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95年、自分は転勤などがありF1をあまり見れなくて結果を見ては片山選手の低迷ぶりを嘆いていましたが、こんな悲惨なことになってたんですね、片山さんは本当に色々とツいてないドライバーでした
開幕前のテストでハイドロサスに(?)を抱いていた右京さんとラミー、サロは好感触のコメントをしてシート獲得に一歩近付いたとか。022にハイドロサスを使った時のテストは悪くないコメントしていた右京さんだけど、担当エンジニアが代わり意思疎通に悪影響があったり、アクセルワークで車の向きを変える位のスタイルでエンジンパワーがあった94年、95年は一転非力な分類になったヤマハエンジン、義理は通用しないF1の世界、モナコでスピンリタイアしたピットでガックリしていたシーンが右京さんの95年を表していたな、モナコの落ち込んでいたシーンを「イメージしてる走りよりもマシンが遅く感じていた」と、プッシュだけしか出来なかった右京さんに対して、初コースだろうとどんだけ車が非力だろうとゴールまで持ち込めるサロの方が一枚も二枚も上手だったのが翌96年チーム体制に影響あったし。
名門ティレルの終わりの始まりが95年シーズンでしたね。
右京さんはスポンサーにも感謝するしチームの悪口もあまり言わない。苦しいシーズンもできる限りの仕事をする。もし他人やスポンサーを踏み台にしたり犠牲にするのもチャンピオンになるためには仕方ないと思える方だったら、ベネトンに移籍してかなりのところまで行ったかと思える。
94年の事故で急遽色々レギュレーションが変えられたこの年は新機構のハイドロリンクサスと空力面の両方を熟成させる必要有ったからトップチームみたくテストをしまくれないティレルのチーム規模だと苦しかったのよヤマハも急遽決まった3リッター化に向けてかなり保守的なエンジンを作って来たからパワー不足を抱えてて早々に翌年投入する新型エンジンの開発に切り替えちゃってたし空力面もティレル本拠地はイギリスに有るのにフォンドテックの風洞がイタリアにあって当時はデータのやり取りも大変だったしね
マシンデザインとカラーリングの美しさは022を凌ぐ秀逸さ、ティレルの歴代マシンの中で一番好きです。
ドイツGPがシーズン唯一の入賞チャンスだったが鈴木亜久里のリジェ無限に競り負け7位だった(当時のポイント獲得は6位まで)。
ロータスがアクティブサスで躓いて低迷していったようにティレルはハイドロリングサスで躓いて低迷し98年のチーム消滅へとつながってしまった。好きなチームだけに残念でした。ただティレルというチームは夢だけは見せてくれました。
ティレル023の発表当時は「ハイドロリンクサスペンション?よくわかんないけどなんか凄そう!」って思い、マシンの見た目も022と比べてよりシャープになってめちゃめちゃ期待してました。が、蓋を開けたらこの結果。
筋肉つけすぎて酸欠とかトレーニングは難しいな
94年以降毎年レギュレーションが激変し、前年の改良版では翌年は通用しない時代が来たがソコをティレルは見誤ったのが不振に終わった最大の原因。
確か、開幕戦は「今年注目のドライバー」みたいな形で、ちょこちょこ国際映像で右京が映った覚えが… 途中からは、明らかにサロ主導でしたね。期待が大きかった分、残念でした。カラーリング的には当初の濃いブルー基調のマシンが好きでした。アッ、メタル製ミニカー持ってます(笑)
サロ選手スゴイなぁ、F1最後のシーズンはトヨタで過ごしましたし、日本と縁が深いドライバーですよね
確か日本人女性と結婚されたんですよね?フェラーリの誰かさんの真似したわけではないだろうけどw
@@かきあげ-x8b 全日本F-3000時代のレースクイーンの嫁さんでしたねー
この時代はネットも無く、無名の選手はF1ドライバーと言っても顔も知られて無かったのですよね。右京はヨーロッパのカートコースで遊んでいたら、コースレコードを出してカートチームに誘われたり、サロは上級者用のカートに乗ろうとしたら『素人がいきなり乗ったら危ない』と、止められたりしたエピソードを雑誌で読んだ事があります(笑)二人共ティレルのドライバーなのに…。
右京さんにとっての一番のマイナスはサロがチームメイトになったことだと思う。遅いマシンでもチームメイトに安定して勝てば評価は上がるけど、逆はひたすらキツくなる(今年のデフリーズがいい例)。フェラーリでの走りを見る限りサロはブランデルと比べても物凄く速いドライバーだし、しかもノキアまでついちゃあ、もう詰みだよね。
ティレル側の計算ミス?でコクピットが右京さんのサイズに合っていなかったようですね、解説にもありましたがトレーニングの強化が災いして余分な筋肉をつけすぎたことでよりサイズが厳しい状況になってしまったようです、右京さんのドライビングに悪影響があったことも低迷の一つだったんでしょう。
