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ヘーシンクの勝利に歓喜して畳に走り込もうとしたオランダチームの関係者を即座に追っ払ったヘーシンクはほんとの強者であり人格者である
ヘーシンク選手のこの試合態度素晴らしいと思います。自分が勝利した後もまだ終わっていないと、関係者の方を制して試合場に入れなかった、そしてしっかりと道着を整え、礼をした。このような精神を忘れてはいけないと思うのです。武道だからなどと言うと堅苦しいかもしれないけど、スポーツマンシップのひとつの形としてとても尊いものだと思うのです。
仰せの通り、たとえ武道に非ずとも、対戦相手を尊敬し敗者を気遣うのはどの競技にも通じる基本中の基本だと思います。今回のオリンピックは同じ柔道日本の選手の中でも二極化していたと思います。なぜなのでしょう。
そのとおり!
全くその通りだと思います。何よりも素晴らしいのは、試合後のお互いの健闘を称えあう両者の笑顔。日本の武道にある「道」という言葉の意味を、この試合後の光景が雄弁に語っている。開会式・聖火ランナー・東洋の魔女他、当時高校生だった’64東京大会。この大会が今なお鮮明によみがえるのは私だけだろうか。
全く同意いたします。40年前高校柔道で2段をとったものですが、その頃山下さんの全盛期でまだ正しい柔道が確かに存在しました。ソウル五輪あたりからおかしくなったように思います。
品格ある素晴らしい試合でした。これぞ柔道です。🙇
パリオリンピックを観てると、この頃の柔道は面白そうで羨ましい
今の柔道は、ジャケットレスリングで異常に腰を引いて胴着の掴み合い引っ張り合い 見苦しい
@@user-fn7li2zf4i 今の柔道は判定・得点競技です。
ちゃんと寝てからも動くのが素晴らしい。これが本当の柔道。今の柔道はすぐ亀だヒラメだで固まってすぐ立つ。背中を畳に打ち付ければ良いだけの相撲だよ。
パリオリンピック真っ只中の今、フランスの柔道を見るにつけこのアントン・ヘーシンクさんの事を思い出す。正に心・技・体揃った素晴らしい選手でしたね。
改めてじっくり観ると、ヘーシンクさんは立派で偉大な柔道家だと思う。
あのでかいアントン・ヘーシンクに対して互角以上に渡り合った神永もすげーし、勝って駆け寄ってきた仲間を止めたヘーシンクもかっけえしすげー試合
8:12 駆け寄ろうとする関係者を手で制するヘーシンク。まさに武道家。
試合は「日本」が負けたけれども、柔道の心をへーシンクは立派に引き継いだ。「柔道」が勝ったのだと思います。
勝つと思うな思えば負けよ😅
「日本柔道がオランダ人のへーシンクに無惨に負けた日」としか知らなかったが、試合を見て、対戦者の神永選手は圧倒的な体格差が有りながら実に良く健闘したと感じた。恥じる事無き敗北です。
実際は、へーシンクは当時から世界最強の現役選手というのは関係者にとっては常識で、マスコミやよくわかってない外野の人が思い違いしてたってだけなんですよね。今で言うリネールに完封される原沢に失望するオリンピックの時だけ柔道を見る日本人みたいな。
@@user-qd5kq4on6p さん東京五輪のリネール対原沢選手のお話しが出たので申し上げます。私は、神永選手との違いは、原沢選手がリネールに対し「手も足も出ない」では無く、「手も足も出さない」原沢と感じました。前回のオリンピックでも原沢選手はリネールに同じような敗戦をし、全くその時の教訓を生かす事無く、何も成さずに敗戦してしまいました。私が原沢選手に掛けたい言葉は、「あなたは東京オリンピックに一体何の為に来たのか?」です。
柔道未経験ですが今は、腰を思いっきり腰を引いて胴着の掴み抵抗が酷く 胴着レスリングまたは、sns柔道当時は、姿勢正しく胴着襟首を掴んで正に柔道見事あります
@@gomr.1165 違うよ、原沢はリネールに実際勝ってたんだよ。柔道家の間では常識、
@@user-ez4oq2ih3j いや、負けていた。
神永が負けたことは悔しい反面、文句なしの内容に納得させられました。ヘーシンクはプロレス転向は失敗でしたが柔道では無双の強さです。パリオリンピックの柔道はこれとは比べものになりません。
そうですね、主審も公平ですね。これだけ身体が違うと、大人と子供で、なかなか柔よく剛をせいすとはいかないですね。オランダはルスカも強かった。プロレスに行ってしまった二人ですけど、時代的に、総合もないし、UFCなんかもなかったから、プロレスだったんでしょうね。
@@manboo990 様 御返信と貴重な御意見に深謝します。国際大会ではこのような豪快な試合が見られずただポイント稼ぎに終始するばかりですね。ヘーシンクもルスカもプロレスでは大成しなかったものの柔道では無双でしたね。
神永は仙台出身です。子供心に本当に悔しかった。でも美しい柔道だった。
今まで主に神永が抑え込まれたシーンしか見たことがなかったが、大きく両の手をあげると熊のようにも見える巨漢ヘーシンクに対して神永もかなり健闘していたんだね。神永は決して恥じる必要はないと思うね。このような方式で2試合戦っていたということも初めて知った。いい映像を見せてもらった。
飛び上がって喜ぶ選手も多い中、クールに武士道精神を貫くアントン・ヘーシンクまじかっこいい
この両手を上げてから組むところから始めるの、すごくいい
この頃の柔道はかっこいい。につきる
涙が自然と流れてきました。武道家とはかくあるべき!!
昔はちゃんと持たせる柔道だったんですね。礼儀もすばらしいし。
ヘーシンク氏は、地元の期待を背負った神永氏の事を思って、試合終了後を大切にしたんでしょうね。これぞスポーツマンシップ。そして武士道。
へーシンク選手は 礼儀も金メダルでした。勝てば良いのではない。っていう嘉納治五郎先生の柔道だと思います。礼をして畳を降りるまでは はしゃいだりとかはヤメてもらいたいです。
El gran Anton Geesink y su éxito inspirador. Gracias por compartir.
