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素晴らしい風景ですね、今は見る影も無いかもしれませんね!
原野やジャングルになっているような。
素晴らしい映像です!北海道の鉄道が段々と無くなってしまいましたが、せめて映像を残してくれた鉄道ファンに感謝です!🤩
標津線の廃線跡は歩いきました。現役時の貴重な映像ですね。ありがとうございます。
廃線跡の映像いつも拝見しています。近いところの廃線跡は時々見に行きますが、標津線の廃線跡は、まだ一度しか見に行っていません。廃線鉄道寮さんの映像楽しみにしています。
恒久的にこのような映像とって置いて欲しい、北海道の鉄道のある意味原点、西南の役でも有るから、
45年前、高校の夏休みの宿題で、時刻表を使って北海道一周の旅行計画を作成した記憶があります。 車での旅は経験しましたが、鉄道の旅は風情があって良いですね。 貴重な映像を有難うございます。
標津線はのんびり旅ができて良いところでした。
廃線までに一度は乗ってみたかったですが、当時は札幌でしたのでちょっと遠かったです。
私も札幌ですが、行くのは大変でしたね。夜行列車が有ったので助かりました。最後は周遊券を買って廃線になる路線を乗ってまわりました。
札幌から急行狩勝B寝台で釧路へ、急行しれとこに乗り継いで根室標津へ、急行だけどキハ22。折返し中標津から厚床へ。別海で下車印を押してもらったから別海に駅員が居た時代です。
最初に標津線乗ったのはキハ22でした。別海駅は廃線前まで有人駅でした。先輩がここの出身者だったので、当時の西別駅と駅名が別海駅になる時に入場券を買って来てもらいました。
すばらしい記録映像を、ありがとうございました。令和3年1月13日投稿。
かろうじて最後の記録を残せました。
鉄ちゃんの自分は中標津に住んでた事もあり、休日とか標津線廃線跡を、ドライブしながら目で追ったりしてました。このアップはとても楽しくありがたいです。
今では廃線跡がどこに有ったのかわからないくらい原野に還っている所も多くなりましたね。10年以上前になりますが中標津へ行った時に、途中の景色を見ながらここら辺に駅が有ったはずなのにって探してもわからなかったりしました。
とても懐かしい動画のアップありがとうございます。1984年頃乗車したのが最後でした。
懐かしいですね。もう廃線から27年もたってしまいました。今では線路跡が判らない所も多くなりました。
標津線のDD16は、貨物列車や混合列車として営業していました。信州の小海線、飯山線、明知線、太多線、越美南線、三江線、山陰本線長門市から仙崎、九州の日南線、志布志線、大隅線、指宿枕崎線、山野線、妻線、高森線、高千穂線、添田線等で貨物列車や混合列車として営業しました。
このDD16は標津線の廃線後に苗穂工場の入換機関車としてしばらく使われました。ラッセル車も一緒に苗穂工場に持って来て保存されてましたが、残念ながら解体されてしまいました。
訪問しました。奥行臼駅、上武佐駅等の訪問は果たしましたが、光進駅や上春別駅等は天候の影響もあり、訪問が果たせず残念な気持ちでいっぱいです。いつか必ず再訪したいと思っています。
奥行臼駅は廃線前の時より綺麗に残っているような気がします。簡易軌道の車両も近くに保存されていたのに、当時は気づかずに見ていませんでした。動態復活の話も出ていて再度訪問したいです。
6月廃線訪問予定です。まるでジェットコースターみたいな感覚ですね。
いいですね。根室標津に行って来たいな。
別な話だけど、標津線が接続していた花咲線やさらに帯広~釧路間でさえ現在の街の雰囲気からして、JRの言うように存続難しいように感じる。北海道から鉄道がどんどん消えていくんだろうな、、、
道内の地方路線は数年前の列車本数削減で、乗客離れが加速しました。乗ろうとしても列車が無い。行っても帰って来れない。
