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実は臨時特急としてスジを引いたが、車輛のやりくりが付かず(当時、よく充当されていた489系の早期落成車は別の列車に使われてしまった)仕方なく「急行」として運転したのかと。
東北の「エコー○○」や定期「くりこま」と同じですね。
実はスジは鮮魚特急の回送を使用。上りのスジは特急「はと」の臨時便が使用
急行列車、しかも臨時列車で9本も追い抜きとは今では考えられないですね。臨時列車を優先してダイヤを組んでいたんでしょうね。
それが可能になったのは年末年始の運休期間にあった特急貨物列車のスジを転用した為。ちなみに同じ手法で特急「はと」を設定した時には「特急が特急を追い越す」スジになったそうです🤣
1971年のシーズンは、この急行つくし53号に加えて急行エコーもりおか号や急行アルペン号や東北本線や常磐線経由の急行あおもり号や四日市発・豊橋着の急行きそ号や小海線に乗り入れた急行白樺高原号や急行おきのしま号や芸備線を通らない急行ちどり号などの変わり種の急行列車が同時に存在した年であり、ある意味急行列車の絶頂期だった年でした。しかし1972年以降は新幹線の延伸や特急列車の増発や定期列車の拡充などで、変わり種の急行列車は数を減らしていくことになりました。
山口県の柳井駅のプラットホームには急行つくしの乗り口案内が今だに残っています。他にも急行玄海や寝台特急あさかぜも。
別の方も仰っているのですが、実は臨時特急として設定したものの車両不足で急行用車両しかなかったから止むを得ず急行にした…説が有力だと思います当時「月光」は定期1本・不定期1本運行しており、71~72年年末年始には「月光51号」新大阪21:30→博多07:09も運行していました(運転日12/29~31・1/3~5)で、この「つくし53号」の所要時間から考えたら本来なら583系なら「月光53号」か、481系等なら「はと53号」辺りを設定したかったものの、583系どころか481系も、80系の気動車すらもパンパンだったのを失念(笑)→しゃあないから475系の予備車で運行(営業休止だったものの定期つくし同様にビュッフェも連結していた)した…のではないでしょうかこの「つくし53号」は殆ど臨時設定の急行を追い抜いたものの、9本追い抜き、実は小倉で「さくら」には追い抜かれます流石に定期列車の合間に運行した為か、「さくら」には追い付かれてしまった様ですね翌年の72年のお盆以降は、3月に新幹線岡山開業が有って、特急・急行が大分整理された影響も有って、車両にもある程度余裕が見られたから翌年以降は余裕をもって設定できた…のではないか?と
このような臨時列車は本来なら、盛りスジで定期列車を邪魔しないように、遅く走るものなのだが、こんな速く走ったのは、もしかしたら特急用車両が無かったので、仕方無く急行として走らせたのでは無かろうか。後にこのスジは特急列車として活用されたと思う。
私も同意見です。大阪万博後で12系は余っていたけど客車では走れないスジで特急用電車も余裕が無かったのでしょう。停車駅が晩年の寝台特急と変わらないレベル。
さくらの5分先行か5分続行の筋を使ってると思います。大阪からさくらに乗る客を誘導したかったんじゃないでしょうか?
485系不足です。489系だけが前年に新製されていますがすぐに新幹線岡山開業を控えていたので485系は製造されませんでした。現に特急つばめと特急はと各1往復はヨンナナサンダイヤ改正後のゴールデンウィーク前からの運転になっていた。
この列車、東北本線でいう急行くりこまみたいな立ち位置だったんですね。
俊足くり1懐かしい。
くりこま号いいですね~
クリーム色とあずき色の475系急行やっぱりかっこいいな!この型はやっぱり北陸本線のイメージが強い!
