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琉球に流れ着いて生きながらえて、そこで布教活動を行った僧侶も居るみたいね
徳を積んでたんやろな
琉球王国時代に徳の高いお坊様がいらっしゃったようです。しかし、下手を打ち粟国島へ流刑にされましたが洞穴をお寺にして余生を過ごしたそうな。粟国島ではそれを洞寺と呼び、その地のものを石一つでも持ち出したら気が狂う程の天罰があるという聖地までなっています。類い稀な運と生命力、霊力からもしかしたらおっしゃる通りなのかもと思いました。
仏陀「すいません、自分そんな修行しろとは一言も言ってないんですが……」
神「何やってんだコイツら…(ドン引き)」
あの、生命を粗末にするのやめてもらっていいですか
仏「悟り?なんだそれは?」
基督「何やってんだあのハゲ」
人間の命を粗末にしているのは、人間たちって業
本来、仏の教えは生きる為にある‼️
仏に仕える身でありながら「生きたい」という煩悩がそうさせたんだと納得できる
生きたいも煩悩なのか…ちょっと怖いな
@@レッドリボン軍上級兵 そもそも仏教は、人間が生きて、生まれ変わる度に感じる、生、老、病、死の苦悩から解放されるために、輪廻転生の輪から解脱するって言う教えだからね。苦悩が漂う現世に残りたいって言うのは煩悩になる
@@ララァ-r6i なるほど
死んだ後があるかもわからないけどね、
ただ、「生きたい」と言うのはあらゆる生物の本能ですからね…それを越えた所に悟りがあるって所なんでしょうか。…私は悟りたく無いなぁ。
井上靖の小説で読んだばかりなので、漫画化してくれて嬉しい…
今の時代、飛行機に乗って観音様がやって来る。You Tubeで説法や般若心経等の講義も聴ける。良い時代になったものだ。南無観世音菩薩。
どこの誰が、こういうの言い出すんだろ?お釈迦様は、無意味な苦行は意味がないと語ってたのに・・・
輪廻転生があるので無意味にならないという解釈が入ってまして、あと土着信仰として道教なんかもあり生贄という文化がミックスしていると何かで読んだ気がするんです
簡単な話直系の弟子が居なくなると色々確変されたりするからな
@@kathuyaaa-1115ということは本質的に「宗教」というものに問題がありそうですね。それには釈迦も気づけなかった。
@user-ol2ik5jb5b スジャータだったかに助けられて一命を取り留めたときに悟ったんだっけこんな事に意味はないと
「すごい苦労をすれば報われるはずだ」という思い込みがあるんでしょう。
仏「俺こんな修行編み出した覚えねえぞ?」
草
こんな修行が!即身仏は聞いた事はあったけどこれは初耳😲
現代の価値観からすればとても肯定できない事ですが、周囲の人の作る空気やずっと続けてきた伝統という空気空気を読まなければいけない空気という謎ルールの存在は現代日本でも言えることですね。
鳥居を備えたデザインが神仏習合のあり方を提示してる明治までは自然にあったんだよな
地獄少女の三途の川にも鳥居の描写ありますよ⛩
廃仏毀釈は最悪の政策だった
四天王寺はいまでも。玉置神社は寺の鐘を残している。関東でも名残のある神社や寺院が散見される。
といいますか、人が亡くなった後、お経で・・・というのが一般的だけど、それは仏教だからで、実は神社も神道方式あるから。つまり、元は別々の宗教なのに・・・という話。
高尾山にもあるよ。
これ厨二心でカッケェーーーって思って文芸部だったからコンクールの作品に補陀落テーマに詩を書いたら「日が強いほど影が濃くなるように生命の輝きが強い分死の色も濃くなるのかも」みたいな真剣な講評されてただの厨二心なんです……ってなった思い出
死の影が濃い分、生命の輝きが強くなる って言い換えた方が伝わり易いと思います。
でも、案外本心でカッコ良いと思った事をアウトプットする方が良いものができるのかもしれませんね。
詩とは迸る感情を言葉や文字にしたものだし、あなたの厨二もその講評もどちらも間違ってないと思う。
中二じゃなくて厨二なのが良き。
1:56 尊敬していた人にもう会えないのは悲しい...
