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この頃のF1が一番好き
いい時代だ。
この年何気にいいF1だったなあ。夜中起きて見てたなあ。
この頃のF-1楽しかったな。
本当にマジでアイルトン・セナ絶頂期の時の話ですね本当に懐かしい。私が定時制高校2年生の時の話。アイルトン・セナが本当に最後のワールドチャンピオンになった年の事を鮮明に覚えています。
フェニックス市街地コースは面白いバトルで満載でした。前の年ではセナとアレジのバトルが面白かったです。ティレルホンダを駆るモデナの走りはストリートコースを得意としていてモナコでもリタイアするまではシャープな走行を見せてくれました。このシーズンのみピレリタイヤをチョイスしたベネトンのピケもストリートで表彰台3位で好スタートでしたね。
チーム紹介のBGMがまた最高!アニメ ヴイナス戦記 ですね。あの久石譲さん作曲!
最近曲名を知りました。スターティンググリッド紹介もですが、選曲センスがいいですね🎵 序盤のティレル(モデナ)はセナを脅かしていたんですね。
@@ダンドレジーラウール 特にモナコ。モデナ氏は公道コースがクソ速いので、もしかしたらセナを破るかも?・・・と思ってましたが、ピロに(中嶋さんと)勘違いされ、ブロック責めからのエンジンブロー。もし、これがなかったら?・・・と。
あっ、そうなんですね。この曲はヴイナス戦記の曲だったんですか。30年以上の謎が解けました。
古舘さんの名言でゲラゲラ笑いたいのに家族が寝てるのでふとんを噛んで耐えていた あー懐かしぃ😊
「人間ドーベルマン」「UFOに乗った原始人」⇒ナイジェル・マンセル氏「妖怪通せんぼジジィ」⇒ルネ・アルヌー氏(これに、中嶋さんは「グランプリの偉大な先輩に無礼なあだ名をつけるんじゃねぇ!」とキレてました)
納豆がキレてらぁ!
高校生だった当時、強すぎたマクラーレン…1990年Ferrariプロストでも倒せなかった…そこにアレジが入った…予選の中継が始まった…ワクワクしないはずがないよね(≧∇≦)が、しかし前評判とは違い劣化していくFerrariチーム、今年もマクラーレンの独壇場かと思ってたらウィリアムズが段々信頼性上がりマクラーレンに拮抗していき面白いシーズンでした(^^)
フェラーリの低迷とウィリアムズの躍進、さすがに考えられなかったですね😖
フェラーリがアラン・プロストを解雇した年ですね私も当時高校生でしたよ。定時制でしたけど
やっぱりフェラーリは27だよね。タバコスポンサーが懐かしい。
ミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハのデビューイヤーですね2001年まで勝負が続くとは感動しました
古舘さんの実況とこのBGMワクワク感が止まらない
この頃下手くそながらタミヤのF1プラモよく作りましたね。この時代のチームは日本バブルを象徴するかのように日本人オーナーや日系スポンサーが多いですね。
個性があって楽しい時代だよね。。。
名前が似ていて実況泣かせだ笑
1991年の開幕戦は見ました。今でも覚えております。
中嶋さんが入賞できた最後の試合になってしまいましたね。「あっと驚く大変身!ティレルホンダ」・・・戦績は悪い方に大変身してしまったのが残念でした。
初めてスタートからゴールまで見たF1。日本🇯🇵人ダブル入賞ってこのレースから無いのが悲しい😢
2:55 名前が似てて実況泣かせだ!が好き。古舘さんあってのF1ブームでしたよね!89年のチーム紹介どっかにないかなー
鬼に金棒、マクラーレンにV12気筒、これいいなと思った。
実況、解説、そしてレースその物に熱くなれた。懐かしい❗
中2だった当時、友達みんなで入賞順位予想をして、当たった順位と同じポイント加点していってシーズン楽しんでたなあ。
日本企業がたくさんスポンサードしていた、良き時代ですよね。しかもジャンプでは、セナの漫画まで連載していました。
懐かしいですね。私も当時少年ジャンプ見てましたよ
日本企業が元気だった時代
どう考えてもこの時代のほうがイイですよねラルースなんか、映像見たら東芝単独ですね、他スポンサー無しで資金足りないだろうに開幕数戦は東芝がケツ持ちしたんでしょうかね
沢山あった日本企業ロゴ…。
古巣ウィリアムズに戻ってきたナイジェル マンセルがシーズン後半戦より怒濤の快進撃を見せ、マクラーレンのセナとベルガーを脅かすくらいまでバトルを繰り広げる。デビューしたFW14は空力重視のコンセプトと満を持してセミATを導入しましたが、序盤はトラブルが続出するも後半になってからはさらに進化しポテンシャルを発揮するくらいとなる。
今宮氏のご冥福をお祈りいたします。
やっぱりF1はいろんなエンジンメーカーとV8からV12までのラインナップが面白い。ホンダ、フェラーリ、フォード、BMW、ランボルギーニ、ヤマハにトヨタ、イルモア、ポルシェ。あの頃が面白く懐かしい
役者揃い
チームが多いいっていいよねーでもまだ俺生まれてなかったからなー笑笑でもf1が楽しそうやし誰が優勝するかわからんとこがいいよねー
アイルトンセナ この頃のF1があまりに面白すぎて、その後のF1を否定し続けるマニアが無数に生まれました。
ここ30年くらいで「いい人」でチャンピオンになったのはデイモンくらいか。
ハッキネン!
