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サンライズはどうか存続して欲しいです。新型に置き換えてでも運行を続けて欲しいですね。
🎵瀬戸ワンタン 日暮れ天丼 夕波小波そラーメン
岡山での新幹線乗り換えを考えサンライズとして残したとも言われてますね。何にしても寝台列車として存続させたJ西は大英断だったと思います。
サンライズは残って欲しい!
寝台特急瀬戸は幸い乗れました。サンライズは出雲の方が混雑しているようですが、残して欲しい列車です。
某TH-camrは、住まいがサンライズ出雲だといわれていましたねw
ブルートレイン時代の宇野発の瀬戸号に1回だけ乗ったことあります 宇高連絡船から乗り継いだ思い出 昔は鉄道旅行選択肢がたくさんあって楽しかったな
EF58がたくさん出てきて萌えた!
過去にも出雲と併結していたんですね 1:41
サンライズが出て2ヶ月くらいの頃愛媛県に住む友人を訪ねるために横浜からサンライズに乗車したことがあります。発車時の動きが滑らかで揺れを感じず、快適に寝られました。夏も終わりに差し掛かる時期の山陽本線、楽々買えたシャワーカードで朝シャワーを浴びた後瀬戸大橋から海をながめたこと、そして坂出駅で乗り継ぎの時にいただいた讃岐うどんも良き思い出です。前身の瀬戸号には様々な歴史があったのですね。車両が更新されるかどうかは分かりませんが、今後とも皆様の夢を乗せて走り続けて欲しいものです。
急行時代, 2往復設定された[瀬戸]はそれぞれ[食堂車🍴][簡易食堂車☕]が連結されていた.
簡易寝台車=オシ16ビュッフェですね。彗星からの転用でしょうか。また、さぬきはすばるの転用のとされてますね。
彗星から一旦銀河に使用された後にさぬきに使用された。またさぬき登場当時は瀬戸から食堂車画外されていてさぬきにオシ16型が連結されると瀬戸にはオシ17型がさぬきから移った。このままヨンサントウダイヤ改正でさぬきは瀬戸に編入されて1号・2号になり、1号は1等車(現グリーン車)以外は寝台車で編成され、2号の方は2等車(現普通車)が全車指定席になり、うち3両は岡山止まりだった。また最盛期には臨時の瀬戸51号が岡山電車区の165系6両で下関行き急行長州に併結されて運転されている。ちなみに長州は電車急行では日本最長距離で修学旅行用の下関運転所の167系で運転 された。
サンライズのびのび指定席で近くから頻繁にプ~ッと音が聞こえてきては必死のパッチで笑いを堪えてたある夜の思い出。かく言う自分も寝言の癖があるからサンライズでも言ったかもしれないしお互い様。
瀬戸大橋を渡るブルートレインは見たかった。
「車齢26年」と聞いて思い浮かんだのが、E26系。285系竣工の翌年デビューだけに老朽化が進行してるはず。そろそろリニューアルする時期ではある。
昭和60年頃、何度か乗りました🎵ただし、大阪から東京への上り2号❗当時交際していた大阪の彼女と1日過ごし……翌朝勤め先の神田に朝一で着く❗とても便利な列車でした😃
東京発ブルートレインで地味な存在ながら現在でも健在なのが需要と人気が秘訣だと思います。
高評価しました。…お金を出す訳ではないのでJR四国の意見が通るとは安直には言えないとはも思いますが、どうやら噂によると…車齢28年経過した再来年ごろを目処にどうやら新車を開発、置換える方針でJR三社は調整しているらしいのですが…続報待ちですね……JR四国側の設備面にもよると思うのですが、新型寝台電車に置き換えを 待ち、285系は状態の良い2編成を残して(その際状態が良ければ東海車も有償譲渡?)西がウエストエクスプレスの後継に再改造するんじゃないかなぁと……妄想の域ですが、関連自治体も多少補助金等を出せば、松江島根ルート、下関ルート、紀南ルートをほぼ通年に渡って設定可能となるので,285系銀河後継車転用はありうるんじゃないかなと思います。何れにせよ、夜行列車等に対して欧州みたいに国が低負荷環境低排出ガス減税の様な優遇措置をしない限り…結局は直接的な運賃収入では利益が出ないので、公的機関で支援をして欲しいけれど、…その議論の遡上にすら登りそうもないのが極めて残念ですね……。
しばしばサンライスを使っていた人が総理になったので何かの進展に期待したい
ヨーロッパ🇪🇺は税金💰️高いが、日本🇯🇵は二言目には「税金下げろ!」だから20,000%無理やな😵
このブルトレ時代の瀬戸も勿論だが、今のサンライズ瀬戸🌅何がスゴいって、このJR 発足から35年以上も経つのに、昨今ではほとんど失われつつある各JR 会社の境界を跨いでの運転を、東日本⇒東海⇒西日本⇒四国と、何と4社も跨いでの運転をしかも定期夜行で毎日続けてる!ってことだろうな✊️✨️(因みに1社少ない連れ合いのS出雲でも三社跨ぎの定期運転)あのトワイライトエクスプレスでもS出雲と同じ三社だったのに🌄✨️
瀬戸ユーザーでしたよ。毎年高知の友人を訪ねて瀬戸号使って行ってました。何度も乗ってると乗り込んでからの行動もルーティーン化して来て、乗って検札済んだら直ぐに最後尾のサロンカーへ移動。ソファーに座って弁当食ったりタバコ吸ったり本読んだりして寝る直前まで過ごします。サンライズに成ってからはサロンカーに移動しなくても自室で色々出来るので楽になりました👍
瀬戸大橋からの景色を見ながら、唯一の車内販売というか自販機で売ってたマイナーブランドの缶コーヒーの味は最高だった。
