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天才ライダーと言われた方が、自分が自分がではなくメカニックの重要性を必死に話す。凄い…カッコイイ。縁の下の力持ちを称え重要性を説く。本間さんみたいな上司の下で働きたい。
本間さんの話に沿えば、片山敬済さんはまさに天才の自覚に満ちた人だったのでしょうか。最近八代俊二さんのチャンネルも観ているのですが、かつて八代さんがお世話になってたチーム監督や大メーカー様の暴露エピソードが取り上げられて居ます。その内容と今回の本間さんのお話を聴いて、日本のレース関連団体の器の小ささが選手とメカニックの才能を潰しているのだと言うのが良く判りました。
やはり80年代からのGPのオールドファンは皆当時のGPの話をしたいんだなとコメント見て思った。あの頃のレース関係の話で僕らの知らないことを話しをしてくれるのはとても有難い
最終的には、「言語ではない。感性!」ということなのだと思います。以前、自分は自動車会社(バイクをつくっていないS社です)なかなか伝わらないことで苦しみました。その原因は車に乗らない人間が自動車の開発業務をしているからでした。そんな人がいい車をつくれるのか?という社会が現実にあらゆるメーカーで起きていることだと思います。これがバイクの開発者だったとしたら?と思うと弱った時代になったと思うのですが、彼らは頭はいいですし、言葉の上ではすばらしいのです。が、このような人間に限って出世欲が強く、失敗を嫌います。そうなると冒険をしない、コストをかけず、早く終わらせようとします。このような人々が足りないのが「経験、感性磨き」。これがないのに本間さんの感性を理解できないと思います。本間さんはある種の通訳士なんだと思います。こういう人があらゆる世界で必要な時代です。
天才と言えるのは伊藤史郎だろうな。ライラックで16歳で初出場してメーカー抑えて優勝。そしてホンダが参戦する前にBMWと契約してGP参戦してた。WIKIより東京都大田区大森出身。父は音楽家の伊藤昇。「史朗」という名は、父の師である山田耕筰が名付けたという。1955年11月に開催された第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(第1回浅間高原(火山)レース)の250ccクラスに、ライラックSYで出場。伊藤は当時16歳で、これがデビュー戦だったが、実績ある選手を抑えて優勝を果たした。
よくわかります。私も10代からメカニックの仕事してましたが、早いライダーには、もれなく良いメカニックがついてました。
本間さんは天才だった。それは間違いない。メカの重要性は海外ライダーがよく話してるけど確かに日本人ライダーはその話をしないですね。ドゥーハンやロッシは同じメカだし。
今日の話も大変興味深かったです。 ありがとうございました。
フレディー・スペンサーでいうアーヴ金本ですな🤔
Moto2走ってた長嶋哲太さんが来年から全日本でチーム監督として参戦されますが、ライダーと共にメカニックを世界レベルにすることを目標にされてます。自身が世界を周り苦労し、やはりメカニックの大切さを痛感されたのかもしれませんね。
ノリックはスポット参戦した鈴鹿でいきなり優勝争いしてましたからね。それまでの日本人ライダーとは違う走りに、日本人の最高峰クラスチャンピオンが誕生するかもと期待したのを思い出しました。
日本人MotoGPチャンピオンは夢のまた夢
速いマシンを作れるメカニックは憧れで必要ですよね。私もバイクのレースに参戦していましたがサーキットで速く走るならまず速いマシンに乗る、この重要さを嫌と言うほど実感しましたね。メカニックを雇う金が無く、改造もセットアップも自分でやっていたので毎回準備が大変でした。レースで走る前に精神的にも天才ではないレースを遅く始めた私は肉体的にも疲労するのが凄く悔しかった。
もの凄い後輩達の相談🤩それに対応する本間さん、さすがパイセンも凄い🤣!
