女子バレー三屋裕子【伝説のアクシデント】 ~日本チャチャチャ傳~

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  • เผยแพร่เมื่อ 16 เม.ย. 2020
  • 【日本チャチャチャ発祥⁉】1981年W杯バレーの視聴率は30%以上あり、中国や米国との金メダル争いで熱狂的ブームを起こしました。三屋裕子のアクシデントは伝説となり、この頃からバレーボール国際大会では日本チャチャチャを合言葉にプロモーションされる事も増え、1980年代には「日本チャチャチャ=バレーボール」といった印象でした
    日本チャチャチャという呼称自体、フジテレビが大会宣伝用のCMに起用するなど前面に出した事で、ブランド化され、大会の象徴的存在となりました。そのようなプロモーション含め、現在、あらゆるスポーツで日本チャチャチャが普及した【ターニングポイント】と言っても過言ではないと思います
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    実は【1981年W杯バレー※】が日本チャチャチャ発祥だと一部メディアで紹介されていた時期があるのですが、少なくとも1960年代にはバレーボール含め、他競技でも行われており、【※2】で後述しますが、メキシコ五輪(1968)やミュンヘン五輪(1972)、モントリオール五輪(1976)でも日本チャチャチャが行われた記録映像は確認できます
    W杯バレー自体、フジテレビで放送が開始された前回大会(1977)でも日本チャチャチャは行われていたので【※3】、ちゃんと調べなかったか、あるいは「三屋裕子のアクシデントから生まれた」というストーリーを喧伝したかったのでしょうか。(バレーの場合、1960年代に『男子バレーを愛する会』というファン組織が発足されるなど、女子と比べ、男子バレーの方が組織だった応援がコンスタントに行われる傾向はあったと思います)
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    なお、ネット上には諸説として『サッカー起源説(1968)』というものが有るようですが、情報源を確認した所、あくまで一部サポーターの【自称】であり、客観的に検証された説ではないようです。そもそも「〇〇(国名) チャチャチャ」という応援スタイルは、1960年代当時、国際大会では割と一般的だったのではないでしょうか
    この説自体、1990年代に出たサッカーの私設応援団の本(※4)に基づくようですが、比較対象として「バレーボールでは1981年のW杯で初めて行われた」としている時点で、十分な調査や時代考証がされているとは言えず、1970年代の状況含め、あまり他競技の様子は目に入っていなかったようなので、1968年に彼らが『初めて日本チャチャチャをやった』と思った時点の周囲の状況に関しても、情報の限られた時代であり、正確に把握できていなかったのでは
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    元々、オリジナルの「〇〇(国名) チャチャチャ」は海外発のようですし、当時、各競技の海外遠征や大会に帯同した関係者や応援団はもちろん、一般でもテレビ中継等を通じ、知り得た応援スタイルであり、日本を応援するなら〇〇に『ニッポン』が入るのは当然で、オリジナル要素もなく、国内外で行われる訳ですから、あの時代(1960年代)に誰が最初に行ったか、時が経ってから主張するのはナンセンスのように思います
    一時【1981年W杯バレー発祥説】が流布されていたので、「いやいや、うちはもっと前からやっていたよ」という前提から出た話なのかもしれませんが、実際は他競技でも1960年代には行われていたので、1981年より前から行っていた事はサッカー起源の証明にはならず、こう言っては何ですが、1960年代の日本サッカー界は冬の時代でしたし、当時から国際的に活躍していた競技と比べ、見えていた景色も限定的だったのかと
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    ※4:1996年に出版されたサッカーの『サポーターの歴史』を紹介した本がベースのようです。つまり、後出しで出てきた主張であり、裏付けとされる証言もサポーターのものが中心なので、あくまで自己申告の内容であり、著者もサポーター組織の一員ですし、実質、身内の自己アピール本ではないでしょうか
    この本自体、特に話題になる事もなかったので、世間一般に知られる事もなく、起源説の信ぴょう性について客観的な議論が行われる機会もありませんでした。1990年代にきちんと取材していれば、まだ1960年代の事情通の多くも存命であり、『1981年W杯がバレー界では初』というような誤情報を載せる事もなかった訳で、元々、サッカー起源の結論ありきで、不十分で偏った情報収集をしていたと思われても仕方ないのでは
    海外で流行っていた応援スタイルを誰が最初に取り入れたかは、記録に残りづらいテーマであり、他競技が「うちは〇年〇月からやってる」と(わざわざ)アピールして来なかっただけで、実際、リアルタイムの昭和世代は当時のマスコミ含め、誰も「サッカーから広がった」とは思っておらず、それを客観的に示唆する記録も残っていません。21世紀に入り、素人でも情報発信できる時代になった訳ですが、ネットでは必ずしも正しい情報が検索上位に来るとは限らず、Wiki等に記載があっても、マイナーな話題の場合、十分なチェック機能は働かないので、情報を受け取る側も気を付けたいですね
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    また、Jリーグ開幕など、国内でのサッカー人気が高まった事で、サッカーの国際試合がゴールデンで放送されるようになったのは1990年代以降と認識しております。それは、最近だとラグビーがW杯をきっかけにブームになった状況と似ており、加速度的にサッカーの国際試合が注目されるようになった訳ですが、正直「サッカーでも日本チャチャチャって、やるんだ」と思った一般大衆は多かったと思います(現在では野球かサッカーかという人気スポーツですが、90年代にブレイクするまで、国内ではあまり注目されていなかった)
