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このガードナーのヘルメットのデザインが、一番カッコイイと思う
電子制御無しで走っていたこの頃のライダーが若いまま今のバイクに乗ったら、凄いタイムを叩きだすでしょうね、多分😸
俺はタバコを吸わないけど、やっぱタバコメーカーのカラーリングは格好いいね。
80年代後半から90年代前半 四輪、二輪含め全モータースポーツの黄金期 なんて魅力的な世代だったか
俺はこの90年式なんだなー。ゼッケン10。ワインガードナー。高校一年の16歳だったあの日。
八代さんから言わせるとガードナーは才能だけで走っていたライダー。87年型88年型のNSRの問題点を指摘出来なかった。いつもマシンに文句ばかり言ってた。どんなマシンでも乗り込なしたフレディやケニーとは比べものにならない。
マシン開発能力も大事ですよね私はレイニーが好きです!
八代選手がNSR試乗する際、当時ライディングスポーツの巻末近くの記事で、HRCの人が「ハチはやっぱり満タンだろ」と、燃料入れる量について、本気と冗談とも取れるような指示をスタッフに出していたと書いてあり、笑ったの覚えています😁
ミックが常に満タンで走るからですよ😂✌️🚲🚲🚲🚲
ワイン ガードナーといえばNSRだが自分的にはゼッケン11 RVFが好きだな。
OKIカラーのRVF一番カッコいいと思う😍けど決勝ガードナーじゃなくてD.ビューティーだったんだよね😫
@@リンクリンク-l7n カウルに小さい穴がたくさん開いていたのが印象深いです。あれは何だったんだろう…その後流行った訳でもなく。
半壊状態のゼッケン592NSRも忘れないでください!
やっぱガードナーやな
多分今では、市販の1000cc以上のssの方が速いんだろう
ホンダは1軸クランクV4だけれども、初めて2気筒同時爆発(180度等間隔)を採用したのが1990年型NSR500で、後に(1992年から)不等間隔爆発(通称ビッグバン)のNSR500が誕生するが、その前段階モデル?ホンダのエースライダーがガードナーからドーハンに交代したモデルでもある?
On this old year, Yamaha or Honda design serious and imbattable bike for the GP500.
タバコは吸わないがバイクNSR250ロスマンズに乗ってる❤️
ホンダって昔から日本人を発掘しそこねてたよね~特に片山敬済
左右のディスクで素材が違うのか
片側カーボン、片側鋳鉄で「シンガポールスリング・カクテルブレーキ」とかの愛称で呼ばれていましたね?カーボン材質のディスクは温度が高くならないと効き目が無いので、その時間差を埋めて補うために鋳鉄製ディスクと併用した?
4輪F1では、すでにカーボン製ディスク装備は当たり前でしたが2輪世界GPでは実績無かったですね?雨のレースでは両側共に鋳鉄製ディスクを使っていましたね?両側共にカーボン製ディスクを雨のレースでも使えるようになったのは数年先ぐらい(1992年頃?)だったと記憶しています。でもカーボン製のタイヤホイールを先にテストして試したのは、4輪F1よりも2輪世界GPが先だったような気がする?
@@中村佳己-t4r ありがとうございます当時はそんな事情があったんですね
@@suken1019 様ご返信、誠に有り難うございます。両側カーボンディスクを先に採用して実戦投入して成果を上げたチームメーカーは、K・シュワンツが乗ったペプシ・スズキRGV-Γ500で次がW・レイニーが乗ったラッキーストライク・ヤマハYZR500では無かったでしょうか?特にシュワンツの驚異的ブレーキングテクニックをカーボンディスクが支えていたのでは?ただ1989年初めてホンダに移籍して世界タイトルを獲得したE・ローソンが乗ったNSR500には両側カーボンディスクが標準装備(カバー付き)されていたと思います(雨のレース以外は)ローソン以外のライダーが乗るNSR500は両側鋳鉄ディスクでしたね。
@@suken1019 様補足説明コメントになるのですが、1989年ロスマンズ・ホンダ(正式にはロスマンズ・カネモト・ホンダですが)のE・ローソン用NSR500は、他のチームであるロスマンズ・・ホンダ(こちらはHRC直営チーム)のW・ガードナーやM・ドーハン、HBホンダのP・フランチェスコ・キリが乗るNSR500よりも最新パーツ(カーボンディスクブレーキだけでなく)を使った特別スペシャル仕様でしたね?元々ホンダのエースライダーだったガードナーがローソンの方に最新パーツを供給されていた事が不満だったようですね?
