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マシン熟成に遅れてもできる限りのリザルトを残しながら慌てず騒がずきっちり中盤から勝負をかけて、きっちり勝ちきった戦いぶりは流石。最終戦も勝ちにこだわる所もただのステディーではない誇り高き王者だ。
高校生で原付きバイクに乗って、あっと言う間にバイクの虜になりましたそれでwgpも見るようになったのですが、1991年からのことなんですよねこうやって振り返って解説してもらえてとても良かったです流石に1989年の鈴鹿は有名なので、フルで見ましたけどレイニーが好きでした!
自分も89のWGPが一番好きでした!毎週録画したビデオを何度も見ました。 ローソンと言えばヤマハでしたが、この1年だけホンダに乗り短期間でじゃじゃ馬NSRを乗りこなしChampionへ。ヘルメット、スーツ、マシン、ライディングスタイル全てが格好良かった! ガードナーは骨折が無ければ何勝出来たかなぁ… ガンマはPEPSIカラーが一番っしょ。など今でも思いを馳せらせます。
ローソンは、ヤマハYZR500とホンダNSR500とカジバ500の3メーカーで優勝した名ライダーでしたね?スズキRGV-Γ500にも乗って欲しかったですね?その昔、ローソンが世界GPにデビューする以前にカワサキKR500(スクエア型4気筒)をテストで乗った事があるそうですね?
このシーズンのバトルを見ていて、タイヤがどこまで持つのかいつもハラハラドキドキしてみていたね。後半はズルズル状態で走っていて、何度もハイサイドしかかりながらも「スロットルを戻すな!戻し過ぎるな!歯を食いしばってバランスでグリップの回復を待つんだ!」と瞬時に判断している集中した走りに、背中に電流が流れっぱなしだったのを思い出した。クリップの中でも出てきたけど、シュワンツはコーナー立ち上がりでしょっちゅうフロントアップしているんだよ。しかも明らかに他のライダーより早いポイントで開けていて、神業のブレーキングと合わせて彼の速さの秘密がよく理解できたね。それにしてもなんであそこであんな姿勢でフロントアップできたんだろうね?千年屋 俊幸アナの実況も面白かったよね。テレビ愛知で見ることが出来てラッキーだったよ。
スウェーデンでのレイニーの転倒はローソンが "わざと" 早目にアクセルを開けてレイニーのミスを誘ったなんてウワサもありましたね、本当ならあんな競り合いの中でそんな事が出来るGPライダーは半端ないです😝
レイニーが後半戦なかなか勝てなかったのは、ローソンホンダのミシュランに比べ、ダンロップの進歩不足が大きい
エディー応援してたなぁ…懐かしい。
引退後のシュワンツがキャリアを振り返ったときに、この89シーズンには悔いがあると言っていた。「あのシーズンのガンマにはアドバンテージがあったから、誰かが僕にリスクを控えることを教えてくれていたら・・・・」 って。と言いつつ、「でも25歳の若者だから・・・聞く耳もたなかったろうなぁw」 だって。それこそがシュワンツであり、あの速さの原点なんですよね。
1989年スズキRGV-Γ500は、ホンダNSR500とヤマハYZR500と対等に戦えるだけの性能が追い付いて3メーカー足並み揃ったでしたね‼️🤗ただRGV-Γ500の性能を引き出せるのがシュワンツだけだったのでチームメイトのハスラムが援護サポート出来なかった?毎年シュワンツのチームメイトが変わってしまうのもRGV-Γ500乗りこなせるのがシュワンツだけだったのが理由でしたね‼️🤗
フォームが全員格好良い!
気づけばランキング3位、いぶし銀のサロンも忘れずに!
チャンピオンライダーとして、契約継続を望んだローソンだったが、ケニーのマルボロヤマハへ移籍。後になって、その理由はガードナーにあったことが知らされた。ガードナーの契約条件にホンダ最高額があり、仮にほぼ同額としても、チャンピオンのローソンに受け入れらるはずもなかった。ホンダとしてもロスマンズ、ガードナーの事情により、ローソンの離脱もやむ無しでしょうが、1年限りのホンダのローソンは残念でしかない。
ホンダとしては、あくまでもガードナーがホンダのエースNo.1ライダーだったのでしょうね?ホンダは、他のメーカーから移籍したドライバーやライダーよりも最初からホンダでデビューして育てたドライバーやライダーを優先するのでは?そのガードナーも結局は同郷オーストラリアのドーハンにエースNo.1ライダーの座を穣る(奪われる?)事になりますが?ローソンも古巣ヤマハ(ケニー・ロバーツ監督のチームですが)に戻りますが、レイニーにエースNo.1ライダーの座を奪われる?時代はローソン&ガードナーからレイニー&シュワンツ&ドーハンへと確実に世代交代が進みました?
