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江戸の町は下水道も整備されていてとても清潔だっただけでなく、壊れた食器を修繕して使うなど、物を大切にし、とてもエコだったようです。SDGsが叫ばれる昨今ですが、時代を先取りしたこの江戸の生活を見直してみると、思わぬヒントがあるかもしれませんね。
宮部みゆきの時代小説なんか読むと世話役さんがしっかりしてて、住人も助け合って暮らしてる心温まる描写が多いんだけど
あれは創作ですし
考えてみれば250年江戸時代のような平和な時代が続いてるってすごいですよね現代でさえ戦後まだ70年程度ですし…鎖国もしてたわけだから独特な文化も生まれ放題ですよね
明治維新の戦いに始まってその後も西南の役、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦と戦争だらけ。平和な江戸時代に比べこのギャップは何なんだろう。最後の戦で完敗したおかげと言うのも変だがようやく80年続く平和な時代が訪れた。
わが先祖が持っていた裏長屋は通路に面して四畳半と六畳の部屋が並び、四畳半の通路側が1畳半の土間でした。四畳半の畳の上に三畳の屋根裏があり、六畳の上に四畳半の屋根裏があり、物置や寝間として使っていました。つまり、例示された裏長屋の三倍以上の床面積がありました。例示された裏長屋は単身者用の長屋で、小生の先祖が持っていた長屋は本当に四~五人向け家族向けの長屋だったのだと思います。
わあ!すごい!屋根裏があったんですね!
ロフト付きって感じでしょうか?
長屋は庶民の集まりで仲良しで助け合っていたのだろうね。怪我や病気した場合保険がないので食べ物もあげたのかな。部屋は6畳程度で一間では大変だね。トイレは外で共同である。今の家賃で8から1万円程度ではいいね。この時の長屋の人達の稼ぎはどの位かな。それも知りたかった。この時代に行って見たいね、話しもしたい。話題は何かな。
多くの不自由はあれど日々を生き生きと生きた江戸時代の庶民の暮らしが鮮明に瞼に浮かぶようでした😊とても興味深く拝聴させて頂きました😊🙏
令和の現代の夏はめちゃくちゃ暑いです。江戸時代にこの暑さだったらあの狭い風も抜けない長屋ではとても寝られたものじゃないと思いました。でも当時は小氷河期で気温は今より低かったとのことですから案外夏場も普通に過ごせたのでしょう。ただそのかわり冬の寒さは現代以上でしょうから、暖房が大変だったでしょうね。ひたすら我慢と言っても限度がありますし、火鉢の炭火程度では厳しかっただろうと思います。
昭和の時代も暖房は火鉢だけでしたそれでもなんとなく暮らせたのですが今は夏はクーラーなしでは暮らせないし冬はファンヒーターなしの生活は考えられませんね
四畳半に五人もいれば暖かいですよ辛いのはエピデミックでしょうねインフルエンザなんかすぐに蔓延してしまいます
産まれてからずっと薄着なら慣れてしまうとお婆ちゃん言ってた事思い出してしまった。
@@サニーちゃん-x7l そういえば風邪で大勢が亡くなったようですな。流行り病とか何とかは大体ただの風邪で、それでも死んでしまう人が多かったと聞きます。栄養が偏っていたこと、寒い気温と薄い防寒具なども原因でしょう。
@@サニーちゃん-x7l 天然痘が多数の幼い命を奪い江戸時代の平均寿命を引き下げていた事実はよく知られていますが、インフルエンザも、劣らず猛威を振るっています。享保元年(1716)、江戸の町で流行した風邪はインフルエンザと推定され、ひと月で8万人以上を死亡させたと記録されています。江戸末期にはコレラという新種も加わります。コレラは安政5年(1858)に大流行し、各地でパニックを引き起こしました。
現代でも、レオパレスというアパートは隣の声が筒抜けです。
安いのはそれなりに訳があるんですね。同じように宿泊料金の安いビジネスホテルも隣のくしゃみや咳払いもすぐそこに人がいるくらい聞こえます。最近建てられたホテルはわかりませんが。
絶対に住みたくない
最低だね。
携帯はマナーモードで。でもバイブの振動すらも聞こえるからマナーモードの意味がないw
家賃が8000〜10000と長屋並みならまぁ許せるんですけどね
初コメです私は大の時代劇ファンです。時には江戸時代にタイムスリップしたいと思うほど・・今回は長屋のスタイルや食事が2回だったこと,江戸の時間の説明,ゾクゾクするお話が聞けてよかったです。狭い作りの家でも必死に生きていたんですね。ある意味我慢強いと思いました
この頃の暮らしや仕組みを知ると、武士、商人、農民の区分や生活エリアに分かれてはいますが、割りと調和の取れた皆で助け合うやんわりした社会主義的な側面が見られるのが江戸時代ですね。
昭和49年(1974年)、大学生になって上京した当時、川崎の武蔵小杉で、駅から5分も歩いた所のアパートに一人暮らしをしましたが、共同玄関、共同トイレで、廊下などの共用部分も含め、掃除当番の札が回ってきました。部屋は四畳半で、押し入れが半畳分、小さな流しとガスコンロもありました。川っ辺りに面した窓は、少し出窓ふうになっていて、長椅子のように腰掛けられたし、本棚にもなったし、やがて粗大ゴミから拾ってきた14インチの白黒テレビを置いたりもしました。その下は収納!天井にある天袋ではなく、なんというのかわかりませんが…。もちろん木造建築の二階建て、一階二階に5、6部屋ぐらいづつあったでしょうか?…私の部屋は二階でしたが、左右にお隣がある真ん中でした。家賃(部屋代)は、月9千円でした。直接大家さん宅まで、家賃帳みたいな物を持って払いに行きました。貨幣価値が変わってきたといえ、四畳半の家賃が、江戸時代の相場と変わってなくないですか?…200年以上相場変わってないの??…って、少しびっくりしました。(長々とアパートの説明をしてしまいましたが、コレを言いたかったんです。)もちろん、今は、木造二階建てのアパートがあること自体、どこの街でも、珍しいでしょうが…。
かぐや姫の「神田川」の世界ですね
木賃住宅って死語になりましたね。木賃住宅街は、消防車が入れず再開発対象となりましたし。
時代劇で取り扱われるものは、華やかな武士の生活が多く、一般庶民の生活がどのようなものであったのかは、なかなか知ることができないです。今日の話は、とても参考になりました。ありがとうございます。
時代劇でも加藤剛の『大岡越前』は逆に江戸庶民の生活がよく出てくるので、当時の長屋事情が知りたければ大岡越前を見るといい。
😊😊
@@feAt.tAkuyA大岡忠相の人情話は殆ど創作だしドラマに歴史考証なんてありませんけどね
I want to see more drama focus on the life of the regular people.
