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80系 懐かしいですね。西阿知に叔母さんが居たので岡山駅からコレに乗って行ってました。さようなら運転にも乗車して糸崎まで行きました。大変混雑してる中 車掌さんのアナウンスを録音しようとラジカセに接続させたマイクをめいいっぱい伸ばしスピーカーにあててる音鉄のお兄さん達が居ました。今でもそのテープが残ってたら聴いてみたいですね。貴重なお写真ありがとうございました。
ありがとうございます。音だけでもTH-camに投稿もらえたら貴重な番組になると思います。音鉄の皆さん、ぜひお願いします!
田舎帰るのいに、姫路駅から80系窓全開→岡山駅キハ20窓全開→備中高梁駅着 顔真っ黒wwww 楽しかった!!
私の住んでいた阪急宝塚線沿線の自宅、お向かいさんが備中高梁の人でした。駅名を聞くと懐かしいです。
2:11ここで映っている右端の線路は荷役線か何かだったんでしょうか。今でも1番のりばの先に恐らくこれと同じ線路が残っていて、ずっと不思議に思っています...
何だったんでしょうね。振り返ってみると 2:21 の写真のように水島臨海鉄道の貨物ヤードの脇を走っています。
この一年後の、76年に東北本線の小山電車区から、岡山運転所に115系の初期車が転属、80系電車の活躍の場は、西へ西へと追いやれていきました。時代は、JR、平成へと。新型に追われた、生粋の通勤型の103系が、岡山にやってきた。そして広島、下関へも。昭和の鉄道は、然るべき形式が、然るべき路線を往く、旅も楽しかった。そうそう、岡山の103系のマスカット色、山手線の黄緑6号と、どう違うのか、実見してみたかったです。
1:17 ちらっと元貴賓車のサハ48040が写っていますね。。。晩年は岡山地区で活躍したんでしたっけ?
サハ48040のことをネットで調べてみました。「皇族が葉山の御用邸や横須賀軍港への往来に使用するために日本車輌で貴賓車クロ49001として」作られた、貴重な車両だったんですね。「1963年格下げ改造が実施されサハ48040となり1976年岡オカで廃車」となっていました。
@@tetsu-jiiji さん情報ありがとうございます!そうです。クロ49の誕生がクロ157、そしてE655系「和」に繋がっているんですよね。。。こちらでも手持ちの資料で調べましたが、1931年に貴賓車クロ49として2両製造(クロ49001,クロ49002)。1953年に一般化改造でクロハ49に改造。元の貴賓室側を二等室に変更(クロ49001→クロハ49000、クロ49002→クロハ49002)。伊東線で運用されたようです。更に1956年の更新修繕で室内を本格改造し、中間車化してサロハ49に変更(クロハ49000→サロハ49000、クロハ49002→サロハ49001)。その際に旧貴賓室は三等、控え室側が二等となったようです。そして1963年に一等室(旧二等室)側が格下げされてサハ48となった様です(サロハ49000→サハ48040,サロハ49001→サハ48041)。サハ48への格下げ改造時に中央部にあった扉を端部へ移設。暫く伊東線で使用された後、岡山へ転属となった模様です。サハ48040は1976年9月11日廃車。サハ48041は1976年6月15日廃車となっています。※対象資料国鉄電車ガイドブック(旧性能電車編上) 誠文堂新光社旧型国電車両台帳 ジェイアールアール
伯備線も単線非電化で雰囲気は吉備線と変わらないようなローカル線ですね
2:02おっとテルハが写ってる。懐かしいな😄
大きな駅には必ずありましたよね。
前面2枚窓の80系湘南型も新湘南型153系も、保存車両が1両もないんですよね。あんなに活躍したのに。残念な話です😢
どちらも名実ともに「名車」ですが、どいうことなんでしょうね。正面3枚窓の80系がやっと京都鉄道博物館に残っていますが・・・東京の病院に80系300番台のレプリカがありましたが、なくなっているようですね。
@@tetsu-jiiji さま。練馬区石神井の小山病院でしたっけ?先代の医院長さんが、ガチの鉄道ファンで実際の鉄道部品を使って診察室を湘南電車風につくったものですが、その後病院の改築のためになくなったそうです。ここは院長の自宅にも西武351形をショーティに改造したものを所有されていましたね。こちらもなくなっていると思います。実はその前に、クモハ40形に模したものを所有されていたと聞いています。これは電車区に大工さんを連れて行って似た形に作ってもらったそうで、再現度が半端なかったそうですよ。
アメリカの大富豪、ハワード・ヒューズは飛行機マニアで半端ないコレクションを所有していたそうですが、日本にもそれに近い人物がいたのですね。
伯備が単線非電化ならかなり昔だね。っていうか岡山市が田舎だった頃だな。今のほうが都会に感じるだろうな!
