【ゆっくり解説】肉じゃがの歴史(16世紀~昭和時代)
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- เผยแพร่เมื่อ 14 ต.ค. 2024
- #ゆっくり解説 #雑学 #肉じゃが
肉じゃがのルーツについて、じゃがいもがどうやって(ヨーロッパと日本の)人類に受け入れられていったのか、いつ肉と合流したのか、から解説しています。
甘煮≠肉じゃが みたいなことをほざいてますが、甘煮の味付けが絶対的な基盤になっているので、全否定はできないなと思います。
あと、こんにゃくも糸こんにゃくかもしれませんからね。
江戸時代までは調理に砂糖は使われることなく、甘煮が一般に食べられることはありませんでした。なぜなら砂糖が貴重すぎたから。
饅頭などお菓子に使い、甘さを噛みしめ酔いしれることはあっても、醤油と組み合わせてご飯のおかずにしちゃえ、という冒涜的な発想はなかったと思われます。
甘煮と書いてうまにと読む、のもここら辺が由来でしょうか。
おふくろが作っていないのに「おふくろの味」の時代があり、そこを越えて「おふくろ」ではなく「お父さん」や「お母さん」の味だけでなく「スーパー」や「居酒屋の味」になった肉じゃが。
意外と煮物系って美味しく作るの難しいですよね。
家庭の味って何だ。
【参考文献】
「肉じゃがは謎がイッパイなのだ!」(小学館文庫)三本章
私が小学3〜5年生、昭和49〜51年。栄養士でもあった母が購読していたのがNHKのテキスト本「きょうの料理」。これで肉じゃがを見た覚えがあります。
個人的には肉は合挽きで甘めの濃いめ。
煮崩れたじゃがいもととろけた玉ねぎと絡んだ合挽き肉。
これをご飯にかけて食べるのが好きです。
もちろん芋も肉も美味いんだけど、出汁を吸った糸こんもたまらんのよね飯が進む
1980年(昭和55年)生まれの俺も肉じゃがは明治くらいから大人気の定番料理だと思ってたのに、まさか自分が生まれるたった数年前に過ぎなかったなんて…。驚愕。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、肉をそれぞれ炒めて煮込んだら、後は味付け次第で肉じゃが、カレー、シチュー、何なら酢豚など中華風にもできてしまいますね。肉じゃがならさやいんげん、カレーやシチューならブロッコリーなど緑色が欲しいところですが。
肉を少なめにするか、肉の代わりに薩摩揚げかちくわを入れると「ごった煮」になりますよね。
Twitterでその3つを水で煮込んだだけのものをイーブイって言ってたの面白かった
肉じゃがの歴史は実質50年も無いのか。
元々海軍レシピだもんな、
馬鈴薯は花が咲き種が出来、種からだと五年種芋からなら一年らしい。
生物的には種からだが、効率的なら種芋。種から作った事はないがな。
「私がな。」がお約束で地味に面白くなってしまった。
東郷平八郎が作らせた説は、「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の代表であった清水孝夫による作り話らしいです
留学先で食べたビーフシチューを懐かしんだというストーリーだけど東郷平八郎がイギリス留学する前にちまたの洋食屋にすでにビーフシチューがあったり、
東郷が舞鶴に赴任する以前に海軍のレシピにビーフシチューがすでにあったりと詰めがあまい創作だったようです
二日目の肉ジャガをどんぶりにして食べたりクリームシチューをメシにかけたり
我ながら日本人なんだなあって思います
男爵芋は久しく食べてないですね。メイクイーンが最近の主流ですので。
煮崩れしないメリットは大きいです。
『肉じゃが』(ゴクリ)何気に好きなんだよね❤
肉じゃががしれっと家庭料理に居座った時代に育った団塊ジュニア。おかずのイメージで定着しているので、ご飯のお供です。
ただ、個人的には甘いおかずが苦手(女で珍しい)なので、好き好んでは食べません。牛より豚が好き(大阪育ちで珍しい)なので、関東の惣菜の肉じゃがなら比較的おいしく食べます。
甘いおかずが苦手なので、江戸時代のレシピに興味があります。
私も甘い物は嫌いではありませんが、甘いおかずは苦手です。関東ですので基本は鰹出汁と醤油の濃いめの味付けでしたし、お肉といえば豚肉でした。
ただもう何と言いますか醤油味に飽きたので、ジャガイモと豚肉(ベーコン・ソーセージ)でしたら塩・酢・スパイス・ハーブ等の味付けでオーブンで焼くかフライパンで炒めてお酒のお供にしちゃいますね😊
昭和47年には 小学校の給食で肉じゃが が出てきて
現代の日本全国で見る、肉じゃがと同じ形態、同じ味 だったから給食から普及したのでは?