私は子供の頃、大阪の長屋という建物に住んでいました。長屋と聞けば懐かしさを感じます、一軒家で二階建て、庭もありましたよ。家賃も安くて住みよかった、あんないい賃貸物件はもうないのでしょうね。残してあったら、年収400万以下の人も住めたのに。3万以内だったと思う。
今の東京にも長屋ありますー!
偶然目に止まったので視聴しました。とても面白かったです。
高橋英樹の桃太郎侍によく長屋がで出ましたね。楽しみに見ていた父親がなくなって、25年過ぎてしまいましたが、一緒にみてました。
戦争の無かった江戸時代は大好きです、
表長屋は、今でいうデュプレックスだったと知りました。内容とともに、語りの日本語の美しさに聞き惚れる動画です。
私は現代に生きる江戸の民であることを、この動画を見て確信しましたぜんぜん違和感ないですタイムスリップしても困らないと思います
なかなか勉強になりました。いつの世もいろんな商売上手なのかやり手な人もいたんですネ!庶民の暮らしは良くわかりました。
昭和50年代まで、風呂無し共同トイレの四畳半のアパートはあった。今でも下町や川越の元町とかは長屋はあるよ。
愛知県瀬戸市には戦後も長屋が多く存在した。瀬戸の長屋は一棟四軒が多かった。小学5年から中学3年までその長屋で行われる陶磁器人形の絵付けをアルバイトとして通った。朝6時から7時半までと下校してから2時間ほど働いた。勉強?そんなものしたことがなかった。カバンには教科書と白紙のノート一冊。でも学校へ行くことは嫌ではなかった。
興味深い内容でした。動画作成ありがとうございます。江戸時代,戦国時代,それより以前の生活インフラの仕組みが知りたいです。(例)竹田城のような山城や城下町のような人口密集地帯での飲料水の確保方法や糞尿処理の方法など今後ともこのチャネル楽しみにしています。
糞尿は基本的に貯蔵して寄生虫卵を殺して、肥料です。貯蔵するところを、肥溜め、といいます。
や
だから朝ドラのらんまんの万太郎が借りてる長屋の2部屋の壁をぶち破って一つにしたのが、前後つながってる部屋だったんだー!
少しは下水道については知ってはいたが😊200年も前に江戸の下水は完璧だったとはビックリ!素晴らしい👍
完ぺきと言うなら多少は浄化が必要。だけどゴミとっただけでしょ。まあ当時は家庭で天ぷらなど油を使った料理は殆ど無かったと思うからそこそこ綺麗だとは思うけど。
子供の頃だいぶ昔かな、近所で長屋と言う所ありました。今はどうなっているのか分かりません、戦後昭和生まれです。
3:02【二間】ー✕「ふたま」 ◯「にけん」一間は182cmくらいですかね
とても興味深く、面白い映像と聴きやすい講釈、良かったです。へぇ~そうなんだ、と、とても面白かったです🎉
とても 聞きやすい声そしてトーンですね😊
江戸は火事が多くそのせいで持ち家を持たなかったのと、家財道具も今でいうレンタルが多かったようですよ。また、江戸時代こそエコの最先端。行燈の油は「魚油」で、燃えると匂ったのと、あと怪談で=^_^=にゃんこが油なめてる話が出てきますが、イイ感じに温まった油は美味しかったかもねw長屋でのトイレの下肥は大家さんの収入源の一つ。商人や武家など良いものを食べてる下肥は高く売れたそうです。家から出るゴミもリサイクル。「くず屋~、おはらい~」って(どんだけ古いんだアタシw)感じで廻っいて、今でいうリサイクルショップの人が請け負いに歩き回っていました。昔は行商スタイルが多かった。(私の子供時代もまだあった!フフフ)お豆腐屋さん、冷や水、金魚などなど。お風呂も混浴だけど、日本人は節操があったんでしょうね。「三助さん(男)」に背中流してもたっり、女湯に出入りしていたわ(子供の頃w)みんなが裕福では無かったけど、助け合って大らかに上手く暮らしていたんじゃないかな?昔から勤勉に暮らしていた日本人に感謝です(^^♪
一般庶民が持ち家持てる時代ではない
今の若い人達には考えられない生活ですね。お隣さんも家族って感じになってしまいますね。面白かったですありがとうございました。
今より外の茂みや森の中で致すのが一般的だったのも頷ける。
ありがとうございました。動画とお話が頭の思考力を鍛えて繰れています。月日の流れと、世界の月日は、どう変わって行ったのか、日本では個人の思考力、意志よりも集団の心理が、自然に囲まれた島国にあったのではないか、(技術革新は生まれない)世界では、戦争に勝つか、負けると生活のリズムがが変わり、支配から、克服するために、どうすればいいのか、戦いで勝つ為に個人の思考力、意志、アイデアを、取り入れ。技術の進歩に思いを馳、国は個人からアイデアを、戦いは集団で、戦いで勝つ習慣が出来上がた。米国の良いところは、個人のアイデアが、世界を進歩させると、心から、芯から、(ピストル保持)猿真似と罰則強化で、実戦しているところです。日本は、米国とは逆で、集団が管理、集団行動が、島国では、個人の意志は必要ない。個人の意志は邪魔者扱い、教育は教えるだけで、指示待ち学生、企業集団の意思は成り行き任せ、の習慣が出来上がった。、、原爆誕生でも変わらない。猿真似と骨無し管理規則が現状。じゃまものは宝だ、宝だ、宝だ、個人の意志が行動が、アイデア、が人々を幸せにする原点と、
分かりやすく纏められて大変見やすく、面白かったです(^^)
江戸時代の庶民の暮らしが好きなら藤沢周平さんの市井物小説がオススメです
建具(引き戸、障子、襖など)や畳や家具(箪笥など)は統一された規格サイズだったので取り換えや流用することもメンテナンスも簡単に出来、必要最低限の資材で作り直すことも出来ました。寝具や衣類、紙なども何度もリフォームして使い続け、生活用品だけではなく排泄物までも加工して畑の肥料として使用する。ほとんどゴミの出ない究極のエコ社会ですね。
高校の英語の教科書で江戸時代のリサイクルは完璧という単元があったのを思い出しました。
w
江戸時代も初期の頃は完璧どころか行き倒れの浮浪者のしたいなんか川に放り込んでいたとか。大川は不潔だったんだろうな。
60年前の漁村も朝、1日分の飯を炊いてお櫃に入れていたのですが夏場など夜になると少し臭っておりました😢
そうだったね。子供の頃一晩越したお櫃の残りご飯は臭っていました。それでもよほどベチャベチャでも無い限り食べてましたよ。
某城下町で育ちましたが、現在では整備され観光地となっている旧藩時代の足軽長屋に、昭和40年代までは人が住んでいました(小学校の同級生)。今あらためて考えれば、300年も前の建物に住んでるなんてヨーロッパでは普通のようですが、日本ではちょっと珍しい事例だったように思います。家賃はいくらぐらいだったのかな?
