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エディーのライデイングフォームが歴代ライダーで一番カッコイイ。
この年のシーズンが始まる前に名古屋駅の新幹線ホームでHONDAのジャンパーを着たローソンに会って声を掛けて握手してもらったことが有る。多分、鈴鹿でテストの後に東京方面へ移動するために居たんだろうなたしか2,3人HONDAのジャンパーを着た人たちと一緒だった
このマシンは傑作ではなく 非常に苦労したものだと思います
悪戦苦闘して得た勝利ですね。
89年は移籍初年度にエディがタイトルを獲得したのにHRCが契約金を値切った為にヤマハに復帰されたんだったよね?エディが残っていたならホンダのマシンのキャラクターも変わって今のようなていたらくは無かったかも?
エディが初めて乗った時、『このマシンはオレを56ス気か』と言ったらしい。それで台頭著しかったレイニー相手に4度目のタイトル獲得は尋常じゃない。
ドゥーハンは同じマシンに乗り"アンダーステアが強くてどうにもならなかった"と話してました。経験不足を差し引いたとしても乗りにくいマシンだったのでしょう。前年の経験を元に洗練された90’NSRでドゥーハンは初ポールと初勝利を遂げる。ホンダは否定してましたが、やはりエディから学んだノウハウは大きかったのだと思っています。
ホンダとしても他メーカーのヤマハで長年ライディングしてきたベテラン世界王者ローソンからのアドバイスは貴重で気になっていたのは間違いないですね‼️🤗ローソンも1年間だけではなく1990年も続けてNSR500に乗り続けて完全自分好みのマシンに仕上げたかったに違い無い?ローソンからの貴重なアドバイスが後に「ビッグバン」へと繋がって行く。
明らかにエディの力ですね😂✌️🏍️ガードナーはホイルスピンするマシンしか作れなかった😂✌️🏍️💨💨💨
ローソンさんは、HONDAを去るとき「ライダーに敬意を払わないメーカーだ」と、言い残していますね、恐らく契約金だけではなく他のあらゆることでそう感じていたんでしょうね。
ロッシも同じこと言って去ったような、、
ホンダは自分たち以外全てを見下してるからね、見下した結果が近年モトGPの不調とNRプロジェクトの無様な失敗だと思う。
2輪世界GP500王者エディ・ローソンと4輪F1世界王者アラン・プロスト共にホンダエンジンの凄さに感銘敬意を払っていたけれども関係は決して良好では無かったですね‼️ホンダにも言い分有るだろうけれども、他チームや他メーカーエンジンで世界王者経験済みのライダーやドライバーよりもホンダにとっては自分ところのマシンやエンジンで初めてタイトル獲得した世界王者のフレディ・スペンサー、ワイン・ガードナーやアイルトン・セナの方を大事にする傾向を感じがしました(ホンダが決して依怙贔屓したとかでは無く平等公平なサポートをしたと言う前提ですが)ローソンとプロストの両人共にホンダとの付き合いが長く続か無かったのも何となく分かる気がしました。ホンダと一緒に仕事する以前から既に世界王者だったのでプライド高い‼️🤗
ホンダはライダーよりマシンを造る自分達が上だと言う考えらしいね?
常に、うちの速い車に『乗せてやる』というスタンス。
この年式のNSR500が1番かっこええ👍✨馬力至上主義のホンダが力でライバルをねじ伏せる暴力的で危険な香りがプンプンするのが堪らないw🤣👍✨後半の片持ちスイングアームはNSR500には似合わない気がする🤔
エディローソンはヤマハのイメージ。NSRはやっぱりスペンサーかな。
ローソンもコシンスキーも乗りづらそうに乗ってたな😂🤚🏍️🏍️💨💨💨
当時乗ってました😊
89年型控え目に言って「大失敗作」シーズン中ほぼ全面改良を三回、細かな変更は毎戦どころか一走毎に行われたとかしかもローソン用のスーパースペシャルにするためありとあらゆるリソースがローソンのためだけに使われ反映された他のライダーは「一体なんの為の『ファクトリー』なのか!」と不満爆発更にそれだけ一台にデータを集約したにも関わらずハンドリングの気まぐれさは全く安定する様子は見せなかった結局ライダー(ローソン)の能力「のみ」でチャンピオンマシンにはなったけれど以降パワーを生かせれるハンドリングを手に入れることは遂に叶わなかった
ヤだったろうな。こんな気温が低い上にウェットパッチが残ってるような状態で、インプレ走行なんて。そんなレベルのお二人じゃないにしても、転倒したりしたらどうなるんでしょうね、こういうのって。弁償はないとしても、二度と乗らせてくれなさそう。
エディーのライデイングフォームが歴代ライダーで一番カッコイイ。
この年のシーズンが始まる前に名古屋駅の新幹線ホームでHONDAのジャンパーを着たローソンに会って声を掛けて握手してもらったことが有る。
多分、鈴鹿でテストの後に東京方面へ移動するために居たんだろうな
たしか2,3人HONDAのジャンパーを着た人たちと一緒だった
このマシンは傑作ではなく 非常に苦労したものだと思います
悪戦苦闘して得た勝利ですね。
89年は移籍初年度にエディがタイトルを獲得したのにHRCが契約金を値切った為にヤマハに復帰されたんだったよね?