ヘーシンクは侍だ。外人が上ってくるのを手で払って戻しているし最後まで礼儀正しい。
ヘーシンクの支え釣り込みに入るタイミングが完璧すぎる!
神永選手、この試合の直後に、出勤して席に着いていたそうですね…。
この後、神永が日本上から誹謗中傷があったことの方が情け無いわ。何やってんだ日本人!
激しく同意😢
ビデオを見ると敗者復活で再びヘーシンクと戦って、得意の支え釣り込み足で完全に背中を床につけています。押さえ込み30秒で負けたと記憶してますが、その前に完全に負けました。日本人が勝って当然と考える日本社会のなかで神永さんのその後の人生は苦しかったと同情します。無差別とはいえこれだけの体格差で、勝つことは難しい。しかし全盛期の木村政彦氏であれば立場は逆転したと信じます。そう思わせるゴリラパワーがありました。土足で試合場に上がって来た仲間を手で制した態度は立派です。しかし手で制する必要もない道徳をこの時代の日本人は誰もが最初から身につけています。たとえ武道を知らなくとも全力で戦った相手に対しいたわりと尊敬の気持ちを失わず礼をします。その後オランダ人同様喜びを仲間と分かち合うのです。
プロレス転向のヘーシンクしか知らなかったけど、凄く紳士だったのですね。時代を感じる。
ヘイシングさん品のある勇者。菅総理のお話しで見ました。さすが世界を制したオランダ。国力とその国民ですね。美しい
@@user-mq8nl4qz2c 外国語は難しいよ。日本語表示した時点で日本語読みです
神永対ヘーシンク戦、テレビに釘付けになっていた当時が懐かしく思い出させます。
神永さん勝って欲しかったですが、へーシンクさんが礼を尽くし、神永さんが結果を受け入れたのは、救われました。
リアルタイムで見れたのですね!うらやましい限りです✨
ヘーシングは武士である。ポイントで逃げようとはしなかった
勝つことよりも武道であることを重んじるとそういうことが発生しますね
武道家であることの意味今の柔道家は ただのスポーツ選手が多いね!
貴重な映像をありがとうございました。
ヘーシンクも神永もよく戦った 勝者のヘーシンクの試合態度には 称賛されるべきものがあった 神永はもちろん 天才である
7:41 くらいから画面中央に写っている人はへーシンクを指導した日本人の道上伯 氏ですね。左側の男性が興奮したのか、勝利を確信したのか、体を乗り出しているのを制しています。へーシンクといえば勝利の瞬間にオランダチームが上がってこようとしたのを制したことで有名ですが、道上氏の教えが根底にあったのでしょう。それにしても道上氏の厳しい表情、複雑な心境だったことでしょうね。
日本の柔道三大潮流の内、講道館と武徳会。師も弟子も複雑だつたと思います。だからこそ、あの試合のへーシンクさんの態度は胸に迫ります。
ヘーシンクは前年のパリ世界選手権で優勝後、畳の上に新聞記者等がなだれ込み祝福して神永選手との礼ができなかった。この教訓から東京五輪では一切マスコミを上げなかった。天理大学でお世話になった師匠の松本氏からは、アントンじゃから負けても本望やなといわしめた。
6.05でヘーシンクが支えつり込みで神永を倒して、本来は1本取ってる。技ありに減じたのは、審判のホームタウンデジションだろう。神永は五輪前に足を負傷してたけど、それでも日本では一番強かったので、代わりの選手は考えられなかったのだろう。ヘーシンクは、五輪前の初期の頃は弱くて、日本で修行して強くなったので、自分の金メダルは日本の4個目のメダルだと言っていた。侍だね。
8:40 ここからの解説ほんとに名文だと思う。戦後20年、五輪の意味を深く知ってる言い方よね
負けた後の神永の振る舞いも素晴らしい。阿部詩は?
素晴らしい試合。これぞ柔道!神永先生に勝ったのがへーシンクでよかった。柔道が世界に広がる瞬間。
この実況音声は初めて聞いたなぁ~加えて観衆の動きに声、臨場感抜群で見てて力が入った。松本監督悔しそうだ😅
もしも、神永が勝っていたら「柔道は日本のローカルスポーツ」と烙印を押され、これほど国際化していなかっただろう。ヘーシンクが勝ったからこそヨーロッパ人が熱狂し、直後のメキシコ五輪でも柔道が採用された。
ヘーシングの武士道素晴らしいね
柔道だと思います。
勘違いですね。サムライでもありません@@user-dk1gw7mn5o
誰が出てもへーシンクには勝てなかった松本先生が神永には辛い役目を負わせてしまったと言われてましたね木村政彦先生が同世代にいたらと思うと残念ですね
そうです。誰も勝てない相手と戦わざるを得なかったのです。日本王者としての運命を呑み、責任を果たされたのです。
1969年の東京オリンピックは、まだ柔道でしたが、いつの間にかJUDOに変わってしまいました。JUDOに変わった事で、勝利至上主義になり勝利ばかりを追い求めて、嘉納治五郎師範の仰る精神の修養とは、余りにもかけ離れてしまいとても残念です。
1969年→1964年
数年前にNHKだったかな? 当該試合を見たことがあるが、何度見ても素晴らしい試合ですね。皆さんコメントされておられるように、選手・審判以外の人間が道場に上がろうとした折のヘーシング氏のあの姿。なんなら全世界の柔道初段試験の折りの必須科目としてこの動画を視聴させてもらいないくらいだ。
これが柔道ですね二人ともカッコ良い
Lots of respect in Judo, fantastic.
