【国鉄時刻表】1964年9月 東京駅 東海道本線 JAPAN TOKYO station ;TOKAIDO LINE time table 1964
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- เผยแพร่เมื่อ 27 ส.ค. 2024
- 【時刻表の紹介】
1964年9月ダイヤ改正後
東京駅 東海道本線 時刻表です。
「東京」と「中部地方、関西地方、中国地方、九州地方」の間の
人の移動は増加していました。
しかし東海道本線はすでに、車両数、線路容量ともに限界を迎えつつありました。
「東海道新幹線の開通」は多くの人の切なる願いでした。
今回はそんな東海道新幹線が開通する直前。
当時の国鉄職員の方々が知恵を絞り、工夫を重ねた
東海道本線の時刻表をお楽しみください。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
【誤りの修正】
●第1つばめ 行き先 (誤)大阪ゆき →(正) 広島ゆき
●第2つばめ 終着時刻訂正 (誤)16:30→(正)23:00
●本来「準急東海」であるところが、一部「急行東海」となっておりました。
(誤)7:20 急行東海1号 →(正) 7:20 準急東海1号
(誤)9:06 急行東海3号 →(正) 9:06 準急東海3号
●「みずほ」が「さくら」の運転区間と重複している内容が誤りでした。
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お借りしたBGM
「Luculia」/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
「雪風」/作(編)曲 : のる 様
ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
フリーBGM DOVA-SYNDROME
#国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #東京駅 #151系 #153系 #過去鉄
どんな列車があるんだろうと思って見始めたら一本目から普通"名古屋"行のパワーワード😳、遠距離の行先ばかりで小田原行にほっとする☺
@miyanokouji mizuho
ご視聴ありがとうございます。
1本目のインパクトがすごすぎますね。私も時刻表を開いた瞬間に目を疑うくらいの衝撃を受けました。
見慣れない行き先表示ばかりで、現在見慣れた行き先表示を見ると安心感がありますね。
コメントありがとうございました。
いやぁ!見入ってしまいました!飛行機も一般的でなく新幹線も無し、長距離バスなんか影も形も無かったこの頃、考えてみれば鉄道が唯一の長距離移動手段でした。
神奈川県の東海道沿線に住んでいたので下りホームの方面駅名表示に名古屋とか大阪とか書いてあって、「猛スピードで通過して行くあの列車が行き着くのはどんなところなんだろう」とまだ見ぬ遠くの街に思いを馳せたものでした。
良い動画を見せて頂きました。
有難うございました。
@yochin62
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、お褒めの言葉もいただきありがとうございます。
今の新幹線のホームでも、遠い地名が表示されているとワクワクしますよね。在来線でそのような行き先が表示されていれば、もっと心躍っただろうなと思います。
ほぼすべての国内移動を鉄道が担っていたと考えると、繁忙期は大変だったんだろうなと思いますね。
少々間違いと言いますか補足がてらに…
①霧島・高千穂・雲仙・西海・ぶんご・筑紫:寝台車は連結しておりましたが「寝台急行」(寝台専用列車)扱いではありませんでした。時刻表の記載も有りません。
「雲仙・西海」「ぶんご・筑紫」:2等寝台が夫々1両ずつ
「霧島」:2等寝台3両(2両は博多回転)
「高千穂」:1等寝台C 1両・2等寝台2両(1等寝台・2等寝台1両は大分回転)
②出雲・伊勢・那智・瀬戸・能登・大和:此方も①に比べたら寝台車の割合は多いのですが「寝台急行」扱いではありません
「出雲」:1等寝台B1両・2等寝台2両連結。出雲市回転。上りのみ寝台急行扱いの「金星」と併結。下りは南紀方面の団体専用車両を併結していた
「伊勢・那智」:伊勢は2等寝台2両のみ。那智は1等寝台B・2等寝台其々1両のみ連結
「能登」:1等寝台B1両・2等寝台3両連結
「大和」:1等寝台B2両・2等寝台5両連結(1等寝台B1両・2等寝台3両が名古屋回転・2等寝台1両は和歌山市行)
③時刻表に「寝台列車」の記載が有るのは:安芸・金星・銀河・すばる・明星・あかつき・彗星・月光
特に「彗星」は中でも特急の「あさかぜ」に負けず劣らずの豪華編成
1等寝台ABが3両・1等寝台B2両・2等寝台が8両、更にビュッフェと言われる「サロンカー(オシ16)」も連結していました
@otatorio51
ご視聴ありがとうございます。
恥ずかしながら、寝台列車の定義があいまいなままでした。調べてみましたところ、寝台列車は「寝台車を主体にして、全部の車両が指定制の列車」と1960年代では定義されていたようですね。勉強の機会をいただき大変嬉しいです。ありがとうございます。
①②③と比較すると、寝台車の比率が全く異なりますね。③の「彗星」の豪華さには大変驚きです。21時50分に東京を出発し、8時22分に大阪に到着するというダイヤでありながら、ビュッフェが連結されていることに驚きました。どのような利用のされ方をしていたのか想像するだけで楽しくなります。
わかりやすく丁寧な説明をしていただき大変嬉しいです。ありがとうございました。
鉄道、ダイヤに対する考え方が現在と全く違っててとても興味深いです。
新幹線がない分長距離列車が多く設定されるのは当然なのでしょうが、普通名古屋行きなど乗客が何度も入れ替わるような列車が設定されているのが面白いです。
乱れたときの整理が大変そうですね。
@北の大地の迷列車
ご視聴とコメントありがとうございます。
在来線に求められていることが、現在とは全く違うことが時刻表の中身を見るだけでも伝わってきますね。長距離の普通列車を日本各地で運転していた狙いを少し調べてみましたが、様々な観点から考察している人たちがおられて、どの考察もとても興味深かったです。
乗務員のやりくりも大変そうだなと思いますね。
もうまさに、今では考えられない夢のようなダイヤですね。
姫路行きの普通列車、29時間かけて走破する九州急行、今の需要からは考えられない急行大和の存在…。
21時台以降大阪行きの急行をさんざん走らせておきながら、大阪行きの最終が普通というオチ、最終列車の熱海着が2時過ぎというのも衝撃でした。
きっと日本中の主要駅で、こんな感じのダイヤが展開されていたんでしょうね。とにかく旅情をかきたてられました。
@Ginga Express
ご視聴とコメントありがとうございます。
急行大和が実際のところどれくらいの利用者がいたのかに興味がありますね。
仰る通りで、最終列車に夜行の普通を走らせるというのは、東海道本線に限らず、様々な路線で見られていました。24時間営業運転をしている印象があります。駅員さんも大変だったのでしょうね。
東京発東海道線経由、能登号金沢行きも浪漫の塊に感じます。
ご視聴とコメントありがとうございます。
信越本線経由の列車もありながら、東海道本線経由もあるという、旅情をかきたてられる列車ですよね。
東京発の普通列車も、熱海だけでなく名古屋や大垣のような長期間列車あって、遠い場所への憧れが出ますね。
この時代にタイムスリップしてみたい。。
@やす
ご視聴ありがとうございます。
実際に乗車しなくても、行き先表示の「名古屋」「大垣」「姫路」の文字を見るだけで、ワクワクしてきますね。1週間タイムスリップして、長距離列車を飽きるくらい乗ってみたいです。
コメントありがとうございました。
