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こんにちは、ヒヱンです。近年、重要航空遺産に認定される機体が増えてきたように思います。世間が大戦機などの飛行機が、歴史ある貴重な遺産であることを認識しつつあると思っております。私としては、この疾風は永久に静態保存をしてほしいと思います。さらに言うと、変に復元を行ったり、塗装はせず、そのままの姿で保存すべきだと思います。重要航空遺産は"古いものだから"で認定される訳ではありません。当時の製造方法、運用当時の名残、当時生きた人たちの関わった痕跡があることが重要です。「文化財とは、われわれ人類の歴史を実証する証拠そのものですから、改変したり付け加えたり取り除いたりすることは、歴史そのものを歪めることになってしまいます。省略オリジナルに負荷をかけるあらゆる行為を慎まねばなりません。例えば、新たな部品を加えたり、塗装を行ったりすることにあたります。」飛燕6117号機の修復の考え方かかみがはら航空宇宙博物館:一般財団法人 日本航空協会より 引用この文からわかる通り、飛行させるという行為もこれに当たると思います。飛行させるを名目に、約80年間保存してきたオリジナル部品を破壊することはあってはならないことだと思います。重要航空遺産に認定され、飛行はもう二度とできないと思いますが、未来へ継承し、航空機技術発展の歴史を伝える重要な存在になる事を私は望みます。
7:39 ヒロカワ中尉は機付きの整備の士官かもしれませんね。
嵐山で野外展示されていた時にこの機を見ました。え?何じゃこりゃ。と感じた記憶が残っています。ペンキがゴテゴテに塗られていて、風防は雨で汚れてスリガラス状態、何かエンジン部分から溶断されたようなパイプが数本見えていた記憶があります。周囲に柵もなく放置状態で兎に角、酷かった印象しか残っていないです。この動画で見る知覧の1446号機と同一とは信じられないぐらいです。復元に努力された方々に敬意を表します。
うp主さん、ご苦労様でした。よく判りました。正確性云々は別として、1446号機の一生として納得できる内容であったと思います。1446号機、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。
1983年頃、嵐山博物館でこの機体見ましたが、その頃は屋内展示でしたね。ただ、コクピットも含めて触り放題だったので、不届き者はいたかもしれませんね。
最近、疾風の油圧系を修理している動画を拝見しました。10年前は間違った情報で絶望してましたが陰ながら疾風を整備してくれている有志がいることに感謝しかありません。うp主も動画最高でした。ありがとうございます😊
旧日本軍機で一番好きな機体です、それが現存してると言うことだけでありがたい。この機体の保管と知覧での組み立てを富士重工が担当したのって泣けます。今年の夏に隼の復元機を見てきましたが、本物の機体を見れてとても幸せでした。これから後数世紀経った時、この機体を含めた大戦時の兵器が鎧や兜と同じように文化遺産として語り継がれるよう平和な時代が続く事を祈ります。
入間基地での実際の飛行、展示を当時、見ましたかなり軽快に飛行していた記憶があります。
テレビのニュースで疾風が飛ぶのを見て以来、一度は見たいと思いつつ、ついに仕事の帰りに嵐山美術館に寄って見ました。思わず機体のスマートさにビックリしました。こんなにカッコイイとは!写真を撮りまくりました。その後閉館を知り旅先で知覧で再会し再度そのスマートさに見とれましたが撮影禁止だった!!飛燕もそうですが、疾風も飛ぶのを見たいです。それでも飛んで欲しい!大切なパーツは原寸とりで再生すれば良いではないか!?NZのワナカ航空博物館で隼はパーツが再生稼働されアメリカで飛んでいるではないか!
