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ああそうか。長谷川町子が「漫画は面白くなきゃダメなのよ」って言ったのは、ものすごく革新的なことだったんだな。
この当時は絵で主張を強調する役割だったのでせうね。
のらくろはキャラも立ってるし起承転結もあり革新的だったんだなあと思ったり
舞台劇的なカット割りながら起承転結はしっかりしていますしね。なによりも手塚治虫先生御本人が田河水泡先生を心の師と仰られていたと何かの本で見た事があります。
田河水泡の弟子が長谷川町子なんだとか。
父親の実家にのらくろがあったけれど(50年くらい前に出版された復刻版だが)、普通に面白かったな
昔は娯楽が少なかったし、買ってもらった本は何回も読み直してたんだろうね。
今回の朝ドラでもお父さんから買ってもらった雑誌を暗記してしまうまで何度も読んでる少年が出てきましたね。極貧家庭だってことを考慮に入れても昭和30年頃もそんな感じだったのかと驚いた。
月刊誌が多かったのもあるんでしょう、
60年代生まれの私メも、週刊誌も読み返しで楽しんで大きくなりましたワ😊
「こまりますワ」や「なれますワ」といった、文末の「わ」をカタカナで書くところにも、昭和らしさを感じますね。
7:00 進研ゼミのDMもいまの美容ダイエット系のネット広告マンガも、昭和初期には源流がもう存在してたんだ…としみじみしちゃいました
こういった漫画広告が後の日ペンの美子ちゃんに繋がるんでしょうね。
『火の鳥』を読んだ時、これが天才というものか!と10代ながら痺れた 改めて今思った😊
昭和7年となればのらくろの連載が始まっていますが、まだまだ試行錯誤の時代だった事が見て取れますね。実際、戦前の漫画ってひどく読み難いものが多いです。それが鳥山明はじめ世界的な漫画家を多数生み出すまでになったんだから、漫画文化の研鑽は本当にすごいものですね…。
小4の時に「お家の新聞の四コマ漫画で面白いと思ったものを画用紙に張り付けて来なさい」なんて宿題が出たことがありました。新聞の四コマ漫画って時事や世相をネタにしているから、後世の人がそれだけ抜き取って読んでも、何がなんだか分からなくなることがありますね。
昭和7年5月の幼年倶楽部の広告漫画の子供の遊びが「爆弾三勇士ごっこ」ってあたりが世相ですね~(当時の大ブーム)。
広告のほうがレベル高いじゃん。さすが「のらくろ」の講談社。
手塚治虫「映画的手法というのは別に私が発明したわけではなくて、たとえば戦争前にね、宍戸左行さんなんかがアメリカから帰ってきて、「スピード太郎』という連載ものを描いた。あそこでもう完全にアメリカのコミックを導入したんです。それから大城のぼるさんなんかも内容によっては、かなり映画を自分で意識して描いているといっておられます」岡本一平も映画のフィルムをコマに見立て、クローズアップなどの手法を取り入れた。岡本一平全集は手塚治虫の愛読書でもあった。
戦前で雑誌マンガはやはり田河水泡先生「のらくろ.蛸の八ちゃん」、新聞4コママンガは横山隆一先生の「フクちゃん」を忘れてはいけないと思う。田河水泡先生は昭和戦前マンガの革命児ですよ。
そういや のらくろ も見直してみると片仮名の「ヰ」とか旧字体とか一杯出てくるな横山隆一先生といえば「おんぶおばけ」もアニメ化されてましたな。今みるとオジー(おじい)役が、先代の浪平だし、絵もサザエさんっぽかったなぁ
11:00モザイクの中身が気になる…。
主様、今日も面白い投稿ありがとうございます。昭和7年のマンガ、現代のとは異種のモノで驚きました。オチ無し説明文付きで、押し出しだけは強いと、シュールな感じで、逆にじわじわきますね。文章を極力抑え、絵と短いセリフだけで、古典文学のような世界観を創り出せる漫画が、子供たちを魅了するのが素晴らしいです。ノラクロのチューインガムに執着していた子供時代を懐かしく思い出しました。
13:19 『ジェームス・ボトンて誰?』と思ったら”バキュームカーの兄さん(アニメ限定の名称)”で驚き、第一期の声優が伊武雅人(スネークマンショーや初代デスラーで有名)でさらに驚く
バキュームカーが飛行モードに変形したり鳥山ワールド全開だよね
戦前マンガでも、田河水泡ののらくろは歩くと後ろに砂煙の記号が出てきて動きを表現していたり、後半の豚勝将軍との戦いなどは日中戦争をモチーフにした長編だったりと、かなり洗練されてるよ。さすが戦前、戦後と何度もアニメ化されてるだけのことはあると思う。冒険ダン吉もマンガというより絵物語だが、フォーマットはかいけつゾロリなどに継承されてると思う。
講談社の広告漫画の方が完成度が高い…というかフォーマットとしてはもう現在の広告漫画と同じスタイルが確立してるのに、4コマの方は全然遅れてるのが逆に面白い
最初のはキツネがライオンに化けてたってオチだろ。
そういや「漫画の描き方指南」みたいなコーナーや別冊で「映画を数多く良く見ろ」って勧めてる漫画家の方が多かったな。
カット割とかもそうだけど、2時間程度で受け手の心に何を残すか、という技術は読書より映画の方が参考になるかも
最初のは、、偽獅子がキツネであることにキリンビックリじゃないか?