当時は外食は殆どなく、親に給食で食べたアレを作ってとねだる事が多かった
それも十分あり得ると思います。今だって給食の肉じゃがおいしいですし、一度にたくさん作れるし、肉も野菜もとれますもんね。
いつも面白い動画をありがとうございます。
クリームシチューの歴史をリクエストしたいです。
リクエストありがとうございます!
確かに小学校の頃は、給食の献立表に「やさいのうまに」って書いてあった。めっさ好きなメニューだったからよく覚えている。(小学一年生だったからひらがな表記)
私の肉じゃがの食べ方
まず大量の肉じゃがを作ります→それの1/3を食べます→残りを水と牛乳と小麦粉でシチウにして1/2を食べます→残りにカレイ粉を加えて食します。
肉じゃがに相当する料理が一般に知られるようになったのが戦後
それまでは陸海軍での煮込み料理の一つに過ぎなかった
それも手が混むから作るのは調理担当の主計兵だから作れる人間が少なかったため広まりにくかった
汁椀に刻んだニラを入れ、そこにジャガイモの味噌汁を入れる というのが実家の定番だったなぁ。
確かにジャガイモの花…綺麗だな
初コメです!
ケーキやパフェの歴史を教えてください😋(甘い物好きなので…)
あと関西と関東で味が全然違う、ところてんも気になります!
甘い物いいですね
関東民なので、ところてんって酢醤油(好みでプラス辛子)しか知らないんですが、全国区じゃなかったんですか😮?
リクエストありがとうございます!
@@ryoco-hu6ux 様
関西(もしかしたら京都だけかも?)では、ところてんは黒蜜をかけて食べるそうです。
私は関東出身・在住なので食べたことはないのですが…。
@@muscatmint1228
黒蜜美味しそう(´,,•﹃•,,`)
葛切りみたいな感じでたべるんですかね。今度やってみようかな
明治時代のビーフシチューは牛肉のトマト煮、だったので肉じゃがとは別の食べ物ですね
今よく食べられるデミグラスソースだったりワインを入れたりは戦後にできたものらしい
東郷平八郎がイギリスに行く以前にすでに洋食屋のメニューにあったらしい
ここまでの深掘り、毎回凄いです。成人した頃がまさにバブルで、家庭料理を作れる=肉じゃが(実はイケてる)ってイメージでした。主人も私も家庭の味ではないのでほとんど作らないけど、おかずに1票❤
肉じゃがはすき焼きと同等ぐらいに豪華なおかずです。内容も同等なのだから。
※嗚呼美味しいですよね!肉じゃが等の煮込み料理は何でも戴きますよ?
今回は魔理沙さんが買い出しで、霊夢さんが調理の準備に取り掛かる役なのですね!
ウチでは豚汁も戴くので、此の二種類は切っても切れない定番メニューなのですよね!
最近買い出しに走らされなくなってきた魔理沙です。
肉じゃが・・・大した事無いだろうなぁと思ってましたが、今回も凄く楽しかったです。
感謝です!
肉じゃがって、明治期のカレーからの亜種だと思っていましたが、実は認知されて50年もしない料理だったとは!
最近は、「インカのめざめ」とか、甘いジャガイモの品種も出てきてますから、ジャガイモ人気がもっと高まると良いなぁ。
昭和50年生まれですがまさか肉じゃがと同い年とは。
作り方は土井善晴先生に教えて貰いたいですね。
土井先生好きです。
言われてみればみりんと醤油はともかく砂糖は戦前に調達するの難しそうだな
同じ理由で親子丼も意外と最近なのかな
肉じゃがなら、白滝が良いな!