標津線 1933年開業 1989年廃止。この56年間は 北海道の地方線としては長い方かもしれない。道東の標茶~根室標津 途中で支線の中標津~厚床を含んでいた。この地こそ北海道らしい広大な酪農地帯 ゆるやかな丘陵に牛が草を食む。
沿線はのどかな風景でした。廃線当時は利用客もまだ結構多かったです。今も残っていても、当時より利用客減少しているだろうから廃線されちゃってますね。
見ていて悲しくなって来た。
鉄道が廃線になって、その跡が原野になってしまった所を見ると悲しくなります。
nahanifu 元駅のあった場所は開拓民が街を作った場所が殆どだから、開拓に失敗して廃墟になった場所っとも言えるね
別海駅がまだ西別駅の頃に一番よく乗っていました。昔の道内時刻表を引っ張り出してこの動画と一緒に楽しませてもらっています。白樺林の中を進んでいく列車の車窓が心地良かった事をよく覚えています。別海町の子供たちが、かわいいですね。廃線の意味わかってないだろうけど。見所満載で、飽きることがなです。
西別から別海に駅名が変わった時の記念切符を持っています。別海の子供達は、今でもこの時の事を覚えているかな?自分の町に鉄道が走っていた事を、いつまでも覚えておいて欲しいですね。
nahanifu 妹が別海の酪農家に嫁いでいました。最終日、お別れ乗車で全区間乗車して、最後は中標津から別海まで乗車しました。
中標津人口増えているのに今となってはもったいない廃止
もったいないけど今まで残っていたとしても、残念ながら廃線候補にされていたでしょう。
@@nahanifu 少子高齢化で地方は人口減少により過疎化が問題になっている中で中標津だけが日本全国から若者を集め数少ない人口増加している町だったんです。駅数を減らし釧路~中標津限定にしていれば、もしかしたら廃止は免れていたかもしれない路線と考えていました。
@@氷の恒星 人口増えても車利用が増えて、本数少ない列車に乗ってくれないですからね。数年前の大幅列車ダイヤ削減で、乗りたくても乗れない列車ダイヤにされていたかもしれないし。
@@nahanifu 最近の若者のクルマ離れも考慮して考えてみました。嫁の友達が別海出身で年に何度か別海に帰っています。その嫁の友達曰く中標津には道内だけでなく本州からも若者が集まっていて人口増えているんだとか。鉄道廃止してから飛行機だけだと少し物足りないですね。
懐かしいです。妹が別海の酪農家に嫁いでいたこともあって、標津線には何度か乗車して特別な思い入れがあったので、都内で前日の仕事を終えてから、東北新幹線で北斗星1号を追いかけて乗り換え、翌朝札幌到着後、丘珠空港から中標津空港へ飛び、標津線最終日に中標津から標茶、根室標津、厚床の三方向を往復して全区間でお別れ乗車し、最後は厚床行最終列車で中標津→別海を乗車しました。
最終日に全線乗られたんですね。もしかしたらどこかに映っているかも?廃線後は一度しか現地に行っていません。またそろそろ行ってみようかな。根室標津のC11見に行きたいし。
@@nahanifu 残念ながら、この動画には写ってなかったようです。廃線後は、中標津、別海、西春別は行きましたが、根室標津には未だ行けてないです。
このアップダウンどこかで、と思ったら富良野線がよく似てる。ディーゼル機関車が牽いてる臨時列車の寝台車、よく見たら末端用のスハネフじゃなく中間用のオハネですかね。余ってた客車を適当に繋げた感がいかにもローカル線です
急行まりもの間合い運用ですかね。編成を途中で切って使ったと思います。
スゴイ短尺レールですなあ~
30kgレールで10m物ですね。
DD16牽引というあたりで線路規格の低さが垣間見えますね
標津線は簡易線規格でした。蒸気機関車の時代はC11が走っていました。
nahanifu ちなみにその中のC11 227は、現在大井川のきかんしゃトーマス号としても活躍中。
個人的にちほく線、名寄本線に次ぐ廃止すべきでなかったと考えてる路線なんですけど別海と中標津だけ利用者が集中しててもなぁ