ハッキネンを忘れないで
マッサはなれなかったですしね、ベッテルはどうなんですかね?笑
マンセルも人が良さそう。
ジェンソンバトン
古舘伊知郎の実況はやっぱり面白い。マクラーレンに襲いかかる情熱のラテン民族同盟 フェラーリ。サーキットのナポレオン鬼に金棒、マクラーレンに12気筒音速の貴公子らくだを失った砂漠の旅人等々…名言ばかりだ❗️
ブラジルの演歌系 ロベルトモレノ
F1界の加勢大周、アレックス・カフィー…って、日本人以外誰も知らんがな(笑)。
1:35開幕戦では735馬力だったが、鈴鹿スペシャルの最終仕様では780馬力をマークした。
規制前のスペシャルガソリンを使うと、800馬力を上回るらしいです。
1991年のフェラーリは、1990年の活躍はどこへ行ったのか❓と目を疑うシーズンだった。
チームで内紛が起きていたね・監督のチェザーレ・フィオリの更迭・ニューマシンはイマイチ・プロストの度重なるチーム批判
翌年1992年は更に悪化…。駄馬F92Aが大失敗に終わってしまう。更に1993年F93Aはハイテク化の流れに付いて行けず。3年間未勝利でシーズンを過ごす。
エイドリアン・ニューウェイさんデザインの名車の一つが、ここにも。
F1界の加瀬 大周
情熱のラテン民族同盟、フェラーリ!
カペリ&グージェルミン長期に渡り組んでましたね。レイトンハウスといえばアドリアン・ニューウェイが手掛けただけに時おりビッグパフォーマンスを魅せてくれました✨
市街地コース得意のモデナは好きやった!
予備予選から3位に行ったこともあるほど、公道コースはクソ速かったですね・・・モデナ氏。
彼はカート時代からセナとは旧知で、「アイツより絶対俺のほうが速い‼️」という確固たるプライドがあったようです。1991モナコは、それがただの遠吠えじゃないことを証明しましたよね。
@@カレーライス師匠-w1g 結果はエンジンブローでリタイアしましたが、そうでなかったら2位は確実に行けてたでしょうねぇ・・・。
@@Taxi_go_3584 ピロに「とおせんぼ兄さん」されましたしね。あれなかったら、パトレーゼさんも巻き添え食ってないんですよね。あんな接近してないから。
マクラーレンのマシーンにフロントノーズに集英社ジャンプの文字が小さく書いて有った事を覚えていますか⁉️懐かしい話ですね
あの、見えるか見えないかわからないような小さなロゴでもマクラーレンに年間数億円払ったそうですよ・・・
@@jpntechnostream505 当時の日本円で1億円です
モデナのヘルメットの白ベースに差し色気味なグリーンのラインが好きだったなあ。シンプルで控えめなデザインがステファノ・モデナというドライバーをよく表していて。
胸が締め付けられて痛いくらいの開幕戦。まさにその通り。
この頃のマシンが一番カッコいいな
この頃は開幕楽しみだったな
2021年の実況を古舘伊知郎がしてたらマゼピンを走るチェルノブイリって言いそう
「現代版チェザリス」または「チェザリス2世」に一票!
走るプーチンでしょう。
020が残念だったのが悔やまれるよなあ
東条誠 t3233226 歯車が合うとけっこーいいんだけどね
東条誠 t3233226 前年度019のコンセプトを踏襲しつつ進化した020でホンダパワーを搭載したが、シャシーとエンジンのマッチングが合わなかったのが欠点。ウィリアムズは完全なる新設計のFW14。F1の歴史に残る名車としてデビューし、マンセルとパトレーゼとのナイスコンビでマクラーレンを脅かすまでに成長。
フォードのHBを搭載してグッドイヤーのタイヤを履いていたら、もっと良い結果を産んでいた可能性はあっただけにそれが残念でなりません。
なまじホンダエンジン積んでしまったことにより、前年の良さが消えちゃいましたよね。ミナルディがフェラーリエンジン持て余したのに似てます。
ホンダV10エンジンのパワーが、020のシャーシのキャパを上回っちゃったんですよね。
なんつう粒揃いのメンツだろうか。このVTRに出てこないチェザリスが印象的な活躍見せるなんて誰も思わなかったろうね。
マシンが良ければ上位入賞出来るのに古舘実況のせいで過小評価のレッテル貼られたドライバーのひとり。
@@ダンドレジーラウール メキシコグランプリでは、ピケをぶち抜きセナを追っかけ回しましたからね。
RED5はやっぱりかっこいいなー
モデナ何気に好きなドライバーやった…。。
開幕戦のエントリードライバー34人中11人はイタリア人ドライバー
実況は古舘さんか三宅さん
あっと驚く大変身、ティレルホンダ・・・。戦績は大変身どころか悪化してしまったのが残念でした・・・。
まぁエンジンパワーが、シャーシのキャパを上回って、バランスが悪かったみたいですからね。カッコ良かったんですけどね…
@@MegaTakaki 中嶋さんが居るので、ゴリ押しでホンダエンジンに決まったそうです。せめてタイヤだけでもGYに戻してたなら・・・
前半戦は良かったんですよね、開幕戦ダブル入賞し、イモラでは途中まで3位4位、モナコでフロントローでカナダで表彰台…たしかシーズン途中でハーベイ博士とかスタッフが抜けてから開発が止まってしまって遅くなってしまったと思います。
@@suycup1 やはり、ガンになったのが・・・V8(DFR)ベースのシャシーに無理やりホンダV10を乗っけたことでしょう。あと、夏場以降すぐへばるピレリタイヤのヘタレぶり
@@Taxi_go_3584 さん、それを言うならば翌年のジョーダン・ヤマハもそうですね。V8用シャシーにV12エンジンを乗っけたから…。
