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物流会社に勤めてるけど、未だ物流を馬鹿にしたり軽んじてる空気があるね。メーカーとか商社とか。モノを運ぶなんて誰でもできるだろ?って考えがあるのだろう。とにかく出来るだけ金は払いたくないみたい。
物を作らない仕事は仕事にあらずって考えだな。人件費かけるのは負の考え的な
物流倉庫のアルバイトを副業でやっていますが、年中募集があります。そうでもしないと、大量の商品の配送ができなくなる。一般の物流倉庫でもこんな状態だったら戦時中ならなおさらでしょう。
物流が破綻したらコンビニやスーパー、ホームセンターの商品棚が空っぽになるということが分からないのだろうか?最終的に困るのは消費者(労働者)であるということが理解できないのだろうか?
最近は少子高齢化等でなりたがる人も少なくなり、更にキツくそれなりに技能資格も必要な仕事なので、誰でも出来る仕事では無いと思う。
某思いつき社長 「我が社は貴重な社内貯金を使って、物流倉庫を増築して! 2024年問題に対応することになりました!」(( ・´ー・`)ドヤッ!www🤣 某専務と常務 「それは良いとして! 倉庫の人員はどうするのですか? また人を雇うのですか? また九州→本州へのドライバーが慢性的に不足しているのに! ドライバーを募集しても集まりませんよ!どうするのですか?」 社長 「えっー!えっー!それは……。」 ↑ 何も考えてなくて、流石に草www😂
私の爺ちゃんは満州で馬車を引き、兵站を担っていたが、直接戦闘に参加しないので上官等から酷く虐められ、亡くなるまでPTSDに苛まれた。兵站の人員をないがしろにするんじゃ日本が負けて当然。
商売人だった私の祖父は車の運転が出来たので、満州事変、日中戦争の頃、94式6輪貨車で「弾薬、食料」を運び、帰りは「負傷者」を本部に運ぶと云うのをエンドレスでやってて辞めるまで、とうとう銃を一発も撃つ機会は無かったそうな(第11師団・善通寺)輜重兵で終わりました。まぁ、おかげで私の母、私と命脈が続いてる訳ですが。祖父(三男)の兄(次男)は第二次上海事変で亡くなったそうで、命脈は途絶えちゃったと。
豊臣秀吉は戦国武将の中で抜きん出て兵站の整備には巧みであった。
小田原城包囲戦の兵站をこなせるのは秀吉だけだったと思う
その下地があったから中国大返しなんて離れ業もできたんだろうね。そしてそれはおそらく下積みの経験によるものだと思う。勝手な思い込みだけど名門の柴田勝家あたりも兵站は軽視してそう。当時はみんな牟田口レベルでは?
秀吉は若い頃に弟と2人で読み書きの練習をしながら行商人をやってたらしいので、移動の際の速度や時間の計算やお金の損益算を現場で覚えたとか。その才を兵站に活かせるとして信長にも認められたレベルです。
やっぱ飯食うのに困ったことあるやつが偉くなると強いよね
だから兵站の天才石田三成を重用したが、それを理解できない周りから妬まれましたね。
日本軍は負けるべくして、負けたのだと改めて思います。負けに不思議の負けなし
日露戦争が勝てたのは明治維新から日清戦争と経験してきた軍部はプロ中のプロ、ドンパチだけではなくそこに至るまで情報収集から工作、作戦立案、多岐に渡る勝機の因を積上げた活動が一つになり勝利したのだ。最期の最期ロシアに革命が起こってなかったら勝利に繋がっていたかどうか?そのロシアに革命を起こしたのは日本の工作に依るたまものである。作戦に溺れて足らずは大和魂、愛国精神で凌げという指導は軍の怠慢を兵に転嫁させた行為に他ならない。
故野村克也元監督の言葉ですね?ちなみに、上司の鶴岡元監督は軍隊あがりでしたね?
@@修一柴崎-z5oさま 鶴岡一人氏はうちとこの郷土の偉人です。さいきんになって市営球場に氏の名前を冠するようになりました。
参謀や、将校がほんとに無能多すぎですよね
@@田中裕樹-d4h無能と言うか、学校の教本が悪かったんじゃねぇかと思う。日本人はそういうの盲信して行動するから。
最後の「国力を無視した戦線拡大」というのが全てのような気がしますね...ちなみに、こういう考え方は今も残っていて、前職で上司の思い付きで営業施策やったものの、準備も不十分で現場は振り回されて結果は散々なんてことがちょくちょくありました。私らは疲弊するだけで済みましたが、当時の方々は皆さん本当に命を失われていた訳ですから絶対に許せませんね。
戦線拡大は本土爆撃を阻止する為には必要だったんだよ。
@@谷澤文隆 サイパンさえ守れば本土爆撃は阻止できる。ニューギニア、ソロモンを超えてFS作戦ではさらにフィジー、サモアまで攻略するつもりだった。
@@谷澤文隆戦線を拡大しなかったら本土爆撃、戦線拡大したら維持できる国力がない。最初からどっちを選んでも詰んでた
@@SC-cn9eg 短期決戦が崩れた時点でね。戦いは目標達成と早ければ早いほどいい。
システム開発企業にいましたが、ウチの会社では SE が必ず受注に介入してたからほぼ無かったけど、他社では営業が勝手に納期やコスト的に無理な案件を受注してきたり、馬鹿なエライさんが安請け合いとかよく聞きますねえ。
戦国時代の名将でも兵糧攻めや矢や鉄砲玉を相手に消費させる事や忍者を使っての物資輸送の阻止など兵站を考えた戦略を取ってたのにな…
戦国時代は武器の性能なんてたかが知れてて、それ以外の面で相手を出し抜く必要があったから兵站に必然的に着目していたと思うが、2次大戦の頃には大和やら零戦やらそこそこの攻撃兵器を作れてしまう中途半端な工業力があり、それに全幅の信頼を寄せてしまった節もあると思う
@ その通り。大日本帝国になった当初の日露戦争あたりまでは、それを重視するような動きはあったし将兵もそこを重視する人も多かった。その後の大戦で生産力ないのに、それなりに強い兵器を持ってしまったがためにそこに頼りキャパ以上のものを求める傾向が強くなってしまった。
日々、戦争に接していると、現実的になり、補給を軽視するような武将は淘汰されていったのだと思います。明治政府も、幕末の動乱、士族の反乱、日清日露戦争と戦争が続いている間は、補給もシビアに要求されていたので、あまり軽視するような事はなかったです。日露戦争の後の、第一次世界大戦、志那事変は現地調達で何とかなる事が多く、そのまま40年も経てば、すっかりと補給を軽視する風潮が出来上がってしまったのかなと思います。
ロシアも見ればわかるが兵站がどれほど重要なのかはわかるな
問題が起きると「大和魂」とか都合の良い解釈で責任逃れが出来る組織だからね。近代的な軍隊って考える事が間違いで、むしろムジャヒディンとかイスラム原理主義に近い武装組織って見れば分かりやすいだろうね。そして現代でも、新規の高速道路とか、五輪とか万博とか、動かしようの無い予算を算出してから利用者、来場者の人数を計算してあり得ない人数を平気で出してくるじゃん。結局は赤字で維持すら困難になる訳で。
短期の予定が狂ったからなそして、宇宙世紀にもう一回同じことが繰り返されるとは誰も思わんよな(笑)
@@ryuhd-m3nオデッサ維持できてればねー
オデッサから本国まで何で運んでたのか専用の輸送船なんかあったか?
確かに、旧日本軍と同じ状況ですね。
up主さんが末尾で挙げた考察は強く同意します。現代の民間の会社でも、足を運んでの営業重視で、情報戦略や経費を掛けた兵站が軽視されてる事がよく見受けられますね。それじゃ疲弊するだけで局地戦で最前線だけはなんとかなっても、戦略的に伸びないという戦訓が全く活かされていない。一種の国民性なんでしょうかね?
あの戦争は開戦と同時に敗戦が決まっていた。戦訓は軍事だけじゃ国は護れないこと、大事なことはそもそも戦争をしないこと、国際社会で孤立しないこと、勝てる陣営に居ること。上の人間はある程度それを理解して実践しているように思える
やっぱり戦史は学校で教えたほうが良いですよね
陸大の創設に尽力したメッケル少佐は日本軍人が兵站軽視の思考になりやすいことを当初から危惧し、陸大の教官であるあいだは兵站の重要性を教えていたそうですが、時代がかわるにつれ兵站軽視の教育になってしまったようです。
日本が連合軍側として第一次大戦の西部戦線の地上戦に参加していたら、日本の兵站軽視は治ったと思う。
いや、発狂してたやろ英米仏独と生産力が桁違い、どうやっても無理ゲですもん
秀吉の頃から兵站を理解し日清・日露戦争では兵站の差で勝ったのに妙だな…?特に陸軍は戦車用の開発資金と資材、人員を回してまで鼠輸送の時成功率の高かった輸送潜水艦まで作ってたのに…?兵站軽視してる軍が中国西部の山岳部を含む2400kmを踏破できるか…?あ、海軍のこと?それなら同意^^
@@呑龍ハルカその2400キロ踏破した人達が飢えずに、苦しまずに帰って来たなら良かったんだけどねえ。
補給に失敗したのが事実だとして、理由が「軽視してたから」は根性論が過ぎるやろ。じゃあ逆に補給を重視してたら補給は成功してたのかって話になるやんけ。国力に見合わない程に戦線を広げた時点で重視軽視に関わらず補給が成功するはずないんや。
輸送関係(輜重部隊)は『腐れ士官の捨て所』と差別した話を聞きました。
@@キーちゃんヒロシ 出世のための手柄が立てにくいからやりたがらないのだと思う。そして前線に立つ奴等からは安全圏にいる奴等だと陰口叩かれる。
戦争のみならず日々の生活を送る上でも物流輸送による供給はとても大切。台風などの自然災害で物流がストップしたら一気に日常生活に悪影響が出てくるし。
2度の大震災で物流が滞りスーパーやコンビニの棚がガラガラになりましたからね、在庫を持たないトヨタが特に流通滞り計画通りに資材入り計画通りに下請けが部品作って納めて車が作ったのが破綻したからね
情報→兵站→作戦という流れになるのでしょうねこの過程のうち、どれかを間違うと、その後は全て間違う
なお、日本軍は情報→極めて精度の高い分析や予測をする人間もいたのにガン無視して都合のいいところだけ抽出。兵站→ちゃんとできる人間もいっぱいいたのに、実際の実施面は牟田口みたいなのばっか。という地獄。たぶん、そういう過程の前の段階の、組織の在り方、人事面での運用という一番下の土台が死んでたと思いますねぇ。
なぜ軽視されるのかというと、日本人はすぐに手段と目的を混同するからだ
今の会社でも 行ってこいっていうだけで たいした情報も資金もくれない、失敗すると責任を取らされる
なろうのブラック企業のでもそういう話ばかりするが、奴隷じゃないんだからやめて転職すれば?としかいえないわ。転職してやっていける価値も能力もないんなら我慢してその会社にしがみついて文句いうなよとおもう ちょっとは使う会社側の立場も考えてやれと思うね。無能をその通りの待遇で扱ってるに過ぎない
有能な部下は上官をうまく使い倒すからな。自分がこれができるからあなたはこれをお願いしますと。中華の戦記なんかはそういう話ばかりだよ
日本軍の上層部は戦争を血を流すスポーツの試合ぐらいに考えていたのだろう。つまり戦う前のの選手の条件は限りなく対等であるスポーツの試合と。彼ら日本の戦争指導者たちは軍学校の秀才だったが、おそらくはそれら軍学校の学生の中には兵站や情報の重要性を指摘した学生がいただろうがそんな学生は教官から一笑に伏せられ、下位の成績をつけられたのであろう。
将棋に兵站と情報戦の要素は無いからねえむしろスポーツどころかゲーム感覚だと思う
ニューギニア戦線の本はいくつも出てますが、それを読むと米軍は日本軍の戦闘部隊はほとんど無視し専ら補給船や陸揚地を攻撃しひたすら補給を絶ったそうです。あくまでも敵戦闘部隊をターゲットとして重視してたのと比較すると、残念ながら敵の方がどうしたら勝てるのかがわかってましたね。
戦艦大和で敵艦を遠くから沈めることが格好良いと思い込んだ帝国陸海軍😢 沈められたら特別攻撃隊と回天で敵艦を沈めようとする😮 補給なんて格好悪いから見たくない😮
なお兵站のことをきちんと考えてたら太平洋戦争に踏み切れなかったように思います。
@@32mack82 そう、そもそも論で言うなら、当時の日本で産業の基本的な資源である石油と鉄(屑鉄)、及び工作機械の最大の輸入先がアメリカという笑い話、そこを相手に戦争するって何考えてるのという話
仕上げは日本本土の海峡や重要港湾沖を機雷で埋め尽くす、その名も「飢餓作戦」これをやられて致命的だったのが、大陸からの塩の輸送がほぼ途絶してしまった事。
@@Arcticraider 誰かが日本海軍は軍艦オタクといってたけどよくわかるw
米軍は陸海軍で機関銃を統一し、弾薬・部品の補給システムを簡素化していた。日本軍は陸海軍で銃弾・部品の互換性なし。生産力が低いのに互換性がないのだから現場では慢性的な弾不足。
規格の統一って最初期からやらねえととんでもない金かかるんだよ。工業にくわしくねえやつは実感できないだろうけど日本の経済力じゃ無理だね。メートル法に変える時だって日本は尺の規格の定規を作るのを法律違反で犯罪にしてまで強硬手段とったからな。規格の変更や統一のいかに難しい事か
戦国時代でさえ、福島正則、加藤清正、池田輝政、黒田長政といった前線指揮官と、石田三成、長束正家、増田長盛といった兵糧奉行として兵站を担当した武将は仲が悪かった。
まあ、そりゃ必死に戦ってる武闘派と食料やお金を考える必要がある文治派は仲が悪いのは地味にわかる
そりゃあ「こっちは命がけで戦場で戦ってるのに、なんで城で算盤弾いてる奴が俺らと同じ地位なんだ!?!?」ってなりますよね(・ω・)
@@wolverin00012 福島、加藤の気持ちも分かりますが、兵站の重要性を分かっていなかったのでしょうね。文禄慶長の役で、10万を超える兵士が朝鮮で戦えたのも、石田三成の兵站であり、秀吉の死後、戦争を終結させ、彼らを無事日本に帰還させたのも三成の力です。この点、東条英機とは大きな違いが有ります。 また、三成は、関ケ原の戦いで西軍を指揮するなど、優れた武人でもあり、何よりも、福島、加藤等とは違い、豊臣家に最後まで忠節を尽くしました。
清正は兵站の重要性は、ちゃんと理解してると思う。「戦さに加わりながら、兵糧を持っていないのは武備の怠慢」(『常山紀談』)とまで言ってるし。戦争の開始から終戦まで兵站を支えた三成の有能は確かでも、蔚山城で壁土の中の藁や草まで煮て食った清正達征討軍の苦労を思えば、恨みを持ったとしても、仕方がない気がする…。
政務やってるオーベルシュタインと艦隊司令官の仲が悪いのと同じだ。
恐ろしいのは太平洋戦争での日本軍は6割は餓死て言うのが………
病死も餓死と関連がありますからね。空腹で抵抗力がなくなって、病気になるパターンも多かったですから。
ドイツ「100万以上が餓死なんだが?日本軍に直せば100%だぞ」アメリカ「西部戦線で30人のうち29人が捕虜になってりゃそら養いきれねぇよw」
@@呑龍ハルカ 中国「第二次世界大戦のときではないが飢餓で中国は第二次世界大戦と同じくらいの餓死者出した」※中国は3年大飢饉で1,500万〜5,500万以上が餓死で亡くなったとか
@@レオ-g5b 雀「ざまぁwwww」
輸送路もないし航空支援もないのにニューギニアの山行ったり来たりさせられるからなぁ…
以前アップされた時、クオリティーの高さに感動しました。再アップありがとうございます。
兵站を攻めるのは戦争の常道であり、当然連合国側にだって兵站を絶たれたケースはある。その時に彼らは組織的な投降を選択することが出来た。日本は、絶対に捕虜となってはならないという愚かな価値観のため、投降という選択肢を取ることが出来なかった。兵站を絶たれてもな戦闘を継続するしか選択肢がなかったことこそが、餓死戦病死を増大させた要因であろう。
直前まで中国で捕虜=むごたらしいコロされ方をされていたので、投降の概念が薄かった+鬼畜米英!が原因っぽい
個人的には「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」という揶揄に兵站軽視が一番現れてると思ってます。
重視してた牟田口が吊し上げられたの考えてもなぁ牟田口「兵站無理やろ」→大本営「自動車化中隊送るから着き次第始めて」→海軍「ごっめーん80%以上漁礁になったー」牟田口(ドイツも落ちたしインパール要塞化されたら終わる…だいたい3個軍団集まったのホイホイ延期も中止もできず開始するしかない)って理解してる奴ほぼいないし
@@呑龍ハルカ インパール作戦開始は米英のノルマンディー上陸作戦やソ連のバグラチオン作戦よりも前の出来事なのに何でドイツも落ちたになるの?