客車時代の寝台特急瀬戸号で東京ー宇野間を運転していた頃岡山駅🚉を発車した直後に宇高連絡船の利用者に乗船名簿が配布されて乗客が配布された乗船名簿に記入した後宇野駅到着する前に乗船名簿を車掌さんが回収していました!乗船名簿の配布は下り列車のみ行なわれていました。
三島会社の中でも、瀬戸はロマンがありますねえ😂
高松発着の瀬戸は当時地上駅だった坂出駅停車時ホームからはみ出し、踏み切りを塞いでいた
オシ16が組み込まれた1.2号、14系が試作ながらB寝台。A寝台オロネ10とかカオスすぎる2.1号。一番豪華だったのかも。
小学生だった40年前にコロタン文庫で見たけどブルートレイン瀬戸は当時の東海道ブルートレインで表定速度が一番速いと記述が有った
機関車交換が一切無かったからですよ、終着駅宇野に着くまで(瀬戸大橋出来てから高松終着駅になっても機関車交換無くEF65PF のマンマだったから表定速度は変わらない筈)全線同じ直流ガマで線形の良い東海道山陽本線を真夜中にガンガン飛ばせたからだと思います😊
瀬戸よりも観光客が多い出雲の方が客単価はやすくなくし、瀬戸は飛行機の最終便より遅く、翌始発の飛行機より早く到着するから需要は高いと見る。出雲市の到着時間みれば明らかですよね。
宇野行き瀬戸号が今も走っていたらJR西エリアでは行先表示に「岡山方面宇野」と表示されていそう
2段ハネの24系25形は登場から間もない頃はこの瀬戸を含め開放式B寝台オンリーの列車が大半でA寝台の類は個室のオロネ25しかなくそれを連結していたのははやぶさ、富士、出雲の内浜田発着列車、あさかぜの内博多発着列車のみでした。その後JRに移行してしばらくしてから瀬戸にも個室A寝台が連結されました。
通称独居房か…。一晩留置されてみたかった。博多あさかぜ辺りで。
オロネ25は出雲で体験しました。広さはそれなりにあって居住性は悪くなかったのですが、目の前の壁が迫る圧迫感。同じ個室でも長居するなら狭くても20系ルーメットの方がよさそう。
ヘッドマークのイラスト入タオルが良かったです。
独居房のシングルDXは、東京~大分で乗りましたが、個人的に快適さでは、プルマン式(開放式)A寝台下段の方が好きでした。
@@se.v4809 オリジナルのオロネ25は1両あたり14室で後に改造により誕生した瀬戸用のオロネ25形300番台は1両あたり10室なのでそれと比べるとピッチがかなり狭いですね。
90年頃に豪華な設備になったのは下関行きあさかぜと共通運用になったからですね。全区間直流電化区間なので電源車兼ラウンジカーのスハ25と一車両に10室の個室A寝台付きでした。瀬戸には乗る機会無かったですが下関あさかぜは乗りました。A寝台は2部屋を繋ぐ扉が有って2人利用時に便利な構造になってました。ベッドも豪華でした。
下関「あさかぜ」との共通編成自体は、多分50-3から(少なくともJTB時刻表の昭和57年7月号にはそう載ってる)😉
宇野と東京を結んだ初めての列車は、1949年頃に登場した514列車でした。(宇野1751→岡山1847で、客車の一部が門司1010→岡山1854・1907→東京1000の急行6列車に併結の上で、東京まで直通しました。)また、1959年~1960年の年末年始頃から東京~宇野で臨時急行3503・3504列車が運行されるようになりました。(東京2215→宇野1302・宇野1532→東京615で、東京~宇野は東京~門司の臨時急行3042・3043列車に併結されていました。)1960年の夏季シーズンには第二瀬戸号の愛称が付与されました。(併結相手ははやとも号の愛称が付与されました。)1960年~1961年の年末年始には、はやとも号が博多発着に変更されました。1961年~1962年の年末年始には、併結相手の愛称が関門号に変更され、発着駅も下関駅(一部広島発着の日もあります。)になりました。また列車番号も3023・3024列車に変更されました。1962年~1963年の年末年始には、第二瀬戸号が単独もしくは東京行のみ名古屋~東京で鳥羽1912発の第二伊勢号を併結するようになりました。そして列車番号も3020・3025に変更されました。(東京2107→宇野1148・宇野1535→東京530)1964年の夏季シーズンには、併結相手が関門号に戻されました。そのため運行形態や列車番号ももとに戻されました。(東京2237→宇野1330・宇野1528→東京610)1964年~1965年の年末年始には、併結相手の愛称が関門号から長州号に変更されました。1965年~1966年の年末年始には、列車番号が第二瀬戸号は9505・9506列車に、長州号は9025・9026列車に変更されました。東京2030→宇野1012・宇野1534→東京530)1966年の夏季シーズンには、電車化されました。そのため列車番号が第二瀬戸号は9029M・9030M・に、長州号は3029M・3030Mに変更されました。(東京2050→宇野1110・宇野1535→東京530)また長州号の広島駅発着がなくなり、長州号のダイヤの掲載が本文に載るようになりました。(以前は臨時列車のページに載っていました。)1965年~1966年の年末年始と1967年の夏季シーズンには、一部岡山発着の日が設定されました。1968年~1969年の年末年始には、第二瀬戸号から瀬戸51号に変更されました。そのため列車番号も8031M・8032Mに、長州号は6031M・6032Mに変更されました。また、一部岡山発着の日が設定されました。(東京2055→宇野1013・宇野1605→東京535)1970年の夏季シーズンと1970年~1971年の年末年始と1971年の夏季シーズンには、一部岡山発着の日が設定されました。そして1971年の夏季シーズン以降は運行されなくなりました。また1971年の夏季シーズンのダイヤは、東京2055→宇野1013・宇野1717→東京535でした。