2:16 イギリスフランス走るドーバー海峡 ウィリアムズRENAULT
マシンに個性があり、エンジンもいろいろあって面白かった。今のF1は画一化されて面白くない。
この頃からか?セミオートマ、アクティブサスペンション、トラクションコントロールなどのハイテク装備が出てきたのは。
アクティブサスはまだだね。1992年はウイリアムズのみで、1993年から他のチームも導入。
マクラーレンに襲いかかる!懐かしいです。
通称フェラルディwww
やっと曲を探し当てたBGM ヴィーナスの彼方 見つけるのに33年かかった
モデナマジイケメン
ヘリコプター事故がなければ91年のベネトンのカーナンバー19はアレッサンドロ・ナニーニでエントリーするはずだった。
ジョーダン、リジェ、AGS、オゼッラ、モデナが紹介されていない…🏎️🏎️🏎️
フェラーリ低迷期だった記憶が・・・。
この次シーズンが、更に輪を掛けて一番酷い駄馬マシンのシーズンでした(1992犠牲者、アレジ、特にカペリ!)因みに後々カペリとアレジ供にフェラーリとジョーダンにF1ドライバーとしての人生を台無しにされたようなモノデスヨ!💢
@@石鹸ヤロウZ さん、カペリかわいそ過ぎました…現在、モンツァサーキットのお偉方だとか。
1:09 鬼に金棒、マクラーレンに12気筒 マクラーレンホンダ。
ジャパンマネー!!
F1界の加勢大周(笑)
レーサーのトレーニングでどんな事するんだろう?
セナキラー馬場鉄志を忘れるなw
ナイジェルマリオ~
今のf1が好きな若者から見ると、この頃はまぁブームになっていたけど今よりもお祭り的な感じですね。年間18戦ってこともあるのかな。音は良いし、レースも熱いですね
この頃のF1は年間16 戦でした。17戦のシーズンもありましたけど。
ミナルディは重たいフェラーリV12:を積んだせいで約十年後に資金不足にブーストが…((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
本家の7速セミオートマにたいし、マニュアル6速ではパワーバンドをうまく使いきれなかったのも残念。だが4位入賞はある。
それでもティレルよりはマシなイメージでした。グッドイヤーだったのが幸いだったのかもしれませんね。
2006年レッドブルに買収されスクーデリア・トロ・ロッソに改称。更に2020年スクーデリア・アルファタウリに改称し現在に至る。
開幕前のティレルは、名門復活の狼煙をあげた
この時のラルースローラは操縦性もかなり良かったのでは?亜久里に前年のアレジみたいにキレた走りをして欲しかった
しかしランボルギーニV12エンジンがリジェの策略により奪われてしまう(そのリジェJS35&Bもこのエンジンを搭載して失敗)。替わりにLC91に搭載したフォード・DFR V8(ハートチューン)はパワー信頼性が無く、それでもシーズン前半は2回6位入賞(亜久里、ベルナールそれぞれ1回)したがフランスGP以降は全戦リタイア、予選落ちを喫した(主な原因はギアボックス、エンジントラブル)。
情熱ラテン民族同盟
タラレバですが、ティレルのウイングが小さくなければ、ベネトンの希望でタイヤが細くなって、エンジンのパワーを受け止められなかったのが無ければ、V10に合わせた車体が用意出来なくて、019ベースの車体で重量バランスが崩れて重さが足かせにならなければ…中嶋さんにパワステを付ければ…もし3位以上の表彰台に立てれば亜久里、琢磨、可夢偉のみのわずか3回の表彰台経験者だけの、日本人ドライバーの苦闘が少しは違っていたのかも知れません。
ティレル020には最初、フォードHBV8が載るはずだったんですよね。で、そのフォードHBは新チームジョーダンが使う事に・・・。
お前が出てくる幕じゃねえよバーカwww
@@黒市川花田平 さんそうだったんですね。知りませんでした。自分は去年のチャンプエンジンやん。優勝もある?とか思ってました。HBなら確実にもっといい結果だったでしょうね。この年の夏以降のジョーダンの快進撃はすごかったですから。
3:51
今思ったが、しこしこならうどん走法では。それにしても、もっとカッコいい例えはなかったかと思います。
チャンピオンエンジンをつんだのに、中嶋さん、モデナは本当に残念でした。V8から、V10への変更でマシンバランスがくずれましたね。そして、当時のホンダエンジンは、でかい、重いで評判でしたからね。パワー、トルクはすばらしかったが。
中嶋さんがいるので、ホンダエンジンがゴリ押しで採用されたわけですが・・・ムリにホンダにこだわらず、フォードHB(カスタマーにはなるが)なら、本当に(戦績が)「アッと驚く大変身」できたかもしれませんね
ピレリとギヤボックスがダメ過ぎましたね。ピレリはストリート以外ダメなのは当時からわかっていましたがホンダのパワーに駆動系がついていかなかった…イモラでギヤボックスが壊れなかったら中嶋さんは表彰台に上がれたのではないかと思います。雨ならモデナに負けることはなかったですし。
中嶋さんにはわるいが、ティレルには、ホンダV10は宝の持ち腐れでした。フォードHBV8でよかったのでは。
前年、"中嶋さんがいる"という理由でゴリ押しでホンダエンジンに決まったそうです。ムリにホンダに拘らずフォードHB(型落ちになるが)にしてたなら・・・せめてタイヤだけでもGYに戻してたなら・・・
@@Taxi_go_3584 フォードV8とGYタイヤならどうなってたと思いますか?