ティレルはメインスポンサーが付くとコケるんで、開幕前から嫌な予感はしてた😅燃料と潤滑油を前年のBPからAgipに変更したが、事前にヤマハに対し一言も無かったので怒ってたらしい😮ちなみに翌年はelfになるという…(これはヤマハの意見を取り入れて決めたらしい)結局NOKIAが消え、また真っ白のマシンに戻りましたとさ
中嶋アレジのコンビだった1990年はロスマンズがメインスポンサーにつく予定だったけど…大コケしたとは思えないな。
@@willywonka6468 さまなるほど青白カラーは名残かもしれません…
@@h.kasagon2737 ロスマンズブルーはエプソンブルーという事になったのですね💦。
023は前年の進化型で素体は良かったんだろうけどね…リソースを使い物にならないハイドロサスに集中させずエアロダイナミクスに割いてれば戦えるマシンになった可能性はあったかもパッシブサスに戻した後もハイドロサスを諦めきれず研究はしてたんだろうなぁ
個人的にはタルキーニ最後のF1マシンとしての印象が強い
完走果たしましたけどね。5周遅れ。テストドライバーでしたが、ほとんど乗っていません。
エストリルの事故は当時中継見ていて本当にヒヤッとした記憶があります。ハーベイさんデザインのクルマは美しかったですね。
右京選手にとってはまさに天中殺に襲われたような悪夢のシーズンでしたね😢2005年の佐藤琢磨選手も似たようなシーズンでした😅前年活躍したことで更なる高みを目指した結果が裏目に出たようなものでしょうか。
ティレル残留の右京さんとベネトンに座ったハーバートで明暗が分かれた。もし右京さんがベネトンに移籍できたらと思うと悲しい…
フラビオに飼い殺しにされたかもしれないけどね…
Benetonに移っていたとしても、ハーバートさんと同等以上の成績を残せたのかについては「?」と感じていました。やっぱり「もってない」という印象。
でも、お互いマシンの好みがオーバーステア傾向の特性を好んでたので、意外とマッチしたかもしれません。噂だと、セカンドドライバーに右京さんを希望してたのは、シューマッハ自身だったといわれています。あと、フラビオ・ブリアトーレが右京さんの前に来て、契約書を見せて「これにサインをしろ」「そうすれば、来年から俺たちの仲間だ」と、迫ったらしいです。
たぶんハーバートが乗るB195より、右京が乗るB195の方が運転がしやすかったでしょうね。「暴れん坊」B195と格闘しながら優勝2回のハーバートは凄いですよ。
@@user_eksz ちょっと意味は違うかも知れませんが……中嶋悟さんが当時「セナと同じマクラーレンに乗せてもらえば、僕だって表彰台に何度か上れただろう。でもセナとの差は今よりも大きくなっただろう」と。なんか難しい理屈ですが、中嶋さんは、自身が運転しやすいマシンかどうかを考えていたようです。ただ、右京さんはベネトン に乗ればいい成績を残せた…と私は信じます。
ティレルは日本に馴染み深いのでネタ豊富だよね
Tyrrell(ティレル)をタイレルって訳しちゃってましたからね。
見た目は、右京号で1番好きなんよなぁ😙
カーナンバーの部分のデザインが国旗のカラーになってるのは、日の丸だからカッコよくなるデザイン。悪いけどフィンランド国旗のデザインをカーナンバー部分にあしらってもなんかへん。つまり「カーナンバー部分を国旗をあしらったデザインにしよう」という発想ではなく「日本国旗を描いたらカッコいいんじゃない?」という発想があって「じゃ相棒も国旗を描こうか」となった…と思ってます、私は。
正直ダメマシンでしたねこれは…。10:15これは全然知りませんでした(笑)ハイドロリンクサスは87年ロータス・ホンダのアクティブみたいな失敗作で、マシンは93年の021並みの仕上がりでした。片山は事実上この年でキャリアを終わらせてしまいました…。02年のNHKの「スタジオパークからこんにちは」で、ベネトンに移籍しなかったことを後悔していると話していましたね。「道具がよくなくたって、やっていけるんだ…という根拠のない自信というかプライドのようなものがあって…」と言っていました。ベネトンのナンバー2よりもティレルのナンバー1で、ことわざの「鶏口となるも牛後となることなかれ」という気持ちだったということでしょう。しかし、全ては裏目に出て、速さでも持ち込みスポンサーでもサロに全てお株を奪われてしまいました…。シューマッハにロイター板にされたジョーダン、ミカ・サロに踏み台にされたロータス(笑)2人とも共に最終的に行き着いた先はフェラーリ(笑)片山も、91年にスポンサーの意向でベネトンに行かなかった鈴木亜久里と同じで、ロータスから強引にマクラーレンに移った時のセナのように「エゴむき出し」でベネトンに行かず、違約金とかスポンサーの考えなんかを考えて、義理立てしたのが日本人の悪い所丸出しで、間違いの元でしたね。外国人なら100%ベネトン行くでしょ❗
ティレルのみならずタミヤも誤算だったことは想像に難くないです。
買ったけど結局作らなかったなぁー中古屋に売っちゃった🥺
なぜタミヤも94年の022は出さず、023を出したのか??
