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ねじ業界に勤めています。火縄銃とねじの話は入社後必ず習うお話なんです。
日本はねじの活用は乏しかったですね
「めっちゃ便利やん!輸入したろ!」ではなく「めっちゃ便利やん!国産化したろ!」と言う発想が凄いと思うし日本が植民地化されなかった特異点だったと思う。
当時の武士が恐ろしく強すぎたのが大きいと思います。しかし、江戸時代の長すぎる鎖国による空白は逆に弱さを招いてしまいました。その反動が第二次世界大戦にあると見てます。
@@crayonmarch 幕末の動乱で片鱗を復活させたので欧米は「植民地化は無理そう」って認識したという可能性も
なぜその発想をしたのかまで掘り下げないとただのナショナリズムや選民思想で終わってしまう。それが許されるくらい生産性の高い環境だったからでしょう。当時の日本人がアフリカとか太平洋諸島とかにいても無理。
魔改造大好きな平たい顔の民族ですからね
武士世界輪入と火縄銃もちょくちょく海外へ流れたそうですよ
「武器は戦いの中でしか進化しない」名言です
@@もぐらカノン STG44はブローニングに並ぶロシア銃器の天才、フェドロフがWWIで制作したPM1916にインスパイアされたのではないかといわれてますね。各国が当時長射程用に8MM弱クラスの銃弾を使う中、フルオートでの低反動の弾丸を求めて日本とイタリアのみが使っていた、6.5MMに目を付け完成させ、量産型は38式実包を日本の他、イギリスに生産を依頼して依頼して入手しました。共産革命で自国製でない弾が手に入らなくなりすたれたのではないかと。
@@もぐらカノン STG44 も実際は1942年から限定配備が始まってました。フルオートの反動対策に弾頭を小さくするのでなく、モーゼル弾の薬莢を短縮してスマートに解決したのですが(7.92MMクルツ弾)、ヒトラーがこの新弾薬を毛嫌いし(射程がないし、互換性もなく、補給が混乱する)銃自体の配備をも妨害したため、新型短機関銃扱いにしてMP43,MP44という名称で限定配備されました。ヒトラーが1944年夏に兵士をねぎらうためにに何が欲しいと聞いて多数の兵士がMP44と答えたため、正体を知ったヒトラーは誤りを認めSTG44に改称したという話がありますね。
「使ってみなければ、改良のしようがない」という意味でいいのかな?
装備の更新には金がかかるからですね。そして戦時には相手を倒さないと負けますから、相手に対応して武器を進化させざるを得ないのです。
幕末の時代はちょうど前装式から後装式への転換点に当たっていたので、西洋でも銃の世代交代があり、日本も最新式の銃にうまく移行できたのでしょうね。
しかし、コピーするだけじゃ飽き足らず、最良くしようという姿勢に職人魂を感じた。
銃身の作り方ですがただ鉄板を筒状に丸めるだけでなく筒になった上から巻板という細長く薄い鉄板を巻きつけて強度、精度を出していました銃口には厚めの巻板を巻いてさらに強度を上げています
鉄砲は量産できたが、硝石の調達に苦労してる。白川郷が硝石の密かな生産拠点だった事は、非常に興味深い。
五箇山は流刑地でね。田沼意次が障害者の将軍に重用されて、抜擢していったように、加賀でも一人、加賀八家がありながら、代抜擢された武士がおったんだな。最後は五箇山に流されて自殺したんですな。今は世界遺産ですがね。
日本の場合は銃が普及していた戦国や幕末期の戦場に居たのが剣術使える武士・郷士や農兵ばっかりだったから、以前取り上げられてたイングランド銃兵を切り刻んだという煙幕クレイモア突撃みたいなの仕掛けても崩しきれず結局乱戦、なんてのが良くあったのが面白い
大人になると長篠の戦でマスケットを世界で初めて戦場で本格的に、主武装にして活用した織田軍よりもその戦いで怯まずになんと八時間も粘った武田軍に感動してしまう自分が居る。創作とかドラマだと武田軍って呆気なく崩れた印象だけど、実際はあの時の武田軍は火縄銃だらけの織田軍の一角が、耐え切れずに崩される位熾烈に食い下がってるとか凄いよね。
武田軍強ぉい。武田信玄がもっと火縄銃と弾薬持ってたら歴史は変わったんだろうなあ
長篠は武田得意の野戦かと思ったら、実の子ところは地形の関係で実質的には攻城戦、即ち城攻めと言う真逆もいいところの戦場だったと言うね…… 武田勝頼はここまで敗北らしい敗北を知らなかったから余計にドツボにハマってしまったと言うね
@@rmjtajpdjwj 甲斐国の経済力だったら、多分それ以上の量を揃えようとしたら経済破綻するでしょうね・・・仮に何らかの理由で大量の鉄砲を運用する手段を得たとしても、山がちで鉄砲の運用が難しかった武田家の所領と、本願寺合戦で敵からの攻撃も含め鉄砲での戦いの経験値を積んだ織田家では運用スキルが雲泥の差になりますので、結果は大差ないかと。織田家があれだけの領の鉄砲を運用できたのは、日本有数の鉄砲生産地帯である国友村と堺を抑え、火薬も貿易港の堺や津島からガンガン輸入できたからでしょうし。
西洋のマスケットは火縄が火皿から離れる方向にバネの力が加わってて引き金を引く力で火縄を動かすのに対して、日本では火縄を火皿に押し付ける方向へバネがついててそれをロックしておき、引き金でロックを外すとバネの力で自動的に火縄が火皿に向かって動く形式だから引き金を引く力が軽く済み、命中精度が上がる、って話じゃなかったっけ?
小学生の頃歴史の授業の一環で体育館にどっかから持ってきて持たせてもらったことある。見学にきてた校長に下剋上じゃあ!って言って銃口向けたら大問題になった
>命中精度が高かったのです。宇喜多直家から命を受けて、火縄銃でのスナイピングで敵将の暗殺に成功した武将も居たくらいだしねえ。
昔の竹束による火縄銃対策は、厚い一枚板の防弾よりも竹が重なっているので積層型防弾の形になっているのでそれなりに防弾性能はありそうですね。
実は「もちろんよ!」も好きです
日本でフリントロック式が流行らずマッチロック式が続いたのは高温多湿な日本の環境ではフリントロック式だと不発が多く、流行らなかったようです欧米やオスマンのように、火縄→フリントロック→雷管→後装式ではなく、火縄→雷管・後装式のようになりました。
国産の硝石では直接火を当てないと着火しずづらかったらしい
信長「よっしゃ!異世界でドワーフ共に火縄銃作らせたろ!」
どこの漂流者ですかね?
妖怪 首置いてけ「ドワーフガリガリだから飯食わしたろ」
おまけにショットガンみたいな奴を作ってみたがはははwみたいなw
ドリフターズに似たようなのあったな
便所の土、死体、硫黄を混ぜ混ぜ
6:25ドリフターズでは○体を埋めて硝石作ってたなぁ。
そうよって知識より力が大切なのか…奥深い
過去と未来の兵器の共演が見てみたいです!
種子島に行くと種子島時尭(ときたか)が火縄銃を持った銅像建立されてるよ
このチャンネルでハートマークを貰うには200年くらい寿命が必要という訳だな
日本の技術力の高さが見えますよね。面白かったです!
3段打ちの根拠になってる絵巻って後年に作られたもの当時の資料にはないのと長篠の戦い前後は雨が降っていて使えるかわからないのと周辺での平地は田んぼで平地で大合戦はしにくく平地での合戦の痕跡はない近くの山には砦を築いた跡があり武器の痕跡もあるので絵巻にあるような三段撃ちはなかったと思われる
長篠の戦で鉄砲が多く使われたのか疑問を持つチームが研究したところ、戦場跡地で金属探知機を入れたが発見出来た弾丸が少なかったのと、長篠の合戦図が誰の手で書かれたのかに疑問があるそうだよ。タイムマシンが出来たらその疑問も解決するけどね。
現地の農民達が回収してたんじゃないか?と予想 死体まで持ち帰ってしまう部類だからな……貴重な鉄資源、金になる。回収しない手はないと思われる
WW2で日本軍が回収してたりして。庶民の鍋釜まで回収したくらいだし。
石の弾丸も当時はあったようなので、流石に風化や砕けたとか?