徳川家康は臭い体臭がキツ過ぎる顔を見ただけで吐きそう一度も風呂はいってなさそう
@@たーけー武田 くさ
死を代償とした仏道修行の動画のほとんどは夢に出そうなほどトラウマになる
ひろゆ◯仏陀「なんだろう、勝手に死んでいくのを修行の名目でやるのやめてもらってもいいですか?本当の修行は命を大事にしながらするもので、生きて帰ってこれないとわかってて死にいくのは頭が悪いんすよ」
先輩僧侶達が強すぎるんだよ。どう考えても死の航海になんざ出たくないのが当たり前だからなぁ。
ブラタモリの熊野の回で「補陀落渡海船」が紹介されていたね。真の「捨身」とはこういうものなのだろうね。出羽三山の「即身仏」もそうだし、失敗したら切腹しなければならない比叡山の「千日回峰行」もそう。
仏教ってヤバい修行いっぱいあるよな
@チャンネル登録者1919人目指す 誤字はホモ
@@user-qh4uo8ti1x 即身仏だよね
即身仏ですねぇ
@チャンネル登録者1919人目指す 1919兄貴じゃねぇか
オウムも創価も仏教😭
この時代に61歳迄生きられるってのも長寿なのでしょうね。
この時代なら平均寿命は30歳代ですね。子供の死亡率が現代とは桁違いなんですよ。子供の時って予防接種受けまくったでしょ?アレのおかげで我々は長生き出来てるんですよ…
昔は七歳までは神のうちという言葉もあったほどですからね
この頃は乳幼児の死亡率が高かったのでそれが平均寿命を下げており、ある程度成長すれば60才台まで生きるのはそう珍しいことでもない。とはいえ、病気や怪我に対する有効な治療法は乏しいから、青壮年期に亡くなる人も少なくないわけですね。
一度助かっただけに、また同じことをさせられる恐怖はたまらないだろうな。地中に埋める即身仏では修行中の挫折や失敗は死刑にされたりしたらしいですね。中には身内が呼吸用と確認用の細い筒に、最後に好きなものを食べさせたいと思ったのか筒にお萩が詰まってそれで窒息死した例もあるとか。仏教に限らず、災いから逃れるため、神に捧げるためと人身御供は世界各地でされてきてますよね。
一度やって不可抗力で戻ってきたら、もう二回目は無しにしてやれよ。
そうはいかない。
補陀落渡海記、何度も読みました。これまで渡海した僧侶たちは名声欲の為や狂人だったり病で死期が近かったり世を儚んでたりした人が多くすべてが教義の為ではなかった様。ただこの話の金光坊のお世話をしていた若い僧侶が、金光坊後に最後の渡海者になったと物語を〆られていたので 若い僧侶は師匠の姿から何かを学んだのかも知れない。無意味な因習が無くなって良かった。
やっぱり日本って大人数のために1人が犠牲になるとかが美化されがちだよね。それがなんか宗教にも現れてる気がする。
「日本って」
客集めの駒だよ
人って漢字は支え合ってるんじゃなく片方が寄りかかってるていうひねくれの言葉を思い出した
お前は日本のなにを知ってる?わかったように語るな
自己犠牲というか、大勢を救う為に一人が死ぬことを美化する文化は、どちらかといえばアメリカにあるよ
あの世へ航海かぁ...後悔のないように生きないと行けない😭
パクコメ乙
@@私は身長伸ばす 2代目タニマニチンポーって人が先かいてます。
@@私は身長伸ばす 確率的に とか 確定的な とかそれっぽい言葉使ってるの最高にキモい
パクることの何が問題があるのか私には理解に苦しむね
@@穴堀進 確かに、そうですね。すみませんでした。
円楽「歌丸も渡海で大海へと....😔」歌丸「山田くん!全部持っていきなさい!!💢💢😡😡」
人間に生存本能がある以上、『煩悩を完全に消し去る』などという事は不可能。釈迦が教えてもないような独特の教えで姥捨て山状態の行為は悲しいね。
姥捨というよりは人身御供
集団による殺人にしか見えません。歴史を現在の尺度でみてはいけないのは分からないのではないですが。
これは「即身成仏」と同じだ。
歴代の僧侶たちはみんな観音様に会えると信じて航海へ旅立って行ったのに対してこの僧侶だけは死ぬことをわかっていたんだな現代の価値観から見ると「気づけて偉い」って思っちゃうけど、当時は通用しなかったんだろうな
信仰の力の怖いのは希望とか生きる原動力へとなる正へと結びつく事もあれば偏った信仰心により本来救うべき存在となる民や信仰を追求する者を不幸へと導く負へ傾く危うさも秘めている所ですからね、このお坊さんは早い段階で気が付いていたから気が付いた時点でお坊さんを貫くのはキツイだろうから早めに還俗(僧を辞める事を指します)した方が幸せだったかも知れませんし変な遺恨を残す事もなかったでしょうが亡くなった事でこの荒業の在り方が問われて改変され後任からの犠牲者が出る流れを食い止めたので結果としては多くの人を助ける為の犠牲だったのかな?とも思えます。