あのキットは私は当時、買う気すら起きませんでしたね…。
@@h.kasagon2737 94年はRCこそありますが、プラモは1台もありませんでした。「出す気になれなかった」というのがあるかもしれません。
やっぱティレルは青が似合うね
正直右京がダメだった理由。一年目のカナダで入賞まであと一歩というところでシフトミスでエンジン壊してリタイアしてしまった。この集中力が持続できないところがずっと後々まで響いたと思う。この年もなんだかんだで開幕戦とモナコで入賞のチャンスはあったのに途中でスピン。ここできちんとポイントを取っておけばサロ寄りの体制になることも防げて翌年もベネトン入りの可能性はあったしもしかしたら97年にアロウズでヒルと組めて色々学べたかもしれない。一年目でやらかした自分の欠点を最後まで克服できなかったのが全てだと思う。
ロータスもアクティブサスには手を焼いたが、後のウィリアムズで成功したようにハイドロリンクサスも研究をすすめればスゴいシステムになった気もします。
ティレルって翌シーズン期待すると必ずコケるw91年のホンダ搭載とか・・
中嶋さーん‼︎
93年もヤマハ積んでコケる
右京もティレルよりベネトンに移ってればなあ。
マシンの特性の好みが、シューマッハと同じオーバーステアが好みでしたからね。右京さん自身も「もし移籍していたら、まぐれにも1~2勝してたかも」と、後年言ってましたね。
本当ですよね…。最近になって、つくづく思います…。
94のティレル右京はマジ速かった。雨の中、スリックで追い回すシーンもカッコよかった
ミハエルに怒られたアレですね。契約なんか後でどうにでもなるんだから、どうしてサインしないんだって。
@@quakerstatemotoroils 「ティレルで勝てると思っているのか!」とも言われたそうですよね。
プライベートではサロとは仲良しみたいですけどね。何年か前の話ですがクリスマスシーズンにフィンランドのサロ家へ招待されたみたいですし😅
この年はハイドロリンクだけじゃなくて、エンジンも空力もダメなマシンでした。イギリス以降ハイドリンクを外しても少し上向いただけでたいして変わりがなく、ヤマハの予想ミスによる開発の遅れや、ガスコイン作の023のエアロダイナミクスの失敗・・・この年の失敗が、以降のティレル没落の切っ掛けでしたよね~ハイドロリンク・サスは後年名を変えたメルセデスで、データーが生かされたから良かったのでは?
開幕緒戦バージョン(ブラジルとアルゼンチン)で作るとクソかっこよいですよ、このタミヤプラモデル。
開幕2戦はカラーリングが間に合わなかったんですかね?自分もこのカラーリングの方が好きです
@@こどおじ46歳 「グランプリエクスプレス」によるとプレシーズンに青一色で発表してる段階で、「サンマリノからガラッと変わるかも?」て書いてますね。
そもそも、大活躍みたいな言われ方をされる94年ですら、右京さんやブランデルはマイナートラブルやチームのミスで僅かな入賞以外はリタイアの山だった訳だからね…速いけど、走りきれないレースばかりだった。ティレルのチーム力の低さを窺わせる場面はいくらでもあったのに、スポンサーとの契約とかあったにせよベネトンを蹴ってティレルに残った右京さんの判断は未だに理解出来ない。
実際、ウイリアムズやマクラーレンに対抗できる戦力を持ったベネトンからのオファーを断った片山右京さんに、当時、ベネトンのエースだったミハエル・シューマッハが「ティレルみたいなチームで本当に好成績が残せると思うのか!!???」と右京さんを酷評したそうですからね。(>_
@@MrNori4649 そうなんですよ、ミハエルからすれば「スポンサーだの何だの、そんなのはベネトンに入って稼げばどうとでもなる」って話で、右京さんがミハエルに逆ギレしてまでティレルに残る意味が分からないってのはその通りですよね。でも本人は「ティレルでも勝てる!」って本気で思ってたというね。
ハイドロサスに期待していた。大失敗でここからティレルは殆ど上位に絡めなくなっていったな。
ティレルのマシンがカーナンバー3、4最後のシーズン
何かの番組で出たコメント「ティレル、栄光のカーナンバー3」…カッコいいです。
筋肉がそこまで関わるってほんとデリケートなんだな
古の名門が陥る典型的なシーズンだったかな……。前年良い結果を得ると更なる進化を遂げようと欲張ってしまう……。結果、竜頭蛇尾に終わる……。レギュレーション変更があった中でも前年のアップデートで行けばなぁ……って感じが否めないですね。ティレルは91年も痛い目見てた筈なんですが……。良いシーズンの翌年にエンジンで失敗し更にシャシーで失敗し……。凋落する典型ですよね……。しかも慢性的な資金不足ですし。エフワンがビジネスになり始めでまだ牧歌的な時代に栄華を極めた、かつての名門は参戦するのが精一杯の80年代をやり過ごし90年の声と同時にアンヘラルドウイングを引っ提げて一瞬の名門復活の狼煙を上げ日本人と日本のパワーユニットを獲得しながらも上位安定とならず……。強さを維持するスキルが足りなかった……。スタッフは超一流…けど、何処か急造的な……。そんな雰囲気でしたね。ケンは自チームをファミリーからエキスパートに出来なかったのでしょうね……。タラレバが好きな私としては95年は右京ファーストでイク…となればヤマハから波及してスポンサー取れたのかな……???と考えてしまいますね。しかしながら…イギリス系チームはドライバーに冷たいな…と感じるチームが多い気がしますね。