鉄くずを拾い集めて溶かして農具にするのはありそう
自衛隊でも薬莢は回収するし
減口径銃として進化していったんですね。
ペリーが幕臣に送った当時最新鋭の拳銃だったコルトネイビー1851も水戸藩があっさりコピーして、皮肉にも井伊直弼暗殺に使われてます。
あれコピーだったですかΣ(・□・;)
黒船すらコピーする国
4:44 このポルトガル人にネジを教えて貰った時の小話があって、相手のポルトガル人の人が結構がめついというか損得感情の強いひとで「ネジの構造を教える代わりになんかくれよ」って要求してきたんですけど、当時かなりな後進国だった日本で、相手の望むものが無くて苦戦したらしいです。そしたら相手のポルトガル人がポ「...お前、娘いたよな?」日「え?あ、あぁ、いますけど」ポ「ふ〜ん....結構美人やん...寝ていい?」日「え?それで教えてくれるなら全然ええで! どうぞどうぞ!」ポ「やったぁ〜!あ、これネジの作り方ね」って言うお話がありました。
30mなら堀で隔てられてもない限り突撃は阻止できないし弓矢と投石の射程範囲竹束の普及で近距離でないと効果を発揮しなくなったためライフリングが導入されるまで歩兵武器としての絶対的な地位を築けず幕末期まで槍と鎧が廃れなかった。
恐ろしいのはこれを分解して構造を理解して、大量に量産してしまう当時の刀鍛冶の技術力。世界中探しても設計図無しでマスケット銃を分解して構造を理解して、尚且つ性能もある程度向上させるとかこんな特例は日本しかない。
現代でも陸自の89式装甲車の銃眼を職人が作っている,ってホント?。
国産ロケットの1部の部品が職人頼りってマジ?
因みに自分も金物の町で職人が一つ一つ手作りしてる爪鑢使ってるけど一回これ使うともう安物の爪鑢だと満足できない体に・・・。
一流の職人なら、ノミで集積回路彫れるからな
大量生産しないなら手作業の方が安いのでねぇ資本主義だからね、仕方ないね
堺市には今でも、“鉄砲町”という地名があって、鍛冶屋だったトコには、当時の名残で火縄銃の部材と思われる物が遺ってることがある。また、例年10月に開催される堺まつり市民パレード(南蛮行列)では、種子島鉄砲保存会による試射が行われている。ちなみに、南海本線七道駅は、イオンモール堺鉄砲町に隣接していますw
組み放ちとか軍艦の射撃方法と同じではないか60年であそこまで進化できたのはすごい鉄砲の時代を60年で終わらせたのは驚異的。法治国家としては素晴らしく優秀ではある。いまだに鉄砲を無くせない国が多い。安全保障と兵器規制を両立させたのは凄いこと
奴はマスケットの中でも最強…我が四天王の誇りよ…
ゆうちゃん「四天王全員、容赦なくまとめて刺すの?」そうよマスターフラン「そうよ!」
ライフルドマスケット「僕は?」
日本のような環境では硝石の入手は困難だったからみんなまとまった量を調達するのに苦労していたようですね
鉄砲鍛冶の職人芸、恐るべし。
この時代は刀は無論、槍も薙刀も長巻も皆基本刀鍛冶ですね。
当時は火薬が希少だったので連射とかは出来ず、暗殺や威嚇がメインだったそうです。ただ、運搬用に使ってた敵の家畜を威嚇するのには役に立ちまくったとか。
真田幸村の銑、馬上宿射銃の解説リクエストします
確か、刀の要領で焼き入れしたおかげで不純物が少ないから歪みにくくて高性能になったと聞いた。
威力は現代で言うところのショットガンのスラッグ弾だからな 武者甲冑ならまだしも騎士鎧なんか役立たずになっちまうわ 次弾装填まで15秒……早いなオイ……1分とか普通に掛かるだろ それにしても、ここから200年ほどで出来上がるガトリングガンはまさに進化だな
火縄銃が来るまで、ツキノワグマ相手に「弓と槍」で戦っていたからキツかったハズ。戦争以外でも、生活を大きく変えた事は間違いない。
染物に使うインディゴ(藍)作る過程で焔硝ができるとか 染物屋のパンフに書いてあった
今から180年後の2201年から来ました。なんやかんやあって戦争は起きず、武器屋のおねえさんが世界を統治しています
日本の種子島は性能が良くて、現在でも大会で人気が有るとの事!銃身は刀の製法で制作したとの事。
尾栓の「おねじ」は、鉄棒に細い紐でも巻き付けて型をつけて、やすりで削れば出来ますが、問題は筒の中にいかに螺旋を刻むか、いかに「めねじ」を切るかでしょう。この難題をいかに克服したかも教えて欲しかったですね。
「そうよ」もいいけど「ゆうちゃんどう→した→の?↑」が狂おしいほど好き
輸入するのでは無く、興味津々で自分で作る、作る以上はキッチリと精度を出す、化学反応を利用して何とか代用品を作るなどは日本人っぽいよな。ネジについての歴史的エピソードと言えば、本田宗一郎がホンダを立ち上げた際に、アメリカのクライスラーだったかの工場見学で工場の外に落ちていたネジを拾い、徹底的に研究したというのもありましたな。
ペリー来航時にオランダ経由で米艦隊の艦船スペック表を入手しており、幕府の役人からオランダ情報との差異の質問攻めにあったというから相当武器情報を得ていたと思います。艦砲の性能を把握していたくらいですから制式小銃の断片情報はもっていたのでは?
鉄砲伝来時の種子島の領主、種子島時尭は当時なんと16歳!この若い領主の思いきった買い物と先見の明が後の鉄砲大国を作ったと思うと胸熱。
+けん太郎様更にその子孫(種子島時休技術大佐)が国産初のジェットエンジン(ネ-20)を作り、治めていた島から国産ロケットが宇宙へと飛び立つという日本の最先端技術の「縁(えにし)」を結んだと思うと浪漫を感じます。
@@古澤修-b1m 一応、種子島家の末ですが種子島家は何度も島津家から養子が入っているので血統的には種子島時尭とは無関係なんですよね…
おねえさんの全力「そうよ」が聞こえるとドラゴンすら巣にこもるという
私もおねぇさんの「そうよ」「そうなのよ」が大好きですが・・かなりのファンがいらっしゃるんですね
種子島って今流行りの滑空砲だからF.S.M.S.(翼安定金属弾)にしていたら射程も命中率もよかったんじゃないかな。
速 さ が 足 り な い ! !
一応ダート型の銃弾は水中銃とかであるけれども…戦国の技術レベルを考えたら閉鎖メカと装弾筒と火薬の純度に問題があるんじゃないか?