ワイは@東京23区やから東北本線・常磐線やな(厳密には451・455系だが)😉
北陸本線は475系よりも471系のほうが多かった。山陽本線にはセノハチがあり、勾配抑速ブレーキを使用する必要があったのと電化が丁度475系製造開始にあたったためだ。ヨンサントウダイヤ改正では九州方面の急行が基本7両編成で付属編成が3両編成になり、サロ455型とサハシ455型が北陸急行増発のために南延岡電車区から金沢運転所へ転属している。
鉄道の歴史を辿ると、やっぱり新幹線は凄い列車だなぁとつくづく思います。
まさに記録にも記憶にも残る、日本鉄道史上最速の急行列車が期間限定ながら爆誕したという、マニアには興味深いエピソードでしたね。。。
今の世なら鉄道系TH-camr垂涎の的だったろう。
今じゃ絶対できない、当時だからこそ設定できたバケモノ急行。
国鉄:ちょっとこれは客のために尽くしすぎました
元々は、東京ー博多(熊本だった?かな)の夜行客車急行で、東海道本線の駅案内では、「ちくし」と放送され、特に山陽本線を西に下るにつれ段々「つくし」と案内される、曰く因縁のある列車でした。定かではありませんけど、確か、下関ー東京の165系電車(4名ボックスシートで長い折り畳みテーブルの有る修学旅行専用電車)急行「ながと」ってのも有ったと思います。 カレチさん(列車長)の車内放送も同様に変化し「あ! 車掌区の境で交代が有ったな!」って判ったのも思い出でした。
長州ですね。
@@HM-rt4mg 様有難う御座います。そうでした。間違っていました🙏
車両のやりくりから考えて、博多到着後に竹下か南福岡で折り返し宮原まで戻すと12時間はかかります。そうなると、往路は10時間を切る設定でないと別編成を用意しないといけない。余裕を含めての俊足ダイヤにしたのでしょう。😅
7:05「変な急行は、いらなくなった...」(名言)😅😂
「変な」と言いつつそこが良いんですけどね…合理化の波には抗えないというのが悲しいところです
ロングサボの「ゆのくに」写真が懐かしい。「くずりゅう」以外の北陸急行は初めはあのようなロングサボだった。
つくし号、かわええ。
臨時列車が同じ名前の定期列車をぶち抜くなんて…
昔の大垣夜行が確かそれやってました品川発の臨時の方が大垣先につくので以後の接続が早くなった覚えがあります
逆ならくりこまがくりこまを抜いた例など、あったけどね....
土筆と思ったけれど、筑紫と聞いて九州特急って分かった。身をつくして走った。立山、ゆのくに、雷鳥の在りし日の姿が懐かしい。えちごトキめき鉄道の急行に乗って、改めてこういう感じだったと懐かしんでいました。そして、いよいよ北陸新幹線敦賀開業。バンバン試運転のE7系が走り回っています。サンダーバードもしらさぎも追われていく歴史は繰り返されます。新幹線の威力って凄いです。
今も残ってたらキハ189系か、681系が使われるんだろうなぁ〜
急行9本ごぼう抜き、のくだりで某変態待避のテーマが脳内再生された人は迷列車中毒者でしょうか。ちなみに、鉄道以外に目を向けると、山陽路には今も夜行が元気に運行されています。しかもそのうち1系統はこの春に新型も登場。
どのような車両運用を行ったかは知らないが、夜、大阪に到着した上りの「つくし」の車両を、翌日の下り博多行の「つくし」に回さず、即日下りの臨時夜行列車として運転すれば、滞泊させる必要がなくなり、翌日また同じ博多発上りの「つくし」に回すことができそう。おまけに、年末年始なら貨物列車はほとんど運休で、スジを引くのは楽そうだ。しかし、いかに高性能の電車とはいえ「鷲羽11号」「音戸1号」「阿蘇」「雲仙3号」といった主要定期急行列車どころか「寝台急行つくし3号」を追い越し、寝台特急電車の「明星2号」より速いっていうのはムチャクチャって感じ。今の時代「急行」とか「夜行列車」はほとんど「死語」。昔はよかった・・・
良く調べてある🎉🎉🎉🎉スゴ❤
面白かった!自分は1972年生まれで、5~6歳の頃から時刻表を愛読して(?)いたが、まさかこんな列車が走っていたとは!まあ、自分が時刻表を読み始めたころには、既に走ってなかったから、当然と言えば当然だが・・・。しかし、次々と「迷列車」を発掘してきますね。うP主さんは、相当昔からの時刻表を取り揃えているんでしょうか?毎回毎回アップされる動画を楽しみに見ています。
455系大好きです。東北夜行座席急行も取り上げて欲しいです。松島、磐梯、蔵王、岩手など
北海道のさちかぜみたいなポジションだったのかな。。。あれも札旭間ノンストップ急行で気動車運用の急行かむいもあったなかでノンストップをやってたという話があって。。
ときてつで今走ってるのは455と413の3両編成なので、動画での主さんの言い方だと違う気がしますね…
おそらく、「つくし」で走っていた475系は、九州ローカルに転じたものが大多数だったでしょうね。
細かいことで恐縮ですが、455系は交流50ヘルツで九州では走行できませんこの当時九州は南福岡電車区が475系オンリーで鹿児島運転所は475系と457系11ユニットがあったのと急行つくしは基本的に南福岡電車区の475系で運転されていた。付属編成は全て南福岡電車区が担当していて鹿児島運転所の基本編成の本州では急行玄海としらぬいとはやともがあった。
この電車、大阪23時46分発という段階であまり利用されなかったと容易に予想できます。多分東京発のブルトレを5分くらい先行する筋の設定だと思いますが。だからスピードを速くしたんでしょうけど利用は振るわなかったと思います。
面白い列車紹介ありがとうございます。無理に入れ込んだ感じがして興味深いところです。勝手に愚考するとして、新大阪到着の最終475系つくしか他の急行(ゆのくに?立山?)の新大阪到着時刻と、博多出発の始発475系つくしか他の急行の博多出発時刻に縛られて、このように急いで走らされたのではないか?と思ったのですが、いかがでしょうか?
