- 55
- 2 633 752
古事鏡【番組風歴史解説チャンネル】
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 23 พ.ย. 2019
日本史の事柄について番組風の動画で解説しています。
学術書や論文の内容をベースとした情報を発信することをコンセプトに動画を作っていきますが、複数の文献を参照しているため、解釈に揺れがある場合もあります。事実誤認などありましたら訂正して参りますので、ご指摘頂ければ幸いです。
ともに歴史を楽しんでいきましょう!!
学術書や論文の内容をベースとした情報を発信することをコンセプトに動画を作っていきますが、複数の文献を参照しているため、解釈に揺れがある場合もあります。事実誤認などありましたら訂正して参りますので、ご指摘頂ければ幸いです。
ともに歴史を楽しんでいきましょう!!
【「光る君へ」便乗動画】摂関政治とは何だったのか ~藤原道長の権力の正体に迫る~
大河ドラマ「光る君へ」で注目を集めている、平安の巨人・藤原道長。彼はいわゆる「摂関政治」の最盛期を築き上げた人物として語られています。
しかし、その摂関政治がどのようにして行われたもので、道長の権力の源泉はどこにあったのか…という問題については複雑な議論があります。
この動画では、大河ドラマに便乗し、摂関政治を巡る研究の軌跡を辿りながら、道長権力の正体を探っていきます。
【チャプター】
0:00 導入
1:30 摂関政治の概要
3:15 政所政治論ー摂政・関白の独裁政治?ー
5:38 政所政治否定論ー摂関政治研究の戦後ー
10:03 初期権門政治論ー太政官政治は衰退した?ー
13:29 後期律令国家論ー太政官政治は健在だった?ー
17:56 〈道長の王権〉論ー道長が中世社会への道を拓いた?ー
21:50 まとめー古代と中世の狭間でー
【その他の動画】
歴史小噺シリーズー歴史の小さな物語ー
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8ohLuWNdrbg3X2xdqf2P89.html
【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~ th-cam.com/video/nZXJiCQ-xH4/w-d-xo.html
シリーズ畿内戦国史~応仁の乱から室町幕府滅亡まで~
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT-dAtLkYiSudbvMg-uTuMHQ.html
シリーズ織田家前史~応仁の乱から織田信長登場まで~
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT-BdWouCJCLKtg8hPo77lVe.html
シリーズ院政闘乱史
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html
【参考文献一覧】
有富純也・佐藤雄基編『摂関・院政期研究を読みなおす』(思文閣出版、2023年)
有富純也「日本古代・中世移行期研究における国家研究の現状」(『成蹊大学文学部紀要』56号、2021年)
上島享『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年)
上島享「摂関政治と院政」(岩城卓二ら編『論点・日本史学』ミネルヴァ書房、2022年)
大津透『律令国家支配構造の研究』(岩波書店、1993年)
大津透「摂関期の陣定」(『山梨大学教育学部研究報告』46号、1996年)
神谷正昌『皇位継承と藤原氏』(吉川弘文館、2022年)
神谷正昌「藤原道長と摂関政治」(『日本史研究』715号、2022年)
黒板勝美『国史の研究』(文会堂、1908年)
佐藤泰弘「反転する平安時代史」(『古代文化』65号、2013年)
土田直鎮『奈良平安時代史研究』(吉川弘文館、1992年)
吉川真司『律令官僚制の研究』(塙書房、1998年)
・図録
公益財団法人京都市生涯学習振興財団編『平安京百景』2021年
#光る君へ #藤原道長 #摂関政治 #平安時代
しかし、その摂関政治がどのようにして行われたもので、道長の権力の源泉はどこにあったのか…という問題については複雑な議論があります。
この動画では、大河ドラマに便乗し、摂関政治を巡る研究の軌跡を辿りながら、道長権力の正体を探っていきます。
【チャプター】
0:00 導入
1:30 摂関政治の概要
3:15 政所政治論ー摂政・関白の独裁政治?ー
5:38 政所政治否定論ー摂関政治研究の戦後ー
10:03 初期権門政治論ー太政官政治は衰退した?ー
13:29 後期律令国家論ー太政官政治は健在だった?ー
17:56 〈道長の王権〉論ー道長が中世社会への道を拓いた?ー
21:50 まとめー古代と中世の狭間でー
【その他の動画】
歴史小噺シリーズー歴史の小さな物語ー
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8ohLuWNdrbg3X2xdqf2P89.html
【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~ th-cam.com/video/nZXJiCQ-xH4/w-d-xo.html
