ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
昔から、義経がジンギスカンであることに違和感が無いですね。70年以上生きて来ると、世の中の仕組みが分かり、私も、50年にドイツにて出稼ぎを1.5年やり、日本に戻り日本人として日本の事が何にも知らない。と思い日本の歴史を勉強しようと思い40年前から始まり、面白くて抜けられず、今に至っている中で義経がジンギスカンであることに疑問を持ちません。田中先生の話に一つも疑いの余地がなく、素晴らしい研究内容です。又、人相学的にも特に、耳は一人ひとり違いますので、同じ人間ですね。
田中英道先生のヂンギハーンは義経だった。伝説が多い人物ですが先生の御説明愉しくお聴きしました。ありがとうございます。
田中英道先生の 長年の集大成は、ご著書だけでなく 全て先生の絞り出すような丁寧な゙お言葉に溢れ出ています。そして研ぎ澄まされています。感じ取れない人も 居ることでしょうが、そんな事は気になりません。拝聴出来る恵まれた今に感謝いたします。ありがとう御座います😊
素晴らしいお話し何時も有難う御座います。先生のお話をお聞きすると、いつも、頭の皺の一つ一つから思い出したような智慧がシャボン玉のように浮かび上がって来ます。
子供の頃、何かの本で義経=チンギスハーン説を読みロマンを感じた事がありました。田中先生のお話しをお聴きして単なる歴史ロマンではない事を知り更に深く学びたいと思います。
57:48からは、この御講演のある意味で本質。民族性の話し、西洋と東洋の深い関りを再認識させられます。そして、全体を通して日本人の誇りと気概を感じる素晴らしいご講演に感謝いたします。
後編のシンポジウムパートが公開されました!★源義経北行伝説とチンギスハーンの謎 シンポジウム★◆田中英道+山崎純醒+田中良一「やはり源義経はチンギス・ハーンだった!」出版記念講演会よりth-cam.com/video/4RDQQa5Gi-w/w-d-xo.htmlsi=vvDTBH_OSzDR-CL4
田中先生のチンギスハンと義経説は、説得力があり同感しきりです。ユダヤ人との関係なども本当に勉強になります。 私は、竹内文書に興味があって、何年も前から日本人とユダヤには深い繋がりがある と確信してきた者の一人ですが、先生のように科学的に検証して解説してくれていますので、多くの人にも理解されて来ると信じています。ありがとうございます。
田中先生いつも有難うございます!ジンギスカン説がますます面白くわかりやすく真実を研究することを楽しみにしています!これからも素晴らしいわかりやすい語り口で説明して下さるようご鞭撻のほど宜しくお願い致しますしこれからも楽しい私達みたいな素人にもわかるようにこれからも聞いて楽しい時間講義を宜しくお願い致します!
「しずやしずしずのおだまき繰り返し昔が今と成す由もがな」静御前が鶴岡八幡の境内で頼朝の前で舞った舞の有名な一節が成吉思汗の名前に似てるのは奇妙な一致ですね。
南北海道に義経神社があります。豊臣秀吉といい、教科書に書かれているより、すごい人物だった足跡がありロマンを感じます。謎が多すぎてワクワクします。有難うございました。
もしかして、一番の出世男は源義経か?豊臣秀吉や源頼朝も凄いが。
明治42年生まれの父は、義経は、ジンギスハン説をよく話していました。
先生 ありがとうございます😊 私は 半信半疑です。 歴史の ロマンとして このミステリーを 美しく 妄想することが 楽しいですね。
チンギスハンがボルテと最初の結婚して長男ジョチが産まれたのが1180年ー1182年。義経最後の戦いである衣川の戦いは1189年。時系列が合わないですね。
いつも拝見して居ります。🙇これからも歴史の真実を世界へ発信して下さい😊ありがとうございます🙏
昔、高木彬光の”成吉思汗の秘密”を読んでワクワクした気持ちを思い出した。ロマンがあって良いよね
私も懐かしい
私も読んでワクワクした。記憶も定かでないが文中の最後の方で成吉思汗、これを万葉カナで読むと「なすもよしがな」これは凄いと思いましたね。
肖像画は、確かによく似ています。同一人物だと思います。天神テムジンというのは日本語ですね。多言語の能力を持つのがユダヤ人の特徴でもあり、秀でた戦略性とか、源義経らしい戦い方のうまさ、現地のユダヤ同胞の支援を得られる素地をもつとか、ますます納得しました。すばらしい。
テムジンという名前の人物はチンギス・ハーンが生まれる前にも存在していました。たとえば、かれが生まれる前に父親が戦っていた相手のタタル部族の長の名前はテムジン・ウゲでした。つまり義経(チンギス・ハーン)がまだ生まれる以前にすでにテムジンはモンゴルに存在していたわけです。したがって、テムジンは日本語だからチンギス・ハーンは日本から来た義経に違いない、という主張は成立しません。たまたま偶然に発音が似ているだけです。「四」と「死」の例のようなもので、発音が同じでも「四」と「死」の意味に関係がないように、「テムジン」と「天神」の発音が似ているからという理由で、その意味も語源も同じだ、という結論は導き出せません。
テムジン・ウゲも日本人の可能性があるのでは?つまり、父・源義朝が戦った相手にウゲ(有家?公家?)さんがいたという伝承の可能性があるのでは。
源氏系の遺伝子とハーン系の遺伝子を調べて 同じなら可能性はありますよね。
アイヌが義経神社を大事にして敬っている様子はイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に描かれていますね。
昔これを(義経)知った時、まさか、、しかし、年代は符号する。と思ったが、、、先生の発言で、益々興味が湧きました。
日本人が、天下を取ったのは嬉しい
田中さんこれがほんとならすごいよ。義経の血が世界中にばらまかれたんだ。DNAをしらべれば解る。俺は恐ろしくって素晴らしい指摘しかない。田中先生の度胸に負けた。くまちゃんネット
埴輪にユダヤ人の形がある。田中さんの発見である。来ていた、素晴らし事実だ。その時点で、DNAが混ざったのだ。日本のユダヤ研究の大きな進歩である。これこそアカデミーのやることである。中国へミサイル技術を、教えてやる大学教授と偉い違いだ。文部科学省は、補助金を、全て田中英道先生に使っても余りある。考え直すべきだ。くまちゃんネット
日本人であることに誇りを感じられる講演です。感謝申し上げます。Museo Civico Sienaにて、多くのLorenzettiの作品を鑑賞しました。彼の作品の眼の描き方は、面相筆を用いた日本画の描き方に似ているなと感じたことを思い出しました。
ルネッサンスはモンゴルが持ち込んだ絹や陶器、紙、などは全て東アジアからの伝統文化が当時のフィレンツェに伝えた事と思います!当時は日本の影響がここまでフィレンツェを文芸復興を教え伝えたのが分かります。
義経チンギス・ハーン説の漫画「ハーン」はとても面白かったのにまだストーリーの4分の1も過ぎてないあたりで、数年前に打ち切りになってしまった。途中までで納得できるのでしたら是非みなさんご覧になって下さい。
源義経が、ジンギスカンと言う事を、先生の講話で再確認させて頂き、嬉しく思っています。頼朝を手助けすべく赴いた義経を追討する頼朝を大変嫌っていましたので、我が先祖(黒谷)は、義経に従軍した藤原一族だが、身を守るため、名前を変えて引き返して、京都黒谷寺にて、母方の性に名を変えて義経に従軍したと聞いていますが、黒谷寺にてたくさん殺害されています。義経が、モンゴルで、ジンギスカンとして活躍してくれたことを聞くと嬉しくなります。
早速購入し、読み切りました。ご講演で聴きますます深みが増し何度も聴かせて頂いてます。ありがとうございます。
モンゴル人が日本語を話すとき訛らなくスムーズに話ますよね。不思議に思います。日本人と変わらないほどに。中国人はすぐ訛りますし、小さい「っ」を発音できない人多いですもんね!