つくしって植物じゃなくて筑紫のことだよねwww
ちくし
ちくしてつや
その通りです。昭和22年に走り始めた初代は、「筑紫」と漢字で運転された。2代目からひらがなの「つくし」にして運転されました。
つくしとぎんなんのおかげで九州の急行は植物の名称を用いてると思い込んだ小学生時代
@@wipeout-pure「ぎんなん」も、熊本城の別名が、銀杏城から愛称になりました。別に植物からでは…なかったです。
小郡駅は、現在の新山口駅です!
「つくし」なのに「ごぼう」抜きとはこれいかに…
あの頃…山陽新幹線開業前は475系の急行列車は[つくし]・[玄海]・[しらぬい]・[はやとも]そして[べっぷ]があった。設定当初の[山陽]にも充当された。尚[べっぷ]は[つくし1-1号]と併結されていた。[つくし1-1号]はサロ・サハシを挟む7連で1~7号車、[べっぷ]は3連で8~10号車だった。またそれ以外にも153系・165系による本州内の列車として[山陽]・[関門]・[安芸]・[やしろ]などがあり、当時非電化だった日豊本線南部や長崎本線直通の[青島]・[出島]などは当然ながらキハ58系で運転されていた。その非電化区間へも直通する関係からか夜行急行は悉く客レ編成だったがこれも寝台車や郵便・荷物輸送との兼ね合いもあって客レになっていた。[阿蘇]・[天草]・[雲仙]・[霧島(後の桜島)]・[西海]・[日南]・[音戸]・[ななうら]等々。定期の客レが在来一般型なのに、季節列車・臨時列車が当時新進気鋭の12系という逆転現象もみられたものだった。つくし53号が1971/昭和46年の年末と1972/昭和47年年始のみの運転だったのは推測するに…L特急設定と同時に山陽新幹線延伸もあったのでは?その時点で昼行の[つくし2-2号]の廃止が予定されていた様でもあるしそれも影響しているのでは?尚[つくし1-1号]が新大阪発着で残存したのは赤穂線経由だったことで同線の急行を残したかったのかも?そして夜行のつくし3-3号が繰り上がってつくし2-2号に。この列車は指定席車にスハ44・スハフ4311~がほぼ所定で使われていたが、段々それが崩れ後年はナハ11に、最晩年頃にはスハ43・スハフ42に代わっていった。[つくし]に使われた475系は門ミフ・分オイ車で50-3以降は基本九州内での運用になったので越後ときめき鉄道に残る475系(改造され413系)金サワ車とは恐らく別物かと…(^^);(車輛の転配があったか否かは不明)
出来ない物もございますがご意見として言います。出来たらいつでもかまいませんから東北新幹線の盛岡から青森、青函トンネルを通って函館まで行く、東北本線の特急列車、485系 はつかりを取り上げて下さい。
ああ!急行『つくし』に乗ったらどんな感じだったのだろう!?その性能の限界で走り、相当速かったんだろう!ふと思い起こすのは、東北線の急行『くりこま』!
ついでに特別急行夕月もとりあげてほしい✋☺🚃
かまぼこ?
特急で夜行なら基本的に寝台列車ですよね。しかし、多客期の臨時列車なら乗車定員を最大化したいわけで、そうなると座席車>寝台車。ならば、速くても急行として設定するしかなかったのではないでしょうか。先行する急行には客車列車が多いようなので、スピードの出せる電車急行なら追い抜いていくほうがダイヤ設定しやすかったのでしょうか?