@@ざき-q9c え?目と鼻の先のイギリスがどうにもできず兵站を馬車に頼ってるドイツが盛り返せるとでも?楽観視しすぎだろ・・・ベルリンが陥ちたっていえばそらそうだってなるけれどwww
@@ざき-q9c 落ち目の意味で落ちたって言ったのに区別できなかったのかw今後はもっとわかりやすくするね?ごめんね???
@@呑龍ハルカ 落ちたに落ち目の意味はないからね。日本語を勉強してくださいな。
兵站もそうだけど関東軍の頃から勝手に戦線拡大していく旧陸軍って怖いよ。2度もクーデター起こすし。
その陸軍内でも拡大と不拡大で対立してたという
文民統制の効かない軍事組織は、一見強そうでも、結局は脆いし、国に危難をもたらしますね。
問題起こした連中を処罰できない組織風土の時点で詰んでるよね普通の国なら当然免職→軍事法廷で極刑でもおかしくないし、上層部も総とっかえだよ帝国憲法を盾にして、好き勝手やり出したのを止められなかったのが昭和の悲劇を生んだ
5・15の方は陸軍も無関係ではないですが海軍将校が主導だったってのと、2・26の方も農村部の困窮に対処できない政治にしびれを切らした「皇道派」と呼ばれる一派が起こした事件ということ、あと関東軍は満州事変を起こした石原莞爾に代表されるような陸軍中央上層部の統制が効かなくなった人たちなので一括りに「旧陸軍って怖い」で片付けるのはいかがなものかと思います。
@@コシヒカリ-o4q 戦後流行った陸軍悪玉論もここ20年くらいで海軍の問題点が浮き彫りになってきてかなり少なくなってきましたねただ暴走しまくったのは陸軍ですが
日本軍はロジスティクスの考えが無かった。「モノを如何に効率的に運び、不要なボトルネックを減らすか」に無頓着だった。名古屋市内の三菱重工で作った零戦は一旦分解して、同じ愛知県内の小牧飛行場・・・ではなく、50km離れた岐阜県の各務原飛行場まで「牛車」で運んだんだよね。何故にクソ遅い牛車かというと、各務原まで大部分が舗装されてない道であり、トラックや馬が牽引する荷車では、振動で分解した零戦の調子が狂う怖れがあるから。何故に半分の距離で済む小牧ではないかというと、小牧は陸軍の飛行場だから海軍機は使えなかった。予め出荷を見込んで工場を飛行場の近くに建てるとか、工場の隣に出荷用の飛行場を作るとか、飛行場までの道を整備するとか、陸軍に頭を下げて各務原よりは近場の小牧飛行場を利用させてもらうとか・・・現場の奴は考えただろうけど、組織としては問題意識さえ持たず「牛車で運べばええだろ」としか思ってなかった。クソである。
軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43%(漁船、機帆船の正確な数字が把握困難なので推計)にもおよんでいる。正社員にあらずは人にあらず非正規社員を損耗して顧みない現代にも通ずるものがある何も変わっていなくて草も生えない
特設監視艇の損耗率は73%と言う推計があります。
特攻で散って行かれた方々も 少年飛行兵あがりがほとんどで 兵学校出は少なかった。
そして戦後は軍人だけが手厚い恩給にあずかった訳ですね。
当時の陸海軍をあざ笑う人も多いが現在も各方面で全く同じことやってるんだよなぁ
「仕事なんだからそれぐらいなんとかしろ」「何とかするのがお前の仕事だろ」「これはもう決定事項なんだよ」「うちにはそんな余裕ないのわかるだろ」「そんな話聞きたくない」
歴史は繰り返すが、人は歴史から学ばない…
(´-`).。oOドラッカーを高校の必修科目に指定するために文科省に働きかけようか。
自衛隊だって物を運ぶ能力は疑問符ですよね
@@y8825-z9h 国内戦限定だからすぐには問題にならないとは思うけど、長期化した場合の人材や車両の確保は不安。
満蒙国境で関東軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件を調べれば分かります。この戦いは補給線が圧倒的に短い日本側が有利だったが補給を軽視、対してソ連は何万台ものトラックで昼夜を問わず中央アジアから弾薬、食料を送り届けた。結局日本側は負けた。(損害はソ連軍の方が大きかったのが後年わかったが。)この教訓をその後の戦役に活かすことは無かった。
ロジスティクス以前にアメリカと長期戦したら勝てないと分かった上で開戦してるからなあ狂気の沙汰としか言いようがない
対米戦争時の日本には、兵站以前に運ぶ物資がないだろ。
山本長官は、日米開戦に反対だったのですから、信念を貫くべきだったと思います。海軍に残留し、真珠湾奇襲に拘ったのは、勝負事に強かった山本長官の山っ気が出たのではないでしょうか。
@@yaccha66 まあ代案に説得力のない反対なんかないのも同じだから意味ないしな。あの状況下になるまで政略で負けた時点で戦う以外の選択肢が無い。戦わねえとこの時代はマジで奴隷扱いしてくるからな白人連中は
戦国時代腹が減っては戦はできぬと言う格言がある様に戦国武将達は戦に於ける食料の重要性は認識していたのに関わらす日本軍は先人の格言から何も学ばなかった
損耗率の計算がでたらめだったとの事だが、日本は立てた計画は必ず実行せねばならない呪いにかかってるから、計画実行のための資金やリソースは全て計画遂行に必要なように粉飾される。つまり実行可能かどうかなどは最初から念頭にない。また例えあったとしても雰囲気的に反対できない。現代の行政などの計画でも予算などは当初設定から何倍にもなるとか当たり前のように行われている。
今の農業を無視した極端な産業構造も、兵站の無視と同じ発想ですよ。
同意😂
確かに今のお年寄りに頼った農業はまるで戦時中の輜重軽視のようですな。
インパール作戦に従軍した人の本で武器弾薬食料が無くなるとイギリス軍の一番兵力が少なそうな陣地を選別してそこを襲撃して武器弾薬食料を調達していたって話が有ったな。イギリス軍も日本兵との白兵戦を嫌がっていたらしく大声出して突っ込めば一目散に逃げ出して被害も少なかったとか。ただしその数分後には迫撃砲の雨が辺り一面に降り注ぐから直ぐに逃げないと行けなかったみたいだけどね
精神論で乗り越えようとするのは物質的な貧しさが背景にある場合だけ今日まで引きずっているいろいろな意味での日本国の問題よ
当たり前は誰かがやる的な発想戦争だけでなく今も同じ傾向があると思いますね
孫子曰く「将兵はまず勝ちて而るのちに戦いを求め、敗兵はまず戦いて而るのちに勝ちを求める」と。「まず勝ちて」とは戦略的に勝つ情勢を作ることであり、すなわち兵站整備に万全を期すことである。日本軍の首脳たちは俯瞰的的視野にかけ、孫子のいう敗兵の思考パターンにはまっていた。
希望的願望、先例主義、失敗からの反省はない。ロマン重視の軍隊。
戦争をゲームかスポーツかなんかだと勘違いしてそうな軍隊ですね。野球でもやってればいいのに。
ドイツ「うるせぇよ」(対ソ戦開始時から補給をソ連の物資、鉄道頼り)ソ連「戦車のパーツを馬車で運んでる姿はお笑いだったわwww」
ヤマト最後の沖縄特攻作戦の神がかり参謀が「滅びの美学!」と称して決行! まさに自己陶酔のロマンチシズム!
軍隊の部分を現代日本と置き換えても違和感ゼロですね。
@@シラタマ-m4n願望と客観的予測がゴッチャになって計画が立てられるところとか、現代でも全然治ってないw
ウクライナ軍によるロシア兵站破壊を「直接の戦闘には意味ない」と書く者が少なくないんですよね。現在の日本のミリタリー系サイトですら、この有り様です。
じゃあ飯の問題で攻勢がストップしたか?燃料の問題で戦車が立ち往生したのか?弾薬が届かなくて機銃陣地が突破されたのか?違うだろw
@@呑龍ハルカ実はしている。
@@呑龍ハルカ 兵站の重要性を説明したサイトで「僕は兵站の重要性がわかりましぇ~!」って自己紹介して君、恥ずかしくないの?