関西に住んでいるせいかサンライズ号が古くさく感じなくまだまだ使いそう
急行瀬戸に使用された14系寝台車は試作車で蒸気暖房が引き通されていて他の旧型客車へ蒸気を送っていた。14系自体は電気暖房でスハネフ14型からの供給である。なお他のB寝台はこの頃は全車冷房付きです。非冷房車はすでにありません。因みに14系試作車は年末年始には10両まとめて下りは特急はくつる51号上りはゆうづる51号として運転されています。これが初めての特急列車としての運行です。
旧型客車と14系っていう組み合わせが好き
北海道の夜行急行が約半年ほどそうでした。これは14系寝台車の酷耐寒耐雪改造のためです。
サンライズの更新存続は無論のこと希望するが、東北・北海道方面も復活して欲しいなぁ。「北斗星」や「カシオペア」とまではいかなくても、「あけぼの」や「利尻」とか。。無理に北海道新幹線を通さなくても、函館発稚内行にすれば人気が出るような気がするんだがなぁ。保線や運転運用など問題は多いだろうけど、夜行のエモさに魅入られた者からすると、欧州のNightJetが羨ましい。
寝台特急瀬戸。映画、男はつらいよにも登場しましたね。終わりから3つ目の、第44作でした。就活がなかなかうまくいかない光男は、やけになって家を飛び出し、当てもなく寝台特急に乗ってしまう。通路の小椅子に座っていると、車掌が通りかかり…「この列車どこ行きですか。」「四国の、高松行きだけど。」「寝台空いてますか。」「後で回ってくるから、待ってて。」すると、既に浴衣に着替えた乗客から、「おい、おまえ学生か?気楽でいいな!行き先も決めずに乗るなんて、碌なもんじゃない…」と、皮肉を言われる。傷心の光男は、何も言い返せず、所在なく座っている他なかった。
90年代に山陽線のどこかの駅で、上り瀬戸に出くわしました。修学旅行なのか部活の遠征なのか、車内で男子高校生の一団が車内でわちゃわちゃしている姿が見えました。1両貸切なんてサンライズには無理筋のサービスが可能だった時代の昔話です。
香川の直島に行った時に行きは新幹線、帰りは岡山から瀬(24系25型)を利用しましたね。
全国津々浦々存在してたブルートレインが消えた中、唯一夜行寝台電車として残ってるの見ると四国への乗車需要が有るという事でですね。新幹線が開通しない間は山陰とともにまだまだ続きそうですね!
往復割引で片道は新幹線に乗るので夜行列車が無くなったら鉄道は諦めて飛行機か自動車が選択肢になりますね。
現在の宇野駅の小ざっぱりして閑散とした佇まいを見ると、ここから東京方面への夜行列車が発着していたとは信じがたい気もする。
この列車のおかげでスーツ氏や西園寺氏など動画のネタに困らない。
7:20 日本海「・・・・・(何か言いたそうにしている)」
285系サンライズ瀬戸号の運転開始日が1998年7月10日からです。
自社エリアをほぼ深夜時間帯に通過され運行するメリットが殆ど無いと思われたJR東海が285系の開発に関わったのにはビックリしたなぁ…銭ゲバ東海が参加するからには何かしらの打算があったのだろう。
サンライズの新型車両の期待したいところだが、人気に割りに言うほど儲けが少ない(むしろ赤字)と言われているので果たして・・・。
オール寝台車ではコスパが悪いから座席車も入れ旅客数を増やし大阪(上り)、浜松(下り)を上り下り共に停車にし名古屋、米原、京都に停車させれば
JR各社は割と乗り気って言う話も流れてきますがまぁ実際どうなのか…
座席車ではバスに対するメリットが…昔のレガートシートとかも微妙でしたしただノビノビは電車三段寝台風にしてもいいとは思う
頼むから名古屋に止まってくれェェェェェ(愛知県民の嘆き)
@@アラル-キハ85推し 時間的に諦めて(無慈悲)
285系は5編成ある。その5編成で、まず、出雲と瀬戸の併結で2編成。それが上下で4編成。残り1編成は予備車の扱い。その予備編成で臨時出雲が運行されるが、臨時瀬戸は聞いたことがない。設定されたことはあるのだろうか。わずかに、臨時紀伊で走ったことはあるが…。個人的には、ブルトレ瀬戸のヘッドマークが好きだったなぁ。※補:夜行列車と呼称すると、夜行に走る貨物列車も含まれてしまうので、面倒でも夜行旅客列車と呼称したほうがいいかもしれません。細かい人からツッコミが入るかもw
「サンライズゆめ」(東京→広島、下関→東京)なら乗った事ある(ワイが乗ったのは東京→京都)😉
臨時のサンライズ瀬戸の設定はないんですが、かなり前に繁忙期の数日だけ松山まで延長運転されていましたが、色々な事情があって、今の週末限定の片道だけ琴平延長運転しています。ただし高松駅に30分以上遅れた場合は高松止まりになります。多度津〜琴平間が簡易電化方式の為に、サンライズ号が通る時間帯の普通列車を電車から気動車に運用変更しているので、30分以上遅れた場合は対応できない為です。
悲しいけど寝台特急を残すのは難しいでしょうね。主要な都市には新幹線が引かれてるし寝台を運行するには人手がかかり過ぎる。
しかも、客単価¥50,000ないと儲からない😉
休講時代、鬱之宮と覇山の往復していました。
これパンタグラフ付いてたんじゃなかった?
