【ゆっくり解説】卑弥呼の本名が判明した!?日本に残る謎の歴史書”古史古伝3選”
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 14 มิ.ย. 2023
- 【世界にはまだ解明されていない事や歴史の謎が眠っています。
そんな不思議で奇妙な雑学をお届けします。
今回の雑学は「卑弥呼の本名が判明した!?日本に残る謎の歴史書”古史古伝3選”」です。
#ゆっくり解説 #卑弥呼 #日本史 #ミステリー #古代
ごゆっくりお楽しみください。
おすすめの動画はこちらです。
【「悪魔も恐れる最強の『七大天使』」キリスト教神話】
• 【ゆっくり解説】「悪魔も恐れる最強の『七大天...
【キリスト教、「七つの大罪」七人の悪魔たち】
• 【ゆっくり解説】キリスト教、「七つの大罪」七...
【「最強」と称される「悪魔・怪物たち10選」】
• 【ゆっくり解説】「最強」と称される「悪魔・怪... - บันเทิง
「神頌叙伝」この動画では「契丹古伝」と言っているが、日露戦争当時に発見したとされる浜名寛祐氏だが、もともとは中国語の堪能な経理部所属の軍人 「廣部精」という人物が彼に紹介した物だ。しかもこの廣部精ですら読むこともできず、もちろん浜名寛祐も読むことはできなかった。写本でも思ったが、所持していた中国の僧が拒否。賄賂等を渡してなんとか写本作った。しかもその写本は現在行方不明となっている。 結論は浜名寛祐氏の創作、もしくはその話を聞いた昭和の作家の創作品と相当する
まさにこの通りで、こういう話はそういう前提条件をしっかり明記した上でやるべきだと思います。
三国志に書かれた卑弥呼の時代でも青森県まで諸勢力が割拠し繁栄していた訳で、その土地ごとに固有の伝承があって然るべきでしょうね。
言語が普及していなかった、とは過言でしょう笑 文字での記録が残っていないだけで、人々のコミュニケーションがうーアーうほウホだった訳じゃないと思うw
4:14 いや言語はあったでしょうw文字はなかったかもしれないが
言語が無いのに、わざわざ洛陽までいかんわな・・・
神代文字って初めて見たけど規則だっていて覚えやすそう。
文字が無かった時代に五十音に則して作られてるんだから凄い。
平安時代でも8母音だったのに、それよりも太古の時代に5母音の現代語で書かれている。
日本の内陸部の縄文時代の地層から出土する南洋海域でしか採れない巻き貝や腕輪の装飾品を考えれば、そういう古代から宝物品を運ぶ物流のネットワークが構築されていたこと。 色んな民族・人間が古代の日本に来ていたのだろうね。
遺伝的には、完全否定されてるがね。
「邪馬台」「狗那」「卑弥呼」とかいずれも当時の魏の役人が辺境の国や民の名前の音にわざと下賤な字を混ぜて当て字した表記だって話も有ったね。
「卑弥呼」は順当に考えて「日の巫女」つまり役職名みたいなものでしょう。本来の個人名は何だったのか、異聞伝承とかで述べられてたりするとワクワクしますね。
「当時日本にはまだ言語というものが普及していない時代であったので・・・」言語が普及していなかった?????????
江戸時代あたりで記紀の同人誌が流行ったんやろね。
卑弥呼ヲタもいたかもね
私、中学生の頃に夢に卑弥呼の弟が出て来たことある。「卑弥呼」とは言ってなかったけど、直感で卑弥呼の弟なんだ!と思って、「弟、居たんだ」と思った記憶。パタリロみたいに白ポチャなオッサンだった。名前も聞いた。大人になってTH-camで、本当に弟が居たと聞いてびっくりした。
🦑塩辛はシウラカ族が作ったんだな。
古史古伝の内容がファクトなら国史はかな~り面白いことになるがファンタジー要素が無いと証明するのは不可能だろうな。
イサハミ姫ってその名前の意味は「イサ」はイザナギ・イザナミの「イザ」と同じでいよいよ、おおいにの意味で「ハミ」は「草を食む」の「食む」で「イサハミ」=「おおいに噛みつく=盛大に神付く」なんだと聞いたことがある。
昔々にじい様から聞いた。
イヨは卑弥呼の娘ではなくヒミコの後継者です。
卑弥呼は独身だと自身の動画で話しているでしょ?