子供の頃から側に居た方達が彼岸に逝かれて仕舞うのは、やはり寂しいですね。
実はこの昭和7年(1932年)には宍戸左行の「スピード太郎」という映画的手法を取り入れた漫画が既に連載されている。手塚治虫もスピード太郎のファンだったから映画的手法は間違いなく影響受けてると思う
たびたびすいません。二人のコメントに、チャップリンの車の上に墜落する4コマについて、現代的に描きかけたらこうなる、という話があったのが面白かったです。それで連想したのですが、「漫研に美少女」というマンガの第1話で、素人感丸出しの4コマ漫画を、漫画の上手い部員がアイディアの基本はそのままに演出を改善して面白く描き直す、というシーンがありました。お話とこの漫画とで、表現の進化を感じさせれられました。
追記させていただきます。連作の四コママンガって昔からあったんですね。「あずまんが大王」あたりが発祥かと思ってました。広告漫画は「日ペンの美子ちゃん」とかの源流でしょうかね。
昭和7年5月-6月はC・チャップリンの初来日に世間が沸いていた時期でしょうから、要はその時事ネタでしょうね。ちなに、この来日中にあの5.15事件が発生しています。チャップリンは主要ターゲットの一人でその歓迎会を狙って官邸が襲われているのですが、彼の日本人秘書が事前に不穏な情報をキャッチ、出席をドタキャンして危機を回避したという経緯は後に知られるようになりました。
4:55 チャップリンの命をも狙っていた海軍の叛乱将校どもは、なんでも喜劇王を米国人だと勘違いしていて(ホントは英国人であり死ぬまで米国籍の取得を拒否)、日米関係を悪化させてやろうと画策していた。クーデターで帝都が騒然とする中、日本人秘書兼運転手高野虎市が機転を利かせて丸の内の東京駅前広場で車を停めた。そして雇用主チャップリンに対し、車から降り、宮城(きゅうじょう: 皇居のこと)の方角に深々と遥拝するよう促した。チャップリンはわけが分からなかったが、高野の勢いに押されて渋々従った。
もっと見たかった😅このチャンネル大好き💕
一番はじめの4コマのオチは虎の威を借る狐でしょうね。漫画の方は虎を獅子にしたようですが
多分、厳密に獅子と虎が区別できてない社会だったのでしょうね。よく考えれば分かるけどまあ大体みたいな感じで。(今で言うヒョウとジャガーとかみたいに)
10:20辺りの男の子のポーズ?は「サザエさん 」にもあったような気もするんですよねぇ。昔のマンガ特有のものなんかな?確かに腰をイワしそう😂
講談倶楽部といえば思い出すのは、『はいからさんが通る』で紅緒が勤務する冗談倶楽部編集部!
この5年後にアメリカで世界初の長編アニメーション映画「白雪姫」が誕生するのである。
漫画広告の方が完成度が圧倒的に高いですね。絵も内容も。新聞社とはスタッフの熱意からして違ってたのでしょうね。
んちゃ✋ジェームズボトンをウィキって来ました😊カッコいい。名前も顔も職業もうんちくも。今回の回はこのチャンネルならではの鳥山明先生への追悼の意を感じました。
最後に「ボーツ」って言っていたのは、マシリトに違いない。
元ネタはオレたちひょうきん族だけどね
「のらくろ」はわりと現代的だと思いますが
のらくろの画期的さがわかった…!
鳥山明先生…最近も活躍されていたので亡くなったの本当にショックでしたご冥福をお祈りいたしますこうして昭和初期の漫画を見ていると現代の漫画と異なるし、手塚治虫という天才がいかに画期的な手法を生み出したのかが良く分かりました漫画広告はこの時代にもあったんですね。進研ゼミ懐かしい
ロゼット洗顔パスタの白子さん黒子さんを思い出したのは私だけかな
ちょっと少女倶楽部買ってくる←
田河水泡先生ねのらくろの復刻版全巻が実家にあります、戦前の漫画はなかなか面白いですよ!