戦前の参宮線とか、超ロングランの普通列車が集まってたみたいですし、ちょっと見てみたいな
@honwado
コメントありがとうございます。
伊勢神宮参詣のために、幹線並みの扱いを受けていた時代がありますもんね。当時の時刻表を見てみたいですね。
この時代にもしカメラを持って行けたら1日中撮影してる気がするw
こうして見ると本当に新幹線の開業って革命だったんだなぁ。
@S.H R-vermouth
ご視聴ありがとうございます。
移動時間を半分以下に縮め、日本の各都市の時間的な距離を大幅に縮めましたね。
コメントありがとうございました。
東海道本線がちゃんと東海道線してるのが当たり前の時代。最低でも静岡までは行ってる。見てみたかったなあ。
@K A
ご視聴とコメントありがとうございます。
普通列車が東京ー神戸間を走破するという気合の入り方ですね。鈍行にゆっくり揺られながら移動したかったですね。
普通電車の行き先の多くが沼津だったのが驚き
あとお昼くらいから修善寺伊東行きが多いのは、当時首都圏からの人気の観光地だったのがよく分かります
@のぞみは西へ
ご視聴ありがとうございます。
沼津行き、現在は数えるほどにまで減ってしまいましたね。
そして、修善寺に限らず、既にこの時代でも国内観光需要が多いことに驚きでした。
コメントありがとうございました。
熱海行きが増えたのは民営化後でしたね
どうせなら沼津を境界にすればよかったのに
その場合御殿場線もJR東になったから、多分今でも山北か御殿場辺りまでは直通が生き残ってただろうに
境界が変わっていれば、仰るように運行形態も現在とは全然違うものになっていたかもしれませんね。小田急との関係を想像するだけでもワクワクします。
行き先、種別、運転距離、よりどりみどりで始発から終電までカオスだけど、一日中駅にいるだけで楽しそうだね
列車名も旅情をかきたてられるすてきな名前ばかり
この時代の東京駅に行ってみたい
ご視聴とコメントありがとうございます。
東海道本線に限らず、色々なホームをウロウロするだけで一日楽しめそうですね。
当時は列車名の乱用で混乱を招いていたようですが、各地方の特色が出た列車名がたくさんあり、旅情をかきたてられますね。
15:32 この当時は国鉄の運賃もほどほど感の値段だった。東京~大阪 間は1200円程度。急行券は300円ほどだった。
国鉄の赤字もあり、昭和40年からは値上げが続きましたね。
5時20分って今もあるの感慨深いな
@一般人S
ご視聴ありがとうございます。
デスク周囲に手が届く時刻表を見てみました。
一部5時19分の時代もあったようですが、それ以外はすべて5時20分が始発でした。
何か理由があるのかもしれませんね。
コメントありがとうございました。
現在は沼津行
確か定期MLながらの折返しで運行していた静岡行きもその時間だった頃がありましたね。
時刻が遅くなっていくにつれ長距離寝台が多くなっていくのも鉄道の歴史を感じるね
@フライドポテト みそ 凝灰岩教信者
ご視聴とコメントありがとうございます。
夢があるなと思います。出張や観光のために利用する人がいたのかなと思うとそれだけでワクワクしますね。
内容も選曲もパーフェクトです!
列車名に痺れてしまいます
是非、博多駅verもお願い致します!
@ikka kun
ご視聴とコメントありがとうございます。
BGMに関しては、昔の思い出が浮かんできやすくなるような曲調のものを使用するように心がけております。お褒めの言葉をいただき大変嬉しいです。
博多駅は当時から運転本数が多く、見ごたえのある時刻表になっていますね。今後題材として取り上げさせていただきます。リクエストありがとうございます。
今25歳で神奈川住みたけど小学生の頃東海道沿いを祖父に連れられて毎日のように見に行ってたのを思い出します。
その頃はさくら、はやぶさ、富士、あさかぜ、出雲、銀河などなど...たかが20年弱前ですら懐かしいと思ってしまうのに...
良き時代でした...
@おーか
ご視聴とコメントありがとうございます。
皆様のそれぞれの大切な思い出を、この動画をきっかけに思い出すことができるのあれば、動画を作成した私としては大変嬉しく思います。
寝台列車には特別な思い入れを持つ人が大変多いですね。私も寝台列車の名前を見ると、父親と深夜に通過する寝台特急を見に行った記憶が思い出されます。
新幹線と貨物以外の在来線の短距離運行が一般的になっている現代では考えられないような長距離列車が沢山あったんですね
@小堀義恭
ご視聴ありがとうございます。
遠い場所を行き先として、バリエーションに富んだ種別や車両が活躍していたことに、動画編集中、非常に驚きました。
非冷房で乗り心地も決して良くない客車に揺られながら、東京から関西まで一度移動してみたいなと心から思います。
コメントありがとうございました。
子供の頃、多摩川の六郷橋を渡る寝台列車を夕方見ていました。いつか乗ってみたいと思ってまして、大人になってから何本か乗りましたが、2005 年に熊本からはやぶさに乗ったのが最後です。何故かサンライズにはまだ乗ってないので心残りですね。
@A S
ご視聴とコメントありがとうございます。
六郷橋について調べてみました。河川敷と背景のビル群、まっすぐ伸びるトラス橋でとても良い雰囲気の場所ですね。きっと寝台列車もよく映えていたのでしょうね。
サンライズは私も乗ったことがなくて、いつか乗りたいなと思っております。今のうちに乗車しておきたいですね。
この当時、私の住む三重にも「伊勢」「那智」「大和」と、3本もの夜行急行がやって来ていたのが時代を感じさせます。後にこの3本の急行列車が統合されて後の特急「紀伊」につながって行く訳ですが、東京発のブルトレの中で最初に廃止されてしまったのが何ともさびしい限りです。
その一方で「紀伊」と併結されていた「出雲3・2号」が、今も「サンライズ出雲」として系統は生き続けているのがある意味すごいですよね。
嗚呼、出来る事ならこの時代にタイムスリップして、古き良き時代を味わってみたい・・・。
@線路脇の小路 ☆せんろわきのこみち☆
ご視聴とコメントありがとうございます。
三重県に向かった夜行列車は、統合を重ねていき、残念ながらどんどん数を減らしてしまいましたね。今でもその血を受け継ぐ「サンライズ出雲」には末永く頑張ってもらいたいなと思います。
夜行列車を乗り継いで、日本各地に行ってみたいですね。
長距離列車を新幹線で代替できるよになったおかげで近距離&中距離列車が増発できるようになったんだな。
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りです。役割分担ができるようになったおかげですね。徐々に近距離中距離列車が増えていきました。
1964年当時は在来線で乗り換えなしで鹿児島まで行けたんですね。運行時間29時間15分は衝撃的ですが。
@ゆーチャンネル
ご視聴ありがとうございます。
同じ車両に乗り合わせた人と仲良くなるには、十分すぎるほど長い乗車時間ですね。各地の名物が入った駅弁を食べながら、話に花を咲かせるようなこともあったのでしょうね。
コメントありがとうございました。
この時刻表の長距離列車と、いまの東海道新幹線の本数を考えると、往時の鉄道が消えたさみしさもあるけど、すごい勢いで経済発展したんだなぁ!!って、実感も涌いてきますね。あと、東京から和歌山線経由の夜行急行とか、お茶吹き出しそうになった笑
ご視聴とコメントありがとうございます。
これだけの本数を確保しても輸送力は不足していたようですから、戦後の経済発展はめざましいものであったことがわかりますね。
和歌山線経由の夜行列車、一度乗ってみたかったです。
桜島は昭和40年代お祖母さんが迎えに来てくれて鹿児島まで尾張一宮夕方発で何回か乗ったな~!懐かしいですね!霧島は後に京都始発で西鹿児島行きになってたんじゃないかな?年老いた両親と乗った記憶があるんだけどね!電車好きの自分には最高の動画でした!