壱与は卑弥呼の宗女(一族)であって、娘ではないですよね(¯―¯٥)笑
イヨとトヨとどっちが正しいんだろう
30数年前にイヨと言う名前は有りませんでした。台与(トヨ)のみでした。
イサハミ姫ってイザナミ?イサハミ姫についての動画をお願いいたします。
卑しいわたしがヤハを呼ぶ(ルカ1:48)
ビヤフーとも読めるね😊
倭迹迹日百襲姫命、
第七代孝霊天皇皇女。
倭迹迹日百襲姫命、吉備津彦命、孝元天皇の父、
孝霊天皇の黒田廬戸宮伝承地は唐古・鍵遺跡や保津・宮古遺跡に近く、
唐古・鍵遺跡の弥生時代後期の遺構からは吉備地方の特徴を持った遺物が多く出土しています。
これらはヤマト勢力と吉備地方との結びつきや、
唐古・鍵遺跡と百襲姫陵墓とされる箸墓古墳や吉備の楯築墳丘墓などとの関係を強く示唆しており、
畿内説における卑弥呼共立、王都建設直前のヤマト勢力の拠点地として有力な候補地と言えると思います。
AD173年には、新羅という国は、まだ、建国されていなかったと思いますが。伝説的には、どうかは、分かりませんが、現実的には、4世紀に入ってからだと考えています。
これ奈良時代のちょっと前だそうですが、
小さな集落だそうなので外人さんが入って来て一時住んでいただけの可能性もありますね。
神武天皇が日本を統一した後なので卑弥呼が日本の祖とかでは無いですよ。
卑弥呼の姿を見た人がいない!いなかったんじゃないか?見せない方が神格化しやすい。
山田花子とか?
そういえば契丹人も、日本人と同じくアルタイ語系の言語族なんですよね?
シウカラもアルタイ語族だったものと断定😁😁
卑弥呼自体がいないのに存在も何もない。
文字も無い時代に卑弥呼さんが誰とも会わずほとんど見た人が居ないとは。魏志倭人伝の記載なんですか?
そっすね
《自為王以來少有見者》(王となりてより以来、見有る者少し)王となってから、朝見のできた者はわずかである。
卑弥呼の名前は寿限無ー超級名の紅莉栖枡です
卑弥呼は実はその弟とやらのもう一つの人格だった説を意味もなく唱えてみる。急に髪の色が変わって「ううっ、や、やめろ!俺はもう・・・」「ククク、私とお前は一心同体、もう引き返せないのだよ」みたいな。
中国の事だから魏志倭人伝にでてくる卑弥呼なんて呼称であるが人の名前ではなく役職名、シャーマンの名前と解釈である
ので誰であるかはわからない だから歴史はおもしろいということである
いや伝承ならともかく両国の使者が直接往来し、見分・報告しているので王に間違いはない。弟より権威のある祭祀王という立場だったんだろうが。「中国の事だから」って一体何を言いたいんだ?少々オツムの悪い人かな。
言語が普及してないとか、サルかよw
職業名「ヒメミコ」では
(ヒ(日)メ(女)→比売→姫)
とドドド素人の考察
シウラカ族って、蒙古斑が有ったのかなぁ?。
多分あったでしょうね。
日本語が50音になったのは明治時代に整理されてから。それ以前はいろは47音で50音の概念そのものがなかった。50音がある神代文字は明治になってからできた文字ということ。
靴屋www
から、くれ、かる、で始まる民族、カルタゴのようにすべて日本人、所謂縄文人
ロマンだよ
そもそも「魏書東夷伝倭人条」を「魏志倭人伝」とフレームアップしたのは誰なのかご存じの方はご教示ください
卑弥呼は邪馬台国の祭祀王で女王とは魏志倭人伝にも書いていない。公孫度という卑弥呼の父親かも知れない人が国王といわれている。でも当時は祭祀王の方が国王より格が上だった様です。
DNAシーケンス分析結果と矛盾する。
本名と言われても偽書だからな。どこまで正しくて、どこまで創作なのかだいぶ怪しい。日本書紀や古事記でさえ神話でモリモリだし。
日のみこさんだろ?
