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最終、DNA鑑定が出来たら良いと思います。北海道南部に義経神社や、ロシアのグラジオストックに義経公園、義経の墓があったとロシア人が証言されてたそうです。他、義経の足跡が日本や海外にあるということは、よほど凄い人物であったと思われます。夢が膨らんでウキウキしながら聞いています。有難うございました。
たぶん、ソ連は回収したチンギスの遺体を隠してしまったと思う。もし、義経がチンギスになったなら、戦前の大陸進出の政治的意味合いが変わっていく恐れがある。
明治、大正時代に移住した日本人が伝説話しを広め更に膨らませた創作話し現地に残る笹竜胆モチ―フも同じで彼らが作り広めた過去から縁が在るとした方が進出しやすい彼らは大陸浪人と呼ばれ満州の奥深くまで進出した{馬賊の歌}義経がジンギスカンなら墓は沿海州ウラジオストクには無いモンゴル世界帝国発祥の地カラコルムに在る
遊牧民族のモンゴルで下戸はかなり珍しいのでは。頼朝が部下が持って来た義経の首を一切確認しなかった話とかも思い出しました。
たしかに。下戸は厳しいかもですね😅
成吉思汗(ジンギスカン)と漢字で書くけど、静御前が義経を思い歌った、「しずやしずしずのおだまき繰り返し昔が今となすよしもがな」の”なすよしもがな”と読めることを知った時は鳥肌たった。
私もそうでした❤その後、色々と本を読み、現場調査などを行うに連れて、確信を持つようになりました。
ですよね❗️私も鳥肌ものでした😳
吉なりて汗(分けると水➕干=水干)を思う水干は静御前の舞衣装だと…吉野で別れた静御前を偲んで成吉思汗と名乗った、とある作家さんは推理していましたね。笹竜胆の紋章や騎馬戦に長けていた義経の事を思うと、限りなく成吉思汗=義経に惹かれます。
ハ―ン{日本の当て字で汗→カンと読ます}は騎馬民族の長の称号中華帝国を脅かせた北方騎馬民族匈奴の長もハ―ン→汗・可汗・于であった匈奴の有名な長は長冒頓単于モンゴルで有名な長は元皇帝クビライ汗[ハ―ン]オゴデイ汗[ハ―ン]→ジンギスカ汗の息子で三男のモンゴル第2代皇帝兄弟にジョチ、チャガタイがいて有能だが兄弟争いが絶えなかっので2人共にモンゴル帝国後継者から外された 長男ジョチはキプチャク汗国の祖に成り次男チャガタイはチャガタイ汗国の祖になった
汗[ハ―ン]とは遊牧民族の長の称号、ハ―ン→汗・可汗・于とも書くカンは日本語読み北方騎馬民族匈奴の有名な長は冒頓単于であった
モンゴル人力士の日本語発音は完璧 発声音特に母音が同じなのであろう。
義経チンギスハン説が「なぜモンゴル人力士が多いのか」にも繋がると壮大なロマンです😍
@@gakucafe-uenoモンゴル相撲が日本相撲に似ていると新人発掘に角界親方が勧誘したから大金が稼げると云う事もモンゴル相撲経験者が多く角界入りした原因の一つ
「義経は成吉思汗に」田中良一著をご一読いただければ、それらのナゾが解けるのではと思われます❤ネットにて、「田中良一、義経は成吉思汗に、本、晴天街」ご購入できます。おもしろいですよ😊
田中さんの続編撮りましょう
仮想小説、厨ニ病夢日記みたいに読みましょう😂バカらしくて腹も立たない😂🎉
まぁあの加来さんがおこりながらしゃべっていたので、あの人はあまり冷静でない。あの先生の方がエンタメ要素が強い。
加来先生、インタビューさせてください❗️
世界の偉人と魂と話せると豪語した某宗教団体の故人総帥みたいだなー
昭和47年頃、世界史の授業で先生が源義経を音読みすると「ゲン ギ ケイ」、これを早口で何度も繰り返すとジンギスカンになると、無理矢理寄せて発音していた事を思い出した。(笑)
おもしろいですね❗源義経は音読みで「ゲンギケイ」ですね。これを大陸満州の人たちは「チンウチイ」とか「チンウスイ」などと呼んでいたとのことです。そしてモンゴルやチベットでは「チンギス」と呼ばれていたようです。「聖チンギス」とチベットの古文書には書かれています!1195年の頃、モンゴルの義経のゲルの回りで水鳥たちが「チンギス、チンギス、チンギス」と何回も鳴いた、と語られています!おもしろいですね❗
それ、おもしろい😳
面白いねぇ。まぁ、一概に否定出来んよね。シュリーマンの例もあるし。当時の匈奴(モンゴル人)の言葉も、かなり、今とは違ってたと思うね。又、地図で調べてみたら、ジンギスカンが名付けたとされる「Hangayn Nur」(ハンガン山脈)・・[図面ではハンガイとなってる]も、ちゃんと存在してるよ。ハンガン=判官だろうなと思うよ。
確かに、カンは、役職名とか敬称みたいなものだと思うので、チンギスだとすると、源義経でゲンギクとかチンギスみたく読める。
@@室井修-k1rカン=ハ―ン→汗・可汗・于は騎馬民族の長の称号カンは日本語読みジンギス汗の三男で在る2代目はオゴデイ汗と呼ばれる長男ジョチは今のカザフスタン辺りでキプチャク汗国で独立次男チャガタイはウクライナ辺りでチャガタイ汗国で独立した後に欧州から黄金のオルドと呼ばれた欧州の防壁は当時は軍事大国でベラルーシ辺りまで支配したポーランド王国ロシアはまだモスクワ公国と云う小国で黄金のオルドに従ったオルド→移動式天幕汗の天幕は黄金で装飾された有名なクビライ・ハーン[汗]は元王朝5代目皇帝
十三湊は出雲王家の富(十三=トミ)氏が最期の拠点としていた貿易港であるらしい。富氏の祖先はインドから樺太経由で日本に入ってきたという。
知らなかった😳
私個人はモンゴル人としてのテムジンは実在し、チンギス・カンになったと思うが、その傍に義経が奥州藤原氏ゆかりの騎馬隊(金採掘の為、秀衡の時代に大陸へ渡っていた藤原家臣団)を率いて名前を変えていたのではないかと思う。もし義経がチンギスになったとしたら、ただでさえ恨みや敵意を買っていたチンギスが毒矢等による戦傷から回復せずに死ぬ時の秘かな遺命により、四駿四狗の合意の下、チンギスを装って生きた場合だと思う。可能性は低いが、絶対ないとは思えない。
昔高校の日本史の教科書に「神祇官」という官職を見つけ、義経が難を逃れた先で「我は神祇官である。」と言ったのがジンギスカンの始まりでは無いかーなどとボンヤリと思いました。何の根拠も有りませんが。
なるほど❗️田中先生に伝えます‼️
想像力が豊かですね。しかし、具体的根拠や状況証拠はありません。他人の前では言わないほうが良いでしょう❤😂
カン→ハーン=汗は騎馬民族の長の称号チンギス・ハーン[汗]フビライ・ハーン[汗]オゴタイ・ハーン[汗]などと呼ばれる漢字当て字で[汗]日本語読みでカン
@@鷹の爪団員ジャステス 「ハン=王」だと思ってました😳
@@gakucafe-uenoハ―ンは騎馬民族の長[族長]の称号
古い日本語は右から左へ書くと習ったのですが、どのように解釈すれば良いでしょうか
大河ドラマなどで、泰衡と義経の仲が悪かったように描かれるけど実は二人の関係は真逆で、泰衡は襲ったように見せかけて、義経一行を大陸に逃がした・・だったらいいな😆
風俗習慣も言語も異なるモンゴルの地で、その地の民を統率出来たのだろうか?義経にそのような能力があったのか。モンゴルに付き従った義経の家来は何人いたのか? 義経がモンゴル国の開祖だとするならば、何故100年後に日本に攻めてきたのか?
