ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
こう見ると金持ちは高いところ(地盤も良い)ところに陣取ってますね。ワタクシは下町0メートル地帯です。
やっぱり鎌倉幕府の後の江戸幕府って感じ
BGM懐かしすぎ…。オルゴールっぽいのがなんか泣かせる。
東京横浜は坂多い。東京の東部は下町だから坂少ないけど。
8:28 自由が丘・田園調布丸子橋から二子橋にかけては、多摩川に近い緑色は庶民の街。そこから急坂をググっと上ると高級住宅地とカラーがハッキリしてます。
こうやって地図で見ると確かにあそこ坂になってるなとか思て良いですね
初めて渋谷に行った時驚いたのが壁みたいな坂をいっぱいの人が登っているところでした。ぐにゃぐにゃした地形にそのままビルが建てられて三階まで登ったのにそこから出ると道路があって訳わかりませんでした。東京地形的に面白いです。
東武東上線東武練馬駅付近(板橋区徳丸)の窪地あたりも面白いですね。
地方から出てくる人には良い参考になるね埋立地、元川、湿地、くぼ地に住めば当然水害の可能性は上がりますお屋敷町、古くからの高級住宅地は必ず高台にある昨今のデベロッパーが開発する街は、低い土地が多い騙されないようにしてもらいたいです
だまされるも何も、低い土地しか残ってないですよね。
多摩地域、埼玉はまだ安全
河田町のフジテレビは高低差を巧みに生かした建築だった。正面玄関側と裏で高低差があるからね。TBSも高低差ありますね
武蔵野台地内でも、川沿い=周辺より低いんだよね。ながら、浸水のリスクがある・・・また武蔵野台地=畑作であったが、その低地では水田もあった。
400年以上前に施行された土木工事は、壮大なデベロップ・プロジェクトだったんだなぁ。 その殆んど全てが人力で実施されてることを考えると、途方もなく大変な事業。 空から見下ろさなくても、新宿区や渋谷区内を徒歩で回ってみると地形のアップダウンがよく分かります。東京は坂道だらけの街ですね。
東京の西も見てみたい
東京23区の面積は大阪市の約3倍広いから人口多いの当たり前な気がしてきた
もっといえば関東平野と大阪平野の規模の違い
だとしても23区の人口を3分の1にしても320万人居るから、大阪市の280万人より多いんだよね。人口密度も東京の方が上だし。豊島区、中野区、荒川区、文京区、台東区、墨田区、目黒区、新宿区、品川区、板橋区、北区の人口が約300万人で、面積が182.4㎡で、大阪市の約280万人の、面積が225.3だから東京の方が圧倒的に上なんだよしかも公園面積は東京の方が3倍も大きいのに人口密度にこんな差が出てる
@@こや-o5q まあそりゃ首都だからそうなるよ
@@こや-o5q 東京一極集中してるから当たり前ってか
東京一極集中は日本社会にとりあまりにもリスク高すぎる日本停止の可能性大
めちゃおもろい。確かにあそこ坂になってるぅ!とか、確かに駿河台のとこ曲がってるぅ!とか、鳥瞰的な地理と実感と歴史が繋がるのが快感すぎる。
坂道・崖大好物です🙂
板橋区、北区は高低差があり過ぎて電動自転車ないと辛い池袋と高田馬場も高低差が結構ありますね
面白い動画でした。ありがとう。〇〇台って付いた地名が多かったり、八王子辺りが盆地でいつも都心より2~3度気温が高いってのは有名なので、23区より西の地区の凸凹も気になりました。
ありがとうございます!
知らなかったこともけっこうあってい楽しい。影響を受けて都内の標高図を見てたら千歳船橋の砧二丁目付近に目立つ高台があったので何かあるかと見に行ったら水道局の大蔵給水所があった、確かに配水するのに最高の立地。こういう発見がおもしろい
切り口が今とても興味のある凸凹の地形図なのでとても面白かったです。
とても楽しく拝見しました。江戸時代にさかのぼる感じはたまりません。坂の多い文京区ピポイントでみたい気がしました。✨👍
ワイ埼玉県民東京の標高の高さにびっくり
都内の川や暗渠を自転車で辿る遊びをしていますので、こういう視覚情報には興味津々です。自転車散歩楽しいですよ😊
ほー。要町の谷端川の暗渠とかいいすね
良くまとめられてて感心して見てしまった。動画ありがとう😊
坂道学会会長に対する敬意を感じるBGM笑
ああ、そういうことね😄
@@kotobano-shindanshitsu?ヒントください🤔
昨日までのガラクタを処分処分♪
@@mopiko 笑っていいとも、タモリ
@@aggressivecider7202 ああ、この曲そうでした。
弥生時代後期〜古墳時代 なにわナンバー飛鳥時代 飛鳥ナンバー奈良時代 奈良ナンバー平安時代 京都ナンバー鎌倉時代 横浜ナンバー江戸時代 ?