いや、さすがに25人もいれば、半分以上はこれは死ぬための儀式と認識はしていたでしょう。ただし、こうして死ぬことで極楽浄土へ誘われるとか、仕方のない伝統だとか、寺の為の犠牲になるのだとか、僧侶の死はこうして完結されるなどの理由で割り切って臨んだ方が大半だと思われます。61歳まで生きること自体が珍しい時代、福利厚生があるわけでもなし、人生を完結させる意味で誰の迷惑にもならないように死ぬというのは安楽死にも通じるかもですね。あとそんなに嫌なら逃げたら?という発想も、現代の発想なのでしょうね。当時、生まれた土地を離れて、縁もゆかりもない地域で生きられたかどうか。
当時の平均寿命を考えると61歳はかなりのご高齢かと
なにが偉いのか
当時の価値観を誤りと決めつけるのは止めたほうがいい
今の時代に生まれてよかった・・・。
今自殺してる人間の方が多いと思うよ
それな
寿司ペロのガキはこれやったら許してやる
死にたくない人を無理やり乗せたらもう殺人だよね。
井上靖さんの「補陀落渡海記」という小説に詳しく描写してあります。
61歳という一定の年齢になって死地に赴くというのが、姥捨て山に通じるものを感じる
どっちかというと生贄的な
戦国時代の61歳は今の80代みたいなもんだし、高齢者の口減らしのための行事だったんかな···。
この当時の仏教は今で言うカルト集団と変わらない気もしてきた
最後の船には鳥居がついていないの怖いw
神道なのか仏教なのか
@@raptan9 習合したんでしょ(適当)
@@raptan9 昔は『神は仏様の化身』って考えでお寺にも鳥居がある事が多かった。というか、神社とお寺を一緒に建てる事が多かった。現代のお寺と神社がバラバラなのは明治時代に発令された「神仏分離令」のため。なんか政治的な理由で分離したらしいよ
即身仏の動画に出た寺とは別か61とは思えんほど若い和尚だ
室町時代の公卿「万里小路冬房」は朝廷から准大臣の称号と最高官位の正一位に次ぐ従一位を叙位されたにも関わらず、応仁の乱が自身にとって苦になりそれらを捨ててまで補陀落渡海をしています…
死んだ祖母が地獄極楽この世にござると言ってたなぁ 自分は特別な修行をしなくともこの世で生き抜く事が修行だと思ってる。
ちょっと違うかもしれないけれど、自分は「人生、生きてるだけで丸儲け」と思っている。この言葉を言ったのが偉人ではなく明石家さんまなのがアレだけど w
ほんとくだらない慣習だったと思う価値観が違いすぎてアレだけど、なにかにすがる人間って恐ろしいよな日本は無宗教だから平和なのだとつくづく思う
約10年程前、たまたまこのお寺に参拝した。確か、口減らしの意味もあったと聞いたと思います。
那智駅前のきれいな浜辺から渡海されたと思うといたたまれません。あの浜辺に腰を下ろすと、なんだか落ち着くのにね。
やっぱり、我々凡人は出来るだけ人に迷惑かけず自然のまま寿命を全うする事が浄土に通じる道なのかもね
この「ヨロリ」という魚は「クロシビカマス」と呼ばれる魚で、水深200メートルに生息する魚。釣れたら、なめろうにして食べてますが、美味いですよ。
1:35秒あたりの民衆、一人だけ着物が左前ってことはもうこの世の人では・・・
これは怖いな、僕も死にたくない…金光坊さん可哀想…
下弦のヤツらも死にたくなかったと思う件
分からん、俺らは現代日本という、衣食住が安定し娯楽にも困らない環境で生きてるから、氏ぬのは怖いが、この時代だとそうとは限らないかも。
あの世へ航海かぁ..後悔無いようにしないと..
うん
航海する前提なの公開していくスタイル
@りーこ りーこ お前公開してみ?後悔すんぞ
パクコメおつ
@@大塚フォーチュンクッキー パクコメされてるんだよ笑
1:23そこに剣を抜刀する音を入れればww
5秒だけ時間をやる...お前ら自分の両腕に別れを告げろ。
これはこの人が正常
戦国時代の堺一般人も世をはかなんで(平均寿命25歳)熊野まで危なくて行けないから、港から「補陀落渡海」と入水が盛んだった。と宣教師が書いてます。今とは違う価値観なのでしょう。
何かの力に目覚めて嵐を呼んで舟を壊した、と思ったら。役人に負けて単なる偶然だったことに気づいた。
ウシジマ君を定期で上げてる方ですね。流石です
いつの時代も自分の力で切り開いていけず神に祈る様になったら終わり。世の中そんな甘くないから地道に生きるしかない。
怖がってる時点でまだ悟りを開いてないな
和尚さんに罰当たりをしなければこうならなかったのになぁ😖