確かに現実的に考えると「ホント❓」と思っちゃいますよね😅本当だったら浪漫ですけど🥰
兄・頼朝に追われたので、孫・フビライが祖父の恨みを晴らそうとしたのではないか?(勿論、私の勝手な推測ですw)
なら聞くけど風俗習慣も言語も異なるアフリカ大陸やアジアの地で、その地を植民地化出来たのだろうか?先進的な軍事力で欧州諸国が簡単に実現したよなそれまで契丹や女真に圧倒され、北方遊牧民族の中でも最弱小に分類されていたモンゴル族むしろ移住者にとって入り込みやすい環境だし、定住するなら最適だろう。弱小モンゴル側も先進的な軍事的な技術や知恵を与えてくれる義経一団を喜んで受け入れたのは想像しやすい圧倒的な軍事力を誇示する金朝に、憎き平家の姿を重ね、肩身狭い思いをしていた蒙古族に源氏(自身の過去)を見たのかも知れないモンゴルに辿り着くまでに満州の内部は十分に目に焼きつけてきたであろう義経一団ならば、どの程度の軍事力と戦略なら金朝を打倒できるかぐらい簡単に目算できたはず歴戦の覇者であった源義経ならば尚更…それまでおとなしかった弱小遊牧民族が、短期間で女真族を滅ぼす突然変異なんて起せるはずもなかった匈奴、鮮卑、契丹、女真…常に従属してきた弱小民族なのだから。突然変異を起こしたのは、源義経というアドレナリンが注入されたからだと思うちなみに遼の王族耶律一族の祖は倭族なりと契丹古伝に記されているソースがソースなだけに信憑性はともかくw更に遡れば朝鮮三国時代の百済と高句麗の王族の故地は大陸内部(モンゴルに近い)の扶余とされており、民と王族が違う言語を話したとされている面白いのが、その百済の使者とのやり取りで倭国とは通訳が必要なかった事が判明しているひょっとすると義経一団と当時の蒙古族が通訳無しでも会話ができた可能性もあるのかもしれない
@@wanksta1 当時の蒙古族が義経一行と通訳なしで意思疎通できたなどという説は荒唐無稽ですね。それに互いの親族関係が全然違うだろうし、何よりも義経一行が突然やってきたならそのことが記録に残っているはずです。蒙古側はもちろん義経側も記録に残すはずです。そんな記録は残っていますか。契丹古伝と義経一行のことは直接関係ないでしょう。時代が全然違います。
@@wanksta1従属などしない草原の民好きな時に何処にでも移動出来るので支配者も掴みきれ無い争いは放牧地を巡り同族同士で在るソレを纏めたのがテムジンハ―ンに成りジンギスハ―ンを名乗る伝説は後から付いてくる
個人的には他国の英雄が実は日本人でした、というのはK国人みたいで恥ずかしいのでやめて欲しいモンゴルの人が自分から言うなら否定しないけど
韓国人ってそういうイメージ❓チンギスハンを取られたらモンゴル人は激怒するでしょうね😅
モンゴル人が自分から言い出しても荒唐無稽は荒唐無稽。
これ右派の人達が嫌う韓国とやってる事変わらんよな(むしろそれより酷い)他国の英雄を自国の英雄にしようとするとか恥ずかしいにも程がある
義経だったらやれたと思う。壮大な歴史ロマン。
ですよね❗️ロマンがある😍
@@gakucafe-ueno 映画化か、大河ドラマ化してほしいです。
捏造好きのNHKなら大河ドラマを作るかも?
捏造が得意な某局なら制作するだろう?
捏造大河ドラマ誕生か?
今朝気が付きましたが源氏→gengi→genghisとモンゴル人の耳にはこうなるのでは? 別班 ベッパン beppan viviant とドラマで言っていたのを思い出しました。khanはカン、ハンと発音し王という意味で汗は中国の当て字で発音が同じということでしょう。
伝言ゲームで言葉が変わっていくのに似てますね😅
@@gakucafe-ueno 言葉遊びで御容赦ください。テムジンが居たので義経といつ入れ替わったのかという問題がありありえませんが有るとすれば夢が広がる人も居るでしょうね。モンゴルは大きな功績があれば外国人でも称号を与えますがKhanは王族だけにしか与えられないです。
源氏というか、源義経を音読みすればそんな感じに読める。
日本人の義経が、モンゴル人達を率いる?実際に北海道でも、アイヌ民族達を率いたからね!絶対的な、カリスマが有るんだろうな!戦闘の天才か?
天才牛若丸❗️
奥州藤原氏も従ったんじゃないかな。源頼朝の圧力を感じただろうし。奥州藤原氏は交易していたから、通訳できただろうし。
@@室井修-k1r義経を討つたのは藤原三代の当主藤原泰衡
モンゴル人に聞いたところ、九、は幸運の数字。九郎判官義経から来ているのか?と思いました。
なるほど❗️国が違えばラッキーナンバーも違う😳
一つ足すと十に成る最初から満点より一つ足りない九がラツキーナンバー十ならもう後が無い😫九ならまだ後が在る😁
弁慶は関所を通るため義経を殴り、自分の君主ではないと訴えました。この時の怪我の治りが悪くハーンは弁慶でした。ハーンの子は自分が後継者だと思ってしまいましたが、弁慶は義経のご子息にハーンを返すつもりでした。弁慶の親子喧嘩で滅びてしまいました。私の聞いた話です。
恐れながら、聞かなかったことにしましょう❤
@@田中良一-x9l 承知しました。
全くその通りです。それが真実です!
ハ―ンは汗・可汗・于と書き騎馬民族の長[族長]の称号破戒坊主の弁慶が騎馬民族族長の訳が無い😂
樋口季一郎のことを記した「流氷の海」にもソ連で源氏の遺跡があったと記されていた。
なんと❗️やはり🫣
@@gakucafe-ueno明治、大正時代に日本から移住した人が持ち込んだ伝説話しが現地で広まった
こうではないだろうかと推論をやめさせようとする感情が理解できない。自分が正しいと思っていることが真実ではないですよ。無意識の啓蒙主義者にならないようにね❤
重要なご指摘と思います。両陣営共に、常識を疑う謙虚さが欲しいですね
シーボルトとか日本の学者もジンギスカン=義経説を唱えていますので、あながち珍説でもないのでは?