うちの街は昭和30年代までは混浴の共同浴場がありました。 今は、山中の露天風呂が混浴として残っているだけですね。 江戸時代は東京都より新潟県のほうが人口が多かったのですよ。
やはり、戦前の日本(江戸時代含む) というのは、階級社会で、ゴージャスな生活をできるのは、ほんの一部、ほとんどが、まずしい暮らしをしていたのでしょうね。
とても興味深い内容でした💓江戸時代の庶民の様子は、TVの時代劇で何とはなしに見て抱いていたイメージと大差はないのかな、と思いますが、具体的な事柄は聞いていて楽しかったり感心したり…しかし時代劇の番組がNHKの大河くらいしかなく、若い人程TVは見なくなっている現在、長屋暮らしの庶民の日常のイメージが湧かない世代が増えているのかな。ちょっと残念😔
江戸の裏長屋の家賃が安いのは富裕層による社会奉仕活動だからその日暮らしの長屋の人の家賃から儲けをとるのは気風が良いとは見なされないってのと打ち壊しや暴動が起きた時に備えての人気取りにちょっと媚びた価格設定になってるのであって材料費や管理費からみたらホントはもうちょいお高めが正規価格帯だったらしい
言われると、なるほどと思える。引用するためには何かしら書物など根拠となるものを探したい
でも季節ごとの祝い事。正月の餅や酒、様々な振舞いを大家が店子にしたと聞く😮それが出来ないのは恥知らずと言う気風
今日だったら雛祭りの振舞いかな😮
江戸時代を知るには落語でしょう。面白い話がたくさんあります
本当ですね。上方落語ファンですが裏長屋はよく出てきます。
昔の暮らしを知れてすごいなと思いました
もう時代劇を見ないから具体的に分からない人が増えた
驚き桃の木、江戸時代の生活も気になる暮らしてみたい
長屋暮らしより、農民の広い家のほうが良いね・・・
六畳一間に5人家族が生活するのですから、極寒の冬もなんとか寒くなさそう😅
六畳といっても内1.5畳は土間と台所だから寝る場所は四畳半しかない。まあ子供の小さいうちは何とか寝られたんだろうけど大きくなったら狭苦しいだろうね。だから10歳を過ぎたら積極的に大店に住み込みで丁稚奉公や女中奉公に出たんだろうね。
商家のかけ売りではどのように売掛金の管理と集金(盆、暮れ?)をやっていたのですか?現在のように複式簿記などなかった時代の債権管理に興味があります。
農村の生活の説明に不正確な部分があります。農村の小作人は長屋に暮らしていません。大抵の場合、家屋の敷地だけは自分の所有になっています。地主も田圃を大名から借り受けてはいません。地主は、大名に借地料を払っているのではありません。大名が租税徴収権も持っているのです。固定資産税が借地料ではなく、市町村の租税徴収権に基づき納めるのと同じです。
聞いた話によると、主婦が買い物する時間が関東は夕方、関西は午前中が多いと聞きますが、動画内で飯炊き時間は関東は朝、関西は夜と云うのが関係するのですかね?
勉強になりました
タイムマシーンがあれば行ってみたいなぁ😊
同感です。😊暫く滞在してみたいですねぇ〜、この時代の人と友達になってみたいですねぇ〜海外旅行よりも、古い日本に旅行に行きたいです。😊
落語でも面白い長屋の話はたくさんあるよね😂
NHK朝ドラ「らんまん」の主人公は長屋で子沢山でしたね(^^;
江戸時代は現代より不便で貧しかったけど当時の生活を世界で相対的に考えると相当独自の発展はしてたよね。隅田川が凍った頃、ウン〇を窓から投げ捨てていたフランスでは革命が起き、アメリカは建国したばかりで奴隷制度の全盛期。黒船も戦争も日本を変えたけど、失礼な表現だが野蛮人だからこそ成せる力技でもあったのよ。明治時代に日本は西洋から本格的に文明を学んだ、西洋の人達もそんな日本から文化を学ぶ時代が来るだろうよ
部分的には同意しかし、西洋の仕組みを基盤なく取り入れた弊害もある
欧米が誤って移民を増やしすぎて難儀してるというのに、日本は「多文化共生」の号令で同じ轍を踏もうとしてますもんね。
裏長屋住人は農村の余剰人口(子たくさん)で農繁期は実家へ帰って手伝い。
『団地妻シリーズ』ピンク映画ですが長屋暮らしの系譜を昭和に受け継いだ名作です。
ありがとう!
夜になると木戸を閉じると言うのが城塞都市だなぁと思う😮
長屋は、留守にする時は隣の人に声かけて出かけるとか、独り身やシンママをみんなで気づかっておせっかいしてみんなで世話焼いてたとかいいなーって思います。どうせ火事が起きるからっていう感覚もミニマリスト!
面白かった!