豊島区、板橋区、練馬区エリアと品川、大田区(田園都市付近除く)エリアも見たかったです
東村山在住のワイ、紹介されずに大号泣不可避
ブラタモリとタモリ倶楽部で色々勉強させられましたね
山手線で田端〜池袋のあたりを乗ってると、駅ごとにホームと改札の位置の高低差が全然バラバラで面白いなと思ってましたが、実際にこうしてみると本当に凸凹してたんですね!😂駒込駅なんかは駅の端と端で改札の高さが違うし、巣鴨はホームが下で改札が上にあるのに、隣の大塚はホームが上で改札が下…
京浜東北線に沿って自転車で走ると秋葉原から赤羽駅までは平坦な道が続きますがそこから上の桐ヶ丘の坂が結構大変
東京、武蔵野台地が良く理解でしました。大阪編 上町代地 も見て見たい。
とても興味深く地理地学好きには良いものでした🤓
楽しい一番知りたかったやつありがとうございます
大阪在住だけど初めて車で渋谷へ行った時、裏道が長崎みたいな坂道があって焦った!!
自由が丘駅は谷筋にあるのに駅名の由来は自由が丘学園から。目黒通りまで上がってまた呑川の川筋へ下りていくのが面白いですね。
目白台近くに住んでいますが、小日向共々、麻布と並ぶ高台だと思ってます。電動自転車がないときつい。
関東平野とはいいながら、まったいらというわけじゃないんですよね山手通りなんて、結構な高低差のアップダウンの繰り返しですからね
多摩地区はまだかなー
4:00 頃 昔通勤で京浜東北線を使ってた時、あの崖上の家はさぞ良い景色だろうな。と毎日の様に考えながら会社に行っていた。
渋谷駅周辺が低いのは有名ですが案外都区内も高低差があるんですね。参考になりました。
台地上でも川が流れてたところはみんな低いですね。もしかして一時的に満潮時は潮水が入り込んでいたかも。
東京って建物が乱立してるからいまいち高低差を理解しにくいけど、確かに言われてみたら東京タワーはなんか小高いとこにあるなぁというイメージ。関東平野ってもっと真っ平らなイメージでしたけど、こうして見るとそこそこ起伏があるんだなぁ、って改めて思いました🙄
そもそもその広い平野の中にぽつんと筑波山がありますからねw大昔は島だったのかもしれません。
港区あたりは、子供のころから常に周りは坂道だらけで自転車を乗るのも大変でしたが坂道は登ったり下がったりするとその先に突然神社や公園などがでてきたり、富士山が見えたりして、立ち位置によって景色がわかるから魅力です。今はタワマンばかりで富士山が見えませんが・・
北多摩・西多摩の平地・埼玉西部は、武蔵野台地なんだよね。まあ中野・杉並の旧東多摩郡も、含まれる・・・南多摩は、多摩丘陵・八王子盆地で構成される。
東京は平坦と思っている人多いけど、坂の町だからね
めちゃくちゃ面白いな〜 為になりました
貴重な動画です。ありがとう。
東京がこんなに高低差や坂などが多いのが驚きでした。
昔の石神井川が不忍池の方に流れていたらしくて、確かに地形をみると不忍池に北から低い土地が確認できる
もしかして蛇みたいなクネクネの流路跡の道路が日暮里辺りにある川ですかね。藍染川とも呼ばれてたような。
江戸時代以前はもっと高低差が有ったんでしょうね。それを均してお江戸八百八町に上水を敷設した徳川幕府は凄い。家康・秀忠・家光の誰が欠けても、この偉業は達成出来なかった。
下町に沖積層が積もる以前はかなり急で高い崖だったと思われますね。
上京して坂道の多さには驚かされました。だから東京(特に山の手)は地下街が発達していないのかな。大阪は完全な平地なのに。関西出身者がもし上京したら、誰もが驚くと思います。
東京神奈川坂ばっかで埼玉がいかに平坦かという
NHK「ブラタモリ」では、タモリさんが土地の高低差に敏感に反応しますよね。序盤BGMの「笑っていいとも!」オルゴール?versionは、そんなタモリさんリスペクトからでしょうか?🎤😎
この地形が東京を面白くしていますね。
災害リスクマップにもつかえるかな?活断層や液状化対策
東京23区外も見たいです😢
池上線が何であんな大回りしているかというと、呑川と洗足池からの支流を避けるためにやや高台に敷設されているからなんですよね。目黒駅があんな切り通しになっているかというと、品川駅〜五反田駅までは目黒川沿いの低地だけれど、そこから北に敷設する場合、渋谷川沿いの低地に鉄道を通すためどうしても目黒川と渋谷川の間にある丘陵地帯を通らなければならないから。
谷根千の谷筋をこうして見ると、石神井川の流路跡なのではないかという説も頷けます。
東京西部いうても多摩地区ではなかったでござる続編に期待