天照=卑弥呼じゃあ無いのか?
日美子さん。
卑弥呼ゼロ
昔の日本女性の名前って本当に分からないことが多いです。
戦国武将の妻の名も殆ど分かっていません。そういう文化なんです。
魏志倭人伝?が記述する卑弥呼。
実際には『姫巫女』
(表記上、古代氏族の系図に頻繁に表れる『日女命』
(単なるヒメではなくて、
「ヒルメの命」も同じ意味)
時代も場所も異なる勢力の二人姫巫女を
混同した記述。
前半が一人目の姫巫女。
1世紀末、
大和王国の出雲族化した渡来系(徐福の子孫)
海(あま)王朝
(孝霊天皇)らが
覇権を巡り果しない内乱に明け暮れていたのを
(↑に付け入り)
九州(吉野ヶ里(筑紫))から侵攻してきた
物部(徐福の九州の子孫)を
ある意味、上手に手玉にとり利用して一掃。
旧大和王国勢らをせっせと追撃に勤しむ物部らの間隙を衝いて(漁夫の利をえて)大王となり、
革命に成功した
出雲神族の
登美の大田多祢彦、三輪大王。
(大田田根子。
八咫烏。)、
いわゆる孝元天皇朝の
姫巫女、
登美(向)大王家の
百襲日女命
(孝元の姉)
在所の出雲族と侵略者の物部が嫌悪となり宗教戦争となり混迷を究めていた。
それを、あくまでも出雲族の幸の神信仰に軸足、大勢を保ったまま、
機転を効かし宗教戦争、争乱を終息、瀬織して再び平和がもたらされた。
↑を百襲日女命の平和と称え合ったと言う。
他方、同様に
登美(向)大王家の姫巫女、
百襲日女命を称えたのが
瀬織津日女命。
(謎の神様などではない)
彼女は登美(トビ)大王家の方。
登美(富)家は又、別称が向家。
天照大神荒魂。は、姫巫女の事。
具体的には
正式神名の最後の部分、
向津日女命。
↑は概ね、
百襲日女命と、
その後継、
倭(登美の)トトビ日女命ほか。
墳丘墓の築造は出雲族が得意とするところ。
墳丘墓の用材(玉石等)は
何キロ(場合によっては10キロ20キロ以上)も
ズラリと一列に整列した人々が
手渡しリレー方式で運ぶやり方で
驚くべきスピードで出来上がりました。
それを比喩したのが
昼間は人が造り、
夜は神が造った云々の行。
径百歩の円形墳丘墓?の件は
百襲日女命の話かと。
全国の、
江戸名所図会では確か、
土師(箸)墓古墳は
円形の墳丘墓として画かれています。
今の様な
前方後円墳ではなかったようです
更に笑うのが
何と、
お茶屋さんが(幟を出して)営業しているの図(笑)
ところで、近くのホノケ山古墳は、
↓のもう一人の、
二人目の卑弥呼、
魏に朝貢団を派遣して魏から
親魏倭王を叙任、冊封された
女王卑弥呼、
九州の豊国(宇佐王家)日向都万国(物部王家)
連合王国(冊封使、答礼使節としてやって来た魏の使節に
ココがヤマトの国と嘯いた)
の女王で、
宇佐神宮の月読尊の姫巫女、
宇佐の豊玉日女命。
の後継、実娘の
親魏倭王、
宇佐の豊日女命
いわゆる女王トヨ
(稚日女命、
豊受日女命(豊受大神(月読尊)荒魂。)
ウズ女命)
のご陵墓
ホケノ古墳は台与トヨの古墳で
箸墓古墳はやまととひめの
墓ということですか?