深川江戸資料館ですね!大好きです。
無駄がなくて環境にも良くて規則正しい生活ができて素晴らしいです。むだに肥満体になることもなかったのでは??だけど、近所の人にプライベートが筒抜けなのは無理です。その点は今の方がいいなぁ。
奥行きは二間 「おくゆきはふたま」ではなく、長さなんだから「にけん」と読んでほしい。 「上方」も「かみがた」だ。
江戸の町は恐ろしい。農村から逃げて来た浮浪者を見つけると皆で捕まえて仕事押し付けて長屋に叩き込んでしまう😅超お節介世界!❤
懐かしいです
当時の暮らしぶりを見ると 現代人は先人の苦労。努力が伺い知れますね助け合いの精神はこの頃からなのでしょうか?いつの時代もポジティブに生きた人が勝ち組なんでしょうね(^▽^)/
冒頭の「九尺二間」の「ニ間」は、「ふたま」ではなく「にけん」と読むべきでしょう。
そですね。最近はAI音声が多いので、こういうことが多くあります。
まぁ所詮はAIに感心して[大変参考に]書かずもがな💦なレベルの人達向けらしい、ということで😰😥
上方で飯を炊くのは昼で、朝は粥、茶粥で食べてたはずだけど・・・・・・・
懐かしいですね
今のように庶民が豊になったのは、政府の所得倍増計画のあとからだ
とても興味深い🔔
江戸時代の庶民が白米(だけ)を食べていたというのは誤りだと思いますよ
それ、江戸町民と農民を[庶民]でひと括りにしてませんか?江戸町民・下級武士の異常な程の脚気罹患率(≒死亡率)をお忘れなく✊
白米中心の食生活で脚気になる、いわゆる「江戸煩い」は「江戸を訪れた地方の侍や大名を中心に」見られたものであり、裏長屋に住むような町民まで含めて白米だけを食べていたとするのは無理があります。(白米だけの食事ができた町民は表通りに店を構える裕福な町民くらいだったでしょう)
奥行は ふたま でなく 《にけん》かと築地いちば かみがた
よく誤解されますが江戸の町人身分は土地建物を持つ階層を言います裏長屋に住む階層は百姓(農民漁民)身分です地方の百姓と違い納税(年貢)義務がない為、幕府が度々禁止しても地方から百姓が江戸に流入してきました今の東京も地方からの出稼ぎ人が多いのと同じですただ江戸時代は長屋を借りるのには身元引受人が必要な為、地方の領主に無断で江戸に出て来た百姓は追い返されます地方の領主にとっては年貢を納める百姓の逃散を歓迎する訳もなく円満に江戸に出て来れる百姓は少なかったのです領主に許可を得ずに江戸に出て来た百姓は江戸市中には住めないので江戸周縁の深川や浅草などの郊外に住みつき既成事実化していくのです江戸が深川や浅草まで拡大すると更に郊外の亀戸や日暮里目黒などへと出稼ぎ百姓の住む場所も拡大していきます裏長屋や江戸場末の新興住宅地に住む百姓達は納税義務がない為江戸市民とは認識されなかったのです同じく歌舞伎役者などの芸人も穢多非人身分なので江戸市民ではありません
ソースなしで適当に言ってない?TH-camわりとあるあるなので
無宿人と人別帳上・江戸人口として計上される集団の混同では
今も昔も親が子の勉強に力入れることは変わらんのな
長屋は横長ですが、mansionは縦長長屋ですね、毎朝子供を保育園、幼稚園ヘ子供を送り迎えでぺらぺら、帰った広場でぺらぺら😁
凄いです
AIに読ませてるだけなのが丸分かりなのにコメ欄に二間の読み違いへの指摘が多いのを見ると如何にも減点法で考える日本人らしい場所だなと思った
この動画自体AI生成でしょう。間違いチェックの投稿では?夏休みの宿題かな。
@@きりぽん-u4w趣旨として間違いそのものの話はしてませんよ😅精神性のお話ですね。
人に聞いてもらうなら見直しをしなきゃいけませんよ。
他人の創作物の間違い探ししか出来ない小賢しいメンタルは日本人というよりは、ネット民の性質ですね。
江戸時代に庶民が食べていた米は玄米がメインだったとかそれも朝から2合も食べてたそうですなので白米を食べていたというのは間違いですね
玄米から白米までの間で糠を抜く程度がいろいろあったんじゃないでしょうか。貧乏庶民はほぼ玄米に近く裕福な商人や武士は白米。だから貧乏人は脚気にならず患うのは金持ちばかりとか。
面白い😊
落語で語られる長屋はもう少し広そうなんだが?あれは盛ってるのかな?おかみさんが押入れに隠れたり衝立てで布団を隠したりするよね。そんなスペースなさそう…かまどでご飯を炊くなら1.5畳の土間だと火事が心配。四畳半はもっぱら単身者用なのでは?
時間はどうやってわかったのでしょうか?
とても興味深い内容でした。日本人\(^O^)/
長屋の奥行きを「二間(ふたま)」と言ってましたが、ここは長さの単位なので「にけん」が正しいかと思います。
賃貸だった長屋の名残が現代のテラスハウスだそうです。
どうしても不思議でわからないことがあります。当時の人々はお寺の鐘で時刻を認識してたらしいが、お寺はどうして時刻を測ったのだろうか❔また、24時間通し眠らずに時刻の管理をしてたのかしら?詳しい人がいたら教えて下さい。
江戸時代には置き時計があるました。ただし超高価なので超富裕層であるお寺しか買えませんでした。それ以前は天体観測、砂時計、ロウソク時計、線香時計を使用していました。もちろんお寺(宗教)が絶大な権力を持っていましたから、悪天候で太陽や星が見えない日の時刻はお寺が半ば強引に決められます。
@@glife1982 天体観測なら天文学者。ろうそくや線香、砂時計、いずれにしても一晩中眠れない。お寺さんによっては [あそこはなまぐさ坊主だから宛にならない。] というところがあってもおかしくないと思うが? イギリスのビッグ・ベンは日本の明治維新と同時期にできたらしいが、今何時だろう?なんて簡単なことが本当に難しいことだったと思う。
日時計でしょうね?すでに 暦はあったわけだから今日は何月何日てのはわかっていて。その何月何日の日影の角度がこうなら何時とか
たぶん裕福な寺が時計を持っていて正確に鐘を鳴らす、他の寺はその鐘を聞いて鳴らす。若干ずれるけどまあどうということない。ではないかな。
一カ月どの位の収入が有れば生活できたのか?贅沢はどの程度?貨幣価値?知りたいですね!😃あと江戸の初期と幕末の時の貨幣価値の差が知りたいですね❗️
このチャンネルなぜ再生数多いのと少ないの差が激しいのかな??
私はこの番組みたいに本物の風俗に拘った時代小説「葛西の下肥」「子宝」を公開しています。さて、小氷期は1450年ぐらいから1570年ぐらいまでが「シュペラー極小期」1630年から1850年までを「マウンダー極小期」と言われています。不作・凶作の原因に寒さはあったでしょうが、江戸時代後半では西日本の「ひでり」が大問題だったそうです。鬼平犯科帳の盗賊は、この頃の盗賊の様です。日々、江戸時代なら…と考える日々で、詳しくなればなるほど、鬼平犯科帳が嘘ばっかりで、少々がっかりしています。今黒鋤手組や当時の海運を調べています。この番組は、参考になります。
いまでも、ある村八分、此はどうゆうものか?叉何故おこるのか、どう対処すれば良いのか?
懐かしい画像ですね
上方→かみかた?これは、ソフトで文章を音声化したものでしょうか。とすると音声の質がずいぶん改良されてますね。
大正生まれの祖母の長屋も、お風呂は混浴だったって言ってました。背中流すわ〜なんて言いながら、近所の男性と普通に入っていたそうな。変な事は一切無かったって。生まれた時からその環境ならそうなるのかな。。😮
部屋のサイズ「二間」は(ふたま)ではなく、(にけん)ではないでしょうか
小作人から江戸町人になるなどのジョブチェンジってできたの?
