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状況証拠を積み上げていけば限りなく真実が浮かび上がるけど、いつもいつも合理的な結果が真実とも限らないのが世の中の面白いところ。
中華世界とイスラム世界の胸熱対決・タラス河畔の戦いちゃんはずっと元気でいてほしい
タラス河畔の戦い以前からイスラム世界に製紙法が存在した説も有力になったことから高校世界史から消されかけたんですが、中央アジアのイスラム化など歴史的意義は他にもあったことから製紙法伝播を切り捨てて無事生き残りました
光栄のチンギス・ハンのPC版にはまった。チベット、中央アジアあたりまで勢力を拡げると反乱が頻発して分裂崩壊してどうしようもなくなりリセット。史実もそんなもんだな。またやってみたい。
@@hakua_wr タラス河畔の戦いは勝敗より紙が西に伝播されたことが強調される、変な戦いだな宦官の蔡倫とセットになってる蔡倫さんは…前漢の人だっけ?
ヨーロッパとイスラムの戦いトゥール・ポワティエ間の戦い
@@tonks-jf2zr 後漢
最後のオゴデイ死去で征西からの撤退って定説だと思ってたんですが、欧州だと諸説あるんですね詳細な解説楽しみにしてます!
歴史上の出来事は色々な見方があるのだなと思わされて勉強になるんだなと考えさせられます、ありがとうございました。
モヒの戦いが関ヶ原の戦いとするなら、ワールシュタットは慶長出羽合戦だった、みたいなものか。
モヒの戦いと比べて、厨二感なら圧勝してるから…
でもモヒは世紀末ヒャッハー感あるから(震え
モヒってあだ名の同級生がいたんだよ時代がモヒに追い付いたけど元気してるかなぁ
規模は別としてヘンリク2世打ち取られていて大したことないって言えるのかな?
国王が戦死してるんだから十分大事だと思うんだけど
世界史の流れで見れば大したことないって話じゃない?そりゃヘンリク2世が討ち取られたのはポーランドにとって重大だろうけど、教科書レベルでは無いってことモンゴルの侵入の可否を決めた戦いだから教科書レベルだったのであって、それが失われ
@@MUSASI40ポーランドでは国王が空気なのはよくあるナショナリズムより貴族のほうが力があるからフランスでリシュリュー枢機卿が貴族を封建君主から宮廷サロン化するのに失敗してたらフランスもバラバラのままだったんでないの?
ぶっちゃけ特にたいしたことなポーランド国王が死んだからって、そう…でしかないし
悪酒(わるしゅ)断つと胃に良い(ワールシュタット1241年)って覚えてた。
名前がカッコいいから、一発で憶えた歴史用語だったのに残念。
モンゴル側からすれば、大した戦いでもなかった可能性はある。なぜなら激戦ではなく、モンゴル軍の圧勝に終わったからだ。
モヒの方が本番なんだからこっちを取り上げるべきなのはそう
張郃『俺なんか3回も死んでるんだぞ。2回なんて誤差の範囲だろ。』
廖化「100歳も越えずに1度でも死ぬとか凡夫にも程がある」
糟屋武則「おっそうだな」
王 大人「一同、死亡確認!」
大戦期の天皇への上奏では、サラトガは三回沈んだ事になってる
@@見えないクン エンタープライズ「呼ばれた気がして」
ワールシュタット、アウステルリッツ、ワーテルローの3つはすぐに覚えれたなぁ
個人的にはカイロネイアとアインジャールートも厨二心をくすぐられたなあ
厳密にはワールシュタットじゃなくて、リーグニッツのそれも「近郊」。一次大戦初期のタンネンベルグ会戦も厳密には違うのと同じ。この戦いよりもモヒやアイン・ジャールートの方がより大規模で重要な筈なのに、ワールシュタットに替わって教科書等に載った訳でもないのだから、単に日本の指導要領(→これ重要)の問題だろう。それに、全部の教科書から消えた訳でもなく、用語集や資料集や地図、問題集にはちゃんと載ってるからどの道、難関大学を目指すなら特に、覚えなくちゃいけない。戦い自体は、ポーランド王が死んでるし、実際にポーランドが今なお「国家戦没者の慰霊」対象としている(山崎雅弘さんの著書「ポーランド電撃戦」参照)から、規模に関わらず事実の存在は疑い無い筈。でもいきなり「大したことない」としたのは、今のウクライナ戦争が原因ではないか。それは、欧州諸国は伝統的にロシアをヨーロッパではなくアジア、特に「モンゴルの変質」と考えている節があり、特にその脅威を被ったポーランドでは、モンゴル(≒ロシア)にボコボコにされた経験は今更でも屈辱でしかない。ポーランドは被害者面をしているが、実際は好戦的で氣位も高く、大戦間期には近隣諸国の鼻つまみ物になっている。また、リーグニッツをワールシュタット(死体の街)と必要以上に誇張し、モヒでも無視できない被害を受けた神聖ローマ帝国は、後の独墺始め中東欧諸国となり、やはり目下のロシアの拡大を恐れている。そうした中東欧諸国(=西側)の嫌露(蒙)意識が、出来得る限り、過去に遡ってでも歴史を拭いたい衝動を誘引し、西側に与する日本がその意向を酌んだと言うことなのだろう。冒頭で「学習指導要領」と言ったのはこのこと。言うなればこの歴史論争は、ヨーロッパ対アジアの思考論争とも取れるのではないか。最後に、バトゥの撤退はオゴタイの死によるものではなく諸説あるとのことだが、どの道バトゥは整然と「撤収」したのであり、神聖ローマ帝国等のヨーロッパ連合に武力で、アイン・ジャールートの様に打ち負かされたもの、つまり「潰走」ではない。もしそれだけの軍事的大勝利があるなら、当時のヨーロッパ全体で鼓舞し、不朽の伝説にもなり、勿論教科書にも無条件で載る筈だが、そうした事実は今のところ存在しない。ひょっとしたら欧州はロシア(蒙古の幻影)怖さと憎さの為に、歴史までも捏造するのだろうか。つまるところ欧州人の考えはアジア(この場合はロシアを通してる)等有色人種への偏見と、自分達が文明の旗手であるとするレイシズムから抜けられないのか。そう思えてならない。
軍勢の総数はハンガリーに攻め込んだ時点でモンゴル征西軍がブルガール人とキプチャク人をどれだけ戦力化できてたかによりますね。グユグが大汗になってバトゥを攻めようとした時にバトゥは迎撃するつもり満々でしたし、モンゴル帝国の本軍を迎え撃つだけの戦力をバトゥが揃えていたとなるとかなりの兵力になりますから。
モンゴルと欧州の戦いの話を聞いていると思っていたら、いつの間にか欧州のドロドロした身内争いを聞いていた。
うぽつです!