GPチャンピオン著書のライディング本は何冊か読んだけど世界GPメカニックの著書は見たことないけどこの話に出てくるメカニックの著書は出版されてますか⁉️
日本の現在のトップワークスにコノ声が届いて欲しいです。
無茶苦茶よく解ります。本当にその通りです。水谷さんですね、すごい人です。
80年代後半本間さんともう一人の天才清水雅広さんについて是非語って頂きたく思います。
UCCとAJINOMOTOテラの時代ですね🤗清水選手が国内チャンピオンを取った年❗
俺はハルチカとダイジローたな。特にハルチカには大排気量クラス乗せてやりたかったな。ホンダは見る目がないというか人間関係優先だからな。
天才が天才のことを語ると凡人には何言ってるかわからない。
本間君が出てきた時、明らかに他のライダーとは全く違うと素人の自分も分かる位のライディングスタイルだった。今なら当たり前のフロントを浮かせたまま方向を変えてコーナーに入る姿はリアルバリバリ伝説だと興奮したものでした。今でも筑波でのビデオを見ては楽しんでます。
本間さんの話は、元トップライダーから見て、感じた話として興味深かったです。
藤原儀彦さんと永井康友さんと町井邦生さんのお話をリクエストしておきます。いつかよろしくお願いします。あとエディローソンさんもお願いします。
ヤマハの日本人ライダーならやっぱ金谷秀夫と高井幾二郎は外せないでしょう‼︎
本間さんは日本人最初の天才ライダーでしたね250クラスのトップライダー達よりも数段上の走りでしたから本間さんの走りを真似出来る人は誰も居なかった当時ノービスだった私がコースサイドでよく見て居ましたけど、どういう操作をして居るのか?分からない場所があって、本間さんの走りは他のライダーとは桁が違い過ぎました!
本間選手が出てきた時の衝撃天才が天才を語る
ヤマハは日本人ライダーをWGPに行かす気は無かったから当然、チャンピオンは取れない。一番、油が乗っていた時期の平に開発させたからね。 阿部はレイニーがホンダから引き抜いたから行けただけ。 ホンダはWGPまでのステップアップの道を作ってはいたが、やはり、伊藤、岡田、と日本人ワークスライダーは実戦開発させてレースをさせなかった。 例外はサテライトで行かせた加藤だけか。
かつて神戸市にあったYSP六甲のオーナーだったあの金谷秀夫さんは1975年のGPポイントランキングトップのまま日本に戻ってマシン開発していたのでチャンピオンになれませんでしたね。結果、ランキング3位止まりだったのが悔やまれます。世界ではアゴがチャンピオンになってくれた方が喜ばれるからしたかない。でも原田選手は日本よりイタリアの方が人気があったらしいですから環境から変えないといけない気がします。
確かにイタリアでの原田の知名度は「ハラダ?知ってるけどなんでそんな事聞いてくるの?」ってレベルでイタリア人ほぼ100%の知名度でしたよ。ガソリンスタンドのCMに出ていたのも大きかったと思いますが、街中でもアプリリアの例の“レーシング”ロゴのスクーターが沢山走ってました。逆にサッカーの某氏の方が都市に依っては「あぁ、なんか日本人いるね。名前なんだっけ」って感じでしたね。
いい話でした。
この話の後で、来年の鈴木竜生が楽しみです。
ケルとかアーブとか昔は有名なメカニックが居ましたよね。
最終戦で原田選手がカピロッシに追突されてワールドチャンピオンを逃したのを最後にレースを観るのを辞めました。裁定がが二転三転して見る価値がないものと思いました。
天才
やっぱ同じ人間が何年も出てるのはよくないんですよ😅若手の突き上げがないと😅ロシアの女子フィギュアのように😅金メダルをとったザギトワが次の年には活躍できない😅あれほどの天才を上回る人材が次々でてくる😅その環境が大切😅さすがおそロシア😱
面白くは無いけどねあれは使い捨てに過ぎる偏った育成プログラムの例だと思う
天才的なメカニックがいないと勝てない事を 誰も知らない教育しない 如何にも 日本人! って感じですね!飛び抜ければ 協調性が無い と見なされて プロジェクトから外される 肝心な所をやらせない 長年レースやってるのに 大事な所を知らないってもったいないなぁ〜!