複数の項目を一気に変えてしまうと前年からの継続性が検証できない。おそらく前年からの継続はノーズ形状だけだったんだろう。
94年の翌シーズンですからね 期待はデカかったんだよな
義理を重視したから、今の右京さんがあるんでしょうが。。ベネトンへの移籍そこらへん図太く行っても良かったと思います。。ただ、シューマッハのセッティングについていけたか?策士ブリアトーレも、結果で無かったら、即ポイの可能性もあったでしょうし。。でも、ベネトンで走る右京さん見たかった。。
ティレル023は、第3戦からのカラーリングがカッコよかったが、走らないマシンだった
手堅くそのままやっとけばな、ハイドロリンクとか😢当時でも、もう中堅チームが独創的アイデアを実現するのは難しくなってたからね。ハーベイ博士らしいっちゃらしいけど。タラレバだけど右京はやっぱり義理と人情じゃなくベネトン行っとけばね、ハーバートがミハエル相手いろんな苦労したけど、JTに政治的動きができてたらさ。ティレルも右京&ベネトンも幸せになれたかも。
右京の活躍が見られんくて残念やな
日本人らしい義理を大事にした選択でしたが、より魅力的な条件を提示されたら長年連れ添っていようが契約が残っていようがお構いなしに乗り換えというF-1界の常識に染まれなかった事が片山氏にとっては致命的でしたね。
弱小チームは失敗作を作ると一撃で窮地に立たされるな
1982のモナコGPファイナルラップで次々とトップがストップし入れ替わり誰がトップゴールするのか?誰がどうして止まったのか詳しく知りたい❗
94年のまま、シンプルな構造で戦えたら右京も・・・
右京もベネトン移籍云々より状況を甘く見てたのでは?前年の攻めの走りにこだわりつつ結果は出せていない、ヤマハとJTのバックがあれば立場も安泰だと勘違い…
ハイノーズとローノーズ結局どっちがよかったのだろう…ハイノーズはたまたまベネトンやウィリアムズのマシンスペックがよかったのを流行のように流行ってしまっただけなのかも。ティレルも96年以降はハイノーズに……。
ハイノーズの元祖とも言えるチームが早々とローノーズに戻っているのが驚きだった。
あの右京がベネトンからオファーですか?そんな情報初めて知りました
シューマッハが右京に対してなぜ契約しなかったんだ!?と言われたとかw
当時のベネトンにいたシューマッハが、右京さんをセカンドドライバーに希望してたらしいですね。二人とも、マシンの好みがオーバーステアでしたから。それに、オファーというかシューマッハの意向を聞き、フラビオ・ブリアトーレが勝手に話を進めていて、右京さんの前に来て契約書を見せて「これにサインをしろ」「そうすれば、来年から俺たちの仲間だ」と、迫ったらしいです。
雑誌GPXの裏話でも「今だから言えるけど実はベネトン、ウィリアムズから話があった」と明かしてた。ただそれ95年オフだから「今は…」と寂しそうだったとのこと。
有名な話だよ
やっぱり2年続けてはヒット作出ないんですよねー
今やメルセデスである
ティレル⇒BAR⇒ホンダ⇒ブラウンGP⇒メルセデスという経緯を辿ってます。
あれは022 だったか?今住む家の関係で95年当時別の区に仮住まい行き着けの模型店まで名鉄に乗り 022タイレルを買いに行ったなあっタミヤのね このマシンを見ると そのことだけを思い出すタイレルはP34で終わった?チームさ 歴史もスチュワート セベールデパイユ くらいで終わっている 出るだけ無駄?な状態すぎたよね
電気系と言い訳ばからの予備予選全戦落ちの人より人間が出来ていた右京さん
右京を外したほうがチームの為になったかも?
ティレルを終わらせたクソ車
片山右京さんがベネトンに移籍していれば、日本人初の表彰台・・いやワールドチャンプになっていたかもしれない。タラレバの話なので今後の日本人ワールドチャンプが、現れる事を期待しています。
右京のデビュー前、既に亜久里が表彰台に登壇しています。(表彰台の真ん中、という意味だと思いますが)
@@湯婆婆パパ その年の鈴鹿ではセナプロの1週目には両者リタイア・・ プロストが乗る642/2だっかな 非常にかっこよく金・土の予選を色々な場所で拝見しました。本選では残念ながらセナ・プロは・・来なかったですよ!!だって自由席の逆バンクで観戦してましから・・涙そこから亜久里選手の表彰台は本当に痺れましたよ。 鈴鹿の観客が一体となって亜久里選手を応援しました。今となってはいい思い出です。
@@ストラトキャスター-j4i 90年の亜久里選手の表彰台を評価しない人がいます。「セナもプロストもいなかったし」という理由で。そして、その人は「2004年のアメリカGPの琢磨選手は本物だ!」と。でもそのレースでもアロンソやモントーヤがいなかったのですが?…と。「◯◯がいなかったから勝てた云々」というのはダメ。リタイアせず走った人が評価されるべき。
