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ブラバムヤマハの2年目を見たかったです。
良くも悪くも日本が好景気に湧いていた時代。皆が知ってる名前がスポンサー。って言うのが嬉しいよね。
ヤマハV12があまり成功できなかったのは、ブラバムにジョーダンと言った弱小チームにしか供給できなかったのもあるかもしれないですね。ヤマハは二輪でホンダとライバル関係ですし、またヤマハにF1復帰して欲しいですね。
スポンサーの「MITSUKOSHI」を見て「三越!?」と驚いた当時の思い出。
ヤマハ、オートバックス、住友海上、三井物産、山善、そして三越! ジャパンマネーテンコ盛りだネ。
デザイン的には個人的に物凄く好みでした。非常に綺麗でまとまった車で模型栄えする1台だと思います。当時発売されてた、この車のラジコンカーやONIX社のミニカーは今でも大切に保管してあります。
古舘「まさにサーキットの峰竜太と竜雷太!」
深い、深すぎる
以前勤めていた会社もこのマシンのスポンサーをしてました。今でもこうやってゲーム画面にロゴが出るのでまだ宣伝効果はあるんですね。社長の口癖は1億円出したでしたが、その部分のスポンサー料は6000万円なんですよね。当時は電通がスポンサー集めに関わっていたようですが、4000万円も抜いていたのかと思うと愕然とします。そのお金があればブラバムも僅かでもマシン開発に使えたのにと残念に思えます。
昔、NHKでエンジンに魂を吹き込め!って特番がありました。菅生サーキットで右京さんがテストドライバーとなり走行してるんですけど、ストレートでの音が兎に角良かった!右京さんも感動したあって言ってましたもの!此れでF1行けたら最高だろうなあって後日雑誌で言ってました。ヤマハv8とv12はケン松浦レーシングサービスがチューニングを担当してたんですよね。
フロントウイングの「住友海上」が異様なくらいロックでしたね。
エンジンに関しては、ブランデルがレース以外(シーズン中に)FW14ルノーに乗ってテスト・ドライバーの経験があり、ブランドルはレース以外で91年SWCのジャガー(フォードHB使用)に乗ってライバルチームの良いエンジンの経験をしてる以上2人のエンジン開発はかなりの影響あったのは事実。 ただ、開幕戦で5速ギア使用な位にトルク重視・耐久性重視の為にパワー不足は事実。 このチーム、オンボードカメラ非搭載に義務付けられる5kgのバラストをフロントノーズコーンに搭載する位リアヘビーだったのは確か。 (ちなみにティレルはメーターパネルのバルクヘッドの前辺り) 車体に関しては、あまり知られてないが、デザイナーのセルジオ・リンランドがティレルに約3週間ほど在籍していた時に、ガルウィングを間近で観察していたのを独自に発展させたのが、1本支えウィングを投入したんだとか(フットワーク同様に、強度の問題でワイヤーの補強をしていたけど) ちなみに、91年モナコで失格騒動で出走出来なかったブランドルはイギリスBBCの放送席で、ジェームス・ハントの隣で臨時の解説者を務めていました。
おおおっ久しぶりにSHIGE節ありがとうございます😊流石SHIGEさんいつもありがとうございます!
翌年92年のピンクのBT60ジャッドは記念すべきデーモンヒルのデビューマシンにして我らがデーモン小暮閣下のマシーンですね!流石は閣下!のちにワールドチャンピオンにおなりになるヒル様を召喚(スポンサード)されるとは!あの独特のノーズに「聖飢魔Ⅱ」のロゴがデカデカと光り輝いていおりました。
91〜92年にかけて日伊四大メーカーが参戦しフォード他も投入検討した所謂V12エンジン黄金期でした。しかし僅か4シーズン後にグランプリから絶滅するとは思いませんでした。
そうなんですよね〜。やっぱりホンダの方にv12の軽量化していっても最終的にバランスとしてはv10には勝てないってことだったんでしょうね。
当時、ほとんど情報がなく、よく知らないチームでした。F1サーカス'91では、中堅チーム扱いでした。蠍のマークや紫色のカラーリングで乗る気にはなりませんでしたが、テストドライブしたら音は甲高くてまあまあよかったです。
ほほーF1サーカスでは中堅チーム。やはり伝統のチームを下位に持ってくことはできなかったですな!F1サーカスって音もしっかり再現してるんですな!知りませんでした!
曲がらないマシン、と言えば、セナ用セッティングのマクラーレンホンダは敢えてアンダーセッティングにしてたらしいですよ。セナ自身がアクセルで曲げる乗り方だった(セナ足)ので。
ブランデルは、その後にティレルで再びヤマハエンジンに乗るんですな。
MBコンビがドライブしたBT60Yは、ベルギーGPでブランデルが6位獲得日本GPでブランドルが5位獲得しましたね。
後期ブラバムの中でもとても好きなマシンです。三越がスポンサードしていましたが、F1史上日本の百貨店として唯一じゃないですか?翌年のカラーリングはグロテスクでしたが、個人的にあれはかつての栄光にあやかったBMWカラーだったのでは?と思っています。
百貨店のスポンサーだなんて時代だなぁ。靴のマドラスなんて今じゃ最下位チームの端っこにも載せられないでしょ。昔からスポンサー視点の見方も好きなんだけど、最近どっかのグランプリの無観客レースでzoomの看板がサーキットに出てたのが今の世相を表して少し皮肉めいたものを感じました。
このマシン個性的なフォルムで大好きでした。翌年のピンクと紫のどぎついカラーリングはいただけませんでしたが。デザイナーのセルジオ・リンランドさんは翌年にデザインした、フォンドメタルGR02とともにとても印象深いマシンです。
このクルマのハイライトは鈴鹿でのブランドル5位かな、と思いますね。なにせ、ティレル・ホンダ(モデナ)ぶち抜きましたからね。この珍妙なサイド・ポンツーンですが、スライド式でラジエターが風に当たる面積を変えられる、などと川井一仁さんが言っていましたね。
60っていえば初期型の何とも味のあるサイドポンツーンでしたね。ほとんど意味不明ですが
ブラバム最後のマシン。BT60Bの走る姿みたいです。ピンクブラバム。バブル期にひっそりとほぼオールジャパンだったブラバム。名門チームといわれていても最後はあけっけないチームでした。
やりますよ!BT60B‼︎ひとしきり91年終わったら92年に突入しまっせ!