神永選手は無念だったでしょう。でもこの敗戦は決して無駄にはならなかったですね。
以前神永柔道の技の解説を見ましたが、ただ襟を持つのではなく持った手首をかえすと相手が動けなくなると言っていました。試してみたところなる程です。
この時から柔道の国際化が始まりました。日本人以外でも柔道で強くなれることを証明しました。日本人が泣く必要はなかった。オランダの優勝を心から祝福するだけで良かったのです。※ ヘーシンクは背が高いから勝ったのではなく、支えつり込み足という立派な技で投げて、さらに抑え込んだのです。
ヘーシンク氏の師匠は愛媛県八幡浜市出身ヘーシンク氏は武道のあり方を体現してくださいました。
へーシンクが、ヨーロッパで柔道を育成して欲しかった。神永選手も立派だと思うなぁ。最近は柔道も相撲もプロレスみたいになっていて嫌な気分になる。
こうしてみるとヘーシンクは格が違う。ずっと余裕だった。
This is the most complete version of the Open Weight final of 1964 Olympics! It seems clear that the fight was even until Geesink managed to pin Kaminaga with a Hon Kesa Gatame ! 😃🥋
神永選手は次の日には、普通に仕事してたらしいです・・ 何事もなかったように・・ヘーシンクはG馬場さんとプロレスやるなんて(笑)良い思い出です。当時は馬場さんからもっと攻撃しなさいと怒られてましたよ話題をすり替えますが、阿部兄弟 勝ちましたね^^
えっ!ヘーシンクさんがプロレスを..w
得意技はアルゼンチンバックブリーカー!
プロレス転向のへーシンク、観てたけど、試合開始から両腕高く上げるなど、柔道そのままだった、センスあるとも思えず、体格身長は一人前の見てくれだけは立派だった。
へーシングが喜び勇んで畳に上がろうとした人を 制して 下がれ!とやってる所に感動した 今から50年前に 私の町にプロレスの興行でやって来ました 猪木さんとやったのかなぁ 忘れたけど へーシングは凄い人気でした
この試合結果が、いまだに柔道が五輪で続けられる理由だとのこと。しかし、講道館柔道の終了。でも当時15分って凄い。今は5分か?延長はあるにせよ。凄すぎる。
今の採点から見ると、あれっと思うところはあるが、ヘーシンクさんは、実際強いと思う。これで、神永氏が当然勝つと思うなんて、柔道協会の人、考えが驕ってたのではと思える。
はじめてこの試合を見たけど明らかに体格と実力の差はありますね。あの当時の196cm 120kgって言うと今なら202cm 140kgぐらいの体格の選手でしょうね。リネールに似たような体格でしょうね。
猪熊が畳の下で泣いていたね…神永より小さい自分だったら、むしろ下から担ぎ上げて…と思ったかも?五輪の数年前の世界選手権で日本の上位選手たちを総なめにしたのがヘーシンク…神永にみんなが全てを託した試合でしたよ
epic old school match . Respect
Pura historia del judo, Impresionante!!!!
ヘーシンクとジョン・ブルミンの真剣勝負も見てみたかった……
ヘーシンクは日本で本格的な柔道を学んだ日本柔道のスタイルで戦った。そして敗れたのだから残念ながら完敗といってもいいでしょう。日本柔道に対抗する外国人オリジナルのスタイルが出来たのはミュンヘン五輪のウィリアム・ルスカ辺りからかと思います。
ヘーシンクってあんな長身なんだけど奥襟は取らないスタイルなのね
ヘーシンクも神永も立派だった。この東京大会、日本は他の競技のどんな金メダルよりもこの柔道無差別級の金メダルを獲得しなければならないという雰囲気だった。今回の詩選手にかかっていた重圧などこの時の神永選手のものと比べればゴミみたいものである。今回の詩選手の試合後の態度はあまりにもひどく恥ずかしくいくら非難されても当然である。
へーシンクさんは既に世界選手権優勝してて優勝第一候補ですから神永さんは過度な期待だけされて可哀想ですその神永さんが上村春樹さんを無差別級五輪王者に育て上げたプロジェクトXを見て思いました
神永さん、敗者復活からの決勝と、初めて知りました。2回戦ったのですね。いずれも激戦じゃないですか。あっさりやられたような映像しか見てないので、感動。ただ、決勝、ヘーシンクの投げ(支えつり込み足?)、一本じゃないの?
まじでびっくりです。その前の神永選手の体落しもどうして一本にならないのか、現代の基準では全く理解不能。
ヘーシンク氏が後にNHKの番組で、東京五輪の決勝戦でヘーシンク選手が負けて、神永選手が勝っていたら、次の五輪では柔道は五輪の種目に入らなかったと言っておられ、あの時、私(ヘーシンク氏)が勝って良かったのです。と言っておられましたね❗
ヘーシンクの支え釣り込み足は決して力任せの技ではない。あの絶妙なタイミングは日本柔道そのものです。ただ、日本人の柔道家はついにヘーシンクに勝てきった。それは無念でしょうね。
神永さん、オリンピック直前に左ひざ靭帯断裂してしまいますが、周囲に隠しています。元々ヘーシンクと身長で20センチ近く、体重で20キロ近い差があるので、神永さんは投げ技が得意なのですが、神永さんの柔道が出来なかったという感じですね。神永さんは身長180センチ位で、ヘーシンクは大きかった。
Thanks fron Spain 🔴
教育大の柔道だったのちの高校の体育の先生が、当日現場で決勝戦の始めに構えた時、神永さんの背中側から見て一回り大きかった相手に、どうするのかなぁ…と思ったと云う…この動画は今見ても涙が出ます…
もしもヘーシンクが負けていたら日本人がメダル独占になってたのでその場合は柔道がローカルスポーツ扱いされて1972年に正式種目になることは無かっただろうと言われているので柔道の国際化のターニングポイントだったんだよね。
柔道競技はこの64年大会で初めて正式競技に採用。当時は日本選手と外国人選手の実力差は各クラスとも歴然としており、日本の全階級制覇は当然と思われていた。ということは、柔道の採用は開催国日本への無条件の金メダルのプレゼントに久しく、事実最終日まで、ライト級中谷、ミドル級岡野、ヘビー級猪熊と順調に優勝、ほとんどの日本人は残る無差別級の神永で予定通り?4階級制覇は成ったも同然と思い込んでいた。ところが、予想以上にヘーシンクが強く、神永はあっという間に降参。それでも1階級金が銀に変わっただけで、あたかも全階級メダルなしのように日本中が唖然呆然大騒ぎ。考えたらプレゼントの金4個が3個になっただけなのに、何とも贅沢で増長慢なことではあった。
この歴史的な無差別級の決勝で、外国人が優勝した。一般に、このことが柔道の国際化の第一歩になったと言われている。言い換えれば、オリンピックスポーツとしての礎を築いた。
神永選手は頑張った。🇯🇵
「オリンピックは参加することに意義がある。」とのアナウンサーの絶叫に時代の変遷を感じますね。今はそんな古臭いことを誰も言わなくなりました。商業主義一辺倒で「オリンピックは勝つことに意義がある。」です。
神永選手、完敗です。黒縁メガネの女性❤タイプです❤
神永さんって敗者復活戦から勝ち上がってきたんだ。知らなかった。確か抑え込みで負けたはずなのに判定に持っていったから「変だな」と思った。
背番号があるのが何とも…(笑)。3年前にも書いたけど、敗者復活戦から金メダルもあり得るんだ。今はレスリングも含め最高で銅メダルどまりでしょ? 2024.08.25 10:42
木村政彦が出てたら、99パーセント勝っていたといわれている。でも、ヘーシングが勝ったおかげで、柔道は世界的な人気を得たともいえよう。長い目で見ればよかったのかも?