シリーズ畿内戦国史~応仁の乱から室町幕府滅亡まで~
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT-dAtLkYiSudbvMg-uTuMHQ.html
シリーズ織田家前史~応仁の乱から織田信長登場まで~
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT-BdWouCJCLKtg8hPo77lVe.html
シリーズ院政闘乱史
th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html
【参考文献一覧】
有富純也・佐藤雄基編『摂関・院政期研究を読みなおす』(思文閣出版、2023年)
有富純也「日本古代・中世移行期研究における国家研究の現状」(『成蹊大学文学部紀要』56号、2021年)
上島享『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年)
上島享「摂関政治と院政」(岩城卓二ら編『論点・日本史学』ミネルヴァ書房、2022年)
大津透『律令国家支配構造の研究』(岩波書店、1993年)
大津透「摂関期の陣定」(『山梨大学教育学部研究報告』46号、1996年)
神谷正昌『皇位継承と藤原氏』(吉川弘文館、2022年)
神谷正昌「藤原道長と摂関政治」(『日本史研究』715号、2022年)
黒板勝美『国史の研究』(文会堂、1908年)
佐藤泰弘「反転する平安時代史」(『古代文化』65号、2013年)
土田直鎮『奈良平安時代史研究』(吉川弘文館、1992年)
吉川真司『律令官僚制の研究』(塙書房、1998年)
・図録
公益財団法人京都市生涯学習振興財団編『平安京百景』2021年
#光る君へ #藤原道長 #摂関政治 #平安時代
มุมมอง: 4 355
วีดีโอ
【歴史小噺】#4 御小袖~足利将軍家重代の鎧~
มุมมอง 3K11 หลายเดือนก่อน
権力を象徴し、その持ち主の正当性を示す宝物。 天皇家に伝わることで知られる三種の神器をはじめとして、こうした物品は「レガリア」と呼ばれ、世界各国で権力者の家系に守り伝えられてきました。 武家の頂点に立つ存在として室町幕府を率いた足利将軍家にも、その正当性を示す「御小袖」と呼ばれる鎧がありました。 では、自らの正当性を示すレガリアとして足利将軍家が守り伝えていった鎧はいかなる役割を果たしたのでしょうか。今回はその歴史を追いかけます。 歴史小噺シリーズー歴史の小さな物語ー th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8ohLuWNdrbg3X2xdqf2P89.html 【その他の動画】 【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~ th-cam.com/video/nZXJiCQ-xH4/w-d-xo.html シリーズ畿内戦国史~応仁...
【院政闘乱史】[16/16]源頼朝の挙兵~鎌倉幕府へ続く道~
มุมมอง 11K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 平安京において対立を深めつつあった平清盛と後白河法皇。両者の対立はやが全国各地に影響を及ぼし、列島を呑み込む内乱が幕を開けてゆきます。 最終回の今回は、院政期の歴史を振り返りつつ、鎌倉幕府への道程を振り返ります。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/vdE2fYjRObw/w-d-xo.html 【参考文献】 岡野友彦『院政とは何だったか』PHP研究所 2013年 川合康「平清盛」 (元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年) 永井晋『源頼政と木曾義仲』中央公論新社 2015年 永井晋『八条院の世界』山川出版社 2021年 樋口健太郎『摂関家の中世』吉川弘文館 2021年 美川圭『院政』中央公論新社 2011年 ...
【院政闘乱史】[15/16]鹿ヶ谷事件~平清盛と後白河法皇、亀裂の始まり~
มุมมอง 11K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 紆余曲折を経て協力関係を結び、ともに政治を主導してきた平清盛と後白河法皇。しかし、その蜜月が欠け始めるのに時間はかかりませんでした。 今回は、清盛と後白河の関係が破綻へと突き進んでいく過程を辿ります。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/npYKtzcSw-U/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/akjktT8YHrY/w-d-xo.html 【参考文献】 川合康「平清盛」 (元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年) 松下健二「鹿ヶ谷事件における西光と成親」(『人文』13号 2014年) 美川圭『院政』中央公論新社 2011年 美川圭『後白河天皇』ミネルヴァ書房 2015年 元木泰雄...