@@呑龍ハルカ君色んなところで逆張りしたいのか分からんけど、たまに真逆のこと書いてるけど疲れないの?例えばティーガー戦車なんてめちゃくちゃ強いけど燃料切れで放棄とか事例はいくらでもあるが
@@coyote8091 直接攻勢に失敗したのが戦線膠着の一番の要因だって言ってるんだよw戦車に加え十分な随伴歩兵が居ればそれだけで踏みつぶせた戦いだし随伴歩兵は兵站の問題で止まったんですかーとwww
腹が減っては、戦は出来ぬ…。この、ことわざが全てを物語ってますね。
輜重輸卒が兵ならば、蝶々蜻蛉も兵なりなんてくらいの軽視具合ですからね…
なんちゃらは高楊枝っていうのを曲解してた説
ナポレオンが言った説がありますね。納得。
日本保守党の考えって兵站軽視のような旧軍の考えに見えてならないんだよな
だってあいつら保守のふりをした売国奴だからな。愛国心を隠れ蓑ににほんを滅ぼそうとしてる連中だから。参政党もそう、清和会もそう
うちの祖父達は、ニューギニア島で補給を絶たれ、食料調達のためにいろんな植物を試食したそうです。筍(猛毒)を採ってきて茹でて食べて泡吹いて死んだ方とかいたそうです。祖父は日本のミズって山菜によく似た植物を見つけ、それを食べて捕虜になるまで生き延びたそうです。結局、戦線を一気に拡大したので、遠い気候の違う国でのサバイバルにおける動植物に関する知識なども一切持ち合わせてない急ごしらえの兵隊では、補給無しでは飢えてしまいます。軍歌のように「補給がなくても三日4日~」は持ちません
大型戦闘艦艇を「護衛」艦と定義し、対潜特化して発展してきた海自は、海洋国家たる我が国のシーレーン確保を第一目標としているから、基本コンセプトは間違っていないという事かな。ただ、弾薬や予備装備をほとんどストックできていないという現状は陸海空すべてにおいて甚だ不安である。今まで正面装備の充実で予算を使い切ってしまっていたのが響いている。防衛予算増額分はストックに充当して、抜本的な体質改善に努めて欲しい。
海自の護衛艦隊は、米海軍の下働きとして、第7艦隊を狙うソ連潜水艦を撃退することに特化して、発展しました。ソ連極東艦隊にめぼしい水上艦隊が配備されたことはありませんから、自ずから目標は潜水艦になります。商船の護衛やシーレーンの確保は、基本的に考慮外です。その点においては、日本海軍と同じです。ソ連潜水艦が脅威ではなくなると、やはり商船やシーレーンは放っておいて、中国艦艇を目の敵にし始めました。相変わらずです。たとえば最も脆弱なマラッカ海峡付近のことなど、海自は眼中にありませんから。海保は恒常的に巡視船を派遣し、周辺国と連携をとっています。
昔も今も海軍の存在意義はシーレーンの防護と破壊にある、つまりシーレーン確保または破壊の手段として艦隊決戦があるが、海軍は手段である艦隊決戦を目的にすり替えた。兵站に対する認識を誤っているので攻勢限界点に関する認識も怪しく、というか攻勢限界点を超えて戦線を拡大させた為、只でさえ乏しい補給に必要なリソース(輸送船舶及び護衛)を更に失い、結果として兵站線の維持も困難となった。※この時海軍は戦時徴用として、民間の輸送船舶を徴集し、その多くを失ったが、その損失に対する補償を一切行っていない。(戦後海軍の主要なものは解体されたりしたので補償ができなかった?)こういった背景があり、海軍の後継者を自認する海自は海保と海運業界から蛇蝎のごとく嫌われる事となる。海軍は早期決戦、早期和平と考えて攻勢限界点を無視したのかは分からないが、確かな事は終戦まで和平交渉は一度も行われていないという事だ。言い出せば陸海軍とも色々あるが、ひとつ疑問に思うのは、総力研究所を立ち上げ対米シミュレーションを実施したその結果を、なぜ一顧だにしなかったのかという点、記録等で見るミッドウェー海戦前の机上演習然り、このシミュレーション結果然り、本当に戦争しようとしていたのか?と疑問に感じる緊張感のなさというか、妄想のようなご都合主義的な部分を感じる。
陸海軍があれだけ軍種対立をしていたら、まともに兵站を確保できるはずがない。
現代の戦争においてバックアップの補給が重要と言うなら、ソ連が戦時中にアメリカから受けた膨大なトラックって、ロシアが「大した事無い支援」と言ってけど、本当は重要だったんだな。
欧州の歴史研究家、ソ連の公式発表(プロパガンダ)では「米国の支援がなくても、ソ連はナチスに勝っていた」1950年代にジューコフが「米国の支援が無ければ負けてた」と発言日露戦争の英米の支援、独ソ戦の米英の支援、どちらも支援があったから勝てたそして、勝ったから自国の公式発表では「自力で勝った」、当時の裏面を知る者がいなくなると公式発表が確定歴史その結果が、大東亜戦争であり、露宇戦争の体たらく
@@南行-p5q本格的に支援が到着したのは戦争中盤、ナチスの攻勢も弱まりスターリングラードの解放の近くになってからのはず。だから支援がなくても勝敗自体は変わらなかったと思うただその後の快進撃はアメリカの支援ないしには不可能だった
まあ、ソビエトの得意技、トラック工場やトラクター工場で戦車を作るが出来なくなると、T34の生産量は減るだろうな。
ジューコフは、事前の準備と兵站を非常に重視しました。ジューコフの将帥としてのデビューはノモンハン戦で、テコ入れのひとつとしてモスクワから送り込まれると、兵站を含むあらゆる体制を剛腕で叩き直し、以降赤軍の勝ち筋が固まっていきます。モスクワはジューコフの要請を遥か上回る兵力と装備、物資などを極東へ送りました。折しもドイツがポーランドに侵攻し、ドイツと密約を結んでいたソ連側は講和を慌て、兵力を引き抜いてポーランドへ送ったため、ボロボロの日本軍は命拾いしました。日ソの停戦合意が9月15日、ソ連のポーランド侵攻が9月17日という際どさでした。モスクワ防衛戦はノモンハン事件の翌々年(1941年)で、レンドリースによる物資が到着し始めるのは実質1942年以降であり、ソ連は英米からの援助に頼らず独力でモスクワを防衛したことになります。ここでもジューコフは持ち味を発揮し、限られた兵力を遣り繰りして、ドイツ軍を撃退しています。現在の研究では、英米からの援助がなくても、戦争は長引くものの、ソ連は独力でドイツの侵攻を排除したという推計がほぼ定説となっています。
ぶっちゃけ、ソ連はアメリカからのレンドリースが無くても最終的には勝っていたと思いますよ。確かに、食糧に関しては、ウクライナ地方を喪失していた事もあって、役に立ちましたが、トラックなどは、アメリカに多少甘えて生産量をあえて落としていたにも関わらず、ドイツの全力の生産量と同等でした。その為、アメリカのレンドリースが無くても、ドイツはあれ以上戦線を拡大出来なかったでしょうし、せいぜいドイツ降伏が2~3年遅れる程度だったでしょう。最後に、ジューコフが言った事は、あくまで「早期に決着は出来なかった」という意味で、決して「勝てなかった」という意味では無かったと思いますよ。
日露戦争の頃は兵站を重視しており、そのため八甲田山の雪中行軍や広瀬中佐の旅順港閉塞作戦や日本海海戦が行われたのだが、いつのまにか忘れ去ったようですね。
まぁ陸大出身の参謀将校にとって兵隊は出世のための使い捨ての道具に過ぎないので。
戦争って結局「損失以上に供給したほうが勝つ」という文字にすればごく当たり前の話個々の戦闘での勝敗とは次元の違うところで結論が出る
海軍がそもそも敵の兵站に損失出す気なかったのがねw三川艦隊とか擁護できんわレイテ沖海戦でも特攻先が輪形陣中央の戦艦空母でなく兵員輸送船だったら詰んでたって他ならぬマッカーサーが証言してたし
@@呑龍ハルカ 歴史if系youtubeの「戦艦大和級2隻の予算をもし○○に回したら・・」という動画見たら空母にしても×、航空機にしても×、海防艦にしても×、戦車にしても× 唯一歴史が変わったかもしれないのは高速油槽船20隻にした場合でした。ちょっと唸りましたw
ドンパチしてる最中にカッコよく采配する所だけ夢想して、補給や援軍は当然の如く貰えるものと他人任せで指揮官の本務ではない、という他責思考の将帥が多かったのも、日本の敗因でしょう。敗戦の言い訳に「物量」がよく使われます。日本が物量に乏しかったのはその通りですが、乏しい物量を有効利用する能力や意思を軽視したことの言い訳にはなりません。物量のマネジメント能力は、軍事力であり、戦闘力です。
@@んーなんだろう 空母系←まず搭乗員が居ねぇ、そもそも用兵上ケチったのが問題だから大和の分があってもなくても一緒もっと具体的に言えばMO作戦で五航戦オンリーで出撃させた事、蒼龍飛龍追加で勝ち確まである海防艦←護衛艦の定時連絡で位置バレしたからむしろ護衛艦がいない方が良かったまである戦車←山岳密林沼地島嶼でどうやって活躍させろって言うんですかね?
陸大は戦争ごっこのお勉強をする機関なんですねかなしいかな…
11:51 たしか日本軍では上層部(特に東條)に反対意見を出すと罰を与えられるから、明らかに不可能でも誰も反対意見を言えなくなったんだっけ?(牟田口も反対意見を持ってたが言えなかったらしい)
今の陸上自衛隊でも軽視されている。優秀な者から3部(作戦訓練)、次に1部(人事)、2部(情報)、最後に4部(補給)。また装備品にしても正面装備は充実しているが整備は故障しても部品待ちに数ヶ月、整備士は整備だけやらせておけばよいものの演習訓練などやらせて整備する時間も無い。そのくせ、お偉いさんの黒塗りは常に新車wあまつさえアルファードに乗る将軍様もいるww部隊では修理されないから部品の共食いしながら何とか状態を維持。最後に、ある将軍様は、ボロボロになっている建物を見て「何とかしなければ」や「何とかしよう」では無く、幕僚に「何とかしろ」と考えることを放棄wこりゃ戦えないわ。と思いましたwwそれに幕僚連中もヘコヘコw将軍をお殿様扱いするから、自分がエライと勘違いする無能な将ばかり。ダメだコリャww
貴重な空挺部隊をパワハラ壊滅させたハカイダー将軍(減給処分(笑))だの、「ドローンが何の役に立つのか?!」と吠えたアホアホ将軍とかいて、流石に草生えますわ!
開戦以前の海軍のドクトリンは日本近海での短期的な戦闘しか考えていなかった。外洋に乗り出して戦闘する、太平洋の諸島を占領していくなんて考えが初めからなかったので、兵站軽視というか考える必要がなかった。仮に貨物船の護衛をと思いついたとしてもそういう船すらないのも当然。そもそも石油をアメリカからの輸入に頼っていながら、アメリカと戦争とは、あまりにも愚かすぎる。とは言え、陸軍もガダルカナル、インパール作戦のそれでわかる通り、兵站についてはあまりにも稚拙すぎた。海自では、シーレーン防衛を強く意識して潜水艦を始めとした艦艇を運用しているのが、せめてもの救いか。
「輜重兵が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」とかと歩兵や砲兵から兵隊たちからも輜重兵がさげすまされてした事からも、上のものばかりでなく、末端の兵隊も輸送や補給を重視していなかったんでしょうね。レーダーや情報技術の遅れなどを見ても、当時の日本軍は近代戦の何とやらも分っていなかったとしか言いようが有りません。
「兵站を軽視した」という以上に、「『戦果』を上げる事に力を注ぎすぎた」事がそもそもの問題な気がする。満州事変以来、「俺もいっちょ華々しい戦果を上げよう!」という人間が増えたように思うのだが、その結果「戦果」を上げるのに直接的に重要になる作戦重視になり、土台となるはずの事前情報や工作活動、兵站などをみんな見向きもしなくなったんじゃないかと思う。(満州事変の首謀者石原莞爾は曲がりなりにも彼なりの思想や戦略などに基づいて事変を引き起こしたのだが、大多数の人間はそんな土台にある部分は見ず、表面にある戦果しか見ていなかった。)後は、欧州大戦(第一次世界大戦)をあまり真面目に研究してこなかったのも原因かもしれない。日本は「激戦地での経験」というのをしていなかったためか、欧州大戦がそれまでの戦争の常識のほとんどを塗り替える戦争だというのをよく理解していなかったのかもしれない。(身も蓋も無い話だが、軍隊というのは戦争を定期的に行わなければ弱体化しがちである。現代は技術が発達しすぎて、話が少し違ってくるかもしれないが。)
金鵄勲章とれたら生涯恩給もつきますからね
当時の事情として、戦争継続の為に国民の戦意掲揚の必要があり、その為には分かりやすい戦果を挙げるという自転車操業をやっていたんだと思いますそしてそれがいわゆる大本営発表という末期症状に至るという
豊臣秀吉の水攻め 持久戦全軍包囲戦による兵糧攻めという教訓があるのに 何も学ばなかった日本帝国陸海軍
確かに秀吉って城攻めでは力押しせずにジワジワと落とすイメージですね。最前線で戦う足軽辺りの出身の秀吉にとって、城攻めはロマンもクソもない物とシビアに見なしていたかもしれませんね。
そもそも大東亜戦争は「長期戦」には負けるから、無理やり「短期戦」にして始めちゃおうという無茶な始まり方であったのだ。海上封鎖によって日本本国と海外の前線を切り離され、さらに海外植民地からの資源を切り離されてしまえば国家単位での兵糧攻めになる。この時点でチェックメイトなのだ。
旧日本軍では日本海海戦や桶狭間の戦いのような遭遇戦の研究が盛んだったようで。そういう見栄えのいい戦争ばかりを好む体質だったんでしょうね。
なぜバルチック艦隊を撃破しなければならなかったのかを丸っと忘れた昭和海軍…。制海権の意味も間違えていたのだろうし同じ負けるにしても情けなさすぎるよな
あらゆる軍事系の中でも、丁寧で、最も信頼できるチャンネル。
輸送船とその護衛船団を全く考えることができていない山本五十六がどれだけアホだったか……山本五十六を連合が艦隊司令長官みたいな偉そうな地位に就けた海軍全体がアホ揃いだったンゴ…
最悪祖父は海軍で3回も応召され3回目は海に放り出されて、奇跡のように帰ってきてくれた。もう戦争なんて懲り懲り。戦略とか作戦とかどうだっていい。平和をいかに末長く続けていくか、それが一番大切なことだ。
戦略や戦術を考えて過去から学び現代未来の平和を維持する事は、大切だと思います。
これは現在の企業でも起こってますね。先人の失敗を学ばす人材軽視。お前らの代わりはいくらでもいるから。大切なのは目先の利益、そして成功体験。これでは海外勢に負けるはず。
補給軽視は正直今も残ってるね
自衛隊は理解していると思いますが、財務省がねぇ・・・
日露戦争における日本海海戦の華々しい勝利が、艦隊決戦重視、兵站軽視、そして大東亜戦争敗戦の遠因ですかね?
その面は確かにあるとは思うけど、中国戦線であれだけ長く戦ってきて兵站を理解してないとは思えない。それに太平洋艦隊が日本近海に来ればシーレーンは確実に破壊されるのでそれを撃滅することは日本のシーレーンを護ることに繋がるあの戦争に勝利するルートは無いので開戦したことが敗戦の原因
ミッドウェー海戦で機動部隊が壊滅させられ多くの軍艦を失った以降制海権を守る作戦は破綻、また送る物資もままならない上、掻き集めた物資を輸送で撃沈されるリスク考えたら消極的に成らざるおえないのが実情だったのでは?武器弾薬、燃料より兵の命は軽視されてた時代です、平和な現代の感覚の定規では当てはめれません。
陸軍は基本大陸での戦争しか考えてないし、どの道派兵となれば海を渡らねばならず、兵站は海軍にお任せ要素が強くなる。海軍はというと仮想敵としてアメリカを定めるわけだが、なにがマズイかと云うと資源の多くをアメリカに依存しており、そこと戦争するとなれば資源を南方にシフトせざるを得ないがその途上にはアメリカが統治するフィリピンがあり、それを攻め取らねば必敗となる。その阻止もしくは奪還のためアメリカ艦隊の進出が確実視されそれを撃退しなければならない。撃滅できなければフィリピンを奪還される、もしくは通商交通路を遊弋され締め上げられることになる。倍近い戦力のアメリカ艦隊をなんとかしなきゃならないのでそれに傾くのも致し方ない部分はある。
決戦重視&兵站軽視について、日本の国力と地理的条件を考えたときに仕方ないものだったとウチは思うのだ。そもそも、中華民国、連邦、大英、合衆国などの大国の物量に対して、日本は陸、海問わず劣位にあった訳で、その極めつけが軍縮条約の主力艦比率10:7だと考えてるのだ。ネットではよく、戦いは質より量で、精神論を語る陸さんや大和型とかを作る海さんは頭悪いとか言われるけど、周辺諸国に対して生産量で劣位な状態では、量と同じくらい質も大切になると思うの。(例えば主力艦とかを蔑ろにしたら、それこそ主力艦の生産力で負けるから)だからこそ当時の日本の決戦&作戦重視は物量で劣る日本にとって当たり前で、結果的に作戦以外の情報&補給が軽視されているように見えるだけだと思うのだ。(日露とかでも陸は補給に苦しんでたし…)だから、日本の決戦重視&補給軽視の遠因は、(列強と比較して)貧弱な国力と、四方を強国に囲まれた地理的条件だと思うのだ。
士官の振り分けもそうだけど兵の振り分けも体格の良いものをどんどん歩兵にもっていくので人力輸送もやってた日本の補給部隊の基礎体力自体も…と聞いた事が…
俺も陸自の末端兵だけど、先輩達と同じ運命辿りそうな気がしてならない。
ジンギスカン作戦の為の水牛5000頭は、現地の人達から奪って集めたのかな?ならば、現地の人達も餓死しているのでは?この作戦を認めた、上官の河辺の事も取り上げて下さい。毎回、奥が深いのに解り易い解説で、有り難うございます。
アメリカは重機を使ってジャングルの中に舗装道路作って、そこをトラックでピストン輸送して大量の物資を前線に届けていた。日本はトラックが貴重品で、まだ馬を使って輸送していた。道路を作るのも人力によるものが多かった。
今をときめくトヨタも、大戦中はヨチヨチ歩きの状態。そこそこ信頼性のあるメーカーも少量生産でとても消耗戦には対応出来なかった。現場で一番人気があったのは、フォードやシボレーのトラックだった。
@@にーに-v9f 戦後の自動車開発はジープの模倣から始まるしね
@@にーに-v9fさん ドラマ「リーダーズ2」のシーンで、立ち往生したトヨタのトラックの修理と積荷を乗せ換えるためにトラックで来たメーカーの担当者に向かってトラックの持ち主が「乗ってきたのはどこのトラックだ?」トヨタ担当「シボレーです」、持ち主「だったら安心だ」
シーレーン確保の課題は日露戦争からありました。日本の輸送船は露太平洋艦隊に度々撃沈されたためこれを撃滅するため陸軍が旅順を攻略しました。この教訓が生かされていなかったのが後々の悲劇につながった言えましょう。
負け戦には学べるけど勝ち戦はなあ。おかげで日本海海戦を手本にした洋上決戦ありきの思考になってしまったし。
兵站(糧食、整備、衛生、輸送)こそ、一番重要な部門。これらを疎かになった時点で、戦争の敗北は間違いないでしょうね。自衛隊に於いても兵站職種出身の自衛官がトップである幕僚長にまで登り詰めたのは、海自の主計出身である当時防大25期の人物だけでした。
日本が開戦時に南方か太平洋か悩み両方選択した結果ですね。南方占領してもろくに補給路確保できず気づいたときは時すでに遅しでしたね。補給は大切
負けたドイツの研究をしてたアメリカ賢いな! 日本は負けたドイツは見てなかったのは仕方ないのかも………
「腹が減っては戦はできぬ」は戦後の言葉なのか?
