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【参考文献のリンク】〇増殖するシャーマンーモンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティamzn.to/4gAEPA2〇シャーマン 霊的世界の探求者amzn.to/47GApDL〇憑依と抵抗amzn.to/47J4bYs〇モンゴル英雄叙事詩の構造研究amzn.to/4dMAd7t【ゆる民俗学/音楽学ラジオ公式グッズ】⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/3866f8da0769caf【ゆる学徒ラジオ系列すべての公式グッズ】⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/4362babbae09d77【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】yurugakuto.com/minzoku
黒川くんが泣いてくれて嬉しい。優しいね。民俗学とは、こういう共感を伴って初めて成り立つものと思います。
民俗学を語る/発信するということは多方面への造詣と配慮が必要だと思います。選考動画の頃から黒川さんにはそのことへの真摯なまなざしが強く感じられて、本当に頭が下がります、、、特に女性は元気なときに見てくださいと言ってくれてありがとうございます。とても興味深いトピックで次週も楽しみです!
カフェの運営もやってこんなにしっかり調べてちゃんと話して…黒川さんの親族でもなんでもないですが、偉いねぇと黒川さんのおばあちゃんのような気持ちになりました…
黒川さんのこと惚れなおしました。民族の悲劇と苦難に耐える民衆に打たれる黒川さんの精神性に感動します。本当に浦川さんと二人いいコンビですね。そこにも,胸が熱くなります。
涙が出るほど真摯に想っているのに胸を打たれました
苦しい。すごく胸に来る回でした。普通に生活していたら絶対知ることのない話を動画にして、届けてくれてありがとう。
そんな風に泣いてくれる黒川さんだから、また会ってみたいと思うんだよねぇ。
周囲に認められるために、そして自分自身も認めてあげるためにルーツの証明となる「母性」が必要だったと思うと悲しすぎます。よく動画にして下さった!
シャーマンが異常に増えたという背景を調べることによってこういう事実とつながるんだ。民俗学のおもしろさですね。いぜんからたまに拝見させていただいていましたが、今回大変興味深い内容でした。これからも楽しみ拝見させてもらいます。
その通りですね。胸が詰まって涙が溢れてきたところで黒川さんが目を拭っている。その感性にもう一度違う涙が溢れました。他チャンネルでモンゴルのシャーマンが増加したことが話題の一つになっていたところです。今その背景に付いて教えて頂きました。何という流れ!?10月13日の今、モンゴルから複数人のシャーマンが来日していらっしゃるらしい。
神話や民話が民族のアイデンティティを高める役割を担っているのは知っていましたが、民族崩壊の危機に面して、それを作らねばならぬと迫られることの痛切さに泣きそうになりました。真摯な解説をありがとうございます。次回も楽しみにしています。
歴史的事実からは測れない、個々人の悲劇に胸を突かれました。自分ではどうしようもない出生のせいで共同体に受け入れられないと感じることも苦しいですし、存在して良い理由を見つけるために、さらに苦しみを必要とすること、とても辛いです。このチャンネルでこのお話が聴けてよかったです。
黒川さんの熱量、敬意、オタク度に頭が下がります。
お話を聞いている最中に、そういえば自分も好きな漫画のキャラクターの境遇と実際に自分が受けた困難の共通点を見出してその物語をお守りにするのをよくやっているから自分にとって縁が深い身近なキャラクターの物語と自分が実際に身に受けた困難を重ね合わせて、辛い現実の出来事を物語に昇華させる気持ちがわかるな……と自然と頭に浮かびました。自分にも思い当たる共通点に気付いたことで、前回まで他人事として聞いていた話が一気に他人とは思えなくなりました……
シャーマンのシリーズ1回目からこの話に向かっていくことを踏まえて聞き直したらまた色々変わるな
黒川さんの姿勢と語り調に感動しましたね 真摯だなあと。。。それだけの熱量がこもったシャーマン回はまごうことなき神回だと思います
感想を語るのが難しい話でしたが、私も胸が熱くなりました…
現代に生きるハーフ、いわゆる混血児の母です。今の時代であっても、容姿の違いで本人達は多少なりとも悩んでいますし、差別やアイデンティティで生涯悩み続けるのだろうと思います。それがシングルマザーだったり、ましてや望まれないかたちで出産した子供だったらどんなに苦しいんだろう…。と黒川さんの語りを聴きながら考えてしまいました。次回も楽しみにしています。
9歳になる娘の母です。家事の側に聞いていたのですが、黒川さんの涙の数秒前に、なにか引っ張られるものがあって手を止め、気がつくとつられて泣いてました。具体的な女性の悲劇に共感しての涙というよりは、その出来事を中心として黒川さんが生み出した感情の揺さぶりに、人を呼応させる力があったように思えます。レンマ的な心の動きというか、倫理的&言語的な表現になる前段階の心の作用というのでしょうか。分かりやすく表現するならば、「なんだか言葉にできないけど気がついたら一緒に泣いてた空間」。それはシャーマニズムという人類の生き延びる知恵の中で大事なものかもしれません。そういう共体験をオフラインでできるチャンスって日本社会には十分にあるんだろうか、と、コロナ以降マスクを外せない女子高校生のことなどを思い出したりしました。そして、この黒川さんのありよう、浦下さんが相方じゃなかったらきっと無かっただろうなーとも。音楽家はそこにいるだけで空間がコンポジションされるような気がします。表情と相槌の機微がプロの葬儀屋さんです。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。
序盤で紹介されていた民話、なぜか大体予想できてしまってました。発狂、というワードでピンと来たのかもしれません。粛清というブリヤート側では避けられなかったことが原因であっても、男性がいなくなってしまっても変わらない大事な伝統によって苦しむという構図が何とも…こういう重い話題で泣いてくださる黒川さんの感性や「特に女性は元気のある時に」と言ってくださるご配慮、本当に頭が下がります。タネ本、復刊時期決まったら絶対注文します!