江戸川区、墨田区、港区一部は埋め立てて低いから河川の増水や津波なんかで被害受ける想定すると23区でも西側の武蔵野台地に住むのがいいよねただ、いまだに中野とか新宿より西は区画整理されてないから消防が入りにくい場所に家があったりするリスクがあるけど。一方で最近埋め立てた豊洲、汐留なんかはある程度高さを作って埋め立ててるのと道路がきれいに広めに作られてるから火事なんかのリスクは低いけど
石神井川も神田川も目黒川も実は昔、多摩川が流れていた跡地
中野駅の南からは高低差がある 中野坂上はその名の通りに坂の上 南台はとんでもない坂道が点在している…
東側は水害に脆弱って事でしょう。特に津波が発生すれば壊滅ですね💧
国分寺崖線もう少し掘り下げて欲しいかも
駿河台、皇居、麻布、虎ノ門、ー赤羽、杉並東京は東部を除いて崖だらけ
文京区はどうした?あと世田谷や中野方面までやるなら板橋練馬方面も取り上げて欲しかったです
「衾(ふすま)駅」と「自由が丘駅」じゃどえらい違いだ。ハハ。この東京の地誌(特に三多摩の巨大な台地構造)は東京でサイクリングすると体感することができる。このチャンネルは東京の小中学校で地理の授業に使える内容だ。
それは後天的に「オカジュー」のイメージを植えつけられただけやでw「自由が丘」なんて、どこの田舎の新興住宅地やって名前やんw
結構おもしろかったです、地形の高いところと古墳や城跡の関係を見るとおもしろいかもしれないですよ(^^)
靖国通りのあのカーブはそんな理由だったのですね!
面白いなこれ
江戸に砦を創ったのは,最初は忍氏だと聞いていたが、追い出して改造したのが道灌。
高級住宅街はちゃんと高台にあるんだな。
あと地理院地図で治水地形分類図見るのも楽しい。昔の川だったところとかわかる。
渋谷に至っては、地形の谷が名前の由来ではなく、渋谷一族が住んでいたからですよ。
埼玉の東南部に住んでると、本当に真っ平ら。なので、東京に引っ越し、サイクリングやウォーキングしていると、坂の多さでちょっとびっくり。東京も、湾岸とか真っ平らですけどね。
最南端の低地ですかね。逆に大宮以北だと割と高い海抜で平らな土地が続きますね
坂が多いと言われる東京。土地が繋がってるから平地と思うことなかれ。入江の都で江戸という名前に。川や海だったので高低だらけ。
やはり新宿が災害に強くいい場所ですね
子供の頃,浅草海苔を、有名な海産物屋さんでもあったのかなぁ、と思ってた。
溜池付近を知りたかったですぅ
この周辺は元々湧き水が流れていて、それを溜めていたので溜池となり一部を江戸城の外堀として使ってました。今でも夏の夕立になると、溜池交差点あたりは水が溢れ通行止めになります(以前よりは良くなりましたが)ちなみに、この周辺の地下で飲食営業はお勧めされていません。湿気が多くカビが生えやすいとか
鶯谷で焼肉食べた後は階段上がって山手線に乗らねばならぬのが面倒臭いw
まるで「野生のブラタモリ」だなと思って感心して見てたら #ブラタモリ タグ付いててわろた。こういうためになる動画好きです。
実際ブラタモリで見た
0:24 この縮尺でも自分の会社の位置わかる
渋谷の由来は 地形思っていましたが 実は 渋谷 氏 由来するんだそうです
神奈川の高座渋谷に由来した渋谷氏が、今の渋谷区辺りにも領地を持ってたようですね。下総国相馬郡に由来した相馬氏が転封された先の、今の福島県相馬市的なネーミングですね。
ブラタモリ🕶みたいで面白い
これ、くそおもろいな
赤羽出身者として、東京なのに、紹介されないことが多いんだよな…豊島区、板橋区、練馬区は入ってるのに…
すんごく面白かった(ブラタモリファン)
JR中央線が苦心して谷筋を抜けていった様子がよくわかります
日比谷入江は残して欲しかったな
都内北部も、やってほしかったです。
自分が住んでいても移動は地下鉄やJRだったのでそんなに高低差があるとは知らなかった。
海が好きな人多いよね
横浜市期待します。😊
崖の下がすぐ海で後ろに入江がある浜辺が横に広がっていたのが地名の由来とか。見てみたかったです
徳川家康は東京をつくった偉人ですね。土木工事、大変だったでしょう。
タモリさんが見てそう
東京駅が地下水の上に浮いているのは有名な話ですがようは掘ると何処ら中水が湧くという話ですコレ地震で液状化したらどうなんだ?関東大震災当時は地下鉄も地下街もなかったけど今なら?東北地震の時震度5ぐらい?千葉は液状化あったけど東京は?多少はなんかあったはずでも全く報道されてない気がする東京で震度6直下型が起こるとどうなるんでしょう
BGMが笑っていいとも、タモリさんにリスペクト?