@giga1821
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、お褒めのお言葉も頂き大変嬉しいです。
霧島は仰る通りですね。山陽新幹線の岡山開業では生き残りましたが、博多開業の1975年に、残念ながら廃止されてしまいましたね。
お疲れ様です。手間暇かけて作られた動画、とても素晴らしいです。
ところで普通列車が現在と比べて少ないのは、沿線人口や優等列車の多さも関係しますが、一番の理由は多数の貨物列車が設定されていたことにあると思います。
現在とは違って速度も遅く、昼間も走り、また各駅で貨車の入替え作業もあってどうしても普通列車はそのしわ寄せを受けていたと思います。
@075838
ご視聴とコメントありがとうございます。
お褒めの言葉をいただき大変嬉しいです。ありがとうございます。
大変興味がありましたので、鉄道貨物輸送量の推移を調べてみました。昭和39年をピークとして、それ以降は下がり続けていますね。昭和39年の輸送量は、平成29年のなんと約5倍でした。単純計算で現在の約5倍の貨物列車が走行していたのですから、仰る通り貨物列車のスジの確保により普通列車の本数が犠牲になっていたこともありそうですね。大変勉強になりました。ありがとうございました。
@@tomoyankun
返信と更なる調査ありがとうございます。
昭和39年は確か国鉄が初めて赤字に転落した年だったと記憶しています。当時の貨物輸送は非効率的で手間と時間がかかり、莫大な人件費で経営を圧迫したのでしょう。
@075838
返信ありがとうございます。
仰る通り、昭和39年に赤字になってしまい、その後は黒字になる事はなかったようです。自動車や飛行機との競争が激化する前でありながら、赤字になってしまうということは、やはり非効率的な経営という組織内部の原因が大きかったのでしょうね。
今では想像がつかないくらい、長距離列車ばかりですね。東京近郊は小田原行きが散在しますが、平塚行きはごくわずかで、驚きます。私が生まれて3年後の時刻表ですが、この時に戻って、乗ってみたい列車ばかりです。
@志村英一
ご視聴ありがとうございます。
この時代は東海道本線に限らず、長距離列車が多くて見ていて楽しいですね。動画作成時、何度も見入ってしまって作業の手が止まってしまいました。1週間ほど、この時代にタイムスリップして、乗り通したいです。
コメントありがとうございました。
東京発着113系グリーン車連結は東海道線の豊橋行き、外房線の勝浦行き、内房線の館山行き。
上野始発115系は高崎線の長岡行き。
上野始発401系、403系、415系は原ノ町行き。
新宿始発115系は長野行き。
@ダイナマイトドラゴン
コメントありがとうございます。
貴重な情報ありがとうございます。
113系や115系がこの時代から活躍していたと思うと、不思議な気持ちになりますね。
401系低運転台車のユニークな顔つきが意外と好きです。
いつも思うのですが、こういう動画は夕方の時間帯の普通列車が、その本数と時間に当時の通勤者のライフスタイルが垣間見えて好きなんですよね……!
普通列車を省略しないでいただけるのはありがたく感じます
@満員電車ファン
ご視聴ありがとうございます。
優等列車を利用する人の流れと同時に、通勤利用者の流れにも思いが巡りますね。今とは比べ物にならないくらい本数が少ない路線が多く、実際の状況はどのようなものだったのか知りたいですね。
過去の動画の一部は普通列車を省略していましたが、今後の動画は可能な限りすべての列車を扱おうと思っています。
コメントありがとうございました。
@@tomoyankun
ありがとうございます!
本数の少なさと特急の隙間を縫う感じに長距離優等列車に匹敵する魅力を感じます!
とはいえ私の些細なコメントが全体に影響を与えては良くないのでともやん君TV様のご方針でよろしくお願いいたします
@満員電車ファン
こちらこそご丁寧に仰っていただき大変ありがとうございます。
当時のありのままの時刻表をみていただき、当時の列車事情を想像して楽しんでいただければ大変うれしいです。そのためには全列車の取り扱いが必要だと思い、チャンネル開設当初から作成し続けてきました。
しかしながら動画作成当初は、編集方法の効率が大変悪く、どうしても普通列車をカットせざるを得ませんでした。数カ月前から、新しい編集方法に変えてからは、扱える列車の数も増えましたので、原則全列車を取り扱うようにしております。
引き続き、昔の列車の活躍をお届けできる動画を作成しようと思いますのでよろしくお願い致します。
@@tomoyankun なるほどです、素晴らしい動画をありがとうございます!
こういう昔の時刻表見るの好き。ネットで全部見られないかなあ〜。
@みゅ〜'
ご視聴とコメントありがとうございます。
お気持ちよくわかります。時刻表はずっと見ていられますね。
国鉄に限らず、私鉄の時刻表も気軽に見られるようになったらいいなと思います。
急行はなくなったし特急も減らされるし運行区間が最長でも沼津までになったけど小田原までなら普通が日中でも毎時5~6本ある今って便利になったんだなと思いますね
@うまいラーメン屋
ご視聴ありがとうございます。
新幹線により在来線の優等列車は淘汰されてしまいました。
しかし新幹線と在来線との間で役割分担がしっかりできた分、
普通列車が増発できたことは良いことだったのでしょうね。
コメントありがとうございました。
「大阪に行く」のは今でこそ早朝から昼前に東京を出る方が多いと思いますが、当時は夜東京を出るのが割と普通だったということですね。いい時代ですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時関西で現役で会社員をしていた方にお話を聞くとなかなか面白い体験を聞くことができました。
東京まで出張で仕事をした際は、仕事が終わった後は接待で色々なお店に連れて行ってもらい、気持ちよく酔った状態で夜行列車に乗って寝台でぐっすり寝たまま大阪に帰っていたようです。そしてそのまま出勤していたそうです。移動に時間はかかりますが、良い時代ですね。
@@tomoyankun さん
当時は、東京ー大阪間の夜行急行だけで「銀河」「彗星」「金星」「明星」とあって、中国地方への列車も含めると大変な本数でしたからね。
@原田寛 さん
大阪行きの夜行バスが次々と出発していく、現在のバスターミナルのような本数ですよね。夜行列車がそこまで特別ではない時代だったのでしょうね。
@@tomoyankun さん
これらの夜行急行に対抗して、羽田ー伊丹ー福岡(板付)には、「ムーンライト」という夜行フライトがあったそうな。
@原田寛 さん
コメントありがとうございます。
夜行フライト、初めて聴きました。早速調べてみましたが、大変異色なフライトで驚きました。
「オーロラ」「ポールスター」「ムーンライト」「第二ムーンライト」と、国鉄にも負けないくらいロマンのある名前ですね。
バスが走っていたのかなと推測しますが、深夜の空港までのアクセスが気になりますね。
金星、月光、あかつき、彗星と、新幹線開業後は、名古屋や大阪〜九州への特急になった列車も、かつては東京〜大阪間の列車だったのが意外でした。
@Hir Yos さん
ご視聴ありがとうございます。
九州とのつながりの強い列車名のイメージがありましたが、
時刻表で東京~大阪間の列車であることを発見した時は同じ気持ちになりました。
北海道の列車のイメージのある「北斗」ですが、
この時代では上野~青森間(常磐線経由)の寝台列車であるのと同様ですね。
時刻表を読んでいると、新たな発見があってつい時間が過ぎるのを忘れてしまいます。
コメントありがとうございました。
国鉄の代表格でスワローズのもとになった【つばめ】も西へ西へと追いやられましたな。(・ε・` )
@クモハ165
新幹線の開業、延伸に合わせて徐々に西へと移動していってしまいましたね。