@@室井修-k1rシ―ボルトは日本の判官贔屓の話しを聞きかじりしただけ歌舞伎義経千本桜は庶民には大人気演目だった
私が見えた映像では、彼は東北で捕まり船で護送中に逃げようと海に飛び込んで溺死してますね、。場所は石巻。 多分それで死体があがるまで時間がかかり遅れた。 助かって無いと思うが、、?、 他には、宮城の塩竈神社に寄ってる。 あと富山の氷見だったかな? 旅好き。それと多分若い頃に、1人で嵐山を探索してる。 旅お茶屋があった、現代では喫茶店になってる。美術芸術系の出身星の流れを持ってると思われます。 金星人系かも?。 鞍馬寺がそうだから。
やはり平泉では死してない❗️
@@gakucafe-ueno他所で亡くなつただけだ
とても面白く聞かせて頂きました。 次は 大塩格之助 (平八郎 遺児) 洪秀全 同一人物説で お願いします。
同一人物シリーズ🫣
乾隆帝が「源義経が成吉思汗である」と言ってるぞ。
乾隆帝と云えばラ―メン🍜の裏に名前が在る
言ってないわそもそも乾隆帝が日本の英雄に言及した記録なんて一つもない言及した記録を出してくれ
1 コメントの中にDNA鑑定すればと書かれています。ふかのうではないのではないですか。2 ジンギスカンのy染色体を持つ者が世界で2000万人ほどいるそうです。義経は制が源氏です。足利氏は義経(頼朝兄弟の)の先祖義家の2男の系統です。足利氏のY染色体を特定して比較する判別できる尾ではないですか。喜連川氏が明治に足利に複製しています。系統に不安があるようなら、高家吉良氏あるいは分家今川氏・高家品川氏のy僭称代をサンプルにして、系統関係ははっきりできるはずです。3 因みに、シーボルトの日本人子孫、米独立宣言を書いたトーマス・ジェファーソンの黒人の子孫も特定されています。
義経と島津が繋がっているのが驚き😮
私も驚きました😳
義経ではなく薩摩島津家が自称源氏系統であった話し当時の戦国大名は自称源氏系統と自称平氏系統がいた両氏とも天皇家と繋がりが在り武士の始まりであった源氏→清和天皇[清和源氏と称す]平氏→桓武天皇[桓武平氏と称す]繋がりが無くても出自に値打ちを持たす為に主張した
義経=チンギスハンは俺たちの願望
テムジン用兵論は明治時代の作品ですか?英道先生も尋ねていましたが、わからない、とおっしゃっていました。
テムジン用兵論はロシアの学者イワニンが書いたといわれますが、19世紀の後半の作とネットにありました。大江広元の扶桑見聞私記と同様ですが、しっかりと調査、解読することが大切と思います!😊
私の著書「義経は成吉思汗に!」の187、188ページに記載しています❤ご覧ください!
ジンギス・ハ―ン=源義経は明治時代に創作された話しと云う事か?
向こうの人は、ゲ・ギ・ジの発音に区別が無いだか、そんな事を昔読んだ気がする。だから、『ゲンギケイカンと読んでみろと言ったら、何度もどもりながら最終的にチンキーセーハンと言った』と言うのも分かる。昔、中国人女性だったけど、うさぎ🐇を『ウサジ』と発音したのを思い出したので、書き込んでみました😚
なるほど😳面白いですねそれ🤣
ハン[汗]は遊牧民族長の称号
シェアしました。(義経夢の会LINE)
ありがとうございます‼️
DNA的に考えると日本人は中国・韓国とは違うけどモンゴル人とは同じ、と聞いたことがあります。自信はあまり無い…💦
いや、なんかそんな気はしますね🤔
肖像画もそっくりですね。
言われてみれば🤔
何処が?義経は小男で痩せて反っ歯だったと云う判官贔屓で絶世の美形男児にされた
P10の2にある「女直」ですが「女真」の誤りではないでしょうか?「女真」を嫌って「満洲」の語を定めたのが、清朝初代皇帝のヌルハチです。
満州人を、漢民族は「女直」又は『女真」と漢字音写文字で呼んでいたようです。蒙古ラマ教史には、満州の女直(Man-ju-jur-chid)の小王ワンスン(Wan-zun)は逃れて・・・・・。と書かれています。満州の名前は「文殊菩薩」から来ているようです。その意味は「聡明な人」とのことらしいです。ありがとうございます。
田中良一先生より回答するように伝えてあります🫡
田中英道著「やはり義経はチンギスハーンだった」【秦氏ユダヤ人義経(幼名牛若丸)はなぜユーラシア大陸を支配できたか?】は名著です。
実は、この田中良一さんは「義経ーチンギス・ハーンの会」の副会長でして、会長はまさにその東北大学名誉教授田中英道先生です❗️ちょうど明日10月7日(土)永田町全国町村会館の大ホールにて行われるシンポジウムにお二人とも登壇予定です❗️
この著書の著者は、自身の金稼ぎのための言動がめだち全くあてにならない。
古墳時代にユダヤ人来訪説を唱えた人物証拠はユダヤ人の被る帽子を付けた埴輪だと😂だがユダヤ人がこの帽子を初めて被ったのは中世中欧の大国オ―ストリア帝国首都ウィ―ンの国家発令命令から日本では鎌倉幕府の元寇があった時代で在る当然古墳時代にはオ―ストリア帝国は存在しない歴史感めちゃくちゃな主張で在るこれでも某大学名誉教授で在る名誉教授ならデタラメ主張しても通用する様だ
ユダヤ人来訪説でもデマばかりですョ真面目な研究者が迷惑している肩書人物
私は まさか? と思ってましたが、最近信じるようになってきました。 北も理解でき無い今、、800年前を理解できる 頭 あるわけ無い。
理解というより、知るということ(認識)が先ず大切と思います!❤
たしかに。端にも棒にも引っかからない話…というわけでもないと思います🤔
信ずる者は救われる
ただ、本ヲ、読んでいる動画ですね!???😅
うましか
ばか🫢
@@gakucafe-ueno𓃗🦌😂
モンゴルにそのような言い伝えがあるのでしょうか
田中良一さんにコメント返信してもらいます🫡
発掘調査などが進めば、文書や資料なとか発見されるかも知れません。東北地方の人々の中には義経は平泉で死なずに北海道から大陸へ渡ったと祖父母から聞いたという声もあります❤モンゴルでも同じかも知れません。
無いですねモンゴルの英雄が外来人だったなんて信じるモンゴル人はいない戦国の英雄織田信長が外来人だったと信じる人はいないと同じ尚、北海道に風呂と云う苗字の方がいるこの家に義経が現れ当主が風呂を勧めて礼に風呂名を授かったと家伝に在るそうだ義経も風呂姓だけとはケチだな風呂だけで無く寝所と食事も提供されている逃げる際には奥州の金を持っていただろうから1握りでも礼に渡せば良かったのになおそらく助かって逃げた側近侍辺りが義経を名乗っただけだろう義経のブレ―ンであった常陸坊海尊は逃れ東北で行者になってる
無いですね日本だけです
田中英道先生が先駆著書を読むと理解できます。
DNA解析の結果から見ると可能性ゼロ😂
DNA解析されてるんですか⁉️😳
いつ解析されたのですか❓その結果もご存知だしたら伺いたいです
チンギス・ハーンの遺体、義経の遺体モ見つかっていないのでDNA解析不可能ですよね@@gakucafe-ueno
センギシホン
❓
清和源氏、ボルジギン?