日本にも、 戸籍や立派な職業をもっているけれど出自不明な方々が沢山いました ( 今回の黒川さんのお話を聴くと その背景の一部を感じると思います )信仰や祈りと共に生きていく ... 無宗教者の私が申し上げるのもどうかと思いますが命の煌めきと苦しみ悲しみは共にあり。涙を飲んで もっともっと大切なお話を聴きたいです。
ホイモルの女房が上座に祭られることの意味が解りました。
この話題が始まった時にも書き込みしましたが、ぜんぜん「ゆる」くないです。もちろん、黒川さんの熱、伝わっています。引き続き楽しみに拝見します。
共同体と信仰体系に居場所がないという苦痛は察するに余りある。歴史上の事件ではなく現在も生きている方の地続きな苦しみで、しかも数人どころではない規模で起こっているならなおさら。胸が苦しい。
33:51 もらい泣きしてもうた
これは泣く…
「最近は、妙なことが起こる。どの家に行っても、シャーマンがいる」シリーズ最後まで拝聴します。
多神教的神格やそれにまつわる神話伝承は、それを信仰する集団が共有する経験を知ることなしには語れないということを鮮明に示す例ですね
このシリーズ大好きです!
体調悪かったのが、ちょっと良くなったから見た……。同じ女性としてさぞかし辛かっただろうし悔しい思いがあっただろうと思ったら、黒川さんが泣いてくれて、安堵感をもらえた。それに、混血児もブリヤートになれるということが、子どもたちにとってどんなに大切だったのかとか、救済を編み出した?コミュニティ…オンゴはスペイン語でキノコだから、始めの方はキノコキノコ言ってる。精霊と一緒にキノコがポンポン生えてる可愛いイメージだった……。
とてつもないですねこれ…ゆる民俗学ラジオで知ることができてよかった…民族の悲劇と、そこから民俗を生んできた人たちのことを考えると涙が止まりません
ウクライナ戦争では、ロシアで最も貧しい地域のひとつであるブリヤート共和国の戦闘員が、死亡率が一番高いとのことです。歴史が韻を踏まないことをただ祈るばかりです。
巫病の話、沖縄のカミダーリを思い出した
今回こちらで取り扱われたのとほぼ同じ時代を取り扱っている『天子蒙塵』という小説があるんですが、こちらとはまた別の理由で辛くて辛くてギブアップ中です。その内、読めたら、読めたら…となって、はや5年……。いまだに無理です。辛過ぎ。阿部定事件が1936年にあるんですがあれも猟奇性やら痴情やらが絡んで不思議なほど大々的に取り扱われて。坂口安吾のインタビュー読んでも安吾が異様な程盛り上がってるから、うへぁ、とドン引きしながら読みました。その背後の時代背景どんだけ暗かったんだろぅと、思わず血の気が引きます。次回も楽しみにしてます〜。
後半、泣きました。なんということ…中盤から、黒川さんがなんで「女性は元気な時に見てください」と言ったのか理解できてきました。ちょっと用事があって「ながら」で聞かなければならなくなって、そのくらいでまだ良かったと思います。集中して聞き入っていたら、立ち直れなくなっていたかも…(元気じゃない女性?>自分…あまりそんな自覚はないのですが)
面白い
民話や神話、宗教においても、それらがすでに伝承され(あるいは可能で)操作なくそこに在るということが、私たちの国そのものの根幹や国に限らず県や市町など、生まれた出自を健全に愛することができるということが、強調され示唆された稀有な例だと感じます。絶やされず、人々によって多少の改変があれど根幹は変わらない、伝統というものが、無意識的意識的に限らず「在る」ことが大事なのだと皆揃って分かってもらえるような努力と継承はこれからどんどん必要になってくるでしょう。現に紛争化にあるパレスチナ問題や、地震と洪水で大打撃を受けている能登半島の支援に対する疑問提起も、これら人間の出自の消失に大きくかかわっている点で、紹介いただいたブリヤート人の事例と重なる点であったと感じてまして、大変悲しくなりました。ご紹介いただきありがとうございました。
すこし、一神教と多神教の争いを感じる
なるほどね…ある意味、自らと子の存在意義を潰そうとする権威を、乗っ取ることでハックした、ともいえるのかも?