当事実況泣かせのマーティン ブランドルマーク ブランデルのブラバムドライバー!
マーティン・ブランドルとマーク・ブランデルのMBコンビは世界中の実況アナ泣かせで有名ですが、2人ともハコやスポーツカー耐久でも器用な活躍を見せているところまで似通ってますね😁
確かにそうですね。いつまで経っても覚えられない…
でも、ブランドル氏には申し訳ないですが、当時はブラバムチームには興味は有れど、89'のステファノモデナ以外は、ほとんどドライバーに興味ございませんでした。が、今、F1でインタビュアーとしてご活躍のブランドルさんは、むしろ今の方が興味を持ってお付き合いさせて頂いて居ります😅。
「ブランドル・ブランデル・ブラバム」これを3回繰り返して言うのが何故か当時通っていた高校のクラスで流行っていた。
形は特殊、カッコいいカラーリング、ヤマハのV12なのに京商のミニカー位しか模型が手に入らなかった(苦笑)
ポルシェ、スバル、ライフの12気筒よりはまともだったけどホンダやフェラーリよりパワー不足。ランボルギーニよりもトルク不足?最初から4バルブで熟成したら…。タラレバです。シャシーもハイノーズとりあえず入れて見ましたが…。でも資金不足で頑張るあまり映らないこの時代好き(笑)
スポンサーがバブル期のジャパンマネー
日本企業のスポンサードの時代は日本が華やかでしたが、確かに違和感を感じてました。F-1は欧州の物と言う印象がありますよね。parmalatの頃のブラバム雰囲気あったな〜
そそ!ピケがいた頃の白と紺のプラバム!超絶かっこええです!
@@FormulaIneChannel BMWとのイメージが合致している様な雰囲気ありましたよね〜とにかくシブいんです〜
待ってました!ブラバムヤマハ!早かった記憶はないのですがカラーリングもスタイルも美しくて好きでした、
どうもこんばんわ~。92年のブラバム…、アマティとヒル…そしてあの聖飢魔IIですね…。
エリック・バン・デ・ポールもお忘れなく。
リップサービスもあると思うがブランドルが4速まではルノーと互角だって言ってたような
ブラバムと言えば、エクレストン&マーレイ&ピケ+BMWターボエンジンのイメージ=80年代前半の黄金期なんですね。その頃と比すると、ややパンチに欠けるというか、イメージに合わなかったなぁって。名前は同じながら、全く違うチームになっていましたね。正直なところ、ブラバムと日本企業の組み合わせは、私には違和感しかなかったです。ヤマハもいろんなものが足りなかった感じで、おそらく資金力が…でしょうね。個人的には、ヤマハはV8を極めるフォード・コスワースの道を歩むのがベターだったんじゃないかと思っています。
毎度です。そうなんですよね。フォードとの業務提携がうまく行ってたらかなりかわっていたでしょうね!
このパッケージ大好きでした。デザインも良かったです。ヤマハエンジンはザクスピードとは比べ物にならないぐらい期待していました。信頼性がない中で前半戦は完走がやっとでも初ポイントの匂いはしていました。スパで初ポイントを獲得した時は嬉しかったことを覚えています。このマシンに乗ったことでブランドルさんとブランデルさんを知って好きなドライバーになりました。スポンサーや資金不足は明らかでしたからオーナーがヤマハからの提案を受けていれば92年後半戦以降も参戦出来たかもしれないと思いますとちょっと残念です。しかし、この年二人ともポイントを獲得できてかつ鈴鹿でポイント取れたのはヤマハにすれば良かったと思います。
どうもです。この年のブラバムはやけに日系スポンサーが多いなと思ってましたが、そういう事だったんですね。ブラバムの最後の輝きの年で、最後の年はあの聖飢魔IIのデーモン小暮さんがスポンサーについたのもいい思い出です。(デーモン・ヒルがドライバーだったという理由でした。)
前半8戦は2台で完走僅かに4回最高位8位で予備予選に回されたけど、後半は完走10回入賞2回とかなりの躍進でしたね。資金不足の中、良く頑張ってるという印象でした。92年は日本人ドライバーが3人もいる!とワクワクしたんですがね。。。
中谷さんには乗って欲しかった。
オートバックスがスポットスポンサーをしていた鈴鹿のカラーリング。個人的にかっけぇーでした✨
中内さんも最後には投資会社に騙されて終了でしたね!😡
このヤマハV12、92年のウィリアムズFW14Bや93年のマクラーレンMP4/8やウィリアムズFW15に搭載されていたらどうなっていたでしょうかね?^^
かなりヤマハへの風当たりが悪くなっていたでしょうね。全然競争にならなかったと思います。
主様どうもデス。どなたかが、コメント欄の人もう、いいんぢゃね?とありましたので、短めで!ヤマハエンジンだからマシン型式にYて・・・安易な気が・・・開幕2戦のBT59Yしかり、BT60Yしかり
毎度です。お好きなだけ思いの丈をガッツリ書き込んじゃって下さいませ〜。