大きなお目々を初めて描いたのは手塚治虫先生
「リボンの騎士」かな?それ以前の少女漫画は「あんみつ姫」みたいな黒点な目だったんですよね。80歳超えの私の母親が子供の頃愛読していたのが「あんみつ姫」だったそうです😊
大きな目は手塚じゃなく大正時代に少女雑誌で活躍した中原淳一というイラストレーターが始めた物だと思う。趣味でフランス人形を作ってたから、それから着想を得たんじゃないかな。
懐かしい名前コメントに出てきましたね のらくろ たこのはっちゃん フクちゃん 冒険だん吉 ロボット三等兵 だんごくしのすけ 記憶の彼方ですわ 冒険王かぼくらか だったか 漫画より読み物が好きでしたね 振り仮名付でしたので 小学1~2年ぐらいでも読めました連載物でしたので 続きがどうなったのか今でもきになります
昭和7年に自動車学校が存在していたことに驚き
戦前に犬ロボとかペロチヤン凄いな
映画の手法を漫画に取り入れるのは手塚治虫の発明ではなくあの世代の漫画家が皆試みたことですね手塚だけ突出して有名になったからそう思われてるけど
今とは面白さのツボと言うか笑いの文法自体が違う所があるから一概にどうこう言えないけど「ナムアーメンホーレンゲキョウ」あたりのギャグセンスは今に通じるものがある・・・までも夏目漱石とかは今でも普通に読めることを考えるとそこまでエンタメ感性に違いがあるとも考えにくいからやっぱり漫画自体が未発達ではあったのだろうね
ボツって、まさかDr.マシリト!?
4コマ漫画に説明文が付いてるのは岡本一平の「漫画漫文」スタイルの影響じゃないかなぁ。
広告漫画で頭に浮かぶのは「養命酒」と「日ペンの美子ちゃん(初代)」、それに「ブルーワーカー」などですね。
6:45 文春ってこんな前からあるんだな
菊池寛が創設した時に既に「スキャンダルが最も面白い」だったそう
チャップリンが突然出て来るのは来日中だったのかな?
バキュームカーの人ですね…。たしか改造ミニクーパーでリベンジする…。13:25
石ノ森章太郎、長谷川町子もかあ〜
日本の漫画のルーツは鳥獣人物戯画なのでもっと歴史は古いでしょ
あと作画的には浮世絵の影響が今も残っていると思いますね。強調するところとそうでないところの描き分けとか、構図とか。葛飾北斎なんか自身の作品の一部を漫画と称してましたし。
@@KY-dz9zh葛飾北斎は晩年、画狂老人卍って名乗っていたとかドンだけ最先端行っていたのか?
あの絵巻には既にキャラがジャンプしたらできる曲線や、キャラの言葉が吹き出しにして出て来たりするのが描かれてるんだよな
漫画の神様である手塚治虫先生が描けなかったのがスポ根漫画と劇画✑
偽獅子は狐が化けてたというおちだろ?
お母さまみんな振り袖じゃねーか!
こち亀で美少女ゲームの作画を手伝っている年配のスタッフ(てかお爺さんw)がのらくろの作者田河水泡のアシスタントだったて設定は笑ったwで絵柄はちゃんとときメモみたいな可愛い女の子の作画をMacで描いているのw
最初の4コマは「ニセ獅子は実は狐が化けていた」と言うオチでは?
確かにこの頃から漫画の開拓者が足掻いてる感じが伝わりますね。戦後になると、映画的に発展した手塚治虫。新聞4コマを軸にして長谷川町子の雰囲気を発展させた植田まさし。現在のデジタル技法で描く漫画を昭和で始めたのは手塚治虫の弟子だったコブラの寺沢武一とか
5:51 1932年だろ?ちょうどチャップリンが来日してた時の新聞だ
ここから50年でドクタースランプまで行くの、分かってても信じられない。
大正生まれとかの人と良く話したことあるんですけれど、子供の時には本なんて全く買ってもらえなかったとか、昭和6年の東北の飢饉とかで世の中不景気で、良く勉強するからと少女クラブ買ってもらっていたという人もいたし、
どこにエンタメ要素があるのか分からない漫画だけど、曲がりなりにも描けたというのは世界的に見れば凄いこと。現代に於いても何も世に送り出せない連中がいるのだから。その癖、他人の創作物に口を出して、黒人はどこにいるのですか?とか抜かしたりね。