面白かった
江戸川区にも触れてほしかった
津波が来たらどこが沈むかよくわかりました
江戸幕府においては歴史的に、江戸時代前期の御府内(江戸の大名屋敷)において、江戸城の近辺とその西側の武蔵野山々が高尾山(600m)程の高さで連座していて、侵食や人為的に台地化させて、武士の町の山の手台地を取り崩して幕臣などの70%の居住地帯として開発しました。江戸時代中期以降は、特に、江戸下町地域の30%の干拓や埋立てした後に、長屋形式やバラック小屋を造り江戸庶民の人口増加によって土地が不足し、下町の本所(堀割を含め)や深川(十万坪埋立て)などにも武家屋敷が造成されるようになり、町人との住み分けは曖昧になっていった。此方の地域が非常に狭い地域ですので江戸湾への埋立て地域拡大の推進工事を重ねての浅瀬の多い場所や人足寄場や5代将軍の徳川綱吉の際は「隅田川に近接した利根川の水害等々が多く、側用人の田沼意次に利根川東遷(江戸湾の中流部分より東側より90度を一直線上に銚子沖の太平洋へ放出する形態としました)を数十年も行わせて、江戸下町の利根川東遷に於いて河川帯が至る場所が、掘削され、埋立てし、方向を変えながらの大変な大規模河川工事でした。其の影響で「旧江戸川が上流、中流、下流の全てが流域変更する為に上流から下流の掘削が為され、不要と成った場所は埋立てされ」従来の河川帯を埋立てし、大規模河川工事を紀州流方式を原則として河川工事を進めた」8代将軍の徳川吉宗は1720年に完成させました。渡良瀬河から国分台(2千m程度の高山の奥利根川水系の山々より引き込んで)の里見城の高さ15mから中流、下流に向けて4m程度の外堀より松戸、市川の下総国台地を鍬などの農具や大工道具を用いて下流に掘削工事を行わせましたが、対岸の軟弱な地盤は水面下でしたので、今で云いますと、葛西、浦安や行徳方面と成りました。此の地域は関東平野の堆積に依って陸地化した区域で「有楽層の厚層」です。更に、深川や本所に堆積しました。その一方で、山の手と呼ばれる麹町、麻布、赤坂、渋谷、駿河台、御茶ノ水、鶯谷、本郷台地、四ツ谷、市ヶ谷、上野山、神田山等々が東西南北に一際高い武蔵野台地が現在も明確にあり、当時の山々や谷が良く解る地域帯があり、参勤交代の大名上屋敷や侍屋敷、下級武士と云われた地域です。其の区別する場所が、東京駅丸の内に外様大名の屋敷や埋立てした八重洲となり、日本橋等の関所的な仕切りで江戸庶民と棲み分けを区別しておりました。現在の千代田区南西部、港区西部、新宿区東部、文京区に該当する麹町区、芝区西部、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区の旧東京15区の西半分が山の手の代表的な地域に相当し、武蔵野台地(山々)の東端部にあたります。日本の近代化とともに山の手は東西へと広がり、多摩地域を除き、「第二山の手」と呼ばれる一帯が形成されていき、近代日本のはしりとも成りました。大正時代に入ると関東大震災を契機に、山の手はさらに東京東西部へと広がりを見せることに成りました。「山の手」はその後も変質を重ねており、現在の東京23区西部(目黒区、世田谷区、大田区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、板橋区、練馬区、北区)にまで範囲が広がったため、漠然としたイメージとしての言葉になり、地域としての境界が曖昧になっている傾向も見られる時代と成りました。更に東京都における市街地としての「山の手」の成り立ちや下町との関係については、東京市街の変遷も東京以外の山の手や東京圏内に広がってます。
凸凹を逆に錯覚してしまって、戻らなくてつらい。
こう見ると金持ちは高いところ(地盤も良い)ところに陣取ってますね。ワタクシは下町0メートル地帯です。
やっぱり
鎌倉幕府の後の江戸幕府って感じ
BGM懐かしすぎ…。
オルゴールっぽいのがなんか泣かせる。
東京横浜は坂多い。東京の東部は下町だから坂少ないけど。
8:28 自由が丘・田園調布
丸子橋から二子橋にかけては、多摩川に近い緑色は庶民の街。そこから急坂をググっと上ると高級住宅地とカラーがハッキリしてます。