速さなんかどうでもい!金持ってくる奴を載せるってこだわりだけは貫いてたチームw
見た目も悪いマシーンでしたね・・・・
片山右京が表彰台に上がった頃のF1は最高に面白かった 今のF1はルールがころころ変わってつまらん
表彰台に上がったことは無いですね
ネタにマジレスありがとう@@雑草魂-i5w
95年、自分は転勤などがありF1をあまり見れなくて結果を見ては片山選手の低迷ぶりを嘆いていましたが、こんな悲惨なことになってたんですね、片山さんは本当に色々とツいてないドライバーでした
開幕前のテストでハイドロサスに(?)を抱いていた右京さんとラミー、サロは好感触のコメントをしてシート獲得に一歩近付いたとか。022にハイドロサスを使った時のテストは悪くないコメントしていた右京さんだけど、担当エンジニアが代わり意思疎通に悪影響があったり、アクセルワークで車の向きを変える位のスタイルでエンジンパワーがあった94年、95年は一転非力な分類になったヤマハエンジン、義理は通用しないF1の世界、モナコでスピンリタイアしたピットでガックリしていたシーンが右京さんの95年を表していたな、モナコの落ち込んでいたシーンを「イメージしてる走りよりもマシンが遅く感じていた」と、プッシュだけしか出来なかった右京さんに対して、初コースだろうとどんだけ車が非力だろうとゴールまで持ち込めるサロの方が一枚も二枚も上手だったのが翌96年チーム体制に影響あったし。
名門ティレルの終わりの始まりが95年シーズンでしたね。
右京さんはスポンサーにも感謝するしチームの悪口もあまり言わない。苦しいシーズンもできる限りの仕事をする。もし他人やスポンサーを踏み台にしたり犠牲にするのもチャンピオンになるためには仕方ないと思える方だったら、ベネトンに移籍してかなりのところまで行ったかと思える。
94年の事故で急遽色々レギュレーションが変えられたこの年は新機構のハイドロリンクサスと空力面の両方を熟成させる必要有ったからトップチームみたくテストをしまくれないティレルのチーム規模だと苦しかったのよ
ヤマハも急遽決まった3リッター化に向けてかなり保守的なエンジンを作って来たからパワー不足を抱えてて早々に翌年投入する新型エンジンの開発に切り替えちゃってたし
空力面もティレル本拠地はイギリスに有るのにフォンドテックの風洞がイタリアにあって当時はデータのやり取りも大変だったしね
マシンデザインとカラーリングの美しさは022を凌ぐ秀逸さ、ティレルの歴代マシンの中で一番好きです。
ドイツGPがシーズン唯一の入賞チャンスだったが鈴木亜久里のリジェ無限に競り負け7位だった(当時のポイント獲得は6位まで)。
ロータスがアクティブサスで躓いて低迷していったようにティレルはハイドロリングサスで躓いて低迷し98年のチーム消滅へとつながってしまった。好きなチームだけに残念でした。ただティレルというチームは夢だけは見せてくれました。
ティレル023の発表当時は「ハイドロリンクサスペンション?よくわかんないけどなんか凄そう!」って思い、マシンの見た目も022と比べてよりシャープになってめちゃめちゃ期待してました。が、蓋を開けたらこの結果。
筋肉つけすぎて酸欠とかトレーニングは難しいな
94年以降毎年レギュレーションが激変し、前年の改良版では翌年は通用しない時代が来たがソコをティレルは見誤ったのが不振に終わった最大の原因。
確か、開幕戦は「今年注目のドライバー」みたいな形で、ちょこちょこ国際映像で右京が映った覚えが… 途中からは、明らかにサロ主導でしたね。期待が大きかった分、残念でした。カラーリング的には当初の濃いブルー基調のマシンが好きでした。アッ、メタル製ミニカー持ってます(笑)
サロ選手スゴイなぁ、F1最後のシーズンはトヨタで過ごしましたし、日本と縁が深いドライバーですよね
確か日本人女性と結婚されたんですよね?
フェラーリの誰かさんの真似したわけでは
ないだろうけどw
@@かきあげ-x8b 全日本F-3000時代のレースクイーンの嫁さんでしたねー
この時代はネットも無く、無名の選手はF1ドライバーと言っても顔も知られて無かったのですよね。右京はヨーロッパのカートコースで遊んでいたら、コースレコードを出してカートチームに誘われたり、サロは上級者用のカートに乗ろうとしたら『素人がいきなり乗ったら危ない』と、止められたりしたエピソードを雑誌で読んだ事があります(笑)二人共ティレルのドライバーなのに…。
右京さんにとっての一番のマイナスはサロがチームメイトになったことだと思う。遅いマシンでもチームメイトに安定して勝てば評価は上がるけど、逆はひたすらキツくなる(今年のデフリーズがいい例)。フェラーリでの走りを見る限りサロはブランデルと比べても物凄く速いドライバーだし、しかもノキアまでついちゃあ、もう詰みだよね。
ティレル側の計算ミス?でコクピットが右京さんのサイズに合っていなかったようですね、解説にもありましたがトレーニングの強化が災いして余分な筋肉をつけすぎたことでよりサイズが厳しい状況になってしまったようです、右京さんのドライビングに悪影響があったことも低迷の一つだったんでしょう。