今となっては九州のイメージが強くなっていますね。
@@tomoyankun
他の動画でも書きましたが九州乗り入れ後のつばめは速さの象徴ではなく南に行く渡り鳥という意味合いに変わったと思われます。
出来たら自分の子どものころの思い出の詰まった1970年代後半から1980年代前半もお願いします🙇♀️
@やまぎ
ご視聴とコメントありがとうございます。
この時代もまだ在来線では優等列車が活躍していた時代でしたね。
今後テーマとして取り上げさせていただきますね。
リクエストありがとうございました。
鉄道全盛といったラインナップですね。
長距離は航空機、新幹線は東京~大阪間だけで他は在来線が担うくらいが丁度いいと思います。
ご視聴とコメントありがとうございます。
各時代の時刻表を収集し、暇があれば眺めている私からすると、東海道新幹線のみが開業した時代の時刻表は、バリエーションに富んで面白いなと思います。
東海道線の普通列車が少ないな、と思ったら、SM分離前で横須賀線も同じ線路走ってたんですね。
@MT
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りです。SM分離前なので同じ線路を使用しています。次回以降、東海道本線を取り扱う際には、横須賀線も収録できればなと思っております。
21~22時台は10~20分おきに次々と大阪行き寝台急行が発車して行くのが圧巻。
需要の高さが伺い知れる。
@末岡久直
ご視聴ありがとうございます。
新幹線も夜行バス(夜行バスは1969年から)もない時代ですので、需要は大変高かったのでしょうね。夜行列車が10分毎に発車していくなんて、今では考えられないですね。
コメントありがとうございました。
東北方面だと、高速道路が無い時代から山形や仙台行きの夜行バスがあったかと思いますが、需要の多さから名古屋行きとかの夜行バスとかなかったんですかね?(・ε・` )
@クモハ165
コメントありがとうございます。
バスに関してはあまり詳しくないのですが、面白いなと思いましたので調べてみました。「夜行高速バス」に関しては、1969年に国鉄バスが「東京ー大阪」で「ドリーム号」として運転開始したのが最初だそうです。夜行バスについてはそれ以前から存在はしていたようですが、詳細はわかりませんでした。
@@user-cg6eb3gp7d 仙台方面へのバスは「wiki東北急行バス」のページが詳しいようですね。山形行は1966の栗子峠トンネル完成前は二井宿峠くらいしか車両通年通行の峠は無かったですね。
@@TheBikkuri さん
東北急行バスは東西栗子トンネル開通以前は栗子隧道を経由していたようです。「栗子国道」という動画の中で、警笛を鳴らしながらヘアピンカーブを疾走する様子がありますな。二井宿峠は現在のバイパスが開通するまでは、山形県側に狭小区間があって4トン車くらいまでしか通れませんでした。(ヽ´ω`)
夜行の長距離列車があって駅を開けていたからできることなんだろうけど、東京発熱海行きの終電が23:46発なのに衝撃。2022年3月改正時点では22:52が熱海終、23:54に平塚終。
@しーたん
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時はそこらじゅうで夜行列車が運行されていることから、終電がいつなのかよくわからない路線もありますね。
@@tomoyankun
東京は知らないけど新宿とか大阪は24時間営業ですよ。
ちなみに日付更新時刻は午前3時59分です。
(午前4時0分以降の一番列車が初発)
@じゃんがりあんぶれ~ど
わかりやすい説明ありがとうございます。
大阪駅も24時間営業だったのですね。24時間営業であれば、駅員さんは仮眠をとるどころではないですね。
今は大阪に行くのも名古屋に行くのも便利な時代になったんですね...
当時は5〜6時間かけて大阪...今は2時間半程度で行けるだけに驚きです。
@とっとこ桃太郎
ご視聴とコメントありがとうございます。
今は新幹線のおかげで、東京と、名古屋や大阪はそこまで遠く感じることはありませんが、当時は大変遠く、まさしく「旅」に近いものがあったのでしょうね。
本当に嬉しいです。幼稚園から鉄道ファンの私が、ノートに書き写していた世界そのまま。叶うなら「ヨンサントー」もお願いしたいです
@honwado
ご視聴とコメントありがとうございます。
お褒めのお言葉大変嬉しいです。ヨンサントオも大きなダイヤ改正で、中身の濃い時刻表になっていますね。今後是非取り上げていきたいと思っております。
乗ってみたい列車のオンパレード。周遊券で夜行急行や普通に乗って安く旅していた時代が懐かしいです。
あの頃に戻りたい😭
@Screaming Lord Byron
ご視聴ありがとうございます。
移動ホテルとしての利用もやりやすい時代でしたね。
設備面では現在よりも劣ってしまう部分が多いですが、運行列車のバリエーションの多さは大変魅力的です。
コメントありがとうございました。
「9:42 普通 豊橋」は113系グリーン車連結の最長距離列車。現在では、東京駅発着・グリーン車連結・近郊型・国鉄時代の路線別最長距離の生き残りは総武快速線の成東行きだけになってしまった。
@ダイナマイトドラゴン
ご視聴ありがとうございます。
平成令和と進むにつれて、「合理化」の名目で長距離列車がゆっくりと廃止になってしまっていますね。
当時最新鋭の113系が堂々たる編成で走行している姿を想像するだけでも楽しいです。普通列車の運用についてわかる資料を持っていないため、非常に貴重な情報ですね。ありがとうございます。
コメントありがとうございました。
音楽と解説のせいか、涙が出てきました。最初で最後に乗ったブルトレ「富士・はやぶさ」に乗れたのは思い出です。他ですと、当時「銀河」ではなく、「サンライズ」に乗ったのは今では後悔しています。。。
@瀬戸出雲
ご視聴ありがとうございます。
お褒めの言葉をいただきありがとうございます。
「富士・はやぶさ」に乗車したのですね。大変良い経験をしておられますね。
今となっては「銀河」に乗っておきたかったですね。
私も、様々な夜行列車をただ眺めるだけで、乗ろうと思わなかった当時の自分に大変後悔しております。
コメントありがとうございました。
観ていてワクワクしました
@k
ご視聴ありがとうございます。
お褒めのお言葉大変嬉しいです。ワクワクをお届けすることができて光栄です。コメントありがとうございました。
ムーンライトながらのご先祖としては大垣行き準急東海やながらあたりでしょうか。意外だったのは準急以外でも大垣が行先となった普通列車が設定されていたことです。当時から大垣は東海道本線の重要な駅の一つだったのですね。
ご視聴とコメントありがとうございます。
関ケ原越えの勾配に対応するために補機が必要で、そのために大垣駅に車両基地を置いたと言われていますね。補機の準備などで長時間停車することにより、駅前に様々なお店ができたそうです。今も昔も大垣駅は東海道本線の要衝として大切な役割を果たしていますね。
この頃はスジの奪い合いが熾烈だった時代。夜間も寝台車が足りずに昼行急行電車の座席車までフル回転させないと東阪間の需要をさばくことが難しかった。
@手巻寿司夫
ご視聴とコメントありがとうございます。
新幹線や夜行バスもない中、在来線でほとんどすべての需要を受け入れていたので、大変な状態だったでしょうね。予備車が無くて大変であったというのもわかりますね。
これ程凄いものをありがとうございます。在来線で全国各地へと言うのがよく分かります。
ところで準急の東海号ですが、ところどころ急行になっていたり全車指定と出ていますが、準急で全車自由席ではなかったでしょうか。それだけ需要も大きく、捌くのが精一杯とも言えるダイヤかと思います。
@TSUYO S
ご視聴とコメントありがとうございます。
また、お褒めの言葉もいただき大変嬉しいです!