江戸の庶民って偉かったなぁ❤😅
同性のカップルとかも家族として暮らしてたのでしょうかね。
やじさんときたさん。同性愛カップル💓😍💓ゲイカップルが欠け落ちしてお伊勢参りの旅する珍道中が東海道膝栗毛。元々日本人は愛情に性別、種族、神悪魔の隔たりが、ない何でもアリの性倫理観❤
勉強 になりました。
江戸の町は下水道も整備されていてとても清潔だっただけでなく、壊れた食器を修繕して使うなど、物を大切にし、とてもエコだったようです。SDGsが叫ばれる昨今ですが、時代を先取りしたこの江戸の生活を見直してみると、思わぬヒントがあるかもしれませんね。
宮部みゆきの時代小説なんか読むと世話役さんがしっかりしてて、住人も助け合って暮らしてる心温まる描写が多いんだけど
あれは創作ですし
考えてみれば250年江戸時代のような平和な時代が続いてるってすごいですよね
現代でさえ戦後まだ70年程度ですし…鎖国もしてたわけだから独特な文化も生まれ放題ですよね
明治維新の戦いに始まってその後も西南の役、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦と戦争だらけ。平和な江戸時代に比べこのギャップは何なんだろう。最後の戦で完敗したおかげと言うのも変だがようやく80年続く平和な時代が訪れた。
わが先祖が持っていた裏長屋は通路に面して四畳半と六畳の部屋が並び、四畳半の通路側が1畳半の土間でした。四畳半の畳の上に三畳の屋根裏があり、六畳の上に
四畳半の屋根裏があり、物置や寝間として使っていました。つまり、例示された裏長屋の三倍以上の床面積がありました。例示された裏長屋は単身者用の長屋で、
小生の先祖が持っていた長屋は本当に四~五人向け家族向けの長屋だったのだと思います。
わあ!すごい!屋根裏があったんですね!
ロフト付きって感じでしょうか?
長屋は庶民の集まりで仲良しで助け合っていたのだろうね。怪我や病気した場合保険がないので食べ物もあげたのかな。部屋は6畳程度で一間では大変だね。トイレは外で共同である。今の家賃で8から1万円程度ではいいね。この時の長屋の人達の稼ぎはどの位かな。それも知りたかった。この時代に行って見たいね、話しもしたい。話題は何かな。
多くの不自由はあれど日々を生き生きと生きた江戸時代の庶民の暮らしが鮮明に瞼に浮かぶようでした😊
とても興味深く拝聴させて頂きました😊🙏
令和の現代の夏はめちゃくちゃ暑いです。江戸時代にこの暑さだったらあの狭い風も抜けない長屋ではとても寝られたものじゃないと思いました。でも当時は小氷河期で気温は今より低かったとのことですから案外夏場も普通に過ごせたのでしょう。ただそのかわり冬の寒さは現代以上でしょうから、暖房が大変だったでしょうね。ひたすら我慢と言っても限度がありますし、火鉢の炭火程度では厳しかっただろうと思います。
昭和の時代も暖房は火鉢だけでしたそれでもなんとなく暮らせたのですが
今は夏はクーラーなしでは暮らせないし冬はファンヒーターなしの生活は考えられませんね
四畳半に五人もいれば暖かいですよ
辛いのはエピデミックでしょうね
インフルエンザなんかすぐに蔓延してしまいます
産まれてからずっと薄着なら慣れてしまうとお婆ちゃん言ってた事思い出してしまった。
@@サニーちゃん-x7l そういえば風邪で大勢が亡くなったようですな。
流行り病とか何とかは大体ただの風邪で、それでも死んでしまう人が多かったと聞きます。
栄養が偏っていたこと、寒い気温と薄い防寒具なども原因でしょう。
@@サニーちゃん-x7l
天然痘が多数の幼い命を奪い江戸時代の平均寿命を引き下げていた事実はよく知られていますが、インフルエンザも、劣らず猛威を振るっています。享保元年(1716)、江戸の町で流行した風邪はインフルエンザと推定され、ひと月で8万人以上を死亡させたと記録されています。
江戸末期にはコレラという新種も加わります。コレラは安政5年(1858)に大流行し、各地でパニックを引き起こしました。
現代でも、レオパレスというアパートは隣の声が筒抜けです。
安いのはそれなりに訳があるんですね。同じように宿泊料金の安いビジネスホテルも隣のくしゃみや咳払いもすぐそこに人がいるくらい聞こえます。最近建てられたホテルはわかりませんが。
絶対に住みたくない
最低だね。
携帯はマナーモードで。
でもバイブの振動すらも聞こえるからマナーモードの意味がないw
家賃が8000〜10000と長屋並みならまぁ許せるんですけどね
初コメです
私は大の時代劇ファンです。時には江戸時代にタイムスリップしたいと思うほど・・今回は長屋のスタイルや食事が2回だったこと,江戸の時間の説明,ゾクゾクするお話が聞けてよかったです。狭い作りの家でも必死に生きていたんですね。ある意味我慢強いと思いました
この頃の暮らしや仕組みを知ると、武士、商人、農民の区分や生活エリアに分かれてはいますが、割りと調和の取れた皆で助け合うやんわりした社会主義的な側面が見られるのが江戸時代ですね。
昭和49年(1974年)、大学生になって上京した当時、川崎の武蔵小杉で、駅から5分も歩いた所のアパートに一人暮らしをしましたが、共同玄関、共同トイレで、廊下などの共用部分も含め、掃除当番の札が回ってきました。部屋は四畳半で、押し入れが半畳分、小さな流しとガスコンロもありました。
川っ辺りに面した窓は、少し出窓ふうになっていて、長椅子のように腰掛けられたし、本棚にもなったし、やがて粗大ゴミから拾ってきた14インチの白黒テレビを置いたりもしました。その下は収納!天井にある天袋ではなく、なんというのかわかりませんが…。もちろん木造建築の二階建て、一階二階に5、6部屋ぐらいづつあったでしょうか?…私の部屋は二階でしたが、左右にお隣がある真ん中でした。家賃(部屋代)は、月9千円でした。直接大家さん宅まで、家賃帳みたいな物を持って払いに行きました。
貨幣価値が変わってきたといえ、四畳半の家賃が、江戸時代の相場と変わってなくないですか?…200年以上相場変わってないの??…って、少しびっくりしました。(長々とアパートの説明をしてしまいましたが、コレを言いたかったんです。)
もちろん、今は、木造二階建てのアパートがあること自体、どこの街でも、珍しいでしょうが…。
かぐや姫の「神田川」の世界ですね
木賃住宅って死語になりましたね。木賃住宅街は、消防車が入れず再開発対象となりましたし。
時代劇で取り扱われるものは、華やかな武士の生活が多く、一般庶民の生活がどのようなものであったのかは、なかなか知ることができないです。今日の話は、とても参考になりました。ありがとうございます。
時代劇でも加藤剛の『大岡越前』は逆に江戸庶民の生活がよく出てくるので、当時の長屋事情が知りたければ大岡越前を見るといい。
😊😊
@@feAt.tAkuyA大岡忠相の人情話は殆ど創作だしドラマに歴史考証なんてありませんけどね
I want to see more drama focus on the life of the regular people.