よくわからないから資料盛りまくったらナショナリズムに利用されちゃったのか
あーなる程同時代の一次資料が曖昧だから実在が怪しいからの記述削除のパターンか、日本史も根拠が後年に書かれた軍記物だから胡散臭いとか言って消えてるイベントあるけどあれと同じなんだな。
日本だと、「河越夜戦」が実在を疑われてるねぇ
@@kyokatayama1845 マジか😲地元だから胸熱だったのに😭
@@neo-chinidone よく感状を出すことで有名な北条&感状は再就職のために保存されることが多いっていう状況でそんだけ大きな戦いがあって凄まじい逆転劇を出したって言うのに残ってる感状が少なすぎるらしいな
源平合戦の那須与一の「よっぴいてぴょうと放つ」も後世の作り話という説が最近有力ですよね
モンゴルはモンゴルでオゴタイ死ななくともバトゥとグユクの確執とか各ウルスのゴタゴタはあったしな。
ワールシュタットの戦いは20年くらい前でも存在しなかったって言われてましたね現地の戦場になりそうな場所を発掘しても大規模戦場にありがちな武器や鏃などの戦争遺物がほぼ出てこない動画でもあったように記述が間違ってる、とか色々あって戦いがあっても小競り合いくらいだろうって話でした
逆に長平の古戦場を発掘したら人骨がうじゃうじゃでてきたので史記の正しさが証明されたそうですねそう
最初から創作として空白に夢いっぱい詰め込んだキングダムは偉大
当時における煙幕からの遠距離弓矢攻撃は圧倒的だったと思う
同じ人が2度死ぬとか、男塾?
現在のドイツやポーランドの中学・高校レベルの教科書はどう扱っているんだろう。
モンゴルがその後で内部事情で撤退したから、ワールシュタットの戦いは歴史の転換点ってわけではなく、重要じゃないいんだよな。関ヶ原や赤壁は実際の戦いがショボくても、前者は江戸幕府の成立を決定付け、後者は三国鼎立を決定付けたという意味で重要。
赤壁の戦いと呼ばれる烏林の戦いは、状況的には曹操に降伏したばかりの劉琮軍が劉備残党を追いかけている最中、その配下の黄祖を討った勢いで周瑜が劉琮の水軍を蹴散らしただけにも見える。ちなみに正史では烏林を攻めた周瑜とは別に孫権は合肥を攻め、張昭は徐州を攻め、その後は孤立した荊州南部の四郡を占領するなど、演義では曹操の南下を劉備と共に食い止める緊張感のある演出になっているが、実のところは孫権が積極的な攻勢を仕掛けて勢力範囲を拡大した時期である。
そこで赤壁の戦い挙げちゃ駄目だろ。それ別の時代の戦いを持ってきた軍記物ってのが一般的
モンゴル側からは局地戦だからって理屈ならアインジャールートの戦いもそうだしレグニツァなんてポーランド奥深くであと少しでウィーンでヨーロッパ側からは危機なのは確かでは?まぁモヒの戦いの方が重要だよねは間違いないですが
赤壁の戦いと同じか…
ヨーロッパ版の小瀬先生いたんだな、まだそんな人いそうだけど
近年の関ヶ原の戦いの扱いと似たようなもんかね(西軍の防衛構想は岐阜城陥落の時点で破綻しており、関ヶ原本戦は追撃戦に過ぎなかったってヤツ)
元寇も必死に「そんな戦い自体なかった」って消そうとしてる人たちいますね
岐阜城落ちてから関ケ原までかなりの日数があるんだが。
どのみち脚注に書いてあったら覚えないとだからなあ
この戦いがメインならともかく、アレクサンダーの大遠征と並び語られるフレグの西征だからな細かい戦いの1つ2つはどっちでも良いわな
フレグだっけ、バトゥじゃないの?
