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私は日本に住んでいる外国人です。桐生までは30km以上離れていますが、よく自転車に乗ります。 JOMOまで自転車で行けます。そういう通りを歩くのが私は大好きなんです。地元の人でなくても大好きになってしまう、とても愛されている場所だと感じます。 桐生からは、上毛列車とわたらせ列車という、最も興味深い 2 つのローカル列車に乗ることができます。日本人がとても穏やかで物静かなことに本当に感謝しています。私の日本語があまり上手ではないのに、何倍も年上の人が親切に話しかけてくれたことも何度かありましたが、それでも、こうした経験は私にとって嬉しい驚きでした。
外国の方で珍しいですね😄かなりの日本通ですね、日本滞在を楽しんでください。
グンマー帝国を堪能しました。ありがとうございました。
この町はお気に入りで何度か行ってます😄
終盤に「銭湯跡」として紹介された一の湯は、2023年4月15日に見事復活しました!
えー😳ビッグニュースをありがとうございます。これは入りに行かねば😄
我が生まれ故郷・桐生を取り上げていただき感謝です。しかも実家の周りの風景がたくさん出てきました。今はもう人がいなくなって、さながらゴーストタウンのようになってしまった。でも映像のあちこちに昔の思い出が蘇ってきました。😄
記録として残れば嬉しいです😊ご視聴ありがとうございます。
母(1954年生まれ)が桐生出身で、高校卒業後に上京しました。私は祖父母に会うために、長期休みのたびに桐生に行っていました。母はしばしば、かつて桐生がいかに栄えていたかという話をします。あのあたりにはあれがあった、これがあった、祭りの時にはああだった、こうだった、高崎や前橋の子も桐生まで遊びに来ていたものだ、云々。70年代あたりまでは栄えていたが、そこであぐらをかいて企業の誘致を怠った、だから衰退したのだ、と言っています。
まさしく製糸産業に固執しすぎたのかもしれませんね!?
地勢的に❌レガシーのみ残る
桐生市(新里町)在住ですので、桐生が織物で栄えた時代の場所話しには聞いていましたが現在は廃墟ですが始めて拝見致しました。撮影お疲れ様でございました。
地元の方のコメント嬉しいです😊コメントありがとうございます。
@@shouwanafuukei 様へ桐生へお越しくださいましてありがとう😊ございました。桐生の動画収録大変だったでしょう!大変お疲れ様でございました。桐生市が織物で栄えた時代の話しをよく聞かされましたがご投稿頂きました動画を拝見いたしまして、現在は廃墟ですが栄えた時代があった事成る程と思いました。西の西陣東の桐生の時代から遠ざかりましたが、13000年の伝統ある織物の街桐生これからも宜しくお願い致します。動画🎥のご投稿誠に有難う御座いました。
桐生は、坂口安吾が最後の3年間を過ごした街ということで私には特別な場所です。また羽仁五郎が生まれた街でもあるんですよね。
15:31で見える日本家屋付近に安吾が住んでいました。この家の右側か左側だたはずです。かなり豪勢な日本家屋だったのですが、残念ながら約50年前に取り壊されてしまいました。16:45で見える、蔵付きのこじんまりした建物が羽仁五郎の生家です。ここは伝建群の1つである森家住宅で、桐生新町の素封家の1つです。現在も森家の末裔の方が住んでおられる個人住宅のため内部は見学はできませんが。羽仁五郎は、羽仁もと子さんの一人娘羽仁説子さんと結婚して森から羽仁姓に変わりました。
@@723ch羽仁もと子さんは東京にある自由学園の創設者ですね
@@ラーメン大好き小早川さん 正確に言うとご夫妻で創設されました。
名のある建造物ばかり保存活動をするのではなくて、こういった歴史の隅にある街並みも保存していってほしいものです。
桐生は西洋近代化が齎した日本人の暮らしの幸福と不幸を反映した点では象徴的な街の様な気がします逆に言えば桐生が復活する時日本が復活する。
6年前に行きました、あの頃は近代建築を中心に探索。ご紹介いただいたのは全部見ています。花街・路地裏は調査しなかったので、もう一度行ってみたいです~いつもありがとうございます!感謝!