@@FormulaIneChannel ありがとうございます!前回フォンドメタルの回でも書きましたが、バンデポールが92年序盤に乗ってましたけねチームと言うか、マシンと言うか恵まれませんでした。
まさに地獄の資金難、、、
改めて見るとなかなかいいデザインですね。当時は三越の印象しかなかったのですが笑マシンとエンジンの素性は悪くなく、二人のMBも実力派(91年当時はそこそことしか思っていませんでした)だし、これで資金力があったら、93年のリジェみたいに時折上位陣をかき回す存在になってたのかなとか今になって思いますねぇ
1991年のブラバム、漫才コンビ???の(マーティン)ブランドル・(マーク)ブランデルコンビでしたね!ヤマハV12搭載車ということで重量感があったマシンと印象でした。
ブラバムヤマハ取り上げてくれて嬉しいです♪ シーズン前にはHONDA対YAMAHAのV12対決が見れると興奮したのですが…😅カラーリング的にはHONDAとYAMAHAの色が二輪と逆転してるかのようで面白かったな〜(マルボロヤマハとロスマンズホンダ)
あらま!気がつきませんでしたが言われてみれば確かに二輪とひっくり返ってるようなカラーリングですな!面白い😊😊
@@FormulaIneChannel ありがとうございます😆
今回はmodのお話多めで嬉しかったです♪曲がってくれませんよね~、ハンドルこじるだけじゃ。アクセル抜くなりブレーキ踏むなりして車体全体の向きを変えるイメージで...、失礼。しかしまぁ、もういいでしょ?もう十分でしょ?コメント欄の皆様方。もう始めましょ、アセットコルサ♪
ぬははは。確かにそろそろ皆さんアセコルの世界はいかがですか?最高ですよ!そうでした。今スキン作成の動画撮ってますよ〜。最初は簡単なやつからですけども。
お疲れ様です♪時代が流れ衰退の一途を辿るかつての名門、唯一このチームが間違いなくグランプリ界No.1だった点(あくまで個人的見解)はエンブレムデザイン(ヒッシング・シド)のカッコ良さだけw 或いは89年の復帰時点でチームとしては残念ながら死に体でしたね(モデナよく頑張りました!)。川井ちゃんが「思い込みで聞き流してたけど、ホッケンやモンツァでのピーキーサウンドはフェラーリよりOX99の方が断然カッコいい噴け音だった!」とか言ってましたね。懐かしいですなぁw 翌年はグランプリ史上最悪のカラーリングになる訳でw 今回も楽しませて頂きました❗
えええっフェラーリよりもいい音⁈それは聞いてみたかったですねー。ああでもこれはなかなか叶いそうにない願いですな。92年が私自身も楽しみですぜぃ!
@@FormulaIneChannel さん、川井ちゃん曰く「トルク薄独特の下腹に響かない感じながら、中高域の鳴り物入りの音はフェラーリやランボより耳障りで最高!」だったみたいですよ。私自身色々物色しましたが(91年のモンツァ合同テストの動画で僅かに確認出来ますが、シケイン前後が撮影点なのでピーキー音じゃないのが残念!)鮮明なエンジン音は確認出来ませんでした。どうやらBT60Yも動態保存の実車は私の調べた限り現存してないみたいです⤵以上、補足情報w長々と失礼しましたw
ぬぬぬお、無いんですね〜残念でなりませんな!
@@FormulaIneChannel さん、申し訳ありません!グランプリファンを代表してお詫び申し上げますww
あはは🤣それにしても歴代のF1マシンって大量にあったのにどこに行っちゃったんですかね。イギリスで売りに出てるものはまだいいんですけども、野ざらしでコケが生えてるマシンをTH-cam で見ると残念でなりません。
意欲的な車だから、資金が有れば化けたかもね!!
第1期ブラブラコンビ(別チームで第3期まである)の91年ブラバムなつかしいですね。91年は90年のティレルをうけて、各チームいろんなハイノーズを考えだしてきた中でも明らかに走らなさそうなブラバムの一本棒方式はやっぱり走りませんでしたね。ASRでもおっしゃる通りまがんね~って感じでした。ヤマハのV12もあんまり活躍はできませんでしたが、音は最高でしたね。走り去る時の音が管楽器のような余韻を残すいい音でした。なんかの動画の時に言った記憶がありますが、F1 V12最高の年は翌年92年ですが、管楽器のようなヤマハV12、カ行が強いフェラーリV12、ず太い低い音のホンダV12、かなり荒い感じのランボルギーニV12と最高の年でした
この時点でボロボロとか。。。
この当時のF1はティレルが持ち込んだハイノーズをどうしたら物に出来るのか?チーム毎に解釈が違って、見た目も色々で楽しかったです♪ブラバムBT60Yは独特のサイドポンツーンと一本ステーでの吊り下げで、結構好きなマシーンでした。ヤマハに身売りしてたら、翌年のあの奇天烈カラーにならなかったのになぁ
この年のブラバムの事を後年ブランドルが話してましたね。曰く「ヤマハの姿勢は素晴らしかった」「シャシーも若干リアヘビーだったけど悪くなかった」と。ただチームオーナーに関してはボロクソ言ってましたね。「あんな変わった男には会った事がない」そうで(^^;