@@KARAMAZOV_3フレグもバトゥもどっちも大規模な西征をしてるんだよね。フレグは中東方面担当で、バトゥはヨーロッパ担当。バトゥの西征の方が若干早い。
マジかよ。9割戦死の死体の山って習ったわ。
いつも興味深い知見を、ありがとうございます今回の動画と同じような話で、故・岡田英弘氏が「クリコヴォの戦いは、実在性が怪しい」と、指摘しておられますね「クリコヴォの戦い」とは1380年、モスクワ大公ひきいるルーシ諸侯連合軍がタタールの大軍を破ったとされる会戦です「タタールの軛を解き放つエポックメイキングな戦い」であり、ロシア史の重要イベントとして特筆されています然るに岡田先生によると「この会戦について言及している、同時代の外交文書は無い。仮に戦いがあったとしても、取るに足らない小競り合いだったろう」とのこと
ポッポフォンを捨てるなの覚えやすさよ
日本史と異なって、間違いや偏向や疑問点が浮上すると瞬時に俎上に上がるところが世界史を学ぶ利点だよね。
予備知識が少なくて瞬時だと感じられてるだけかもしれないし、欧米は日本に比べれば権威主義社会ではないから論文レスバが活発なだけかもという欠点もあるのですよ。論文は年間100万本書かれると言われるうち半数は詐欺的なもの、残り半分も大概対抗論文があって、10年以上維持され続ける論文は1割程度だと思います。それでも論文という形での言論の自由度が高い事とメリットは同意します。
出典も研究者も数が違うから仕方ないね
モヒの戦いこそ取り上げられるべき。
二回戦死かぁ・・・。B-29 に2回体当たりした板垣軍曹かな?(2回とも生還している)
ソ連から見た対日参戦が気になります
まぁでも『モヒ』より『ワールシュタット』の方が響きとしては格好良いよね(苦笑
そんなことになってたのか、漫画「アンゴルモア」でも冒頭で大きく描かれてたのに
ポーランド版「弥助やないかい」だったんだね。
「歴史」とかいう公式見解を確定させられる力を持つのはその時の権力者やその意を汲んだ人間がメインだろうし、そりゃ自軍の正当性アピールや功績や神性アップのプラス効果が見込めるあらすじを恣意的に作るに決まってるよねぇ客観的に公平に事実を後世に残したら金になるというわけでもないし現代において正史と扱われている事象の中にも、こういう恣意的な補正がかかった資料を根拠にしてしまっているものがたくさんあるんでしょうね古の神話のように創作エピソードだったり、軍記物語の盛り過ぎ英雄譚みたいに素直でわかりやすい補正ばかりならいいんですが
まさに最強蒙古軍の強さは、騎馬兵の機動力に加え、最新の兵器と戦術を駆使する柔軟性にあったのでありますな?
世界史と言えるかは微妙かと思うんですが、王党派から見た現代フランスとか見たいです
30年くらい前にワールシュタットの戦いモチーフに漫画描いて雑誌に投稿したわ。今となっては二重の意味で黒歴史になっちゃったwww
紀元前のペルシア戦争のペルシア軍は300万を動員してるというのが史実認定されてるし、モンゴル軍の50万くらいよゆーよゆー
丁寧な解説、考察動画。嬉しい。TH-camの解説動画は、大部分がwiki丸写しやどっかの記事の転載など、投稿者が何も考えていないゴミ動画が多いので、このような動画がもっと増えれば良いのに。
ポッポ総長かわいいよポッポ総長
フライドポテトおいしい😁
ドイツ騎士団総長日本人「おお‥・・・」ポッポ総長日本人「鳩みてえな名前だな」
三国志正史が消失してしまい三国志演技が歴史として受け継がれてしまったといったような感じかなドゥウゴシュも単に三国志演義のような歴史物語として書いてたつもりだったのかもしれないでも名前はかっこいいんだよなあ、ワールシュタットの戦い
モヒの戦いが本命みたいだけど響きがダサいもんね
ワールシュタット自体はたいしたことではないかもしれない。だが、黄禍論を強力に後押しさせた。強い影響があると言える
そうそう、本隊はハンガリーに向かったんだよね
同じころ日本に挑んでモンゴル軍全滅した――これは消えないと思う。これで鎌倉幕府が落ち目になったし。
兵員数本邦調べたら20年早いが承久の乱で朝廷側2万弱vs鎌倉北条側19万になっとるな幕府側は盛り杉としても1万vs5万位と見てもポーランドvsモンゴル1kやら2kだと全然大したこと無い鎌倉御家人同士のちょっとした勢力争いLVで草
ワーテルローの戦いとごっちゃになってました
この件について東欧史の研究者が嘆いていたよ。ポーランド大公が戦死した戦いを「大したことなかった」なんてとんでもない話。この説を言い出したのは著名なモンゴル研究者の杉山だけど、参考文献すら提示されていない一般向けの書籍に書いただけで、正式な論文として発表したわけじゃない。だから「ワールシュタットの戦い大したことなかった説」なんて学術的には議題にすらなっていないのにって。
その人は多分ドイツの研究動向追えてないだけですね。動画でも言ってるようにドイツの歴史家が~って解説してるんですが…結論として「(ワールシュタットの戦いの伝承について)その多くは、現代の歴史学では純粋な空想とみなされている」とバッサリ切り捨てられてます。
某大学の准教授?が捏造していると話題のアサクリ弥助もそうだけど、話を盛ったヤツはちゃんと歴史家が否定して「ただの作り話」認定していくんだね。
詳しいですね ドイツの大学入試には出てこないんでしょうね
戦争の詳細な記録ってそもそも物語でしかないと思うけどね。一兵卒視点では全体で何が起きてたかはわからないし、戦争全体が見える上のポジションなら作戦の詳細なんていう軍事機密をペラペラ喋るとも思えない。歴史書の記録に残すなら都合のいい記録だけ残そうとするだろうし。
ドゥウゴシュって当時のロックリーだったわけですな。
なんでモヒの戦いを記載しないんだろう
最近どっかで聞いた話とよく似ているな
子供の頃ちゃんと勉强してなくて名前しか知らなかったから有り难うございます❗ワルキューレの行进みたいな
古事記・日本書紀よりかは数百倍の信憑性は高いよ。
これもうドゥゴシュが小瀬甫庵か司馬遼太郎ポジじゃん
ドイツ騎士団が参戦していたかについてなんですが、モヒの戦いに参戦している時点で挙げられた非参戦要因は否定されるのでは…?