成吉思汗 センギシホン ジンギスカン 食物やねリンズシャンの歌
@@ユリコタカジン 🤣ウケる
@@田中良一-x9l 殿。ボルジギン? ボラギノールの事かい?
𓃗🫎な問答だなー判官贔屓ここに極まれリ👎
😅判官贔屓
周囲に日本人と思われる家来がいない。バルジュナトの中に日本人は何人いましたか?
1人で乗り込んだ…わけないですもんね…やはりあり得ない伝説か😅
歴史ねつ造は隣国によくありがち❗️日本の歴史までねつ造したいのでしょうか?
確かに隣国もよくやる手かもですね😅ただ、今我々が学んでる歴史も捏造されてるかもしれないと疑ってみる目は必要かもしれません。…何を信じて良いかわからなくなりますが…
黄金の国ジパングって誰から聞いたんだろうな。平泉に金色堂ってあるよな。
黄金の国と金色堂…点と点が線で結ばれそうですね🤔
そのようですね😊成吉思汗の孫、フビライの時代に元国を訪れて、皇帝に謁見したマルコポーロの東方見聞録に書かれているとのことです❤
@@田中良一-x9l マルコポーロって日本に来てないんでしょ?フビライから聞いたのかな?だとしたら、フビライは誰から聞いたんだろうね。
キリストの墓が青森に有ると同じような都市伝説
キリストの墓は竹内文書の創作
もしそうだとしたら、なぜ、日本を攻めたのでしょうか?
義経主従は東北地方の若武者たちやアイヌの若者たち300人と共に大陸に渡り、1190年と1192に極東アジアで女直や高麗と戦い、臣下にしています。その後、約10年間、義経主従一行はこの満州で現地人たちとの融和と同化を図りながら、モンゴルへの侵攻を進めて行きます。満州民族の清国の乾隆帝が我々の祖先は源義経であり、清和源氏である!と語ったことも虚偽ではないと考えます❤又、成吉思汗の孫であるフビライは祖父から日本の平泉のことなどを聞いていたと思われます😊フビライは日本を攻撃する前に、二度三度使者を通じて手紙やみやげ物を送り、恭順と交易を求めます❤しかし、執権北条一族はそれを無視、拒否し、使者たちを殺します。フビライは怒り、日本を攻撃しますか、その兵士たちはモンゴル人以外で構成されていたとも聞きます😢成吉思汗やフビライにとって、満州や日本は敵ではなく、仲間、同士であったのではと私は考えます❤
攻めたのはクビライでしょ
蒙古襲来はモンゴルは日本を攻める気はそもそも無く、朝鮮等周辺国からけしかけられて仕方なくやったらしいです。神風で蒙古軍が沈んだ、というのは後の創作で、神風は無かったし、一日で蒙古軍は帰ったそうです
兄貴と日本への復讐…🫣
あんだけ領土広げたら全部とりたいと思わないかな
老兵去るのみ⤵️(><)⤵️‼️
別に義経とチンギスハンの関係ぐらい老兵も考えていいだろ‼️口悪すぎ😑
@@gakucafe-ueno、単なる陰謀論⤵️www
アナタハエガシラニジゴジュップンですか?
チガウトオモイマス
駄洒落とこじつけ笑かせてもろた
今後シリーズ化して参ります🫡
まったく、別人だと分かりました。
😅
別人だよ。と、思うが・・・。会ってないので分からんね・・・わしには。
これはひどい。
🫣
モンゴル統治できるなら、頼朝に勝って日本統治出来るだろマジwww
恥ずかしいからこんな動画やめてください。
浪漫はあります
恥ずかしいことは全くありませんよ。堂々と真正面からしっかりとご覧ください❤
シーボルトとか東大教授とかも提唱してましたね。
@@室井修-k1rシ―ボルトは聞きガジリ大学名誉教授は目立つ為と本を売る為
@@室井修-k1rシ―ボルトは判官贔屓の聞きかじり大学名誉教授は眉唾理論
判官贔屓の引き倒し、目新しくもない与太話し。
判官びいきではありません!貴方もご存知の通り、不明なところが多くあります❣❣蒙古ラマ教史に記載されている事柄や成吉思汗の名前の調査、研究内容などからも直ぐに多くの疑問箇所が見られます!肩ひじ張らずに、ゆっくりと真実を求めて楽しみましょう❤
韻を踏んでて良いコメント😳
よくある英雄死んで無い伝説真田幸村は秀頼と淀君を伴い南蛮船で呂宋[フィリピン]に逃れた織田信長は本能寺を抜け出し後を変の演出した光秀に託し南蛮船でジャワ又はシャムに向かった秀吉の反応が早すぎた為に小栗栖で影武者を立て死んだことにして南光坊天海と名前を変え時期を見て家康に天下を゙取らせ自分は影に回った説なんてどうかな?近年なら英雄?だがヒトラーが生存して南極基地に隠れているなんてあった
ジンギスカンは、義経では無くて!部下の弁慶が、演じたらしい(¯―¯٥)まあ、どちらもジンギスカンか?
