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1300年前の大嘗祭の木簡が奇跡的に出土したみたいに奇跡的に空白4世期の木簡が出土しないだろうか?きっとある。
GHQが処分したんだろう
そろそろ古墳を発掘させてくれてもええじゃ無いかと思う。
発見されている最古の木簡は7世紀ですね。6世紀ならまだしも4世紀は絶望的でしょう。
それでは舞を一差し…。地下から出てくる新資料!地下から出てくる新資料!(チャンネル違い)
日曜の夜にNHKで倭の五王の番組をやるらしい
曹達なんて先進的で横文字チックな名前ですよね(苛性曹達を見ながら)吉野ケ里の弥生中期の甕棺墓から前漢鏡が出ていますが、実際のところ記録に残ってるように古代日本は朝貢を稀にしか行わなかったのでしょうかね。卑弥呼が下賜されるレベルの宝物を単なる交易で入手していたのか、記録に残されていないがこいつは儲かると連年朝貢しまくっていたのか。
おぉ、倭の五王ですか。讃は、仁徳天皇と言われておりますね。ただし、聖徳太子の時代以降「日出処の天子」になってしまうから、チナに「朝貢」してた事実はなかったことになってそうです。仁徳天皇の詳細に「呉」と「高麗」が朝貢したと書いてあることから、、逆に、やはり倭王讃なのかなぁと思ったりします。崇神天皇の時代に帰化人が大量に来てて、やつらに唆されて「朝貢外交」したっぽいんですよね。高句麗の「高」、百済の「余(扶余)」、倭の「倭」は、やはり「民族名」だと思うなぁ。「姓」だとしたら、、ヤマト?次も、期待しております。
仁徳=鷦鷯が当時の発音でsansakiサンサキ なので、讃sanの可能性が高いでしょうね。
王1(讃)王2(珍)...みたいな感じだったりして...てか漢とか魏とかどうやってつけてるんだろというか国名じゃないの?名前だと一字って大陸から来た感じになるのか?
ちょうど 倭の五王関連の本読んでて、すんなり映像として内容が入ってくる。
司馬曹達についてはすごく気になるんだけどこの人にクローズアップした研究、詳しく考察した本とかないんだよな・・・中国側の史料をそのままうけとれば曽氏のひとが当時の日本にいたわけでしょ?流石に記録がなさ過ぎてこの人に深く触れてる研究者いないかな
「倭」「讃」などは当時の中国ではどの様に発音していたんでしょうね。現代とはけっこう違ってそうですし、もちろん日本語読みとも別物でしょう。中国史系でいつも思うのが、中国の人名などはなるべく中国読みした方が良いのではないかと。たとえば孫堅、孫権など日本語では同じですが中国読みでは全く違います。張飛なども「ひ」と読めば名前らしさはありませんが「ふぇい」と読めば可愛らしい名前に思えます。それら読み方の事も含めて解説に反映していただけるとより面白いかも知れませんね。
固有名詞は向こうの読み方をするべきだとは思う。
わぁ(‘0’)今、ちょうど調べていた所です!ビックリ(○_○)!!動画UPとっても嬉しいです(*^^*)有り難う御座います(* ´ ▽ ` *)💖
良く分からんが、劉裕が宋の皇帝になった時には大和朝廷が日本を治めていたということで良いのではないだろうか?
日本古代史の応神天皇と仁徳天皇もお願いします。
😮
ドーモ。ワオー=サン。こういうことなのでは?
あれ? 倭の五王ってまだやってなかったっけ? ・・・・・・やってなかったわ!
倭の五王は九州の国の王様だと思うね。大和王権とは関係ないのではないでしょうか。大和王権が朝鮮半島への勢力を拡大するのは神功皇后の三韓征伐以降だから、それ以前にあった国の王様だと思います。
九州の勢力だけでは高句麗とやり合うのは難しかったと思います4世紀の後半には大和王権が日本の大半を支配していたと思います
倭とは朝鮮半島南部から北部九州のことでしょう。天の日鉾=倭人
時代が逆。倭の五王は神功皇后の後の世代です。神功皇后の方が後の世代と思っているような書き方だが。
@@地球寒冷化 その通りですね。
@@地球寒冷化 そうですね。訂正します。
曹達なんて名前からして中国プロパーだよなあ
1300年前の大嘗祭の木簡が奇跡的に出土したみたいに奇跡的に空白4世期の木簡が出土しないだろうか?きっとある。
GHQが処分したんだろう
そろそろ古墳を発掘させてくれてもええじゃ無いかと思う。
発見されている最古の木簡は7世紀ですね。6世紀ならまだしも4世紀は絶望的でしょう。
それでは舞を一差し…。
地下から出てくる新資料!地下から出てくる新資料!