自分も全部は歩ききれていないので、また行きたいお気に入りの街です。コメントありがとうございます☺️
桐生の中心市街地に旧い建物が多数残っているのは、桐生は戦争による爆撃を受けなかったからだそうです。のこぎり屋根の建物はお店として活用されている物もあります。昭和レトロがあちらこちらに残っています。桐生は織物の他に競艇やパチンコ産業も盛んでしたが、今は両方ダメですね。他に一部自動車部品の本社があるくらい。
興味深い街並みでした😊ノコギリ屋根は再利用して永く残して欲しいですね。
東京から2時間くらいでの距離でこの雰囲気を味わえるのは貴重ですね。私も5年くらい前に遊びに行きました(ソースカツ丼目当てで)有鄰舘?で人形劇も観ました。入館の時「東京から来ました」と言ったらメチャメチャ驚かれました。もっと皆さん観光に行って盛り上げて欲しいですね。
レトロ好きなら絶対に楽しめる街だと思います☺️ご視聴ありがとうございます。
突然地元がおすすめに出てくれば驚くさ。
地元リスナーの見解😅 なにか この雰囲気を活かせる方法はないものなでしょうか?😅
栄枯盛衰。いつまでもあると思うな親と金。将来を見据える行政とは難しい。
他の市に比べてもピーク時からの人口減少と高齢化の速度が早いです毎日必ず朝から晩まで4、5回は救急車のサイレンが家の前の道路通り過ぎるのでうんざりします
きっと、たまたまですよ↡↡↡😑😑
素敵な街並みですよね。今の日本にどんだけ残っていますかね。未来も残っていて欲しいものです
此処に住んでらっしゃる方々に年金倍額特別支給してくれたら残るかも?日本の農業・漁業・酪農家の人達の様に跡取りも無く生業が儘ならぬ様に、高齢の家主さんにとって「素敵な街並み」残すってのは死活問題なんですよ!当事者にとってはモッチャリした昭和ノスタルジーどころじゃないのです・・・現実を見つめましょう!
兵どもが夢の跡、といった感じの映像ですね。往時、昭和の真ん中ごろは歓楽街はとてもにぎわっていたのでしょう。
高度成長期の頃は活気しかなかったのでしょうね😄コメントありがとうございます。
飲屋は人口比率からすれば店の数は当時日本一。他市で飲んだが地元で誘った人が2件めに行こうと言ってタクシーを呼んだのにはビックリした。桐生では飲屋を出れば隣は飲屋のオンパレード、はしご酒は歩いて行くのが当たり前。それが今じゃ・・・動画の通り。
再開発による影響により、東京の都心部では失われた風景。昭和期に建てられた建物を識らない世代の目には、かえって斬新な物に映るかもしれない。せっかくネットが普及しているのだから、傷んだ古い建物を少し手直しして桐生の街おこしに利用すれば、観光客が来るかもしれない。
その通りだと思います、観光資源は十分にあるので頑張って欲しいですね😄
西桐生の駅舎は昭和の再現ドラマとかに使えそうですね。
とてもレトロな待合室で雰囲気が最高でした😆
実際に「少年H」という戦時中を描いた映画で使われました!
廃墟とかいいますけどね、結構普通に皆住んでるんですよ。それにしても桐生が衰退しきった町などと言われてしまうのは、かつて物凄く繁栄していた故の反動か。桐生市街は群大理工学部、桐高、桐工、桐商、樹徳、桐生第一と学校が多く学生の町という観がある。また水道山記念館、桐生高専記念館、桐生倶楽部、桐生織物会館などの近代洋館、古書店や骨董市など文化的香り高い都市。
廃墟は廃墟です
桐生市の文化密度最高です!桐生は まさしく日本のフィレンツェです!
こんにちは。質問ですが、三重県の松阪市の愛宕町へ行かれたことはありますか?
残念ながらまだ行ったことがありません。前回予定していたのですが行けずじまいでした😅
@@shouwanafuukei 行ってきました。行くまでは、そこが元遊里だとは知りませんでした。なかなか良い所でしたよ。😊でも日程的にじっくりと散策出来なくて…😅いつか再訪しようと思っています。😊ぜひ機会があれば行って、映像に収めて下さい。
情報をありがとうございます☺
衰退しきった、先の無い映像に見えても不思議じゃないのに、悲壮感を感じさせないのはBGMの賜物か。雰囲気を作るって大事だ。
やはり。深川屋
うーむ、営業しているのかわからん店がかなりあるんだよなぁ。それどころか、そもそも人が住んでいるのか疑わしい家も結構あるある。
実際、高齢化や人口減少はあるのでしょうね🤔廃墟なお店が多かったのは事実です。
実家が普通に写ってたw
😅失礼しました。
町全体がゆっくりと廃墟になる途中ですね。
観光都市として頑張って欲しいです。
私は日本に住んでいる外国人です。桐生までは30km以上離れていますが、よく自転車に乗ります。 JOMOまで自転車で行けます。そういう通りを歩くのが私は大好きなんです。地元の人でなくても大好きになってしまう、とても愛されている場所だと感じます。 桐生からは、上毛列車とわたらせ列車という、最も興味深い 2 つのローカル列車に乗ることができます。日本人がとても穏やかで物静かなことに本当に感謝しています。私の日本語があまり上手ではないのに、何倍も年上の人が親切に話しかけてくれたことも何度かありましたが、それでも、こうした経験は私にとって嬉しい驚きでした。
外国の方で珍しいですね😄かなりの日本通ですね、日本滞在を楽しんでください。
グンマー帝国を堪能しました。ありがとうございました。
この町はお気に入りで何度か行ってます😄
終盤に「銭湯跡」として紹介された一の湯は、2023年4月15日に見事復活しました!