こうやって地図で見ると確かにあそこ坂になってるなとか思て良いですね
初めて渋谷に行った時驚いたのが壁みたいな坂をいっぱいの人が登っているところでした。ぐにゃぐにゃした地形にそのままビルが建てられて三階まで登ったのにそこから出ると道路があって訳わかりませんでした。東京地形的に面白いです。
東武東上線東武練馬駅付近(板橋区徳丸)の窪地あたりも面白いですね。
地方から出てくる人には良い参考になるね
埋立地、元川、湿地、くぼ地に住めば当然水害の可能性は上がります
お屋敷町、古くからの高級住宅地は必ず高台にある
昨今のデベロッパーが開発する街は、低い土地が多い
騙されないようにしてもらいたいです
だまされるも何も、低い土地しか残ってないですよね。
多摩地域、埼玉はまだ安全
河田町のフジテレビは高低差を巧みに生かした建築だった。正面玄関側と裏で高低差があるからね。TBSも高低差ありますね
武蔵野台地内でも、川沿い=周辺より低いんだよね。
ながら、浸水のリスクがある・・・
また武蔵野台地=畑作であったが、その低地では水田もあった。
400年以上前に施行された土木工事は、壮大なデベロップ・プロジェクトだったんだなぁ。 その殆んど全てが人力で実施されてることを考えると、途方もなく大変な事業。
空から見下ろさなくても、新宿区や渋谷区内を徒歩で回ってみると地形のアップダウンがよく分かります。東京は坂道だらけの街ですね。
東京の西も見てみたい
東京23区の面積は大阪市の約3倍広いから人口多いの当たり前な気がしてきた
もっといえば関東平野と大阪平野の規模の違い
だとしても23区の人口を3分の1にしても320万人居るから、大阪市の280万人より多いんだよね。
人口密度も東京の方が上だし。
豊島区、中野区、荒川区、文京区、台東区、墨田区、目黒区、新宿区、品川区、板橋区、北区
の人口が約300万人で、面積が182.4㎡で、
大阪市の約280万人の、面積が225.3だから東京の方が圧倒的に上なんだよ
しかも公園面積は東京の方が3倍も大きいのに人口密度にこんな差が出てる
@@こや-o5q まあそりゃ首都だからそうなるよ
@@こや-o5q
東京一極集中してるから当たり前ってか
東京一極集中は日本社会にとりあまりにもリスク高すぎる
日本停止の可能性大
めちゃおもろい。
確かにあそこ坂になってるぅ!とか、確かに駿河台のとこ曲がってるぅ!とか、鳥瞰的な地理と実感と歴史が繋がるのが快感すぎる。
坂道・崖大好物です🙂
板橋区、北区は高低差があり過ぎて電動自転車ないと辛い
池袋と高田馬場も高低差が結構ありますね
面白い動画でした。ありがとう。
〇〇台って付いた地名が多かったり、八王子辺りが盆地でいつも都心より2~3度気温が高いってのは有名なので、23区より西の地区の凸凹も気になりました。
ありがとうございます!
知らなかったこともけっこうあってい楽しい。影響を受けて都内の標高図を見てたら千歳船橋の砧二丁目付近に目立つ高台があったので
何かあるかと見に行ったら水道局の大蔵給水所があった、確かに配水するのに最高の立地。こういう発見がおもしろい
切り口が今とても興味のある凸凹の地形図なのでとても面白かったです。
とても楽しく拝見しました。江戸時代にさかのぼる感じはたまりません。
坂の多い文京区ピポイントでみたい気がしました。✨👍
ワイ埼玉県民
東京の標高の高さにびっくり
都内の川や暗渠を自転車で辿る遊びをしていますので、
こういう視覚情報には興味津々です。
自転車散歩楽しいですよ😊
ほー。要町の谷端川の暗渠とかいいすね
良くまとめられてて感心して見てしまった。動画ありがとう😊
坂道学会会長に対する敬意を感じるBGM笑
ああ、そういうことね😄
@@kotobano-shindanshitsu
?ヒントください🤔
昨日までのガラクタを処分処分♪
@@mopiko 笑っていいとも、タモリ
@@aggressivecider7202
ああ、この曲そうでした。
弥生時代後期〜古墳時代 なにわナンバー
飛鳥時代 飛鳥ナンバー
奈良時代 奈良ナンバー
平安時代 京都ナンバー
鎌倉時代 横浜ナンバー
江戸時代 ?