7号で🎵
弁慶でもいいからジンギスカンが日本人であって欲しい
弁慶の立ち往生の新しい伝説が生まれた🎉
🇯🇵日本の学校教育法では「🇯🇵日本の最高学府は四年制大学」と明記されてる。だから日本の最高学府とは四年制の学部つまり学位は学士が最高位である。大学院は前期後期で四年制じゃないので「日本の学校教育法ではたんなる塾あつかいにすぎない。」よって日本の修士、博士はたんなる価値のないものである。
大学院が最高だと思ってました😳
なーるほど。学士→大威張り。
日露戦争時に日本兵が大陸で大日本源義経の墓を見た人がたくさんいたことからジンギスカン=源義経と言う説が広まったと聞いています。モンゴルのタタール人に源義経を読ませるとチンギスハンとなるのも証拠では。
面白い❗️田中良一さんと収録コラボしませんか❓uenoyasuhiro0613@gmail.com
東大教授の本郷和人からは返答はあったんですか、想像するに、都合の悪いことは無視では、まあ歴史の真実よりお立場が大切なお方なのでしかたないか。
おっしゃる通りです。議論から逃げています。
Y染色体ハプロタイプが違うのでは?背乗りが生業の詐欺師。日本人では無いね。
詳しい😳
最終、DNA鑑定が出来たら良いと思います。
北海道南部に義経神社や、ロシアのグラジオストックに義経公園、義経の墓があったとロシア人が証言されてたそうです。
他、義経の足跡が日本や海外にあるということは、よほど凄い人物であったと思われます。
夢が膨らんでウキウキしながら聞いています。
有難うございました。
たぶん、ソ連は回収したチンギスの遺体を隠してしまったと思う。
もし、義経がチンギスになったなら、戦前の大陸進出の政治的意味合いが変わっていく恐れがある。
明治、大正時代に移住した日本人が伝説話しを広め
更に膨らませた創作話し
現地に残る笹竜胆モチ―フも同じ
で彼らが作り広めた
過去から縁が在るとした方が進出しやすい
彼らは大陸浪人と呼ばれ満州の奥深くまで進出した
{馬賊の歌}
義経がジンギスカンなら墓は沿海州ウラジオストクには無い
モンゴル世界帝国発祥の地カラコルムに在る
遊牧民族のモンゴルで下戸はかなり珍しいのでは。
頼朝が部下が持って来た義経の首を一切確認しなかった話とかも思い出しました。
たしかに。下戸は厳しいかもですね😅
成吉思汗(ジンギスカン)と漢字で書くけど、静御前が義経を思い歌った、「しずやしずしずのおだまき繰り返し昔が今となすよしもがな」の”なすよしもがな”と読めることを知った時は鳥肌たった。
私もそうでした❤
その後、色々と本を読み、現場調査などを行うに連れて、確信を持つようになりました。
ですよね❗️私も鳥肌ものでした😳
吉なりて汗(分けると水➕干=水干)を思う
水干は静御前の舞衣装だと…
吉野で別れた静御前を偲んで成吉思汗と名乗った、とある作家さんは推理していましたね。
笹竜胆の紋章や騎馬戦に長けていた義経の事を思うと、限りなく成吉思汗=義経に惹かれます。
ハ―ン{日本の当て字で汗→カンと読ます}
は騎馬民族の長の称号
中華帝国を脅かせた北方騎馬民族匈奴の長もハ―ン→汗・可汗・于であった
匈奴の有名な長は長冒頓単于
モンゴルで有名な長は
元皇帝クビライ汗[ハ―ン]
オゴデイ汗[ハ―ン]→ジンギスカ汗の息子で三男のモンゴル第2代皇帝
兄弟にジョチ、チャガタイがいて有能だが兄弟争いが絶えなかっので2人共にモンゴル帝国後継者から外された
長男ジョチはキプチャク汗国の祖に成り
次男チャガタイはチャガタイ汗国の祖になった
汗[ハ―ン]とは遊牧民族の長の称号、
ハ―ン→汗・可汗・于とも書く
カンは日本語読み
北方騎馬民族匈奴の有名な長は
冒頓単于であった
モンゴル人力士の日本語発音は完璧 発声音特に母音が同じなのであろう。
義経チンギスハン説が「なぜモンゴル人力士が多いのか」にも繋がると壮大なロマンです😍
@@gakucafe-ueno
モンゴル相撲が日本相撲に似ていると新人発掘に角界親方が勧誘したから
大金が稼げると云う事もモンゴル相撲経験者が多く角界入りした原因の一つ
「義経は成吉思汗に」田中良一著をご一読いただければ、それらのナゾが解けるのではと思われます❤
ネットにて、「田中良一、義経は成吉思汗に、本、晴天街」ご購入できます。おもしろいですよ😊
田中さんの続編撮りましょう
仮想小説、厨ニ病夢日記みたいに読みましょう😂
バカらしくて腹も立たない😂🎉
まぁあの加来さんがおこりながらしゃべっていたので、あの人はあまり冷静でない。あの先生の方がエンタメ要素が強い。
加来先生、インタビューさせてください❗️
世界の偉人と魂と話せると豪語した某宗教団体の故人総帥みたいだなー
昭和47年頃、世界史の授業で先生が源義経を音読みすると「ゲン ギ ケイ」、これを早口で何度も繰り返すとジンギスカンになると、無理矢理寄せて発音していた事を思い出した。(笑)
おもしろいですね❗
源義経は音読みで「ゲンギケイ」ですね。
これを大陸満州の人たちは「チンウチイ」とか「チンウスイ」などと呼んでいたとのことです。
そしてモンゴルやチベットでは「チンギス」と呼ばれていたようです。
「聖チンギス」とチベットの古文書には書かれています!
1195年の頃、モンゴルの義経のゲルの回りで水鳥たちが「チンギス、チンギス、チンギス」と何回も鳴いた、と語られています!
おもしろいですね❗
それ、おもしろい😳
面白いねぇ。まぁ、一概に否定出来んよね。シュリーマンの例もあるし。当時の匈奴(モンゴル人)の言葉も、かなり、今とは違ってたと思うね。又、地図で調べてみたら、ジンギスカンが名付けたとされる「Hangayn Nur」(ハンガン山脈)・・[図面ではハンガイとなってる]も、ちゃんと存在してるよ。ハンガン=判官だろうなと思うよ。
確かに、カンは、役職名とか敬称みたいなものだと思うので、チンギスだとすると、源義経でゲンギクとかチンギスみたく読める。
@@室井修-k1r
カン=ハ―ン→汗・可汗・于は騎馬民族の長の称号
カンは日本語読み
ジンギス汗の三男で在る2代目はオゴデイ汗と呼ばれる
長男ジョチは今のカザフスタン辺りでキプチャク汗国で独立
次男チャガタイはウクライナ辺りでチャガタイ汗国で独立した
後に欧州から黄金のオルドと呼ばれた
欧州の防壁は当時は軍事大国でベラルーシ辺りまで支配したポーランド王国
ロシアはまだモスクワ公国と云う小国で黄金のオルドに従った
オルド→移動式天幕
汗の天幕は黄金で装飾された
有名なクビライ・ハーン[汗]は元王朝5代目皇帝
十三湊は出雲王家の富(十三=トミ)氏が最期の拠点としていた貿易港であるらしい。富氏の祖先はインドから樺太経由で日本に入ってきたという。
知らなかった😳
私個人はモンゴル人としてのテムジンは実在し、チンギス・カンになったと思うが、その傍に義経が奥州藤原氏ゆかりの騎馬隊(金採掘の為、秀衡の時代に大陸へ渡っていた藤原家臣団)を率いて名前を変えていたのではないかと思う。
もし義経がチンギスになったとしたら、ただでさえ恨みや敵意を買っていたチンギスが毒矢等による戦傷から回復せずに死ぬ時の秘かな遺命により、四駿四狗の合意の下、チンギスを装って生きた場合だと思う。
可能性は低いが、絶対ないとは思えない。
昔高校の日本史の教科書に「神祇官」という官職を見つけ、義経が難を逃れた先で「我は神祇官である。」と言ったのがジンギスカンの始まりでは無いかーなどとボンヤリと思いました。何の根拠も有りませんが。
なるほど❗️田中先生に伝えます‼️
想像力が豊かですね。
しかし、具体的根拠や状況証拠はありません。
他人の前では言わないほうが良いでしょう❤😂
カン→ハーン=汗は騎馬民族の長の称号
チンギス・ハーン[汗]
フビライ・ハーン[汗]
オゴタイ・ハーン[汗]
などと呼ばれる
漢字当て字で[汗]日本語読みでカン
@@鷹の爪団員ジャステス 「ハン=王」だと思ってました😳
@@gakucafe-ueno
ハ―ンは騎馬民族の長[族長]の称号
古い日本語は右から左へ書くと習ったのですが、どのように解釈すれば良いでしょうか
大河ドラマなどで、泰衡と義経の仲が悪かったように描かれるけど
実は二人の関係は真逆で、泰衡は襲ったように見せかけて、義経一行を大陸に逃がした・・
だったらいいな😆
風俗習慣も言語も異なるモンゴルの地で、その地の民を統率出来たのだろうか?義経にそのような能力があったのか。モンゴルに付き従った義経の家来は何人いたのか? 義経がモンゴル国の開祖だとするならば、何故100年後に日本に攻めてきたのか?