後はブルートレインのなにかが後続を走ってたとかもあるんですかね?時間帯に東京始発のブルートレインが来ててもいい頃です。
さくらの5分先行の筋を利用していると思います。大阪からのさくらの割り当てを無くしてこちらに誘導したのではと思います。
なるほどさくらの前を走る急行電車でしたか。
くりこま以上にヤバい列車(^_^;)
最初の画像中庄駅?
特急は『特別席』を設けて『特別に早く走る』(昔の1等、2等、3等でも狭いなりに特別あつらえした急行は『特別急行』と名乗れたんです。通常の普通座席(木造背もたれ車でも向かい合わせボックスシートの「普通座席車連結の急行は「(特別じゃない普通)急行」に区分されたはずです。ボックスシートモノクラス+旧2等座席車(現在のグリーン車)で急行の次のグレード「準急行」もわかりやすく『急行』にしたわけでしょう。『特別急行』専用特別座席車が準備できなかった。準備できたのが最廉価グレード(旧3等普通車)の「普通急行」車両だったからこうなっちゃったのでしょう
盆暮れで貨レが運休ってたから、そのダイヤが空いてるのを利用してこういうぁゃιぃ列車が走れたんだよ。抜かれる急行は(聞き覚えがないから)みんな臨時列車だし、列番書いてないけど9000代の「盛りスジ」でしょ?
新幹線が出来てから在来線が面白くなくなったね。
50.3直前の山陽本線なんて列車・電車の博物館みたいだったからなぁ……
新幹線🚅も食堂車🍽️ある頃は面白かったが…😵
面白くない?そりゃあ鉄オタのために存在してるわけじゃないからな大切なのは面白さではなく利便性なのだから
常磐線では、急行、ときわ😂
いいねしたら、475から変わってしまった。
「血に染まった臨時列車~急行つくし53号の殺意」こんな本・またはサスペンスドラマが作られてもおかしくない気がするが・・・・西村センセイはこの列車に注目しなかったのかな?
実は臨時特急としてスジを引いたが、車輛のやりくりが付かず(当時、よく充当されていた489系の早期落成車は別の列車に使われてしまった)仕方なく「急行」として運転したのかと。
東北の「エコー○○」や定期「くりこま」と同じですね。
実はスジは鮮魚特急の回送を使用。
上りのスジは特急「はと」の臨時便が使用
急行列車、しかも臨時列車で9本も追い抜きとは今では考えられないですね。臨時列車を優先してダイヤを組んでいたんでしょうね。
それが可能になったのは
年末年始の運休期間にあった特急貨物列車のスジを転用した為。
ちなみに同じ手法で特急「はと」を設定した時には「特急が特急を追い越す」スジになったそうです🤣
1971年のシーズンは、この急行つくし53号に加えて急行エコーもりおか号や急行アルペン号や東北本線や常磐線経由の急行あおもり号や四日市発・豊橋着の急行きそ号や小海線に乗り入れた急行白樺高原号や急行おきのしま号や芸備線を通らない急行ちどり号などの変わり種の急行列車が同時に存在した年であり、ある意味急行列車の絶頂期だった年でした。しかし1972年以降は新幹線の延伸や特急列車の増発や定期列車の拡充などで、変わり種の急行列車は数を減らしていくことになりました。
山口県の柳井駅のプラットホームには急行つくしの乗り口案内が今だに残っています。他にも急行玄海や寝台特急あさかぜも。
別の方も仰っているのですが、実は臨時特急として設定したものの車両不足で急行用車両しかなかったから止むを得ず急行にした…説が有力だと思います
当時「月光」は定期1本・不定期1本運行しており、71~72年年末年始には「月光51号」新大阪21:30→博多07:09も運行していました(運転日12/29~31・1/3~5)
で、この「つくし53号」の所要時間から考えたら本来なら583系なら「月光53号」か、481系等なら「はと53号」辺りを設定したかったものの、583系どころか481系も、80系の気動車すらもパンパンだったのを失念(笑)→しゃあないから475系の予備車で運行(営業休止だったものの定期つくし同様にビュッフェも連結していた)した…のではないでしょうか
この「つくし53号」は殆ど臨時設定の急行を追い抜いたものの、9本追い抜き、実は小倉で「さくら」には追い抜かれます
流石に定期列車の合間に運行した為か、「さくら」には追い付かれてしまった様ですね
翌年の72年のお盆以降は、3月に新幹線岡山開業が有って、特急・急行が大分整理された影響も有って、車両にもある程度余裕が見られたから翌年以降は余裕をもって設定できた…のではないか?と
このような臨時列車は本来なら、盛りスジで定期列車を邪魔しないように、遅く走るものなのだが、こんな速く走ったのは、もしかしたら特急用車両が無かったので、仕方無く急行として走らせたのでは無かろうか。
後にこのスジは特急列車として活用されたと思う。
私も同意見です。大阪万博後で12系は余っていたけど客車では走れないスジで特急用電車も余裕が無かったのでしょう。
停車駅が晩年の寝台特急と変わらないレベル。
さくらの5分先行か5分続行の筋を使ってると思います。大阪からさくらに乗る客を誘導したかったんじゃないでしょうか?