しんどい話だなぁ
羊の尾の脂を用いたのが、棄老手法で存在したってのは衝撃。喉に詰めて窒息ってのは能動的な気がするが、決して積極的に喉に押し込んでいるわけではないはず。意識的に喉に詰めて殺すってのではないはず。意識的に喉に詰めるより首を絞める方が合理的だからだ。となると、消極的な殺人。事故死に近しい死。老人が喉に詰めがちな食材を故意に与えることでの棄老。長い風習の末、意図は伝承されず糸の分からない風習になることもあると思う。ブリアートでは棄老の意図を自覚的に風習のしたのかもしれない。一方、日本で正月に餅を食べるのは、本来、棄老のいち手法だったが、内容が内容なので現実を伏せた結果、単なる風習として正月に餅を食べるってのが残って意図するとに関わらず、今でも老人の死を招いてるのかもしれない。
『マギ』のモルさんを思った。
浦下くんの情報処理能力、文脈理解力の高さが今回のトピックにおいては珍しくマイナスになってる気がする。コンビを組んで長いから気づいているだろうけど、日本史リテラシーの高さ以上に単純に知的能力が抜群で、そのことを前提としないと、いざ重層的な背景を理解する必要のあるテーマを語ろうとなった際、視聴者が置いてきぼりになってしまう。
複数回の視聴は確かに解決策になり得るものの、定期的な概念整理、例えば商業マンガ等の卑近な例に置換したり、あえて馬鹿のフリをさせてトレースさせたりと、助手席側で負荷軽減しないと、視聴者側にかなりの負担を強いることになるかと思う。
今は「能動的に追いかけてきた話の分かる連中」を相手にしており、実際のところそれでギリ足りる段階にあるので、そうした心配もあまり要らんかとは思うが。傍目に見ても卓抜した出来なので、内輪の範囲を超えて視聴してもらいたい。そうなった際、助手席に色々と動いてもらう必要があるのではないかということで。
いやしかし、面、風貌だけでなく気風まで宮本常一に似てきたような。彼は周知のように幾度となく参与観察にあたったが、人間の限界を見ようという、恐らく彼の原体験に基づく知的態度、構えで以て、終生その高い視座が揺らぐことは無かったように思う。見るところ、間違いなく宮本常一と同等の器はあるものの、それを涵養できるかは巡り合わせ次第としか言えないなあ。
前置きありがとう。見んとくわ
身の回り良い向きになりますように祈っております。
【参考文献のリンク】
〇増殖するシャーマンーモンゴル・ブリヤートのシャーマニズムとエスニシティ
amzn.to/4gAEPA2
〇シャーマン 霊的世界の探求者
amzn.to/47GApDL
〇憑依と抵抗
amzn.to/47J4bYs
〇モンゴル英雄叙事詩の構造研究
amzn.to/4dMAd7t
【ゆる民俗学/音楽学ラジオ公式グッズ】
⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/3866f8da0769caf
【ゆる学徒ラジオ系列すべての公式グッズ】
⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/4362babbae09d77
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yurugakuto.com/minzoku
黒川くんが泣いてくれて嬉しい。優しいね。民俗学とは、こういう共感を伴って初めて成り立つものと思います。
民俗学を語る/発信するということは多方面への造詣と配慮が必要だと思います。選考動画の頃から黒川さんにはそのことへの真摯なまなざしが強く感じられて、本当に頭が下がります、、、特に女性は元気なときに見てくださいと言ってくれてありがとうございます。とても興味深いトピックで次週も楽しみです!