こんな生贄信仰は馬鹿気てる。どんなに犠牲を払っても苦難はあるし、人は勝手に幸福になる。そんなものです。
だからこそ尊敬されるんだろうな
即身仏の話かと思ったら、こんな儀式もあったのかとビックリしたよ。
即身仏とどっちが辛いんやろうな…でもその時代に61歳まで生きれたんやまだ救いはあったやろうさ…でも稀に90歳位まで天珠を全うする人も居たとか…
昔の平均寿命が低いのは子供が大人になれずに死ぬのが多かったからで普通に老人はいましたよ。
補陀洛山寺に復元された渡海船が展示されてて、自分が僧侶の立場やったら…と思ったらめちゃくちゃ怖くなった、、、
凄まじい修行の年月なので、こんな風にならないんじゃないかな。
やっぱ昔の修行こえー
僧侶は常人では駄目なんだ常軌を逸脱していなければならないんだそして狂ってなければいけない
こうやって勝手に解釈して教祖の教えが曲がって歪んで変なものに化けていく。
くだらないって思う。そんな1人の命で何が救われるんだろう。たった1人の命で救われる苦難なら大勢が動けばなんとかなるんでないのかな…
そう考えると「頭が悪い」って罪ですよね。。頭が悪いから宗教なんか信じちゃうんだし。
正社員の同僚が『寿退社しま〜す』と触れて回っていたが旦那はコロナで収入が減り共働きを余儀なくされていたことを私は知っている。もはや今更『辞めません』とは言い出せず引きつった笑顔で辞めていったよ。
時期が近づくにつれて最初にはじめたヤツ誰だよってなりそう。。上手いこと何処かに流れついた人が他にもいそうだけどね。。
仏陀「え…こんな事言ってない…怖わ…」
仏陀は苦行した結果、苦行を否定して中道が良いと言ってるもんね。あと、全然悟ってないこの人にこんな事をやらせるのは無意味だと仏陀も思うと。
教育や時代背景ですべてが決まる
酒好き肉好き女好きショタ好きの生臭坊主がいるかと思えば、千日回峰行や即身仏や補陀落渡海の様な極端な苦行するドストイックな僧侶もいたんだな。もっとバランスの良い人はおらんのかw
バランスの良いまっとうな人紹介しても動画のネタにならんのやろなぁ…
仏陀が言ってた中道はどこに。
Fgoの武蔵坊弁慶の宝具、『五百羅漢補陀落渡海』にも同じ名前があるなぁ
穴に埋められてやるものも知ってるけど同じくらいえぐいな
私は補蛇落仙寺に行って来ました。復元された渡海船は思っていたより小さい船でした。
住職界の姥捨て山的な感じに思えた💦
1:01 なんで仏門の坊主が、神道の鳥居を設えるんだ??🤔
即身成仏と言いコレと言い恐ろしいな
悟り開いたらどうなるか体感してみたいな
航海して後悔したか...
そしてその動画を公開したと
んな人間一人の命で生活が豊かになるもんかい
なんかFMシアターでこんな感じのお話あったな、懐かし
漫画家の諸星大二郎先生も題材にしてたっけ。絶対に補陀落に行けなかったに違いない、あの坊主は何処に流れて行ったんだろ?
これをやることで、流行り病がこの世から消えるとかそんな風に思ってたんやろ?
めちゃめちゃ地元だ…
やはり自分を助けてくれるのは自分自身のみ。幻想に過ぎない神仏に縋るなど以ての外だな。
即身仏と同じだと思いました。
人それぞれの考え方はあると思うんだけど、実際に即身仏という名の自殺行為が行われていたなんて馬鹿げてると思う
これがあたりまえだったから拒否できないから恐ろしい😫
船に乗ってるお坊さん「あの世に航海☆ただいま後悔☆でも今更帰れない☆(遺言)」
お師匠様〜、お船に乗って極楽浄土へ〜!単なる口減らしやん。船が風で煽られて帰着する人もいたらしい。でもまた船に載せられて二度目のお見送り。
このお寺、和歌山にあるよね。船の実物大模型もあったはず。
この題材を使ったレディースコミックを読んだことがあります。その漫画のラストも凄惨極まるものでしたけれど実際の方々の心情は如何ばかりか・・・
安武わたる先生の漫画ですか?
@@ぞんびぞんび-w9i はい、そうです。
無人島なのに役人がいるのか
千日回峰行は厳しいが成功したら生き残れるけど、これは死しかないな。
だから修行僧は懐に自決用の短刀を忍ばせてるんだ。
今の時代から見ると宗教ってのはハマり過ぎてはいけない物だと改めて思いますね。
小説で読んだ。゚(゚´ω`゚)゚。すごいよなぁ〜
ほんとすごいよね!(*´▽`*)
ヤメロー シニタクナイー!シニタクナイー!
神が本当にいるなら自分を信仰している人が命を捧げることをどう思っているんだろうね‥
補陀落渡海ってなんか聞いたことあるなと思ったら、パプリカだった
安全保障の補陀落渡海はカニも夢見る非線形!いざ行か〜ん!