確かに、そうですよね。😊😊😊
名前自体がGhen.ghi.su.と三音節で源.義.経を音読みしたものでそのまま。経だけケイをセとしか発音できなかったようだが、汗は単純に王位を表す意味だから名前は同じと言っても差し支えない。戦争における戦術的にも、出自を伝説的に作り上げているところからも同一人物である事が限りなく可能性高い。まず間違いないだろう。
亡くなった父の影響で高木彬光先生の小説で何度も読み込みました。あれだけの戦略家がみすみす高館で自害に追い込まれて歴史の表舞台から居なくなるとは思えません。東北地方から北海道に掛け義経伝説や伝聞が多数残っています。ただの判官贔屓だけでは無いと…希望的観測も込めて信じております。
モンゴル人の同僚に「ふざけんな」と言われましたw
ジンギスハンの父親は客人❔テムジンって呼んだそうだから"(-""-)"、、出生も謎なんですよね、、
チンギスハンの父はイェスゲイ・バアトルで、母はホエルンとはっきりしているのでは?元朝秘史や集史に記されているのでは?
そうなんだ・随分以前の話だけど「源義経がチンギス・ハーンになった」と聞いた事あるけど、チンギス・ハーンが義経だったとは初耳・・・
モンゴルに渡った義経が頭角をあらわして認められるようになったのは、弁慶に比べれば華奢な身体つきをしていたのに相撲が強かったからではないかしらと想像します。ガップリ右四つに組んだ状態で、異空間からの力が義経の身体のまわりにおりてきて、強くなる。この現象の繰り返しで、現地の人々は義経に敬意を払い、義経に譲り、義経に従うようになったのではないか説です😊
相撲‼ワクワクしますね。
源義経の墓がシべレアにあるとかこれは何を表すのか日本国の考古学の学者は何を感がいているのか。
九郎義経は身体能力にすぐれて、戰上手。大陸にわたり、生き延びて笹竜胆の家紋も生き続けた。むねが熱くなる。東北の最後の地と言われている地へ行きましたが、いつかモンゴルへ行きたい。彼、ジンギスカンの墓はないと言われてますが。
源義経を日本人とすると、義経も59代宇多天皇の子孫からの佐々木源氏の11血流の1派になります。宇多天皇の子孫達は、世界中で活躍した日本人の中では断トツに多い派閥と思います。有り余る黄金を持って、日本武士団と一緒に行きました。菅原道真公と宇多天皇。日本の天皇で最初に密教的力を持った修業者の一面も持たれる宇多天皇。空海も知っていたのでは?チンギスカンは海外にも仲間が既にいたわけですね。日本人ネットワークは平安時代には既にあった様です。キングダムも日本人王の話。
すごいですねーありがとうございます
源義経とは関係ないのですが、空海の目鼻立ちはかなりはっきりしていて、平安時代の日本人の顔ではなかったという話を何度か聞いたことがあります。十住心論や秘蔵宝鑰などの著作は、世界の宗教を体系的にまとめたものになりますが、こういった視点は、もしかしたら、という感じがいたします。おそらく注目して研究してらっしゃる方もいると思います。
僭越ながら、この説の真偽は兎も角として、日本語的にタイトルは、「やはりチンギズ・ハーンは義経だった」の方が、時系列的?にしっくりきませんか?少なくとも義経はモンゴル人じゃない事は歴史的に確実ですよね?
人類学的には日本人はモンゴロイドで、日本の新生児に蒙古斑が見られるのも、日本人とモンゴル人の近さを感じるのですが…。
チンギスの弟と子の存在が、義経と一致しない事が重要な反論となっていますので、それに対する田中先生の見解を知りたいです、、
日本の最大の前方後円墳は、中国の江蘇省南通市にあります。そこが鎌倉幕府の北条氏の都だったのでしょう源義経はそこから追放され、金国に行って将軍になり、チンギスハンになりました中国の浙江省から来た北条氏の木簡が証拠です
とんでも何ですが、霊視で義経を見た所、モンゴルからリーダーになって欲しいと頼まれたと義経が言ったそうです。未解決事件考察で有りました
素晴らしい国と思います。
チンギスハンが大男だったと言われるけれども、底の高い靴を履いていて、脱ぐと小柄だったとか。話の出所を忘れましたが、ご存知の方がおられたら教えていただきたい。
初めまして。高木彬光版ですと、弁慶が表に出てたという事になっています
ボケとロマン とこじつけの誇大妄想🤣🤣歴史の先生見てきたような嘘を言うこの人が今までやってきたことは全てこの程度なんだろうな🤣🤣🤣
もんごるには、すでにシルムと言う相撲があったんですね。ユダヤ起源の相撲を持っていたんですね。
ビックリマン流行りましたね。牛若神帝とか。ジンギスカンMVも素晴らしいです。
学問の自由は保障されています。(笑い)
素晴らしいお話です。ありがとうございました。
田中先生の動画を初めて見ました。先生の熱意が感じられとても興味深い内容でした。歴史的事実の証明には膨大な資料を一つ一つ検証していくことをとうして得られるものだと思います。これからも、あつい熱意を持って頑張ってください。
DNAの解析で違うの確定してませんか?