あさかぜは知っていましたが、これも付いていたの?初耳なので…
@@y--sizukiあさかぜと同じスハ25を連結していました。
画像検索したらカトーのNゲージ瀬戸24系25形で普通に出てきました。勉強になりました🙏
スハ25ってカニ22と揃って語られるパンタ付き変態客車ですね
2種類ありパンタグラフ付きがスハ25型でパンタグラフなしがオハ25型です。中身は同じです。パンタグラフなしにはカニ24型100番台画ついています。
瀬戸は他のブルトレと比べて距離が短く、さらにラッシュアワーを避けようとするなら東京を遅く出るか、宇野に早く着きすぎるか、どちらかしかない…。ビジネスマンにすれば理想的なダイヤだがファミリー層には厳しい側面がありました。
高松と松山はサンライズがあるけど高知と徳島って東京からの直通列車一度も走ったことない?
昔宇高連絡船があった時に紫雲丸事故があるまで、貨車だけでなくて客車列車も航走していたのは知っているんですが、どこから来た客車列車なのかは、分からないんです。大昔の資料暇があれば探してみます。
奈良や和歌山などは過去動画で知りましたが高知と徳島だけは聞いたことが無かったので気になりました
サンライズ瀬戸は嫌いな夜行列車です。やはり寝台特急瀬戸は私の好きな列車です。
ワイは食堂車🍽️ない奴は乗りたくないな😁
新型造るなら瑞風みたいに気動車にしたら高知直通とか運用範囲が広がっていいのでは九州乗り入れも可能
もはや、設備も代金も瑞風みたいにしないと無理やな😵
サンライズ瀬戸と併設されているサンライズ出雲が石破首相御用達列車なので、当分残ると思います。
今回の衆議院議員選挙が自民党が裏金疑惑等で逆風なので、鉄道関係の問題が山積みですが、どうなるのやら?
香川県にまで行くわけでもないのに「さぬき」は不自然妥当なのは「びぜん」では?
四国連絡列車なのでちっとも不自然だと思いません。ただ、あの島に「蝦夷」や「筑紫」みたいな島をまるごと表す名がないのが困りものです。
動画タイトルに違和感ありありだな。史上初の海を渡ったって北斗星を除外しているのもだけど、九州ブルトレは?関門トンネル・関門海峡忘れてません?
海を潜ったのと渡ったとの違いかも?w
関門海峡って何海に属する?同様に津軽海峡も日本海なのか太平洋なのか…瀬戸は「瀬戸内海」という海が付く部分を明確に渡っている。
讃岐に行かないさぬきw
鳴門や徳島県に行かないかつてのうずしおの如し。近年では福知山止まりの特急きのさき号も。(山陽新幹線が開通するまで大阪~宇野でした。)
@@TSUYOS185 かつての急行「大社」の金沢編成が米子止まりで、大社まで行かないのに「大社」を名乗る変な列車がありました。
連絡船時代の「八甲田」を「えぞ」と名付けるようなものだな。
まぁ、なはもそうなんだけど😅
サンライズは人気あるんだから瀬戸と出雲は分離して瀬戸を高松・松山行きにしてほしい。
2000年夏、松山まで延長運転したサンライズ瀬戸に乗りました。最近は延長しませんが、需要がないのでしょうか?
いいなぁ羨ましい、また実現してほしいですね。
松山行き乗ったけど、高松→松山はガラガラ。やはり松山着10時過ぎじゃあ…😵
@@HM-rt4mgサンライズ号松山まで延長しなくなった原因ですが、予讃線内で天災や人身事故等で松山から高松まで運転できないとまずい問題が出て松山まで延長運転はなくなったのと車両使用料が琴平までだと安いので、その2点の関係と関係者から聞きました。
@@tomisan285 そういう事情があったのですね。ありがとうございました。
35年は使うだろ。だからあと9年は安泰だな。
サンライズはどうか存続して欲しいです。
新型に置き換えてでも運行を続けて欲しいですね。
🎵瀬戸ワンタン 日暮れ天丼 夕波小波そラーメン
岡山での新幹線乗り換えを考えサンライズとして残したとも言われてますね。
何にしても寝台列車として存続させたJ西は大英断だったと思います。
サンライズは残って欲しい!