ホント現場は有能だったってのに上層部がこんなんじゃなぁ………
日本海軍の悪いところは日露戦争の英雄東郷平八郎の意見を鵜呑みにし過ぎたこと。
若い兵士は戦術を語り、老いた兵士は兵站を語る。つまりはみんな若すぎた。っていうか、三国志の頃から兵站については語られてたりする。(諸葛亮が攻めようとした時に、兵站がうまく構築出来なかった、構築せずに突っ込んだせいで補給が滞り、そのまま敗走したって話がある)
つまり、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶってことですね
海軍は、なまじ日本海海戦の成功体験があるばかりに艦隊決戦に執着してしまったのか。
私の祖父が戦時中に輜重連隊長をしていたのですが、全国から東京に輜重兵科の幹部が集まりこれからの輜重兵科の方針についての会議が開かれたのですが、これからはトラックを活用せんといかんという様な話が出たそうです。昭和19年頃の話です。
あまりに遅すぎる
@@KU812010 昭和19年でも、トラックや燃料があったんですかね。
@@32mack82 仮にあったとしたら大陸打通作戦で活用したのかな。
@@1LB6038y 連合軍に比べて、日本軍は物資の輸送では馬や人力に頼る事が多く、物流に対する意識が低かったのは否めませんね。中国だけがあいてなら通用したかもしれませんが、米軍相手ではきつかったですね。
日本軍の歩兵部隊も自動車歩兵化は程遠かったので、輜重科にトラックが回ってくるのも当分先だったでしょうね…
同じような話に零戦の航続距離もありますね。これに人が何時間も乗って空戦する事を開発者は想定していたのか?と
近頃妙なことを言い出す人が出始めましたが、航空機の航続性能は高い方がいいに決まってます。あえて短くする利点はありません。海軍が零戦(十二試艦戦)で要求したのは滞空時間であって、航続「距離」ではありません。当時、艦戦は味方艦隊上空のエアカバーが主任務と想定され、単発単座戦闘機が長距離侵攻できるとは考えられていませんでした。各国で、長距離侵攻用戦闘機として、双発で複座または三座の戦闘機を開発するのも流行となりました。航法士の乗務が必須と考えられたためです。日本海軍は、十三試陸戦を開発、のち、二式陸偵と「月光」として実用されています。
「消費税増税の年に自動車保険件数対前年+10%」「無理ゲやん」「足らぬ足らぬは気合が足りぬ」今も昔も変わらんぞw
ドイツ「土俵にも立てない戦闘機がいいものだと思えんが?」ソ連「Yak-9差し置いてP-39に戦果もっていかれたしな」アメリカ「零戦程度(3350km)で嘆いてたらP-51(3700km)なんかどうなるんだよwww」
じゃあ航続距離短い戦闘機開発した人は、航続距離の関係で戦闘機の護衛つけられないけど爆撃してきてねって言われる搭乗員のこと想定してたのかね?
運用の問題だろう。ラバウル航空隊は立派だったけど作戦はメチャクチャだった。長い航続距離とベテランの技能に頼るばかりの作戦を続けたのはまずかった。
アイゼンハウアーは、兵站のスペシャリストだったそうだ。消耗率とか、輸送率とか複雑な計算が必要なんだろうね。難しいですね。
最後のまとめが1から10まで納得できる言葉でした。日本軍は戦闘集団としては優秀な点も多々あったのでしょうが一国の軍隊としては戦争を遂行する基本が全くできていない、つまり言いたくはないですが「非常に幼稚な参謀組織を持つ軍隊」であったのだと思えるのです。もう少し上層部がまともだったなら靖国の英霊の皆々様は同じ戦死にしても、もう少し納得できる亡くなり方ができたであろうに、と無念でなりません。
そりゃあ記憶力の優れた勉強が得意な発達さんが暖かい部屋のなかで軍人将棋をやってたんですからw
「輜重兵が兵隊ならば、トンボ、チョウチョも鳥のうち」補給、兵站を軽視馬鹿にした狂歌😅
8:30 一方日本は潜水艦で戦艦や空母から、果ては駆逐艦や潜水艦までアメリカにポコポコ沈められたのだった......
潜水艦自体が米軍の方が性能良かったみたいですからね…前聞いた話では、日本軍の潜水艦には空調が無かったので、温度上昇や酸欠で危険レベルに達しやすく、長期間の潜航が無理だそうで。確かに日本軍の潜水艦って、浮上航行中に沈められた記録がやたら多いんですよね。
日本の潜水艦は、主力艦同士の艦隊決戦の前の露払いに特化していましたから。水上性能は高い代わり、水中性能全般が低かったのです。特に、急速潜航に時間がかかるのが致命的でした。
@@whitepandajp一番の理由は、ソーナーを始めとする対潜兵器のレベルの差だろ。
@@賢司-e1x 当時の潜水艦は可潜艦だから、浮上している時間が長い。潜航される前に急襲して攻撃するのが第一なんだよ。英軍のコルベットは、Uボートに対する体当たり攻撃を好んで行った。体当たりで戦果を挙げると、余分に休暇がもらえたためもある。潜航直後なら、その場所に対潜爆弾を投下すれば、それなりの確率で損傷を与えることが出来た。日本潜水艦は鈍かったし、逆探もほぼ装備されなかったから、浮上航行中に急襲されて撃沈された艦は多い。いかに水測兵器が進歩しても、浮上している潜水艦に比べたら、無音潜航中の潜水艦を探知するのは何倍も困難だし、探知しても有効な攻撃を与えるのは難しい。
@@whitepandajp 無音航行というか、単に水中や海底に止まってるだけというか。船団の場合は先を急ぐから放置して行ってくれるが、ハンターキラーや哨戒機だと簡単にはいなくならないから、潜水艦の電池か酸素が切れて撃沈されるのが定番だな。
日中事変では補給線は絶たれなかったようだが、西太平洋域では、輸送船が狙い打ちにされた。戦争を始める前から潜水艦と攻撃・爆撃機を使い輸送船を撃沈する戦術を練り挙げており、真珠湾攻撃の寸前に潜水艦艦隊を逃がしていた。
兵站軽視の作戦は全て敗戦に帰す。
10年前ですが、海自の幹部は情報部は精神的に病んでいるものが行ったりしてました。原油高の時は予算はなく、演習ができず、弾がないので、ミサイルの筒だけつけている護衛艦も多数でした。昨今の外圧で予算がついたでしょうが、昔から変わってない考え方自体変えないと自衛隊もダメでしょうね。
やはり問題に気付いてる人はいたことはいたんだよなでも進言したことで潰されるだけだしという感じで指摘や進言を半ば諦めていたのか
机上の空論だったということかぁ…てのも、多分、日本は局地決戦によって戦争を勝とうとしたんだろう。しかし、戦争とは局地戦による戦術よりも戦略が重要なのである。つまり、前半局地で負けたとしても補給に必要な補給線さえ確保されていれば後半も継戦可能ということである。そして、逆にこちらが前半に狙うべきは敵の補給線。如何に敵が強大で大量の兵士がいようがその補給さえをたてば後半の継戦は不可能。軍が大きければ大きいほどその補給力は太くなくてはいけない。つまり、そこに割く人員、時間、コストは膨大となる。結論、我慢比べでしかない。その相手の我慢の邪魔を如何にして行うかが戦争の肝なのだと思う。
補給を無視と言うより、陸海軍の協定や作戦が事前に整備していなかったのが原因です、補給については戦後アメリカや旧ソ連やロシアも完璧では無いので永遠のテーマかも知れませんね。
日本兵国内の戦だった戦国時代。国内なら少なくとも食糧は侵攻した相手から奪えば何とか足りました。当時は北海道を除けば穀物は奪えは足りましたしそもそも戦国時代の小さな戦は自国の米等が不足すると近くの国で奪えばそれでよし!で侵攻して米や女、或いは労働力の若手を拉致する強盗行為が多かったから
残念なことに、現代の我々の生活でも情報や物流は軽視されがちですね…だから色んな公的機関や企業から簡単に情報漏洩や技術の流出が発生するし、トラックやドライバーなどはただでいくらでも湧いてくるとでも思ってるのか、不当に安い値段で無茶苦茶な要求をする。
「兵站」もそうなんだが、何よりも前提となる「戦争計画」そのものが杜撰ないし適当な気がする。何処までが「攻勢限界」で、何処までを「戦線」とするのかとか。大体の重要事項を「ノリ」とその場の「勢い」だけで決めてるのは気のせい?
英米戦になる前に戦訓となるような大規模海戦が、日本海海戦くらいしかなかったのも大きいだろうね。この時代なら第一次大戦のUボートによる通商破壊の情報も手に入ってたはずだけど、やっぱ経験こそ最大の学問だな。
戦線拡大とともに部隊増設したりしてロジスティックシステムが追いつかなくなっていった。商船防護よりも敵艦叩きに集中しすぎた結果が多くの徴用商船、輸送艦を失う結果になった。
いやどこまで戦線拡大するか事前に決めときなよその結果兵站足りませんって本末転倒でしょ
@@クマー-l7t じゃあ決めた範囲まで拡大して勝敗がつかなかったらどうするの? 中国も拠点どんどん後退させて戦い続けたよね?
@@samoed-lk7hp 遅滞戦術と拡大方針を一緒くたにする意味が分からないんですけど?攻勢限界を越えて兵站崩壊ってアホですやんでも…取れるのに取らないのはもったいない!ってこと? 頭ちいかわかよ
@@クマー-l7t ちょっとよくわからない日本は何を目標として、どのような手段でそれを達成すべきだった考えてるの?
@@samoed-lk7hpいや貴方の発言がまず意味が分からない遅滞戦術と攻勢限界を越えた戦線の発生を同じ俎上にあげて何が言いたいの?
勝つ見込みのない戦へと突き進んで言った軍部の奢り、愚かさ沢山の日本人が犠牲となりましたそしてその後遺症は今も引きずっているのですよ戦争に負けるということはこういうことなんだなって今の自民党見てればよく分かりますよ
日本軍は予算に限りが有るから兵器の正面装備を優先して後方支援や弾薬生産を後回しにしている、日露戦争の前に清国からの賠償金で軍事予算を大半に回して海外から軍艦購入や師団増設に使ってしまい、弾薬生産増強はしなかったので大砲の弾薬不足に成り、日露戦争での開戦当初は弾薬消費量は日清戦争と同じ位と見ていて楽観視していた。
視聴する度に鬱になる。今だって😮
今でも無視は変わらないでしょう。今日のリソース、生産力無視の目標設定が横行してるし警告するようなら「会社のために働かないのか」と非難されるし
軍法も兵站の重要な要素であります!
10:09勝手に満州事変初めて戦線拡大した石原莞爾が言えた台詞じゃないな
今の自衛隊はどうなのかな。アメリカの様な大規模な海外出兵は無いにしても、有事になったら継戦能力は精々1週間っと言わせている。(あくまで想定)
陸自は民間船をレンタルで借りたり、武器・弾薬以外の補給物資は九州→北海道→九州をJR貨物へ依頼など兵站維持に熱心です。 輸送ドライバーが不足の模様!(ヤフーニュースより)
自衛隊は大戦期の反省を活かそうと必死だよ。兵站強化もそうだが対潜能力向上とか他にも色々とな
WW2イギリスですら駆逐艦の母数が足りなくて発狂してたのに、たった55隻(なお艦隊決戦用の空母.巡洋艦含む)の護衛艦隊で何が守れるっていうんですかね花形の艦種ばかり予算がいって、数が命の駆逐艦はちっとも増えないんだもの戦時コルベット量産計画でも持ってきてから海上護衛大国名乗ってほしいわ
Amazon Kindle にて 「これだけ読めば対英米戦争は分かる」が発売中です! 是非お求めください! KindleUnlimited にて読むこともできます!→amzn.asia/d/0bV7iLMx
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物流会社に勤めてるけど、未だ物流を馬鹿にしたり軽んじてる空気があるね。メーカーとか商社とか。
モノを運ぶなんて誰でもできるだろ?って考えがあるのだろう。
とにかく出来るだけ金は払いたくないみたい。
物を作らない仕事は仕事にあらずって考えだな。人件費かけるのは負の考え的な
物流倉庫のアルバイトを副業でやっていますが、年中募集があります。
そうでもしないと、大量の商品の配送ができなくなる。
一般の物流倉庫でもこんな状態だったら戦時中ならなおさらでしょう。
物流が破綻したらコンビニやスーパー、ホームセンターの商品棚が空っぽになるということが分からないのだろうか?