確かに現実的に考えると「ホント❓」と思っちゃいますよね😅本当だったら浪漫ですけど🥰
兄・頼朝に追われたので、孫・フビライが祖父の恨みを晴らそうとしたのではないか?(勿論、私の勝手な推測ですw)
なら聞くけど
風俗習慣も言語も異なるアフリカ大陸やアジアの地で、その地を植民地化出来たのだろうか?
先進的な軍事力で欧州諸国が簡単に実現したよな
それまで契丹や女真に圧倒され、北方遊牧民族の中でも最弱小に分類されていたモンゴル族
むしろ移住者にとって入り込みやすい環境だし、定住するなら最適だろう。
弱小モンゴル側も先進的な軍事的な技術や知恵を与えてくれる義経一団を喜んで受け入れたのは想像しやすい
圧倒的な軍事力を誇示する金朝に、憎き平家の姿を重ね、肩身狭い思いをしていた蒙古族に源氏(自身の過去)を見たのかも知れない
モンゴルに辿り着くまでに満州の内部は十分に目に焼きつけてきたであろう義経一団ならば、どの程度の軍事力と戦略なら金朝を打倒できるかぐらい簡単に目算できたはず
歴戦の覇者であった源義経ならば尚更…
それまでおとなしかった弱小遊牧民族が、短期間で女真族を滅ぼす突然変異なんて起せるはずもなかった
匈奴、鮮卑、契丹、女真…常に従属してきた弱小民族なのだから。
突然変異を起こしたのは、源義経というアドレナリンが注入されたからだと思う
ちなみに遼の王族耶律一族の祖は倭族なりと契丹古伝に記されている
ソースがソースなだけに信憑性はともかくw
更に遡れば朝鮮三国時代の百済と高句麗の王族の故地は大陸内部(モンゴルに近い)の扶余とされており、民と王族が違う言語を話したとされている
面白いのが、その百済の使者とのやり取りで倭国とは通訳が必要なかった事が判明している
ひょっとすると義経一団と当時の蒙古族が通訳無しでも会話ができた可能性もあるのかもしれない
@@wanksta1 当時の蒙古族が義経一行と通訳なしで意思疎通できたなどという説は荒唐無稽ですね。それに互いの親族関係が全然違うだろうし、何よりも義経一行が突然やってきたならそのことが記録に残っているはずです。蒙古側はもちろん義経側も記録に残すはずです。そんな記録は残っていますか。契丹古伝と義経一行のことは直接関係ないでしょう。時代が全然違います。
@@wanksta1
従属などしない草原の民
好きな時に何処にでも移動出来るので支配者も掴みきれ無い
争いは放牧地を巡り同族同士で在る
ソレを纏めたのがテムジン
ハ―ンに成りジンギスハ―ンを名乗る
伝説は後から付いてくる
個人的には他国の英雄が実は日本人でした、というのはK国人みたいで恥ずかしいのでやめて欲しい
モンゴルの人が自分から言うなら否定しないけど
韓国人ってそういうイメージ❓チンギスハンを取られたらモンゴル人は激怒するでしょうね😅
モンゴル人が自分から言い出しても荒唐無稽は荒唐無稽。
これ
右派の人達が嫌う韓国とやってる事変わらんよな(むしろそれより酷い)
他国の英雄を自国の英雄にしようとするとか恥ずかしいにも程がある
義経だったらやれたと思う。壮大な歴史ロマン。
ですよね❗️ロマンがある😍
@@gakucafe-ueno 映画化か、大河ドラマ化してほしいです。
捏造好きのNHKなら大河ドラマを作るかも?
捏造が得意な某局なら制作するだろう?
捏造大河ドラマ誕生か?
今朝気が付きましたが源氏→gengi→genghisとモンゴル人の耳にはこうなるのでは? 別班 ベッパン beppan viviant とドラマで言っていたのを思い出しました。khanはカン、ハンと発音し王という意味で汗は中国の当て字で発音が同じということでしょう。
伝言ゲームで言葉が変わっていくのに似てますね😅
@@gakucafe-ueno 言葉遊びで御容赦ください。テムジンが居たので義経といつ入れ替わったのかという問題がありありえませんが有るとすれば夢が広がる人も居るでしょうね。モンゴルは大きな功績があれば外国人でも称号を与えますがKhanは王族だけにしか与えられないです。
源氏というか、源義経を音読みすればそんな感じに読める。
日本人の義経が、モンゴル人達を率いる?
実際に北海道でも、アイヌ民族達を率いたからね!
絶対的な、カリスマが有るんだろうな!
戦闘の天才か?
天才牛若丸❗️
奥州藤原氏も従ったんじゃないかな。源頼朝の圧力を感じただろうし。奥州藤原氏は交易していたから、通訳できただろうし。
@@室井修-k1r
義経を討つたのは藤原三代の当主藤原泰衡
モンゴル人に聞いたところ、九、は幸運の数字。九郎判官義経から来ているのか?と思いました。
なるほど❗️国が違えばラッキーナンバーも違う😳
一つ足すと十に成る
最初から満点より一つ足りない九がラツキーナンバー
十ならもう後が無い😫
九ならまだ後が在る😁
弁慶は関所を通るため義経を殴り、自分の君主ではないと訴えました。この時の怪我の治りが悪くハーンは弁慶でした。ハーンの子は自分が後継者だと思ってしまいましたが、弁慶は義経のご子息にハーンを返すつもりでした。弁慶の親子喧嘩で滅びてしまいました。私の聞いた話です。
恐れながら、聞かなかったことにしましょう❤
@@田中良一-x9l 承知しました。
全くその通りです。
それが真実です!
ハ―ンは汗・可汗・于と書き
騎馬民族の長[族長]の称号
破戒坊主の弁慶が騎馬民族族長の訳が無い😂
樋口季一郎のことを記した「流氷の海」にもソ連で源氏の遺跡があったと記されていた。
なんと❗️やはり🫣
@@gakucafe-ueno
明治、大正時代に日本から移住した人が持ち込んだ伝説話しが現地で広まった
こうではないだろうかと推論をやめさせようとする感情が理解できない。
自分が正しいと思っていることが真実ではないですよ。
無意識の啓蒙主義者にならないようにね❤
重要なご指摘と思います。両陣営共に、常識を疑う謙虚さが欲しいですね
シーボルトとか日本の学者もジンギスカン=義経説を唱えていますので、あながち珍説でもないのでは?