私は子供の頃、大阪の長屋という建物に住んでいました。
長屋と聞けば懐かしさを感じます、
一軒家で二階建て、庭もありましたよ。
家賃も安くて住みよかった、
あんないい賃貸物件はもうないのでしょうね。残してあったら、
年収400万以下の人も住めたのに。3万以内だったと思う。
今の東京にも長屋ありますー!
偶然目に止まったので視聴しました。とても面白かったです。
高橋英樹の桃太郎侍によく長屋がで出ましたね。楽しみに見ていた父親がなくなって、25年過ぎてしまいましたが、一緒にみてました。
戦争の無かった江戸時代は大好きです、
表長屋は、今でいうデュプレックスだったと知りました。内容とともに、語りの日本語の美しさに聞き惚れる動画です。
私は現代に生きる江戸の民であることを、この動画を見て確信しました
ぜんぜん違和感ないです
タイムスリップしても困らないと思います
なかなか勉強になりました。いつの世もいろんな商売上手なのかやり手な人もいたんですネ!庶民の暮らしは良くわかりました。
昭和50年代まで、風呂無し共同トイレの四畳半のアパートはあった。
今でも下町や川越の元町とかは長屋はあるよ。
愛知県瀬戸市には戦後も長屋が多く存在した。瀬戸の長屋は一棟四軒が多かった。小学5年から中学3年までその長屋で行われる陶磁器人形の絵付けをアルバイトとして通った。朝6時から7時半までと下校してから2時間ほど働いた。勉強?そんなものしたことがなかった。カバンには教科書と白紙のノート一冊。でも学校へ行くことは嫌ではなかった。
興味深い内容でした。動画作成ありがとうございます。
江戸時代,戦国時代,それより以前の生活インフラの仕組みが知りたいです。
(例)竹田城のような山城や城下町のような人口密集地帯での飲料水の確保方法や糞尿処理の方法など
今後ともこのチャネル楽しみにしています。
糞尿は基本的に貯蔵して寄生虫卵を殺して、肥料です。
貯蔵するところを、肥溜め、といいます。
や
だから朝ドラのらんまんの万太郎が借りてる長屋の2部屋の壁をぶち破って一つにしたのが、前後つながってる部屋だったんだー!
少しは下水道については知ってはいたが😊200年も前に江戸の下水は完璧だったとはビックリ!
素晴らしい👍
完ぺきと言うなら多少は浄化が必要。だけどゴミとっただけでしょ。まあ当時は家庭で天ぷらなど油を使った料理は殆ど無かったと思うからそこそこ綺麗だとは思うけど。
子供の頃だいぶ昔かな、近所で長屋と言う所ありました。今はどうなっているのか分かりません、戦後昭和生まれです。
3:02
【二間】ー✕「ふたま」
◯「にけん」
一間は182cmくらいですかね
とても興味深く、面白い映像と聴きやすい講釈、良かったです。へぇ~そうなんだ、と、とても面白かったです🎉
とても 聞きやすい
声
そして
トーン
ですね
😊
江戸は火事が多くそのせいで持ち家を持たなかったのと、家財道具も今でいうレンタルが多かったようですよ。
また、江戸時代こそエコの最先端。
行燈の油は「魚油」で、燃えると匂ったのと、あと怪談で=^_^=にゃんこが油なめてる話が出てきますが、イイ感じに温まった油は美味しかったかもねw
長屋でのトイレの下肥は大家さんの収入源の一つ。
商人や武家など良いものを食べてる下肥は高く売れたそうです。
家から出るゴミもリサイクル。
「くず屋~、おはらい~」って(どんだけ古いんだアタシw)感じで廻っいて、
今でいうリサイクルショップの人が請け負いに歩き回っていました。
昔は行商スタイルが多かった。(私の子供時代もまだあった!フフフ)
お豆腐屋さん、冷や水、金魚などなど。
お風呂も混浴だけど、日本人は節操があったんでしょうね。
「三助さん(男)」に背中流してもたっり、女湯に出入りしていたわ(子供の頃w)
みんなが裕福では無かったけど、助け合って大らかに上手く暮らしていたんじゃないかな?
昔から勤勉に暮らしていた日本人に感謝です(^^♪
一般庶民が持ち家持てる時代ではない
今の若い人達には考えられない生活ですね。
お隣さんも家族って感じになってしまいますね。
面白かったです
ありがとうございました。
今より外の茂みや森の中で致すのが一般的だったのも頷ける。
ありがとうございました。動画とお話が頭の思考力を鍛えて繰れています。
月日の流れと、世界の月日は、どう変わって行ったのか、日本では個人の思考力、意志よりも集団の心理が、自然に囲まれた島国にあったのではないか、(技術革新は生まれない)
世界では、戦争に勝つか、負けると生活のリズムがが変わり、支配から、
克服するために、どうすればいいのか、戦いで勝つ為に個人の思考力、意志、アイデアを、取り入れ。
技術の進歩に思いを馳、国は個人からアイデアを、戦いは集団で、戦いで勝つ習慣が出来上がた。
米国の良いところは、個人のアイデアが、世界を進歩させると、心から、芯から、(ピストル保持)
猿真似と罰則強化で、実戦しているところです。
日本は、米国とは逆で、集団が管理、集団行動が、島国では、個人の意志は必要ない。
個人の意志は邪魔者扱い、教育は教えるだけで、指示待ち学生、企業集団の意思は成り行き任せ、
の習慣が出来上がった。、、原爆誕生でも変わらない。猿真似と骨無し管理規則が現状。
じゃまものは宝だ、宝だ、宝だ、個人の意志が行動が、アイデア、が人々を幸せにする原点と、
分かりやすく纏められて大変見やすく、面白かったです(^^)
江戸時代の庶民の暮らしが好きなら藤沢周平さんの市井物小説がオススメです
建具(引き戸、障子、襖など)や畳や家具(箪笥など)は統一された規格サイズだったので取り換えや流用することもメンテナンスも簡単に出来、
必要最低限の資材で作り直すことも出来ました。寝具や衣類、紙なども何度もリフォームして使い続け、生活用品だけではなく排泄物までも加工して畑の肥料として使用する。
ほとんどゴミの出ない究極のエコ社会ですね。
高校の英語の教科書で江戸時代のリサイクルは完璧という単元があったのを思い出しました。
w
江戸時代も初期の頃は完璧どころか行き倒れの浮浪者のしたいなんか川に放り込んでいたとか。大川は不潔だったんだろうな。
60年前の漁村も朝、1日分の飯を炊いてお櫃に入れていたのですが夏場など夜になると少し臭っておりました😢
そうだったね。子供の頃一晩越したお櫃の残りご飯は臭っていました。それでもよほどベチャベチャでも無い限り食べてましたよ。
某城下町で育ちましたが、現在では整備され観光地となっている旧藩時代の足軽長屋に、昭和40年代までは人が住んでいました(小学校の同級生)。今あらためて考えれば、300年も前の建物に住んでるなんてヨーロッパでは普通のようですが、日本ではちょっと珍しい事例だったように思います。家賃はいくらぐらいだったのかな?