APFSDS は歴とした滑腔砲だけど設計思想が残念ながら違う。 WW2以降戦車の装甲が頑丈になって正面から撃破するにはより強力な砲が必要になった。威力を上げるには砲弾の重さを増やすか弾速を上げるかの二択が存在し、後者の方がメリットが大きいからそっちを採用。けれども命中精度を上げるためのライフリングが高速化した砲弾に悪影響を与えることが分かって、対策を考えた結果生まれたのが、滑腔砲でも命中率の低下を防ぐことができるAPFSDSだった。 だからどちらかと言うとAPFSDSは威力を高めるために作ったわけで、命中率を上げたいなら構造が単純なライフリングの方が楽になる。
@@ラリンス ライフリングを安定して銃身に彫る技術と矢羽を利用した弾の安定発想的にどっちが時代にあうかな?って考えた時にライフル銃よりも翼安定弾だと思っただけなんだけどね。まぁ、そもそもの話この時代に丸い弾の所為で弾道が安定しないとか、有効射程が伸びないなんて流体力学的発想がうまれるかって問題になるんだけどさ。
日本式の火縄銃は西洋版と比べたら命中率が比較的に上がりやすいのが特徴ですよ。西洋版は弾幕張るタイプなので命中率は低い
0:25ゆうちゃん「♪あぁ憧れのそうよマスターになりたいな〜ならなくちゃゼッタイなってやるッ〜♫」
ドワーフ「鉄砲とか言うたの。お前らの国の鍛冶は、まあまあいい腕をしてるわい」「ま、ワシらには負けるがな。ほれ一本目」ノブ「な…おい。昨日の今日だぞもう作ったってのか!?」ドワーフ「図面だけからならまだしもモノがもうあるんじゃワシらが作れるに決まっとろうが試してみい、問題はないはずじゃい」こんな感じで作ってたのかな。いつか「国崩し」の解説をお願いします。
あの時ドワーフが1日10丁が最大と言ってたけど、信長は何丁をどれくらいのスパンで作れると予想してたのか気になる あの、1日で10!?マジで!?、な反応からして、10日とか1月とかで想定してたのかなぁ?と、ちと気になる
@@ナナシ-r3q 最初、10挺と言われたとき、なんでぇそんなもんか的な事を言っていること、それで1日10挺と言われたとき、どわぁふ凄ぇなと驚いていること、江戸時代の堺で幕府に納める鉄砲の数が1年あたり300~450挺程度で推移(月産25~40挺)していること戦国時代に一週間という日の数え方は一般的ではなかったこと等を合わせて考えると1ヵ月に30~40挺作れると考えていたと思います。
戦は無くなっても参勤交代という「主君のいる戦地に駆けつける」という由来の行事があった以上、最新の鉄砲一つ持たずに駆けつけるなどもってのほか!という見栄から鉄砲を定期的に注文する大名も少なからずいたんでしょうね。
織田は三段撃ちでなく、銃撃の合間は弓衆による防ぎ矢を行ったという話もあるね。
さらに近づいた敵は槍隊で対処。
雄ネジの方はヤスリで削って作るの超大変そうだな…って想像できる範囲だけど雌ねじ側って、銃身尾部の内側に手作業で、雄ネジと同じピッチの等間隔の溝彫っていくわけよね…旋盤とか無い時代にすごいなぁ、古の「匠」ってひとたち。どうやったんだろ…
5:10雄ネジはヤスリで作り、雌ネジは赤熱の銃身を作るときに雄ネジをはめて叩いて雌ネジを形成する。わかってしまえば簡単だが、初見ではわからないよね
実際は三段撃ちではなくリロードの時間を短縮あうるのに撃つ人と弾を込める人で役割分担して弾幕を張ったという説が有力ですね。あの黒色火薬で三段撃ちとかした日には黒煙&火災や暴発で長篠の戦いは逆に負けてたかと···
他に鉄砲隊を三方向に分けて敵を囲った説もありますね。
三段撃ちという戦法自体がこの世になかったというわけではなく、西欧のマスケットでは普通にやっていたらしいですね。長篠ではなかったようですが。
武者ガンダムにオメガタネガシマって武器があった気がする
種子島家からの銃の流れ→島津家へ→室町幕府将軍鋳造で無くハンドメイドな事が凄い👍硝石は基本的に冬作ったとは思います。記憶が有る。他の季節は他の仕事、副業必須な仕事人。射撃の時は昔の映像化では綿をくわえてるシーンあった気もする白い綿だった記憶綿は何のことか当時は分かりませんでしたが忠実に再現してたと言うことかなぁ
伊衛郎の狭間筒は火縄銃の中でも大きかったようですね。時代が時代なのでヒル以外には価値を見出してくれませんでしたが
銃身を鋳造で作ってみた(わかる)鋳鉄は割れやすいので、撃ったら割れた(わかる)それじゃ、鋼で作るか…と鋼板を熱間鍛造し、筒状にしてみた(ここがすごい!)簡単にコピーしたって言っても、簡単じゃないよこれは。
前提に高い製造技術があったのは強い。後は、当時の武士層が割りとガチ目の戦闘思想持ってたのも大きいのかな。
月刊誌アフタヌーンに火縄銃をテーマにした「イサック」が連載中。ヨーロッパに渡った火縄銃の達人の日本人傭兵の話。実際、日本が太平になったから海外に渡った日本人傭兵は結構いたそうです。火縄銃構えてる日本人傭兵が絵画の一部分に描かれてるそうです。
日本で火縄銃が流行った一因に、銃床を頬にあてて狙いをつけるのは和弓と同じでだった事もあげられている。
後は、後世に語られているよりも武士がストイックで、正々堂々どころか兵器の調達や運用に貪欲だったのがある。
初期の銃は映画もののけ姫に出てくる石火矢の様に、大口径短砲身低初速の物だったけども。日本は最初からマッチロック式だったから文字通りオーパーツでしたねおねいさん。しかも弓矢で鎧の隙間をチクチクと時間かけて狙う不確実な戦法より、防護を力尽くで破る銃の方が手っ取り早い…と。そういえば、初期の防弾チョッキって絹を厚くしたモノだったそうですよ。
3:38「実はもっと早く伝わっていたという説もある」13世紀に2回あった、日本への蒙古襲来。その時に、元軍が軍艦から原始的な鉄砲を撃ったという話を聞いたことがあります。宮崎駿の『もののけ姫』の中でも、鉄砲伝来経路をほのめかす「明国の物より重い」などのセリフがあります。ちなみに、もののけ姫の時代設定は1570年頃とのこと。
むかし鉄砲隊にいた頃大阪の阪南射撃場で十匁筒で実弾射撃を行いましたが100メートルで狙点から約7センチ下に命中しました。その後約10発はその狙点に命中しましたが10発以降は玉が装填し難く劣玉(直径が1ミリ小さい玉)を装填して射撃をしましたら約9発で次の劣玉で射撃を行いました。狙点は少しずつ下がりました。銃身の手入れは尾栓を外して風呂場で熱いお湯を流すと銃身の汚れは取れました。火挟・雨覆い・火蓋も熱湯で洗うと火薬滓の汚れも綺麗に取れました。
うぽつ動画面白かったです
種子島はポルトガルから流れ着いた宣教師が持ってきた火縄銃。当時の弓矢に比べると圧倒的火力。そこに目を付けた織田信長信長は先見の明があるのか、いち早く取り入れて、鉄砲兵3千まで増やし弱点である弾込めを補う為に交代制で射撃した。その火力のお掛けで、当時最強で恐れる武田騎馬軍団を亡き者にした。鉄砲は戦いの根底を覆し。武士や騎馬の時代を終わらせた立役者。因みに秀吉による文禄・慶長の役での朝鮮出兵に多大な貢献したのも侍の次に活躍したのも鉄砲である。中国にも鉄砲一応あったらしいが、余り普及しなかったので、日本が有利に進めれたのも間違いない。
あの時の明はハンドキャノン式の火器で、素材も銅で作ってたりしてますね。火縄銃と同じく鉛玉を発射するのもあるけど、面白いのは弓矢を火薬で飛ばす火器も存在してる。
@@rerepopo663 なる程な!勉強になるなあ
@@さんやんばる 明軍の武具は銅製でまだある程度マシな武具だったけど、この時の李氏朝鮮軍は何と紙を武具にしてて、火縄銃の鉛玉所か武士の引きが強い剛の弓の前に地獄を見たとか。そして文禄慶長の役って火縄銃もそうけど実は、兎に角突っ込んでくる明・李氏朝鮮連合軍相手に日本軍が小回りの利く刀で応戦して日本刀が一番輝いた戦争でもある。
@@rerepopo663 なるほど!要するに朝鮮は雑魚(笑)みたいな感じだったんですな。中国がまだマシなレベルな感じなんだなあ紙つうか紙装甲??鎧は無く正服で戦うイメージが確かにあるよなあ。そう考えると相手メインは明になるんだな??
(;-ω-)ウーン鉄砲に目をつけたのは信長だけじゃなくて、色んな大名が集めてた(武田軍ももってた)けど大量に運用できるほどの鉄砲と火薬の量を揃えられなかったソレができた信長が凄いって話では…?あと、武田の騎馬隊も、当時どこにも独立した騎兵隊が無かったとされて否定されてるし、三段撃ちも否定されてませんでしたっけ…?
戦争避けようとしても、他国から仕掛けられることもあるからなぁ現状見る限り、あと180年は難しそうだ
真田軍が4連式鉄砲を使っていたらしいです
「そうよ」好き。無い回は残念に思うくらい。
平和は素晴らしいですけど進化が鈍化するというデメリットがありますね外敵がいないという前提なら平和であれば何もいらないのですが^^改めてフランさんの「そうよ!」の響きに魅了されていた自分に気が付きましたw
種子島…メタルギアソリッドでお世話になったなぁ〜(打つと敵兵が飛んで行く仕様になってた)
何でもかんでも魔改造しちゃう癖?が、日本人の遺伝子に組み込まれてるのかねぇ
効率が悪い。ならば、工夫すればよい!効率化は確かにうまいね。ただ、それも世界レベルで見れば、世界を補完する動きでしかない。屑どもは結局全滅するさかいのう。
そんなの仙台やら福島やら京都やら訪ねれば一目瞭然ですが。(普通のおもちゃですら子供が扱っちゃいけないレヴェルに魔改造する人たちがこのあたりにゴロゴロしてますし)
むかし鉄砲隊に居ましたが慣れると1分間に4~5発撃てました。
室町時代の戦争の歴史は国内だけでやれることはほぼやったと言って良いくらいに濃密で、海外が何世紀もかけて培ったものと同等クラスの戦術・戦略が用いられ発展していた様に感じます。これはきっと、外交がいかに捗っていたかという証拠なのでしょうね。
ノッブは結局築城と銃兵を敷くやり方が上手かった('◇')ゞ
ゆうちゃん「異世界の種子島銃を手にいれたぞ!」おねえさん「これは、射程や命中精度で当時の最高レベルの逸品ね!ゆうちゃん、おねえさんが試射してみるわね。前回の汚名は返上よ!」おねえさん「あら?あれ?変ね? もぉ~~~~~~~!!」 ゆうちゃん「・・・・おねえさん、銃は投げて使うものじゃないと思うよ。。」
ゆうちゃん「今度は私が試射してみるよ」ゆうちゃん「あれ?あれ?あれ?ふあああ!こんなんチートだよ!.....パーン」ゆうちゃん「あ」パシおねえさん「こらゆうちゃん!銃を人に向けてはだめよ?」パラパラゆうちゃん「ハワワ!おねえさん。弾は掴んで砕くものじゃないと思うよ。。。。」
@@いたるたすさん、私以上にヒドイ展開
@@osakana555 天然ゆうちゃんと、武器の扱い方を注意する面倒見が良く優しい天然満載、武器屋のおねえさんとのほのぼのとした日常ですよテヘ
下克上は一生できないな
@@糖のもふり人 さん、相手が謎のカンスト女じゃあねぇ。。
ネジのオネジは、簡単だったがメネジが難しかったそうです。徳川幕府の末期くらいまで無ネジの生活をする日本。昔の日本は、戸が在るがドアが無いのはそのせい。釘や楔で家屋や道具を作っていたからね。
確かギリシャが発明したって聞いた。ネジ。アルキメデスって人だったような?