1964年、木村氏は47歳ですよ。鬼の木村と言えど現役復帰は無理でしょう。もっとも弟子の岩釣兼生によると、岩釣氏の現役時代、木村氏は50代になっていたが、寝技ではまったく勝てなかったそうですが。
ユニフォームがnipponに成ってたんだな!
Japanになって、「柔道」が「JUDO」になりました
前東京五輪時の神永さんは最強の時、日本中が唖然とした。全階級制覇は当然と思っていた。
東京オリンピックで神永が抑え込まれたその時「柔道」から世界の「JUDO」になりミュンヘンから正式種目になった。
ヘーシンクは、支え吊り込み足で1本を取っていた。その後のおさえ込みを見て、主審は技アリに抑えていた。ヘーシンクが何回も1本を取った試合だった。
この方、日本でトレーニング受けていたのですってね❗当時、知りませんでした❗
木村政彦外伝に書いてありましたが、この頃の日本柔道は寝技を軽視していたみたいですね
決勝のNHKのテレビ実況は川原恵輔アナ、民放は例によって?TBSのエース・渡辺謙太郎アナ。
え・・・?昔の外国人柔道家ってマナー良い!日本の礼をとても重んじてますやん!大野将平選手の原点ってここいら辺なんでしょうか?すごく感動したんですが💦
これぞJYUDOUではなく柔の道、柔道ですね
ヘーシンクと猪熊の試合は見たかったです。猪熊も金メダル取ってるので 試合したら どうなったのか 全くわからないですね。 準決勝で神永が勝ったグラーンって 8年後のミュンヘンオリンピックに出場してたグラーンと同一人物ですかね? ミュンヘンでは篠巻がグラーンに勝利したような記憶だけど 篠巻も結局 準決勝にも行けず メダルは取れなかったけど
クラウス・グラーン選手ですね。同一人物です。ミュンヘン五輪では篠巻選手を破っています。グラーン選手が準決勝で敗退した為、篠巻選手は敗者復活戦にも回れませんでした。
神永氏がヘーシンクに負けたにせよ、この当時(1964年=第二次大戦が終わって10年程度)からこれだけ強い選手が外国にいたということは=それだけ柔道が世界各国に深く浸透していた、受け入れられていたという事の現れでもあるのだから、それはそれで柔道の誇りとしていいと思う。発祥国だけが長年に渡り常に「強者」のままになっているな競技は、それだけ世界各国に受け入れられていないという事でもあるのだから。
体格差はあるけれどもヘーシンクはただデカイわけではない。強かったし柔道の精神をわきまえている。柔道が今も五輪競技に残っているのはヘーシンクの功績も大きいでしょう。
このころはまだ講道館の柔道でしたね。奥襟をつかまなかったのですね当時は。
へーシンクは武専柔道。指導者は道上伯。
ワイが会ったことがない、若くして亡くなったじいちゃん。柔道の猛者だったらしく、ヘーシンクが天理かどっかに練習に来た際に、一緒に練習したそうだ。そして彼を見て思ったそうです。「日本、やられるな」と。そのジーちゃんと母に似ているワイは、格闘技は苦手である。
苦手な人こそ上達する不思議。それが武道
「無差別級」だけでワクワクするよ
試合前から日本中に、柔道日本が負けるはずがない的な見方が多かった。子供心に、そういうものなんだと思って観ていた。結果はご存知の通り。今になって思えば、この頃は未だ神風日本みたいな風潮が残っていた気がする。つまり、神の後ろ盾があるから、戦争には負けたがせめて柔道くらいは勝つはずだと。だから負けた時は、何が起こったのかが理解出来なかった記憶がある。
今回の阿部一二三の畳の上での振る舞いに神永の面影を感じました
ほとんどの階級は金メダル、無差別級だけへーシングと記憶するが、神永さんの名前は知らなかった、子どもの頃でした‼️ごめんなさいね
すばらしい勝利後の行動
神永とヘーシンクでは技の完成度が違う。この頃から既に「乱取り」=技の練習、という勘違いも甚だしい練習方法が確立されていき、今の、技のない殆ど力任せの柔道に変遷してしまった…
どうせなら坂口征二対ヘーシンク見たかった〜!
