が逆に巻かれているのも死装束と同じように、タヒを意味してると。下手な文章ですみません。
最初は神社だったけど鎌倉時代から天台宗のお寺にもなってて17世紀からまた神社になっているから神様達と御釈迦様とが300年近く仲良く社に暮らしてたのでしょうね。(´・ω・`)
昔は「神仏習合」と言って神社もお寺も同じ敷地に建っていた時代がありましたからね。
全国の神様を迎え入れるという神在月、神在祭の文化は室町時代以降のものだから、社の向きが西向きなのとは関係ないのでは
御祭神が東を背にして西を向いているの出雲だけではないです。関東の鹿島神宮も同じです。できた年代も鹿島神宮のが古く、最近の研究では鹿島神宮のちかくに高天原という地名があり、古代関東や東北から人が西に向かい九州に上陸したことが、天孫降臨の元ではないかと言われております。鹿児島をいう地名が鹿「児」島、鹿島の児童、子供が来た土地という学説もあります。天孫降臨という言葉からも鹿島からの子供たちが新たな土地も求めてきたのではないかと。
それは言葉遊び~
出雲大社と鹿島神宮、どちらが旧いか?は存じませんが、確か国譲りの使者として赴いた武甕槌神(建御雷神?)が鹿島神宮の御祭神では? 両方のお社に参拝させて頂きましたが、どちらも御神域に入ると空気が一変し感じ入るものがありました。(特に鹿島神宮 奥社)鹿島神宮の御祭神を藤原氏が近くに勧請して造ったのが春日大社ですよね。神使の鹿🦌も奈良へ。神社の入口の鳥居の向きと本殿の向きが異なる神社は、祟りを封じる意味があるのでは?という説を読んだことがあります。国譲りと美しく記紀には記述されていますが、実際には戦闘があり力で滅ぼされたのでだろうから、と。
広島の嚴島神社も本殿のしめ縄は出雲大社と一緒で右側が細くなってます。嚴島神社内にある客神社、大国神社、天神社は左側が細くなっています。宮司さんは「いろいろ説があるのですが・・・」と言ってました(°∀° )
下の方につっかえ棒がないんだからばったんばったん倒れるよね
なるほど。にしても今の出雲大社は大和族の趣味に似てるね。昔の形に戻さない限り行きたくない
巨大神殿…ロマンだな~
石見(いわみ)神楽ですね。
天皇「だから」入れないんじゃねぇの?
元々出雲大社が有る場所は入江の砂浜で(宍道湖も古代は海で、島根半島も島だったらしい。)斐伊川からの土砂が日本海からの波などで徐々に堆積し現在の出雲市街地が形成されてます。入口の鳥居が砂丘の頂上で社殿に向け下がっますから、巨大な旧社殿も何度か倒壊しては建て直したのでは、知らんけどネ!
まえ島根出身の人にあったときに特に話題もなかったので、10月って神無月って言うけど、島根だと出雲大社に八百万の神が集まる月なので神在月って言うんだよねって言ったらよく知ってるねと喜ばれました。島根出身の人にあったけど特に話題が無いときに使えます
古典の時出雲部の学校では神在月と書いてチャレンジするガキがいる(昔の俺)w
このこの〜世渡り上手〜😃😄😁
なんか、面倒くさそうなので、これからは埼玉県の大宮氷川神社へ行こーう!っと??
宇佐八幡宮の4拍手との関連性?
粗末にすると災いが起こるぞ祟り神だからな古事記、日本書紀これらは勝者によって書かれた物
大国主命を大己貴命の名前でおまつりしている神社もあるよね。大己貴命=蛇と言われてるけどどうなのかな…アラハバキとの関係も気になります。
神魂神社って、かもすじんじゃのことかな?
天皇と言うより 大王(おおきみ)ではないかなぁ 天皇は律令制度が始まってからだと思うんだけど
須佐之男にしても、天照大神にしても、高天原、雲の中の神様です!どちら様も神様です!
まぁ、元々の国譲りの条件が土着の信仰は認めて欲しいだったから地元で天皇や神道以上の権威があってもおかしくはないのかな。
難しい事は分かりませんが、伊勢神宮は毎年行きますが、清々しく空気が澄んでいて呼吸が楽になり自然と深呼吸をしてしまいます。しかしながら、伊勢神宮ばかりでは無く対と言われている出雲大社にもと思って主人と行きましたが、コンクリートの白い巨大な⛩を車で通った辺りから頭痛が酷くなりEVEを飲みました。そして長い坂道の産道を歩きだしたら鳥肌が立ち出して気持ち悪くて、でも体調が悪いだけだと主人には何も言わずに回っていたら無信仰な主人が、なんかおかしいな!まるで迷路と言うか牢屋みたいやって言い出して😂全てが逆回りなんですよ。伊勢神宮が時計回りなら出雲大社は反対回りでした。あんなに大きくするのは偽物感しかなかったです。どんよりした暗い空気感に、手入れもされていなくて暗くて老朽化が激しく、手入れされて質素な伊勢神宮と色んな意味で対象的でした。私には出雲大社は合わないので二度と行きませんわら😂伊勢神宮に行くと氣が晴れるので相性があると思いました。
国歌のさざれ石もチャチくて、は???全て管理状態が悪かったです。伊勢神宮は式新年宮で質素ながら住まいを変えますが、その際には白装の職人さんや樹に傷が付かないように筵を巻いて全てに於いて慎重で丁寧に扱われています。伊勢神宮が何故人気なのかはお参りされてる方々には歴然と分かるはずです。
近所に、出雲大社大阪分院が、あります。
そういえば大宮と川越の氷川神社にも同じ雲の画とかあるな。同じように。
氷川神社にあるのは八雲紋という社紋で、出雲大社にある雲の絵とは全く違う。
出雲系の神様がいるからね。八雲紋かな?