たしかなのはアメリカでスクラップになる予定が飛べなくても今日本に残ってるのは幸いなことなのかもね
日本に来た当時、雑誌「航空ファン」にレストアの内容が書かれていた。記憶だが、米国でミリ規格の工具を入手するのが困難な為にネジ類などはミリからインチに置き換えた。即ち、全てがオリジナルではない筈です。
1993年10月、高校生でした。当時の愛機PENTAX SP/スーパータクマー200mmで撮ったキ84の写真は私の宝物です。
動画冒頭に映っているボロボロのスクラップは知覧展示機で有名なゼロ戦52型です
さらに言うと栄エンジンで飛べる零戦も、飛行状態にするためにオリジナルと異なる状態になってる部分が多々あるはずだし、飛行可能でもエンジンそのものが違う他の機体は言わずもがな。飛ばすためにそこまでしなきゃならないの?というお話ですよね。一方で、使える部品を使って稼働させるというスタンスもそれはそれでアリだと思います。他の動画で見ましたが動翼は可動するからレストアして飛ばすことは技術的に可能だということは納得出来ます。現在の知覧に至るまで疾風への管理が杜撰だったというお話もよく目にしますが、この動画を見て救われました。
そうですよね、国内にある零戦は機体が数機あって、稼働するエンジンも確かあるのに、やはり飛ばすことのリスクを考慮したら形で残しておいた方がよいと思います。零戦の場合は非オリジナルのエンジンが搭載可能だから飛行する機体も数機あるのですね。
動画冒頭のボロボロ機体を治して今の疾風になったみたいに見えるのですが冒頭のボロボロ機体はゼロ戦です
嵐山での野外放置・・・失礼、野外展示の時に相当数の部品が盗まれたと聞くが実際のところ如何なのだろう・・・
知覧でこの疾風と飛燕を見たな、飛燕に比べて疾風の大きいこと。どちらも優良な状態に見えたけど飛燕は更に復元整備されたそうだな。
俺もてっきり返還後飛行不可能にした。の話を信じていたから驚きだった
栃木県民としては宇都宮にあったとき一度見てみたかったですね、フィリピンの山奥にでも疾風落ちてないかな:^)
現存する実機と残ってる図面から、リバースエンジニアリングで飛行可能なレプリカを製作する様なお大尽はいないものか。今の日本の経済状況では無理か。
リバースエンジニアリングするには現存機ばらすしかないですからね。重要航空遺産登録された以上不可能だと思います。
1973年に入間基地で飛んだのを見ています。
個人的には、日本軍機で疾風が最高だと思ってる。紫電改ではないと。戦後の「陸軍憎し、海軍礼賛」というバカな風潮のせいで、誤解されている。
紫電改は局地戦闘機で、疾風は制空戦闘機と坂井三郎さんも書いていたな。坂井さんは制空戦闘機を評価する人だから、疾風の方が優れていると言ってますね。航続距離の問題でしょうけど。
まず、飛行可能に復元したとして、米連邦航空局の滞空証明書を取得する必要があります。さらに現代の航空法に添って、VHS無線、GPS、気圧高度計の他に電波高度計を装備する必要があり、他に夜間航法灯が必要になる場合があります。その上、機体の駐機代、維持 管理にかかる費用、燃料代 ・・・飛行可能なウォーバードを持つオーナーさん、スタッフの方々、サポーターの方々の尽力には本当に頭が下がります。
再度レストアして飛ばすことも出来るだろうが、飛ばすことにだけ興味をもって飛ばし、事故により万一機体を失った後に残るのは取り返しのつかない大きな後悔だけだ。その時になって世界中の大戦機を維持している人々から非難の眼差しを受けるのだけは避けるべきだ。
飛行機に対する文化がアメリカと日本では違うから仕方ないか、今日本で飛行可能状態であっても法律で飛ばすことはできないだろう、しかし初めは1500万で後には1億以上に値が吊り上がった、飛行可能状態なら現在の価値は数百億だろうあの栄光の四式戦「疾風」飛行機は飛んでなんぼだから。
零戦の予備エンジンって R-1830 の事を云ってますか?
まさかとは思うが冒頭に写っているボロボロ機体の事を嵐山で野ざらしにされて朽ち果てた疾風の知覧における修復前の無残な姿だと勘違いしてる奴いたりしないか?あれは知覧展示機で有名な零戦52型だよて言うかプロペラ三枚だもんなそんな馬鹿な勘違いする訳ないよな
コピーを何機か作って飛ばしたらどうだろうか?