この負けがあったから今でもオリンピック種目に残れていると言われてますね。日本が全階級制覇してたら終わっていたと
ヘーシンクの勝利に歓喜して畳に走り込もうとしたオランダチームの関係者を即座に追っ払ったヘーシンクはほんとの強者であり人格者である
ヘーシンク選手のこの試合態度素晴らしいと思います。
自分が勝利した後も
まだ終わっていないと、関係者の方を制して試合場に入れなかった、
そしてしっかりと道着を整え、礼をした。
このような精神を忘れてはいけないと思うのです。
武道だからなどと言うと堅苦しいかもしれないけど、スポーツマンシップのひとつの形としてとても尊いものだと思うのです。
仰せの通り、たとえ武道に非ずとも、対戦相手を尊敬し敗者を気遣うのはどの競技にも通じる基本中の基本だと思います。今回のオリンピックは同じ柔道日本の選手の中でも二極化していたと思います。
なぜなのでしょう。
そのとおり!
全くその通りだと思います。
何よりも素晴らしいのは、試合後のお互いの健闘を称えあう両者の笑顔。日本の武道にある「道」という言葉の意味を、この試合後の光景が雄弁に語っている。
開会式・聖火ランナー・東洋の魔女他、当時高校生だった’64東京大会。この大会が今なお鮮明によみがえるのは私だけだろうか。
全く同意いたします。40年前高校柔道で2段をとったものですが、その頃山下さんの全盛期でまだ正しい柔道が確かに存在しました。ソウル五輪あたりからおかしくなったように思います。
品格ある素晴らしい試合でした。これぞ柔道です。🙇
パリオリンピックを観てると、この頃の柔道は面白そうで羨ましい
今の柔道は、ジャケットレスリングで異常に腰を引いて胴着の掴み合い引っ張り合い 見苦しい
@@user-fn7li2zf4i 今の柔道は判定・得点競技です。
ちゃんと寝てからも動くのが素晴らしい。これが本当の柔道。今の柔道はすぐ亀だヒラメだで固まってすぐ立つ。背中を畳に打ち付ければ良いだけの相撲だよ。
パリオリンピック真っ只中の今、フランスの柔道を見るにつけ
このアントン・ヘーシンクさんの事を思い出す。
正に心・技・体揃った素晴らしい選手でしたね。
改めてじっくり観ると、
ヘーシンクさんは立派で
偉大な柔道家だと思う。
あのでかいアントン・ヘーシンクに対して互角以上に渡り合った神永もすげーし、勝って駆け寄ってきた仲間を止めたヘーシンクもかっけえしすげー試合
8:12 駆け寄ろうとする関係者を手で制するヘーシンク。まさに武道家。
試合は「日本」が負けたけれども、柔道の心をへーシンクは立派に引き継いだ。
「柔道」が勝ったのだと思います。
勝つと思うな思えば負けよ😅
「日本柔道がオランダ人のへーシンクに無惨に負けた日」としか知らなかったが、試合を見て、対戦者の神永選手は圧倒的な体格差が有りながら実に良く健闘したと感じた。恥じる事無き敗北です。
実際は、へーシンクは当時から世界最強の現役選手というのは関係者にとっては常識で、マスコミやよくわかってない外野の人が思い違いしてたってだけなんですよね。
今で言うリネールに完封される原沢に失望するオリンピックの時だけ柔道を見る日本人みたいな。
@@user-qd5kq4on6p さん
東京五輪のリネール対原沢選手のお話しが出たので申し上げます。私は、神永選手との違いは、原沢選手がリネールに対し「手も足も出ない」では無く、「手も足も出さない」原沢と感じました。前回のオリンピックでも原沢選手はリネールに同じような敗戦をし、全くその時の教訓を生かす事無く、何も成さずに敗戦してしまいました。私が原沢選手に掛けたい言葉は、「あなたは東京オリンピックに一体何の為に来たのか?」です。
柔道未経験ですが今は、腰を思いっきり腰を引いて胴着の掴み抵抗が酷く 胴着レスリングまたは、sns柔道当時は、姿勢正しく胴着襟首を掴んで正に柔道見事あります
@@gomr.1165 違うよ、原沢はリネールに実際勝ってたんだよ。柔道家の間では常識、
@@user-ez4oq2ih3j
いや、負けていた。
神永が負けたことは悔しい反面、文句なしの内容に納得させられました。ヘーシンクはプロレス転向は失敗でしたが柔道では無双の強さです。パリオリンピックの柔道はこれとは比べものになりません。
そうですね、主審も公平ですね。
これだけ身体が違うと、大人と子供で、なかなか柔よく剛をせいすとはいかないですね。オランダはルスカも強かった。プロレスに行ってしまった二人ですけど、時代的に、総合もないし、UFCなんかもなかったから、プロレスだったんでしょうね。
@@manboo990 様 御返信と貴重な御意見に深謝します。国際大会ではこのような豪快な試合が見られずただポイント稼ぎに終始するばかりですね。ヘーシンクもルスカもプロレスでは大成しなかったものの柔道では無双でしたね。
神永は仙台出身です。子供心に本当に悔しかった。でも美しい柔道だった。
今まで主に神永が抑え込まれたシーンしか見たことがなかったが、大きく両の手をあげると熊のようにも見える巨漢ヘーシンクに対して神永もかなり健闘していたんだね。神永は決して恥じる必要はないと思うね。このような方式で2試合戦っていたということも初めて知った。いい映像を見せてもらった。
飛び上がって喜ぶ選手も多い中、クールに武士道精神を貫くアントン・ヘーシンクまじかっこいい
この両手を上げてから組むところから始めるの、すごくいい
この頃の柔道はかっこいい。
につきる
涙が自然と流れてきました。
武道家とはかくあるべき!!
昔はちゃんと持たせる柔道だったんですね。礼儀もすばらしいし。
ヘーシンク氏は、地元の期待を背負った神永氏の事を思って、試合終了後を大切にしたんでしょうね。
これぞスポーツマンシップ。そして武士道。
へーシンク選手は 礼儀も金メダルでした。
勝てば良いのではない。っていう嘉納治五郎先生の柔道だと思います。
礼をして畳を降りるまでは はしゃいだりとかはヤメてもらいたいです。
El gran Anton Geesink y su éxito inspirador. Gracias por compartir.