当時はアーブカネモトさんという天才メカニックがいましたね。メカニックであれだけ名前が広く知られた人はいないのではないでしょうか?
今の時代は、技術のみに目が奪われ、そこを超えた心理的な理解やサポートの重要性があまり理解できなくなっているのかもしれません。見直すべきポイントですね。😊
レースの英才教育は日本人の場合最初のメカニックはほぼ100%父親、ポケバイ、ミニバイクと長々パパメカが続くのが問題の様に思います。早目にレーシングスクール入れるとか専属コーチ付けるとかした方が良いと常々思います。以前桶川塾の冬合宿?の一幕を垣間見た事があるのですがサーキットと桶川塾の往復はランニングとの事。1人の塾生が同伴してた妹が水溜まりに落ちてずぶ濡れになったのを置き去りにしたと塾長に大目玉を喰らっていました。人としてあるべき精神から叩き込む姿勢に好感を感じましたが同時に本人の言い分も聴いてあげないとヒネクレてしまうのでは?と思ってしまいました・・・教育は難しいですね。
ケニーもローソンもはじめは皆親父でしょ
何の仕事も職人肌の人材が減った気がする。
かつてのケニー・ロバーツにケル・キャラザース、フレディ・スペンサーにアーブ・金本って感じですよね。漫画でもしげの秀一さん著作のバリバリ伝説で巨摩郡に島崎、4輪になっちゃいますがF1を描いた六田登さん著作のFで赤木軍馬と大石タモツみたいなものですかね。まんがの方は演出的にスーパーチューンが必要で、派手なチューン(というか改造)を出してますが現実では地味な調整的なチューン、セットアップで全然違ってくる・・・。まさにメカとライダーは二人三脚なんだと実感しました。
片山さんには、ケント・アンダーソンさんや柳沢雄三さんが居ましたね、プライベートからワークス迄一緒に連れて行ったし、スペンサーさんにはアーブカネモトさんが(๑>◡
天才が 神の領域を 語る回ですね
アーブ金本とスペンサー。アーブ金本とローソン(これ最強コンビ)。ケル・キャラザースとヤマハ。くらいしか知らないです。
厳しくも誠に的確な話。世界とかでトップを狙う選手はどこかで孤独孤立してしまうのだろうと思う。馬が合うメカを選択するのは理解できそうな気もするが、それじゃ勝てないんだな…と。貴重な話だった。
説得力がメチャクチャありますが、確かに日本のメーカーは、煙たがって本間さんに公式なオファーはしませんよね。ただ、、、本間さんのような人を業界の外に置いておこうとするのが日本のモータースポーツの後進性なんだろうなぁとも思います。三億円は高いですが、誠意を示せば少し値引きしてくれます❤。きっと。本間さんの言ってくることは全てわかってる! とか、日進月歩のテクノロジーは既に本間さんの知識、理解を超えている!とメーカーの技術者は言うと思うが、日本メーカーがなぜ強かったのか? これを、客観的に見れないのが問題だ。自分の天才性を過小評価して、チャンピオンを逃すという日本人の謙虚さ強く影響してるのかな。本間さん、一線に戻ってくれないかな。。
いつも、懐かしく、心温まる思いで見させていただいてます。1966年生まれリアルGPライダー本間選手を見ていたものです。いつも、心爽やかにしてくれる本音の本音、ありがとうございます😭😊
ドゥカティ-のジジダリーニャですね。
日本人とならば妄想で片山敬済さんと福田照男さんを語ってもらいたいんです。よろしくお願いします。
メカとしてやってもらってた方が、天才的な方でしたが、私が、凡人でした _| ̄|○
個人的には塩森選手だな。TT−F3からTT−F1まで乗りこなす。
ジョンコシンスキー
名前が出たライダー✨皆んな僕も凄い速いと思います🤠🌈
現役ののとき、本間は天才だと思ってたわ。使い古しのタイヤをもらって練習したっての本間じゃなかったっけな?