ティレルはメインスポンサーが付くとコケるんで、開幕前から嫌な予感はしてた😅
燃料と潤滑油を前年のBPからAgipに変更したが、事前にヤマハに対し一言も無かったので怒ってたらしい😮
ちなみに翌年はelfになるという…
(これはヤマハの意見を取り入れて決めたらしい)
結局NOKIAが消え、また真っ白のマシンに戻りましたとさ
中嶋アレジのコンビだった1990年はロスマンズがメインスポンサーにつく予定だったけど…大コケしたとは思えないな。
@@willywonka6468 さま
なるほど青白カラーは名残かもしれません…
@@h.kasagon2737
ロスマンズブルーはエプソンブルーという事になったのですね💦。
023は前年の進化型で素体は良かったんだろうけどね…リソースを使い物にならないハイドロサスに集中させずエアロダイナミクスに割いてれば戦えるマシンになった可能性はあったかも
パッシブサスに戻した後もハイドロサスを諦めきれず研究はしてたんだろうなぁ
個人的にはタルキーニ最後のF1マシンとしての印象が強い
完走果たしましたけどね。5周遅れ。テストドライバーでしたが、ほとんど乗っていません。
エストリルの事故は当時中継見ていて本当にヒヤッとした記憶があります。
ハーベイさんデザインのクルマは美しかったですね。
右京選手にとってはまさに天中殺に襲われたような悪夢のシーズンでしたね😢
2005年の佐藤琢磨選手も似たようなシーズンでした😅
前年活躍したことで更なる高みを目指した結果が裏目に出たようなものでしょうか。
ティレル残留の右京さんとベネトンに座ったハーバートで明暗が分かれた。もし右京さんがベネトンに移籍できたらと思うと悲しい…
フラビオに飼い殺しにされたかも
しれないけどね…
Benetonに移っていたとしても、ハーバートさんと同等以上の成績を残せたのかについては「?」と感じていました。やっぱり「もってない」という印象。
でも、お互いマシンの好みがオーバーステア傾向の特性を好んでたので、意外とマッチしたかもしれません。
噂だと、セカンドドライバーに右京さんを希望してたのは、シューマッハ自身だったといわれています。
あと、フラビオ・ブリアトーレが右京さんの前に来て、契約書を見せて
「これにサインをしろ」
「そうすれば、来年から俺たちの仲間だ」
と、迫ったらしいです。
たぶんハーバートが乗るB195より、右京が乗るB195の方が運転がしやすかったでしょうね。
「暴れん坊」B195と格闘しながら優勝2回のハーバートは凄いですよ。
@@user_eksz
ちょっと意味は違うかも知れませんが……中嶋悟さんが当時「セナと同じマクラーレンに乗せてもらえば、僕だって表彰台に何度か上れただろう。でもセナとの差は今よりも大きくなっただろう」と。なんか難しい理屈ですが、中嶋さんは、自身が運転しやすいマシンかどうかを考えていたようです。ただ、右京さんはベネトン に乗ればいい成績を残せた…と私は信じます。
ティレルは日本に馴染み深いのでネタ豊富だよね
Tyrrell(ティレル)をタイレルって訳しちゃってましたからね。
見た目は、右京号で1番好きなんよなぁ😙
カーナンバーの部分のデザインが国旗のカラーになってるのは、日の丸だからカッコよくなるデザイン。悪いけどフィンランド国旗のデザインをカーナンバー部分にあしらってもなんかへん。つまり「カーナンバー部分を国旗をあしらったデザインにしよう」という発想ではなく「日本国旗を描いたらカッコいいんじゃない?」という発想があって「じゃ相棒も国旗を描こうか」となった…と思ってます、私は。
正直ダメマシンでしたねこれは…。10:15これは全然知りませんでした(笑)
ハイドロリンクサスは87年ロータス・ホンダのアクティブみたいな失敗作で、マシンは93年の021並みの仕上がりでした。
片山は事実上この年でキャリアを終わらせてしまいました…。
02年のNHKの「スタジオパークからこんにちは」で、ベネトンに移籍しなかったことを後悔していると話していましたね。「道具がよくなくたって、やっていけるんだ…という根拠のない自信というかプライドのようなものがあって…」と言っていました。
ベネトンのナンバー2よりもティレルのナンバー1で、ことわざの「鶏口となるも牛後となることなかれ」という気持ちだったということでしょう。しかし、全ては裏目に出て、速さでも持ち込みスポンサーでもサロに全てお株を奪われてしまいました…。
シューマッハにロイター板にされたジョーダン、ミカ・サロに踏み台にされたロータス(笑)
2人とも共に最終的に行き着いた先はフェラーリ(笑)
片山も、91年にスポンサーの意向でベネトンに行かなかった鈴木亜久里と同じで、ロータスから強引にマクラーレンに移った時のセナのように「エゴむき出し」でベネトンに行かず、違約金とかスポンサーの考えなんかを考えて、義理立てしたのが日本人の悪い所丸出しで、間違いの元でしたね。
外国人なら100%ベネトン行くでしょ❗
ティレルのみならずタミヤも誤算だったことは想像に難くないです。
買ったけど結局作らなかったなぁー
中古屋に売っちゃった🥺
なぜタミヤも94年の022は出さず、023を出したのか??