なるほど。そうなんですね~。中内さんの情報ってホントに出てこなくて謎だらけなんですよね。そんなに変わった人だったんですね~。
なんでこの時代ってオーナーといいスポンサーといい不祥事が多いんだ😅
バブルの弊害でしょうね
フロントウイングの住友海上には当時違和感がありました(笑)確かバブルの頃は全チームに日本企業のロゴが入ってした気がします。チームごと買い取る人もいたし。日本って凄いんだ!当時思ってましたが、今考えると異常ですよね。
良いっすね、ハイノーズどうやって持ち上げちゃおうか過渡期のデザイン。各チームのノーズデザインがとても気になり、楽しかったですね。強度不足じゃないの?って思ったらワイヤーで吊ってんだ〜っって思いました。当時、フジテレビオフィシャルハンドブックというものがあり、森脇基恭さんが辛辣だったの思い出して見たくなって引っ張り出してきました。それによりますと、「森脇基恭のマシン診断」。サイドポンツーンのくびれにある、ラジエーターのアウトレットに関して、入った空気は後方に流すべきで、常時ボディーの横から出すとドラッグが増えて理想的ではないと説明しておられました(苦笑)。しかし、新しいコンセント、レギュレーションが生まれた時に過渡期のデザインは付きもの、来年以降のF1、各チームどんな回答でニューマシンを引っ提げて来るか、今から楽しみでなりません☺️
来ましたね!リンランドマシンは大好きですが、速くはないのが…ハービー・ブラッシュも居ましたね!日本スポンサーチームとしてはロータスとカブりますね。ロータスがそこそこ上手く行ってブラバムはって感じでしたが、ロータスもあんな感じだから結局は一緒でしたね。
リンランドさんのデザインは、機能よりも見た目の奇抜さを重視しているようで、奇形なサイドポンツーンとか???でしたね(^-^*)それでもトータルバランスはそれほど悪くなかったのか、後半は先ず先ずの走りを時折見せていましたねただそれは二人の器用なイギリス人ドライバーの頑張りだったのかもしれません。二人のMBやワーウィック、ハーバートそしてデーモンヒルなどイギリス人ドライバーって与えられた環境でそれなりの仕事をきちんとこなすタイプですよね~私がチームオーナーなら必ず1人はこのタイプのドライバーと契約したいですね(^-^*)レースは勿論、開発能力もかなりのものですから…マンセルは例外かもしれませんが・・あとヤマハエンジンに関しては名物の5バルブエンジンはどうかな~とやはりレースエンジンの設計は基本に忠実が本道かと・・確かに全日本で5バルブの経験は積まれてたでしょうが・・個人的にはヘッド部が重くなるような気がしますね~特に12気筒ともなると・・顕著ではないでしょうか😅ヤマハのような少数精鋭のチームがF1で結果を残すにはかなり厳しい時代でしたね・・先ずは良いシャシーコンストラクターと組むのが難しいですから…トヨタがF1参戦するとき、エンジンはヤマハ製かな~と思いましたけどそれも叶わず・・😢エンジンの技術力ではホンダに勝るとも劣らないイメージがあったので残念でした
毎度です♪ブラバムヤマハきたー!笑 MBコンビ懐かしいです。当時はパワー史上主義のマルチシリンダーから軽量コンパクトのトータルパッケージに移行し始める時期でしたね。ヤマハが89年に苦戦したあと1年休んでV12で復活でしたね。ミドルブリッジの中内オーナーもファクトリーエンジンで期待したでしょうね。ヤマハ側のチーム買収を拒否したんですか。中内さん、なぜ拒否したのでしょうねー。ヤマハv12自体は実際にどうだったんですかねー。翌年のジョーダンともマシンの相性が悪くて苦戦しましたしねー。やはりV12でパワー自体は良かったのかな?エアインテークはFW13みたいですね笑 今回も楽しかったです♪ありがとうございました😊
ヤマハは結局遠まわりしてV10に着地でしたね。それからのヤマハは凄い勢いで開発してましたよね!ってことはやっぱりV12はイマイチだったんでしょうね~
@@FormulaIneChannel そうでしょうねー。って考えると、NA元年からV10で戦って開発したホンダとルノーは、やっぱり凄いんですねー
実況泣かせ
スポンサー日本企業ばっかりですね(笑)このままヤマハがエンジン供給し続けて、金銭面でも支援していたらブラバムはどうなっていたんだろう。名門復活はあったんだろうか。あとドライバーの名前はいつ見てもややこしいですね。
ブラバムに支援って形のヤマハだとうまくいかなかった気がしますね。でもヤマハが買収できてたら話はかなり変わっていたんじゃないかと思います。最終的にトヨタがそのチーム買いそうですな。
ノーズはあげてみたものの、さほどノーズ下に空気は流れなさそうな感じがさすがセルジオ・リンランドって感じで名門の断末魔を感じさせますね😢フロントのダウンフォース足りなさそうでそりゃアンダーも出ますわな…
戦闘力はどうであれ、中谷さんがチームに加わっていたら違っていたかもと思うのは自由ですよね!
もちろん!