これ現代で行ったら監禁罪と殺人罪に問われる。
こんな恐ろしい慣習のある寺が、よくぞ何百年も潰れずに存続し続けたものだと感心させられる。常識で考えれば、こんな恐ろしい慣習がある寺にわざわざ入門する僧侶なんかいないと思うんだが。もっとも、動画の説明によると、昔は苦悩に満ちたこの世に嫌気がさして早く死にたいと望む人が多かったそうだから、名誉ある補陀落渡海を目指してこの寺に入門する人もそれなりにいたのかという気もしないでもないかも……。
江戸時代以前なんて、頭と体をフルに動かせてようやく、"野垂れ氏にせずに済む"という生活ですからね。現代日本だと、余程運が悪くない限り経験する事のない人生です。
海に流されるのが「補陀落渡海」地に埋められるのが「即身仏」
即身仏ではなく土中行と言います
♪どうせこの世は補陀落航海 ホンダカラ ホンダカラ ホンダカ ホダラク ホーイホイ
琉球に流れ着いて生きながらえて、そこで布教活動を行った僧侶も居るみたいね
徳を積んでたんやろな
琉球王国時代に徳の高いお坊様がいらっしゃったようです。
しかし、下手を打ち粟国島へ流刑にされましたが洞穴をお寺にして余生を過ごしたそうな。
粟国島ではそれを洞寺と呼び、その地のものを石一つでも持ち出したら気が狂う程の天罰があるという聖地までなっています。
類い稀な運と生命力、霊力からもしかしたらおっしゃる通りなのかもと思いました。
仏陀「すいません、自分そんな修行しろとは一言も言ってないんですが……」
神「何やってんだコイツら…(ドン引き)」
あの、生命を粗末にするのやめてもらっていいですか
仏「悟り?なんだそれは?」
基督「何やってんだあのハゲ」
人間の命を粗末にしているのは、人間たちって業
本来、仏の教えは生きる為にある‼️
仏に仕える身でありながら「生きたい」という煩悩がそうさせたんだと納得できる
生きたいも煩悩なのか…ちょっと怖いな
@@レッドリボン軍上級兵 そもそも仏教は、人間が生きて、生まれ変わる度に感じる、生、老、病、死の苦悩から解放されるために、輪廻転生の輪から解脱するって言う教えだからね。苦悩が漂う現世に残りたいって言うのは煩悩になる
@@ララァ-r6i なるほど
死んだ後があるかもわからないけどね、
ただ、「生きたい」と言うのはあらゆる生物の本能ですからね…
それを越えた所に悟りがあるって所なんでしょうか。
…私は悟りたく無いなぁ。
井上靖の小説で読んだばかりなので、漫画化してくれて嬉しい…
今の時代、飛行機に乗って観音様がやって来る。You Tubeで説法や般若心経等の講義も聴ける。良い時代になったものだ。南無観世音菩薩。
どこの誰が、こういうの言い出すんだろ?お釈迦様は、無意味な苦行は意味がないと語ってたのに・・・
輪廻転生があるので無意味にならないという解釈が入ってまして、あと土着信仰として道教なんかもあり生贄という文化がミックスしていると何かで読んだ気がするんです
簡単な話直系の弟子が居なくなると色々確変されたりするからな
@@kathuyaaa-1115ということは本質的に「宗教」というものに問題がありそうですね。それには釈迦も気づけなかった。
@user-ol2ik5jb5b スジャータだったかに助けられて一命を取り留めたときに悟ったんだっけ
こんな事に意味はないと
「すごい苦労をすれば報われるはずだ」という思い込みがあるんでしょう。
仏「俺こんな修行編み出した覚えねえぞ?」
草
こんな修行が!即身仏は聞いた事はあったけどこれは初耳😲
現代の価値観からすればとても肯定できない事ですが、周囲の人の作る空気やずっと続けてきた伝統という空気
空気を読まなければいけない空気という謎ルールの存在は現代日本でも言えることですね。
鳥居を備えたデザインが神仏習合のあり方を提示してる
明治までは自然にあったんだよな
地獄少女の三途の川にも鳥居の描写ありますよ⛩
廃仏毀釈は最悪の政策だった
四天王寺はいまでも。玉置神社は寺の鐘を残している。関東でも名残のある神社や寺院が散見される。
といいますか、人が亡くなった後、お経で・・・というのが一般的だけど、それは仏教だからで、実は神社も神道方式あるから。
つまり、元は別々の宗教なのに・・・という話。
高尾山にもあるよ。
これ厨二心でカッケェーーーって思って文芸部だったからコンクールの作品に補陀落テーマに詩を書いたら「日が強いほど影が濃くなるように生命の輝きが強い分死の色も濃くなるのかも」みたいな真剣な講評されてただの厨二心なんです……ってなった思い出
死の影が濃い分、生命の輝きが強くなる って言い換えた方が伝わり易いと思います。
でも、案外本心でカッコ良いと思った事をアウトプットする方が良いものができるのかもしれませんね。
詩とは迸る感情を言葉や文字にしたものだし、あなたの厨二もその講評もどちらも間違ってないと思う。
中二じゃなくて厨二なのが良き。
1:56 尊敬していた人にもう会えないのは悲しい...
徳川家康は臭い
体臭がキツ過ぎる
顔を見ただけで吐きそう
一度も風呂はいってなさそう
@@たーけー武田 くさ
死を代償とした仏道修行の動画のほとんどは夢に出そうなほどトラウマになる
ひろゆ◯仏陀「なんだろう、勝手に死んでいくのを修行の名目でやるのやめてもらってもいいですか?
本当の修行は命を大事にしながらするもので、生きて帰ってこれないとわかってて死にいくのは頭が悪いんすよ」
先輩僧侶達が強すぎるんだよ。
どう考えても死の航海になんざ出たくないのが当たり前だからなぁ。
ブラタモリの熊野の回で「補陀落渡海船」が紹介されていたね。
真の「捨身」とはこういうものなのだろうね。出羽三山の「即身仏」もそうだし、失敗したら切腹しなければならない比叡山の「千日回峰行」もそう。
仏教ってヤバい修行いっぱいあるよな
@チャンネル登録者1919人目指す
誤字はホモ
@@user-qh4uo8ti1x
即身仏だよね
即身仏ですねぇ
@チャンネル登録者1919人目指す 1919兄貴じゃねぇか
オウムも創価も仏教😭
この時代に61歳迄生きられるってのも長寿なのでしょうね。
この時代なら平均寿命は30歳代ですね。
子供の死亡率が現代とは桁違いなんですよ。
子供の時って予防接種受けまくったでしょ?