モヒの戦いの日本語版WIKIにはドイツ騎士団載ってるけど、英語版にはないですね。ドイツ騎士団は1211-1225の間ハンガリー王の招きでトランシルバニア地方に本拠地を置いたがその後気が変わった王に追い出されてポーランドの北のプロシアに移転、その時点でハンガリーとの縁は切れてますね。
のっとる教科書使っとるーーーーー(受験生)
怒らないで聞いてくださいね。それじゃまるでポーランドが道路みたいじゃないですか。
あー…ナショナリズムと宗教の勢力争いの中で盛られた類だったわけですか。ポーランドって辺りがミソですね。
なんや、800年近く経ってるけど、今も同じやんか。※ウクライナ戦争での欧州各国の態度の違い、変遷
キン肉マンの世界みたいだ
ワールシュタットの戦いってめっちゃナポレオン感ない?ワーテルローのせいかな
イエナアウエルシュタットの戦いも混じってそう
おう、おっさんだけど今知ったぜ
前の動画のボツワナが残ってるw
神戸市民です。人気を得やすい戦記ては ??の事も多く成ります。源義経の鵯越の逆落しの戦場も神戸市兵庫区と長田区の崖急斜面と須磨区一ノ谷の崖急斜面の2ヶ所が在り、はっきり解ってません。私は敵味方が殺しあっている戦場ではっきり記録が残る方が変だと考えています。誇大広告 成り済まし詐欺程度では?。
一ノ谷は摂津源氏(多田氏)が地の利を生かし福原を急襲した地です
詳しすぎません?何に載ってるんですか?
ワーテルローと勘違いした
ヘロドト-る【動詞】歴史を大袈裟にして面白くする類語:司馬遷る
彼らがいなければ事実を検証しようとする歴史学も誕生してなかったんだからそれはただの冒涜罵倒。彼らの著書を全廃したところで彼らと同じ事をする人がすぐ現れては後世にお前みたいな物事の表面しか見られない奴に批判されてただけ。人々は急にレベルアップできない。数千年かかったって無理なのに。今だって史実にこだわる人より楽しさを優先する人が多い。最近のNHK大河ドラマの信長ものでも三段打ちが描かれたらしいけど、歴史監修者は辞めてくれって言ったのにNHKはそれをやらないと数字取れないからって強行し、まるで監修者が素人かのように責められた。責める視聴者も業界と国民に対しては素人という中途半端な理解をしてるからそんな何重にもアホな誤解をしてしまう。「NHKに採用されるような学者なら三段打ちに諸説ある事くらい知ってる筈だ、その上でベタなシーンを作ったのは何らかの事情がある筈だ」って考えに行きつかないなら三段打ちを盲目的に信じ続けてる奴と大差無い。お前の指摘もそれと同じ。今だってテロ規模やデモ参加者の数が立場によって倍くらいの幅があるのは当たり前なのに、お前は好き勝手に死体蹴りしてるだけ。グッドしてる奴も同罪。
羅漢中「ゆ、許された!」小瀬 甫庵「わーいわーい!」
作り話の可能性が高いというふうに欧州の扱いが変わったせいでしょう。
今から30年前の時点で教科書では重要視されてなかったかも世界史専攻してたけれど名前は聞いたことあるような気するくらいで全く記憶に残ってなかったちな世界史はセンターで90点以上はとれるくらいフレーズ暗記してた
いっそのことアルザスロレーヌくらいまでモンゴル侵攻受けてたらおもろかったのになまあ対ハンガリーで動員できた兵力が最大3万じゃ無理か
既にハンガリーの石造り城郭に手も足も出なかった(動画内でも言う地域差が出た理由の一つ、ハンガリー復興策の目玉もこの整備)ので、マジャール人対策で9世紀には出来てた仏独の城塞網抜くのは大分きついパンノニア平原が遊牧民生活圏の西限、養えて数万人なので腰を据えて大軍を集めることすら難しい
ワールシュタット(死体の山)の戦い。なのに資料が怪しいとは一体w
ワールシュタットは「死体の山」という意味ではありません。現に地名・ワールシュタットに関する、英語やドイツ語でかかれたwebページで「死体の山」について触れてるものを自分は見つけられませんでした。見る限り、日本語で書かれたものにしか載ってない表現です。Walstatt(日本語版Wikipediaには Wahlstatt とありますが、英語・ドイツ語だと Wahlstatt と書かれてるページは相当少ないみたいです)はドイツ語で「戦場」の古語です。日本語だと「いくさのにわ」や「いくさば」にあたります。仮に「死体の山」という意味の地名があるとしたら例えば Laichenberg(ライヒェンベルク)になりそうなものです。
ワールシュタット演義
なんで昔の人ってこんなに数字を盛るんやろか?
自分達は凄い数の敵に勝ったぞ!アピールと自分達が負けたのは敵の数が多かったからだ!アピールするから
単に新課程教科書の情報密度が下がっただけ説 旧課程用より明らかに見出し語が少ないからな
いやむしろ与太の類を教科書に載せた人間を断罪するべきでは
2回戦死したくらい何だ、流星拳砲岩なんか通算死亡回数6回だぞ。
そうだったのか!初めて知った…ドイツ騎士団騎士の悲劇的な死も無かったということか。歴史って作り話の集積なんだな、がっかり。
歴史講談で飯を食っていた人が話を盛るのは良くあることで、何なら司馬遼太郎だってその延長線上だし・・・人を惹きつける話にするには作り話の1つや2つや3つ入れないと厳しいのでしょう
ワールシュタットがやたら手際よくてモヒが結構gdgdなのも動員規模の差かなあ
てか双方の動員数からしてショボいし。それより多い動員数であった文永の役が単なる威力偵察なら、ワールシュタットは何だったんってことにしかならない。
状況証拠を積み上げていけば限りなく真実が浮かび上がるけど、いつもいつも合理的な結果が真実とも限らないのが世の中の面白いところ。
中華世界とイスラム世界の胸熱対決・タラス河畔の戦いちゃんはずっと元気でいてほしい
タラス河畔の戦い以前からイスラム世界に製紙法が存在した説も有力になったことから高校世界史から消されかけたんですが、中央アジアのイスラム化など歴史的意義は他にもあったことから製紙法伝播を切り捨てて無事生き残りました
光栄のチンギス・ハンのPC版にはまった。チベット、中央アジアあたりまで勢力を拡げると反乱が頻発して分裂崩壊してどうしようもなくなりリセット。史実もそんなもんだな。またやってみたい。
@@hakua_wr タラス河畔の戦いは
勝敗より紙が西に伝播されたことが強調される、
変な戦いだな
宦官の蔡倫とセットになってる
蔡倫さんは…前漢の人だっけ?