@@零チャンネル-i1f DFRかHB(カスタマー仕様)かで変わると思いますが・・・HBだったら中嶋さんもひょっとしたら表彰台に立てたかもしれませんね。
@@Taxi_go_3584 エンジンと言えば当時はヤマハV12がブラバムに提供されてましたが翌年のウィリアムズFW14Bに搭載されていたらマクラーレンとのV12ユニット対決になっていたと思いませんか?^^y
30年以上前の話ですがこの頃はヨーロッパラウンドでボロボロになっているとは想像もつきませんでした。ピレリがストリート以外ダメなのはわかっていましたがせめてグッドイヤーだったらと思わずにはいられません。
あれっ...? リジェは?
ここで紹介されたチーム1990年度にポイントを獲得したチームばかり(ミナルディは除く)で有力チームと紹介されたと思います。前年度0ポイントのミナルディが紹介されたのはF1史上初めてフェラーリが他チームへのエンジン供給を行ったから「話題」になったからだと思います。リジェは前年0ポイントだった事に加え鈴木亜久里の所属するラルースに対して政治力を使って数々の嫌がらせをした事、開幕前に森脇さんから「このクルマのデキは悪い」とコメントされた事から「有力チーム」ではないと判断されたのだと思います(実際この年も0ポイントだった)
なんでブラバムはそんな変なカラーリングにしちゃったかな。
「コスウォース」ねw今宮純はろくすっぽ英語もできないくせにこういう時だけ妙に英語っぽい発音を使うんだよなあ(^_^;)
セナ。マンセル。大教授プロスト。御三家
ピケも入れたげて!
90年に亜久里さんの表彰台があってマシン名称?問題でポイント剥奪とか…ラルース、ダメだな…
シャシーの登録ミスは確かだけど、記憶が確かなら、ラルースに負けたリジェがそれをチクったんじゃなかったかな?リジェはラルースをとにかく目の仇にしてたから。ランボルギーニエンジンもラルースから奪ったけど、結局91年はリジェはノーポイントでラルースに負けちゃうんだけどね。
フェラーリは641/2から643で開幕したら少しはましなシーズンだったんじゃなかったかな?しかし、古舘の実況はウザかったな!
ホンダフェラーリランボルギーニヤマハポルシェ(6×2)V12エンジンの五重奏♪♪♪
でも、今宮さんの評価通り、ポルシェのV12エンジンは失敗作で、V6エンジンを2つ繋げた様な大きさで、送られてきた設計図よりも実寸が大きかったそうです。
森脇さんはかつて専門誌でポルシェの関係者は上から目線みたいな態度の人間が多いとコメントしF1というカテゴリーを下調べせずに自分達の経験と勘だけで参戦していると酷評していました。フットワークから開発費用を踏んだ食った挙げ句その結果メキシコGPで撤退。その黒歴史を知っているだけにポルシェユーザー(勤め先の取引先関係者等)を見たりすると(あくまでも一個人の印象だが)なんとなくクルマに疎い上から目線の人が多い印象を受ける。ポルシェ同様この年でピレリもF1から撤退したが30年経った今でもこの欧州の2メーカーには未だにネガティブなイメージしか持てない。
モデナ見るからに暗そうwモデナに挨拶して「え・・・・・?・・・・・なに・・・・・?」って返されそうwベネトンこの年からキャメルカラーになっちゃったんだね。何でピレリタイヤにしたんだ?
良く言えばシャイ、悪く言えばネクラ、村山文夫先生の4コママンガそのものでしたw
そのモデナ、現在ではローマにあるブリヂストンの関連会社で企画・マーケティング部門の要職に就いているとのこと。中嶋さんの曲を本人以外で歌った唯一のドライバーでもあるし、当時からの日本との関係を大切にしていて素晴らしい人だと思います。
ベネトンがタイヤをピレリにスイッチしたのは当時のテクニカルディレクターのジョン・バーナードがタイヤ幅を細くしてマシンの空気抵抗を減らし直線速度を少しでも上げる為ピレリ側に対して特注タイヤの供給を依頼したと言われています。ただ4本合わせて前年度のタイヤとの幅は10㎝位しか変わらない等からその効果には「?マーク」をつける評論家もいました。ただ以前から問題となっていたタイヤの耐久性については改善が進んでいなかった事、バーナードがフォードの首脳陣と衝突してチームを離脱してクルマの開発が止まった事から前年度から成績を落とす結果となりました。
Americana go home
古舘伊知郎の無駄な言葉の羅列を聞くと頭が痛くなってくる
この頃のF1が一番好き
いい時代だ。
この年何気にいいF1だったなあ。夜中起きて見てたなあ。
この頃のF-1楽しかったな。
本当にマジで
アイルトン・セナ絶頂期の時の話ですね
本当に懐かしい。
私が定時制高校
2年生の時の話。
アイルトン・セナが本当に最後の
ワールドチャンピオンになった年の
事を鮮明に覚えています。
フェニックス市街地コースは面白いバトルで満載でした。前の年ではセナとアレジのバトルが面白かったです。ティレルホンダを駆るモデナの走りはストリートコースを得意としていてモナコでもリタイアするまではシャープな走行を見せてくれました。
このシーズンのみピレリタイヤをチョイスしたベネトンのピケもストリートで表彰台3位で好スタートでしたね。
チーム紹介のBGMがまた最高!