寝台特急瀬戸は幸い乗れました。サンライズは出雲の方が混雑しているようですが、残して欲しい列車です。
某TH-camrは、住まいがサンライズ出雲だといわれていましたねw
ブルートレイン時代の宇野発の瀬戸号に1回だけ乗ったことあります 宇高連絡船から乗り継いだ思い出 昔は鉄道旅行選択肢がたくさんあって楽しかったな
EF58がたくさん出てきて萌えた!
過去にも出雲と併結していたんですね 1:41
サンライズが出て2ヶ月くらいの頃愛媛県に住む友人を訪ねるために横浜からサンライズに乗車したことがあります。
発車時の動きが滑らかで揺れを感じず、快適に寝られました。
夏も終わりに差し掛かる時期の山陽本線、楽々買えたシャワーカードで朝シャワーを浴びた後瀬戸大橋から海をながめたこと、そして坂出駅で乗り継ぎの時にいただいた讃岐うどんも良き思い出です。
前身の瀬戸号には様々な歴史があったのですね。
車両が更新されるかどうかは分かりませんが、今後とも皆様の夢を乗せて走り続けて欲しいものです。
急行時代, 2往復設定された[瀬戸]はそれぞれ[食堂車🍴][簡易食堂車☕]が連結されていた.
簡易寝台車=オシ16ビュッフェですね。彗星からの転用でしょうか。また、さぬきはすばるの転用のとされてますね。
彗星から一旦銀河に使用された後にさぬきに使用された。またさぬき登場当時は瀬戸から食堂車画外されていてさぬきにオシ16型が連結されると瀬戸にはオシ17型がさぬきから移った。このままヨンサントウダイヤ改正でさぬきは瀬戸に編入されて1号・2号になり、1号は1等車(現グリーン車)以外は寝台車で編成され、2号の方は2等車(現普通車)が全車指定席になり、うち3両は岡山止まりだった。また最盛期には臨時の瀬戸51号が岡山電車区の165系6両で下関行き急行長州に併結されて運転されている。ちなみに長州は電車急行では日本最長距離で修学旅行用の下関運転所の167系で運転 された。
サンライズのびのび指定席で近くから頻繁にプ~ッと音が聞こえてきては必死のパッチで笑いを堪えてたある夜の思い出。
かく言う自分も寝言の癖があるからサンライズでも言ったかもしれないしお互い様。
瀬戸大橋を渡るブルートレインは見たかった。
「車齢26年」と聞いて思い浮かんだのが、E26系。
285系竣工の翌年デビューだけに老朽化が進行してるはず。
そろそろリニューアルする時期ではある。
昭和60年頃、何度か乗りました🎵ただし、大阪から東京への上り2号❗
当時交際していた大阪の彼女と1日過ごし……翌朝勤め先の神田に朝一で着く❗とても便利な列車でした😃
東京発ブルートレインで地味な存在ながら現在でも健在なのが需要と人気が秘訣だと思います。
高評価しました。
…お金を出す訳ではないのでJR四国の意見が通るとは安直には言えないとはも思いますが、
どうやら噂によると…車齢28年経過した再来年ごろを目処にどうやら新車を開発、置換える方針でJR三社は調整しているらしいのですが…続報待ちですね……JR四国側の設備面にもよると思うのですが、新型寝台電車に置き換えを 待ち、285系は状態の良い2編成を残して(その際状態が良ければ東海車も有償譲渡?)西がウエストエクスプレスの後継に再改造するんじゃないかなぁと……
妄想の域ですが、関連自治体も多少補助金等を出せば、松江島根ルート、下関ルート、紀南ルートをほぼ通年に渡って設定可能となるので,285系銀河後継車転用はありうるんじゃないかなと思います。何れにせよ、夜行列車等に対して欧州みたいに国が低負荷環境低排出ガス減税の様な優遇措置をしない限り…結局は直接的な運賃収入では利益が出ないので、公的機関で支援をして欲しいけれど、…その議論の遡上にすら登りそうもないのが極めて残念ですね……。
しばしばサンライスを使っていた人が総理になったので何かの進展に期待したい
ヨーロッパ🇪🇺は税金💰️高いが、日本🇯🇵は二言目には「税金下げろ!」だから20,000%無理やな😵
このブルトレ時代の瀬戸も勿論だが、今のサンライズ瀬戸🌅
何がスゴいって、このJR 発足から35年以上も経つのに、昨今ではほとんど失われつつある各JR 会社の境界を跨いでの運転を、東日本⇒東海⇒西日本⇒四国と、何と4社も跨いでの運転をしかも定期夜行で毎日続けてる!ってことだろうな✊️✨️(因みに1社少ない連れ合いのS出雲でも三社跨ぎの定期運転)
あのトワイライトエクスプレスでもS出雲と同じ三社だったのに🌄✨️
瀬戸ユーザーでしたよ。毎年高知の友人を訪ねて瀬戸号使って行ってました。何度も乗ってると乗り込んでからの行動もルーティーン化して来て、乗って検札済んだら直ぐに最後尾のサロンカーへ移動。ソファーに座って弁当食ったりタバコ吸ったり本読んだりして寝る直前まで過ごします。サンライズに成ってからはサロンカーに移動しなくても自室で色々出来るので楽になりました👍
瀬戸大橋からの景色を見ながら、唯一の車内販売というか自販機で売ってたマイナーブランドの缶コーヒーの味は最高だった。
客車時代の寝台特急瀬戸号で東京ー宇野間を運転していた頃岡山駅🚉を発車した直後に宇高連絡船の利用者に乗船名簿が配布されて乗客が配布された乗船名簿に記入した後宇野駅到着する前に乗船名簿を車掌さんが回収していました!乗船名簿の配布は下り列車のみ行なわれていました。
三島会社の中でも、瀬戸はロマンがありますねえ😂
高松発着の瀬戸は