ヨーロッパとイスラムの戦い
トゥール・ポワティエ間の戦い
@@tonks-jf2zr 後漢
最後のオゴデイ死去で征西からの撤退って定説だと思ってたんですが、欧州だと諸説あるんですね
詳細な解説楽しみにしてます!
歴史上の出来事は色々な見方があるのだなと思わされて勉強になるんだなと考えさせられます、ありがとうございました。
モヒの戦いが関ヶ原の戦いとするなら、ワールシュタットは慶長出羽合戦だった、みたいなものか。
モヒの戦いと比べて、厨二感なら圧勝してるから…
でもモヒは世紀末ヒャッハー感あるから(震え
モヒってあだ名の同級生がいたんだよ
時代がモヒに追い付いたけど元気してるかなぁ
規模は別としてヘンリク2世打ち取られていて大したことないって言えるのかな?
国王が戦死してるんだから十分大事だと思うんだけど
世界史の流れで見れば大したことないって話じゃない?
そりゃヘンリク2世が討ち取られたのはポーランドにとって重大だろうけど、教科書レベルでは無いってこと
モンゴルの侵入の可否を決めた戦いだから教科書レベルだったのであって、それが失われ
@@MUSASI40ポーランドでは国王が空気なのはよくある
ナショナリズムより貴族のほうが力があるから
フランスでリシュリュー枢機卿が貴族を封建君主から
宮廷サロン化するのに失敗してたら
フランスもバラバラのままだったんでないの?
ぶっちゃけ特にたいしたことなポーランド国王が死んだからって、そう…でしかないし
悪酒(わるしゅ)断つと胃に良い(ワールシュタット1241年)って覚えてた。
名前がカッコいいから、一発で憶えた歴史用語だったのに残念。
モンゴル側からすれば、大した戦いでもなかった可能性はある。
なぜなら激戦ではなく、モンゴル軍の圧勝に終わったからだ。
モヒの方が本番なんだからこっちを取り上げるべきなのはそう
張郃『俺なんか3回も死んでるんだぞ。2回なんて誤差の範囲だろ。』
廖化「100歳も越えずに1度でも死ぬとか凡夫にも程がある」
糟屋武則「おっそうだな」
王 大人「一同、死亡確認!」
大戦期の天皇への上奏では、
サラトガは三回沈んだ事になってる
@@見えないクン
エンタープライズ「呼ばれた気がして」
ワールシュタット、アウステルリッツ、ワーテルローの3つはすぐに覚えれたなぁ
個人的にはカイロネイアとアインジャールートも厨二心をくすぐられたなあ
厳密にはワールシュタットじゃなくて、リーグニッツのそれも「近郊」。
一次大戦初期のタンネンベルグ会戦も厳密には違うのと同じ。
この戦いよりもモヒやアイン・ジャールートの方がより大規模で重要な筈なのに、ワールシュタットに替わって教科書等に載った訳でもないのだから、単に日本の指導要領(→これ重要)の問題だろう。
それに、全部の教科書から消えた訳でもなく、用語集や資料集や地図、問題集にはちゃんと載ってるからどの道、難関大学を目指すなら特に、覚えなくちゃいけない。
戦い自体は、ポーランド王が死んでるし、実際にポーランドが今なお「国家戦没者の慰霊」対象としている(山崎雅弘さんの著書「ポーランド電撃戦」参照)から、規模に関わらず事実の存在は疑い無い筈。
でもいきなり「大したことない」としたのは、今のウクライナ戦争が原因ではないか。それは、
欧州諸国は伝統的にロシアをヨーロッパではなくアジア、特に「モンゴルの変質」と考えている節があり、特にその脅威を被ったポーランドでは、モンゴル(≒ロシア)にボコボコにされた経験は今更でも屈辱でしかない。
ポーランドは被害者面をしているが、実際は好戦的で氣位も高く、大戦間期には近隣諸国の鼻つまみ物になっている。
また、リーグニッツをワールシュタット(死体の街)と必要以上に誇張し、モヒでも無視できない被害を受けた神聖ローマ帝国は、後の独墺始め中東欧諸国となり、やはり目下のロシアの拡大を恐れている。
そうした中東欧諸国(=西側)の嫌露(蒙)意識が、出来得る限り、過去に遡ってでも歴史を拭いたい衝動を誘引し、西側に与する日本がその意向を酌んだと言うことなのだろう。
冒頭で「学習指導要領」と言ったのはこのこと。
言うなればこの歴史論争は、ヨーロッパ対アジアの思考論争とも取れるのではないか。
最後に、バトゥの撤退はオゴタイの死によるものではなく諸説あるとのことだが、どの道バトゥは整然と「撤収」したのであり、神聖ローマ帝国等のヨーロッパ連合に武力で、アイン・ジャールートの様に打ち負かされたもの、つまり「潰走」ではない。
もしそれだけの軍事的大勝利があるなら、当時のヨーロッパ全体で鼓舞し、不朽の伝説にもなり、勿論教科書にも無条件で載る筈だが、そうした事実は今のところ存在しない。
ひょっとしたら欧州はロシア(蒙古の幻影)怖さと憎さの為に、歴史までも捏造するのだろうか。
つまるところ欧州人の考えはアジア(この場合はロシアを通してる)等有色人種への偏見と、自分達が文明の旗手であるとするレイシズムから抜けられないのか。
そう思えてならない。
軍勢の総数はハンガリーに攻め込んだ時点でモンゴル征西軍がブルガール人とキプチャク人をどれだけ戦力化できてたかによりますね。
グユグが大汗になってバトゥを攻めようとした時にバトゥは迎撃するつもり満々でしたし、モンゴル帝国の本軍を迎え撃つだけの戦力をバトゥが揃えていたとなるとかなりの兵力になりますから。
モンゴルと欧州の戦いの話を聞いていると思っていたら、いつの間にか欧州のドロドロした身内争いを聞いていた。
うぽつです!