❌ヤマト王権
最高神で現人神の陛下が家臣筋になる神社に自ら詣でるのは、上下関係が逆になるからあり得ないんじゃなかったかな。明治以降の国家神道の考え方かもしれませんが。
途中の船の写真、あれは松江市の堀川遊覧船ですね。
神魂って書いて「かもす」って読みますよ!
神社の巫女さんの霊夢が魔法使いの魔理沙に教えて貰っているとか、大丈夫か?(笑)
出雲大社の神主は 天皇家より 永く直系の人が 居るって聞いたことがある
地元やけど、出雲大社は結婚式をすると祝福され末永く幸せになるけど恋人で行くと別れてしまう言い伝えがあるんよね。なんでも女性の神様だから嫉妬するらしい。神話のことはよく知らん😁
創建は奈良時代の716年。元出雲王国の旧王家、神門臣家(神門郡/出雲市と周辺)と富(トビ)家(松江)が協力して造営、創建した。土地、敷地は富家が、材木や造営に懸かる作事、人足等の経費は神門臣家が負担。国や、況してや出雲国造家は創建、造営には関係ありません。ただ、王国が滅亡して数百年以上を経ても隠然と強力な影響力を保有、出雲の人々の信頼感を集める元王家の両家の財力と勢力を削ぐため、出雲大社の造営、創建を唆しました。主祭神は、徐福(彦ホアカリ、スサノオ)が起こしたクーデターで暗殺された出雲王国第8代オホナモチ(帝王/主王)神門臣 八千矛命。このクーデターを実際に差配指揮して八千矛命を洞窟に幽閉、暗殺した(餓死させた!)のが出雲国造家(出雲大社の宮司、社家)の始祖、ホヒ。何で砂地で軟弱な地盤のこの場所だったか?は、件の八千矛命が埋葬されていた竜山がはるか後背に位置したから(八千矛命の御遺体は後に別所に改葬されましたが)何故、巨大な空中神殿であったか?は、後背遥かに座す八千矛命の埋葬墓を遥かに祭祀するため。祭神が『西を向く』=【西(さい)の神】、、、『幸(さい)ノ神』千木の『X』と、勝男木が『三本』。=『幸の神信仰』(出雲王国時代は国教、今の神道の血肉骨格を構成(表面上は物部の道教))を表明!
神魂神社=かもすじんじゃ、と呼んでください。
我が御先祖が拘わりし「いずものおやしろ」
いづものくにとよみます。❤
天皇さえ入れない?。40年位前にNHKで時の昭和天皇が出雲大社の本殿に入ってその天井に描かれていた絵を宮司と一緒に見ていたのを記憶している。ここは一般の人々は絶対に入れないところだと解説されていたのを記憶している。天皇だから特別なのだなあとそのときに思ったのを覚えている。その時にテレビに映った画像では、薄暗い中に見えて確か雲の絵が描かれていたと思う。
勉強になりました!神魂神社は【かもすじんじゃ】と呼ぶんですよ〜😊大庭(おおば)のおおみやという場所で私の1番好きな神社です!大社もいいけど、神魂神社にも是非行ってみてほしいです!
神魂神社、大好きです(*^^*)
天井絵の雲(八雲)が九つ有るとテレビ番組で言ってましたね。
あと出雲大社の本殿は天井絵八雲が七つしかないとの事でした。
神魂さん、いいですよね!!
出雲を公的に任されて大社の権限を任された国造にとっては本拠地だから、意宇川流域は重要な場所だと思ってる
松前健氏曰く神魂神社は出雲国造家の氏神的な社じゃないかと考察してる
古来の祭祀を今も続けてるなら、国造は世継式に神魂、熊野大社(八雲の)を今も使ってる筈だからこの一帯は出雲ロマンが固まってる土地
天皇すら入れない…というか、天皇家だからこそ入らない場所。
何で?