(チャンネル違い)
日曜の夜にNHKで倭の五王の番組をやるらしい
曹達なんて先進的で横文字チックな名前ですよね(苛性曹達を見ながら)
吉野ケ里の弥生中期の甕棺墓から前漢鏡が出ていますが、実際のところ記録に残ってるように古代日本は朝貢を稀にしか行わなかったのでしょうかね。
卑弥呼が下賜されるレベルの宝物を単なる交易で入手していたのか、記録に残されていないがこいつは儲かると連年朝貢しまくっていたのか。
おぉ、倭の五王ですか。讃は、仁徳天皇と言われておりますね。
ただし、聖徳太子の時代以降「日出処の天子」になってしまうから、チナに「朝貢」してた事実はなかったことになってそうです。
仁徳天皇の詳細に「呉」と「高麗」が朝貢したと書いてあることから、、逆に、やはり倭王讃なのかなぁと思ったりします。
崇神天皇の時代に帰化人が大量に来てて、やつらに唆されて「朝貢外交」したっぽいんですよね。
高句麗の「高」、百済の「余(扶余)」、倭の「倭」は、やはり「民族名」だと思うなぁ。「姓」だとしたら、、ヤマト?
次も、期待しております。
仁徳=鷦鷯が当時の発音でsansakiサンサキ なので、讃sanの可能性が高いでしょうね。
王1(讃)
王2(珍)...
みたいな感じだったりして...
てか漢とか魏とかどうやってつけてるんだろ
というか国名じゃないの?
名前だと一字って大陸から来た感じになるのか?
ちょうど 倭の五王関連の本読んでて、すんなり映像として内容が入ってくる。
司馬曹達についてはすごく気になるんだけどこの人にクローズアップした研究、詳しく考察した本とかないんだよな・・・
中国側の史料をそのままうけとれば曽氏のひとが当時の日本にいたわけでしょ?
流石に記録がなさ過ぎてこの人に深く触れてる研究者いないかな
「倭」「讃」などは当時の中国ではどの様に発音していたんでしょうね。現代とはけっこう違ってそうですし、もちろん日本語読みとも別物でしょう。
中国史系でいつも思うのが、中国の人名などはなるべく中国読みした方が良いのではないかと。たとえば孫堅、孫権など日本語では同じですが中国読みでは全く違います。張飛なども「ひ」と読めば名前らしさはありませんが「ふぇい」と読めば可愛らしい名前に思えます。それら読み方の事も含めて解説に反映していただけるとより面白いかも知れませんね。
固有名詞は向こうの読み方をするべきだとは思う。
わぁ(‘0’)今、ちょうど調べていた所です!ビックリ(○_○)!!動画UPとっても嬉しいです(*^^*)有り難う御座います(* ´ ▽ ` *)💖
良く分からんが、劉裕が宋の皇帝になった時には大和朝廷が日本を治めていたということで良いのではないだろうか?
日本古代史の応神天皇と仁徳天皇もお願いします。
😮
ドーモ。ワオー=サン。
こういうことなのでは?
あれ? 倭の五王ってまだやってなかったっけ? ・・・・・・やってなかったわ!
倭の五王は九州の国の王様だと思うね。大和王権とは関係ないのではないでしょうか。大和王権が朝鮮半島への勢力を拡大するのは神功皇后の三韓征伐以降だから、それ以前にあった国の王様だと思います。
九州の勢力だけでは高句麗とやり合うのは難しかったと思います
4世紀の後半には大和王権が日本の大半を支配していたと思います
倭とは朝鮮半島南部から北部九州のことでしょう。天の日鉾=倭人
時代が逆。倭の五王は神功皇后の後の世代です。神功皇后の方が後の世代と思っているような書き方だが。
@@地球寒冷化 その通りですね。
@@地球寒冷化 そうですね。訂正します。
曹達なんて名前からして中国プロパーだよなあ