アレのおかげで我々は長生き出来てるんですよ…
昔は七歳までは神のうちという言葉もあったほどですからね
この頃は乳幼児の死亡率が高かったのでそれが平均寿命を下げており、ある程度成長すれば60才台まで生きるのはそう珍しいことでもない。とはいえ、病気や怪我に対する有効な治療法は乏しいから、青壮年期に亡くなる人も少なくないわけですね。
一度助かっただけに、また同じことをさせられる恐怖はたまらないだろうな。
地中に埋める即身仏では修行中の挫折や失敗は死刑にされたりしたらしいですね。
中には身内が呼吸用と確認用の細い筒に、最後に好きなものを食べさせたいと思ったのか
筒にお萩が詰まってそれで窒息死した例もあるとか。
仏教に限らず、災いから逃れるため、神に捧げるためと人身御供は世界各地でされてきてますよね。
一度やって不可抗力で戻ってきたら、もう二回目は無しにしてやれよ。
そうはいかない。
補陀落渡海記、何度も読みました。
これまで渡海した僧侶たちは名声欲の為や狂人だったり病で死期が近かったり世を儚んでたりした人が多くすべてが教義の為ではなかった様。
ただこの話の金光坊のお世話をしていた若い僧侶が、金光坊後に最後の渡海者になったと物語を〆られていたので 若い僧侶は師匠の姿から何かを学んだのかも知れない。無意味な因習が無くなって良かった。
やっぱり日本って大人数のために1人が犠牲になるとかが美化されがちだよね。それがなんか宗教にも現れてる気がする。
「日本って」
客集めの駒だよ
人って漢字は支え合ってるんじゃなく片方が寄りかかってるていうひねくれの言葉を思い出した
お前は日本のなにを知ってる?わかったように語るな
自己犠牲というか、大勢を救う為に一人が死ぬことを美化する文化は、どちらかといえばアメリカにあるよ
あの世へ航海かぁ...
後悔のないように生きないと行けない😭
パクコメ乙
@@私は身長伸ばす 2代目タニマニチンポーって人が先かいてます。
@@私は身長伸ばす 確率的に とか 確定的な とかそれっぽい言葉使ってるの最高にキモい
パクることの何が問題があるのか私には理解に苦しむね
@@穴堀進 確かに、そうですね。すみませんでした。
円楽「歌丸も渡海で大海へと....😔」
歌丸「山田くん!全部持っていきなさい!!💢💢😡😡」
人間に生存本能がある以上、『煩悩を完全に消し去る』などという事は不可能。
釈迦が教えてもないような独特の教えで姥捨て山状態の行為は悲しいね。
姥捨というよりは人身御供
集団による殺人にしか見えません。
歴史を現在の尺度でみてはいけないのは分からないのではないですが。
これは「即身成仏」と同じだ。
歴代の僧侶たちはみんな観音様に会えると信じて航海へ旅立って行ったのに対して
この僧侶だけは死ぬことをわかっていたんだな
現代の価値観から見ると「気づけて偉い」って思っちゃうけど、当時は通用しなかったんだろうな
信仰の力の怖いのは希望とか生きる原動力へとなる正へと結びつく事もあれば偏った信仰心により本来救うべき存在となる民や信仰を追求する者を不幸へと導く負へ傾く危うさも秘めている所ですからね、このお坊さんは早い段階で気が付いていたから気が付いた時点でお坊さんを貫くのはキツイだろうから早めに還俗(僧を辞める事を指します)した方が幸せだったかも知れませんし変な遺恨を残す事もなかったでしょうが亡くなった事でこの荒業の在り方が問われて改変され後任からの犠牲者が出る流れを食い止めたので結果としては多くの人を助ける為の犠牲だったのかな?とも思えます。
いや、さすがに25人もいれば、半分以上はこれは死ぬための儀式と認識はしていたでしょう。ただし、こうして死ぬことで極楽浄土へ誘われるとか、
仕方のない伝統だとか、寺の為の犠牲になるのだとか、僧侶の死はこうして完結されるなどの理由で割り切って臨んだ方が大半だと思われます。
61歳まで生きること自体が珍しい時代、福利厚生があるわけでもなし、人生を完結させる意味で誰の迷惑にもならないように死ぬというのは安楽死にも通じるかもですね。
あとそんなに嫌なら逃げたら?という発想も、現代の発想なのでしょうね。当時、生まれた土地を離れて、縁もゆかりもない地域で生きられたかどうか。
当時の平均寿命を考えると61歳は
かなりのご高齢かと
なにが偉いのか
当時の価値観を誤りと決めつけるのは止めたほうがいい
今の時代に生まれてよかった・・・。
今自殺してる人間の方が多いと思うよ
それな
寿司ペロのガキはこれやったら許してやる
死にたくない人を無理やり乗せたらもう殺人だよね。