最終的に困るのは消費者(労働者)であるということが理解できないのだろうか?
最近は少子高齢化等でなりたがる人も少なくなり、更にキツくそれなりに技能資格も必要な仕事なので、誰でも出来る仕事では無いと思う。
某思いつき社長
「我が社は貴重な社内貯金を使って、
物流倉庫を増築して!
2024年問題に対応することになりました!」(( ・´ー・`)ドヤッ!www🤣
某専務と常務
「それは良いとして!
倉庫の人員はどうするのですか?
また人を雇うのですか?
また九州→本州へのドライバーが慢性的に不足しているのに!
ドライバーを募集しても集まりませんよ!どうするのですか?」
社長
「えっー!えっー!それは……。」
↑ 何も考えてなくて、流石に草www😂
私の爺ちゃんは満州で馬車を引き、兵站を担っていたが、直接戦闘に参加しないので上官等から酷く虐められ、亡くなるまでPTSDに苛まれた。兵站の人員をないがしろにするんじゃ日本が負けて当然。
商売人だった私の祖父は車の運転が出来たので、満州事変、日中戦争の頃、94式6輪貨車で「弾薬、食料」を運び、帰りは「負傷者」を本部に運ぶと云うのをエンドレスでやってて辞めるまで、とうとう銃を一発も撃つ機会は無かったそうな(第11師団・善通寺)
輜重兵で終わりました。
まぁ、おかげで私の母、私と命脈が続いてる訳ですが。
祖父(三男)の兄(次男)は第二次上海事変で亡くなったそうで、命脈は途絶えちゃったと。
豊臣秀吉は戦国武将の中で抜きん出て兵站の整備には巧みであった。
小田原城包囲戦の兵站をこなせるのは秀吉だけだったと思う
その下地があったから中国大返しなんて離れ業もできたんだろうね。そしてそれはおそらく下積みの経験によるものだと思う。
勝手な思い込みだけど名門の柴田勝家あたりも兵站は軽視してそう。当時はみんな牟田口レベルでは?
秀吉は若い頃に弟と2人で読み書きの練習をしながら行商人をやってたらしいので、移動の際の速度や時間の計算やお金の損益算を現場で覚えたとか。その才を兵站に活かせるとして信長にも認められたレベルです。
やっぱ飯食うのに困ったことあるやつが偉くなると強いよね
だから兵站の天才石田三成を重用したが、それを理解できない周りから妬まれましたね。
日本軍は負けるべくして、負けたのだと改めて思います。負けに不思議の負けなし
日露戦争が勝てたのは明治維新から日清戦争と経験してきた軍部はプロ中のプロ、ドンパチだけではなくそこに至るまで情報収集から工作、作戦立案、多岐に渡る勝機の因を積上げた活動が一つになり勝利したのだ。最期の最期ロシアに革命が起こってなかったら勝利に繋がっていたかどうか?そのロシアに革命を起こしたのは日本の工作に依るたまものである。
作戦に溺れて足らずは大和魂、愛国精神で凌げという指導は軍の怠慢を兵に転嫁させた行為に他ならない。
故野村克也元監督の言葉ですね?
ちなみに、上司の鶴岡元監督は軍隊あがりでしたね?
@@修一柴崎-z5oさま
鶴岡一人氏はうちとこの郷土の偉人です。さいきんになって市営球場に氏の名前を冠するようになりました。
参謀や、将校がほんとに無能多すぎですよね
@@田中裕樹-d4h無能と言うか、学校の教本が悪かったんじゃねぇかと思う。日本人はそういうの盲信して行動するから。
最後の「国力を無視した戦線拡大」というのが全てのような気がしますね...
ちなみに、こういう考え方は今も残っていて、前職で上司の思い付きで営業施策やったものの、準備も不十分で現場は振り回されて結果は散々なんてことがちょくちょくありました。
私らは疲弊するだけで済みましたが、当時の方々は皆さん本当に命を失われていた訳ですから絶対に許せませんね。
戦線拡大は本土爆撃を阻止する為には必要だったんだよ。
@@谷澤文隆 サイパンさえ守れば本土爆撃は阻止できる。ニューギニア、ソロモンを超えてFS作戦ではさらにフィジー、サモアまで攻略するつもりだった。
@@谷澤文隆
戦線を拡大しなかったら本土爆撃、戦線拡大したら維持できる国力がない。最初からどっちを選んでも詰んでた
@@SC-cn9eg 短期決戦が崩れた時点でね。
戦いは目標達成と早ければ早いほどいい。
システム開発企業にいましたが、ウチの会社では SE が必ず受注に介入してたからほぼ無かったけど、
他社では営業が勝手に納期やコスト的に無理な案件を受注してきたり、馬鹿なエライさんが安請け合いとかよく聞きますねえ。
戦国時代の名将でも兵糧攻めや矢や鉄砲玉を相手に消費させる事や忍者を使っての物資輸送の阻止など兵站を考えた戦略を取ってたのにな…
戦国時代は武器の性能なんてたかが知れてて、それ以外の面で相手を出し抜く必要があったから兵站に必然的に着目していたと思うが、
2次大戦の頃には大和やら零戦やらそこそこの攻撃兵器を作れてしまう中途半端な工業力があり、それに全幅の信頼を寄せてしまった節もあると思う
@ その通り。大日本帝国になった当初の日露戦争あたりまでは、それを重視するような動きはあったし将兵もそこを重視する人も多かった。
その後の大戦で生産力ないのに、それなりに強い兵器を持ってしまったがためにそこに頼りキャパ以上のものを求める傾向が強くなってしまった。
日々、戦争に接していると、現実的になり、補給を軽視するような武将は淘汰されていったのだと思います。
明治政府も、幕末の動乱、士族の反乱、日清日露戦争と戦争が続いている間は、補給もシビアに要求されていたので、あまり軽視するような事はなかったです。
日露戦争の後の、第一次世界大戦、志那事変は現地調達で何とかなる事が多く、そのまま40年も経てば、すっかりと補給を軽視する風潮が出来上がってしまったのかなと思います。
ロシアも見ればわかるが兵站がどれほど重要なのかはわかるな
問題が起きると「大和魂」とか都合の良い解釈で責任逃れが出来る組織だからね。
近代的な軍隊って考える事が間違いで、むしろムジャヒディンとかイスラム原理主義に近い武装組織って見れば分かりやすいだろうね。
そして現代でも、新規の高速道路とか、五輪とか万博とか、動かしようの無い予算を算出してから利用者、来場者の人数を計算してあり得ない人数を平気で出してくるじゃん。
結局は赤字で維持すら困難になる訳で。
短期の予定が狂ったからな
そして、宇宙世紀にもう一回同じことが繰り返されるとは誰も思わんよな(笑)
@@ryuhd-m3nオデッサ維持できてればねー
オデッサから本国まで何で運んでたのか
専用の輸送船なんかあったか?
確かに、旧日本軍と同じ状況ですね。
up主さんが末尾で挙げた考察は強く同意します。
現代の民間の会社でも、足を運んでの営業重視で、情報戦略や経費を掛けた兵站が軽視されてる事がよく見受けられますね。
それじゃ疲弊するだけで局地戦で最前線だけはなんとかなっても、戦略的に伸びないという戦訓が全く活かされていない。
一種の国民性なんでしょうかね?
あの戦争は開戦と同時に敗戦が決まっていた。戦訓は軍事だけじゃ国は護れないこと、大事なことはそもそも戦争をしないこと、国際社会で孤立しないこと、勝てる陣営に居ること。上の人間はある程度それを理解して実践しているように思える
やっぱり戦史は学校で教えたほうが良いですよね
陸大の創設に尽力したメッケル少佐は日本軍人が兵站軽視の思考になりやすいことを当初から危惧し、陸大の教官であるあいだは兵站の重要性を教えていたそうですが、時代がかわるにつれ兵站軽視の教育になってしまったようです。
日本が連合軍側として第一次大戦の西部戦線の地上戦に参加していたら、日本の兵站軽視は治ったと思う。
いや、発狂してたやろ
英米仏独と生産力が桁違い、どうやっても無理ゲですもん
秀吉の頃から兵站を理解し日清・日露戦争では兵站の差で勝ったのに妙だな…?
特に陸軍は戦車用の開発資金と資材、人員を回してまで鼠輸送の時成功率の高かった
輸送潜水艦まで作ってたのに…?兵站軽視してる軍が中国西部の山岳部を含む2400kmを踏破できるか…?
あ、海軍のこと?それなら同意^^
@@呑龍ハルカ
その2400キロ踏破した人達が飢えずに、苦しまずに帰って来たなら良かったんだけどねえ。
補給に失敗したのが事実だとして、理由が「軽視してたから」は根性論が過ぎるやろ。
じゃあ逆に補給を重視してたら補給は成功してたのかって話になるやんけ。
国力に見合わない程に戦線を広げた時点で重視軽視に関わらず補給が成功するはずないんや。
輸送関係(輜重部隊)は『腐れ士官の捨て所』と差別した話を聞きました。
@@キーちゃんヒロシ 出世のための手柄が立てにくいからやりたがらないのだと思う。
そして前線に立つ奴等からは安全圏にいる奴等だと陰口叩かれる。
戦争のみならず日々の生活を送る上でも物流輸送による供給はとても大切。台風などの自然災害で物流がストップしたら一気に日常生活に悪影響が出てくるし。
2度の大震災で物流が滞りスーパーやコンビニの棚がガラガラになりましたからね、在庫を持たないトヨタが特に流通滞り計画通りに資材入り計画通りに下請けが部品作って納めて車が作ったのが破綻したからね
情報→兵站→作戦という流れになるのでしょうね
この過程のうち、どれかを間違うと、その後は全て間違う
なお、日本軍は情報→極めて精度の高い分析や予測をする人間もいたのにガン無視して都合のいいところだけ抽出。
兵站→ちゃんとできる人間もいっぱいいたのに、実際の実施面は牟田口みたいなのばっか。
という地獄。たぶん、そういう過程の前の段階の、組織の在り方、人事面での運用という一番下の土台が死んでたと思いますねぇ。
なぜ軽視されるのかというと、日本人はすぐに手段と目的を混同するからだ
今の会社でも 行ってこいっていうだけで たいした情報も資金もくれない、失敗すると責任を取らされる
なろうのブラック企業のでもそういう話ばかりするが、奴隷じゃないんだからやめて転職すれば?としかいえないわ。転職してやっていける価値も能力もないんなら我慢してその会社にしがみついて文句いうなよとおもう ちょっとは使う会社側の立場も考えてやれと思うね。無能をその通りの待遇で扱ってるに過ぎない
有能な部下は上官をうまく使い倒すからな。自分がこれができるからあなたはこれをお願いしますと。中華の戦記なんかはそういう話ばかりだよ
日本軍の上層部は戦争を血を流すスポーツの試合ぐらいに考えていたのだろう。つまり戦う前のの選手の条件は限りなく対等であるスポーツの試合と。彼ら日本の戦争指導者たちは軍学校の秀才だったが、おそらくはそれら軍学校の学生の中には兵站や情報の重要性を指摘した学生がいただろうがそんな学生は教官から一笑に伏せられ、下位の成績をつけられたのであろう。
将棋に兵站と情報戦の要素は無いからねえ
むしろスポーツどころかゲーム感覚だと思う
ニューギニア戦線の本はいくつも出てますが、それを読むと米軍は日本軍の戦闘部隊はほとんど無視し専ら補給船や陸揚地を攻撃しひたすら補給を絶ったそうです。あくまでも敵戦闘部隊をターゲットとして重視してたのと比較すると、残念ながら敵の方がどうしたら勝てるのかがわかってましたね。
戦艦大和で敵艦を遠くから沈めることが格好良いと思い込んだ帝国陸海軍😢 沈められたら特別攻撃隊と回天で敵艦を沈めようとする😮 補給なんて格好悪いから見たくない😮
なお兵站のことをきちんと考えてたら太平洋戦争に踏み切れなかったように思います。
@@32mack82 そう、そもそも論で言うなら、当時の日本で産業の基本的な資源である
石油と鉄(屑鉄)、及び工作機械の最大の輸入先がアメリカという笑い話、そこを相手に
戦争するって何考えてるのという話
仕上げは日本本土の海峡や重要港湾沖を機雷で埋め尽くす、その名も「飢餓作戦」
これをやられて致命的だったのが、大陸からの塩の輸送がほぼ途絶してしまった事。
@@Arcticraider 誰かが日本海軍は軍艦オタクといってたけどよくわかるw
米軍は陸海軍で機関銃を統一し、弾薬・部品の補給システムを簡素化していた。日本軍は陸海軍で銃弾・部品の互換性なし。生産力が低いのに互換性がないのだから現場では慢性的な弾不足。
規格の統一って最初期からやらねえととんでもない金かかるんだよ。工業にくわしくねえやつは実感できないだろうけど日本の経済力じゃ無理だね。
メートル法に変える時だって日本は尺の規格の定規を作るのを法律違反で犯罪にしてまで強硬手段とったからな。規格の変更や統一のいかに難しい事か
戦国時代でさえ、福島正則、加藤清正、池田輝政、黒田長政といった前線指揮官と、石田三成、長束正家、増田長盛といった兵糧奉行として兵站を担当した武将は仲が悪かった。
まあ、そりゃ必死に戦ってる武闘派と食料やお金を考える必要がある文治派は仲が悪いのは地味にわかる
そりゃあ「こっちは命がけで戦場で戦ってるのに、なんで城で算盤弾いてる奴が俺らと同じ地位なんだ!?!?」ってなりますよね(・ω・)
@@wolverin00012 福島、加藤の気持ちも分かりますが、兵站の重要性を分かっていなかったのでしょうね。文禄慶長の役で、10万を超える兵士が朝鮮で戦えたのも、石田三成の兵站であり、秀吉の死後、戦争を終結させ、彼らを無事日本に帰還させたのも三成の力です。この点、東条英機とは大きな違いが有ります。
また、三成は、関ケ原の戦いで西軍を指揮するなど、優れた武人でもあり、何よりも、福島、加藤等とは違い、豊臣家に最後まで忠節を尽くしました。
清正は兵站の重要性は、
ちゃんと理解してると思う。
「戦さに加わりながら、
兵糧を持っていないのは
武備の怠慢」(『常山紀談』)
とまで言ってるし。
戦争の開始から終戦まで兵站を
支えた三成の有能は確かでも、
蔚山城で壁土の中の藁や草まで
煮て食った清正達征討軍の苦労を
思えば、
恨みを持ったとしても、
仕方がない気がする…。
政務やってるオーベルシュタインと艦隊司令官の仲が悪いのと同じだ。
恐ろしいのは太平洋戦争での
日本軍は6割は餓死て言うのが………
病死も餓死と関連がありますからね。空腹で抵抗力がなくなって、病気になるパターンも多かったですから。
ドイツ「100万以上が餓死なんだが?日本軍に直せば100%だぞ」
アメリカ「西部戦線で30人のうち29人が捕虜になってりゃそら養いきれねぇよw」
@@呑龍ハルカ
中国「第二次世界大戦のときではないが飢餓で中国は第二次世界大戦と同じくらいの餓死者出した」
※中国は3年大飢饉で1,500万〜5,500万以上が餓死で亡くなったとか
@@レオ-g5b
雀「ざまぁwwww」
輸送路もないし航空支援もないのにニューギニアの山行ったり来たりさせられるからなぁ…
以前アップされた時、クオリティーの高さに感動しました。再アップありがとうございます。
兵站を攻めるのは戦争の常道であり、当然連合国側にだって兵站を絶たれたケースはある。
その時に彼らは組織的な投降を選択することが出来た。
日本は、絶対に捕虜となってはならないという愚かな価値観のため、投降という選択肢を取ることが出来なかった。
兵站を絶たれてもな戦闘を継続するしか選択肢がなかったことこそが、餓死戦病死を増大させた要因であろう。
直前まで中国で捕虜=むごたらしいコロされ方をされていたので、投降の概念が薄かった+鬼畜米英!が原因っぽい
個人的には「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」という揶揄に兵站軽視が一番現れてると思ってます。
重視してた牟田口が吊し上げられたの考えてもなぁ
牟田口「兵站無理やろ」→大本営「自動車化中隊送るから着き次第始めて」→海軍「ごっめーん80%以上漁礁になったー」
牟田口(ドイツも落ちたしインパール要塞化されたら終わる…だいたい3個軍団集まったのホイホイ延期も中止もできず開始するしかない)
って理解してる奴ほぼいないし
@@呑龍ハルカ インパール作戦開始は米英のノルマンディー上陸作戦やソ連のバグラチオン作戦よりも前の出来事なのに何でドイツも落ちたになるの?