植田まさしが読売でコボちゃんを始めた時も衝撃的だったな。新聞4コマが一気に現代的になった
田川水泡から長谷川町子の流れは本当に偉大なんだな
NHKの「はたらくおじさん」に出てくる気球に乗った犬のペロくんを思い出した
『狂戀の信海尼』が気になってしょうがないけど、流石にググっても出てこないナァ……
大正13年(1924年)に舜海尼(しゅんかいに)事件と言う尼僧が建仁寺に放火するという事件が起きています。あたかも金閣寺事件の先触れのごとし。この事件の事ではないかと思います。男子禁制のはずの尼僧が恋に狂って名刹建仁寺を焼くというセンセーショナルな事件に世間は大いに沸きました。
戦前の時代に既にあった、漫画を使ったステマ。媒体が紙からネットに代わっても、発想は変わらないと感じました。
つまり4コマ目はキツネだから、この獅子とはキツネが化けていたんですよ~キリンもびっくりだ! チャンチャン、という話かな
チャップリンのヤツはポプテピピックっぽい
>爆弾3勇士。第1次上海事変(1932年 昭和7年)で、爆薬筒を持って国府軍陣地の鉄条網に体当たり。突破口を開いて戦死した、3人の戦闘工兵。江下武二、北川丞、作江伊之助
ちゃめ子の漫画の隣のラグビーの広告が、なんか気になるなあ。
零夢さん、魔理沙さん、うP主さん、こんにちは。いつもお三方のかけあいが楽しみで更新情報がくると、すぐ見てしまいます。今回も面白かったです。季節の変わり目、うP主さんも、お体ご自愛下さいね☆
現代の(国内外問わず)漫画家・アニメーター・サブカルデザイナーにとって「手塚治虫はシンザン(偉業は知っているが正直、現代ではあくまで歴史上の偉人) 鳥山明はサンデーサイレンス(影響を受けていない作家は存在しない)」というワードを聞いてひどく納得してしまった草砂狂いのオタクが私です。
作者が直接影響を受けたかは分からないけれどごく最近の漫画で革新的なコマ割りがあってそれが手塚治虫のようだとネットでよく評されていました。
キャラクターものとしては、”只野凡児”でググってみてください。既に実写化映画もあったようです。
この動画の視聴者はみんな優等生ですもの私もこれでキット優等生になれますワ
講談倶楽部買って家庭円満になるなら誰だって買うんじゃない?
出遅れましたがうぷお疲れ様です😂現代の漫画に慣れていると戦前漫画は読んでて霊夢のような顔になっちゃいますね🙄ステマンガ、こんな昔から浸透してたとは、、笑
昭和7年はチャップリンが来日してるから、めっちゃ時事ネタだねぇ
1:24 ~ 2:08 現代の漫画のスタイルが戦前にすでに確立されてたらどんな感じだったんだろう。セリフが旧字旧かなでタイトルが左横書きだけでもかなり印象が違いそう。
ドヤ顔して語る霊夢かわいい😊
12:30 俺も思ったwww
文藝春秋があった!けっこう古いんだな😮
そりゃ今と違うに決まってるでしょむしろ同じなほうが怖いわ
のらくろ、は一線を画してたのでは?呑気な父さんとか
昔の漫画は田川水泡「のらくろ」シリーズ、倉金章介「あんみつ姫」など、いまいち笑いどころが分からないモノが多い。読後に理解して笑えたりする。
ナムアーメンホウレンゲキョウ
戦前の漫画といえば、のらくろ・蛸のハッちゃん・冒険ダン吉・タンクタンクロー・ロボット三等兵・あんみつ姫等でしょうか⁉️
「~なれますワ」みたいな、最後の文字だけカタカナで書く表現って、戦前からあったんだな。てっきり80年代の文化だと思ってた。(「~するゾ」とか「~に決まりだネ!」とか)
少女倶楽部って進研ゼミですか?広告漫画のほうがしっかりしてますね。
戦前まんがもほんわかしていて好きだなあ(*´ω`*)長谷川町子先生の作品もサザエさん以外のも好き(*^^*)
絵はともかく、今のマンガ広告と展開が一緒ですね。ストーリー性のある漫画と比べるのなら、「のらくろ」と比べた方が良いかと思います。
これアレでしょ、4コマ漫画が面白いつまらないでまた読者投稿のコーナーでレスバ始まるんでしょ?