【院政闘乱史】[14/16]平清盛の台頭~後白河院政への道~
มุมมอง 10K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 平安京に戦禍をもたらした平治の乱、その鎮圧に武功を挙げた平清盛は朝廷の軍事掌握権を掌握するに至り、存在感を高めていきました。 一方、政治の状況は不安定な状況が続き、暗闘が繰り広げられていくこととなるのです。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/QsDt6g8e568/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/vdE2fYjRObw/w-d-xo.html 【参考文献】 川合康「平清盛」 (元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年) 佐伯智広『中世前期の政治構造と王家』東京大学出版会 2015年 永井晋『八条院の世界』山川出版社 2021年 樋口健太郎『摂関家の中世』吉川弘文館 2021年 美...
【院政闘乱史】[13/16]終局!平治の乱~平清盛、覇権への道~
มุมมอง 10K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 後白河政権内部の抗争の末に、藤原信頼・源義朝らの蜂起によって勃発した平治の乱。クーデターを成功させたかに見えた信頼でしたが、その政権はほどなくして足下から揺らぎ始めます。 今回は平治の乱の結末と、乱を経て存在感を高めてゆく平清盛の姿を描きます。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/28bhnKH-cgs/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/npYKtzcSw-U/w-d-xo.html 【参考文献】 佐伯智広「保元・平治の乱」(高橋典幸『中世史講義【戦乱篇】』筑摩書房 2020年) 近藤好一「源義朝」(元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年) 古澤直人『中世前期の〈謀叛〉と平治の乱』...
【院政闘乱史】[12/16]勃発!平治の乱~院政体制の歪み~
มุมมอง 11K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 保元の乱を経て歩み始めた後白河天皇の政権。そのもとでは平清盛と源義朝が躍進を遂げる一方、新たに政治を執ることとなった信西の権勢が膨張し、やがて朝廷社会に歪みが生じ始めます。今回は平安京を舞台に繰り広げられた平治の乱を描きます。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/28bhnKH-cgs/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/QsDt6g8e568/w-d-xo.html 【参考文献】 佐伯智広「保元・平治の乱」(高橋典幸『中世史講義【戦乱篇】』筑摩書房 2020年) 近藤好一「源義朝」(元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年) 斉藤利男『奥州藤原三代』山川出版社 2011年 野口実『源...
【院政闘乱史】[11/16]保元の乱~武者の世の幕開け~
มุมมอง 17K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 治天の君として朝廷社会に君臨していた鳥羽法皇。彼の死は、朝廷社会で燻っていた火種を瞬く間に燃え上がらせ、事態は京郊を舞台とする大乱にまで発展してゆくこととなります。 天皇家と摂関家、そして彼らに仕えてきた河内源氏、伊勢平氏ら軍事貴族たち。それぞれの命運を賭した戦いを描きます。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/xP5Qd0Xzrhc/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/yc7tEMe7wrI/w-d-xo.html 【参考文献】 佐伯智広「保元・平治の乱」 (高橋典幸『中世史講義【戦乱篇】』筑摩書房 2020年) 佐古愛己「藤原忠実」 (元木泰雄編『保元・平治の乱と平氏の栄華』清文堂出版 2014年)...
【院政闘乱史】[10/16]源氏の分裂~そして、保元の乱へ~
มุมมอง 12K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 白河法皇の死を経て始まった鳥羽法皇の院政でしたが、その足元では後宮や摂関家の勢力争いが展開し、大きく炎を上げていきました。 そして、摂関家に仕えていた河内源氏もまたその大炎に呑み込まれていきます。 今回は近衛天皇の崩御を機に大きく亀裂を深めていく朝廷社会と、政争の狭間で揺れる河内源氏の姿を描きます。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/McYhozLkQDE/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/28bhnKH-cgs/w-d-xo.html 【参考文献】 鹿児島県立埋蔵文化財センター『持躰松遺跡2』(鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書120号 2007年) 栗林文夫「阿多忠景と源為朝」(元木泰...