アニメ ヴイナス戦記 ですね。あの久石譲さん作曲!
最近曲名を知りました。スターティンググリッド紹介もですが、選曲センスがいいですね🎵 序盤のティレル(モデナ)はセナを脅かしていたんですね。
@@ダンドレジーラウール 特にモナコ。モデナ氏は公道コースがクソ速いので、もしかしたらセナを破るかも?・・・と思ってましたが、ピロに(中嶋さんと)勘違いされ、ブロック責めからのエンジンブロー。もし、これがなかったら?・・・と。
あっ、そうなんですね。この曲はヴイナス戦記の曲だったんですか。30年以上の謎が解けました。
古舘さんの名言でゲラゲラ笑いたいのに家族が寝てるのでふとんを噛んで耐えていた あー懐かしぃ😊
「人間ドーベルマン」「UFOに乗った原始人」⇒ナイジェル・マンセル氏
「妖怪通せんぼジジィ」⇒ルネ・アルヌー氏(これに、中嶋さんは「グランプリの偉大な先輩に無礼なあだ名をつけるんじゃねぇ!」とキレてました)
納豆がキレてらぁ!
高校生だった当時、強すぎたマクラーレン…1990年Ferrariプロストでも倒せなかった…そこにアレジが入った…
予選の中継が始まった…
ワクワクしないはずがないよね(≧∇≦)
が、しかし前評判とは違い劣化していくFerrariチーム、今年もマクラーレンの独壇場かと思ってたらウィリアムズが段々信頼性上がりマクラーレンに拮抗していき面白いシーズンでした(^^)
フェラーリの低迷とウィリアムズの躍進、さすがに考えられなかったですね😖
フェラーリが
アラン・プロストを
解雇した年ですね
私も当時高校生
でしたよ。
定時制でしたけど
やっぱりフェラーリは27だよね。タバコスポンサーが懐かしい。
ミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハのデビューイヤーですね
2001年まで勝負が続くとは感動しました
古舘さんの実況とこのBGMワクワク感が止まらない
この頃下手くそながらタミヤのF1プラモよく作りましたね。この時代のチームは日本バブルを象徴するかのように日本人オーナーや日系スポンサーが多いですね。
個性があって楽しい時代だよね。。。
名前が似ていて実況泣かせだ笑
1991年の開幕戦は見ました。今でも覚えております。
中嶋さんが入賞できた最後の試合になってしまいましたね。
「あっと驚く大変身!ティレルホンダ」・・・戦績は悪い方に大変身してしまったのが残念でした。
初めてスタートからゴールまで見たF1。日本🇯🇵人ダブル入賞ってこのレースから無いのが悲しい😢
2:55 名前が似てて実況泣かせだ!が好き。古舘さんあってのF1ブームでしたよね!89年のチーム紹介どっかにないかなー
鬼に金棒、マクラーレンにV12気筒、これいいなと思った。
実況、解説、そしてレースその物に熱くなれた。懐かしい❗
中2だった当時、友達みんなで入賞順位予想をして、当たった順位と同じポイント加点していってシーズン楽しんでたなあ。
日本企業がたくさんスポンサードしていた、良き時代ですよね。
しかもジャンプでは、セナの漫画まで連載していました。
懐かしいですね。
私も当時
少年ジャンプ
見てましたよ
日本企業が元気だった時代
どう考えてもこの時代のほうがイイですよね
ラルースなんか、映像見たら東芝単独ですね、他スポンサー無しで資金足りないだろうに開幕数戦は東芝がケツ持ちしたんでしょうかね
沢山あった日本企業ロゴ…。
古巣ウィリアムズに戻ってきたナイジェル マンセルがシーズン後半戦より怒濤の快進撃を見せ、マクラーレンのセナとベルガーを脅かすくらいまでバトルを繰り広げる。
デビューしたFW14は空力重視のコンセプトと満を持してセミATを導入しましたが、序盤はトラブルが続出するも後半になってからはさらに進化しポテンシャルを発揮するくらいとなる。
今宮氏のご冥福をお祈りいたします。
やっぱりF1はいろんなエンジンメーカーとV8からV12までのラインナップが面白い。ホンダ、フェラーリ、フォード、BMW、ランボルギーニ、ヤマハにトヨタ、イルモア、ポルシェ。あの頃が面白く懐かしい
役者揃い
チームが多いいっていいよねー
でもまだ俺生まれてなかったからなー笑笑でもf1が楽しそうやし誰が優勝するかわからんとこがいいよねー
アイルトンセナ この頃のF1があまりに面白すぎて、その後のF1を否定し続けるマニアが無数に生まれました。
ここ30年くらいで「いい人」でチャンピオンになったのはデイモンくらいか。
ハッキネン!
