【廃村探訪】峯地集落 - 土地が売却され生業を失った結果廃村となった悲哀の山間集落
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ค. 2024
- 今回は和歌山県の廃村である峯地を紹介します。
ここは以前の俵石からも割と近い場所に位置する高地集落の1つでした。
俵石と同じくこの峯地も広大な水田を有していました。にもかかわらず戸数は僅か8戸と、一体どうやってこの少ない人数でこれほどの水田を管理していたんだろうと不思議に思っていました。今回、運良くこのような山間集落の土地活用についての資料を見付けたのでその内容を軸にその秘訣を紹介しています。
このような人々の暮らしはまさに山との共存であり、現代の日本からはほとんど失われたライフスタイルでもあることが分かります。
この峯地も、近代化の波に飲まれ失われた数多の文化・風習の1つでした。かつては確かにこういう場所があったのだと、皆さんに知っていただく機会になれば幸いです。
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チャプター
0:00 俵石集落について
0:58 オープニングトーク
2:13 集落を目指し山道へ
2:41 美しい水田を発見
3:28 山のさらに奥へと進んでいく
4:23 峯地の水田管理について
6:10 自然に飲み込まれたかつての住居跡
8:54 シシガキの管理について
9:48 集落の遺構を次々と発見
12:57 なぜ峯地に人々が集まったのか?
13:46 集落を流れる渓流に沿って進む
16:37 水路の管理と肥料の確保
17:38 集落の端?に到達
19:18 峯地における合理的な山地利用
20:39 来た道を戻りながら探索を続ける
24:01 峯地の終焉について
25:02 エンディング
#廃村探訪 #廃村 #廃墟 #限界集落
#abandoned #japan_ruins
女性ナレーターの解説は、声も優しく、勉強にもなります、なんとも有り難い。
堀切集落出身者の末裔です。
県道を通ったことはあるのですが、実際に集落まで上がって行く勇気がなかったのでどんなところかがわかって大変ありがたいです。
親曰く、昭和30年代前半にはまだ親族も暮らしており、電話も引かれていたとのことです。
和歌山県は「廃村が最も多い県」なのですか、峯地集落…大変な高地なのに、周辺主落との協業作業の交流等あって結構賑やかだったんですね。今の雑草木に埋もれた姿からは想像だにできませんが…凄い先祖達ですね。
アw
観始めると次々と観てしまいます。とても興味深い映像ばかりです。ありがとうございます。
こんな懐かしいところがあり小さな時の生活が思い出します。
私も昔,親について村を離れて寂しい思いをしました。
人の住まなくなった場所には杉が植林されて綺麗な石垣の全容が観られなくなってしまっているのが残念ですね。
鬱蒼とした森の中でも二人の明るさで楽しく観られるのも魅力です。
コメントありがとうございます!
そうですね、毎回どうしても当時の姿に想いを馳せてしまいます。
1970年あたりまでは、遊ばせる山ならとりあえず杉や檜を植えて
30年後を楽しみにする。 これが定番でした。
その後、急速な経済成長により外材輸入が定番となり、
とりあえず木を植えることも手入れをすることもなくなりました。
ナレーションの女性の声が好きです。
毎回お二人の動画を興味深く拝見させてもらっています。今回の動画も妄想を掻き立てまくられっぱなしでした。水田と石垣の風景、とてもステキですね。石段もこの土地で生活しやすいように設置されたと思いますが村全体で協力し合って作りあげないと築きあげられない規模ですよね。小川の風景も水清きで魚までいたんですね🐟当時ここに住まれていた方々の代わりにあんどうさん、おかやすさんがこの土地の素晴らしさを伝えてくれたと感じました。ありがとうございます😊
コメントありがとうございます!
今後も興味深い地を発掘していきたいと思います。
お疲れ様です 居住者達の意見を聞かずに用地を売却してしまったのかな? 今や野に帰り山に戻り その内に完全に自然に飲み込まれてしまうんでしょうね! 今回もそうですが 何故か寂しさが湧いてきます!
コメントありがとうございます!