飛べる状態まで、修復復元された疾風を、知覧の施設内に展示されて、私が観たときは、尾翼の動翼は破れて、穴が空いてた🥲悲しい事です😭
この四式戦はマロニーが復元しライキンスが購入、そのご元零戦乗りだつた後閑氏が購入して在命中は富士重工で整備保管していた間はまだ良かった。後閑氏が亡くなり嵐山へ他の方が書かれてるようにひどい状態にその後知覧へ。知覧へ行った後マロニーが雷電ともう1機付けるから交換してほしいと要望があったけど知覧は応じないよね 悲しいけど日本では動態保存は無理だよね
稼働させるとパーツを磨耗させたり破損させたりするリスクがありますからね。唯一現存する貴重な1機ですから、そのオリジナルパーツを外してまで飛行可能にレストアなんてまずしないでしょう。
疾風は現代の部品を使って飛行出来るように調製する事は可能ですが あえてしません飛行出来ないのでは無くてわざともう飛行させないのです出来ないのとさせないのとでは意味が全く違います
機械物は、動いてなんぼです静保管ですかぁ⁇疾風の飛んでいる姿が見てみたいですねぇ〜日本人としては大事なのは分かります😢
散らんの町議会は良い買い物しましたな。お守りありますよ。
疾風が宇都宮から嵐山に運ばれた時、宇都宮でこれを分解してトラックに積み込み、嵐山まで出張して、たった一人で再組立てを指揮し完了させたのは、当時、日本エアロテックに在籍したベテラン整備士のM氏であって、この方は、今までどこにも公開されていないが、当時自身が撮影した、分解、積み付け、搬入から組み立て完成までの一部始終を詳細に記録した数多の写真を所持している。そして、実は、自分も、彼に許可を得てその一連の写真を複写し、所持しているのであるが、それを見ると、全く正規の、実際に空を飛べる飛行機としての分解組み立てであって、主翼桁の切断などは断じて行っていない。このM整備士は、実は、その後、小説家になっているのであるが、奥ゆかしい人で、彼の作品はいずれも、マイナー・ポエットの幻想的で美しい時代小説であり、彼自身の最も得意分野である飛行機を決して作品に登場させないところが、いかにも彼らしい。
せっかくならどこかの物凄いお金持ちに、コピーを作ってもらいたい(-""-;)
やっぱり新聞ってのは一知半解でデラメな記事を書くんだな。太田製作所の専門家に聞けば分かりそうなことであるにも関わらず。
確か定期的に各部の稼働テストがされていたのも今は無いのかな?
誉エンジンが理想を追いすぎて実用性にかけていたのが残念!機体の設計は素晴らしかっただけに。
ちがいますね。航空行政は国策として最低限のことをやってるにすぎず、経済先進国としては航空リテラシーとかメンタルは戦前・戦中・戦後を通してほとんど変わっていないことが根底にあると思います。現存一機のみだから大事にする?それはちゃんと飛べるように仕上げてからのはなし。要は飛ばす金と腕と認識がないだけ。TH-camみてごらん、欧米とは航空の次元の違いは絶望的。英霊の方々にお供えして拝んでる場合じゃないんですぜ。
何が言いたいのか結局分からん。それから欧米はほぼ「戦勝国」であって、焼け野原に原爆投下でGHQの好き放題にされた日本と一緒にするなと言いたい。日本が戦勝国なら試作機も含めて全部残ってる。航空行政なんて言葉もないし、リテラシーとメンタルも航空と関係がない。戦後が戦中と変わらんのなら、F1、F2も開発してないし、空母も建造していない。「税金から出す」のが行政だ。古い戦闘機に出す税金は無いし、出すとしても学生運動時代の左翼ジジババが反対するだけだ。先進国だから、すぐにでも精密弾道弾に転用出来るロケット技術があるのだし、経済大国だからF-35を大量配備出来る。何が戦前と同じなのかね。元防衛省
あなたのような浅い認識の人たちの話を聞いて、現存が一機しかない重要航空遺産である疾風を我々の題で食いつぶすのは言語道断です。予備の実働栄発動機があるPOFの61-120ですら現状消耗が激しく展示飛行ではヨロヨロ飛ぶだけ。「予備のエンジンがないと飛ばさない」とPOFの方も明言しています。残骸を含めれば多くが現存しているA6M等と違い、疾風はこの機体のほかには残骸すらろくに残っていません。リバースエンジニアリングによる復元は不可能です。飛ばすように整備するというのは使えないオリジナル部品を捨て改修するということ。現代人の好奇心のためだけにやっていいことではありません。
これまで散々言われてきた胴体フレームも主翼もデタラメに切断されているので二度と飛行不可能つまりこんなのもう飛行機じゃ無いwと言うのが全て嘘だったと判明して良かったじゃ無いですかいったい何をそんなに怒ってるのですか?
@@sansogyorai00ver2 / あきれてものも言えません。戦後、進空までこぎつけた関係者の努力を踏みにじってきたことをもう少し振り返って、技術というhy-マニズムを考えてみましょう。わかりますか?