当時地上駅だった坂出駅停車時ホームからはみ出し、踏み切りを塞いでいた
オシ16が組み込まれた1.2号、14系が試作ながらB寝台。A寝台オロネ10とかカオスすぎる2.1号。一番豪華だったのかも。
小学生だった40年前にコロタン文庫で
見たけどブルートレイン瀬戸は
当時の東海道ブルートレインで
表定速度が一番速いと記述が有った
機関車交換が一切無かったからですよ、終着駅宇野に着くまで(瀬戸大橋出来てから高松終着駅になっても機関車交換無くEF65PF のマンマだったから表定速度は変わらない筈)
全線同じ直流ガマで線形の良い東海道山陽本線を真夜中にガンガン飛ばせたからだと思います😊
瀬戸よりも観光客が多い出雲の方が客単価はやすくなくし、瀬戸は飛行機の最終便より遅く、翌始発の飛行機より早く到着するから需要は高いと見る。
出雲市の到着時間みれば明らかですよね。
宇野行き瀬戸号が今も走っていたらJR西エリアでは行先表示に「岡山方面宇野」と表示されていそう
2段ハネの24系25形は登場から間もない頃はこの瀬戸を含め開放式B寝台オンリーの列車が大半でA寝台の類は個室のオロネ25しかなくそれを連結していたのははやぶさ、富士、出雲の内浜田発着列車、あさかぜの内博多発着列車のみでした。その後JRに移行してしばらくしてから瀬戸にも個室A寝台が連結されました。
通称独居房か…。一晩留置されてみたかった。博多あさかぜ辺りで。
オロネ25は出雲で体験しました。
広さはそれなりにあって居住性は悪くなかったのですが、目の前の壁が迫る圧迫感。
同じ個室でも長居するなら狭くても20系ルーメットの方がよさそう。
ヘッドマークのイラスト入タオルが良かったです。
独居房のシングルDXは、東京~大分で乗りましたが、個人的に快適さでは、プルマン式(開放式)A寝台下段の方が好きでした。
@@se.v4809 オリジナルのオロネ25は1両あたり14室で後に改造により誕生した瀬戸用のオロネ25形300番台は1両あたり10室なのでそれと比べるとピッチがかなり狭いですね。
90年頃に豪華な設備になったのは下関行きあさかぜと共通運用になったからですね。
全区間直流電化区間なので電源車兼ラウンジカーのスハ25と一車両に10室の個室A寝台付きでした。
瀬戸には乗る機会無かったですが下関あさかぜは乗りました。A寝台は2部屋を繋ぐ扉が有って
2人利用時に便利な構造になってました。ベッドも豪華でした。
下関「あさかぜ」との共通編成自体は、多分50-3から(少なくともJTB時刻表の昭和57年7月号にはそう載ってる)😉
宇野と東京を結んだ初めての列車は、1949年頃に登場した514列車でした。(宇野1751→岡山1847で、客車の一部が門司1010→岡山1854・1907→東京1000の急行6列車に併結の上で、東京まで直通しました。)
また、1959年~1960年の年末年始頃から東京~宇野で臨時急行3503・3504列車が運行されるようになりました。(東京2215→宇野1302・宇野1532→東京615で、東京~宇野は東京~門司の臨時急行3042・3043列車に併結されていました。)
1960年の夏季シーズンには第二瀬戸号の愛称が付与されました。(併結相手ははやとも号の愛称が付与されました。)
1960年~1961年の年末年始には、はやとも号が博多発着に変更されました。
1961年~1962年の年末年始には、併結相手の愛称が関門号に変更され、発着駅も下関駅(一部広島発着の日もあります。)になりました。また列車番号も3023・3024列車に変更されました。
1962年~1963年の年末年始には、第二瀬戸号が単独もしくは東京行のみ名古屋~東京で鳥羽1912発の第二伊勢号を併結するようになりました。そして列車番号も3020・3025に変更されました。(東京2107→宇野1148・宇野1535→東京530)
1964年の夏季シーズンには、併結相手が関門号に戻されました。そのため運行形態や列車番号ももとに戻されました。(東京2237→宇野1330・宇野1528→東京610)
1964年~1965年の年末年始には、併結相手の愛称が関門号から長州号に変更されました。
1965年~1966年の年末年始には、列車番号が第二瀬戸号は9505・9506列車に、長州号は9025・9026列車に変更されました。東京2030→宇野1012・宇野1534→東京530)
1966年の夏季シーズンには、電車化されました。そのため列車番号が第二瀬戸号は9029M・9030M・に、長州号は3029M・3030Mに変更されました。(東京2050→宇野1110・宇野1535→東京530)また長州号の広島駅発着がなくなり、長州号のダイヤの掲載が本文に載るようになりました。(以前は臨時列車のページに載っていました。)
1965年~1966年の年末年始と1967年の夏季シーズンには、一部岡山発着の日が設定されました。
1968年~1969年の年末年始には、第二瀬戸号から瀬戸51号に変更されました。そのため列車番号も8031M・8032Mに、長州号は6031M・6032Mに変更されました。また、一部岡山発着の日が設定されました。(東京2055→宇野1013・宇野1605→東京535)
1970年の夏季シーズンと1970年~1971年の年末年始と1971年の夏季シーズンには、一部岡山発着の日が設定されました。