天才mって岩田さん?
天才ライダーの本間利彦さんは海外に出て他にも天才がいっぱい居てメンタルとか大丈夫だったのですか?自分は知人の勧めでレースをはじめみましたが、コースに出た途端に、メカニックのネジのしめ忘れの前に、ライダー自体頭ネジが2、3本ぶっ飛んで居る方達ばかりでした(笑)まあ本間さんレベルからしたら自分なんか足元にも及びませが、そんなこんなでタイムも散々なものでした。今からもう40年以上も前になりますが、「タイヤは滑らせるな!考えて走れ!」「上手い人ライダーと出来るライダーは紙一重で全く違う」なんて言われました。長々とすみませんでした。
他のスポーツ 野球やサッカーでは国を上げて勝ちに行ってるから単にモータースポーツに感化されない国民性でしょう。マシンは最高が造れるし、大谷選手みたいなのも出るんだから国家プロジェクトで3年もやれば直ぐでしょう!
話を聞きながらヤマハを出ていったビニャーレスの事を考えていました(ブレーキトラブルとかあったし・・・)
民間企業でも、昭和の時代はゼネラリストの重要性が認識されていましたが、平成、そして令和と時代が移りかわるにつれスペシャリストの重要性ばかりがもてはやされ、もはやゼネラリストは必要ないとまで言われる時代になってきてしまいました。しかし、その誤りを認め、改めて、原点回帰しなければならない時代なのかもしれませんね。😊
乗って試して、また変えて乗って試して、感じて、物理法則と感覚の整合性と連続性を考えて、ライディング考えて、変えて感じて、また考えて、、、分かるメカニックが育つには時間とお金がかかるのに、ピットの雑用係の中のメカ係。(T ^ T)
日本人で天才というなら加藤大二郎だけなんだろな!
天才ライダーと言われた方が、自分が自分がではなくメカニックの重要性を必死に話す。凄い…カッコイイ。
縁の下の力持ちを称え重要性を説く。
本間さんみたいな上司の下で働きたい。
本間さんの話に沿えば、片山敬済さんはまさに天才の自覚に満ちた人だったのでしょうか。
最近八代俊二さんのチャンネルも観ているのですが、かつて八代さんがお世話になってたチーム監督や大メーカー様の暴露エピソードが取り上げられて居ます。その内容と今回の本間さんのお話を聴いて、日本のレース関連団体の器の小ささが選手とメカニックの才能を潰しているのだと言うのが良く判りました。
やはり80年代からのGPのオールドファンは皆当時のGPの話をしたいんだなとコメント見て思った。あの頃のレース関係の話で僕らの知らないことを話しをしてくれるのはとても有難い
最終的には、「言語ではない。感性!」ということなのだと思います。
以前、自分は自動車会社(バイクをつくっていないS社です)なかなか伝わらないことで苦しみました。
その原因は車に乗らない人間が自動車の開発業務をしているからでした。そんな人がいい車をつくれるのか?