紹介の有った漫画に登場した「爆弾三勇士」が気になり調べたら、とんでもない事がわかりました。そして、漫画で有った様に、当時の子供達がそれを真似て遊んで居た様です。//驚くべき事に小中学校の運動会競技になったそうです どんな競技だったのか、あまり想像したくないです。
ん、「鬼畜米英めが!!💢」はまだ出てこないか😂
チャップリン来日中に叛乱(511事件)を起こした海軍将校どもは、約10年も時代に先駆けていたんだなぁ。感心すべき事でもないが。
人造犬とチャップリンの話は、チャップリン来日時のネタですね。そういうことでは面白い。
日ペンのみこちゃん。
進研ゼミのダイレクトメール、小4くらいから中3まで毎月届いてました一度も加入しませんでしたから、広告費いくら無駄にしたんでしょうねー😊
マンガより霊夢の表情を見てる方が面白かった(^ω^)
ああそうか。長谷川町子が「漫画は面白くなきゃダメなのよ」って言ったのは、ものすごく革新的なことだったんだな。
この当時は絵で主張を強調する役割だったのでせうね。
のらくろはキャラも立ってるし起承転結もあり革新的だったんだなあと思ったり
舞台劇的なカット割りながら起承転結はしっかりしていますしね。なによりも手塚治虫先生御本人が田河水泡先生を心の師と仰られていたと何かの本で見た事があります。
田河水泡の弟子が長谷川町子なんだとか。
父親の実家にのらくろがあったけれど(50年くらい前に出版された復刻版だが)、普通に面白かったな
昔は娯楽が少なかったし、買ってもらった本は何回も読み直してたんだろうね。
今回の朝ドラでもお父さんから買ってもらった雑誌を暗記してしまうまで何度も読んでる少年が出てきましたね。
極貧家庭だってことを考慮に入れても昭和30年頃もそんな感じだったのかと驚いた。
月刊誌が多かったのもあるんでしょう、
60年代生まれの私メも、週刊誌も読み返しで楽しんで大きくなりましたワ😊
「こまりますワ」や「なれますワ」といった、文末の「わ」をカタカナで書くところにも、昭和らしさを感じますね。
7:00 進研ゼミのDMもいまの美容ダイエット系のネット広告マンガも、昭和初期には源流がもう存在してたんだ…としみじみしちゃいました
こういった漫画広告が後の日ペンの美子ちゃんに繋がるんでしょうね。
『火の鳥』を読んだ時、これが天才というものか!と10代ながら痺れた 改めて今思った😊
昭和7年となればのらくろの連載が始まっていますが、まだまだ試行錯誤の時代だった事が見て取れますね。実際、戦前の漫画ってひどく読み難いものが多いです。それが鳥山明はじめ世界的な漫画家を多数生み出すまでになったんだから、漫画文化の研鑽は本当にすごいものですね…。
小4の時に「お家の新聞の四コマ漫画で面白いと思ったものを画用紙に張り付けて来なさい」なんて宿題が出たことがありました。
新聞の四コマ漫画って時事や世相をネタにしているから、後世の人がそれだけ抜き取って読んでも、何がなんだか分からなくなることがありますね。
昭和7年5月の幼年倶楽部の広告漫画の子供の遊びが「爆弾三勇士ごっこ」ってあたりが世相ですね~(当時の大ブーム)。
広告のほうがレベル高いじゃん。さすが「のらくろ」の講談社。
手塚治虫「映画的手法というのは別に私が発明したわけではなくて、
たとえば戦争前にね、宍戸左行さんなんかがアメリカから
帰ってきて、「スピード太郎』という連載ものを描いた。あそ
こでもう完全にアメリカのコミックを導入したんです。それ
から大城のぼるさんなんかも内容によっては、かな
り映画を自分で意識して描いているといっておられます」
岡本一平も映画のフィルムをコマに見立て、クローズアップなどの手法を取り入れた。
岡本一平全集は手塚治虫の愛読書でもあった。
戦前で雑誌マンガはやはり田河水泡先生「のらくろ.蛸の八ちゃん」、新聞4コママンガは横山隆一先生の「フクちゃん」を忘れてはいけないと思う。田河水泡先生は昭和戦前マンガの革命児ですよ。
そういや のらくろ も見直してみると片仮名の「ヰ」とか旧字体とか一杯出てくるな
横山隆一先生といえば「おんぶおばけ」もアニメ化されてましたな。
今みるとオジー(おじい)役が、先代の浪平だし、絵もサザエさんっぽかったなぁ
11:00モザイクの中身が気になる…。
主様、今日も面白い投稿ありがとうございます。
昭和7年のマンガ、現代のとは異種のモノで驚きました。オチ無し説明文付きで、押し出しだけは強いと、シュールな感じで、逆にじわじわきますね。
文章を極力抑え、絵と短いセリフだけで、古典文学のような世界観を創り出せる漫画が、子供たちを魅了するのが素晴らしいです。
ノラクロのチューインガムに執着していた子供時代を懐かしく思い出しました。
13:19 『ジェームス・ボトンて誰?』と思ったら”バキュームカーの兄さん(アニメ限定の名称)”で驚き、第一期の声優が伊武雅人(スネークマンショーや初代デスラーで有名)でさらに驚く
バキュームカーが飛行モードに変形したり鳥山ワールド全開だよね
戦前マンガでも、田河水泡ののらくろは歩くと後ろに砂煙の記号が出てきて動きを表現していたり、後半の豚勝将軍との戦いなどは日中戦争をモチーフにした長編だったりと、かなり洗練されてるよ。さすが戦前、戦後と何度もアニメ化されてるだけのことはあると思う。冒険ダン吉もマンガというより絵物語だが、フォーマットはかいけつゾロリなどに継承されてると思う。
講談社の広告漫画の方が完成度が高い…というかフォーマットとしてはもう現在の広告漫画と同じスタイルが確立してるのに、4コマの方は全然遅れてるのが逆に面白い
最初のはキツネがライオンに化けてたってオチだろ。
そういや「漫画の描き方指南」みたいなコーナーや別冊で「映画を数多く良く見ろ」って勧めてる漫画家の方が多かったな。
カット割とかもそうだけど、2時間程度で受け手の心に何を残すか、という技術は読書より映画の方が参考になるかも
最初のは、、偽獅子がキツネであることにキリンビックリじゃないか?