【院政闘乱史】[9/16]王権の分裂~保元の乱への道~
มุมมอง 10K2 ปีที่แล้ว
【あらすじ】 院政という政治体制を生み出した白河法皇の死を受け、新たな政治主導者となった鳥羽法皇と、そのもとで復権を果たした摂関家の藤原忠実。 しかし、彼らの足元では新たな対立の火種が芽吹きつつありました。今回はやがて保元の乱へと繋がる亀裂が生まれ始めていく時代を辿ります。 シリーズを最初から →th-cam.com/play/PLTO-7J747YT8wpfMb_CdOn2DzKhl4PcA2.html 前回→th-cam.com/video/WyHQAo7cTZo/w-d-xo.html 次回→th-cam.com/video/xP5Qd0Xzrhc/w-d-xo.html 【参考文献】 佐伯智広『中世王権の政治構造と王家』東京大学出版会 2015年 佐伯智広「保元・平治の乱」(高橋典幸『中世史講義【戦乱篇】』筑摩書房 2020年) 佐古愛己「藤原忠実」(元木泰雄編『保元・平治の...
【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~
มุมมอง 1.3M3 ปีที่แล้ว
【麒麟がくる完結記念】本能寺の変、諸説検証~明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか~
【麒麟がくる放送再開記念】足利義輝はなぜ殺されたのか~剣豪将軍、死の謎に迫る~
มุมมอง 166K4 ปีที่แล้ว
【麒麟がくる放送再開記念】足利義輝はなぜ殺されたのか~剣豪将軍、死の謎に迫る~
【織田家前史】[6/10]織田信秀vs今川義元‼~斎藤道三との和平と新たな宿敵~(大河ドラマ「麒麟がくる」の復習に)
มุมมอง 25K4 ปีที่แล้ว
【織田家前史】[6/10]織田信秀vs今川義元‼~斎藤道三との和平と新たな宿敵~(大河ドラマ「麒麟がくる」の復習に)
自身の気持ちですが、信長より明智光秀の方が好きです。 いずれにしても、これまでの歴史本によるものです。
の
本能寺の変は茶番、中国大返しと伊賀越えに無理があるのも 茶番なら腑に落ちる 信長は忌部氏 ユダヤとの関係も深い ユダヤ教からキリスト教イスラム教とユダヤが派生させて宗教を創ったのも信長は知っていて、イエズス会とよしみを通じた なんだかんだとうまくいかなくなり、死んだことにして後のことは 秀吉と家康に任せて ユーロに落ち延びた 秀頼と幸村が薩摩に落ち生き延びて、西郷隆盛もスイスに落ち延びてと、いろいろと裏で世界を操る者たちが垣間見える この一連の出来事はのちに世界規模で起きる天変地異につながることだからだ
江戸時代はこう言ってた。昭和の頃はこう。色々あるが最新説もしょせん後世から見ると令和時代に言われることに過ぎない。
厚木駅は厚木市ではなく海老名市にある。
しかし陰湿な対立ですなー
義朝さんってそんな人だったのか。争いを作ってる。ショック😨
頼長さん...日記📓に書く事ではないのよ...