出雲大社に深くご縁を感じるので、とても嬉しい動画でした‼️有難うございました❤
神社の鳥居の朱色も、いろんな説がありますね。平安時代初期の朱色は、現代の朱色よりも渋い土色だったとも聞きます。大神神社や出雲信仰、興味深いです。
出雲大社の言い伝え、素晴らしい考察だと思いました😮😮😮😮
八百万の神の宿泊地、万九千神社にも触れて欲しかった😂😂😂😂
万九千神社、神々様の飲み会会場ですね。
(*>∀
解説にも正面の話があった様に、出雲大社で拝礼する際は、多くの人が通常参拝している正面の左(西側)の方からするのが正式だそうだ。私は福岡に住んでいるが、出雲が大好きで、ご当地ナンバーである出雲ナンバーが欲しくてたまらない(それには住所移すしかないが😅)❤護衛艦いずももカッコイイといつも思ってしまう😊
なぜ、明治4年に改名させられた杵築大社を出雲として話をするのかもわからない、出雲風土記にも大国主は出で来ないのに
いつも、めちゃくちゃわかりやすい解説&かわいい二人に感謝です❤
エンディングの曲、歴史浪漫にすごくマッチしていて大好きです😘🧡🎉
「ぜんざい」という名は出雲発祥らしく、昔、朝廷の直轄地だった頃に朝廷の役人が駐在してたそうで、神在月のお供え物を見ていた役人が都で見たことがない食べ物を見つけ、「あれは何だ?」と尋ねたところ、尋ねられた者はお供え物の総称のことと思って「神在(じんざい)」と答えたが出雲訛りのせいで「ぜんざい」と聞こえたらしく、役人はそれを都に伝えたそうです。だから、お汁粉がなかった都ではぜんざいという名になったらしい。
地域起こしで出雲神在を提供していますが、白玉の所と松江〜伯耆地区の小豆雑煮の影響で焼き餅を入れる所とあとますね。
後、じんざいの出所として隣接した神西(じんざい)地区の神社で供されていた供物であったという説を当該の神西地区の人々が主張しています。
お汁粉のルーツ何処が発祥なんですかね?
中国語だと紅豆湯と言いますが
日本のそれと全く同じ味です。
出雲では元々「じぇんざい」と発音すると思います
まさかの神事に関して巫女の霊夢が魔理沙に質問してますね😂 面白かったです
途中で「杵築大社」として出てきた写真は、武蔵境の杵築大社様ですか?
出雲地方についてとりあげていただきありがとうございます。
松江にある神魂神社はかもすじんじゃ、と呼びます。
国士舘大学の先生の話のまた聞きですが。関東の神社の8割はもともと出雲系の神社。東京で有名な赤坂の氷川神社、神田の神田明神、府中市の大國魂神社などいずれもまつっているのは出雲系の神で、京都系の神社が増えたのは鎌倉時代以降とのことでした。
もちろん関東にはもっと古い神様もいて、僕が以前関東(横浜)に住んでいた時、近くの神社には「オモダル・アヤカシコネ」を祭る神社もありました。
大和朝廷の前にも神社があった。〜古代王権の残像
今はアマテラス様を祀る神社でも、元々の祭神はオホナムチ様やタケミナカタ様だったりする。まあ、過ぎた話よ。昔も大事だが、今や未来のが大切さ。
48メートルもの柱、大神殿興味深いです。京都洛中に仏教勢力が確立した室町時代に相国寺の塔は、京都タワーの高さくらいはあったとも聞きます。出雲大社の神殿をもし現代に再現しようとしても、太い木材は国内で調達できないかもしれません。
出雲市民として、取り上げてくれてありがとうございます😊🥰🥰
小泉八雲も有名人💙
出雲大社より東に東出雲という街がありそこには映画にもなった黄泉の国の入り口が有り出雲大社より東側が鬼門であったと聞いたことが有ります!
大変面白かったです。が、天皇すら入れないってのは、どうなったんだろう?
出雲大社(杵築大社)と宇佐神宮の関連として「杵築」という地名にあり「四拍手」も同じ。何か関係があるのかもしれない。
で、最初の国譲りの部分を「宇佐」として見てみると、国津神が宇佐にいて国譲りをしたとも見える。これって邪馬台国じゃね?
記紀では景行天皇の「土蜘蛛」退治としているが、「土雲」としてみると、同じ蜘蛛なのかもしれん。
皇室の皇女さんが出雲大社の息子さんと婚姻したと10年ほど前に報道されていた。身内になれば本殿もお詣りできる〜だろう?
宇佐八幡宮も無視出来なかった地域の勢力〜古代王権の末裔かも?同居していた~?天皇になろうとした道鏡をただしに宇佐八幡宮にお伺いに行った。
特に何の関係性もないよ。
明治以前は神社ごとに参拝の作法が異なり一拍手から八拍手まで様々な作法があった。
それを明治政府が無理やり二礼二拍手一礼に統一したから参拝作法の多様性が失われた。
出雲大社も宇佐神宮も明治政府に逆らって昔ながらの作法を現代に残した。
だから似ているように見えるだけで特に関係性なんてない。
@@wayamato9226
皇女ではなく女王ですね。高円宮典子女王です。
宇佐八幡宮の三神の真ん中の神をひめみこ、これは卑弥呼を連想させる~出雲大社は邪馬台国の後継国だったので西向きは邪馬台国への敬意?邪馬台国はヤマト王権と対立して滅ぼされたので出雲は大和朝廷に反旗を翻さないが不服従?同等の地位だから天皇と同じ大きさに作って欲しい。
宮司の方や社務の方が注連縄の前を通る度に
お辞儀をするのがとても印象深かったです
信仰の深さが伺える出雲大社でした。
屈行といって、正中を横切る時は、頭を下げる作法があるのです。
信仰の深さとは、全く関係がありませんよ。
@@ats4wd
そーなんですねー
では何故その様な作法をするのですか?