@@WRYYY科植物 様ネジが発明されてから千年も経っていない様なのでアルキメデスがネジを創ったというのは無理があるのでは?アルキメデスと聞いて多くの人が思い出すのは古代ギリシアの人物と思われます。無論、過去1000年の間に同じ名前の人物がいたかも知れませんが。西暦2000年前後のTV番組で、過去1000年間の発明で最も重要なものをランキング形式で紹介したものがありましたが第1位がネジでした。
せやかて工藤、螺旋水車作ったんアルキメデスっちゅーで?
土蔵の扉や城の門・・・
あんな目の前数センチの場所で爆発するシロモノでよく狙撃できたのが不思議でなりません
確かペリー提督は英雄である兄を超えるため日本に開国迫ったんですよね。
浦賀に来たペリーの兄は、本国では小学校の教科書に載っているくらいの英雄です。
その兄貴(オリバー・ハザード・ペリー)は軍艦(ミサイルフリゲイト)に名前がつけられ、日本を開国させた弟(マシュー・ガルブレイス・ペリー)は軍艦の名前に使われていないそれくらいどうでもいい扱いのマシュー
@@きむらたかし-l5u 兄貴は、海戦で味方艦を失うことなく、敵艦を沈めずに全部拿捕したからね。この時の活躍が、ペリー兄を英雄にしています。ペリー弟がペリー兄を絶対に超えられない線。なお、ペリー弟の名前は、つい最近、フルネームで補給艦の名前になった模様。一方の兄貴は、フルネームで戦闘艦艇のネームシップになるのだから、アメリカ本国における知名度の差がわかる。昔は、ペリー弟の扱いがもっとひどくて、駆逐艦に「ペリー」と命名されたものがあるのですが、当のアメリカ海軍では「単に”ペリー”と言えば、オリバーのことだろ?」みたいな感覚だったみたいです。こうなると、ペリー弟は、ペリー兄のおまけみたいなものです。
これと同じの作れ。と言われてなんちゃってライフリング付きの火縄銃完成させた加治屋が凄すぎる。
日本になじみの無い構造でかなり苦心したけど、それでも何とか試行錯誤したってのが凄い。
火縄銃にもライフリングってついてたんですか? ブローチ盤もないので鍛冶屋さんにはかなり難しかったと思います。
@@contedete ついてない、ライフリング自体はあったけど、ミニエー弾が発明されるまで使われなかった
日本の火縄銃って60年くらいしか活躍がなかったのか。。。えらい日本史で持ち上げられてたから、もっと長い事活躍したと、勘違いしてたわ。でもさ、刀鍛冶が鉄砲をすぐに複製できたってすごいよね。鉄加工の高い技術力とそれを活かした応用力。両方を兼ね揃えていたんだねぇ。
逆に、その60年で戦国時代に終止符を打たせたというのがデカイかと。火縄銃がなければ、その後も決定的な戦力格差が生まれること無く、一時的に近畿周辺で覇を唱える勢力が出ても地方までその勢力を伸ばすことが出来ず、いつまで経っても天下統一とまでは行かなかったかもですね。
命中精度と引き換えに集団戦では使えず暴発しやすい危険な銃になってしまったけどね、競技ではそれらが無視できるから使用されているに過ぎないから。同じ火縄でも中国は引き金を引ききったら発射される仕組みだから(引ききらなければ途中で発射をやめることができる)引き金を引いただけで発射される日本式と比べて命中精度は劣るが安全性は段違いになる。野戦だと曲射ができる弓の方が強い場合もあるからね、籠城戦だと銃にかなわないけどね。
ハートマークのハードルが高すぎるww
あと180年戦争なしか、難しそうですね。尖閣諸島辺りきな臭くなって来たし。
三段撃ちどころか武田騎馬隊すらなかった説もあるんだよねw書物に三段撃ちが書かれたのは江戸時代の創作書物からだし信長公記に載ってないのが・・・ドラマの脚本家のお仕事ですね
勝頼が「このままじゃあかん」って言って鉄砲かき集めて挑んで銃撃戦もあったけど…相手の運用開始が早いのと絶対数が少なくて負けて最後は突撃したって説をテレビかラジオで紹介してるのを聞いた覚えが
…鉄砲もそうだけど、日本の職人の努力が歴史を動かしたのか! 火薬の硝石は輸入頼りで大変だと知ってきたけど、国産で作るノウハウまで知るのは難しく驚きました。 …民家でなく専用の発酵場を遠くに建てるといいかも。火縄銃で狙撃…日本でない異国では、非常識な超人技だったのですね! 実践した戦国武将も凄いぞ!
実は日本で硝石を自前で用意し始めたのは武士じゃなくて、一向一揆しまくりの当時の神社仏閣の僧兵達が先らしいですねw
@@rerepopo663 !! どっかの戦国時代ゲームで寺や一揆の軍が鉄砲で侮れない戦力になったらしいですが、そういった理由があったのですね。教えてくれ、ありがとうございます!
俺も「家の中で作ったら糞尿臭くね」と思ったけど、白川郷とかで硝石がどう作られたか検索すると民家でなければ効率が悪い事がすぐ分かります。
火縄銃(マスケット)の日本と世界の使い方の違い欧州:ただのバカでも3日あれば兵士になる優れものマッチロック→ホイールロック→フリントロックと、安全な着火方式を模索日本:職業軍人(精鋭)が使えばもっと強くなるんじゃね?マッチロックが一番狙いやすいからこれで良い銃の口径も必要に応じて一杯増やしたよ!
意識していろんな(そうね)使ったよね
火縄銃も長弓も威力はほとんど同じで殺傷射程100m、制圧射程400mぐらいなのだけど、弓の射手の訓練は極めて長時間かかるが、火縄銃は即席でいけるので、戦国時代、兵を並べて数の優劣を見せて話し合いから、決戦が主流になって人的損害が出るようになると圧倒的に火縄銃が有利になる。
島津の武者鉄砲が戦い方としてなかなか独特ですね沖縄の火矢(ヒーヤー)も教えてください
国内での武器としての直接的活躍は短かったのかもしれないけど、複製が早かったお陰で西洋の侵略から完璧に近いくらいに守られたって意味では恩恵は計り知れない気がする。
冒頭の茶番、もはやなにが「というわけで」なのかわからなくなってるな
織田信長「火縄銃の生産地と貿易の拠点Getしたぜ👍これで撃ち放題だぜ⭐」雑賀衆「火縄銃と言えば我等だろ?」明智光秀「『本能寺の変』で(悪い意味で)有名だけど、火縄銃の名手なのですが😢」三段撃ちで思い出したのですが実は『二段撃ち』という撃ち方があって、二人と二丁の火縄銃を用意して一人は火縄銃を撃ち、もう一人は火縄銃の掃除と弾込めを行い、常に撃てる状態にしておく・・・らしい。
大河ドラマ毛利元就で見ました。
待ってました❤️😹
そうだよ。
長篠の戦の勝因は3段撃ちじゃなくて、大量の弾薬を準備したから。って読んだ記憶がある
村枝賢一「RED」での狭間筒の旧態とした技術で作られたとは思えない高性能ぶりは知ってたけど…
こちらのリスナーならわかるように海外では火縄から火打石みたいにマイナーチェンジは有りましたが火縄銃から日本に入った新式銃は尖頭弾と言う(個人的に)世紀の兵器発明と言える後送式銃が日本に入った訳ですしギャップは感じたと思います
大好きな類きたぞ
ねじ業界に勤めています。火縄銃とねじの話は入社後必ず習うお話なんです。
日本はねじの活用は乏しかったですね
「めっちゃ便利やん!輸入したろ!」ではなく「めっちゃ便利やん!国産化したろ!」と言う発想が凄いと思うし日本が植民地化されなかった特異点だったと思う。
当時の武士が恐ろしく強すぎたのが大きいと思います。しかし、江戸時代の長すぎる鎖国による空白は逆に弱さを招いてしまいました。その反動が第二次世界大戦にあると見てます。
@@crayonmarch 幕末の動乱で片鱗を復活させたので欧米は「植民地化は無理そう」って認識したという可能性も
なぜその発想をしたのかまで掘り下げないとただのナショナリズムや選民思想で終わってしまう。それが許されるくらい生産性の高い環境だったからでしょう。当時の日本人がアフリカとか太平洋諸島とかにいても無理。
魔改造大好きな平たい顔の民族ですからね
武士世界輪入と火縄銃もちょくちょく海外へ流れたそうですよ
「武器は戦いの中でしか進化しない」名言です
@@もぐらカノン STG44はブローニングに並ぶロシア銃器の天才、フェドロフがWWIで制作したPM1916にインスパイアされたのではないかといわれてますね。各国が当時長射程用に8MM弱クラスの銃弾を使う中、フルオートでの低反動の弾丸を求めて日本とイタリアのみが使っていた、6.5MMに目を付け完成させ、量産型は38式実包を日本の他、イギリスに生産を依頼して依頼して入手しました。共産革命で自国製でない弾が手に入らなくなりすたれたのではないかと。
@@もぐらカノン STG44 も実際は1942年から限定配備が始まってました。フルオートの反動対策に弾頭を小さくするのでなく、モーゼル弾の薬莢を短縮してスマートに解決したのですが(7.92MMクルツ弾)、ヒトラーがこの新弾薬を毛嫌いし(射程がないし、互換性もなく、補給が混乱する)銃自体の配備をも妨害したため、新型短機関銃扱いにしてMP43,MP44という名称で限定配備されました。ヒトラーが1944年夏に兵士をねぎらうためにに何が欲しいと聞いて多数の兵士がMP44と答えたため、正体を知ったヒトラーは誤りを認めSTG44に改称したという話がありますね。
「使ってみなければ、改良のしようがない」という意味でいいのかな?