忠実さんがトラブルメーカーに見えるのは私だけ?😅
忠実もアホ...素直に縁談に応じないと。 そりゃ白河院が怒るのも無理はない。
政敵の娘を迎えたのは無理だろう…
義家さん可哀想😢 本人が乱行した訳じゃないのに
2世 頼通 頼りない‼️‼️
2世はダメ‼️反骨精神がないから無理‼️
荘園管理整理は大重要だ。
他氏排斥により、北家藤原氏の影響力がここまで高まったのなら、王朝が変わっても何ら違和感が無いけど、そうなら無かったのが、いちばんのミステリーです😳
解説配信が楽しみだったのに残念です。 これからも頑張ってください。
楽しみにしてくださっていたとのことで、ありがとうございます。 今回お話ししたのは、あくまで解説以外も配信の範疇に含めていく…ということで、解説自体はこれからも続けていきます。 今後もお楽しみ頂けるよう頑張りますね。
活動の項目を設定して、その説明から入る。真面目が過ぎるw もっと楽にやって良いと思います。 こっちも、デスクに座ってメモをとりながら聴いている訳ではなく。寝床で楽に聴いています。 それでも勉強になります。楽に頑張ってください。 マイクをOFFにしていた事は、言わなければわからないw 古事鏡氏は真面目が過ぎるw
ありがとうございます。そうかもしれませんね…。 もう少し肩の力を抜いてやっていこうかと思います。
大事なのは本能寺の変間際の転封ですよ
いやぁあ、一体貴方は何者?物凄い知識と編集能力ですね。アップされて3年ではじめて私のところにも表示され感謝しています。基本あまり動画を誉めるような事はせず、基本気になったところなどを指摘するのが多い私ですが、この動画は素晴らしいですね。最近の面白くないテレビのドキュメントなんかより100倍面白い構成でした。ありがとうございました。
まだ見てます、寝る時には一番いいんです、変・・・・ですかね?w
永禄の変が起きた1564年では三好義継はまだ15歳。いくら早熟な時代とはいえ、自ら将軍の謀殺とその後の社会体制まで構想していたとは考えにくいです 動画のとおり御所巻きの際に偶発的な衝突から戦いに発展してしまったか、あるいは三好三人衆など他の重臣から担がれて神輿になっただけでしょう その後の三好政権でも三人衆から軽んじられて実権を握れずにいる義継の姿はよく知られています また義継は三人衆との手切れのあと信長と組み、その信長も裏切って結局は滅亡するなど見識も高いとは思えず、永禄の変が計画的な行動とは思えないです
日本統一の路程である❢三者はいかに鳴くか??ホウ ホッケ キヨオ、と!♦オウム真理教はホウホウだけで真理の一部だけである❢🎉全真理は【南無妙法蓮華経】とシヤンテングChanting=C であるがE=MC2(乗)Mは体である(アインシュタイン・愛主体員)の唱題行で❢【鳴か無くば殺してしまえ】ホウ ホッケキヨウ織田氏は感謝と【南無妙法蓮華経】と回向を織田氏に❢明智光秀の名前は全知全能の神佛の名前に置き換えるが織田信長はローマキリスト教バプテストを受けた(チャー血)思想である❢仏様は血を流すのは良きとしない❢自らを仏として統治するこれが仏教・哲学仏教において❢織田信長は師にあらずとして、本能寺の変となる❢仏様か織田信長も久遠の受用身として❢イエス・織田信長・霊認(レイニン)・リンカーン・安倍首相・トランプ氏ももう少しで等❢??
信長の遺体、遺骨が本能寺から出て来ていない以上、本能寺で死んだと決めつけるのはもったいない。 もし、信長が死んでないとするならば、信長と光秀と秀吉が3者共謀の自作自演と言う説も成り立つ。 実は信長も光秀も誰も死んでいない。 全ては天下太平の為。 信長は比叡山、本願寺という仏教の二大勢力を相手に仏敵になるのを承知で武力を持って正した。 仏敵の信長を光秀が討った。そしてそれを秀吉が討った。となると誰にもどこにも遺恨が残らず、綺麗に天下を取れる。 信長は弾正忠の役割通り天下を正し、 光秀は義によって悪役を引き受け、農民出身の秀吉が太平の世を治める。 これほど完全なストーリーが描けるのもまた信長の凄さ。
知れば知るほど2択しかないと思う。 あまりにも優秀すぎる光秀だからこそ君主信長を自分以下だと感じてしまい裏切り天下を狙ったか マジでただの勘違いor事故で信長を討ってしまった。えーいなるようになれ!と挽回を試みるもどうしようもなく死んだ
参考文献明示してるチャンネルは信頼できるし好きだし尊敬でいっぱい!チャンネル登録しました!