@@旅の吟遊詩人哲也
正中の意味をご自分で調べて下さい。
その方が納得できると思います。
それと、私は出雲国造一族ですが、最近の大社の神職はサラリーマン化していて、大社の歴史を知らない神職が多いです。
就職では無く「奉職」しているのですから、奉職した以上は、自分自身で奉職した神社やご祭神や氏地の郷土史のことを勉強すべきだと思いますよ。
@@ats4wd
普通に観光者の感じたままをコメントしただけですので
これ以上は、ご容赦下さい。
二礼四拍一礼は、出雲大社の他に宇佐神宮・彌彦神社が
「朝鮮半島などから先進的な文化が入り」と解説されているが、朝鮮半島が日本より先進的だった時代があるのですか?
写真の社殿も出雲大社では無いし、いい加減な印象を受けました。
それに注連縄が大きいことで有名な神楽殿は千家国造家が主催する明治時代に立教された「出雲大社教」の建物であって、出雲大社の建物ではありません。
観光団体のガイドさんたちも無視していますが、入り口に「出雲大社教」と立て看板があります。
出雲を知らない多くの人を混乱させるような、いい加減な内容を謎などと称して吹聴するのは如何なものかと思います。
少なくとも飛鳥時代までは高句麗や百済は倭国より遥かに進んだ中国文化の国でした。新羅は独自の文化だったので後れを取りましたが、5世紀から急成長して7世紀には半島統一してます。日本が飛鳥時代からがんばって8世紀の初めに中央集権の律令国家&仏教国家になれたのは、倭国の軍事力に期待した半島国家の協力よるところが非常に大きいです。
出雲大社の一組にされた三本柱には貝が付着しおり、このことにより巨大な出雲大社は海の中に聳え立っていたと聞いた事があります。
😅😅😊😅😅
出雲が四拍手なのは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂それぞれに柏手を打っている、という説は初めて聞きました!
どこかのガイドブックで「無限を表す八という数字が特別だが、八は多いので半分の四」といったような説明が載っていて、???と思っていたので、なんだかとても腑に落ちました……!!
島根出身だけど、世間一般的に出雲大社は縁結びの神と言われるけど、実は祀られてるのは女の神様でカップルで行くと神様が嫉妬すると言われ、喧嘩したって話も多々…‥……
そうなんですか😅
初めて知りました😉
昔聞いた話では、千葉県の成田山新勝寺もカップルでお参りに行くと神様が焼きもちを焼くので
一緒に出掛けてもずらして別々にお参りするようにと。本当かどうか⁉️わかりませんが…。
私が聞いたのは、「縁を結ぶ」のが仕事なので、カップルで行くと別れさせられると聞きました。
わしゃ3人連れて行って全て別れたぞ。
まあ、風が吹いてから連れて行って言い訳にした感が強いが(笑)
🗽🗽
イザナミと言う女神が祭神?
初詣行ってめっちゃケンカしました。良い思い出です。
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。
誤 出雲大社東京分祠
正 出雲大社教東京分祠
ですね。
出雲大社は島根県出雲市大社町の一社のみですよ。
@@ats4wd 明治時代以降島根の出雲は出来ました、そもそも、日本中に出雲と言う地名が沢山あります、出雲国風土記は古事記と全然関係の無い物ですよね。
@@夢野琴音-j1m それは誤解です。天平五年(733年)に上梓した出雲国風土記に出雲郡杵築郷に「所造天下大神(あめのしたつくらししおおみかみ=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた」と書いてあります。他の記述から見ても現在の島根県の出雲に相違ありません。
築木の大社については大国主が天津神に出した条件の意味は、逆に早素戔嗚命とのスセリ姫の娶りの条件として、「天に高く千木聳えさせて其の中に居れ(=出雲の王として君臨せよ)奴め」という言葉を投げ掛けたのも影響してるのかな。
よく勉強なさっていますね。
その説に一票!
入口の最も高い場所に立っても社殿を見下ろさない位置関係になる位の高さは有ったのかもしれませんね。その頃にも砂丘が有ったのかは分かりませんが。
私が読んだ本には元々出雲民族は青森が本拠地で青森と出雲に分かれたとありました。出雲は大和に侵略されて出雲民族は青森に帰ったとありました。
現在の青森から秋田の範囲ですね。
出雲の言葉の発音は、山陰の他の地域と異なり、東北弁のようです
@@suzukimasako6965
松本清張の「砂の器」でも犯人逮捕のヒントになった話ですね。
青森と出雲、海洋民族として日本海を往き来した縄文人の末裔なのかしら。昔 秋田の旅館に泊まった時に、温泉の木組みの天井の高さが地元界隈の温泉では見たことがないほど高くスケールが大きくて驚いたことがあります。縄文由来の建築技術もあったのであろう…とロマンが広がります。
pei neroさん:それで、青森の「三内丸山遺跡」に繋がるんですね。5500~3500年前或いはそれ以上前とも言われています。また、別の説では、三種の神器は、シュメール文明の頃友好国の印として互いに持ち合った物で、誰か忘れたが天照側が我こそが神の印と見せたら、大国主側も同じものを見せたと言う事です。大国主が先に渡来した後のユダヤ人と言う事です。歴史は本当に面白いですね!