ヤマハV12はブラバムのマシンの出来がいまひとつだった事を考えればそこそこパワーはあったと思います。鈴鹿でブランドルが5位入賞する等シーズン終盤にはティレルよりも戦闘力はあったように感じました。翌年からヤマハは供給先をジョーダンに変更しましたが悲惨な結果に。ヤマハのエンジンは熱量が他のエンジンと比較して大きくマシンのデザインからブラバムとジョーダンはクーリングでかなり苦労したのではと思います。
皆さんこのマシンの形お好きなんですね。自分はこのマシンとフットワークは見た瞬間「これは走らなさそうだ」と感じました…笑しかし、鈴鹿ではあのホンダV10を搭載しているティレルのモデナをぶち抜くシーンもありました。あの瞬間の観客席の雰囲気がどうだったのか知りたいです笑
ぶらぶら
ブラバムヤマハの2年目を見たかったです。
良くも悪くも日本が好景気に湧いていた時代。
皆が知ってる名前がスポンサー。って言うのが嬉しいよね。
ヤマハV12があまり成功できなかったのは、ブラバムにジョーダンと言った弱小チームにしか供給できなかったのもあるかもしれないですね。
ヤマハは二輪でホンダとライバル関係ですし、またヤマハにF1復帰して欲しいですね。
スポンサーの「MITSUKOSHI」を見て
「三越!?」と驚いた当時の思い出。
ヤマハ、オートバックス、住友海上、三井物産、山善、そして三越! ジャパンマネーテンコ盛りだネ。
デザイン的には個人的に物凄く好みでした。
非常に綺麗でまとまった車で模型栄えする1台だと思います。
当時発売されてた、この車のラジコンカーやONIX社のミニカーは今でも大切に保管してあります。
古舘「まさにサーキットの峰竜太と竜雷太!」
深い、深すぎる
以前勤めていた会社もこのマシンのスポンサーをしてました。今でもこうやってゲーム画面にロゴが出るのでまだ宣伝効果はあるんですね。
社長の口癖は1億円出したでしたが、その部分のスポンサー料は6000万円なんですよね。当時は電通がスポンサー集めに関わっていたようですが、4000万円も抜いていたのかと思うと愕然とします。そのお金があればブラバムも僅かでもマシン開発に使えたのにと残念に思えます。
昔、NHKでエンジンに魂を吹き込め!って特番がありました。菅生サーキットで右京さんがテストドライバーとなり走行してるんですけど、ストレートでの音が兎に角良かった!右京さんも感動したあって言ってましたもの!此れでF1行けたら最高だろうなあって後日
雑誌で言ってました。
ヤマハv8とv12はケン松浦レーシングサービスが
チューニングを担当してたんですよね。
フロントウイングの「住友海上」が異様なくらいロックでしたね。
エンジンに関しては、ブランデルがレース以外(シーズン中に)FW14ルノーに乗ってテスト・ドライバーの経験があり、ブランドルはレース以外で91年SWCのジャガー(フォードHB使用)に乗ってライバルチームの良いエンジンの経験をしてる以上2人のエンジン開発はかなりの影響あったのは事実。 ただ、開幕戦で5速ギア使用な位にトルク重視・耐久性重視の為にパワー不足は事実。
このチーム、オンボードカメラ非搭載に義務付けられる5kgのバラストをフロントノーズコーンに搭載する位リアヘビーだったのは確か。 (ちなみにティレルはメーターパネルのバルクヘッドの前辺り)
車体に関しては、あまり知られてないが、デザイナーのセルジオ・リンランドがティレルに約3週間ほど在籍していた時に、ガルウィングを間近で観察していたのを独自に発展させたのが、1本支えウィングを投入したんだとか(フットワーク同様に、強度の問題でワイヤーの補強をしていたけど)
ちなみに、91年モナコで失格騒動で出走出来なかったブランドルはイギリスBBCの放送席で、ジェームス・ハントの隣で臨時の解説者を務めていました。
おおおっ久しぶりにSHIGE節ありがとうございます😊流石SHIGEさんいつもありがとうございます!
翌年92年のピンクのBT60ジャッドは
記念すべきデーモンヒルのデビューマシンにして我らがデーモン小暮閣下のマシーンですね!
流石は閣下!のちにワールドチャンピオンにおなりになるヒル様を召喚(スポンサード)されるとは!
あの独特のノーズに「聖飢魔Ⅱ」のロゴがデカデカと光り輝いていおりました。
91〜92年にかけて日伊四大メーカーが参戦しフォード他も投入検討した所謂V12エンジン黄金期でした。しかし僅か4シーズン後にグランプリから絶滅するとは思いませんでした。
そうなんですよね〜。やっぱりホンダの方にv12の軽量化していっても最終的にバランスとしてはv10には勝てないってことだったんでしょうね。
当時、ほとんど情報がなく、よく知らないチームでした。
F1サーカス'91では、中堅チーム扱いでした。蠍のマークや紫色のカラーリングで乗る気にはなりませんでしたが、テストドライブしたら音は甲高くてまあまあよかったです。
ほほーF1サーカスでは中堅チーム。やはり伝統のチームを下位に持ってくことはできなかったですな!F1サーカスって音もしっかり再現してるんですな!知りませんでした!
曲がらないマシン、と言えば、セナ用セッティングのマクラーレンホンダは敢えてアンダーセッティングにしてたらしいですよ。セナ自身がアクセルで曲げる乗り方だった(セナ足)ので。
ブランデルは、その後にティレルで再びヤマハエンジンに乗るんですな。
MBコンビがドライブした
BT60Yは、ベルギーGPでブランデルが6位獲得
日本GPでブランドルが5位獲得しましたね。
後期ブラバムの中でもとても好きなマシンです。三越がスポンサードしていましたが、F1史上日本の百貨店として唯一じゃないですか?翌年のカラーリングはグロテスクでしたが、個人的にあれはかつての栄光にあやかったBMWカラーだったのでは?と思っています。
百貨店のスポンサーだなんて時代だなぁ。
靴のマドラスなんて今じゃ最下位チームの端っこにも載せられないでしょ。
昔からスポンサー視点の見方も好きなんだけど、最近どっかのグランプリの無観客レースでzoomの看板がサーキットに出てたのが今の世相を表して少し皮肉めいたものを感じました。
このマシン個性的なフォルムで大好きでした。翌年のピンクと紫のどぎついカラーリングはいただけませんでしたが。
デザイナーのセルジオ・リンランドさんは翌年にデザインした、フォンドメタルGR02とともにとても印象深いマシンです。
このクルマのハイライトは鈴鹿でのブランドル5位かな、と思いますね。
なにせ、ティレル・ホンダ(モデナ)ぶち抜きましたからね。
この珍妙なサイド・ポンツーンですが、スライド式でラジエターが風に当たる面積を変えられる、
などと川井一仁さんが言っていましたね。
60っていえば初期型の何とも味のあるサイドポンツーンでしたね。ほとんど意味不明ですが
ブラバム最後のマシン。BT60Bの走る姿みたいです。
ピンクブラバム。
バブル期にひっそりとほぼオールジャパンだったブラバム。
名門チームといわれていても最後はあけっけないチームでした。
やりますよ!BT60B‼︎ひとしきり91年終わったら92年に突入しまっせ!