ハッキネンを忘れないで
マッサはなれなかったですしね、
ベッテルはどうなんですかね?笑
マンセルも人が良さそう。
ジェンソンバトン
古舘伊知郎の実況はやっぱり面白い。
マクラーレンに襲いかかる情熱のラテン民族同盟 フェラーリ。
サーキットのナポレオン
鬼に金棒、マクラーレンに12気筒
音速の貴公子
らくだを失った砂漠の旅人
等々…名言ばかりだ❗️
ブラジルの演歌系 ロベルトモレノ
F1界の加勢大周、アレックス・カフィー…って、日本人以外誰も知らんがな(笑)。
1:35開幕戦では735馬力だったが、鈴鹿スペシャルの最終仕様では780馬力をマークした。
規制前のスペシャルガソリンを使うと、800馬力を上回るらしいです。
1991年のフェラーリは、1990年の活躍はどこへ行ったのか❓
と目を疑うシーズンだった。
チームで内紛が起きていたね
・監督のチェザーレ・フィオリの更迭
・ニューマシンはイマイチ
・プロストの度重なるチーム批判
翌年1992年は更に悪化…。駄馬F92Aが大失敗に終わってしまう。
更に1993年F93Aはハイテク化の流れに付いて行けず。
3年間未勝利でシーズンを過ごす。
エイドリアン・ニューウェイさんデザインの名車の一つが、ここにも。
F1界の加瀬 大周
情熱のラテン民族同盟、フェラーリ!
カペリ&グージェルミン長期に渡り組んでましたね。レイトンハウスといえばアドリアン・ニューウェイが手掛けただけに時おりビッグパフォーマンスを魅せてくれました✨
市街地コース得意のモデナは好きやった!
予備予選から3位に行ったこともあるほど、公道コースはクソ速かったですね・・・モデナ氏。
彼はカート時代からセナとは旧知で、「アイツより絶対俺のほうが速い‼️」という確固たるプライドがあったようです。1991モナコは、それがただの遠吠えじゃないことを証明しましたよね。
@@カレーライス師匠-w1g 結果はエンジンブローでリタイアしましたが、そうでなかったら2位は確実に行けてたでしょうねぇ・・・。
@@Taxi_go_3584 ピロに「とおせんぼ兄さん」されましたしね。あれなかったら、パトレーゼさんも巻き添え食ってないんですよね。あんな接近してないから。
マクラーレンの
マシーンに
フロントノーズに
集英社ジャンプの
文字が小さく書いて有った事を
覚えていますか⁉️
懐かしい話ですね
あの、見えるか見えないかわからないような小さなロゴでも
マクラーレンに年間数億円払ったそうですよ・・・
@@jpntechnostream505 当時の日本円で1億円です
モデナのヘルメットの白ベースに差し色気味なグリーンのラインが好きだったなあ。
シンプルで控えめなデザインがステファノ・モデナというドライバーをよく表していて。
胸が締め付けられて痛いくらいの開幕戦。まさにその通り。
この頃のマシンが一番カッコいいな
この頃は開幕楽しみだったな
2021年の実況を古舘伊知郎がしてたら
マゼピンを走るチェルノブイリって言いそう
「現代版チェザリス」または「チェザリス2世」に一票!
走るプーチンでしょう。
020が残念だったのが悔やまれるよなあ
東条誠 t3233226 歯車が合うとけっこーいいんだけどね
東条誠 t3233226 前年度019のコンセプトを踏襲しつつ進化した020でホンダパワーを搭載したが、シャシーとエンジンのマッチングが合わなかったのが欠点。
ウィリアムズは完全なる新設計のFW14。F1の歴史に残る名車としてデビューし、マンセルとパトレーゼとのナイスコンビでマクラーレンを脅かすまでに成長。
フォードのHBを搭載してグッドイヤーのタイヤを履いていたら、もっと良い結果を産んでいた可能性はあっただけにそれが残念でなりません。
なまじホンダエンジン積んでしまったことにより、前年の良さが消えちゃいましたよね。ミナルディがフェラーリエンジン持て余したのに似てます。
ホンダV10エンジンのパワーが、020のシャーシのキャパを上回っちゃったんですよね。
なんつう粒揃いのメンツだろうか。このVTRに出てこないチェザリスが印象的な活躍見せるなんて誰も思わなかったろうね。
マシンが良ければ上位入賞出来るのに古舘実況のせいで過小評価のレッテル貼られたドライバーのひとり。
@@ダンドレジーラウール メキシコグランプリでは、ピケをぶち抜きセナを追っかけ回しましたからね。
RED5はやっぱりかっこいいなー
モデナ何気に好きなドライバーやった…。。
開幕戦のエントリードライバー34人中11人はイタリア人ドライバー
実況は古舘さんか三宅さん
あっと驚く大変身、ティレルホンダ・・・。戦績は大変身どころか悪化してしまったのが残念でした・・・。
まぁエンジンパワーが、シャーシのキャパを上回って、
バランスが悪かったみたいですからね。
カッコ良かったんですけどね…
@@MegaTakaki 中嶋さんが居るので、ゴリ押しでホンダエンジンに決まったそうです。せめてタイヤだけでもGYに戻してたなら・・・
前半戦は良かったんですよね、開幕戦ダブル入賞し、イモラでは途中まで3位4位、モナコでフロントローでカナダで表彰台…たしかシーズン途中でハーベイ博士とかスタッフが抜けてから開発が止まってしまって遅くなってしまったと思います。
@@suycup1 やはり、ガンになったのが・・・V8(DFR)ベースのシャシーに無理やりホンダV10を乗っけたことでしょう。あと、夏場以降すぐへばるピレリタイヤのヘタレぶり
@@Taxi_go_3584 さん、それを言うならば翌年のジョーダン・ヤマハもそうですね。V8用シャシーにV12エンジンを乗っけたから…。
2:16 イギリスフランス走るドーバー海峡 ウィリアムズRENAULT
マシンに個性があり、エンジンもいろいろあって面白かった。今のF1は画一化されて面白くない。
この頃からか?セミオートマ、アクティブサスペンション、トラクションコントロールなどのハイテク装備が出てきたのは。
アクティブサスはまだだね。
1992年はウイリアムズのみで、1993年から他のチームも導入。
マクラーレンに襲いかかる!懐かしいです。
通称フェラルディwww
やっと曲を探し当てたBGM ヴィーナスの彼方
見つけるのに33年かかった
モデナマジイケメン
ヘリコプター事故がなければ91年のベネトンのカーナンバー19はアレッサンドロ・ナニーニでエントリーするはずだった。
ジョーダン、リジェ、AGS、オゼッラ、モデナが紹介されていない…🏎️🏎️🏎️
フェラーリ低迷期だった記憶が・・・。
この次シーズンが、更に輪を掛けて一番酷い駄馬マシンのシーズンでした(1992犠牲者、アレジ、特にカペリ!)