エディー・ローソンはまさに「優勝請負人ライダー」どのチームのマシンでも確実に速く、そして確実に結果を残す...WGP500の歴史に於いてもレイニー&シュワンツと共にスーパーレジェンドと言っても過言ではない😎✨
鈴鹿8耐の次週にWGP。2週連続レース。ライダーは凄い。その頃の8耐がレベル高く好きでした。
ローソンは、1989年世界タイトル獲得に専念するためにホンダからRVF750で8時間耐久の参戦打診を断った?それが1年でホンダとの関係が終わった原因とも言われた?もし参戦していればガードナーとロスマンズ・ホンダで組んでいたのだろうか?後にローソンはホンダRVF75Oで8時間耐久に参戦する事になりますが(再びアーブ金本と組んで)
また、元気なアメリカンライダー出てこないかなぁ☀️
無茶苦茶面白かった!ローソンがホンダに乗ったのは知りませんでした。
毎月購読してたサイクルサウンズをHi-Rで買いに行ってたなぁ
ニーヌマケンジー懐かしい
「にぃ~ぬ、ま・けんじぃ~」だね。わかります。
テレビで聞いて『えっ!? 新沼謙治??』が当時の定番ネタだった〜〜
ニーヌ マッケンジー
その後、プロ野球界に「じょーじ・まっけんじー」が現れた。
それまで『パワーのホンダ、ハンドリングのヤマハ』なんて言われてたが、ローソンがホンダに乗った事でホンダ車のハンドリングがマシになりドゥーハンの5連覇に繋がっていく
つくづくガードナーの怪我が残念でしかたがない……
5戦してウィナーが5人ということで、この年は大混戦かと思ったんだけど・・・今まで最もウィナーが多かったのは何年だったんだろう?ちなみにF1では1982年に16戦でウィナーが11人も出ている。
YAMAHAからLAWSONがHONDAに移籍したのはショックでした。あくまで噂ですがケニーがHONDAに行って見てこい‼️の一言あったそうです😮
エディーはワークスチームでなく、アーブ金本さんのチームでしたね。ワークスは、ガードナーとドゥーハンでしたね。その後のカジバの活躍も凄いでしたね。
確かにローソンが所属するロスマンズ・ホンダ(ロスマンズ・カネモト・ホンダ)は表面的にはサテライトチームでガードナーとドーハンが所属するロスマンズ・ホンダ(HRC直営)はワークスチームだけれども、ガードナーはシーズン途中のケガでタイトル争いから離脱していたしドーハンは世界GP500新人ルーキーなので、ホンダの実質ワークスライダーはローソンだった?ローソンが乗る特別仕様NSR500には最新パーツが優先して供給される(他のNSR500は後から遅れて供給される?)
88にローソンがホンダに移籍していたら88NSRでもチャンプ獲得出来てたんじゃないだろうか。エースのガードナーですらうまくいかなかったあのマシンで。
'88年型NSR500の最大の問題はトラクション不足だと云われてましたね。最初に指摘したのはガードナーのチームメイトだった八代選手でしたが、その声はホンダワークスから無視されシーズンに突入。中々勝てない状況に業を煮やしたガードナーとHRCがやっと重い腰を上げてスイングアームピボット位置を上げた新型フレームを投入したのがイタリアGPでしたが、時既に遅し…で、前年比で小型軽量化したエンジンがトラブルで落とすレースもあり、ガードナーにとってはフラストレーションが溜まるシーズンだったのではないでしょうか。しかし、トラクション不足はガードナーのライディングスタイルに起因するトラブルで、同じバイクに乗るニール・マッケンジーやピエール・フランチェスコ・キーリは大して問題にしていなかった、と当時のレース誌で読んだ記憶があります。と云う事は、ガードナーとの比較で旋回速度を高く取る事に重きを置くローソンなら、ヨーロピアンのマッケンジーやキーリのようにトラクション不足を然程には感じず、抜群の安定感とスピードで'88年をモノにしていた可能性は大いにありますね。そもそも、ヤマハに比べて4気筒エンジンの開発がピークパワー重視で、フレームも硬ければ良いくらいの人間性を無視したマシンでライダーに余計な負荷を掛けていたのが当時のホンダですから、八代選手の意見にもっと耳を傾けていれば'88年に惨敗する事も'89年にガードナーがしなくていい怪我で戦線を長期離脱する事も、ローソンがシーズンを通してマシン開発に苦労する事もなかったでしょうね。
「コーナーリングのヤマハYZR500」「ストレートスピードのホンダNSR500」そこに「ブレーキングのスズキRGV-Γ500」と言う3メーカーの三つ巴争い世界GP500になるとは夢にも思っていませんでした‼️🤗長年YZR500に乗るローソンもストレートスピードに勝るNSR500のマシンに魅力を感じていたのかも知れないですね‼️🤗