「敵あるいは対抗勢力に記述を割くだろうか?」
巨大神殿が当時の技術で可能か過去NHKスペシャルで検証されたことがあり三本柱を立てることは可能とされた。仮に48mとすれば法隆寺五重塔の1.5倍もあり、現代にあったとしても「圧倒される木造建築」である。厳密な高さは別としてもピラミッド同様に信じがたい建築技術により建てられたという大筋は正しいのだろう。
NHKさま拝見しました。
かなり昔に見た様な…確か柱の木材になりうる木が存在していたのかも議論されてましたね。当時は木の成長限界だか毛細血管現象がどうとかで50メートル以上の高さまで木は育たないとか言ってた様な。そして確かな事は残念ながら今の日本には柱になり得る木は生えていない事。
柱状節理があるので、巨木の柱はあったのかもね
0:47 出雲大社として動画内で言われているこの神社はどこにある神社です?
大社町民でちょくちょく行くのですが見たことがなくて気になりました。
茨城県の常陸国出雲大社です。分祠だったけどつい最近喧嘩別れして独立した神社です。
昔から「雲太、和二、京三」と言いますよね。
子供の頃に出雲大社が日本一でっかいと習いました。
現実にはそうではなかったので、古代には巨大神殿があったのだろうと子供心に思っていました。
ちなみに私は太宰府と櫛田神社の氏子を親戚に持ち、子供の頃は宗像神社近辺に居住していましたので神話や古代のロマンが大好きです。
日本史はロマンが有りますね。ただ動画の中で優れた半島文化とありますが、1894年に旅したイザベラ・バードの「朝○紀行」を読んだらそうでもなさそうですけど。出雲は諏訪も繋がってるような気がします。
李氏朝鮮以降がgmなだけでそれ以前は普通だったぞ
諏訪大社のは、大国主命の子であるタケミナカタ命が祀られていますからね。
因みに今の諏訪大社の宮司は、北島国造家一族の人ですね。
1800年からの私物化両班政治で堕落しまくった李朝末期と千数百年前の古代半島文化を混同されているようですが、全く別物です。日本書紀を読めば、特に古墳時代、飛鳥時代に高句麗、百済、新羅から多くの優れた文化や学者、僧、尼僧、技術者が渡来して日本の発展に寄与したことがよくわかりますよ。
注連縄が逆なのは、穢れの世界の王である大国主命に対して、「出てくるな。」の意志という説もある。
神魂と書いて「かもす」と読みます。
縁結びで人気の八重垣神社とは、歩いて行けます。
上流から砂鉄が供給され、鉄器の開発製造の拠点だった事に注目しています。
四魂の話だと古神道の話になってきますね。
昔の首都だと思っています。
ロマンだな。
天皇すら入れない場所について、動画内に出てきました?
それに惹かれて見に来たんですが、概要欄にサラッと書いてあるだけなんでしょうか。
出雲王家の伝承というものがあります。
その伝承を、唯一つの王家、富家が代々口伝のみで今に伝える歴史は、門外不出と言われながらも、可能な限りの範囲で、書籍で発表してます。
古事記、日本書紀とはまるで違う真実が書かれてます。大元出版を検索してみて下さい。
先祖代々門外不出を守ってきたものを書籍にして発表、歴史ある決まり事を金のためなのか軽々しく破る人間が発する言葉に真実があるとは到底思えない。
@@にわか侍-r7n あっさ
@@ウォウウォウトゥナイト
は?何が?
今年(2022年)の5月に出雲大社に行ってきました。稲佐浜も行きました。綺麗だったなー
柱で高くに作られていたものを、どうやっていつの時代に下に下ろしたんでしょう?
大きなしめ縄をどうやって作ったかも謎です。
大林組がシミュレーションした本がでてます。
杵築の大社は何度も倒壊、再建しています。降ろしたというより、断念したのではないかと個人的には思います。
出雲が栄えたのはこの辺りはよい砂鉄がとれ製鉄が盛んでそれも要因のひとつではないかなとか?
荒神谷遺跡に銅製の剣や銅鉾が埋められていたのは大和の新興勢力に従っていると言う事を見せる為?
出雲のすぐ東には、安来のたたら製鉄、武器庫の兵庫。
出雲大社の裏にある境内社【素鵞社】と元出雲である【出雲大神宮】についても言及して欲しかったなぁ
伊勢神宮へは2回行きました。
初めてお参りしたときにその荘厳さに圧倒されたのですが、出雲大社も同様のものがあるのではないかと思います。
是非とも一度お参りしたいです。
伊勢神宮と出雲大社と日本列島の中で棲み分けしている?近年出雲大社の近くで銅鐸や銅剣が埋設されているのが見つかった。旧文化圏が銅戈や銅鉾の新式武器に征服されたのが出雲大社圏。神無月に日本の八百万の神々は出雲の稲佐の浜に集まったと言う~伊勢神宮勢力は旧勢力の出雲勢力圏に敵対を示さないのは邪馬台国や奴国は魏と朝貢関係なので魏と敵対するのは得策でないのではないと判断した為か〜
出雲大社の神の座る位置が横を向いている・・これは鹿島神宮と同じ 二つしかない 鹿島神宮、香取神宮、息栖神社 高天原という地名がある。
鹿児島は鹿島の子供と書く。鹿島から鹿児島へ府目で天孫降臨という説も!