という社会が現実にあらゆるメーカーで起きていることだと思います。
これがバイクの開発者だったとしたら?と思うと弱った時代になったと思うのですが、彼らは頭はいいですし、言葉の上ではすばらしいのです。が、このような人間に限って出世欲が強く、失敗を嫌います。そうなると冒険をしない、コストをかけず、早く終わらせようとします。
このような人々が足りないのが「経験、感性磨き」。これがないのに本間さんの感性を理解できないと思います。
本間さんはある種の通訳士なんだと思います。こういう人があらゆる世界で必要な時代です。
天才と言えるのは伊藤史郎だろうな。ライラックで16歳で初出場してメーカー抑えて優勝。そしてホンダが参戦する前にBMWと契約してGP参戦してた。
WIKIより東京都大田区大森出身。父は音楽家の伊藤昇。「史朗」という名は、父の師である山田耕筰が名付けたという。
1955年11月に開催された第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(第1回浅間高原(火山)レース)の250ccクラスに、ライラックSYで出場。伊藤は当時16歳で、これがデビュー戦だったが、実績ある選手を抑えて優勝を果たした。
よくわかります。私も10代からメカニックの仕事してましたが、早いライダーには、もれなく良いメカニックがついてました。
本間さんは天才だった。それは間違いない。メカの重要性は海外ライダーがよく話してるけど確かに日本人ライダーはその話をしないですね。ドゥーハンやロッシは同じメカだし。
今日の話も大変興味深かったです。 ありがとうございました。
フレディー・スペンサーでいうアーヴ金本ですな🤔
Moto2走ってた長嶋哲太さんが来年から全日本でチーム監督として参戦されますが、ライダーと共にメカニックを世界レベルにすることを目標にされてます。
自身が世界を周り苦労し、やはりメカニックの大切さを痛感されたのかもしれませんね。
ノリックはスポット参戦した鈴鹿でいきなり優勝争いしてましたからね。
それまでの日本人ライダーとは違う走りに、日本人の最高峰クラスチャンピオンが誕生するかもと期待したのを思い出しました。
日本人MotoGPチャンピオンは夢のまた夢
速いマシンを作れるメカニックは憧れで必要ですよね。私もバイクのレースに参戦していましたが
サーキットで速く走るならまず速いマシンに乗る、この重要さを嫌と言うほど実感しましたね。
メカニックを雇う金が無く、改造もセットアップも自分でやっていたので毎回準備が大変でした。
レースで走る前に精神的にも天才ではないレースを遅く始めた私は肉体的にも疲労するのが
凄く悔しかった。
もの凄い後輩達の相談🤩それに対応する本間さん、さすがパイセンも凄い🤣!
GPチャンピオン著書のライディング本は何冊か読んだけど世界GPメカニックの著書は見たことないけどこの話に出てくるメカニックの著書は出版されてますか⁉️
日本の現在のトップワークスにコノ声が届いて欲しいです。
無茶苦茶よく解ります。本当にその通りです。
水谷さんですね、すごい人です。
80年代後半本間さんともう一人の天才清水雅広さんについて是非語って頂きたく思います。
UCCとAJINOMOTOテラの時代ですね🤗清水選手が国内チャンピオンを取った年❗
俺はハルチカとダイジローたな。特にハルチカには大排気量クラス乗せてやりたかったな。
ホンダは見る目がないというか人間関係優先だからな。
天才が天才のことを語ると凡人には何言ってるかわからない。
本間君が出てきた時、明らかに他のライダーとは全く違うと素人の自分も分かる位のライディングスタイルだった。
今なら当たり前のフロントを浮かせたまま方向を変えてコーナーに入る姿はリアルバリバリ伝説だと興奮したものでした。今でも筑波でのビデオを見ては楽しんでます。
本間さんの話は、元トップライダーから見て、感じた話として興味深かったです。
藤原儀彦さんと永井康友さんと町井邦生さんのお話をリクエストしておきます。いつかよろしくお願いします。
あとエディローソンさんもお願いします。
ヤマハの日本人ライダーならやっぱ金谷秀夫と高井幾二郎は外せないでしょう‼︎
本間さんは日本人最初の天才ライダーでしたね
250クラスのトップライダー達よりも数段上の走りでしたから
本間さんの走りを真似出来る人は誰も居なかった
当時ノービスだった私がコースサイドでよく見て居ましたけど、どういう操作をして居るのか?分からない場所があって、本間さんの走りは他のライダーとは桁が違い過ぎました!