経緯に関しては詳しく語られていませんが、かつての姿を想像すると寂しくもありますね。
当時の集落の写真が残ってると、リアルなのだけれども、村人は山を降りて廃村になったのだから暮しは大変だったのでしょう。
持続可能社会がそのにあったはずが文明社会に押し流された感じですね。
「SDGs?今更何ってるの?」と残された石垣達から問われているように感じます。
14:11
丘を切り開いて道を作ったと仰っていますが、厳密に言えば、尾根を掘削して道を作っています。
城郭において、こういう尾根を途中で寸断させた土木構造を堀切と言います。
「堀切集落」と呼ばれる所以はこれにあるのではないかと思います。堀切の手前までを堀切集落と言って、奥を峯地と呼んだのではないでしょうか?(あくまでも憶測です。)
コメントありがとうございます!
なるほど、これは興味深いです。
こんばんは(^^♪
やはりこういう山間の廃村は戦後の燃料革命や高度成長期のインフラ整備の遅れなどから離村する方が多かったんでしょうね。
ただ戦後の木材不足からなのか棚田や段々畑が植林されてるのを見ると今を生きる私としては少し残念な気がします(当時生きるためには必要だったのでしょうね)
石垣や石段を見ると先人の力強さを感じます。
行かれた場所のリサーチ力にはいつも感心させていただきまた面白く聞かせていただいてます。
これからも応援してます!(^^)!
コメントありがとうございます!
築かれた石段や石垣は住人の努力結晶ですね。
ホースの終点は、取水口と思われ各戸に受水槽があり、給水されていたと想像できます。
こんにちは😊配信お疲れ様です。
峯地の見事な石段や石垣、透明で綺麗な小川を見てると、先人の生活の跡が窺われますね。
峯地の山地利用の図解がわかりやすくて、無駄のない利用をしてたのがわかります。そして、草地が売却されたので肥料が無くなり、稲作が成り立たなくなったというのも、現在のように市販化された肥料がない時代仕方がなかったのですね。
農繁期の前に、水路の保全のために溝普請(私居住地では溝掃除といいます)をするというのも、稲作地共通ですね。
醤油壺ミッション、今回も密かに達成。やっぱり集落跡にはありますね。
いつもありがとうございます!
自然に飲まれた現在も美しいですが当時はもっと開けて棚田が延々と続いていたと思うとまた一段と美しかったんだろうなと想像できますね。
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県道230号(高田相賀線)が大きく曲がっている、峯地の東の峰(川に向かって尖がっている峰)にトンネル工事計画が有ります。
令和4年、和歌山県は、WTO対象となる高田相賀線(仮称相賀トンネル)道路改良工事の一般競争入札を公告した。技術提案書を9月5~27日に、入札書を11月7~9日に受け付け、同月10日に開札する。落札決定予定日は12月12日。
WTO対象→外国企業も入札に参加できる。
お疲れ様です♪
いつものことですが 道なき道を 探検で お疲れです 現在でも活用できそうな 土地が たくさんありますが
今の時代に 合わないのが 残念ですね日本は国土が狭いといいますが 放棄地が沢山あり 驚きですね。
historicaのおかやすさん・あんどうさんこんばんは~
サワガニがいたり鹿さんもいましたね~
あの廃墟を住処にしてたんでしょうか?でも急に出てくるとびっくりしますよね。
熊出なくてよかったです。
昔の人の動力には毎回感心させられます。
風の音・水の音に安らぎをもらえました。
コメントありがとうございます!
ほんと、熊じゃなくて良かったです・・・
1町歩は3000坪1反は300坪1坪は3.306㎡です。よって1反は約10m欠ける100mでは
お疲れ様です。紀伊半島は少々の雨では土砂崩れが起こりにくいのかも知れませんね。私の親戚の家も有田ですが、崖にへばりつくように建っています。
でも最近は紀伊半島豪雨災害みたいに、かつてない雨量を記録するようになってきたので、以前の常識は通用しなくなって来ていますね。
水のタンクは新しそうですね。
オカヤスさんの安全確認、石垣を見た時のアンドウさんの興奮、最高です。
醤油壺も良いですが、一升瓶もミッション追加をお願いします😊
コメントありがとうございます!
一升瓶も必ずと言って良いほどありますね笑
あえてhaでなくて町で広さを表記しているのが良いですね。
でも現代の人には分からないかも?