485系不足です。489系だけが前年に新製されていますがすぐに新幹線岡山開業を控えていたので485系は製造されませんでした。現に特急つばめと特急はと各1往復はヨンナナサンダイヤ改正後のゴールデンウィーク前からの運転になっていた。
この列車、東北本線でいう急行くりこまみたいな立ち位置だったんですね。
俊足くり1懐かしい。
くりこま号いいですね~
クリーム色とあずき色の475系急行やっぱりかっこいいな!
この型はやっぱり北陸本線のイメージが強い!
ワイは@東京23区やから東北本線・常磐線やな(厳密には451・455系だが)😉
北陸本線は475系よりも471系のほうが多かった。山陽本線にはセノハチがあり、勾配抑速ブレーキを使用する必要があったのと電化が丁度475系製造開始にあたったためだ。ヨンサントウダイヤ改正では九州方面の急行が基本7両編成で付属編成が3両編成になり、サロ455型とサハシ455型が北陸急行増発のために南延岡電車区から金沢運転所へ転属している。
鉄道の歴史を辿ると、やっぱり新幹線は凄い列車だなぁとつくづく思います。
まさに記録にも記憶にも残る、日本鉄道史上最速の急行列車が期間限定ながら爆誕したという、マニアには興味深いエピソードでしたね。。。
今の世なら鉄道系TH-camr垂涎の的だったろう。
今じゃ絶対できない、当時だからこそ設定できたバケモノ急行。
国鉄:ちょっとこれは客のために尽くしすぎました
元々は、東京ー博多(熊本だった?かな)の夜行客車急行で、東海道本線の駅案内では、「ちくし」と放送され、特に山陽本線を西に下るにつれ段々「つくし」と案内される、曰く因縁のある列車でした。定かではありませんけど、確か、下関ー東京の165系電車(4名ボックスシートで長い折り畳みテーブルの有る修学旅行専用電車)急行「ながと」ってのも有ったと思います。
カレチさん(列車長)の車内放送も同様に変化し「あ! 車掌区の境で交代が有ったな!」って判ったのも思い出でした。
長州ですね。
@@HM-rt4mg 様
有難う御座います。そうでした。間違っていました🙏
車両のやりくりから考えて、博多到着後に竹下か南福岡で折り返し宮原まで戻すと12時間はかかります。
そうなると、往路は10時間を切る設定でないと別編成を用意しないといけない。
余裕を含めての俊足ダイヤにしたのでしょう。😅
7:05
「変な急行は、いらなくなった...」
(名言)😅😂
「変な」と言いつつそこが良いんですけどね…合理化の波には抗えないというのが悲しいところです
ロングサボの「ゆのくに」写真が懐かしい。
「くずりゅう」以外の北陸急行は初めはあのようなロングサボだった。
つくし号、かわええ。
臨時列車が同じ名前の定期列車をぶち抜くなんて…
昔の大垣夜行が確かそれやってました品川発の臨時の方が大垣先につくので以後の接続が早くなった覚えがあります
逆ならくりこまがくりこまを抜いた例など、あったけどね....