耳の形が全然違います。
耳は一生 死ぬまで大きくなり続けます。
まぁ、ほとんどの東北アジア系の男性が、似てると言えば似てるような…😅
チンギスハーンの息子の生年月日は、衣川の戦の3年前までとなっており、これらの息子はキプチャクハン国、チャガタイハン国の始祖などとなっており、それは紛れもない史実だ。弟も3人いることになっているが義経九男坊であり弟はいないことになっている。側室の子がいたということもない。史実として確定していることを考えれば、とても無理だと思う。でも、よいお話でした。
シーボルトの伝聞と二人の似絵の類似から。
この先生のご著書を、隅からすみまで、繰り返し読みました、感動しました、このご著書は自分の宝にします、ありがとうございました、
大和民族はユダヤ人だった ヨセフ・アイデルバーグ本見つけた。
田中英道「やはり源義経はチンギス・ハーンだった!」・・・先生言葉がおかしくありませんか?これでは源義経が日本人ではなく、モンゴル人と言う事だと思います。史実は拙者にはわかりませんが「やはりチンギス・ハーンは源義経だった!」が正解だと思います。
田中先生が義経とチンギス・ハンの似絵を比べて目や鼻顔の輪郭が似ていると仰っていますが、耳の形が似ているということは言われていません。しかし、耳の形も非常に似ているんですね。w ロシアのプーチン大統領に影武者がいるということを言っている人がいますが、その根拠にしているのが耳の形が違うからということなんです。ですから、義経とチンギス・ハンの耳の形がこれ程似ていれば同一人物であるという根拠の一つになると思います。w
こういう話はそうあって欲しいと思う人の妄想としか思えませんよ。
奥州平泉の泰衡がうまく、逃がした?とかしたら、、かなりの浪漫ですね。。
出版した為の肉付けなのだろうが名前に絆を付けてしまったな。専門家の意見を聴けば良かったのに…。
田中英道さんは歴史学者?。同一人物ならテムジンと名乗らないで、ヨシツネと名乗ればよかったのでは?。困ったもんだ。義経ジンギスカン同一説には同意できませんが、一つプレゼント。今後、講演会で同一人物説を述べる時には、元王朝の元は源氏の源に由来するとおっしゃたらいかがですか?。
マジすか。チンギスは俺の従兄弟に似てるんですけどね。
チンギスハンが1180年にポルテと結婚して長男ジョチが産まれたのは1182年。義経が敗れた衣川の戦いは1189年。時系列が合わないのですが、タイムマシンに乗ったのでしょうか?もしそうなら、義経=のび太説も濃厚です。
田中氏のユダヤ同化論は賛成するが、この手の話になるとバイデン大統領と同じく老いによる支離滅裂に見えなくもない。
耳は 一生 死ぬまで成長し続けるということを考えると 耳の大きさの 違いは納得出来ますね。 👂
新約聖書の「ローマ人への手紙の」1章20節は自然の本質を言われていると思いますが、どうして神否定につながるのか解りません。むしろ創造者を証明していると思いますが。
田中先生の講義はいつも興味深く拝見してきましたが、これはちょっと思い込みが激しすぎませんか?・義経ほどの人物なら単身渡ったとは考えにくく付き人がたくさんいたはずですが、バルジュナト13名のうち何人が日本人だったと思われますか?・頭の中が戦術のことばかりで発達障害があったように見受けられる義経と、行政にも類まれな能力を発揮するチンギスハンとでは別人のようですがなぜ同一人物と判定できるのか?・義経の前へ前へ行く天才的な戦術と、モンゴル得意の釣り野伏的な戦術とでは全く違いますが、同じ人がこんなに違う戦術を採用しますか?・チンギスハンの時代に初めてモンゴルの文字が生まれますが、なぜ日本語をベースにせずウイグル文字をベースにしたのか?
確かに似てますね👀驚き‼️今日まで先生のご高説の中でもこの説だけは一服の笑い話として聴いてました(汗)。保守言論人随一の歴史家を自称する倉山満とモンゴル専門家である宮脇淳子先生もトンデモ話としてせせ笑ってますよ…。
こういう話は義経自身が言ったエピデンスがなければ分からないんです。誰かの説では駄目だ。
k国起原説じゃないけど日本人はモンゴル斑点があるけどモンゴル斑点は日本からモンゴルに縄文時代に伝わってたんじゃないですか?
チンギス汗が義経だとすると元のフビライ汗はその孫ですね。その孫は自分のルーツが日本人であることを知らなかったのかな?
どなたかの説とおり、チンギス・ハーンの遺伝子の痕跡が明確に現代に何千万人規模で残っている事実との関係を調査することがエビデンスになるのでは?。これを講演の最初に示してほしかった。
テムジン=天神ですか。ロシア語のジンギスカンの発音はどう聞いてもゲンジスカンと聞こえます。つまり、ゲンジ=源氏、ス=素性、カン=男と解釈する事も出来ます。
静御前連れてモンゴルへ駆け落ちしたですか?ハッピーエンドですよ。
0:07 😊
フビライの戦線布告書を見ても祖父のくにのことはなにも書かれてないのは不審ですな。
不当に祖国を追われることになったくだりがあればねぇ。。。
20:47 「『みなさんの』DNA-D2eが湯田屋と同じ」と限定表現を使ったということは、先生はD2eじゃなかったんですか?秦氏末裔を自称しておられたのに?