よくわからないから資料盛りまくったらナショナリズムに利用されちゃったのか
あーなる程同時代の一次資料が曖昧だから実在が怪しいからの記述削除のパターンか、日本史も根拠が後年に書かれた軍記物だから胡散臭いとか言って消えてるイベントあるけどあれと同じなんだな。
日本だと、「河越夜戦」が実在を疑われてるねぇ
@@kyokatayama1845
マジか😲地元だから胸熱だったのに😭
@@neo-chinidone よく感状を出すことで有名な北条&感状は再就職のために保存されることが多いっていう状況でそんだけ大きな戦いがあって凄まじい逆転劇を出したって言うのに残ってる感状が少なすぎるらしいな
源平合戦の那須与一の「よっぴいてぴょうと放つ」も後世の作り話という説が最近有力ですよね
モンゴルはモンゴルでオゴタイ死ななくともバトゥとグユクの確執とか各ウルスのゴタゴタはあったしな。
ワールシュタットの戦いは20年くらい前でも存在しなかったって言われてましたね
現地の戦場になりそうな場所を発掘しても大規模戦場にありがちな武器や鏃などの戦争遺物がほぼ出てこない
動画でもあったように記述が間違ってる、とか色々あって戦いがあっても小競り合いくらいだろうって話でした
逆に長平の古戦場を発掘したら人骨がうじゃうじゃでてきたので史記の正しさが証明されたそうですねそう
最初から創作として空白に夢いっぱい詰め込んだキングダムは偉大
当時における煙幕からの遠距離弓矢攻撃は圧倒的だったと思う
同じ人が2度死ぬとか、男塾?
現在のドイツやポーランドの中学・高校レベルの教科書はどう扱っているんだろう。
モンゴルがその後で内部事情で撤退したから、ワールシュタットの戦いは歴史の転換点ってわけではなく、重要じゃないいんだよな。
関ヶ原や赤壁は実際の戦いがショボくても、前者は江戸幕府の成立を決定付け、後者は三国鼎立を決定付けたという意味で重要。
赤壁の戦いと呼ばれる烏林の戦いは、状況的には曹操に降伏したばかりの劉琮軍が劉備残党を追いかけている最中、その配下の黄祖を討った勢いで周瑜が劉琮の水軍を蹴散らしただけにも見える。
ちなみに正史では烏林を攻めた周瑜とは別に孫権は合肥を攻め、張昭は徐州を攻め、その後は孤立した荊州南部の四郡を占領するなど、演義では曹操の南下を劉備と共に食い止める緊張感のある演出になっているが、実のところは孫権が積極的な攻勢を仕掛けて勢力範囲を拡大した時期である。
そこで赤壁の戦い挙げちゃ駄目だろ。
それ別の時代の戦いを持ってきた軍記物ってのが一般的
モンゴル側からは局地戦だからって理屈ならアインジャールートの戦いもそうだしレグニツァなんてポーランド奥深くで
あと少しでウィーンでヨーロッパ側からは危機なのは確かでは?
まぁモヒの戦いの方が重要だよねは間違いないですが
赤壁の戦いと同じか…
ヨーロッパ版の小瀬先生いたんだな、まだそんな人いそうだけど
近年の関ヶ原の戦いの扱いと似たようなもんかね(西軍の防衛構想は岐阜城陥落の時点で破綻しており、関ヶ原本戦は追撃戦に過ぎなかったってヤツ)
元寇も必死に「そんな戦い自体なかった」って消そうとしてる人たちいますね
岐阜城落ちてから関ケ原までかなりの日数があるんだが。
どのみち脚注に書いてあったら覚えないとだからなあ
この戦いがメインならともかく、アレクサンダーの大遠征と並び語られるフレグの西征だからな
細かい戦いの1つ2つはどっちでも良いわな
フレグだっけ、バトゥじゃないの?