装備の更新には金がかかるからですね。そして戦時には相手を倒さないと負けますから、相手に対応して武器を進化させざるを得ないのです。
幕末の時代はちょうど前装式から後装式への転換点に当たっていたので、西洋でも銃の世代交代があり、日本も最新式の銃にうまく移行できたのでしょうね。
しかし、コピーするだけじゃ飽き足らず、最良くしようという姿勢に職人魂を感じた。
銃身の作り方ですが
ただ鉄板を筒状に丸めるだけでなく
筒になった上から巻板という細長く薄い鉄板を巻きつけて
強度、精度を出していました
銃口には厚めの巻板を巻いてさらに強度を上げています
鉄砲は量産できたが、硝石の調達に苦労してる。
白川郷が硝石の密かな生産拠点だった事は、非常に興味深い。
五箇山は流刑地でね。田沼意次が障害者の将軍に重用されて、抜擢していったように、加賀でも一人、加賀八家がありながら、代抜擢された武士がおったんだな。最後は五箇山に流されて自殺したんですな。今は世界遺産ですがね。
日本の場合は銃が普及していた戦国や幕末期の戦場に居たのが剣術使える武士・郷士や農兵ばっかりだったから、以前取り上げられてたイングランド銃兵を切り刻んだという煙幕クレイモア突撃みたいなの仕掛けても崩しきれず結局乱戦、なんてのが良くあったのが面白い
大人になると長篠の戦でマスケットを世界で初めて戦場で本格的に、主武装にして活用した織田軍よりも
その戦いで怯まずになんと八時間も粘った武田軍に感動してしまう自分が居る。
創作とかドラマだと武田軍って呆気なく崩れた印象だけど、実際は
あの時の武田軍は火縄銃だらけの織田軍の一角が、耐え切れずに崩される位熾烈に食い下がってるとか凄いよね。
武田軍強ぉい。
武田信玄がもっと火縄銃と弾薬持ってたら歴史は変わったんだろうなあ
長篠は武田得意の野戦かと思ったら、実の子ところは地形の関係で実質的には攻城戦、即ち城攻めと言う真逆もいいところの戦場だったと言うね……
武田勝頼はここまで敗北らしい敗北を知らなかったから余計にドツボにハマってしまったと言うね
@@rmjtajpdjwj
甲斐国の経済力だったら、多分それ以上の量を揃えようとしたら経済破綻するでしょうね・・・
仮に何らかの理由で大量の鉄砲を運用する手段を得たとしても、山がちで鉄砲の運用が難しかった武田家の所領と、本願寺合戦で敵からの攻撃も含め鉄砲での戦いの経験値を積んだ織田家では運用スキルが雲泥の差になりますので、結果は大差ないかと。
織田家があれだけの領の鉄砲を運用できたのは、日本有数の鉄砲生産地帯である国友村と堺を抑え、火薬も貿易港の堺や津島からガンガン輸入できたからでしょうし。
西洋のマスケットは火縄が火皿から離れる方向にバネの力が加わってて引き金を引く力で火縄を動かすのに対して、日本では火縄を火皿に押し付ける方向へバネがついててそれをロックしておき、引き金でロックを外すとバネの力で自動的に火縄が火皿に向かって動く形式だから引き金を引く力が軽く済み、命中精度が上がる、って話じゃなかったっけ?
小学生の頃歴史の授業の一環で体育館にどっかから持ってきて持たせてもらったことある。見学にきてた校長に下剋上じゃあ!って言って銃口向けたら大問題になった
>命中精度が高かったのです。
宇喜多直家から命を受けて、火縄銃での
スナイピングで敵将の暗殺に成功した
武将も居たくらいだしねえ。
昔の竹束による火縄銃対策は、厚い一枚板の防弾よりも竹が重なっているので積層型防弾の形になっているのでそれなりに防弾性能はありそうですね。
実は「もちろんよ!」も好きです
日本でフリントロック式が流行らずマッチロック式が続いたのは高温多湿な日本の環境ではフリントロック式だと不発が多く、流行らなかったようです
欧米やオスマンのように、火縄→フリントロック→雷管→後装式ではなく、火縄→雷管・後装式のようになりました。
国産の硝石では直接火を当てないと着火しずづらかったらしい
信長「よっしゃ!異世界でドワーフ共に火縄銃作らせたろ!」
どこの漂流者ですかね?
妖怪 首置いてけ「ドワーフガリガリだから飯食わしたろ」
おまけにショットガンみたいな奴を作ってみた
がはははw
みたいなw
ドリフターズに似たようなのあったな
便所の土、死体、硫黄を混ぜ混ぜ
6:25ドリフターズでは○体を埋めて硝石作ってたなぁ。
そうよって知識より力が大切なのか…奥深い
過去と未来の兵器の共演が見てみたいです!
種子島に行くと種子島時尭(ときたか)が火縄銃を持った銅像建立されてるよ
このチャンネルでハートマークを貰うには200年くらい寿命が必要という訳だな
日本の技術力の高さが見えますよね。面白かったです!
3段打ちの根拠になってる絵巻って後年に作られたもの
当時の資料にはないのと長篠の戦い前後は雨が降っていて使えるかわからないのと周辺での平地は田んぼで平地で大合戦はしにくく平地での合戦の痕跡はない
近くの山には砦を築いた跡があり武器の痕跡もあるので絵巻にあるような三段撃ちはなかったと思われる
長篠の戦で鉄砲が多く使われたのか疑問を持つチームが研究したところ、戦場跡地で金属探知機を入れたが発見出来た弾丸が少なかったのと、長篠の合戦図が誰の手で書かれたのかに疑問があるそうだよ。
タイムマシンが出来たらその疑問も解決するけどね。
現地の農民達が回収してたんじゃないか?と予想
死体まで持ち帰ってしまう部類だからな……貴重な鉄資源、金になる。回収しない手はないと思われる
WW2で日本軍が回収してたりして。庶民の鍋釜まで回収したくらいだし。
石の弾丸も当時はあったようなので、流石に風化や砕けたとか?