源義経とチンギス・カン(チンギス・ハーンとも呼ばれます)は、歴史的には異なる時代に活躍した人物です。源義経は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将であり、日本の歴史における重要な人物の一人です。一方、チンギス・カンはモンゴル帝国を建国し、中央アジアからヨーロッパに至る広大な領域を支配した歴史上の偉大な指導者です。彼らが関連付けられる可能性があるのは、日本の一部のフィクションや創作においてですが、歴史的には直接的なつながりはありません。
やばすぎて草
眼の光が同じ。
単純に、双方の似顔絵は似ているとは思いません。また、モンゴルと日本の文化的相似は、時代を大きく捉えれば、大陸と日本列島の交渉史からも説明できます。この説は眉唾ものですね。
私も全く似てないと思います。義経の鼻は若干鷲鼻ですが、チンギスハーンは鷲鼻要素はありません。眉の形も全く違います。またチンギスハーンは世界でもっとも子孫が多く、そのY染色体ハプログループは日本にでは数%しか確認できません。義経は清和源氏ですから、天皇家と同じY染色体ハプログループのはずです。科学的にも二人を結びつけるのは無理筋でしょう。
美術家ですが、目、口、鼻、そして耳の位置。画家が違えどもここの一致で本人に似たものになる。これは同一人物が歳を取った相貌である。間違いない。民族が違う優秀な画家が描いて、ここまで位置的、バランス的に似るのが何よりの証拠。(位置をしっかり取らないとその人物に似ない)日本を貶める戦後の歴史観は信用できない。古代から、世界的アジア的に見ても日本人の優秀さは抜きんでている。チンギスハンは義経である可能性は限りなく高い。
記録によれば、チンギス・ハンと義経の体格は全く異なります。義経は甲冑が残っており、小柄だが、チンギス・ハンは大柄。歴史年表を単純に比較しても、義経が死んだとされる年に、チンギス・ハンは、ハンに即位しており、仮に義経が死んだとされる年に大陸に渡ったとしても、時間的に間に合わない。義経=チンギス・ハン説は100%ありえない夢物語ですね。それとも、義経がモンゴル語を話せたのでしょうかね?通訳者の存在を裏付ける歴史的証拠は?義経が大陸渡るために用いた船は?他国の英雄の後光を奪い取る行為の方が、情けない歴史観だと思う。チンギス・ハンに比する英雄は、日本にも多々存在しますよ。
@@鳥々薫 目、口、鼻、耳の位置が一致しているとのことですが、目を比較してもチンギスハーンは目尻が切れ上がっているのに対して、義経は目尻が下がっています。鼻の違いは上で述べましたので省略しますが、耳の位置も眉との比較でチンギスハーンは若干上付きなのに対し、義経は若干下付きです。それにチンギスのほうが耳たぶが豊かです。ことほどさように似ていないと思いますが、写真ならまだしも、仮に肖像画が似ていたとしてもなんら証拠にはなりません。
@@鳥々薫日本を貶める?他の説ならいざ知らず、この説は日本の驕りですよ?
日本語で兵站地、といいますが、蒙古の、ジャムチ。JAM、と音が似ていると思う。
義経ニキ、衣川の戦いの直後にプライベートジェットで十三翼の戦い(チンギス前半生のクライマックス)に向かった説すきおじいちゃん達の空想戦記
コメ欄の人たち詐欺にあってないか心配になるレベルだな(笑)モンゴル史を一時間でもいいから学んでみろ同一人物とかあり得ないと思うから、豊臣秀頼はローマ帝王だったって言ってるくらい滑稽。
モンゴル平原の地下深くにアガルタが存在している?
本当ですか。
田中英道先生を敬愛、尊敬しておりますがさすがにこれは無理がありますね。リーダーにおさまるには言葉の問題もありますしね。
関東平野とモンゴルは似ている。乾燥した内陸部や大河を有していたり。牧畜が盛んで、肉うどんやラーメン餃子は昔も今も共通した食文化のはずだ。馬を操って遠征が得意。海と山を行き来する仕事に発展。血気盛んなトラック野郎の先祖かもしれない。
田中先生の説を100%わかっている、誰か別の人に喋って欲しい。失礼ですが、なんというか聴きずらくストレスで長く視聴できない。私だけかも知れませんが。田中先生の本は一杯読んでます。その方が田中先生の説が広がると思うのですが。
チンギスハンと源義経のDNAのY染色体は異なっているそうです。言い換えると、チンギスハンのY染色体は、日本人のY染色体にはないものらしいです。
義経夢の会LINEにシェアしました。
こじつけ過ぎだ。
チンギスハンの大一番である十三翼の戦いが1190年頃なのは複数の資料からわかる。ほんの一年前に日本から落ち延びてきた人がそんなことできるわけがない。それに、チンギスハンの家族構成はどう説明をつけるつもりなのか?!モンゴルの人達に対して失礼極まりない!
世界から見たらマイナーもマイナーも義経がユーラシア大陸を股にかけたチンギスハンと同一人物とかモンゴルの人に対する侮辱にも程があって草コメ欄でこの説信じてる人達詐欺にあったりしないか心配になる
戦の天才と呼ばれた義経がチンギスハーンで、なんで侮辱になるん ?
@@Usacky戦の天才でも義経は政治音痴だっただろ兄の頼朝のやりたかった事も理解できずに勝手に官位もらって頼朝の怒りを買って奥州に逃げたかと思えばそのまま味方に裏切られて殺されるチンギスハンはこんな政治音痴じゃないよそもそも人類史上最大級の帝国を築き上げ現地民を懐柔し在位中帝国を維持し続けた政治軍事に特化した化け物がチンギスハンだからな史実の義経を知れば知るほどチンギスハンと同じようなことはできないとわかる
つか政治軍事抜きにしても大英雄にして国父を実は日本人でモンゴル人とは違う人種でした!とかモンゴルの人に対する侮辱にも程があるだろ天皇が実は韓国人・ヨーロッパ人でした!とか言われてるようなもんだぞ
学術論文とするならとんでも論過ぎるなあ。フィクションとしては楽しめます。
この人、和歌もまともに読めない(詠めないーではない)で、何言ってんだか・・・証拠になんかなるわけない。妄想の証拠にはなるだろうが・・・w
この題名で、映画化して欲しいです若い人たちも偉大な日本人がいたことに生きる自信がつくことだろうと想像します先生いつもありがとうございますm(_ _)m
DNA等科学は無視?😊
Bakageta Hanashi !!!!Moso Yutakana Hito.