当時そこそこ乗客多かったですが、この時に廃線乗り越えていても、最近の不採算路線切り捨てに選ばれてしまいますね。
27年前の平成5年夏に北海道をバイクツーリングで周った際、立ち寄った中標津駅跡に朽ち果てたキハ22が置いてありましたが、30年近く経った今はどうなっているのでしょうか?ちなみにこの年の夏は全国的に大冷夏で、中標津ではオホーツク海からの冷たい東風が吹いて8月初旬の日中だというのに気温が何と13℃という有り得ない寒さで、入ったラーメン屋ではストーブをつけていました。
キハ22が置いてあったのは中標津ではなくて、終点の根室標津ですね。これは解体されました。放置されていた転車台が復元整備され、そこにC11 224が移設保存されました。C11は電動で動くようになりました。
道内のこうしたローカル線で使用されていたレールはほぼ全てが30㌔の短尺レール(10メートル)が使用されていました。残念ながら私は標津線の列車には乗る機会に恵まれませんでしたが、オホーツク海側の湧網線・名寄本線・天北線、それと少し内陸の相生線の列車には乗車しました。ちなみに当時の石北本線と宗谷本線では37㌔レールが主体で、一部で40㌔レールが使用されていたぐらいでした。
レールが短いから継ぎ目の音が賑やかでした。
14系寝台も連結してたんですね。札幌手稲からの出張だったんですね。
まりもの間合い運用だったかも?
2004年に摩周駅から中標津〜根室と車で走りましたが標津線の跡地は奥行臼駅しかわかりませんでした。現役の映像が見れて嬉しいです。大変貴重な映像だと思います
標津線跡地は自然に還っているところが多い様ですね。
7:35 キハ40にオルゴールのってたんだ!
キハ40もキハ22などと同じ物が使われています。キハ183も使っていますよ。
標津線のアップ、ありがとうございます💖光進駅から西春別駅、中標津駅、川北駅、釧路駅まで学生時代、通学で利用していました‼️懐かしい映像に涙が出ます。普段は1両または2両、たまに3両のときがあり、ドアが昇降台?から外れて、とびおりたことが何度もありました(笑)初めに映っていた青い列車、4両もあってビックリしました✨最後だったからなのでしょうか⁉️確かに中標津は賑やかな町ですし、標津駅には転車台も復活し、この遺産を残す最後のチャンスかと思います☺️鉄ヲタではないですが、駅巡り、大好きです💓♥️❤️この鉄路が観光で利用されることを希望します💖全国の鉄道ファンのかた、いいアイディアありませんかね⁉️私も何かお力になれたらと思います☺️
最初の青い列車は、さよならの臨時列車です。ホームが短いから列車が長くなるとホームにかからない事が普通でした。今ではホームにかかってない時にドアが開くと大問題にされますが、地方線ではそれが普通でしたよね。根室標津には廃線以来行っていませんが、転車台とSLを見に行きたいです。
レールが細いですが30キロレールなんでしょうか
+KEN KODA 30キロか37キロレールですね。
先人が成し遂げた偉業をもっと大切にし活かすよう現代に生きる私たちは考えなければならないと思います。
今残っている鉄路が無くなりませんように。
ディーゼル機関車が引く14系か何かの客車も見えますが、定期便のはずはないと思いますが、これは何のときの列車ですか?どういう人が乗ってた列車ですか?
これは、さよならの臨時列車です。募集した団体列車だったと思いました。アルファコンチネンタルエクスプレスも走りました。
nahanifu情報ありがとうございます。そうですか。 標津線のさよならの臨時列車ってあったのですね。その団体列車は、標津線のみ走ったのですか?普通に考えればもっと広範囲じゃないかと思いますが、どこ出発だったかとかわかりますか?札幌だったか東京(上野)だったか等々。いえ、個人的興味です。
***** 標津線内だけだったか釧路発だったか覚えていません。札幌から直接走った列車では無かったと思いました。
素晴らしい風景ですね、今は見る影も無いかもしれませんね!