本間選手が出てきた時の衝撃
天才が天才を語る
ヤマハは日本人ライダーをWGPに行かす気は無かったから当然、チャンピオンは取れない。
一番、油が乗っていた時期の平に開発させたからね。 阿部はレイニーがホンダから引き抜いたから行けただけ。 ホンダはWGPまでのステップアップの道を作ってはいたが、やはり、伊藤、岡田、と日本人ワークスライダーは実戦開発させてレースをさせなかった。 例外はサテライトで行かせた加藤だけか。
かつて神戸市にあったYSP六甲のオーナーだったあの金谷秀夫さんは1975年のGPポイントランキングトップのまま日本に戻ってマシン開発していたのでチャンピオンになれませんでしたね。結果、ランキング3位止まりだったのが悔やまれます。世界ではアゴがチャンピオンになってくれた方が喜ばれるからしたかない。でも原田選手は日本よりイタリアの方が人気があったらしいですから環境から変えないといけない気がします。
確かにイタリアでの原田の知名度は「ハラダ?知ってるけどなんでそんな事聞いてくるの?」ってレベルでイタリア人ほぼ100%の知名度でしたよ。
ガソリンスタンドのCMに出ていたのも大きかったと思いますが、街中でもアプリリアの例の“レーシング”ロゴのスクーターが沢山走ってました。
逆にサッカーの某氏の方が都市に依っては「あぁ、なんか日本人いるね。名前なんだっけ」って感じでしたね。
いい話でした。
この話の後で、来年の鈴木竜生が楽しみです。
ケルとかアーブとか昔は有名なメカニックが居ましたよね。
最終戦で原田選手がカピロッシに追突されてワールドチャンピオンを逃したのを最後にレースを観るのを辞めました。裁定がが二転三転して見る価値がないものと思いました。
天才
やっぱ同じ人間が何年も出てるのはよくないんですよ😅若手の突き上げがないと😅ロシアの女子フィギュアのように😅金メダルをとったザギトワが次の年には活躍できない😅あれほどの天才を上回る人材が次々でてくる😅その環境が大切😅さすがおそロシア😱
面白くは無いけどね
あれは使い捨てに過ぎる偏った育成プログラムの例だと思う
天才的なメカニックがいないと
勝てない事を 誰も知らない
教育しない 如何にも 日本人! って感じですね!
飛び抜ければ 協調性が無い と見なされて プロジェクトから外される 肝心な所をやらせない 長年レースやってるのに 大事な所を知らないって
もったいないなぁ〜!
当時はアーブカネモトさんという天才メカニックがいましたね。メカニックであれだけ名前が広く知られた人はいないのではないでしょうか?
今の時代は、技術のみに目が奪われ、そこを超えた心理的な理解やサポートの重要性があまり理解できなくなっているのかもしれません。見直すべきポイントですね。😊
レースの英才教育は日本人の場合最初のメカニックはほぼ100%父親、ポケバイ、ミニバイクと長々パパメカが続くのが問題の様に思います。早目にレーシングスクール入れるとか専属コーチ付けるとかした方が良いと常々思います。以前桶川塾の冬合宿?の一幕を垣間見た事があるのですがサーキットと桶川塾の往復はランニングとの事。1人の塾生が同伴してた妹が水溜まりに落ちてずぶ濡れになったのを置き去りにしたと塾長に大目玉を喰らっていました。人としてあるべき精神から叩き込む姿勢に好感を感じましたが同時に本人の言い分も聴いてあげないとヒネクレてしまうのでは?と思ってしまいました・・・教育は難しいですね。
ケニーもローソンもはじめは皆親父でしょ
何の仕事も職人肌の人材が減った気がする。
かつてのケニー・ロバーツにケル・キャラザース、フレディ・スペンサーにアーブ・金本って感じですよね。漫画でもしげの秀一さん著作のバリバリ伝説で巨摩郡に島崎、4輪になっちゃいますがF1を描いた六田登さん著作のFで赤木軍馬と大石タモツみたいなものですかね。
まんがの方は演出的にスーパーチューンが必要で、派手なチューン(というか改造)を出してますが現実では地味な調整的なチューン、セットアップで全然違ってくる・・・。まさにメカとライダーは二人三脚なんだと実感しました。