先生、よくわかりましたから、もういいんじゃないですか
昔から、義経がジンギスカンであることに違和感が無いですね。70年以上生きて来ると、世の中の仕組みが分かり、私も、50年にドイツにて出稼ぎを1.5年やり、日本に戻り日本人として日本の事が何にも知らない。と思い日本の歴史を勉強しようと思い40年前から始まり、面白くて抜けられず、今に至っている中で義経がジンギスカンであることに疑問を持ちません。田中先生の話に一つも疑いの余地がなく、素晴らしい研究内容です。又、人相学的にも特に、耳は一人ひとり違いますので、同じ人間ですね。
田中英道先生のヂンギハーンは義経だった。伝説が多い人物ですが先生の御説明愉しくお聴きしました。ありがとうございます。
田中英道先生の 長年の集大成は、ご著書だけでなく 全て先生の絞り出すような丁寧な゙お言葉に溢れ出ています。そして研ぎ澄まされています。
感じ取れない人も 居ることでしょうが、そんな事は気になりません。
拝聴出来る恵まれた今に
感謝いたします。
ありがとう御座います😊
素晴らしいお話し何時も有難う御座います。先生のお話をお聞きすると、いつも、頭の皺の一つ一つから思い出したような智慧がシャボン玉のように浮かび上がって来ます。
子供の頃、何かの本で義経=チンギスハーン説を読みロマンを感じた事がありました。田中先生のお話しをお聴きして単なる歴史ロマンではない事を知り更に深く学びたいと思います。
57:48からは、この御講演のある意味で本質。民族性の話し、西洋と東洋の深い関りを再認識させられます。
そして、全体を通して日本人の誇りと気概を感じる素晴らしいご講演に感謝いたします。
後編のシンポジウムパートが公開されました!★源義経北行伝説とチンギスハーンの謎 シンポジウム★
◆田中英道+山崎純醒+田中良一「やはり源義経はチンギス・ハーンだった!」出版記念講演会より
th-cam.com/video/4RDQQa5Gi-w/w-d-xo.htmlsi=vvDTBH_OSzDR-CL4
田中先生のチンギスハンと義経説は、説得力があり同感しきりです。
ユダヤ人との関係なども本当に勉強になります。 私は、竹内文書に興味があって、何年も前から
日本人とユダヤには深い繋がりがある と確信してきた者の一人ですが、先生のように科学的に検証して解説してくれていますので、多くの人にも理解されて来ると信じています。ありがとうございます。
田中先生いつも有難うございます!ジンギスカン説がますます面白くわかりやすく真実を研究することを楽しみにしています!これからも素晴らしいわかりやすい語り口で説明して下さるようご鞭撻のほど宜しくお願い致しますしこれからも楽しい私達みたいな素人にもわかるようにこれからも聞いて楽しい時間講義を宜しくお願い致します!
「しずやしずしずのおだまき繰り返し昔が今と成す由もがな」
静御前が鶴岡八幡の境内で頼朝の前で舞った舞の有名な一節が成吉思汗の名前に似てるのは奇妙な一致ですね。
南北海道に義経神社があります。
豊臣秀吉といい、教科書に書かれているより、すごい人物だった足跡がありロマンを感じます。
謎が多すぎてワクワクします。
有難うございました。
もしかして、一番の出世男は源義経か?豊臣秀吉や源頼朝も凄いが。
明治42年生まれの父は、義経は、ジンギスハン説をよく話していました。
先生 ありがとうございます😊 私は 半信半疑です。 歴史の ロマンとして このミステリーを 美しく 妄想することが 楽しいですね。
チンギスハンがボルテと最初の結婚して長男ジョチが産まれたのが1180年ー1182年。義経最後の戦いである衣川の戦いは1189年。時系列が合わないですね。
いつも拝見して居ります。🙇
これからも歴史の真実を世界へ発信して下さい😊ありがとうございます🙏
昔、高木彬光の”成吉思汗の秘密”を読んでワクワクした気持ちを思い出した。ロマンがあって良いよね
私も懐かしい
私も読んでワクワクした。
記憶も定かでないが文中の最後の方で成吉思汗、これを万葉カナで読むと
「なすもよしがな」これは
凄いと思いましたね。
肖像画は、確かによく似ています。同一人物だと思います。天神テムジンというのは日本語ですね。多言語の能力を持つのがユダヤ人の特徴でもあり、秀でた戦略性とか、源義経らしい戦い方のうまさ、現地のユダヤ同胞の支援を得られる素地をもつとか、ますます納得しました。すばらしい。
テムジンという名前の人物はチンギス・ハーンが生まれる前にも存在していました。たとえば、かれが生まれる前に父親が戦っていた相手のタタル部族の長の名前はテムジン・ウゲでした。つまり義経(チンギス・ハーン)がまだ生まれる以前にすでにテムジンはモンゴルに存在していたわけです。
したがって、テムジンは日本語だからチンギス・ハーンは日本から来た義経に違いない、という主張は成立しません。たまたま偶然に発音が似ているだけです。「四」と「死」の例のようなもので、発音が同じでも「四」と「死」の意味に関係がないように、「テムジン」と「天神」の発音が似ているからという理由で、その意味も語源も同じだ、という結論は導き出せません。
テムジン・ウゲも日本人の可能性があるのでは?つまり、父・源義朝が戦った相手にウゲ(有家?公家?)さんがいたという伝承の可能性があるのでは。
源氏系の遺伝子とハーン系の遺伝子を調べて 同じなら可能性はありますよね。
アイヌが義経神社を大事にして敬っている様子はイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に描かれていますね。
昔これを(義経)知った時、まさか、、しかし、年代は符号する。
と思ったが、、、
先生の発言で、益々興味が湧きました。
後編のシンポジウムパートが公開されました!★源義経北行伝説とチンギスハーンの謎 シンポジウム★
◆田中英道+山崎純醒+田中良一「やはり源義経はチンギス・ハーンだった!」出版記念講演会より
th-cam.com/video/4RDQQa5Gi-w/w-d-xo.htmlsi=vvDTBH_OSzDR-CL4
日本人が、天下を取ったのは嬉しい
田中さんこれがほんとならすごいよ。義経の血が世界中にばらまかれたんだ。DNAをしらべれば解る。俺は恐ろしくって素晴らしい指摘しかない。田中先生の度胸に負けた。くまちゃんネット
埴輪にユダヤ人の形がある。田中さんの発見である。来ていた、素晴らし事実だ。その時点で、DNAが混ざったのだ。日本のユダヤ研究の大きな進歩である。これこそアカデミーのやることである。中国へミサイル技術を、教えてやる大学教授と偉い違いだ。文部科学省は、補助金を、全て田中英道先生に使っても余りある。考え直すべきだ。くまちゃんネット
日本人であることに誇りを感じられる講演です。感謝申し上げます。Museo Civico Sienaにて、多くのLorenzettiの作品を鑑賞しました。彼の作品の眼の描き方は、面相筆を用いた日本画の描き方に似ているなと感じたことを思い出しました。
ルネッサンスはモンゴルが持ち込んだ絹や陶器、紙、などは全て東アジアからの伝統文化が当時のフィレンツェに伝えた事と思います!当時は日本の影響がここまでフィレンツェを文芸復興を教え伝えたのが分かります。
義経チンギス・ハーン説の漫画「ハーン」はとても面白かったのにまだストーリーの4分の1も過ぎてないあたりで、数年前に打ち切りになってしまった。途中までで納得できるのでしたら是非みなさんご覧になって下さい。
源義経が、ジンギスカンと言う事を、先生の講話で再確認させて頂き、嬉しく思っています。頼朝を手助けすべく赴いた義経を追討する頼朝を大変嫌っていましたので、我が先祖(黒谷)は、義経に従軍した藤原一族だが、身を守るため、名前を変えて引き返して、京都黒谷寺にて、母方の性に名を変えて義経に従軍したと聞いていますが、黒谷寺にてたくさん殺害されています。義経が、モンゴルで、ジンギスカンとして活躍してくれたことを聞くと嬉しくなります。
早速購入し、読み切りました。ご講演で聴きますます深みが増し何度も聴かせて頂いてます。ありがとうございます。
モンゴル人が日本語を話すとき訛らなくスムーズに話ますよね。不思議に思います。日本人と変わらないほどに。中国人はすぐ訛りますし、小さい「っ」を発音できない人多いですもんね!