子供の頃から側に居た方達が彼岸に逝かれて仕舞うのは、やはり寂しいですね。
実はこの昭和7年(1932年)には宍戸左行の「スピード太郎」という映画的手法を取り入れた漫画が既に連載されている。
手塚治虫もスピード太郎のファンだったから映画的手法は間違いなく影響受けてると思う
たびたびすいません。二人のコメントに、チャップリンの車の上に墜落する4コマについて、現代的に描きかけたらこうなる、という話があったのが面白かったです。それで連想したのですが、「漫研に美少女」というマンガの第1話で、素人感丸出しの4コマ漫画を、漫画の上手い部員がアイディアの基本はそのままに演出を改善して面白く描き直す、というシーンがありました。お話とこの漫画とで、表現の進化を感じさせれられました。
追記させていただきます。連作の四コママンガって昔からあったんですね。「あずまんが大王」あたりが発祥かと思ってました。広告漫画は「日ペンの美子ちゃん」とかの源流でしょうかね。
昭和7年5月-6月はC・チャップリンの初来日に世間が沸いていた時期でしょうから、要はその時事ネタでしょうね。ちなに、この来日中にあの5.15事件が発生しています。チャップリンは主要ターゲットの一人でその歓迎会を狙って官邸が襲われているのですが、彼の日本人秘書が事前に不穏な情報をキャッチ、出席をドタキャンして危機を回避したという経緯は後に知られるようになりました。
4:55 チャップリンの命をも狙っていた海軍の叛乱将校どもは、なんでも喜劇王を米国人だと勘違いしていて(ホントは英国人であり死ぬまで米国籍の取得を拒否)、日米関係を悪化させてやろうと画策していた。クーデターで帝都が騒然とする中、日本人秘書兼運転手高野虎市が機転を利かせて丸の内の東京駅前広場で車を停めた。そして雇用主チャップリンに対し、車から降り、宮城(きゅうじょう: 皇居のこと)の方角に深々と遥拝するよう促した。チャップリンはわけが分からなかったが、高野の勢いに押されて渋々従った。
もっと見たかった😅
このチャンネル大好き💕
一番はじめの4コマのオチは虎の威を借る狐でしょうね。漫画の方は虎を獅子にしたようですが
多分、厳密に獅子と虎が区別できてない社会だったのでしょうね。よく考えれば分かるけどまあ大体みたいな感じで。(今で言うヒョウとジャガーとかみたいに)
10:20辺りの男の子のポーズ?は「サザエさん 」にもあったような気もするんですよねぇ。
昔のマンガ特有のものなんかな?
確かに腰をイワしそう😂
講談倶楽部といえば思い出すのは、『はいからさんが通る』で紅緒が勤務する冗談倶楽部編集部!
この5年後にアメリカで世界初の長編アニメーション映画「白雪姫」が誕生するのである。
漫画広告の方が完成度が圧倒的に高いですね。絵も内容も。新聞社とはスタッフの熱意からして違ってたのでしょうね。
んちゃ✋ジェームズボトンをウィキって来ました😊
カッコいい。名前も顔も職業もうんちくも。
今回の回はこのチャンネルならではの鳥山明先生への追悼の意を感じました。
最後に「ボーツ」って言っていたのは、マシリトに違いない。
元ネタはオレたちひょうきん族だけどね
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鳥山明先生…最近も活躍されていたので亡くなったの本当にショックでした
ご冥福をお祈りいたします
こうして昭和初期の漫画を見ていると現代の漫画と異なるし、手塚治虫という天才がいかに画期的な手法を生み出したのかが良く分かりました
漫画広告はこの時代にもあったんですね。進研ゼミ懐かしい
ロゼット洗顔パスタの白子さん黒子さんを思い出したのは
私だけかな
ちょっと少女倶楽部買ってくる←
田河水泡先生ねのらくろの復刻版全巻が実家にあります、戦前の漫画はなかなか面白いですよ!