うぷ主も白滝入れる派です。
@@rekimajo-sabukarugurume 新種として、切り干し大根とかも良いかもww
そういや昭和40年代のドラマで「牛肉とジャガイモの旨煮」って言ってたなぁ。
肉じゃがはおかず派ですね。一皿でごはん丼一杯いけます。
ここにもうまにが!
ジャガタラ芋でじゃがいもですね
肉じゃがは飲みながらご飯を食べる事の出来る素敵なアイテム!
じゃがいもはそんなに古くなくて日本は里芋ですかね。
ウチは肉じゃが
手羽元だったなぁ
ん?50年前には肉じゃが食べてたぞ。
実家は新しい物好きだったからか?
あた、メイクイーンで昆布巻き作ると美味しいです。
昆布は棹前か貝殻島産がお勧め…
もしかして一番はやい肉じゃがだったのかも?
昭和40~50年代の家庭では肉じゃがが良く食べられていたから、その世代から「お袋の味」的な地位を獲得したのかも?
その世代のお母さんたちが作り上げた一つのグルメなのかもしれません。
肉じゃがは、ご飯と酒のどちらでも合うから凄い。
カレーは家庭によりぜんぜん違い、肉じゃがは地方によりぜんぜん違う、自分は博多と宮崎の肉じゃがが好きだ。
肉じゃがを作ろうとして、肉野菜を煮込んでいて、さて砂糖、醤油を入れるか、カレールゥを入れるか、はたまたシチューのルゥを入れるか迷うオレ。
1人ツボにハマり笑ってしまった事がある。
肉じゃがってそんなに新しい料理だったんか…
そしたら同じく肉の入った筑前煮もわりかし新しめだったり⁇
2:53 この法則で、ウクライナ料理として有名なボルシチも『赤いシチュー』と云う意味の説があるんだそうな・・・
肉じゃがにするか、カレーにするか、シチューにするか。悩むな。
高速道路のSAの人気メニュー常連「豚汁」をリクエストいたします。
宜しくお願いいたします🙏
リクエストありがとうございます。
梅崎春生の小説で戦中の出来事を書いた「桜島」では主人公が桜島に赴任する船を待っているとき切符売り場の女の子たちがふかした馬鈴薯を食しているシーンがある。やはり戦中末期の食糧難の時代で馬鈴薯は貴重な食物だったのだろう。
また第一次世界大戦のドイツでは帝国ジャガイモ局が食料の配給をした。「Kパン」と言うパンが食べられました。Kは「Kriegs(戦争)」という意味と同時に「Kartoffel(じゃがいも)」の意味で麦以外のものが混入してるパンでした。
現代ではグルメの一品となるジャガイモですが戦時を体験したうちの祖父などはジャガイモやさつまいもを嫌っていました。本当に困窮を体験した人にとっては複雑な味なのかも知れません。
カルトップル入りのパン、大変興味深いです!
Kパン……士官食堂で常在戦場の気分が味わえる……
大正生まれの祖母は鶏肉の肉じゃがだった。(京都では、かしわの炊いたんと呼んでいた)そして数日後、カレーになっていた。
冬に植え付けて、初夏にとれる新じゃがだったら、今年の米やさつまいもが採れるまでのつなぎとしての需要があったのかもしれないけど、どうだったのだろうか。
父親が肉じゃがだけは自分で作っていた。
始まりから作る終えるまで台所から離れない笑
一品しか作らないくせに笑
肉じゃがだけはお父さんが作る方が美味しいヨ❤と言いながらたっぷりお裾分けしてもらうのまでがお約束の流れでした。
力入ってたんでしょうね。ただ、肉じゃが作れるなら、実は充分料理できる腕だったのでは。
数十年前、原宿にアイリッシュパブの臨時店がOPEN。じゃがいもの入ったアイリッシュシチューがまずかったこと。
肉じゃがについては、東郷平八郎起源説が多いですがいかが? ちなみにその説に関しては、舞鶴と呉が発祥地のバトルを繰り返しているとか(「旅と鉄道」で読んだ)。
こういうテンプレメニューって都会の過程ではおふくろの味だけど、
地方に出てくると沢山のおいしい郷土料理に埋もれてカーストで結構下になるんだよね。