確かに、そうですよね。
😊😊😊
名前自体がGhen.ghi.su.と三音節で源.義.経を音読みしたものでそのまま。経だけケイをセとしか発音できなかったようだが、汗は単純に王位を表す意味だから名前は同じと言っても差し支えない。戦争における戦術的にも、出自を伝説的に作り上げているところからも同一人物である事が限りなく可能性高い。まず間違いないだろう。
亡くなった父の影響で高木彬光先生の小説で何度も読み込みました。
あれだけの戦略家がみすみす高館で自害に追い込まれて歴史の表舞台から居なくなるとは思えません。
東北地方から北海道に掛け義経伝説や伝聞が多数残っています。
ただの判官贔屓だけでは無いと…希望的観測も込めて信じております。
モンゴル人の同僚に「ふざけんな」と言われましたw
ジンギスハンの父親は客人❔テムジンって呼んだそうだから"(-""-)"、、出生も謎なんですよね、、
チンギスハンの父はイェスゲイ・バアトルで、母はホエルンとはっきりしているのでは?元朝秘史や集史に記されているのでは?
そうなんだ・随分以前の話だけど「源義経がチンギス・ハーンになった」と聞いた事あるけど、チンギス・ハーンが義経だったとは初耳・・・
モンゴルに渡った義経が頭角をあらわして認められるようになったのは、弁慶に比べれば華奢な身体つきをしていたのに相撲が強かったからではないかしらと想像します。ガップリ右四つに組んだ状態で、異空間からの力が義経の身体のまわりにおりてきて、強くなる。この現象の繰り返しで、現地の人々は義経に敬意を払い、義経に譲り、義経に従うようになったのではないか説です😊
相撲‼
ワクワクしますね。
源義経の墓がシべレアにあるとかこれは何を表すのか日本国の考古学の学者は何を感がいているのか。
九郎義経は身体能力にすぐれて、戰上手。大陸にわたり、生き延びて笹竜胆の家紋も生き続けた。むねが熱くなる。
東北の最後の地と言われている地へ行きましたが、いつかモンゴルへ行きたい。彼、ジンギスカンの墓はないと言われてますが。
源義経を日本人とすると、義経も59代宇多天皇の子孫からの佐々木源氏の11血流の1派になります。宇多天皇の子孫達は、世界中で活躍した日本人の中では断トツに多い派閥と思います。有り余る黄金を持って、日本武士団と一緒に行きました。菅原道真公と宇多天皇。日本の天皇で最初に密教的力を持った修業者の一面も持たれる宇多天皇。空海も知っていたのでは?チンギスカンは海外にも仲間が既にいたわけですね。日本人ネットワークは平安時代には既にあった様です。キングダムも日本人王の話。
すごいですねー
ありがとうございます
源義経とは関係ないのですが、空海の目鼻立ちはかなりはっきりしていて、平安時代の日本人の顔ではなかったという話を何度か聞いたことがあります。十住心論や秘蔵宝鑰などの著作は、世界の宗教を体系的にまとめたものになりますが、こういった視点は、もしかしたら、という感じがいたします。おそらく注目して研究してらっしゃる方もいると思います。
僭越ながら、この説の真偽は兎も角として、日本語的にタイトルは、
「やはりチンギズ・ハーンは義経だった」の方が、時系列的?にしっくりきませんか?
少なくとも義経はモンゴル人じゃない事は歴史的に確実ですよね?
人類学的には日本人はモンゴロイドで、日本の新生児に蒙古斑が見られるのも、日本人とモンゴル人の近さを感じるのですが…。
チンギスの弟と子の存在が、義経と一致しない事が重要な反論となっていますので、それに対する田中先生の見解を知りたいです、、
日本の最大の前方後円墳は、中国の江蘇省南通市にあります。
そこが鎌倉幕府の北条氏の都だったのでしょう
源義経はそこから追放され、金国に行って将軍になり、チンギスハンになりました
中国の浙江省から来た北条氏の木簡が証拠です
とんでも何ですが、霊視で義経を見た所、モンゴルからリーダーになって欲しいと頼まれたと義経が言ったそうです。
未解決事件考察で有りました
素晴らしい国と思います。
チンギスハンが大男だったと言われるけれども、底の高い靴を履いていて、脱ぐと小柄だったとか。話の出所を忘れましたが、ご存知の方がおられたら教えていただきたい。
初めまして。高木彬光版ですと、弁慶が表に出てたという事になっています
ボケとロマン とこじつけの誇大妄想🤣🤣
歴史の先生見てきたような嘘を言う
この人が今までやってきたことは全てこの程度なんだろうな🤣🤣🤣
もんごるには、すでにシルムと言う相撲があったんですね。ユダヤ起源の相撲を持っていたんですね。
ビックリマン流行りましたね。牛若神帝とか。
ジンギスカンMVも素晴らしいです。
学問の自由は保障されています。(笑い)
素晴らしいお話です。ありがとうございました。
田中先生の動画を初めて見ました。先生の熱意が感じられとても興味深い内容でした。歴史的事実の証明には膨大な資料を一つ一つ検証していくことをとうして得られるものだと思います。これからも、あつい熱意を持って頑張ってください。
DNAの解析で違うの確定してませんか?