原野やジャングルになっているような。
素晴らしい映像です!北海道の鉄道が段々と無くなってしまいましたが、せめて映像を残してくれた鉄道ファンに感謝です!🤩
標津線の廃線跡は歩いきました。現役時の貴重な映像ですね。ありがとうございます。
廃線跡の映像いつも拝見しています。
近いところの廃線跡は時々見に行きますが、標津線の廃線跡は、まだ一度しか見に行っていません。
廃線鉄道寮さんの映像楽しみにしています。
恒久的にこのような映像とって置いて欲しい、
北海道の鉄道のある意味原点、西南の役でも有るから、
45年前、高校の夏休みの宿題で、時刻表を使って北海道一周の旅行計画を作成した記憶があります。 車での旅は経験しましたが、鉄道の旅は風情があって良いですね。 貴重な映像を有難うございます。
標津線はのんびり旅ができて良いところでした。
廃線までに一度は乗ってみたかったですが、当時は札幌でしたのでちょっと遠かったです。
私も札幌ですが、行くのは大変でしたね。
夜行列車が有ったので助かりました。
最後は周遊券を買って廃線になる路線を乗ってまわりました。
札幌から急行狩勝B寝台で釧路へ、急行しれとこに乗り継いで根室標津へ、急行だけどキハ22。
折返し中標津から厚床へ。
別海で下車印を押してもらったから別海に駅員が居た時代です。
最初に標津線乗ったのはキハ22でした。
別海駅は廃線前まで有人駅でした。
先輩がここの出身者だったので、当時の西別駅と駅名が別海駅になる時に入場券を買って来てもらいました。
すばらしい記録映像を、ありがとうございました。令和3年1月13日投稿。
かろうじて最後の記録を残せました。
鉄ちゃんの自分は中標津に住んでた事もあり、休日とか標津線廃線跡を、ドライブしながら目で追ったりしてました。このアップはとても楽しくありがたいです。
今では廃線跡がどこに有ったのかわからないくらい原野に還っている所も多くなりましたね。
10年以上前になりますが中標津へ行った時に、途中の景色を見ながらここら辺に駅が有ったはずなのにって
探してもわからなかったりしました。
とても懐かしい動画のアップありがとうございます。1984年頃乗車したのが最後でした。
懐かしいですね。
もう廃線から27年もたってしまいました。
今では線路跡が判らない所も多くなりました。
標津線のDD16は、貨物列車や混合列車として営業していました。信州の小海線、飯山線、明知線、太多線、越美南線、三江線、山陰本線長門市から仙崎、九州の日南線、志布志線、大隅線、指宿枕崎線、山野線、妻線、高森線、高千穂線、添田線等で貨物列車や混合列車として営業しました。
このDD16は標津線の廃線後に苗穂工場の入換機関車としてしばらく使われました。
ラッセル車も一緒に苗穂工場に持って来て保存されてましたが、残念ながら解体されてしまいました。
訪問しました。奥行臼駅、上武佐駅等の訪問は果たしましたが、光進駅や上春別駅等は天候の影響もあり、訪問が果たせず残念な気持ちでいっぱいです。いつか必ず再訪したいと思っています。
奥行臼駅は廃線前の時より綺麗に残っているような気がします。
簡易軌道の車両も近くに保存されていたのに、当時は気づかずに見ていませんでした。
動態復活の話も出ていて再度訪問したいです。
6月廃線訪問予定です。まるでジェットコースターみたいな感覚ですね。
いいですね。根室標津に行って来たいな。
別な話だけど、標津線が接続していた花咲線やさらに帯広~釧路間でさえ現在の街の雰囲気からして、JRの言うように存続難しいように感じる。
北海道から鉄道がどんどん消えていくんだろうな、、、
道内の地方路線は数年前の列車本数削減で、乗客離れが加速しました。
乗ろうとしても列車が無い。行っても帰って来れない。
標津線 1933年開業 1989年廃止。
この56年間は 北海道の地方線としては長い方かもしれない。
道東の標茶~根室標津 途中で支線の中標津~厚床を含んでいた。
この地こそ北海道らしい広大な酪農地帯 ゆるやかな丘陵に牛が草を食む。
沿線はのどかな風景でした。廃線当時は利用客もまだ結構多かったです。
今も残っていても、当時より利用客減少しているだろうから廃線されちゃってますね。
見ていて悲しくなって来た。
鉄道が廃線になって、その跡が原野になってしまった所を見ると悲しくなります。
nahanifu
元駅のあった場所は開拓民が街を作った場所が殆どだから、
開拓に失敗して廃墟になった場所っとも言えるね
別海駅がまだ西別駅の頃に一番よく乗っていました。
昔の道内時刻表を引っ張り出してこの動画と一緒に楽しませてもらっています。
白樺林の中を進んでいく列車の車窓が心地良かった事をよく覚えています。
別海町の子供たちが、かわいいですね。廃線の意味わかってないだろうけど。
見所満載で、飽きることがなです。
西別から別海に駅名が変わった時の記念切符を持っています。
別海の子供達は、今でもこの時の事を覚えているかな?