出雲大社の近くの海底に 参道らしき所が有るそうです。
出雲っつーと、大化の改新以後は(現在の)島根県の半分程度だが、古代はもっと大きかったのかも。戦国時代の最盛期の毛利氏の勢力圏みたいに。大和の勢力圏が近畿・東海に広がってたように
出雲を平定したのち、大和はオオクニヌシに巨大な宮を作ったが、二度とこの世に出てこれないように、しめ縄を逆に張った。しめ縄は、魔物や疫病が入ってこれないように張るもので、逆ということはオオクニヌシを封印したという呪詛なのです。
それはそれとして、日本の開運神社仏閣100選的な、ゆっくりチャンネルがあったら良いのに
現代における山陰山陽を束ねて『中国地方』と称しているのは、当時の日本の範囲の地理的な中心地域だったからと見ています。
その中国地方の山陰側中心地域が出雲、山陽側が吉備。当時のヤマトがこれらの土地を特別視していた事が窺える……
コロナが落ち着いたら行きたい所💓神魂神社も気になってグーグルマップに覗きに行ったらとっても素敵な所でした
北島国造家が代替わりの時に籠るのは、確か神魂神社だったかと。
神魂神社は「しんこん」ではなく「かもす」と読みます。
10年前ぐらい前に出雲大社に行ったら修繕中でちゃんと見れなかったなw 機会があればまた行ってみたい。
神魂神社は
かもす
と読みます
鬼が云々すると魂は
和魂と荒魂ですか・・・
古事記に出雲について書かれたのは、大国主命はスサノオ(須佐之男)の子孫で、スサノオは天照大神の弟だから。スサノオは嵐や台風の神様で、その暴れっぷり(う〇こを投げつけるなど)で高天原を追放されている。また、大国主命と七福神の大黒様は同一人物(正確には違う)だと言われている。神話じゃなく、現実的には私的には出雲は物部氏の領地だったと思う。
縁結びパワーというのは昔からあった模様です。天照大神の子供の1人で大国主に仕えたアメノホヒの末裔の出雲国造家は結構な数の支流や分家があって著名な武蔵国造や遠江国造、土師氏などなど末裔がたくさんいて古代朝廷の要職や地方の主みたいな役職に就いたお家が多いんだとか。
土師氏の子孫が菅原道真公ですね。
国津神→天津神 の間違いです。
神魂神社= かもすじんじゃと言います
島根県民です。出雲大社を取り上げて頂きありがとうございます。出雲大社は縁結びの神様として全国でも有名です。
良縁に恵まれたいと思った人が参拝すると、良縁に恵まれると言われています。
縁結びは、交際相手だけではなく、友人や仕事仲間やお金など、さまざま縁を結んでくれるとも言われています。
また、出雲大社に参拝して、結ばれたカップルが二人で出雲大社に参拝すると、別れるとか、喧嘩するなどと言われています。
カップルで参拝すると、神様が嫉妬してしまうとか…。
出雲大社は元々杵築大社
出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神[1]。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社[2]。神社本庁の別表神社[2]。宗教法人出雲大社教の宗祠。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[3]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
名称
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。
古事記とは縁もゆかりもない場所です
古事記の国産みにも登場しません!!
しかし、大和朝廷が無視できない巨大な存在であったから、多くの出雲神話が古事記に掲載されたとも言われています。
編纂した太安万侶も出雲の人。
@@ats4wd 徳島県と香川県の沿岸部が出雲です。
数年前に行ったら氏子は中に入れると言われましたね
私が実際に現地で確認した、しめ縄が逆向きの神社
・出雲大社(祭神:大国主)
・日御碕神社(祭神:天照大神・素戔嗚尊)
・鹿島神社(祭神:武御雷)
ほか多数
私が実際に現地の神職・神主に確認した御祭神が西向き(横向き)の神社
・出雲大社(祭神:大国主)
・神魂神社(祭神:伊弉冉・伊弉諾)
・佐太神社(祭神:佐太大神・天照大神・素戔嗚尊)
ほか多数
色々な推測がありますが、私はただの地域性だと考えます。
大和朝廷と言う新興勢力に対して自らの勢力の出自は古代王権だと主張している?
今現在掲示されている由緒書きは、過去に書き換えられたものもある。
祭神は変わる。過去にオオクニヌシを祀る神社がアマテラスになってたりする。
地元民としては
出雲の国造家は元々
神魂神社周辺を治めていて
その後に出雲大社に移ったと
聞きました。
古墳や史跡を見ると
古代の出雲王朝の中心は松江の
出雲郷から大庭辺りだと
勝手に思ってます
そのあたりの関係かと
左が細くなってるは《入舟》右が細いのは《出船》出雲大社の《出船》は大国主命の国譲りから来ているのか?
《出船》右側が細いのは左側が重要な位置を示す。出雲系。古代住居の室内の上座を示す?