    当時は『日本チャチャチャ=バレー』のイメージが強かったので、中にはバレーの応援の真似をしてると思う人がいても不思議はなく、サッカー起源説の主張はそういった声への反発、反論の意味合いもあったのではないでしょうか。実際の所、バレーボールが子供からお年寄りまで国民的に浸透させたのは事実なので、元祖のようなイメージを持たれるのは仕方ないように思いますが、W杯バレーで特定競技のイメージが付き過ぎた感は否めず、あらゆるスポーツで行われるようになった現在の方が、本来の姿であるとは思います
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    なお、日本チャチャチャが体操女子のベラ・チャスラフスカ選手(チェコ)を応援する「ベラベラ・ラララ」由来とする説もあるようですが、元々、欧州には「〇〇チャチャチャ」という応援スタイルがあったので関係ないと思われますが、体操やバレーにまつわる伝承が多いのは、その辺りにルーツがあると思われてきた名残りでしょうか
    ただ「ベラベラ・ラララ」と「〇〇チャチャチャ」ではリズムも違いますし、別途、メキシコ五輪では「ハポンハポン(日本)・ラララ※5」という応援も行われていたので、恐らく、そこから連想されたんだろうと思いますが、「〇〇チャチャチャ」は特にメキシコ五輪で生まれた応援スタイルではありませんし、当時は十分な情報もなかったから仕方ないとは思いますが、誤情報がそのまま伝わってしまったのかと
    前述の通り【1981年W杯バレー】が日本チャチャチャ発祥だとメディアで紹介されていた時期がありますし、必ずしもメディアやネット情報が正しい訳ではないという事だと思います。今回、UPに辺り、Wikipedia等も調べましたが、明らかな誤情報があったり、十分な根拠のない恣意的な情報も見られ、それが既成事実のように後世に伝わってしまう危うさを感じました。ネットはもちろん、公のメディアで情報を扱う場合は慎重に行って欲しいと思います
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    ※注:『三屋裕子のアクシデントから日本チャチャチャが生まれた』という発祥説があったのですが、実は転倒シーン (第3セット11-12) より前の【第3セット開始前】にも数名単位の掛け声から日本チャチャチャが会場全体に広がっていくシーンがあるので、米国戦ですら、実際はアクシデントより前から発生していました
    ※注2:ミュンヘン五輪(1972)男子バレーボールの試合中や表彰式に『日本チャチャチャ』が行われた記録映像が現存します。また、メキシコ五輪(1968)の男子体操・個人総合で加藤沢男が優勝した際、「ハポン(日本) チャチャチャ」という大合唱が起こった記録映像が残されています。こちらは注意深く聞くと、「ハポン」の前に日本人応援団が「ニッポン」と始めて、それが会場全体に広がった(途中からハポンに飲み込まれた)感じで、既に現場では『日本チャチャチャ』を主導していた様子が伺えます
    なお、男子体操と同様、メキシコ五輪(1968)の女子バレー 日本vsソ連戦でも『ハポン(日本) チャチャチャ』が行われていたようです。また、モントリオール五輪(1976)男子バレー準決勝のポーランド戦では試合を通じて「ポルスカ・チャチャチャ」と日本チャチャチャの応援合戦になっており、『〇〇(国名) チャチャチャ』が欧州発という事であれば、1960年代初頭から毎年の欧州遠征含め、国際的に活躍していた競技の方が伝播が早い事は想像に難くないと思わせる映像ではあります
    上記は限られた資料映像の中から確認できるもので、氷山の一角だと思います。ちゃんと探せば、もっと出てくるのではないでしょうか
    【参考】『現存最古⁉ 幻の日本チャチャチャ』1968~1981
    • 現存最古⁉『幻の日本チャチャチャと男子バレー...
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    ※3:1960年代には『男子バレーを愛する会』が発足されるなど、男子バレーの方が組織だった応援がコンスタントに行われたり、国内外の大会で黄色い声援が目立つなど、男女バレーで若干、ファン層の違いがあった事は、1977年W杯バレーを見ても分かると思いますが、男子大会最終日のソ連戦では特に熱狂的な日本チャチャチャが行われた様子が確認できます(日本チャチャチャ含め、何パターンか定番の応援が行われていた)
    なお、1977年大会で女子は金メダルであり、大会通算の平均視聴率36%(韓国戦は48.6%)。男子も銀メダルを確保し、視聴率も30%以上と1981年大会を上回る、大盛況でした
    ※5:主に地元メキシコの観客がその掛け声を気に入り、応援している方に「〇〇ラーラーラー」と声援を送っていたので、あまり日本人応援団は関係ないかと。また「チェコチェコ・ラララ」は東京五輪(1964)でも行われており、チャスラフスカ選手がメキシコ五輪同様、大活躍した大会でもあります
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    ワールドカップ(1981) スタメン表
    小川かず子:162㎝(288㎝)24歳
    水原理枝子:174㎝(298㎝)25歳
    江上由美: 175㎝(304㎝)23歳
    三屋裕子: 177㎝(308㎝)23歳
    横山樹里: 174㎝(298㎝)26歳
    広瀬美和子:170㎝(295㎝)22歳
    サブレギュラー
    杉山加代子:180㎝(313㎝)20歳
    佐藤裕子: 182㎝ (303㎝) 24歳
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