自分の町に鉄道が走っていた事を、いつまでも覚えておいて欲しいですね。
nahanifu 妹が別海の酪農家に嫁いでいました。最終日、お別れ乗車で全区間乗車して、最後は中標津から別海まで乗車しました。
中標津人口増えているのに今となってはもったいない廃止
もったいないけど今まで残っていたとしても、残念ながら廃線候補にされていたでしょう。
@@nahanifu 少子高齢化で地方は人口減少により過疎化が問題になっている中で中標津だけが日本全国から若者を集め数少ない人口増加している町だったんです。
駅数を減らし釧路~中標津限定にしていれば、もしかしたら廃止は免れていたかもしれない路線と考えていました。
@@氷の恒星 人口増えても車利用が増えて、本数少ない列車に乗ってくれないですからね。
数年前の大幅列車ダイヤ削減で、乗りたくても乗れない列車ダイヤにされていたかもしれないし。
@@nahanifu 最近の若者のクルマ離れも考慮して考えてみました。嫁の友達が別海出身で年に何度か別海に帰っています。
その嫁の友達曰く中標津には道内だけでなく本州からも若者が集まっていて人口増えているんだとか。
鉄道廃止してから飛行機だけだと少し物足りないですね。
懐かしいです。
妹が別海の酪農家に嫁いでいたこともあって、標津線には何度か乗車して特別な思い入れがあったので、
都内で前日の仕事を終えてから、東北新幹線で北斗星1号を追いかけて乗り換え、翌朝札幌到着後、丘珠空港から中標津空港へ飛び、標津線最終日に中標津から標茶、根室標津、厚床の三方向を往復して全区間でお別れ乗車し、最後は厚床行最終列車で中標津→別海を乗車しました。
最終日に全線乗られたんですね。
もしかしたらどこかに映っているかも?