えー😳ビッグニュースをありがとうございます。これは入りに行かねば😄
我が生まれ故郷・桐生を取り上げていただき感謝です。しかも実家の周りの風景がたくさん出てきました。今はもう人がいなくなって、さながらゴーストタウンのようになってしまった。でも映像のあちこちに昔の思い出が蘇ってきました。😄
記録として残れば嬉しいです😊ご視聴ありがとうございます。
母(1954年生まれ)が桐生出身で、高校卒業後に上京しました。
私は祖父母に会うために、長期休みのたびに桐生に行っていました。
母はしばしば、かつて桐生がいかに栄えていたかという話をします。
あのあたりにはあれがあった、これがあった、祭りの時にはああだった、こうだった、
高崎や前橋の子も桐生まで遊びに来ていたものだ、云々。
70年代あたりまでは栄えていたが、そこであぐらをかいて企業の誘致を怠った、
だから衰退したのだ、と言っています。
まさしく製糸産業に固執しすぎたのかもしれませんね!?
地勢的に❌レガシーのみ残る
桐生市(新里町)
在住ですので、
桐生が織物で
栄えた時代の場所
話しには聞いて
いましたが
現在は廃墟ですが
始めて拝見致しました。
撮影お疲れ様で
ございました。
地元の方のコメント嬉しいです😊コメントありがとうございます。
@@shouwanafuukei 様へ
桐生へお越しくださいまして
ありがとう😊ございました。
桐生の動画収録
大変だったでしょう!
大変お疲れ様で
ございました。
桐生市が織物で栄えた時代の
話しをよく聞かされましたが
ご投稿頂きました動画を
拝見いたしまして、
現在は廃墟ですが
栄えた時代があった事
成る程と思いました。
西の西陣
東の桐生の時代から
遠ざかりましたが、
13000年の伝統ある
織物の街桐生
これからも宜しく
お願い致します。
動画🎥のご投稿
誠に有難う御座いました。
桐生は、坂口安吾が最後の3年間を過ごした街ということで私には特別な場所です。また羽仁五郎が生まれた街でもあるんですよね。
15:31で見える日本家屋付近に安吾が住んでいました。この家の右側か左側だたはずです。かなり豪勢な日本家屋だったのですが、残念ながら約50年前に取り壊されてしまいました。
16:45で見える、蔵付きのこじんまりした建物が羽仁五郎の生家です。ここは伝建群の1つである森家住宅で、桐生新町の素封家の1つです。現在も森家の末裔の方が住んでおられる個人住宅のため内部は見学はできませんが。羽仁五郎は、羽仁もと子さんの一人娘羽仁説子さんと結婚して森から羽仁姓に変わりました。
@@723ch羽仁もと子さんは東京にある自由学園の創設者ですね
@@ラーメン大好き小早川さん 正確に言うとご夫妻で創設されました。
名のある建造物ばかり保存活動をするのではなくて、こういった歴史の隅にある街並みも保存していってほしいものです。
桐生は西洋近代化が齎した日本人の暮らしの幸福と不幸を反映した点では象徴的な街の様な気がします逆に言えば桐生が復活する時日本が復活する。
6年前に行きました、あの頃は近代建築を中心に探索。
ご紹介いただいたのは全部見ています。
花街・路地裏は調査しなかったので、もう一度行ってみたいです~
いつもありがとうございます!感謝!