80系、153系、急行とも、特急しおじ・・・・とにかく懐かしいです。しおじは、なかなか座席が確保出来ず、新大阪駅で長時間並んで、ともに乗って西に移動し、おばあちゃんの家に行っていました!!たまに修学旅行用の車両に当たる事も!今でも停車駅は全部言えます(^^)もちろん冷房も無く窓全開!本当、良き時代でした!!
155系、167系などよく走っていましたね。167系はともかく、155系はコイルバネ台車に非冷房、爆走したら爽快でした。
伯備線電化は自分が生まれる少し前ぐらいなんやね
懐かしいです。80系は出入り口のデッキ付近に人がかたまっていて、中間当たりの座席はあいてることがありましたね
2扉デッキ付きの構造では、どうしてもそうなりますね。
1975年といえば山陽新幹線が全線開通後ですかね。在来線は特急や急行が減り始めた頃と思います。岡山駅は現在でも山陰方面、四国方面の特急がバンバンやってきますがこの頃は宇高連絡船の頃でしょうからまた現在とは違うのでしょう。倉敷は伯備線分岐駅だから現在同様にやくもがきていたのですね。ただ、伯備線が非電化なのでキハ181系ですがね😊
追伸、岡山電気軌道も2路線が現在も残っておりますね😊
宇野線には1972年までは急行鷲羽号が、それ以降は快速電車が運転されていました。伯備線はキハ181系の特急やくも号や、キハ55、58の急行が岡山駅まで乗り入れていました。
1977年頃岡山駅でキハ55系を見たのと、茶屋町駅で80系を見たことを思い出します。
キハ55も80系電車も岡山まで行けば見られましたね。少し前には姫路駅で、播但線のキハ26と山陽本線普通の80系が見られました。
時期的に小3か。80系全盛期だったのが懐かしいですわ。宇野線に戦前形が多数残っていたとは。
姫路まで行けば岡山行きの80系に会うことができ、ワクワクしました。格下げ2等車が連結されていたこともあり、ゆったりしたボックスシートにもたれて兵庫・岡山県境を越えるのはいいものです。
この頃の夏、特急は冷房完備。急行は一部客車以外ほぼ冷房車。普通電車に冷房はなかった。153系快速は急行気分でサービスでしたね。
いつか153系は引退し、115系が幅を利かすようになりました。長距離のるには115系はいまいちですね。
伯備線は電化してないから、やくもはキハ181系ですね。
やくもはキハ181系だったと思います。急行はキハ58はもちろん、キハ55(非冷房!)も運用されていました。
懐かしいですね!。実写は無理として、地図に片鉄や下津井電鉄、西大寺鉄道辺りが入ってたらもっと嬉しいですね。、😅
山陽地方の1970年代の私鉄をまとめてスライドショーにしても面白いかもしれませんね。アイデアをありがとうございます。
当時は2扉でもラッシュに支障無かったんですね。今やったら積み残し出そう。当時は今より編成両数長かったから2扉でもラッシュに対応出来たんかも❔
東京発の東海道線ですら、2扉の80系電車が走っていたくらいですから、山陽本線に80系/153系が用いられても不思議ではありません。しかしデッキが超混雑して乗り降りがしづらかったでしょうね。
通学に使っていました
この時期でもまだ非電化ですか。考えてみると、よく国鉄末期に伯備線だけでも近代化したもんだと思いますよね。
国鉄末期と言えど悪いことばかりじゃない、建設的な投資もあったということですね。
懐かしい国鉄時代の寫眞ばかりですね。80系、153系も気動車も跡形も無く消えて冥界に行ってしまいました。
115系も381系も消えゆくのは時間の問題ですね。岡山の鉄道からも国鉄は遠くなってしまいました。
80系 懐かしいですね。
西阿知に叔母さんが居たので岡山駅からコレに乗って行ってました。
さようなら運転にも乗車して糸崎まで行きました。
大変混雑してる中 車掌さんのアナウンスを録音しようとラジカセに接続させたマイクをめいいっぱい伸ばしスピーカーにあててる音鉄のお兄さん達が居ました。
今でもそのテープが残ってたら聴いてみたいですね。
貴重なお写真ありがとうございました。
ありがとうございます。
音だけでもTH-camに投稿もらえたら貴重な番組になると思います。
音鉄の皆さん、ぜひお願いします!