耳の形が全然違います。
耳は一生 死ぬまで
大きくなり続けます。
まぁ、ほとんどの東北アジア系の男性が、似てると言えば似てるような…😅
チンギスハーンの息子の生年月日は、衣川の戦の3年前までとなっており、これらの息子はキプチャクハン国、チャガタイハン国の始祖などとなっており、それは紛れもない史実だ。弟も3人いることになっているが義経九男坊であり弟はいないことになっている。側室の子がいたということもない。史実として確定していることを考えれば、とても無理だと思う。でも、よいお話でした。
シーボルトの伝聞と二人の似絵の類似から。
この先生のご著書を、隅からすみまで、繰り返し読みました、感動しました、このご著書は自分の宝にします、ありがとうございました、
大和民族はユダヤ人だった ヨセフ・アイデルバーグ
本見つけた。
田中英道「やはり源義経はチンギス・ハーンだった!」・・・先生言葉がおかしくありませんか?これでは源義経が日本人ではなく、モンゴル人と言う事だと思います。史実は拙者にはわかりませんが「やはりチンギス・ハーンは源義経だった!」が正解だと思います。
田中先生が義経とチンギス・ハンの似絵を比べて目や鼻顔の輪郭が似ていると仰っていますが、耳の形が似ているということは言われていません。しかし、耳の形も非常に似ているんですね。w
ロシアのプーチン大統領に影武者がいるということを言っている人がいますが、その根拠にしているのが耳の形が違うからということなんです。ですから、義経とチンギス・ハンの耳の形がこれ程似ていれば同一人物であるという根拠の一つになると思います。w
こういう話はそうあって欲しいと思う人の妄想としか思えませんよ。
奥州平泉の泰衡がうまく、逃がした?とかしたら、、かなりの浪漫ですね。。
出版した為の肉付けなのだろうが名前に絆を付けてしまったな。専門家の意見を聴けば良かったのに…。
田中英道さんは歴史学者?。同一人物ならテムジンと名乗らないで、ヨシツネと名乗ればよかったのでは?。困ったもんだ。義経ジンギスカン同一説には同意できませんが、一つプレゼント。今後、講演会で同一人物説を述べる時には、元王朝の元は源氏の源に由来するとおっしゃたらいかがですか?。
マジすか。チンギスは俺の従兄弟に似てるんですけどね。
チンギスハンが1180年にポルテと結婚して長男ジョチが産まれたのは1182年。義経が敗れた衣川の戦いは1189年。時系列が合わないのですが、タイムマシンに乗ったのでしょうか?もしそうなら、義経=のび太説も濃厚です。
田中氏のユダヤ同化論は賛成するが、この手の話になるとバイデン大統領と同じく老いによる支離滅裂に見えなくもない。
耳は 一生 死ぬまで
成長し続けるということを
考えると 耳の大きさの
違いは納得出来ますね。
👂
新約聖書の「ローマ人への手紙の」1章20節は自然の本質を言われていると思いますが、どうして神否定につながるのか解りません。むしろ創造者を証明していると思いますが。
田中先生の講義はいつも興味深く拝見してきましたが、これはちょっと思い込みが激しすぎませんか?
・義経ほどの人物なら単身渡ったとは考えにくく付き人がたくさんいたはずですが、バルジュナト13名のうち何人が日本人だったと思われますか?
・頭の中が戦術のことばかりで発達障害があったように見受けられる義経と、行政にも類まれな能力を発揮するチンギスハンとでは別人のようですがなぜ同一人物と判定できるのか?
・義経の前へ前へ行く天才的な戦術と、モンゴル得意の釣り野伏的な戦術とでは全く違いますが、同じ人がこんなに違う戦術を採用しますか?
・チンギスハンの時代に初めてモンゴルの文字が生まれますが、なぜ日本語をベースにせずウイグル文字をベースにしたのか?
確かに似てますね👀驚き‼️
今日まで先生のご高説の中でもこの説だけは一服の笑い話として聴いてました(汗)。保守言論人随一の歴史家を自称する倉山満とモンゴル専門家である宮脇淳子先生もトンデモ話としてせせ笑ってますよ…。
こういう話は義経自身が言ったエピデンスがなければ分からないんです。誰かの説では駄目だ。
k国起原説じゃないけど日本人はモンゴル斑点があるけどモンゴル斑点は日本からモンゴルに縄文時代に伝わってたんじゃないですか?
チンギス汗が義経だとすると元のフビライ汗はその孫ですね。その孫は自分のルーツが日本人であることを知らなかったのかな?
どなたかの説とおり、チンギス・ハーンの遺伝子の痕跡が明確に現代に何千万人規模で残っている事実との関係を調査することがエビデンスになるのでは?。これを講演の最初に示してほしかった。
テムジン=天神ですか。ロシア語のジンギスカンの発音はどう聞いてもゲンジスカンと聞こえます。つまり、ゲンジ=源氏、ス=素性、カン=男と解釈する事も出来ます。
静御前連れてモンゴルへ駆け落ちしたですか?ハッピーエンドですよ。
0:07 😊
フビライの戦線布告書を見ても祖父のくにのことはなにも書かれてないのは不審ですな。
不当に祖国を追われることになったくだりがあればねぇ。。。
20:47 「『みなさんの』DNA-D2eが湯田屋と同じ」と限定表現を使ったということは、先生はD2eじゃなかったんですか?秦氏末裔を自称しておられたのに?