@@博章高瀬 様ローソンがヤマハYZR500からホンダNSR00に初めて乗り換えてNSR500マシンを絶賛して感銘受けたのはエンジン回転のスムーズさだったと雑誌で読んだ事が有りました?特に吸気キャブレーションにおいて?ホンダNSR500は1軸クランクV4の等間隔爆発、ヤマハYZR500やスズキRGV-Γ500は2軸クランクV4の2気筒同時爆発と言うエンジン特性の違いによると思いますが?私個人的な想像になりますがヤマハYZR500エンジンはミクニ製のキャブレターを使っていてローソンはキャブレターセッティングに苦労したと聞きました‼️🤗それに対してホンダNSR500エンジンはケイヒン製キャブレターを使っていた‼️🤗スズキRGV-Γ500もヤマハYZR500と同じでミクニ製キャブレターを使っていましたが、後にヤマハとスズキ共にケイヒン製キャブレターに変更する事になります。やはり違うメーカーのマシンを乗る経験をしたからこそのローソンのコメントでした‼️🤗たらればですがスズキRGV-Γ500一筋だったシュワンツにホンダNSR500を乗ってコメント欲しかったです‼️🤗RGV-Γ500もYZR500よりはピーキーでジャジャ馬なマシンだったので?
@@博章高瀬そもそもは八代氏が87フレームからピボット位置を下げる要望を出した事が原因なんだけどね。ガードナーはその被害者。だから八代氏はその後、ホンダから主張が信用されずにデータレコーダーを背負ってテスト走行する羽目になったそうな…
本田のローソンかぁ〜
89 keine Marlboro Yamaha Team Roberts. Das ist Lucky Strike Yamaha Team Roberts.
アメリカライデングの全盛期ヨーロピアンライデングも速かったけどねケニー・ロバーツの走りみたいだね
89年、ローソンがタイトルを獲ったが、全レースを通じて最速のライダーは?と聞かれたら、シュワンツ、レイニーと答えてしまうだろう。
まさか、次の年レイニーとローソンがチームロバーツでメイトになるとは。( ╹▽╹ )
まるで4輪F1マクラーレンホンダのセナ(→レイニー)とプロスト(→ローソン)みたいでしたね?笑
@@中村佳己-t4r 確かに。(*´ω`*)
89年マンシデザインがいい、F-1もだね。
奇しくも1989年は4輪F1においてマクラーレンホンダのプロストが世界王者になった。ローソンもプロストも同じようにホンダエンジンの実力を認めながらもホンダとは決別の道を歩むところが全くソックリでした?
この女性の声は、自動音声?
ローソンは速いのに走りに華が無いのかパッとしない印象しか無いこの年は母国グランプリでこじ開けるよーに無理やり勝った感の有るガドちゃんの執念が印象的だった何気に気づいたらいートコに居たサロンも印象的
スズキRGV-Γのシュワンツが絡んで優勝する事で、ホンダNSR500のローソンとヤマハYZR500のレイニーに優勝が集中せず分散した事もローソンの4度目世界タイトル獲得に影響を与えた?
そのシュワンツが何度もリタイアしてくれたこともね。
@@dadgad412様直線スピードのNSR500.、コーナーリングのYZR500、ブレーキングのRGV-Γ500と言うのが3メーカーマシンの特色個性だったけれどもシーズン終盤になってくると熟成が進んで全てのマシンがバランス良くなってきましたね。最後にはローソンが自信持ってNSR500を乗りこなしてレイニーやシュワンツを凌いだ。
シーズン通しての流れはとても良いですね。懐かしいシーンも楽しく観ていられます。但し、「ダブリュジーピー」「アールジーブイ」って呼び方は非常に違和感あり。「ワールドグランプリ」又は「ワールドジーピー」、「アールジーブイガンマ」‥‥って呼称でお願いしたい。
マシン熟成に遅れてもできる限りのリザルトを残しながら
慌てず騒がずきっちり中盤から勝負をかけて、きっちり勝ちきった戦いぶりは流石。
最終戦も勝ちにこだわる所もただのステディーではない
誇り高き王者だ。
高校生で原付きバイクに乗って、あっと言う間にバイクの虜になりました
それでwgpも見るようになったのですが、1991年からのことなんですよね
こうやって振り返って解説してもらえてとても良かったです
流石に1989年の鈴鹿は有名なので、フルで見ましたけど
レイニーが好きでした!