土筆と思ったけれど、筑紫と聞いて九州特急って分かった。身をつくして走った。立山、ゆのくに、雷鳥の在りし日の姿が懐かしい。えちごトキめき鉄道の急行に乗って、改めてこういう感じだったと懐かしんでいました。そして、いよいよ北陸新幹線敦賀開業。バンバン試運転のE7系が走り回っています。サンダーバードもしらさぎも追われていく歴史は繰り返されます。新幹線の威力って凄いです。
今も残ってたらキハ189系か、681系が使われるんだろうなぁ〜
急行9本ごぼう抜き、のくだりで某変態待避のテーマが脳内再生された人は迷列車中毒者でしょうか。
ちなみに、鉄道以外に目を向けると、山陽路には今も夜行が元気に運行されています。しかもそのうち1系統はこの春に新型も登場。
どのような車両運用を行ったかは知らないが、夜、大阪に到着した上りの「つくし」の車両を、翌日の下り博多行の「つくし」に回さず、即日下りの臨時夜行列車として運転すれば、滞泊させる必要がなくなり、翌日また同じ博多発上りの「つくし」に回すことができそう。おまけに、年末年始なら貨物列車はほとんど運休で、スジを引くのは楽そうだ。しかし、いかに高性能の電車とはいえ「鷲羽11号」「音戸1号」「阿蘇」「雲仙3号」といった主要定期急行列車どころか「寝台急行つくし3号」を追い越し、寝台特急電車の「明星2号」より速いっていうのはムチャクチャって感じ。今の時代「急行」とか「夜行列車」はほとんど「死語」。昔はよかった・・・
良く調べてある🎉🎉🎉🎉
スゴ❤
面白かった!
自分は1972年生まれで、5~6歳の頃から時刻表を愛読して(?)いたが、まさかこんな列車が走っていたとは!
まあ、自分が時刻表を読み始めたころには、既に走ってなかったから、当然と言えば当然だが・・・。
しかし、次々と「迷列車」を発掘してきますね。
うP主さんは、相当昔からの時刻表を取り揃えているんでしょうか?
毎回毎回アップされる動画を楽しみに見ています。
455系大好きです。
東北夜行座席急行も取り上げて欲しいです。
松島、磐梯、蔵王、岩手など
北海道のさちかぜみたいなポジションだったのかな。。。
あれも札旭間ノンストップ急行で気動車運用の急行かむいもあったなかでノンストップをやってたという話があって。。
ときてつで今走ってるのは455と413の3両編成なので、動画での主さんの言い方だと違う気がしますね…
おそらく、「つくし」で走っていた475系は、九州ローカルに転じたものが大多数だったでしょうね。
細かいことで恐縮ですが、455系は交流50ヘルツで九州では走行できませんこの当時九州は南福岡電車区が475系オンリーで鹿児島運転所は475系と457系11ユニットがあったのと急行つくしは基本的に南福岡電車区の475系で運転されていた。付属編成は全て南福岡電車区が担当していて鹿児島運転所の基本編成の本州では急行玄海としらぬいとはやともがあった。
この電車、大阪23時46分発という段階であまり利用されなかったと容易に予想できます。多分東京発のブルトレを5分くらい先行する筋の設定だと思いますが。
だからスピードを速くしたんでしょうけど利用は振るわなかったと思います。
面白い列車紹介ありがとうございます。無理に入れ込んだ感じがして興味深いところです。勝手に愚考するとして、新大阪到着の最終475系つくしか他の急行(ゆのくに?立山?)の新大阪到着時刻と、博多出発の始発475系つくしか他の急行の博多出発時刻に縛られて、このように急いで走らされたのではないか?と思ったのですが、いかがでしょうか?
つくしって植物じゃなくて筑紫のことだよねwww
ちくし
ちくしてつや
その通りです。
昭和22年に走り始めた初代は、「筑紫」と漢字で運転された。
2代目からひらがなの「つくし」にして運転されました。
つくしとぎんなんのおかげで九州の急行は植物の名称を用いてると思い込んだ小学生時代
@@wipeout-pure
「ぎんなん」も、熊本城の別名が、銀杏城から愛称になりました。別に植物からでは…なかったです。
小郡駅は、現在の新山口駅です!