カフェの運営もやってこんなにしっかり調べてちゃんと話して…黒川さんの親族でもなんでもないですが、偉いねぇと黒川さんのおばあちゃんのような気持ちになりました…
黒川さんのこと惚れなおしました。民族の悲劇と苦難に耐える民衆に打たれる黒川さんの精神性に感動します。本当に浦川さんと二人いいコンビですね。そこにも,胸が熱くなります。
涙が出るほど真摯に想っているのに胸を打たれました
苦しい。すごく胸に来る回でした。
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そんな風に泣いてくれる黒川さんだから、また会ってみたいと思うんだよねぇ。
周囲に認められるために、そして自分自身も認めてあげるためにルーツの証明となる「母性」が必要だったと思うと悲しすぎます。よく動画にして下さった!
シャーマンが異常に増えたという背景を調べることによってこういう事実とつながるんだ。
民俗学のおもしろさですね。
いぜんからたまに拝見させていただいていましたが、今回大変興味深い内容でした。
これからも楽しみ拝見させてもらいます。
その通りですね。胸が詰まって涙が溢れてきたところで黒川さんが目を拭っている。
その感性にもう一度違う涙が溢れました。
他チャンネルでモンゴルのシャーマンが増加したことが話題の一つになっていたところです。今その背景に付いて教えて頂きました。何という流れ!?
10月13日の今、モンゴルから複数人のシャーマンが来日していらっしゃるらしい。
神話や民話が民族のアイデンティティを高める役割を担っているのは知っていましたが、民族崩壊の危機に面して、それを作らねばならぬと迫られることの痛切さに泣きそうになりました。真摯な解説をありがとうございます。次回も楽しみにしています。
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自分ではどうしようもない出生のせいで共同体に受け入れられないと感じることも苦しいですし、存在して良い理由を見つけるために、さらに苦しみを必要とすること、とても辛いです。このチャンネルでこのお話が聴けてよかったです。
黒川さんの熱量、敬意、オタク度に頭が下がります。
お話を聞いている最中に、そういえば自分も好きな漫画のキャラクターの境遇と実際に自分が受けた困難の共通点を見出してその物語をお守りにするのをよくやっているから
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自分にも思い当たる共通点に気付いたことで、前回まで他人事として聞いていた話が一気に他人とは思えなくなりました……
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黒川さんの姿勢と語り調に感動しましたね 真摯だなあと。。。それだけの熱量がこもったシャーマン回はまごうことなき神回だと思います
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現代に生きるハーフ、いわゆる混血児の母です。今の時代であっても、容姿の違いで本人達は多少なりとも悩んでいますし、差別やアイデンティティで生涯悩み続けるのだろうと思います。それがシングルマザーだったり、ましてや望まれないかたちで出産した子供だったらどんなに苦しいんだろう…。と黒川さんの語りを聴きながら考えてしまいました。次回も楽しみにしています。
9歳になる娘の母です。家事の側に聞いていたのですが、黒川さんの涙の数秒前に、なにか引っ張られるものがあって手を止め、気がつくとつられて泣いてました。具体的な女性の悲劇に共感しての涙というよりは、その出来事を中心として黒川さんが生み出した感情の揺さぶりに、人を呼応させる力があったように思えます。レンマ的な心の動きというか、倫理的&言語的な表現になる前段階の心の作用というのでしょうか。
分かりやすく表現するならば、「なんだか言葉にできないけど気がついたら一緒に泣いてた空間」。それはシャーマニズムという人類の生き延びる知恵の中で大事なものかもしれません。
そういう共体験をオフラインでできるチャンスって日本社会には十分にあるんだろうか、と、コロナ以降マスクを外せない女子高校生のことなどを思い出したりしました。
そして、この黒川さんのありよう、浦下さんが相方じゃなかったらきっと無かっただろうなーとも。音楽家はそこにいるだけで空間がコンポジションされるような気がします。表情と相槌の機微がプロの葬儀屋さんです。
ありがとうございました。次回も楽しみにしています。
序盤で紹介されていた民話、なぜか大体予想できてしまってました。発狂、というワードでピンと来たのかもしれません。
粛清というブリヤート側では避けられなかったことが原因であっても、男性がいなくなってしまっても変わらない大事な伝統によって苦しむという構図が何とも…
こういう重い話題で泣いてくださる黒川さんの感性や「特に女性は元気のある時に」と言ってくださるご配慮、本当に頭が下がります。
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日本にも、 戸籍や立派な職業をもっているけれど出自不明な方々が沢山いました ( 今回の黒川さんのお話を聴くと その背景の一部を感じると思います )