長い1~16迄のシリーズ、有難う御座いました。私達がザッと知ってる学校の歴史からは全く知らない想像だに為ないドロドロした人間関係が政治を創っていくものだと痛感と共に、影には深層深く居ると思われる女性達が如何に関わっていたかもー平安時代400年の末期の中身は平安…ではない戦乱が飛び交っていたー今、日本は色々外圧、外国に血税ばら撒き大変な瀬戸際ですが、まだどうにか良い時代かも~シリーズを有難う御座いました。
新井白石を支持します。
これはとんでもないことになりましたね
忠実は自分(摂関家)のこと"だけ"を考えすぎて、白河法皇のような周りへの配慮がなかったことが、没落の原因な印象
原因は複雑と思う、やはり問題は忠通と頼長どちらそのお家の嫡流を決ってない、元決まった後継者忠通は強引で頼長に移って保元の乱を作る一つ理由として考えることです
細川政元の死からが本当の戦国時代の始まりだったと思う。 ここから中央が地方に与える影響がかなり低くなる。
信西も「出る杭は打たれる」を地で行った人生でしたね。改めて興味をひきつけられて、歴史の勉強になります。
信長さんはヨーロッパへ 光秀さんは坊さんに あとは秀吉さん頼んだよ
いつか自分が死んだら、こういった謎の真相が分かったら良いな…と思う事は時々あります。
畿内戦国史シリーズ10回を視聴し大変勉強になりました。室町期の政権闘争は因果応報の流れが各々の家門にある所がとても興味深いです。最後まで諦めないしぶとさにも感心してしまいます。
アーカイブにて視聴させていただきました。 実力ある者が中央から離れた隙に蠢動する輩はいつの時代にもいるものですね。 時行一派を焚き付けたのも、「戦に弱い」直義を鎌倉に赴任させたのも、尊氏を京と帝から引き離す策略だった、 なんて陰謀論的妄想が一瞬よぎってしまいました笑 配信ありがとうございました!
お久しぶりの動画投稿、お疲れさまでした。 以前連載されていた『院政闘乱史』の前日譚的な内容で、楽しみながら視聴させていただきました。 歴史学的には【古代】に分類される平安時代ですが、後期はほぼ既に中世の萌芽がそこかしこで出てきている時代ですよね。そういう視点で観ると、個人的には『道長の王権』論は、かなりしっくりくる視点でした。
情報伝達は勿論、現代と全く違う環境に、大小有象無象が蠢く時代背景。 歴史のロマンですね。 楽しく拝聴させていただきました(*・ω・)*_ _)ペコリ
明智光秀はどうして本能寺の変を起こしたのか? まず、特に恨みがなくても、普通に「隙あらば」と前々から狙っていた可能性はありますよね。 この戦国時代末期は、下克上は当たり前だったし、信長の配下の武将たちは、光秀に限らず、何か失敗したり、信長の勘気に触れると酷い目に合うという恐怖は骨身に染みていた。 だから特に恨みなんか無くても、普通に常に「隙あらば」という考えは光秀の頭にはあって、そしてその絶好の好機が目の前に現れて、そして光秀には勝算があった。 ただ秀吉があんなに早く毛利と和睦して大軍を率いて戻って来るとは、光秀には想像出来ていなかった。 もしも秀吉と毛利との戦いがあと数ヶ月続いていて、その間に光秀が足利義昭の支持を取付けて、柴田勝家や武田、北条とも和睦していたら… きっと秀吉なんかはもう出る幕がなくなっていたかもしれない。 そういう計算が光秀の頭の中では出来ていて、それで天下を取れると計算していた。勝てると思ったからこそ謀反を起こした。 でもだからこそ、その光秀の計算を破った秀吉の中国大返しが、歴史の転換点となった。 光秀は源氏の土岐氏の流れだから、信長のことを腹の底では見下していた可能性もある。 信長がやった暴虐行為については、光秀自身は何とも思ってなくても、それらを謀反の大義名分として使えると考えていた可能性はあるでしょうね。 でもそれより何より、怨恨や何か特別な理由があったというよりも、「勝算があるからやった。」というのが最大の動機だったのでは?