@@ざき-q9c
え?目と鼻の先のイギリスがどうにもできず
兵站を馬車に頼ってるドイツが盛り返せるとでも?楽観視しすぎだろ・・・
ベルリンが陥ちたっていえばそらそうだってなるけれどwww
@@ざき-q9c
落ち目の意味で落ちたって言ったのに区別できなかったのかw
今後はもっとわかりやすくするね?ごめんね???
@@呑龍ハルカ 落ちたに落ち目の意味はないからね。日本語を勉強してくださいな。
兵站もそうだけど関東軍の頃から勝手に戦線拡大していく旧陸軍って怖いよ。2度もクーデター起こすし。
その陸軍内でも拡大と不拡大で対立してたという
文民統制の効かない軍事組織は、一見強そうでも、結局は脆いし、国に危難をもたらしますね。
問題起こした連中を処罰できない組織風土の時点で詰んでるよね
普通の国なら当然免職→軍事法廷で極刑でもおかしくないし、上層部も総とっかえだよ
帝国憲法を盾にして、好き勝手やり出したのを止められなかったのが昭和の悲劇を生んだ
5・15の方は陸軍も無関係ではないですが海軍将校が主導だったってのと、
2・26の方も農村部の困窮に対処できない政治にしびれを切らした「皇道派」と呼ばれる一派が起こした事件ということ、
あと関東軍は満州事変を起こした石原莞爾に代表されるような陸軍中央上層部の統制が効かなくなった人たちなので
一括りに「旧陸軍って怖い」で片付けるのはいかがなものかと思います。
@@コシヒカリ-o4q
戦後流行った陸軍悪玉論もここ20年くらいで海軍の問題点が浮き彫りになってきてかなり少なくなってきましたね
ただ暴走しまくったのは陸軍ですが
日本軍はロジスティクスの考えが無かった。「モノを如何に効率的に運び、不要なボトルネックを減らすか」に無頓着だった。
名古屋市内の三菱重工で作った零戦は一旦分解して、同じ愛知県内の小牧飛行場・・・ではなく、50km離れた岐阜県の各務原飛行場まで「牛車」で運んだんだよね。
何故にクソ遅い牛車かというと、各務原まで大部分が舗装されてない道であり、トラックや馬が牽引する荷車では、振動で分解した零戦の調子が狂う怖れがあるから。
何故に半分の距離で済む小牧ではないかというと、小牧は陸軍の飛行場だから海軍機は使えなかった。
予め出荷を見込んで工場を飛行場の近くに建てるとか、工場の隣に出荷用の飛行場を作るとか、飛行場までの道を整備するとか、
陸軍に頭を下げて各務原よりは近場の小牧飛行場を利用させてもらうとか・・・
現場の奴は考えただろうけど、組織としては問題意識さえ持たず「牛車で運べばええだろ」としか思ってなかった。クソである。
軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43%(漁船、機帆船の正確な数字が把握困難なので推計)にもおよんでいる。
正社員にあらずは人にあらず
非正規社員を損耗して顧みない現代にも通ずるものがある
何も変わっていなくて草も生えない
特設監視艇の損耗率は73%と言う推計があります。
特攻で散って行かれた方々も 少年飛行兵あがりがほとんどで 兵学校出は少なかった。
そして戦後は軍人だけが手厚い恩給にあずかった訳ですね。
当時の陸海軍をあざ笑う人も多いが
現在も各方面で全く同じことやってるんだよなぁ
「仕事なんだからそれぐらいなんとかしろ」
「何とかするのがお前の仕事だろ」「これはもう決定事項なんだよ」
「うちにはそんな余裕ないのわかるだろ」「そんな話聞きたくない」
歴史は繰り返すが、人は歴史から学ばない…
(´-`).。oOドラッカーを高校の必修科目に指定するために文科省に働きかけようか。
自衛隊だって物を運ぶ能力は疑問符ですよね
@@y8825-z9h 国内戦限定だからすぐには問題にならないとは思うけど、長期化した場合の人材や車両の確保は不安。
満蒙国境で関東軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件を調べれば分かります。この戦いは補給線が圧倒的に短い日本側が有利だったが補給を軽視、対してソ連は何万台ものトラックで昼夜を問わず中央アジアから弾薬、食料を送り届けた。結局日本側は負けた。(損害はソ連軍の方が大きかったのが後年わかったが。)この教訓をその後の戦役に活かすことは無かった。
ロジスティクス以前にアメリカと長期戦したら勝てないと分かった上で開戦してるからなあ
狂気の沙汰としか言いようがない
対米戦争時の日本には、兵站以前に運ぶ物資がないだろ。
山本長官は、日米開戦に反対だったのですから、信念を貫くべきだったと思います。海軍に残留し、真珠湾奇襲に拘ったのは、勝負事に強かった山本長官の山っ気が出たのではないでしょうか。
@@yaccha66 まあ代案に説得力のない反対なんかないのも同じだから意味ないしな。あの状況下になるまで政略で負けた時点で戦う以外の選択肢が無い。戦わねえとこの時代はマジで奴隷扱いしてくるからな白人連中は
戦国時代腹が減っては戦はできぬと言う格言がある様に戦国武将達は戦に於ける食料の重要性は認識していたのに関わらす日本軍は先人の格言から何も学ばなかった
損耗率の計算がでたらめだったとの事だが、日本は立てた計画は必ず実行せねばならない呪いにかかってるから、計画実行のための資金やリソースは全て計画遂行に必要なように粉飾される。つまり実行可能かどうかなどは最初から念頭にない。また例えあったとしても雰囲気的に反対できない。現代の行政などの計画でも予算などは当初設定から何倍にもなるとか当たり前のように行われている。
今の農業を無視した極端な産業構造も、兵站の無視と同じ発想ですよ。
同意😂
確かに今のお年寄りに頼った農業はまるで戦時中の輜重軽視のようですな。
インパール作戦に従軍した人の本で武器弾薬食料が無くなるとイギリス軍の一番兵力が少なそうな陣地を選別してそこを襲撃して武器弾薬食料を調達していたって話が有ったな。イギリス軍も日本兵との白兵戦を嫌がっていたらしく大声出して突っ込めば一目散に逃げ出して被害も少なかったとか。ただしその数分後には迫撃砲の雨が辺り一面に降り注ぐから直ぐに逃げないと行けなかったみたいだけどね
精神論で乗り越えようとするのは物質的な貧しさが背景にある場合だけ
今日まで引きずっているいろいろな意味での日本国の問題よ
当たり前は誰かがやる的な発想
戦争だけでなく今も同じ傾向があると思いますね
孫子曰く「将兵はまず勝ちて而るのちに戦いを求め、敗兵はまず戦いて而るのちに勝ちを求める」と。「まず勝ちて」とは戦略的に勝つ情勢を作ることであり、すなわち兵站整備に万全を期すことである。日本軍の首脳たちは俯瞰的的視野にかけ、孫子のいう敗兵の思考パターンにはまっていた。
希望的願望、先例主義、失敗からの反省はない。ロマン重視の軍隊。
戦争をゲームかスポーツかなんかだと勘違いしてそうな軍隊ですね。
野球でもやってればいいのに。
ドイツ「うるせぇよ」(対ソ戦開始時から補給をソ連の物資、鉄道頼り)
ソ連「戦車のパーツを馬車で運んでる姿はお笑いだったわwww」
ヤマト最後の沖縄特攻作戦の神がかり参謀が「滅びの美学!」と称して決行!
まさに自己陶酔のロマンチシズム!
軍隊の部分を現代日本と置き換えても違和感ゼロですね。
@@シラタマ-m4n
願望と客観的予測がゴッチャになって計画が立てられるところとか、現代でも全然治ってないw
ウクライナ軍によるロシア兵站破壊を
「直接の戦闘には意味ない」
と書く者が少なくないんですよね。現在の日本のミリタリー系サイトですら、この有り様です。
じゃあ飯の問題で攻勢がストップしたか?
燃料の問題で戦車が立ち往生したのか?
弾薬が届かなくて機銃陣地が突破されたのか?
違うだろw
@@呑龍ハルカ実はしている。
@@呑龍ハルカ 兵站の重要性を説明したサイトで
「僕は兵站の重要性がわかりましぇ~!」
って自己紹介して君、恥ずかしくないの?
@@呑龍ハルカ
君色んなところで逆張りしたいのか分からんけど、たまに真逆のこと書いてるけど疲れないの?