自分も89のWGPが一番好きでした!毎週録画したビデオを何度も見ました。 ローソンと言えばヤマハでしたが、この1年だけホンダに乗り短期間でじゃじゃ馬NSRを乗りこなしChampionへ。ヘルメット、スーツ、マシン、ライディングスタイル全てが格好良かった! ガードナーは骨折が無ければ何勝出来たかなぁ… ガンマはPEPSIカラーが一番っしょ。など今でも思いを馳せらせます。
ローソンは、ヤマハYZR500とホンダNSR500とカジバ500の3メーカーで優勝した名ライダーでしたね?
スズキRGV-Γ500にも乗って欲しかったですね?
その昔、ローソンが世界GPにデビューする以前にカワサキKR500(スクエア型4気筒)をテストで乗った事があるそうですね?
このシーズンのバトルを見ていて、タイヤがどこまで持つのかいつもハラハラドキドキしてみていたね。後半はズルズル状態で走っていて、何度もハイサイドしかかりながらも「スロットルを戻すな!戻し過ぎるな!歯を食いしばってバランスでグリップの回復を待つんだ!」と瞬時に判断している集中した走りに、背中に電流が流れっぱなしだったのを思い出した。クリップの中でも出てきたけど、シュワンツはコーナー立ち上がりでしょっちゅうフロントアップしているんだよ。しかも明らかに他のライダーより早いポイントで開けていて、神業のブレーキングと合わせて彼の速さの秘密がよく理解できたね。それにしてもなんであそこであんな姿勢でフロントアップできたんだろうね?千年屋 俊幸アナの実況も面白かったよね。テレビ愛知で見ることが出来てラッキーだったよ。
スウェーデンでのレイニーの転倒はローソンが "わざと" 早目にアクセルを開けてレイニーのミスを誘ったなんてウワサもありましたね、本当ならあんな競り合いの中でそんな事が出来るGPライダーは半端ないです😝
レイニーが後半戦なかなか勝てなかったのは、ローソンホンダのミシュランに比べ、ダンロップの進歩不足が大きい
エディー応援してたなぁ…懐かしい。
引退後のシュワンツがキャリアを振り返ったときに、この89シーズンには悔いがあると言っていた。
「あのシーズンのガンマにはアドバンテージがあったから、誰かが僕にリスクを控えることを教えてくれていたら・・・・」 って。
と言いつつ、
「でも25歳の若者だから・・・聞く耳もたなかったろうなぁw」 だって。
それこそがシュワンツであり、あの速さの原点なんですよね。
1989年スズキRGV-Γ500は、ホンダNSR500とヤマハYZR500と対等に戦えるだけの性能が追い付いて3メーカー足並み揃ったでしたね‼️🤗
ただRGV-Γ500の性能を引き出せるのがシュワンツだけだったのでチームメイトのハスラムが援護サポート出来なかった?
毎年シュワンツのチームメイトが変わってしまうのもRGV-Γ500乗りこなせるのがシュワンツだけだったのが理由でしたね‼️🤗
フォームが全員格好良い!
気づけばランキング3位、いぶし銀のサロンも忘れずに!
チャンピオンライダーとして、契約継続を望んだローソンだったが、ケニーのマルボロヤマハへ移籍。
後になって、その理由はガードナーにあったことが知らされた。
ガードナーの契約条件にホンダ最高額があり、仮にほぼ同額としても、チャンピオンのローソンに受け入れらるはずもなかった。
ホンダとしてもロスマンズ、ガードナーの事情により、ローソンの離脱もやむ無しでしょうが、1年限りのホンダのローソンは残念でしかない。
ホンダとしては、あくまでもガードナーがホンダのエースNo.1ライダーだったのでしょうね?
ホンダは、他のメーカーから移籍したドライバーやライダーよりも最初からホンダでデビューして育てたドライバーやライダーを優先するのでは?
そのガードナーも結局は同郷オーストラリアのドーハンにエースNo.1ライダーの座を穣る(奪われる?)事になりますが?