当事実況泣かせの
マーティン ブランドル
マーク ブランデル
のブラバムドライバー!
マーティン・ブランドルとマーク・ブランデルのMBコンビは世界中の実況アナ泣かせで有名ですが、2人ともハコやスポーツカー耐久でも器用な活躍を見せているところまで似通ってますね😁
確かにそうですね。いつまで経っても覚えられない…
でも、ブランドル氏には申し訳ないですが、当時はブラバムチームには興味は有れど、89'のステファノモデナ以外は、ほとんどドライバーに興味ございませんでした。が、今、F1でインタビュアーとしてご活躍のブランドルさんは、むしろ今の方が興味を持ってお付き合いさせて頂いて居ります😅。
「ブランドル・ブランデル・ブラバム」
これを3回繰り返して言うのが何故か
当時通っていた高校のクラスで流行っていた。
形は特殊、カッコいいカラーリング、ヤマハのV12なのに京商のミニカー位しか模型が手に入らなかった(苦笑)
ポルシェ、スバル、ライフの12気筒よりはまともだったけどホンダやフェラーリよりパワー不足。ランボルギーニよりもトルク不足?
最初から4バルブで熟成したら…。
タラレバです。
シャシーもハイノーズとりあえず入れて見ましたが…。
でも資金不足で頑張るあまり映らないこの時代好き(笑)
スポンサーが
バブル期のジャパンマネー
日本企業のスポンサードの時代は日本が華やかでしたが、確かに違和感を感じてました。F-1は欧州の物と言う印象がありますよね。parmalatの頃のブラバム雰囲気あったな〜
そそ!ピケがいた頃の白と紺のプラバム!超絶かっこええです!
@@FormulaIneChannel BMWとのイメージが合致している様な雰囲気ありましたよね〜とにかくシブいんです〜
待ってました!ブラバムヤマハ!早かった記憶はないのですがカラーリングもスタイルも美しくて好きでした、
どうもこんばんわ~。92年のブラバム…、アマティとヒル…そしてあの聖飢魔IIですね…。
エリック・バン・デ・ポールもお忘れなく。
リップサービスもあると思うがブランドルが4速まではルノーと互角だって言ってたような
ブラバムと言えば、エクレストン&マーレイ&ピケ+BMWターボエンジンのイメージ=80年代前半の黄金期なんですね。
その頃と比すると、ややパンチに欠けるというか、イメージに合わなかったなぁって。
名前は同じながら、全く違うチームになっていましたね。
正直なところ、ブラバムと日本企業の組み合わせは、私には違和感しかなかったです。
ヤマハもいろんなものが足りなかった感じで、おそらく資金力が…でしょうね。
個人的には、ヤマハはV8を極めるフォード・コスワースの道を歩むのがベターだったんじゃないかと思っています。
毎度です。そうなんですよね。フォードとの業務提携がうまく行ってたらかなりかわっていたでしょうね!
このパッケージ大好きでした。デザインも良かったです。
ヤマハエンジンはザクスピードとは比べ物にならないぐらい期待していました。信頼性がない中で前半戦は完走がやっとでも初ポイントの匂いはしていました。
スパで初ポイントを獲得した時は嬉しかったことを覚えています。
このマシンに乗ったことでブランドルさんとブランデルさんを知って好きなドライバーになりました。
スポンサーや資金不足は明らかでしたからオーナーがヤマハからの提案を受けていれば92年後半戦以降も参戦出来たかもしれないと思いますとちょっと残念です。
しかし、この年二人ともポイントを獲得できてかつ鈴鹿でポイント取れたのはヤマハにすれば良かったと思います。
どうもです。この年のブラバムはやけに日系スポンサーが多いなと思ってましたが、そういう事だったんですね。ブラバムの最後の輝きの年で、最後の年はあの聖飢魔IIのデーモン小暮さんがスポンサーについたのもいい思い出です。(デーモン・ヒルがドライバーだったという理由でした。)
前半8戦は2台で完走僅かに4回最高位8位で予備予選に回されたけど、後半は完走10回入賞2回とかなりの躍進でしたね。資金不足の中、良く頑張ってるという印象でした。92年は日本人ドライバーが3人もいる!とワクワクしたんですがね。。。
中谷さんには乗って欲しかった。
オートバックスがスポットスポンサーをしていた鈴鹿のカラーリング。個人的にかっけぇーでした✨
中内さんも最後には投資会社に騙されて終了でしたね!😡
このヤマハV12、92年のウィリアムズFW14Bや93年のマクラーレンMP4/8やウィリアムズFW15に搭載されていたらどうなっていたでしょうかね?^^
かなりヤマハへの風当たりが悪くなっていたでしょうね。全然競争にならなかったと思います。
主様どうもデス。
どなたかが、コメント欄の人
もう、いいんぢゃね?と
ありましたので、短めで!
ヤマハエンジンだから
マシン型式にYて・・・
安易な気が・・・開幕2戦の
BT59Yしかり、BT60Yしかり
毎度です。お好きなだけ思いの丈をガッツリ書き込んじゃって下さいませ〜。
@@FormulaIneChannel
ありがとうございます!