豊島区、板橋区、練馬区エリアと品川、大田区(田園都市付近除く)エリアも見たかったです
東村山在住のワイ、紹介されずに大号泣不可避
ブラタモリとタモリ倶楽部で色々勉強させられましたね
山手線で田端〜池袋のあたりを乗ってると、駅ごとにホームと改札の位置の高低差が全然バラバラで面白いなと思ってましたが、実際にこうしてみると本当に凸凹してたんですね!😂
駒込駅なんかは駅の端と端で改札の高さが違うし、巣鴨はホームが下で改札が上にあるのに、隣の大塚はホームが上で改札が下…
京浜東北線に沿って自転車で走ると秋葉原から赤羽駅までは平坦な道が続きますがそこから上の桐ヶ丘の坂が結構大変
東京、武蔵野台地が良く理解でしました。
大阪編 上町代地 も見て見たい。
とても興味深く地理地学好きには良いものでした🤓
楽しい
一番知りたかったやつ
ありがとうございます
大阪在住だけど初めて車で渋谷へ行った時、裏道が長崎みたいな坂道があって焦った!!
自由が丘駅は谷筋にあるのに駅名の由来は自由が丘学園から。目黒通りまで上がってまた呑川の川筋へ下りていくのが面白いですね。
目白台近くに住んでいますが、小日向共々、麻布と並ぶ高台だと思ってます。電動自転車がないときつい。
関東平野とはいいながら、まったいらというわけじゃないんですよね
山手通りなんて、結構な高低差のアップダウンの繰り返しですからね
多摩地区はまだかなー
4:00 頃 昔通勤で京浜東北線を使ってた時、あの崖上の家はさぞ良い景色だろうな。と毎日の様に考えながら会社に行っていた。
渋谷駅周辺が低いのは有名ですが案外都区内も高低差があるんですね。参考になりました。
台地上でも川が流れてたところはみんな低いですね。もしかして一時的に満潮時は潮水が入り込んでいたかも。
東京って建物が乱立してるからいまいち高低差を理解しにくいけど、確かに言われてみたら東京タワーはなんか小高いとこにあるなぁというイメージ。関東平野ってもっと真っ平らなイメージでしたけど、こうして見るとそこそこ起伏があるんだなぁ、って改めて思いました🙄
そもそもその広い平野の中にぽつんと筑波山がありますからねw大昔は島だったのかもしれません。
港区あたりは、子供のころから常に周りは坂道だらけで自転車を乗るのも大変でしたが
坂道は登ったり下がったりするとその先に突然神社や公園などがでてきたり、富士山が見えたりして、立ち位置によって景色がわかるから魅力です。
今はタワマンばかりで富士山が見えませんが・・
多摩地区はまだかなー
北多摩・西多摩の平地・埼玉西部は、武蔵野台地なんだよね。
まあ中野・杉並の旧東多摩郡も、含まれる・・・
南多摩は、多摩丘陵・八王子盆地で構成される。
東京は平坦と思っている人多いけど、坂の町だからね
めちゃくちゃ面白いな〜 為になりました
貴重な動画です。ありがとう。
東京がこんなに高低差や坂などが多いのが驚きでした。
昔の石神井川が不忍池の方に流れていたらしくて、確かに地形をみると不忍池に北から低い土地が確認できる
もしかして蛇みたいなクネクネの流路跡の道路が日暮里辺りにある川ですかね。藍染川とも呼ばれてたような。
江戸時代以前はもっと高低差が有ったんでしょうね。
それを均してお江戸八百八町に上水を敷設した徳川幕府は凄い。
家康・秀忠・家光の誰が欠けても、この偉業は達成出来なかった。
下町に沖積層が積もる以前はかなり急で高い崖だったと思われますね。
上京して坂道の多さには驚かされました。
だから東京(特に山の手)は地下街が発達していないのかな。
大阪は完全な平地なのに。
関西出身者がもし上京したら、誰もが驚くと思います。
東京神奈川坂ばっかで埼玉がいかに平坦かという
NHK「ブラタモリ」では、タモリさんが土地の高低差に敏感に反応しますよね。序盤BGMの「笑っていいとも!」オルゴール?versionは、そんなタモリさんリスペクトからでしょうか?🎤😎
この地形が東京を面白くしていますね。
災害リスクマップにもつかえるかな?活断層や液状化対策
東京23区外も見たいです😢
池上線が何であんな大回りしているかというと、呑川と洗足池からの支流を避けるためにやや高台に敷設されているからなんですよね。目黒駅があんな切り通しになっているかというと、品川駅〜五反田駅までは目黒川沿いの低地だけれど、そこから北に敷設する場合、渋谷川沿いの低地に鉄道を通すためどうしても目黒川と渋谷川の間にある丘陵地帯を通らなければならないから。