信長のシェフでもあったな牛糞をさも高価で素晴らしい風に見せて使わせようとするやつこの話がモデルか
僕の中ではジャガイモはハイカラなイメージがあり
調度マクドナルドが展開し始めて
ポテトフライが広まってきた時代だから
ジャガイモには少しハイカラなイメージがありました。
東郷元帥考案説に前々から嘘くせーと思っていた。いい動画だ
そうかー、良く考えてみたらお肉が入っているオカズなんてまだ歴史が浅いですよね。肉じゃががこんなに家庭に浸透していても、まだ50年程度って納得。我が家の肉じゃがは、母が鶏肉が好きだったので鶏肉でした。私は肉じゃがが好き過ぎて、ご飯と肉じゃがだけで良いって言うのに、それはメインじゃ無いって言われて量を減らされて。大人になって、肉じゃがだけでご飯食べてます。あと、見つかると親にうるさく言われるので、コッソリご飯に肉じゃがの汁をかけて食べていました。これが、本当に美味しいんですよ。
8:56
こういう事をさせるぐらいにはルイ16世は有能でしたが、
それ以上に祖父や父の戦狂いによって財政はどうにもなくなり犠牲になるという親の因果が子に報うという事になるという悲劇に……………。(祖父や父のやらかしが無ければ、ルイ16世は良い王かそれ以上の賢王としてフランス王国を潰さなかった可能性はそこそこあったとか………)
今回もとても面白かったです。ジャガイモは世界史に結構出て来るので、日本でも古くからある食糧なんじゃなかろうかと思ってたら、普及したのは昭和に入って何十年も経ってからなんですね。
ワスは東郷平八郎氏がビーフシチューを再現させようとして出来たのが肉じゃがだった、という説を長年信じてたんですが、動画を拝見したところ、それはちょっと資料的?時代的?につじつまが合わないと知ってビックリしております。
また、”牛肉と馬鈴薯の甘辛煮”に、肉じゃがというネーミングをしたのは一体どこの誰なのでしょう?
ちなみに、肉じゃがはおかずとして白米と一緒に食べます。
豊富なで面白い情報にいつも驚かされます。全く視聴者数とバランス取れてない(T . T) 早く多くの人に発見されることを祈ります。
大阪の塩味の「シチュー」のルーツってアイリッシュシチューなのかな
もう提供する店も自分の知る限り一軒だけになってしまった絶滅寸前のメニューだけど
我が家では牛丼風味の肉じゃがです。😋😋
些末な事だが、フェルマーは法則じゃなくて最終定理だと思う。
その通りです。あと最後の方写真資料とんでて一部真っ白になってて悲鳴あげました。
@@rekimajo-sabukarugurume wwwマジか。私は仕事中にBTヘッドホンで聴きながらやってるんで気づかなかった。まぁガンガレ(クソ古い)としか言えない。
実家東京で見聞したことを書きますと。。。
昭和三十年代まで中野・杉並・世田谷辺りは農村。畑はもちろん養豚場や牧場も普通にあった。台地なので水田は川沿いのみ。米よりも麦や芋が主食だったそう。芋類はサトイモやサツマイモが主で、ジャガイモはやはりあまり食べなかったみたい。
肉類は、豚>鶏>牛の順で、養豚場はたくさんあり、牧場は戦後は乳牛だけど戦前戦中は軍馬や農耕馬の生産をしてたっぽい。ジャガイモはその飼料だったのでしょう。鶏は卵が目的で各農家が数羽づつ飼っていたそうだけど、ブロイラー飼育が流行りだした頃には宅地化も急速に進んだので、近所にはあまり無かったとか。
「肉じゃが」のルーツ的な、豚肉(無ければ豆腐や油揚げ)と芋類と他の根菜類を煮込んだアイリッシュシチュー的なものは当時の日常的な献立で、味付けは殆どが醤油仕立て。砂糖は使わない。
三十年代から四十年代にかけて料理教室が流行っていて、そこで洋食とか新しい料理を覚えてくるのがブームだったそうなので、その頃に「肉じゃが」が誕生したみたいですね。