鉄くずを拾い集めて溶かして農具にするのはありそう
自衛隊でも薬莢は回収するし
減口径銃として進化していったんですね。
ペリーが幕臣に送った当時最新鋭の拳銃だったコルトネイビー1851も水戸藩があっさりコピーして、皮肉にも井伊直弼暗殺に使われてます。
あれコピーだったですかΣ(・□・;)
黒船すらコピーする国
4:44 このポルトガル人にネジを教えて貰った時の小話があって、相手のポルトガル人の人が結構がめついというか損得感情の強いひとで「ネジの構造を教える代わりになんかくれよ」って要求してきたんですけど、当時かなりな後進国だった日本で、相手の望むものが無くて苦戦したらしいです。
そしたら相手のポルトガル人が
ポ「...お前、娘いたよな?」
日「え?あ、あぁ、いますけど」
ポ「ふ〜ん....結構美人やん...寝ていい?」
日「え?それで教えてくれるなら全然ええで! どうぞどうぞ!」
ポ「やったぁ〜!あ、これネジの作り方ね」
って言うお話がありました。
30mなら堀で隔てられてもない限り
突撃は阻止できないし弓矢と投石の射程範囲
竹束の普及で近距離でないと効果を発揮しなくなったため
ライフリングが導入されるまで歩兵武器としての絶対的な地位を築けず幕末期まで槍と鎧が廃れなかった。
恐ろしいのはこれを分解して構造を理解して、大量に量産してしまう当時の刀鍛冶の技術力。
世界中探しても設計図無しでマスケット銃を分解して構造を理解して、尚且つ性能もある程度向上させるとか
こんな特例は日本しかない。
現代でも陸自の89式装甲車の銃眼を職人が作っている,ってホント?。
国産ロケットの1部の部品が職人頼りってマジ?
因みに自分も金物の町で職人が一つ一つ手作りしてる爪鑢使ってるけど
一回これ使うともう安物の爪鑢だと満足できない体に・・・。
一流の職人なら、ノミで集積回路彫れるからな
大量生産しないなら手作業の方が安いのでねぇ
資本主義だからね、仕方ないね
堺市には今でも、“鉄砲町”という地名があって、鍛冶屋だったトコには、当時の名残で火縄銃の部材と思われる物が遺ってることがある。また、例年10月に開催される堺まつり市民パレード(南蛮行列)では、種子島鉄砲保存会による試射が行われている。
ちなみに、南海本線七道駅は、イオンモール堺鉄砲町に隣接していますw
組み放ちとか軍艦の射撃方法と同じではないか
60年であそこまで進化できたのはすごい
鉄砲の時代を60年で終わらせたのは驚異的。法治国家としては素晴らしく優秀ではある。いまだに鉄砲を無くせない国が多い。安全保障と兵器規制を両立させたのは凄いこと
奴はマスケットの中でも最強…
我が四天王の誇りよ…
ゆうちゃん「四天王全員、容赦なくまとめて刺すの?」
そうよマスターフラン「そうよ!」
ライフルドマスケット「僕は?」
日本のような環境では硝石の入手は困難だったからみんなまとまった量を調達するのに苦労していたようですね
鉄砲鍛冶の職人芸、恐るべし。
この時代は刀は無論、槍も薙刀も長巻も皆基本刀鍛冶ですね。
当時は火薬が希少だったので連射とかは出来ず、暗殺や威嚇がメインだったそうです。
ただ、運搬用に使ってた敵の家畜を威嚇するのには役に立ちまくったとか。
真田幸村の銑、馬上宿射銃の解説リクエストします
確か、刀の要領で焼き入れしたおかげで不純物が少ないから歪みにくくて高性能になったと聞いた。
威力は現代で言うところのショットガンのスラッグ弾だからな
武者甲冑ならまだしも騎士鎧なんか役立たずになっちまうわ
次弾装填まで15秒……早いなオイ……1分とか普通に掛かるだろ
それにしても、ここから200年ほどで出来上がるガトリングガンはまさに進化だな
火縄銃が来るまで、
ツキノワグマ相手に「弓と槍」で戦っていたからキツかったハズ。
戦争以外でも、生活を大きく変えた事は間違いない。
染物に使うインディゴ(藍)作る過程で焔硝ができるとか 染物屋のパンフに書いてあった
今から180年後の2201年から来ました。
なんやかんやあって戦争は起きず、武器屋のおねえさんが世界を統治しています
日本の種子島は性能が良くて、現在でも大会で人気が有るとの事!銃身は刀の製法で制作したとの事。
尾栓の「おねじ」は、鉄棒に細い紐でも巻き付けて型をつけて、やすりで削れば出来ますが、問題は筒の中にいかに螺旋を刻むか、いかに「めねじ」を切るかでしょう。この難題をいかに克服したかも教えて欲しかったですね。
「そうよ」もいいけど「ゆうちゃんどう→した→の?↑」が狂おしいほど好き
輸入するのでは無く、興味津々で自分で作る、作る以上はキッチリと精度を出す、化学反応を利用して何とか代用品を作るなどは日本人っぽいよな。ネジについての歴史的エピソードと言えば、本田宗一郎がホンダを立ち上げた際に、アメリカのクライスラーだったかの工場見学で工場の外に落ちていたネジを拾い、徹底的に研究したというのもありましたな。
ペリー来航時にオランダ経由で米艦隊の艦船スペック表を入手しており、幕府の役人からオランダ情報との差異の質問攻めにあったというから相当武器情報を得ていたと思います。
艦砲の性能を把握していたくらいですから制式小銃の断片情報はもっていたのでは?
鉄砲伝来時の種子島の領主、種子島時尭は当時なんと16歳!
この若い領主の思いきった買い物と先見の明が後の鉄砲大国を作ったと思うと胸熱。
+けん太郎様
更にその子孫(種子島時休技術大佐)が国産初のジェットエンジン(ネ-20)を作り、治めていた島から
国産ロケットが宇宙へと飛び立つという日本の最先端技術の「縁(えにし)」を結んだと思うと浪漫を
感じます。
@@古澤修-b1m 一応、種子島家の末ですが種子島家は何度も島津家から養子が入っているので血統的には種子島時尭とは無関係なんですよね…
おねえさんの全力「そうよ」が聞こえるとドラゴンすら巣にこもるという
私もおねぇさんの「そうよ」「そうなのよ」が大好きですが・・
かなりのファンがいらっしゃるんですね
種子島って今流行りの滑空砲だからF.S.M.S.(翼安定金属弾)にしていたら射程も命中率もよかったんじゃないかな。
速 さ が 足 り な い ! !
一応ダート型の銃弾は水中銃とかであるけれども…戦国の技術レベルを考えたら閉鎖メカと装弾筒と火薬の純度に問題があるんじゃないか?
APFSDS は歴とした滑腔砲だけど設計思想が残念ながら違う。
WW2以降戦車の装甲が頑丈になって正面から撃破するにはより強力な砲が必要になった。威力を上げるには砲弾の重さを増やすか弾速を上げるかの二択が存在し、後者の方がメリットが大きいからそっちを採用。けれども命中精度を上げるためのライフリングが高速化した砲弾に悪影響を与えることが分かって、対策を考えた結果生まれたのが、滑腔砲でも命中率の低下を防ぐことができるAPFSDSだった。
だからどちらかと言うとAPFSDSは威力を高めるために作ったわけで、命中率を上げたいなら構造が単純なライフリングの方が楽になる。
@@ラリンス
ライフリングを安定して銃身に彫る技術と矢羽を利用した弾の安定発想的にどっちが時代にあうかな?