谷根千の谷筋をこうして見ると、石神井川の流路跡なのではないかという説も頷けます。
東京西部いうても多摩地区ではなかったでござる
続編に期待
江戸川区、墨田区、港区一部は埋め立てて低いから
河川の増水や津波なんかで被害受ける想定すると
23区でも西側の武蔵野台地に住むのがいいよね
ただ、いまだに中野とか新宿より西は区画整理されてないから
消防が入りにくい場所に家があったりするリスクがあるけど。
一方で最近埋め立てた豊洲、汐留なんかはある程度高さを作って
埋め立ててるのと道路がきれいに広めに作られてるから
火事なんかのリスクは低いけど
石神井川も神田川も目黒川も実は昔、多摩川が流れていた跡地
中野駅の南からは高低差がある 中野坂上はその名の通りに坂の上 南台はとんでもない坂道が点在している…
東側は水害に脆弱って事でしょう。
特に津波が発生すれば壊滅ですね💧
国分寺崖線
もう少し掘り下げて欲しいかも
駿河台、皇居、麻布、虎ノ門、ー赤羽、杉並東京は東部を除いて崖だらけ
文京区はどうした?
あと世田谷や中野方面までやるなら板橋練馬方面も取り上げて欲しかったです
「衾(ふすま)駅」と「自由が丘駅」じゃどえらい違いだ。ハハ。この東京の地誌(特に三多摩の巨大な台地構造)は東京でサイクリングすると体感することができる。このチャンネルは東京の小中学校で地理の授業に使える内容だ。
それは後天的に「オカジュー」のイメージを植えつけられただけやでw
「自由が丘」なんて、どこの田舎の新興住宅地やって名前やんw
結構おもしろかったです、地形の高いところと古墳や城跡の関係を見るとおもしろいかもしれないですよ(^^)
靖国通りのあのカーブはそんな理由だったのですね!
面白いなこれ
江戸に砦を創ったのは,最初は忍氏だと聞いていたが、追い出して改造したのが道灌。
高級住宅街はちゃんと高台にあるんだな。
あと地理院地図で治水地形分類図見るのも楽しい。昔の川だったところとかわかる。
渋谷に至っては、地形の谷が名前の由来ではなく、渋谷一族が住んでいたからですよ。
埼玉の東南部に住んでると、本当に真っ平ら。
なので、東京に引っ越し、サイクリングやウォーキングしていると、坂の多さでちょっとびっくり。
東京も、湾岸とか真っ平らですけどね。
最南端の低地ですかね。逆に大宮以北だと割と高い海抜で平らな土地が続きますね
坂が多いと言われる東京。
土地が繋がってるから平地と思うことなかれ。入江の都で江戸という名前に。川や海だったので高低だらけ。
やはり新宿が災害に強くいい場所ですね
子供の頃,浅草海苔を、有名な海産物屋さんでもあったのかなぁ、と思ってた。
溜池付近を知りたかったですぅ
この周辺は元々湧き水が流れていて、それを溜めていたので溜池となり一部を江戸城の外堀として使ってました。
今でも夏の夕立になると、溜池交差点あたりは水が溢れ通行止めになります(以前よりは良くなりましたが)
ちなみに、この周辺の地下で飲食営業はお勧めされていません。湿気が多くカビが生えやすいとか
鶯谷で焼肉食べた後は階段上がって山手線に乗らねばならぬのが面倒臭いw
まるで「野生のブラタモリ」だなと思って感心して見てたら #ブラタモリ タグ付いててわろた。こういうためになる動画好きです。
実際ブラタモリで見た
0:24 この縮尺でも自分の会社の位置わかる
渋谷の由来は 地形思っていましたが 実は 渋谷 氏 由来するんだそうです
神奈川の高座渋谷に由来した渋谷氏が、
今の渋谷区辺りにも領地を持ってたようですね。
下総国相馬郡に由来した相馬氏が転封された先の、
今の福島県相馬市的なネーミングですね。
ブラタモリ🕶みたいで面白い
これ、くそおもろいな
赤羽出身者として、東京なのに、紹介されないことが多いんだよな…
豊島区、板橋区、練馬区は入ってるのに…
すんごく面白かった
(ブラタモリファン)
JR中央線が苦心して谷筋を抜けていった様子がよくわかります
日比谷入江は残して欲しかったな
都内北部も、やってほしかったです。
自分が住んでいても移動は地下鉄やJRだったのでそんなに高低差があるとは知らなかった。
海が好きな人多いよね
横浜市期待します。😊
崖の下がすぐ海で後ろに入江がある浜辺が横に広がっていたのが地名の由来とか。見てみたかったです
徳川家康は東京をつくった偉人ですね。土木工事、大変だったでしょう。
タモリさんが見てそう
東京駅が地下水の上に浮いている
のは有名な話ですが
ようは掘ると何処ら中水が湧く
という話です
コレ地震で液状化したらどうなんだ?