林業関係だと今でも広さには町、反を使います。
初コメ失礼します。
なぜこんな山奥で人々が住むようになったのか、非常に気になりますね
お疲れ様です
沢の水を濾過する装置ですね。
ここでお別れで吹いたw
人の住んでいた形跡を見ていると、寂しくなりました。人間の生活などは自然にとっては一瞬で、人がいなくなるとすぐに元の状態に戻っていくのですね。ここまで整備された遺産があれば、なにか違った形でも再利用できればいいですね。いやこのままでもいいのかも。
コメントありがとうございます!
このような以降は勿体ないとも思いつつあるがままに任せるのもまた自然で良いのかもしれませんね。
自給生活の先人たちのご苦労をおもいます。それぐらい、平地は少ない日本で。😅😅
このあたり和歌山には山の民、山窩(さんか)も漂泊していたのかな?新宮は日本文学の重鎮、中上健二の故郷でもあります。
水田のためとはいえ、こんな僻地に人が住み始めた背景が気になりますね。何か歴史的な事情があったのかな🧐
廃村探索中に事故で亡くなる方もいると聞きます!オカヤスさんの身体を使った安全確認は心配です😂😂😂
足元か不安だったり草が生い茂る箇所は杖をつつきながら歩く人もいるみたいですよ。
コメントありがとうございます!
怪我の無いように注意してまいります。
1反は32m四方です。
訂正ありがとうございます!
和歌山シリーズ 楽しく見せていただいてます。 石垣の構築凄いですが 気になるのは水です 段々上の 耕地は すべて川より 高い位置ですよね 農業用水は もっと 上に水源がるのでしょうか? 川の水を 高い位置に 上げているんでしょうか? 大変気になります。 素晴らしい 動画ありがとうございます。
最近は 現場ですが 聞けませんね!
水田に杉を植えないで其のままにしておいた方が良かったのかも。
せっかく整然と脈々と続いて来たものが、高度成長に伴う土地の売買という経済の荒波に浚われたんですね。日本を守るのは難しいです。肥料…今や輸入品、その土地で循環させて作られたお米美味しかったでしょう。お二人の昼食はどうでしたか?お疲れさまでした(^-^ゞ
コメントありがとうございます!
昼食は無事取ることができました。美味しい食事は旅の醍醐味ですね。
小学校跡地に新しめのエアコン?
数ある廃村、廃屋等の動画ではhistoricaさんが一番真面目に感じてます。ただ一つだけ言わせてもらえば歴史考証がイマイチで、例えば今回の峯地でも1950年頃に廃村になったとのことですが、廃屋内に冷蔵庫があるとは違和感があります。昭和25年は朝鮮戦争が始まった時期で、日本はまだ戦後から5年しか経ておらず一般家庭に電化製品どころかまず食べることが精いっぱいの時代です。そんな時代に都会から隔絶した戸数わずかの集落に冷蔵庫があることが自体が不思議ですよ。他所の動画でも昭和初期に廃村になったとのナレーターでブラウン管のテレビが土に埋もれており、日本でテレビが普及したのは戦後の昭和30年代からで、ましては山奥の集落に当時高価なテレビがあるのは早くても昭和40年代ぐらいと思います。
コメントありがとうございます!
ご指摘いただいた件ですが、基本的に廃村=無人化ではなく、その後数十年に渡って元住人の方が土地の管理に訪れたり、
その子供の世代が別荘として使用していたり、または林業関係者の宿舎として利用されたりと様々な理由で土地自体は活用されている場合が殆どです。
なので廃村時期と現地の残留物の年代が食い違うことは往々にして起こりえることかなと、これまで様々な場所を訪れた経験からも感じています。
また峯地の廃村時期に関しては『熊野山海民俗考』という本に、
現地で農業を行っていた方の証言として掲載されているものを引用しておりますので、
やはり1950年代頃で大きな間違いはないかなと思っております。
現地に家電があるからと言って廃村時期が合わないというのは考えが安易過ぎますね
不法投棄などもありえますし、おっしゃる通り人の出入りは廃村後もあるのが当たり前、急に人の行き来が完全に途絶えるなどあり得ませんからね
それに、歴史考証と言う点で実際に現地を見ているお二人と動画を観ているだけ者では比べるのもおこがましい
@@neu_historicaご丁重なる返信をありがとうございます。よく分かりました👍 事故やケガ等に注意され頑張ってください。