因みに後々カペリとアレジ供にフェラーリとジョーダンにF1ドライバーとしての人生を台無しにされたようなモノデスヨ!💢
@@石鹸ヤロウZ さん、カペリかわいそ過ぎました…現在、モンツァサーキットのお偉方だとか。
1:09 鬼に金棒、マクラーレンに12気筒 マクラーレンホンダ。
ジャパンマネー!!
F1界の加勢大周(笑)
レーサーのトレーニングで
どんな事するんだろう?
セナキラー馬場鉄志を忘れるなw
ナイジェルマリオ~
今のf1が好きな若者から見ると、この頃はまぁブームになっていたけど今よりもお祭り的な感じですね。年間18戦ってこともあるのかな。音は良いし、レースも熱いですね
この頃のF1は年間16 戦でした。17戦のシーズンもありましたけど。
ミナルディは重たいフェラーリV12:を積んだせいで約十年後に資金不足にブーストが…((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
本家の7速セミオートマにたいし、マニュアル6速ではパワーバンドをうまく使いきれなかったのも残念。だが4位入賞はある。
それでもティレルよりは
マシなイメージでした。
グッドイヤーだったのが
幸いだったのかもしれませんね。
2006年レッドブルに買収されスクーデリア・トロ・ロッソに改称。
更に2020年スクーデリア・アルファタウリに改称し現在に至る。
開幕前のティレルは、名門復活の
狼煙をあげた
この時のラルースローラは操縦性もかなり良かったのでは?
亜久里に前年のアレジみたいにキレた走りをして欲しかった
しかしランボルギーニV12エンジンがリジェの策略により奪われてしまう(そのリジェJS35&Bもこのエンジンを搭載して失敗)。
替わりにLC91に搭載したフォード・DFR V8(ハートチューン)はパワー信頼性が無く、それでもシーズン前半は2回6位入賞(亜久里、ベルナールそれぞれ1回)したがフランスGP以降は全戦リタイア、予選落ちを喫した(主な原因はギアボックス、エンジントラブル)。
情熱ラテン民族同盟
タラレバですが、ティレルのウイングが小さくなければ、
ベネトンの希望でタイヤが細くなって、エンジンのパワーを受け止められなかったのが無ければ、
V10に合わせた車体が用意出来なくて、
019ベースの車体で重量バランスが崩れて重さが足かせにならなければ…
中嶋さんにパワステを付ければ…
もし3位以上の表彰台に立てれば
亜久里、琢磨、可夢偉のみのわずか3回の表彰台経験者だけの、
日本人ドライバーの苦闘が少しは違っていたのかも知れません。
ティレル020には最初、フォードHBV8が載るはずだったんですよね。で、そのフォードHBは新チームジョーダンが使う事に・・・。
お前が出てくる幕じゃねえよバーカwww
@@黒市川花田平 さん
そうだったんですね。知りませんでした。
自分は去年のチャンプエンジンやん。
優勝もある?とか思ってました。
HBなら確実にもっといい結果だったでしょうね。
この年の夏以降のジョーダンの快進撃は
すごかったですから。
3:51
今思ったが、しこしこならうどん走法では。それにしても、もっとカッコいい例えはなかったかと思います。
チャンピオンエンジンをつんだのに、中嶋さん、モデナは本当に残念でした。V8から、V10への変更でマシンバランスがくずれましたね。そして、当時のホンダエンジンは、でかい、重いで評判でしたからね。パワー、トルクはすばらしかったが。
中嶋さんがいるので、ホンダエンジンがゴリ押しで採用されたわけですが・・・
ムリにホンダにこだわらず、フォードHB(カスタマーにはなるが)なら、本当に(戦績が)「アッと驚く大変身」できたかもしれませんね
ピレリとギヤボックスが
ダメ過ぎましたね。
ピレリはストリート以外ダメなのは
当時からわかっていましたが
ホンダのパワーに駆動系が
ついていかなかった…
イモラでギヤボックスが壊れなかったら
中嶋さんは表彰台に上がれたのではないかと思います。
雨ならモデナに負けることは
なかったですし。
中嶋さんにはわるいが、ティレルには、ホンダV10は宝の持ち腐れでした。フォードHBV8でよかったのでは。
前年、"中嶋さんがいる"という理由でゴリ押しでホンダエンジンに決まったそうです。ムリにホンダに拘らずフォードHB(型落ちになるが)にしてたなら・・・せめてタイヤだけでもGYに戻してたなら・・・
@@Taxi_go_3584
フォードV8とGYタイヤならどうなってたと思いますか?