そして1971年の夏季シーズン以降は運行されなくなりました。また1971年の夏季シーズンのダイヤは、東京2055→宇野1013・宇野1717→東京535でした。
関西に住んでいるせいかサンライズ号が古くさく感じなくまだまだ使いそう
急行瀬戸に使用された14系寝台車は試作車で蒸気暖房が引き通されていて他の旧型客車へ蒸気を送っていた。14系自体は電気暖房でスハネフ14型からの供給である。なお他のB寝台はこの頃は全車冷房付きです。非冷房車はすでにありません。因みに14系試作車は年末年始には10両まとめて下りは特急はくつる51号上りはゆうづる51号として運転されています。これが初めての特急列車としての運行です。
旧型客車と14系っていう組み合わせが好き
北海道の夜行急行が約半年ほどそうでした。これは14系寝台車の酷耐寒耐雪改造のためです。
サンライズの更新存続は無論のこと希望するが、東北・北海道方面も復活して欲しいなぁ。
「北斗星」や「カシオペア」とまではいかなくても、「あけぼの」や「利尻」とか。。
無理に北海道新幹線を通さなくても、函館発稚内行にすれば人気が出るような気がするんだがなぁ。
保線や運転運用など問題は多いだろうけど、夜行のエモさに魅入られた者からすると、欧州のNightJetが羨ましい。
寝台特急瀬戸。映画、男はつらいよにも登場しましたね。終わりから3つ目の、第44作でした。
就活がなかなかうまくいかない光男は、やけになって家を飛び出し、当てもなく寝台特急に乗ってしまう。通路の小椅子に座っていると、車掌が通りかかり…
「この列車どこ行きですか。」
「四国の、高松行きだけど。」
「寝台空いてますか。」
「後で回ってくるから、待ってて。」
すると、既に浴衣に着替えた乗客から、
「おい、おまえ学生か?気楽でいいな!行き先も決めずに乗るなんて、碌なもんじゃない…」
と、皮肉を言われる。傷心の光男は、何も言い返せず、所在なく座っている他なかった。
90年代に山陽線のどこかの駅で、上り瀬戸に出くわしました。
修学旅行なのか部活の遠征なのか、車内で男子高校生の一団が車内でわちゃわちゃしている姿が見えました。
1両貸切なんてサンライズには無理筋のサービスが可能だった時代の昔話です。
香川の直島に行った時に行きは新幹線、帰りは岡山から瀬(24系25型)を利用しましたね。
全国津々浦々存在してたブルートレインが消えた中、唯一夜行寝台電車として残ってるの見ると四国への乗車需要が有るという事でですね。
新幹線が開通しない間は山陰とともにまだまだ続きそうですね!
往復割引で片道は新幹線に乗るので夜行列車が無くなったら鉄道は諦めて飛行機か自動車が選択肢になりますね。
現在の宇野駅の小ざっぱりして閑散とした佇まいを見ると、ここから東京方面への夜行列車が発着していたとは信じがたい気もする。
この列車のおかげでスーツ氏や西園寺氏など動画のネタに困らない。
7:20 日本海「・・・・・(何か言いたそうにしている)」
285系サンライズ瀬戸号の運転開始日が1998年7月10日からです。
自社エリアをほぼ深夜時間帯に通過され運行するメリットが殆ど無いと思われたJR東海が285系の開発に関わったのにはビックリしたなぁ…銭ゲバ東海が参加するからには何かしらの打算があったのだろう。
サンライズの新型車両の期待したいところだが、人気に割りに言うほど儲けが少ない(むしろ赤字)と言われているので果たして・・・。
オール寝台車ではコスパが悪いから座席車も入れ旅客数を増やし
大阪(上り)、浜松(下り)を上り下り共に停車にし名古屋、米原、京都に停車させれば
JR各社は割と乗り気って言う話も流れてきますがまぁ実際どうなのか…
座席車ではバスに対するメリットが…昔のレガートシートとかも微妙でしたし
ただノビノビは電車三段寝台風にしてもいいとは思う
頼むから名古屋に止まってくれェェェェェ(愛知県民の嘆き)
@@アラル-キハ85推し 時間的に諦めて(無慈悲)
285系は5編成ある。その5編成で、まず、出雲と瀬戸の併結で2編成。それが上下で4編成。残り1編成は予備車の扱い。
その予備編成で臨時出雲が運行されるが、臨時瀬戸は聞いたことがない。設定されたことはあるのだろうか。わずかに、臨時紀伊で走ったことはあるが…。
個人的には、ブルトレ瀬戸のヘッドマークが好きだったなぁ。
※補:夜行列車と呼称すると、夜行に走る貨物列車も含まれてしまうので、面倒でも夜行旅客列車と呼称したほうがいいかもしれません。細かい人からツッコミが入るかもw
「サンライズゆめ」(東京→広島、下関→東京)なら乗った事ある(ワイが乗ったのは東京→京都)😉
臨時のサンライズ瀬戸の設定はないんですが、かなり前に繁忙期の数日だけ松山まで延長運転されていましたが、色々な事情があって、今の週末限定の片道だけ琴平延長運転しています。ただし高松駅に30分以上遅れた場合は高松止まりになります。多度津〜琴平間が簡易電化方式の為に、サンライズ号が通る時間帯の普通列車を電車から気動車に運用変更しているので、30分以上遅れた場合は対応できない為です。
悲しいけど寝台特急を残すのは難しいでしょうね。
主要な都市には新幹線が引かれてるし寝台を運行するには人手がかかり過ぎる。
しかも、客単価¥50,000ないと儲からない😉
休講時代、鬱之宮と覇山の往復していました。
これパンタグラフ付いてたんじゃなかった?