同時期にテレビの料理番組で人気だったのが料理研究家の土井勝氏で、彼は大阪出身で海軍主計士官として調理を担当していたので、彼が紹介した上方の富裕層の砂糖を使った味付けと砂糖が潤沢だった海軍式調理の影響もありそうです。
とても示唆に富む内容でした。肉じゃがは、確かにおふくろの味ではありませんでした。
いつの間にか出現していました。演歌は、昔はなかったという事実を連想します。
歌謡曲はジャズから派生したものですからね。
現在あまりにも当たり前なので、昔からあると思われているもの・ことが、実は比較的
最近登場したものや習慣ということが少なくありません。日本の伝統と言われている
習慣のほとんども明治時代の発明ですしね。昔から、と言っているのはたいていは作り
話です。
中国人は生野菜サラダを食べないのには驚きますが、実は日本でも普及したのは昭和の
後期になってからでした。健康のために生野菜を摂らないといけない、というのは
嘘なんです。野菜は加熱した方が、たくさん食べられます(笑)。
時間が経って忘れられていく経緯がどこかに残せたらいいなと思います。
うちでは、じゃがいもは戦前から良く食ってたぞ。
そもそもじゃがいもが不味いとか思った事も無い。
皮のまま茹でたじゃがいもを胡麻油と醤油で炒り付ける戦前から続く我が家のレシピだが、これが止まらなく成る程旨い。
山間の痩せた土地でも放っておくだけで育つじゃがいもは戦前から良く食われてたわ。
地域差もあると思います。情報ありがとうございます。もしよければ何の辺の地域か教えてください
。
以前youtubeのコメントでイギリスの方が「肉じゃがはイギリス料理のカウルシチューが元」って言ってたなぁ
醤油や味醂も使うそうですよ
なら元・先が逆だな
カレーを食べて美味かったから家の料理人に言って作らせて出来たのが肉じゃがって話、デマだったのか…
広島県呉市と京都府舞鶴市の肉じゃが戦争が😂。🐻🤓
地元民ですが、こうなると論争自体破綻してしまいますね。😅
僕が肉じゃがの発祥として聞いていたのは、戦前にビーフシチューか何かの肉料理を、何とか日本で手に入る素材だけで再現できないか、と、じゃがいもや玉ねぎ、
人参などを使い、味付けは醤油と砂糖で代用したら、出来上がったのが肉じゃがだった……という話だったんだけれど、これ、諸説あるひとつに過ぎなかったのか。
霊夢の女子力高い所に萌えるチャンネルだと思うんだw(酒のアテ派です)
ニック・ジャガー
我が家の肉じゃがは、母が戦後すぐに、料理学校で習った物で、母の得意料理でした。面白いことに、汁気が少しも無い上に、粉吹き芋🥔になっていました。私は今だに、汁気のある肉じゃがに、馴染めません。
「肉じゃが」なんだから材料は肉とジャガイモだけだろうJK
と思ってたら他所ではほかにいろいろ入るんだよなあ……
それはそれでいいけど、肉じゃがと言われると「えー?」てなる
あと千葉県だけどうちは牛肉。
30近くになるまで関東は牛だと思ってた。
肉じゃがに入れてたのは 鶏肉だったけど
これ 筑前煮じゃん(;゚∇゚)
なるほど里芋をじゃがいもにすり替えたんですね。筑前煮起源説もあるかもですね。
戦後いろいろあったじゃがいも×肉の料理の中で、炒める→煮るパターンの作り方は、筑前煮から発想を得たものではないかと思います。
肉じゃがでご飯は食えないのよ
川越芋=さつまいも
昭和50年代なんてそのへんの日本人に聞けばわかるのに
ワイは地元の町興しに踊らされていたのか…。😓
人の数ほど肉じゃがの味があるよね
沖縄=アグーの餌 さつまいも 豚の餌😂
肉じゃが…いつ頃~?覚えてないぞ。誰が広めたんだ?
肉じゃががおかず以外の何なのかとw
おかずです
この料理もマスコミの扇動からか
肉ジャガに豚肉ね😢
肉じゃがに豚肉入れる人がいるって本当か?
肉じゃがは牛肉だろ