廃線後は一度しか現地に行っていません。
またそろそろ行ってみようかな。
根室標津のC11見に行きたいし。
@@nahanifu 残念ながら、この動画には写ってなかったようです。
廃線後は、中標津、別海、西春別は行きましたが、根室標津には未だ行けてないです。
このアップダウンどこかで、と思ったら富良野線がよく似てる。
ディーゼル機関車が牽いてる臨時列車の寝台車、よく見たら末端用のスハネフじゃなく中間用のオハネですかね。余ってた客車を適当に繋げた感がいかにもローカル線です
急行まりもの間合い運用ですかね。編成を途中で切って使ったと思います。
スゴイ短尺レールですなあ~
30kgレールで10m物ですね。
DD16牽引というあたりで線路規格の低さが垣間見えますね
標津線は簡易線規格でした。
蒸気機関車の時代はC11が走っていました。
nahanifu ちなみにその中のC11 227は、現在大井川のきかんしゃトーマス号としても活躍中。
個人的にちほく線、名寄本線に次ぐ廃止すべきでなかったと考えてる路線なんですけど別海と中標津だけ利用者が集中しててもなぁ
当時そこそこ乗客多かったですが、この時に廃線乗り越えていても、最近の不採算路線切り捨てに選ばれてしまいますね。
27年前の平成5年夏に北海道をバイクツーリングで周った際、立ち寄った中標津駅跡に朽ち果てたキハ22が置いてありましたが、30年近く経った今はどうなっているのでしょうか?ちなみにこの年の夏は全国的に大冷夏で、中標津ではオホーツク海からの冷たい東風が吹いて8月初旬の日中だというのに気温が何と13℃という有り得ない寒さで、入ったラーメン屋ではストーブをつけていました。
キハ22が置いてあったのは中標津ではなくて、終点の根室標津ですね。
これは解体されました。
放置されていた転車台が復元整備され、そこにC11 224が移設保存されました。
C11は電動で動くようになりました。
道内のこうしたローカル線で使用されていたレールはほぼ全てが30㌔の短尺レール(10メートル)が使用されていました。残念ながら私は標津線の列車には乗る機会に恵まれませんでしたが、オホーツク海側の湧網線・名寄本線・天北線、それと少し内陸の相生線の列車には乗車しました。ちなみに当時の石北本線と宗谷本線では37㌔レールが主体で、一部で40㌔レールが使用されていたぐらいでした。
レールが短いから継ぎ目の音が賑やかでした。
14系寝台も連結してたんですね。
札幌手稲からの出張だったんですね。
まりもの間合い運用だったかも?
2004年に摩周駅から中標津〜根室と車で走りましたが標津線の跡地は奥行臼駅しかわかりませんでした。現役の映像が見れて嬉しいです。
大変貴重な映像だと思います
標津線跡地は自然に還っているところが多い様ですね。
7:35 キハ40にオルゴールのってたんだ!
キハ40もキハ22などと同じ物が使われています。
キハ183も使っていますよ。
標津線のアップ、ありがとうございます💖
光進駅から西春別駅、中標津駅、川北駅、釧路駅まで学生時代、通学で利用していました‼️
懐かしい映像に涙が出ます。
普段は1両または2両、たまに3両のときがあり、ドアが昇降台?から外れて、とびおりたことが何度もありました(笑)
初めに映っていた青い列車、4両もあってビックリしました✨
最後だったからなのでしょうか⁉️
確かに中標津は賑やかな町ですし、標津駅には転車台も復活し、この遺産を残す最後のチャンスかと思います☺️
鉄ヲタではないですが、駅巡り、大好きです💓♥️❤️
この鉄路が観光で利用されることを希望します💖
全国の鉄道ファンのかた、いいアイディアありませんかね⁉️
私も何かお力になれたらと思います☺️
最初の青い列車は、さよならの臨時列車です。
ホームが短いから列車が長くなるとホームにかからない事が普通でした。
今ではホームにかかってない時にドアが開くと大問題にされますが、地方線では
それが普通でしたよね。
根室標津には廃線以来行っていませんが、転車台とSLを見に行きたいです。
レールが細いですが30キロレールなんでしょうか
+KEN KODA 30キロか37キロレールですね。
先人が成し遂げた偉業をもっと大切にし活かすよう現代に生きる私たちは考えなければならないと思います。
今残っている鉄路が無くなりませんように。
ディーゼル機関車が引く14系か何かの客車も見えますが、
定期便のはずはないと思いますが、
これは何のときの列車ですか?
どういう人が乗ってた列車ですか?
これは、さよならの臨時列車です。
募集した団体列車だったと思いました。
アルファコンチネンタルエクスプレスも走りました。
nahanifu
情報ありがとうございます。
そうですか。 標津線のさよならの臨時列車ってあったのですね。
その団体列車は、標津線のみ走ったのですか?
普通に考えればもっと広範囲じゃないかと思いますが、
どこ出発だったかとかわかりますか?
札幌だったか東京(上野)だったか等々。
いえ、個人的興味です。
***** 標津線内だけだったか釧路発だったか覚えていません。
札幌から直接走った列車では無かったと思いました。