@@室井修-k1r
シ―ボルトは日本の判官贔屓の話しを聞きかじりしただけ
歌舞伎義経千本桜は庶民には大人気演目だった
私が見えた映像では、彼は東北で捕まり船で護送中に逃げようと海に飛び込んで溺死してますね、。場所は石巻。 多分それで死体があがるまで時間がかかり遅れた。 助かって無いと思うが、、?、
他には、宮城の塩竈神社に寄ってる。 あと富山の氷見だったかな? 旅好き。
それと多分若い頃に、1人で嵐山を探索してる。 旅お茶屋があった、現代では喫茶店になってる。
美術芸術系の出身星の流れを持ってると思われます。 金星人系かも?。 鞍馬寺がそうだから。
やはり平泉では死してない❗️
@@gakucafe-ueno
他所で亡くなつただけだ
とても面白く聞かせて頂きました。
次は 大塩格之助 (平八郎 遺児) 洪秀全 同一人物説で お願いします。
同一人物シリーズ🫣
乾隆帝が「源義経が成吉思汗である」と言ってるぞ。
乾隆帝と云えばラ―メン🍜の裏に名前が在る
言ってないわ
そもそも乾隆帝が日本の英雄に言及した記録なんて一つもない
言及した記録を出してくれ
1 コメントの中にDNA鑑定すればと書かれています。ふかのうではないのではないですか。
2 ジンギスカンのy染色体を持つ者が世界で2000万人ほどいるそうです。義経は制が源氏です。足利氏は義経(頼朝兄弟の)の先祖義家の2男の系統です。足利氏のY染色体を特定して比較する判別できる尾ではないですか。喜連川氏が明治に足利に複製しています。系統に不安があるようなら、高家吉良氏あるいは分家今川氏・高家品川氏のy僭称代をサンプルにして、系統関係ははっきりできるはずです。
3 因みに、シーボルトの日本人子孫、米独立宣言を書いたトーマス・ジェファーソンの黒人の子孫も特定されています。
義経と島津が繋がっているのが驚き😮
私も驚きました😳
義経ではなく薩摩島津家が自称源氏系統であった話し
当時の戦国大名は自称源氏系統と自称平氏系統がいた
両氏とも天皇家と繋がりが在り武士の始まりであった
源氏→清和天皇[清和源氏と称す]
平氏→桓武天皇[桓武平氏と称す]
繋がりが無くても出自に値打ちを持たす為に主張した
義経=チンギスハンは俺たちの願望
テムジン用兵論は明治時代の作品ですか?英道先生も尋ねていましたが、わからない、とおっしゃっていました。
テムジン用兵論はロシアの学者イワニンが書いたといわれますが、19世紀の後半の作とネットにありました。
大江広元の扶桑見聞私記と同様ですが、
しっかりと調査、解読することが大切と思います!😊
私の著書「義経は成吉思汗に!」の187、188ページに記載しています❤
ご覧ください!
ジンギス・ハ―ン=源義経は
明治時代に創作された話しと云う事か?
向こうの人は、ゲ・ギ・ジの発音に区別が無いだか、そんな事を昔読んだ気がする。だから、『ゲンギケイカンと読んでみろと言ったら、何度もどもりながら最終的にチンキーセーハンと言った』と言うのも分かる。昔、中国人女性だったけど、うさぎ🐇を『ウサジ』と発音したのを思い出したので、書き込んでみました😚
なるほど😳面白いですねそれ🤣
ハン[汗]は遊牧民族長の称号
シェアしました。(義経夢の会LINE)
ありがとうございます‼️
DNA的に考えると
日本人は中国・韓国とは違うけど
モンゴル人とは同じ、と聞いたことがあります。
自信はあまり無い…💦
いや、なんかそんな気はしますね🤔
肖像画もそっくりですね。
言われてみれば🤔
何処が?
義経は小男で痩せて反っ歯だったと云う
判官贔屓で絶世の美形男児にされた
P10の2にある「女直」ですが「女真」の誤りではないでしょうか?「女真」を嫌って「満洲」の語を定めたのが、清朝初代皇帝のヌルハチです。
満州人を、漢民族は「女直」又は『女真」と漢字音写文字で呼んでいたようです。
蒙古ラマ教史には、満州の女直(Man-ju-jur-chid)の小王ワンスン(Wan-zun)は逃れて・・・・・。と書かれています。
満州の名前は「文殊菩薩」から来ているようです。
その意味は「聡明な人」とのことらしいです。
ありがとうございます。
田中良一先生より回答するように伝えてあります🫡
田中英道著「やはり義経はチンギスハーンだった」【秦氏ユダヤ人義経(幼名牛若丸)は
なぜユーラシア大陸を支配できたか?】は名著です。
実は、この田中良一さんは「義経ーチンギス・ハーンの会」の副会長でして、会長はまさにその東北大学名誉教授田中英道先生です❗️
ちょうど明日10月7日(土)永田町全国町村会館の大ホールにて行われるシンポジウムにお二人とも登壇予定です❗️
この著書の著者は、自身の金稼ぎのための言動がめだち全くあてにならない。
古墳時代にユダヤ人来訪説を唱えた人物
証拠はユダヤ人の被る帽子を付けた埴輪だと😂
だがユダヤ人がこの帽子を初めて被ったのは
中世中欧の大国オ―ストリア帝国首都ウィ―ンの国家発令命令から
日本では鎌倉幕府の元寇があった時代で在る
当然古墳時代にはオ―ストリア帝国は存在しない
歴史感めちゃくちゃな主張で在る
これでも某大学名誉教授で在る
名誉教授ならデタラメ主張しても通用する様だ
ユダヤ人来訪説でもデマばかりですョ
真面目な研究者が迷惑している肩書人物
私は まさか? と思ってましたが、最近信じるようになってきました。
北も理解でき無い今、、800年前を理解できる 頭 あるわけ無い。
理解というより、知るということ(認識)が先ず大切と思います!❤
たしかに。端にも棒にも引っかからない話…というわけでもないと思います🤔
信ずる者は救われる
ただ、本ヲ、
読んでいる動画ですね!???😅
うましか
ばか🫢
@@gakucafe-ueno
𓃗🦌😂
モンゴルにそのような言い伝えがあるのでしょうか
田中良一さんにコメント返信してもらいます🫡
発掘調査などが進めば、文書や資料なとか発見されるかも知れません。
東北地方の人々の中には
義経は平泉で死なずに北海道から大陸へ渡ったと祖父母から聞いたという声もあります❤
モンゴルでも同じかも知れません。
無いですね
モンゴルの英雄が外来人だったなんて信じるモンゴル人はいない
戦国の英雄織田信長が外来人だったと信じる人はいないと同じ
尚、北海道に風呂と云う苗字の方がいる
この家に義経が現れ当主が風呂を勧めて礼に風呂名を授かったと家伝に在るそうだ
義経も風呂姓だけとはケチだな
風呂だけで無く寝所と食事も提供されている
逃げる際には奥州の金を持っていただろうから1握りでも礼に渡せば良かったのにな
おそらく助かって逃げた側近侍辺りが義経を名乗っただけだろう
義経のブレ―ンであった常陸坊海尊は逃れ東北で行者になってる
無いですね
日本だけです
田中英道先生が先駆著書を読むと理解できます。
DNA解析の結果から見ると可能性ゼロ😂
DNA解析されてるんですか⁉️😳
いつ解析されたのですか❓
その結果もご存知だしたら伺いたいです
チンギス・ハーンの遺体、義経の遺体モ見つかっていないのでDNA解析不可能ですよね@@gakucafe-ueno
センギシホン
❓
清和源氏、ボルジギン?