@@零チャンネル-i1f DFRかHB(カスタマー仕様)かで変わると思いますが・・・HBだったら中嶋さんもひょっとしたら表彰台に立てたかもしれませんね。
@@Taxi_go_3584
エンジンと言えば当時はヤマハV12がブラバムに提供されてましたが翌年のウィリアムズFW14Bに搭載されていたらマクラーレンとのV12ユニット対決になっていたと思いませんか?^^y
30年以上前の話ですが
この頃はヨーロッパラウンドで
ボロボロになっているとは
想像もつきませんでした。
ピレリがストリート以外ダメなのは
わかっていましたが
せめてグッドイヤーだったらと
思わずにはいられません。
あれっ...? リジェは?
ここで紹介されたチーム1990年度にポイントを獲得したチームばかり(ミナルディは除く)で有力チームと紹介されたと思います。前年度0ポイントのミナルディが紹介されたのはF1史上初めてフェラーリが他チームへのエンジン供給を行ったから「話題」になったからだと思います。リジェは前年0ポイントだった事に加え鈴木亜久里の所属するラルースに対して政治力を使って数々の嫌がらせをした事、開幕前に森脇さんから「このクルマのデキは悪い」とコメントされた事から「有力チーム」ではないと判断されたのだと思います(実際この年も0ポイントだった)
なんでブラバムはそんな変なカラーリングにしちゃったかな。
「コスウォース」ねw
今宮純はろくすっぽ英語もできないくせに
こういう時だけ妙に英語っぽい発音を使うんだよなあ(^_^;)
セナ。マンセル。大教授プロスト。御三家
ピケも入れたげて!
90年に亜久里さんの表彰台があってマシン名称?問題でポイント剥奪とか…
ラルース、ダメだな…
シャシーの登録ミスは確かだけど、
記憶が確かなら、ラルースに負けたリジェが
それをチクったんじゃなかったかな?
リジェはラルースをとにかく目の仇にしてたから。
ランボルギーニエンジンもラルースから奪ったけど、結局91年はリジェはノーポイントでラルースに負けちゃうんだけどね。
フェラーリは641/2から643で開幕したら少しはましなシーズンだったんじゃなかったかな?
しかし、古舘の実況はウザかったな!
ホンダ
フェラーリ
ランボルギーニ
ヤマハ
ポルシェ(6×2)
V12エンジンの五重奏♪♪♪
でも、今宮さんの評価通り、ポルシェのV12エンジンは失敗作で、
V6エンジンを2つ繋げた様な大きさで、送られてきた設計図よりも
実寸が大きかったそうです。
森脇さんはかつて専門誌でポルシェの関係者は上から目線みたいな態度の人間が多いとコメントしF1というカテゴリーを下調べせずに自分達の経験と勘だけで参戦していると酷評していました。フットワークから開発費用を踏んだ食った挙げ句その結果メキシコGPで撤退。
その黒歴史を知っているだけにポルシェユーザー(勤め先の取引先関係者等)を見たりすると(あくまでも一個人の印象だが)なんとなくクルマに疎い上から目線の人が多い印象を受ける。
ポルシェ同様この年でピレリもF1から撤退したが30年経った今でもこの欧州の2メーカーには未だにネガティブなイメージしか持てない。
モデナ見るからに暗そうwモデナに挨拶して「え・・・・・?・・・・・なに・・・・・?」って返されそうwベネトンこの年からキャメルカラーになっちゃったんだね。何でピレリタイヤにしたんだ?
良く言えばシャイ、悪く言えばネクラ、村山文夫先生の4コママンガそのものでしたw
そのモデナ、現在ではローマにあるブリヂストンの関連会社で企画・マーケティング部門の要職に就いているとのこと。中嶋さんの曲を本人以外で歌った唯一のドライバーでもあるし、当時からの日本との関係を大切にしていて素晴らしい人だと思います。
ベネトンがタイヤをピレリにスイッチしたのは当時のテクニカルディレクターのジョン・バーナードがタイヤ幅を細くしてマシンの空気抵抗を減らし直線速度を少しでも上げる為ピレリ側に対して特注タイヤの供給を依頼したと言われています。ただ4本合わせて前年度のタイヤとの幅は10㎝位しか変わらない等からその効果には「?マーク」をつける評論家もいました。ただ以前から問題となっていたタイヤの耐久性については改善が進んでいなかった事、バーナードがフォードの首脳陣と衝突してチームを離脱してクルマの開発が止まった事から前年度から成績を落とす結果となりました。
Americana go home
古舘伊知郎の無駄な言葉の羅列を聞くと頭が痛くなってくる