井上靖さんの「補陀落渡海記」という小説に詳しく描写してあります。
61歳という一定の年齢になって死地に赴くというのが、姥捨て山に通じるものを感じる
どっちかというと生贄的な
戦国時代の61歳は今の80代みたいなもんだし、高齢者の口減らしのための行事だったんかな···。
この当時の仏教は今で言うカルト集団と変わらない気もしてきた
最後の船には鳥居がついていないの怖いw
神道なのか仏教なのか
@@raptan9 習合したんでしょ(適当)
@@raptan9 昔は『神は仏様の化身』って考えでお寺にも鳥居がある事が多かった。というか、神社とお寺を一緒に建てる事が多かった。現代のお寺と神社がバラバラなのは明治時代に発令された「神仏分離令」のため。なんか政治的な理由で分離したらしいよ
即身仏の動画に出た寺とは別か
61とは思えんほど若い和尚だ
室町時代の公卿「万里小路冬房」は朝廷から准大臣の称号と最高官位の正一位に次ぐ従一位を叙位されたにも関わらず、応仁の乱が自身にとって苦になりそれらを捨ててまで補陀落渡海をしています…
死んだ祖母が地獄極楽この世にござると言ってたなぁ 自分は特別な修行をしなくともこの世で生き抜く事が修行だと思ってる。
ちょっと違うかもしれないけれど、自分は「人生、生きてるだけで丸儲け」と思っている。この言葉を言ったのが偉人ではなく明石家さんまなのがアレだけど w
ほんとくだらない慣習だったと思う
価値観が違いすぎてアレだけど、なにかにすがる人間って恐ろしいよな
日本は無宗教だから平和なのだとつくづく思う
約10年程前、たまたまこのお寺に参拝した。確か、口減らしの意味もあったと聞いたと思います。
那智駅前のきれいな浜辺から渡海されたと思うといたたまれません。あの浜辺に腰を下ろすと、なんだか落ち着くのにね。
やっぱり、我々凡人は出来るだけ人に迷惑かけず自然のまま寿命を全うする事が浄土に通じる道なのかもね
この「ヨロリ」という魚は「クロシビカマス」と呼ばれる魚で、水深200メートルに生息する魚。釣れたら、なめろうにして食べてますが、美味いですよ。
1:35秒あたりの民衆、一人だけ着物が左前ってことはもうこの世の人では・・・
これは怖いな、僕も死にたくない…金光坊さん可哀想…
下弦のヤツらも死にたくなかったと思う件
分からん、俺らは現代日本という、衣食住が安定し娯楽にも困らない環境で生きてるから、氏ぬのは怖いが、この時代だとそうとは限らないかも。
あの世へ航海かぁ..後悔無いようにしないと..
うん
航海する前提なの公開していくスタイル
@りーこ りーこ お前公開してみ?後悔すんぞ
パクコメおつ
@@大塚フォーチュンクッキー パクコメされてるんだよ笑
1:23そこに剣を抜刀する音を入れればww
5秒だけ時間をやる...お前ら自分の両腕に別れを告げろ。
これはこの人が正常
戦国時代の堺
一般人も世をはかなんで(平均寿命25歳)熊野まで危なくて行けないから、港から「補陀落渡海」と入水が盛んだった。
と宣教師が書いてます。
今とは違う価値観なのでしょう。
何かの力に目覚めて嵐を呼んで舟を壊した、と思ったら。
役人に負けて単なる偶然だったことに気づいた。
ウシジマ君を定期で上げてる方ですね。流石です
いつの時代も自分の力で切り開いていけず神に祈る様になったら終わり。世の中そんな甘くないから地道に生きるしかない。
怖がってる時点でまだ悟りを開いてないな
和尚さんに罰当たりをしなければこうならなかったのになぁ😖
こんな生贄信仰は馬鹿気てる。
どんなに犠牲を払っても苦難はあるし、人は勝手に幸福になる。そんなものです。
だからこそ尊敬されるんだろうな
即身仏の話かと思ったら、こんな儀式もあったのかとビックリしたよ。
即身仏とどっちが辛いんやろうな…
でもその時代に61歳まで生きれたんやまだ救いはあったやろうさ…
でも稀に90歳位まで天珠を全うする人も居たとか…
昔の平均寿命が低いのは子供が大人になれずに死ぬのが多かったからで普通に老人はいましたよ。
補陀洛山寺に復元された渡海船が展示されてて、自分が僧侶の立場やったら…と思ったらめちゃくちゃ怖くなった、、、
凄まじい修行の年月なので、こんな風にならないんじゃないかな。
やっぱ昔の修行こえー
僧侶は常人では駄目なんだ
常軌を逸脱していなければならないんだ
そして狂ってなければいけない
こうやって勝手に解釈して教祖の教えが曲がって歪んで変なものに化けていく。