うちの街は昭和30年代までは混浴の共同浴場がありました。 今は、山中の露天風呂が混浴として残っているだけですね。 江戸時代は東京都より新潟県のほうが人口が多かったのですよ。
やはり、戦前の日本(江戸時代含む) というのは、階級社会で、ゴージャスな生活をできるのは、ほんの一部、ほとんどが、まずしい暮らしをしていたのでしょうね。
とても興味深い内容でした💓
江戸時代の庶民の様子は、TVの時代劇で何とはなしに見て抱いていたイメージと大差はないのかな、と思いますが、具体的な事柄は聞いていて楽しかったり感心したり…
しかし時代劇の番組がNHKの大河くらいしかなく、若い人程TVは見なくなっている現在、長屋暮らしの庶民の日常のイメージが湧かない世代が増えているのかな。ちょっと残念😔
江戸の裏長屋の家賃が安いのは富裕層による社会奉仕活動だから
その日暮らしの長屋の人の家賃から儲けをとるのは気風が良いとは見なされないってのと打ち壊しや暴動が起きた時に備えての人気取りにちょっと媚びた価格設定になってるのであって材料費や管理費からみたらホントはもうちょいお高めが正規価格帯だったらしい
言われると、なるほどと思える。
引用するためには何かしら書物など根拠となるものを探したい
でも
季節ごとの祝い事。
正月の餅や酒、
様々な振舞いを
大家が店子に
したと聞く😮
それが出来ないのは
恥知らずと言う気風
今日だったら
雛祭りの振舞いかな😮
江戸時代を知るには落語でしょう。面白い話がたくさんあります
本当ですね。上方落語ファンですが裏長屋はよく出てきます。
昔の暮らしを知れてすごいなと思いました
もう時代劇を見ないから
具体的に分からない人が増えた
驚き桃の木、江戸時代の生活も気になる暮らしてみたい
長屋暮らしより、農民の広い家のほうが良いね・・・
六畳一間に5人家族が生活するのですから、極寒の冬もなんとか寒くなさそう😅
六畳といっても内1.5畳は土間と台所だから寝る場所は四畳半しかない。まあ子供の小さいうちは何とか寝られたんだろうけど大きくなったら狭苦しいだろうね。だから10歳を過ぎたら積極的に大店に住み込みで丁稚奉公や女中奉公に出たんだろうね。
商家のかけ売りではどのように売掛金の管理と集金(盆、暮れ?)を
やっていたのですか?
現在のように複式簿記などなかった時代の債権管理に興味があります。
農村の生活の説明に不正確な部分があります。農村の小作人は長屋に暮らしていません。大抵の場合、家屋の敷地だけは自分の所有になっています。地主も田圃を大名から借り受けてはいません。地主は、大名に借地料を払っているのではありません。大名が租税徴収権も持っているのです。固定資産税が借地料ではなく、市町村の租税徴収権に基づき納めるのと同じです。
聞いた話によると、主婦が買い物する時間が関東は夕方、関西は午前中が多いと聞きますが、動画内で飯炊き時間は関東は朝、関西は夜と云うのが関係するのですかね?
勉強になりました
タイムマシーンがあれば行ってみたいなぁ😊
同感です。😊暫く滞在してみたいですねぇ〜、この時代の人と友達になってみたいですねぇ〜
海外旅行よりも、古い日本に旅行に行きたいです。😊
落語でも面白い長屋の話はたくさんあるよね😂
NHK朝ドラ「らんまん」の主人公は長屋で子沢山でしたね(^^;
江戸時代は現代より不便で貧しかったけど当時の生活を世界で相対的に考えると相当独自の発展はしてたよね。隅田川が凍った頃、ウン〇を窓から投げ捨てていたフランスでは革命が起き、アメリカは建国したばかりで奴隷制度の全盛期。黒船も戦争も日本を変えたけど、失礼な表現だが野蛮人だからこそ成せる力技でもあったのよ。明治時代に日本は西洋から本格的に文明を学んだ、西洋の人達もそんな日本から文化を学ぶ時代が来るだろうよ
部分的には同意
しかし、西洋の仕組みを基盤なく取り入れた弊害もある
欧米が誤って移民を増やしすぎて難儀してるというのに、
日本は「多文化共生」の号令で同じ轍を踏もうとしてますもんね。
裏長屋住人は農村の余剰人口(子たくさん)で農繁期は実家へ帰って手伝い。
『団地妻シリーズ』ピンク映画ですが長屋暮らしの系譜を昭和に受け継いだ名作です。
ありがとう!
夜になると木戸を閉じると言うのが
城塞都市
だなぁと思う😮
長屋は、留守にする時は隣の人に声かけて出かけるとか、独り身やシンママをみんなで気づかっておせっかいしてみんなで世話焼いてたとかいいなーって思います。
どうせ火事が起きるからっていう感覚もミニマリスト!
面白かった!
深川江戸資料館ですね!大好きです。
無駄がなくて環境にも良くて規則正しい生活ができて素晴らしいです。むだに肥満体になることもなかったのでは??
だけど、近所の人にプライベートが筒抜けなのは無理です。
その点は今の方がいいなぁ。
奥行きは二間 「おくゆきはふたま」ではなく、長さなんだから「にけん」と読んでほしい。
「上方」も「かみがた」だ。
江戸の町は
恐ろしい。
農村から逃げて来た浮浪者を見つけると
皆で捕まえて
仕事押し付けて
長屋に叩き込んでしまう😅
超お節介世界!❤
懐かしいです
当時の暮らしぶりを見ると 現代人は先人の苦労。努力が伺い知れますね
助け合いの精神はこの頃からなのでしょうか?
いつの時代もポジティブに生きた人が勝ち組なんでしょうね(^▽^)/
冒頭の「九尺二間」の「ニ間」は、「ふたま」ではなく「にけん」と読むべきでしょう。
そですね。最近はAI音声が多いので、こういうことが多くあります。
まぁ所詮はAIに感心して[大変参考に]書かずもがな💦なレベルの人達向けらしい、ということで😰😥
上方で飯を炊くのは昼で、朝は粥、茶粥で食べてたはずだけど・・・・・・・
懐かしいですね
今のように
庶民が豊になったのは、政府の所得倍増計画のあとからだ
とても興味深い🔔
江戸時代の庶民が白米(だけ)を食べていたというのは誤りだと思いますよ
それ、江戸町民と農民を[庶民]でひと括りにしてませんか?