ローソンも古巣ヤマハ(ケニー・ロバーツ監督のチームですが)に戻りますが、レイニーにエースNo.1ライダーの座を奪われる?
時代はローソン&ガードナーからレイニー&シュワンツ&ドーハンへと確実に世代交代が進みました?
エディー・ローソンはまさに「優勝請負人ライダー」どのチームのマシンでも確実に速く、そして確実に結果を残す...WGP500の歴史に於いてもレイニー&シュワンツと共にスーパーレジェンドと言っても過言ではない😎✨
鈴鹿8耐の次週にWGP。2週連続レース。ライダーは凄い。
その頃の8耐がレベル高く好きでした。
ローソンは、1989年世界タイトル獲得に専念するためにホンダからRVF750で8時間耐久の参戦打診を断った?
それが1年でホンダとの関係が終わった原因とも言われた?
もし参戦していればガードナーとロスマンズ・ホンダで組んでいたのだろうか?
後にローソンはホンダRVF75Oで8時間耐久に参戦する事になりますが(再びアーブ金本と組んで)
また、元気なアメリカンライダー出てこないかなぁ☀️
無茶苦茶面白かった!
ローソンがホンダに乗ったのは知りませんでした。
毎月購読してたサイクルサウンズをHi-Rで買いに行ってたなぁ
ニーヌマケンジー懐かしい
「にぃ~ぬ、ま・けんじぃ~」だね。わかります。
テレビで聞いて
『えっ!? 新沼謙治??』
が当時の定番ネタだった〜〜
ニーヌ マッケンジー
その後、プロ野球界に「じょーじ・まっけんじー」が現れた。
それまで『パワーのホンダ、ハンドリングのヤマハ』なんて言われてたが、ローソンがホンダに乗った事でホンダ車のハンドリングがマシになりドゥーハンの5連覇に繋がっていく
つくづくガードナーの怪我が残念でしかたがない……
5戦してウィナーが5人ということで、この年は大混戦かと思ったんだけど・・・今まで最もウィナーが多かったのは何年だったんだろう?ちなみにF1では1982年に16戦でウィナーが11人も出ている。
YAMAHAからLAWSONがHONDAに移籍したのはショックでした。あくまで噂ですがケニーがHONDAに行って見てこい‼️の一言あったそうです😮
エディーはワークスチームでなく、アーブ金本さんのチームでしたね。ワークスは、ガードナーとドゥーハンでしたね。その後のカジバの活躍も凄いでしたね。
確かにローソンが所属するロスマンズ・ホンダ(ロスマンズ・カネモト・ホンダ)は表面的にはサテライトチームでガードナーとドーハンが所属するロスマンズ・ホンダ(HRC直営)はワークスチームだけれども、ガードナーはシーズン途中のケガでタイトル争いから離脱していたしドーハンは世界GP500新人ルーキーなので、ホンダの実質ワークスライダーはローソンだった?
ローソンが乗る特別仕様NSR500には最新パーツが優先して供給される(他のNSR500は後から遅れて供給される?)
88にローソンがホンダに移籍していたら88NSRでもチャンプ獲得出来てたんじゃないだろうか。エースのガードナーですらうまくいかなかったあのマシンで。
'88年型NSR500の最大の問題はトラクション不足だと云われてましたね。
最初に指摘したのはガードナーのチームメイトだった八代選手でしたが、その声はホンダワークスから無視されシーズンに突入。
中々勝てない状況に業を煮やしたガードナーとHRCがやっと重い腰を上げてスイングアームピボット位置を上げた新型フレームを投入したのがイタリアGPでしたが、時既に遅し…で、前年比で小型軽量化したエンジンがトラブルで落とすレースもあり、ガードナーにとってはフラストレーションが溜まるシーズンだったのではないでしょうか。
しかし、トラクション不足はガードナーのライディングスタイルに起因するトラブルで、同じバイクに乗るニール・マッケンジーやピエール・フランチェスコ・キーリは大して問題にしていなかった、と当時のレース誌で読んだ記憶があります。
と云う事は、ガードナーとの比較で旋回速度を高く取る事に重きを置くローソンなら、ヨーロピアンのマッケンジーやキーリのようにトラクション不足を然程には感じず、抜群の安定感とスピードで'88年をモノにしていた可能性は大いにありますね。
そもそも、ヤマハに比べて4気筒エンジンの開発がピークパワー重視で、フレームも硬ければ良いくらいの人間性を無視したマシンでライダーに余計な負荷を掛けていたのが当時のホンダですから、八代選手の意見にもっと耳を傾けていれば'88年に惨敗する事も'89年にガードナーがしなくていい怪我で戦線を長期離脱する事も、ローソンがシーズンを通してマシン開発に苦労する事もなかったでしょうね。
「コーナーリングのヤマハYZR500」「ストレートスピードのホンダNSR500」そこに「ブレーキングのスズキRGV-Γ500」と言う3メーカーの三つ巴争い世界GP500になるとは夢にも思っていませんでした‼️🤗
長年YZR500に乗るローソンもストレートスピードに勝るNSR500のマシンに魅力を感じていたのかも知れないですね‼️🤗
@@博章高瀬 様
ローソンがヤマハYZR500からホンダNSR00に初めて乗り換えてNSR500マシンを絶賛して感銘受けたのはエンジン回転のスムーズさだったと雑誌で読んだ事が有りました?特に吸気キャブレーションにおいて?