例えばティーガー戦車なんてめちゃくちゃ強いけど燃料切れで放棄とか事例はいくらでもあるが
@@coyote8091
直接攻勢に失敗したのが戦線膠着の一番の要因だって言ってるんだよw
戦車に加え十分な随伴歩兵が居ればそれだけで踏みつぶせた戦いだし
随伴歩兵は兵站の問題で止まったんですかーとwww
腹が減っては、戦は出来ぬ…。
この、ことわざが全てを物語ってますね。
輜重輸卒が兵ならば、蝶々蜻蛉も兵なり
なんてくらいの軽視具合ですからね…
なんちゃらは高楊枝っていうのを曲解してた説
ナポレオンが言った説がありますね。納得。
日本保守党の考えって兵站軽視のような旧軍の考えに見えてならないんだよな
だってあいつら保守のふりをした売国奴だからな。愛国心を隠れ蓑ににほんを滅ぼそうとしてる連中だから。参政党もそう、清和会もそう
うちの祖父達は、ニューギニア島で補給を絶たれ、食料調達のためにいろんな植物を試食したそうです。筍(猛毒)を採ってきて茹でて食べて泡吹いて死んだ方とかいたそうです。
祖父は日本のミズって山菜によく似た植物を見つけ、それを食べて捕虜になるまで生き延びたそうです。
結局、戦線を一気に拡大したので、遠い気候の違う国でのサバイバルにおける動植物に関する知識なども一切持ち合わせてない急ごしらえの兵隊では、補給無しでは飢えてしまいます。軍歌のように「補給がなくても三日4日~」は持ちません
大型戦闘艦艇を「護衛」艦と定義し、対潜特化して発展してきた海自は、海洋国家たる我が国のシーレーン確保を第一目標としているから、基本コンセプトは間違っていないという事かな。
ただ、弾薬や予備装備をほとんどストックできていないという現状は陸海空すべてにおいて甚だ不安である。今まで正面装備の充実で予算を使い切ってしまっていたのが響いている。防衛予算増額分はストックに充当して、抜本的な体質改善に努めて欲しい。
海自の護衛艦隊は、米海軍の下働きとして、第7艦隊を狙うソ連潜水艦を撃退することに特化して、発展しました。ソ連極東艦隊にめぼしい水上艦隊が配備されたことはありませんから、自ずから目標は潜水艦になります。
商船の護衛やシーレーンの確保は、基本的に考慮外です。その点においては、日本海軍と同じです。ソ連潜水艦が脅威ではなくなると、やはり商船やシーレーンは放っておいて、中国艦艇を目の敵にし始めました。相変わらずです。
たとえば最も脆弱なマラッカ海峡付近のことなど、海自は眼中にありませんから。海保は恒常的に巡視船を派遣し、周辺国と連携をとっています。
昔も今も海軍の存在意義はシーレーンの防護と破壊にある、つまりシーレーン確保または破壊の手段として艦隊決戦があるが、海軍は手段である艦隊決戦を目的にすり替えた。
兵站に対する認識を誤っているので攻勢限界点に関する認識も怪しく、というか攻勢限界点を超えて戦線を拡大させた為、只でさえ乏しい補給に必要なリソース(輸送船舶及び護衛)を更に失い、結果として兵站線の維持も困難となった。
※この時海軍は戦時徴用として、民間の輸送船舶を徴集し、その多くを失ったが、その損失に対する補償を一切行っていない。(戦後海軍の主要なものは解体されたりしたので補償ができなかった?)こういった背景があり、海軍の後継者を自認する海自は海保と海運業界から蛇蝎のごとく嫌われる事となる。
海軍は早期決戦、早期和平と考えて攻勢限界点を無視したのかは分からないが、確かな事は終戦まで和平交渉は一度も行われていないという事だ。
言い出せば陸海軍とも色々あるが、ひとつ疑問に思うのは、総力研究所を立ち上げ対米シミュレーションを実施したその結果を、なぜ一顧だにしなかったのかという点、記録等で見るミッドウェー海戦前の机上演習然り、このシミュレーション結果然り、本当に戦争しようとしていたのか?と疑問に感じる緊張感のなさというか、妄想のようなご都合主義的な部分を感じる。
陸海軍があれだけ軍種対立をしていたら、まともに兵站を確保できるはずがない。
現代の戦争においてバックアップの補給が重要と言うなら、ソ連が戦時中にアメリカから受けた膨大なトラックって、ロシアが「大した事無い支援」と言ってけど、本当は重要だったんだな。
欧州の歴史研究家、ソ連の公式発表(プロパガンダ)では「米国の支援がなくても、ソ連はナチスに勝っていた」
1950年代にジューコフが「米国の支援が無ければ負けてた」と発言
日露戦争の英米の支援、独ソ戦の米英の支援、どちらも支援があったから勝てた
そして、勝ったから自国の公式発表では「自力で勝った」、当時の裏面を知る者がいなくなると公式発表が確定歴史
その結果が、大東亜戦争であり、露宇戦争の体たらく
@@南行-p5q本格的に支援が到着したのは戦争中盤、ナチスの攻勢も弱まりスターリングラードの解放の近くになってからのはず。だから支援がなくても勝敗自体は変わらなかったと思う
ただその後の快進撃はアメリカの支援ないしには不可能だった
まあ、ソビエトの得意技、トラック工場やトラクター工場で戦車を作るが出来なくなると、T34の生産量は減るだろうな。
ジューコフは、事前の準備と兵站を非常に重視しました。ジューコフの将帥としてのデビューはノモンハン戦で、テコ入れのひとつとしてモスクワから送り込まれると、兵站を含むあらゆる体制を剛腕で叩き直し、以降赤軍の勝ち筋が固まっていきます。モスクワはジューコフの要請を遥か上回る兵力と装備、物資などを極東へ送りました。折しもドイツがポーランドに侵攻し、ドイツと密約を結んでいたソ連側は講和を慌て、兵力を引き抜いてポーランドへ送ったため、ボロボロの日本軍は命拾いしました。日ソの停戦合意が9月15日、ソ連のポーランド侵攻が9月17日という際どさでした。
モスクワ防衛戦はノモンハン事件の翌々年(1941年)で、レンドリースによる物資が到着し始めるのは実質1942年以降であり、ソ連は英米からの援助に頼らず独力でモスクワを防衛したことになります。ここでもジューコフは持ち味を発揮し、限られた兵力を遣り繰りして、ドイツ軍を撃退しています。現在の研究では、英米からの援助がなくても、戦争は長引くものの、ソ連は独力でドイツの侵攻を排除したという推計がほぼ定説となっています。
ぶっちゃけ、ソ連はアメリカからのレンドリースが無くても最終的には勝っていたと思いますよ。確かに、食糧に関しては、ウクライナ地方を喪失していた事もあって、役に立ちましたが、トラックなどは、アメリカに多少甘えて生産量をあえて落としていたにも関わらず、ドイツの全力の生産量と同等でした。その為、アメリカのレンドリースが無くても、ドイツはあれ以上戦線を拡大出来なかったでしょうし、せいぜいドイツ降伏が2~3年遅れる程度だったでしょう。最後に、ジューコフが言った事は、あくまで「早期に決着は出来なかった」という意味で、決して「勝てなかった」という意味では無かったと思いますよ。
日露戦争の頃は兵站を重視しており、そのため八甲田山の雪中行軍や
広瀬中佐の旅順港閉塞作戦や日本海海戦が行われたのだが、いつのまにか忘れ去ったようですね。
まぁ陸大出身の参謀将校にとって兵隊は出世のための使い捨ての道具に過ぎないので。
戦争って結局
「損失以上に供給したほうが勝つ」
という文字にすればごく当たり前の話
個々の戦闘での勝敗とは次元の違うところで結論が出る
海軍がそもそも敵の兵站に損失出す気なかったのがねw
三川艦隊とか擁護できんわ
レイテ沖海戦でも特攻先が輪形陣中央の戦艦空母でなく兵員輸送船だったら詰んでたって
他ならぬマッカーサーが証言してたし
@@呑龍ハルカ
歴史if系youtubeの
「戦艦大和級2隻の予算をもし○○に回したら・・」という動画見たら
空母にしても×、航空機にしても×、海防艦にしても×、戦車にしても× 唯一歴史が変わったかもしれないのは高速油槽船20隻にした場合でした。
ちょっと唸りましたw
ドンパチしてる最中にカッコよく采配する所だけ夢想して、補給や援軍は当然の如く貰えるものと他人任せで指揮官の本務ではない、という他責思考の将帥が多かったのも、日本の敗因でしょう。
敗戦の言い訳に「物量」がよく使われます。日本が物量に乏しかったのはその通りですが、乏しい物量を有効利用する能力や意思を軽視したことの言い訳にはなりません。物量のマネジメント能力は、軍事力であり、戦闘力です。
@@んーなんだろう
空母系←まず搭乗員が居ねぇ、そもそも用兵上ケチったのが問題だから大和の分があってもなくても一緒
もっと具体的に言えばMO作戦で五航戦オンリーで出撃させた事、蒼龍飛龍追加で勝ち確まである
海防艦←護衛艦の定時連絡で位置バレしたからむしろ護衛艦がいない方が良かったまである
戦車←山岳密林沼地島嶼でどうやって活躍させろって言うんですかね?
陸大は戦争ごっこのお勉強をする機関なんですね
かなしいかな…
11:51 たしか日本軍では上層部(特に東條)に反対意見を出すと罰を与えられるから、明らかに不可能でも誰も反対意見を言えなくなったんだっけ?(牟田口も反対意見を持ってたが言えなかったらしい)
今の陸上自衛隊でも軽視されている。
優秀な者から3部(作戦訓練)、次に1部(人事)、2部(情報)、最後に4部(補給)。
また装備品にしても正面装備は充実しているが整備は故障しても部品待ちに数ヶ月、整備士は整備だけやらせておけばよいものの演習訓練などやらせて整備する時間も無い。
そのくせ、お偉いさんの黒塗りは常に新車wあまつさえアルファードに乗る将軍様もいるww
部隊では修理されないから部品の共食いしながら何とか状態を維持。
最後に、ある将軍様は、ボロボロになっている建物を見て「何とかしなければ」や「何とかしよう」では無く、幕僚に「何とかしろ」と考えることを放棄w
こりゃ戦えないわ。と思いましたww
それに幕僚連中もヘコヘコw
将軍をお殿様扱いするから、自分がエライと勘違いする無能な将ばかり。ダメだコリャww
貴重な空挺部隊をパワハラ壊滅させたハカイダー将軍(減給処分(笑))だの、「ドローンが何の役に立つのか?!」と吠えたアホアホ将軍とかいて、流石に草生えますわ!
開戦以前の海軍のドクトリンは日本近海での短期的な戦闘しか考えていなかった。外洋に乗り出して戦闘する、太平洋の諸島を占領していくなんて考えが初めからなかったので、兵站軽視というか考える必要がなかった。仮に貨物船の護衛をと思いついたとしてもそういう船すらないのも当然。
そもそも石油をアメリカからの輸入に頼っていながら、アメリカと戦争とは、あまりにも愚かすぎる。
とは言え、陸軍もガダルカナル、インパール作戦のそれでわかる通り、兵站についてはあまりにも稚拙すぎた。
海自では、シーレーン防衛を強く意識して潜水艦を始めとした艦艇を運用しているのが、せめてもの救いか。
「輜重兵が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」とかと
歩兵や砲兵から兵隊たちからも輜重兵がさげすまされてした事か
らも、上のものばかりでなく、末端の兵隊も輸送や補給を重視して
いなかったんでしょうね。レーダーや情報技術の遅れなどを見ても、
当時の日本軍は近代戦の何とやらも分っていなかったとしか言いよ
うが有りません。
「兵站を軽視した」という以上に、「『戦果』を上げる事に力を注ぎすぎた」事がそもそもの問題な気がする。
満州事変以来、「俺もいっちょ華々しい戦果を上げよう!」という人間が増えたように思うのだが、その結果「戦果」を上げるのに直接的に重要になる作戦重視になり、土台となるはずの事前情報や工作活動、兵站などをみんな見向きもしなくなったんじゃないかと思う。(満州事変の首謀者石原莞爾は曲がりなりにも彼なりの思想や戦略などに基づいて事変を引き起こしたのだが、大多数の人間はそんな土台にある部分は見ず、表面にある戦果しか見ていなかった。)
後は、欧州大戦(第一次世界大戦)をあまり真面目に研究してこなかったのも原因かもしれない。日本は「激戦地での経験」というのをしていなかったためか、欧州大戦がそれまでの戦争の常識のほとんどを塗り替える戦争だというのをよく理解していなかったのかもしれない。(身も蓋も無い話だが、軍隊というのは戦争を定期的に行わなければ弱体化しがちである。現代は技術が発達しすぎて、話が少し違ってくるかもしれないが。)
金鵄勲章とれたら生涯恩給もつきますからね
当時の事情として、戦争継続の為に国民の戦意掲揚の必要があり、その為には分かりやすい戦果を挙げるという自転車操業をやっていたんだと思います
そしてそれがいわゆる大本営発表という末期症状に至るという
豊臣秀吉の水攻め 持久戦全軍包囲戦による兵糧攻めという教訓があるのに 何も学ばなかった日本帝国陸海軍
確かに秀吉って城攻めでは力押しせずにジワジワと落とすイメージですね。
最前線で戦う足軽辺りの出身の秀吉にとって、城攻めはロマンもクソもない物とシビアに見なしていたかもしれませんね。
そもそも大東亜戦争は「長期戦」には負けるから、無理やり「短期戦」にして始めちゃおうという無茶な始まり方であったのだ。海上封鎖によって日本本国と海外の前線を切り離され、さらに海外植民地からの資源を切り離されてしまえば国家単位での兵糧攻めになる。この時点でチェックメイトなのだ。
旧日本軍では日本海海戦や桶狭間の戦いのような遭遇戦の研究が盛んだったようで。
そういう見栄えのいい戦争ばかりを好む体質だったんでしょうね。
なぜバルチック艦隊を撃破しなければならなかったのかを丸っと忘れた昭和海軍…。
制海権の意味も間違えていたのだろうし同じ負けるにしても情けなさすぎるよな
あらゆる軍事系の中でも、丁寧で、最も信頼できるチャンネル。
輸送船とその護衛船団を全く考えることができていない山本五十六がどれだけアホだったか……
山本五十六を連合が艦隊司令長官みたいな偉そうな地位に就けた海軍全体がアホ揃いだったンゴ…
最悪
祖父は海軍で3回も応召され3回目は海に放り出されて、奇跡のように帰ってきてくれた。もう戦争なんて懲り懲り。戦略とか作戦とかどうだっていい。平和をいかに末長く続けていくか、それが一番大切なことだ。
戦略や戦術を考えて過去から学び現代未来の平和を維持する事は、大切だと思います。
これは現在の企業でも起こってますね。先人の失敗を学ばす人材軽視。お前らの代わりはいくらでもいるから。大切なのは目先の利益、そして成功体験。これでは海外勢に負けるはず。
補給軽視は正直今も残ってるね
自衛隊は理解していると思いますが、財務省がねぇ・・・
日露戦争における日本海海戦の華々しい勝利が、艦隊決戦重視、兵站軽視、そして大東亜戦争敗戦の遠因ですかね?
その面は確かにあるとは思うけど、中国戦線であれだけ長く戦ってきて兵站を理解してないとは思えない。それに太平洋艦隊が日本近海に来ればシーレーンは確実に破壊されるのでそれを撃滅することは日本のシーレーンを護ることに繋がる
あの戦争に勝利するルートは無いので開戦したことが敗戦の原因
ミッドウェー海戦で機動部隊が壊滅させられ多くの軍艦を失った以降制海権を守る作戦は破綻、また送る物資もままならない上、掻き集めた物資を輸送で撃沈されるリスク考えたら消極的に成らざるおえないのが実情だったのでは?