江戸町民・下級武士の異常な程の脚気罹患率(≒死亡率)をお忘れなく✊
白米中心の食生活で脚気になる、いわゆる「江戸煩い」は「江戸を訪れた地方の侍や大名を中心に」見られたものであり、裏長屋に住むような町民まで含めて白米だけを食べていたとするのは無理があります。(白米だけの食事ができた町民は表通りに店を構える裕福な町民くらいだったでしょう)
奥行は ふたま でなく 《にけん》かと
築地いちば かみがた
よく誤解されますが江戸の町人身分は土地建物を持つ階層を言います
裏長屋に住む階層は百姓(農民漁民)身分です
地方の百姓と違い納税(年貢)義務がない為、幕府が度々禁止しても地方から百姓が江戸に流入してきました
今の東京も地方からの出稼ぎ人が多いのと同じです
ただ江戸時代は長屋を借りるのには身元引受人が必要な為、地方の領主に無断で江戸に出て来た百姓は追い返されます
地方の領主にとっては年貢を納める百姓の逃散を歓迎する訳もなく円満に江戸に出て来れる百姓は少なかったのです
領主に許可を得ずに江戸に出て来た百姓は江戸市中には住めないので江戸周縁の深川や浅草などの郊外に住みつき既成事実化していくのです
江戸が深川や浅草まで拡大すると更に郊外の亀戸や日暮里目黒などへと出稼ぎ百姓の住む場所も拡大していきます
裏長屋や江戸場末の新興住宅地に住む百姓達は納税義務がない為江戸市民とは認識されなかったのです
同じく歌舞伎役者などの芸人も穢多非人身分なので江戸市民ではありません
ソースなしで適当に言ってない?TH-camわりとあるあるなので
無宿人と人別帳上・江戸人口として計上される集団の混同では
今も昔も親が子の勉強に力入れることは変わらんのな
長屋は横長ですが、mansionは縦長長屋ですね、毎朝子供を保育園、幼稚園ヘ子供を送り迎えでぺらぺら、帰った広場でぺらぺら😁
凄いです
AIに読ませてるだけなのが丸分かりなのに
コメ欄に二間の読み違いへの指摘が多いのを見ると如何にも減点法で考える日本人らしい場所だなと思った
この動画自体AI生成でしょう。間違いチェックの投稿では?夏休みの宿題かな。
@@きりぽん-u4w
趣旨として間違いそのものの話はしてませんよ😅
精神性のお話ですね。
人に聞いてもらうなら見直しをしなきゃいけませんよ。
他人の創作物の間違い探ししか出来ない小賢しいメンタルは日本人というよりは、ネット民の性質ですね。
江戸時代に庶民が食べていた米は玄米がメインだったとか
それも朝から2合も食べてたそうです
なので白米を食べていたというのは間違いですね
玄米から白米までの間で糠を抜く程度がいろいろあったんじゃないでしょうか。貧乏庶民はほぼ玄米に近く裕福な商人や武士は白米。だから貧乏人は脚気にならず患うのは金持ちばかりとか。
面白い😊
落語で語られる長屋はもう少し広そうなんだが?あれは盛ってるのかな?おかみさんが押入れに隠れたり衝立てで布団を隠したりするよね。そんなスペースなさそう…かまどでご飯を炊くなら1.5畳の土間だと火事が心配。四畳半はもっぱら単身者用なのでは?
時間はどうやってわかったのでしょうか?
とても興味深い内容でした。日本人\(^O^)/
長屋の奥行きを「二間(ふたま)」と言ってましたが、ここは長さの単位なので「にけん」が正しいかと思います。
賃貸だった長屋の名残が現代のテラスハウスだそうです。
どうしても不思議でわからないことがあります。当時の人々はお寺の鐘で時刻を認識してたらしいが、お寺はどうして時刻を測ったのだろうか❔また、24時間通し眠らずに時刻の管理をしてたのかしら?詳しい人がいたら教えて下さい。
江戸時代には置き時計があるました。ただし超高価なので超富裕層であるお寺しか買えませんでした。
それ以前は天体観測、砂時計、ロウソク時計、線香時計を使用していました。もちろんお寺(宗教)が絶大な権力を持っていましたから、悪天候で太陽や星が見えない日の時刻はお寺が半ば強引に決められます。
@@glife1982 天体観測なら天文学者。ろうそくや線香、砂時計、いずれにしても一晩中眠れない。お寺さんによっては [あそこはなまぐさ坊主だから宛にならない。] というところがあってもおかしくないと思うが? イギリスのビッグ・ベンは日本の明治維新と同時期にできたらしいが、今何時だろう?なんて簡単なことが本当に難しいことだったと思う。
日時計でしょうね?すでに 暦はあったわけだから今日は何月何日てのはわかっていて。その何月何日の日影の角度がこうなら何時とか
たぶん裕福な寺が時計を持っていて正確に鐘を鳴らす、他の寺はその鐘を聞いて鳴らす。若干ずれるけどまあどうということない。ではないかな。
一カ月どの位の収入が有れば生活できたのか?贅沢はどの程度?
貨幣価値?知りたいですね!😃あと江戸の初期と幕末の時の貨幣価値の差が知りたいですね❗️
このチャンネルなぜ再生数多いのと少ないの差が激しいのかな??
私はこの番組みたいに本物の風俗に拘った時代小説「葛西の下肥」「子宝」を公開しています。さて、小氷期は1450年ぐらいから1570年ぐらいまでが「シュペラー極小期」1630年から1850年までを「マウンダー極小期」と言われています。不作・凶作の原因に寒さはあったでしょうが、江戸時代後半では西日本の「ひでり」が大問題だったそうです。鬼平犯科帳の盗賊は、この頃の盗賊の様です。
日々、江戸時代なら…と考える日々で、詳しくなればなるほど、鬼平犯科帳が嘘ばっかりで、少々がっかりしています。今黒鋤手組や当時の海運を調べています。この番組は、参考になります。
いまでも、ある村八分、此はどうゆうものか?叉何故おこるのか、どう対処すれば良いのか?
懐かしい画像ですね
上方→かみかた?
これは、ソフトで文章を音声化したものでしょうか。とすると音声の質がずいぶん改良されてますね。
大正生まれの祖母の長屋も、お風呂は混浴だったって言ってました。
背中流すわ〜なんて言いながら、近所の男性と普通に入っていたそうな。
変な事は一切無かったって。
生まれた時からその環境ならそうなるのかな。。😮
部屋のサイズ「二間」は(ふたま)ではなく、(にけん)ではないでしょうか
小作人から江戸町人になるなどのジョブチェンジってできたの?
江戸の庶民って偉かったなぁ❤😅
同性のカップルとかも家族として暮らしてたのでしょうかね。
やじさんときたさん。
同性愛カップル💓😍💓
ゲイカップルが欠け落ちして
お伊勢参りの旅する珍道中が
東海道膝栗毛。
元々日本人は
愛情に性別、種族、神悪魔の
隔たりが、ない
何でもアリの性倫理観❤
勉強 になりました。