光秀は、信長の家来では無く、天皇家から、信長の動きを見張れと派遣された身だったから、忍者の棟梁だった秀吉の、信長が天皇に代って天皇に成り代わる、と云う嘘を信じて、集めた軍勢で、遠征している秀吉の軍勢に加勢するのでは無く、信長の元に攻めて行った。秀吉は、そそのかしの後、信長を殺害した光秀の殺害を家来の誰よりも先に行って、家来集の筆頭になって、天下統一を果たした。
あっ!久しぶりに動画を更新されてる!笑 めちゃくちゃ嬉しいです☺️ ゆっくりペースで構いません、また次の動画、楽しみにお待ちしております😌 (声が良いですね、落ち着きます)
43:30 千葉・安保に与えられた恩賞の内容は解っているのでしょうか? 倒幕の時に空いた権益や尊氏の自腹だった場合、説の傍証になると思います。しかし、恭順している勢力の権益、特に(尊氏にとって重要度が薄い)寺社権益に関わるものだった場合、寧ろ既に両者の距離が開いてしまっている論拠になってしまわないですかね。 そこらへんの状況を(伝わっているのであれば)教えて下さると有り難いです。
検索したら安保の分は出てきました。敵方についた安保宗家の権益だったのですね。 なるほど、討伐に出した大将に与える権限の範囲としては妥当です。 そうすると本当に尊氏討伐に風向きが変わったのが不思議です。 護良派の政治的反撃はちょっと無理がありそうな。 新田義貞はここで討伐軍の大将になったからこそ持ち上げられた気配がしますし…。
コメントありがとうございます。 千葉については手元にあるものでは分からなかったのですが、安保については阪田論文に書いてあり、一族である安保道潭の所領を拝領したようです。調べたところ、この道潭は鎌倉幕府滅亡に際して鎌倉方として討死した人物で、中先代の乱ではその子息が時行に与して自害したようですので、光泰は尊氏に与することで一族の所領を拝領することができたといえそうです。
@@古事鏡番組風歴史解説 返信有難うございました。同時期の東海道方面恩賞方と差配範囲をどう分けたのか気になったのですが(鎌倉奪還前ですし)、安保氏の例だと、被らないだろうし納得出来ますね。
犯人斎藤利三なんだよね、家臣想いだから押しきられたか
いやぁ、面白かった。ありがとう
こちらこそ、最後までご覧くださりありがとうございました。 楽しんでいただけたなら何よりです。
途中を広告が入ると観づらいですね。
ありがとうございます。 久しぶりに非常に秀逸な考察談話が視聴出来て楽しかったです。歴史〈過去の物事〉を客観的に語って下さいまして面白かったです。チャンネル登録させて頂きました。
藤原良房からでは?
こうであったら面白い、という黒幕説は確証がないかぎり定説になることはないから。
そもそも、奈良時代、平安時代を古代の枠組みに入れることこそ、間違いなのではないでしょうか?我が国の古代分類は、大陸や朝鮮半島に比べてはるかに長く、違和感しか感じません。摂関政治が何だったのかを学会で論じることも大切でしょうが、いい加減、自虐史観から脱却した議論がなされてほしいものですが、学会こそ、自虐史観の大元とも言えるので無理でしょうね。とは言いましたが、古代と中世の定義も良く知らないので、的を射ていない意見かもしれませんが、大陸や朝鮮半島と比べると、何で平安時代が古代なの?と疑問に思うわけです。
ソースがどこか思い出せないですが、ヨーロッパの時代区分を日本に合わせてみたらあの枠組みになったとか聞いたことがあります。確かに枠組みそのものに疑問を持った方がいいのかもですね
その時代区分を作った原勝郎は自虐史観とは逆の意図で制定しました。 明治初期の欧米ではドイツの歴史学者を中心に経済発展段階説や唯物史観が唱えられていたため、「封建社会を経ないアジアは歴史は長くとも劣等だ」と言われていました。 そんな中、平安時代末期〜鎌倉時代を境目に、近世まで君主の下にいる諸侯が、土地と民を領有する社会が形成されている事を発見します。 これを欧州における封建社会と同一と捉えたのが中世の定義の始まりです。 そのため「俺たちは欧州と同じ社会変遷を辿ってきた。アジア諸国と同じにするな」というのが定義の趣旨です。 その中世以前、つまり欧州におけるローマ帝国と同じ中央集権社会を便宜上古代と位置付けしたのが、日本の古代区分の始まりです。 ですので、「古代っていつから始まる?」の問いには「中世を発見した時点より前」というのが解になるかと思います。
自虐史観って言葉自体が歴史を学んでない人間の発言だな やり直し
@@conspiracy_shine あなたこそ、やり直し
大変勉強になりました。 自分は大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しく視聴しています。史実的には主人公の紫式部の方が道長よりも早くにこの世から去るようなので、晩年の道長が政治を壟断した辺りが描かれるのかどうか、興味があります。
投稿おつかれさまです。 どこを見るかで全然変わってくる"鵺"の様な体制ですなぁ。
どこに重きを置くか…という話にはなりそうですよね
今回も面白かったです😊
ありがとうございます🙇