って考えた時にライフル銃よりも翼安定弾だと思っただけなんだけどね。
まぁ、そもそもの話この時代に丸い弾の所為で弾道が安定しないとか、有効射程が伸びないなんて流体力学的発想がうまれるかって問題になるんだけどさ。
日本式の火縄銃は西洋版と比べたら命中率が比較的に上がりやすいのが特徴ですよ。西洋版は弾幕張るタイプなので命中率は低い
0:25ゆうちゃん「♪あぁ憧れのそうよマスターになりたいな〜ならなくちゃゼッタイなってやるッ〜♫」
ドワーフ「鉄砲とか言うたの。お前らの国の鍛冶は、まあまあいい腕をしてるわい」
「ま、ワシらには負けるがな。ほれ一本目」
ノブ「な…おい。昨日の今日だぞ
もう作ったってのか!?」
ドワーフ「図面だけからならまだしもモノがもうあるんじゃ
ワシらが作れるに決まっとろうが
試してみい、問題はないはずじゃい」
こんな感じで作ってたのかな。
いつか「国崩し」の解説をお願いします。
あの時ドワーフが1日10丁が最大と言ってたけど、信長は何丁をどれくらいのスパンで作れると予想してたのか気になる
あの、1日で10!?マジで!?、な反応からして、10日とか1月とかで想定してたのかなぁ?と、ちと気になる
@@ナナシ-r3q 最初、10挺と言われたとき、なんでぇそんなもんか的な事を言っていること、
それで1日10挺と言われたとき、どわぁふ凄ぇなと驚いていること、
江戸時代の堺で幕府に納める鉄砲の数が1年あたり300~450挺程度で推移(月産25~40挺)していること
戦国時代に一週間という日の数え方は一般的ではなかったこと等を合わせて考えると
1ヵ月に30~40挺作れると考えていたと思います。
戦は無くなっても参勤交代という「主君のいる戦地に駆けつける」という由来の行事があった以上、最新の鉄砲一つ持たずに駆けつけるなどもってのほか!という見栄から鉄砲を定期的に注文する大名も少なからずいたんでしょうね。
織田は三段撃ちでなく、銃撃の合間は弓衆による防ぎ矢を行ったという話もあるね。
さらに近づいた敵は槍隊で対処。
雄ネジの方はヤスリで削って作るの超大変そうだな…って想像できる範囲だけど
雌ねじ側って、銃身尾部の内側に手作業で、雄ネジと同じピッチの等間隔の溝彫っていくわけよね…
旋盤とか無い時代にすごいなぁ、古の「匠」ってひとたち。どうやったんだろ…
5:10雄ネジはヤスリで作り、雌ネジは赤熱の銃身を作るときに雄ネジをはめて叩いて雌ネジを形成する。わかってしまえば簡単だが、初見ではわからないよね
実際は三段撃ちではなくリロードの時間を短縮あうるのに撃つ人と弾を込める人で役割分担して弾幕を張ったという説が有力ですね。
あの黒色火薬で三段撃ちとかした日には黒煙&火災や暴発で長篠の戦いは逆に負けてたかと···
他に鉄砲隊を三方向に分けて敵を囲った説もありますね。
三段撃ちという戦法自体がこの世になかったというわけではなく、西欧のマスケットでは普通にやっていたらしいですね。
長篠ではなかったようですが。
武者ガンダムにオメガタネガシマって武器があった気がする
種子島家からの銃の流れ→島津家へ→室町幕府将軍
鋳造で無くハンドメイドな事が凄い👍
硝石は基本的に冬作ったとは思います。記憶が有る。他の季節は他の仕事、副業必須な仕事人。
射撃の時は昔の映像化では綿をくわえてるシーンあった気もする白い綿だった記憶
綿は何のことか当時は分かりませんでしたが忠実に再現してたと言うことかなぁ
伊衛郎の狭間筒は火縄銃の中でも大きかったようですね。時代が時代なのでヒル以外には価値を見出してくれませんでしたが
銃身を鋳造で作ってみた(わかる)
鋳鉄は割れやすいので、撃ったら割れた(わかる)
それじゃ、鋼で作るか…と鋼板を熱間鍛造し、筒状にしてみた(ここがすごい!)
簡単にコピーしたって言っても、簡単じゃないよこれは。
前提に高い製造技術があったのは強い。
後は、当時の武士層が割りとガチ目の戦闘思想持ってたのも大きいのかな。
月刊誌アフタヌーンに火縄銃をテーマにした「イサック」が連載中。
ヨーロッパに渡った火縄銃の達人の日本人傭兵の話。
実際、日本が太平になったから海外に渡った日本人傭兵は結構いたそうです。火縄銃構えてる日本人傭兵が絵画の一部分に描かれてるそうです。
日本で火縄銃が流行った一因に、銃床を頬にあてて狙いをつけるのは和弓と同じでだった事もあげられている。
後は、後世に語られているよりも武士がストイックで、正々堂々どころか兵器の調達や運用に貪欲だったのがある。
初期の銃は映画もののけ姫に出てくる石火矢の様に、大口径短砲身低初速の物だったけども。
日本は最初からマッチロック式だったから文字通りオーパーツでしたねおねいさん。
しかも弓矢で鎧の隙間をチクチクと時間かけて狙う不確実な戦法より、防護を力尽くで破る銃の方が手っ取り早い…と。
そういえば、初期の防弾チョッキって絹を厚くしたモノだったそうですよ。
3:38「実はもっと早く伝わっていたという説もある」13世紀に2回あった、日本への蒙古襲来。その時に、元軍が軍艦から原始的な鉄砲を撃ったという話を聞いたことがあります。宮崎駿の『もののけ姫』の中でも、鉄砲伝来経路をほのめかす「明国の物より重い」などのセリフがあります。ちなみに、もののけ姫の時代設定は1570年頃とのこと。
むかし鉄砲隊にいた頃大阪の阪南射撃場で十匁筒で実弾射撃を行いましたが100メートルで狙点から約7センチ下に命中しました。
その後約10発はその狙点に命中しましたが10発以降は玉が装填し難く劣玉(直径が1ミリ小さい玉)を装填して射撃をしましたら
約9発で次の劣玉で射撃を行いました。
狙点は少しずつ下がりました。
銃身の手入れは尾栓を外して風呂場で熱いお湯を流すと銃身の汚れは取れました。
火挟・雨覆い・火蓋も熱湯で洗うと火薬滓の汚れも綺麗に取れました。
うぽつ
動画面白かったです
種子島はポルトガルから流れ着いた宣教師が持ってきた火縄銃。当時の弓矢に比べると圧倒的火力。そこに目を付けた織田信長
信長は先見の明があるのか、いち早く取り入れて、鉄砲兵3千まで増やし弱点である弾込めを補う為に交代制で射撃した。
その火力のお掛けで、当時最強で恐れる武田騎馬軍団を亡き者にした。
鉄砲は戦いの根底を覆し。武士や騎馬の時代を終わらせた立役者。
因みに秀吉による文禄・慶長の役での朝鮮出兵に多大な貢献したのも侍の次に活躍したのも鉄砲である。中国にも鉄砲一応あったらしいが、余り普及しなかったので、日本が有利に進めれたのも間違いない。
あの時の明はハンドキャノン式の火器で、素材も銅で作ってたりしてますね。
火縄銃と同じく鉛玉を発射するのもあるけど、面白いのは弓矢を火薬で飛ばす火器も存在してる。
@@rerepopo663 なる程な!勉強になるなあ
@@さんやんばる 明軍の武具は銅製でまだある程度マシな武具だったけど、この時の李氏朝鮮軍は
何と紙を武具にしてて、火縄銃の鉛玉所か武士の引きが強い剛の弓の前に地獄を見たとか。
そして文禄慶長の役って火縄銃もそうけど実は、兎に角突っ込んでくる明・李氏朝鮮連合軍相手に
日本軍が小回りの利く刀で応戦して日本刀が一番輝いた戦争でもある。
@@rerepopo663 なるほど!要するに朝鮮は雑魚(笑)みたいな感じだったんですな。
中国がまだマシなレベルな感じなんだなあ
紙つうか紙装甲??鎧は無く正服で戦うイメージが確かにあるよなあ。
そう考えると相手メインは明になるんだな??
(;-ω-)ウーン
鉄砲に目をつけたのは信長だけじゃなくて、色んな大名が集めてた(武田軍ももってた)けど大量に運用できるほどの鉄砲と火薬の量を揃えられなかった
ソレができた信長が凄いって話では…?
あと、武田の騎馬隊も、当時どこにも独立した騎兵隊が無かったとされて否定されてるし、三段撃ちも否定されてませんでしたっけ…?
戦争避けようとしても、他国から仕掛けられることもあるからなぁ
現状見る限り、あと180年は難しそうだ
真田軍が4連式鉄砲を使っていたらしいです
「そうよ」好き。無い回は残念に思うくらい。
平和は素晴らしいですけど進化が鈍化するというデメリットがありますね
外敵がいないという前提なら平和であれば何もいらないのですが^^
改めてフランさんの「そうよ!」の響きに魅了されていた自分に気が付きましたw
種子島…
メタルギアソリッドでお世話になったなぁ〜
(打つと敵兵が飛んで行く仕様になってた)
何でもかんでも魔改造しちゃう癖?が、日本人の遺伝子に組み込まれてるのかねぇ
効率が悪い。ならば、工夫すればよい!効率化は確かにうまいね。ただ、それも世界レベルで見れば、世界を補完する動きでしかない。屑どもは結局全滅するさかいのう。
そんなの仙台やら福島やら京都やら訪ねれば一目瞭然ですが。(普通のおもちゃですら子供が扱っちゃいけないレヴェルに魔改造する人たちがこのあたりにゴロゴロしてますし)
むかし鉄砲隊に居ましたが慣れると1分間に4~5発撃てました。
室町時代の戦争の歴史は国内だけでやれることはほぼやったと言って良いくらいに濃密で、海外が何世紀もかけて培ったものと同等クラスの戦術・戦略が用いられ発展していた様に感じます。
これはきっと、外交がいかに捗っていたかという証拠なのでしょうね。
ノッブは結局築城と銃兵を敷くやり方が上手かった('◇')ゞ
ゆうちゃん「異世界の種子島銃を手にいれたぞ!」
おねえさん「これは、射程や命中精度で当時の最高レベルの逸品ね!ゆうちゃん、おねえさんが試射してみるわね。前回の汚名は返上よ!」
おねえさん「あら?あれ?変ね? もぉ~~~~~~~!!」
ゆうちゃん「・・・・おねえさん、銃は投げて使うものじゃないと思うよ。。」
ゆうちゃん「今度は私が試射してみるよ」
ゆうちゃん「あれ?あれ?あれ?ふあああ!こんなんチートだよ!.....パーン」
ゆうちゃん「あ」
パシ
おねえさん「こらゆうちゃん!銃を人に向けてはだめよ?」パラパラ
ゆうちゃん「ハワワ!おねえさん。弾は掴んで砕くものじゃないと思うよ。。。。」
@@いたるたすさん、私以上にヒドイ展開
@@osakana555
天然ゆうちゃんと、武器の扱い方を注意する面倒見が良く優しい天然満載、武器屋のおねえさんとの
ほのぼのとした日常ですよテヘ
下克上は一生できないな
@@糖のもふり人 さん、相手が謎のカンスト女じゃあねぇ。。
ネジのオネジは、簡単だったがメネジが難しかったそうです。徳川幕府の末期くらいまで無ネジの生活をする日本。昔の日本は、戸が在るがドアが無いのはそのせい。釘や楔で家屋や道具を作っていたからね。
確かギリシャが発明したって聞いた。ネジ。
アルキメデスって人だったような?