成吉思汗 センギシホン ジンギスカン 食物やね
リンズシャンの歌
@@ユリコタカジン 🤣ウケる
@@田中良一-x9l 殿。ボルジギン? ボラギノールの事かい?
𓃗🫎な問答だなー
判官贔屓ここに極まれリ👎
😅判官贔屓
周囲に日本人と思われる家来がいない。
バルジュナトの中に日本人は何人いましたか?
1人で乗り込んだ…わけないですもんね…やはりあり得ない伝説か😅
歴史ねつ造は隣国によくありがち❗️日本の歴史までねつ造したいのでしょうか?
確かに隣国もよくやる手かもですね😅ただ、今我々が学んでる歴史も捏造されてるかもしれないと疑ってみる目は必要かもしれません。…何を信じて良いかわからなくなりますが…
黄金の国ジパングって誰から聞いたんだろうな。
平泉に金色堂ってあるよな。
黄金の国と金色堂…点と点が線で結ばれそうですね🤔
そのようですね😊
成吉思汗の孫、フビライの時代に元国を訪れて、皇帝に謁見したマルコポーロの東方見聞録に書かれているとのことです❤
@@田中良一-x9l マルコポーロって日本に来てないんでしょ?フビライから聞いたのかな?
だとしたら、フビライは誰から聞いたんだろうね。
キリストの墓が青森に有ると同じような都市伝説
キリストの墓は竹内文書の創作
もしそうだとしたら、なぜ、日本を攻めたのでしょうか?
義経主従は東北地方の若武者たちやアイヌの若者たち300人と共に大陸に渡り、1190年と1192に極東アジアで女直や高麗と戦い、臣下にしています。
その後、約10年間、義経主従一行はこの満州で現地人たちとの融和と同化を図りながら、モンゴルへの侵攻を進めて行きます。
満州民族の清国の乾隆帝が我々の祖先は源義経であり、清和源氏である!と語ったことも虚偽ではないと考えます❤
又、成吉思汗の孫であるフビライは祖父から日本の平泉のことなどを聞いていたと思われます😊
フビライは日本を攻撃する前に、二度三度使者を通じて手紙やみやげ物を送り、恭順と交易を求めます❤
しかし、執権北条一族はそれを無視、拒否し、使者たちを殺します。
フビライは怒り、日本を攻撃しますか、その兵士たちはモンゴル人以外で構成されていたとも聞きます😢
成吉思汗やフビライにとって、満州や日本は敵ではなく、仲間、同士であったのではと私は考えます❤
攻めたのはクビライでしょ
蒙古襲来はモンゴルは日本を攻める気はそもそも無く、朝鮮等周辺国からけしかけられて仕方なくやったらしいです。
神風で蒙古軍が沈んだ、というのは後の創作で、神風は無かったし、一日で蒙古軍は帰ったそうです
兄貴と日本への復讐…🫣
あんだけ領土広げたら全部とりたいと思わないかな
老兵去るのみ⤵️(><)⤵️‼️
別に義経とチンギスハンの関係ぐらい老兵も考えていいだろ‼️口悪すぎ😑
@@gakucafe-ueno、単なる陰謀論⤵️www
アナタハエガシラニジゴジュップンですか?
チガウトオモイマス
駄洒落とこじつけ
笑かせてもろた
今後シリーズ化して参ります🫡
まったく、別人だと分かりました。
😅
別人だよ。と、思うが・・・。会ってないので分からんね・・・わしには。
これはひどい。
🫣
モンゴル統治できるなら、頼朝に勝って日本統治出来るだろマジwww
恥ずかしいからこんな動画やめてください。
浪漫はあります
恥ずかしいことは全くありませんよ。
堂々と真正面からしっかりとご覧ください❤
シーボルトとか東大教授とかも提唱してましたね。
@@室井修-k1r
シ―ボルトは聞きガジリ
大学名誉教授は目立つ為と本を売る為
@@室井修-k1r
シ―ボルトは判官贔屓の聞きかじり
大学名誉教授は眉唾理論
判官贔屓の引き倒し、目新しくもない与太話し。
判官びいきではありません!
貴方もご存知の通り、不明なところが多くあります❣❣
蒙古ラマ教史に記載されている事柄や成吉思汗の名前の調査、研究内容などからも直ぐに多くの疑問箇所が見られます!
肩ひじ張らずに、ゆっくりと真実を求めて楽しみましょう❤
韻を踏んでて良いコメント😳
よくある英雄死んで無い伝説
真田幸村は秀頼と淀君を伴い南蛮船で呂宋[フィリピン]に逃れた
織田信長は本能寺を抜け出し後を変の演出した光秀に託し
南蛮船でジャワ又はシャムに向かった
秀吉の反応が早すぎた為に小栗栖で影武者を立て死んだことにして南光坊天海と名前を変え時期を見て家康に天下を゙取らせ自分は影に回った
説なんてどうかな?
近年なら英雄?だがヒトラーが生存して南極基地に隠れているなんてあった
ジンギスカンは、義経では無くて!
部下の弁慶が、演じたらしい(¯―¯٥)
まあ、どちらもジンギスカンか?
7号で🎵
弁慶でもいいからジンギスカンが日本人であって欲しい
弁慶の立ち往生の新しい伝説が生まれた🎉
🇯🇵日本の学校教育法では「🇯🇵日本の最高学府は四年制大学」と明記されてる。だから日本の最高学府とは四年制の学部つまり学位は学士が最高位である。大学院は前期後期で四年制じゃないので「日本の学校教育法ではたんなる塾あつかいにすぎない。」よって日本の修士、博士はたんなる価値のないものである。
大学院が最高だと思ってました😳
なーるほど。学士→大威張り。
日露戦争時に日本兵が大陸で大日本源義経の墓を見た人がたくさんいたことからジンギスカン=源義経と言う説が広まったと聞いています。モンゴルのタタール人に源義経を読ませるとチンギスハンとなるのも証拠では。
面白い❗️
田中良一さんと収録コラボしませんか❓
uenoyasuhiro0613@gmail.com
東大教授の本郷和人からは返答はあったんですか、想像するに、都合の悪いことは無視では、まあ歴史の真実よりお立場が大切なお方なのでしかたないか。
おっしゃる通りです。議論から逃げています。
Y染色体ハプロタイプが違うのでは?背乗りが生業の詐欺師。日本人では無いね。
詳しい😳