あのキットは私は当時、買う気すら起きませんでしたね…。
@@h.kasagon2737 94年はRCこそありますが、プラモは1台もありませんでした。「出す気になれなかった」というのがあるかもしれません。
やっぱティレルは青が似合うね
正直右京がダメだった理由。
一年目のカナダで入賞まであと一歩というところでシフトミスでエンジン壊してリタイアしてしまった。
この集中力が持続できないところがずっと後々まで響いたと思う。
この年もなんだかんだで開幕戦とモナコで入賞のチャンスはあったのに途中でスピン。
ここできちんとポイントを取っておけばサロ寄りの体制になることも防げて翌年もベネトン入りの可能性はあったしもしかしたら97年にアロウズでヒルと組めて色々学べたかもしれない。
一年目でやらかした自分の欠点を最後まで克服できなかったのが全てだと思う。
ロータスもアクティブサスには手を焼いたが、後のウィリアムズで成功したようにハイドロリンクサスも研究をすすめればスゴいシステムになった気もします。
ティレルって翌シーズン期待すると必ずコケるw91年のホンダ搭載とか・・
中嶋さーん‼︎
93年もヤマハ積んでコケる
右京もティレルよりベネトンに移ってればなあ。
マシンの特性の好みが、シューマッハと同じオーバーステアが好みでしたからね。
右京さん自身も「もし移籍していたら、まぐれにも1~2勝してたかも」と、後年言ってましたね。
本当ですよね…。
最近になって、つくづく思います…。
94のティレル右京はマジ速かった。雨の中、スリックで追い回すシーンもカッコよかった
ミハエルに怒られたアレですね。
契約なんか後でどうにでもなるんだから、どうしてサインしないんだって。
@@quakerstatemotoroils
「ティレルで勝てると思っているのか!」とも言われたそうですよね。
プライベートではサロとは仲良しみたいですけどね。
何年か前の話ですがクリスマスシーズンにフィンランドのサロ家へ招待されたみたいですし😅
この年はハイドロリンクだけじゃなくて、エンジンも空力もダメなマシンでした。
イギリス以降ハイドリンクを外しても少し上向いただけでたいして変わりがなく、ヤマハの予想ミスによる開発の遅れや、ガスコイン作の023のエアロダイナミクスの失敗・・・
この年の失敗が、以降のティレル没落の切っ掛けでしたよね~
ハイドロリンク・サスは後年名を変えたメルセデスで、データーが生かされたから良かったのでは?
開幕緒戦バージョン(ブラジルとアルゼンチン)で作るとクソかっこよいですよ、このタミヤプラモデル。
開幕2戦はカラーリングが間に合わなかったんですかね?
自分もこのカラーリングの方が好きです
@@こどおじ46歳 「グランプリエクスプレス」によるとプレシーズンに青一色で発表してる段階で、「サンマリノからガラッと変わるかも?」て書いてますね。
そもそも、大活躍みたいな言われ方をされる94年ですら、右京さんやブランデルはマイナートラブルやチームのミスで僅かな入賞以外はリタイアの山だった訳だからね…速いけど、走りきれないレースばかりだった。
ティレルのチーム力の低さを窺わせる場面はいくらでもあったのに、スポンサーとの契約とかあったにせよベネトンを蹴ってティレルに残った右京さんの判断は未だに理解出来ない。
実際、ウイリアムズやマクラーレンに対抗できる戦力を持ったベネトンからのオファーを
断った片山右京さんに、当時、ベネトンのエースだったミハエル・シューマッハが
「ティレルみたいなチームで本当に好成績が残せると思うのか!!???」と右京さんを
酷評したそうですからね。(>_
@@MrNori4649
そうなんですよ、ミハエルからすれば「スポンサーだの何だの、そんなのはベネトンに入って稼げばどうとでもなる」って話で、右京さんがミハエルに逆ギレしてまでティレルに残る意味が分からないってのはその通りですよね。
でも本人は「ティレルでも勝てる!」って本気で思ってたというね。
ハイドロサスに期待していた。
大失敗でここからティレルは殆ど上位に絡めなくなっていったな。
ティレルのマシンがカーナンバー3、4最後のシーズン
何かの番組で出たコメント「ティレル、栄光のカーナンバー3」…カッコいいです。
筋肉がそこまで関わるって
ほんとデリケートなんだな
古の名門が陥る典型的なシーズンだったかな……。前年良い結果を得ると更なる進化を遂げようと欲張ってしまう……。結果、竜頭蛇尾に終わる……。レギュレーション変更があった中でも前年のアップデートで行けばなぁ……って感じが否めないですね。ティレルは91年も痛い目見てた筈なんですが……。良いシーズンの翌年にエンジンで失敗し更にシャシーで失敗し……。凋落する典型ですよね……。しかも慢性的な資金不足ですし。エフワンがビジネスになり始めでまだ牧歌的な時代に栄華を極めた、かつての名門は参戦するのが精一杯の80年代をやり過ごし90年の声と同時にアンヘラルドウイングを引っ提げて一瞬の名門復活の狼煙を上げ日本人と日本のパワーユニットを獲得しながらも上位安定とならず……。強さを維持するスキルが足りなかった……。スタッフは超一流…けど、何処か急造的な……。そんな雰囲気でしたね。ケンは自チームをファミリーからエキスパートに出来なかったのでしょうね……。タラレバが好きな私としては95年は右京ファーストでイク…となればヤマハから波及してスポンサー取れたのかな……???と考えてしまいますね。しかしながら…イギリス系チームはドライバーに冷たいな…と感じるチームが多い気がしますね。
複数の項目を一気に変えてしまうと前年からの継続性が検証できない。おそらく前年からの継続はノーズ形状だけだったんだろう。
94年の翌シーズンですからね 期待はデカかったんだよな
義理を重視したから、今の右京さんがあるんでしょうが。。ベネトンへの移籍そこらへん図太く行っても良かったと思います。。ただ、シューマッハのセッティングについていけたか?策士ブリアトーレも、結果で無かったら、即ポイの可能性もあったでしょうし。。でも、ベネトンで走る右京さん見たかった。。
ティレル023は、第3戦からのカラーリングが
カッコよかったが、走らないマシンだった
手堅くそのままやっとけばな、ハイドロリンクとか😢
当時でも、もう中堅チームが独創的アイデアを実現するのは難しくなってたからね。
ハーベイ博士らしいっちゃらしいけど。
タラレバだけど右京はやっぱり義理と人情じゃなくベネトン行っとけばね、ハーバートがミハエル相手いろんな苦労したけど、JTに政治的動きができてたらさ。
ティレルも右京&ベネトンも幸せになれたかも。
右京の活躍が見られんくて残念やな
日本人らしい義理を大事にした選択でしたが、より魅力的な条件を提示されたら長年連れ添っていようが契約が残っていようがお構いなしに乗り換えというF-1界の常識に染まれなかった事が片山氏にとっては致命的でしたね。
弱小チームは失敗作を作ると一撃で窮地に立たされるな
1982のモナコGP
ファイナルラップで
次々とトップがストップし入れ替わり誰がトップゴールするのか?