エディが残っていたならホンダのマシンのキャラクターも変わって今のようなていたらくは無かったかも?
エディが初めて乗った時、『このマシンはオレを56ス気か』と言ったらしい。それで台頭著しかったレイニー相手に4度目のタイトル獲得は尋常じゃない。
ドゥーハンは同じマシンに乗り"アンダーステアが強くてどうにもならなかった"と話してました。経験不足を差し引いたとしても乗りにくいマシンだったのでしょう。前年の経験を元に洗練された90’NSRでドゥーハンは初ポールと初勝利を遂げる。ホンダは否定してましたが、やはりエディから学んだノウハウは大きかったのだと思っています。
ホンダとしても他メーカーのヤマハで長年ライディングしてきたベテラン世界王者ローソンからのアドバイスは貴重で気になっていたのは間違いないですね‼️🤗
ローソンも1年間だけではなく1990年も続けてNSR500に乗り続けて完全自分好みのマシンに仕上げたかったに違い無い?
ローソンからの貴重なアドバイスが後に「ビッグバン」へと繋がって行く。
明らかにエディの力ですね😂✌️🏍️ガードナーはホイルスピンするマシンしか作れなかった😂✌️🏍️💨💨💨
ローソンさんは、HONDAを去るとき「ライダーに敬意を払わないメーカーだ」と、言い残していますね、恐らく契約金だけではなく他のあらゆることでそう感じていたんでしょうね。
ロッシも同じこと言って去ったような、、
ホンダは自分たち以外全てを見下してるからね、見下した結果が近年モトGPの不調とNRプロジェクトの無様な失敗だと思う。
2輪世界GP500王者エディ・ローソンと4輪F1世界王者アラン・プロスト共にホンダエンジンの凄さに感銘敬意を払っていたけれども関係は決して良好では無かったですね‼️
ホンダにも言い分有るだろうけれども、他チームや他メーカーエンジンで世界王者経験済みのライダーやドライバーよりもホンダにとっては自分ところのマシンやエンジンで初めてタイトル獲得した世界王者のフレディ・スペンサー、ワイン・ガードナーやアイルトン・セナの方を大事にする傾向を感じがしました(ホンダが決して依怙贔屓したとかでは無く平等公平なサポートをしたと言う前提ですが)
ローソンとプロストの両人共にホンダとの付き合いが長く続か無かったのも何となく分かる気がしました。
ホンダと一緒に仕事する以前から既に世界王者だったのでプライド高い‼️🤗
ホンダはライダーよりマシンを造る自分達が上だと言う考えらしいね?
常に、うちの速い車に『乗せてやる』というスタンス。
この年式のNSR500が1番かっこええ👍✨馬力至上主義のホンダが力でライバルをねじ伏せる暴力的で危険な香りがプンプンするのが堪らないw🤣👍✨後半の片持ちスイングアームはNSR500には似合わない気がする🤔
エディローソンはヤマハのイメージ。
NSRはやっぱりスペンサーかな。
ローソンもコシンスキーも乗りづらそうに乗ってたな😂🤚🏍️🏍️💨💨💨
当時乗ってました😊
89年型
控え目に言って「大失敗作」
シーズン中ほぼ全面改良を三回、細かな変更は毎戦どころか一走毎に行われたとか
しかもローソン用のスーパースペシャルにするためありとあらゆるリソースが
ローソンのためだけに使われ反映された
他のライダーは「一体なんの為の『ファクトリー』なのか!」と不満爆発
更にそれだけ一台にデータを集約したにも関わらずハンドリングの気まぐれさは
全く安定する様子は見せなかった
結局ライダー(ローソン)の能力「のみ」でチャンピオンマシンにはなったけれど
以降パワーを生かせれるハンドリングを手に入れることは遂に叶わなかった
ヤだったろうな。
こんな気温が低い上にウェットパッチが残ってるような状態で、インプレ走行なんて。
そんなレベルのお二人じゃないにしても、転倒したりしたらどうなるんでしょうね、こういうのって。
弁償はないとしても、二度と乗らせてくれなさそう。