自分も全部は歩ききれていないので、また行きたいお気に入りの街です。
コメントありがとうございます☺️
桐生の中心市街地に旧い建物が多数残っているのは、桐生は戦争による爆撃を受けなかったからだそうです。
のこぎり屋根の建物はお店として活用されている物もあります。
昭和レトロがあちらこちらに残っています。
桐生は織物の他に競艇やパチンコ産業も盛んでしたが、今は両方ダメですね。他に一部自動車部品の本社があるくらい。
興味深い街並みでした😊ノコギリ屋根は再利用して永く残して欲しいですね。
東京から2時間くらいでの距離でこの雰囲気を味わえるのは貴重ですね。
私も5年くらい前に遊びに行きました(ソースカツ丼目当てで)
有鄰舘?で人形劇も観ました。
入館の時「東京から来ました」と言ったらメチャメチャ驚かれました。
もっと皆さん観光に行って盛り上げて欲しいですね。
レトロ好きなら絶対に楽しめる街だと思います☺️ご視聴ありがとうございます。
突然地元がおすすめに出てくれば驚くさ。
地元リスナーの見解😅 なにか この雰囲気を活かせる方法はないものなでしょうか?😅
栄枯盛衰。いつまでもあると思うな親と金。将来を見据える行政とは難しい。
他の市に比べてもピーク時からの人口減少と高齢化の速度が早いです
毎日必ず朝から晩まで4、5回は救急車のサイレンが家の前の道路通り過ぎるのでうんざりします
きっと、たまたまですよ↡↡↡😑😑
素敵な街並みですよね。今の日本にどんだけ残っていますかね。未来も残っていて欲しいものです
此処に住んでらっしゃる方々に年金倍額特別支給してくれたら残るかも?日本の農業・漁業・酪農家の人達の様に
跡取りも無く生業が儘ならぬ様に、高齢の家主さんにとって「素敵な街並み」残すってのは死活問題なんですよ!
当事者にとってはモッチャリした昭和ノスタルジーどころじゃないのです・・・現実を見つめましょう!
兵どもが夢の跡、といった感じの映像ですね。
往時、昭和の真ん中ごろは歓楽街はとてもにぎわっていたのでしょう。
高度成長期の頃は活気しかなかったのでしょうね😄コメントありがとうございます。
飲屋は人口比率からすれば店の数は当時日本一。他市で飲んだが地元で誘った人が2件めに行こうと言ってタクシーを呼んだのにはビックリした。桐生では飲屋を出れば隣は飲屋のオンパレード、はしご酒は歩いて行くのが当たり前。それが今じゃ・・・動画の通り。
再開発による影響により、東京の都心部では失われた風景。
昭和期に建てられた建物を識らない世代の目には、かえって斬新な物に映るかもしれない。
せっかくネットが普及しているのだから、傷んだ古い建物を少し手直しして桐生の街おこしに利用すれば、観光客が来るかもしれない。
その通りだと思います、観光資源は十分にあるので頑張って欲しいですね😄
西桐生の駅舎は昭和の再現ドラマとかに使えそうですね。
とてもレトロな待合室で雰囲気が最高でした😆
実際に「少年H」という戦時中を描いた映画で使われました!
廃墟とかいいますけどね、結構普通に皆住んでるんですよ。それにしても桐生が衰退しきった町などと言われてしまうのは、かつて物凄く繁栄していた故の反動か。桐生市街は群大理工学部、桐高、桐工、桐商、樹徳、桐生第一と学校が多く学生の町という観がある。また水道山記念館、桐生高専記念館、桐生倶楽部、桐生織物会館などの近代洋館、古書店や骨董市など文化的香り高い都市。
廃墟は廃墟です
桐生市の文化密度最高です!
桐生は まさしく日本のフィレンツェです!
こんにちは。
質問ですが、三重県の松阪市の愛宕町へ行かれたことはありますか?
残念ながらまだ行ったことがありません。
前回予定していたのですが行けずじまいでした😅
@@shouwanafuukei
行ってきました。
行くまでは、そこが元遊里だとは知りませんでした。
なかなか良い所でしたよ。😊
でも日程的にじっくりと散策出来なくて…😅
いつか再訪しようと思っています。😊
ぜひ機会があれば行って、映像に収めて下さい。
情報をありがとうございます☺
衰退しきった、先の無い映像に見えても不思議じゃないのに、悲壮感を感じさせないのはBGMの賜物か。
雰囲気を作るって大事だ。
やはり。深川屋
うーむ、営業しているのかわからん店がかなりあるんだよなぁ。
それどころか、そもそも人が住んでいるのか疑わしい家も結構あるある。
実際、高齢化や人口減少はあるのでしょうね🤔廃墟なお店が多かったのは事実です。
実家が普通に写ってたw
😅失礼しました。
町全体がゆっくりと廃墟になる途中ですね。
観光都市として頑張って欲しいです。