「東海」なのですが、ご指摘の通り全て準急で正解です。急行は誤りです。ご指摘いただきありがとうございます。皆さんに間違った情報を伝えないようにと思い、作成中に何度もチェックしていたのですが大変申し訳ないです。
東海道本線で全ての需要に応える必要があるため、限界ギリギリもしくは超えた状態で運用していたのでしょうね。
懐かしい列車名がいっぱい。しかも子供の頃憧れだった寝台列車や今は絶滅した食堂車連結とは、何とも贅沢な時代だとさえ思えます。
今のなんばまで東京とを結ぶ寝台急行が走っていたとは、驚きでした。リクエストですが、いつか1964年大阪駅の東海道本線時刻表もお願いします!
@チワワのきんどー
ご視聴とコメントありがとうございます。
食堂車やビュッフェが当たり前のように連結されている時代。本当に贅沢ですよね。
リクエストありがとうございます。大阪駅もバリエーションに富んで、大変面白い時刻表になっています。いつか作りたいなと思っておりました。ただ、本数が大変多いため、時間をかけつつも、コツコツ取り組んでいきますね。
@@tomoyankun さん
返信、ありがとうございます。はい、いつか1964年の大阪駅の時刻表の再現、楽しみにお待ちしています。言い忘れておりましたが、1964年の東京駅で画面右側に主な列車のミニ解説、とても役立ちます。こういう動画は鉄道マニアには、大変ありがたいものです。続編も大いに期待しております!
@チワワのきんどー
ありがとうございます。時刻表の面白さを共有していただき、喜んでいただけていることが大変嬉しいです。これからもコツコツ動画を作成してまいりますのでよろしくお願い致します。
東海道新幹線開業の一カ月前の時刻表なんですね。いかに東海道新幹線開業が東海道線に、いや国鉄全体の時刻表に影響を与えたかわかります。ちなみに、僕が生まれて1年後の時刻表です。
@タイガーウッズ
ご視聴ありがとうございます。
ある意味在来線が最も華やかな時代であると言えるかもしれませんね。この後、東海道新幹線の開業や山陽新幹線の開業により、どんどん在来線の優等列車は数を減らしていってしまいます。
まだまだ在来線に活気のある時代にお生まれになったのですね。
コメントありがとうございました。
始発が名古屋行きとは!きっと需要があったからでしょう。
朝一番で名古屋に向かう人…
どんな人々だったのかなと思いを馳せてしまいます。
息子が鉄オタなので私も多少の昔の列車名分かりますが、
あ、あ、これか!と再認識させていただきました。
夕方🌆~夜のBGMが(ワスレナグサ
)だなんて、もう涙が出ました。
曲も秀逸です。
@S A
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
始発名古屋行というインパクトが大変大きいですよね。
熱海駅での伊東線への乗り換え時間も2分と、連絡も考慮されている電車でした。当時の思い出を楽しむ一助となったことに大変嬉しく思います。
ワスレナグサの曲は初めて聴いたときに、その力強くも寂しくもあるメロディーに心を奪われました。何度も繰り返し聞くことができる曲ですね。
車両の最新化、新幹線の開業により短時間で目的地に行けるようにはなった。
しかしながら、それに伴って旅に出る醍醐味が1つ減ったのも確かだと思います。
今と違い、のんびりと寝台列車などの車内で過ごし、目的地で思いっきり羽を伸ばして休暇を楽しむ。こんな時代だからこそ必要なことかも知れませんね。
@シンジ
ご視聴ありがとうございます。
私も同じ気持ちです。行きの寝台列車の車内ではこれから始まる旅にワクワクし、帰りの寝台列車の車内では楽しかった旅を思い起こしながら眠りにつく。
移動中も旅の一部として楽しむことができた時代なのかなと思います。今でもそんな旅ができるようになってほしいですね。
コメントありがとうございました。
もしも現在でも新幹線が無かったら急行や準急鈍行列車も存在したのかなと想像しただけでワクワクしますね
@ビンテージカー
面白いシミュレーションができそうですね。東海道本線に並行する新線が建設されていたかもしれませんし、仰るように東海道本線は優等列車だらけだったでしょうね。
新幹線開業前のダイヤは、夜行列車が主役で、価格帯で特急、急行、準急、普通と棲み分けされていますね。
名古屋まで今の時代、新幹線だとのぞみで1時間半、各駅に止まるこだまでも約2時間45分。高速バスで最速で約5時間前後。夜行バスで6時間半。今度のリニア新幹線が開通した暁には品川から名古屋まで約40分(゚Д゚)。
@大月一生
ご視聴ありがとうございます。
当時の夜行列車で感心するところは、仰る通り、それぞれの価格帯に応じた列車を用意していたことですね。当時の普通列車が約10時間ですから、短縮効果がすごいですね。日帰りどころか、通勤圏内に入ってしまいます。
コメントありがとうございました。
国鉄時代の西日本の駅名標フォントとても嬉しいです★
@あきちゃん
ご視聴とコメントありがとうございます。
国鉄時代のフォントは丸みがあって、一目見ただけで「あ!」と思いますね。
1:21 特急こだまのパーラー車(パーラーカー)は、グラングラスよりもはるかに豪華。この車両は、本当にVIPしか乗れない車両だったみたい。
当時の写真を見ると、本当に豪華で現在の設備も顔負けですよね。一度乗りたかったです。
@@tomoyankun
座席配列1+1、しかも外側に15°まで傾き眺望抜群。利用者専用区分室もあり、デッキは自動ドアに当時では珍しい洋式トイレ
JR九州787系のクモロ787が近い存在だが、あれもデビュー当初は「ビュフェ車」という在来線昼行特急列車の中で唯一無二のアイデンティティを持った豪華列車の類だった
グランクラスもクロ151パーラーカーより格下と言わざるを得ない。近年の度重なる迷走(軽食を和食に統一したり、軽食を廃止しリフレッシュメントに変更したり、アテンダントサービス無し=グランクラスB列車をやたら拡充したり)も相まって「新幹線のファーストクラス」と銘打って開始されたはずなのに、気付けば「ファーストクラス」の貫禄はどこへやら
ただ金を毟り取りたい尺束の玩具に成り下がってしまった。使う価値もない
なんか感慨深いな
29時間も乗り続けるのも悪くないかも
@茅野チノ さん
ご視聴ありがとうございます。
29時間乗り通し、一度は体験してみたいですね。
携帯電話の無い時代で、車内でどのように過ごそうかと想像すると楽しいです。
窓を開けて風を感じながら車窓を楽しんだり、
乗り合わせた他の乗客と話をしたりと、今とは違う車内空間でしょうね。
今もこの列車が存在していたら、
テレビやyoutubeのネタとしてよく取り上げられそうです。
コメントありがとうございました。
@@tomoyankun チャンネル登録者数めっちゃ増えましたね
これからも応援してます
@茅野チノ
ありがたいお言葉ありがとうございます。
登録者数が全く増えない中、数少ないながらもコメントをいただけた事が私にとっては大変励みでした。
これからも時刻表の楽しさをお届けできるように頑張っていきます。
夢の超特急はないけど、夢のある特急と急行ばかりですね。
@マルヤママコト
ご視聴とコメントありがとうございます。
大変うまい表現ですね!