くだらないって思う。そんな1人の命で何が救われるんだろう。たった1人の命で救われる苦難なら大勢が動けばなんとかなるんでないのかな…
そう考えると「頭が悪い」って罪ですよね。。
頭が悪いから宗教なんか信じちゃうんだし。
正社員の同僚が『寿退社しま〜す』と触れて回っていたが旦那はコロナで収入が減り共働きを余儀なくされていたことを私は知っている。もはや今更『辞めません』とは言い出せず引きつった笑顔で辞めていったよ。
時期が近づくにつれて最初にはじめたヤツ誰だよってなりそう。。
上手いこと何処かに流れついた人が他にもいそうだけどね。。
仏陀「え…こんな事言ってない…怖わ…」
仏陀は苦行した結果、苦行を否定して中道が良いと言ってるもんね。
あと、全然悟ってないこの人にこんな事をやらせるのは無意味だと仏陀も思うと。
教育や時代背景ですべてが決まる
酒好き肉好き女好きショタ好きの生臭坊主がいるかと思えば、千日回峰行や即身仏や補陀落渡海の様な極端な苦行するドストイックな僧侶もいたんだな。もっとバランスの良い人はおらんのかw
バランスの良いまっとうな人紹介しても動画のネタにならんのやろなぁ…
仏陀が言ってた中道はどこに。
Fgoの武蔵坊弁慶の宝具、『五百羅漢補陀落渡海』にも同じ名前があるなぁ
穴に埋められてやるものも知ってるけど同じくらいえぐいな
私は補蛇落仙寺に行って来ました。復元された渡海船は思っていたより小さい船でした。
住職界の姥捨て山的な感じに思えた💦
1:01 なんで仏門の坊主が、神道の鳥居を設えるんだ??🤔
即身成仏と言いコレと言い恐ろしいな
悟り開いたらどうなるか体感してみたいな
航海して後悔したか...
そしてその動画を公開したと
んな人間一人の命で生活が豊かになるもんかい
なんかFMシアターでこんな感じのお話あったな、懐かし
漫画家の諸星大二郎先生も題材にしてたっけ。
絶対に補陀落に行けなかったに違いない、あの坊主は何処に流れて行ったんだろ?
これをやることで、流行り病がこの世から消えるとかそんな風に思ってたんやろ?
めちゃめちゃ地元だ…
やはり自分を助けてくれるのは自分自身のみ。幻想に過ぎない神仏に縋るなど以ての外だな。
即身仏と同じだと思いました。
人それぞれの考え方はあると思うんだけど、実際に即身仏という名の自殺行為が行われていたなんて馬鹿げてると思う
これがあたりまえだったから拒否できないから恐ろしい😫
船に乗ってるお坊さん「あの世に航海☆ただいま後悔☆でも今更帰れない☆(遺言)」
お師匠様〜、お船に乗って極楽浄土へ〜!
単なる口減らしやん。
船が風で煽られて帰着する人もいたらしい。でもまた船に載せられて二度目のお見送り。
このお寺、和歌山にあるよね。
船の実物大模型もあったはず。
この題材を使ったレディースコミックを読んだことがあります。その漫画のラストも凄惨極まるものでしたけれど実際の方々の心情は如何ばかりか・・・
安武わたる先生の漫画ですか?
@@ぞんびぞんび-w9i
はい、そうです。
無人島なのに役人がいるのか
千日回峰行は厳しいが成功したら生き残れるけど、これは死しかないな。
だから修行僧は懐に自決用の短刀を忍ばせてるんだ。
今の時代から見ると宗教ってのはハマり過ぎてはいけない物だと改めて思いますね。
小説で読んだ。゚(゚´ω`゚)゚。
すごいよなぁ〜
ほんとすごいよね!(*´▽`*)
ヤメロー シニタクナイー!シニタクナイー!
神が本当にいるなら自分を信仰している人が命を捧げることをどう思っているんだろうね‥
補陀落渡海ってなんか聞いたことあるなと思ったら、パプリカだった
安全保障の補陀落渡海はカニも夢見る非線形!いざ行か〜ん!
これ現代で行ったら監禁罪と殺人罪に問われる。
こんな恐ろしい慣習のある寺が、よくぞ何百年も潰れずに存続し続けたものだと感心させられる。
常識で考えれば、こんな恐ろしい慣習がある寺にわざわざ入門する僧侶なんかいないと思うんだが。
もっとも、動画の説明によると、昔は苦悩に満ちたこの世に嫌気がさして早く死にたいと望む人が
多かったそうだから、名誉ある補陀落渡海を目指してこの寺に入門する人もそれなりにいたのかと
いう気もしないでもないかも……。
江戸時代以前なんて、頭と体をフルに動かせてようやく、"野垂れ氏にせずに済む"という生活ですからね。
現代日本だと、余程運が悪くない限り経験する事のない人生です。
海に流されるのが「補陀落渡海」
地に埋められるのが「即身仏」
即身仏ではなく土中行と言います
♪どうせこの世は補陀落航海 ホンダカラ ホンダカラ ホンダカ ホダラク ホーイホイ