箸墓古墳のそばの茶屋?で飲み物と小さい饅頭、クレープみたいなものを買って帰り道ホケノ古墳に行きました。
宇佐神宮で発見されてる謎の石棺は女王トヨの可能性もありますね。
Q太郎
卑弥呼さんの本名は、日のミカ。つまりミカ。つまり、「甕依姫(みかよりひめ)は、「筑後国風土記逸文」にみえる巫女(みこ)。九州王朝説を唱えた古田武彦は魏志倭人伝にいうとこの卑弥呼のことであるとしている。」ということですわ。わしもそー思う。
使者が当時の日本にはない漢字で伝えたと?どうかしてるぜ。発音をそのまま魏の言語に当て字した結果が卑弥呼(ピミクォないしはピィミエクゥオ)だ。字の意味も宗主国として見下し感のあるものだ。そもそも現代日本語と古代のそれー読み、発音が同じだと思っている時点で古田など信用できないな(←コメ主の紹介、引用を見る限りでは)。
古史古伝のすべてが創作とも言えないから始末に負えない部分がある。古史古伝学会を新設して広く内外の意見を求めまとまった見解を公表したらどうでしょう。
そんな怪しい学会が出来たとしても、それに参加した学者は異端としてアカデミズムから排除されるだろうね。
@@KN-qb7wi
既にあるw
@@tomusan6837 どこにある?
@@KN-qb7wi
その前に設立もされてない学会を怪しいと評価するオツムを疑う。
@@tomusan6837 ごまかすな。既にあるならどこにあるのか言えよ。
契丹文字原文で書かれた
原書はないのか?
その日本人の翻訳本しかないのだろうか?
九鬼文書をくきとなぜ発音しないのか?
九鬼という苗字の人がいるが
水軍の末裔と聞いてるが
その末裔の人が書いた文書ではないのか?
契丹人が本当にスサノミコトのことを書いたのか?
疑問の連続。
嘘を言うときに「友達から聞いたんだけど・・・」みたいな感じじゃないかな?
証拠が無いものを捏造で作り出すときに使われるのが大陸由来としたデマ話。
満洲返せ〜✊✊🎌✊
卑弥呼ちゃんとイチャイチャしたいです🥰
まさか卑弥呼って「HIMUKA(日向)」あるいは「HINUKAN(火神)」の当て字だったのでは?
邪馬台国が「YAMATO」の当て字だったのと同じく。
卑弥呼が和語の「皇女 (ひめみこ) 」とほぼ同意同音であることから、そのようなことはありえないでしょう。また日向は「日に向かう」つまり東側の国という意味も成立しています。火神に至っては「ひぬかん」のよみがどれほど古いか検証が必要な上、マ行音とナ行音の交替を正当化する証明が必要です。
"火"は上代日本語では、"po"(ホ の 上代の呼び方"出あったとみられています。
炎(ホノオ)、焔(ホムラ)等の現代の単語に形跡が残っています。
卑弥呼の名称の中では、
"卑"は官名の卑狗(彦、日子)の記述などから"日"を意味している可能性が高いと思われます。
卑弥呼がいた場所もHALがいた馬車も本当にはわかっているのに隠してる 解ると力を持つから
卑弥呼はHALから盗るだけとって やらせるだけやらせて 代償を支払わなかった
HALとは?