仰る通り、当時は夢のある列車達でにぎわっていましたね。
@@tomoyankun さん
ほめられたついでにいうと、
夢が見られる(夜行や寝台)特急と急行がですね。
もっとも今日は、東名に夢のみられるバスは走ってますが鉄道からは消滅。
鉄道こそ夜行や寝台は得意な分野だと思いますが、分割JRで自社エリア密着型列車ばかりとなったことが原因のひとつですね。
@マルヤママコト
コメントありがとうございます。
夢が見られる列車がほぼ絶滅状態ですものね。バスはどうしても私には合わないため、夜行列車が復活してくれないかと強く感じます。
確かに分割してしまったことが、会社をまたいだ長距離運用の列車を設定しにくくした原因にはなっていますね。非常に残念ですね。
吉本漫才「こだま・ひびき」師匠は今でも現役で走り続けています。
事実車両名称からコンビ名を決めたと知りとても嬉しくなりました。
@アース・キンチョー&フマキラー
ご視聴とコメントありがとうございます。
「こだま・ひびき」の由来が列車名から来ていたとは知りませんでした。
年を重ねて少し話し方がゆっくりになりましたが、そのおかげでさらに味が出て、変わらず楽しい漫才をしておられますね。
@@tomoyankun さん
元々こだま師匠は別の相方とコンビを組んでいて、その当時は「こだま・ひかり」だった(コンビ名の由来も新幹線が関係していたらしい)が
相方がヤバい物に手を出して警察沙汰になってしまいコンビ解散となり、別のコンビを組んでいたひびき師匠とコンビを組み直したそうな。
Wikipediaなどで調べてみました。なかなか若手時代は波瀾万丈だったことがわかり驚きでした。今は安定した人気でお仕事ができるようになり、良かったなぁと思います。
@@tomoyankunさん
若手時代は、某勝ち抜きバトルで10週勝ち抜いてグランプリとなったが、その事件で幻になったとか。
@原田寛 さん
10週勝ち抜く実力があったにも関わらず、大変残念ですね。薬物に頼らなければ違う未来があったのにと思うと悲しいですね。
東京駅から出る今でもある平塚小田原沼津の各方面行きは
今なら自動放送だけど当時の人がアナウンスするタイプも聞いてみたい
@ひろ
ご視聴ありがとうございます。
ホームのアナウンスはそれぞれの時代で異なっていて、時代を感じて楽しいですね。機会があれば是非そのようなアナウンスを聴いてみたいです。
コメントありがとうございました。
深夜帯走る長距離急行列車でも寝台備えてない列車があったんだな
そう言えば子供の頃北陸経由で青森へ行く急行きたぐには座席車に乗った記憶が…寝台車と座席車兼ね備えたビンボー人にも優しい編成
@や〜まだた〜ろお〜
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の寝台料金を調べてみました。
2等寝台下段800円、1等A室下段2530円、B室下段1980円、C室下段1430円でした。
当時の大卒初任給が約2万円ですから、寝台ではなく座席で移動したい人も多かったのではと思います。両方備えている編成が、利用者には優しい編成ですね。
2:05
8時18分発の富士行きは、前橋を5時29分に出発する列車。前橋~高崎~上野~東京は624M、東京~富士は329Mとして運転する。現在の上野東京ラインの先駆けでもある、高崎線と東海道線を直通する列車である。
8:18
15時50分発の準急湘南日光は日光を14時に出発する列車。こちらは列車番号は変わらず2501Mとして、日光~宇都宮~上野~東京~伊東まで運転。
@Satoshi Sakurai
ご視聴とコメントありがとうございます。
時刻表を読んでいた時には「東京始発ではないのか」と思う程度でしたが、上野東京ラインの先駆けと考えると非常に面白いですね。
反対方向へは、富士14時9分発で、新前橋20時36分となっていました。
東海道新幹線開通後の時刻表も編集してくれたら有難いです。
@はまさお
ご視聴とコメントありがとうございます。
新幹線の開業により、日中の優等列車には大きく変化がありました。
大変面白い時刻表になっていますので、今後作成させていただきます。
リクエストありがとうございました。
横須賀線も同じ線路なので実際はもっと過密感が高いですね。
@・
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通りです。本来はもう少し過密感がありました。
小田原、熱海、沼津がめっちゃ近距離に感じる🤣
@東京よっしー
ご視聴とコメントありがとうございます。
これだけ行き先表示で頻繁に見ていれば、心理的な距離は小さくなりますね。
静岡や名古屋も少し近く思えてきますね。
寝台急行長崎・佐世保行きとか長旅のワクワク感がすごい
@ちんあなご
ご視聴とコメントありがとうございます。
「何時間かけて到着するのだろう?」と考えるだけでも楽しいですよね。
@@tomoyankunさん
当時は長崎本線・佐世保線は非電化だったので、九州内は門司~鳥栖が牽引機がED72・73で、鳥栖からはC57・DD51等が運用されていたようですね。
急行「東海」は静岡行のイメージが強かったのですが、この時代は大垣まで行っていたのに驚きです。
@和宏
ご視聴とコメントありがとうございます。
確かに急行「東海」は静岡行のイメージが大変強いですね。新幹線の開通とともに、「東海」以外の列車も運転区間が徐々に短くなっていきましたね。
この頃から種別と特急名が確立されてるのって凄い発想だな
@tetsu
ご視聴とコメントありがとうございます。
列車名の種類が多すぎて、現代の感覚に慣れていると混乱しやすいですね。
昔は駅の停車時間が長かったためか、長距離を走る普通電車はかなり時間がかかっていますね。
@durian0410
ご視聴ありがとうございます。
優等列車の退避が多かったことや、
主要駅での停車時間が長くとられていたのもあり、
現在よりも時間がかかる列車も多いですね。
しかし、長い停車時間で買い物を済ませる利用者も多かったと思います。
今から考えると風情があっていいですね。
コメントありがとうございました。
沼津行きなんかで、結構似たスジが今でもあって
歴史が残っててくれてると考えると良いよなぁ
@marunaka2009
ご視聴とコメントありがとうございます。
確かにそうですね。昔から受け継いできたスジなんだろうなと思うと、その列車に対しての見る目が変わりますよね。
急行六甲は大阪行きですが、如何にも神戸、そして六甲山の山頂まで行ってしまいそうなイメージがありますね
@Times New
ご視聴ありがとうございます。
私も初めて「六甲」の名称を見た時には、きっと神戸行きなのだろうなと思いました。1961年10月1日に登場し、153系12両という迫力ある編成で運転されていました。しかし東海道新幹線開業後1年となる1965年10月1日で廃止となりました。
コメントありがとうございました。
急行ぶんごで大分まで1分!?
と思ったら24時間1分ですね。
ややこしい所要時間。
@航空奉行所
ご視聴ありがとうございます。
わずか1分間ですが、前日と当日に発車した「急行ぶんご」が同時に存在していることがすごいなと思います。
コメントありがとうございました。
国鉄特急が登場する映画は多いですが、昭和38年東宝「天国と地獄」では「第2こだま」が重要な舞台として登場するのは有名です。翌年の東宝「宇宙大怪獣ドゴラ」には「さくら」、翌々年の「フランケンシュタイン対地底怪獣」には「はと」が、数秒間ですが登場します。この年には東海道線の151系はお役御免になっているし、舞台も関西なので山陽本線での映像なのでしょう。
特撮映画ファン
@伊東敏明
ご視聴ありがとうございます。
シーンにほんの少しだけ登場する列車の種類まで覚えておられるほど、
特撮映画がお好きなのですね。
各時代の、最新鋭もしくは活躍している列車が登場するのは、特撮映画ではよくあるのではと思いました。次の時代では標的は「新幹線」でしたね。
コメントありがとうございました。
ダイヤの組み方に愛を感じる。伊豆急行線城ヶ崎海岸駅最寄り在住。
@佳典
ご視聴とコメントありがとうございます。
優等列車も用意されていますし、普通列車も乗り換えを考慮したダイヤになっていますね。観光需要を意識していたのかなと思います。
ほぼ同じ時間に東京を出ていた寝台急行と比べるといかにサンライズが速いかよく分かりますねー
ご視聴ありがとうございます。
上りサンライズは、大阪ー東京間を6時間35分という、とんでもない速さで走っていますので、寝台急行との差が際立ちますね(「第1こだま」が6時間30分でした)。寝台急行であれば時間はかかりますが、それだけ長い時間寝台で眠ることができたのでしょうね。
コメントありがとうございました。
東京発16:30発「第2つばめ」大阪行きの到着時刻が16:30になっていますが、これは誤植ではないでしょうか?