武器弾薬、燃料より兵の命は軽視されてた時代です、平和な現代の感覚の定規では当てはめれません。
陸軍は基本大陸での戦争しか考えてないし、どの道派兵となれば海を渡らねばならず、兵站は海軍にお任せ要素が強くなる。
海軍はというと仮想敵としてアメリカを定めるわけだが、なにがマズイかと云うと資源の多くをアメリカに依存しており、そこと戦争するとなれば資源を南方にシフトせざるを得ないがその途上にはアメリカが統治するフィリピンがあり、それを攻め取らねば必敗となる。その阻止もしくは奪還のためアメリカ艦隊の進出が確実視されそれを撃退しなければならない。撃滅できなければフィリピンを奪還される、もしくは通商交通路を遊弋され締め上げられることになる。倍近い戦力のアメリカ艦隊をなんとかしなきゃならないのでそれに傾くのも致し方ない部分はある。
決戦重視&兵站軽視について、日本の国力と地理的条件を考えたときに仕方ないものだったとウチは思うのだ。
そもそも、中華民国、連邦、大英、合衆国などの大国の物量に対して、日本は陸、海問わず劣位にあった訳で、その極めつけが軍縮条約の主力艦比率10:7だと考えてるのだ。
ネットではよく、戦いは質より量で、精神論を語る陸さんや大和型とかを作る海さんは頭悪いとか言われるけど、周辺諸国に対して生産量で劣位な状態では、量と同じくらい質も大切になると思うの。(例えば主力艦とかを蔑ろにしたら、それこそ主力艦の生産力で負けるから)
だからこそ当時の日本の決戦&作戦重視は物量で劣る日本にとって当たり前で、結果的に作戦以外の情報&補給が軽視されているように見えるだけだと思うのだ。
(日露とかでも陸は補給に苦しんでたし…)
だから、日本の決戦重視&補給軽視の遠因は、(列強と比較して)貧弱な国力と、四方を強国に囲まれた地理的条件だと思うのだ。
士官の振り分けもそうだけど
兵の振り分けも体格の良いものをどんどん歩兵にもっていくので
人力輸送もやってた日本の補給部隊の基礎体力自体も…と聞いた事が…
俺も陸自の末端兵だけど、先輩達と同じ運命辿りそうな気がしてならない。
ジンギスカン作戦の為の水牛5000頭は、現地の人達から奪って集めたのかな?ならば、現地の人達も餓死しているのでは?この作戦を認めた、上官の河辺の事も取り上げて下さい。毎回、奥が深いのに解り易い解説で、有り難うございます。
アメリカは重機を使ってジャングルの中に舗装道路作って、そこをトラックでピストン輸送して大量の物資を前線に届けていた。日本はトラックが貴重品で、まだ馬を使って輸送していた。道路を作るのも人力によるものが多かった。
今をときめくトヨタも、大戦中はヨチヨチ歩きの状態。そこそこ信頼性のあるメーカーも少量生産でとても消耗戦には対応出来なかった。現場で一番人気があったのは、フォードやシボレーのトラックだった。
@@にーに-v9f 戦後の自動車開発はジープの模倣から始まるしね
@@にーに-v9fさん ドラマ「リーダーズ2」のシーンで、立ち往生したトヨタのトラックの修理と積荷を乗せ換えるためにトラックで来たメーカーの担当者に向かってトラックの持ち主が「乗ってきたのはどこのトラックだ?」トヨタ担当「シボレーです」、持ち主「だったら安心だ」
シーレーン確保の課題は日露戦争からありました。日本の輸送船は露太平洋艦隊に度々撃沈されたためこれを撃滅するため陸軍が旅順を攻略しました。
この教訓が生かされていなかったのが後々の悲劇につながった言えましょう。
負け戦には学べるけど勝ち戦はなあ。
おかげで日本海海戦を手本にした洋上決戦ありきの思考になってしまったし。
兵站(糧食、整備、衛生、輸送)こそ、一番重要な部門。これらを疎かになった時点で、戦争の敗北は間違いないでしょうね。自衛隊に於いても兵站職種出身の自衛官がトップである幕僚長にまで登り詰めたのは、海自の主計出身である当時防大25期の人物だけでした。
日本が開戦時に南方か太平洋か悩み両方選択した結果ですね。南方占領してもろくに補給路確保できず気づいたときは時すでに遅しでしたね。補給は大切
負けたドイツの研究をしてたアメリカ賢いな! 日本は負けたドイツは見てなかったのは仕方ないのかも………
「腹が減っては戦はできぬ」は戦後の言葉なのか?
ホント現場は有能だったってのに上層部がこんなんじゃなぁ………
日本海軍の悪いところは日露戦争の英雄東郷平八郎の意見を鵜呑みにし過ぎたこと。
若い兵士は戦術を語り、老いた兵士は兵站を語る。
つまりはみんな若すぎた。
っていうか、三国志の頃から兵站については語られてたりする。(諸葛亮が攻めようとした時に、兵站がうまく構築出来なかった、構築せずに突っ込んだせいで補給が滞り、そのまま敗走したって話がある)
つまり、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶってことですね
海軍は、なまじ日本海海戦の成功体験があるばかりに艦隊決戦に執着してしまったのか。
私の祖父が戦時中に輜重連隊長をしていたのですが、全国から東京に輜重兵科の幹部が集まりこれからの輜重兵科の方針についての会議が開かれたのですが、これからはトラックを活用せんといかんという様な話が出たそうです。昭和19年頃の話です。
あまりに遅すぎる
@@KU812010 昭和19年でも、トラックや燃料があったんですかね。
@@32mack82
仮にあったとしたら大陸打通作戦で活用したのかな。
@@1LB6038y 連合軍に比べて、日本軍は物資の輸送では馬や人力に頼る事が多く、物流に対する意識が低かったのは否めませんね。中国だけがあいてなら通用したかもしれませんが、米軍相手ではきつかったですね。
日本軍の歩兵部隊も自動車歩兵化は程遠かったので、輜重科にトラックが回ってくるのも当分先だったでしょうね…
同じような話に零戦の航続距離もありますね。これに人が何時間も乗って空戦する事を開発者は想定していたのか?と
近頃妙なことを言い出す人が出始めましたが、航空機の航続性能は高い方がいいに決まってます。あえて短くする利点はありません。海軍が零戦(十二試艦戦)で要求したのは滞空時間であって、航続「距離」ではありません。当時、艦戦は味方艦隊上空のエアカバーが主任務と想定され、単発単座戦闘機が長距離侵攻できるとは考えられていませんでした。各国で、長距離侵攻用戦闘機として、双発で複座または三座の戦闘機を開発するのも流行となりました。航法士の乗務が必須と考えられたためです。日本海軍は、十三試陸戦を開発、のち、二式陸偵と「月光」として実用されています。
「消費税増税の年に自動車保険件数対前年+10%」
「無理ゲやん」
「足らぬ足らぬは気合が足りぬ」
今も昔も変わらんぞw
ドイツ「土俵にも立てない戦闘機がいいものだと思えんが?」
ソ連「Yak-9差し置いてP-39に戦果もっていかれたしな」
アメリカ「零戦程度(3350km)で嘆いてたらP-51(3700km)なんかどうなるんだよwww」
じゃあ航続距離短い戦闘機開発した人は、航続距離の関係で戦闘機の護衛つけられないけど爆撃してきてねって言われる搭乗員のこと想定してたのかね?
運用の問題だろう。ラバウル航空隊は立派だったけど作戦はメチャクチャだった。
長い航続距離とベテランの技能に頼るばかりの作戦を続けたのはまずかった。
アイゼンハウアーは、兵站のスペシャリストだったそうだ。消耗率とか、輸送率とか複雑な計算が必要なんだろうね。難しいですね。
最後のまとめが1から10まで納得できる言葉でした。
日本軍は戦闘集団としては優秀な点も多々あったのでしょうが一国の軍隊としては戦争を遂行する基本が全くできていない、つまり言いたくはないですが「非常に幼稚な参謀組織を持つ軍隊」であったのだと思えるのです。
もう少し上層部がまともだったなら靖国の英霊の皆々様は同じ戦死にしても、もう少し納得できる亡くなり方ができたであろうに、と無念でなりません。
そりゃあ記憶力の優れた勉強が得意な発達さんが暖かい部屋のなかで軍人将棋をやってたんですからw
「輜重兵が兵隊ならば、トンボ、チョウチョも鳥のうち」補給、兵站を軽視馬鹿にした狂歌😅
8:30 一方日本は潜水艦で戦艦や空母から、果ては駆逐艦や潜水艦までアメリカにポコポコ沈められたのだった......
潜水艦自体が米軍の方が性能良かったみたいですからね…
前聞いた話では、日本軍の潜水艦には空調が無かったので、温度上昇や酸欠で危険レベルに達しやすく、長期間の潜航が無理だそうで。
確かに日本軍の潜水艦って、浮上航行中に沈められた記録がやたら多いんですよね。
日本の潜水艦は、主力艦同士の艦隊決戦の前の露払いに特化していましたから。水上性能は高い代わり、水中性能全般が低かったのです。特に、急速潜航に時間がかかるのが致命的でした。
@@whitepandajp
一番の理由は、ソーナーを始めとする対潜兵器のレベルの差だろ。
@@賢司-e1x 当時の潜水艦は可潜艦だから、浮上している時間が長い。潜航される前に急襲して攻撃するのが第一なんだよ。英軍のコルベットは、Uボートに対する体当たり攻撃を好んで行った。体当たりで戦果を挙げると、余分に休暇がもらえたためもある。
潜航直後なら、その場所に対潜爆弾を投下すれば、それなりの確率で損傷を与えることが出来た。
日本潜水艦は鈍かったし、逆探もほぼ装備されなかったから、浮上航行中に急襲されて撃沈された艦は多い。
いかに水測兵器が進歩しても、浮上している潜水艦に比べたら、無音潜航中の潜水艦を探知するのは何倍も困難だし、探知しても有効な攻撃を与えるのは難しい。
@@whitepandajp
無音航行というか、単に水中や海底に止まってるだけというか。船団の場合は先を急ぐから放置して行ってくれるが、ハンターキラーや哨戒機だと簡単にはいなくならないから、潜水艦の電池か酸素が切れて撃沈されるのが定番だな。
日中事変では補給線は絶たれなかったようだが、西太平洋域では、輸送船が狙い打ちにされた。戦争を始める前から潜水艦と攻撃・爆撃機を使い輸送船を撃沈する戦術を練り挙げており、真珠湾攻撃の寸前に潜水艦艦隊を逃がしていた。
兵站軽視の作戦は全て敗戦に帰す。
10年前ですが、海自の幹部は情報部は精神的に病んでいるものが行ったりしてました。原油高の時は予算はなく、演習ができず、弾がないので、ミサイルの筒だけつけている護衛艦も多数でした。昨今の外圧で予算がついたでしょうが、昔から変わってない考え方自体変えないと自衛隊もダメでしょうね。
やはり問題に気付いてる人はいたことはいたんだよな
でも進言したことで潰されるだけだしという感じで指摘や進言を半ば諦めていたのか
机上の空論だったということかぁ…
てのも、多分、日本は局地決戦によって戦争を勝とうとしたんだろう。
しかし、戦争とは局地戦による戦術よりも戦略が重要なのである。
つまり、前半局地で負けたとしても補給に必要な補給線さえ確保されていれば後半も継戦可能ということである。
そして、逆にこちらが前半に狙うべきは敵の補給線。如何に敵が強大で大量の兵士がいようがその補給さえをたてば後半の継戦は不可能。軍が大きければ大きいほどその補給力は太くなくてはいけない。つまり、そこに割く人員、時間、コストは膨大となる。
結論、我慢比べでしかない。
その相手の我慢の邪魔を如何にして行うかが戦争の肝なのだと思う。
補給を無視と言うより、陸海軍の協定や作戦が事前に整備していなかったのが原因です、補給については戦後アメリカや旧ソ連やロシアも完璧では無いので永遠のテーマかも知れませんね。
日本兵国内の戦だった戦国時代。国内なら少なくとも食糧は侵攻した相手から奪えば何とか足りました。当時は北海道を除けば穀物は奪えは足りましたしそもそも戦国時代の小さな戦は自国の米等が不足すると近くの国で奪えばそれでよし!で侵攻して米や女、或いは労働力の若手を拉致する強盗行為が多かったから
残念なことに、現代の我々の生活でも情報や物流は軽視されがちですね…
だから色んな公的機関や企業から簡単に情報漏洩や技術の流出が発生するし、トラックやドライバーなどはただでいくらでも湧いてくるとでも思ってるのか、不当に安い値段で無茶苦茶な要求をする。
「兵站」もそうなんだが、何よりも前提となる「戦争計画」そのものが杜撰ないし適当な気がする。
何処までが「攻勢限界」で、何処までを「戦線」とするのかとか。
大体の重要事項を「ノリ」とその場の「勢い」だけで決めてるのは気のせい?
英米戦になる前に戦訓となるような大規模海戦が、日本海海戦くらいしかなかったのも大きいだろうね。
この時代なら第一次大戦のUボートによる通商破壊の情報も手に入ってたはずだけど、やっぱ経験こそ最大の学問だな。
戦線拡大とともに部隊増設したりしてロジスティックシステムが追いつかなくなっていった。
商船防護よりも敵艦叩きに集中しすぎた結果が多くの徴用商船、輸送艦を失う結果になった。
いやどこまで戦線拡大するか事前に決めときなよ
その結果兵站足りませんって本末転倒でしょ
@@クマー-l7t じゃあ決めた範囲まで拡大して勝敗がつかなかったらどうするの? 中国も拠点どんどん後退させて戦い続けたよね?
@@samoed-lk7hp 遅滞戦術と拡大方針を一緒くたにする意味が分からないんですけど?
攻勢限界を越えて兵站崩壊ってアホですやん
でも…取れるのに取らないのはもったいない!ってこと? 頭ちいかわかよ
@@クマー-l7t ちょっとよくわからない
日本は何を目標として、どのような手段でそれを達成すべきだった考えてるの?
@@samoed-lk7hpいや貴方の発言がまず意味が分からない
遅滞戦術と攻勢限界を越えた戦線の発生を同じ俎上にあげて何が言いたいの?
勝つ見込みのない戦へと突き進んで言った
軍部の奢り、愚かさ
沢山の日本人が犠牲となりました
そしてその後遺症は今も引きずっているのですよ
戦争に負けるということは
こういうことなんだなって
今の自民党見てればよく分かりますよ
日本軍は予算に限りが有るから兵器の正面装備を優先して後方支援や弾薬生産を後回しにしている、日露戦争の前に清国からの賠償金で軍事予算を大半に回して海外から軍艦購入や師団増設に使ってしまい、弾薬生産増強はしなかったので大砲の弾薬不足に成り、日露戦争での開戦当初は弾薬消費量は日清戦争と同じ位と見ていて楽観視していた。
視聴する度に鬱になる。今だって😮
今でも無視は変わらないでしょう。
今日のリソース、生産力無視の目標設定が横行してるし
警告するようなら「会社のために働かないのか」と非難されるし
軍法も兵站の重要な要素であります!
10:09
勝手に満州事変初めて戦線拡大した石原莞爾が言えた台詞じゃないな
今の自衛隊はどうなのかな。アメリカの様な大規模な海外出兵は無いにしても、有事になったら継戦能力は精々1週間っと言わせている。(あくまで想定)
陸自は民間船をレンタルで借りたり、武器・弾薬以外の補給物資は九州→北海道→九州をJR貨物へ依頼など兵站維持に熱心です。
輸送ドライバーが不足の模様!(ヤフーニュースより)
自衛隊は大戦期の反省を活かそうと必死だよ。
兵站強化もそうだが対潜能力向上とか他にも色々とな
WW2イギリスですら駆逐艦の母数が足りなくて発狂してたのに、たった55隻(なお艦隊決戦用の空母.巡洋艦含む)の護衛艦隊で何が守れるっていうんですかね
花形の艦種ばかり予算がいって、数が命の駆逐艦はちっとも増えないんだもの
戦時コルベット量産計画でも持ってきてから海上護衛大国名乗ってほしいわ