NSR 500 screamer 💜💖💜
タバコメーカー以外だとメルティ―ニカラーとか印象に残ってます。バイクには無かったかな。
無いね自分の知る限りでは、つか一般的にはマルティニって言いますね
ガードナーって結局、外注ライダーだった。 つまり、与えられたマシンをどれだけ速く走らせるか、はやっても、開発はしなかったしできなかった。 それがやれたのがローソンとこの八代。 NSRのエンジン位置のおかしさを指摘したのは八代でガードナーは分からなかった。 曲がらないNSRのフレームを曲がるようにしたのはローソンで、ガードナーはしなかったしできなかった。あつらえられたマシンに乗ってできるだけ速く走らせるだけだった。
真逆なんだけどな。
@@homuratsurugi 違うよ、ガードナー自身がそのことを言っていた
ローソンがホンダにもたらしたものは凄い
NSR500=1億5000万位?
👍🏽👍🏽
この頃と言えばやっぱり“片山選手?”👍
八代さんホンダの開発に入ってくんねーかな
天候は、曇り☁!オフィシャルの姿が無いためコーナリングは、そんなに攻めて無いですね!走行は、西コースのみですかね!
いい加減な知ったかぶりが!!西ストレートに観戦スタンドは無い。西ピットも構造が全く違う。ダンロップコーナーでも所作を見る限り、フルコースで走っている(あのコーナーリングスピードで東ショートカット侵入は危険)が、西コースに撮影隊は配置していないものと思案。ポストにオフシャルは全てでは無いがちゃんと存在(実際映っている)する。貸切走行とてコースマーシャルの配置義務があり、できない場合は走行をキャンセルせざるを得ない。
お前に聞いてない、動画を見ている人に失礼な発言やな!二度と失礼な発言するな! レベルが低い!
이게 말이데는거야?89년도에 499cc가 160마력?
タバコメーカー以外だとマルティ―ニカラーとか印象に残ってます。バイクには無かったかな。
このガードナーのヘルメットのデザインが、一番カッコイイと思う
電子制御無しで走っていたこの頃のライダーが若いまま今のバイクに乗ったら、凄いタイムを叩きだすでしょうね、多分😸
俺はタバコを吸わないけど、やっぱタバコメーカーのカラーリングは格好いいね。
80年代後半から90年代前半 四輪、二輪含め全モータースポーツの黄金期 なんて魅力的な世代だったか
俺はこの90年式なんだなー。
ゼッケン10。ワインガードナー。
高校一年の16歳だったあの日。
八代さんから言わせるとガードナーは才能だけで走っていたライダー。87年型88年型のNSRの問題点を指摘出来なかった。いつもマシンに文句ばかり言ってた。どんなマシンでも乗り込なしたフレディやケニーとは比べものにならない。
マシン開発能力も大事ですよね
私はレイニーが好きです!
八代選手がNSR試乗する際、当時ライディングスポーツの巻末近くの記事で、HRCの人が「ハチはやっぱり満タンだろ」と、燃料入れる量について、本気と冗談とも取れるような指示をスタッフに出していたと書いてあり、笑ったの覚えています😁
ミックが常に満タンで走るからですよ😂✌️🚲🚲🚲🚲
ワイン ガードナーといえばNSRだが自分的にはゼッケン11 RVFが好きだな。
OKIカラーのRVF一番カッコいいと思う😍けど決勝ガードナーじゃなくてD.ビューティーだったんだよね😫
@@リンクリンク-l7n カウルに小さい穴がたくさん開いていたのが印象深いです。あれは何だったんだろう…その後流行った訳でもなく。
半壊状態のゼッケン592NSRも忘れないでください!
やっぱガードナーやな
多分今では、市販の1000cc以上のssの方が速いんだろう
ホンダは1軸クランクV4だけれども、
初めて2気筒同時爆発(180度等間隔)を採用したのが1990年型NSR500で、後に(1992年から)不等間隔爆発(通称ビッグバン)のNSR500が誕生するが、その前段階モデル?
ホンダのエースライダーがガードナーからドーハンに交代したモデルでもある?
On this old year, Yamaha or Honda design serious and imbattable bike for the GP500.