呆れさせてしまい誠に申し訳ございませんでしたさようなら
昔の保管状態が悪くて小さいパーツの泥棒があったのは事実。それが原因で飛べなくなったと思ってます。
こんにちは、ヒヱンです。
近年、重要航空遺産に認定される機体が増えてきたように思います。世間が大戦機などの飛行機が、歴史ある貴重な遺産であることを認識しつつあると思っております。
私としては、この疾風は永久に静態保存をしてほしいと思います。
さらに言うと、変に復元を行ったり、塗装はせず、そのままの姿で保存すべきだと思います。
重要航空遺産は"古いものだから"で認定される訳ではありません。当時の製造方法、運用当時の名残、当時生きた人たちの関わった痕跡があることが重要です。
「文化財とは、われわれ人類の歴史を実証する証拠そのものですから、改変したり付け加えたり取り除いたりすることは、歴史そのものを歪めることになってしまいます。省略
オリジナルに負荷をかけるあらゆる行為を慎まねばなりません。例えば、新たな部品を加えたり、塗装を行ったりすることにあたります。」
飛燕6117号機の修復の考え方
かかみがはら航空宇宙博物館:一般財団法人 日本航空協会より 引用
この文からわかる通り、飛行させるという行為もこれに当たると思います。飛行させるを名目に、約80年間保存してきたオリジナル部品を破壊することはあってはならないことだと思います。
重要航空遺産に認定され、飛行はもう二度とできないと思いますが、未来へ継承し、航空機技術発展の歴史を伝える重要な存在になる事を私は望みます。
7:39 ヒロカワ中尉は機付きの整備の士官かもしれませんね。
嵐山で野外展示されていた時にこの機を見ました。え?何じゃこりゃ。と感じた記憶が残っています。
ペンキがゴテゴテに塗られていて、風防は雨で汚れてスリガラス状態、何かエンジン部分から溶断されたようなパイプが数本見えていた記憶があります。周囲に柵もなく放置状態で兎に角、酷かった印象しか残っていないです。この動画で見る知覧の1446号機と同一とは信じられないぐらいです。復元に努力された方々に敬意を表します。
うp主さん、ご苦労様でした。よく判りました。正確性云々は別として、1446号機の一生として納得できる内容であったと思います。1446号機、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。
1983年頃、嵐山博物館でこの機体見ましたが、その頃は屋内展示でしたね。ただ、コクピットも含めて触り放題だったので、不届き者はいたかもしれませんね。
最近、疾風の油圧系を修理している動画を拝見しました。
10年前は間違った情報で絶望してましたが陰ながら疾風を整備してくれている有志がいることに感謝しかありません。
うp主も動画最高でした。
ありがとうございます😊
旧日本軍機で一番好きな機体です、それが現存してると言うことだけでありがたい。
この機体の保管と知覧での組み立てを富士重工が担当したのって泣けます。
今年の夏に隼の復元機を見てきましたが、本物の機体を見れてとても幸せでした。
これから後数世紀経った時、この機体を含めた大戦時の兵器が鎧や兜と同じように
文化遺産として語り継がれるよう平和な時代が続く事を祈ります。
入間基地での実際の飛行、展示を当時、見ました
かなり軽快に飛行していた記憶があります。
テレビのニュースで疾風が飛ぶのを見て以来、一度は見たいと思いつつ、ついに仕事の帰りに嵐山美術館に寄って見ました。
思わず機体のスマートさにビックリしました。こんなにカッコイイとは!写真を撮りまくりました。
その後閉館を知り旅先で知覧で再会し再度そのスマートさに見とれましたが撮影禁止だった!!飛燕もそうですが、疾風も飛ぶのを見たいです。
それでも飛んで欲しい!大切なパーツは原寸とりで再生すれば良いではないか!?
NZのワナカ航空博物館で隼はパーツが再生稼働されアメリカで飛んでいるではないか!