誰がどうして止まったのか詳しく知りたい❗
94年のまま、シンプルな構造で戦えたら右京も・・・
右京もベネトン移籍云々より状況を甘く見てたのでは?
前年の攻めの走りにこだわりつつ結果は出せていない、ヤマハとJTのバックがあれば立場も安泰だと勘違い…
ハイノーズとローノーズ結局どっちがよかったのだろう…ハイノーズはたまたまベネトンや
ウィリアムズのマシンスペックがよかったのを流行のように流行ってしまっただけなのかも。
ティレルも96年以降は
ハイノーズに……。
ハイノーズの元祖とも言えるチームが早々とローノーズに戻っているのが驚きだった。
あの右京がベネトンからオファーですか?
そんな情報初めて知りました
シューマッハが右京に対してなぜ契約しなかったんだ!?と言われたとかw
当時のベネトンにいたシューマッハが、右京さんをセカンドドライバーに希望してたらしいですね。
二人とも、マシンの好みがオーバーステアでしたから。
それに、オファーというかシューマッハの意向を聞き、
フラビオ・ブリアトーレが勝手に話を進めていて、右京さんの前に来て契約書を見せて
「これにサインをしろ」
「そうすれば、来年から俺たちの仲間だ」
と、迫ったらしいです。
雑誌GPXの裏話でも「今だから言えるけど実はベネトン、ウィリアムズから話があった」と明かしてた。
ただそれ95年オフだから「今は…」と寂しそうだったとのこと。
有名な話だよ
やっぱり2年続けてはヒット作出ないんですよねー
今やメルセデスである
ティレル⇒BAR⇒ホンダ⇒ブラウンGP⇒メルセデス
という経緯を辿ってます。
あれは022 だったか?今住む家の関係で95年当時別の区に仮住まい
行き着けの模型店まで名鉄に乗り 022タイレルを買いに行ったなあっ
タミヤのね このマシンを見ると そのことだけを思い出す
タイレルはP34で終わった?チームさ 歴史もスチュワート セベール
デパイユ くらいで終わっている 出るだけ無駄?な状態すぎたよね
電気系と言い訳ばからの予備予選全戦落ちの人より人間が出来ていた右京さん
右京を外したほうがチームの為になったかも?
ティレルを終わらせたクソ車
片山右京さんがベネトンに移籍していれば、日本人初の表彰台・・いやワールドチャンプになっていたかもしれない。
タラレバの話なので今後の日本人ワールドチャンプが、現れる事を期待しています。
右京のデビュー前、既に亜久里が表彰台に登壇しています。
(表彰台の真ん中、という意味だと思いますが)
@@湯婆婆パパ その年の鈴鹿ではセナプロの1週目には両者リタイア・・ プロストが乗る642/2だっかな 非常にかっこよく金・土の予選を
色々な場所で拝見しました。
本選では残念ながらセナ・プロは・・来なかったですよ!!だって自由席の逆バンクで観戦してましから・・涙
そこから亜久里選手の表彰台は本当に痺れましたよ。
鈴鹿の観客が一体となって亜久里選手を応援しました。
今となってはいい思い出です。
@@ストラトキャスター-j4i
90年の亜久里選手の表彰台を評価しない人がいます。「セナもプロストもいなかったし」という理由で。
そして、その人は「2004年のアメリカGPの琢磨選手は本物だ!」と。でもそのレースでもアロンソやモントーヤがいなかったのですが?…と。「◯◯がいなかったから勝てた云々」というのはダメ。リタイアせず走った人が評価されるべき。
速さなんかどうでもい!金持ってくる奴を載せるってこだわりだけは貫いてたチームw
見た目も悪いマシーンでしたね・・・・
片山右京が表彰台に上がった頃のF1は最高に面白かった 今のF1はルールがころころ変わってつまらん
表彰台に上がったことは無いですね
ネタにマジレスありがとう@@雑草魂-i5w