ヘーシンクは侍だ。外人が上ってくるのを手で払って戻しているし最後まで礼儀正しい。
ヘーシンクの支え釣り込みに入るタイミングが完璧すぎる!
神永選手、この試合の直後に、出勤して席に着いていたそうですね…。
この後、神永が日本上から誹謗中傷があったことの方が情け無いわ。
何やってんだ日本人!
激しく同意😢
ビデオを見ると敗者復活で再びヘーシンクと戦って、得意の支え釣り込み足で完全に背中を床につけています。押さえ込み30秒で負けたと記憶してますが、その前に完全に負けました。日本人が勝って当然と考える日本社会のなかで神永さんのその後の人生は苦しかったと同情します。
無差別とはいえこれだけの体格差で、勝つことは難しい。しかし全盛期の木村政彦氏であれば立場は逆転したと信じます。そう思わせるゴリラパワーがありました。
土足で試合場に上がって来た仲間を手で制した態度は立派です。しかし手で制する必要もない道徳をこの時代の日本人は誰もが最初から身につけています。たとえ武道を知らなくとも全力で戦った相手に対しいたわりと尊敬の気持ちを失わず礼をします。その後オランダ人同様喜びを仲間と分かち合うのです。
プロレス転向のヘーシンクしか知らなかったけど、凄く紳士だったのですね。時代を感じる。
ヘイシングさん品のある勇者。菅総理のお話しで見ました。
さすが世界を制したオランダ。国力とその国民ですね。
美しい
@@user-mq8nl4qz2c 外国語は難しいよ。日本語表示した時点で日本語読みです
神永対ヘーシンク戦、テレビに釘付けになっていた当時が懐かしく思い出させます。
神永さん勝って欲しかったですが、へーシンクさんが礼を尽くし、神永さんが結果を受け入れたのは、救われました。
リアルタイムで見れたのですね!
うらやましい限りです✨
ヘーシングは武士である。ポイントで逃げようとはしなかった
勝つことよりも武道であることを重んじるとそういうことが発生しますね
武道家であることの意味
今の柔道家は ただのスポーツ選手が
多いね!
貴重な映像をありがとうございました。
ヘーシンクも神永もよく戦った 勝者のヘーシンクの試合態度には 称賛されるべきものがあった 神永はもちろん 天才である
7:41 くらいから画面中央に写っている人はへーシンクを指導した日本人の道上伯 氏ですね。左側の男性が興奮したのか、勝利を確信したのか、体を乗り出しているのを制しています。へーシンクといえば勝利の瞬間にオランダチームが上がってこようとしたのを制したことで有名ですが、道上氏の教えが根底にあったのでしょう。それにしても道上氏の厳しい表情、複雑な心境だったことでしょうね。
日本の柔道三大潮流の内、講道館と武徳会。
師も弟子も複雑だつたと思います。
だからこそ、あの試合のへーシンクさんの態度は胸に迫ります。
ヘーシンクは前年のパリ世界選手権で優勝後、畳の上に新聞記者等がなだれ込み祝福して神永選手との礼ができなかった。この教訓から東京五輪では一切マスコミを上げなかった。天理大学でお世話になった師匠の松本氏からは、アントンじゃから負けても本望やなといわしめた。
6.05でヘーシンクが支えつり込みで神永を倒して、本来は1本取ってる。技ありに減じたのは、審判のホームタウンデジションだろう。神永は五輪前に足を負傷してたけど、それでも日本では一番強かったので、代わりの選手は考えられなかったのだろう。ヘーシンクは、五輪前の初期の頃は弱くて、日本で修行して強くなったので、自分の金メダルは日本の4個目のメダルだと言っていた。侍だね。
8:40 ここからの解説ほんとに名文だと思う。戦後20年、五輪の意味を深く知ってる言い方よね
負けた後の神永の振る舞いも素晴らしい。
阿部詩は?
素晴らしい試合。これぞ柔道!神永先生に勝ったのがへーシンクでよかった。柔道が世界に広がる瞬間。
この実況音声は初めて聞いたなぁ~
加えて観衆の動きに声、臨場感抜群で見てて力が入った。
松本監督悔しそうだ😅
もしも、神永が勝っていたら「柔道は日本のローカルスポーツ」と烙印を押され、これほど国際化していなかっただろう。ヘーシンクが勝ったからこそヨーロッパ人が熱狂し、直後のメキシコ五輪でも柔道が採用された。
ヘーシングの武士道素晴らしいね
柔道だと思います。
勘違いですね。サムライでもありません@@user-dk1gw7mn5o
誰が出てもへーシンクには勝てなかった
松本先生が神永には辛い役目を負わせてしまったと言われてましたね
木村政彦先生が同世代にいたらと思うと残念ですね
そうです。誰も勝てない相手と戦わざるを得なかったのです。日本王者としての運命を呑み、責任を果たされたのです。
1969年の東京オリンピックは、まだ柔道でしたが、いつの間にかJUDOに変わってしまいました。
JUDOに変わった事で、勝利至上主義になり勝利ばかりを追い求めて、嘉納治五郎師範の仰る精神の修養とは、余りにもかけ離れてしまいとても残念です。
1969年→1964年
数年前にNHKだったかな? 当該試合を見たことがあるが、何度見ても素晴らしい試合ですね。
皆さんコメントされておられるように、選手・審判以外の人間が道場に上がろうとした折のヘーシング氏のあの姿。なんなら全世界の柔道初段試験の折りの必須科目としてこの動画を視聴させてもらいないくらいだ。
これが柔道ですね
二人ともカッコ良い
Lots of respect in Judo, fantastic.