たしかなのはアメリカでスクラップになる予定が飛べなくても今日本に残ってるのは幸いなことなのかもね
日本に来た当時、雑誌「航空ファン」にレストアの内容が書かれていた。
記憶だが、米国でミリ規格の工具を入手するのが困難な為にネジ類などはミリからインチに置き換えた。
即ち、全てがオリジナルではない筈です。
1993年10月、高校生でした。当時の愛機PENTAX SP/スーパータクマー200mmで撮ったキ84の写真は私の宝物です。
動画冒頭に映っているボロボロのスクラップは
知覧展示機で有名なゼロ戦52型です
さらに言うと栄エンジンで飛べる零戦も、飛行状態にするためにオリジナルと異なる状態になってる部分が多々あるはずだし、飛行可能でもエンジンそのものが違う他の機体は言わずもがな。飛ばすためにそこまでしなきゃならないの?というお話ですよね。一方で、使える部品を使って稼働させるというスタンスもそれはそれでアリだと思います。
他の動画で見ましたが動翼は可動するからレストアして飛ばすことは技術的に可能だということは納得出来ます。
現在の知覧に至るまで疾風への管理が杜撰だったというお話もよく目にしますが、この動画を見て救われました。
そうですよね、国内にある零戦は機体が数機あって、稼働するエンジンも確かあるのに、やはり飛ばすことのリスクを考慮したら形で残しておいた方がよいと思います。零戦の場合は非オリジナルのエンジンが搭載可能だから飛行する機体も数機あるのですね。
動画冒頭のボロボロ機体を治して今の疾風になったみたいに見えるのですが
冒頭のボロボロ機体はゼロ戦です
嵐山での野外放置・・・
失礼、野外展示の時に相当数の部品が盗まれたと聞くが
実際のところ如何なのだろう・・・
知覧でこの疾風と飛燕を見たな、飛燕に比べて疾風の大きいこと。
どちらも優良な状態に見えたけど飛燕は更に復元整備されたそうだな。
俺もてっきり返還後飛行不可能にした。の話を信じていたから驚きだった
栃木県民としては宇都宮にあったとき一度見てみたかったですね、フィリピンの山奥にでも疾風落ちてないかな:^)
現存する実機と残ってる図面から、リバースエンジニアリングで飛行可能なレプリカを製作する様なお大尽はいないものか。今の日本の経済状況では無理か。
リバースエンジニアリングするには現存機ばらすしかないですからね。重要航空遺産登録された以上不可能だと思います。
1973年に入間基地で飛んだのを見ています。
個人的には、日本軍機で疾風が最高だと思ってる。紫電改ではないと。戦後の「陸軍憎し、海軍礼賛」というバカな風潮のせいで、誤解されている。
紫電改は局地戦闘機で、疾風は制空戦闘機と坂井三郎さんも書いていたな。坂井さんは制空戦闘機を評価する人だから、疾風の方が優れていると言ってますね。航続距離の問題でしょうけど。
まず、飛行可能に復元したとして、米連邦航空局の滞空証明書を取得する必要があります。
さらに現代の航空法に添って、VHS無線、GPS、気圧高度計の他に電波高度計を装備する必要があり、他に夜間航法灯が必要になる場合があります。
その上、機体の駐機代、維持 管理にかかる費用、燃料代 ・・・
飛行可能なウォーバードを持つオーナーさん、スタッフの方々、サポーターの方々の尽力には本当に頭が下がります。
再度レストアして飛ばすことも出来るだろうが、飛ばすことにだけ興味をもって飛ばし、事故により万一機体を失った後に残るのは取り返しのつかない大きな後悔だけだ。その時になって世界中の大戦機を維持している人々から非難の眼差しを受けるのだけは避けるべきだ。
飛行機に対する文化がアメリカと日本では違うから仕方ないか、今日本で飛行可能状態であっても法律で飛ばすことはできないだろう、しかし初めは1500万で後には1億以上に値が吊り上がった、飛行可能状態なら現在の価値は数百億だろうあの栄光の四式戦「疾風」飛行機は飛んでなんぼだから。
零戦の予備エンジンって R-1830 の事を云ってますか?
まさかとは思うが
冒頭に写っているボロボロ機体の事を
嵐山で野ざらしにされて朽ち果てた
疾風の知覧における修復前の無残な姿だと勘違いしてる奴いたりしないか?
あれは知覧展示機で有名な零戦52型だよ
て言うか
プロペラ三枚だもんな
そんな馬鹿な勘違いする訳ないよな
コピーを何機か作って飛ばしたらどうだろうか?