「つくし」なのに「ごぼう」抜きとはこれいかに…
あの頃…山陽新幹線開業前は475系の急行列車は[つくし]・[玄海]・[しらぬい]・[はやとも]そして[べっぷ]があった。設定当初の[山陽]にも充当された。尚[べっぷ]は[つくし1-1号]と併結されていた。[つくし1-1号]はサロ・サハシを挟む7連で1~7号車、[べっぷ]は3連で8~10号車だった。またそれ以外にも153系・165系による本州内の列車として[山陽]・[関門]・[安芸]・[やしろ]などがあり、当時非電化だった日豊本線南部や長崎本線直通の[青島]・[出島]などは当然ながらキハ58系で運転されていた。その非電化区間へも直通する関係からか夜行急行は悉く客レ編成だったがこれも寝台車や郵便・荷物輸送との兼ね合いもあって客レになっていた。[阿蘇]・[天草]・[雲仙]・[霧島(後の桜島)]・[西海]・[日南]・[音戸]・[ななうら]等々。定期の客レが在来一般型なのに、季節列車・臨時列車が当時新進気鋭の12系という逆転現象もみられたものだった。
つくし53号が1971/昭和46年の年末と1972/昭和47年年始のみの運転だったのは推測するに…L特急設定と同時に山陽新幹線延伸もあったのでは?その時点で昼行の[つくし2-2号]の廃止が予定されていた様でもあるしそれも影響しているのでは?尚[つくし1-1号]が新大阪発着で残存したのは赤穂線経由だったことで同線の急行を残したかったのかも?
そして夜行のつくし3-3号が繰り上がってつくし2-2号に。この列車は指定席車にスハ44・スハフ4311~がほぼ所定で使われていたが、段々それが崩れ後年はナハ11に、最晩年頃にはスハ43・スハフ42に代わっていった。
[つくし]に使われた475系は門ミフ・分オイ車で50-3以降は基本九州内での運用になったので越後ときめき鉄道に残る475系(改造され413系)金サワ車とは恐らく別物かと…(^^);(車輛の転配があったか否かは不明)
出来ない物もございますがご意見として言います。出来たらいつでもかまいませんから
東北新幹線の盛岡から青森、青函トンネルを通って函館まで行く、東北本線の特急列車、485系 はつかりを取り上げて下さい。
ああ!急行『つくし』に乗ったらどんな感じだったのだろう!?その性能の限界で走り、相当速かったんだろう!
ふと思い起こすのは、東北線の急行『くりこま』!
ついでに特別急行夕月もとりあげてほしい✋☺🚃
かまぼこ?
特急で夜行なら基本的に寝台列車ですよね。しかし、多客期の臨時列車なら乗車定員を最大化したいわけで、そうなると座席車>寝台車。ならば、速くても急行として設定するしかなかったのではないでしょうか。先行する急行には客車列車が多いようなので、スピードの出せる電車急行なら追い抜いていくほうがダイヤ設定しやすかったのでしょうか?
後はブルートレインのなにかが後続を走ってたとかもあるんですかね?
時間帯に東京始発のブルートレインが来ててもいい頃です。
さくらの5分先行の筋を利用していると思います。大阪からのさくらの割り当てを無くしてこちらに誘導したのではと思います。
なるほどさくらの前を走る急行電車でしたか。
くりこま以上にヤバい列車(^_^;)
最初の画像中庄駅?
特急は『特別席』を設けて『特別に早く走る』(昔の1等、2等、3等でも狭いなりに特別あつらえした急行は『特別急行』と名乗れたんです。通常の普通座席(木造背もたれ車でも向かい合わせボックスシートの「普通座席車連結の急行は「(特別じゃない普通)急行」に区分されたはずです。ボックスシートモノクラス+旧2等座席車(現在のグリーン車)で急行の次のグレード「準急行」もわかりやすく『急行』にしたわけでしょう。『特別急行』専用特別座席車が準備できなかった。準備できたのが最廉価グレード(旧3等普通車)の「普通急行」車両だったからこうなっちゃったのでしょう
盆暮れで貨レが運休ってたから、そのダイヤが空いてるのを利用してこういうぁゃιぃ列車が走れたんだよ。
抜かれる急行は(聞き覚えがないから)みんな臨時列車だし、列番書いてないけど9000代の「盛りスジ」でしょ?
新幹線が出来てから在来線が面白くなくなったね。
50.3直前の山陽本線なんて列車・電車の博物館みたいだったからなぁ……
新幹線🚅も食堂車🍽️ある頃は面白かったが…😵
面白くない?そりゃあ鉄オタのために存在してるわけじゃないからな
大切なのは面白さではなく利便性なのだから
常磐線では、急行、ときわ😂
いいねしたら、475から変わってしまった。
「血に染まった臨時列車~急行つくし53号の殺意」
こんな本・またはサスペンスドラマが作られてもおかしくない気がするが・・・・
西村センセイはこの列車に注目しなかったのかな?
常磐線では、急行、ときわ😂