神永選手は無念だったでしょう。でもこの敗戦は決して無駄にはならなかったですね。
以前神永柔道の技の解説を見ましたが、ただ襟を持つのではなく持った手首をかえすと相手が動けなくなると言っていました。試してみたところなる程です。
この時から柔道の国際化が始まりました。日本人以外でも柔道で強くなれることを証明しました。日本人が泣く必要はなかった。オランダの優勝を心から祝福するだけで良かったのです。※ ヘーシンクは背が高いから勝ったのではなく、支えつり込み足という立派な技で投げて、さらに抑え込んだのです。
ヘーシンク氏の師匠は愛媛県八幡浜市出身
ヘーシンク氏は武道のあり方を体現してくださいました。
へーシンクが、ヨーロッパで柔道を育成して欲しかった。
神永選手も立派だと思うなぁ。
最近は柔道も相撲もプロレスみたいになっていて嫌な気分になる。
こうしてみるとヘーシンクは格が違う。ずっと余裕だった。
This is the most complete version of the Open Weight final of 1964 Olympics! It seems clear that the fight was even until Geesink managed to pin Kaminaga with a Hon Kesa Gatame ! 😃🥋
神永選手は次の日には、普通に仕事してたらしいです・・ 何事もなかったように・・
ヘーシンクはG馬場さんとプロレスやるなんて(笑)
良い思い出です。当時は馬場さんからもっと攻撃しなさいと
怒られてましたよ
話題をすり替えますが、阿部兄弟 勝ちましたね^^
えっ!ヘーシンクさんがプロレスを..w
得意技はアルゼンチンバックブリーカー!
プロレス転向のへーシンク、観てたけど、試合開始から両腕高く上げるなど、柔道そのままだった、センスあるとも思えず、体格身長は一人前の見てくれだけは立派だった。
へーシングが喜び勇んで畳に上がろうとした人を 制して 下がれ!とやってる所に感動した 今から50年前に 私の町にプロレスの興行でやって来ました 猪木さんとやったのかなぁ 忘れたけど へーシングは凄い人気でした
この試合結果が、いまだに柔道が五輪で続けられる理由だとのこと。
しかし、講道館柔道の終了。
でも当時15分って凄い。今は5分か?延長はあるにせよ。凄すぎる。
今の採点から見ると、あれっと思うところはあるが、ヘーシンクさんは、実際強いと思う。これで、神永氏が当然勝つと思うなんて、柔道協会の人、考えが驕ってたのではと思える。
はじめてこの試合を見たけど明らかに体格と実力の差はありますね。あの当時の196cm 120kgって言うと今なら202cm 140kgぐらいの体格の選手でしょうね。リネールに似たような体格でしょうね。
猪熊が畳の下で泣いていたね…神永より小さい自分だったら、むしろ下から担ぎ上げて…と思ったかも?
五輪の数年前の世界選手権で日本の上位選手たちを総なめにしたのがヘーシンク…神永にみんなが全てを託した試合でしたよ
epic old school match . Respect
Pura historia del judo, Impresionante!!!!
ヘーシンクとジョン・ブルミンの真剣勝負も見てみたかった……
ヘーシンクは日本で本格的な柔道を学んだ日本柔道のスタイルで戦った。そして敗れたのだから残念ながら完敗といってもいいでしょう。
日本柔道に対抗する外国人オリジナルのスタイルが出来たのはミュンヘン五輪のウィリアム・ルスカ辺りからかと思います。
ヘーシンクってあんな長身なんだけど奥襟は取らないスタイルなのね
ヘーシンクも神永も立派だった。この東京大会、日本は他の競技のどんな金メダルよりもこの柔道無差別級の金メダルを獲得しなければならないという雰囲気だった。今回の詩選手にかかっていた重圧などこの時の神永選手のものと比べればゴミみたいものである。今回の詩選手の試合後の態度はあまりにもひどく恥ずかしくいくら非難されても当然である。
へーシンクさんは既に世界選手権優勝してて優勝第一候補ですから神永さんは過度な期待だけされて可哀想です
その神永さんが上村春樹さんを無差別級五輪王者に育て上げたプロジェクトXを見て思いました
神永さん、敗者復活からの決勝と、初めて知りました。2回戦ったのですね。いずれも激戦じゃないですか。あっさりやられたような映像しか見てないので、感動。ただ、決勝、ヘーシンクの投げ(支えつり込み足?)、一本じゃないの?
まじでびっくりです。その前の神永選手の体落しもどうして一本にならないのか、現代の基準では全く理解不能。
ヘーシンク氏が後にNHKの番組で、東京五輪の決勝戦でヘーシンク選手が負けて、神永選手が勝っていたら、次の五輪では柔道は五輪の種目に入らなかったと言っておられ、あの時、私(ヘーシンク氏)が勝って良かったのです。と言っておられましたね❗
ヘーシンクの支え釣り込み足は決して力任せの技ではない。あの絶妙なタイミングは日本柔道そのものです。
ただ、日本人の柔道家はついにヘーシンクに勝てきった。それは無念でしょうね。
神永さん、オリンピック直前に左ひざ靭帯断裂してしまいますが、周囲に隠しています。元々ヘーシンクと身長で20センチ近く、体重で20キロ近い差があるので、神永さんは投げ技が得意なのですが、神永さんの柔道が出来なかったという感じですね。神永さんは身長180センチ位で、ヘーシンクは大きかった。
Thanks fron Spain 🔴
教育大の柔道だったのちの高校の体育の先生が、当日現場で決勝戦の始めに構えた時、神永さんの背中側から見て一回り大きかった相手に、どうするのかなぁ…と思ったと云う…
この動画は今見ても涙が出ます…
もしもヘーシンクが負けていたら日本人がメダル独占になってたのでその場合は柔道がローカルスポーツ扱いされて1972年に正式種目になることは無かっただろうと言われているので柔道の国際化のターニングポイントだったんだよね。
柔道競技はこの64年大会で初めて正式競技に採用。当時は日本選手と外国人選手の実力差は各クラスとも歴然としており、日本の全階級制覇は当然と思われていた。ということは、柔道の採用は開催国日本への無条件の金メダルのプレゼントに久しく、事実最終日まで、ライト級中谷、ミドル級岡野、ヘビー級猪熊と順調に優勝、ほとんどの日本人は残る無差別級の神永で予定通り?4階級制覇は成ったも同然と思い込んでいた。ところが、予想以上にヘーシンクが強く、神永はあっという間に降参。それでも1階級金が銀に変わっただけで、あたかも全階級メダルなしのように日本中が唖然呆然大騒ぎ。考えたらプレゼントの金4個が3個になっただけなのに、何とも贅沢で増長慢なことではあった。
この歴史的な無差別級の決勝で、外国人が優勝した。
一般に、このことが柔道の国際化の第一歩になったと言われている。
言い換えれば、オリンピックスポーツとしての礎を築いた。
神永選手は頑張った。🇯🇵
「オリンピックは参加することに意義がある。」とのアナウンサーの絶叫に時代の変遷を感じますね。今はそんな古臭いことを誰も言わなくなりました。商業主義一辺倒で「オリンピックは勝つことに意義がある。」です。
神永選手、完敗です。黒縁メガネの女性❤タイプです❤
神永さんって敗者復活戦から勝ち上がってきたんだ。知らなかった。確か抑え込みで負けたはずなのに判定に持っていったから「変だな」と思った。
背番号があるのが何とも…(笑)。3年前にも書いたけど、敗者復活戦から金メダルもあり得るんだ。今はレスリングも含め最高で銅メダルどまりでしょ? 2024.08.25 10:42
木村政彦が出てたら、99パーセント勝っていたといわれている。でも、ヘーシングが勝ったおかげで、柔道は世界的な人気を得たともいえよう。長い目で見ればよかったのかも?