飛べる状態まで、修復復元された疾風を、知覧の施設内に展示されて、私が観たときは、尾翼の動翼は破れて、穴が空いてた🥲悲しい事です😭
この四式戦はマロニーが復元しライキンスが購入、そのご元零戦乗りだつた後閑氏が購入して在命中は富士重工で整備保管していた間はまだ良かった。
後閑氏が亡くなり嵐山へ他の方が書かれてるようにひどい状態にその後知覧へ。
知覧へ行った後マロニーが雷電ともう1機付けるから交換してほしいと要望があったけど知覧は応じないよね
悲しいけど日本では動態保存は無理だよね
稼働させるとパーツを磨耗させたり破損させたりするリスクがありますからね。
唯一現存する貴重な1機ですから、そのオリジナルパーツを外してまで飛行可能にレストアなんてまずしないでしょう。
疾風は現代の部品を使って
飛行出来るように調製する事は可能ですが
あえてしません
飛行出来ないのでは無くて
わざともう飛行させないのです
出来ないのと
させないのとでは意味が全く違います
機械物は、動いてなんぼです
静保管ですかぁ⁇疾風の飛んでいる姿が見てみたいですねぇ〜日本人としては大事なのは分かります😢
散らんの町議会は良い買い物しましたな。お守りありますよ。
疾風が宇都宮から嵐山に運ばれた時、宇都宮でこれを分解してトラックに積み込み、嵐山まで出張して、たった一人で再組立てを指揮し完了させたのは、当時、日本エアロテックに在籍したベテラン整備士のM氏であって、この方は、今までどこにも公開されていないが、当時自身が撮影した、分解、積み付け、搬入から組み立て完成までの一部始終を詳細に記録した数多の写真を所持している。そして、実は、自分も、彼に許可を得てその一連の写真を複写し、所持しているのであるが、それを見ると、全く正規の、実際に空を飛べる飛行機としての分解組み立てであって、主翼桁の切断などは断じて行っていない。このM整備士は、実は、その後、小説家になっているのであるが、奥ゆかしい人で、彼の作品はいずれも、マイナー・ポエットの幻想的で美しい時代小説であり、彼自身の最も得意分野である飛行機を決して作品に登場させないところが、いかにも彼らしい。
せっかくならどこかの物凄いお金持ちに、コピーを作ってもらいたい(-""-;)
やっぱり新聞ってのは一知半解でデラメな記事を書くんだな。太田製作所の専門家に聞けば分かりそうなことであるにも関わらず。
確か定期的に各部の稼働テストがされていたのも今は無いのかな?
誉エンジンが理想を追いすぎて実用性にかけていたのが残念!機体の設計は素晴らしかっただけに。
ちがいますね。航空行政は国策として最低限のことをやってるにすぎず、経済先進国としては航空リテラシーとかメンタルは戦前・戦中・戦後を通してほとんど変わっていないことが根底にあると思います。現存一機のみだから大事にする?それはちゃんと飛べるように仕上げてからのはなし。要は飛ばす金と腕と認識がないだけ。TH-camみてごらん、欧米とは航空の次元の違いは絶望的。英霊の方々にお供えして拝んでる場合じゃないんですぜ。
何が言いたいのか結局分からん。それから欧米はほぼ「戦勝国」であって、焼け野原に原爆投下でGHQの好き放題にされた日本と一緒にするなと言いたい。日本が戦勝国なら試作機も含めて全部残ってる。航空行政なんて言葉もないし、リテラシーとメンタルも航空と関係がない。戦後が戦中と変わらんのなら、F1、F2も開発してないし、空母も建造していない。「税金から出す」のが行政だ。古い戦闘機に出す税金は無いし、出すとしても学生運動時代の左翼ジジババが反対するだけだ。先進国だから、すぐにでも精密弾道弾に転用出来るロケット技術があるのだし、経済大国だからF-35を大量配備出来る。何が戦前と同じなのかね。元防衛省
あなたのような浅い認識の人たちの話を聞いて、現存が一機しかない重要航空遺産である疾風を我々の題で食いつぶすのは言語道断です。予備の実働栄発動機があるPOFの61-120ですら現状消耗が激しく展示飛行ではヨロヨロ飛ぶだけ。「予備のエンジンがないと飛ばさない」とPOFの方も明言しています。
残骸を含めれば多くが現存しているA6M等と違い、疾風はこの機体のほかには残骸すらろくに残っていません。リバースエンジニアリングによる復元は不可能です。
飛ばすように整備するというのは使えないオリジナル部品を捨て改修するということ。現代人の好奇心のためだけにやっていいことではありません。
これまで散々言われてきた
胴体フレームも主翼もデタラメに切断されているので二度と飛行不可能
つまりこんなのもう飛行機じゃ無いwと言うのが
全て嘘だったと判明して良かったじゃ無いですか
いったい何をそんなに怒ってるのですか?
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呆れさせてしまい誠に申し訳ございませんでした
さようなら
昔の保管状態が悪くて小さいパーツの泥棒があったのは事実。それが原因で飛べなくなったと思ってます。