片山さんには、ケント・アンダーソンさんや柳沢雄三さんが居ましたね、プライベートからワークス迄一緒に連れて行ったし、スペンサーさんにはアーブカネモトさんが(๑>◡
天才が 神の領域を 語る回ですね
アーブ金本とスペンサー。アーブ金本とローソン(これ最強コンビ)。ケル・キャラザースとヤマハ。くらいしか知らないです。
厳しくも誠に的確な話。世界とかでトップを狙う選手はどこかで孤独孤立してしまうのだろうと思う。馬が合うメカを選択するのは理解できそうな気もするが、それじゃ勝てないんだな…と。貴重な話だった。
説得力がメチャクチャありますが、確かに日本のメーカーは、煙たがって本間さんに公式なオファーはしませんよね。ただ、、、本間さんのような人を業界の外に置いておこうとするのが日本のモータースポーツの後進性なんだろうなぁとも思います。三億円は高いですが、誠意を示せば少し値引きしてくれます❤。きっと。本間さんの言ってくることは全てわかってる! とか、日進月歩のテクノロジーは既に本間さんの知識、理解を超えている!とメーカーの技術者は言うと思うが、日本メーカーがなぜ強かったのか? これを、客観的に見れないのが問題だ。自分の天才性を過小評価して、チャンピオンを逃すという日本人の謙虚さ強く影響してるのかな。本間さん、一線に戻ってくれないかな。。
いつも、懐かしく、心温まる思いで
見させていただいてます。
1966年生まれ
リアルGPライダー本間選手を見ていたものです。
いつも、心爽やかにしてくれる
本音の本音、ありがとうございます😭😊
ドゥカティ-のジジダリーニャですね。
日本人とならば妄想で片山敬済さんと福田照男さんを語ってもらいたいんです。よろしくお願いします。
メカとしてやってもらってた方が、天才的な方でしたが、私が、凡人でした _| ̄|○
個人的には塩森選手だな。TT−F3からTT−F1まで乗りこなす。
ジョンコシンスキー
名前が出たライダー✨皆んな僕も凄い速いと思います🤠🌈
現役ののとき、本間は天才だと思ってたわ。
使い古しのタイヤをもらって練習したっての本間じゃなかったっけな?
天才mって岩田さん?
天才ライダーの本間利彦さんは海外に出て他にも天才がいっぱい居てメンタルとか大丈夫だったのですか?
自分は知人の勧めでレースをはじめみましたが、コースに出た途端に、メカニックのネジのしめ忘れの前に、ライダー自体頭ネジが2、3本ぶっ飛んで居る方達ばかりでした(笑)
まあ本間さんレベルからしたら自分なんか足元にも及びませが、
そんなこんなでタイムも散々なものでした。
今からもう40年以上も前になりますが、「タイヤは滑らせるな!考えて走れ!」
「上手い人ライダーと出来るライダーは紙一重で全く違う」なんて言われました。
長々とすみませんでした。
他のスポーツ 野球やサッカーでは国を上げて勝ちに行ってるから単にモータースポーツに感化されない国民性でしょう。マシンは最高が造れるし、大谷選手みたいなのも出るんだから国家プロジェクトで3年もやれば直ぐでしょう!
話を聞きながらヤマハを出ていったビニャーレスの事を考えていました(ブレーキトラブルとかあったし・・・)
民間企業でも、昭和の時代はゼネラリストの重要性が認識されていましたが、平成、そして令和と時代が移りかわるにつれスペシャリストの重要性ばかりがもてはやされ、もはやゼネラリストは必要ないとまで言われる時代になってきてしまいました。しかし、その誤りを認め、改めて、原点回帰しなければならない時代なのかもしれませんね。😊
乗って試して、また変えて乗って試して、感じて、物理法則と感覚の整合性と連続性を考えて、
ライディング考えて、変えて感じて、また考えて、、、
分かるメカニックが育つには時間とお金がかかるのに、
ピットの雑用係の中のメカ係。
(T ^ T)
日本人で天才というなら加藤大二郎だけなんだろな!