関東大震災当時は地下鉄も地下街も
なかったけど今なら?
東北地震の時震度5ぐらい?
千葉は液状化あったけど東京は?
多少はなんかあったはず
でも全く報道されてない気がする
東京で震度6直下型が起こると
どうなるんでしょう
BGMが笑っていいとも、タモリさんにリスペクト?
面白かった
江戸川区にも触れてほしかった
津波が来たらどこが沈むかよくわかりました
江戸幕府においては歴史的に、江戸時代前期の御府内(江戸の大名屋敷)において、江戸城の近辺とその西側の武蔵野山々が高尾山(600m)程の高さで連座していて、侵食や人為的に台地化させて、武士の町の山の手台地を取り崩して幕臣などの70%の居住地帯として開発しました。
江戸時代中期以降は、特に、江戸下町地域の30%の干拓や埋立てした後に、長屋形式やバラック小屋を造り江戸庶民の人口増加によって土地が不足し、下町の本所(堀割を含め)や深川(十万坪埋立て)などにも武家屋敷が造成されるようになり、町人との住み分けは曖昧になっていった。此方の地域が非常に狭い地域ですので江戸湾への埋立て地域拡大の推進工事を重ねての浅瀬の多い場所や人足寄場や5代将軍の徳川綱吉の際は「隅田川に近接した利根川の水害等々が多く、側用人の田沼意次に利根川東遷(江戸湾の中流部分より東側より90度を一直線上に銚子沖の太平洋へ放出する形態としました)を数十年も行わせて、江戸下町の利根川東遷に於いて河川帯が至る場所が、掘削され、埋立てし、方向を変えながらの大変な大規模河川工事でした。其の影響で「旧江戸川が上流、中流、下流の全てが流域変更する為に上流から下流の掘削が為され、不要と成った場所は埋立てされ」従来の河川帯を埋立てし、大規模河川工事を紀州流方式を原則として河川工事を進めた」8代将軍の徳川吉宗は1720年に完成させました。渡良瀬河から国分台(2千m程度の高山の奥利根川水系の山々より引き込んで)の里見城の高さ15mから中流、下流に向けて4m程度の外堀より松戸、市川の下総国台地を鍬などの農具や大工道具を用いて下流に掘削工事を行わせましたが、
対岸の軟弱な地盤は水面下でしたので、今で云いますと、葛西、浦安や行徳方面と成りました。此の地域は関東平野の堆積に依って陸地化した区域で「有楽層の厚層」です。
更に、深川や本所に堆積しました。その一方で、山の手と呼ばれる麹町、麻布、赤坂、渋谷、駿河台、御茶ノ水、鶯谷、本郷台地、四ツ谷、市ヶ谷、上野山、神田山等々が東西南北に一際高い武蔵野台地が現在も明確にあり、当時の山々や谷が良く解る地域帯があり、参勤交代の大名上屋敷や侍屋敷、下級武士と云われた地域です。其の区別する場所が、東京駅丸の内に外様大名の屋敷や埋立てした八重洲となり、日本橋等の関所的な仕切りで江戸庶民と棲み分けを区別しておりました。現在の千代田区南西部、港区西部、新宿区東部、文京区に該当する麹町区、芝区西部、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区の旧東京15区の西半分が山の手の代表的な地域に相当し、武蔵野台地(山々)の東端部にあたります。日本の近代化とともに山の手は東西へと広がり、多摩地域を除き、「第二山の手」と呼ばれる一帯が形成されていき、近代日本のはしりとも成りました。大正時代に入ると関東大震災を契機に、山の手はさらに東京東西部へと広がりを見せることに成りました。「山の手」はその後も変質を重ねており、現在の東京23区西部(目黒区、世田谷区、大田区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、板橋区、練馬区、北区)にまで範囲が広がったため、漠然としたイメージとしての言葉になり、地域としての境界が曖昧になっている傾向も見られる時代と成りました。更に東京都における市街地としての「山の手」の成り立ちや下町との関係については、東京市街の変遷も東京以外の山の手や東京圏内に広がってます。
凸凹を逆に錯覚してしまって、戻らなくてつらい。