1964年、木村氏は47歳ですよ。鬼の木村と言えど現役復帰は無理でしょう。
もっとも弟子の岩釣兼生によると、岩釣氏の現役時代、木村氏は50代になっていたが、寝技ではまったく勝てなかったそうですが。
ユニフォームがnipponに成ってたんだな!
Japanになって、「柔道」が「JUDO」になりました
前東京五輪時の神永さんは最強の時、日本中が唖然とした。全階級制覇は当然と思っていた。
東京オリンピックで神永が抑え込まれたその時「柔道」から世界の「JUDO」になりミュンヘンから正式種目になった。
ヘーシンクは、支え吊り込み足で1本を取っていた。
その後のおさえ込みを見て、主審は技アリに抑えていた。
ヘーシンクが何回も1本を取った試合だった。
この方、日本でトレーニング受けていたのですってね❗当時、知りませんでした❗
木村政彦外伝に書いてありましたが、この頃の日本柔道は寝技を軽視していたみたいですね
決勝のNHKのテレビ実況は川原恵輔アナ、民放は例によって?TBSのエース・渡辺謙太郎アナ。
え・・・?
昔の外国人柔道家ってマナー良い!
日本の礼をとても重んじてますやん!
大野将平選手の原点ってここいら辺なんでしょうか?
すごく感動したんですが💦
これぞJYUDOUではなく柔の道、柔道ですね
ヘーシンクと猪熊の試合は見たかったです。猪熊も金メダル取ってるので 試合したら どうなったのか 全くわからないですね。 準決勝で神永が勝ったグラーンって 8年後のミュンヘンオリンピックに出場してたグラーンと同一人物ですかね? ミュンヘンでは篠巻がグラーンに勝利したような記憶だけど 篠巻も結局 準決勝にも行けず メダルは取れなかったけど
クラウス・グラーン選手ですね。同一人物です。ミュンヘン五輪では篠巻選手を破っています。グラーン選手が準決勝で敗退した為、篠巻選手は敗者復活戦にも回れませんでした。
神永氏がヘーシンクに負けたにせよ、この当時(1964年=第二次大戦が終わって10年程度)からこれだけ強い選手が外国にいたということは=それだけ柔道が世界各国に深く浸透していた、受け入れられていたという事の現れでもあるのだから、それはそれで柔道の誇りとしていいと思う。発祥国だけが長年に渡り常に「強者」のままになっているな競技は、それだけ世界各国に受け入れられていないという事でもあるのだから。
体格差はあるけれどもヘーシンクはただデカイわけではない。
強かったし柔道の精神をわきまえている。
柔道が今も五輪競技に残っているのはヘーシンクの功績も大きいでしょう。
このころはまだ講道館の柔道でしたね。奥襟をつかまなかったのですね当時は。
へーシンクは武専柔道。指導者は道上伯。
ワイが会ったことがない、若くして亡くなったじいちゃん。
柔道の猛者だったらしく、ヘーシンクが天理かどっかに練習に来た際に、一緒に練習したそうだ。そして彼を見て思ったそうです。
「日本、やられるな」と。
そのジーちゃんと母に似ているワイは、格闘技は苦手である。
苦手な人こそ上達する不思議。それが武道
「無差別級」だけでワクワクするよ
試合前から日本中に、柔道日本が負けるはずがない的な見方が多かった。子供心に、そういうものなんだと思って観ていた。結果はご存知の通り。今になって思えば、この頃は未だ神風日本みたいな風潮が残っていた気がする。つまり、神の後ろ盾があるから、戦争には負けたがせめて柔道くらいは勝つはずだと。だから負けた時は、何が起こったのかが理解出来なかった記憶がある。
今回の阿部一二三の畳の上での振る舞いに神永の面影を感じました
ほとんどの階級は金メダル、無差別級だけへーシングと記憶するが、神永さんの名前は知らなかった、子どもの頃でした‼️ごめんなさいね
すばらしい
勝利後の行動
神永とヘーシンクでは技の完成度が違う。この頃から既に「乱取り」=技の練習、という勘違いも甚だしい練習方法が確立されていき、今の、技のない殆ど力任せの柔道に変遷してしまった…
どうせなら坂口征二対ヘーシンク見たかった〜!
この負けがあったから今でもオリンピック種目に残れていると言われてますね。日本が全階級制覇してたら終わっていたと