高さ96mと聞いて出雲大社のイメージがバベルの塔になっちゃった
古代史については分からないことが多いため、いろんな人がいろんな説を唱えている。この動画もそれらの説の一つに過ぎない。そして自分の説もその一つだ。
自分は、出雲大社は大国主の怨霊を幽閉するために大和政権によって建立されたと考えている。だから社殿は窪地に建てられているし、本殿も大国主も西向きにされている。大国主を幽界に向けて、現世に関わるなという大和の意図が示されているのだ。建立当初は一般人の参拝は禁じられていただろうと思う。しかし律令体制が崩れてくると、大和政権の出雲大社に対する保護と牽制がされなくなり、出雲大社は自活する方策を考え出さなければならなくなった。それで神無月には神々が出雲大社に集まるとか、全国の縁結びをしているだとかの話を創作して、また講によって全国から参拝者を集めるようになった。
前半の話は知らんけど、後半の「神無月には神々が集まる」の件はまあわかる。というのは、「神在月と呼ばれるようになったのは平安時代以降」という説を聞いたことがあるから。
牽強付会?無理に筋書きつけている?
奈良三輪神社と出雲神社の関係を動画で流して欲しい。
この人詳しそうだからご自分でやってみてほしい
出雲大社な神楽殿の写真が使われてまっせ。本殿は違う建物。
遷宮の時の資料映像じゃないの。
しめ縄の重さわ5.2T有りますよ❗️小さい方が2Tちょい見たいです。
逆説の日本史をお読みください😌
それそれ、自分も子供の時に読みましたが出雲大社についても色々と考察されてて印象深かったのを覚えてます。
@@SophyPhilo-z4l 太陽神=日巫女(卑弥呼)に対して、太陽を隠してしまう出雲は邪馬台国(大和王権)の敵で滅ぼしたが、日本一の高さの出雲大社は残した。だけど神像は参拝客の方を向いておらず、4拍手というのも出雲の神にタヒを知らせるためであり、しめ縄が逆に巻かれているのも死装束と同じように、タヒを意味してると。下手な文章ですみません。
最初は神社だったけど鎌倉時代から天台宗のお寺にもなってて17世紀からまた神社になっているから神様達と御釈迦様とが300年近く仲良く社に暮らしてたのでしょうね。(´・ω・`)
昔は「神仏習合」と言って神社もお寺も同じ敷地に建っていた時代がありましたからね。
全国の神様を迎え入れるという神在月、神在祭の文化は室町時代以降のものだから、社の向きが西向きなのとは関係ないのでは
御祭神が東を背にして西を向いているの出雲だけではないです。関東の鹿島神宮も同じです。できた年代も鹿島神宮のが古く、最近の研究では鹿島神宮のちかくに高天原という地名があり、古代関東や東北から人が西に向かい九州に上陸したことが、天孫降臨の元ではないかと言われております。鹿児島をいう地名が鹿「児」島、鹿島の児童、子供が来た土地という学説もあります。天孫降臨という言葉からも鹿島からの子供たちが新たな土地も求めてきたのではないかと。
それは言葉遊び~
出雲大社と鹿島神宮、どちらが旧いか?は存じませんが、確か国譲りの使者として赴いた武甕槌神(建御雷神?)が鹿島神宮の御祭神では? 両方のお社に参拝させて頂きましたが、どちらも御神域に入ると空気が一変し感じ入るものがありました。(特に鹿島神宮 奥社)
鹿島神宮の御祭神を藤原氏が近くに勧請して造ったのが春日大社ですよね。神使の鹿🦌も奈良へ。
神社の入口の鳥居の向きと本殿の向きが異なる神社は、祟りを封じる意味があるのでは?という説を読んだことがあります。国譲りと美しく記紀には記述されていますが、実際には戦闘があり力で滅ぼされたのでだろうから、と。
広島の嚴島神社も本殿のしめ縄は出雲大社と一緒で右側が細くなってます。
嚴島神社内にある客神社、大国神社、天神社は左側が細くなっています。
宮司さんは「いろいろ説があるのですが・・・」と言ってました(°∀° )
下の方につっかえ棒がないんだからばったんばったん倒れるよね
なるほど。
にしても今の出雲大社は大和族の趣味に似てるね。
昔の形に戻さない限り行きたくない
巨大神殿…ロマンだな~
石見(いわみ)神楽ですね。
天皇「だから」入れないんじゃねぇの?
元々出雲大社が有る場所は入江の砂浜で(宍道湖も古代は海で、島根半島も島だったらしい。)斐伊川からの土砂が日本海からの波などで徐々に堆積し現在の出雲市街地が形成されてます。
入口の鳥居が砂丘の頂上で社殿に向け下がっますから、巨大な旧社殿も何度か倒壊しては建て直したのでは、知らんけどネ!
まえ島根出身の人にあったときに特に話題もなかったので、10月って神無月って言うけど、島根だと出雲大社に八百万の神が集まる月なので神在月って言うんだよねって言ったらよく知ってるねと喜ばれました。島根出身の人にあったけど特に話題が無いときに使えます
古典の時出雲部の学校では神在月と書いてチャレンジするガキがいる(昔の俺)w
このこの〜世渡り上手〜😃😄😁
なんか、面倒くさそうなので、これからは埼玉県の大宮氷川神社へ行こーう!っと??