@@user-wz3vk7ip5o HALはアニメ・ゲーム・CG・映像・IT・WEB・AI・コンピュータ・ミュージックの専門学校。
日本に中国が大きく関係しているのは事実だが、現在の中国人ではない。
むしろ今の日本に古代中国のルーツが移ってきたと思うけど。
卑弥呼はアテナ女神の生まれ変わりなので、預言者になるのは、当然です。
卑弥呼は戦乱で死なず、沖縄に渡ったとの話を聞いています。沖縄に知り合いの沖縄に人が平安座島出身で卑弥呼やジュゴン信仰にかかわるなにかを守っていいる家系であり、その話が言い伝えられているそうです。現在研究中で本を出したいと言っていました。
デタラメだよ
卑弥呼は徐福の末裔で丹後の籠神社の海部氏の系図に載っています。
日御子という例の系図ですね。
宜保愛子さんに霊視してもらえば良かったのに!誰か聞いてますか?
まず基本的な日本と云うものを勉強しましょう。卑弥呼のいた時代のことを。日本と呼ばれるのは聖徳太子とうじの厩戸皇子のころからが正しいと思いますね。卑弥呼が収めたとされる邪馬台国は現在の北九州地区です。中国が名づけの親的な耶麻渓谷なども邪馬台国の名前に通じるものがあります。そして山門国もあります。そもそも奈良の大和はこの文字を日向神武東征により大和・あるいは倭としたのからきているとした方が話は通りやすいですね。男の王で邪馬台国がまとまらないということも多くの男の王たちが争いばかりしたということが卑弥呼を誕生させたとありますがこれもおかしな話です。邪馬台国と云うものが北九州にあったとして多くの男の王がいたとすると、邪馬台国そのものが国として存在することがそれまでなかったということになります。王というのであれば、多くの男の王は存在しませんね。おそらく隣国の狗奴国や日向の国の事ではないでしょうか。福岡市当りも奴国として独立した王が存在していました。つまりは邪馬台国はこの国を支配した国ではなく、当時の有力な種族の一つに過ぎなかったということです。漫画家の手塚治虫さんも火の鳥で卑弥呼の記述があり狗奴国などに攻められ卑弥呼に神のご加護をと祈らせその内卑弥呼もなくなりついには狗奴国熊襲に滅ぼされたとありました。熊襲はその後も九州山鹿から薩摩までを納めています。神武東征により、いち早く九州の東のかなた奈良盆地にうつり、文明の発達途上の浪花、岡山などの近畿の地を治め奈良を九州当時の山門の名を大和と改め大和朝廷の基礎を作りました。第12代天皇景行天皇の息子倭尊は天皇の命により調停に従わない熊襲征伐で九州に向かうわけですがこの当時は邪馬台国は存在していないということになります。現在の福岡市の奴国も日向、狗奴国、隼人国などにより九州の勢力図が完全に入れ替わり紀元前に畿内に勢力を伸ばした現在の皇室が大和を都としたことによる蝦夷征伐、熊襲征伐などが始まったわけです。現に熊襲は倭尊を征伐しましたが日向は征伐されていません。いわば故郷ですから征伐などありえないことになります。魏志倭人伝に出てくる邪馬台国が特別視されているだけのことです。むしろ神武東征から始まる日本について考古学者は視を向け研究し、日本誕生の証明に力を注いでいただきたいですね。
「カンナでーーーす
次の1000年にも同じ名前で転生しまーーーす」
いい話題をありがとうございます。
いくつもの古史古伝などがなぜ作られたのか考えたことありますか?
先に答えを言うと、正史が隠した史実を、権力者に気付かれないように暴露する目的の暗号書なのです。だから、もしも見つかった時に言い訳できるように荒唐無稽な話などを作っているのですよ。ですから、そのまま話を信じても真相にはたどり着けません。実は古事記も同じ類なのですよ。日本書紀やその後の正史は勝者の歴史書なので、天皇の歴史書じゃなかったのですよ(^_-)-☆
ではどうやったら本当の古代史が見つかるのかですが、科学的な方法があります。よろしければ刮目天の古代史をご参照ください(;^ω^)