田舎帰るのいに、姫路駅から80系窓全開→岡山駅キハ20窓全開→備中高梁駅着 顔真っ黒wwww 楽しかった!!
私の住んでいた阪急宝塚線沿線の自宅、お向かいさんが備中高梁の人でした。駅名を聞くと懐かしいです。
2:11
ここで映っている右端の線路は荷役線か何かだったんでしょうか。今でも1番のりばの先に恐らくこれと同じ線路が残っていて、ずっと不思議に思っています...
何だったんでしょうね。振り返ってみると 2:21 の写真のように水島臨海鉄道の貨物ヤードの脇を走っています。
この一年後の、76年に東北本線の小山電車区から、岡山運転所に115系の初期車が転属、80系電車の活躍の場は、西へ西へと追いやれていきました。
時代は、JR、平成へと。新型に追われた、生粋の通勤型の103系が、岡山にやってきた。そして広島、下関へも。
昭和の鉄道は、然るべき形式が、然るべき路線を往く、旅も楽しかった。
そうそう、岡山の103系のマスカット色、山手線の黄緑6号と、どう違うのか、実見してみたかったです。
1:17 ちらっと元貴賓車のサハ48040が写っていますね。。。
晩年は岡山地区で活躍したんでしたっけ?
サハ48040のことをネットで調べてみました。「皇族が葉山の御用邸や横須賀軍港への往来に使用するために日本車輌で貴賓車クロ49001として」作られた、貴重な車両だったんですね。「1963年格下げ改造が実施されサハ48040となり1976年岡オカで廃車」となっていました。
@@tetsu-jiiji さん
情報ありがとうございます!
そうです。クロ49の誕生がクロ157、そしてE655系「和」に繋がっているんですよね。。。
こちらでも手持ちの資料で調べましたが、1931年に貴賓車クロ49として2両製造(クロ49001,クロ49002)。
1953年に一般化改造でクロハ49に改造。元の貴賓室側を二等室に変更(クロ49001→クロハ49000、クロ49002→クロハ49002)。
伊東線で運用されたようです。
更に1956年の更新修繕で室内を本格改造し、中間車化してサロハ49に変更(クロハ49000→サロハ49000、クロハ49002→サロハ49001)。
その際に旧貴賓室は三等、控え室側が二等となったようです。
そして1963年に一等室(旧二等室)側が格下げされてサハ48となった様です(サロハ49000→サハ48040,サロハ49001→サハ48041)。
サハ48への格下げ改造時に中央部にあった扉を端部へ移設。暫く伊東線で使用された後、岡山へ転属となった模様です。
サハ48040は1976年9月11日廃車。
サハ48041は1976年6月15日廃車となっています。
※対象資料
国鉄電車ガイドブック(旧性能電車編上) 誠文堂新光社
旧型国電車両台帳 ジェイアールアール
伯備線も単線非電化で雰囲気は吉備線と変わらないようなローカル線ですね
2:02おっとテルハが写ってる。懐かしいな😄
大きな駅には必ずありましたよね。
前面2枚窓の80系湘南型も新湘南型153系も、保存車両が1両もないんですよね。あんなに活躍したのに。残念な話です😢
どちらも名実ともに「名車」ですが、どいうことなんでしょうね。正面3枚窓の80系がやっと京都鉄道博物館に残っていますが・・・
東京の病院に80系300番台のレプリカがありましたが、なくなっているようですね。
@@tetsu-jiiji さま。練馬区石神井の小山病院でしたっけ?先代の医院長さんが、ガチの鉄道ファンで実際の鉄道部品を使って診察室を湘南電車風につくったものですが、その後病院の改築のためになくなったそうです。ここは院長の自宅にも西武351形をショーティに改造したものを所有されていましたね。こちらもなくなっていると思います。
実はその前に、クモハ40形に模したものを所有されていたと聞いています。これは電車区に大工さんを連れて行って似た形に作ってもらったそうで、再現度が半端なかったそうですよ。
アメリカの大富豪、ハワード・ヒューズは飛行機マニアで半端ないコレクションを所有していたそうですが、日本にもそれに近い人物がいたのですね。
伯備が単線非電化ならかなり昔だね。っていうか岡山市が田舎だった頃だな。今のほうが都会に感じるだろうな!