大きなお目々を初めて描いたのは
手塚治虫先生
「リボンの騎士」かな?それ以前の少女漫画は「あんみつ姫」みたいな黒点な目だったんですよね。80歳超えの私の母親が子供の頃愛読していたのが「あんみつ姫」だったそうです😊
大きな目は手塚じゃなく大正時代に少女雑誌で活躍した中原淳一というイラストレーターが始めた物だと思う。
趣味でフランス人形を作ってたから、それから着想を得たんじゃないかな。
懐かしい名前コメントに出てきましたね のらくろ たこのはっちゃん フクちゃん 冒険だん吉 ロボット三等兵 だんごくしのすけ 記憶の彼方ですわ
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昭和7年に自動車学校が存在していたことに驚き
戦前に犬ロボとかペロチヤン凄いな
映画の手法を漫画に取り入れるのは手塚治虫の発明ではなくあの世代の漫画家が皆試みたことですね
手塚だけ突出して有名になったからそう思われてるけど
今とは面白さのツボと言うか笑いの文法自体が違う所があるから一概にどうこう言えないけど
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・・・までも夏目漱石とかは今でも普通に読めることを考えるとそこまでエンタメ感性に違いがあるとも考えにくいから
やっぱり漫画自体が未発達ではあったのだろうね
ボツって、まさかDr.マシリト!?
4コマ漫画に説明文が付いてるのは
岡本一平の「漫画漫文」スタイルの影響じゃないかなぁ。
広告漫画で頭に浮かぶのは「養命酒」と「日ペンの美子ちゃん(初代)」、それに「ブルーワーカー」などですね。
6:45 文春ってこんな前からあるんだな
菊池寛が創設した時に既に「スキャンダルが最も面白い」だったそう
チャップリンが突然出て来るのは来日中だったのかな?
バキュームカーの人ですね…。
たしか改造ミニクーパーでリベンジする…。13:25
石ノ森章太郎、長谷川町子もかあ〜
日本の漫画のルーツは鳥獣人物戯画なのでもっと歴史は古いでしょ
あと作画的には浮世絵の影響が今も残っていると思いますね。
強調するところとそうでないところの描き分けとか、構図とか。
葛飾北斎なんか自身の作品の一部を漫画と称してましたし。
@@KY-dz9zh
葛飾北斎は晩年、画狂老人卍って名乗っていたとかドンだけ最先端行っていたのか?
あの絵巻には既にキャラがジャンプしたらできる曲線や、キャラの言葉が吹き出しにして出て来たりするのが描かれてるんだよな
漫画の神様である手塚治虫先生が描けなかったのがスポ根漫画と劇画✑
偽獅子は狐が化けてたというおちだろ?
お母さまみんな振り袖じゃねーか!
こち亀で美少女ゲームの作画を手伝っている年配のスタッフ(てかお爺さんw)が
のらくろの作者田河水泡のアシスタントだったて設定は笑ったwで絵柄はちゃんとときメモみたいな可愛い女の子の作画をMacで描いているのw
最初の4コマは「ニセ獅子は実は狐が化けていた」と言うオチでは?
確かにこの頃から漫画の開拓者が足掻いてる感じが伝わりますね。
戦後になると、映画的に発展した手塚治虫。
新聞4コマを軸にして長谷川町子の雰囲気を発展させた植田まさし。
現在のデジタル技法で描く漫画を昭和で始めたのは手塚治虫の弟子だったコブラの寺沢武一とか
5:51 1932年だろ?ちょうどチャップリンが来日してた時の新聞だ
ここから50年でドクタースランプまで行くの、分かってても信じられない。
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子供の時には本なんて全く買ってもらえなかったとか、
昭和6年の東北の飢饉とかで世の中不景気で、
良く勉強するからと少女クラブ買ってもらっていたという人もいたし、
どこにエンタメ要素があるのか分からない漫画だけど、曲がりなりにも描けたというのは世界的に見れば凄いこと。
現代に於いても何も世に送り出せない連中がいるのだから。その癖、他人の創作物に口を出して、黒人はどこにいるのですか?とか抜かしたりね。
植田まさしが読売でコボちゃんを始めた時も衝撃的だったな。新聞4コマが一気に現代的になった
田川水泡から長谷川町子の流れは本当に偉大なんだな
NHKの「はたらくおじさん」に出てくる気球に乗った犬のペロくんを思い出した
『狂戀の信海尼』が気になってしょうがないけど、流石にググっても出てこないナァ……