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フレグもバトゥもどっちも大規模な西征をしてるんだよね。フレグは中東方面担当で、バトゥはヨーロッパ担当。バトゥの西征の方が若干早い。
マジかよ。
9割戦死の死体の山って習ったわ。
いつも興味深い知見を、ありがとうございます
今回の動画と同じような話で、故・岡田英弘氏が「クリコヴォの戦いは、実在性が怪しい」と、指摘しておられますね
「クリコヴォの戦い」とは1380年、モスクワ大公ひきいるルーシ諸侯連合軍がタタールの大軍を破ったとされる会戦です
「タタールの軛を解き放つエポックメイキングな戦い」であり、ロシア史の重要イベントとして特筆されています
然るに岡田先生によると「この会戦について言及している、同時代の外交文書は無い。仮に戦いがあったとしても、取るに足らない小競り合いだったろう」とのこと
ポッポフォンを捨てるなの覚えやすさよ
日本史と異なって、間違いや偏向や疑問点が浮上すると瞬時に俎上に上がるところが世界史を学ぶ利点だよね。
予備知識が少なくて瞬時だと感じられてるだけかもしれないし、欧米は日本に比べれば権威主義社会ではないから論文レスバが活発なだけかもという欠点もあるのですよ。論文は年間100万本書かれると言われるうち半数は詐欺的なもの、残り半分も大概対抗論文があって、10年以上維持され続ける論文は1割程度だと思います。それでも論文という形での言論の自由度が高い事とメリットは同意します。
出典も研究者も数が違うから仕方ないね
モヒの戦いこそ取り上げられるべき。
二回戦死かぁ・・・。B-29 に2回体当たりした板垣軍曹かな?(2回とも生還している)
ソ連から見た対日参戦が気になります
まぁでも『モヒ』より『ワールシュタット』の方が響きとしては格好良いよね(苦笑
そんなことになってたのか、漫画「アンゴルモア」でも冒頭で大きく描かれてたのに
ポーランド版「弥助やないかい」だったんだね。
「歴史」とかいう公式見解を確定させられる力を持つのはその時の権力者やその意を汲んだ人間がメインだろうし、そりゃ自軍の正当性アピールや功績や神性アップのプラス効果が見込めるあらすじを恣意的に作るに決まってるよねぇ
客観的に公平に事実を後世に残したら金になるというわけでもないし
現代において正史と扱われている事象の中にも、こういう恣意的な補正がかかった資料を根拠にしてしまっているものがたくさんあるんでしょうね
古の神話のように創作エピソードだったり、軍記物語の盛り過ぎ英雄譚みたいに素直でわかりやすい補正ばかりならいいんですが
まさに最強蒙古軍の強さは、騎馬兵の機動力に加え、最新の兵器と戦術を駆使する柔軟性にあったのでありますな?
世界史と言えるかは微妙かと思うんですが、王党派から見た現代フランスとか見たいです
30年くらい前にワールシュタットの戦いモチーフに漫画描いて雑誌に投稿したわ。
今となっては二重の意味で黒歴史になっちゃったwww
紀元前のペルシア戦争のペルシア軍は300万を動員してるというのが史実認定されてるし、モンゴル軍の50万くらいよゆーよゆー
丁寧な解説、考察動画。嬉しい。
TH-camの解説動画は、大部分がwiki丸写しやどっかの記事の転載など、投稿者が何も考えていないゴミ動画が多いので、このような動画がもっと増えれば良いのに。
ポッポ総長かわいいよポッポ総長
フライドポテトおいしい😁
ドイツ騎士団総長
日本人「おお‥・・・」
ポッポ総長
日本人「鳩みてえな名前だな」
三国志正史が消失してしまい三国志演技が歴史として受け継がれてしまったといったような感じかな
ドゥウゴシュも単に三国志演義のような歴史物語として書いてたつもりだったのかもしれない
でも名前はかっこいいんだよなあ、ワールシュタットの戦い
モヒの戦いが本命みたいだけど響きがダサいもんね
ワールシュタット自体はたいしたことではないかもしれない。
だが、黄禍論を強力に後押しさせた。
強い影響があると言える
そうそう、本隊はハンガリーに向かったんだよね
同じころ日本に挑んでモンゴル軍全滅した――これは消えないと思う。これで鎌倉幕府が落ち目になったし。
兵員数本邦調べたら20年早いが承久の乱で朝廷側2万弱vs鎌倉北条側19万になっとるな
幕府側は盛り杉としても1万vs5万位と見てもポーランドvsモンゴル1kやら2kだと全然大したこと無い
鎌倉御家人同士のちょっとした勢力争いLVで草
ワーテルローの戦いとごっちゃになってました
この件について東欧史の研究者が嘆いていたよ。
ポーランド大公が戦死した戦いを「大したことなかった」なんてとんでもない話。
この説を言い出したのは著名なモンゴル研究者の杉山だけど、参考文献すら提示されていない一般向けの書籍に書いただけで、正式な論文として発表したわけじゃない。
だから「ワールシュタットの戦い大したことなかった説」なんて学術的には議題にすらなっていないのにって。
その人は多分ドイツの研究動向追えてないだけですね。動画でも言ってるようにドイツの歴史家が~って解説してるんですが…
結論として「(ワールシュタットの戦いの伝承について)その多くは、現代の歴史学では純粋な空想とみなされている」とバッサリ切り捨てられてます。
某大学の准教授?が捏造していると話題のアサクリ弥助もそうだけど、
話を盛ったヤツはちゃんと歴史家が否定して「ただの作り話」認定していくんだね。
詳しいですね ドイツの大学入試には出てこないんでしょうね
戦争の詳細な記録ってそもそも物語でしかないと思うけどね。一兵卒視点では全体で何が起きてたかはわからないし、戦争全体が見える上のポジションなら作戦の詳細なんていう軍事機密をペラペラ喋るとも思えない。歴史書の記録に残すなら都合のいい記録だけ残そうとするだろうし。
ドゥウゴシュって当時のロックリーだったわけですな。
なんでモヒの戦いを記載しないんだろう
最近どっかで聞いた話とよく似ているな
子供の頃ちゃんと勉强してなくて名前しか知らなかったから有り难うございます❗ワルキューレの行进みたいな
古事記・日本書紀よりかは数百倍の信憑性は高いよ。
これもうドゥゴシュが小瀬甫庵か司馬遼太郎ポジじゃん
ドイツ騎士団が参戦していたかについてなんですが、モヒの戦いに参戦している時点で挙げられた非参戦要因は否定されるのでは…?