単純計算だと23:00頃に着くはずですが。
ご視聴とコメントありがとうございます。
誤りのご指摘ありがとうございます。
仰る通りで、第2つばめは到着時刻が23時00分となっております。
新幹線開業前のダイヤだが、まさに日本の大動脈だった感が否めない、優等列車は大半が大阪行きでしかも大阪にゆかりのある名称の列車が多い、乗ってみたいのは寝台急行 大和 湊町行き(現:JR難波)、関西本線に優等列車が多かったこの当時に東京発湊町行きというのは珍しい、関西本線も今ではその面影は無く、ターミナル駅だった亀山や湊町駅(現:JR難波駅)も含めてローカル色が濃くなってしまったのは寂しい気がする、
ご視聴とコメントありがとうございます。
本当に大動脈でしたね。線路容量いっぱいまでスジを引いていたことがうかがえます。私も時刻表を見て強く印象に残ったのは「大和」です。寝台車に乗ったまま、関西本線の車窓を楽しんでみたかったです。マイカー、新幹線や高速バスによりどんどん在来線の優等列車が少なくなっているのがとても寂しいですね。
お疲れ様です…ムーンライトながらで大垣…そこから普通に乗り継いで四国行ったことが私の中ではすごいことでしたが…もっとすごい列車が昔はあったのですね~
@小泉淳
ご視聴とコメントありがとうございます。
昔は東京駅や上野駅で日本各地の地名を見ることができましたね。伝説とも言えるような贅沢な列車がたくさん走っており、贅沢な時代です。
ムーンライトながらから四国まで行ったのですね。今となれば、その行程もすごく貴重なものですね。
大阪行きの夜行急行が非常に多くて、当時から東京大阪の移動需要が大きいなと思わされましたね。
それ以外にも魅力的な列車が多数で、一度タイムスリップして乗ってみたいですわ....
@hirotti406
ご視聴ありがとうございます。
1日だけのタイムスリップでは時間が足りないですよね。各地で夜行列車が充実していますので、「その気になれば宿泊施設に泊まらずに日本一周できるのでは?」と思ってしまいます。
コメントありがとうございました。
この時の社会人というとまさに戦争を経験した時代ですね。鉄道は混雑するばかり、小学生は疎開、さらには全国各地で空襲、食糧不足、人によっては引き揚げなど数限りない苦しみがあったことと思います。その苦難を乗り越え、さらには生き長らえた皆様が利用されていた列車かと思います。
コメントありがとうございます。
仰る通り、戦争を実際に経験して、さまざまな苦難を乗り越えてきた人たちですね。今日食べる食べ物すらない焼け野原から、食堂車で食事がとれるところまで復興してきた方々ですね。もしタイムスリップして当時の列車に乗れたなら、色々なお話をお聞きしたいなと思います。
新幹線開業前の東海道本線を旅してみたかった
ご視聴とコメントありがとうございます。
すれ違う列車を眺めていてもずっと楽しめそうですね。
当時はSM分離前だから、この列車の間に横須賀線の列車も走る・・・過密ですね。
@POLY MONO
ご視聴とコメントありがとうございます。
ダイヤ担当の方が何度頭を抱えながらスジを引いたのだろうかと考えるくらい、過密なダイヤですね。
のっけから普通列車・名古屋行というのが出ましたが、これはいわゆる旧型客車での運行だったのでしょうか?1964年だと全線電化されていたのか、気になるところです🙂
@Blue-Turbo No.16
ご視聴とコメントありがとうございます。
この列車は客車ではなく電車での運転でした。視聴者様からの情報提供では、おそらく急行型車両での運転であったのではないかとのことです。
電化工事に関しては、1956年に米原ー京都駅間が電化され、東海道本線は全線電化が完了しました。
東京発、普通名古屋行きとか18キッパーも真っ青な電車だな
でもその時代なら18きっぷで乗り換えなしでなごやいけたとかいいな
@整気流会
ご視聴ありがとうございます。
魔のロングシート区間も関係なく乗り通せますね。
乗り換えなしで遠くまで行けるという、国鉄時代特有の便利さですね。
今もこの列車が残っていたとしたら、
18きっぷシーズンの車内はものすごい混雑になっていたかもしれません。
コメントありがとうございました。
深夜2時まで運転していたなんて信じられないです。
@Akihiro Tada
ご視聴ありがとうございます。
どこの路線でも、この当時は終電が遅かったように感じます。
需要がどれくらいあったのかが興味がありますね。
コメントありがとうございました。
超大作お疲れ様でした🎉
@nozomin99
ご視聴と労いのお言葉ありがとうございます。
作成には大変な時間がかかりますが、完成した動画を観ると、昔の列車が復活したような感じがして心躍ります。
瀬戸と出雲が未だに運行中というのが驚き
ご視聴とコメントありがとうございます。
名前は少し変わりましたが、昔から現在まで活躍していることを思うと、なんだか不思議な気持ちになりますね。
東京―大阪間、特急が6時間30分に対して急行も7時間30分でなかなかの俊足ですね。
@坂口靖雄
ご視聴ありがとうございます。
当時の急行型車両は設備面では特急型車両には劣るものの、
走行性能ではそこまで遜色がなかったようですね。
現在18切符で東京ー大阪間を移動すると8時間50分程度かかることを考えると、
急行でも十分頑張っていることがわかりますね。
一度乗ってみたいなと思います。
コメントありがとうございました。
151系(特急)も153系(急行)も電動機出力は同じ(ギヤ比は151系が高速寄り)でしたね。151系の予備車がなく、事故や故障のときは153系が特急運用につくことがあった(「かえだま」)ようですが、特に遅れることなく走りきったそうです。
ギヤ比の違いがあったのみで、遅延が発生することなく走り切ったのですね。大変勉強になりました。しかし冷房設備が2等車にもなかったはずですので、利用者としてはがっかりしたところもあるでしょうね。
何度聞いても「かえだま」とはウマいこと言ったなあと思います。思いついた利用者はユーモアがありますね。
急行形の153系が151系特急の代走をした時は特急料金が半額だったそうですよ
調べてみますと、特急料金を半額にしなかった時期もあったようですね。利用者側の気持ちとしては、半額にしてもらいたいところですね。
関西本線非電化区間のホームが長い訳が納得 寝台急行大和あったんですね。
@しなの.ちくま
ご視聴とコメントありがとうございます。
途中の名古屋で数両切り離しになりますが、それでも現在から考えればとても長い編成が関西本線を走行していました。寝台で横になりながら、関西本線の車窓を眺めてみたいですね。
東京~JR難波・和歌山市は夢があるなあ。
@zögern Sie nicht
ご視聴とコメントありがとうございます。
しかも関西本線を経由しているところに夢がありますね。和歌山市行きは王子から和歌山線に入るところも贅沢ですよね。
普通145は大垣で毎朝見てました。ちょうど登校時間とかぶっていて、チョコレート色の客車列車でした。
@江川利文
ご視聴ありがとうございます。
毎朝実際にご覧になっていたのですね。貴重な体験を投稿していただきありがとうございます。
チョコレート色の客車はなんともいえない懐かしさがありますね。
コメントありがとうございました。
初手名古屋行きでビックリした
しかも普通列車…
@たまねぎたまねぎ
ご視聴ありがとうございます。
始発から「名古屋行き」のインパクトは大きいですね。
平気で長距離の普通列車を走らせている当時の国鉄の考えがすごいなと思います。
今でも存在していれば、きっと18切符シーズンは混雑していたでしょうね。
コメントありがとうございました。
SM分離前なので、東京駅の時刻表としては、できれば横須賀線も入れて欲しい。過密だったことがわかる。
@msakabe
ご視聴とコメントありがとうございます。
仰る通り、過密さを表現するであれば、横須賀線の時刻表もあった方がより良かったですね。今後SM分離前の時代を取り扱う場合は、横須賀線も一緒に扱おうと思います。
この時代にタイムスリップ出来たら153系のビュッフェでお寿司食べたいです😊
@銀河FOREVER
ご視聴ありがとうございます。
私も同じことを思っていました。153系の走行音をBGMにしながら、お寿司を食べたいですね。盛合わせ(上)が200円だったようですので是非こちらを注文したいです。
コメントありがとうございました。
数年前までかつて急行「なにわ」とかで寿司を握っていた職人さんが寿司屋をやっていたんですが、亡くなってしまいましたな。(´Д`|||)
@クモハ165
コメントありがとうございます。
そうだったんですね。大変残念です。
車内で本格的なお寿司を食べることができるとのことで、好評だったようですね。
@@user-cg6eb3gp7d さん
静岡市清水区にある「つばめ寿司」の大将ですね。
@原田寛
「つばめ鮨」さん、残念ながら閉店してしまっているのですね。
当時の口コミを読むと、当時の寿司盛り合わせを再現したメニューなどもあったようですね。行きたかったです。
時刻表もよく買って見てましたよ。懐かしいです!