前回フォンドメタルの回でも
書きましたが、バンデポールが
92年序盤に乗ってましたけね
チームと言うか、マシンと言うか
恵まれませんでした。
まさに地獄の資金難、、、
改めて見るとなかなかいいデザインですね。当時は三越の印象しかなかったのですが笑
マシンとエンジンの素性は悪くなく、二人のMBも実力派(91年当時はそこそことしか思っていませんでした)だし、これで資金力があったら、93年のリジェみたいに時折上位陣をかき回す存在になってたのかなとか今になって思いますねぇ
1991年のブラバム、漫才コンビ???の(マーティン)ブランドル・(マーク)ブランデルコンビでしたね!ヤマハV12搭載車ということで重量感があったマシンと印象でした。
ブラバムヤマハ取り上げてくれて嬉しいです♪ シーズン前にはHONDA対YAMAHAのV12対決が見れると興奮したのですが…😅
カラーリング的にはHONDAとYAMAHAの色が二輪と逆転してるかのようで面白かったな〜(マルボロヤマハとロスマンズホンダ)
あらま!気がつきませんでしたが言われてみれば確かに二輪とひっくり返ってるようなカラーリングですな!面白い😊😊
@@FormulaIneChannel
ありがとうございます😆
今回はmodのお話多めで嬉しかったです♪曲がってくれませんよね~、ハンドルこじるだけじゃ。アクセル抜くなりブレーキ踏むなりして車体全体の向きを変えるイメージで...、失礼。
しかしまぁ、もういいでしょ?もう十分でしょ?コメント欄の皆様方。
もう始めましょ、アセットコルサ♪
ぬははは。確かにそろそろ皆さんアセコルの世界はいかがですか?最高ですよ!そうでした。今スキン作成の動画撮ってますよ〜。最初は簡単なやつからですけども。
お疲れ様です♪時代が流れ衰退の一途を辿るかつての名門、唯一このチームが間違いなくグランプリ界No.1だった点(あくまで個人的見解)はエンブレムデザイン(ヒッシング・シド)のカッコ良さだけw 或いは89年の復帰時点でチームとしては残念ながら死に体でしたね(モデナよく頑張りました!)。川井ちゃんが「思い込みで聞き流してたけど、ホッケンやモンツァでのピーキーサウンドはフェラーリよりOX99の方が断然カッコいい噴け音だった!」とか言ってましたね。懐かしいですなぁw 翌年はグランプリ史上最悪のカラーリングになる訳でw 今回も楽しませて頂きました❗
えええっフェラーリよりもいい音⁈それは聞いてみたかったですねー。ああでもこれはなかなか叶いそうにない願いですな。92年が私自身も楽しみですぜぃ!
@@FormulaIneChannel さん、川井ちゃん曰く「トルク薄独特の下腹に響かない感じながら、中高域の鳴り物入りの音はフェラーリやランボより耳障りで最高!」だったみたいですよ。私自身色々物色しましたが(91年のモンツァ合同テストの動画で僅かに確認出来ますが、シケイン前後が撮影点なのでピーキー音じゃないのが残念!)鮮明なエンジン音は確認出来ませんでした。どうやらBT60Yも動態保存の実車は私の調べた限り現存してないみたいです⤵以上、補足情報w長々と失礼しましたw
ぬぬぬお、無いんですね〜残念でなりませんな!
@@FormulaIneChannel さん、申し訳ありません!グランプリファンを代表してお詫び申し上げますww
あはは🤣それにしても歴代のF1マシンって大量にあったのにどこに行っちゃったんですかね。イギリスで売りに出てるものはまだいいんですけども、野ざらしでコケが生えてるマシンをTH-cam で見ると残念でなりません。
意欲的な車だから、資金が有れば化けたかもね!!
第1期ブラブラコンビ(別チームで第3期まである)の91年ブラバムなつかしいですね。91年は90年のティレルをうけて、各チームいろんなハイノーズを考えだしてきた中でも明らかに走らなさそうなブラバムの一本棒方式はやっぱり走りませんでしたね。ASRでもおっしゃる通りまがんね~って感じでした。ヤマハのV12もあんまり活躍はできませんでしたが、音は最高でしたね。走り去る時の音が管楽器のような余韻を残すいい音でした。なんかの動画の時に言った記憶がありますが、F1 V12最高の年は翌年92年ですが、管楽器のようなヤマハV12、カ行が強いフェラーリV12、ず太い低い音のホンダV12、かなり荒い感じのランボルギーニV12と最高の年でした
この時点でボロボロとか。。。
この当時のF1はティレルが持ち込んだハイノーズをどうしたら物に出来るのか?