源義経とチンギス・カン(チンギス・ハーンとも呼ばれます)は、歴史的には異なる時代に活躍した人物です。源義経は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将であり、日本の歴史における重要な人物の一人です。一方、チンギス・カンはモンゴル帝国を建国し、中央アジアからヨーロッパに至る広大な領域を支配した歴史上の偉大な指導者です。
彼らが関連付けられる可能性があるのは、日本の一部のフィクションや創作においてですが、歴史的には直接的なつながりはありません。
やばすぎて草
眼の光が同じ。
単純に、双方の似顔絵は似ているとは思いません。また、モンゴルと日本の文化的相似は、時代を大きく捉えれば、大陸と日本列島の交渉史からも説明できます。この説は眉唾ものですね。
私も全く似てないと思います。義経の鼻は若干鷲鼻ですが、チンギスハーンは鷲鼻要素はありません。眉の形も全く違います。またチンギスハーンは世界でもっとも子孫が多く、そのY染色体ハプログループは日本にでは数%しか確認できません。義経は清和源氏ですから、天皇家と同じY染色体ハプログループのはずです。科学的にも二人を結びつけるのは無理筋でしょう。
美術家ですが、目、口、鼻、そして耳の位置。画家が違えどもここの一致で本人に似たものになる。
これは同一人物が歳を取った相貌である。間違いない。民族が違う優秀な画家が描いて、ここまで位置的、バランス的に似るのが何よりの証拠。(位置をしっかり取らないとその人物に似ない)
日本を貶める戦後の歴史観は信用できない。古代から、世界的アジア的に見ても日本人の優秀さは抜きんでている。チンギスハンは義経である可能性は限りなく高い。
記録によれば、チンギス・ハンと義経の体格は全く異なります。義経は甲冑が残っており、小柄だが、チンギス・ハンは大柄。歴史年表を単純に比較しても、義経が死んだとされる年に、チンギス・ハンは、ハンに即位しており、仮に義経が死んだとされる年に大陸に渡ったとしても、時間的に間に合わない。義経=チンギス・ハン説は100%ありえない夢物語ですね。それとも、義経がモンゴル語を話せたのでしょうかね?通訳者の存在を裏付ける歴史的証拠は?義経が大陸渡るために用いた船は?他国の英雄の後光を奪い取る行為の方が、情けない歴史観だと思う。チンギス・ハンに比する英雄は、日本にも多々存在しますよ。
@@鳥々薫
目、口、鼻、耳の位置が一致しているとのことですが、目を比較してもチンギスハーンは目尻が切れ上がっているのに対して、義経は目尻が下がっています。鼻の違いは上で述べましたので省略しますが、耳の位置も眉との比較でチンギスハーンは若干上付きなのに対し、義経は若干下付きです。それにチンギスのほうが耳たぶが豊かです。
ことほどさように似ていないと思いますが、写真ならまだしも、仮に肖像画が似ていたとしてもなんら証拠にはなりません。
@@鳥々薫日本を貶める?他の説ならいざ知らず、この説は日本の驕りですよ?
日本語で兵站地、といいますが、
蒙古の、ジャムチ。JAM、と音が似ていると思う。
義経ニキ、衣川の戦いの直後にプライベートジェットで十三翼の戦い(チンギス前半生のクライマックス)に向かった説すき
おじいちゃん達の空想戦記
コメ欄の人たち詐欺にあってないか心配になるレベルだな(笑)
モンゴル史を一時間でもいいから学んでみろ
同一人物とかあり得ないと思うから、豊臣秀頼はローマ帝王だったって言ってるくらい滑稽。
モンゴル平原の地下深くにアガルタが存在している?
本当ですか。
田中英道先生を敬愛、尊敬しておりますがさすがにこれは無理がありますね。リーダーにおさまるには言葉の問題もありますしね。
関東平野とモンゴルは似ている。乾燥した内陸部や大河を有していたり。牧畜が盛んで、肉うどんやラーメン餃子は昔も今も共通した食文化のはずだ。馬を操って遠征が得意。海と山を行き来する仕事に発展。血気盛んなトラック野郎の先祖かもしれない。
田中先生の説を100%わかっている、誰か別の人に喋って欲しい。
失礼ですが、なんというか聴きずらくストレスで長く視聴できない。
私だけかも知れませんが。
田中先生の本は一杯読んでます。
その方が田中先生の説が広がると思うのですが。
チンギスハンと源義経のDNAのY染色体は異なっているそうです。言い換えると、チンギスハンのY染色体は、日本人のY染色体にはないものらしいです。
義経夢の会LINEにシェアしました。
こじつけ過ぎだ。
チンギスハンの大一番である十三翼の戦いが1190年頃なのは複数の資料からわかる。ほんの一年前に日本から落ち延びてきた人がそんなことできるわけがない。それに、チンギスハンの家族構成はどう説明をつけるつもりなのか?!モンゴルの人達に対して失礼極まりない!
世界から見たらマイナーもマイナーも義経がユーラシア大陸を股にかけたチンギスハンと同一人物とかモンゴルの人に対する侮辱にも程があって草
コメ欄でこの説信じてる人達詐欺にあったりしないか心配になる
戦の天才と呼ばれた義経がチンギスハーンで、なんで侮辱になるん ?
@@Usacky
戦の天才でも義経は政治音痴だっただろ
兄の頼朝のやりたかった事も理解できずに勝手に官位もらって頼朝の怒りを買って奥州に逃げたかと思えばそのまま味方に裏切られて殺される
チンギスハンはこんな政治音痴じゃないよ
そもそも人類史上最大級の帝国を築き上げ現地民を懐柔し在位中帝国を維持し続けた政治軍事に特化した化け物がチンギスハンだからな
史実の義経を知れば知るほどチンギスハンと同じようなことはできないとわかる
つか政治軍事抜きにしても大英雄にして国父を実は日本人でモンゴル人とは違う人種でした!
とかモンゴルの人に対する侮辱にも程があるだろ
天皇が実は韓国人・ヨーロッパ人でした!とか言われてるようなもんだぞ
学術論文とするならとんでも論過ぎるなあ。フィクションとしては楽しめます。
この人、和歌もまともに読めない(詠めないーではない)で、何言ってんだか・・・証拠になんかなるわけない。妄想の証拠にはなるだろうが・・・w
この題名で、映画化して欲しいです
若い人たちも偉大な日本人がいたことに生きる自信がつくことだろうと想像します
先生いつもありがとうございますm(_ _)m
DNA等科学は無視?😊
Bakageta Hanashi !!!!
Moso Yutakana Hito.
先生、よくわかりましたから、もういいんじゃないですか