@@WRYYY科植物 様
ネジが発明されてから千年も経っていない様なのでアルキメデスがネジを創ったというのは無理があるのでは?
アルキメデスと聞いて多くの人が思い出すのは古代ギリシアの人物と思われます。無論、過去1000年の間に同じ名前の人物がいたかも知れませんが。
西暦2000年前後のTV番組で、過去1000年間の発明で最も重要なものをランキング形式で紹介したものがありましたが第1位がネジでした。
せやかて工藤、螺旋水車作ったんアルキメデスっちゅーで?
土蔵の扉や城の門・・・
あんな目の前数センチの場所で爆発するシロモノでよく狙撃できたのが不思議でなりません
確かペリー提督は英雄である兄を超えるため日本に開国迫ったんですよね。
浦賀に来たペリーの兄は、本国では小学校の教科書に載っているくらいの英雄です。
その兄貴(オリバー・ハザード・ペリー)は軍艦(ミサイルフリゲイト)に名前がつけられ、日本を開国させた弟(マシュー・ガルブレイス・ペリー)は軍艦の名前に使われていない
それくらいどうでもいい扱いのマシュー
@@きむらたかし-l5u
兄貴は、海戦で味方艦を失うことなく、敵艦を沈めずに全部拿捕したからね。
この時の活躍が、ペリー兄を英雄にしています。
ペリー弟がペリー兄を絶対に超えられない線。
なお、ペリー弟の名前は、つい最近、フルネームで補給艦の名前になった模様。
一方の兄貴は、フルネームで戦闘艦艇のネームシップになるのだから、アメリカ本国における知名度の差がわかる。
昔は、ペリー弟の扱いがもっとひどくて、駆逐艦に「ペリー」と命名されたものがあるのですが、当のアメリカ海軍では「単に”ペリー”と言えば、オリバーのことだろ?」みたいな感覚だったみたいです。
こうなると、ペリー弟は、ペリー兄のおまけみたいなものです。
これと同じの作れ。と言われてなんちゃってライフリング付きの火縄銃完成させた加治屋が凄すぎる。
日本になじみの無い構造でかなり苦心したけど、それでも何とか試行錯誤したってのが凄い。
火縄銃にもライフリングってついてたんですか? ブローチ盤もないので鍛冶屋さんにはかなり難しかったと思います。
@@contedete ついてない、ライフリング自体はあったけど、ミニエー弾が発明されるまで使われなかった
日本の火縄銃って60年くらいしか活躍がなかったのか。。。
えらい日本史で持ち上げられてたから、もっと長い事活躍したと、勘違いしてたわ。
でもさ、刀鍛冶が鉄砲をすぐに複製できたってすごいよね。鉄加工の高い技術力とそれを活かした応用力。両方を兼ね揃えていたんだねぇ。
逆に、その60年で戦国時代に終止符を打たせたというのがデカイかと。
火縄銃がなければ、その後も決定的な戦力格差が生まれること無く、一時的に近畿周辺で覇を唱える勢力が出ても地方までその勢力を伸ばすことが出来ず、いつまで経っても天下統一とまでは行かなかったかもですね。
命中精度と引き換えに集団戦では使えず暴発しやすい危険な銃になってしまったけどね、競技ではそれらが無視できるから使用されているに過ぎないから。
同じ火縄でも中国は引き金を引ききったら発射される仕組みだから(引ききらなければ途中で発射をやめることができる)引き金を引いただけで発射される日本式と比べて命中精度は劣るが安全性は段違いになる。
野戦だと曲射ができる弓の方が強い場合もあるからね、籠城戦だと銃にかなわないけどね。
ハートマークのハードルが高すぎるww
あと180年戦争なしか、難しそうですね。尖閣諸島辺りきな臭くなって来たし。
三段撃ちどころか武田騎馬隊すらなかった説もあるんだよねw
書物に三段撃ちが書かれたのは江戸時代の創作書物からだし信長公記に載ってないのが・・・
ドラマの脚本家のお仕事ですね
勝頼が「このままじゃあかん」って言って鉄砲かき集めて挑んで銃撃戦もあったけど…相手の運用開始が早いのと絶対数が少なくて負けて最後は突撃した
って説をテレビかラジオで紹介してるのを聞いた覚えが
…鉄砲もそうだけど、日本の職人の努力が歴史を動かしたのか! 火薬の硝石は輸入頼りで大変だと知ってきたけど、国産で作るノウハウまで知るのは難しく驚きました。 …民家でなく専用の発酵場を遠くに建てるといいかも。火縄銃で狙撃…日本でない異国では、非常識な超人技だったのですね! 実践した戦国武将も凄いぞ!
実は日本で硝石を自前で用意し始めたのは武士じゃなくて、一向一揆しまくりの当時の
神社仏閣の僧兵達が先らしいですねw
@@rerepopo663 !! どっかの戦国時代ゲームで寺や一揆の軍が鉄砲で侮れない戦力になったらしいですが、そういった理由があったのですね。教えてくれ、ありがとうございます!
俺も「家の中で作ったら糞尿臭くね」と思ったけど、白川郷とかで硝石がどう作られたか検索すると民家でなければ効率が悪い事がすぐ分かります。
火縄銃(マスケット)の日本と世界の使い方の違い
欧州:ただのバカでも3日あれば兵士になる優れもの
マッチロック→ホイールロック→フリントロックと、安全な着火方式を模索
日本:職業軍人(精鋭)が使えばもっと強くなるんじゃね?
マッチロックが一番狙いやすいからこれで良い
銃の口径も必要に応じて一杯増やしたよ!
意識していろんな(そうね)使ったよね
火縄銃も長弓も威力はほとんど同じで殺傷射程100m、制圧射程400mぐらいなのだけど、弓の射手の訓練は極めて長時間かかるが、火縄銃は即席でいけるので、戦国時代、兵を並べて数の優劣を見せて話し合いから、決戦が主流になって人的損害が出るようになると圧倒的に火縄銃が有利になる。
島津の武者鉄砲が戦い方としてなかなか独特ですね
沖縄の火矢(ヒーヤー)も教えてください
国内での武器としての直接的活躍は短かったのかもしれないけど、複製が早かったお陰で西洋の侵略から完璧に近いくらいに守られたって意味では恩恵は計り知れない気がする。
冒頭の茶番、もはやなにが「というわけで」なのかわからなくなってるな
織田信長「火縄銃の生産地と貿易の拠点Getしたぜ👍これで撃ち放題だぜ⭐」
雑賀衆「火縄銃と言えば我等だろ?」
明智光秀「『本能寺の変』で(悪い意味で)有名だけど、火縄銃の名手なのですが😢」
三段撃ちで思い出したのですが実は『二段撃ち』という撃ち方があって、二人と二丁の火縄銃を用意して一人は火縄銃を撃ち、もう一人は火縄銃の掃除と弾込めを行い、常に撃てる状態にしておく・・・らしい。
大河ドラマ毛利元就で見ました。
待ってました❤️
😹
そうだよ。
長篠の戦の勝因は3段撃ちじゃなくて、大量の弾薬を準備したから。って読んだ記憶がある
村枝賢一「RED」での狭間筒の旧態とした技術で作られたとは思えない高性能ぶりは知ってたけど…
こちらのリスナーならわかるように海外では火縄から火打石みたいにマイナーチェンジは有りましたが
火縄銃から日本に入った新式銃は尖頭弾と言う(個人的に)世紀の兵器発明と言える後送式銃が日本に入った訳ですし
ギャップは感じたと思います
大好きな類きたぞ