タバコは吸わないがバイクNSR250ロスマンズに乗ってる❤️
ホンダって昔から日本人を発掘しそこねてたよね~
特に片山敬済
左右のディスクで素材が違うのか
片側カーボン、片側鋳鉄で「シンガポールスリング・カクテルブレーキ」とかの愛称で呼ばれていましたね?
カーボン材質のディスクは温度が高くならないと効き目が無いので、その時間差を埋めて補うために鋳鉄製ディスクと併用した?
4輪F1では、すでにカーボン製ディスク装備は当たり前でしたが
2輪世界GPでは実績無かったですね?
雨のレースでは両側共に鋳鉄製ディスクを使っていましたね?
両側共にカーボン製ディスクを雨のレースでも使えるようになったのは数年先ぐらい(1992年頃?)だったと記憶しています。
でもカーボン製のタイヤホイールを先にテストして試したのは、4輪F1よりも2輪世界GPが先だったような気がする?
@@中村佳己-t4r ありがとうございます
当時はそんな事情があったんですね
@@suken1019 様
ご返信、誠に有り難うございます。
両側カーボンディスクを先に採用して実戦投入して成果を上げたチームメーカーは、
K・シュワンツが乗ったペプシ・スズキRGV-Γ500で次がW・レイニーが乗ったラッキーストライク・ヤマハYZR500では無かったでしょうか?
特にシュワンツの驚異的ブレーキングテクニックをカーボンディスクが支えていたのでは?
ただ1989年初めてホンダに移籍して世界タイトルを獲得したE・ローソンが乗ったNSR500には両側カーボンディスクが標準装備(カバー付き)されていたと思います(雨のレース以外は)
ローソン以外のライダーが乗るNSR500は両側鋳鉄ディスクでしたね。
@@suken1019 様
補足説明コメントになるのですが、
1989年ロスマンズ・ホンダ(正式にはロスマンズ・カネモト・ホンダですが)のE・ローソン用NSR500は、他のチームであるロスマンズ・・ホンダ(こちらはHRC直営チーム)のW・ガードナーやM・ドーハン、HBホンダのP・フランチェスコ・キリが乗るNSR500よりも最新パーツ(カーボンディスクブレーキだけでなく)を使った特別スペシャル仕様でしたね?
元々ホンダのエースライダーだったガードナーがローソンの方に最新パーツを供給されていた事が不満だったようですね?
NSR 500 screamer 💜💖💜
タバコメーカー以外だとメルティ―ニカラーとか印象に残ってます。
バイクには無かったかな。
無いね自分の知る限りでは、つか一般的にはマルティニって言いますね
ガードナーって結局、外注ライダーだった。 つまり、与えられたマシンをどれだけ速く走らせるか、はやっても、開発はしなかったしできなかった。 それがやれたのがローソンとこの八代。 NSRのエンジン位置のおかしさを指摘したのは八代でガードナーは分からなかった。 曲がらないNSRのフレームを曲がるようにしたのはローソンで、ガードナーはしなかったしできなかった。
あつらえられたマシンに乗ってできるだけ速く走らせるだけだった。
真逆なんだけどな。
@@homuratsurugi 違うよ、ガードナー自身がそのことを言っていた
ローソンがホンダにもたらしたものは凄い
NSR500=1億5000万位?
👍🏽👍🏽
この頃と言えばやっぱり“片山選手?”👍
八代さんホンダの開発に入ってくんねーかな
天候は、曇り☁!
オフィシャルの姿が無いためコーナリングは、そんなに攻めて無いですね!
走行は、西コースのみですかね!
いい加減な知ったかぶりが!!
西ストレートに観戦スタンドは無い。西ピットも構造が全く違う。ダンロップコーナーでも所作を見る限り、フルコースで走っている(あのコーナーリングスピードで東ショートカット侵入は危険)が、西コースに撮影隊は配置していないものと思案。ポストにオフシャルは全てでは無いがちゃんと存在(実際映っている)する。貸切走行とてコースマーシャルの配置義務があり、できない場合は走行をキャンセルせざるを得ない。
お前に聞いてない、動画を見ている人に失礼な発言やな!
二度と失礼な発言するな! レベルが低い!
이게 말이데는거야?
89년도에 499cc가 160마력?
タバコメーカー以外だとマルティ―ニカラーとか印象に残ってます。
バイクには無かったかな。