宇佐八幡宮の4拍手との関連性?
粗末にすると災いが起こるぞ
祟り神だからな
古事記、日本書紀これらは勝者によって書かれた物
大国主命を大己貴命の名前でおまつりしている神社もあるよね。大己貴命=蛇と言われてるけどどうなのかな…アラハバキとの関係も気になります。
神魂神社って、かもすじんじゃのことかな?
天皇と言うより 大王(おおきみ)ではないかなぁ 天皇は律令制度が始まってからだと思うんだけど
須佐之男にしても、天照大神にしても、高天原、雲の中の神様です!どちら様も神様です!
まぁ、元々の国譲りの条件が土着の信仰は認めて欲しいだったから地元で天皇や神道以上の権威があってもおかしくはないのかな。
難しい事は分かりませんが、伊勢神宮は毎年行きますが、清々しく空気が澄んでいて呼吸が楽になり自然と深呼吸をしてしまいます。
しかしながら、伊勢神宮ばかりでは無く対と言われている出雲大社にもと思って主人と行きましたが、コンクリートの白い巨大な⛩を車で通った辺りから頭痛が酷くなりEVEを飲みました。
そして長い坂道の産道を歩きだしたら鳥肌が立ち出して気持ち悪くて、でも体調が悪いだけだと主人には何も言わずに回っていたら
無信仰な主人が、なんかおかしいな!まるで迷路と言うか牢屋みたいやって言い出して😂
全てが逆回りなんですよ。
伊勢神宮が時計回りなら出雲大社は反対回りでした。
あんなに大きくするのは偽物感しかなかったです。どんよりした暗い空気感に、手入れもされていなくて暗くて老朽化が激しく、手入れされて質素な伊勢神宮と色んな意味で対象的でした。
私には出雲大社は合わないので二度と行きませんわら😂
伊勢神宮に行くと氣が晴れるので相性があると思いました。
国歌のさざれ石もチャチくて、は???
全て管理状態が悪かったです。
伊勢神宮は式新年宮で質素ながら住まいを変えますが、その際には白装の職人さんや樹に傷が付かないように筵を巻いて
全てに於いて慎重で丁寧に扱われています。
伊勢神宮が何故人気なのかはお参りされてる方々には歴然と分かるはずです。
近所に、出雲大社大阪分院が、あります。
そういえば大宮と川越の氷川神社にも同じ雲の画とかあるな。同じように。
氷川神社にあるのは八雲紋という社紋で、出雲大社にある雲の絵とは全く違う。
出雲系の神様がいるからね。八雲紋かな?
❌ヤマト王権
最高神で現人神の陛下が家臣筋になる神社に自ら詣でるのは、上下関係が逆になるからあり得ないんじゃなかったかな。明治以降の国家神道の考え方かもしれませんが。
途中の船の写真、あれは松江市の堀川遊覧船ですね。
神魂って書いて「かもす」って読みますよ!
神社の巫女さんの霊夢が魔法使いの魔理沙に教えて貰っているとか、大丈夫か?(笑)
出雲大社の神主は 天皇家より 永く直系の人が 居るって聞いたことがある
地元やけど、出雲大社は結婚式をすると祝福され末永く幸せになるけど恋人で行くと別れてしまう言い伝えがあるんよね。なんでも女性の神様だから嫉妬するらしい。神話のことはよく知らん😁
創建は奈良時代の716年。
元出雲王国の旧王家、
神門臣家(神門郡/出雲市と周辺)と
富(トビ)家(松江)が
協力して造営、創建した。
土地、敷地は富家が、
材木や造営に懸かる作事、人足等の経費は神門臣家が負担。
国や、況してや出雲国造家は
創建、造営には関係ありません。
ただ、王国が滅亡して数百年以上を経ても隠然と強力な影響力を保有、出雲の人々の信頼感を集める
元王家の両家の財力と勢力を削ぐため、
出雲大社の造営、創建を唆しました。
主祭神は、
徐福(彦ホアカリ、スサノオ)が起こしたクーデターで暗殺された
出雲王国第8代オホナモチ(帝王/主王)
神門臣 八千矛命。
このクーデターを実際に差配指揮して
八千矛命を洞窟に幽閉、暗殺した(餓死させた!)のが
出雲国造家(出雲大社の宮司、社家)の始祖、ホヒ。
何で砂地で軟弱な地盤のこの場所だったか?は、
件の八千矛命が埋葬されていた竜山がはるか後背に位置したから
(八千矛命の御遺体は後に別所に改葬されましたが)
何故、巨大な空中神殿であったか?は、
後背遥かに座す
八千矛命の埋葬墓を遥かに祭祀するため。
祭神が『西を向く』
=【西(さい)の神】、、、
『幸(さい)ノ神』
千木の『X』と、勝男木が『三本』。
=『幸の神信仰』
(出雲王国時代は国教、今の神道の血肉骨格を構成(表面上は物部の道教))を表明!
神魂神社=かもすじんじゃ、と呼んでください。
我が御先祖が拘わりし「いずものおやしろ」
いづものくにとよみます。❤