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共同体と信仰体系に居場所がないという苦痛は察するに余りある。歴史上の事件ではなく現在も生きている方の地続きな苦しみで、しかも数人どころではない規模で起こっているならなおさら。胸が苦しい。
33:51 もらい泣きしてもうた
これは泣く…
「最近は、妙なことが起こる。どの家に行っても、シャーマンがいる」
シリーズ最後まで拝聴します。
多神教的神格やそれにまつわる神話伝承は、それを信仰する集団が共有する経験を知ることなしには語れないということを鮮明に示す例ですね
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体調悪かったのが、ちょっと良くなったから見た……。同じ女性としてさぞかし辛かっただろうし悔しい思いがあっただろうと思ったら、黒川さんが泣いてくれて、安堵感をもらえた。それに、混血児もブリヤートになれるということが、子どもたちにとってどんなに大切だったのかとか、救済を編み出した?コミュニティ…
オンゴはスペイン語でキノコだから、始めの方はキノコキノコ言ってる。精霊と一緒にキノコがポンポン生えてる可愛いイメージだった……。
とてつもないですねこれ…ゆる民俗学ラジオで知ることができてよかった…
民族の悲劇と、そこから民俗を生んできた人たちのことを考えると涙が止まりません
ウクライナ戦争では、ロシアで最も貧しい地域のひとつであるブリヤート共和国の戦闘員が、死亡率が一番高いとのことです。歴史が韻を踏まないことをただ祈るばかりです。
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今回こちらで取り扱われたのとほぼ同じ時代を取り扱っている『天子蒙塵』という小説があるんですが、こちらとはまた別の理由で辛くて辛くてギブアップ中です。その内、読めたら、読めたら…となって、はや5年……。いまだに無理です。辛過ぎ。阿部定事件が1936年にあるんですがあれも猟奇性やら痴情やらが絡んで不思議なほど大々的に取り扱われて。坂口安吾のインタビュー読んでも安吾が異様な程盛り上がってるから、うへぁ、とドン引きしながら読みました。その背後の時代背景どんだけ暗かったんだろぅと、思わず血の気が引きます。
次回も楽しみにしてます〜。
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中盤から、黒川さんがなんで「女性は元気な時に見てください」と言ったのか理解できてきました。
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なるほどね…
ある意味、自らと子の存在意義を潰そうとする権威を、乗っ取ることでハックした、ともいえるのかも?
しんどい話だなぁ
羊の尾の脂を用いたのが、棄老手法で存在したってのは衝撃。
喉に詰めて窒息ってのは能動的な気がするが、決して積極的に喉に押し込んでいるわけではないはず。
意識的に喉に詰めて殺すってのではないはず。意識的に喉に詰めるより首を絞める方が合理的だからだ。
となると、消極的な殺人。
事故死に近しい死。
老人が喉に詰めがちな食材を故意に与えることでの棄老。
長い風習の末、意図は伝承されず糸の分からない風習になることもあると思う。
ブリアートでは棄老の意図を自覚的に風習のしたのかもしれない。
一方、日本で正月に餅を食べるのは、本来、棄老のいち手法だったが、内容が内容なので
現実を伏せた結果、単なる風習として正月に餅を食べるってのが残って
意図するとに関わらず、今でも老人の死を招いてるのかもしれない。
『マギ』のモルさんを思った。
浦下くんの情報処理能力、文脈理解力の高さが今回のトピックにおいては珍しくマイナスになってる気がする。コンビを組んで長いから気づいているだろうけど、日本史リテラシーの高さ以上に単純に知的能力が抜群で、そのことを前提としないと、いざ重層的な背景を理解する必要のあるテーマを語ろうとなった際、視聴者が置いてきぼりになってしまう。
複数回の視聴は確かに解決策になり得るものの、定期的な概念整理、例えば商業マンガ等の卑近な例に置換したり、あえて馬鹿のフリをさせてトレースさせたりと、助手席側で負荷軽減しないと、視聴者側にかなりの負担を強いることになるかと思う。
今は「能動的に追いかけてきた話の分かる連中」を相手にしており、実際のところそれでギリ足りる段階にあるので、そうした心配もあまり要らんかとは思うが。
傍目に見ても卓抜した出来なので、内輪の範囲を超えて視聴してもらいたい。そうなった際、助手席に色々と動いてもらう必要があるのではないかということで。
いやしかし、面、風貌だけでなく気風まで宮本常一に似てきたような。彼は周知のように幾度となく参与観察にあたったが、人間の限界を見ようという、恐らく彼の原体験に基づく知的態度、構えで以て、終生その高い視座が揺らぐことは無かったように思う。
見るところ、間違いなく宮本常一と同等の器はあるものの、それを涵養できるかは巡り合わせ次第としか言えないなあ。
前置きありがとう。見んとくわ
身の回り良い向きになりますように祈っております。