あさかぜは
知っていましたが、これも付いていたの?
初耳なので…
@@y--sizukiあさかぜと同じスハ25を連結していました。
画像検索したらカトーのNゲージ瀬戸24系25形で普通に出てきました。
勉強になりました🙏
スハ25ってカニ22と揃って語られるパンタ付き変態客車ですね
2種類ありパンタグラフ付きがスハ25型でパンタグラフなしがオハ25型です。中身は同じです。パンタグラフなしにはカニ24型100番台画ついています。
瀬戸は他のブルトレと比べて距離が短く、さらにラッシュアワーを避けようとするなら東京を遅く出るか、宇野に早く着きすぎるか、どちらかしかない…。ビジネスマンにすれば理想的なダイヤだがファミリー層には厳しい側面がありました。
高松と松山はサンライズがあるけど高知と徳島って東京からの直通列車一度も走ったことない?
昔宇高連絡船があった時に紫雲丸事故があるまで、貨車だけでなくて客車列車も航走していたのは知っているんですが、どこから来た客車列車なのかは、分からないんです。大昔の資料暇があれば探してみます。
奈良や和歌山などは過去動画で知りましたが高知と徳島だけは聞いたことが無かったので気になりました
サンライズ瀬戸は嫌いな夜行列車です。やはり寝台特急瀬戸は私の好きな列車です。
ワイは食堂車🍽️ない奴は乗りたくないな😁
新型造るなら瑞風みたいに気動車にしたら
高知直通とか運用範囲が広がっていいのでは
九州乗り入れも可能
もはや、設備も代金も瑞風みたいにしないと無理やな😵
サンライズ瀬戸と併設されているサンライズ出雲が石破首相御用達列車なので、当分残ると思います。
今回の衆議院議員選挙が自民党が裏金疑惑等で逆風なので、鉄道関係の問題が山積みですが、どうなるのやら?
香川県にまで行くわけでもないのに「さぬき」は不自然
妥当なのは「びぜん」では?
四国連絡列車なのでちっとも不自然だと思いません。
ただ、あの島に「蝦夷」や「筑紫」みたいな島をまるごと表す名がないのが困りものです。
動画タイトルに違和感ありありだな。
史上初の海を渡ったって北斗星を除外しているのもだけど、九州ブルトレは?関門トンネル・関門海峡忘れてません?
海を潜ったのと渡ったとの違いかも?w
関門海峡って何海に属する?同様に津軽海峡も日本海なのか太平洋なのか…
瀬戸は「瀬戸内海」という海が付く部分を明確に渡っている。
讃岐に行かないさぬきw
鳴門や徳島県に行かないかつてのうずしおの如し。近年では福知山止まりの特急きのさき号も。
(山陽新幹線が開通するまで大阪~宇野でした。)
@@TSUYOS185
かつての急行「大社」の金沢編成が米子止まりで、大社まで行かないのに「大社」を名乗る変な列車がありました。
連絡船時代の「八甲田」を「えぞ」と名付けるようなものだな。
まぁ、なはもそうなんだけど😅
サンライズは人気あるんだから瀬戸と出雲は分離して
瀬戸を高松・松山行きにしてほしい。
2000年夏、松山まで延長運転したサンライズ瀬戸に乗りました。
最近は延長しませんが、需要がないのでしょうか?
いいなぁ羨ましい、また実現してほしいですね。
松山行き乗ったけど、高松→松山はガラガラ。やはり松山着10時過ぎじゃあ…😵
@@HM-rt4mg
サンライズ号松山まで延長しなくなった原因ですが、予讃線内で天災や人身事故等で松山から高松まで運転できないとまずい問題が出て松山まで延長運転はなくなったのと車両使用料が琴平までだと安いので、その2点の関係と関係者から聞きました。
@@tomisan285
そういう事情があったのですね。
ありがとうございました。
35年は使うだろ。
だからあと9年は安泰だな。