モヒの戦いの日本語版WIKIにはドイツ騎士団載ってるけど、英語版にはないですね。ドイツ騎士団は1211-1225の間ハンガリー王の招きでトランシルバニア地方に本拠地を置いたがその後気が変わった王に追い出されてポーランドの北のプロシアに移転、その時点でハンガリーとの縁は切れてますね。
のっとる教科書使っとるーーーーー
(受験生)
怒らないで聞いてくださいね。
それじゃまるでポーランドが道路みたいじゃないですか。
あー…ナショナリズムと宗教の勢力争いの中で盛られた類だったわけですか。
ポーランドって辺りがミソですね。
なんや、800年近く経ってるけど、今も同じやんか。
※ウクライナ戦争での欧州各国の態度の違い、変遷
キン肉マンの世界みたいだ
ワールシュタットの戦いってめっちゃナポレオン感ない?
ワーテルローのせいかな
イエナアウエルシュタットの戦いも混じってそう
おう、おっさんだけど今知ったぜ
前の動画のボツワナが残ってるw
神戸市民です。人気を得やすい戦記ては ??
の事も多く成ります。
源義経の鵯越の逆落しの戦場も神戸市兵庫区と長田区の崖急斜面と
須磨区一ノ谷の崖急斜面の2ヶ所が在り、はっきり解ってません。
私は敵味方が殺しあっている戦場ではっきり記録が残る方が変だ
と考えています。誇大広告 成り済まし詐欺
程度では?。
一ノ谷は摂津源氏(多田氏)が地の利を生かし福原を急襲した地です
詳しすぎません?何に載ってるんですか?
ワーテルローと勘違いした
ヘロドト-る【動詞】歴史を大袈裟にして面白くする
類語:司馬遷る
彼らがいなければ事実を検証しようとする歴史学も誕生してなかったんだからそれはただの冒涜罵倒。彼らの著書を全廃したところで彼らと同じ事をする人がすぐ現れては後世にお前みたいな物事の表面しか見られない奴に批判されてただけ。人々は急にレベルアップできない。数千年かかったって無理なのに。今だって史実にこだわる人より楽しさを優先する人が多い。最近のNHK大河ドラマの信長ものでも三段打ちが描かれたらしいけど、歴史監修者は辞めてくれって言ったのにNHKはそれをやらないと数字取れないからって強行し、まるで監修者が素人かのように責められた。責める視聴者も業界と国民に対しては素人という中途半端な理解をしてるからそんな何重にもアホな誤解をしてしまう。「NHKに採用されるような学者なら三段打ちに諸説ある事くらい知ってる筈だ、その上でベタなシーンを作ったのは何らかの事情がある筈だ」って考えに行きつかないなら三段打ちを盲目的に信じ続けてる奴と大差無い。お前の指摘もそれと同じ。今だってテロ規模やデモ参加者の数が立場によって倍くらいの幅があるのは当たり前なのに、お前は好き勝手に死体蹴りしてるだけ。グッドしてる奴も同罪。
羅漢中「ゆ、許された!」
小瀬 甫庵「わーいわーい!」
作り話の可能性が高いというふうに
欧州の扱いが変わったせいでしょう。
今から30年前の時点で教科書では重要視されてなかったかも
世界史専攻してたけれど名前は聞いたことあるような気するくらいで全く記憶に残ってなかった
ちな世界史はセンターで90点以上はとれるくらいフレーズ暗記してた
いっそのことアルザスロレーヌくらいまでモンゴル侵攻受けてたらおもろかったのにな
まあ対ハンガリーで動員できた兵力が最大3万じゃ無理か
既にハンガリーの石造り城郭に手も足も出なかった(動画内でも言う地域差が出た理由の一つ、ハンガリー復興策の目玉もこの整備)ので、マジャール人対策で9世紀には出来てた仏独の城塞網抜くのは大分きつい
パンノニア平原が遊牧民生活圏の西限、養えて数万人なので腰を据えて大軍を集めることすら難しい
ワールシュタット(死体の山)の戦い。なのに資料が怪しいとは一体w
ワールシュタットは「死体の山」という意味ではありません。
現に地名・ワールシュタットに関する、英語やドイツ語でかかれたwebページで「死体の山」について触れてるものを自分は見つけられませんでした。
見る限り、日本語で書かれたものにしか載ってない表現です。
Walstatt(日本語版Wikipediaには Wahlstatt とありますが、英語・ドイツ語だと Wahlstatt と書かれてるページは相当少ないみたいです)
はドイツ語で「戦場」の古語です。
日本語だと「いくさのにわ」や「いくさば」にあたります。
仮に「死体の山」という意味の地名があるとしたら例えば Laichenberg(ライヒェンベルク)になりそうなものです。
ワールシュタット演義
なんで昔の人ってこんなに数字を盛るんやろか?
自分達は凄い数の敵に勝ったぞ!アピールと自分達が負けたのは敵の数が多かったからだ!アピールするから
単に新課程教科書の情報密度が下がっただけ説 旧課程用より明らかに見出し語が少ないからな
いやむしろ与太の類を教科書に載せた人間を断罪するべきでは
2回戦死したくらい何だ、流星拳砲岩なんか通算死亡回数6回だぞ。
そうだったのか!初めて知った…
ドイツ騎士団騎士の悲劇的な死も無かったということか。
歴史って作り話の集積なんだな、がっかり。
歴史講談で飯を食っていた人が話を盛るのは良くあることで、何なら司馬遼太郎だってその延長線上だし・・・
人を惹きつける話にするには作り話の1つや2つや3つ入れないと厳しいのでしょう
ワールシュタットがやたら手際よくてモヒが結構gdgdなのも動員規模の差かなあ
てか双方の動員数からしてショボいし。それより多い動員数であった文永の役が単なる威力偵察なら、ワールシュタットは何だったんってことにしかならない。