ホンダNSR500は1軸クランクV4の等間隔爆発、ヤマハYZR500やスズキRGV-Γ500は2軸クランクV4の2気筒同時爆発と言うエンジン特性の違いによると思いますが?
私個人的な想像になりますがヤマハYZR500エンジンはミクニ製のキャブレターを使っていてローソンはキャブレターセッティングに苦労したと聞きました‼️🤗
それに対してホンダNSR500エンジンはケイヒン製キャブレターを使っていた‼️🤗
スズキRGV-Γ500もヤマハYZR500と同じでミクニ製キャブレターを使っていましたが、後にヤマハとスズキ共にケイヒン製キャブレターに変更する事になります
。
やはり違うメーカーのマシンを乗る経験をしたからこそのローソンのコメントでした‼️🤗
たらればですがスズキRGV-Γ500一筋だったシュワンツにホンダNSR500を乗ってコメント欲しかったです‼️🤗
RGV-Γ500もYZR500よりはピーキーでジャジャ馬なマシンだったので?
@@博章高瀬そもそもは八代氏が87フレームからピボット位置を下げる要望を出した事が原因なんだけどね。ガードナーはその被害者。だから八代氏はその後、ホンダから主張が信用されずにデータレコーダーを背負ってテスト走行する羽目になったそうな…
本田のローソンかぁ〜
89 keine Marlboro Yamaha Team Roberts. Das ist Lucky Strike Yamaha Team Roberts.
アメリカライデングの全盛期
ヨーロピアンライデングも速かったけどね
ケニー・ロバーツの走りみたいだね
89年、ローソンがタイトルを獲ったが、全レースを通じて最速のライダーは?と聞かれたら、シュワンツ、レイニーと答えてしまうだろう。
まさか、次の年レイニーとローソンがチームロバーツでメイトになるとは。( ╹▽╹ )
まるで4輪F1マクラーレンホンダのセナ(→レイニー)とプロスト(→ローソン)みたいでしたね?笑
@@中村佳己-t4r 確かに。(*´ω`*)
89年マンシデザインがいい、
F-1もだね。
奇しくも1989年は4輪F1においてマクラーレンホンダのプロストが世界王者になった。ローソンもプロストも同じようにホンダエンジンの実力を認めながらもホンダとは決別の道を歩むところが全くソックリでした?
この女性の声は、自動音声?
ローソンは速いのに走りに華が無いのかパッとしない印象しか無い
この年は母国グランプリでこじ開けるよーに無理やり勝った感の有るガドちゃんの執念が印象的だった
何気に気づいたらいートコに居たサロンも印象的
スズキRGV-Γのシュワンツが絡んで優勝する事で、ホンダNSR500のローソンとヤマハYZR500のレイニーに優勝が集中せず分散した事もローソンの4度目世界タイトル獲得に影響を与えた?
そのシュワンツが何度もリタイアしてくれたこともね。
@@dadgad412様
直線スピードのNSR500.、コーナーリングのYZR500、ブレーキングのRGV-Γ500と言うのが3メーカーマシンの特色個性だったけれどもシーズン終盤になってくると熟成が進んで全てのマシンがバランス良くなってきましたね。
最後にはローソンが自信持ってNSR500を乗りこなしてレイニーやシュワンツを凌いだ。
シーズン通しての流れはとても良いですね。懐かしいシーンも楽しく観ていられます。但し、「ダブリュジーピー」「アールジーブイ」って呼び方は非常に違和感あり。
「ワールドグランプリ」又は「ワールドジーピー」、「アールジーブイガンマ」‥‥って呼称でお願いしたい。