80系、153系、急行とも、特急しおじ・・・・とにかく懐かしいです。しおじは、なかなか座席が確保出来ず、新大阪駅で長時間並んで、ともに乗って西に移動し、おばあちゃんの家に行っていました!!たまに修学旅行用の車両に当たる事も!今でも停車駅は全部言えます(^^)もちろん冷房も無く窓全開!本当、良き時代でした!!
155系、167系などよく走っていましたね。167系はともかく、155系はコイルバネ台車に非冷房、爆走したら爽快でした。
伯備線電化は自分が生まれる少し前ぐらいなんやね
懐かしいです。80系は出入り口のデッキ付近に人がかたまっていて、中間当たりの座席はあいてることがありましたね
2扉デッキ付きの構造では、どうしてもそうなりますね。
1975年といえば山陽新幹線が全線開通後ですかね。在来線は特急や急行が減り始めた頃と思います。岡山駅は現在でも山陰方面、四国方面の特急がバンバンやってきますがこの頃は宇高連絡船の頃でしょうからまた現在とは違うのでしょう。倉敷は伯備線分岐駅だから現在同様にやくもがきていたのですね。ただ、伯備線が非電化なのでキハ181系ですがね😊
追伸、岡山電気軌道も2路線が現在も残っておりますね😊
宇野線には1972年までは急行鷲羽号が、それ以降は快速電車が運転されていました。伯備線はキハ181系の特急やくも号や、キハ55、58の急行が岡山駅まで乗り入れていました。
1977年頃岡山駅でキハ55系を見たのと、茶屋町駅で80系を見たことを思い出します。
キハ55も80系電車も岡山まで行けば見られましたね。少し前には姫路駅で、播但線のキハ26と山陽本線普通の80系が見られました。
時期的に小3か。80系全盛期だったのが懐かしいですわ。宇野線に戦前形が多数残っていたとは。
姫路まで行けば岡山行きの80系に会うことができ、ワクワクしました。格下げ2等車が連結されていたこともあり、ゆったりしたボックスシートにもたれて兵庫・岡山県境を越えるのはいいものです。
この頃の夏、特急は冷房完備。急行は一部客車以外ほぼ冷房車。普通電車に冷房はなかった。153系快速は急行気分でサービスでしたね。
いつか153系は引退し、115系が幅を利かすようになりました。長距離のるには115系はいまいちですね。
伯備線は電化してないから、やくもはキハ181系ですね。
やくもはキハ181系だったと思います。急行はキハ58はもちろん、キハ55(非冷房!)も運用されていました。
懐かしいですね!。実写は無理として、地図に片鉄や下津井電鉄、西大寺鉄道辺りが入ってたらもっと嬉しいですね。、😅
山陽地方の1970年代の私鉄をまとめてスライドショーにしても面白いかもしれませんね。アイデアをありがとうございます。
当時は2扉でもラッシュに支障無かったんですね。
今やったら積み残し出そう。
当時は今より編成両数長かったから2扉でもラッシュに対応出来たんかも❔
東京発の東海道線ですら、2扉の80系電車が走っていたくらいですから、山陽本線に80系/153系が用いられても不思議ではありません。
しかしデッキが超混雑して乗り降りがしづらかったでしょうね。
通学に使っていました
この時期でもまだ非電化ですか。考えてみると、よく国鉄末期に伯備線だけでも近代化したもんだと思いますよね。
国鉄末期と言えど悪いことばかりじゃない、建設的な投資もあったということですね。
懐かしい国鉄時代の寫眞ばかりですね。
80系、153系も気動車も跡形も無く消えて冥界に行ってしまいました。
115系も381系も消えゆくのは時間の問題ですね。岡山の鉄道からも国鉄は遠くなってしまいました。