チーム毎に解釈が違って、見た目も色々で楽しかったです♪
ブラバムBT60Yは独特のサイドポンツーンと一本ステーでの吊り下げで、結構好きなマシーンでした。
ヤマハに身売りしてたら、翌年のあの奇天烈カラーにならなかったのになぁ
この年のブラバムの事を後年ブランドルが話してましたね。
曰く「ヤマハの姿勢は素晴らしかった」「シャシーも若干リアヘビーだったけど悪くなかった」と。
ただチームオーナーに関してはボロクソ言ってましたね。
「あんな変わった男には会った事がない」そうで(^^;
なるほど。そうなんですね~。中内さんの情報ってホントに出てこなくて謎だらけなんですよね。そんなに変わった人だったんですね~。
なんでこの時代ってオーナーといいスポンサーといい不祥事が多いんだ😅
バブルの弊害でしょうね
フロントウイングの住友海上には当時違和感がありました(笑)確かバブルの頃は全チームに日本企業のロゴが入ってした気がします。チームごと買い取る人もいたし。日本って凄いんだ!当時思ってましたが、今考えると異常ですよね。
良いっすね、ハイノーズどうやって持ち上げちゃおうか過渡期のデザイン。各チームのノーズデザインがとても気になり、楽しかったですね。強度不足じゃないの?って思ったらワイヤーで吊ってんだ〜っって思いました。
当時、フジテレビオフィシャルハンドブックというものがあり、森脇基恭さんが辛辣だったの思い出して見たくなって引っ張り出してきました。それによりますと、「森脇基恭のマシン診断」。サイドポンツーンのくびれにある、ラジエーターのアウトレットに関して、入った空気は後方に流すべきで、常時ボディーの横から出すとドラッグが増えて理想的ではないと説明しておられました(苦笑)。
しかし、新しいコンセント、レギュレーションが生まれた時に過渡期のデザインは付きもの、来年以降のF1、各チームどんな回答でニューマシンを引っ提げて来るか、今から楽しみでなりません☺️
来ましたね!リンランドマシンは大好きですが、速くはないのが…
ハービー・ブラッシュも居ましたね!
日本スポンサーチームとしてはロータスとカブりますね。ロータスがそこそこ上手く行ってブラバムはって感じでしたが、ロータスもあんな感じだから結局は一緒でしたね。
リンランドさんのデザインは、機能よりも見た目の奇抜さを重視しているようで、奇形なサイドポンツーンとか???でしたね(^-^*)
それでもトータルバランスはそれほど悪くなかったのか、後半は先ず先ずの走りを時折見せていましたね
ただそれは二人の器用なイギリス人ドライバーの頑張りだったのかもしれません。
二人のMBやワーウィック、ハーバートそしてデーモンヒルなどイギリス人ドライバーって与えられた環境でそれなりの仕事をきちんとこなすタイプですよね~
私がチームオーナーなら必ず1人はこのタイプのドライバーと契約したいですね(^-^*)
レースは勿論、開発能力もかなりのものですから…
マンセルは例外かもしれませんが・・
あとヤマハエンジンに関しては名物の5バルブエンジンはどうかな~と
やはりレースエンジンの設計は基本に忠実が本道かと・・
確かに全日本で5バルブの経験は積まれてたでしょうが・・個人的には
ヘッド部が重くなるような気がしますね~特に12気筒ともなると・・顕著ではないでしょうか😅
ヤマハのような少数精鋭のチームがF1で結果を残すにはかなり厳しい時代でしたね・・先ずは良いシャシーコンストラクターと組むのが難しいですから…トヨタがF1参戦するとき、エンジンはヤマハ製かな~と思いましたけどそれも叶わず・・😢
エンジンの技術力ではホンダに勝るとも劣らないイメージがあったので残念でした
毎度です♪
ブラバムヤマハきたー!笑 MBコンビ懐かしいです。当時はパワー史上主義のマルチシリンダーから軽量コンパクトのトータルパッケージに移行し始める時期でしたね。ヤマハが89年に苦戦したあと1年休んでV12で復活でしたね。ミドルブリッジの中内オーナーもファクトリーエンジンで期待したでしょうね。ヤマハ側のチーム買収を拒否したんですか。中内さん、なぜ拒否したのでしょうねー。ヤマハv12自体は実際にどうだったんですかねー。翌年のジョーダンともマシンの相性が悪くて苦戦しましたしねー。やはりV12でパワー自体は良かったのかな?
エアインテークはFW13みたいですね笑 今回も楽しかったです♪ありがとうございました😊
ヤマハは結局遠まわりしてV10に着地でしたね。それからのヤマハは凄い勢いで開発してましたよね!ってことはやっぱりV12はイマイチだったんでしょうね~
@@FormulaIneChannel そうでしょうねー。って考えると、NA元年からV10で戦って開発したホンダとルノーは、やっぱり凄いんですねー
実況泣かせ
スポンサー日本企業ばっかりですね(笑)このままヤマハがエンジン供給し続けて、金銭面でも支援していたらブラバムはどうなっていたんだろう。名門復活はあったんだろうか。あとドライバーの名前はいつ見てもややこしいですね。
ブラバムに支援って形のヤマハだとうまくいかなかった気がしますね。でもヤマハが買収できてたら話はかなり変わっていたんじゃないかと思います。最終的にトヨタがそのチーム買いそうですな。
ノーズはあげてみたものの、さほどノーズ下に空気は流れなさそうな感じがさすがセルジオ・リンランドって感じで名門の断末魔を感じさせますね😢
フロントのダウンフォース足りなさそうでそりゃアンダーも出ますわな…
戦闘力はどうであれ、
中谷さんがチームに加わっていたら違っていたかもと思うのは自由ですよね!
もちろん!
ヤマハV12はブラバムのマシンの出来がいまひとつだった事を考えればそこそこパワーはあったと思います。鈴鹿でブランドルが5位入賞する等シーズン終盤にはティレルよりも戦闘力はあったように感じました。翌年からヤマハは供給先をジョーダンに変更しましたが悲惨な結果に。ヤマハのエンジンは熱量が他のエンジンと比較して大きくマシンのデザインからブラバムとジョーダンはクーリングでかなり苦労したのではと思います。
皆さんこのマシンの形お好きなんですね。
自分はこのマシンとフットワークは見た瞬間「これは走らなさそうだ」と感じました…笑
しかし、鈴鹿ではあのホンダV10を搭載しているティレルのモデナをぶち抜くシーンもありました。
あの瞬間の観客席の雰囲気がどうだったのか知りたいです笑
ぶらぶら