【院政闘乱史】[4/16]後三年合戦~渦巻く戦乱、奥州の惨劇~
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- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
- 【あらすじ】
白河上皇・関白師実と輔仁親王が対立する中、白河上皇の警護のために取り立てられた、源義家。
当時、京都を中心に活動し「京武者」と呼ばれていた彼らは地方の情勢にも対応する存在であり、ほどなくして義家は陸奥国へと送り込まれます。
第4章では、舞台を京都から東北へと移し、義家が戦った奥州の戦乱を描きます。
シリーズを最初から
→ • シリーズ院政闘乱史~源平争乱への道~
前回→ • 【院政闘乱史】[3/16]白河上皇と摂関政治...
次回→ • 【院政闘乱史】[5/16]白河院政の幕開け~...
【参考文献】
斉藤利男『奥州藤原三代』山川出版社 2011年
斉藤利男『平泉 北方王国の夢』講談社 2014年
関幸彦『東北の争乱と奥州合戦』吉川弘文館 2006年
野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館 2007年
野口実『源義家』山川出版社 2012年
戸川点「前九年・後三年合戦」(佐藤信編『古代史講義【戦乱編】』筑摩書房 2019年)
樋口知志編『前九年・後三年合戦と兵の時代』吉川弘文館 2016年
美川圭『白河法皇』日本放送出版協会 2003年
美川圭『院政』中央公論新社 2006年
元木泰雄「源頼義・義家」(同編『古代の人物6 王朝の変容と武者』清文堂出版 2005年)
元木泰雄『河内源氏』中央公論新社 2011年
[図録]
NHK仙台放送局・NHKプラネット東北『平泉ーみちのくの浄土』2008年
【過去の動画など】
【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~ • 【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~...
シリーズ畿内戦国史~応仁の乱から室町幕府滅亡まで~
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シリーズ織田家前史~応仁の乱から織田信長登場まで~
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歴史小噺ー歴史の小さな物語ー
• 歴史小噺シリーズー歴史の小さな物語ー
【使用BGM】
・DOVA-SYNDROME(dova-s.jp/)
Agent John Doe
Battle of Camlann
緊迫-will be Arrested…!
人狼の王国は夜に門が開く
争いの始まり
ある冬の朝、君の右隣
・甘茶の音楽工房(amachamusic.ch...)
重い足取り
冬の夜の嵐
枯葉
荒野を行く
#鎌倉殿の13人 #源義家
昔は義家を恐れた朝廷がこれ以上勢力拡大させないために恩賞を与えなかったと言われていたらしいですね。研究が進んでこうした階級闘争の考えを脱した学説が見られるのはありがたいことです…!
そしてここからが本当の地獄だ…!(河内源氏にとって)
学説も変わってゆくものですよね…
このシリーズは基本的に元木泰雄氏の見解を主軸に置きつつ、より最新の研究を取り込んで作っていこうと思います。
こんなに面白いのに視聴率が低い謎...
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ありがとうございます!!
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清衡は藤原北家魚名流藤原秀衡の6代末裔で秀衡の三男千晴の流れで私の先祖は次男の千常になります。清衡の父の経清は先祖源義家の父頼義に酷く斬首されたのに、争いで義家と秀衡が協力したとの事で2人の気持ちに思いを馳せました。又先祖の足利氏、佐竹氏、武田氏が京都から東北に移った経緯もよく分かりました。
家系が藤原北家で白河天皇、藤原師実も先祖と幅広いので奥州藤原氏とも縁があるとは思ってましたが動画を見て家系図と比べながら繋がりがはっきりしました。
中尊寺に2度行きましたがその時は全く家系も分からない時で鐘の音色に似たと言う鈴を買いました。秀衡の中尊寺に残した文が心に響きます。又中尊寺に行きたいです。
とても分かりやすく深く先祖について知る事が出来有り難く思います。😃
陸奥国、紫波郡、他氏からの養子、斯波氏、うっ頭が!
奥州藤原氏もここから三代で佐々木氏や中関白家と縁戚関係になるとは
独立王国みたいな言い方もされますけれども、京の政界との繋がりも深いですよね
前九年と後三年の人物関係が曖昧でしたが、この動画で整理できました。ありがとうございます。
こちらこそ、ご覧くださりありがとうございます🙇♂️
大河ドラマ「炎立つ」の時代。
義家役は今回の大河で上総広常を演ずる佐藤浩市さんでした。(清衡役は村上弘明さん)
ドラマでは義家の陸奥守再任を阻む朝廷工作を行ったのが清衡というシナリオでした。
私はまだ見れていない作品です…
実際に義家の失脚に一役買った可能性がある人物として挙げられているのは源頼俊ですね
清原成衡って義家に廃嫡されたんですか?全然知りませんでした。
確定ではないのかもしれないですが、現状ではそのように推測されるようですね
公平で分かりやすい内容に
感服しました。
ありがとうございます!
光栄です
質問なんですが、家衡と清衡の勢力図ってどうやって地図に当てはめたのですか?😮 10:44
1コマ😁❤️
楽しみにしてました。
河内源氏、八幡太郎義家の登場ですね。
動画の中で、頼信率いる河内源氏が平忠常の反乱や、前九年合戦、藤原基通の反乱における活躍で、
兄たちを追い越したとありますが、
大和源氏は藤原基通の反乱の話でわかるものの、
摂津源氏に対しても前九年までには一旦は追い越したと言えたのかが、ちょっと気になりました。
摂津源氏も酒呑童子を退治・・・は置いておいて、摂関家や上皇に仕えてたりと活躍していたとは思うんですが、
数々の反乱における活躍と、前九年合戦後に陸奥に進出した事からも河内源氏が追い越したと理解しました。
(そもそも、まだ武門の地位がそれほど確立してない中で、比較に拘っても仕方なさそうですしね。)
時代が古くて馴染みが無いのと、義家伝説が強すぎて、このころの清和源氏の実像がぼんやりしています。
家衡と清衡の争いは、一見義家が上手く領土分割しろよと思いつつ、
家衡的には結局どの領地も清衡には取られたくなかったのかなとも、妄想しました。
そうですね…
「追い抜く」という表現を使いはしたものの、摂津源氏と河内源氏は活動の性格も違いますし、一概には言えませんね
八幡太郎義家、やたら伝説的な武勇だなぁと思ったら人間ダビスタの結果生まれた武士サラブレッドだったのか。
現在の議会制民主主義の政治の精神思想の根幹にある上皇.親王や制度上の摂政。その1000年の歴史を丁寧に遡る事ができる文字と遺構.遺跡は有難いです\(^-^)/
「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや」
梁塵秘抄の一節ですね…
院政期の人々が義家をどう見ていたのかが伺えますよね