@giga1821
コメントありがとうございます。
時刻表は読み物ですね。私も小さい頃から、時刻表に興味が強くあって、時間があれば手に取って読んでいました。
寝台急行大和の和歌山市行き編成(1両)がもし無かったら
湊町(JR難波)から南海に逃げられてしまったのかな(所要時間は大差なかったはず)
ご視聴とコメントありがとうございます。
湊町着が9時16分、南海は難波ー和歌山市間が特急で約1時間ですから、10時30分には和歌山市に到着できたはずです。一方、和歌山市行き編成は11時27分着。寝台と1時間の時間差をどう感じるかで、利用者の選択は分かれたでしょうね。
2:15 当時最新鋭の153系 → 新快速専用車両である117系が出現するまでは新快速の主力車両だった。モーター音が幻想的だった。
ご視聴とコメントありがとうございます。
国鉄型車両のモーター音は良いですよね。時々聴きたくなって動画を検索することがあります。
6:53 何と、現在、1日1本しか停車しない宗太郎駅に停車したことがあるという、伝説の急行列車
それは知りませんでした。大変貴重な急行列車ですね。情報の提供ありがとうとざいました。
1960年に比べて優等列車(特に特急列車)が増えた分長距離普通列車は僅かながら短縮が見られますな
普通列車の大阪行きとか...
それでも短距離列車(見方を変えれば長距離列車になるが)ばかりが発着する現代の東京駅と比べたら凄く「鉄道旅」への憧れを感じざるにはいられない路線だった事は間違いないですね
@池田裕貴
ご視聴とコメントありがとうございます。
限られたスジをなんとか有効活用した結果なのでしょうね。
普段利用する駅の行き先表示に、遠く離れた地域の駅名が表示されていれば、「いつか行ってみたいな」と憧れることも増えるでしょうね。
@@tomoyankun
この頃はSM分離も当然なく横須賀線は10~15分間隔の運行の間に小田原方面や長距離列車を差し込むしかなかったですしね
高効率なダイヤだと思いますよ
@池田裕貴
返信ありがとうございます。
私も高効率なダイヤだと思います。朝ラッシュの上りは、8時台に東京駅に到着する列車は急行「安芸」以外はすべて普通列車にしていますし、限られた容量を効率的に使用できるよう知恵を絞っていたのでしょうね。
03:50急行 なにわEXPRESS に違う意味でグッときたフュージョン
@MECHA831
ご視聴とコメントありがとうございます。
しばらく考えてから気づきました。フュージョンバンドのなにわexpressですね。
鉄道開業から150年です日本一の鉄道と言えばやはり東海道線ですね
@武掘博資
ご視聴ありがとうございます。
ちょうど今日、様々なイベントが開催されていましたね。
新幹線により優等列車の多くが姿を消しましたが、毎日多くの利用者を運び、特急も走り続ける東海道本線はまだまだ元気ですね。
コメントありがとうございました。
貴重な資料ありがとうございました😊
鈍行列車の所要時間は、いまと、変わりないことにびっくりしました。
18きっぷ万歳🙌
@さよさわるんるん
ご視聴とコメントありがとうございます。
区間によっては、今とほとんど所要時間が変わらないところもあり、驚きますね。
国鉄時代と比べて乗り換えが多くなってしまいましたが、当時と今それぞれに良いところがありますね。
@@tomoyankun さん
ね❣️
今と違ってこの当時電車の本数はどちらかと言うと特急急行の方が多かった普通が少ないそれに朝夕ラッシュの本数はどうなっていたんだろうなこの当時のサラリーマンはたいへんだろうに今は2分か3分おき間隔来るし昭和30年以降の電車は今もそうだけれどましてや昔は本当にぎゅうぎゅう詰めの電車身動き出来ないほどかも
@透 藤木
ご視聴ありがとうございます。
朝夕の普通列車も、動画内にすべて掲載しましたので、とても十分とは言えない運転本数だと思います。当時は混雑しすぎたことにより、ガラスが割れたり、ドアが故障することもあったようですね。「冷房なし」で「すし詰め」、想像しただけでも恐ろしいですね。
コメントありがとうございました。
乗ってみたいという人もいるだろうけどちょっと待ってほしい。
ここにある列車のうち151系と20系以外は全部非冷房。
更に繁忙期には長い行列に並ばないと指定席券を買えず自由席で床に座る羽目に。
今の若者に耐えられるとは思えん。
@じゃんがりあぶれ〜ど
ご視聴とコメントありがとうございます。
当時の繁忙期の状態について調べてみました。指定席券を買うのにも行列。自由席は床に座れたらまだ良い方で、すし詰め乗車率200%超えで終点まで立ちっぱなしもあったと書いてあり驚愕でした。
ゆったりとボックスシートを占有しながら、窓を開けて外の空気を感じながら駅弁を食べる、というようなイメージを勝手に持っていましたが、現実は厳しいところもあったようですね。
@@tomoyankun
マルスが導入される前は巨大な回転式書架に帳簿を入れていてこれで管理していました。
こんな事やっているので最繁忙期の指定席券は窓口に夜通しで並ぶので代行業や貸し椅子屋とかがいましたw
@じゃんがりあんぶれ~ど
一定速度で回転し続けるアレですね。正確に投げ入れる人もいたそうですね。
帳簿は取り合いになるでしょうし、時間がかかるのも納得です。
当時も知恵を働かせて商売する人たちがいたのですね。貸し椅子屋は面白いです。
気になるのは、夜8時前後に普通列車の列車間隔が30分くらいになってしまう。
平塚あたりに通勤している人もいただろうに大変だな
ご視聴とコメントありがとうございます。
横須賀線は20時台に東京駅から4本発車していますが、この時間帯は大船駅で東海道線の普通列車に連絡しているわけではありませんでした。平塚辺りの人は不便だったでしょうね。