大正13年(1924年)に舜海尼(しゅんかいに)事件と言う尼僧が建仁寺に放火するという事件が起きています。あたかも金閣寺事件の先触れのごとし。この事件の事ではないかと思います。男子禁制のはずの尼僧が恋に狂って名刹建仁寺を焼くというセンセーショナルな事件に世間は大いに沸きました。
戦前の時代に既にあった、漫画を使ったステマ。媒体が紙からネットに代わっても、発想は変わらないと感じました。
つまり4コマ目はキツネだから、この獅子とはキツネが化けていたんですよ~キリンもびっくりだ! チャンチャン、という話かな
チャップリンのヤツはポプテピピックっぽい
>爆弾3勇士。
第1次上海事変(1932年 昭和7年)で、爆薬筒を持って国府軍陣地の鉄条網に体当たり。突破口を開いて戦死した、3人の戦闘工兵。江下武二、北川丞、作江伊之助
ちゃめ子の漫画の隣のラグビーの広告が、なんか気になるなあ。
零夢さん、魔理沙さん、うP主さん、こんにちは。いつもお三方のかけあいが楽しみで更新情報がくると、すぐ見てしまいます。今回も面白かったです。季節の変わり目、うP主さんも、お体ご自愛下さいね☆
現代の(国内外問わず)漫画家・アニメーター・サブカルデザイナーにとって
「手塚治虫はシンザン(偉業は知っているが正直、現代ではあくまで歴史上の偉人)
鳥山明はサンデーサイレンス(影響を受けていない作家は存在しない)」
というワードを聞いてひどく納得してしまった草砂狂いのオタクが私です。
作者が直接影響を受けたかは分からないけれどごく最近の漫画で革新的なコマ割りがあってそれが手塚治虫のようだとネットでよく評されていました。
キャラクターものとしては、”只野凡児”でググってみてください。既に実写化映画もあったようです。
この動画の視聴者はみんな優等生ですもの
私もこれでキット優等生になれますワ
講談倶楽部買って家庭円満になるなら誰だって買うんじゃない?
出遅れましたがうぷお疲れ様です😂
現代の漫画に慣れていると戦前漫画は読んでて霊夢のような顔になっちゃいますね🙄
ステマンガ、こんな昔から浸透してたとは、、笑
昭和7年はチャップリンが来日してるから、めっちゃ時事ネタだねぇ
1:24 ~ 2:08
現代の漫画のスタイルが戦前にすでに確立されてたらどんな感じだったんだろう。
セリフが旧字旧かなでタイトルが左横書きだけでもかなり印象が違いそう。
ドヤ顔して語る霊夢かわいい😊
12:30 俺も思ったwww
文藝春秋があった!けっこう古いんだな😮
そりゃ今と違うに決まってるでしょ
むしろ同じなほうが怖いわ
のらくろ、は一線を画してたのでは?呑気な父さんとか
昔の漫画は田川水泡「のらくろ」シリーズ、倉金章介「あんみつ姫」など、いまいち笑いどころが分からないモノが多い。読後に理解して笑えたりする。
ナムアーメンホウレンゲキョウ
戦前の漫画といえば、のらくろ・蛸のハッちゃん・冒険ダン吉・タンクタンクロー・ロボット三等兵・あんみつ姫等でしょうか⁉️
「~なれますワ」みたいな、最後の文字だけカタカナで書く表現って、戦前からあったんだな。てっきり80年代の文化だと思ってた。(「~するゾ」とか「~に決まりだネ!」とか)
少女倶楽部って進研ゼミですか?広告漫画のほうがしっかりしてますね。
戦前まんがもほんわかしていて好きだなあ(*´ω`*)長谷川町子先生の作品もサザエさん以外のも好き(*^^*)
絵はともかく、今のマンガ広告と展開が一緒ですね。
ストーリー性のある漫画と比べるのなら、「のらくろ」と比べた方が良いかと思います。
これアレでしょ、4コマ漫画が面白いつまらないでまた読者投稿のコーナーでレスバ始まるんでしょ?
紹介の有った漫画に登場した「爆弾三勇士」が
気になり調べたら、とんでもない事がわかりました。
そして、漫画で有った様に、当時の子供達が
それを真似て遊んで居た様です。
//驚くべき事に小中学校の運動会競技になったそうです
どんな競技だったのか、あまり想像したくないです。
ん、「鬼畜米英めが!!💢」はまだ出てこないか😂
チャップリン来日中に叛乱(511事件)を起こした海軍将校どもは、約10年も時代に先駆けていたんだなぁ。感心すべき事でもないが。
人造犬とチャップリンの話は、チャップリン来日時のネタですね。
そういうことでは面白い。
日ペンのみこちゃん。
進研ゼミのダイレクトメール、小4くらいから中3まで毎月届いてました
一度も加入しませんでしたから、広告費いくら無駄にしたんでしょうねー😊
マンガより霊夢の表情を見てる方が面白かった(^ω^)